2005年07月

アコースティックなベンチャーズ3


 アコースティックなベンチャーズ
 「ベンチャーズ アコースティック・ロック」を通聴しての感想。
 これ、結果的になかなかの掘り出し物であった。私はBGMとして聴くベンチャーズのインストが好きであるが、かといって彼らの売りであるアームやあのテケテケ(これ音楽用語でなんていうんだっけ、忘れてしまった)は好きでない。だから今までにもっているアルバムの中でも、iTunesのパーティシャッフルでたまに流れてきたとき、ああいいなあと聞き惚れるのは「夕陽は赤く」とか「ふたりの銀座」等をごくオーソドックスにシンプルに演っているものになる。
 このアルバムでは彼らの持ち曲を演奏するのではなく、これようにあらたに選んだ。それがいい。「アメリカンパイ」「悲しきサルタン」等。
 いま「リビィン・ラ・ヴィタ・ロカ」が流れてきた。リッキー・マーチンの、というか日本では郷ひろみのアチチアチチの方が有名だ。これ、どう書くんだ。Livin'  La Vida Locaか。ついでだから覚えておこう。ベンチャーズを聴いているうちに本家リッキーが聴きたくなったのでそっちも聴く。こんなことがすぐにできるからコンピュータは便利だ。郷ひろみは残念ながらない。スペイン語の「Vida  Loca」を日本語の「だろか」にしてしまった訳詞センスのいい加減さはかっこよかった。
 ベンチャーズがこれを取り上げたのも郷ひろみが日本でヒットさせた曲だからだろう。なにしろこのアルバムの9割方は日本で売れたはずだから。解説に「世界で一番有名なインストゥルメンタルグループ」とある。「日本で」だね。



 ベンチャーズの「パイプライン」(オリジナルはザ・シャンティーズ)を聴いていたらStevie Ray Vaughanのを聴きたくなった。HDDに1万曲入れているとすぐにこんなことが出来るから助かる。もしもCDを出し入れせねばならないなら私は探し出すその手間暇を惜しんで断念するだろう。いいなあ、スティーヴィ、いつ聴いても惚れ惚れする。なんとも荒々しい。

 ベンチャーズというとロックファンが「エレキ」というものに対する過去の誤解の象徴のように取り上げることが多い(かつて多かった)ものだが、こういう作品を聴くと、彼らがいなければスティーヴィのこれもなかったのだと先駆者の偉大さを確認する。
 一部の曲のギターの音色に不満はあるが、傑作といえる1枚だろう。

 ネットの感想文を探したら「ベンチャーズがこんなふうにがんばっていると自分もがんばろうと思う」というのがあった。そんな効果もある。

鉄玉子図書館利用法3


 花村萬月の鉄卵──図書館の利用法
 新宿図書館で借りてきた数ヶ月前の小説雑誌に花村萬月が「鉄卵」のことを書いていた。鉄分摂取に南部鉄瓶は高いので近くのスーパーで見かけた鉄卵を800円で買ってきたとか。卵の形をした鉄の固まりである。湯を沸かすときこれを入れると鉄分が溶け出す。立ちくらみなどがする鉄分不足の人に効果があるとむかしから言われているらしい。花村さんもそうして沸かした湯で冷たい番茶を飲みまくっていたら貧血が治り、いまや一日たりとも手放せなくなってしまったとか。
 彼はタバコをやめたそうで、やめた人の常として、いかに体調が良くなったかを強調し、あれはやはりいいところがないものなので皆さんもやめたほうがよかろうと意見を述べていた。鉄卵を入れたお湯で淹れた番茶ばかりを飲んでいるので最近まったく水を飲んだことがないという。私の寿司粉茶と同じだ。

 ということですこし調べたら、緑茶は鉄分の吸収を下げるらしい。だから貧血気味の人が鉄分の多い料理、レバー等を食したあと緑茶を飲むのはよくないのだとか。珈琲も紅茶もだめだがなぜか番茶はいいそうでみなそうしているらしい。
 花村さんは「鉄卵」と書き、そのあとに「鉄玉子?」としていたが、商品としては「鉄玉子」が正しいようだ。800円である。利用者は多いらしく検索したらすぐに多くのヒットがあった。

