2005年07月29日

「gargoyle」・・・愛と性の別離なのか・・

 ガーゴイル   

ネタばれあり

    ↑クリックで商品を見てみる!



「パリ・18区・夜。」のクレール・ドゥニ監督作。
愛の欲望から生まれる恐怖を描いたラブストーリー(^_^.)
/ヴィンセント・ギャロ、ベアトリス・ダル共演/


    クリックで商品を見てみる!

gargoyleハネムーンでパリを訪れたアメリカ人のシェーンとジューン。しかしシェーンはなぜか新妻を抱こうとはしない。それは彼の持つ、セックスの最中に相手を殺してしまうという性癖のためだった。彼は自分の病について鍵を握る人物・セムノー医師とコレを探す。漸くセムノー家を見つけ出したシェーンだったが、そこには血まみれのコレの姿があった…。

 2001年カンヌ国際映画祭で特別招待作品となったエロティック・ホラー。

主人公には、監督・俳優・ミュージシャン・画家として多彩な才能を発揮し続けるヴィンセント・ギャロ、相手役には「ベティー・ブルー 愛と激情の日々」のベアトリアス・ダルと、主役のカップルに実力派のふたりが起用されている。人間の欲望を描き出したかったと語るクレール・ドゥニ監督の手腕にセンスの感じられる、美しくもミステリアスな作品だ。

 

 3回も見てしまった、お子様は見ないほうがいい・・なんせ、ホラーじゃなくラブストーリーだと思うのですが、レンタルショップには、サスペンスやエロティック・ホラーでしかないとか・・・ややこしいです。

 わかりやすく一言でいうと、不治の病と性衝動との葛藤、それに殺害の連鎖が絡んだ別の愛の形か・・このあいまいな問題提起はまさにおフランスで、だーいすき(^_^.)これをどんな人が好むのかは定かではないけど、映画で刺激やショックを受けたい悲劇好きにはたまりませんよ〜。失恋したアトや、お酒が飲みたいときなど、荒れたいとき最適!!みてみて

 このひと、心は最愛の人を求めているのに、もはや愛し合う喜びを分かちあうことはできい。愛を禁じられた2人の哀しい怪物(ガーゴイル)の、切なく、痛ましい、凄絶な純愛――愛の欲望から生まれる恐怖を、鮮烈な映像美のなかに描き出した奇跡のラブストーリーだと思うのですが!特に、血の見せ方撮り方が巧いっ、
 2001年カンヌ国際映画祭の招待作品としてワールド・プレミアされ、愛の戦慄が人々の心を貫いたらしい。

 スリムな女監督のドニさんは1948年、パリ生まれ。
ヴェンダース監督の元で「パリ、テキサス」、「ベルリン天使の歌」の助監督をしていたとは知りませんでした。この2作はもっとソフトだが、かなりの名作!おすすめ!
 本篇は伝統派吸血鬼映像に属するもののようです。
また、キリスト教の普及のために、魔物に姿を変えられてしまったといわれる、「豊穣と水」を司る神だった“ガーゴイル”に重ねた因縁話だとは・オソロスぃーよ。

ちなみに、原題:TROUBLE EVERY DAY



 ベアトリス ダル

 ここで主演のお気に入り女優ベアトリスダルについて紹介!
狂気、激情の代名詞になっている過去作品ジャン・ジャック・べネックス監督の『ベティー・ブルー 愛と激情の日々』(86)、『ガーゴイル』のキャラクター、コレは久々のはまり役で、ヴィンセント・ギャロとともに体当たりの演技を見せている。人間のリビドーをコントロールする新薬の開発の過程で自分への人体実験を繰り返した結果、愛するものをセックスの最中にかみ殺してしまう激情に苛まれる悲しい運命の女性を怪演している。

他の出演作品に、『女の復讐』(89・監督:ジャック・ドワイヨン)、
『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91・監督:ジム・ジャームッシュ)、
『パリ・18区・夜』 (94・監督:クレール・ドゥニ)、
『H-STORY』(01・監督:諏訪伸宏)、
ロマン・デュリスと共演した“DIX-SEPT FOIS CイILE CASSARD”(02・監督:CHRISTOPHE HONOR)などなど。一見の価値あり!!!



