2006年08月

2006年08月31日 22:18

所有と国家のゆくえ所有と国家のゆくえ
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反空爆の思想反空爆の思想
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「所有と国家のゆくえ」のざっと読んでみた限りでのすごい乱暴で恣意的な要約。


稲葉氏「これはですね。ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、ぺらぺ〜ら、……」
立岩氏「だからどうしたんですか?」

私も「だからどうしたんですか?」の人でありたい。

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2006年08月26日 23:32

 虎の威を借るのは好きじゃない。でも相手は直木賞作家だ。エライ人を引っぱり出してきたところで卑怯ではないだろう。というわけで、最近読み終わったばかりの小泉義之『「負け組」の哲学』から補助線代わりに一段落引用してみる。

強盗に脅迫されて、命か金かというジレンマに追い込まれたとする。そうなってしまえば、私たちは選ばざるをえない。選ぶか選ばないかを選ばざるをえない。上述の反論を述べ立てても虚しい。しかし一番悪いのは、ジレンマを作り出す強盗の脅迫である。しかも、ジレンマ好きの人は、強盗と同じ位置に立って、ジレンマを作り出す原因を不問にして免責しているのである。これに対して、私たちが考えて為すべきことは、ジレンマを生じさせない、ジレンマを解消する事以外ではない。

小泉義之、「負け組」の哲学 149-150ページ


 さてここにジレンマがある、ということになっている。ジレンマに直面して命に関わる選択がなされていると聞く。これが強盗に脅迫されての選択ならば、選ばざるをえないだろう。しかし坂東真砂子が直面しているジレンマは強盗が被害者を脅す銃口並に解決困難な問題なのであろうか。
 そんなことはない。解決策は無数にある。一番手っ取り早いのは引っ越す事だ。日本の片田舎でもいいし、世界の片隅でもいい。猫が好き勝手に子を産んでもNo Problemという土地はどこかにあるはずだ。幸い職業は作家だ。紙と鉛筆さえあれば務まる職業だ。しかも直木賞作家だ。終身年金がついたも同然の身分だ。普通の猫好きだって、愛する猫のためにペット可の物件を必死に探して移り住むくらいのことはする。だから坂東真砂子もどこか好きな場所を選んで愛する猫と楽園を築けばいい。
 とにかく解決策は無数にある。別にパレスチナ問題を解決しろとか、最貧国の債務問題を解決しろと言っているわけではない。猫三匹と子猫程度の問題だ。坂東真砂子個人の才覚と直木賞作家の経済力が及ぶ範囲で解決出来る問題だ。このジレンマは現実的に解消できるのである。
 ところが坂東真砂子はジレンマを現実的に解消する代わりに文学的に語ることを選んだ。現実の範囲で十二分に解消出来る程度の問題を、わざわざ新聞紙上で広く問題提起することを選んだ。坂東真砂子を非難するのも罵倒するのもよいし、あるいはよく言ったと共感するのもよいし、彼女の問題提起に対して真剣に考え込むのもいい。しかしそうした全ての事柄を完全に後景に追いやってしまうほどの明々白々な事実がある。

 坂東真砂子はただのバカだ。

 繰り返すがこれは猫三匹と子猫程度の問題だ。坂東真砂子個人の才覚と直木賞作家の経済力が及ぶ範囲で解決出来る問題だ。ところが坂東真砂子はこの程度の問題が解決出来ませんと自ら告白しているのだ。私には「1+1」も解けませんと告白してるも同然だ。しかもそうした愚かな告白をしているという自覚もなく、"to be,or not to be."とハムレットを気取っている。これまた小泉義之の言葉を借りれば「小話を捻り出しては何かを考えたつもりになっている」のである。

 たかが猫三匹と子猫程度のことだ。戯言を書いてる暇があったら行動しろよ。

 我々が為すべきことは、坂東真砂子を非難したり罵倒したり共感したり考え込んだりすることではない。我々が為すべきことはただ一つしかない。坂東真砂子を笑い飛ばす事だ。
 猫三匹と子猫程度程度の問題すら解決出来ない愚かさを、愚か者だと告白したことも気づかない愚かさを、自分のジレンマを我々に押しつけたつもりでいる愚かさを、「小話を捻り出しては何かを考えたつもりになっている」愚かさを、思いっきり笑い飛ばすのだ。
 坂東真砂子は、妙な言説で身を飾り立てているが、実は裸の王様だ。本性はバカだ。その愚かさを笑い飛ばすのだ。
 そしてバカには見えない衣装を巡って真剣に口角泡を飛ばし合っている全てのBloggerを笑い飛ばすのだ。それ以外にはない。


