きめえんだよ

    1. 気が知れないわきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよききめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよくそばかやろうがくそばかやろうが

      ツイート内
      テキスト
  1. てめえらみてえなやつらの気が知れないわ

  2. おまえみたいなやつらの気が知れないわ

  3. きめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよくそばかやろうがくそばかやろうがくそばかやろうがくそばかやろうがきめえんだよきめえんだよきめえんだよきめえんだよき

  4. おまえばかだろ

  5. 別に窓ガラス壊すとか、オートバイ盗むって言うのは比喩表現に過ぎないから

ブログテーマ──「ライブドアブログのいいところ」──ほんとにいいところばかり!

livedoorブログの管理画面の上部には、「ブログネタ」というのが表示されている。こんな感じ。

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 興味がないので気づかなかったが、このサジェストは流れていると知る。いま知った。上の「どんな花火が好きですか?」の部分は、次々と変るのだ。日代わりと思っていた。そうじゃない。10秒ぐらいで変っている。5分も見ていれば誰でも気に入るテーマに出逢えるか。

 また気づいた。いま文章を記入しているこの場には表示されない。なるほど。文章を記入する場とは、すでにテーマがあり、書いている状態だ。そこにそんなものはいらない。表示されるのは、あくまでも訪問者数や人気記事等が表示され、「さて今日はなにを書こうかな?」と思っている場のみなのである。藝が細かい。まあ「管理画面」を開き、「さて今日はなにを書こうかな」と思うひとがいるかどうかはべつにして。

 この表示その物はだいぶ前から知っていた。ずいぶんと親切な話である。これに関して私は批判的だった。「そんなにまでして書くものでもないだろう」と。
 まだ眠りたいこどもを「起きろ、学校に行け」と親がやるのは平常だが、始めはしたものの書くべきテーマもなく、書かないブロガーに「書け、なにも思いつかないのか、ならこんなテーマはどうだ」と主催者がやるのはやりすぎだ。そんなにまでしてやるものではないだろう。

 この世に「三日坊主ブログ」はどれぐらいあるのだろう。「猫も杓子も」で始めたものの書くことがなくて数回で放置する。そもそも書くことがないのにとりあえず始めるというのがまちがいだが、たぶんそういうひとは大勢いて、ふたつみっつ書かれただけで放置されたブログもいっぱいあるのだろう。当然そういうひとは、「わたしにはもう書けません。書けもしないのに始めたわたしが悪うございました」と潔くIDとブログを削除してきれいに消えるのではなく、ぐだぐだとそのまま放置なのだろう。そんな「三日坊主放置ブログ」が、それこそ何百万何千万とあるにちがいない。それをすこしでも減らしたいと考えた主催者側のアイディアがこれなのか。この「こんなテーマはいかがですか」の表示を見るたび、いつもそんなことを考えた。



 先日、といってもだいぶ前になるが、この「ブログネタ」のところに「livedoorブログのいいところ」というのを見かけた。ライブドアが利用者に「うちのブログのいいところはどこですか?」とテーマを示唆しているわけで、なんだかな、と苦笑したのを覚えている。
 この「ブログネタ」のコーナーを担当し、思いつくテーマを次々と書きこむ係のひともいるのだろう。上記の「どんな花火が好きですか?」のようなことから、「夏休みの思い出」「初めて飼ったペット」とか、あれこれ書きこんで行く中で、「ライブドアのいいところ」ってのも出てきた。それはライブドアブログの利用者なら思うところはあるだろうからいいテーマだ。「いいところ」とサジェストすれば自然に「不満」も思いつく。褒めたり貶したり、ここで掲示されるテーマにアシストされて書いているひとには有効だったことだろう。って、この掲示を見て、「よし、今日はこのテーマで書こう!」なんてひとはいるのだろうか。いるんだろうな、何十万人も利用者がいるのだから、それで毎日やっているひとも何百人ぐらいはいるのだろう。

 と、「ライブドアってブログネタを教示してくれるんだよ。でもブログってそんなにまでして書くものなのかね!?」と否定しつつ、そのことをこういうふうにして書いたら、そのブログネタに示唆されて書いているひとと私も同じになってしまう。私はいまそれをやっている。とてもかっこわるいことだ。そうわかっているのに、なぜこのことをテーマにしたかだが……。



 2005年7月から丸十年続けてきたこのライブドアブログをやめようと思っている。ブログをやめるのではない。引っ越しだ。引っ越しの理由はあらためて書くとして。とりあえずいまFC2ブログに引っ越しはした。それはこちら。
 サイトを長年FC2でやっているので(と確認したら、サイトは2000年からやっているがFC2にしたのは2007年からだから狡糠瓩任發覆い)FC2統一はうれしくもあるのだが、どうにもこのFC2ブログの使い勝手がわるい。

 サイトがFC2だからブログもそれにしようと安易に考えたのではない。あちこち調べた。みな使いづらい。みな缺点が目につく。長所もあるにちがいない。しかしあまりに慣れ親しんだlivedoorブログが快適なものだから、ちっとも良さが見えてこない。
 知人のKさんがやっているYahooなんて広告がうざくて訪問するだけでいやになる。論外。ほんと、Kさんのブログがなかったらちかよりたくない。芸能人ご用達のアメーバなんてのも嫌いだ。あれこれさがすが帯に短し襷に長しで結論が出ない。私なりに調べて、結論ではなく、とりあえずよさそうなFC2にしてみた。ユーザー数は最大だというから、ずいぶんとFC2もメジャーになった。
 私はまだFC2ブログを使いこなしていないが、納得するデザインのブログもいくつか見かけたから、こちらのスキルがあがれば満足するだけのものが出来るようにも思う。だが使いづらい。

 スキルは、私にもそれなりにあるのだ。どんなバカでも30年以上関わっていればそれなりに出来るようになる。htmlやcssをいじって、自分なりのオリジナリティを出すぐらいはやっている。フォントの変更、ポイントの指定、字間行間の設定、オリジナルトップ画像とか、自分なりにやってきた。いやむしろそれぐらい出来るから不満が生じているのかも知れない。つまりそれらが「やりづらい」のである。どこと比して? livedoorブログである。livedoorブログは「やりやすい、わかりやすい、便利」なのだ。

 ここで「そりゃ十年も関わってりゃそうだろう」という意見はあるだろう。ブログのカスタマイズ、CSSの書きかえを初めてやったのはlivedoorブログだから、そこのやりかたに慣れているのは確かだ。ブログパーツの設定とか……。

 livedoorブログならサクサク出来ることが、FC2ブログでは引っ掛かってギクシャクする。そのことに苛立っている。でもそれは単に「livedoorブログに慣れている、FC2ブログに慣れていない」だけが原因ではないように思うのだ。livedoorブログは多くの面ですぐれている。離れると決意して判った。別れると決意してから気づく女房の美点のようなものか(続く)

安保法案、四国付近に上陸?

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niftyのサイトを開いたら「注目ニュース」と、話題の記事が10コほど並び、その1番目と2番目がこれだった。これ、後半を逆にしても成立するなとわらった。

「安保法案、夜にも四国付近に上陸」
「台風、午後にも衆院通過」

ま、それだけの話。

マンガ話──マンガとBGM──「Blue Giant」「夏子の酒」「どうらく息子」

6時前だというのに射しこむ朝日でまぶしいほど。室温は早くも30度を突破。「夏はBossa Nova」一辺倒なので朝からもうStan Getzが吹きまくっている。

先日、「Blue Giant」を全5巻まとめ買いした。1巻ずつでは生殺しだから溜るまで待っていた。気合いを入れて読んだ。画でJazzを表現しようと石塚真一さんが挑んでいるのだ。こちらも気魄をもって接せねばならない。「気合い」とか「気魄」と書いているが、なんのことはない、最高に愉しむための酒と音楽に凝ったという話。これはサイトに独立して書こう。長くなる。当然Jazzを聞くのだが、作品中にもばんばん出てくるので、それを追っているだけでもたのしい。でもそれでは追従で不満とも言える。作品に負けることなく、こちら側の選択で対決するというのも手だ。結果的に私はSonny Rollinsを撰んだ。画から流れてくる音がそう聞こえたからだ。
いまトリオを組んだから、次ぎに単行本を買って読むときは、ピアノも意識せねばならない。あの音は誰なんだろう。というかトリオのままなのかな。ベースが欲しいけど。

酒は、むかしからJazzを聞くときはbourbonと決めていた。ストレートだ。Monkのように「straight no chaser」とは行かずたっぷり氷水を飲む。腹の中で混ぜているのだから水割りと同じじゃないかとも思うのだが、それでもストレートと水割りは私の中では明確にちがう。Jazzとbourbonは、あまりにワンパターンとも思うが、それがいちばん合ってたのしい。フランスという国はいろいろ問題があって好きか嫌いかいまだにわからないのだが、アメリカで差別されて苦しむ黒人ミュージシャンに寛容だったことは好意的に解釈する。そういう意味ではたしかに藝術の国だ。もっとも我が日本だってすぐれた音楽家は肌の色など関係なく大歓迎するから、初来日したアート・ブレーキーがそれに感動して大の親日家になったのは有名な話。
今回はJazzマンガをJazzを聞きつつ飲むのだからbourbonに決まっていそうだが、あえてそれはせず、いつもの「キンミヤとホッピー」にした。「菊水ふなぐち熟成」のときもあった。一応理由はある。主人公がまだ十代でもあり、作品から酒の匂いがしないのだ。石塚さんは飲まないひとなのかな? ならワンパターンのbourbonはかえって不粋なのではないかと考えた。Jazzだからbourbonと構えず、普段着の酒で、そのぶん音のほうに凝った。



ひさしぶりに「夏子の酒」を読み返している。このあと「奈津の蔵」「蔵人」もいく。こちらは「Blue Giant」の「なにを聞くか」と同様に「何を飲むか」が重要。日本酒と決まっているが、作品に失礼にならないだけのものを用意せねばならない。日代わりで純米酒や大吟醸を飲んだ。酒屋で唸った。選択に迷った。まあたのしい悩み。

こまったのは音楽だ。私は画を見つつ音楽を流し、酒と肴と、視覚聴覚味覚ぜんぶ愉しむのを常としている。なにかひとつ缺けても物足りない。この作品にはどんな音楽を流せばいいのだろう。作品に出て来るレベルに合わせるなら、新潟の田舎の青年がドライブ中に「ユーミン、聞くか?」なんてセリフがあるからそのあたりになるが、そういうものでもないだろう。ユーミンもとり揃えてはあるが。

しかしこれは「Blue Giant」から酒の匂いがしなかったように、音楽が聞こえてこないんだよな、作品から。なら「なし」なのか。「風の音」のような効果音でも流すのか。



尾瀬さんの最新作は「どうらく息子」。こちらも10巻そろったので手にした。まだ導入部の一巻しか読んでいない。落語マンガ。これは酒は日本酒ともう決めているけど、こちらも音楽はどうするんだろう。「Blue Giant」で名の出て来るミュージシャンの作品を意識したように、作品から感じる咄家の作品を適時に撰んで流すのか。志ん生親子、圓生、文楽、春風亭一門、柳家一門から立川流、関西は春団治、米朝、枝雀、文珍、三枝まで、なんにでも対応できるよう揃えてある。志の輔のDVDなんてのもぜんぶある。
といって落語マンガに落語ってのもベタだ。というか落語マンガに名人芸を流したらマンガが霞んでしまう。主役はマンガのほうで音楽はそれを引き立てる役目だ。いや音楽が主役の場を奪って、しばし聴き惚れるのも愉しいのだが……。じゃあなにを流す。そういや「出囃子集」なんてのももっている。そういうのもありか。

テイラー・スイフトを聞く朝──アップルに抗議、テイラー勝利──でかい女・考

 テイラー・スイフトがアップルの音楽配信制度に抗議し、システムをあらためさせたと話題になっている。

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 時代はCDからiTunesなどの配信へ。若者世代は、毎月約10ドル(約1230円)を払うとスマホなどで音楽聞き放題の、会員制ストリーミング配信サービスが主流になってきた。中でもスウェーデンから上陸したスポティファイが、米国での最大の利用者数を誇っている。

 その市場に今月、大手アップル社が参入を発表。30日から世界約100カ国で「アップル・ミュージック」のストリーミング配信サービスが始まることになった。

 ところが実施直前の今月21日に騒動があった。同サービスでは、3カ月の無料お試し期間を設けているが、その間、著作権使用料をアーティストに払わないと発表。これにインディーズを中心とした音楽業界は大反発した。英実力派人気歌手、アデルは当初、不参加を表明したほどだ。

 ノロシを上げたのは、人気シンガー・ソングライターのテイラー・スウィフト。ブログでアップルに公開文書を送り、アーティストに対する扱いに抗議した。「アップルへ愛をこめて」と題し、彼女の記録的なヒットアルバム「1989」を提供できない理由を説明。「iPhoneをタダで欲しいとは言わないから、あなたもアーティストに無料で音楽を提供させないで」と締めくくった。

 慌てたアップル社の副社長は、何とわずか17時間後に方針撤回を発表。「テイラーがアップル社との“1日戦争”に勝利」(NYタイムズ)とメディアは沸き立った。

 ライバルとなるスポティファイなどでは、お試しや割引期間中はアーティスト等への支払いは無料ではないものの、通常の半分に抑えられているという。アップルも他社と同額程度を支払うことになりそうだ。テイラーは昨年、配信サービスがアーティストの収入低下をもたらしていると指摘。スポティファイへの参加を拒否していた。

 経済誌フォーブスは「テイラーのアップルへの手紙は、厳格で礼儀正しく、当然必要な行動だ」と強く支持。ワシントン・ポストもテイラーの指導力を褒めるなどメディアも、そのパワーと影響力を評価している。

 レコードの時代から、著作権使用料はケース・バイ・ケースで、複雑に利権がからんでいた。泣かされた弱小ミュージシャンも多いはずだ。

 こうした中、グーグルは先週末、広告収入でまかなう無料配信サービスをスタートした。音楽の新しい購入形態、鑑賞スタイルが状況をさらに悪化させるとしたら、作曲家や作詞家、演奏家や歌手にとって死活問題。天下のアップル相手に立ち上がったテイラーの勇気に、音楽ファンとして拍手をおくりたい。


 http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150630/enn1506301140002-n1.htm

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 ということで今朝はひさしぶりにテイラー・スイフトを聞いている。彼女のデビューは2006年。カントリー系ではリアン・ライムス以来の大物新星の出現だった。テイラーもリアンを愛聴し影響を受けたことを口にしている。天才歌手のリアンほど巧くはないが、まだ十代でありながらソングライターとしての価値が絶大だった。そして美形だった。これも大きい。私が彼女のデビューアルバムをすぐに手にしたのは美人だったからだ。大きいといえば躰も大きかった。180センチ。



 以前、旅関係の文章を書く際に協力してもらったオーストラリア関係の役所(とあえて曖昧にする)の担当者が190センチの大女だった。顔はきれいだしスタイルもよかった。だがその大きさによる威圧感が半端ではなく(笑)、私は彼女のナイスバディを目前にして、あれこれ相談したのだが、よからぬ妄想にひたるどころか、ひたすら逃げだしたかった。でかすぎる。闘ったら負ける。大女を好きな男の気持ちがわからない。

 むかし聞いた話。エイロクスケ──出ないな、AtokからGoogle日本語入力に切り替えると、永六輔、おっ、出た、さすが!──は、ある映画での、男が小柄な女を抱きしめ、女が背伸びするようにしてキスをするシーンが心に残り、それがしたくて背の低い女を奥さんにしたとか。映画のシーンのようなキスが出来て満足だったらしい。
 一方、チビ男は大女が好きだ。いわゆる「ノミの夫婦」はよく見かける。155センチの男が170センチの女に惚れたのはその身長だったりする。171センチの私は158センチぐらいの女がいい。これだとヒールを履いても並んで歩ける。しかし現実は150センチもない女と結婚したので、あこがれてもないのにエイロクスケになってしまった。

 男女ともいちばんデカいのが揃っているのは私の体験ではオランダだが(たしか男女の平均身長は世界一ではなかったか?)、オーストラリアもイギリスの前にオランダ領だったからか、とにかくデカいのが多い。オランダとオーストラリアには180センチ級の女がごろごろいる。女を見あげて話すのは愉しくない。やはり女は腕の中にすっぽり抱き締められるサイズがいい。
 テイラーは美人でスタイルも良く、映像で見るとすてきだけれど、実際に会ったらただの白人大女だろうな。



taylorswift2015 上のニュースにテイラーの画像があった。もう25歳だからこんな感じになるか。ケバいな。

 私の好きなテイラーは下の写真。こちらは16歳。やはりこっちがいい。
















mu-taylerimage59「テイラー・スイフトを聞いている」と言っても、私の持っているのはデビューアルバムの「Taylor Swift」と2作目の「Fearless」だけ。2014年に出た「1989」がいいらしい。今日買ってくるか。1989とは彼女の生まれた年か。Downloadでもいいけど、彼女だとやはりCDのジャケットが欲しい。



●1989、オグリの秋

 1989年と言えば、「オグリキャップの秋」だ。

 前年、河内とのコンビで連勝街道をひた走ったオグリは、秋天、JCと敗れたあと、岡部騎乗で有馬記念を勝つ。そのあと脚部不安で長い休養に入る。

 1988年の有馬記念は、タマモクロスの生産者の錦野さんと一緒に中山競馬場で観た。タマモクロスの活躍以前に牧場が倒産した錦野さんは、その夏、私が「G1馬の故郷」として訪問したときは日高にいなかった。『優駿』編集部に連絡をもらい、この中山で初めて会った。お母さんと一緒だった。一般席で観戦した。笠松で8連勝、中央入りして6連勝のオグリの連勝は、秋天でタマモクロスに敗れ14で止まった。タマモクロスは400万条件から始まった連勝、春天、宝塚、秋天とG1みっつを含む8連勝で飾った。ペイザバトラーの勝つジャパンカップ。2着タマモクロス、3着オグリキャップ。
 1989年秋、京都4歳特別以来となる南井とのコンビでオールカマーから復活。あのときのパドックのオグリを待つ昂奮をいまも思い出す。そしてベストレースと名高い毎日王冠。イナリワン、メジロアルダンとの叩きあい。秋天はスーパークリークに惜敗する。いまも南井が「勝てていたのに負けたレース」と最も悔やむレースだ。武豊、春のイナリワンに続いて春秋の盾、連覇。マイルチャンピオンシップ

 何年か前サイトに彼女のことを書いたはずと探す。見つけた。2010年にテイラーの「Fealess」がグラミー賞年間最優秀アルバムに選ばれたときに書いたもののようだ。マイケル・ジャクソンのこどものことに脱線したりしてまとまりのない文章だがとりあえずリンク。

 ここに書いているけど、私がテイラーを好きな基本は彼女がカントリーを基礎としている(こどものころ、カントリーが好きなことでイジメを受けたとか)からだ。アルバムの中にさりげなくバンジョーやフィドルが出てくるとにんまりしてしまう。

・2010年グラミー賞、発表

ビデオ再生ソフト話──韓国製、中国製と縁を切るのはむずかしい──Gom, Pot ,Daum,Wondershare,DivX

けっこう長いあいだGom Playerというのを使っていた。韓国製とわかっていたので縁を切りたかったが代わりになるいいのがなかった。KMplayerもそう。これまた韓国製。こちらのほうがハングルが目立ち、すぐに韓国製とわかる。いまは「Daum Potplayer」と名を変えている。Daum、ダウムとは朝鮮語で「次の」という意味だとか。

ふたつともよく出来ている。だが朝鮮が大嫌いなのに朝鮮製のソフトを使っているのは矛盾だ。(まあそれを言ったらこのブログ自体がそうなるのだけど、それはいま水面下で鋭意努力中なので結果はもうすこし待ってくれ。)まして朝鮮製の再生ソフトで「永遠の0」を観て泣くのは、どちらにも申しわけない。

ということでそれらを削除し、代わりにVLCメディアプレイヤーを挿れた。関係ファイルを確認する限り制作者は白人で朝鮮支那とは無縁のようだ。白人好きではないが、すくなくとも朝鮮製のソフトを使うよりは言行の矛盾は軽減する。



もうひとつ欲しいなと思いWondershare playerというのを挿れた。こういうソフトの出自はインストール時の言語でわかる。中国製は(支那製、中共製と正しく書きたいがわずらわしいので、とりあえず中国製ということで進める)中国簡体字、繁体字を両方フォローしているし、朝鮮製はもちろん御自慢の(笑)ハングル多用ですぐわかる。

時に朝鮮製のソフトには、英語、スペイン語、ポルトガル語から始まり、マイナーなヨーロッパ言語を含め20くらいの言語を並べ、中国語があり、最後に王者としてハングルが鎮座している。不自然に日本語が省かれていて即座に朝鮮製とわかる。彼らなりの精一杯の反日の証なのだろう。

しかしこれはまた好ましいことでもある。そういう姿勢を見せてくれればこちらも関わらないですむ。もとより関わりたくはないのだ。このごろ駅にあるハングルや簡体字を見るだけで吐き気を催す。朝鮮製、中国製ソフトのあぶなさは、かっちにこちらのPCを解析しての情報送信にある。だからむしろ逆に日本語をトップにもってきて、ハングルを消し、朝鮮製であることを隠しているソフトのほうが悪質となる。それはわかっていたのだが……。



このWondershare playerというのは使用言語の一覧がヨーロッパ語と日本語なので安心できる。朝鮮語も支那語もないのがいい。

と思いインストールしてすこし使っていたら、どうもなにか違和感がある。もしかしてこれってシナじゃないか!? なんかシナっぽいのである。長年の勘がそう言っている。

調べた。するとこのソフトのレビューコーナーにしっかりと情報があった。やはりあのあくどい支那製である。さんざんBaidu(漢字表記=百度)で苦しんだので、本能的に察知したようだ。上に書いたように、出自を隠したあくどいものである。中国製とわからないようにしてインストールさせ、それから……を狙ったモノなのだろう。

レビューの中からいくつか興味深いものをセレクト&コピー。

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評判のよいメディアプレイヤーなので試してみた。なかなか良いと思うが、POTPLAYERの方が性能、使い勝手についてはやや上だと思う。DVD再生は問題なくできるが、マウスなどを使用して30分ぐらいとばすとフリーズします。POTPLAYERでは問題なく再生できる・・などなど。POTPLAYERを含む韓国産メディアプレイヤーが常に韓国に情報通信しているのにくらべこちらは使用言語がヨーロッパ諸国の言語と日本語のみ(企業コンプライアンスが確立されてる国々)でアップデート通知もなしに設定できるのでセキュリティ面ではPOTPLAYERを含む韓国産プレーヤーよりも遥かに安心できると思います


これは「韓国製のPotplayerのほうが能力は上だと思うが韓国製は信頼できない。その点これは使用言語から推測するに信頼できる製品だ」という意見です。Potplayerは上に書いたDaumの前身です。その姿勢は好ましいのですが、もっと悪質な中国製であることを知らなかったのですから恥ずかしいですね。でも私もこのひとを嗤えません。同じ事を考えていました。



これは中国製。PotPlayerはKMPlayerの後継で韓国製。中国製パソコンには情報収集専用チップが埋め込まれ、韓国製スマホにはスパイウェアが仕組まれている事が発覚しているのに、何故それらの国が作ったこれらが安全だと言えるのだろうか?

識者からの手厳しい指摘。でも上のひとは中国製と知らなかったのだからしょうがない。いずれにせよ「中国製、朝鮮製はあぶないからやめよう」というのは真っ当な姿勢です。



最初は支持していたひとからも使用日数が長くなるにつれ異なる意見が届きます。

評価の訂正をします。このソフトを削除しても Wondershare Helper Compact.exe というプログラムがスタートアッププログラムとして登録されたままになるようです。自分はXPと7のデュアルブートマシンのため別OS側からあまり考えもせず削除しましたが、普通に削除するのは難しいようです。

場所は C:¥Program Files¥Common Files¥Wondershare¥Wondershare Helper Compact¥です。ネット上では危険なしと評価されてるようですがどう考えても気持ち悪いです。削除の方法としてネット上にもでてますが、お勧めはスタートアップを解除できるソフトを使ってスタートアップを解除して再起動後に削除するのが無難か、中華製のソフトがすべて悪いものだとは思いたくないのだが、BiOSSさんの仰るようにやはり気持ち悪い、性能もそれほど良くはないのでお勧めできません。




同じく、以前は褒めたひとから否定的な意見。

以前持ち上げておいて言うのも何なんですけれど、正直、シャレにならないくらい怪しくて、使用をお勧めできないソフトです。castle氏が挙げたWSHelper.exe以外にも、WsTaskLoad.exeなるタスクが、実行時に何の断りもなく立ち上がります。それも複数。通信ブロックは一応してはいますけれど、ほんとにこいつ、いつ何するかわからない…。



私はSSD2台にOSを挿れ、Cディスク、Dディスクとして、そこからデュアルブートにしています。「こりゃいいソフトだ」とばかりに両方に挿れてしまったのですが、ともに削除することにしました。しかし上で指摘されているようにアンインストールしたあとも、 C:¥Program Files¥Common Files¥Wondershare¥Wondershare Helper Compactが消せません。このしつこさと居なおりはさすがBaiduと同じ支那製です。とにかく最初に甘いことを言って浸入してしまえばこっちのものということでしょう。



こんな意見もありました。

私は試しだったのですぐ削除しましたがメディアプレイヤーにしては痕跡をあまりのこさず削除できたので、今でもかなり良心的なソフトではないかと思っております。

このひとはアンインストールして安心しているのですね。居残っていることに気づいていません。しっかりあなたのPCの中にまだ残っていて蠢いているのですよ。
愛想のいいやつと知りあった。家に招きいれた。でもなんかヘンだ。あぶないヤツかもしれない。出ていってくれと言った。すなおに出て行った。なんだ、やっぱりいい奴だったんじゃないか、と思う。でもそのときにはもう家の中にたくさんの盗聴器が仕掛けられている、そんな状態です。



Cディスクで起動した状態ではCディスクのそれが消せずに困りましたが、DディスクのOSに切り替えて再起動(するとDディスクがCディスクに、CディスクがDディスクになる)し、それの残っているのをOSのディスクでなくすると削除することが出来ます。そこからDのそれを消し、もういちど逆をやって消すという方法で、私はなんとかC,D両方からこの悪辣な居すわりソフトの残滓を消すことが出来ました。

私はレビューにあったひとと同じくデュアルブートOSなので出来ましたが、そうじゃないひとはどうやってこいつを消すんだろう。やっかいです。まだ安心できないのであとでregistryもチェックします。Baiduは完全に消したと思ってもしっかりregistryに残っていて、丹念に丹念に消しまくったものだった。よくもまあこんなことをするよなあ。でもそれぐらいしなきゃ勝ち組、世界制覇は出来ないのか。こちらも心して接せねばならない。とにかく朝鮮、支那とは関わらないことだ。

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kanren7


・Baidu IMEとはなんなのか!?

・支那のBaidu IMEが情報送信

・Baidu IMEに日本政府が使用禁止の呼び掛け


【追記】──DivXもシナ

Windows10話──これからMSのOSはどうなるのか!?──Windowsから離れられない

Windows7,8,8.1ユーザーに無償でWindows10をアップグレードするというのは、あの強慾なMSにしては信じがたいサービスだ。果たしてその裏にあるのはなんだろう。
噂に、これがWindowsの最終形態となり、これからはネットでUpdateするたびに金を払うシステムになるのではないか、がある。つまり「Windows××」という形はこれで終りらしい。どうなることやら。

初めて使ったWindowsは3.1。1991年だったから、Windowsとのつきあいも24年になる。3.1はCD版もあったが私はフロッピーディスク版を買った。23枚だった。
Windowsで思い出すいちばん不愉快な記憶は、98の時のユーザーリソース不足によるフリーズになる。一日に10回ぐらい固まって動かなくなり、そのたびに再起動していた。あの腹立ちはいま思い出しても気分が悪くなる。書きかけの文章を失ったことも多々あった。私の神経質なほどこまめな保存癖は、あのころのトラウマなのだろう。数行書いたら必ずCtrl+Sを押している。言いたいことは山ほどあるが、あのお粗末な98にマルチタスクを押しつけたこっちにも非はある。 過剰な期待だ。あちらもいい迷惑だったか。それらのすべてが解決した2000は私にはまさに神OSだった。

しかし今度はXPからactivationというのが始まる。1OS=1PCの時代だ。常に複数台のPCを使う私には苦難の時代の始まりだった。Windows2000Proは38000円したが自作機10台に挿れ、98の入っていたMebiusやVAIO、ThinkPadもぜんぶ2000にしたから高いと思ったことはない。古き良き時代はあそこで終った。



「ふたりのHさん」に書いたバンコク在住のHさんは、Windows嫌いが進行し、いまLinuxだという。
Hさんに、私もHさんに負けないぐらいWindows嫌いな面はあり、縁を切りたいが、ソフトオタクなのでWindowsから離れられないと書いた。 その部分をコピーすると、

WINDOWSを消去してLinuxというのはかっこいいですね。ぼくも一時Linuxに凝りました。しか
> ぼくはむかしから「ソフトウェアオタク」なのですね。とにかくいろんなソフトを使
> たくてしょうがない。だからいまは『一太郎』等は使わずテキストエディターばかり
> すが、それらをいくつもインストールして、背景やフォントを替えてみなカスタマイ
> し、それこそむかしなら「亀造競馬劇場を書くテキストエディターはこれ」「JRA原
稿
> を書くテキストエディターはこれ」「J-wave放送原稿はこのテキストエディター」「
> しい友人へのメールを書くメールソフトはこれ」「仕事上のメールのやりとりソフト
> これ」なんて感じで使い分け、それがいちばんの楽しみでした。いまもそうです。
>
> 人一倍のひねくれもので、変ったものを好みます。だれもが使っているメジャーOSと
> 縁が切りたいです。よってトロンをやったりLinuxに凝ったりするのですが、どうし
> もソフトとの関係でWINDOWSになってしまいます。

となる。

これに対してHさんは、いまのLinuxには、あらゆるタイプのテキストエディターがそろっていると誘ってくれた。私の感覚はそれとはまたちがう。好きなものは決まっている。それがあるかどうかだ。

いまはATOKも、Mac版、Linux版とあるが、むかしはWindows版だけだった。私は「ことえり」なんてアホで日本語を書くひとが信じられなかった。Macは日本語を書く道具ではない。一応出揃ったATOKだがWindows版が断然すぐれている。なぜそうなるのかは知らないが、とにかく同じATOKでもぜんぜんちがっている。

<VerticalEditor>、<QXeditor>がないとやって行けない。それは、似たようなものがLinuxにもある、とは別問題。最愛の女房が似たような美女なら同じではないか、と同質。それでなければならないのだ。長年使ってきた使用感が身に染みている。大袈裟に言うと「一緒に時代を過ごしてきた連帯感」となる。それとATOKを考えると、やはりWindowsになる。



DAWソフト<Cubase>と<SONAR>のちがいに、Cakewalkがマルチプラットフォームを取らず、SONARをWindows版だけしか出していないことがある。<SONAR>を使うためにもWindowsは必要だ。やはりUIはSONARのほうがいい。SSWはアホソフトだが(上位版のAbilityというのが出たらしいけど)、これまた長年使っているとそれはそれでいとしい。

Macでしか使えないすぐれものソフトは、Windowsユーザーの数の多さを無視できず、みなWindows版を出してきた。それが商売ってもんだ。逆はない。これまたそれが商売である。

関係ないが、あるか、据えおきゲーム機では数が捌けず開発費が回収できないからと、新ゲームがみな3DS用ではWii-Uユーザーがかわいそうだ。とは私のことだが。3DSはもちろん、ゲーム機は一揃いなんでももっているが、どうにも携帯ゲーム機にはなじめない。やはりあれはこたつで寝転んでテレビの大画面でやるからたのしい。同じ事を<きっこさん>も言っていてしみじみ同世代と思う(笑)。
いま23インチのデュアルディスプレイだが、これを27インチにしたい。<SONAR>も<Cubase>もでかいほうがたのしい。でもプロもみなノートで使っているんだよな。そういう時代なのか。

2ちゃんねるブラウザのV2CはWindows以外でも使えるの? あ、調べたらマルチプラットフォームなんだ。てことはマッカーにもあれを使っているひとはいるのか。あれ以外ではもう2ちゃんねるは見たくないほどなじんでいる。
いま私の愛用しているソフトはどれぐらいあるのだろう。100ぐらいインストールしていて、「これがないとぜったいに困る」というのは20ぐらいか。それは絶対だから私はWindowsから離れられないんだけど、その絶対とはまたちがった小物ユーティリティソフトもまたオタクと自称するぐらいあれこれ挿れているから、やはり一生Windowsだろう。それはわかっていることだ。

でもMSがWindows10以降、信じがたいあくどいことをやって来たら、そのときは縁を切ろう。というか、スタンドアローンで7か8を使い、インターネットはLinuxにする。なんかやりそうだよな、あの会社。



kyujitsuJazz今朝の音楽は「休日Jazz」というOmnibus。いつどこで買ったかわすれている。こんなのを聞いているのが恥ずかしい。さらにはそれをブログに書くあつかましさ。ここまで怠け者になっている。

「Take Five」を聞いたのは何年ぶりだろう。選んではきかないなあ、それでも初めて耳にした時を思い出してなつかしい。こういうものにはこういう愉しみがある。ビートルズとかストーンズももう何年も聞いてない。さっきひさしぶりにオールマンブラザースを聞いた。

とはいえ、こういう入門用を一所懸命掻き集め、聞きまくって勉強してきたんだから、いまえらそうなことを言ったら、それはそれでお笑いだ。
こういうOmnibusを聞きつつ「おれならここは、これでなく、あれを挿れるな。ここにこれはないだろう」と思ったりする楽しみもある。

そのうちこれと同じく「休日Jazz」と題して、「こんなの集めました。並べました。これがぼくの休日Jazzです」なんてやってみよう。今日は雨だから「雨の日のJazz」か。さてどんなのを並べるか。

Windows10に無償アップグレードのお知らせが来た──Windows7とのお別れ

2015年6月4日、「あなたのWindows8.1をWindows10に無償アップグレード出来るが、申しこむか?」とMSから連絡があった。メールではなく、突如ディスプレイの左下に浮かんできた。あたらしいもの大好きなので「はい」と応える。すると今度はメールが来た。



win10-2

おめでとうございます。Windows 10 への無償アップグレードのご予約が成立しました 
http://view.email.microsoftemail.com/?j=fe9217747c60057a74&m=fed216717264067c&
ls=fe291c71776d077b711574&l=feb51c787c6d0778&s=fe1f1d79716d067d721775&jb=ff661
d7075&ju= 



それ以降、左ディスプレイの右下、タスクバーの隅っこにあの「田んぼマーク」が現れるようになった。

win10


四角の緑はWin7感覚のタスクマネージャ、ネットワークアイコンがあって、ATOK2015。左端の「田んぼ」は「はい」と返事するまでなかった。返事したらかってに入ってきた。無償アップグレードでWindows10が自動Downloadされる7月29日までこれが続くらしい。
好きなマークじゃないからわずらわしいなと思ったら、早速2ちゃんねるの「Windows10スレ」に、これを消す方法が紹介されていた。



Windows8では苦労した。ひどいOSだった。それは「Windows8奮闘記」としてまとめた。いま見てみたら22篇も書いている。あたらしいOSがうれしくて書いたのではない。不具合連続が不愉快で我慢ならず、なんでこんな目に遭わねばならないのだと憤懣を書き綴ったのである。ほんと、ひどかった。Vistaも問題のあるOSだった。それが改良型の7が出て安定した。8も8.1になってぐっとよくなった。

つい一ヶ月前、私は7と8.1のデュアルブートOSから、思いきって7を消し、8.1のみにした。私の8.1は、スタートメニュー、エクスプローラー、タスクマネージャ等みな「Windows7化」してある。見た目からしてほとんど7みたいなものだ。
8.1には7よりもいい点もある。たとえばタスクバーがデュアルディスプレイの両方に表示されるとか、ディスプレイ背景のスライドショーが、デュアルディスプレイ2面、それぞれちがう絵柄で動くとか、だ。
それは技倆のあるひとなら7でも出来ることなのかも知れない。私にそういうスキルはないし、なにより8.1は、なにも設定しなくてもそれが自動で出来るのだから、苦労して7をいじる必要はない。



些細なことで嗤われそうだが、この「ディスプレイ2台の両方にタスクバーが出る」というのは、かなり便利なもので、慣れてしまうと手放せない。7では、メインの左画面に音楽ソフトをフルスクリーンで表示しているような場合、右画面にブラウザを表示して調べ物をしようとしたら、一度音楽ソフトのフルスクリーンを終了させ、タスクバーを表示させて、そこからブラウザをクリックせねばならない。ソフトを登録してあるタスクバーが、7だと左画面にしか表示されないからだ。8.1だと、右のディスプレイ下部にもタスクバーが表示されるからその必要がない。フルスクリーン状態のままブラウザ起動が出来る。これを何度も体験していると、いつしか8.1ばかり使うようになっていた。そういう7より便利な面が8.1にはいくつかある。

私はランチャーソフトはOrchisを使っているが、7だとこれも左ディスプレイでしか見られないので山のようにソフトを挿れているソフトオタクとしてはストレスが溜る。

「2台のディスプレイで、それぞれ別の背景がスライドショーをする」というのも、じつにもうどうでもいいことのようだが、8.1のこれに慣れてしまうと、「2台のディスプレイで、同じ背景が同時にスライドショーをする」7が、なんだかつまらなく思えてくるのである。