  
Posted by monban148434 at 06:20Comments(1)TrackBack(0)フランス映画

2005年06月09日

このサイトについてご案内

はじめまして!映画好きのみみです!
 
2月末、初めてブログというものを始めちゃいました。なんというか、作文は好きなのですが、画像をきれいに出したいと思うと、時間がかかるものですね・・
「いいものはいい!古かろうが、マニアックだろうが、みんなに見てほしー!」をモットーに、人生を少し変えられた映画たちにエールを送るサイトにしたいです。
 
このサイトはリンクフリーです。許可要りませんので、どんどんリンクしてください。
 
ご利用については、当サイトはアフィリエイトプログラムにより運営しております。企業・ショップと提携し、商品をご紹介しております。商品画像をクリックしていただくとその商品の取り扱いをしているショップへリンクします。商品のご注文は各商品を扱っているショップにてご購入頂けます。商品についての質問等はリンク先の各販売店にお問合せくださいませ。 _(._.)_
 
特定商取引に関する法律に基づく表記
当サイトでは直接販売はしていませんので、リンク先の各企業サイト・ショップサイトに記載されております特定商取引に関する法律に基づく表記をご確認ください。 免責事項当サイトは、ご購入における如何なるトラブル、損害、損益一切の責任を負いません。各ショップサイトに記載されております。特定商取引に関する法律に基づく表記及び規約を確認した上でご自身の責任でご購入ください。
 

ranking-banner-big    映画ブログランキングに登録中です♪ 
    ポちっとお願いします、素敵なブログばかりです。

  
Posted by monban148434 at 08:19Comments(0)TrackBack(0)

2005年06月07日

コーヒー&シガレッツ ジム・ジャームッシュ監督作品

モノクロの画面に漂うタバコの煙、白黒チェックのテーブルクロス、たっぷりコーヒーの入ったサーバー……その周りを飛び交う、無意味そうな会話と無意味そうな時間。なんて凄い力を味わえたか、みるとわかる人は多い!


 11の小さなお話はどれもがいかにも「ありそう」で、コミカルだったり、せつなかったり、胸キュンしたり・・……しかも、かっこいい。素敵です。オムニバスではなく明らかに、短編映画の集まり。


コーヒー&シガレッツ ジム・ジャームッシュ監督作品ロベルト・ベニーニの顔って変幻自在だし、イギー・ポップとトム・ウェイツのジュークボックスがらみの話、笑えた。さらに、スパイク・ジョーンズから電話がかかる話がもっと最高におかしい。中盤の怪しい謎女ルネ・フレンチの観ていた雑誌が銃のカタログ?!もしやアレ?興味深い。GZAとRZA(ラッパー)のリズミカルな会話に、ビル・マーレイのPOPなテンポの絡みまでリアリティあふれなおかつ後味が良い。ステラコイルの閃光にドキッとし、過去の発明王へのオマージュまで織り交ぜている始末!

  一番重い、が気に入った短編は、ズバリ"Champagn / シャンパン"(テイラー・ミード、ビル・ライス)ラストの作品でした。「このコーヒーをシャンパンだと思おうじゃないか」「なぜだい?」「人生を祝うのさ。」実に深い、老人の会話らしいが、ロマンチシズムの塊だ。ここのセットもはまっている。フランシス・フォード・コッポラ監督「盗聴」のセットにも似てたなあぁぁ。なんて素敵なコーヒータイムだろう。。。後5分あるさ!としばしの休憩タイムを人生の乾杯にまで変えてしまうこの演技力と監督の演出に完敗したわ。


 前編粋さが前面に出て、20年間撮りためた時間の不自然さなどどこにもなく、どうでもいい問題のように思える。いつ撮ろうがジャームッシュは自己のオリジナリティは確立している。ファンにはたまらんだろうこの作品は、是非映画館で見て欲しいですね!