「負け組」の哲学「負け組」の哲学
小泉 義之

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2006年08月23日 21:57

さてvodafoneのライバルといえばdocomoそしてau。
そしてvodafoneおおまち店の目と鼻の先にはそのライバルauのショップがあるのです。
携帯市場でしのぎを削る両者、七夕飾りでも正面切って激突しています。






派手な真っ赤な七夕飾り、「auショップおおまち」という店名と「WIN」のロゴに「8:00まで営業中」というお知らせがダメを押しています。前回紹介したvodafoneの905SH七夕とはまた違った方向にインパクトが突き出している広告塔七夕です。










もっとも同じauでも一番町141ビルにあるauショップの七夕飾りはおおまち通りの七夕に比べればずっと控えめです。






au by kddi」の商標ロゴも真ん中にちらりと入っているだけで、遠目からは普通の七夕飾りにしか見えません。vodafoneやauおおまち店の七夕と違い、周囲の風景によく調和しています。










auおおまち店の七夕は、目の前にライバルがいるからあんな過激な方向に走っているのでしょうか。来年はvodafone、auともに広告塔としてのインパクトの強さではなく七夕飾りとしての美しさで競い合って欲しいものです。








2006年08月21日 22:16

 仙台七夕。ちゃんと見るのはガキの頃以来だ。
 とはいうものの、ガキのころはなまじちゃんと見ていたつもりになったので、今見る七夕もガキの頃の延長、いつもの七夕だなあという意識で漫然としていただけのだ。僕が見ていたのは仙台七夕ではなく仙台七夕という固定観念だったのである。
 しかしそんな固定観念に毒された風景の中に、いきなりこんな異物が飛び込んできた。





 確かにこれは七夕飾りだ。しかし同時にこれはだれが見てもvodafoneの広告である。vodafoneご自慢のワンセグ携帯905SHを強烈にプッシュする広告である。









 もちろん今までだって広告としての機能を果たす七夕がなかったわけではない。屋号なり店の名前なりが入った七夕飾りは以前よく見られた。いやそもそも豪華な七夕飾りを出すということが、七夕飾りを出した店の宣伝に繋がる、より正確に言えば威勢を示すとことであったはずだ。
しかしこのvodafoneの七夕ほど広告という機能にここまで露骨に傾斜した七夕飾りは以前はなかったと思う。ここ数年のことはわからないが、以前は確かにそうだった。
こうなると俄然興味が湧いてきた。どこの店、どんな企業がどんな七夕を出しているかということである。
だからそれからは七夕飾りをちゃんと見るようになった。見るだけではなく写真も撮った。取ったはいいが400枚近くになってしまい、整理するだけでも一苦労だった。ようやく整理のめどが付き、ぽつぽつと公開し出す次第である。


Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 振り込め詐欺の収益、組員らがネットで“横取り”
調べによると、今井容疑者らは4月3日、グループに売却した通帳の口座に現金400万円が振り込まれたのをネットで確認。同市内のネットカフェ店内のパソコンで299万円を知人の口座に移し替え、だまし取った疑い。今井容疑者らは、ネット上でこの口座の残高確認や振り込みなどができるよう手続きし、パソコンで入金を監視していた。


どこのサイバーパンクですか?これは。

「負け組」の哲学「負け組」の哲学
小泉 義之

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立岩真也氏の書評:小泉義之『「負け組」の哲学』を読んで購入決定。予想以上にいい感じで狂っている本だ。
他には田中秀臣氏経済政策を歴史に学ぶが面白そうだったがパス。


2006年08月19日 23:06

もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語
ヘンリー ペトロスキー Henry Petroski 松浦 俊輔

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キクヤ書店では「蒼のサンクトゥス 4 」が出ていた。やしほちゃん大ショックってな話で、それ以外のところはまとめにかかっている。まだ風呂敷が広がりきっていないところでまとめにかかった感じ。後1巻くらいでおわりかなあ。


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 BOOKOFF仙台駅前店では単行本500円フェアをやっていた。500円以上の単行本が一律500円という一件お得に見える企画だ。これに煽られていつもはあまり調べない単行本の棚を漁ってみたが、めぼしいものが見つからない。唯一ハリー・ポッターと炎のゴブレット 上下巻2冊セット (4)1950円也に少し食指が動いたが、この二冊組の本は嵩張って荷物になるので断念。これは正解だったようで、家に帰ってAmazonで調べてみると、マーケットプレイスでは780円で売っている。送料を入れると1000円ちょいくらいだろう。
 まあ僕自身のことを考えてみても、売れそうな単行本やCDはBOOKOFFではなくAmazonで売ってしまう。BOOKOFFに持ち込むのはAmazonで売れそうもない時だけだ。僕以外の人間も同じような行動をしているとすれば、いまやBOOKOFFに持ち込まれる単行本の類はAmazonその他ネット上のオークションでも売れなかった本ばかりということになる。これではBOOKOFFの単行本の棚に魅力がないのも道理だし、そのうえ値段が高いとくれば致命的だ。
 かといって今回のように500円セールをやったとしても、こんなのに飛びつくのはせどり関係の人達だけだろう。あれだけ本があれば何冊かは買値500円でも売り飛ばせばペイする本があるに違いない。間抜けな機関投資家の判断ミスにつけ込むデイトレーダーの関係に似ていなくもないなあ。