7と同じ使い心地にしてある8.1は、7と同じようでいて7よりもいい面もあるから、もう8.1だけでいいかと決断した。ここでお気に入りのソフトが8.1では動かなかったりするとソフトオタクとしては躊躇するが、エディター系、ワープロ系、辞書系、音楽系と、みな問題なかった。いつしか8.1ばかり使うようになっていて、7を起動するのは、それこそ「たまには7も使わないと申しわけないな」感覚になっていた。そして、あれほどあいした7なのに、上記のような細かないくつかの使い易さで、すぐに8.1にもどりたがっている自分がいた。

MSのOSで好きなものは、MS-Dos3.1、Windows2000、Windows7になる。MS-Dosは単に初体験の相手だからだし、Windows2000は、あまりにひどかった95,98,Meから脱却出来たという意味で、思い出深い最愛のOSではあるが、「それまでがひどかった」という感謝の愛情であり、満足とはまたちがう。いわば「やっとニンゲンになれた」みたいなもので、まだ「ニンゲンとしての生活に満足」までは行っていない。それが出来たのが7だった。だから7を削除するのにはかなりの勇気が要った。長年磨きあげてきたOSだったし……。でも思いきって、やった。
そのことで困ったことがひとつ起きたのだが、それはOSには関係のないことなので別に機会にする。



私はあたらしもの好きだから、新OSの人身御供にも積極的に関わってきた。正規版完成前の実験版への参加である。7も8もDownloadして参加した。その時点で8はろくでもないとわかったから買わないと宣言したが、出たらすぐに買ってしまった。しかししかしさすがに10には参加しなかった。しようと思ったことはある。でもやめた。8での傷がまだ癒えてなかったからだ。思い出すのもイヤだが、ほんとに8では苦労した。それを思うと10も、かなり問題あると思う。そう書いて急に「無償アップグレード」から腰が引けてきた。



Windows10は、どの程度のモノだろう。
まず確実に不満が噴出すると思う(笑)。スタートメニューが復活するようだが、それはきっとこちらの期待とはちがっている。あちらの感覚とこちらの感覚はちがうのだ。あちらがよかれと思ってやることが、こちらには迷惑だったりする。だからきっとまた「Windows10のスタートメニューをWindows7風にするユーティリティソフト」が出まわることだろう。7月29日に自動無償アップグレードで8.1が10になった私は、その日からそれを渇望するにちがいない。

いま思うのは、あたらしいSSDを買って、そちらにこの8.1をコピーし、「8.1デュアルブート状態」にしておく、ということだ。「10に自動無償アップグレード」するのは、そのうちのひとつにする。いまのようにOSがひとつしかないと、「自動で10にされてしまった。最悪だ。8.1にもどりたい」と思ってももどれない。いや、いくらMSでも、「10を元の8.1にもどす方法」は残しておいてくれると思うけど。

いまの8.1が気に入っている。これはこれでずいぶんと時間を掛けてここまでやってきた。あれほど不愉快だった新OSの8も、8.1が出てなんとかまともになった。そうだ、8に慣れたのではない、あくまでも私が認めるのは8.1であり8ではない。8.1も、これだけ時間を掛けて自分好みにすれば、いつしか古女房的愛着が湧いている。でも10というあたらしいおんなにも興味がある。両方味わうためにはそうするしかない。まずは256GBのSSDをもうひとつ買うことか。まてよ、いま私の自作機はSSDを2台、HDDを4台繋いでいるからもうマザーは一杯のような? とすると、サンディスクのSSD-480GBを買って、それに8.1をふたつ挿れて今のintel240GBと差し換えるか。いずれにせよ私の自作機は、7月29日を「8.1のデュアルブート状態」で迎え、それ以後は「8.1と10のデュアルOS」になる予定である。人柱を嫌い、安定するまで待ち、あたらしもの好きを嗤うひとは、7月30日からここで「早速10を挿れてひどい目に遭っているあたらしもの好きバカのWindows10の悪口話」の連載が始まる可能性が高いので御期待願いたい(笑)。

「友達話──ふたりのHさん」に【追記】──きっかけは「木に登った豚を狙撃する」だった


izakayajazz 今朝のBGMは「居酒屋Jazz 至福」。朝から居酒屋Jazzもないもんだが、今朝は真夏日連続の史上最暑の5月には珍しく涼しいので、なんだかそんな気分。いま「Solitude」。Bennie Greenのトロンボーンがいい。トロンポーンやオルガンはあったかい音なので涼しいときに聞く。

 ここのとろこ真夏日が連続した。昨日読んだスポーツ紙に、「三日連続真夏日は2004年以来、5月に真夏日13日は史上初」とあった。気象観測開始以来最も暑い5月だったのだ。そんなことは知らなかったが、毎年恒例の「夏イコールボサノバ」というワンパターンが今年は早くも5月から始まっていた。私の体内温度計は正しかったことになる。でも今日は涼しいので封印。トロンボーンがいいなあ。このあとJJ.JohnsonやCurtis Fullerも聞こう。向井滋春も。暑くなったら聞けない。いまのうちだ。

 Omnibusアルバムは、自分の好きな曲を選んで自身で組むのがいい。素材はありすぎるほどある。そうしてきた。なのにこのごろ物ぐさになり、こういう他人の編んだものを適当に流したりしている。でも合わない部分は合わないわけで、このアルバムは16曲あるのだが、CDからmp3にしてHDDに挿れた後、雰囲気が合わないと判断した4曲を削除して12曲構成になっている。



 過日書いた「友達話──ふたりのHさん」に以下の文を追記した。いまはバンコクに住むHさんが、私との20年ぶりの交友復活にいたる過程である。

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 【追記.2】──なんときっかけはあのniwatoriK1だった!──2015/05/29

 その後、バンコクのHさんとなんどかメール交換をしている。なにしろ20年ぶりだからお互い報告しあうことは山とある。過日どんな経緯で私のブログを知ったのかを問うてみた。すると予想外の返事が返ってきて、おどろいたのなんのって(笑)。

 タイに惚れ、料理技術も学んで、日本でタイ料理店を出すまでになったHさんは──、と、ここから書き始めるとHさんとはタイ繋がりと誤解される。最初から書いておこう。

 Hさんは競馬好きのミュージシャンだった。私の出した競馬小説を読んで、出版社気付で手紙をくれた。それに返信して交友が始まった。まだ会ったことはない。手紙だけのやりとりである。始まりは競馬だった。

 交友が途絶えているあいだに、Hさんの人生は激変し、タイに惚れ、タイ料理店を経営するまでになっていたのである。その店を畳んでタイにわたり、いまはバンコクで仕事をしている。今後も帰国するつもりはないという。Hさんに会うためにはタイに行かねばならない。う〜む、いい口実が出来たな。



 当時からタイ関係のネットでは「よくもわるくも」有名だったTというのがいた。タイに惚れこんだHさんもその名は知っていた。あまり好印象はもっていなかったようだ。そのTとやりあっているサイトがあると知る。行ってみた。テーマを読む。ここでそのTに関する記事だけで終っていたら今回のHさんとの交友復活はなかった。そこに「管理人のサイト」がリンクしてあった。ほんの気まぐれだったのだろう、その「管理人のサイト」をクリックしてみた。 それがこのブログ【木屑鈔】だった。そこでHさんはやっと、Tとやりあっているサイトの管理人が、20年前に何通かの手紙のやり取りをした私だったと知るのである。かなりおどろいたらしい。私もこれを聞いておどろいた。まさかniwatorik1がきっかけだったとは。

 Hさんはもちろん私の名前を知っているから、私の名で検索すればすぐにこのブログにたどりつく。バンコクの気怠い午後、ふとむかしなつかしい私の名を思い出し、検索してここにたどり着いたとばかり思っていた。つまり私がHさんに問うた「どんなきっかけで?」は、「どんなきっかけで突如私の名を思いうかべたのですか?」だった。ところがHさんからの答は予想外のモノだった。T関係で読んでみたサイトの管理人が、偶然にも私だったのである。それがHさん側の「きっかけ」だった。この偶然にはおどろくよねえ。

 ハッキリ言ってこのTというのを好きなタイ好き日本人はいない。Hさんも好きではない。でも最新のメールで、「それがきっかけで交友復活ですから、あいつにも価値はありましたね」と笑っていた。 



 この「niwatorik1──木に登った豚を狙撃する」というサイトは、タイに興味のあるひとにはかなりおもしろいサイトなので、ぜひ読んでみてください。

 もうひとつ私としては、「日本語」や「学歴」に興味あるひとに読んで欲しいと思っています。日本語がまともでないのが外国語(この場合はタイ語)を話せるようになり天狗になると、いかに滑稽なことをするか、学歴コンプレックスのあるのが異国の大学院にうまくもぐりこんだりしたら、いかに高慢で増長することか、おもしろいですよ。
 そしてそこに集った真にタイ語能力のあるひとたちの含蓄に富んだ意見は勉強になります。私にとって最大のよろこびはそれでした。

 始まりが2005年11月なので、もう10年になるのですね。早いもんだ。私は30人ほどの友人を対象にひっそりとサイトをやっていたように、見知らぬひととの出会い、他者との論争を好みません。「売られた喧嘩は買う」ではなく、とにかくケンカを売られないようにおとなしくしていました。でもいるんですね、世の中にはそういう私にもケンカを売って来るひとが。このTというのがそうでした。逆探知?して私のサイトまできて、文を読んだようです。そして逆上し、自分のサイトに私のそのひっそりサイトのURLを貼り、「おれさまにケンカを売ってきたこんなバカがいる。徹底的に叩いてやる」と始まったのですね。ことここに到っては私も買わざるを得ませんでした。でもあまりに程度の低いひとだったので彼を嫌う私以外のひとが代わりに論破してくれましたけど。

 ここで知りあった人たちは、野田さんとTwitterでフォローーしあっているぐらいになってしまったけど、みんな元気なんでしょうか。ここを読んでいるniwatorik1のかたがいたらメールくださいね。 

残虐ゲームの規制──なにが残虐なのか!?──バーチャルと現実──私は規制に賛成です!

「こんなゲームを子どもがやってるの!?」。
大臣や国会議員が驚きの声を上げました。

5月19日の参議院文教科学委員会で、実際の画像も提示して、下村文科大臣や経産副大臣、内閣府副大臣と、国による統一的な残虐ゲーム規制について議論しました。

今年2月の川崎中1殺害事件に続き、一昨日、またも私の地元の横浜で15歳の少年が母と祖母を殺害するという驚くべき事件が起きています。その他にも、名古屋女子大生事件や佐世保女子高校生事件など、未成年による残虐な事件は後を絶ちません。これら事件の原因には、様々な要素が絡み合っているのでしょうが、その一つとして、多くの識者が残虐なゲームの影響を挙げています。

 次世代の党、松沢しげふみ議員のサイトより。以下は、原文をお読みください。残虐ゲームの映像もあります。

http://matsuzawa.com/report/2015/05/post-229.html

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 大きなテーマである。まじめに論ぜねばならない。私個人はもう「バイオハザード」あたりでイヤになって離れている。ゲーム以前に、私はあのスプラッタムービーを好むひとの感覚がわからない。見ない。はらわたが飛びちり血塗れになる映像をケラケラ笑いつつ見て、そのあと肉をおいしいとは思えない。 
 それはまた、犬猫をテーマにした感動ドキュメントに涙しつつ、牛豚をおいしいおいしいと喰う矛盾(わたしには矛盾だ、だったら犬猫も喰えよ、となる)に通ずる。

 まあ私は、豚や牛の屠殺を目の当たりにして、喰わなくなってしまったヘタレだからね、その程度なのだけど、それでも、そういう映像を見て、「キャア、残酷!」と言いつつ、スーパーのパックされた肉は「わあ、おいしそう」と言うひとよりは筋を通して?生きているつもりだ。「今日はめでたい日だ。ともだちもいっぱい来る。よし、今日は豚をつぶしてみんなに御馳走しよう」と、飼っている豚を引きずりだして殺してふるまう感覚は正しい。そういう流れの国は多い。それが動物を殺して生きているニンゲンの業だから全面的に肯定する。私はそういう場に接し、豚の咽をかっ切ることが出来なかったけど。

 とこのテーマ、書きだしたら果てがないので、今回印象的だったことにのみ絞る。それはこの松沢議員のサイトに投稿されていた二件の意見だ。
 ふたりとも若者である。

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上田康人 ・ 高知工科大学
 
このゲームのシリーズをいくつかプレイした元ゲームプログラマです。
その立場の上でコメントさせていただきますと、YouTubeのタイトルに書かれてますが、この動画はわざわざそういうシーンを集めたものです。
最近のゲームは物理計算にも力を入れており、必然的に死体の動きもリアルになっていますが、普通、わざわざ死体に弾を撃ち込んで死体が跳ねるのを見て喜んだりしません。
(失礼な言い方をすれば、「もうこの動画を選ぶ時点で悪意がある」と言わざるを得ません。)

さらに、開発者はやろうと思えば弾を撃ち込むことで現実と同じように?(実際そうなるかわかりませんが)死体が千切れるような表現も出来るはずですが、それは必要な表現ではないから実装されていません。
またこのゲームは、人を殺すことが目的ではありません。マフィアとの関わりで犯罪でお金を稼ぎ、それぞれの主人公のストーリーを解き明かし、エンディングに到達するのが目的です。



小林 岳史 ・ 立命館生協リンクショップ アルバイト
確かにこれらのゲームは非常にグロテスクですが、現在の日本の教育制度ならば、Z指定ゲームと現実を混同して犯罪に走るような生徒はそうそう居ないと考えます。データを見たわけではありませんが。

そもそも、若者がゲームに影響されるというならば、今頃日本の公道はバナナの皮で後続車を滑らせようとする人間で溢れかえっているのではないでしょうか。また、残虐度で言えば、昭和時代の子供達がしていたという、カエルの腹に爆竹を入れて爆破する」という遊びや、「鉄道軌道に釘を乗せて列車に轢かせナイフを作る」遊びの方が、現実の危険度という点で余程危険極まりないと考えます。

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 ふたつとも「残虐なゲームはこどもの教育によくない。規制すべき」という松澤議員の意見に反対したもの。
 上の上田さんというかたの意見は、プログラマーとしての意見。「死体に弾を何発も撃ちこんで死体を痙攣させるようなことは出来るが、ゲーム進行上それに益はないし、そんなことをするプレイヤーはいない」というもの。
 それはまあそうだろう。だがクリアだけを目ざしてプレイしているひとだけではない。そこに凝ってしまうひと、それが愉しくてたまらない、というひとも出てくる。ふたつめの意見と通じる部分があるので先を急ぐ。そっちでまとめる。

 ふたつめの小林さんというかたの意見は、「ゲームと現実を混同するような生徒はいない。そんなことをいうなら昭和時代の、カエルに爆竹とか、鉄道で釘を轢かせ、ナイフを作るほうがよほど危険だ」というもの。



 私の意見は、「バーチャルと現実はちがう」につきる。
 上田さんの「死体に弾を撃ちこんでピクピク」は、自分の体験で言うなら、蛇殺しになる。蛇を引きずりだし、棒で擲る。何人もで擲る。籔に逃げこもうとする蛇を引きずりだし叩き殺す。それは血腥い現実だ。そこでまた肝試しとばかり、その叩き殺した血塗れの蛇を戦果として手にして見ろとガキ大将が言う。まだ痙攣している。生きているのか。下っ端下級生はこわごわとそれをしようとするが出来ない。泣きだしたりする。大将がオレは平気だぞと手掴みして尊敬と賞讃の目を向けられる。夕暮れだ。暗くなってきた。帰宅する。しかし蛇を叩き殺したという昂奮と惑いは残っている。必死に逃げようとする蛇を引きずり戻し、何度も何度も叩いて血塗れにして殺したという記憶はある。それは興奮することだったが、血まみれになりながら懸命に逃げようとする蛇を、引きずり戻して殺したことは残酷ではなかったか。それに意味はあったのか。朝が来る。登校途中に昨日の蛇が死んでいる。蛇を叩き殺した生々しい感覚がもどってくる。下校時、蛇は乾涸らび悪臭を放っている。蝿がたかっている。また蛇を叩き殺した記憶がもどってくる。 

 小林さんの「カエルに爆竹」も、それをするためにはまずカエルを捕まえねばならない。泥でぬかるんだ池に裸足で入らねばならない。あのヌルヌルしたカエルを手掴みにせねばならない。私はザリガニ釣りの餌にするために、道路に叩きつけて殺し、足をひきちがって、それを篠竹の竿にぶらさげてザリガニ釣りをした。
 「線路で釘を」も、現実の巨大な鉄道の迫力と間近に接する。命懸けの恐怖がある。たかが「釘ナイフ」を作るだけでも、そこで接する恐怖、迫力、現実世界のそこから学ぶものは多い。それはゲームにおける「入手したアイテムを組合せ最強の剣を作る」とはちがう。 たかが釘ナイフを作るだけで、親や学校にバレないように行動する秘密、連帯があり、目の前を走る鉄道に接する昂奮と恐怖がある。それは居間で寝転がってコントローラーをいじっているだけで人間に銃弾を撃ちこんで殺人が体験出来てしまうゲーム世界とはちがう。

 小林さんは、それら昭和の遊びを「危険極まりない」とし、ゲームのほうがよほど安全としているわけだが、ここで「危険極まりない」を考えるなら、そういう蛇やカエルを殺す、鉄路で釘をナイフにする、という体験は、いま生きている現実と通じているからたいした「危険」ではない。むしろそれはひととして生きて行くための「学習」になる。真に「危険極まりない」のは、現実にはカエル一匹殺したことのないコドモが、ゲームというバーチャル世界で殺人やその他の残虐なことを体験し、それを現実世界でもやってみたいとなってしまうその「飛躍」にある。



 しっかりと管理し、この種のものや、エロがこどもに届かないようにするのが、おとなの務めであろう。松沢議員のサイト動画にあるが、あんなことをこどもにやらせてはならない。それはプログラマー上田さんの言う「わざとそういう場面ばかりを集めた悪意のある映像」という意見とは根本的に異なる。あんなことが「出来てしまう」ことが問題なのだ。入手出来ないようにすべきである。

 毎度の意見だが、ポルノ解禁国なんてところでは、その分テレビを始めとする「だれもが目にすることが可能なモノ」には、しっかりと規制を設けている。日本という国は、そのへんがとてもあやふやだ。
 今後も「サカキバラ事件」のような異常な事件は起きるだろう。それはパーセンテージの問題だ。あの種の事件を起こす因子は人間の中に潜んでいる。根絶やしには出来ない。しかしおとなの努力でそのパーセンテージが下げられるなら、それはすべきことであろだろう。

文化人は高名になると何故みなサヨクになるのか!?──椎名誠、浅田次郎

 自民党若手議員が戦後70年の日本の歩みを検証する勉強会の第2回会合を25日、国会内で開いた。作家の浅田次郎氏が、幕末以降の日本外交をテーマに講演し、安倍晋三首相が夏に発表する戦後70年談話に関し「『侵略』という言葉を入れるべきだ」と述べた。

 同時に「中国が待っているのはこの言葉だ。それでお互い大人になれる」と語り、「侵略」の使用が近隣諸国への配慮になるとの認識も示した。

 勉強会は「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」で、武井俊輔衆院議員らが共同代表世話人。この日は17人が参加した。

http://www.sankei.com/politics/news/150525/plt1505250040-n1.html

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 ほんと不思議である。文化人の先生方は年輪を重ねるとどうしてみなサヨクになってしまうのだろう。推測するに、サヨクじゃないと文化人と認められないからではないか。
 椎名誠のデビュー作「さらば国分寺書店のオババ」のよさは、前半できらっていた制服および制服を着用する職業に、後半になって一目置くようになる展開にあった。あれは一種のどんでん返しであり、だからこそスーパーエッセイだった。なぜあのひとが護憲派サヨクになったのか不思議である。奥さんの影響か? いまじゃ夫婦揃って熱心な護憲教の信者だ。

 浅田次郎もすごい早さで変節していった。このひとにとって三島由紀夫とは、自衛隊とはなんだったのだろう。もっとも自衛隊幹部、防衛大学長にも信じがたいサヨク発言をするのはいるから、自衛隊ということで鵜呑みにしてはいけない。ヤクザ時代にも護憲派の自虐史観だったのか。

 浅田の場合、もうひとつ信じがたいものに「異様な中国愛」がある。これは正気とはいいがたいほどだ。シナに憧れ、崇拝する内に、すべてあばたもエクボになってしまった。初期のころ、ピカレスクロマンと言われるモノを書いていたころから浅田ファンだった私は、この異常なシナ愛でどんびきし、浅田作品と縁を切った。縁は切ったが正当に批判するため、一応読んではいる。浅田のシナ愛は盲目としか言えない。

 けっこうまともなことも言っているデヴィ夫人が、ひとたび北朝鮮が絡むとまったく別人格になってしまうことはここに書いたが、浅田にもそれがある。浅田の場合はシナだ。シナへの異様な愛があり、シナが絡むと、三島も自衛隊もふっとんでしまう。こまったもんだ。しかしそれはすでにエッセイやペンクラブにおける発言等で顕著であり、今回のこれに関しては、浅田をゲストに呼んだ自民党若手がへん。こういう発言をすることはわかっていたはず。この発言が欲しくて、それを前提に呼んだのだろうか。不可解だ。

放射脳ってほんとにいるんだ──西日本疎開者の父と知りあう

jessy Hot Sauce
 今朝のBGMは、Jessy Jの「Hot Sauce」。私はほんとにJessyが好きなんだなあ。毎日聞いている。Jessyのプレイ以上にPaul Brownのプロデュースが好きなのかもしれない。ライブ映像でわかるようにJessyはPaulに心酔しているらしく、彼の支持にしたがって動いている。恩師なのだろう。いい師弟だ。

 そしたまた思うに、世の中にはきっと、こういうふうに隅々まできちんと計算された作品はきらいで、アドリブガンガンこそ最高って音楽ファンもいるんだろうな。私自身デルタブルースにはまっていたころは、こんなきちんとした音楽は受けつけなかったかもしれない。



 下にある「友達話──ふたりのHさん」は最初実名を書いてUPした。あたらしくHさんというかたと知りあいたのしく語らった翌朝、旧知のHさんから二十年ぶりのメールをもらってうれしかったという話である。ふたりの苗字が偶然にも同じだった。
 アップしてすこし経ったあと、知りあったばかりのHさんから聞いた話を書く予定だから、実名はまずいかとイニシャルにした。それは以下のような話。



 Hさんと知りあった日、仕事の帰り、喫茶店に入って懐かしのむかしばなしをした。Hさんの親友が添附ターズ──テンプターズも変換されない時代になったか(笑)──のメンバーの兄で、渋谷で遊んでいるとき、 彼らを呼んだら、テレビ局からすぐにショーケンを始め全員がやってきたものだから、人気絶頂の時でもあり、街中がちょっとしたパニックになったとか、そんな話を聞く。昭和43年。当時私は田舎の高校生。東京に出たのは昭和46年。まだ渋谷駅前にはハーモニカを吹きつつ傷痍軍人がすわっていた。駅構内はタバコ吸い放題で吸い殻を線路に投げすてるひともいっぱいいた。いまはずいぶんとマナーがよくなった。

 グループサウンズの話から、ジュリーがいま護憲と反原発の活動をしていることを私が話した。Hさんは知らなかったようで、「ほう、それはえらいですね」と言った。なにがえらいのだろう。奇妙な感じをおぼえた。ここから予想外の展開になる。 



 Hさんには溺愛しているひとり娘がいる。Hさんはなかなかの美男子なので娘さんもかなりの美形と思われる。年齢はたぶん三十歳前半であろう。独身。いま関西の××県にいる。男と一緒に住んでいるが結婚はしていない。三ヵ月に一度ぐらいの割合で東京にもどってくる。Hさんの住まいは多摩市である。娘さんもそこで育ち、数年前まで一緒に住んでいた。娘さんからもらったノートパソコンでHさんはパソコンを始め、いまYouTubeで50年代の懐メロ=オールデイズをダウンロードし、mp3プレイヤに挿れて聞くところまでをマスターした。わからないことは娘に電話し、電話でわからないことは、たまに帰宅した際にやってもらっているらしい。そこまでは昼に聞いていた。

 夕暮れの喫茶店。私が物書きだということから、Hさんが「じつはうちの娘も」と、なる。フリーランスのフリーライターで、新聞雑誌の書評がメインのようだ。本好きのHさんは、娘さんが書評をした作家(基本的に書評は褒めるものだ)からお礼の手紙と一緒に新刊本が贈られてる来るので読む本に苦労しないのがありがたいと言っていた。Hさんは二浪したが目標の早大に行けず、進学を諦めて就職した。期待を娘にかけ、娘もまたそれに応えた。こどものころから読書感想文でいろんな賞をもらう子だった、ライターは天職だと、嬉しげに娘自慢をする。



 話はジュリーの反原発活動をHさんが「えらいですね」と言ったところにもどる。私は「いや、ただのバカサヨクです」と応じた。「じつは」とHさんが言う。「うちの娘も原発反対の運動をしていて、たまに東京に来るのはその活動のためなんです。ぼくもこのあいだ娘と一緒に官邸周りのデモに参加してきたんです」「ぼくは反原発じゃないですよ。どうでもいいんですけどね、ただ娘をひとりでそんなデモに参加させるのが心配なのでついていったんです」

 さらに「じつは」が続く。「娘が××県に住んでいると言ったでしょ。あれ、あの大震災のあと、引っ越していったんです。放射能があぶないって。一緒に住んでいるのは、その活動で知りあった男なんです」「ぼくは放射能なんて平気ですけど、怖がるひとっているんですね、うちの団地からもかなりの数のひとが放射能がこわいって西日本に引っ越しましたよ」



 う〜む、なんか山の中で幻の獣と出会ったようだ。ほんとにいたんだな放射脳って。ツチノコか。
 なにしろあの<きっこさん>が2011年9月の時点で「今日で西日本への疎開斡旋が100組になった」とツイートしていたぐらいだから、いるんだろうなとは思っていた。たった半年で100組だから、今ごろはもう<きっこさん>の斡旋した疎開者は1000組を超えているだろう。ほんとにえらいなあ、<きっこさん>は。なのにTwitterでお礼を述べるひとがひとりもいない。ひどい話だ。日本人は義理人情を忘れたのか。

 Hさんの話によると、西日本に疎開した家族はHさんの周囲だけで10家族はいるという。現にひとり娘は両親を捨てて(笑)、自分だけ男と一緒に西日本に逃げたのだ。三ヵ月に一度多摩市にもどるときは放射能防禦服でも着てくるのだろうか。しかし西日本もあぶないぞ。<きっこさん>が言っていたように、「日本は終りだ、北半球は終りだ、カナダ経由で南半球オーストラリアに逃げる」ぐらいしたほうがいいのではないか。いやほんと、そんなにこわいならそこまでしなきゃだめだし、というか地球をもう何十コも消滅させるほどの核兵器を人類はもっているのだから、地球にいちゃダメだ。あぶないよ。よその星に行かないと。



 <きっこ>さんて言えば、<きっこさん>のお母さんは、「こわいよお、放射能がくるよお」と布団を被ってブルブル顫えたんだよね。それで<きっこさん>は、たいせつなお母さんを護るために、着の身着のまま、お母さんを連れて西日本に疎開する。2011年3月末のことだ。あれから4年経つ。

 私はこれを読んだとき、お母さんのことを「なんてなさけないおんなだ」と思った。年齢設定だとこのとき65歳になる。<きっこさん>が37歳か。母子家庭で、いろいろな仕事をしながら<きっこさん>を育てあげた強い母である。なら話としては、「放射能が来る、あぶない、西日本に逃げよう」なんてかしましい娘に対し、「落ちつけ、放射能なんて母さんがぜんぶ受けとめてやる。お前を死なせはしない。母さんがおまえを護ってやる。安心しろ」と言うのが本筋ではないか。女手ひとつで娘を育てあげた強い母親が、「こわいよお、放射能がくるよお」と布団を被ってブルブルは、いくらなんでもキャラ設定がめちゃくちゃだ。まあそのめちゃくちゃさゆえに<きっこさん>は人気者なんだけど(笑)。



 Hさんの苗字が実名でも、××県と伏せなくても、べつに問題はないと思うけど、SNS時代だから慎重にしたほうがいいと判断して伏せた。苗字と県と反原発デモ活動家で特定されてしまうかも知れない。私はかまわないがHさんに迷惑を掛けたらもうしわけない。

 しかしSNS時代と言っても、SNSそのものに問題があるのではない。要は使いかただ。「しまむら土下座事件」をやった女も、Twitterでそれを自慢気に書きこんだことから批判され、Facebookにアップしていたチマチョゴリを着て学校に通う娘の写真などから通名がバレ、在日朝鮮人と認定された。「たかじん遺産争い」の朝鮮人後妻も、やはりFacebookにイタリア人亭主との結婚式写真やキス写真をアップしていたので重婚疑惑に繋がっていった。いわばみな自業自得。SNS時代がこわい、ではなく、破滅するひとはそうなるだけのことをやっている、ということだろう。



 西日本疎開者はこれからどういうオチをつけるのだろう。「もうだいじょうぶ」ともどってくるのか。それともこのまま西日本に住みつづけるのか。本格的に引っ越し、あちらで仕事を見つけて働いているひとはいいとして、<きっこさん>のように単なる煽りでウソ疎開をしたひとは、どんなオチにするのか。たのしみだ(笑)。

友達話──ふたりのHさん──あたらしいHさんと20年ぶりのHさん

日が長くなった。夕方は18時半になってもまだ明るいし、今朝はまだ6時前なのに眩しいほどの陽光がふりそそいでいる。

 いまBGMは「Jazzで聞くクラシック」。ドビュッシーの「夢」、グルックの「精霊の踊り」が流れている。

jazz classic



 昨日、バイト仲間のHさんというかたと知りあった。私より5歳年長。グループサウンズ(笑)の話がきっかけとなり、音楽話に花が咲いた。年輩者なのに休憩時間にはずっとイヤフォンを耳にしているので、なにを聞いているのですかと問うたのが始まりだった。いま小型mp3プレイヤをシャツのポケットに入れ、あれこれ聞きまくっているという。いわゆるオールデイズをYouTubeからDownloadしてためこんでいるらしい。パソコンは初心者だが娘に教わってそれぐらいは出来るようになったとか。

 Hさんの音楽好きは学生時代までで、就職してから定年までまったく音楽に接しなかっただそう。40年間の空白を経て、いままた音楽に夢中になった。懐かしの50年代、60年代のオールデイズを聞きまくり、いまそれまで知らなかった70年代ロックに燃えているのだとか(笑)。「KISSはいいですねえ」と言っていた。どういう趣味なのだろう。これから80年代、90年代と追及して行きたい、もっともっと音楽を知りたいので、自分の知らないことを教えてくれと言われる。いま何を聞いているのかと問われたのでASUS MeMO Padに挿れているSmooth Jazzを聞かせた。Earl Klugh。すると、「すごく音がいい、これと比べたら自分のは音楽じゃない」とのこと。ASUS MeMO Padの音はたいしたことはない。iPhoneよりはいいとしても(笑)。まったく、音のいいWalkmanがiPodに惨敗したのだからこの種のものは音質よりも宣伝とイメージなのだ。ASUS MeMO Padの音に感激したのだからHさんの音はそうとうよくないと思われる。そもそもソースのYouTubeがよくないのか。mp3もUSBメモリタイプの安物なのだろう。イヤフォンも関係あるか。ASUS MeMO Padの音はたいしたことないが、私の場合、ステレオイヤフォンはいいものを使っている。ともあれ音楽に関してはHさんに一目置かれた。



 仕事のあと、喫茶店に誘われて話しこんだ。喫茶店文化と縁が切れて長い。若いときはハシゴまでしたものだが……。
 Hさんは喫煙者なので、タバコを喫える店を探すのに苦労していた。場所は吉祥寺駅前。いまは禁煙の店が多いようだ。ある店──有名なチェーン店なのだろうが興味がないので名前を忘れた──に3フロアあり、その三階が喫煙席だった。そこに入る。

 私はひとに意見するタイプではないが、Hさんのノートパソコンは、OSのあるCディスクだけのようなので、パーティションを切ってデータ用のDディスクを作ったほうがいいですよと伝えた。いまのままだとOSがクラッシュしたときに、せっかく集めた音楽データも消えてしまう。Dディスクを作っておけばOSクラッシュとは無縁である。思えばWindows95のころから、このことだけは熱心にやってきた。Hさんは、HDDにパーティションを切るというあたりはまだチンプンカンプンのようで、すこし難しすぎたようだ。三ヵ月に一度帰ってくる娘に教えてもらうと言っていた。娘さんからもらって覚えたノートパソコンのようだ。

 じつはこのあとおもしろい展開になった。それはまた後日書くとして先を急ぐ。
 Hさんとの話がたのしかったたので、昨日の晩酌は奮発して、うなぎの蒲焼きで菊水ふなぐちを開けた。私のようなのが喰える蒲焼きはスーパーで売っている程度のものだ。しかしそれでも高い。安いのもある。でもそれは中国製。パソコン部品、衣類、文房具等、中国製品と完全に縁を切ることはもう不可能だが、それでも食い物だけは口にしないようにしている。アブナイからだ。日本製は中国製の倍の値段だから、たかがスーパーの蒲焼きでも、私にとっては贅沢になる。気持ちよく酔って就寝。

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 いつも21時就寝、3時起きなのだが、昨日はHさんとの喫茶店があったので時間がずれ、23時就寝、今朝は5時起きになってしまった。
 PCを起動すると、このブログに掲載しているアドレスにメールが届いていた。これまた偶然に同じ苗字のHさんから。

 Hさんは私が「亀造競馬劇場」という競馬小説本を出したときに手紙をくれたかただ。何度か手紙のやりとりをした。手紙のやりとりがもどかしかったのか、Hさんに「パソコン通信をやってみませんか」と誘われたことを思い出す。Hさんはすでにやっていた。私もパソコン好きだからそれは知っている。しかしこのブログにも何度か書いているが、私は見知らぬひとと知りあうことに興味がない。ましてそういう場でのディベートなんて大嫌いだ。当時から競馬関係のそれは充実していて(それだけリクツ好きが多いジャンルなのだろう)、理想の血統等をああでもないこうでもないとやっているのを知っていた。係わりあいたくない。私はパソコンと電話線を繋ぐことを嫌った。私のパソコンはスタンドアローンでいい。いまじゃもうインターネットと繋がっていないとactivationが出来ず、購入したソフトを使うことすら出来ない時代になっている。インターネットの便利さは計り知れないが、インターネットのなかった時代のパソコンもまたいとおしい。「パソコン通信」というコトバから、いつの時代の話かがわかる。

 そのHさんが、私のこのブログを偶然見つけ(どのようにして見つけたのかはまだ聞いてない)メールをくれたのだ。20年ぶりか? いまバンコク在住だという。たしか静岡のかたと記憶しているが。なにがあってバンコクに?

