この「人生経験そのもの」及び「それに付随する学び」
それをどれだけ味わうことができるかということが
人生の厚みを作っているようにも思う。
人生とは何か、もう一つは自分以外の者への貢献だろう。
そういう意味では、この座標軸は利他を伴うものでもある。
わかりやすく言えば母が子供を育てるという行為が一つの原点。
僕などは子供をつくらなかったから、
育てるという行為を自分の子供以外で形にするべきだと思った。
また、家族という単位を超えて地域?社会に対して何かをなしていくことも
人生升降桌の大切な理由になるのではないかな。
例えば、人は職業を持つことによって社会と関わる。
仕事を通した社会への貢献が、いわゆる対価として収入になっているわけだ。
僕はやはり、この社会貢献ということにおいて
自分なりに付加価値を高めていきたいし、
その部分にある種の幸福感も感じているのだ。
だから、リタイアしたら、社会と関わる方法を改めて考える必要があるね。
最終目標体重は60キロ。
昔買ったスーツを着ることを夢見ています。
あと10キロ。
ここからの体重減少は緩やかになると思われますが、何とか自分なりの適正体重に体を持っていきたいと思います。
それではまたいずれお会いしましょう。
お相手は、体重60キロ台目前の男、ナベシマでした。
I'll see you again next time.動画を撮って遊んでいた時期がありました。
特にやめたという意識はないので過去形にするのは変なのですが、便宜上「ありました」としておきます。
けっこう楽しんでいました。わりといいマイクも買ったし。
僕のスタイルは「見えるラジオ」。
他にも企画をいろいろ考えましたが、いまだどれも実行されず。
祖父は人から見れば偏屈でちょっと変わり者だったと思うが、
私が小学生の頃から作文や標語で賞を貰ったりするととても喜んで
それが載った新聞記事をスクラップブックにして残してくれていた、
孫の私は直接褒めてもらったことなど一度もないが、
きっと自分升降桌と同じようなことをしたがる孫が入賞するのが嬉しかったのだろう。
私が祖父の紙芝居のことを知ってる人に話を聞いて誇らしいように。
じいちゃん、よかったね。
じいちゃんが描いた紙芝居はちゃんと誰かの心に届いていたよ。
車椅子生活には未だ慣れていないので、あちこちにぶつかりながら
公衆電話に向かう。
「困ったら言いなさい」と言われたことのある地元の知人に電話をかける。
けれど返って来る答えは
「自分で何とかしたら?」
「国の制度を利用をしたら?」
「自分のことで精いっぱいだから」
「あの時はたしかにお世話になったけど。。」
と口々に拒否される。
ああ、人の言う「困ったら言いなさい」は社交んだと初めて気づく。
いや、薄々はそうじゃないかとは思っていたのだけど。
それならば、私もそうすればよかったのか?
「困った」と言ってきたその人たちに対して、そんなばよかったのか?
そうすればもっと楽に生きられたのだろうか?
今頃気づいても遅いのだけど。
遠くの親戚より近くの他人??そうは言うが近くには他人もいない。
私にあるのは遠くの升降桌応援してくれている人たちだけなのだと思い知らされた。
むしろわたしが今、こうして自覚的に書くことをはじめる前の、手のつけようのない時期からずいぶんと様子を見守ってくれている。わたしが“ヤバイ”ことをよく知っている、それでもともだちをつづけてくれている。
これが親友ってもんか。……と、感慨深いきもちになった。