ももぴんには、大切なママ友がいる。
戦友。。。
今日その戦友と電話で話をした。
っと言っても、戦争経験者じゃないですけど。
次男は、今は、とても元気に女の子に囲まれた高校生活を送っている。
前に心配な事。。。で記事に書いたことがあるのだが、
次男は、3歳の時に心臓手術をしている。
生まれつきの心臓病で、ファロー四徴症という病気だった。
ある大学病院で、3歳で手術をしたのだが、
手術をしてみたら、医師が術前に診断していた病状よりもかなり進行していたこともあり、9時間も掛かり、とても大変な手術となった。
手術自体は、成功したのだが、
手術時にリンパ官を傷つけ、胸に水が貯まり、一時呼吸も苦しい状態が数日続いた。
傷ついた場所から、リンパ液があふれ出し、胸に水が貯まる。
その水を抜くために、胸に穴をあけ、管を通すことになった。
その管の先には、タンクが繋がれ、そこにどんどん胸からの水がたまっていく。そうして、自然に傷が塞がり、水が止まるのを待つことになった。
次男は、それから3か月辛い日々が続いた。ももぴんもずっと付き添い生活だった。
絶飲、絶食。
何も食べてはいけない、
水もお茶ものんではいけない。
たべものを食べると、胸の水が、栄養を含んで、濁ってしまう。
そうすると、傷も塞がらず、息も苦しくなる。
だから、絶飲、絶食。
おかあちゃん、ジュース飲みたい。
っという言葉が手術後私と交わした最初の言葉だった。
あのね、○○ちゃんは、胸に水が貯まってるから、ジュース飲んじゃだめなんだよ。
わーん、飲みたい。。。って泣き叫ぶ。
そんな、やりとりが3日ほど続いたのだが。
子供ってすごいんだよ。
そんな環境にもすぐなじんでいく。
先生が言ってた。
子供の方が我慢できるんですよ、大人よりって。
次男も泣いていたのは、ほんのわずかの期間だった。
でも入院していた部屋は、小児科の6人部屋。
食事の時間には、みんなのところには、ごはんが運ばれてくる。
おいしそうな香りも漂ってくる。
でも部屋の付き添いのお母さん達は、次男が食べられないことをみんな知っているので、ベッドの柵にバスタオルをかけたり、
カーテンをひいたりして、次男から見えないようにと気を遣ってくれた。
本当に有難かった。
ももぴんも次男の前では、食べるということは、できないので、
次男が寝てるすきに、部屋のお母さんに次男を頼み、
売店で何かを買って食べ、あわてて戻るっていう感じだった。
朝みんなが寝静まっている時に毛布の中で、パンを食べたりね。
でもそんなことは、辛くなかった。
それは、次男は、いつか治るということを医師から告げられていたから。
その部屋に入院している他の子達の病状は、深刻だった。
1歳になるのに、まだ5キロにも満たない小さなY君。
いつもにこにこしているとてもかわいい子だった。
Y君のお母さんは、いつも次男に声をかけてくれたり、遊んでくれたり、
ももぴんもY君と遊んだり、次男とY君もとても仲良しだった。
いろんな面で助け合って、過ごしていた。
でもある日、Y君のお母さんが、ぽつりと言った。
もうだめかも・・・って。
医師から体重が5キロになると、心臓が耐えられなくなるって言われてるんだ。もうすぐ5キロだし。。。
ももぴんは、かける言葉がみつからないまま、
一緒に泣くしかなかった。
Y君は、それから4カ月後におかあさんの腕の中で息をひきとった。
ある日、給湯室で、ももぴんが、手を洗っていると、
Mちゃんのお母さんが、自宅で作ってきたハンバーグを温めていた。
Mちゃんは、7歳の女の子、
3歳の時、小児がんと診断され、ずっと入院生活を送っていた。
Mちゃんのお母さんもそこで、泣いていた。
もう食べられないのよね、でもあの子が好きだから作ったの。って。
Mちゃんは、すでに、がんが心臓にまで転移して、壮絶な痛みと吐き気で何もたべられない状態だということを聞いた。
その3日後Mちゃんは、亡くなった。
大学病院の小児科には、重い病気とたたかっている子供たちばかり。
そして、子供と共にたたかっているお母さん達。
そのお母さんたちは、みんな明るく、たくましく、がんばっていた。
子供の命を守るために。
ももぴんは、そこで、数々の消えていく小さな命を見た。
本当につらかった。
でも長い戦いを終えることができ、我が子がやっと楽になったと笑顔を残していったおかあさんもいた。
次男は、その後も絶飲絶食が3カ月近く続いたが、
順調に回復し、食事の許可も出ることとなった。
でも、久しぶりの食事を喜んで、口に入れながら、次男は、
お母ちゃん、ごはんってどうやって飲みこむんだっけ?
