2013年12月25日

円穹俳句会 『円穹』

                                         『麻』2013年1月号
 『円穹』えんきゅう 円穹俳句会(えんきゅうはいくかい)

 合同句集である。母堂の介護で句会にも吟行会にも行けなくなった方のために友人が集まって始まった句会という。今回の句集には十七名が参加。自選で、四十九句の方と二十一句程の方がある。一ページ七句ずつで、ページ毎に仲間からの鑑賞文が寄せられている。

 持ち味はそれぞれだ。筆者好みで申し訳ないが数句ずつ御紹介する。順不同になった。
 
  踏んだかも知れぬ四つ葉のクローバー      あらきみほ
  盆の月ざわざわざわと稲太る
  まん丸な目をよせて吹く石鹸玉
  骨壺のちちはは並び小鳥来る
  極月や小面にある穴五つ

  園児乗る手押し車や花石榴             片山丹波
  日の落ちてなほ冬菜刈る影二つ
  山翡翠の声長雨の谷の中
  翡翠や一直線の若き日々

  梅雨の海綱引け綱引け力来よ           百万本清
  石段の窪みのつづく若葉風
  春光をくぐりて闇の曼荼羅へ

  ヒマラヤの岩塩ひとつ七日粥            軍地京子
  山中にコゲラの仕事響きけり
  木苺を褒美にもらふ下山道

  享保雛土蔵の闇をまとひをり            笹川瓔子
  立像も坐像もやさし沙羅の花
  残り蚊を打ち迷ふ手の重さかな

  おもかげを竹花入に返り花             星川和子
  盆梅や引き戸の軋む染物屋
  泉より汲みてはじまる平点前

  平凡に生きて風穴万愚節              田辺ゆかり
  胴巻の釣銭貰ふ酉の市
  ギヤマンにかへて酌む酒夏に入る

  三月やわが青春のコンサイス            添田昌弘
  生身魂いささか酒をこぼしけり

  形見分け手つかず盆を迎へけり          中村芳子
  春浅し芽を数へつつ水やりぬ

  梅香るとき水戸つぽの血の騒ぐ          軍地恒四郎
  北総に湖北の地名桃の花 

  天狼へ冬の大樹の虚飾なし             遠山博文
  疣の神の祠荒(さ)び給(た)び赤まんま 

  卓袱台のじゃが芋尽くし孫を待つ          片山和子

  ねび勝る老女の凛と春着かな            下村辰枝

  ピッカピカ硬貨六種のお年玉            大矢昇治

  子連れより犬連れ多し初日の出          喜多 弘

  お年玉今日一日の大家族             高村雅大  

  里山の寄せる匂ひや栗の花            百野博久

 拝見して筆者の初心のころを思い出した。
 「や・かなを一句に入れないこと」がまず最初だった。一句に「や・かな」を入れて成功するのは難しいからだ。
 また、五七五にすることに腐心して助詞を勝手に省き、何を言いたいのか分からないと言われたこともある。
 「てにをは」の使い方は、いまだに難しい。
                                        (二〇一二年・蝸牛社)

momoka11 at 22:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)句集 

石原 明 『ハイド氏の庭』

                                         『麻』2013年1月号
 『ハイド氏の庭』ハイドしのにわ 石原明(いしはら・あきら)

 一九四六年、愛媛県生まれ。
 大学時代に柳人・山村祐の「短詩」、詩人・石原亮の「二行詩」に参加。自由詩同人誌「V」発行。卒業後創作活動から離れる。
 三十代半ばより句作、歌作開始。五十代後半より詩作を再開。花森こま個人誌「逸」寄稿。
 二〇一一年、「逸」遊行賞(俳句部門)受賞。無所属。第一句集。序は花森こま。

 春夏秋冬新年及び季節なき庭の六章。処女作は、

  そこまでの岬と知りつつ蝶とゆく

 出発点が違うからだろう、普通にある俳句とは毛色が違っている。あとがきに、夜、居酒屋の片隅で俳句を作る自分をハイド氏に例えたとある。「例の薬」とは少し違うようだ。

  晶子の忌ここにも道を説く野郎
  謝らずどこまでもむく青林檎
  敗戦忌葉裏葉裏の虫の墓
  原爆忌世界を終らせたくないか

  「ないか」が肯定否定どちらとも採れるが、いっそのこと世界を終りにというハイド氏らしい思いかも。 自殺願望か?
 
  五月には五月の鯨太平洋
  少年は耳から芙蓉となりにけり
  感情に古層のありて赤まんま
  児の頭不味さうに吐く獅子頭

 居酒屋のハイド氏は、優しさも持ち合わせているようだ。 
                                       (二〇一二年・文學の森) 


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近藤喜子 『ミネルヴァの梟』

                                          『麻』2013年1月号
 『ミネルヴァの梟』ミネルヴァのふくろう  近藤喜子(こんどう・よしこ)

 一九四七年、愛知県生まれ。一九八七年「琅玕」、一九九一年より「槐」。岡井省二、高橋将夫に師事。槐賞受賞。第一句集。

 一九九一年から二〇一一年までの句を題付きの五期に分けて掲載。省二に師事してからの句に絞ってある。序は高橋将夫。

 作者の持ち味の一つに自己肯定感がある。自分の言葉で言い得たと思われる句の「さっぱり感」に共感した。

   星を見し眼涼しきまま眠る
   たましひの一人にひとつ草の花
   蓮の実とぶ金泥の水ありにけり
   月光を包み込んだる露の玉
   寒紅をさして五欲を深くせり
   森の匂ひふつと放てる聖樹かな
   手にのせて女身でありし桜貝
   秋の水ときどき暗くなりにけり
   黒葡萄匂ひて闇の芯となる
   こぼれ出る発心のいろ龍の玉
   惑星も地球も人も浮氷
   大蟻の思ひつめたる黒さかな
   落しても割れぬ気のする寒卵
   はやぶさの命かがやく急降下
 
 星、金泥の水に、おもわぬ温かさを感じるのは、そこにも存在そのものとしての「たましひ」があると伝わるからか。
 表面が内面でもある露の玉。
 森の匂いを「ふつと」放つ聖樹には、悲しさと優しさが同居している。
 桜貝の彩りへの、又秋の水の陰りへの眼差しは、自身の存在への眼差しでもあろう。
 闇は芯に黒葡萄の匂いを持つ事で安定し、奥行さえ感じられる。
 龍の玉も地球も人も大蟻も色である。
 彼等の思いつめる黒は闇の色である。
 割れ無い寒卵は硬いからではなく、その色が空だからだし、はやぶさの命が輝くのは、闇が反転して光となるからだ。

 これらの句をそのような繋ぎ方で読みたくなるのは、五欲を意識している作者だからだ。
 終りの方にある∧あめつちの黙に堪らず蚯蚓鳴く∨という句が現在の心境なのだろう。

 ここには取り上げてないが、内容の深い言葉を使いこなすのは難しい。
 筆者など、使ってみて駄目出しを頂くことが多い。本音を言ってくださる先哲は有り難いと思いつつ、また挑戦できる日を待っている。
                                    (二〇一二年・東京四季出版)


momoka11 at 21:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)句集