映画「コーヒー&シガレッツ」オフィシャルサイト

  
Posted by monban148434 at 03:20Comments(0)TrackBack(2)アメリカ映画

2005年06月03日

"ミリオンダラー・ベイビー" アカデミー賞受賞作

ミリオンダラー・ベイビー バレなし

 レイトショーで観れました。
ばらさないように・・・というか、前情報をTVでやりまくってたのをあえて無視して挑みました。今までイーストウッド監督の作品は、ぼろ(*/□\*)なきなんてなかった(ほめている)ンだけど、さすがに年取ったせいか、ラストはキテシマッタんです。観るまでは、情報がないほうがやはり新鮮でした。

 初めて知ったボクシングの醍醐味!これくらいはいいか。「ボクシングは相手の尊厳を失墜させ、自身の尊厳を守るスポーツ」だって!ただのスポコン映画じゃないことは・・・・

 監督は「ミリオンダラー・・・」でも、名演出は相変わらずです。「泣かしてやろう的演出」ジャなく、もっと端的にポイントを抑え、人も感情をもおさえ、重要なシーンのセリフもできる限りカット!これが観れたので満足です。カメラワークも記憶に残っている。そのスキルが見れて良かった。

ミリオンダラー・ベイビー

 無駄がないから、リアルな出来事と思い込む。くどくなく、説教じみない!どんどん入ってくる。どんなに夢が実現しても、それがサクセスストーリーじゃないことを、教えてくれる。

 物語の予想を裏切る展開が憎らしいなあぁ。
ちょうど昨日、双子山親方の死去が報じられ、この「ミリオンダラー・ベイビー」の一場面を思い出した。人はどう生きようが、息をしている限り、苦しいのだと、いくら成功しようが偉い訳でもない、幸せなわけでもない。完璧などないといいたい。誰もが味わう「孤独感」は、何らかの解決しようとする気持ちによって、自然とおさまりゆく。なくならない「孤独感」は、パワーにもなると言い聞かせて、明日もがんばろーっと。
 
 もう一人、元教師だった花の詩画展の星野富弘さんの絵が脳裏によぎった。リングで無我夢中で戦うヒラリーの後ろにその絵は現われ消えていった。満足のいく一生ってあるのだろうか?そしてソレは誰もがわからないまま!最後までわからないはず。

  モーガン・フリーマンの静かな言葉と存在感は、いつもながら関心。
  イーストウッドの顔のしわにも貫禄を感じる。タフなチャレンジャーですわ。どんなテーマにおいても、妥協がない真摯な取り組みの映画に感謝。
音楽まで仕切ったそうです。
  ストーリーのシンプルさ、ゆえに大きなテーマまで膨らませやすく、ラストは観客にゆだねる流れ・・美しい映像だったんです。

 ぜひ劇場で・・

__________________________________________________
上映時間 2時間13分 
監督 クリント・イーストウッド 
出演者 クリント・イーストウッド ヒラリー・スワンク モーガン・フリーマン

 
 
 公式サイト
  
Posted by monban148434 at 02:50Comments(1)TrackBack(1)アメリカ映画

「プロジェクトX 挑戦者たち」 NHK批判!

 映像に関しては、作り手の「感動の誤算」が目立つ今日、過去の珠玉作品からもその教訓を得ろ。という思いでNHKにもの申したい!!映画レビューではなくなってしまう本記事ですが、映画ではなくても1作品としての品位は問われるくらいの看板番組だ!
 
 最近のスクープで、NHKの人気番組 「プロジェクトX 挑戦者たち」 のあるエピソードに事実と異なる放送内容があったと対象となった学校から抗議を受けて、NHKが謝罪するニュースがあった。
5月10日放送の「ファイト! 町工場に捧げる日本一の歌」。
 
 淀川工業を舞台に、新人教師が合唱部を作って荒れた生徒たちを成長させ、
コンクールで日本一を獲得するまでを描いたストーリー。
NHKでは「番組終了後、学校側から当時学校が荒れていたことの表現や
退学者の数などが事実と異なるという指摘がありました。
表現に一部行きすぎがあった」ということだ。