 気持ちのいい昨日の夕に続いて、気持ちのいい今日の朝になった。



【追記】──バンコク在住となったHさんが、最近はすっかり競馬とは疎遠になっていると書いていたので、JRAのサイトにある私の文章「競馬クロニクル」「競馬を愛した人々」「名馬の肖像」のURLを紹介した。その日、早速読んでくれたらしく、ひさしぶりに読んだ私の競馬文章がなつかしく、とてもよかったと感想をくれた。うれしかった。

 さて、バンコクのHさんにこれからメールを書き、日本のHさんから聞いたおもしろい話をネタとしてブログに書こう。

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 【追記.2】──なんときっかけはあのniwatoriK1だった!──2015/05/29

 その後、バンコクのHさんとなんどかメール交換をしている。なにしろ20年ぶりだからお互い報告しあうことは山とある。過日どんな経緯で私のブログを知ったのかを問うてみた。すると予想外の返事が返ってきて、おどろいたのなんのって(笑)。

 タイに惚れ、料理技術も学んで、日本でタイ料理店を出すまでになったHさんは──、と、ここから書き始めるとHさんとはタイ繋がりと誤解される。最初から書いておこう。

 Hさんは競馬好きのミュージシャンだった。私の出した競馬小説を読んで、出版社気付で手紙をくれた。それに返信して交友が始まった。まだ会ったことはない。手紙だけのやりとりである。始まりは競馬だった。20年前、Hさんとの手紙のやりとりにはタイのタの字も出て来ない。

 交友が途絶えているあいだに、Hさんの人生は激変し、タイに惚れ、タイ料理店を経営するまでになっていたのである。その店を畳んでタイにわたり、いまはバンコクで仕事をしている。今後も帰国するつもりはないという。Hさんに会うためにはタイに行かねばならない。う〜む、いい口実が出来たな。



 当時からタイ関係のネットでは「よくもわるくも」有名だったTというのがいた。タイに惚れこんだHさんもその名は知っていた。あまり好印象はもっていなかったようだ。そのTとやりあっているサイトがあると知る。行ってみた。テーマを読む。ここでそのTに関する記事だけで終っていたら今回のHさんとの交友復活はなかった。そこに「管理人のサイト」がリンクしてあった。ほんの気まぐれだったのだろう、その「管理人のサイト」をクリックしてみた。 それがこのブログ【木屑鈔】だった。そこでHさんはやっと、Tとやりあっているサイトの管理人が、20年前に何通かの手紙のやり取りをした私だったと知るのである。かなりおどろいたらしい。私もこれを聞いておどろいた。まさかniwatorik1がきっかけだったとは。

 Hさんはもちろん私の名前を知っているから、私の名で検索すればすぐにこのブログにたどりつく。バンコクの気怠い午後、ふとむかしなつかしい私の名を思い出し、検索してここにたどり着いたとばかり思っていた。つまり私がHさんに問うた「どんなきっかけで?」は、「どんなきっかけで突如私の名を思いうかべたのですか?」だった。ところがHさんからの答は予想外のものだった。T関係で読んでみたサイトの管理人が、偶然にも私だったのである。それがHさん側の「きっかけ」だった。この偶然にはおどろくよねえ。

 ハッキリ言ってこのTというのを好きなタイ好き日本人はいない。Hさんも好きではない。でも最新のメールで、「それがきっかけで交友復活ですから、あいつにも価値はありましたね」と笑っていた。 



 この「niwatorik1──木に登った豚を狙撃する」というサイトは、タイに興味のあるひとにはかなりおもしろいサイトなので、ぜひ読んでみてください。

 もうひとつ私としては、「日本語」や「学歴」に興味あるひとに読んで欲しいと思っています。日本語がまともでないのが外国語(この場合はタイ語)を話せるようになり天狗になると、いかに滑稽なことをするか、学歴コンプレックスのあるのが異国の大学院にうまくもぐりこんだりしたら、いかに高慢で増長することか、おもしろいですよ。
 そしてそこに集った真にタイ語能力のあるひとたちの含蓄に富んだ意見は勉強になります。私にとって最大のよろこびはそれでした。

 始まりが2005年11月なので、もう10年になるのですね。早いもんだ。私は30人ほどの友人を対象にひっそりとサイトをやっていたように、見知らぬひととの出会い、他者との論争を好みません。「売られた喧嘩は買う」ではなく、とにかくケンカを売られないようにおとなしくしていました。でもいるんですね、世の中にはそういう私にもケンカを売って来るひとが。このTというのがそうでした。逆探知?して私のサイトまできて、文を読んだようです。そして逆上し、自分のサイトに私のそのひっそりサイトのURLを貼り、「おれさまにケンカを売ってきたこんなバカがいる。徹底的に叩いてやる」と始まったのですね。ことここに到っては私も買わざるを得ませんでした。そのことはこのサイトの「戦端」に詳しく書いてあります。でもあまりに程度の低いひとだったので彼を嫌う私以外のひとが代わりに論破してくれましたけど。

 ここで知りあった人たちは今、野田さんとTwitterでフォローーしあっているぐらいになってしまったけど、みんな元気なんでしょうか。ここを読んでいるniwatorik1のかたがいたらメールくださいね。 

護憲バカサヨクは競馬の結果も政府のせいにする──天皇賞キズナ惨敗

 バカサヨクは気に入らないことをなんでも政府のせいにする。それを高邁な意見と思い込んでいる。論理の矛盾を突かれると他人のせいにして逃げる。いま話題の、カヤマリカというバカサヨクの「ツイッター乗っ取られ事件」なんてインチキ話もそれになる。

 以下の文は、5月3日に行われた競馬・天皇賞観戦記の一部。無料ブログ文。こんなもので金をもらえるほど世の中は甘くない。読むにたえないヘタクソな長文は脱線し、結びは、1番人気キズナが負けたのは、「政府と民衆のあいだに絆がなかったからかも」というこじつけとなっている。バカサヨクもここまでくると嗤える。だが彼らはこういうことを悦に入って書いているのだ。救い難い。救わないが(笑)。「だったのかも知れない」「言えないこともないだろう」という気弱な結びが憐れだ。



(前略)

ホームストレッチ。
もはや私には、馬群から先に抜け出した蛯名正義カレンミロティックにも、ゴール前に急追した北村宏フェイムゲームにも(気づいて見れば共にハーツクライ産駒だった)、眼線は行かなかった。ただただ横山典弘ゴールドシップを見つめていた。

武豊キズナの惨敗は、推測していた通り、おそらく距離適性なのだろう。或いは、現憲法を恣意的にないがしろにする政府と、多数の民との間には、もはや絆など持ち合えないという時代の反映だったのかも知れない。憲法記念日の天皇賞なればこその結果と言えないこともないだろう。

(後略)



・現憲法を恣意的にないがしろにする政府

・多数の民との間

・もはや絆など持ち合えないという時代の反映

なればこその結果と言えないこともないだろう。


 う〜む、よくぞここまでヘンテコな文が書けるものだ。感心する。ま、このひとはむかしからぜんぶこんな感じなんだけど(笑)。そのヘンテコな文とキズナの天皇賞敗戦がつながるらしい。なんじゃそりゃ。ほんとは全部掲載して嗤いたい。上にあるような「妙にひねくった、なにが言いたいのかわかりにくい表現の連発」である。かなり嗤える。ナンクロなんかやるよりこのひとの文の、「この主語は、どの述語と繋がるのか!?」「この部分はなにを形容しているのか!?」を考えるほうがよほど頭を使うよ。クイズ好きは読んでみて。といってURLは貼らないけど。

<きっこ>と名乗る女の振りをしている団塊世代のオヤジが、毎日毎日あれもこれも安倍晋三のせいと狂ったようにツイートしているが、これも同じレベル。恥ずかしくないのだろうか。

 この一見かっこつけたわかりにくいヘタクソな文章は、あの戦勝国押しつけ憲法のわかりにくい文に酷似している。あんなもんを支持するぐらいだから、こういう回りくどいわかりにくい文章が好きなのだろう。溜め息が出るぐらい下手だ。



 競馬マスコミ関係者にはサヨクが多い。団塊の世代のサヨクが就職先として流れこんだのが大きな要因だが、元々朝鮮人や部落出身者が多い世界であることが根源的な理由になる。体質的に反体制なのだ。厩務員ストなんて国鉄並だった。競馬界は、 ヤクザや芸能の世界と同じく「そういうひとたちの分野」なのである。先人がそういうひとたちなのだから、後に続くひとも、そういうひとたちになる。芸能界と同じ。私もいつしか三十年関わってしまったが、同じ保守派思想の競馬ライターとは今までにひとりしか出会っていない。対して上の文を書くようなバカサヨクはすぐに二十人、三十人思いつく。もしもあなたが競馬好きでそれなりに競馬有名人を思いつくとしよう。彼らの90%は──ほんとは100%と言いきりたいが希望を込めて90%にする──護憲派である。あの醜悪な憲法もどきを崇拝している。上のような切り口の文は稀有ではない。そしてもちろんみな親中、親韓であり、自虐史観に染まっている。よって「朝鮮人は嫌いだ」なんて言ったら、嫌いと言ったことを批判される以前に「チョーセンジン」なんてことばを口にしたことにより一斉に白い目で見られる。見られた本人がいうのだからまちがいない(笑)。

 さすがに名のあるひとはそのへんのことは商売上抑えているが、二年前、柏木集保が上の駄文と同じように、ネット上でのレース回顧文で、レースや馬と結びつけて「世界に誇る平和憲法」という表現をし、護憲派カミングアウトと話題になった。どうやら競馬ライターはレースと憲法を結びつけるのが好きらしい。しかも底が浅い。あきれるほどヒダリがかった世界である。しかしそれにしても上の文はあまりにバカ文だ。

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【追記】──友人の感想──競馬ファンの視点

 ここを読んだ友人がメールをくれた。私は元文のURLを載せなかったが、掲載した一部分から検索してたどりついたらしい。したことがないので知らなかった。そんなこともできるのか。便利な時代だ。


これは本当にひどい観戦記ですね。「距離適性」のあとに唐突に「憲法」とか「政府」とか、組み合わせが無茶苦茶です(笑)。本人は「憲法記念日の天皇賞」という視点でうまいことを言ったつもりなんでしょうけど、そのことでさんざん持ち上げたゴールドシップやノリの価値をも下げてしまっていることに気づいていないのがなんとも滑稽です。
検索して全文を読みましたが、なるほど全体的にわかりにくい文章でした。冒頭の「たった1頭の馬が」がどこにかかっているのかも、すぐにはわかりませんでした。「それだけの価値ある騎手なのだから・・・」という締め方も、別に文中で苦言を呈したわけではなく絶賛したのですから、なにかおかしな感じでした。


  友人は大の競馬ファンであり、政治的にはニュートラルなひとである。だから自民党も民主党も護憲も改憲も関係ない。そういう彼がこの文に不快を感じるのは、「競馬を語るのに、そんなことをいれこむな」という感覚からだろう。彼が指摘しているように、あんなオチをつけたのでは、それまでもちあげていたゴールドシップと横山がどこかに行ってしまうのだ。してはならないのである。競馬の観戦記にそんなことを絡ませてはならない。基本だ。鉄則である。そこに気づかないからバカサヨクなのだ。だがサヨクにとっては、長文の観戦記と同じぐらい最後の二行が大事になる。アンチ安倍、アンチ自民党の彼は、キズナの敗戦を「政府と民の間に絆のない時代」に結びつけたとき、充足感に包まれニンマリしたことだろう。あほらしい。

飲食話──なすのわさび漬けの素──異国で涙したわさびの味──庶民派屋台好き『島耕作』のウソ--ネットレシピは誤字だらけ

wasabi motoスーパーで写真の「なすのわさび漬けの素」を見かけた。なつかしくて思わず3袋も買ってしまった。値段は税抜きで93円だった。以前買ったときは130円ぐらいしたと思うのだが勘違いか。
 異国に長逗留するとき、ふと思いたってこの種のものを手当たり次第に買って持参した。こだわりのモノを持参することは以前からやっていた。
 たとえばタイに燃えていたころ(笑)、塩味歯磨きを持っていった。あのころのタイの歯磨きはハッカ系のものばかりで、サバイサバイを至上とする民族なので、スースー度合もすごかった。しかし日本人の私にはあわない。私は日本にいるときからスースー系はきらいだったし。同じく彼らにも塩味歯磨きは不評だったのだろう。タイ製はもちろんないし、大きなスーパーに行っても日本からの輸入品もなかった。どこを探しても見つからず持参することになった。いまはもちろんある。
 「森永ハイソフト」というキャラメルが必需品の時期もあった。日本にいるとき口にすることなどほとんどないのだが、異国でさびしくなったとき、あの味が私には疲れを取る最良の甘さだった。どこに行くにもバッグにひとつ入れていった。とまあいろいろあるのだが、さすがに漬け物の素を買ってもっていったことはなかった。



 だいぶまえの話だが。
 世界を巡ることがたのしくてしょうがない時期の三十代の競馬ライターが、一緒に旅行することの多い先輩の五十代のライターを否定していた。そのひとと異国に行くと、まず最初に日本料理店はないかと言うのだとか。せっかく異国に行ったのに日本食ばかり食べている。異国に来たならその地の料理を食うのが基本であり、「あのひとは若いときから多くの国を旅したひとなのに、なんであんな……」というのが彼の不満だった。
 しかしそれは「若いときから多くの国を旅したひとだからこそ」なのである。その先輩ライターは、それこそあのシベリア鉄道でヨーロッパに渡った世代だ。当時は日本食など食いたくてもなかったろう。それはそのあとに巡った数十ヵ国でも同じだった。その地その地の飯を食うしかなかった。不満はあったにせよ、この三十代のライターと同じく、それがたのしい時期もあったろう。
 そうして五十代も後半に入ると、素朴な本音が出て来る。日本人なのだ、日本食が好きなのだ。もうそういう苦労からは卒業して日本食の好きな日本人として素直に生きたい。そういうものである。それがまだ異国巡りと異国の味が新鮮でたのしくてたまらない三十代の彼にはわからない。私にも三十代の彼と同じ時期、同じ意見の時があり、そしていま見事にその先輩ライターと同じ感覚になった。
 あの三十代のライターもいまはもう五十代だ。ここのところ音信不通だが、いまはどんな食生活で異国を巡っているのだろう。



『島耕作』の初期の頃、異国に赴任した彼が、その国の庶民の食べる屋台で食事し、現地人の社員に「こんなひとはいなかった」と一目おかれるシーンがよくあった。その後もその路線は続いた。気どっている日本人はみなクーラーの利いている日本食や洋食のレストランに行くのに、島耕作は、現地人と一緒に庶民的な屋台で汗を掻きつつ食事する。現地人スタッフから、あなたは変人だ、でもいいひとだ、と思われる設定である。現地人の美人秘書に、それが理由で好かれたりする。わたしたちと同じ目線のひとと。
 それが弘兼さんの姿勢であり、「その国の庶民のものを喰わなければその国はわからない」という主張なのだろう。フィリピンでもタイでもベトナムでもやっていた。定番であり、悪く言えばワンパターンとなる。中国でも同じだ。それは現地採用の連中に好感を持って受けいれられている。

 しかしこれはウソだ。こういうところに「取材して描くマンガ」の嘘っぽさが出る。弘兼さんの異国取材は長くても一週間だ。そりゃ初めて行った国で、庶民が食事する屋台取材は基本であり、「うん、こりゃうまい、気に入った」が出来るだろう。一、二回は。一週間だけだし。
 だがサラリーマンは数年間も勤務する。フィリピン、ベトナム、中国の、現地の連中があわただしく食事する下々の者の屋台で、毎日『島耕作』のようにスーツにネクタイ姿の日本人サラリーマンが食事など出来るはずがない。一週間で厭きて、つらくなり、日本食が食いたい、クーラーのあるところで飯が食いたい、となるだろう。あくまでもあれは「弘兼さんの一週間取材」であるからこそ出来るエエカッコシーである。現地赴任のサラリーマンからは、そういう『島耕作』のキレイゴトには批判もあったと思う。

 タイ篇のバンコクではトゥクトゥクに乗り、「わーお、こりゃベンツよりいい」なんてやるシーンがあった。もちろんそこでもタイ人の運転手ソムチャイに、「旦那はかわったひとだ」と好意的な評価を受けている。弘兼演出の「島耕作はいいひと」である。初めて乗って、一回限りだからそんなことが言える。あの地獄渋滞都市バンコクで、毎日トゥクトゥクに乗っていれば、暑さにバテ、排気ガスに煤けて、クーラーの利いたベンツが恋しくなる。私がそうだった。「庶民なのだから庶民用のトゥクトゥクに乗るべし」なんて、100回ぐらいまではトゥクトゥクだったが、やがてエアコン附きのタクシーにばかり乗るようになった。地獄の渋滞もジャスミンの生花のいい匂いがする涼しい車内なら耐えられる。

 私はサラリーマンじゃないから、気楽な恰好で、『島耕作』と同じ考えで庶民屋台で食事をする旅をしてきたが、美味しいタイやベトナム料理だって、毎日そればかりだと厭きてくる。たまにはちがうものを喰いたくなる。カンボジアはまずかったし、中国はもうあのうるさくて礼儀がなく食いちらかすシナ人と一緒に飯を食うだけで憂鬱になる。食はたのしみなのに、食が憂鬱になるのだ。シナ人の食堂に行きたくなくて、部屋でコーラとビスケットで過ごしたことすらあった。そのほうがまだヤツらの食堂に行くより精神的にましだった。なにが「食は中国にあり」だ。食以前に人間の問題のほうが大きい。
 『島耕作』はフィリピンやベトナムや中国の屋台に何度行ったのか。「よし、これからは朝食はここにしよう」なんて言ってるが、ほんとにそれからも毎日そこに通ったのか。訊いてみたいものだ。

 全巻所有している大好きな『島耕作』だが、あちこちに矛盾点を含んでいる。でもそれはそれでおたのしみと割り切ることにしているから、私のいちばん嫌いな『島耕作』は、この「異国でやたら庶民派をアピール」かもしれない。



wasabi moto 日本食に餓えたときのために「きゅうり 浅漬けの素」とか、同様のものを何種類か持っていった。その中で私がいちばん感激したのがこの「なすのわさび漬けの素」だった。期待していなかった。ほったらかしておいた。なすの漬け物なんて日本でも作ったことがない。漬け物は、大根、蕪、白菜、高菜、野沢菜、なす、きゅうり、みな好きで、日本酒を飲むときには、メインの肴は刺身だが、漬け物も缺かせない。といって異国で餓えるほどでもなかった。

 餘談だが、私はいま朝鮮漬けを喰わない。日本のおいしい漬け物があるのに、なにゆえに朝鮮漬けを喰わねばならないのか。むかしは「朝鮮漬け」と言った。いつしか「朝鮮」というコトバが禁句となり、いまは「キムチ」と言うらしい。日本の最高にうまい漬け物に「糠漬け」がある。それを食わず朝鮮漬けを好むようなのは、味覚が壊れている。食品は風土にあって育つ。朝鮮漬けは日本よりも寒い朝鮮半島で喰ってこそうまいものだろう。閑話休題、言帰正伝。

 旅行バッグの中からこれを見つけた。やってみるかと手にする。なすはあった。日本と同じ感じのものが。それを庖丁ならぬカッターで切り、ビニール袋にいれて、この素と揉み、冷蔵庫に保管した。たいした期待はしていなかった。1時間で喰えるようになるらしいが、一昼夜ほっておいた。これは正解だった。一昼夜漬けは1時間よりもあきらかにうまかった。これは後日確認した。
 翌日「あ、忘れていた」と取りだし、口にしたとき、茄子の漬物のわさびの味から日本を想い、泣きそうになった。そしてまた、猛烈に日本酒が飲みたくなって困った。とても日本酒が手に入るような環境ではない。諦めざるを得なかったが、あれで日本酒を飲んだら確実に泣いていた。



 こういう「素」に関して素朴な疑問がある。旬となってきゅうりが安くなり、3本が98円なのに「きゅうり 浅漬けの素」が128円だったりする。私の感覚だと、きゅうり本体が3本98円なら、浅漬けの素は30円ぐらいが適切だ。「素」のほうが高いことに納得が行かない。本末転倒だろう。
 その点この「なすのわさび漬けの素」は、まだ茄子がシーズン前なので高く、今回私の買ったのは博多茄子で3本268円、この3本を漬ける「素」が93円だから、私流のリクツにあっている。


「素」の中身にも「なぜそんな値段なのかわからない」と感じる。簡単な調味料の組合せにすぎない。どう考えても30円で充分だ。つまりこれは「浅漬けすら作れないヤツのためのもの──高くて当然」ということなのだろう。それすら出来ないヤツのための便利グッズだから、そういう値段なのである。ターゲットとする「ヤツ」は料理の出来ない主婦か。

 一般にはどうなのかと検索してみた。「素」を使わずにおいしい漬け物を作っているひとがいるはずだ。ネットには「なすのわさび漬け」のレシピがいっぱいあった。チューブわさびを使って、すこしその他の調味料を足せば作れるようだ。「チューブわさび」は私には必需品で異国に行くとき必ず持参する。うまい刺身が手に入ったとき、これがないと困るからだ。わさび抜きの刺身を喰う気はない。チューブわさびはまずい。しかしあるとないとでは段違いだ。ちかごろスーパーの寿司に「さび抜き」というのがあり、たまにまちがって買ってしまうことがある。そのときしみじみわさびの利いてない寿司など意味がないと感じる。というぐらいわさび好きで、外国に行くときは、その味に満足はしないが緊急用として常にチューブわさびをも持参するのだが、残念ながら今まで役だったことはない。ポルトガルでタコを喰う機会があったら役立つのだが、ここのところ私の異国行きはシナの山の中ばかりなので、わさびを使うような肴には出逢えなかった。いつも使わずに持ち帰っていた。帰国してそのままごみ箱行きである。だからこそ「なすのわさび漬け」のわさび風味に感激したのだ。そうか、チューブわさびを工夫すればいいのか。勉強になった。役立ちそうだ。まずは日本で作って試してみよう。



 ネットの料理レシピを見るなんてめったにない。便利なものだと感激した。しかし、ちょっとこれはと思うこともあった。あまりに誤字が多いのだ。それもほんの1、2行の短文の中に。

wasabi1

 

「茄子を5cm長さ切り」──「煮切り」という料理用語があるのかと思った。茄子を煮るのか!? 煮た茄子を漬けるのか? ただの「に」を漢字変換したミスだった。また「5cm長さに」は「5cmの長さに」と「の」を入れるべきだろう。

 しかしこんなミスが出るのはなぜなのだろう。20年前のIMEならともかく。すくなくともATOKはこんなミスはしない。









wasabi2













夏向きひと品──これも最初「名ひと品」というものがあるのかと思い、それからやっと「夏向きな」の「な」を不要な漢字変換しているのだと気づいた。おそらくMS-IMEだと思うが、しかしこれぐらい気づかないのだろうか。IMEもお粗末だが、これに気づかないひとの感覚が信じられない。



 他人様の揚げ足をとってもつまらないからもうやめるけど、これは数多くの中のほんの一例。多い。料理レシピにはほんとにこんなのが多い。あきれた。ネットにレシピをあげるひとってこんなにがさつなのか。ほんの1、2行の文章の中にこんな誤字を挿れるひとの料理がうまいのだろうか。信じがたい。読む気が失せた。

将棋話──電王戦FINAL感想;;/祐屬肇灰鵐團紂璽拭決着のついた世界

 私はすでに電王戦に興味を失くしている。二年前は土曜を楽しみにし、毎週食い入るようにニコ生を見、感想をこのブログに書きまくったが、今年はニコ生を見ることすらしなかった。それでも気になっていて、結果は毎週チェックしていた。内容もよく知っている。永瀬や阿久津の勝利にはがっかりした。しかしまた「勝つにはもうそれしかない」とも思っていた。

 と書いて思うが、私はまだ十分電王戦に興味があるような気もする。ニコ生をリアルタイムで見ることはなかったが、毎週土曜は結果を気にしていたし、「永瀬の角不成王手」も阿久津の「2八角」も知っている。2ちゃんねる将棋板を覗いては情報を得ていたし、阿久津の勝利に関して書かれた『週刊文春』の記事も読んでいる。私は「もうあのオンナとは別れた。関係ない」と言いつつ、いまなにをしているのか、誰とつき合っているのか、気になって仕方ない状態なのかも知れない。

※ 
 
 ともあれ二年前のように渾身の電王戦観戦記を書くような状況ではない。相変わらず将棋は大好きで『将棋世界』を愛読し、NHK杯戦を観戦し、『激指』に負けまくり(私はネット将棋は指さない)、眠る前は睡眠薬代わりに詰将棋本を手にしている。しかし電王戦との距離はずいぶんと開いた。
 
 すっかり将棋文とはご無沙汰しているが、それでもこの時期、ネット検索した多くのかたが、二年前の電王戦の文を読みに来てくれていると、人気記事ランキングを見て知る。まちがって来ているのだ。「電王戦.第五局」で検索し、今年の「電王戦FINAL第五局」だと思って二年前の私の文にたどり着いている。あのころは燃えていて、自分なりに熱い文を書いているから、もうしわけないとまでは思わないが、今年のそれを読もうと検索してきたのに、それが二年前のものだったら肩透かしと感じたかたもいたことだろう。検索から私のブログにたどりついたかたがたは、それらの文を読んでくれたのだろうか。「あ、なんだこりゃ二年前のだ」と勘違いに気づき、すぐに去ったのだろうか。アクセス履歴は「来たこと」までしか教えてくれない。中には二年前のものと知ってがっかりしたが、最後まで読み、おもしろかったと思ってくれたかたもいたはずと信じている。そう自負するぐらいあのころは熱い気持ちで書いていた。といってもほんの二年前なのだが。

Shogi.gif・テーマ──電王戦2013 



Shogi.gif ・自分の「将棋テーマ」を一覧で見てみたら、当然のことではあったが2014年の電王戦にも一切触れていない。私にとっての電王戦は2013年で終っている。

※ 

 いまから電王戦FINALと電王戦全体の感想を書く。結論を先に書いておくと、「私はもう電王戦FINALに昂奮することはなかった。コンピュータと人間の闘いに決着はついている。コンピュータの勝ち。羽生が出ても渡辺が出ても、コンピュータの勝ち」になる。

 だから電王戦FINALに興味を持ち、ひととコンピュータの対決にわくわくし、「ついに勝ち越した、まだまだ人間のほうが強い! これからがたのしみだ」と思っているかたは、ここから先を読んでもおもしろくないと思う。

 また先日引退した内藤九段が口にした「コンピュータ将棋にはロマンがない。つまらん」にも私は反論する。それはコンピュータ将棋からロマンを感じる感性が内藤さんにないだけである。というか内藤さんは典型的な「コンピュータ知らずのコンピュータ嫌い」であり、知らないまま語っていると思っている。内藤さんと同じ考えのひともまた以下の文は不快になるだろうから読まないほうがいい。私は「コンピュータ将棋ソフトは、人間の最強棋士より強い」と思っている将棋ファンだ。そして「それをすなおに認められない将棋ファンはアホだ」と思っている。
 
 以下、私なりの電王戦全体への感想と、コンピュータ将棋ソフトとの思い出話である。ソフトとの関わりはファミコン時代からの関わりを以前書いているので繰り返しになるが、もういちどまとめておきたい。(続く)

パソコン話──『週刊アスキー』、印刷版は廃刊──時の流れ

 アスキー・メディアワーアクスの週刊パソコン誌「週刊アスキー」が5月26日発売号を最後に、印刷版の刊行を停止することが分かりました。週刊アスキーのネットメディア「週アスPLUS」のサイトにお知らせが掲載されています。

 6月以降は、電子書籍版にあたる「週刊アスキー電子版」と、ネットメディア「週アスPLUS」に完全移行するとのこと。紙媒体としての「週刊アスキー」は実質休刊となりますが、電子版は今後、従来の誌面デザインを踏襲しつつも、発行間隔を自在に調整して即時性を高めるなど、電子書籍の強みを生かして良質なコンテンツを提供していくとのこと。また「週アスPLUS」はこれを機に、サイト名を「週刊アスキー」に改名する予定。

 「週刊アスキー」はアスキー・メディアワークスが発行するパソコン誌。前身となった「EYE-COM」時代から数えると、実に26年もの歴史を持ち、また日本では現存する唯一の週刊パソコン誌として根強い人気がありました。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1503/31/news039.html

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   ↑ 今日発売の最新号。スマホ雑誌。

 創刊号から買っていた。最初は「EYE COM」だった。隔週刊の時期もあった。なつかしい。空港で買って海外に持参したことも数多い。あのころはパソコン雑誌を買いまくっていた。いろいろそろっていた。自作に凝っている頃は頼りにしていた。インターネットの普及、紙メディアの衰頽。いまはほとんどが廃刊になった。『週刊アスキー』は数少ない残った雄だ。

 しかしここ何年かはパソコン雑誌ではなく「スマートフォン雑誌」に変身していたので縁遠かった。売るための必然の方針変更だったのだろう。
 『週刊アスキー』がパソコン雑誌のままだったとしても買わなくなっていたように思う。情報はネットで充分に集められた。欲しいモノの使い勝手報告は、誌上のライターの文より実際に商品を購入したネット上のレビュアーのほうが信頼できた。なにかを読まないといられないのだが、出先でもタブレットがあれば十分だった。いつしかマンガすらタブレットで読むようになっていた。
 それでも紙には紙の魅力がある。「新型ノート特集」の号ではKioskで買い電車の中で読んだ。創刊から5年ぐらい前までは毎号缺かさず買っていたが、ここのところ月1回、いや2ヵ月に3回ぐらいまで減っていた。



 2年前、バイトの事務所で、アンチャン、ネーチャン、オバチャン数人が、私の持っている『週刊アスキー』を見て不思議がった。なんの雑誌かと問うてきた。中にはエロ本かと勘違いするのもいた。たしかに表紙は似たようなものだ(笑)。私にはこの表紙センスは解らない。でも長年続けたのだから読者に評判は良かったのだろう。
 彼らはみなスマートフォンを持っていた。重用していた。ひとと一緒のときも、会話するでもなく手元のケータイを見詰めているタイプである。なのに『週刊アスキー』の存在すらしらなかった。スマートフォンを愛用することと、それに関する新型器の情報を紙のメディアから得ることは無関係だったのだろう。あるいは彼らはスマートフォン耽溺型ではあるが、新型とか新機能には興味のないタイプだったのか。こっちのほうが正解かもしれない。自分があたらしいもの好きなのでそう思いがちだが、意外にみな「いま使っているもので十分」で、新型器には興味がなかったりする。

 私のATOKには「あすきー」と打つと「『週刊アスキー』」と変換されるよう辞書登録されている。『週刊アスキー』が創刊された(EYE COMからそうなったとき)にしたものだ。何年前だろう。もう使うこともないから削除する。 

 毎週愛読していたパソコン雑誌なら廃刊に想うこともあるが、スマホ雑誌になってから縁を切っていたので、ことさら感じるものもない。でもまあ「そうかあ……」という時の流れだけは感じた。 

たかじん『殉愛』騒動のアホ加減、そしてまた「百田尚樹『殉愛』の真実」の気味悪さ──酔っているひとには見えない世界──フランス革命──百田ルイ16世と及川ジャンヌ・ダルク(笑)

 テレビ番組とタイアップして大々的に幻冬舎から売りだされたたかじんと彼の三度目の妻(妻のほうは何度目の亭主なのか? 4度目か5度目か?)の700余日の日々を綴ったノンフィクション?『殉愛』(百田尚樹著)は、ひどい本だった。ほんのすこし立ち読みしただけで投げだした。バカらしくて読めなかった。駄本である。

 保守論客としての百田さんを支持していただけに、とんでもない朝鮮悪女にだまされてしまったなと残念でならなかった。Amazonのレビューには、ここぞとばかりにウヨク百田を叩けと欣喜雀躍サヨクが群がって気味の悪いお祭り騒ぎになっていた。よって近寄らないのが賢明とブログテーマにはしなかった。



 なのに2014年11月18日に以下の文を書いたのは、2ちゃんねるで知った「及川眠子」という女性作詩家の「役不足」の使いかたに興味をもったからだった。それがこれ。

・ことば──役不足の誤用──2ちゃんねる「及川眠子氏が百田氏批判」から

 中身は「役不足ということばに関して」がほとんどだが、末尾に「『殉愛』騒動」への自分の意見も書いている。「百田さんのポカ。朝鮮毒婦にだまされている。でもポカどころか地雷を踏んだのかも」がこの当時からの私の結論になる。もちろんいまも変らない。
 私はこういうブログ記事には関連した画像を載せる。この二つのテーマに『殉愛』の表紙写真がないのは不自然だ。だが表紙のあの朝鮮毒婦の顔が嫌いでその気になれなかった。ひと目見てまともな女ではないとわかる。百田さんにはおんなを見る目がない。いや「たかじんが最後に愛した女」なのだろうから、こんな言いかたはたかじんにも失礼になる。なら言おう。ああいうおんなにだまされるのだからたかじんもその程度なのである。

 その後の流れを見れば、ポカどころか百田尚樹の作家生命に関わる「致命傷の地雷」だったのは明白だ。もっとも、地雷の殺傷力を倍加させたのは百田さん自身である。引かない。強気だ。ほんとにいまでもあの毒婦を信じているのだろうか。信じがたい。それとも痩せ我慢なのか。いや、ほんとに信じてるみたいだ。わからん。

 このときにも触れているが、レビューにある「わたしたちは百田さんを責めているのではない。ただ、自分達の愛したたかじんの真実を知りたいだけなのです」のようなキレイゴトの裏にチラつくものが見える。思想的な「百田否定」の流れが根底にある。 今回あらためて触れたいのはその事だ。



「毒婦にだまされ(毒婦と連んで?)インチキ本を書いて遺族や関係者を苦しませた悪漢百田直樹、それに協力した節操のないテレビ局、作家タブーで百田を批判しなかった腰抜け出版社、わたしたちはそれを許さない! 真実を暴く! 正義は必ず勝つ!」のような盛りあがりの中で、そこのところが見えづらくなっている。

 アリがゾウを倒すのだというツイッター諸兄の昂揚を見るとフランス革命を思い出す。百田さんがルイ16世、あの朝鮮毒婦がマリー・アントワネットか(この比喩じゃマリーが気の毒だ、ごめんねマリー)、百田ルイ16世に正面からケンカを売った及川さんは狠冒悪瓩蛤廚蠅△欧蕕譟△い泙筌献礇鵐漫Ε瀬襯になっている。これまただいぶ薹の立ったジャンヌだがまあルイも禿頭だからつりあいは取れている。

 フランス革命に「バスチーユ牢獄の開放」というのがある。中学で習った頃は美談だと思った。画までついていた。しかし後の勉強であそこに思想犯はいずキチガイや詐欺師等ろくでもないのばかりだったと知る。フランス革命の意義はともかく、バスチーユ牢獄の開放なんてのはトンデモである。
 朝鮮毒婦の悪行とそれを讃美した百田さんの行動をを白日のもとに晒し断罪することは、フランス革命のように価値?があることかも知れないが、その中の「バスチーユ牢獄」的な部分に触れておくことも必要だろう。



 次いでこの件に関しては2014年11月23日に

・『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート

 を書いた。私は上の「役不足の誤用」から及川さんをフォローし、ツイッターを読むようになった。するとガンガーラというひとのツイートを及川さんがリツイートしていた。そこにある迷言が「週刊金曜日」のホンダカツイチだったことに驚愕して書いたのが上のテーマになる。百田批判に「週刊金曜日」やホンダカツイチが関わってくるのもこの問題の大切な「バスチーユ牢獄」的部分になる(笑)。
 
 ここで私は「及川眠子さんてサヨクなのか!?」と素朴な疑問を呈し、かってに「どうやらノンポリのようだ」と結論している。 そこまで考えているひとではないように思える。でも業界人らしく充分に「心情サヨク」ではあるようだ。ノンポリ自称の心情サヨクがいちばん楽な生きかただからね。



 その後も私は、及川さんや百田さんのツイッターを追っていた。及川さんのツイッターから「イワンのバカ」という「朝鮮毒婦メモの筆蹟真贋を追及するかた」のアカウントを知り、それを読んだりした。また「ちいさなアリが力をあわせて巨大なゾウを倒す」から名づけられたらしい「アリゾウ」というハッシュタグがあることも知った。

 しかしこのブログにはなにも書かなかった。熱心な一般人の活動や、ここぞとばかりに百田タタキに参戦してきたサヨク系のライターの参入に鼻白んでいた。「どちらが勝つのだろう、真実はどうなのだろう!?」ならワクワクドキドキだが、私はもう去年の時点で「百田さんが朝鮮毒婦にだまされた。あまりに軽率。残念」と結論を出しているから、そうなることもない。それこそ保守論客として支持している百田ゾウが無数のアリに食い殺されていくのを遠目に見ているだけだった。ま、いまのところゾウは強気で暴れまくり転げまくってだいぶアリを潰しているようだが絶対数がちがう。どうなるかは目に見えている。なんともかなしい結末である。



 そして2015年2月24日、文藝春秋社や新潮社が作家タブーで百田批判をしない中、作家百田尚樹とは無縁の宝島社が複数のライターによる共著で「百田尚樹『殉愛』の真実」を発刊した。
 発売1日目でもう品切れ状態だとか。

 これに関して「これぞ真のジャーナリスト魂」「真実を追究するジャーナリズムの真髄を見た」とアリゾウさんたちは大絶賛だけど、宝島社は「商売になる、黒字になる」と判断しただけのこと。ボランティアで出版したんじゃないよ(笑)。
 まあ「敵はエクボもアバタ」、自分達寄りは「アバタもエクボ」なんだろうけどね、アリゾウさんたちは。百田さんも同じ。あの毒婦を天使にしている(笑)。

 『殉愛』はクソ本だけど、かといってこれも絶讃するほどのもんでもないって。おいしいケーキのふりをしているクソに、これはケーキじゃない、クソだって言っただけだから。

junaishinjitsu

 メインのライターである角岡伸彦さんというかたは、たかじんの本「ゆめいらんかね」を書いたひとだ。2014年9月にこの本が出た当時は、角岡さんが自ら被差別部落出身であることを公表し、またたかじんの父が朝鮮人であることを初めて活字にしたことから、人気者の死に便乗して儲け主義のにおいがするとか否定的な意見が多かった。その中には「たかじんの弟は高校の校長だ。朝鮮人であるはずがない。ウソをつくな!」なんて見当違いの批判もあった。何人だろうと帰化すれば、日本という自由な国では、公務員どころか総理大臣にだって成れる。教員や市役所員、自衛隊員に、いかに「元朝鮮人、今日本人」が多いことか。これこそアリゾウで、ゾウの内臓が内部からアリに喰われている。あまりにアホな批判にすらなっていない見当外れな意見だ。

 たかじんの場合は朝鮮人の父親がそのことを考慮して籍を入れなかったと伝えられている。よって兄弟みな「家鋪という姓の日本人女性から生まれた非嫡出子、全員日本国籍」ということなのだろう。
 この「ゆめいらんかね」は発売当初「たかじんの死を商売にした本」と辛辣な評価が多かったのに、11月にあのクソ本が出たあとは、「あれよりはこっち」と絶讃されている。いまじゃもう五ツ星連発。風向きが変っている。おどろいた。敵の敵は味方か。ゾウを倒すためのアリの結束。


junaiyume

 この本は、『殉愛』とはちがい、たかじんのヒット曲の作詩家である及川眠子さんにも取材している。ツイッターで及川さんは、「(たかじんの追悼パーティで)あまり顔を知られていない私に『及川さんですか』と話し掛けてきたのでおどろいた」と、角岡さんが取材に熱心なライターであることを伝えている。角岡さん、好感度アップ。及川さんといえばいまや「『殉愛』騒動のジャンヌ・ダルク」だから、角岡さんは一転して正義の味方になれたようだ。
 バスチーユ牢獄に捕まっていた強姦魔の中にも、革命軍の襲撃があり解放されたら、「おれは王制を批判して捕まっていた」なんて言って英雄になったのもいたろうね。



 さて「百田尚樹『殉愛』の真実」の話。ここまで書いてだいぶ疲れた。なにしろ虚しい作業だ。
 疲れた躰に鞭うってもうすこしだけ書いておこう。「百田尚樹『殉愛』の真実」は、「インチキノンフィクション『殉愛』批判」から逸れて、というかそっちのほうが本来の目的なのだろうが、「保守論客百田尚樹批判」になっている部分がいただけない。

 Amazonのレビュー評価は「1238名中1237名のかたが、このレビューが参考になったと投票」を始め、「219名中219名のかたが」「89名中89名のかたが」と絶讃の嵐。
 そんな中、五段階評価で低い評価をしたレビューは「215名中7人のかたが参考になったと」というアリゾウ、じゃなくてありさま。ここのレビューでは否定はタブーのようだ。これも一種の作家タブーじゃないのか(笑)。私からするとそれらの中にこそ真実があ。「全員一致は異常」という様相に気づかないのだろうか。このあとあらためて追記するが、私が納得したレビューは評判が悪い。



