2009年03月
2009年03月28日
男らしさ
● 己むに己まれぬ心
何事を為すにも、出発に欲を持っていると咎(とが)
を生ずる。高尚な理想を云えば際限ないが、少くとも
巳(や)むに巳まれぬ男らしい心に依って活動するが
よい。
『易』に「為す有らんとす」とはそれである。そし
て必ずしも成敗は論ぜぬ。複雑な人生に単純な人間の
頭脳でぶつかって行かねばならぬからだ。
● 人間の交わり
人間の交わりに於て、何ということなく惹きつけら
れる、好きだという人とは、交わって一番間違いが少
ない。
感情は人間の全体的把握だから。又交わりが久しう
して愈(いよいよ)変らない者ならば宜(よろ)しい。
利害打算の交、酒や単なる話相手としての交わりは、
極めて末稍的である。
瓠堂随聞記 p148
関西師友協会 http://www.siyukai.org/
2009年03月15日
若くして朽ちる
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安岡正篤の「一遍言うてみたかった!」ー112号ー
*******************2009/03/15***
朽というのは年寄りがするものだと思ったら大きに違う。
老朽、老いて朽するのはあたりまえで、自然的事実、自然
現象だ。そうでない、恥ずべきほ若朽である。若朽を防ぐ
のにはどうするかというと、今のように敏の工夫をするこ
とであり、それには型に嵌らないようにする。
安心して、俺もこれで職業ができ、収入もでき、どうや
ら食うには困らぬ。まあここでこつこつやっておればいい
のだと思っていれば、鞅掌で結構だけれども、機械化して
しまって、動脈硬化でない、精神硬化、人格硬化してしま
うと、これは大変であります。
それにはできるだけ心を働かせて、有益なる交わり、つ
まり良友をひろく持つと。まず本を読む、いい友達を持つ
ことです。
*鞅掌(おうしょう)
(名) スル 仕事が忙しくて暇のないこと。職事に―し
〔出典: 西国立志編(正直)
関西師友協会 http://www.siyukai.org/
*資料置き場 http://blog.livedoor.jp/momotarou100/
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発行: MoMotarou mo10mo@yahoo.co.jp
http://www.otogimura.com/
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2009年03月08日
「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」
■論語の泰伯にある孔子の語
「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」について
論語学者の注釈を待つまでもなく、これは孔子が時の為政者に
向って政治の心得を説いたもので、民衆をして政府のなすところ
に信頼せしめよ、これに一々わからせることは出来ないものだ
(由らしむべしの 「べし」は命令のべし、知らしむべからずの
「べからず」 は不可能の助動詞)というのである。
政策が国家非常の要務のために、民衆の自由を制約せねばなら
ぬ場合、或いはまた大政治家が目先の苟安を望む一般の世論を無
視しても、国家百年のために大計を立てるような場合、なかなか
民衆の理解や容認を得られるものではない。
しかしとにかく「あの人」がすることであるから、任せて置こ
うではないかという信頼は平生において博して置くことは出来る。
この民衆の信頼信服が政治家に一番大切なことである。これさえ
あればそう宣伝に苦労したり、警察に神経を尖らせる必要はない。
「これを道びくに徳を以てし、これを斉ふる(斉ふとは正しく今
日のいわゆる統制、全体主義的政治を意味する)に礼を以てすれ
ば、恥あつて且つ格(ただ)し」 である。
それを単なる法制と刑罰とでやっていけば「民免れて恥なし」
とまた孔子は語っている。
「新編 経世瑣言」より
「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」について
論語学者の注釈を待つまでもなく、これは孔子が時の為政者に
向って政治の心得を説いたもので、民衆をして政府のなすところ
に信頼せしめよ、これに一々わからせることは出来ないものだ
(由らしむべしの 「べし」は命令のべし、知らしむべからずの
「べからず」 は不可能の助動詞)というのである。
政策が国家非常の要務のために、民衆の自由を制約せねばなら
ぬ場合、或いはまた大政治家が目先の苟安を望む一般の世論を無
視しても、国家百年のために大計を立てるような場合、なかなか
民衆の理解や容認を得られるものではない。
しかしとにかく「あの人」がすることであるから、任せて置こ
うではないかという信頼は平生において博して置くことは出来る。
この民衆の信頼信服が政治家に一番大切なことである。これさえ
あればそう宣伝に苦労したり、警察に神経を尖らせる必要はない。
「これを道びくに徳を以てし、これを斉ふる(斉ふとは正しく今
日のいわゆる統制、全体主義的政治を意味する)に礼を以てすれ
ば、恥あつて且つ格(ただ)し」 である。
それを単なる法制と刑罰とでやっていけば「民免れて恥なし」
とまた孔子は語っている。
「新編 経世瑣言」より