 最近のTVの嘘つき化を象徴している。もちろん受信料の要るかのNHKには、今回自信がなかったのか?見る者が感動する条件を捻じ曲げ、過大に偽装し、視聴者をだました、そのつもりはなくともそう見られるのは常識だと思う。表現の一部に問題があるというが、その作品ALL全ての品質が下がった。イケてない。

 過去のNHK特集「地球大紀行」「大黄河」は私の中では、最高のランクに今もある。その製作陣も費用も化け物級だと思っていた。事実を間違いなく正確に伝え、なんでもないような淡々とした解説や映像だけが脳に伝わる・・なのにどきどきハラハラ何回もみたいと思ったNHK特集が、今こういう形で崩れたのは残念です。

 おそらくNHKの番組製作者たちは、見る者が感動するとは、ある一定の条件を満足していないといけないと思い込み、事実の通りだと迫力が不足して、見る者に感動を与えるまでには至らないのではないかと考えたのではなかろうか。
おそらく、そこには見る者の感性への不信、表現技術への不信があったのではなかろうか。
 まさに「感動のはきちがえ」であり、感動とは、ある特別の非日常的なもので、日常のありきたりの状況からはそれは生まれないという固定概念があったのかも知れない。

 もし、製作者たちが、感動というものを先に述べたように捉えていたら、例えば
「揺れる大地」、
「ミツバチのささやき」、
「阿賀に生きる」
のような作品は決して生まれないでしょうが。
やはりドキュメンタリーやニュースは事実を曲げて作ってしまっては輝きが半減します。
 この3作品の見所は、ロケ、素人俳優の起用、即興のシナリオに演技と、まさにドキュメンタリータッチで貫かれノンフィクションもフィクションも境目はないことへの挑戦と情熱。ネオリアリズムの醍醐味を忘れてはいけないと思った。しかし勘違いしている製作者の多いこと。素人の観客でもわかることなのに。
 
 下手な仕掛けをしてしまうクリエイターが増えてきたということの証なのか?
演出じゃなく、やらせ!
これでしょ、今回又汚れ度を露出したNHK!いい加減他の社員にも迷惑だとわかりなさい。

 
 
「揺れる大地」、「ミツバチのささやき」、「阿賀に生きる」の凄さ!ぜひレンタルで珠玉の映像を!!
  
Posted by monban148434 at 02:03Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月02日

“足ながおじさん” (55'米)

 “足ながおじさん”・・ ミュージカルやダンスシーンが好きな方へ送る。
現代版!!歌って踊って援助交際(´ρ`)

あしながおじさんポスター【監督】ジーン・ネグレスコ
【脚本】ヘンリー・エフロン
【撮影】レオン・シャムロイ
【音楽】アルフレッド・ニューマン
【出演】フレッド・アステア☆ジャービス・ペンデルトン レスリー・キャロン☆ジュリー テリー・ムーア☆リンダ セルマ・リッター☆ミス・プリチャード フレッド・クラーク☆グリグス シャーロット・オースチン☆
【逸話】冒頭にアステアのレコードに合わせたドラミングが見れる。
【受賞】1955アカデミーミュージカル映画音楽賞、歌曲賞、美術監督・装置賞

【解説】ジーン・ウェブスターの同名小説を映画化したミュージカル。
孤児の少女と彼女を庇護する富豪“足ながおじさん”の関係を描く。アステアとキャロンのコンビによる華麗なダンスが見どころだ。振り付けはアステア自身のほか、脚色も手がけているフィーブとヘンリーのエフロン夫妻と、名プリマのローラン・プティ。 フランスの孤児院にいたジュリー(キャロン)が、アメリカの大富豪ペンデルトン氏の援助で、米国留学をすることになった。新生活を送ることになった彼女は、やがて親友リンダ(ムーア)の叔父さん(アステア)に恋してしまう。実は彼こそが、彼女がいまだ会ったことがなく、手紙で“足ながおじさん”と呼ぶペンデルトン氏だった。
明るくて華やかで夢があって。50年代のミュージカル映画特集を組むなら、これは外してほしくない1本ですね。アステアの初老の紳士はまさに適役、それに何ともロマンチックな話、現実的に考えると無いに等しいストーリーだけど良い気分にする分には良い。そしていつ観てもアステアのダンスに圧倒されるこの作品でも圧倒されてしまいました。
 