私の納得する、しかし一般には賛同を得られていない評判の悪いレビュー、その1。

 角岡伸彦さんや家鋪渡さんのところはとても良かったですが、なぜか安倍総理の批判とか朝日の件を絡めた終わり方だったり、嫌な気分になりました。本当の所を知りたかったので購入したんですけど、スカッとする本ではないです。納得できた部分もあるので星3です。

私の納得する、しかし一般には賛同を得られていない評判の悪いレビュー、その2。

 ネットで既に明らかになっている情報の後追いもあったが、さくら氏の高校の同級生やアメリカ人元夫への取材など、独自の情報も多数掘り起こされており、丹念な取材に裏付けられた力作である。一読の価値は十分ある。ただ、残念なのが、百田尚樹批判に乗じて保守思想批判にまで踏み込んでいる点。百田氏が人気に乗じて政治的主張をしていることを批判しているが、百田批判に乗じて政治的主張をするのでは同じ穴のムジナではないだろうか。

 保守であれ、革新であれ、自らのイデオロギーに拘泥して真実を見失う人は等しく存在し、いずれの存在も等しく批判されるべき対象である。事実の発掘を目的にするのであれば、宝島取材班著の部分にある政治的主張は明らかに蛇足だった。特に、個人名を出さず「取材班」という匿名での著作部分にこうした政治的主張を織り交ぜるやり方は、旧来のジャーナリズムによくある卑怯な手口である。この蛇足のせいで、せっかくの真っ当なジャーナリズム批判の説得力が減じてしまっている。非常にもったいない。



 一方ではこんなツイッターも。

junai4

 お祭り騒ぎにはしゃいでいるバカとしか思えん。こんな本を何冊も買ってどうするんだ? フランス革命にも百姓一揆にもこんなのがいっぱいいたろうね。



 中にはブーム?に乗じてフォロワーを増やそうと、こんなのも(笑)。

junai-kikko

 いままで一切触れてないんだから、こんなときだけ乗じるなよ66歳ネカマ。


 
 そして出ました、ある意味、真打ち。サヨク弁護士(笑)。フクシマミズホ系。

junai3

 「やり方が旧日本軍だ」って、寝惚けるな反日サヨク弁護士。
《自ら断っておきながら「一方的だ」と騒ぐ手法》を批判するなら、「やり方がまるで従軍慰安婦をでっちあげたアサヒシンブンだ、しつこく補償を騒ぎたてる朝鮮だ」と書けよ。たとえが間違ってるぞ。
 なんのための参戦か見え見えだ。「まだ読んでないけど」、読んでから言え。百田批難をしたくてうずうずしているときに恰好の話題が出て来てよかったな。キムチ喰いつつアサヒシンブン読んで従軍慰安婦像でも抱き締めてろ。



 朝鮮人毒婦に騙され踊らされた百田直樹の滑稽さを嗤うひとは、そのことに没頭するあまり、自分達も滑稽の世界に踏みこんでいることに気づかないのであろうか。ねえ、アリゾウさんたち、あんたたち、へんだよ。すこし頭、冷やしな。これじゃ「イワンのバカ」はほんとにバカなんだってオチになる。

 それと参加者のみなさんは「アリゾウ」っハッシュタグネーミングに満足し酔っているみたいだけど、かなりカッコワルイと思うけどね、その感覚。フランス革命を思い出したけど、日本的に百姓一揆を思い出したほうがいいのかな。百姓一揆に参加した百姓はほとんどストレス発散だけでなんも考えてなかったんだよね。

 及川先生も、最初のとき、ほんとかっこよかった。狠冒悪瓩世辰拭でもそこでさっと一歩引いたらもっとかっこよかったのにね。もう今ではとんでもなく大きな潮流となっているから、先生が今も先頭切って百田タタキをする必要はないんですよ。むしろ先生は今、「みんな、あんまり感情的にならないでね。冷静になろうよ」と諌めるほうに行くべきでしょう。それこそが真の男前です。でもおんなだからな、こんなものか。



 しかしまあこんなものを長時間かけて書いている私もバカのひとりではある。はずかしい。百田を絡めて、どんなにメディアがマスコミがジャーナリズムがと話をふくらませても、基本は朝鮮人タレントたかじんの遺産を巡る強欲朝鮮人女とそれにだまされたオッサンの話でしかない。そしてすべての始まりはたかじんである。一部には「たかじんは被害者」と言うひとがいるが、いやいやすべてはたかじんから始まっている。

 病床のたかじんは、自分の持ち歌「順子」という歌の「順子」の部分を「さくら」にして唄った。その替え歌がiPadに吹きこまれていて、それが生前のたかじんの最後の歌となった。これは「いかにたかじんがさくらを愛していたか」の証拠品として使われている。たしかあの『殉愛』特集のインチキ番組では、毒婦が外出しているときにたかじんが吹きこんでいたとなっていたが、あれって証拠品を作るために「唄って唄って、順子の部分をさくらにして唄って」と朝鮮人毒婦が強要して作ったのではないか。そういうことするだろうな、あの犖綺紛鉢瓩瞭派悗蓮
 さてさて、どんな結末になるやら。 

《佐川急便話──再配達時間指定とはなんなのか!?──時間指定をしても無視する異常》に追記

佐川急便話──再配達時間指定とはなんなのか!?──時間指定をしても無視する異常


に、以下の文を追記しました。

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【追記】──ヤマトだってある(笑)──2015/02/18

 2月16日にAmazonで買い物をし、カードで払い、17日に註文確定のメールが来た。「お届け時間」が「指定なし」になってるいるので、ヤマトのサイトから会員覧にログインし、届け時間を指定する。日中はいない。「なし」になっている指定時間を18時から20時にした。すぐに返事が来た。それがしたのもの。



受け取り日時変更依頼受付完了のお知らせ
受信トレイ

ヤマト運輸
2月17日 (1 日前)

To 自分 
******* 様

いつもクロネコヤマトをご利用いただき、ありがとうございます。
お荷物の受け取り日時変更のご依頼を下記のとおり受け付けました。

<ご依頼内容>
■お受け取りご希望日時 : 02/18日 (水) 18時から20時まで
■伝票番号       : 4114-4288-****



 2月18日。17時半に帰宅すると不在通知が入っていた。メールも届いていた。



ご不在連絡eメール
13:19 (5 時間前)

To 自分 
**** 様

いつもクロネコヤマトの宅急便をご利用頂きありがとうございます。
お荷物のお届けについてお知らせします。

02月18日 12時43分にお届けに参りましたが、ご不在でしたので持ち帰りました。

■伝票番号
4114-4288-**** 



 上記の佐川と同じである。なんのために時間指定したのか。むなしくなる。いつも思うのは「いないとわかっている部屋をノックし、不在通知を書く運転手が気の毒だ」である。事務所は運転手にもっとこまめに連絡をとってやれ、と思う。ヤマトでは初めてだ。しかしここは公平に書いておかないと(笑)。

 運転手に電話するのも面倒だし、ヤマトのサイトに抗議メールを書くのもなあ、と迷っていたら、18時10分にノックの音。届いた。運転手にその旨話すと、「ぜんぜん聞いてなかったものですから」とのこと。「二度手間になっちゃいましたね、雨の日なのにたいへんでした」「いえいえ、こちらこそ」となごやかな応対。
 これで連絡が面倒だとなにもせず、届くのが数日遅れ、運転手の態度が悪かったりすると、ここに書く文もちがってくるのだが、以上のような流れですんなり治ったのでヤマト批判はなし。

 ほんとうはあの「ヤマトメール便廃止」に関して、郵政に対する怒りをヤマト側に立って論じたいのだが、いまはそんな元気もないのでここまでとする。 メール便廃止は残念だ。役所には腹立つことばかり。

「生活の党と山本太郎となかまたち」党の山本太郎共同代表がテロ非難決議を棄権!

2015.2.6 13:27 
山本太郎氏、“なかまたち”となかま割れ? テロ非難決議を棄権

 「生活の党と山本太郎となかまたち」代表の山本太郎参院議員が6日に参院本会議で行われたイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」のテロ行為を非難する決議の採択を欠席した。同党の主濱了、谷亮子両参院議員は賛成し、「なかま割れ」となった。

 山本氏は本会議には出席したが、押しボタン式の採決前に退席した。退席理由について記者団に「事件の検証について決議文に盛り込まれていない」などと述べた。

 決議はイスラム国が日本人2人を殺害したとされる事件を非難し、中東諸国への人道支援拡充やテロ対策の強化などを政府に求める内容。発議者には主濱氏を含め全11会派から議員が名を連ね、採決に参加した231人全員が賛成、全会一致で採択された。

 山本氏はこれまでツイッターで人道支援の中止を求め、記者会見では事件の原因を「安倍晋三政権の外交政策の失敗」と述べていた。同党は規約で、国会の採決に党議拘束をかけないことを明記している。

 自民党の吉田博美参院国対委員長は記者会見で「全く理解できない。全会一致でやろうと生活にも事前に話をし、了解を得ていた。内容に疑義があれば調整したのに」と批判した

http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/150206/plt15020613270022-n1.html

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山本太郎氏のテロ非難決議棄権 民主・榛葉氏「決議の意味、分かっているのか?」 連携見直しも…
産経新聞 2月6日(金)15時26分配信

 「生活の党と山本太郎となかまたち」代表の山本太郎参院議員が参院本会議でのテロ非難決議を棄権したことについて、民主党の榛葉賀津也参院国対委員長は6日の記者会見で「大変残念だ。決議の意味が分かっているのか」と激しく批判した。

 榛葉氏は本会議後に生活から決議案の発議者の一人に名を連ねた主濱了参院議員と面会。会見では「これからは生活と連携が取りづらくなる」と述べた。

 榛葉氏は「わが国が結束してテロを許さないという意思を示し、テロに強く抗議するのが趣旨だ」と決議の意義を強調。その上で、山本氏が採決直前に退席したことについて「わざわざ目立つ形で退席した。理解できない。間違ったメッセージが送られなければいいなと懸念している」と述べた。

 決議は、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が日本人2人を殺害したとみられる事件への抗議と、中東諸国への人道支援拡充やテロ対策の強化などを政府に求める内容。全会一致で採択されたが、参院に3議員が所属する生活は、代表の山本氏が棄権し、主濱氏と谷亮子参院議員は賛成した。

kikko-yamamoto2

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 すごいなあ、「生活の党と山本太郎となかまたち」党代表の山本太郎議員は。
「生活の党と山本太郎となかまたち」党の共同代表である小沢一郎先生は今回のこの「生活の党と山本太郎となかまたち」党の共同代表である山本太郎議員の棄権をどう思っているのだろう。「生活の党と山本太郎となかまたち」党の共同代表だから、小沢先生も同じ考えなのか。しかしそうなると賛成した「生活の党と山本太郎となかまたち」党に所属する主濱と谷が問題になる。
 日本全国の「生活の党と山本太郎となかまたち」党を支持している選挙民は、この「生活の党と山本太郎となかまたち」党の山本太郎議員の棄権をどう感じているのだろう。上のように「まともなのは山本太郎さんひとりだけ」と支持している<きっこさん>のようなひともいるが。

OZAWA-KONOMAMA

 ですよね、先生。このままでは「日本があぶない」ですよね。いまこそ犢簣哭畩沢一郎先生の出番です。いまこそ「生活の党と山本太郎となかまたち」党が政権奪取の時です! いま日本の総理にふさわしいのは宣誓し買いません。(おおATOK、なかなか味のある誤変換)

将棋──訃報──河口俊彦七段──長いあいだありがとうございました。河口さんの文章が大好きでした。

河口俊彦七段(78歳)が、2015年1月30日(金)午後5時18分、神奈川県横浜市の菊名記念病院にて腹部大動脈瘤のため、死去いたしました。
また、同日付けで八段を追贈することになりました。

将棋連盟ホームページより


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shogisekai201503

 2015年2月3日5時49分、将棋連盟のホームページで知った。おどろいた。まったく予期していなかったことなのでおろおろしている。もっともっと河口さんの文を読めるものと思っていた。いちばん好きな将棋作家だった。河口さんは闘病していたのだろうか。だって昨日届いた『将棋世界』3月号の「評伝 木村義雄」を読んだばかりだ。これは昨年内に書かれたものだとしても、すくなくとも長い期間闘病していたわけではないだろう。なんとも残念だ。長いあいだありがとうございました。河口さんの本でどれほどドキドキワクワクさせてもらったことでしょう。ご冥福をお祈りします。



 Wikipediaから河口さんの著書一覧を引いてみる。

『つよくなるぼくらの将棋入門』(1981年、新星出版社)2000年再版 ISBN 978-4405065314
『勝ち将棋鬼のごとし プロ将棋の勝負師たち』(1982年、力富書房)ISBN 978-4897760049 - 初期(昭和52年度〜)の「対局日誌」
『のこぎり詰 伊藤宗看の将棋無双より』(1983年、山海堂)ISBN 978-4381006097
『けむり詰 伊藤看寿の将棋図巧より』(1983年、山海堂)ISBN 978-4381005960
『勝負の読み方 第40期将棋順位戦より』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760148 - 昭和56年度の「対局日誌」
『決断の一手 第42期将棋名人戦各級順位戦』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760155 - 昭和58年度の「対局日誌」
『勝機を待つ 第43期将棋名人戦各級順位戦』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760179 - 昭和59年度の「対局日誌」
『勝因と敗因 第44期将棋名人戦各級順位戦』(1987年、力富書房)ISBN 978-4897760285 - 昭和60年度の「対局日誌」
『プロ将棋ワンポイント講座』(1987年、力富書房)ISBN 978-4897760292
『将棋対局日誌集』(1990年、力富書房)ISBN 978-4897767116 - 昭和52年度〜昭和60年度の「対局日誌」
『一局の将棋一回の人生』(1990年、新潮社)ISBN 978-4103772019 のち文庫(1994年10月)ISBN 978-4101265117
『将棋界奇々快々』(1993年、日本放送出版協会)ISBN 978-4140801161 のちNHKライブラリー(1996年10月)ISBN 978-4140840412
『覇者の一手』(1995年、日本放送出版協会)ISBN 978-4140802243 のちNHKライブラリー 
『人生の棋譜 この一局』(1996年、新潮社)ISBN 978-4103772026 のち文庫 ISBN 978-4101265124
『新・対局日誌』(全8集、河出書房新社) - 昭和61年度〜平成3年度、平成6年度〜平成7年度の「対局日誌」
第1集 二人の天才棋士(2001年4月) ISBN 978-4309614311
第2集 名人のふるえ(2001年6月)ISBN 978-4309614328
第3集 十年後の将棋(2001年9月)ISBN 978-4309614335
第4集 最強者伝説(2001年12月)ISBN 978-4309614342
第5集 升田と革命児たち(2002年4月)ISBN 978-4309614359
第6集 大山伝説(2002年6月)ISBN 978-4309614366
第7集 七冠狂騒曲(上)(2002年9月)ISBN 978-4309614373
第8集 七冠狂騒曲(下)(2002年12月)ISBN 978-4309614380
『大山康晴の晩節』(2003年、飛鳥新社)のち新潮文庫 ISBN 978-4101265131 、のちちくま文庫 ISBN 978-4480431271 
『盤上の人生 盤外の勝負』(2012年、マイナビ)ISBN 978-4839943899
『升田幸三の孤独』(2013年、マイナビ)ISBN 978-4839946456
『最後の握手 昭和を創った15人のプロ棋士』(2013年、マイナビ)ISBN 978-4839949990
『羽生世代の衝撃 ―対局日誌傑作選―』(2014年、マイナビ)ISBN 978-4839951405 



 河口さんと言えばなんといっても「対局日誌」だ。あれが切り開いた将棋文章の意義は広く深い。そのあとを同じような形で何人かの棋士が継いだが、河口さん以上のひとは誕生しなかった。若い頃から文才で注目されていた先崎だけど、すくなくとも「対局日誌」に関する限り、河口さんのそれと比べるとはるかに落ちる。 というか、あれは先崎のような現役バリバリの若手棋士が書くものではないのだろう。つまり、書けるひとだからと先崎を起用した企画ミスだ。といって年輩のひとが書いたのも、河口さんと比すとつまらない。それは文章力とかではない。目の付け所だ。河口さんは、独自の繊細な譬喩、他の追随を許さない多彩な表現、そんなタイプで光る文章家ではなかった。ごく淡々と目の前の対局の事実を書いていて、でもそれがたしかに「他の追随を許さない」のだった。やはり名人である。

 年齢制限ぎりぎりの三十歳でやっと四段になり、長いあいだその自慢にならない「最年長記録」をもっていた河口さんは、棋士としての実績は残していない。しかし将棋文筆家としては名人だった。そしてそのふたつのあいだには、きっと関係がある。「名選手名監督ならず」と同じように。



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 『覇者の一手』(1995年、日本放送出版協会)『人生の棋譜 この一局』(1996年、新潮社)は何度も海外に持参して読んだ。外国で読む将棋本は味わい深い。異国の地で、異国語の飛びかう中で、異国料理を食しながら、将棋本を読む。この快楽。

 将棋本の利点は「長持ちすること」だ。どんなにすぐれた小説でも、海外で何度も読むことには耐えない。「好きな作品で何十回読んでもあらたな発見がある」なんて作品も、そういう読者もあるのだろうけど、私にそれはない。大好きな好きな作品で、生涯に何度も読み返すとしても、一ヶ月の海外滞在なら一度で充分だ。つまり「一冊で一回」である。その点、将棋本は、文章と共に「棋譜」がある。最初は棋譜を深く検討はせず、河口さんの展開する猜語瓩鯡しむ。次には棋譜を読みつつ愉しむ。その次は、棋譜に没頭する。「ここで大山が投げた」とか、「ここで投げる升田の美学」なんてのも、弱いアマのこちらからは「なぜここで投げるのか!?」を考えるだけで難問である。升田は投げたのにこちらの気力では勝っているように見えたりする。懸命に考える。「ああ、なるほど相手の勝ちか」と解る。しかしそこでまた「でもここでこうやったらどうなるんだ!?」と思う。よって一冊の本で何度も何度も楽しめる。旅行に持参できる冊数は限られている。将棋本はいい。1冊で5冊分の価値がある。「覇者の一手」は新書判なので旅行向き。「人生の」は文庫版を持っていった。さすがにハードカバーを持参する餘裕はない。と書いて思いだした。「棋譜」というのは異国人の興味を引くものらしい。いくつもの国で多くのひとに、「それはなんだ」と覗かれて問われた。

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 上記2冊と『大山康晴の晩節』が私にとっての河口作品ベストスリーになる。ナンバーワンはこれだろうか。あの大名人大山の晩年の落日が、いや落日とはいえ最後の最後まですごいひとなのだけれど、癌で体力が落ちて、ちいさく萎むことによって、最強のボス猿が自ら裏山にひとり去って行くかのような、道の真ん真ん中からそれてゆく姿が、なんともせつない寂寥となって胸に突きささってくる。

 そのあいまに挟まれる当時のエピソード。大山対升田の時代。朝日主催の名人戦。朝日の嘱託であり朝日派の升田が勝つと本社から幹部まで駆けつけての大宴会。大山が勝つと本人と関係者だけのひっそりとした打ちあげ。それにじっと堪える大山。朝日嘱託の升田と毎日嘱託の大山という新聞社同士の角逐でもある。大山はひたすら勝つことによってそういう流れをひっくり返してきた。つよいひとだ。
 升田勝利の瞬間、盤側に駆けつけた升田贔屓の五味康祐の無礼に対しても大山はじっと耐える。そのときの記録係は河口三段。級の時から関わっている。だからこそ「河口さんの書く大山」はおもしろい。

 大山対中原の時代。当人と関係者がゴルフコンペをして汗をかく。汗を掻いたまま、風呂には行かず宴会にしようと大山の提案。誰もが汗を流したいが王者の意見に逆らえない。宴会場に向かう。そこにすこし遅れてやってきた中原。「あれ、どうしたの。先にシャワーを浴びましょうよ」。浴びたかったみんなはほっとして風呂場に向かう。取り残される大山。絶対王者大山の足もとが崩れてゆく瞬間。犲磴太陽畸羝兇蓮大山を猖棉瓩砲靴討靴泙辰拭
 大山打倒を宿願として喧嘩腰で挑んだ山田道美八段。あの「暗くしなさんな!」を知っている身には、この「シャワー話」なんてのは冒険活劇を読むよりもわくわくする。それは単なる事実かも知れないが、おもしろせつなく読ませてくれるのは河口さんの藝だ。
 なお『大山康晴の晩節』は、飛鳥新社の単行本が装丁がよくて最高だ。読んでみたいひとにはちくま文庫ではなくこちらを推薦する。



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 もう一冊、「盤上の人生、盤外の勝負」もいい。ここにある米長は魅力的だ。私は「対局日誌」のような現在進行形的なものより、こういう河口さんがじっくり腰を据えて書いたものが好きなようだ。と他人事風な書きかただが、いま書いていてあらためて気づいた。「大山康晴の晩節」がいちばん好きなのはそういう理由なのだろう。



「覇者の一手」は羽生七冠の話、まだ達成前のその道のりが中心だ。そのあとに達成してからの本格的な「七冠狂騒曲」がある。あの達成の翌朝、スポーツ紙の一面を飾った。いろいろ買って今も保存している。将棋ファンとして誇り高かった。「冒険活劇的わくわく」なら、こちらのほうがありそうだ。なんといっても前人未到の「七冠独占」なのだから。だが、なんかこちらは羽生のあまりの万能ぶりもあり、RPGのよう。たしかにラスボスクリアの快感はあるが……。時代劇的な、あるいはシェークスピア劇的なわくわくどきどきは、なんといっても「大山」だ。

『羽生世代の衝撃 ―対局日誌傑作選―』(2014)年はまだ読んでいない。明日にでも買ってきて、読みつつ、河口さんに献盃しよう。私は人後に落ちない羽生世代のファンであり、それを綴ったものでも河口さんがいちばんだと思うが、でも河口さんの最高の魅力は、やはり升田大山中原の時代を語るときだと感じる。



 結果として絶筆になってしまった「評伝 木村義雄」には、(以前にも読んで知っているエピソードではあるが)、坂田三吉の凄味をまだよくわかっていなかった河口さんが、坂田を外連からのみの評価をした文を書いたら、それを読んだらしい升田に「くだらんことを……」のようにボソッと言われる部分がある。被差別部落出身の坂田は文盲であり、将棋駒の文字すら読めなかった。独創の阪田流向飛車や伝説的なあの端歩を始め異能の人だった。それを外連ととった河口さんの姿勢はまともだろう。だが升田はそこにもっと奥深い凄味を感じていた。それを書くことによって升田が光る、また時代の向こうから坂田も光量を増す。その絶妙の価値、意義。河口さん、最高だ。
 先月号あたりから私の好きな狹通梢佑登場している。「勝つことはえらいことだ」の塚田さんだ。完結まで読みたかった。河口さんも心残りだったろう。

 河口さんの死を予期していなかったので、まだうろたえていてまともな文が書けない。時間を掛けてまた直したり足したりしよう。それでも、1月30日に亡くなった河口さんの訃報が将棋連盟サイトで発表されたのは「2月2日午前11時」のようだから、一日遅れだけど、大好きな河口さんに捧げる文章を自分のブログに書けたことをうれしくおもう。
 河口さん、やすらかに。

ISIL問題──後藤さん殺害される──ネットに画像がアップ──2015/2/1/am.5:30

いつものよう3時に起きてPCに向かっていたら、5時半に「後藤さんの殺害写真がネットにアップされた」との情報が流れた。行ってみると、アラビア語で綴られ、声明が出されていた。

それはこちら

これで湯川さんも後藤さんも殺害されたことになる。 

テロに屈してはならない。
Isisはイスラム原理主義のテロ組織である。国家ではない。「Islamic State」から私も「イスラム国」と表記してきたが、いままでの文のそれをすべて「ISIL」に直す。こんなものに「国」を使いたくない。



2015/02/05

昨日、ヨルダンのパイロットが焼き殺される映像を見た。

青山繁晴さんの「水曜アンカー」をネットで見ていたら、青山さんがこのテロ組織を必ず「自称イスラム国」と言うことに対して「くどいですね」との意見があるそうで、それに対して「イスラム国という呼称は、IsisでもISILでもIslamic StateのStateを入れているので国と言っているのと同じ。私はあれを犢餃瓩世版Г瓩覆い里如↓犲称イスラム国瓩噺世Δ里任后廚伴臘イ靴討い拭 

エジプト出身のイスラム教徒フィフィが、「イスラム国はやめて」とツィートしていることも話題になっていた。

私も、こんなテロ組織に犢餃瓩呂い笋覆里如▲ぅ好薀犢颪鬚笋瓩ISILに統一したが、そのとき「でもStateと入ってるよなあ」とは気にしていた。 さてどうするか。青山さんの「自称イスラム国」が適切であるのはよくわかるのだが……。

NHK「日曜討論」の小沢一郎発言──山本太郎と共同代表に

小沢氏、共産党議員らピンボケ発言 人道支援と後方支援を混同…
2015.01.26

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 「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件で、野党議員による仰天発言が続いている。安倍晋三首相による人道支援表明を軍事的な後方支援と混同したり、残虐非道なテロ行為より安倍政権を批判するなど、見識を疑われかねないものも多い。「利敵行為になりかねない」との指摘もある。

 「安倍さんが、イスラム国にとっては宣戦布告ともいえるような話をしたということですね」

 25日のNHK「日曜討論」。「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表から、耳を疑う発言が飛び出した。

 安倍首相はエジプト・カイロで行ったスピーチで、イスラム国対策として2億ドル(約236億円)の支援を表明した。これは避難民の命をつなぐ人道支援だが、小沢氏は軍事的な後方支援とごっちゃにして、「ご飯食べなきゃ、兵隊さんは戦争できませんから」「後方支援、補給が戦争そのものだということを国民は考えるべきだ」との持論を繰り広げた。

 共産党の池内沙織衆院議員は、湯川遥菜さんの殺害場面とされる画像がネット上に出回った直後の25日未明、ツイッターに「『ゴンゴドウダン』などと、壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権」「安倍政権の存続こそ、言語道断」と書き込んだ。イスラム国の蛮行への批判はなく、さすがに不適切だと思ったのか、同日中に投稿を削除した。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「国内で敵(=テロ集団)を利するような発言が出れば、相手は『やればやるほど日本国内に味方が増える』と考える。政権批判をするなら、事態が一段落してからにすべきだ」と話している。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150126/plt1501261147002-n1.htm

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 こういうトンデモ発言はネットでいくらでも拾えるし映像でも確認できるが、リアルタイムで自分の目で耳で接するに越したことはない。以前はよく見ていたこの番組も見なくなってひさしい。それがなぜかこの日、私は偶然目にした。将棋NHK杯戦や競馬番組の録画確認だったと思うが、なにゆえにこの時間、NHK総合にチャンネルをあわせたのか。小沢一郎のこのトンデモ発言を見ろという神様の思しめしか。とにかく見た。私はこの発言をよそから聞いて知ったのではなく、朝鮮顔の小沢がそう口にしているのを自分で耳にした。「はぁ???」という感じだった。「こいつ、なに言ってんだ」である。しばらく画面を目にしていたが、くだらんのですぐに切った。

 こんなのが日本を牛耳っていた時代があったのだ。おそろしい。誰を総理にするか、こいつが面接で決めていた時代があったのだ、ほんとに。いまや女房や息子にも愛想を尽かされている。いやそれは本妻とその息子だから、愛人とそのこどもとは仲いいのかもしれない(笑)。

 山本太郎と手を組んで恥ずかしい党名で存続しているが、もうすぐ谷亮子も逃げだすだろう。次は誰をいれて存続を図るのか。今回亀井静香を誘ってことわられて山本太郎に走ったのだが、もしも亀井が入ったら「生活の党と山本太郎となかまたちと亀井静香」党になるのか。亀井が「最後ではいやだ、最初にしろ」とごねたら、「亀井静香と生活の党と山本太郎となかまたち」党になるのか。もう済州島に帰れよ。



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「生活の党と山本太郎となかまたち」は27日、小沢一郎、山本太郎両氏が共同代表に就任すると発表した。所属議員5人のうち2人がトップに就く異例の体制となる。

 小沢、山本両氏は同日、そろって就任の記者会見に臨んだ。小沢氏は山本氏との連携について「一緒にやることで国民とのつながりをいろいろな形で持っていきたい」と期待感を表明。山本氏は「政党の一員となり、発言力を高めていく」と語った。

 無所属で活動してきた山本氏は昨年末、国会議員が4人となり政党要件を失った生活の党に加入。再び政党となり、党名を現在のものに変更した。

 小沢、山本両氏は記者会見で、民主党や共産党など他の野党がイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件の解決を目指す政府への追及を抑えている現状をそろって批判した。

 山本氏は「安倍晋三政権の外交的失策」と断言。さらに「『今は心を一つに』というような同調圧力がつくり上げられている。この件を利用しながら、海外派兵や集団的自衛権などに足を踏み入れようとしているのは明らかだ。上げるべき声は上げていかなければいけない」と語った。

 山本氏は21日にツイッターで、首相宛てに「2億ドルの(難民・避難民への)支援を中止し、人質を救出してください」と書き込んでいた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000545-san-pol

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 五人の党で代表ふたりか。当然副代表もいるだろうし、みんな役職だな。ちいさな土建会社に、創立者の70代のじーさんが会長、50代の息子が社長、30代の孫が専務、社長の女房と息子の嫁が社員。それでぜんぶ、なんてのがあるが、それと同じか。笑かしてくれる。ま、なかよくやってくれ。

 90年代、熱烈な小沢支持の友人がいた。小沢嫌いの私とは酒を飲むといつも対立した。彼らはいまなにを思っているだろう。いまも「生活の党と山本太郎となかまたち」党に清き1票をいれているのだろうか。



kanren7 私のブログの小沢一郎

こんな時代もありました(笑)↓

蜜月から
ozawakada


不仲へ(笑)。
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“一郎&太郎”共同代表の仰天会見 テロ批判なし 安倍政権攻撃に終始
2015.01.28

 「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎、山本太郎両共同代表が27日夕、国会内で就任記者会見に臨んだ。「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件に政府が24時間態勢で対応するなか、2人は、安倍晋三政権の「外交的失策」が事件の原因だという主張を繰り広げる一方、テロリスト集団への批判は一切、口にしなかった。

 小沢氏「イスラム国と戦争・敵対状態にある国にお金や物資を支援すると公然と宣言したわけだから、イスラム国が『自分たちの敵である』と認識するのは当たり前のことだ」

 山本氏「ISIL(イスラム国)からみても『日本は一体どっちの立場なんだ』と…」

 イスラム国は「歴史上最も残忍で残酷なテロリスト集団」であり、全世界の人々にとって敵といえる。「一体どっちの立場…」といった発言には、報道陣もあ然とするしかなかった。

 もちろん、政権に対する監視や批判は野党の責務である。

 ただ、テロリストは、残虐なテロ行為や卑劣な恫喝によって、相手国の国民を惑わせ、国論を分裂させ、屈服させようしてくる。今回のテロ事件にあたり、共産党までが「政府が全力を挙げて取り組んでいる最中だ」(志位和夫委員長)として政府批判を控えているが、このコンビは違う。

 小沢氏は「『とにかく挙国一致だ』みたいな話を、すぐ日本人はしたがる」「口を閉ざしてしまうのは無責任」といい、山本氏は「(安倍政権が続けば)日本国内でのテロが現実化していく」と気勢を上げた。

 これでは、テロリストの思うつぼではないのか。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150128/plt1501281700007-n1.htm

ISIL問題──クソコラグランプリ──英字メディアが評価!?──日本を攻撃しろとの煽り!?

イスラム国により拘束された人質の殺害予告事件が行われ,連日メディアで報じられている中,一部のメディアでは取り上げられているが,まだあまり知られていないのが,日本人のツイッター利用者が,イスラム国の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して行った「ISISクソコラグランプリ」という『攻撃』である。

今日は,この現象について,海外,特に英字メディア等の評価を紹介する形で取り上げてみたい。


(英字記事、引用その1)

いくつかのコラージュ画像をみると,ツイッター利用者が単にテロリストによる身代金要求という状況を軽視し,ふざけているだけなのかは判然としない。

他方で,日本人のツイッター利用者は,コラージュ画像で,イスラム国をからかっているように見える。人質の命を軽んじ,呑気過ぎるのではないかという懸念があるのは明白である。

しかし,日本のツイッター利用者は,恐怖を通じて人々をコントロールしようというテロリストの手法に対し,ユーモアで対抗しているのではかなろうか。

はっきりしていることは,日本のツイッター利用者が日本政府に対し身代金を支払うように圧力をかけろというテロリストの要求に対して,それを拒否しているということである。


(英字記事、引用その2)

日本のツイッター利用者は,日本人人質事件において,全国的なコラージュ風刺画像を用いた戦いで,イスラム国を嘲笑うことで反抗している。
ソーシャルメディア分析会社のTospy社によると,「ISISクソコラグランプリ」という日本語のフレーズは,この1日,2日で,6万回以上もツイッター上で言及されているという。これらのつぶやきでは,イスラム国の様々な人質映像の一部を切り取り,面白おかしく日本のゲーム文化の画像などとともに,多くが加工されている。


(英字記事、その3)

今週,日本のインターネット利用者は,団結してイスラム国を嘲笑うためにコラージュ画像を用い,馬鹿馬鹿しく,軽蔑した画像をテロリストに送り付けるという戦いを展開した。
この努力は人質の救出には繋がらないであろうが,将来のテロを防止するという点において,少なくとも役立つものである。
 
アメリカ政府は,イスラム国のネット上でのプロパガンダに対し,反論のためのプロパガンダ技術を駆使してきたが,これまでのところ,アメリカ政府の試みは失敗に終わっている。
アメリカ政府の手法は,ジャーナリストに反イスラム国のメッセージを送ったり,粗末に作られたビデオを作成したりするというものであって,時代遅れであり,いずれもパッとしないものであった。
では,なぜ今回の日本での出来事が貴重なのであろうか。それは,アメリカ政府が失敗してきた試みを効果的にやってのけたからである。

プロパガンダに対する反論を展開する上で重要なのは,相手の効果を減殺することにある。イスラム国についていえば,武装グループは,自らが正義であり,かつ,獰猛であると見せたいのである。
しかし,イスラム国のプロパガンダを間抜けなアニメのキャラクターと合成することで,日本のインターネットユーザーは,イスラム国自身が馬鹿げた存在であるように見せることに成功したのである。

テロリストグループに参加しようとする人々を,テロリストを世界の指導者が強く警戒しているということを知り,テロリストが自らの正義のために闘っているということが,参加を促すものとなってしまっている。
しかし,日本のツイッター利用者は,テロリストを取るに足らないものとして描写し,弱体化させることで,テロリストが発するメッセージの重さを破壊したのである。

※ 

 長文の記事から私が一部を抽出したものです。くわしくはこちらで。http://blogos.com/article/104194/?p=1

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 いろんな解釈ができるものだ。
 敗戦国として武器を取りあげられ、手も足も出ない憲法もどきを押しつけられ、戦勝国アメリカの傘の下で、いわば去勢された男となり、金稼ぎしか出来るものがなく、いつしか経済大国となり、憲法九条があるから戦争しなかったと平和ボケした結果の、痛みを知らないガキのあそびである。それでしかない。しかし視点を変ると、こんな評価も出てくる。

「日本のツイッター利用者は,恐怖を通じて人々をコントロールしようというテロリストの手法に対し,ユーモアで対抗しているのではかなろうか」

「日本のツイッター利用者が日本政府に対し身代金を支払うように圧力をかけろというテロリストの要求に対して,それを拒否しているということである」

「日本のインターネットユーザーは,イスラム国自身が馬鹿げた存在であるように見せることに成功したのである」

「日本のツイッター利用者は,テロリストを取るに足らないものとして描写し,弱体化させることで,テロリストが発するメッセージの重さを破壊したのである」 

「これは,小さな勝利かもしれない。しかし,テロリストが参加者を増やすことで力を増していることを考慮すれば,日本人がイスラム国に対する完璧な武器を用いて,世界に,そのメッセージを発したことが,新たな参加者を妨げる唯一の方法となるだろう」


 そんなリッパなもんじゃない。世界の情勢を知らず、あたたかな部屋でニートしているバカが、パソコンで遊んだだけ。こんな評価を受けてやつらは笑いころげているだろう。

 正当な憲法を持ち、国防軍を持ち、 徴兵制度があり、徴兵期間をおえてきた若者がこれをやったなら、上記のような好意的?な解釈も成立するだろう。だがそうじゃない、なにをしたらいいかわからなくなっている平和ボケのガキが、安穏とした状態で、おもしろおかしく、うけようと、手なぐさみでやったものだ。



「テロリストの手法に対し,ユーモアで対抗している」
──そんな深い考えはない。ただおちゃらけているだけ。目先の笑いが欲しいだけ。

「イスラム国自身が馬鹿げた存在であるように見せることに成功した」──これは確か。なら彼らは屈辱に顔を真っ赤にして、それをしたヤツラに復讐に来る。しかし「それをしたヤツラ」にその自覚はない。

「テロリストが発するメッセージの重さを破壊した」──同じく、自分達の真面目さをからかわれた。なら復讐に来る。侮辱したヤツを赦さない。

「これは,小さな勝利かもしれない。しかし」──なにが「小さな勝利」かわからんけど、これが「勝利」なら、そのあとの反動は「大きな犠牲」となってやってくる。「トラの尾を踏んだ」では、よい表現過ぎるから使わないとして、べつの言いかたにすると、「キチガイと呼ばれると逆上するキチガイ」に、「キチガイ!」と大声で叫んでしまったようなものだ。キチガイは復讐にやって来る。復讐は「キチガイ!」と叫んだひとに対してやってほしいが、キチガイにその分別はつかない。