2006年08月18日 23:16

 曇天というより鈍天と言いたくなるような恨めしい天気。
 湿度高く、霧は深く立ち籠め、肌から湧いた汗は空中への行き場を失い、シャツの下にねっとりと張り付く。そんな怠い、エアコンの効いた部屋の中に一日籠もっていたいようなお天気の日に外出するのは正気の沙汰ではないのだが、今日から二十日まで五大堂を始めとする瑞巌寺周辺の御堂で三十三年に一度の御開帳が行われるのだ。往事は人生五十年、今は平均寿命が七十年に延びたとはいえ一生のうちに一度か二度巡り会えれば幸運と言うべき縁である。この機は逃すべきではないだろう。鈍天如きに挫けている場合ではない。
 只立っているだけで消耗してしまうような水気だらけの空気の中を泳ぐようにして松島へ。まず最初に松島が瑞巌寺と共に誇る国指定重要文化財、松島五大堂へ向かったが思わぬ障害が。人の列である。五大堂脇の国道四十五号線沿いの歩道に長い行列が。最後尾は近くの県営駐車場まで続いているらしい。





 五大堂入り口前の拝観券売り場では一時間待ち、二時間待ちといった声が飛び交う。こんなお天気の最中、二時間も立って並んでいたらそれ以上どこかに足を伸ばす気力がなくなってしまう。しょうがないので五大堂は後回しにして御開帳が行われる他の二つの御堂へと向かう。まずは三聖堂へ。





 三聖堂は1682年、瑞巌寺百一世鵬雲によって造営された。1682年建立というとかなり古いように聞こえるが、828年創建の瑞巌寺に比べればずっと新しい。とはいえ三聖堂も起源を遡れば鎌倉時代を起源とする比翼塚に行き当たる。
 三聖堂の三聖とは観世音菩薩、達磨大師、菅原道真公のこと。菩薩様と並んで天神様が祀られているのがおもしろいところで、神仏習合の時代の名残だろう。この後で行く日吉山王神社も瑞巌寺の鎮守という立場にある。
 ここではその三聖を拝観。といっても狭い御堂の中、人がひしめくので、じっくり見る余裕などなし。





 次に日吉山王神社へ。828年、瑞巌寺が比叡山延暦寺の慈覚大師によって建立された時に、一緒に比叡山からやってきた神社である。神社といっても参道の下には墓地が広がるから雰囲気はお寺に近い。ここの本殿には地蔵菩薩と薬師如来が安置されている。今回はこの二つの仏像が公開された。
 ここも狭い本堂の中、人に押されるように慌ただしく拝観してしまった。
 三聖堂、日吉神社と参拝後、再び五大堂へ。相変わらず人の列は長い。





 列の後尾に付き、じりじり進む事、約一時間。ようやく五大堂へ渡る橋のたもとに。ここで一組20人ごとに橋を渡って行く事になる。なにせ五大堂は陸地からは、四人並んでやっという狭い橋二つを渡った向こうの小さな岩の上に建っているのだ。交通規制をやらないと安全は確保出来ないだろう。もっとも普段ならこんな人出はないから往来自由の筈なのだが。
 橋二つを渡った先には受付があり、ここでお坊さん二人から水で清めの印を左の手のひらと額に書いてもらう。教会みたいだと呟いた人がいたが、確かにその通り。でもこの印、本当は墨で書いてもらうんじゃないかという気がしないでもない。





 五大堂は807年、坂上田村麻呂が建立したから瑞巌寺より古い。現在の建物は1604年に伊達政宗が造営したもの。近く解体修復工事が行われるそうだから、今回の機会を逃すとしばらくは見られないかもしれない。そういえば数年前に行った奈良の唐招提寺も金堂が修理中だった。あちらは工事が2000年に始まって、完成が2010年だとか。
 ここでは五大明王像を拝観。しかしここも押されるようにして拝観したので降三世明王が自在天やらを踏んづけているのがユーモラスだなあくらいの感想しか持ち得ず。三十三年に一度の拝観。並んで一時間で、見られたのが一分足らずとはなんとも。三十三年に一度の縁とはいえ、これでは御利益がありそうな気がしないなあ。
 後は食事の後、笹蒲鉾など買って帰宅。蒸し暑い一日であった。


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