"Something's Gotta Give"はアカデミー歌曲賞候補でしたね。MEは、ピアノでこの曲を良く弾いてました。小中のお子様にぴったりかな・・同時に、本(同題)も読ませて、親子で話し合うと、いい大人になりそう。ちなみに、アステアが歌った新曲「サムシング・ガッタ・ギブ」「Slufoot」の2曲はRCAビクターでレコード化された。
また、この曲「サムシング・ガッタ・ギブ」は、サミー・デイビスjrのデッカ盤と、マクガイア・シスターズのコーラル盤が、ともにベスト・セラーになった。
 
子供のとき聞かされたイメージだと、相手が誰かも分からない富豪から援助をしてもらい、大学に通うようになったヒロイン。その謎の足ながおじさんに手紙を書くうちに恋をしてしまい、素敵なおじのプロポーズを断って足ながおじさんに会いに行くと、何とそこには・・・って言う寓話だったような?
 
でもこれは、終始踊り、私が思い描いた「あしながおじさん」(少女らが作り出した妄想!)とわけが違う。日本人に一般うけはきつい・・単に金持ちのおっさんが女子大生をかどわかしているとしか映らないだろうが、芸術の面では、ダンスが優れていると思う。
冒頭で、ある知人が、「そんな少女をアメリカに留学させるなんて、下心みえみえで反対だ」って台詞には共感した。ま何はともあれ、この作品はそう言ったことを無視し、アステアの踊りと唄を聞かせる作品なのだと把握する必要があるのだろう。それで満足しないのならば、最初からアステアの作品を観る資格はないのかもしれないですね・・・
 TOPページへ

 

アマゾンで、”ミュージカル映画”をさがそう!

  続きを読む
Posted by monban148434 at 00:40Comments(1)TrackBack(0)ミュージカル

2005年03月26日

パリ、テキサス (1984年 仏/西独)

 
PARIS,TEXAS
  遠まわしの総評  
 
 
 アメリカ、テキサス州にパリがある・・
失いそして、もがき苦しんだ果てに、
現実を受け入れた男に、そこはもはや必要がなくなったのではないか?
 

 
 男と女の愛の狂気・嫉妬・閉塞した心理と、荒涼たる大地しかし、開放された空間をさ迷うこの絶妙のコントラストに鳥肌どころか、脂汗びっしりかきましたよ〜。一組の夫婦、そこには、愛しすぎても愛しつくせない夫の姿・・・美しい妻との間に子ももうけるが、一時も離れずに側にいなければ心がズタズタになってしまうこの男・・そうだ俺はもっと遠くに旅にでよう・・逃走への憧れか、冒頭シーンから、「なぜだ、どうしてだ」先がよめない。最高のつかみですね。
ライ・クーダーのスライド・ギターがBGMになっていて、これはなかなかいい味を出していて文句なしによかった。
 
まったく巧妙な手口というか、エンドロールまで呼吸を忘れたかのように、吸い込まれていった。監督の「状況のモザイク」は、ほんとにラストまで続くのだから、とにかく先入観は持たずに一度皆さん絶対に観てほしいです。
 
自分の中の壊れた何かをとりもどすための心の旅なのか、それでも失われた過去は決してもとに戻ることはない。ガラス越しの夫婦再会のシーン・・・ここが個人的に好きな演出なのだけれど、
 
マジックミラーを通して見えたものとは・・・
 
人は暗いところから明るいところは見えるけど、明るいところから暗いことろは見えない。辛い時には幸せがはっきりとどんなものだったか分かるのに、幸せだと思っているあいだは、すぐそこまで迫っている不幸の予兆さえ見破ることはできない。
 
この「肩越しショット」の連続切り替えしで、普通はだんだん親密な対話になろうはずの効果を、長時間で見事裏切りすれ違いの心理表現にすり替えていくという(私の思い込み)刺激が、鮮やかで満足した。
 