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 英字メディアは、こんな形で、日本人のツイッターによるガキの遊びを評価した。クソコラだけでも充分に不快だったテロリストは、この西側メディアの評価にますます苛立つ。明日しようと思っていたテロを今日にする。
 これらの「評価記事」は、キリスト教側がイスラム国ISILに「日本をやっちゃいな!」とけしかけているとも取れる。 やつらの仕掛けだ。あいつらは平然とそれをする。「日本のバカガキがこんなことをしてイスラム国側ISILを苛立たせている。それを評価して、ますますあいつらをイライラさせろ!」という作戦か。

 日本がやられたなら、キリスト教側は完全に日本を自分達側に出来る。 イスラム諸国の親日を好ましく思っていないキリスト教側としては、日本がイスラム国ISILのテロに遭い、イスラム諸国と不仲になるのは望むところだ。そうなるように誘導する。そのとき上記の「英字メディア」は、「やはりこんなことになってしまった。イスラムテロリストを私たちは許さない」とはしゃぐだろう。これらの記事はそのための前振りだ。

 佐賀県の田舎町でひきこもりニートをしてクソコラ作ってニタニタしているようなガキは呑気だろうが、東京に住むものとしてこれは他人事ではない。 

kanren7 イスラム国ISIL問題──日本人人質を使ったコラージュ──テロはすぐそこまで


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【追記】──ここぞとばかりにはしゃぐバカサヨク

 きっこと名乗る団塊世代のネカマを始めとするバカサヨクが、ここぞとばかりに「何ヶ月も前に捕らえられたのに、こうなるまで日本政府はなにもしなかった」と叫きたてている。渡航自粛で説得したのに、それでも彼らはかってに渡航した。捕まってからは水面下で交渉し、マスコミにも解決までそれに関する報道は控えるようにと報道自粛させていた。それは外交の基本。こういう事態となったので、政府もそれを一部あきらかにした。その程度の考察さえせずバカサヨクは叫きたてている。度しがたい。日本の真の敵はこいつらだ。

ISIL問題──日本人人質を使ったコラージュ──テロはすぐそこまで

日本人人質動画の写真を使った多数の「クソコラ」画像にイスラム国関係者も流石に激怒かと話題に
 

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イスラム国の人質となっている日本人2名が映った動画の画像が多数のコラとして加工され、これにイスラム国関係者も怒っているようだとネットで話題になっています。

人質とイスラム国男性を使ったコラ画像は「#ISISクソコラグランプリ」というハッシュタグを使ってTwitterで多数、拡散しています。
http://www.buzznews.jp/?p=647015

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 日本人の若者(たぶん)が、あたたかい部屋で悦に入って作ったのであろうこの上のコラージュと、下のフランスの画は同じ発想から来ている。

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 ちがいは、下のフランスの画は、対象からの復讐があることも想定しているのに対し、上の日本人の作ったコラージュは、自分に危険がふりかかることはなど考えたこともなく、能転気なお遊び感覚で作られていることだ。



 私にはこういうコラージュを作るという発想がない。まったく、ない。いまはもちろんだが、もしも私がいまPCを得意とする高校生だったとしても、こんなものを作ってはしゃいだりはしないだろう。狂信的なテロ組織の前に、同朋の命がいま風前の灯となっているのに、嬉々として(としか思えない)こんなものを作る感覚はなんなのだ。深い考えはないのだろう。ただの世間知らずの無智なのだ。しかしこういうものを目にすると、あらためて人間の本質は邪なのだと感ずる。足のわるいひとの歩く様を「びっこ」とからかうのが人間の本質なのだ。「そういうことをしてはいけない」と学ぶのは、社会に触れてからの教育によってである。

 キリスト教徒でもないのに「メリークリスマス」、「今年のイヴはどこで過ごそう」とやっている感覚で、イスラム原理主義をお気楽に見ている。狂信的な彼らの現実を知らない。犲分自身瓩痛い目に遭わないと、他者の宗教感覚を理解できない。他人の死はテレビや映画と同じ虚構なのだ。



 イラクで香田証生さんが殺されたとき、その動画がネットに流れたという。私は見ていない。いまにいたるも目にしていない。当時、電車の中で、携帯電話の中にその動画を入れ、みなで見ながら大騒ぎをしている中学生を見かけた。はしゃいでいる。なんともやりきれなかった。彼らはおそらくケガをして血を流したことすらほとんどない。カッターナイフで指先を切ったりしたら大騒ぎだろう。だが同朋が首を切られて殺されるシーンは、自分とは無縁の映像として楽しめるのだ。その距離感。

 私はいま豚や牛を喰わない。話すと長くなるが理由のひとつに、タイやシナで数多く体験した、豚が喉笛を切られて絶命する時の悲鳴がある。肉体の構造は同じだから、人間が咽をかっ切られたときの悲鳴も同じようなものらしい。住まいの二軒隣が田舎の豚肉屋だった。毎朝4時半に豚を2頭殺し、解体して市場で売る。毎朝聞こえてくる豚の咽をかっ切られるときの「キーっ」という悲鳴はたまらなかった。



 イスラム国ISILは、自分達を甘く見る連中を容赦しない。兵士を日本に潜入させ、日本でもテロが起きるのは時間の問題だろう。 いやもう潜入しているのか。
 そして起きる無差別テロ。おそらく電車やコンプレックスビルにおける爆破テロだ。その被害に遭うのは、上のコラージュ等とは無縁の、ごく普通の、まじめなサラリーマンやOLや私のような者だ。

 そういうことが起きても、上のコラージュを作った若者にその痛みは伝わらない。画像を見ると、佐賀県の天気予報が出ているから、あっちのほうの田舎の若者なのだろう。日本でテロが起きるとしたら、もちろんそれは東京だ。佐賀の若者にとってイスラム国が遠いように、東京もまた遠い。日本でテロが起きても、まだ痛みは伝わらない。テレビや映画の世界でしかない。こういうコラージュを作る彼らが、もうこんなことはやめようと思うのは、ニートで引き篭もっている自室に、イスラム国の兵士が乗りこんできて彼らの喉笛にナイフを当てたときだけだ。

 いま上のサイトをあらためて見直したら、私が「なんてことをするんだ」と眉をひそめるコラージュに、「2500人がお気に入りに登録」なんて出ている。彼我の差を感じる。 日本はここまで堕ちたのか。



 といって私は、狄楊燭話狼紊茲蠅盻鼎き(こんなことを言ってテロに屈し世界中から腰抜け呼ばわりされた首相がいた) から身の代金を払うべしとは思わない。ふたりは外務省から渡航自粛を説得されながら、それだけの覚悟を持って出かけたのだ。そんなことをする必要はないだろう。イスラム国は石油で毎日何億も稼ぐほどの資金を持っている。アメリカと中東のチキンレースで石油値段が下落してだいぶ儲けが落ちているようだが、それでもろくに武器も買えない貧しい組織ではない。今回のこれも金欲しさよりも(フランスなどは表向きは払わないと言いつつ、裏では払っているようだから、重要な金儲けの方法ではあろうが)、イスラム国ISILを攻撃してくるキリスト教国家(彼らは狃住軍瓩班修靴討い)と歩調を合わせる日本政府への警告だ。しかしそれは安倍首相の支援発言から始まったのではない。やつらはこれをするきっかけをずっと待っていたのだ。やくざの因縁と同じだからなんとでもなる。

 福島の原発を上のような諷刺画にしたフランスに対し、日本政府は抗議した。それに対して彼らは「日本人には悲劇を諷刺する感覚はないらしい」と応えて謝罪はしなかった。

 フランスの言う、そういう感覚がオシャレであるなら、今回のコラージュは、充分に日本人にもそれがあることを証明していると言える。

 しかし、ちがうよな。これはコンピュータというおもちゃを使ったガキの悪ふざけだ。
 日本人ふたりは処刑されるだろうし、私はそれを仕方ないと考えるが、そのこととこの悪ふざけはまた別物である。



 イスラム国ISILからの警告。

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 日本人よ、5800キロ離れた安全地帯にいるからと楽観的なようだな。だが我々はどこにでも兵士をもっているぞ。
 
 実質的なテロ予告である。



 まともな日本人は同朋の死を悼むが、こんなコラージュを作っている連中はなんとも思わない。処刑の動画をたのしむだろう。道徳観が堕ちた、じゃなくて、最初からない連中なのだから。

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kanren7 イスラム国ISIL問題──クソコラグランプリを英字メディアが評価!?

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【追記】──奇妙な母親登場

  しかしあのおっかさん──フリージャーナリスト、後藤健二さん(47)の母、石堂順子さん(78)──の記者会見にはあきれた。いろんなのがいるなあ。

記者会見発言の一部

昨日、あのぉ、健二の妻である嫁と初めて交信いたしました。で、聞きますと、嫁が聞きますと、赤ちゃんが生まれたそうです。で、私はビックリいたしました。生まれたばっかりの2週間しか経ってない子供を置いて、なぜ遠い所に行ったのですか?と質問しました。

そうしましたら、先に、拘束されている知人を助ける為に、救出する為に、何が何でもという形で、飛んで行ってしまったと申しておりました。で、私はその時感じたのですが、この地球は、大切にしなければいけない。たった一つ、私共の為に神が造って下さいました、自然が造って下さいましたものを、なぜ、その貴重なプレゼントを壊すのか、私には分からないのです。原子力を使い、地球を汚し、大気圏も汚して、そして何を求めようとするのか、私には全然分かりません。

【追記.2】 ──もうひとりもヘン

 最初「ハルナ」という名を聞いたとき、男でもそんな名前のひとはいるのかと思ったら、本名は「正行」で、数年前に男性器を切断して自殺を図ったが死にきれず、それからは「ハルナ」を名乗って女として生きようとしたのだとか。ここがまとめサイト。まともな人間とは思えない。男性器切断による自殺体験を自分で綴ったブログがこちら。

 このひとがかってにイスラム国に行き、「民間軍事会社」という名刺を配りまくり、捕まった。そりゃ捕まる。それをほっておけないと、生まれたばかりの娘がいるのに追い掛けていったのが「後藤」というひと(詳しくは下の「後藤健二こと城後健二の正体」を)。そしてイスラム国からの2億ドルの身代金要求。それに乗じて自ら外国人特派員に訴えて記者会見をやり、「イスラム国」と「イスラム諸国」を混同したまま「原発反対」「憲法九条を守れ」とイタい発言を連発したのが石堂という母親。孫が生まれたことすら知らなかったのだからこの親子は絶縁していたのだろう。

 不謹慎を承知で言うが、「同朋の死の悼み」がかなり軽くなったのは本音だ。テロに屈してはならない。

●後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係 
 
●クソコラグランプリの衝撃──湯浅誠

●後藤健二こと城後健二の正体

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 いま2015年2月1日、午前5時35分、ネットに後藤さんの殺害写真がアップされた。これで先日の湯川さんに続き、コラージュのネタになったふたりが首を切られて殺害され、その画像が世界中にさらされたことになる。クソコラを作った連中はどう感じているのだろう。なにも感じないのか。

●イスラム国からの警告画像

シャルリー・エブド事件考──キリスト教とイスラム教──アメリカ9.11と真珠湾攻撃

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 最新号表紙↓
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 こんな感じの侮辱連発↓
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【1月17日 AFP】フランス・パリ(Paris)で今月起きた風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃事件後初の最新号で、表紙にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画が掲載されたことに対し、イスラム教の金曜礼拝にあたった16日、世界各地で抗議デモが行われ、ニジェールとパキスタンでは衝突も発生した。

 アフリカ中部ニジェールの第2の都市ザンデール(Zinder)ではデモが暴徒化し、4人が死亡、45人が負傷した。デモの参加者は3か所のキリスト教の教会を襲撃した他、フランス文化センターにも放火した。医師によると死者は全員、銃で撃たれて亡くなった。

 パキスタン南部のカラチ(Karachi)では、フランス領事館前で警官隊とデモの参加者が衝突し、背中に銃弾が当たったフランス通信(Agence France-Presse、AFP)のカメラマンを含む少なくとも3人が負傷した。

 アフリカ西部ではモーリタニアやセネガルの首都ダカール(Dakar)でフランス国旗が燃やされ、マリの首都バマコ(Bamako)ではイスラム教の神学者や主要組織の呼び掛けに応じ、数千人が路上へ繰り出し「私の預言者から手を離せ」「私はイスラム教徒。私は預言者を愛する」などとスローガンを叫んだ。

 中東諸国のカタールやバーレーンは、シャルリー・エブド紙最新号のムハンマドの風刺画は嫌悪をあおりうると警告を発した。ヨルダンの首都アンマン(Amman)では、中心部にあるフセイン・モスク(Al-Husseini Mosque)から厳戒態勢の中、約2500人がデモ行進を開始し「預言者への侮辱は国際テロだ」と書かれた横断幕などを広げた。

 アルジェリアの首都アルジェ(Algiers)では最大3000人がデモに参加し、機動隊との衝突もみられた。参加者たちは「われわれはムハンマド」とスローガンを叫んだが、一部にはシャルリー・エブド紙本社を銃撃した兄弟、シェリフ・クアシ(Cherif Kouachi)容疑者(32)とサイド・クアシ(Said Kouachi)容疑者(34)への支持を叫ぶ参加者もいた。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3036796?ctm_campaign=topstory

上の文、下線は私が引いたものです。

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 今の世はキリスト教国家が支配している。キリストになびいていれば安穏に暮らせる。
 キリスト教信者でもないのに教祖の誕生日や前夜祭を祝い、「クリスマスは誰とすごそう」「ひとりぼっちのイヴはさびしい」なんて言い、あげくはハロウィンなんてのまでやってりゃ悩むことなく生きられる。おめでたいひとたちがうらやましい。
 先祖代々臨済宗妙心寺派なので、そんなものに興味を示さない私のようなのは変人と呼ばれる。そういや学生時代からクリスマスパーティなんてのをそんな理由で缺席して嫌われたっけ。だってキリスト教信者でもないのに「メリークリスマス(たのしいクリスマスを)」「キリスト様、誕生日おめでとうございます!」とは言えない。おめでたいと思ってないもの。アサハラショウコウやイケダダイサクの誕生日を祝わないのと同じだ。
 アジアの多くの国に行っているのにフィリピンを知らないのも同じリクツ。アジアのキリスト教国家には行きたくない。キリストは欧米だけで腹いっぱい、胸やけしている。お釈迦様の誕生日は祝う。タイの水掛け祭は最高だ。ミャンマーのパゴダもいい。アンコールワットは荘厳だ。



 キリスト教が支配している世界において、キリスト教に逆らうものは悪だ。ヤツラは悪を叩く。殲滅しようとする。戦う口実に、国民の敵への憎悪を煽る必要がある。そのためには、ヤツラはなんでもやる。とっておきの方法を持っている。

911

 2001年9月11日、「アメリカ 9.11」のとき、私はタイ・チェンマイのインターネットカフェにいた。メールを書いていたら携帯電話が鳴り、「たいへんなことが起きている。まるで戦争だよ!」と友人が昂奮している。ニュースサイトに繋いだら、あの「ワールドトレードセンターに旅客機が突っこむ映像」が流れていた。ブラウン管型14インチディスプレイでみる粗い映像は、映画のようで現実感がなかった。

 真っ先に思ったのは「この手があったのか!」だった。「この手」とはハイジャックとかテロのことではない。私は「金と物が世界一の国」には誰もが逆らえないと思い込んでいた。私自身が金と物に屈伏している人間だからだ。だが「この手」があった。「宗教」である。聖戦であり、命など惜しくないのだから「金と物で世界一の国」なんて、ちっとも怖くないのだった。「物の力」に対抗できるのは「信じる心」だった。



 しばらく後に帰国して、社民党の原陽子という国会議員が9.11のすぐあとに「ざまーみろ」とブログに書いて叩かれたと知る。そのとき私は「社民党のクソバカがなにを言っているんだ」と思った。こんな25ぐらいのバカ女を当選させる歪んだ流れがあのころの日本にはあった。テロ行為により瞬時に3000人が死んだ事件であり、被害者の中には同朋もいるのだから、その発言は譏られて当然だ。
 いま確認してみると、「『ざまーみろ』と思っている国もあるだろう」だから、バカ女自身が「ざまーみろと言った」とは、だいぶニュアンスがちがう。たしかにそう思った国はあったろう。けっしてひとつやふたつではなく。あの世界一の国を嫌っている国家は多い。

 私の中にも、広島長崎への原爆投下、東京大空襲を始めとする無差別大量虐殺をしておきながら絶対に謝らず、それどころか「戦争を終らせるためにはベストの方法だった」という詭辯を弄しているあの国への怒りはあったが、同朋の死の前に、それを口に出すのは憚られた。



 9.11を、いまあらためて調べて、思う。旧いビルを爆破するときと同じように、きれいに腰くだけになって行くビル。どれほど多くの爆薬が事前にビルに埋めこまれていたのだろう。すべては用意されたものだった。前前から旧くなって問題があり、建てなおしたいと思っていたビル。戦争をするために、国民のイスラムへの憎悪を煽る必要性。どう考えてもあれはアメリカ政府の自作自演だろう。

●9.11アメリカテロ陰謀説──アメリカの制作した番組

●911のウソをくずせ-ルースチェンジ2完全字幕版

 真珠湾攻撃を事前に知っていながら、旧い船艦を被害用に用意し、死者を出し、「Remember Pearl Harbor!」と、アメリカ国民の日本への憎悪を煽ったのと同じ手法だ。「キューバ危機」もやつらの仕掛け。

 真珠湾攻撃にいたる流れも、急成長で危険な存在となってきた東洋の猿を潰すために、白人国包囲網でもって困窮させ、「どうしたどうした、腹が立つか、なら戦争しようぜ、できるか、ええ、できるか!」と、こちらの堪忍袋の緒が切れるように仕組んだものだ。先に手を出したほうを悪にするために。今回の諷刺画とイスラムテロも流れは同じ。キリスト教白人国家の狡猾である。新型爆弾の破壊力を知るための実験にも有色人種の国を選んだ。大量無差別殺戮をしておきながら正義と言いはる。こいつらほどたちのわるい人種はいない。



 ここでたしかなのは、真珠湾攻撃でも9.11でも自国民に多くの犠牲者が出ていることだ。「生贄」である。「捨て駒」だ。
 彼らは為政者により決定された自分達が生贄であるとは知らずに死んでいった。9.11では複数国の人間が生贄として死んだ。それは効果的だったろう。私のようなのが「ざまーみろ」と言わなかったのは同朋の死があったからだ。自分が正義になり、相手を悪として叩くためには、被害者はより多くの国の「生贄」が望ましかった。ヤツラにとって、複数国の死者は望むところだ。

 旅客機の突入により起きた火災現場76階に、地上から勇敢に駆けつけた消防士たち。「火災はたいしたことない、すぐに消せる」と無線が入る。それが証拠として残っている。その時点では、旅客機の突入により、何階かの破壊、一部で火災が起きているだけだ。だがその13分後、事前に無数に仕掛けられたビル解体用の爆薬により、ビル全体が一瞬で崩落する。400メートルのビルが一気に瓦礫となる。76階に突っこんだ旅客機のせいで75階から1階までが一気に崩潰するか!? それによる3000人の死。駆けあがった勇敢な消防士の死。それは「名誉の戦死」ではない。陰謀による無念の死だ。しかしまたそれも「勇気ある名誉の死」として、涙を煽り、イスラムへの憎悪を掻きたてるために使う。なんというあくどさだ。これがヤツラの本質である。原爆投下を詫びるはずがない。

 十字軍の時代から常用してきたヤツラの常套手段。自作自演で国民の怒りを煽り、自分達の虐殺を正当化する。「生贄」の死などまったく意に介していない。

 毛沢東は、人口が6億人のころか、「アメリカとひとり1殺で殺しあえば、こちらもあちらも2億人死ぬが、それであちらはひとりもいなくなる。こちらにはまだ4億人残る。こっちの勝ちだ」と言った。自国民2億人を捨て駒とすることをなんとも思っていない、この残虐者は。勝者として自分が生き残ることだけを考えている。だからこそ何千万人も同朋の支那人を殺せたのだろう。ヒトラー以上の大量殺戮者、毛沢東。それを札に刷って拝んでいる支那人のあほらしさ。
 アメリカ政府の考えも同じだ。



 9.11のあと、イギリスでも50人強が亡くなるテロがあったが、あれは本物なのか? 英米の組んでやることは信用できない。アメリカのウソを糊塗するために急いでやった「らしきこと」ではないのか。上のリンクの映像にあるが、イギリスBBCは、アメリカ9.11テロによって爆破されるビルが、まだ爆破されていない23分前に「爆破されたビルの状況はどうだ?」と報道している。すべてはこいつらのシナリオ通りなのだろう。イギリスのテロも、事前に察知して防げたが、より憎悪を煽るためにあえて殺させた、とも取れる。そういうことを平気でやるやつらだ。50人の同朋の殺戮など気にしていない。イスラムへの憎悪を煽るためならなんでもする。テレビや新聞しかない時代だったらヤツラの思うままだ。だがいまはインターネットがある。アメリカが軍事用に開発したインターネットが、唯一アメリカの横暴に立ちはだかっている皮肉。



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 私は、9.11のときは心の奥深くで思う部分はあっても、同朋の死の悼みがあり、口には出せなかった。今回は出せる。のぼせるのもいいかげんにしろよ、と。
 こわい物など何もないと増長しているキリスト教国家に一撃をあたえる存在があったことは希望だ。核兵器と同じ抑止力である。

 私はイスラム教徒ではないし、正直イスラム国家は窮屈なので旅をしてもあまりたのしくない。肌に合わない。ただ、ひとには、命を賭しても守らねばならない誇りは必要だ。イスラム教徒にとって、ムハンマドの存在がいかにおおきいかは知っている。私自身、誇りを傷つけられ犯罪者になる寸前を、懸命に妻子への想いで抑えた(=息子を犯罪者の子にしたくなくて堪えた)経験が何度もある。いまも、我慢した自分が正しかったのかどうかわからない。激情を抑えてエラかったのか、ただの腰抜けなのか。いまだに、あいつを殺して刑務所に入るのが正しい道だったのでないかと夢見ることがある。このフランスの諷刺新聞は、何度も何度もしつこくムハンマドを侮辱した。怒って当然だ。彼らには迷うことのない聖戦だったろう。必然の結果だったと思う。
 キリスト教のてめーだけが正しいと思う感覚はやっかいだ。しかしもっとゴミなのは、キリスト教徒でもないのにそれに隷属している連中だ。この文を、キリスト教徒でもないのにハロウィンなんてのにはしゃいでいるバカが読まないことを願う。

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●「王将を歩兵が守る広告」と「福島原発事故諷刺画」 

「王将を歩兵が守る広告」と「福島原発事故相撲諷刺画」と「シャルリー・エブド」のテロ──これは諷刺なのか!?──に【追記】

「王将を歩兵が守る広告」と「福島原発事故相撲諷刺画」と「シャルリー・エブド」のテロ──これは諷刺なのか!?》に、以下の文を追記しました。

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【追記.1】──300万部発行

 事件後、「自由を守れ」のもとに、今までは3万部だったものを300万部発行。世界に配ったとか。 

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【追記.2】──フランスの宮崎駿

 フランス人のジャーナリストにこの事件について問うているテレビニュースを見た。在仏のフランス人のジャーナリストはフランス語で、「殺された編集長兼風刺画家はフランスにとって最高の藝術家、日本で言うなら宮崎駿のような存在だったのです」と語っていた。宮崎駿ね、ふーん。 

※ 


 フランスの諷刺画を描いている連中は、フランスの盛りあがりを歓迎はしていないようです。以下は上記アドレスからの一部引用。


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つねに資金繰りに苦心していた、公称6万部、実売3万部の弱小誌、しかも紙のメディアという、およそ時代遅れのこの雑誌は、多くのフランス人にもやり過ぎだと捉えられていたし、正面切ってこの雑誌が好きだと言う人はほとんどいなかった。
 
それが、今回の事件以後、突如、全国的に有名になり、最新号は300万部印刷された。政府からの補助金も出たし、個人の寄付も集まった。1月11日に行われた、反テロ・追悼集会では、フランス全土で370万人を超える参加者を数える、フランス史上最大規模の抗議集会となった。
 
表紙の絵を描いたルスは、襲撃事件が政治的に利用されることに違和感を表明し、11日の集会は「シャルリー・エブド」の精神とは正反対だ、と批判している。もう一人の生き残った漫画家ウィレムは、「いきなり自分たちの友だと言い出す奴らには反吐が出るね」と、辛辣なコメントを述べてさえいる。
 
しかし、そういう、お調子者のフランス人、自分たちを担ぎ上げて利用しようとする政治家たちをも、「Tout est pardonne しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」、と笑い飛ばしているのが、この絵なのだ。

ブログ話──ライブドアブログで裏広告が出なくなった──事故か御褒美か!?

 ここのところブログをアップする際、いやな広告が表示されなくなっている。なぜだろう。
 無料のブログなので、アップするとき、下の画像の「ok」の下に広告が出る。これは強烈だ。見ないわけには行かない。アップするとき、必ず目にする。なら広告料金も高いのか。その割りにはセンスのないのが多かった。いまも覚えているのは「SoftBankサイバー大学の額が皺だらけの猿顔の外人の女」と、「めいろまとかいう不細工な女の顔アップ」である。それを見るのがいやでブログをしばらく書かなかったほどだ。

 だれもが目にせねばならない場所だから広告料金は高いものと推測したが、「めいろま」というのは個人のメルマガの宣伝だった。その程度のことでここの広告料金が払えるのかと不思議だった。根性の悪そうな顔をした不細工なのに自分をいい女だと思っているのか、堂々と「遠くを見つめている顔のアップ」なんてのを毎日見せつけられて反吐が出そうだった。

 それがいま、下の画像のようになにも出ない。ありがたい。真っ白である。ここに「めいろま」なんてのの顔のアップがあり、ブログを書こうと思ったら必ず目にせねばならなかったのだ。どれほど憂鬱だったことか。

livedoorblog

 ところで「めいろま」とかいうのは、いまなにをしているのだろうと検索で出たツイッターアカウントに行ったら「ブロックされているので読めません」と出た(笑)。私があのひとのことを書いたのは以下の部分のみだ。ふつうでは目にとまらない。文章のタイトルにもしていない。となると、自分の名で検索して見つけたのか。

 私のブログでそのひとが登場する部分。 

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●ブログの広告に自分の持ち物が──うれしい偶然──土屋鞄のペンケース  2014/4/1

 ブログCMには、この表に出るのと、裏で書いているときやアップするときに出るものと2種類ある。表のこれはブログ内容に合わせて選ばれるらしい。キイワードで自動で撰ばれるのだろう。上のペンケースが出たのも私が萬年筆のことを書いたからだ。訃報を書くと墓石の広告が出たりして苦笑するが、内容と合っていると言えないこともない。

 つらいのは裏のほうで、アップのたびに出てくるCMがきらいだと、それだけで書く気が失せる。「めいろま」といかいう名前の不細工な女の顔を毎日見せられたときは、しばらくアップをやめたほどだ。 広告を完全にオフにするには月945円かかるようだ。いつもそれにしようと思いつつ、喉元過ぎれば、で忘れてしまう。そしてまた思い出す。馬券が当たったら1年分払うつもりなのだが、それがまた当たらなくて(笑)。

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 ここに出てくる「めいろま」という一言を見つけてブロックするのだから閑人だね。ところで、私がフォローしたのならブロックってわかるけど、一度も読んだことがないのにブロックってどうやるんだろう。わからん。私も気味の悪いのにフォローされてブロックしたことが何度かあるけど、それはあちらのアカウントがわかっているからだ。見知らぬ人間をどうやってブロックするのだろう。

 イギリス在住らしく、上から目線でえらそうなことを言っているのに、ひどい食事をアップして笑い者になっていると知る。そのtogetterはこちら。
 まあどの程度の女かはこれでわかる。不精だな。がさつだ。汚部屋だろう。いやはやひどい。こんなものを平然と、いや得意気にアップする感覚が、あの女の発言に出ている。こんなのがなにをえらそうに発言しようと信用などできるはずもない。瞬間でこの女を嫌った自分の感性に納得する。その画像を貼ろうかと思ったが、自分のブログにこんな汚い写真を載せるのはいやだ。やめる。興味のあるかたは上のtogetterで見てください。



 広告が出なくなった理由を、長年ライブドアブログをやってきて、星印評価が合格点に達した御褒美だと解釈しているのだが、どうなのだろう。単なる事故かなんかで、また明日あたりから復活するのかも知れない。もうすこし様子を見よう。

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【追記】 ──【芸スポ萬金譚】に書いていた(笑)

 もういちど自分の書いたものを調べて、

●芸能人は歯並びが命──フット後藤、バナナ日村、おぎ矢作──めいろま?──2013年9月17日

 に、その不快な広告を画像附き(上の白い部分にめいろまの顔がアップで入っているモノ)で書いていると知る。 これだとタイトルに名前が出ているから検索で発見したのだろう。一応芸能人ではないので、くくりを別にして、なにをしているひとか知らないので「?」もつけている。

 ここを読み返し、「芸能人は歯並びが命」という前前から書きたいと思いつつ、歯並びの悪い人に反感を抱かれることを懸念して書けなかったこのテーマを、めいろまへの反感から踏みきったと知る。いまも多くのひとに読んでもらっているこれを書けたのは、めいろまへの不快が始まりだったのだ。なのにフット後藤やバナナ日村のことは覚えているのに、この女のことは記憶から消えていた。前半の後藤や日村のことや、思い出としての小柳ルミ子や石野真子を、懐かしみつつ読んでいたが、この女のことは完璧に忘れていたので、後半になって「めいろま」が出てきて、この女への反感からこの文章を書いたと知っておどろいた。忘れていた。タイトルに名があるけれど、ほんの1、2行触れているだけと思っていた。ところが、この女への反感が始まりだったのだ。なのに忘却の彼方。それは人間の「イヤなことは忘れよう」という能力?からきているのだろう。ひさしぶりにその画像を見たら、当時の不快がゲップのように浮かんできて気分が悪くなった。ああいうものには出会いたくない。これからも広告が出ないことを祈る。

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【追記】──だれもがそのようだ──広告をなくしたのか!?

 上の「芸能人は歯並びが命」を点検する際、【芸スポ萬金譚】からのアップを実験してみた。するとあちらも広告が出ない。あちらはこことちがってまだ日が浅い。閲覧数もすくなく、「ご褒美」の対象にはなっていないはずだ。とすると、あまりの不評につきライブドアブログがアップの際の広告を一斉にやめたのか。そう思うしかない。理由はなんでも、なくなったことはありがたい。しかしそれはあちらの都合でいつ復活するかわからない、ということでもある。今後どうなるのだろう。

「王将を歩兵が守る広告」と「福島原発事故相撲諷刺画」と「シャルリー・エブド」のテロ──これは諷刺なのか!?

「王将を歩兵が守る」広告に将棋ファンが総ツッコミ 「完全に『二歩』」 2015/1/ 9 15:03
  
 2015年1月5日発売の経済誌「週刊東洋経済」(1月10日号 東洋経済新報)に掲載された広告にネットユーザーからツッコミが入っている。
   広告は金融・企業情報を分析、配信する「トムソン・ロイター・マーケッツ」(東京都港区)が出稿し、海外へ進出する日系企業向けに規制やリスクなどの情報を提供するサービス「トムソン・ロイター・アクセラス」をPRした。
 
「めちゃめちゃ弱いやぐら」
 将棋をモチーフにしたデザインで、「世界に挑むあなたを守る」と大きく表記されている。「王将」が六方から「歩兵」に囲まれている将棋盤上の様子をイメージ画像に採用、サービスを利用するメリットを訴えた。しかし、ネットではサービスの内容と異なる部分が着目された。
 
   6日、雑誌を見たと思われるツイッターユーザーが「王将をリスクから守るという意味のようですが...。それ、二歩です」と指摘、これに続けて「歩の下に角を打たれたら守りに困る」「めちゃめちゃ弱いやぐらや」とツッコミが入った。
 「二歩」は縦列に「歩兵」を2個配置する反則技だ。ちなみに相手陣地の3段以内に入った「歩兵」は裏返されて「と金」となり、すでにある「歩兵」と同じ縦列に配置してもよい上、十字の方向などにも動かせる(編注:「歩兵」は一歩ずつ前にしか動かせない)。
 
  画像では「と金」になっていない「歩兵」が2つの縦列で重複しており、完全に「二歩」の状態。広告デザインなので、実際の対局ではないのだが、熱心な将棋ファンにはこの「間違い」が見逃せなかった。

  トムソン・ロイター・マーケッツは取材に対し、「(広告の)内容の方を注視していたので、デザインは外注先から上がってきたものを信頼して使った。このような問い合わせは初めて」と驚きを隠せない様子で語った。


http://www.j-cast.com/2015/01/09224941.html

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 問題の画像はこれ。「週刊東洋経済」1月10日号。コピーは「世界に挑む あなたを守る」。敵と相対する王を5枚の歩が守っている。こんな守りじゃとても世界には挑めない。弾丸の飛びかう紛争地帯に臨むのに、周囲に幼稚園児5人を連れて行くようなもの。王様は、ひとマスではあるが、前後左右斜めどこにでも動け、下がることも出来る万能だから、前にひとマスしか動けず、下がることも出来ないこの5人の歩は、守備どころか足手纏いである。いったいどんなヤツがこんなことを思いつくのだろうと、腹立ちを通りこして感心する。

 トムソン・ロイター・マーケットとはなにか。

【トムソン・ロイターについて】
トムソン・ロイターは企業と専門家のために「インテリジェント情報」を提供する企業グループです。業界の専門知識に革新的テクノロジーを結びつけ、世界で最も信頼の置かれている報道部門をもち、ファイナンシャル・リスク、法律、税務・会計、知財・医薬・学術情報、メディア市場の主要な意思決定機関に重要情報を提供しています。本社をニューヨークに、また主な事業所をロンドンと米国ミネソタ州イーガンに構えるトムソン・ロイターは、100カ国以上に約60,000人の従業員を擁しています。

トムソン・ロイター IP & Scienceは、トムソン・ロイターのビジネスグループのひとつです。トムソン・ロイターは、日本では2つの法人登記(トムソン・ロイター・プロフェッショナル株式会社、トムソン・ロイター・マーケッツ株式会社)に分かれています。トムソン・ロイター・プロフェッショナルは、学術文献・特許・ライフサイエンスに関する専門情報を、トムソン・ロイター・マーケッツは、金融情報・国際ニュースなどを各分野のプロフェッショナルに提供しています。http://ip-science.thomsonreuters.jp/press/release/2013/new_appointment/

「企業と専門家のために「インテリジェント情報」を提供する企業グループ」らしい。 
業界の専門知識に革新的テクノロジーを結びつけ世界で最も信頼の置かれている報道部門」をもっているとか。 なら「将棋業界の専門知識に革新的テクノロジーを結びつけ」て「信頼を置かれている報道部門」でもって、もうすこしまともな広告を作って欲しかった。
「100カ国以上に約60,000人の従業員を擁して」いるそうな。 すごいな。だけどそれなりにまともな国ってそんなにないから、現地事務所に現地人何人かやとっているようなのもカウントしているんだろうな。
 今回の広告を出したのは、日本ではふたつの組織になっているうちのトムソン・ロイター・マーケット蠅里曚Α 
「金融情報・国際ニュースなどを各分野のプロフェッショナルに提供」するのが仕事だとか。

「(広告の)内容の方を注視していたので、デザインは外注先から上がってきたものを信頼して使った」そうで、どんな「外注先」がこんなデザインをしたのだろうと不可解。今回のこの騒動に対して「『このような問い合わせは初めて』と驚きを隠せない様子で語った」

 世界100ヵ国以上に60000人の従業員のいる国際企業だから、これを制作した日本の広告会社のデザイナーは将棋とは無縁の外国人なのだろうか。それとも将棋を知らない日本人デザイナーなのか。「世界で最も信頼の置かれている報道部門をもっている会社」の作った広告にしてはあまりにひどい。というかほんとうにもっているのか。信じられない。

 アメリカ人のアホがやっている滑稽な漢字ティーシャツや意味不明の漢字入れ墨と同じ程度の問題と割り切るべきなのだろう。問題の根源は同種だ。しかしそんな大きな世界的企業が「世界に発信する広告」となると、だいぶ問題の質がちがってくる。将棋ファンとして看過できない。



 私は、ここに「将棋軽視」というか、日本を軽んずる不快なものを感じる。ろくに調べも勉強もせず、「ま、こんなもんでいいだろう」という。
 もしもこれが「チェス」だったら、「世界に発信するCMだから=チェスに詳しい欧米人から抗議が来たら困る」との姿勢でもっと厳しくチェックしたろう。この広告が欧米でも掲載されるのかどうか知らないけど、たぶんこの将棋駒の姿勢は「和風」のアピールなのだろう。もしもこれがチェスなら、チェスを知らないデザイナーでも、知りあいのチェス好きに「こんな駒の配置でいいだろうか」と問うたり、本をひもといたりしたように思う。つまり「チェスをいいかげんに扱う←欧米人から抗議が来たら困るからそんなことはしない」「将棋をいいかげんに扱う←抗議なんかきやしねえよ。心配ない」という姿勢だ。

 この画像だって、王将の両脇に攻撃陣の飛車角を配置し、両隣を金銀が守るような形だったら、それがルール無視の実戦ではありえないような奇妙な配置だったとしても、将棋ファンは「飛車と角の位置が逆だよ」とか「なんでそんな低い形なのに角がいきなり6筋にいるんだよ」のような将棋的なケチはつけない。玉が飛車角、金銀を従えて進軍する日本将棋の美が世界に紹介されるのかとうれしくなる。この広告に対する意見の根底にあるのは、あまりに初歩的なあやまりである二歩の無智に対してではなく、「なんかこいつら、将棋を軽く見てんな」という将棋好きの直感なのだ。

