小さい頃から、私は


「辛くても相手が言っていることを受け入れることが愛情を受けること


だと思っていました




辛くても、悲しくても


「全ては愛で、私のために言ってくれているもの」




そう解釈して、他人の意見を批判や悪口ほど、どんどん受け入れていました



「自分を改善できるからラッキーなこと


「成長できるチャンスだから」



「修行して、克服できるチャンスよ」



「あの人は嫌われ役になってまで、私に学ぶ機会を与えてくれている役割を背負ってくれているありがたい存在なのだ」



そう思い、歯を食いしばってきました




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また、逆に愛情を与えるとは、




「相手がよりよくなるように、自分のアドバイスを聞かせること」



だと思っていました





「どんなに相手が今嫌な思いをしていても、いつかわかってくれるから、嫌われてでも言わないと


「自分がこれで失敗したのだから、相手に同じ思いをさせないために説得して、私のアドバイスを聞いてもらおう」







その使命感こそが愛だと思っていました








これらは、どちらも相手をコントロールしたいという心が奥に潜んでいます










でもね、他人を変えるなんてできない






たとえ、それを他人がやっていて苦しんでるように見えたとしても、それはその人本人がそうしてくてそうしてることも、すごく多かったりします






人の悪口を言ったりとか、


怒りを撒き散らしてばかりとか、


人の話を聞かないとか、


人に偉そうに上から目線になったりとか、


過去に囚われていたりとか、









そうしていないと本人もやってけないからそうしているわけです



自分をそうして守っているのです




だから、悪口を言っている人に対して



「そんなことは言ってはいけない



と言うと、怒られてしまうんですよね




その人がそうして自分を必死に保っているのに、その人のアイデンティを崩壊させることになってしまっていますから







だからね、



たとえ自分が他人を苦しそうに見えるから変えてあげたいと思っても、



その時にその人にとってベストな気づくタイミングがあるから、



ただひたすらよくなるように見守るしかできないのです



その人が変わりたいと思ったその時に、求められたら協力すればよいのです


勝手に相手を救おうとか手助けしようとしても、実はその人の心の邪魔をしていることすらあるのですから







あっ、そういえば私も頼んでもないのに何か手を出されたり口を出されるのが好きではありません


せっかくやってあげたのに、怒るなんていけないと、教えられて育ちましたが


やっぱりあまり好きではありません


自分でやって、試してみたい人なのです


困った時には誰かに助けを求める術を私はもっています


その時には力を貸してほしいと素直に頼み、力をかります


自分で試して、そして時には誰かと一緒に何かを成し遂げてみる


一緒に生きて、一緒に産み出す


それが楽しみなのです








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