「男は女を想像を絶して愛していた」
「女は男が去った後もずっと話しをしていた」
 
近くに居すぎて壊してしまった愛。少し離れてやっと思いやることができたのに、その時にはもう相手はそこに居ない。もう傍には誰も居ない。ミラー越しシーンの長まわしにも圧巻だが、後半は自分にそんな余裕はなかったのは確か・・
 
女の私としては、悔しさ半分、歓喜半分、両方が劇中に交差し絡まったことに、多大な敬意を払いたいのですが、男という生き物の「生まれながらに持っている悲しさ」を家族という囲いの中で挫折し、実感し、そして新たに進んでいく姿全てを理解はできません。
なぜなら、それこそがこの映画の言わんとする意味だと思うから、私の珠玉の作品ベスト5入りのまま温め続けたいのです。この先何があろうとも、忘れられない映画です。
ベンダースの作品は、がちがちに作り込んでしまうのではなく、無駄を省いた脚本で徐々にこちらに染み込んできます。

 
1984年カンヌ映画祭グランプリ&国際映画批評家大賞&国際カトリック映画事務局賞受賞/1984年イギリス・アカデミー外国語映画優秀監督&イギリス批評家協会作品賞&主演男優賞(スタントン)受賞/1984年ドイツ撮影賞/1985年バイエルン映画撮影賞/1985年連邦映画銀のフィルム賞(製作)
 

【スタッフ】
◆監督:ヴィム・ヴェンダース
◆製作:クリス・ジーヴァニッヒ
◆製作代表:アナトール・ドーマン
◆脚本:サム・シェパード
◆脚色:L・M・キット・カーソン
◆撮影:ロビー・ミュラー
◆撮影助手:アニェス・ゴダール/
 ピム・テュイェルマン/
 マルティン・シェーファー
◆音楽:ライ・クーダー
◆美術:ケイト・アルトマン
◆編集:ペーター・プルツィゴッダ
◆編集助手:アンエ・シェネー/
 バルバラ・フォン・ヴェイタースハウゼン
◆衣装:ビルギッタ・ビョルケ
◆録音:ジャン=ポール・ミュジェル
◆助監督:クレール・ドゥニ
◆製作助手:パトリック・クロイツァー
【キャスト】
トラヴィス→ハリー・ディーン・スタントン
ウォルト→ディーン・ストックウェル
アンナ→オーロール・クレマン
ジェーン→ナスターシャ・キンスキー
ハンター→ハンター・カーソン
●ハンター(3歳)→ジャスティン・ホッグ
カルメリータ→ソコロ・ヴァルデス
ウルマー博士→ベルンハルト・ヴィッキ
●橋の上の男→トム・ファレル

バーテンダー→ジョン・ルーリー
●ナース→サリー・ノヴェル
●クラブのバンド→ザ・マイドールズ

 
TOPページへ

  

 
  続きを読む
Posted by monban148434 at 10:47Comments(0)TrackBack(1)ロードムービー

2005年03月19日

ベルリン・天使の詩・ヴィム・ヴェンダース監督 /1987年

 

ベルリン・天使の詩

 「ベルリン・天使の詩」で世界中の映画ファンを魅了した、ドイツの新感覚映画監督ヴィム・ヴェンダース。

監督:ヴィム・ヴェンダース 
製作:ヴィム・ヴェンダース/アナトール・ドールマン
製作総指揮:イングリット・ヴィンディシュ 
脚本:ヴィム・ヴェンダース/ペーター・ハントケ 撮影:アンリ・カルラン 音楽:ユンゲル・クニーパー
 
 
 (1987/独=仏/128min)
ベルリン天使の詩
ネタバレほとんどなし
気を抜くと眠りそうでも、やっぱり好きな作品。
恋愛も織り交ぜつつそれだけではない哀しさが見え隠れ。
ライムのような科白と白黒の陰影が生きるラスト。
図書館シーンと老人のところがかなり好みかなぁ。
おやじ好きなためか登場人物も皆好きです。『時の翼に乗って』は恐くてまだ未見。
 前半部分にモノクロ映像を効果的に使っての克明な描写が印象的だったのはやはり、画面に色の情報がないため脳の情報処理に余裕ができて、かえって想像力が発揮されるのかもしれない。なぜかカラー作品よりスクリーンに映し出される映像に集中でき、あたかも画面に色彩があるような錯覚さえ覚えることがあった!また、ほとんどのモノクロ作品の音声がモノラルであることも同様の要因であると考えることもできそうだ。
 そんなわけで、たまにはモノクロ作品を観てみるのも単なる懐古主義とは違った面白さがあるように思える。これまでに観ていない作品ならなおさらいろいろな発見も多いのではないかと思う。著名なモノクロ作品の多くは長い年月の中で淘汰され生き残ったものであるからだともいえなくもないが。。。

