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ひとが孤独を感じる瞬間は、どんなときだろう。

仕事で失敗したとき。失恋をしたとき。 大切な家族を亡くしたとき。
そんな劇的な出来事でなくたって、ひとは容易に孤独を感じられる。

例えば、なにもやることがなく一人夜中に目が覚めて、外の静かな虫の音を聴いたとき。
分かるはずもない将来への不安を考え始めて、目を閉じても居てもたってもおられず、オロオロと狭い部屋のなかを行ったりきたり。無駄に冷蔵庫を開けてみたり、読みかけの文庫本を開いては閉じ、開いては閉じ。
そんな苦しさに耐えて、ついに朝が明けて、ようやく眠りについて、浅い睡眠に文句を言いながら仕事に向かえばそれで忘れてしまうような孤独ではあるのだけど、そうしたちっぽけな孤独に長い間侵され続けて毎日を消耗してしまう。


なにかをしていれば忘れられるけれど、なにもしなければあっという間に姿を表す不吉な影。
孤独を埋めるためになにをしよう。
好きなひとと一緒にいるとか、好きな映画を見るとか、友達とバカみたいにバーで飲みまくるとか。それで忘れられるのは一瞬だけで、あとはもうずっと同じことの繰り返し。

気兼ねのない一人が好きなぼくは、こんなことばかり考えてしまう。
生来がひととずっと一緒に居たい質ではないので、大切なひとほど、ある日突然に遠ざけてしまう。孤独をひと一番怖がっているくせに、どうにも居心地がいいのだ。お遊びの自傷的なふざけたメンタルだけれど、誰かに手を差し伸べられて解決するようなことではなく、 学生時代は芸術や文学にハマることで孤独に価値を与えようなどと間抜けなこともしていた。

病気とまでは言えない、よく分からない不安に凝視され続けて、必死に仕事に打ち込んだりもした。
そのうち、仕事が自分の生きがい、などと問題の焦点をズラして孤独のうるさいアプローチを無視するようになったのだが、あれだけなりたかった職位に手が届いた時、ふと気づく。ただ不安の埋め合わせをしたかっただけなのだと。 

孤独は消えない。原動力になるのもほんの一時で、そんなもの自体に特別な価値はない。
ただ、寂しいだけで、考え過ぎなだけで、けれども忘れようと思って無視していいものでもなかった。
そうなった時に、今までひとを遠ざけてきてしまったことを酷く後悔した。不安に特効薬はなく、友人や大切なひとにそういった役割を押し付けてしまうのもきっと違う。
1か0か、という二元論的な考えで人間関係を築こうとしていることが間違いで、100%自分を救ってくれるひとはいないし、0%のひとなんてのもそういるもんじゃない。 

ひとりが好きだからといって、誰も必要ではないわけじゃない。
たまにしか会うことのないひとであっても、小さな点と点とで結び合っている。そういう淡い連なりのなかで、孤独と向き合い、不安をただのきっかけとして、どこかへ進んでいかなければいけないのだろう。