「『このような問い合わせは初めて』と驚きを隠せない様子」ってところに、なんともたまらん白人的傲慢を感じる。「驚きを隠せない様子で語った」ひとは日本の会社の広報部の日本人だろうけどね。精神は白人だ。日本文化を見る視点がそうである。こんなものが社内で問題にならなかったという時点でこの会社に日本人はいないと言える。

 もしもアメリカの企業が、「日本古来の将棋駒を画像に使った広告を作り、日本市場にアピールしよう」としたなら、こんなことはない。きちんとその辺を調べて作る。それは上記したように日本の制作でもチェスならば、と同じである。この広告から感じる精神は、「世界に提供するのに日本的なものを起用しよう」という発想まではいいとしても、下調べと考慮をしないいいかげんさである。そしてなんともたまらんのが「日本制作」であることだ。それに絡んでいるのは、たぶん日本人であろう。このトムソンなんたらとかいう会社で、もしもアフリカ系黒人がこの広告を作ったなら、こんなことはしなかったのではないか。この件に関する醜悪さは「『このような問い合わせは初めて』と驚きを隠せない様子」に集約されている。最初からきちんと作ろうという気がないのである。いわば「真っ黒なもの」という広告で、墨とタドンと黒人の顔を並べたものを作り、黒人側から抗議されて、「えっ、こんなことしちゃいけなかったの!?」と驚くレベルである。世界100ヵ国以上に6万人もの使用人がいる会社にしちゃあまりに杜撰だ。しかし、こんなことを書いてもこの会社は、「いやあまいったよ、あんなことにまで抗議が来るんだね、インターネット時代はこわいね」なんて酒の肴にして反省はしていないだろう。そういう会社だからこんなものが作れる。

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 下の画像はフランスのサヨク週刊新聞が東日本大震災のあとに掲載した諷刺画。
 福島の原発事故と日本的なものの代表である相撲をからめている。無惨な建築物の残骸が背景にある。しかしあれは原発事故で崩壊したのではない。地震だ。世界有数の岩盤の固い地震のすくない地で世界一の原発天国を誇るフランスにはわかるまいが、こちらは地震多発の最悪の地盤で、想定外の天災をあれだけの被害におさえたのだ。あれがフランスで起きていたらおまえらは滅亡していたぞ。でももしそうなっても、日本人はその被害に対し、こんな画を描くことはないけどな。それが大和民族の品位だ。

 力士はやせこけ放射能により手足は畸型で三本になっている。目玉が飛びだし垂れている。しょぼくれたその表情。それを伝えるこの白人男の表情。「すごいぞ、フクシマのおかげで相撲がオリンピック競技になった!」とセリフにある。こういうのがフランスのユーモアとエスプリなのか。これが人類の守らねばならない表現の自由というものなのか。この画に拍手喝采した日本人サヨクもいたが。

 フランスで同様の事故が起きても、こんな画を載せる日本の週刊誌はない。日本人は礼節を心得ている。他人の不幸を笑い物にはしない。

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 2015年1月7日、フランス時間午前11時半、こういう画を売り物にしている代表的な新聞社が襲撃され死者が出た。その中には上の画を描いた男もいた。度々ムハンマドを裸体やエロに絡めて諷刺し、イスラム側から攻撃の警告を受けていたが、「やれんのか、やれるものならやってみな」と挑発し、今年に関しても「フランスにまだテロがない。1月中にやるのか? まだない。でも1月は31日まであるものな」と書いて起きた事件である。日本的に言うなら「堪忍袋の緒が切れた」になる。侮辱され、怒りで真っ赤になり、ぷるぷる震えている相手の前に胸を出し、「刺せるかよ、刺して見ろよ、そのナイフは飾りかよ!」とやって、ぐさりと刺されたわけだ。

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「度々ムハンマドを裸体やエロに絡めて諷刺」と一般報道通りに引いたが、あれらの画像を見ると、今度は「諷刺とは何か!?」となる。どう考えてもあれは諷刺とやらではなく、「嫌いな宗教の誹謗中傷」だろう。あそこまであれをしつこくやったら、そりゃ事件は起きる。こうなる。まことに筋道立っている。狂信的な行動だが、宗教とはそもそも狂信的なものだ。キリストもローマ教皇も諷刺していた。今回やられたのがたまたまイスラムだったにすぎない。

 しかし日本に関する画でも、どこが「諷刺」なのだろう。単にこれは地震の余波で原発事故が起き、大きな被害を受けた日本を嘲り、はしゃいでいるだけだろう。悪意しか感じない。私はこの画を見たとき、こんなことをする毛唐に天誅を加えられない己の無力がくやしかった。下の朝鮮人の垂れ幕も同じ。だからこそ、あっと言う間に世界一の義捐金を送ってくれた台湾のことを思うと胸が熱くなる。日本を案じてくれる台湾の心の対極にあるのが、下の朝鮮人の垂れ幕やフランスのこの画だ。こういうものの「表現の自由」を守るのが人間の文化なのか。

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 この事件に欧州はいま、「表現の自由を守れ」「テロに屈するな」と盛りあがっている。ひさしぶりにNHKニュースを見た。大勢のデモ。プラカードを掲げて涙ぐんでる女なんてのもいた。正義の闘いのようだが、基本はキリストとイスラムの衝突である。キリストとアラーの名のもとに、何億人死んでいるだろう。ヨーロッパの盛りあがりは反イスラムによるものだ。



 私がこの諷刺画に感じる不快と、上記の将棋駒の画像に感じるものは通じている。

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【追記.1】──300万部発行

 事件後、「自由を守れ」のもとに、今までは印刷6万、実売3万部だったものを300万部発行して世界中に配ったとか。
 (その後、さらに増刷して600万部を刷ったそうな。それはフランス史上最大の発行部数だとか。日本は毎日それ以上の新聞が刷られている。少年ジャンプでも最高時それぐらいあった。)

【追記.2】──フランスの宮崎駿

 フランス人のジャーナリストにこの事件について問うているテレビニュースを見た。在仏のフランス人のジャーナリストはフランス語で、「殺された編集長兼風刺画家はフランスにとって最高の藝術家、日本で言うなら宮崎駿のような存在だったのです」と語っていた。宮崎駿ね、ふーん。 

【追記.3】「許す」と「赦す」──「シヤルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題──関口涼子/翻訳家、作家 

 本論はフランス語解釈を軸とした「読売新聞夕刊」の下の画の解釈に対する意見(=異見)ですが、後半にあるフランスの集会や盛りあがりに対する被害者の意見は納得出来るものです。以下はそこからの一部引用。ぜひ全文を読んでください。

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つねに資金繰りに苦心していた、公称6万部、実売3万部の弱小誌、しかも紙のメディアという、およそ時代遅れのこの雑誌は、多くのフランス人にもやり過ぎだと捉えられていたし、正面切ってこの雑誌が好きだと言う人はほとんどいなかった。
 
それが、今回の事件以後、突如、全国的に有名になり、最新号は300万部印刷された。政府からの補助金も出たし、個人の寄付も集まった。1月11日に行われた、反テロ・追悼集会では、フランス全土で370万人を超える参加者を数える、フランス史上最大規模の抗議集会となった。
 
表紙の絵を描いたルスは、襲撃事件が政治的に利用されることに違和感を表明し、11日の集会は「シャルリー・エブド」の精神とは正反対だ、と批判している。もう一人の生き残った漫画家ウィレムは、「いきなり自分たちの友だと言い出す奴らには反吐が出るね」と、辛辣なコメントを述べてさえいる。
 
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●シャルリー・エブド事件考──9.11と真珠湾攻撃 

『将棋世界』2月号──羽生1300勝記事の秀逸さ──構成・鈴木宏彦さん、最高!

 12月27日に『将棋世界』2015年2月号が届いた。例年、年明けの1月3日に書店で買っているのだが、今年は毎コミと通年契約をしたので年内送附となったようだ。ありがたい。正月の楽しみが増えた。
 そういえばこの契約は今年の3月にしたのだった。「4月から消費税が上がると『将棋世界』も高くなる。でも3月中に年間予約すると一年分今までの値段で契約できますよ」と将棋連盟のサイトで知り、毎月書店で手にするのにも独特のたのしみがあり、すこし迷ったのだが、やってみた。消費税アップ前にまとめ買いなんてなにもしなかった。増税を意識してやったたったひとつのことになる。



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 毎年2月号は決着した竜王戦特集。写真は今年2014年の2月号。渡辺の十連覇を阻止して森内が奪還したところ。もともと森内から奪って始まった渡辺の連覇だったから、きっちりケリをつけたことで、好ましい形だった。
 が、たった一年で糸谷に取られてしまった。2015年2月号の表紙はもちろん糸谷。特集も大々的に竜王戦のこと。ま、それはみなさんが読むこととして先を急ぐ。(ネットにはまだ来年2月号の画がないので引っ張ってこれない。私の手元に現物があるのだからスキャンして載せればいいのだが、そこまでして糸谷の顔を載せる気になれない。というようなことから、どうやら私は新竜王があまり好きではないらしい、と知る。やはりマナーのわるいひとは好きになれない。)



「羽生1300勝最速達成」を特集した記事がある。鈴木宏彦さんの犢柔瓩箸覆辰討い襦なぜ「文・鈴木宏彦」ではないのかちょっと不思議だ。たくさんの資料を編集部が用意して鈴木さんがまとめたってことか。この構成、というか鈴木さんの文章がとてもいい。 

 今まで1300勝を達成したのは、大山、中原、加藤のみ。羽生は4人目だ。大山が62歳、これまでの最速が中原で60歳、加藤は71歳なのに対して羽生は44歳。いかにすごいことか。
 最多勝記録は大山の1433勝。あと数年で羽生がこれを追いぬくのはまちがいない。

 が、私がこの鈴木さんの構成に感激したのは、大山の時代にきちんと触れ検証しているからだ。一見、驚嘆の最速記録を作った羽生を讃える記事だから、羽生讃歌になりがちだが、そうではないのである。「今と同じような時代だったら、大山は1700勝していただろう」とある。前前からそう思っていた。単純に比べられるものではない。そこに踏みこんでくれた。痺れた。すばらしい。



 その前に自分の将棋歴を書いておくと、私は、「大山対中原」の時代に将棋に夢中になった。並べ方もあそび方も小学三年生の頃から知っていた。いわゆる無筋の将棋をともだちとやっていたが、あれは将棋ではなかった。きちんと勉強して夢中になった大学生時代が将棋青春になる。「大山対中原」の時代だった。イコール「振り飛車対居飛車」である。
 大山さんの本も中原さんの本もずいぶんと買って勉強した。いまもある。しかし大山の凄味と深さは受けにあり、素人がわくわくするものとはちがっていた。むしろ彼の盤外戦術まで駆使する勝負師としての気魄は嫌いだった。それと、若い頃の大山さんはなんでもやったらしいが、私が知った頃はもう振り飛車ばかり。それも四間飛車がほとんどだった。守りの金が角頭の護衛に進出して行く6七金のような受けの妙手で玄人を唸らせるものの、素人にはあまりたのしい将棋ではなかった。

 こんなことを書いて行くとまた果てしなく長くなるので急いで結論を書くが、言いたいのは、私は大山さんの熱心なファンではなかったということである。でも何冊も著書を買っているからアンチでもない。升田ファンのアンチ大山は大山さんの本を買ったりはしない。アンチではないが、振り飛車なら大内さんのほうが好きだった。大内振り飛車はわかりやすくスマートでかっこよかった。大内さんの本もたくさんもっている。
 最高に衝撃を受けたのは光速の谷川であり、自分で創った定跡を自分で壊しに行くようなオールラウンダーの羽生将棋だった。大山さんの時代は新手は隠していて見せない時代である。大山は、「妙手を出して勝った四間飛車を、次の対戦では居飛車側を持ち、その妙手を自ら超えに行く」というようなことはしない。敵がそれを凌駕し、妙手が新手が通用しなくなるまで、それを使う。でもまあこれは常識だ。どんな棋士もそう。そんなことをする羽生が凄すぎるのである。だから羽生は将棋の求道者なのだ。対して大山は「勝負師」であろう。
 私は、「大の羽生ファン、大山将棋はむずかしくてよくわからん、あまり好きではない」という立場である。だからここに書くことは、大山ファンが「よくぞ大山先生の偉業に触れてくれた。羽生なんかより大山先生のほうがずっとすごいんだ」ではない。羽生ファンで、あまり大山将棋を好きではない私が、だからこそ「よくぞその視点で踏みこんでくれた」と感激しているのだ。



 羽生が最速で1000勝を達成し、タイトル獲得数で大山を抜き、大山の最多勝を抜くのも時間の問題のように讃えられるほどに「でも時代がちがうだろ」と強く思った。同じように語れるものではない。それは誰のファンかとはちがう客観的な視点になる。大山の全盛時に七冠があったら、大山は楽々とそれを達成していたろう。当時と今ではタイトルの数も対局数もちがう。大山は特別だ。69歳で亡くなるまでA級に在位し、53歳で56勝、66歳で24勝しているひとなのである。まさに衰え知らずの怪物である。

 図は、年度対局数と年間勝ち星のベスト10。ともに大山は入っていないがメンバーと時代を見れば理由は一目瞭然。大山全盛時にいまと同じ対局数があったら絶対に入っていた。

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 2月号の特集では、鈴木さんがきちんとそこに踏みこみ、大山の勝ち星は二十代の時より五十代のほうが多いこと等を検証している。これは大山の五十代が二十代の時より強い、とは意味あいがちがう。大山が二十代の頃は闘う場がすくなかったのである。当然ここから「もしも大山の二十代に今と同じぐらいの対局があったなら」となり、その假定から鈴木さんは「大山は1700勝していた」と推論する。強く納得する。激しく同意。2ちゃんねる風に言えばハゲ同である。

 結びは、「羽生もやがて通算勝率7割を切り」となり、「70歳まで現役なら1900勝が可能」「それでこそ真に偉大な羽生」としている。強い棋士が五十代半ばで一気に弱くなり凋落して行く姿をいくつも見てきた。中原も米長もそうだった。谷川は五十前に弱くなった。羽生はどうなるのだろう。そういうことを思うほどに、大山の偉大さを思い知る。



 と、どうでもいい自分のことを書いたりして多少よたよたしたが、言いたいのは、「『将棋世界』2月号の羽生1300勝を讃える記事は、きっちりと大山の凄味も検証していて、とても良く出来ている」という話。

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【追記】──私の大好きな羽生の記録──名誉NHK杯 ──2015/1/8

 これはサイトの将棋の項目にも何度か書いているのだが、羽生がNHK杯戦を10回優勝し、初の「名誉NHK杯選手権者」になったときはうれしかった。もしも大山さんが御存命だったとしても、これにはすなおにまいったしたはずである。

 NHK杯戦が始まったのは1951年(昭和26年)。ラジオ放送である。『将棋世界』で当時の写真を見たことがある。スタジオで指すのをラジオで実況するのだ。このとき参加者は8名。大山さんは前年に「九段戦──十段戦、竜王戦の前身」ですでに優勝し参加している。優勝者は木村名人。大山さんの初優勝は1954年。すでに肩書は名人になっている。翌年も優勝し、初の連覇を成し遂げる。

 最多勝に関しては「時代がちがう、対局数がちがう」と言える。しかしNHK杯戦はむかしからあった。今年で64回目のこの棋戦で、羽生が10回優勝なら、大山さんはここでも20回ぐらいしていなくてはならない。まして開始初期は8人だけの参加、それから16人の時期も長い。いまのような多人数のものではない。でも8回しかしていない(いやそれでも61歳でも優勝しているからとんでもなくすごいんだけど)。羽生の優勝10回はすべて予選制度も取りいれられた全員参加になってからのものである。より価値が高い。NHK杯戦のような早指しに関しては、確実に「羽生は大山より上」と言いきれるだろう。

 大山、中原と比して名人在位が短く、永世竜王もまだの羽生だが、この名誉NHK杯は、ほんとに自慢できるすばらしいものだ。それにしても「10回」とは、NHKもずいぶんと敷居を高くしたものだ。もしも5回なら、大山、加藤、中原が達成していて、羽生は4人目だった。いつまでたってもひとりも出ないことに、「ハードルを高くし過ぎたのではないか」なんて反省も内部にあったかもしれない。しかしそれを羽生は見事に飛びこえて見せた。しかも四連覇での達成である。予選からある早指しのトーナメント戦で四連覇は絶対的な偉業だ。早見え能力は齢とともに劣化すると言われるが、羽生にそれはないようである。現役でこれに続くのは、佐藤、森内の2回だから、「名誉NHK杯」こそ、羽生だけの唯一の冠になるような気がする。

WiMAX機器交換の話──インターネット接続不可の日はないかも知れない──「日韓牘瀚畸埜鬚呂いが?──大高未貴」

 いま28日の朝の5時。いつものよう3時に起きて、今日からはもう休日なのでベッドの中で読書をしていた。
「日韓牘瀚畸埜鬚呂いが?──大高未貴」。私はあまり嫌韓関係の本は読まない。嫌いなものをいかに嫌いかと確認しても憂鬱になるだけだ。なら愉しい気分になれるものを読んだほうがいい。ベストセラーとなった室谷克実さんの「呆韓論」もすこし立ち読みしただけで十分だった。
 初期のものは読んだ。「マンガ嫌韓流」が出たのは何年だったか。友人のmomoさんがプレゼントしてくれた。2005年か。あれからもう9年も経つんだな。月日の経つのは早い。雷様はいつお立ちになるので? うむ夕立じゃ。

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 叮嚀な取材をして書かれた大高さんの作品だが、この国のことは知れば知るほど憂鬱になるのでどうでもいい。ほんと、国交断絶が望ましい。自称元従軍慰安婦が専用の養護施設で「強制連行された11歳12歳の朝鮮人少女を、日本軍人が殺し、犬に喰わせた」と喚き散らすあたりで本を閉じる。溜め息しか出ない。犬を喰ったり人間を犬に喰わせたりするのはあんたたちの風習でしょうよ。なんで日本人が朝鮮人少女を犬に喰わせるの。なぜそんなことをする必要があるの。このへんの妄想クソババアはもう気違いとしか思えない。ところがそこに日本人が団体で訪れて反省と謝罪の寄せ書きをしているのだ。写真がある。JRの組合、日教組の名が見える。朝鮮人キチガイババアよりもっとたちのわるい日本のサヨク。うんざり。

 大高さんにはもうしわけないが読了する気力がわかない。やはり私は韓国関係の本は読まないほうがいいようだ。
 ベッドの中でぼんやりとこれからしばらく続く「インターネットのない日々」を考える。年末に一週間もインターネットができないのか。不便だな。でも年末から正月ということは、休みの会社が多いから、いちばん迷惑を掛けない時期を選んだということか。しかしそれにしても……と考えて、起きだした。疑問がある。



 年末にひとつactivationせねばならないDTMソフトがある。29日からのインターネットが出来ない時間に掛かってしまったら困るなと懸念する。
 今時のソフトというのはみな「ネットでactivation」がふつうになっている。ネット環境のないところでは使えない。知っているつもりだったが、つい失念して失敗したことがある。日本で使っているDTMソフトを雲南の山奥にもちこんだ。DVDからインストールまでは順調にいった。しかし使用しようとすると「インターネットでactivationしてくれ」と出て使えない。ネット環境はない。けっきょく使えなかった。違法コピーに対抗する企業の防衛策であり、それは当然と思うものの、金を出して買った自分のモノが、ネット環境がないという理由で使えないことには不満が残った。この雲南の自作機には日本版Windows8を挿れているが、これも起動するたびにactivationしろと言ってくる。わずらわしい。それでもなんとか使える。DTMソフトは使えなかった。

 まずまちがいなく今度のソフトもネットactivationが必須であり、それが出来ないと使えないはずだ。購入前にそんな文言を見た記憶もある。そうなったら年末正月休暇の楽しみが大幅に減る。
 寝てはいられない。起きだして検索してみる。そしてこんなことを知る。



「12月27日までに連絡完了した利用者には年内に新機器を順次発送。27日以降のひとは年明け1月4日から発送」とある。
 私はぎりぎりだが27日午後に連絡がついた。すると27日は無理としても28日に機器発送、29日到着になるのではないか。もしも29日の0時から通信が出来なくなるとしても、29日午後に機器が到着してセッティングしたなら、「インターネットの出来ない時間」は実質的に0でクリア出来るのではないか。そう思えてきた。29日発送の30日到着とか、そんな形でも年内にクリア出来るのではないか。そうなったら出来ない時間はほんのすこしだ。

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 もしも日本中のWiMAX利用者が全員年末年始に一週間もインターネットが出来ない状況に陥ったら、それは社会的にも大問題となろう。なのにぜんぜんそんな話題はなく、上のことを調べるだけでも情報がすくなく苦労したほどだ。そうだな、きっと29日の停止前に新機器が届き、実質的な断線(無線だからこの言いかたはおかしいか)はないんだ。そう希望的に思うことにしよう。
 無料で交換してくれるあたらしい機器は上の写真。新製品大好きなので楽しみだ。
 DTMソフトのactivationさえクリアできれば一週間とまってもいい。それだけは頼む。activationが済むまで繋がっていてくれ。さてどうなるか。

WiMAXの都合で12月29日から1月4日までインターネットが停まる話のご連絡

 WiMAXの会社から電話が来た。いま話し終ったところ。これまでもなんどか来ていた。慌ただしい時間で出られず留守番電話になることが多かった。後に再生して「WiMAXの速度変更に関して連絡をした。また掛ける」という内容であることは確認していた。受話して、「速度変更についてお話したい」と言われ、「いま忙しいのであとにして欲しい」と断ったこともある。


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 今回初めて「あ、何度もすみませんね。どうぞ」と言って会話した。その内容におどろいた。Wifiの速度変更があり(110MB/Sにアップとか)、機器の変更(ルーターの交換)等があるまでは納得出来たが、なんとそのために「12月29日からしばらく通信不能になる」というのである。だいぶ前から毎週一度程度だが何度も掛かってきていた。留守番電話では「速度変更のお知らせをしたかったが、お忙しいようなのでまた掛ける」と機器変更には触れていなかった。その程度のことでなぜにこんなにも熱心に、と不審ではあった。今の時代「インターネットが一週間出来なくなる」は重要な問題である。いかに叮嚀に説明しようとも激昂するひともいたことだろう。それがあってか、オペレーターの女はなんだかおっかなびっくりで話しているように感じた。私は苛立ちはしなかったけれど、それはそれで事件だから、思わず「最初に掛かってきたとき受話していればこんなことにならなかったのか!? 留守電にしたことがこんな事態を招いたのか!?」とは問い質した。すると、なにがどうあろうと、なんぴとたろうとも、「12月29日から一週間程度は断線となる」と知る。WiMAX利用者は全員そうなるらしい。なら諦めるしかない。ここに書いたけれど、私はNTTの光フレッツとWifiを両方使っていた。それは無駄と知り今年の10月に光フレッツをやめ、Wifiだけにした。毎月光フレッツ料金3500円をむだにしていた。丸一年分だからもったいない。ふたつあった時期ならこんなことになっても平気だったのだが、やめたらこの事態。なんとも間が悪い。



REALFORCE
 実は、 ここのところブログ更新が滞っていた理由のひとつに、「気に入ったキイボードがない」ことがあった。キイボードは今までに何十台も買った。壊れたもの、壊れなくても気に入らないものは捨てまくってきたが、それでもまだ10台以上ある。気分によって使い分ける。ま、PC関係小物オタクであろう。その辺の事情はそのネタの時に書くとして、一番気に入っていたものを他所に置いてきたので、残りのものもそこそこなのだが、どうにも書くのが滞っていた。今日の午後、それを解決するために註文した東プレREALFORCEが届いた。ここ数ヵ月、打ちやすいキイボードに餓えていたので、ひきちぎるようにして開封し、すぐに繋いで打ち始めた。期待通りの逸品だった。明日から私も年末正月休暇である。いままでブログ更新が停滞していた分、東プレREALFORCEで書きまくるぞ! と思った瞬間のインターネット一週間停止のお知らせだった。
 
 ということで、明日の28日、インターネット停止前に有馬記念ネタでもひとつ書くつもりだが、29日から最短でも1月4日、最悪10日ぐらいまで、このブログは停止する。メールの送受信も出来ない。 緊急のかたは、電話連絡にしてください。私としてもこんなことは初体験なので戸惑っている。私は電話嫌いなのでほとんどがいまメール連絡である。みんなそれを知っているので電話をしてこない。だから、たとえば、12月30日に1月5日に飲みましょうと連絡をもらっても、私はそれを読めないし返事も出来ない。ぜひともここを読んでそれをご理解ください。



 2014年暮れから2015年始めにかけての10日間の休みを、私は「DTM製作に撤するつもり」でいた。 これが最優先。次ぎに読書。読まねばならない本の予定も立て、あらかじめ購入した本、図書館から借りた本を積みあげ、気合十分だった。そして大掃除。ここのところの繁忙で部屋が乱雑になっていた。時間を見つけては掃除をし、台所と居室の大掃除も済ませ、あとはPC部屋を整理して、28日からの大型休暇に突入する予定だった。インターネットにはあまりちかよらないが、でも音楽創りの過程や読書感想などをそれなりにアップして、という心積もりだった。「出来るのに、あまりちかよらない」と「したくても、通信出来ない」の差は大きい。



 東プレREALFORCEが届いたら書きまくるぞ! と意気込んでいたのに、それで書いた最初の文章がこれというのはちょっと皮肉だ。しかしまあすごいぞREALFORCE、これを使ったら他のキイボードは使えなくなる。インターネットは出来ないが、29日からの正月休み、文章は書きまくるだろう。 

 やりたくてもやれないインターネット一週間断ち(もっとかな?)の感想は、年明けに。それではみなさん、よいお年を。 

生活の党に山本太郎氏入党──小沢と山本、最強タッグで政権奪取へ!

生活に山本太郎氏入党 再び「政党」に 交付金も支給へ 

 先の衆院選で政党要件を失った生活の党は26日、新たに無所属の山本太郎参院議員を加え5人となった。総務省に同日、政治資金規正法に基づく政治団体の届け出を行い、再び「国会議員5人以上」の政党要件を満たし、来年の政党交付金を受け取ることができるようになった。

 党の正式名称は「生活の党と山本太郎となかまたちに変更した。代表は小沢一郎氏が引き続き務める。生活は衆院選の当選者が小沢氏ら2人にとどまり、「比例代表の得票率2%以上」の条件も満たせずに政党要件を失っていた。(産經ニュースより)

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 夢が実現した。最強タッグ。政権奪取まであと一歩。ほんのもうすこし、あと300人も所属議員をふやせばすぐだ!

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 しかし小沢、「生活の党」を「生活の党と山本太郎となかまたち」なんて名前にはしたくなかったろうな(笑)。でも山本はそれを主張する。受けいれないと入党しない。政党助成金4億円を取れるかとれないか。妥協する。みっともない。他人事ながらみじめな気分になる。山本太郎ごときに頭を下げる小沢。盛者必衰の理か。いやいや互いに民族の血を確かめあって和気藹藹かな(笑)。

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《関連テーマ》

窮地の「生活・小沢氏」野党再編展望描けず 所属4議員で「政党」から陥落 野党再編「民主」難色


衆院選で所属国会議員が4人になった生活の党。率いる小沢一郎代表は野党再編に意欲をみせるが…

 小沢一郎代表率いる生活の党は、衆院選の当選者が小沢氏含めわずか2人で、政党要件も失った。それでも野党再編に望みを捨てていない小沢氏だが、政党をつくっては壊してきた言動を、民主党など他の野党は警戒する。過去20年余りで8政党を渡り歩いた「豪腕」が、いよいよ窮地に陥っている。

 小沢氏はかつて自民党幹事長や民主党幹事長を務め400人以上の勢力を率いていた。今や生活は参院2人を含め所属国会議員は4人。政党要件に必要な「国会議員5人」を下回った。

 比例代表の得票率が2%以上あれば政党要件を満たすが、衆院選は1・93%で、昨年の参院選に続き達成できなかった。小沢氏が所属した勢力としては最盛期の100分の1以下に転落し、小沢氏も45年に及ぶ議員生活で実質初めて「政党」以外の所属となった。

 それでも小沢氏は15日の記者会見で「行動をともにする方がいれば考えていきたい」と述べ、「あと1人」の確保に意欲を示した。このままでは生活は来年の政党交付金の対象外だが、年内に所属国会議員が5人になれば4億円程度の交付金が手に入る。そのため、無所属議員らを勧誘する動きもある。

http://www.sankei.com/politics/news/141222/plt1412220018-n1.html

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「生活」山本太郎氏入党で政党要件満たす 他党議員からは酷評も…
2014.12.27


 小沢一郎代表率いる生活の党は26日、無所属の山本太郎参院議員と合流し、名称を「生活の党と山本太郎となかまたち」に変更した。「国会議員5人以上」という政党要件を満たし、来年の政党交付金を受け取れることになった。代表は引き続き小沢一郎氏が務める。奇妙な党名や山本氏の合流には、さまざまな反応が出ている。

 生活は12・14衆院選で政党要件を失ったため、小沢氏は無所属の亀井静香元金融担当相らに合流を求めていたが、「数合わせはダメ。関係ない」(亀井氏)などと拒否されていた。

 山本氏は昨年10月の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡したり、参院本会議にタートルネックにラフなスパッツ姿で臨み、参院議長に厳重注意されるなど問題行動が多く、「さすがに小沢氏も誘わないだろう」(民主党幹部)とみられていたが、背に腹は代えられなかったようだ。

 山本氏の合流や党名に対し、他党の議員がツイッターで反応している。

 民主党の長島昭久元防衛副大臣は26日夜、「亀井静香氏に断られた挙句に山本太郎氏とは! 政党要件を満たすためなら何でもありなのか。しかも、この人を食ったような政党名は何なのだ」と書き込んだ。自民党の三原じゅん子女性局長も「まあ、どうでもいい話ですが、思わず笑ってしまいました」とツイートしていた。 
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20141227/plt1412271525002-n1.htm 

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 『週刊新潮』2015年1月15日号。
「4億円が欲しくて生き恥の党名を呑んだ『小沢一郎』ここまで堕したか?」。

 〈4億円にのぼる“濡(ぬ)れ手で粟(あわ)”のカネ〉目当てで党名が「生活の党と山本太郎となかまたち」、まさに〈カネ欲しさの野合〉

shincho2015



《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツィート》に【追記】──及川さんはノンポリ

《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に、以下の文を追記。


【追記】──及川さんはノンポリのようだ──2014/12/19

 12/17に下のツィート。これは衒った意見(ウヨクが「じつはおれの基本はサヨクなんだ」と言ったり、サヨクが「自分こそが真の保守派なのだ」と言ったりするパターン)ではなく、正直な胸中の吐露だと思う。私は今回の件で初めて及川さんのツィートを読んだが、そこから政治思想のにおいを感じなかった。その直感には自信がある。

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 この直感はとても大事だ。及川さんには感じなかった。でもAmazonレビューにはびんびん感じる。一瞬で「あ、こいつは」と見抜ける。あそこには保守論客百田嫌いのサヨクが跳びはねている。「永遠の0」に反感を抱いた連中がここぞとばかりにはしゃいでいる。

 及川さんはここで表明しているように右も左も関係ないノンポリなのだろう。上杉なんて詐欺師をフォローしているのはその証拠になる。といって、「思想なんか自分の胸だけにあればいい」はかっこいいセリフではない。これは政治音痴ノンポリがノンポリであることに居直るときの常套句である。新橋あたりの居酒屋にもあふれている言いまわしだ。このツィート、最後の一行は不要。「見た目のよさと話のおもしろさだけだ」で結んだほうがいい。

選挙話──田母神さん支持──デヴィ夫人の意見に隠されている北朝鮮

 下は、《デヴィ夫人のブログ》から選挙に関する意見。



日本の皆さん、比例区は 『次世代の党』 にお願いまします。

14日(日)は 衆院選の投票日です。皆さん、 投票に 必ず 行きましょう!

皆さんの 1票が 日本を変える 大きな力があるのです。


私は 『次世代の党』(最高顧問  石原慎太郎氏、党首は 平沼赳夫氏)を 応援しています。

アメリカに追従し、 中国に遠慮し、 韓国に気遣いをしている情けない日本は 強く変わらなくてはなりません。

日本領土の防衛は、 アメリカに頼らず日本で 守りましょう。

そうでないと 真の独立国家とは 言えません。




 これだけを読むと全面的に同意である。アメリカに隷属しているなさけない現状、中韓に対する委縮、まったくそのとおりである。
 しかしこのひとに関してはもうひとつポイントがある。

 アメリカ、中共、韓国は出て来るが、北朝鮮は出て来ない。北朝鮮はデヴィ夫人最愛の国なのだ。このひとの意見は、ここに北朝鮮を絡ませると豹変する。いきなり「何万人もの朝鮮人を強制連行し酷使し」と社民党あたりと同じ事を言いだす。北朝鮮愛と比したら、次世代の党も田母神さんも相手にならない。

 それは《正気とは思えないデヴィ夫人の北朝鮮讃歌──最愛の北朝鮮の前では、石原、橋下、みんな否定》に書いた。みんな否定して最後に残るのが小沢一郎なのである(笑)。そりゃ小沢は母国朝鮮は大好きだ。



 また上掲のデヴィ夫人の文章には、

日本を変え、 日本を取り戻したい方、狷本人の  日本人のよる  日本人のための瓠惻\ぢ紊療沺戮 是非、 投票して下さい!

安倍政権を支え、 足並みを揃えられるのは『次世代の党』です。


 とあり、安倍政権支持のように見えるが、デヴィ夫人は石波支持者であり、北朝鮮と対立する安倍首相は否定している。
 それは《朝鮮愛ひとすじのデヴィ夫人は熱烈な石波支持だと今ごろ知りました》に書いた。ほんとにもうこのひとはすべての判断基準が北朝鮮にある。願いは石波が首相になり北朝鮮との国交樹立なのだろう。



 けっきょく最上位に「北朝鮮愛」のデヴィ夫人が真に信じる政治家は小沢一郎だけになる。
 田母神さんは北朝鮮を認めていない。北朝鮮の話を始めたら田母神さんとデヴィ夫人は対立し、デヴィ夫人は激昂して袂を分かつだろう。石原、橋下と同じく北朝鮮愛の前には田母神さんも吹き飛んでしまう。とするならこの応援は悖反している。

 その矛盾については《都知事選──デヴィ夫人の応援は田母神さんにプラスなのか!?》に書いた。今回のこれも同じようなものだ。結論も同じ。「デヴィ夫人の応援は田母神さんに役立つのだろうか。応援演説やブログ文で、田母神さんに投票してくれるひとがひとりでも増えるなら、それは感謝すべきことなのだろうが……」になる。デヴィ夫人はすなおに小沢一郎の応援に行けばいいのだ。小沢も落ち目で今回はたいへんな状況だ。地元にもどってドブ板選挙をしている。大震災のあとは放射能が怖くて帰らなかったのにね(笑)。デヴィ夫人は岩手に行け。そこで小沢と一緒に北朝鮮を讃美しろ。それが矛盾のない行動だ。

 といって私はデヴィ夫人嫌いではない。それは私の《デヴィ夫人項目》を読んで頂けばわかる。私ほどこのひとに深い興味をもっているのはいないのではないか(笑)。いやほんと、このひとはむかし世話になった男への恩義を忘れない古き良き花柳界の女みたいな感覚で、そこのところはじつに好ましい。北朝鮮愛も「インドネシアで苦しい時代のわたしを助けてくれた金日成首相への恩義」から出発している。「アメリカ嫌い」も、「そのころいじめられた」から始まっていて、まことよくもわるくも女らしい女である。だがこのひとの日朝歴史解釈は間違いばかりで肯んじることはできない。



 西東京在住の私は選挙区では投票する候補者がいない。明日は比例代表で次世代の党にいれてくるだけだ。小選挙区制反対と同様に比例代表制なんてくだらないものはすぐに廃止すべしと思っているが、今回はこれのおかげで参加できるのは皮肉だ。

《「怖いよお、放射能がくるよお」と布団を被ってブルブルふるえている母さん》(←なんちゅうなさけない60代だろう。娘がそうならわかる。それを叱り飛ばすのが母親だ。こんな腰抜けの60代がいるとは信じがたい)とともに着の身着のままで西日本に疎開してもう三年も経つのに、都知事選に当日の朝「不在者投票」で参加できたりする法規を超えたスーパーマン<きっこさん>がうらやましい。私にも<きっこさん>のような超能力があったら西東京に住んでいながら東京12区で田母神さんに票を投じてくるのだが。

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追記──青木愛の応援に山本太郎(笑)

 東京12区の生活の党(笑)から立候補の青木愛の応援に山本太郎(笑)が駆けつけたのだとか。まことに民族愛の強いかたがたである。小沢─青木─山本……なんだかな(笑)。

 今回の選挙、私は「生活の党と社民党が大躍進し350議席を獲得。両党の連立政権樹立。小沢一郎首相誕生」と読むが果たしてどうか。20時からの開票速報が楽しみだ。もしも生活の党と社民党で350議席取れなかったら鼻からカルボナーラ喰ってやるよ。ってどこかで聞いたことあるな。

将棋話──竜王戦2014第五局──歪んだ2三歩──知らんふりの糸谷、直した森内!?