TOPページへ



アマゾンでベンダース作品を見てみる

  続きを読む

2005年03月17日

ツールボックスマーダー/トビー・フーパー監督


ツールボックス・マーダー  ツールボックスマーダーを見た。清水崇の稀人とハリウッド版呪怨と立て続けに見て、なんでもありの怪物や観念的な恐怖(もちろんこっちも怖いけど〜)じゃあなく物理的な戦いが見たくなって借りてきました。
 物理的な戦い。つまり、ばれずに隠れればやりすごせれるし、部屋に逃げて鍵を閉めたらとりあえずは回避できるが壊されればピンチに急展開する。予備知識があったわけじゃないけど彼ならこれをみせてくれるだろうと確信して。

  当たった。ハァー、すっきり ┐(´ー`)┌。階段に手すりをはしごのように昇って迫る怪物。そこで階段を一段一段上るヒロインのスピードと怪物のよじ登るスピードの計算によって恐怖が計られるわけだ。貞子や俊男くん相手じゃこの計算ができない。いや、こっちが嫌いな訳じゃなくて違うおかずを食べたくなっただけで。誤解のないように。(別に誰も誤解してないとおもうが)
  
  鏡にうつるうつると思わしてうつさない。見た人なら誰もが思うだろうこのシーン。あそこを「うつさない」フーパーに貫禄を感じる。黒沢清の降霊でもやってたけどこれに関してはフーパーの勝ち。 メイキングも楽しそう。トビー・フーパー。まだまだ元気にたくさん撮ってほしいものだ。
と、ここまで書いてふと不満が溢れ出てきた。

  「jEEPERS CREEPERS」はまだいい。なるほど、冒頭のトラックが迫るシークエンスはなかなかよかったし。いろんな意欲がうかがえる良い作品だった。しかし、CGのみに意欲を出してキャラクターがからっぽな(唯一、削岩機改造銃搭載型トラックはよかった)「ヒューマンキャッチャー (jEEPERS CREEPERS 2)」を劇場公開しておいて、この「THE TOOLBOX  MURDERS」を公開しないのは愚の骨頂だ。この決定を下した責任者にラスマンによる釘うち銃の刑に処す。
  そして間違ってもフレディVSジェイソンのようにレザーフェイスVSラスマンなんぞ誰もつくらないように。杞憂だと思うけど。あ、でも監督がフーパーで いくんならちょっとみたいかも^^うひひ 
***このレビューはmixiの映画精進そよかぜ日記の友人レビュー の協力で掲載しました。私ではありません 
 
TOPページへ


                                                                    
  

2005年03月15日

紅蓮華〜愛人と過した異常な結婚生活〜

紅蓮華


あなたは、愛人肯定派ですか?否定派ですか??「理想の結婚・家」とは・・なんなのでしょうか。考えたい人向きです。

『紅蓮華』
1993年・カラー・119分
監督:渡辺護、原作:田中うめの『梅一輪』
脚本:沖島勲、佐伯俊道、撮影:鈴木史郎
出演:役所広司、秋吉久美子、武田久美子ほか


 あらすじ   ネタばれ込みです。

 昭和から平成へ、ひとりの女が時代に翻弄されながらも理想の愛を追い求めて逞しく生きていった姿を描く女性映画。田中うめのの原作『梅一輪』をもとに、「出張」などの監督・沖島勲と佐伯俊道が脚色、ピンク映画界の大御所・渡辺護が「冷血」(84)以来二作目となる一般映画として監督した。


