木燃人の巣穴

ここは季節の情報や私の趣味や考え方を発信するとともに、皆さんとの気楽な交流を計る場所にしたいと思います。

タグ: 奈良

2011.11.21(月)、遅れながらもようやく色付き始めた紅葉を求めて奈良の北部、「芳徳寺」、京都府に一旦入って、「岩船寺」、「浄瑠璃寺」を、再度奈良市に来て「円成寺」を見た後、市中心部を通過して南下し、「正歴寺」と計5の寺を見て来た。
今日はまだ体力が少々残っているので、元気を出して次の訪問地に入った。


「弘仁寺」   (こうにんじ)  通称:高桶の虚空蔵さん
         奈良市
         真言宗  高野山 
         拝観料¥200  駐車料無料

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弘仁5年(814年)、嵯峨天皇の勅願により、空海が創建したと伝えられる。空海は、自ら彫った虚空蔵菩薩像を本尊として安置したという。或いは、小野篁を創建者とする説もある。また、先立つ大同2年(807年)に、この地に明星が隕ちたことから、空海が神聖な土地として寺を建立したとも伝えられる。

元亀3年(1572年)、松永久秀の兵火により、伽藍の大部分が焼失する。

寛永6年(1629年)、宗全によって再興される。

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今日はもう一つ、帰路の途中にある「神野寺」を予定していたが、最近にしては珍しく妻の方が疲労を訴えたし、私もかなりへたって来たので、帰路の安全運転のためにも無理は禁物と、殊勝にもあっさり諦めて本日はこれにて帰還することとした。自ら車を運転しての若干の遠出の実績がこれで出来た訳で、次へのステップを踏み出すことが出来るのである。


これにて「奈良古寺めぐり」は完結とするが、私が今,奈良の古寺として取り上げたのは、旅のガイドブックなどに書かれている、由緒のありそうな82寺としている。
この内、昨年までに28寺を見たが、今年は今回の6寺を含めて12寺であったから、82の内まだ34しか見てないことになるが、今年の奈良はこれにて”打ち止め”としたい。
ちなみに、京都は古寺を154としており、昨年までに47、今年17で合計63、ここもまだ半数に達していないのである。今年も残す所約1ヶ月、もう一度京都に、はたして行けるか否か・・・・・・・?。

京都は観光客など多く道路は混雑する、また駐車料無料の所が少ない半面、寺社が密集しているので、車で回るよりは、適当な所に車を止めて数Km位の範囲を歩く方法が適している。
一方、奈良は寺社のある間隔が離れているので、歩くのには適さない、幸にして、駐車場は無料の所が多くて歩くよりも車で回る方が楽であり効率的なのだ。
特に今は歩いて疲労が増えると多くの寺社を見て歩けないので、今日(2011.11.21(月))は奈良に来た。

奈良県北部、京都府南端で4つの寺を見た、そして国道369に出て、奈良公園の中を付き切り南下して、奈良市南部までやってきた。


「正歴寺」    (しょうりゃくじ)
          真言宗 菩提山(ぼだいせん)本山
          奈良市菩提町
          拝観料¥500(本堂、福寿院共通)  駐車無料


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正暦3年(992年)、一条天皇の発願により、関白藤原兼家の子兼俊僧正が創建した。往時には、報恩院以下86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院であったが、治承4年(1180年)に、平重衡による南都焼き討ちによって焼失した。

建保6年(1218年)、別当として南都焼き討ちで荒廃した興福寺の再興に約10年に渡り尽力した後、その地位を退いた大乗院院主の信円僧正が隠遁先として当寺を選び、「菩提山僧正」あるいは「菩提山御房」と呼ばれた。信円は当寺を法相宗の学問所として再興し、以後信円からその座を受け継いだ歴代大乗院門跡が当寺の門跡を兼帯、興福寺の別院正願院門跡となった。金堂、弥勒堂、講堂、十三重宝塔、経蔵、御影堂、鐘楼、六所社および別院などが整備された。また、報恩院家が開山の兼俊僧正の別院として寺務を管轄し、安養院と別院仰接院は浄土宗の念仏道場となった。