食べ方をすっかり忘れていた。
噛むことから教えても、飲みこむのがなかなかできなかった。
ずっと食べてないと忘れちゃうんだね。
管でずっと繋がれていたので、ずっとベッドの上だったので、
はじめてベッドから降りたら、
歩き方も忘れてた。
しばらくリハビリをして、やっと歩けるようになった。
そして、ようやく退院することになり、部屋のお母さんたちとも涙でお別れをして、家に帰った。
ももぴんもなが〜い入院生活で激やせしてたな。すぐ戻ったけどね。
Y君のお母さんとは、今でも交流がある。
次男のことをいつも気にかけてくれる。
Y君が亡くなった後に2人の子を産み、上にも3人いるので、
現在5人の子のお母さんをしている。元気です!
戦友なんだな、やっぱり・・・。
なんだか長くなっちゃったね、最後まで読んでくれてありがとう。
よかったら、応援してね。
O(≧▽≦)O ワーイ♪
(/^-^(^ ^*)/ ダキツキ!
あしあともつけてね!
戦友。。。
今日その戦友と電話で話をした。
っと言っても、戦争経験者じゃないですけど。
次男は、今は、とても元気に女の子に囲まれた高校生活を送っている。
前に心配な事。。。で記事に書いたことがあるのだが、
次男は、3歳の時に心臓手術をしている。
生まれつきの心臓病で、ファロー四徴症という病気だった。
ある大学病院で、3歳で手術をしたのだが、
手術をしてみたら、医師が術前に診断していた病状よりもかなり進行していたこともあり、9時間も掛かり、とても大変な手術となった。
手術自体は、成功したのだが、
手術時にリンパ官を傷つけ、胸に水が貯まり、一時呼吸も苦しい状態が数日続いた。
傷ついた場所から、リンパ液があふれ出し、胸に水が貯まる。
その水を抜くために、胸に穴をあけ、管を通すことになった。
その管の先には、タンクが繋がれ、そこにどんどん胸からの水がたまっていく。そうして、自然に傷が塞がり、水が止まるのを待つことになった。
次男は、それから3か月辛い日々が続いた。ももぴんもずっと付き添い生活だった。
絶飲、絶食。
何も食べてはいけない、
水もお茶ものんではいけない。
たべものを食べると、胸の水が、栄養を含んで、濁ってしまう。
そうすると、傷も塞がらず、息も苦しくなる。
だから、絶飲、絶食。
おかあちゃん、ジュース飲みたい。
っという言葉が手術後私と交わした最初の言葉だった。
あのね、○○ちゃんは、胸に水が貯まってるから、ジュース飲んじゃだめなんだよ。
わーん、飲みたい。。。って泣き叫ぶ。
そんな、やりとりが3日ほど続いたのだが。
子供ってすごいんだよ。
そんな環境にもすぐなじんでいく。
先生が言ってた。
子供の方が我慢できるんですよ、大人よりって。
次男も泣いていたのは、ほんのわずかの期間だった。
でも入院していた部屋は、小児科の6人部屋。
食事の時間には、みんなのところには、ごはんが運ばれてくる。
おいしそうな香りも漂ってくる。
でも部屋の付き添いのお母さん達は、次男が食べられないことをみんな知っているので、ベッドの柵にバスタオルをかけたり、
カーテンをひいたりして、次男から見えないようにと気を遣ってくれた。
本当に有難かった。
ももぴんも次男の前では、食べるということは、できないので、
次男が寝てるすきに、部屋のお母さんに次男を頼み、
売店で何かを買って食べ、あわてて戻るっていう感じだった。