 このことを知ったあと、なぜか「南部鉄瓶を手作りしている岩手の人からの商品紹介」がメイルで届いた。初めてであり削除したあとは二度と来ない。その偶然をなんとも奇妙に感じた。これで私がそういう商品のサイトに行ったなら、どういう方法か知らないが訪問者にメイルを出すことはあり得よう。あるいはここに書いたようなことを公開したなら、あちらがそれを送ってくることはあり得る。だが私は花村さんの文を読んだだけで「南部鉄瓶か。機会があったら買いたいものだ。どれぐらいするんだろう」と心の中で思っただけなのである。なんとも不思議なタイミングだった。

 この鉄玉子、私も欲しいのだが、電気ポットはだめらしい。入れて沸かすとポットが壊れてしまうようだ。普通のヤカンでお湯を沸かすとき使うとすると二重手間になる。ガスで沸かした湯を電気で保温する形だ。どうしよう。貧血で悩んではいないが妙に興味を持ってしまった。

 そうそう肝腎なこと、いちばん書きたいのは鉄玉子のことではなかった。
 数ヶ月遅れの小説雑誌を何冊か借りてきたのである。その中にこういう随筆があったりして楽しませてもらった。それで、もしかしたらこれって図書館利用の王道(?)かもと思ったのである。
 私の場合、欲しい本は買う。「読んでみたいが、買うほどのものでも……」を借りて読むのが図書館の利用法だった。今回読破してあらためて「藤沢周平全集は買おう」と思った。ほとんどは単行本でもっている。それでもやはり全集を揃えたいと思った。こういう見直しと確認もまた図書館の価値であろう。
 そしてもうひとつ、上記のように興味のある記事があると買っては、ごく一部だけをを読み、すぐに捨てていた月刊小説誌のようなものを借りることが、最も価値のある利用法なのではないかと思い至ったのである。今までは本屋で立ち読みし興味がある号だけ買っていた。興味のある号、ない号とハッキリしているときはいい。困ったのはつまらない号で買いたくはないのだがほんのひとつふたつ興味ある記事があるときだ。かつてはそれでも買っていたのだがその辺の無駄に目覚めた今は買いたくない。そうか、こんなモノにこそ図書館だった。
 図書館では最新号は借りられない。最新でも月遅れの号になる。さすがに最も興味のあるパソコン誌は月遅れの号では興ざめだが小説誌なら数ヶ月遅れたところでなんの問題もない。それどころか単行本と比べたらずっと早い「新刊」である。
「図書館で雑誌を借りる」は私のあたらしい利用法になりそうだ。

【附記】 パソコンソフト解説書
 毎日出入りしていると「パソコンソフト解説書」を借りている人をよく見かける。「よくわかるエクセル」とか、そんなタイトルの本である。これも有効な方法なんだなと他人事風に思った。
 かつて私は使いもしない『一太郎』等に常にそんな解説書を買っていた。使う予定はないがもしかして使うとき役に立つだろうと備えたのだ。よって「一太郎8のすべて」なんてのがまったく使わないのにソフトのVersionと並んで9.10.11と揃えられてゆく。結局今回の引っ越しでみな捨ててしまった。ただの一度も開かれることのない美麗な本であった。まったくもったいないことをしていたものである。今も『ホームページビルダー』や『DreamWeaver』の解説本がズラリと揃っている。これは役だってくれているけれど。
 これも有効な方法のように思う。貸出期間は2週間だから、やる気のある人なら覚えられるだろう。そうしてまた借りてやるだけやって、やはり手元に一冊置きたいと思ったら、それから買ってもいい。みんな上手に利用してるんだなと感心した。さいわいいまのところ借りたいソフト解説書はない。

ヴィデオテープを捨てる1


ビデオテープを捨てる
 今朝、DVDへの移行が進み、たまりつつあったVTを捨てた。
 我が街はゴミの捨て方に厳しい。毎朝、ルール違反をしたいくつかのゴミ袋が収集から弾かれ、道路に「ルール違反」の貼り紙をされておかれている。長年住んでいるのになんでそんなことが守れないのだろうと不思議でならない。
 当初、このゴミ収集所は毎日朝の六時から夜九時まで開かれているし、道路際のアルミ缶、スチール缶、ビン等を分別して入れる大きなカゴは24時間出されているから、近辺に住む人がしらんふりして利用しているのかと思っていた。現実問題としてこういう形を提供しているアパート等は周囲にないから、出勤途上の若者が袋に入れたアルミ缶をここに捨てていくような形は多いように思う。便利な毎日オープンしているゴミ捨て場だ。
 それでも「ルール違反」としてさらし者にされたモノ(たとえば土や長い蛍光灯)はしばらくすると消えているから、違反者はこのマンションの住人なのだろう。長年住んでいる購入マンションの住人なのにルールを護れない人の気が知れない。こういうのは性格の問題であり、新人でもすぐに理解して適応できる人もいれば、長年住んでいても未だにわからないなんて人もいたりする。
 ビデオテープは「50センチ以下のプラスチックゴミと同じ扱いになる。透明または半透明の袋にビデオテープだけをまとめて出すこと」となっていたので、それに従った。50本ほどだった。かなり重い。
 今朝もルール違反として弾かれたゴミが五つ、六つほど道路に晒されてていた。見た目ではわからない。ということは持ってみると中にルール違反があるということか。これは収集車の人が瞬時にわかるのだろう。どこがルール違反なのか興味を持った。そして注意深くそのゴミ袋に自分のモノがないかどうかを確かめた。ない。ないよな、あれだけ慎重にやっているもの。この記録は伸ばしたい。