江戸時代に入り、慶長6年(1601年)には寺禄は約1000石を数えていたが、応仁の乱後に再興された82坊によって、往時の様を取り戻していた。本堂、三重塔、護摩堂、観音堂、地蔵堂、灌頂堂、鐘楼、経蔵、如法経堂、御影堂、十三重塔、弥勒堂、六所明神、鎮守などの堂塔伽藍が建ち並んでいたという。

寛永6年(1629年)、堂塔伽藍が焼失、300石の朱印地を与えられることとなった。江戸中期以降は、法相宗の影響が次第に薄れ、真言宗仁和寺の末寺となった。

明治廃仏毀釈によって荒廃した。往時の威容は、参道沿いに延々と続く石垣によってしのぶことができる。昭和42年(1967年)、本山仁和寺から独立し、菩提山真言宗大本山を名乗る。


「福寿院」


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福寿院庭園

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「本堂」

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「僧侶の供養塔」

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「ナンテン」

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ここの紅葉はまだ緑が多くて紅葉には居たってないが、その代わりにとばかりに、「ナンテン」と「マンリョウ」が精いっぱい赤くなって我々を迎えてくれた。

このすぐ近くに「円照寺」があるが、非公開のために飛ばして、「弘仁寺」に入ったがそれは次回に紹介したい。





2011.11.21(月)、奈良県柳生の里の「芳徳寺」、京都府木津川市にある「岩船寺」「浄瑠璃寺」を見たあと、再び奈良県を走る国道369に出て、その道沿いにある「円成寺」に入ることにした。


「円成寺」  (えんじょうじ)  
        真言宗 御室派  山号:忍辱山(にんにくせん)
        奈良市忍辱山町
        拝観料¥400  駐車無料

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この寺は珍しく、門の外に池と庭園が作られ、紅葉が見事に色づいていた。

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「楼門」(ここからは入れない)

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寺に伝わる「和州忍辱山円成寺縁起」によれば、沿革は次の通りである。

天平勝宝8歳(756年)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創される。万寿3年(1026年)に命禅が再興して十一面観音を祀ったという。しかし、鑑真とともに来日した僧の中に虚瀧なる人物は実在せず、奈良時代にさかのぼる遺品、出土品等も見当たらない。以上のことから、この草創縁起は後世の仮託と思われ、「中興の祖」とされている命禅が円成寺の実質的な開基であると推定されている。

平安時代末期の保元元年(1156年)、京都仁和寺の寛遍が東密忍辱山流(とうみつにんにくせんりゅう)を開き、寺運は興隆した。この頃に本尊が当初の十一面観音から阿弥陀如来に代わったと思われる。

室町時代、応仁の乱(1466年-1476年)の兵火により堂塔伽藍の大半が焼失したが、栄弘が入り再興された。

江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであった。

明治の廃仏毀釈による混乱により衰え、現在に至る。

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「本堂」

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「イチゴノキ」との表示がり、花と実が同時になっていた。

  「イチゴノキ」は下記に若干の記述があります。(木燃花図鑑)
     http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-526.html

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ここら辺り一帯は柿の名産地、小粒で丸いが、これも渋柿か?。

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術後初の長距離運転、ここまで来て走行距離120Kmを超えたが、まだ体力は充分あり、次の訪問地の「正歴寺」に向けて、奈良公園の中を走る国道369を南下し始めた。

遅れている紅葉を待ち兼ねて、滋賀湖東、京都嵯峨野を見たが、まだ少し早く、本格的な紅葉には巡り合っていない。紅葉は急激で大きい気温低下で染まると聞いているが、ここの所は暖かい日が多く。まれに寒さが増してもそれほど温度差は大きくは無なかった。

2011.11.21(月)、朝起きて見ると、この秋一番の冷え込み、しかも天気も私の体調も良好。こうなったらもう出掛けるしかないと、予てから準備万端の”奈良古寺めぐり”に行こうとしたが、少しでも暖かい都会地よりも山間部の方が気温差は大きいだろうと考え、奈良北部、京都府の南端部の6~7ヶ所の古寺に焦点を絞った。

