孫娘が車を買って一年、まだ高速道路のETCゲートを通過したことがないので、その体験をすることと、私が退院後盛んに京都に行きたいと言ってる事を合わせ、私達を京都嵯峨野に載せて行ってくれると言う。

孫娘の21才の誕生日祝いも兼ねると言う事も重なって、大蔵省(妻)もいつになく大奮発し、たっぷり(?)の予算を取るなど、誠に心強い。

可愛い孫や娘との京都、また、まだ長距離運転は避けたい私にとって、こんな嬉しい提案を断る事なぞ全くあり得ない事、更には、今日は体調も天気も良く、喜び勇んでやってきた。(2011.11.09(月))


まだ秋の行楽シーズンには一歩早く、高速道路は快適に走れたが、インターチェンジを降りてからはそうも行かず混雑に巻き込まれた。先ずは、天竜寺の駐車場(¥1000)に車を止め、すでに多数の人が行き交う嵐山の通りを北に数分歩いた所が、今日の第一の訪問先だ。


「清涼寺」   浄土宗 五台山   別名:嵯峨釈迦堂
         京都市右京区嵯峨
         境内は無料

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棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん、938-1016)という東大寺出身の僧がいた。奝然は、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。奝然は、永延元年(987年)日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとした。奝然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。すなわち、都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、という意図が込められていたとされる。しかし、その願いを達しないまま長和5年(1016年)、奝然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。
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「豊臣秀頼首塚」  
ここを訪れたのは11月9日月曜日、その前日の大河ドラマ”江”で秀頼が自害したので、何ともタイミングのよいことと驚いた。

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名物「あぶり餅」をここで食する。
甘さを抑えた飴に浸し、一口にも満たない竹串に刺した小さな焼き餅7個が一皿。値段は¥70だったかな?。

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私の体調を考慮してくれてここが最遠地とし、ここより西方に歩き次の「祇王寺」に向った。