 所見  
  今作は、夫婦観、男女観、さらに進んで人間関係そのものに対する《見方》が齟齬(食い違い)を来たし、そして次第に相互浸透していく様を描いていると思う。

 ここで言う《見方》とは、文字通りの《見る》態度であり、視角であり、能力のことである。さくらは、健造は、2人の関係をどのように見ているのか。

 さくらは(そして、その他の人物もまた)、関係とは人と人が存在するだけで成立するものだと考えている。それを担保するのが《家》であり、さくらに不幸な結婚を強いたのも家ならば、健造との新婚生活を支えるのも家である。家とは、その部屋に人が割り振られさえすれば、家族という関係を 成しうる場所であり、また関係を強制する組織でもある。さくらが健造に求婚した際に、何よりも新しい家を購入したことはその表れと言えるだろう。

 ところが、夫健造にとっての《関係》はそれとは異なる。
この対比が面白いと思う。男女の決して交わることもないテーマを、懇々と語っているように思う。

 彼にとって自分を一方の項に含まない関係など、《関係》ではありえない。実に勝手なようだが、健造と誰かとの関係のみが《関係》なのである。健造とさくら、健造と洋子(武田久美子)、健造と弟・勇造(倉崎青児)・・・さくらとの新居に愛人である洋子を平然と住まわせることが出来るのも、結婚した洋子と勇造の家に侵入することが出来るのも、こうした見方の帰結と言える。
  健造には、他人と他人の関係―――それがたとえ、自分の知っている人物の間の関係であってもそれを実感する意志もなければ、そもそも能力もない。そして、その不能ゆえに彼はさくらたちが依拠する《家》に対する批判者となる。
  妻の立場から愛人洋子の家からの排斥を訴えるさくらに対して、健造は冷淡である。さくらとの関係によって、洋子との関係を変化させなければならない根拠などどこにもないと思う。もっとはっきりといえば、洋子との関係の方が時系列的には先行しているのであり、 さくらこそが邪魔者であるとさえ言える。愛人の見方が変わると思う。

 洋子(武田久美子)と弟・勇造(倉崎青児)の関係も同様であり、健造と洋子が逢引している間、家から追い出された状態でいる勇造(弟)と、偶然そこに通りかかったもう一人の邪魔者・さくらとが出会う場面は、寒々とした感触を残す名場面に違いないはず・・
  夫の愛人が、嫁に行ったにもかかわらず、やはり関係が続いている、しかしさくらはここでは実際に2人を見てない。見に行くことすらできなかったのか・・涙は見せるが悔しさをこらえて割り切って帰宅したのかも・・

 健造が繰り返す「小さな幸せが大嫌いだ」という言葉!重要な発言。
現代こうした《家》の原理から逃れようという意志を持つ人は増加し、この映画の時代との温度差も少ないであろう・・
無論、愛人を持つ旦那様方がこれを観ると、感慨深いものを感じ取れるので、おすすめです!(笑)

  さくらと洋子を平然と同居させる健造の一見冷淡な態度も、彼女たちが等価であるからであろう。女である私がすべて理解しうるのは、無理がある。
 建造は、自分を中心として、対となる他者の配置を確定、固定化し、システムを完成させ、同時に基準となる対関係の特権性を消す 。これを、独善的ととるか、魅力ととるかは、観客個々に委ねたいものです。

  次にクライマックス__母との関係の喪失は、健造の内部システムに一種の恐慌をもたらす。役所さんの演技力が見ものだ。
これ以降の建造は、他の関係を支える位置にあった母との関係が消え去り、さくらたちの{一般的な関係のシステムへの移行}に恐れをなしたのか、生きる意味を失っていくが、ここからは秘密としちゃいたい。
 私は実に美しいラストでまとまったと思ったから、言葉にはできない、したくない、観るひとによって、違ったとり方をして欲しいが、日本人らしさが出てるまとめかただったな、男性の生まれながらの悲劇をあらわにするシーンって好きだなぁ。。。
  何かが始まるこの季節柄、夜中一人でこっそりみたら、違った発見があるはず。では・・・


  
Posted by monban148434 at 02:21Comments(0)TrackBack(0)なつかしの邦画