最初は””剣豪の足音が聞こえる・・・柳生の里””との声が高らかに聞こえる!。

「芳徳寺」  臨済宗大徳寺派  神護山芳徳禅寺
        奈良市柳生下町
        市営駐車場¥600  拝観料¥200(資料館を含む)


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柳生藩柳生氏菩提寺。柳生の地区を一望できる高台に位置し、門前の坂の途中に正木坂剣禅道場を構える。柳生家の墓地は元々は中宮寺(現・奈良市柳生下町)にあったが、芳徳寺の創建に伴って改葬され、芳徳寺裏の墓地に柳生藩主・柳生氏一族代々の墓石が80基あまりが並ぶ。

北から寺へ登る坂が霊源坂、その登り口の橋は古楓橋であり、東南の小高い台地である山王台(清風台)とともに柳生十景に挙げられている。また、霊源坂の中ほど東側の地が柳生宗厳(石舟斎)の居住地とされる。

寛永15年(1638年)大和国柳生藩主柳生宗矩の開基、沢庵宗彭の開山により創建されたと伝えられる。宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うため、柳生城があったと伝えられている場所に建立した。宗矩の子列堂義仙が第一世住持となり、宗矩の遺領1万2500石のうち200石が芳徳寺に寺領として分与された。宝永8年(1711年)の火災により全焼したが、正徳4年(1714年)に再建された。

廃藩後は荒廃して山門や梵鐘も売却され、明治末期には無住の寺となったが、大正11年(1922年)に柳生家の末裔である元台湾銀行頭取の柳生一義が資金を遺贈し、本堂が再建された。その後、大正15年(1926年)6月に副住職として赴任した橋本定芳(昭和5年(1930年)には住職に就任)は、芳徳寺の再興に奔走。橋本は柳生新陰流の普及に努めた他、昭和3年(1928年)には境内に大和青少年道場(現在の成美学寮)を開設し、知的障害児の保護育成に尽力するなど、多方面の事業を手がけた。


本堂には本尊の他、木造沢庵和尚坐像および、木造但馬守宗矩坐像を安置している。また、伝柳生三厳筆「月乃抄」などの寺宝を伝え、柳生氏に関する資料多数を収蔵しており、資料館が併設されている。

木造但馬守宗矩坐像は慶安4年(1651年)に宗矩の7回忌にあたり、柳生宗冬が京都の大仏師康看に彫らせたもの。また、木造沢庵和尚坐像は明暦3年(1657年)に、列堂が京都の大仏師康春に彫らせたものであり、ともに前述の火災を免れ、今に伝えられている。



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ここに来て、やっと本物の”真紅の紅葉”を見る事ができて、来てよかったと実感!。

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本堂内部

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資料館

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「ヤツデ」  ウコギ科

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ここから国道369を少し下がると”小桜”の名所と聞く「南明寺」があるが、現在は未公開となってるので通過して、県道を走り京都府に入り、「岩船寺」を尋ねたのであるが、それは後述としたい。
                                                                                                 

No13  長谷寺(2/2)

少し時期を逸した感があるが、今年の紅葉はこれが最後だ!。

牡丹で名前を知られる「長谷寺」であるが、カレンダーなどプロの写真の被写体としてもよく見かける所である。ここは家から比較的近いこともあって、過去何回も訪れているが、紅葉の時期に来たのは初めての事で、大変美しいのには、改めて感動したものである。

先日その約半分を紹介したので、今日はその後半、最もきれいな所をお見せしたいのだ。

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「本坊」へ入る門
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以上、2010年の紅葉は、10/27の御在所岳を皮切りに、11/10に比叡山など湖西3ヶ所を、11/15に赤目四十八滝を、11/18に京都の高山寺など5ヶ所を、11/20に香嵐渓を、そして最後が、11/24に談山神社など3ヶ所を見て来た。

合計6の地域で、14ヶ所であったが、何処が一番かはそれぞれ甲乙点け難いほどに、全てが美しかった、歩いて、おしゃべりをして、コンビニのおにぎりを食べて、写真を撮って、ブログに載せて、コメントを戴いてなどと、お陰をもってたっぷり楽しむ事が出来た。これは関係する皆さんのご協力があったからこその事と、心からお礼を申すしだいである。それにもうひとつ、自身の健康にも感謝である。