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11手目。
角を交換する。糸谷の手が2三の歩に当たり、やや斜めを向いてしまったが、糸谷は気にするそぶりを見せない。

12手目。
森内は2三の歩を直さないまま2二の金を取る。早くも盤上の勝負以外での戦いが勃発した感じだ。

13手目。
糸谷は7七に銀を上がって湯呑みに手を伸ばす。果たして先に2三の歩に触るのはどちらだろうか。

14手目。
「直さない、直さないねー」と控室。また森内の顔は少し怒っているようにも見えると控室では言われているが、「ここまで来たら森内さんは直せないですね。問題は糸谷さんに直す気があるかどうか」と、対局以外のところでの雑談が始まった。

23手目。
禁断の地点と言われている2三を森内の手が通過し1筋に手を伸ばす。もちろん2三に触れるそぶりは見せない。森内にとって、そのときが来るのは△2四同歩、または△2四歩と応じるときのみとなりそうだ。

27手目。
着手後眼鏡を上げ、手のひらを顔にかざす糸谷。心優しい棋士だけに、「やってしまったなー」という思いはどこかにあるかもしれない。

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49手目。
時間を掛けずに穴熊に潜った。
「これはなんなんでしょうね。どうして考えずにさせるんだろう。これは仕掛けると思いますよ」(富岡八段)
対局開始から1時間が経過。ここで本局で初めて糸谷が席を立った。
ややあって森内が2三の歩を形よく直す。ここは森内が寛大な姿勢を取ってみせた。
糸谷が対局室に戻ってきた。もちろん2三の歩の直りには気付いているはずだが、気にする様子も見せず席に着いた。

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感想(続く) 

従軍慰安婦問題──反省しているようで反省していない北海道新聞──アサヒもドウシンも同じ

あの名高いサヨク偏向新聞、北海道新聞がアサヒに続き、詐欺師吉田清治の証言を元に作った捏造記事に関する反省を載せたらしい。アサヒが反省するようでいてじつは居直っていたのに対し、それに関する掲載記事7本をぜんぶ再録し(アサヒは1本のみ)、すこしはまともに反省しているかのように思えたが、よく読んでみると、やはりぜんぜん反省していない、というお話。くわしくはこちら。

・北海道新聞の慰安婦検証特集─生かされなかった朝日の教訓

それにしてもこんな事実無根の記事を載せていたのだ。新聞の効果と信頼は大きい。日本を愛する多くの道民が、「むかしはこんなひどいことをしていたのか」と俯いたことだろう。まったくのウソなのである。吉田清治という詐話師の完全な作り話、済州島に住む朝鮮人が「そんな話、聞いたこともない」ときょとんとする荒唐無稽な作り話なのである。



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「朝鮮人慰安婦の強制連行」

「まるで奴隷狩り」

「殴って、子引き離し」

「陸軍と警察、行政一体で」


すべてウソ。事実無根。無からのでっちあげ、虚空のウソ話。写真の吉田清治は「痛恨の告白」で涙を拭っているのか。なんともおそろしい世界である。こんなもの読まされたら誰でも信じてしまうだろう。

吉田清治という詐話師の作り話、ここぞと飴をなめに来る弁護士・福島みずほ(これをきっかけに国会議員まで登りつめる)、大々的にそれを報じるアサヒ新聞、それに続くドウシン、サヨクマスコミ、こりゃおいしいと浮かれる朝鮮半島、世界中にそれを喧伝し、アメリカの都市に「従軍慰安婦像」なるものが建つまでになった。まさに吉田清治というウソツキジジーの一滴のウソが今じゃ世界的大河となっている。

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この問題の異様さは、「日本から始まっていること」だ。ふつうこんなものは被害者ぶって金を得ようとするのが騒ぎたて、こちら側は「そんな事実はない」と否定して論争になる。ところが朝鮮シナに関わるこの種の問題は、あちらはなにもしない、しらない(事実無根なのだから知るはずもない)のに、日本のサヨクが「こんなことがありますよ」と捏造することから始まっている。なぜこんなマスコミが存在できるのだろう。しみじみへんな国だと思う。

続・イニシャルの話──日本人のイニシャルは姓名の順──My nama isからI amの時代へ

 今や外国語教育は小学校でも必修となった。家庭でも授業を終えた子供が、覚えたばかりの英語で話しかけてくるかも知れない。しかし、不用意に自分の常識で対応するとあいさつの段階で恥をかく。

Hello, my name is Ken Tanaka.〉は教科書に載っていた一番はじめに教わる英語のあいさつだ。

 このようにMy name isのあとに「名―姓」の順で習ったはずだ。しかしMy name is〜のあいさつは「古い言い回し」として今の教科書では使われなくなった。
 
 現在中学一年生の教科書ではI am Tanaka Ken.と、 I amと「姓―名」の順で名乗るのが標準なのだ。

 姓名の順は2000年に国語審議会が「国際社会に対応する日本語の在り方」で、日本人の姓名についてローマ字表記を「姓―名」の順にすることが望ましいと答申したことが大きく反映されている。
SAPIO2014年12月号

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 時代は正しいほうに動いている。西洋人コンプレックスで、日本人が姓名を逆さに言う時代は終った。

kanren7 日本人のイニシャルは姓名の順が正しい──2013/08/07

従軍慰安婦問題──全部ウソと断言──アメリカ人マイケル・ヨンさんの意見、訳してくれたケント・ギルバートさんへの感謝

12月1日、早朝、出かける前に百田尚樹さんのツイートを見る。以下の画像。

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クリックして行ってみると、それは《アメリカ人マイケル・ヨンさんが、朝鮮の主張する「日本軍による従軍慰安婦20万人強制連行がいかに根拠のないトンデモか」ということを理詰めで証明した文を、テレビでもお馴染みのあのケント・ギルバートさんが翻訳し、フェイスブックで紹介してくれたもの》だった。

行って、読む。うれしかった。アメリカ人が、第三者の立場から、あの根拠などなにもないトンデモ話のアレを、「そんなことあるかいな(笑)」と断じてくれたのだ。

ほとんどツイッターはやっていないし、まして「リツイート」なんてめったにしないのだが、すぐにした。うれしかった。百田さんが100万回お礼を述べたいと言う気持ちが分かる。私もありがとうと100万回手を合わせたい。あの「インチキ従軍慰安婦少女像」を建立するアメリカの都市もあれば、こんなことを言ってくれるアメリカ人もいる。それがあの国の懐の深さだ。世に希望はあると感じた。



詳しい中身はみなさんに読んでもらうことにします。
アドレスはこちらです。ケント・ギルバートさんのFacebook。



マイケル・ヨンさんは、ごく素朴に問題の本質に迫る。

・当時の朝鮮の人口は2300万人。いまのテキサス州の人口が2600万人。ほぼ同じ。それに例えてみる。この人口2600万人のテキサス州から、支配している宗主国、あるいは攻めこんできた他国の軍隊により20万人もの少女、娘、若い人妻、それらが拉致され性奴隷にされたら、どれほどの問題が起きるだろうか、と。

・そんなことをされたら、少女や娘の父親、妻の亭主等は叛逆しただろう。血で血を洗うたいへんな騒ぎになったはずだ。だがそのような記録は一切ない。それどころか併合時代に朝鮮民族は人口を増やしている。こんな殖民地支配の例はかつてない。

・では朝鮮人の男とは、そのような理不尽なこと──いたいけな娘や最愛の妻を暴力的に売春婦として攫われる──をされても一切の抵抗をしない腰抜けばかりなのか!? いやいや朝鮮男の勇猛さは、後のベトナム戦争においても実証されている。極めて勇猛残酷な男達である。日本軍にそんなことをされたら命を捨てても闘ったろう。勇猛な朝鮮男が、最愛の娘や妻を暴力的に20万人も拉致され、性奴隷にされて、なにもせずじっとしていたはずがない。

・答は簡明。そんな事実はなかったのである。すべてはウソなのだ。

マイケル・ヨンさんはまた、「韓国大統領パク・クネは、そういう日本軍の罪を主張するが、父親の元大統領パク・チョンヒは、当時日本軍の軍人だった。とするなら、『朝鮮人少女20万人強制連行』は、父親の罪にもなるのではないか!?」という皮肉な命題も掲示している。



マイケル・ヨンさんが言ってくれたこと、ケント・ギルバートさんが訳してくれたことは、内容的にあたらしいものではない。ごく当たり前の歴史的事実として日本人は今までもさんざん主張としてきた。しかしそれは「泥棒にされたひとの『おれはやっていない』」でしかなかった。ところが今回通行人の第三者が「あのひとはやっていない」と言ってくれたのである。テキサス親父と同じく、なんとありがたいことだろう。涙が出るほどうれしい。百田さんと同じく100万回ありがとうを言いたい。

ケント・ギルバートさんは、キョセンのあの番組でしか知らない。キョセンとちかいのだからキョセン的なひとだと思っていた。うれしい勘違いだった。ありがとう。心からありがとう。

しかし真の問題は、こんな当たり前のことを言ってくれたひとに対し、「涙が出るほどありがたい」と感謝せねばならない状況なのだ。
日本人は外交下手、ディベート下手だ。それは日本人ひとりひとりの問題でもある。

それにしてもうれしい話だ。朝鮮人ロビイストのばらまく金で、あの事実無根噴飯物の「少女像」を建立するアメリカ人ばかりじゃなかったんだな。アメリカ人のジャスティスを信じられるなんともうれしいトピックだった。

《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に追記

《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に、以下の文を追記。知名度について。

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百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

以下本論からすこし離れて「知名度」について。
私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかを知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている自信はある。智識とはそんなものである。

今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。
でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。どう考えても百田さんの落ち度だ。

でもそれでいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。

ことば──「残滓─ざんし」の読みかた──室谷克実さんの講演から

「呆韓論」「悪韓論」とヒットを連発している室谷克実さんの講演をネットで見た。「ざんさい」と口にされていた。前後の話から推測するに「残滓」でまちがいないと思われる。「残滓─ざんし」の百姓読みだ。旁(つくり)が「宰相」の「宰」なので、ここからの推測で「ざんさい」という読みが発声する。

 室谷さんは慶應の法学部を卒業後、数年前の定年まで時事通信で記者をしていたかたである。編集長も勤めている。「残滓」を百姓読みで「ざんさい」と読むひとがいるとは知っていたが、今まで出会ったことがなかった。まさか室谷さんのようなかたが口にするとは思わなかった。あの麻生首相の誤読以来のショックである。いやそれよりもおおきいかも知れない。あの場合は単に麻生さん個人が漢字が苦手だったにすぎない。その個人が日本国の総理だったので大きな話題となったわけだが、室谷さんの場合は、いわばことばの専門家である。これは「時事通信社では残滓を爐兇鵑気き瓩汎匹爐海箸ふつうになっている」ということだ。つまり室谷さんの周囲にいるひとたち、同僚、部下も、みな現場で「ざんさい」と言っているのである。報道の現場で「ざんさい」と使われているのだ。「そういう読みをするひとがいる」とは知っていても、私の周囲にはひとりもいないし、かつて耳にしたこともなかったから、私にはとんでもなく大きな事件だった。
 普及している百姓読みには、「些細─ささい」を「しさい」、「洗滌─せんでき」を「せんじょう」なんてのがある。これもみな旁の読みからの発声だ。それらは日常的に耳にするが、私はいまだかって「残滓」を「ざんさい」と読むのを耳にしたことがなかった。私の知らないところでどんどん時代は変っているらしい。
 

 
 それはとてもショックではあったが、私の持論からするとさほどのものでもない。なにしろ私は「脆弱─ぜいじゃく」を「きじゃく」と読んだひとが笑い者になるたび、「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と反感を抱き、「もう読みは爐じゃく瓩播一してしまえ」と思うほうだったからだ。
 偏(へん)と旁(つくり)から成る漢字を旁で音読みするのは日本人の習性だ。よって「脆」の旁の「危」から「きじゃく」という読みが生まれる。それは間違いとされる。まあ国語の試験的にはまちがいであるけれど。

 「ぜいじゃく」が正しく「きじゃく」は間違いという根拠は、「脆」の字を「ぜい」と発音することが、シナの原音にちかい(漢音でゼイ、呉音でセイ)という理由にすぎない。これはそれほど重要だろうか。日本人の漢字使用とは、そもそもが「和語に漢字を当てはめた」という「当てはめゲーム」にすぎない。なら「RADIO」から「ラジオ」という日本語を作ったように、「脆弱」を「きじゃく」と読む日本語があってもいいのである。「脆弱をきじゃくと読んだ。正しくはぜいじゃくだ」という批難は、「RADIOをラジオと言った。正しくはレイディオだ」と言うのに等しい。たいしたことじゃない。
 

 
 このブログでぜひ読んで欲しいテーマに「三年遅れの麻生首相漢字誤読論」がある。ここでの私の意見も同じく「漢字の読みなんかどうでもいいじゃないか。つまらんことで大騒ぎするな。政治家にはもっと大切なことがある」になる。だがそれを理解できない麻生信者から、「おれたちの麻生先生を否定するヤツが現れた」とばかりに、「むかしは順風満帆をジュンプウマンポと読んでいたのだ。ジュンプウマンポで正しいのだ」とか、「留学の長かった麻生先生は、ことばをまず英語で頭に入れ、それを日本語に訳して口に出すので時間が掛かるのだ」などと寝惚けた反論がとどいた。こちらの言っている要旨が理解できていない。自民党後援会員にはバカが多い。私の言いたいのは、「漢字の読みなんてどうでもいいじゃないか」に尽きる。麻生さんの味方なのだ。

 数日前に書いた、「弁える─わきまえる─ベンの字について」も、肝要なのは「弁えるという表記が醜い」である。「わきまえるは爐錣まえる瓩班修垢襪里いいが、どうしても漢字を当てたいなら、以前使われていた猾える瓩任△蹐Αこれには意味的に通じる部分がある。しかしなんの意味もない猜曚┐覘瓩鷲塒佑澄廚箸いΥ岨大好き者を嗤った意見だ。
 

 
 私のこの脳内理論はだいぶ前からなのだが、まだまだ「きじゃく」と聞いたらピクンと反応するし、もう時事通信社では常識らしい「ざんさい」にも脊髄反射してこんなことを書いているのだから、なかなか現実の感覚とは一致しないようだ。誤解しないでいただきたいが、私は「読みなんてのは時代とともに変って行くだろうし、めくじら立てなくてもいいじゃないか」とは思っているが、かといって自分が率先してそれをしているわけではない。私はこれからも「ざんし」であり「ぜいじゃく」である。今風の「憮然」や「閑話休題」の使いかたにも逆らって行く。

 願うのは、自分の好きなひとにはそれをしてほしくないということだけだ。過日「チャリンコ嫌い──朝鮮語から来たコトバ」を書いた。親しいひとに「チャリンコ」「ママチャリ」「ゲンチャリ」等と使うひとがいないことには救われる。大阪の朝鮮人部落から始まったことばだから、ダウンタウン一派の大阪芸人はみなこのことばを連発する。気分が悪くなる。対してビートたけしを始めとする関東芸人に使うひとはすくない。まことに「ささい」なことであるが癒しになっている。

勤労感謝の日──三田祭のころ──ここを過ぎると冬──ギターの手入れ

 11月23日。祝日。勤労感謝の日になると毎年三田祭を思い出す。卒業後、後輩達がコンサートをやっている何年かは行った。その後はもう何十年も行ってないし、これからも行く気はない。なのにこういう若いときに刻まれた想いというのは強烈で、お恥ずかしい話、毎年毎年この日が来るとワンパターンの記憶がよみがえり、同じ事を思う。文化祭でのコンサートの準備、あれこれあった四日間、そして撤収。
 以下の話はもう何度かサイトで書いたことの繰り返しになるが。



 私が一年生の時に三田祭実行委員長をやっていたのがいま民主党代表の海江田万里さん。四年生かな、五年生だったように思うのだけど。海江田さんはベ平連の活動をしていて、そのころから目立っていたひとだった。所属していた音楽サークルの関係から私も三田祭前夜祭の警備員のようなものに借りだされた。当時の学祭というのはだいたいにおいてサヨクが仕切っていた。中核だの革マルだのある中で、慶應でのみ隆盛だったフロント派というののヘルメットを被らされた。土方のバイトでヘルメットを被ったことは何度もあるが、学生運動のヘルメットを被ったのはこれが最初で最後になる。私は当時いまで言う「自虐史観」に染まっていて、シナ、朝鮮に対して罪悪の意識を持っていたが、マルクスレーニンには染まらなかった。



 前夜祭に、村八分、吉田拓郎、南正人、外道、豊田勇造等が来た。本祭には頭脳警察、遠藤賢治らが来た。彼らの全盛時代だ。当時のことを思うと、私にはいま40歳の<きっこさん>が村八分や頭脳警察を好きなことが理解できない。彼らも彼らのファンも団塊の世代だろう。まして彼らの世代にちかい私でも彼らを好きではなかったし、あれはかなりマニアックなひとの好む音楽だ。思えば思うほど<きっこさん>がわからない。

 前夜祭の吉田拓郎の警備を任された。控室(という教室)の前にヘルメットを被って立った。出番が来たのでたくろーさんにそれを告げた。その距離、1メートル。今までの人生、吉田拓郎までの最短距離。

 いまネット検索したら、こんなこと(=この年の三田祭の中身)までも記録されている。すごい時代だな。前夜祭にはっぴいえんどが来たとある。覚えていない。たくろーさんの警備でステージを離れていた時間だろうか。たくろーさんが「馬」を歌ったのは覚えている。中津川で話題になった後だったので、「『人間なんて』を歌え!」と声が飛んだが歌わなかった。頭脳警察も前夜祭に来ているとある。私の記憶にあるのは階段教室で開催された本祭での頭脳警察だ。当時は売れっ子だったから両方来たのか。当時の私は心情的左寄りのウスラバカだが、頭脳警察に感じるものはなにもなかった。

 前夜祭で私が最も感動したのは豊田勇造のギターテクだったブルースを弾き語りでやっていて、なんともかっこよかった。影響を受け、それから彼のスタイルを模倣した。そのことからデルタブルースにはまってゆく。ということで「豊田勇造さんて現役なの?」と検索したら、いまも旺盛に活動されているらしい。御同慶のいたり。ネットですこしだけ見た豊田さんの今の演奏スタイルは当時私が憧れたものとはちがっていた。そりゃ40年も経てば音楽スタイルも変るか。

 三十年後、タイのチェンマイの日本食堂『サクラ』で、南正人さんと知りあう。



 この時期に「秋の天皇賞」があった。府中の3200メートル。秋の大一番。トライアルには目黒記念、オールカマー、毎日王冠があった。最重要トライアルは同舞台2500メートルの目黒記念。昭和56年にジャパンカップが創設されることになり、秋天もトライアルも距離、日程も変更されいまのようになった。三田祭のときに参戦した天皇賞がなつかしい。慶應にも競馬研究会があり、その部屋にもぐりこんで、そこのテレビで観戦した。早稲田の競馬研究会からは多くのひとが競馬評論家となって活躍しているが慶應からはひとりもいない。あのころの慶應の競馬研究会のメンバーはいまなにをしているのだろう。大手商社に勤めて、出世して、今はリタイア、であろうが……。

 故・大川慶次郎さんはあたらしい体制になってからも「京都よりも府中の3200メートルのほうが実力が発揮されて天皇賞にふさわしい」と語っていた。府中の芝2000はコース的に問題がある。しかしJCを最高峰と据えたら秋天はトライアルとなり距離短縮はしかたなかったのだろう。後にメジロマックイーン問題が起きている。
 といって私に懐古趣味はないから、あの当時の枠連しかない競馬をたのしかったとは思わない。いまのほうがずっといい。しかしまたそれとはべつにあのころの思い出は胸に刻まれ消えることはない。

 競馬業界に就職するつもりは毛頭なかったが、就職掲示板に日刊競馬の募集があったことを妙に鮮明に覚えている。



 毎年「11月23日前後は文化祭開催時期として遅いのではないか」と思う。多くの大学がそうであるように11月3日の文化の日前後が最適ではないのか。ほんとにこれ、毎年毎年この時期になると思う。かといって当時が恋しいとか、三田祭に出かけてみたいとかではない。それはない。まったくない。だけどそれこそ季節の風物詩のように、毎年この日を迎えると条件反射というのかバカの一つ覚えというのか、「この季節は学園祭開催の時期としては……」と考えている自分がいる。それを知って赤面する。毎年(笑)。なんなのだろう、これ。
 学生のときは他大学と時期がちがうことを誇りに思っていた。日吉と三田のキャンパスに舞う銀杏の葉がうつくしかった。うん、あれはきれいだった。学生時代の風景をひとつだけ選べと言われたら、私は日吉の銀杏並木になる。

 いま地球温暖化で冬が暖かい。それは実感する。こどものころの冬はもっと寒かった。ならこの11月23日前後はどうだったのだろう。十分今も寒いように思うのだが、学生だったあの頃は、いまよりも寒かったのか。
 還暦を迎えてもまもっているあのころの感覚がある。「三田祭が終るまでコートは着ない」。いまも11月23日が過ぎるまでは秋であり、冬はそのあと、と思い、どんなに寒くても冬装備はしない。痩せ我慢をつらぬいている。明日からは自転車に乗るとき、手袋をしたり、毛糸の帽子を被ったりできる。

 塾生それぞれの「母校に対する想い」があるとしたら、私は福澤翁の本も精読していないし、商社マン的な世界の連帯とも無縁だったし、日吉も三田もご無沙汰の、どうしようもない劣等生なのだけれど、この「毎年勤労感謝の日に三田祭を思う」が、唯一のそれになるのかもしれない。



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 今年の「勤労感謝の日=新嘗祭」は、秋晴れのいい日だった。午後の陽射しの中、A・ギターを引いていたら3弦が切れた。だいぶ旧くなっていた。ごめんよと謝る。こういうのが猊埓梱瓩任△雖狢塚遶瓩澄かつて、激しく弾いて切れるのはともかく、旧くなって切れるまで使ったことはなかった。定期的に交換していた。6弦ぜんぶ張り替える。ついでにテレキャスもZO-3も張り替えた。もう1本のA・ギターとセミアコのE・ギターは今回は勘弁してもらう。弦がない。買わないと。フラマンも替えるかと思ったがもう何年も触ってないのでこれまた勘弁してもらうことにする。ウクレレは夏に買えたからいいや。

 西東京の外れに住んでいると楽器や弦の購入で不自由する。さいわい今は通販があるのでなんとかなるが、それとはまた別に、たまに行く御茶の水での買い物もたのしみだ。やはり触って選びたい。年内になんとかまた御茶の水に行き、それら小物をまとめ買いしたい。小物も数が嵩むと値が張る。JCを当てないと。

guitar-ceg

 ひさしぶりにZO-3を手にして、casio DG20のリズムボックスをバックにすこしあそんだ。こういうオモチャもいっぱいもっている(笑)。弦に張力がないのでDG20は楽器としていじる気にはならないが、こんなときの手軽なリズムボックスとして役立ってくれている。

guitar-tel

 テレキャスの写真を探していてこれを見つけた。なつかしい。2000年ごろか。初めて液晶ディスプレイを買った頃だ。17インチで10万円以上した。三菱製品。田舎の家の二階。あちこちスダレが見えるから夏仕様だろう。陽当たりが良すぎて、とんでもなく暑い部屋だったから、夏は「海の家」みたいな総葦簀張にしていた。
 私のPC生活はWindows2000で激変した。初めて出会った満足できるOSだった。だから私的PC史は「Windows2000以前、以後」となる。これは2000を導入した後だろう。なら2001年か。

com-cpucool2

 PCはもう自作機だがディスプレイはまだ1台だった。それ用のマザーボードにCPUをふたつ載せてDual CPUの自作機を組んでいたころだ。上の写真がそれ。Dual CPU用のマザーボードにCPUをふたつ設置している。ひとつ35000円ぐらいした。もちろんCPUファンもふたつ必要。この青いCPUファンがちいさくて高速回転だからキーンと鳴ってうるさくてねえ(笑)。いまじゃ安物の5000円ぐらいのCeleronだってひとつで2coreだ。Core i7や5は4Core、AMDには8coreまである。なんともはやこの分野の進歩はすごい。当時としては最高級の性能の電気食い爆音Dual CPUだったが、その性能はいまの安物Celeronにすらかなわない。

 部屋の写真を見ると、ディスプレイ、キイボード(ThinkPad型)、マウス、スピーカー、電気スタンド、イスがオシャカ。廃棄。
 あ、サイドテーブルの上にある白いのはCANONのスキャナーだ。このころスキャナーに凝ってた。本から読みこませた文を修正(ソフトがまだ未熟で読み取りミスが多かった)してサイト(まだホームページと言っていた)にアップし、それへの意見を書いたりしていた。まだいわゆる複合機は出ていない。もちろんこのスキャナーもオシャカ。
 スピーカーの前にある赤いのは「運気をあげるアップル」とかで、秋葉原で980円で買ったのではなかったか。あがらなかったけど(笑)。

 PC机とテレキャス、ギタースタンドは現役だ。そうか、このPC机ってこんな前から使っていたんだ。かわいいな。いまも手元にある。それで書いている。秋葉原のラオックスで買ったのをつい昨日のことのように覚えている。階下に住んでいた父母も最愛の猫も、みな鬼籍に入ってしまった。



 そういや<きっこさん>は改造オールドテレキャスを所有しているのだった。金欠のとき知りあいの楽器屋でオークションに出してもらったら40万円だか50万円だかの値がついた逸品だ。「ピックアップをハムバッカーに換装したオールドテレキャス」である。以前はブログ話に頻繁に登場していた。ぜひとも見せて欲しい。夜中に数分だけ顔の見えない自身の姿をアップするのもいいが、私はぜひともそのオールドテレキャスが見たい。さぞすばらしいものだろう。<きっこさん>だって愛器を見せたい気持ちはあるだろうし、どうして公開してくれないのだろう。私のテレキャスも買ってから30年経ち十分オールドだが、こういうのはいくら旧くなってもオールドテレキャスとは呼ばない(笑)。<きっこさん>に本物を見せてもらいたい。つうかもうここのところギターの話なんかぜんぜん出て来ないな。オールドテレキャスピックアップ換装ハムバッカーモデル所有なんて狎瀋雖瓩呂發λ困譴燭里。母親のことすら忘れるぐらいだからギター設定なんてどうでもいいのか。



 明日は振替休日。25日火曜からは「冬」として、今日は部屋の掃除をしよう。冬モードだ。こたつも設置するか。仕事もせねば。さて「ハーツクライをどう書くか」。

『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート──元ネタが……#殉愛

 作詩家の及川眠子さんと作家の百田尚樹さんが『殉愛』をめぐってやりあっている。19日以降は、リング上で睨みあったまま動かない挌闘家のように、互いのツイッターも囁かなくなった。観戦するこちらも息を呑んで見守る。状況は、百田さん圧倒的不利。

 そんな中、21日に及川さんのほうが動いた。『殉愛』を「書きながら泣いた」という作家の姿勢に痛烈なひとこと、左からのするどい皮肉ジャブ。しかしこれはリツイートというフェイントか。それがこれ。

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 泣きながら『殉愛』を書いたという百田氏の作家としての姿勢に、「読者の感情をゆさぶりたいと思うときこそ、書き手は冷静でなければならない」という他者の書きこんだ箴言をリツイートしての強烈なパンチ。

 この箴言はもっともだと思うのだが、このモザイクで消した部分を読んで私はひっくりかえった。いやはや強烈なパンチである。その風圧だけでダウンだ。書いたひと(笑)。

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 ホ、ホ、ホンダカツイチ? おまえが言うか?  国賊! 売国奴! アサヒシンブン! 「日本語の作文技術」って。おまえの得意なのは「歴史の捏造技術」だろ。どれほど日本を貶めたことか。そいつのコトバを名言としてツイートするか? 誰なんだ、ガンガーラ? どんなセンスなんだ? それをリツイートするか及川さん? これはわるい冗談なのか?

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 念のため。もちろんガンガーラのツイートにも及川さんのリツイートにモザイクはありません。私が私のところに毎日来てくれる数少ない奇特な読者に喜んでもらおうと、元ツイートにモザイク処理してあそんだだけ。タイトルにもホンダの名前を出したほうが目立つんだけど出したくなかった(笑)。イタズラ心。朝っぱらからなにやってんだ、おれ。



 あ、今ごろ気づいた。ガンガーラはshukan kinyobiから引用しているのか。アルファベットなので見逃したが、これは、あのサヨク雑誌「週刊金曜日」なのか。「買ってはならない」の企業テロで有名だ。確認のためにたどってみた。まちがいない。ここから引用するというのは、ガンガーラは本気でホンダカツイチを尊敬しているサヨクなのか。これは確定だな(笑)。冗談だと思っていた。まともな人間はなにがどうあろうとホンダのコトバを引用したりはしない。これは『殉愛』の杜撰取材で槍玉に挙げられている保守系作家百田さん攻撃の一環だ。

《ことば──役不足の誤用 及川百田論争》に書いたが、Amazonの『殉愛』レビューを読むと、百田さんの政治姿勢と敵対するサヨクがここぞとばかりに攻めてきているのがよく見える。百田さんをこの凡ミス(命に関わる地雷かも)で騒ぎたて抹殺しようとしている。

 こんなものを引用するということは、及川眠子さんというかたも、サヨクなのか?
と、及川さんのツイートをあらためて追ってみると、なんども「百田作品のファン」と書いている。しかしこれは社交辞令として、だれもがよく使う手法だ。パンチの威力を増すための引きのようなものでもある。「弓を引くような猪木のパンチ」。でも私は及川さんという今回初めて知った作詩家のツイートを読んでも、全然それを感じなかった。サヨクはもう一瞬でわかる。



 百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

 以下本論からすこし離れて「知名度」について。
 私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

 百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかすら知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている。智識とはそんなものである。

 今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。

 でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。たかじんのことを書いた作家がたかじんの代表曲の作詩家を知らないのはひどい。どう考えても百田さんの落ち度だ。

 しかしながらさらにいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。

※ 

 及川さんの百田さんに対する意見、批判は、きちんと筋が通っており、言うべきことは言い、引くべきところは引き、まちがいはすなおに認めて謝罪するという、じつに気持ちのいい姿勢だ。だからこの引用は、「週刊金曜日」もホンダカツイチも関係なく、自分の心境を代弁してくれたツイートをリツイートしただけ、と思うのだが……。あまいか? 私の直感では、及川さんは「週刊金曜日」もホンダカツイチも無関係で、その種の思想とは無縁のかたのように思うのだが、はたしてどうか。とツイッターの「フォロー」をみると民主党議員をフォローしたりしている。お、上杉隆なんてのもフォローしている(笑)。あまりセンスは良くない。やはり百田嫌いのサヨクなのか?



【追記】──及川さんはノンポリのようだ──2014/12/19

 12/17に下のツィート。これは衒った意見(ウヨクが「じつはおれはサヨクなんだ」と言ったり、サヨクが「自分こそが真の保守派なのだ」と言ったりするパターン)ではなく、正直な胸中の吐露なのだと思う。私は今回初めて及川さんのツィートを読んだが、そこから政治思想のにおいを感じなかった。その直感には自信がある。

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 この直感はとても大事だ。及川さんには感じなかった。でもAmazonレビューにはびんびん感じる。一瞬で「あ、こいつは」と見抜ける。あそこに保守論客百田嫌いのサヨクが跳びはねているのはまちがいない。「永遠の0」に反感を抱いた連中がここぞとばかりにはしゃいでいる。
 及川さんはここで表明しているように右も左も関係ないノンポリなのだろう。上杉なんて詐欺師をフォローしているのはその証拠でもある。「思想なんか自分の胸だけにあればいい」をかっこいいと思ってはならない。これは政治音痴ノンポリがノンポリであることに居直るときの常套句である。



 いずれにせよこの『殉愛』問題は、たかじん関係者を巡る論点を飛びこえて、「保守系作家百田尚樹つぶし」になってゆくだろう。たかじんの娘も裁判を起こしたそうだし。
 そう考えると、なにがどうなろうとまったく興味のない「森田さくら」だが、とんでもないことをしてくれたなとうんざりする。だまされた百田さんがわるいのだけど。

 これもまた朝鮮人の日本潰しの流れか。この一件で百田さんが潰されたら、南北朝鮮は森田さくらこと姜善子に勲章を授与するだろう。そもそも「森田」ってのも金持ちの年寄りパチンコ屋ジーサン(これも朝鮮人だろう)と結婚して手に入れた通名らしいし、それからその金で若くてハンサムなアメリカ人、イタリア人と結婚して、たかじんとは4度目の結婚(重婚らしいが)で、32歳の年齢差があって2年で死んで遺産を手に入れてって流れから、次はまたハンサムな外国人男と5度目の結婚をして、たかじんの遺産で遊び呆けることは見えている。(最新情報だと、もういちど真ん中になにかあり、たかじんとは5度目らしいと伝えられている。なにがどうあろうとまともな女でないのは確かだ。)



 先程、一晩中点けたままにしておいたPCの百田さんのツイッターに本人からの書きこみがひとつあった。内容は「裁判になったら本では書けなかった事実を公開できるので楽しみだ」というやる気満々のもの。また積極的に書きこむのかなとF5を押して更新したら、それが消えてしまい、また19日から更新のない状態にもどってしまった。すぐに削除したらしい。百田さんの中にも、「自分は正しい」と確信しつつも、「もしかしたら」の惑いが生じているのだろうか。とんでもない毒婦に関わってしまったと案じているのだが、百田さんはまだあれを信じているのか。

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kanren7「役不足」の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田尚樹氏批判」


【追記】──百田さんの削除したツイート──14:59

 2ちゃんねるに削除したツイートが収録されていた。私がこれを見て、更新で消してしまったのは朝の5時だった。0.22分のものと初めて知った。このツイートは好戦的だけどすぐに削除したのだから迷ってもいるのだろう。それとも「敵に手の内を見せてはならない」という考えか。

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Earl Klugh Trio

 今朝の音楽はEarl Klughの「Earl Klugh Trio Vol.1」。Earlの音楽としては正当Jazz寄りの音。ギターはもちろんだがウッドベースがいい。彼のCDはほとんどもっているのだが、これのVol.2はない。そのうち買おう。

 しかし百田さん圧倒的不利な状況を思うと、ここはこんなさわやかな音楽よりも、もっと重いのを聞くべきか。クラシック好きの百田さんに早く目覚めてくれとエールを送るために、重いクラシック、なにがいい、Mahlerでも聞くか。
 いや演歌だ。先日YouTubeで見かけDownloadした、「歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う」にしよう。1.2.3とあり、1の自分の持ち歌より、2の「カスバの女」を歌ったりしているのがいい。マイルCSの予想もしないと。エリザベス女王杯完勝の流れでここも突破したい。来週のJCは大勝負だ。

佐川急便嫌い──イートレンドからの購入を諦める──配送業者が佐川

東プレのキイボードを買おうと価格comで値段を調べた。イートレンドが一番安い。Amazonと同じくここも送料は無料だ。会員登録もしてあり何度か買ったことがあった。

ここにしようと思い、「そうそう大事なこと」と配送業者を調べる。利用したのはだいぶ前だ。配送業者はどこだったか。佐川悪夢だった記憶はないが念のためだ。サイトを開くと佐川とヤマトが並んでいる。両社を使っているようだ。撰べるのだろうか。大事なのはそこだ。ヤマトを指定できるならすぐにでも買うが、佐川に来られたら不快な目に遭う。それだけは避けたい。懲りない暗愚ではあるが、さすがに30年にわたって数え切れないほどイヤな目に遭えばそれぐらいの感覚は芽ばえる。佐川だけはイヤだ。メールで質問することにした。すると「よくある質問」のコーナーがあった。ここでわかるだろう。開いてみる。すると、

etrend-sagawa

とあった。脊髄反射でイートレンドを諦める。佐川かヤマトか二分の一の確率だ。そんなロシアンルーレットをする気もない。イートレンドからの品を佐川でイヤな思いをした記憶はないから前回はヤマトだったのだろう。その運に懸ける気もない。それは馬券にとっておく。500円ほど高いがAmazonにした。Amazonも関連会社の出品だと佐川の場合がある。何度かそれで苦い思いをした。この品はAmazon出品とあるからだいじょうぶだろう。佐川に不快な目に遭わされることを考えたら500円差なんてどうでもいい。

私はAmazon一辺倒になりたくない。同じような値段なら東北のちいさなショップ等から意識して買うようにしている。でもこの種の特殊な品はさすがにそういう店では無理なようだ。数が捌けない。扱っていない。どうしても購入先は大手になる。同じ大手でもAmazonよりイートレンドから買いたかったのだが、佐川という悪夢だけは無理。佐川だけはもうイヤだ。

イートレンドも、「配送業者は、佐川急便、ヤマト運輸の二社からお選びいただけます」とすれば、私のようなのがもっと利用すると思うのだが……。それってむずかしいことなのだろうか。イートレンドの関係者がそれに気づいてくれることを切に願う。

毎度の結論だが、佐川急便というのは、事務所から運転手まで、ほんとほんとにひどい会社で、多くの利用者が不快な思いをしている。しかしその声は、佐川を使用している会社には届かない。届いたとしても、たぶん佐川の値段は安く、私のような者の声は無視されるのだろう。

こちらとしては「佐川を使っている会社からは買わない」という方法で対抗するしかない。それはもう、これまた前回も使った比喩だが、ピラミッドをひっくり返そうと穴を掘るアリンコみたいな、ほとんど無意味な努力なのかも知れないが、こちらの出来ることはそれしかない。私のような「佐川急便だけはダメだ」というひとが増えてゆけば、あの会社もすこしはまともになるだろう。私は、まともになることを願ってはいない。この世から消滅してほしいだけだ。

ツイッターの支持者を増やす方法──<きっこさん>篇──実践例、安倍晋三、石原慎太郎

《方法論》

きっこ@kikko_no_blog

とりあえず誰でもいいから敵を作って攻撃するのって、自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい方法なんだよね。もちろん、こんな使い古された前時代の伝統芸に乗せられるのなんて、偏差値が35以下のバカだけ、「消防署のほうから来た人」から定価の20倍で消火器を買っちゃうレベルのバカ。

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《実践例.1──安倍晋三篇》

きっこ@kikko_no_blog

しゃべればしゃべるほどボロが出る安倍晋三、やっぱりこのバカはゴーストライターに書かせた作文を棒読みするしかないんだね。日本語の読み書きもロクにできないバカは副総理の麻生太郎だけで十分だから、安倍晋三はトットと引退してくれ。あまりにもバカすぎて見てるほうが恥ずかしくなってくるから。

きっこ@kikko_no_blog

安倍晋三はアベノミクスの恩恵で「6割の企業が賃上げしてる」とテレビで公言したけど、それならどうして国民の9割以上が「給料が1円も上がらないのに物価ばかりが上がって生活が苦しくなった」って言ってるの?安倍晋三って麻薬でもやって幻覚でも見てるんじゃないの?早く入院したほうがいいよ。

@kikko_no_blog

安倍晋三、マジでヤバいわ。このキチガイ、今すぐに精神科のカウンセリングを受けたほうがいいわ。完全に脳みその回路がどうにかなっちゃってるよ  

@kikko_no_blog

すごいな安倍晋三、ゆうべのTBS「ニュース23」に生出演して「アベノミクスの恩恵などまったく感じてない」という街の人たちの声を「ミクロの声」だと斬り捨てて「6割の企業は賃上げしている」と大ボラをノタマッたよ(笑)

きっこ@kikko_no_blog

つーか、安倍晋三って顔がキモすぎる!まるで溶けた蝋人形みたい!気持ち悪いからテレビに出すな!




