
蕎麦屋をやろうと決意してから開店までの5年間、そして、開店してからこれまで8年間、じつに多くの蕎麦の食べ歩きをしてきました。そんな蕎麦の食べ方に、私には譲れない「こだわりの流儀」がある、
ここに私なりの蕎麦の食べ歩きを紹介したいと思います。
まず、蕎麦屋さんに入る前に、地域の周辺環境や店舗の外回りが気になるのでしっかりと見ることにしています。店外の状況から、店内の雰囲気や料理内容を予想するのも楽しみの一つです。
店に入ったら店内を見渡してどんな客層なんだろうか、何を食べているのだろうか、さりげなく見てしまう癖がついている。これはその店の店となりが分かるような気がするからです。
どこに座るが、私にとっては重要な要素となります。私の好きな場所は厨房に近いこと、そして店内全般がくまなく見渡せる席です。そうすることによっていろんな事が見えてくるのでこれも私の楽しみとなっています。席についたら時間の確認です。蕎麦屋の待ち時間が長いこと、相席になることは蕎麦屋の常識だから全く気にしたことはない。むしろ少しくらい待った方が私にとってはありがたい。蕎麦が運ばれてくる間、店内の雰囲気から店主の人となりを想像するのも楽しいものです。
注文は、何でも食べたい、何でも見たいの欲張りだから全員が違う品を、一人も場合は揚げ物一品と煮物の中から鴨南蛮を注文することが多い。
蕎麦が運ばれてきたら、まず蕎麦にご挨拶、蕎麦の打ち方はどのようにしているのだろうか、加水率はどのくらいだろうか、たたみ方とか切り方はどのようにしているのだろうか、太さとか長さはどうか、角が立っているだろうか、ピカピカと光って透き通っているだろうか等々。
蕎麦への挨拶が終わったら、次は、蕎麦を食べながら蕎麦と本格的な話し合いです。蕎麦の品種は何だろうかとか、どこで採れた蕎麦だろうか、つなぎの割合はどのくらいだろうか、グルテンの含有率はどのくらいだろうか、茹で時間はどれくらいだろうか、いろいろと思いを巡らせながらそれはそれは楽しい蕎麦との会話です。私にとってこの会話が至福の一時です。
蕎麦屋に入ったら退屈することはない。尽きることのない興味がいっぱい詰まっているからです。
蕎麦の後は、タレとの会話です。タレは「かえし」と「ダシ」を合わせて作られる。かえしの主な原料は醤油と砂糖など、ダシの主な原料は鰹節などであるが、素材の醤油の味がしてはいけない、砂糖の味がしてはいけない、鰹節の味がしてはいけない。三者が渾然一体となって「まろやか」で「こくみ」がなくてはいけない、蕎麦はタレで決まると言われるゆえんかもしれない。
蕎麦は食べなくても挨拶をすれば大体は答えてくれるが、タレはそうはいかない。蕎麦を食べる時、私は薬味のネギとかワサビは使わない。薬味を使うのは蕎麦を半分くらい食べてから七味唐辛子か、辛味大根を蕎麦の上に振りかけて蕎麦を手繰る。ただし、蕎麦がイマイチの時はこの限りではない。
最後の締めはそば湯です。一杯目は薬味のネギとワサビで、二杯目は七味唐辛子で頂きます。これが私なりのそばの食べ方、私なりの蕎麦の食べ歩きの流儀です。
私はそば教室も主宰し、沢山の方に蕎麦の打ち方を教えてきました。また、蕎麦屋を志す人を修業生として受け入れ、プロの蕎麦職人も沢山育ててきました。同じそば粉と同じ水で、同じように蕎麦の打ち方を教えても、蕎麦の形は同じであっても、出来上がる蕎麦の中身は一人ひとり全く違う。本当に蕎麦は奥が深い。そこに蕎麦の面白さがあるような気がします。
蕎麦屋が十軒あれば十軒とも味が違うのは当たり前かもしれない。だから蕎麦の食べ歩きは楽しくてやめられないのです。これからも感性の赴くまま西へ東へと、私の蕎麦の食べ歩きは続くでしょう。