                          完    


追記
次のブログからは、長編になるが、いよいよ”ニュージランド・シリーズ”が始まるよ!。

No 12  長谷寺(1/2)   奈良県桜井市

今年の紅葉は長谷寺で締めようと、一年半ぶりでやってきた。ここはご存知の通り、牡丹が有名であるが、紅葉も大変美しくしばしばカメラマンの標的になるお寺である。(駐車料¥500)

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(拝観料 ¥500)
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「仁王門」

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ウイキペディアによれば・・・・
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は道明上人とされる。西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。中でも「源氏物語」にある玉鬘(たまかずら)の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。

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仁王門を入ると「登廊」がり、その両脇に牡丹が植えられているが、今回写真は省略する。
冬咲きの牡丹が早くも咲き始めている。
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「五重塔」
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余りにも紅葉が美しいので、一度に載せるには紅葉に申し訳ないないので、後半は次回に譲りたい。


                   続く

12月3日から10日まで海外旅行に行っていたので、暫くの間休んでいましたが、本日(12/10)の早朝帰ってきましたので、再開させて戴きます。なお、旅行記については追って掲載しますが、SDメモリを入れた荷物は明日到着しますし、写真の整理が付くまでの間、若干時間を要するので、作り置きのもので代行させますので、御了解を賜りたいと思います。


No 11  談山神社  奈良県桜井市

今年の紅葉は奈良で閉めようと、最初に「長岳寺」を、そして次にここ「談山(たんざん)神社」にやって来た。
ここは奈良では最高レベルという紅葉の名所として自他共に(?)認めるところである。ここには過去数回来ているが、この美しさはほんに格別だ!。

今日は2010.11.24(水)、平日ながら多くの人が訪れており、観光バスもどんどん上がって来る、予約のしてない車の駐車場は満タン、30分位の空き待ちを余儀なくされた。

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(拝観料 ¥500)
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ウイキペディアによれば・・・・・
談山神社(たんざんじんじゃ)は、
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は、藤原鎌足(談山大明神・談山権現)。紅葉の名所である。神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺或いは多武峯妙楽寺という名称であった。

鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。(以下略)

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「楼門」
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「拝殿」
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もとは寺院であったので、神社らしからぬ神社である。
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ここはカメラのベストポジション、多くのカメラマン・ウーマンが砲列を敷く場所である。
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「十三重塔」
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「神廟拝所」
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下の「神廟拝所」の前の広場を「けまりの庭」と言って、4月29日の「けまり祭」には「けまり」が行われるそうだ。
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今年最後の紅葉は未だ終わらない、この後しんがりを務める「長谷寺」に向ったが、それは次回のお楽しみとしたい。

                         続く

No 10  長岳寺  奈良県天理市

今年の紅葉は御在所岳を皮切りに、各地を紹介してきたが、そのしんがりを奈良と決めた。
では、その第一弾は「長岳寺」である。(撮影日2010.11.24(水))

ここはどちらかと言うと、つつじの方が知られていると思うが、紅葉でも紅葉情報が報じられているので、それなりに認知されているのであろうと思われる。

下の大門を入ると参道の両サイドが背丈ほどのつつじが植えられており、シーズンには迫力があるが、今は写真も撮ってもらえないのである。

「大門」
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ウイキペディアによれば・・・
長岳寺(ちょうがくじ)は
奈良県天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。

天長元年(824年)に淳和天皇の勅願により空海(弘法大師)が大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという。盛時には48もの塔頭が建ち並んでいた。


「楼門」
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「本堂」
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「放生池」
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「拝殿」
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このあと、奈良の紅葉はこれ!と昔から決まってる「談山神社」に向ったのであるが、それは次回に掲載したいと思う。

                                  続く

追記
12月3日より、旅行のために不在となりますので、このブログを休ませて戴きます、また折角コメント戴いても、お返事が遅くなりますので、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。なお、次回投稿予定は、12月11日以降と考えています。

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