《実践例.2──石原慎太郎篇》

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《実践の結果》

以上、「とりあえず誰でもいいから敵を作って攻撃するのって、自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい方法」の実践例のふたつ。

『こんな使い古された前時代の伝統芸に乗せられるのなんて、偏差値が35以下のバカだけ、「消防署のほうから来た人」から定価の 20倍で消火器を買っちゃうレベルのバカ』──現在119138人

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《私的感想》

冒頭の文はもちろん「そういうことで支持を集めているヤツがいる。それを支持するのはこの程度のバカだ」という他者を攻撃したもの。しかしこのひとの場合、常にそれが自分語りになる。

いくら「自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい 方法」とはいえ、よくも他人をここまで立て続けに(おそらく深夜に泥酔して書きこんでいるのだろう)誹謗中傷出来るものだ。まともな人間ではない。

ことば──役不足の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田氏批判」から──「殉愛」に思うこと

 2ちゃんねるの芸スポ板「作詩家及川眠子氏が百田氏を批判」スレは、及川氏のツイッター文にあった「役不足」をめぐって、いつしか「役不足論争」になっていた。以下、「役不足」で抽出したスレの一部。最後に私の意見も書きました。

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1+8 :Egg  :2014/11/17(月) 19:46:20.13 ID:???0 [PC]

作詞家の及川眠子氏(54)がツイッターを更新し、歌手やしきたかじんさん(享年64)の闘病生活をベストセラー作家・百田尚樹氏(58)が著した「殉愛」(幻冬舎)に対し私見をつづった。

「殉愛」はアマゾンの全レビュー中6割以上が最低評価となる一方で、約3割は最高評価と賛否両論となっているが、百田氏はこれを受けツイッターで「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける。本当に人間のクズみたいな人間だと思う!」で不満をあらわに。

たかじんさん最大のヒット作「東京」など、たかじんさんへ数十曲詞を送った及川氏は「ちゃんと金を払って本を購入した読者の批判に対し、人間のクズ呼ばわりをする。世間に出したものがあれこれ言われるのは当然。私たち物書きはそれでゴハンを食べさせてもらっているのだ。世の中すべてが味方ではない。その覚悟なしに物書きなんてやれねえよ」と百田氏の発言を批判した。

さらに「殉愛」ではたかじんさんの元マネジャーK氏を犯罪者扱いする部分があるが、百田氏がこの人物に取材していないことに触れ「なぜウラも取らずに、1人の人間を犯罪者だと決めつける? ノンフィクション作家を名乗るのであれば、きちんと本人に取材すべき」と指摘。

「ヨメとマネージャー双方に会った、たぶん数少ない人間の一人」である及川氏は「百田さんに犯罪者扱いされても、きっと彼は訴えることをしないだろう。なぜなら彼が公の場に出ることで、今以上にたかじんの名を汚してしまうことを知っているから。必死で看護するのが愛なら、ただ黙して耐え続けることも愛なのだ。
それを理解できない人もいるけどね」とK氏を擁護した。

また、百田氏の「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける」というツイートに対し「実態と真実をちょぴっとだけ知ってる人間が、ちゃんと実名を出して問うている。でも答えてもらえない。私じゃ役不足ですかぁ?」と皮肉も。

その上で「百田さんのことを貶めるつもりもない。百田作品が面白いのは事実。ただ、あの物語が『小説』だったらよかったのにと思うだけだ」と思いを述べた。


11月17日(月)18時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000118-spnannex-ent

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 まずは最初に疑問を呈したひと。


7+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:51:11.00 ID:c7A2WBe30 [PC]
役不足?
本当にプロの作詞家なの?


 誤用であろうという指摘。

9 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:52:33.00 ID:iSjKHg3B0 [PC]
>私じゃ役不足ですかぁ

力不足の間違い?誤用では?

その役割が軽い意味になってしまうと思う。


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 これでいいんじゃないかという意見。

14+5 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:55:27.37 ID:lbFG2/WL0 [PC]
>>7
あってるじゃん
百田が反論するにもあたらないくらい、私は役不足ですか?ってとでしょ

54+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:28:01.75 ID:yoT4woNS0 (1/2) [PC]
「昨日納車した」って言えば、「おまえディーラーかよ」って突っ込むのがお約束だけど、
「昨日納車だった」なら、「昨日納車した」でも「昨日納車された」でも意味は通じるだろ。
こういう省略形の文は、文脈で判断するんだよ。

「私じゃ役不足ですかぁ?」も「私を相手にするのは、あなたにとって役不足ですか?」って読めるじゃん。
ほんと読解力のない馬鹿ばっかだな。


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それへの反論。さらなる反論の応酬。

62+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:32:52.74 ID:TaXFZS/D0 (2/31) [PC]
>>54
ばーか。それなら「私じゃ不足ですかあ?」と書けばいいんだよ
それならよっぽどすっきりするわ
「役不足」などと書いたのは言葉の意味を知らないから



65+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:34:00.17 ID:nD8jz7lo0 [PC]
>>58
「あなたにとって私は相手にする価値もない人間ですか?」
という意味で使ってるからこの「役不足」の使い方は正しいよ


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 そんな論争はよそでやれという意見(笑)。

79 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:40:08.89 ID:vHl5bAmF0 [PC]
役不足とかどうでもいい。
よそでやれや、アホども

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 しかしまだまだ熱く続く。

81 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 20:41:03.41 ID:RGB3Tjqp0 [PC]
役不足は役<役者ってことだよな。
この人が言いたいのは、今回の件で
私が出てくると百田さんは困るでしょう?ってことじゃね?
この人は干されても構わないと言ってるし。
流石に作詞家は単語の意味には敏感にならないと仕事にならないんだから、
誤用はないだろ。この人はカルメンとかの訳詞の仕事もしてるし。



91+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:06.02 ID:R80fPGpJ0 (1/21) [PC]
>>75
「私は役不足ですか」、だったら誤用って言うのもも分かるけど
「私じゃ役不足ですか」や「私では役不足ですか」ってのは誤用じゃないよ
その場合は「私が相手ではあなたにとって役不足ですか」って意味だから

あなたがてにをはの使い方を理解してないだけw


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「役不足」じゃなくて「不足」が正しいという意見。これは「誤用派」。


94+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:43.34 ID:TaXFZS/D0 (7/31) [PC]
「私じゃ不足ですか?」と書けばよかったんだよ

バカだから「役不足ですか」と書いて、作詞家のくせに日本語知らないのを晒した

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「主語が省略されている派」が登場。これは肯定張。

121+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:56:04.05 ID:R80fPGpJ0 (3/21) [PC]
>>103
厳密には逆に意味になるわけじゃないよ
「私じゃ役不足ですか」ってのは主語を省略している
主語を入れれば「あなたは私じゃ役不足ですか」って文になる
つまり役不足なのは、及川じゃなくて百田。

普通、主語を省略した文で使うことが多いから勘違いしてるだけ


130+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:58:11.70 ID:R80fPGpJ0 (4/21) [PC]
>>112
だから、「役不足」の主語は、及川じゃなくて百田なの
日本語では主語を省略するってこと知ってるでしょ
「私じゃ何々ですか?」って言う文の主語は、私じゃないからw


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 定番の「辞書引用派」も登場。

132 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:59:21.24 ID:KVPGzhQT0 (1/2) [PC]
デジタル大辞泉の解説
やく‐ぶそく 【役不足】
[名・形動]
1 俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと。
2 力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。また、そのさま。「そのポストでは―な(の)感がある」
◆文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、「彼には役不足の仕事だ」を、
本来の意味である「本人の力量に対して役目が軽すぎること」で使う人が41.6パーセント、
間違った意味「本人の力量に対して役目が重すぎること」で使う人が51.0パーセントと、
逆転した結果が出ている。→力不足


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145 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:41.78 ID:6UA2L9M40 [PC]
この役不足の使い方に違和感持つのはアスペ
もしくは正しい俺!に賢い俺!に酔ってる馬鹿だろ
正しい意味として文は成立する



146 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:43.80 ID:TaXFZS/D0 (20/31) [PC]
この文章で「役不足」は明らかな誤用。

皆さん気をつけてくださいね
馬鹿と言われないためにね


160 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:10:27.06 ID:TaXFZS/D0 (23/31) [PC]
「役不足」とは〜〜彼の高い能力に比して役職が見当たったものではない、というのが本義。

「私じゃ役不足ですかあ?」では意味を成さない。完全な誤用。
この場合「私じゃ『不足』ですか?」で十分意味が通るものであった
「役不足」という意味を知らなかったのであろう
 
日本語を知らない愚かな作詞家が愚かな作家に噛み付いているだけの、益体もない話ではある。

 
190+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:23:27.36 ID:R80fPGpJ0 (8/21) [PC]
>>181
だからあんたは「役不足」の主語を勘違いしてるだけ
及川の文の主語は百田なんだよ。百田にとって及川じゃ役不足ですかって問いかけてるので
使い方として全然違和感ないし間違ってもいない

誤用や変な文だと、一読してなんかおかしいぞって感じるものなんだよ
あなたはそういう感覚が備わってないんだと思う



198+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:28:05.01 ID:TaXFZS/D0 (29/31) [PC]
>>190
主語の勘違いなんて話じゃねえよバーカ
ただただ「役不足」という語を知らない誤用なのは明白



212 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:32:19.99 ID:R80fPGpJ0 (9/21) [PC]
>>198
例えば、失恋した女の子が「私じゃ駄目なんです」って言ったら
駄目の主語は女の子じゃなくて失恋相手の彼ってことになる
「彼は私じゃ駄目なんです」の主語を省略しているだけ

あんまり使わない用例だけど、失恋した女の子が「私じゃ役不足なんです」って言っても同じこと
その場合も役不足の主語は「私」では無くて省略された「彼」
「彼は私じゃ役不足なんです」の主語省略形になる
恋愛に役不足って言葉は普通使わないけどね。文法的には同じ使い方


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「時代によってことばは変る派」が登場。

251+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:46:16.95 ID:28tyrNqm0 (1/3) [PC]
役不足の誤用に突っ込む奴多いけど、日本語は刻々変化してるんだよ
誤用も時代が変われば正解なんてことはよくある話
今はどっちの意味で使っても正解なんだよ
前後を読めば言いたいことはわかる

419 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 00:14:02.04 ID:7v6OUxnW0 (1/5) [PC]
もう、役不足は、どっちの意味でもつかわれているというのが定説。
国語学に詳しければ、当たり前のことだろ。

言葉の意味なんてのは時代とともに変わっていく。これ理w
今や、役不足はどっちの意味で使っても間違いではない。

もう終了

489+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/18(火) 01:40:30.87 ID:QlA1OcSP0 [PC]
>>484
まあこのレス見る限り間違いなく
役者不足の意味だよねw
私じゃ小物過ぎるが言い換えでしょ。
でも現代語としては役不足でいいと思うね。
言葉は生き物だから。


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257+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:48:37.89 ID:R80fPGpJ0 (12/21) [PC]
>>251
いや、そもそも誤用じゃない
「百田さんは、私(が相手)じゃ役不足ですか?」の主語が省略されているだけ
普通に使う言い回しなので、誤用って騒ぐ奴が日本語を知らないだけ


260 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:51:16.71 ID:R80fPGpJ0 (13/21) [PC]
>>253
「百田さんは及川が相手では不足ですか?」
「百田さんは及川が相手では役不足ですか?」

どっちも同じ意味だし使い方も間違っていないけど
個人的には役不足の方がしっくりくる


279 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:01:25.16 ID:R80fPGpJ0 (14/21) [PC]
>>264
「私には脇役じゃ役不足」、「百田さんには及川じゃ役不足」
こういう風に使うんだよ。
「及川じゃ役不足ですか?」って聞いたら、主語は省略されている百田になる

「私じゃ力不足ですか」っていうのは文法的には間違ってないけど
その場合の主語は「私は(百田の相手役に)不足ですか」って意味で
目的語が省略された文になっているんだな


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「機械翻訳派」が登場。

306 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:24:57.10 ID:R80fPGpJ0 (15/21) [PC]
英語が苦手だから機械翻訳にかけてみた
「私は役不足ですか?」→「Am I insufficient? 」
「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」

機械翻訳すげーって思ったw

329 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:39:51.79 ID:R80fPGpJ0 (16/21) [PC]
申し訳ないが、たかじんや百田の話より「役不足」の方が面白くなってしまったw

「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」
この文の主語は誰でしょうという、そういう問題だな

いや、文法を真面目に考えるなんて何十年ぶりだろうw


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「役不足論争」は、百田の本質をぼやけさせる工作活動だというひとも登場(笑)。


341 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 22:46:24.77 ID:cgYGZixO0 [PC]
>>274
役不足論争に持ち込んで、百田の言動の本質的な
部分をぼやけさせる為にやってるんだよ
まあ分かり安い工作活動だね


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378+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:21:06.97 ID:R80fPGpJ0 (17/21) [PC]
>>373
「私じゃ役不足ですか?」の場合、主語は省略された百田なので
百田に対して及川では力不足ですかって意味

私では百田さんの相手にはなれないんですかって意味だね
勘違いを続けてるバカがいるけど、及川の使い方は正しい使い方だよ



387+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:31:16.33 ID:1tR4lWTc0 (3/4) [PC]
>>378
それなら私は役不足ではなくて百田さんは役不足ですか?
としなければ本来の意味にはなりません。

いいですか役不足は自分を下に見る言葉で無いのです。

あれほど説明してもまだ分りませんか?


390+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:36:36.96 ID:R80fPGpJ0 (18/21) [PC]
>>387
そうだよ。
だけど及川の文は「私は役不足ですか」じゃなくて「私じゃ役不足ですか」だから
「私は」の場合主語は私になるけど、「私じゃ」の場合主語は私にはならない
君はその使い分けが理解できていないんだよ

及川の文は「百田さんは私じゃ役不足ですか」の主語を省略した文
日本語では普通に使われる言い回しだよ

最初に書いたけど「私は役不足ですか」なら誤用と言うこともできるけど
「私じゃ役不足ですか」はどこもおかしくない。まだ分かりませんか?


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「役不足論争」を知ってか知らずか(ツイッターが炎上したようだから知ってるんでしょうね)ご本人がわかりやすい内容で再ツィート。

484+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 01:37:44.28 ID:3beS9jYw0 (3/5) [PC]
@oikawaneko: まるで一人で相撲をとっている気分だ。百田さん、そろそろ声を上げませんか? 
私への罵倒でも非難でも構わない。あなたの相手には小者過ぎるかもしれないが。皆がそれを望んでいる。物書きの意地とプライドを見せてください。さすが百田さんだと思わせてください。

役不足論争ご本人から説明してくれててワロタw


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 私の意見は「ほぼ肯定派」。イベントや結婚式の司会等で「わたしでは役不足でありますが」とやるのは明らかな誤用だが、この場合は、多くのひとが指摘しているように、「百田さんの論客として、私では百田さんには役不足でしょうか?」の意味あいだから、これでいいのではないかと思う。ただ「適切」とは思わない。役不足は本人が口にするものではないからだ。こういう表現は必ず問題を起こすので私は使わない。この場合も別表現にしたほうがよかったろう。一読して「あ、もめるな」と思ったら、想像以上に盛りあがっていた(笑)。

 「ことばは時代とともに変るからどっちでもいいのだ」という意見には反対。時代とともに変ってしまうものだけれど、抵抗はすべきだろう。もう「憮然」を本来の意味の「しょんぼり」に使うひとはほとんどいない。高名な小説家もみな「むっとする」の意味あいで使っている。「閑話休題」も誤用がアサヒシンブンやNHKで大手を振って歩いている時代だ。「時代とともに変ってしまう」のはしかたないが、挟間に生きている世代は、精一杯本来の正しい使用を主張するのがあるべき姿だろう。そして「役不足」は「誤用が定着したことば」だとは、まだ思わない。

「あらたしい」が、ふざけて使った「あたらしい」に押され、いつしか定着してしまった。「あらためる」「あらたに」と同じく「あらたしい」が正しいのだ。よって「あたらしい」だけ独特の存在になって浮いている。こんなのもこれからみんなで「あらたしい」を流行らせれば、正しい意味の、仲間もいっぱいいる「あらたしい」になる。そういう流れを作りたいものだ。

 ご本人がツイート。

oikawa-yakubusoku




 これを知ってからYouTubeで「金スマ」の特集を見てみた。あの番組内容には納得出来ない。百田さんの政治信条を支持するものとして心配になった。今回のこれは勇み足ではないのか、というのが現在の私の気持ち。イタリア男との結婚式写真も見た。時期が重なっていて不自然と、だれもが感じるだろう。打越の怒りのラジオ放送も聞いた。私はたかじん夫人&百田さんよりも、打越を信じる。だが打越の言うように、百田さんを「金と名声だけを求める最低な人間」とは思わない。毒婦にだまされたポカだと思うのだ。

 ただし、あれがひどい悪女だったとしても、たかじんが彼女を最愛の女として死んでいったのは事実だろうから、それは他人が口出しすることではない。遺産がどうのこうのなんてのも大きなお世話だ。男と女の話である。天国のたかじんが口を利いたら、百田さんが言っているように「おれが好きになった女や、おまえらよけいな口出すな、おれの金や」だと私も思う。

 朝鮮民族の話でもある。たかじんは、天童よしみの紅白出場を応援し、思想的には対立するはずの遥洋子をかわいがった。あれを見るたび、民族の血の結びつきを思った。そして最後にたどり着いた女も、この姜善子(通名・森田さくら)と、同じ民族だった。それが民族の血なんだ。私も最後は「やはり日本の女がいい」となるのだろうか。しみじみと猝餌沖瓩砲弔い胴佑┐拭

 私の心配は百田さんにある。「殉愛」は、百田さんの凡ミスではないのか。いや凡ミスどころか地雷を踏んでしまったのではないか。そのことが百田さんの政治的活動、思想信条にもマイナス作用するのではないか。Amazonのブックレビューを熟読した。異様だ。たかじんの死にかこつけ、思想的な「百田嫌い」が、ここぞとばかりに跋扈しているのはまちがいない。なんともそこが心配である。

kanren7『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート

ことば──「わきまえる」「辨える」「弁える」──ベンという漢字のこと

●ことば──「弁える」という表記の愚

《Wikipediaではやたらに不要な漢字を使うひとが多い。「弁える」がよく出てくる。くだらん漢字使用だ。いきなり「弁える」と出てくると思考が停止する。「猜曚┐覘瓠,覆鵑世海譴蓮 ああ、わきまえるか」と、ほんの一瞬ではあるが、そうなる瞬間がわずらわしい。しかも、そもそもその文中に「わきまえる」という日本語が必要とは思われない。唐突に登場する。このひとは「弁える」と書きたくて無理矢理使用しているのではないかとすら思える。》

 というようなWikipediaの文章批判をブログに書いたままほうりだしていたのでその続き。



 高島俊男先生の『お言葉ですが…』の初期のテーマに「全部ベンの話」というのがあった。何巻のどこかはあとで記入するとして、以下はそのとき覚えた話。ノートに手書きして「ベンの字」の区別を覚えたものだった。以下は引用。とはいえ手元にいま本はない。でも覚えているので書ける。教えて頂いた恩に感謝しつつ、先生の御健勝を祈りつつ、思い出し引用。

 敗戦後、当用漢字制定により多くの漢字が使用停止となり同じ音の字で代用されるようになった。「ベン」の字はその代表例。

──しゃべるという意味──雄辯、辯護士、
──区別するという意味──辨別
──編むという意味──辮髪
──花びらの意味──花瓣
──とりしきる──辧公室
──冠、帽子の意味

 これらの意味のちがう漢字をみな最後の「」で統一した。なんとも乱暴な話である。よって、辯護士が弁護士、辮髪が弁髪、花瓣が花弁と、本来は別々だった「ベン」の字がみな「弁」になってしまった。

「わきまえる」に当てられていた漢字は「区別する意味の」である。もともと和語の「わきまえる」に「辨」を使うことが当て字であり意味のないことなのに、その字を使用禁止にして、まったく意味の異なる「弁」を使ってまで「弁える」なんて使うのは滑稽でしかない。「わきまえる」でいいが、どうしても漢字を使いたいなら「辨える」にすべきだろう。いまはこうしてパソコンでも表示できるのだから。

 高島先生が漢字に関して一貫して主張しているのは、「やたら漢字を使いたがるひとは無教養である。過剰に横文字(カタカナ英語)を会話に入れるひとと同じだ」になる。渡来語という虎の威を借りて自分を大きく見せようとするつまらんひとの虚仮威しだ。ところが日本人の漢字崇拝というのはまだまだ根強い。英語を多用するひとを嫌いつつ自分は漢字信者だったりする。同じなのだ。文章に「わきまえる」と書いたら「弁える」を知らないと思われるのだろう。しかし「弁える」に「わきまえる」の意味はない。弁は冠とか帽子のことなのだから。わきまえるを「弁える」と書くことこそが無教養なのである。



 と、ここまで書いてきて、「これ、同じ事をむかし書いたな」とやっと思い出した(笑)。サイトを調べてみると、《『お言葉ですが…』論考──智弁なのに日鐵》と題して書いていた。2001年11月20日の文だからちょうど13年前になる。中身は前半がここと同じ「ベンの字のちがい」について、そこから「テレ東が智辯学園を智弁にしていたのに、新日鐵という会社名はではなくしっかり正字ので表示していた。なぜ? その理由は?」と続く。

 シナで見かけた「麻花辮」の画像を置いている。中共もずいぶんと漢字を統一して文化を壊している。このブログで書いたのでは「ラーメン等の麺が面」「機械の機が机」があった。
 私が最もひどいなと思うのに「穀物」の「」の字が同じ発音の「」に統一されたことだ。「谷物」で「穀物」を想像するのは日本人には無理だ。「谷」には「コク」よりも「たに」のイメージが強すぎる。
 そういう中共でも、この「様々なベンの字」はまだ生きているようだ。日本の「弁に統一」も「谷物」に匹敵するほど悪質である。

 2001年にはまだ「」の字が表記できなかったが、やっと出来るようになったという2009年の追記が懐かしかった。私のサイトのこの種のテーマには、切り貼りの画像が多い。2000年前後はまだまだ表記できない漢字が多く、それを牴菫瓩箸靴禿修蠅弔韻討い襪里任△襦
 たとえばこんなヤツだ。ji-gyoこれ、中共簡体字の「」である。当時はこれが表示できなかった。だから漢字の「業」を拡大し、上の部分をカットして画像として説明している。簡体字だろうが繁体字だろうが楽々と表示できる今ではウソのような話だが、当時はこんな苦労をしていた。
 タイ文字もまだ表示できずこれも画像でやっていた。出来るようになってからはうれしくてタイ文字キイボードを購入して使ったりもした。いまじゃもうすっかり忘れてしまった。なんとかまだ初歩的な読み書きは出来るがタイ語キイボードは使いこなせない。まだ所有しているが。



 私は「ベンの字は弁」という教育で育った世代だから、「雄弁」にも「花弁」にも違和感はないが、正しくベンを使い分けてきた世代は、「弁護士」なんて書くことには抵抗があったろう。違和感のない世代である私ですら「弁える」なんて表示には、なんかちょっとおかしいのではないかと本能で反撥するのだから。

 私のPCに入っている辞書で、「わきまえる」の漢字表記を「弁える」のみではなく「これは猾える瓩梁緲儡岨だよ」と「辨える」も表示して教えてくれた良い辞書は、大辞泉、学研国語辞典、明鏡国語辞典。

 対して「わきまえる」の漢字表記を「弁える」だけしか表示しなかったダメ辞典は、広辞苑、大辞林、新明解国語辞典。

 どれを使うかでこちらの智識にも関わってくる。よい辞書を使えば「弁えるは辨えるの代用なんだな」と学べる。辨えるなんて書く必要はないが、弁えるを得意気に連発することはなくなるだろう。

 私が自分の文章で「わきまえる」と使うことはまずないと思うが、そのときはしっかり「わきまえる」とカナで書き絶対に「弁える」とは書かないことをわきまえておこう。

0kanren 

 ・「残滓」の読みかた──室谷克実さんの講演から

 ・三年遅れの「麻生太郎漢字誤読論」


ことば──怪訝──爐韻欧鶚瓩鉢爐いが

携帯電話の辞書機能」に以下の文を追記。


【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使 う。というか「かいが」のほうが正しい。無理矢理「けげん」と読ませているだけだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

  ケータイに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれる。ありがたい。漢字なんてのは所詮和語の当て字だからどうで もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えない」のような組合せで初めて「ここは爐韻欧鶚瓩任呂覆爐いが瓩伐仔匹澆砲垢襦廚箸亮臘イ砲覆襦正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル 用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ た。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」であることも確認でき た。
 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みと使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。 「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。

文章考──すっきり書けないこまった性格──Transcend-MP300購入記

transcend-mp
 長年遠ざけていた中国語を本気でやろうと、そのパートナーとして小型のmp3プレイヤを買った。Transcend-MP300。2500円。8GBのフラッシュメモリにmp3再生機能が附いている。それでいてこの値段。信じがたい時代だ。どこに出かけるときもこれを胸ポケットに入れて、今秋から年末、正月は中国語の勉強一筋の予定でいる。30年ほど前に始めたが途中で投げだした。再挑戦である。まだカタコトレベルだが今回一気にマスターしてやる。モノから始める性格なのでグッズはかかせない。これは中国語学習専用のギアにする。力強い味方を手にした。がんばるぞ。

 ということを書こうとした。こうしてまとめると、たったそれだけの話なのだが、あれこれ寄り道していてまとまらない。その寄り道度合の話。



 まずはそれを買おうと思った動機のこと。あれほど嫌っていた中国語の勉強を再びする気になったきっかけだ。するとこの「中国語」なる意味不明のコトバについてまず書かねばならない。この世に「中国語」なんてものはない。そもそも「中国」なんて国はない。表現がおかしい。「中国」とは「世界の中心地」という意味であり、敢えて日本語に訳せば「我が国」である。日本も日本のことを「中国」と表記していた時期がある。もちろん国名ではなく「我が国」の意で使っている。それはいくつもの書物に残っている。いまも西のほうに「中国地方」がある。シナ人が「誇り高い世界の中心地である我が国」の意で「中国=チュンゴー」と口にするのはわかる。ただしい。しかし日本人があの国のことをそう言うのはヘンだ。「我が国」の意なのだから。ならどう呼べばいいか。世界共通のChina(発音はチャイナ、シーノ、シーヌ、シーネと国によって微妙に異なる)、日本語ならシナが正当になる。「中国」なんて国はない。ただし、あの悪名高い共産党独裁国家、歴代のシナ王朝でも最悪の殺戮国家「中華人民共和国」なら、ある。以下それを「中共」と略すことにして、いかにそれが歴代の中でもひどいかを語りたくなる。しかし歴代の王朝と絡めて中共のひどさを語っていたら結末までの路が果てしなく長くなる。我慢。

 「中国」の呼称に関しては妥協しても「中国語」に関しては多少書かねばならない。中共支配下の地域で話されている言語は多種多様だ。チベット、ウイグル、モンゴルという悪虐暴力中共に武力併合された文化から歴史からなにもかも異なる地域はもちろん、漢民族以外にも60もの少数民族の言語がある。漢民族の話す主要な言語も、北京語、上海語、広東語とあり、それらは別の言語というぐらい異なっている。その異なり具合を日本的方言で判断してはならない。とんでもなくちがうのだ。と書くと、高校生の頃に体験した「ジュディ・オングの自慢話」のことを書きたくなる。ジュディ・オングが「わたしは五ヵ国語が話せる」と自慢していた。すごいなと思ったけど、「英語、フランス語、北京語、上海語、広東語」だったので、後半の三つは水増しじゃないかと反感を抱いた。いまはわかる。彼女は正しい。でも当時の私は「中国語」なるものが存在すると思っていた。「日本語」と同じくそれはひとつだと思い込んでいた。でもちがう。当たり前だ。あれだけ広い文化もことなる地域の言語がひとつのはずがない。架空の水戸黄門は標準語で全国漫遊しているが、あの当時日本の方言も多種多様で東北のひとと九州のひとでは会話が成りたたなかったろう。それを思えばシナの言語のちがいも感覚で理解できる。その後、あのとんでもない国に実際に行って体験した、上海人は上海語に誇りを持っていて北京語を話さないということ、ふたつはとんでもなくちがっていること、も書きたくなってくる。経済の中心地は上海だ。歴史にも誇りを持っている。でも政治の中心は北京だ。だから公用語は北京語になっている。そのことに上海人は憤懣を抱いている。納得していない。仲が悪い。だから北京語は使わない。それを書きたい。切りがない。我慢。
 主用みっつの言語の中では香港映画で耳に馴染んでいる広東語が響きがやわらかくて比較的好きなことも書きたい。別テーマにすべきか。とりあえずいまのシナの政府、中共が標準語としているのが、<北京語=普通話>であり、日本で発売されている「中国語」の教科書はみなこれであることは書かねばならない。しかしこれは政府の押しつけであり、上海経済圏や広東文化圏ではみな使わない。でも一応これが「中国語」の代表ではある。以下不本意であるが「中国語」という意味不明のコトバを<普通話(北京語)>の意味で使う。



 中国語とはなにかを書いたら、次はなぜそれを「再び」突如勉強する気になったかだ。訪問する異国ではその国の言葉をしゃべることを基本としている。半端な独学ではあるが長年ずいぶんと異国語を勉強してきた。買い物や道を訪ねる程度の言語なら10ヵ国語ぐらいは話せる。いま私の部屋は本を捨てまくったため小説類はほとんどない。本棚に残っているのは語学教科書とJazzやClassic音楽に関するものばかりだ。あ、将棋本も多いな。その中には中国語に関するものも五、六種類見える。やる気だった。まだ朝鮮や中国に悪印象、いや正確な智識をもっていない時期、話せるようになってから行こうと、スペイン語やポルトガル語と同じく、いやいや身近な国だからそれ以上に、やる気満々で語学素材を揃え、熱心に学んでいた。しかし一度訪問していやになった。あの国に行き、「こういう国の言葉は覚えたくない」「この民族と会話したくない」と嫌悪した。それもまた詳しく書きだすと切りがない。というかあの国のことは書きたくない。ひどすぎる。中共という独裁国家のせいもあろうが、それ以前に漢民族ってのは日本人とはちがいすぎる。絶対に合わない人種だ。白人よりも黒人よりも遠い。そもそも隣国とか見た目とか漢字使用からの勘違いがあるが、日本は遣唐使遣隋使以降あの国とはつきあいがない。その証左としてよく言われるのが北京、上海、香港の呼びかただ。その呼び名は英語から来ている。つきあいがあったら「ほっきょう」「じょうかい」「こうこう」と呼んでいた。つきあいがないから毛唐の発音を真似ている。毛唐とのつきあいが始まり、あらためて意識したのがそれらの都市だ。実際つきあいがあった時代は、「洛陽 らくよう」「長安 ちょうあん」とあちらの都市を日本的な発音で呼んでいる。ではなぜつきあいを断ったかというと、当時の賢人も、いまの私の感覚と同じく、実際に接してみて「こいつら、つきあう価値がないわ」と投げたのではないかと推測する。それほど漢民族というのは実際に接するとうんざりする連中だ。あまりに日本人とはちがいすぎる。しかしそれとはまた別に、つきあいのない江戸時代にもシナの思想は、儒教や朱子学が本家とは離れた形で日本独自の発展をしている。それはそれで日本らしいとも言えるが。福澤翁はそれを批判している。と、これまた切りがないので我慢。ともあれ「かつてはやる気だったこと」「断念したこと」を簡単に記し、ついで「それをまたなぜやる気になったか」は書いておかねばならない。(続く)

携帯電話の辞書機能──今ごろになってやっと気づいた──怪訝について──ことば

 過日奥多摩にいたとき、ふと「あの字はどう書くんだっけ」と疑問が浮かんだ。調べたい。調べられない。タブレットを持参しているがWifiは通じない。ケータイすら圏外になることが多い。東京都なのだが。

 奥多摩に住む予定は断念した。プラスマイナスを考えると、美景と幽谷というプラスと比してマイナスが大きすぎる。光ケーブルが通じていることからその気になっていたのだが、日常生活で、故郷の茨城の田舎よりもはるかに不便だ。住民のかたは、食糧は主に生協の宅配を利用しているらしい。今年二月の大雪では、降雪後一週間十日と過ぎてもまだ道路が通れず、孤立してしまった集落に自衛隊のヘリコプターで食糧を運ぶという事態となった。5分でスーパーやコンビニに行ける今の環境からは離れがたい。なにより「刺身で晩酌」が出来なくなる。



 知りたいと思ったことを調べられないのはつらい。ましていまはインターネットという万能百科事典をいつも持参しているようなものだ。何でもすぐに調べられることが当たり前になっている。調べられないとストレスがたまる。だからそれが出来ない環境にいるときは、なるべく「疑問を抱かないようにして過ごす」ことにしているのだが、それでも浮かんでくるものはある。

 たとえば「奇形」は「畸型」と書くのが正しい。「畸」は当用漢字というくだらない制度で使用不能となり「奇」が代用されている。では「奇妙」も「畸妙」とすべきなのか。確認したい。できない。なんどかテーマにしたことだが、附属学校、附属病院の附属は「附」が正しい。「付属」なんて使ってはならない。そういえば四月にもどってくる税金の「還付金」は「還付」と書くが、あれも「還附」が正しいのではないか。寄付は寄附が正しい。ならやはり「還附」だろう。いや、「ひとに対してのもの」だから「還付」とニンベンでいいのか。調べたい。調べられない。大きな搬送用の木箱を見かけた。ああいう「木箱」って英語でなんていうんだっけ。喉元まで出かかるが出ない。港にある大きな荷物によく印刷されている。なんだっけ、たしかカ行、クラフト、そんな感じ。そのへんだ。確認したい。出来ない。イライラする。



 ガラケーに「辞書」というボタンがあるのに偶然気づいた。国語辞典と英和和英がついている。ありがたいことに圏外でも使える。タブレットのそれはネット辞書なのでWifiが通じないと使えない。所有しているモバイルギアではPOMERAに辞書機能があり、通信とは関係なくいつでも使えるが、あのキイボードは使いづらくここのところ携帯していない。なんかあたらしいものをと探していたが、「青い鳥」よろしく、しあわせはいつもポケットにいれている身近なケータイにあった。和英辞書を引く。木箱はCrateか。よかった。ほっとする。咽のつかえが取れた。

 ちいさな辞書なので簡便なことしか調べられない。「畸」の字の情報はなかった。でもそれは家でやればいい。書けないようなむずかしい漢字が調べられなくても不満はすくない。ストレスは度忘れにある。知っているのに思い出せないもの。背中の痒いところに手が届かない感覚だ。それをこの辞書は救ってくれる。

 「携帯電話に辞書」は、いつから始まったのだろう。20年ほど使っているが今まで気づかなかった。ここ10年は電話機能しか使ってないし、さらにいえば受信専用みたいなもので、それも1日に2件ぐらいしかないから、ほとんど使わないのと同じ。連絡はみなPCメールでしている。今のガラケーなんて機種交換して2年近くなるが未だに新品同様だ。あ、もうひとつ、外国に行ったとき「目覚まし機能=アラーム」に助けてもらっている。目覚まし時計は必ず持参するのだが、ケータイとダブルでセットしておくと安心感が違う。ローミングすることなく外国から発信受信できるようになってケータイはほんとに便利になった。目覚ましに加えて辞書でも助けてもらうようになったから、これからはもう「おれはケータイは電話にしか使わない」とは言わないほうがいいのか。それにしても便利だ。いままで気づかなかったのが悔やまれる。

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【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使 う。というか正解は「かいが」だよね。「けげん」なんてただの当て字だ。過日「おこがましい」を「痴がましい」と書いているひとがいた。くだらんことだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪 訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

  私のガラケーに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれた。ありがたい。漢字なんてのは和語の当て字だからどうで もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えな い」のような組合せで初めて「ここは爐韻欧鶚瓩任呂覆爐いが瓩伐仔匹澆砲垢襦廚箸亮臘イ砲覆襦正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに 「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル 用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ た。「けげん」はモバイルにもある。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」が常用であることも確認でき た。

 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みの使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。 「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。
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