朝みんなが寝静まっている時に毛布の中で、パンを食べたりね。
でもそんなことは、辛くなかった。
それは、次男は、いつか治るということを医師から告げられていたから。
その部屋に入院している他の子達の病状は、深刻だった。
1歳になるのに、まだ5キロにも満たない小さなY君。
いつもにこにこしているとてもかわいい子だった。
Y君のお母さんは、いつも次男に声をかけてくれたり、遊んでくれたり、
ももぴんもY君と遊んだり、次男とY君もとても仲良しだった。
いろんな面で助け合って、過ごしていた。
でもある日、Y君のお母さんが、ぽつりと言った。
もうだめかも・・・って。
医師から体重が5キロになると、心臓が耐えられなくなるって言われてるんだ。もうすぐ5キロだし。。。
ももぴんは、かける言葉がみつからないまま、
一緒に泣くしかなかった。
Y君は、それから4カ月後におかあさんの腕の中で息をひきとった。
ある日、給湯室で、ももぴんが、手を洗っていると、
Mちゃんのお母さんが、自宅で作ってきたハンバーグを温めていた。
Mちゃんは、7歳の女の子、
3歳の時、小児がんと診断され、ずっと入院生活を送っていた。
Mちゃんのお母さんもそこで、泣いていた。
もう食べられないのよね、でもあの子が好きだから作ったの。って。
Mちゃんは、すでに、がんが心臓にまで転移して、壮絶な痛みと吐き気で何もたべられない状態だということを聞いた。
その3日後Mちゃんは、亡くなった。
大学病院の小児科には、重い病気とたたかっている子供たちばかり。
そして、子供と共にたたかっているお母さん達。
そのお母さんたちは、みんな明るく、たくましく、がんばっていた。
子供の命を守るために。
ももぴんは、そこで、数々の消えていく小さな命を見た。
本当につらかった。
でも長い戦いを終えることができ、我が子がやっと楽になったと笑顔を残していったおかあさんもいた。
次男は、その後も絶飲絶食が3カ月近く続いたが、
順調に回復し、食事の許可も出ることとなった。
でも、久しぶりの食事を喜んで、口に入れながら、次男は、
お母ちゃん、ごはんってどうやって飲みこむんだっけ?
食べ方をすっかり忘れていた。
噛むことから教えても、飲みこむのがなかなかできなかった。
ずっと食べてないと忘れちゃうんだね。
管でずっと繋がれていたので、ずっとベッドの上だったので、
はじめてベッドから降りたら、
歩き方も忘れてた。
しばらくリハビリをして、やっと歩けるようになった。
そして、ようやく退院することになり、部屋のお母さんたちとも涙でお別れをして、家に帰った。
ももぴんもなが〜い入院生活で激やせしてたな。すぐ戻ったけどね。
Y君のお母さんとは、今でも交流がある。
次男のことをいつも気にかけてくれる。
Y君が亡くなった後に2人の子を産み、上にも3人いるので、
現在5人の子のお母さんをしている。元気です!
戦友なんだな、やっぱり・・・。
なんだか長くなっちゃったね、最後まで読んでくれてありがとう。
よかったら、応援してね。
(/^-^(^ ^*)/ ダキツキ!あしあともつけてね!


親が子を思う気持ちは尊いですね。
とくに母親の愛情には、頭が下がります。
今夜は、いい話を聴かせてもらいました。
弟が入院している間、兄貴も淋しかったろうね。
元気になって良かった。