 VTを捨てるのは初めての経験になる。と書いて、あらためてまたそうなんだよなあ、と思う。ヴィデオデッキを使い始めて25年ぐらいだろうか。もちろん何らかの事故でワカメになってしまったり、どうしようもない画質のものを捨てたことはある。そうではなく、良質の画質で録画されているどこも傷んでいない大切なビデオテープをこんなにまとめて捨てるのは初めての行為なのだ。
 さほどテレビ好きではないし録画にも興味はない。一年で使用するVTは30本程度でしかなかったろう。それでも20年以上だからいつしか800本ぐらいにはなっている。本を見ればその人の趣味嗜好がわかるようにVTもまた雄弁である。私の場合、将棋、競馬、プロレス、お笑い番組しかないので誰が見ても苦笑ものであろう。まあ居直るなら、それらも20年以上揃うとなかなか壮観ではある。
 あと「旅関係」と分類された「世界不思議発見」「世界うるるん滞在記」等に代表される世界旅行ものがあるが、これは十数年前に突如として現れ、熱心に録画され、そして一昨年辺りからまったくの興味対象外となっている。また「語学関係」とされたNHK教育テレビの録画ものは、同じく十数年前に登場し、ほんの二、三年で消滅している。
 まことにこういう収集物は雄弁だ。今後私のこれらからはプロレスと競馬が消えてゆくだろう。プロレスに替わって『PRIDE』やK−1が録られるようになっている。競馬は「当たったものだけ」の収集になるはずだ。いやもうなっている。どんな名勝負と呼ばれるものでも大金を失ったレースは見たくない、というのが今の私の結論になる。逆に競馬ヴィデオを末永く楽しみたいなら馬券なんかやるな、となる。事実、競馬ヴィデオの収集家には馬券をやらない人が多い。私は競馬はギャンブルであり馬券を買ってこそ、と思っているので馬券を買わない競馬物書き、カメラマン等を信じない。ところがこの業界、そういう人の方が主をなしているのだからおかしな世の中である。

 VTを捨てるのに心が痛んだ。800本のVTをDVDに移植する作業の最初の終了品50本である。捨てるとはいえ同じ内容がより長持ちするDVDに移植されたのだから嘆く必要はない。なのに心が痛むのは「どこもわるくない品物を捨てること」だからだろう。いわゆる「もったいない」の感覚だ。
 それは初めて本を捨てたときに似ていると感じた。しかし本の方がもっと重かったはずだ。なにしろそこには移植もコピーもない。初めて本を捨てたのは二十数年前か。学生時代からこつこつと買いためた本を、本箱に並べて悦に入るような感覚から脱しなければならないと、見栄でもっている本をすべて捨てた。段ボール箱5箱ぐらいあったか。あのときはまさに清水の舞台から、の気分だった。収集車が持っていったあとも、これでいいのか、と数日間ぐじぐじしていた。

 何事も慣れる。三年前に東京を引き払うときにはもっと大量に捨てた。でもさして気にならなかった。そんなものであろう。
 このとき引きずったのはレコードだ。三十年以上かかって集めたレコードをまとめて捨てた。500枚ぐらいだろうか。いやはやこれは重かった。心理的にもだが物理的にも重かった。50枚ほどを紐で縛ってひとまとめにしたが重いのなんのって。レコード蒐集家が家の床が抜けると心配する気持ちが解った。
 こういうのは、そういう「自分の歴史」を捨てることへのかなしみなのだろう。レコードの場合はのちにネットオークションとかそんなことをすればどんなに安く見積もっても30万円ぐらいにはなったと知ってほぞを咬んだ。私にはレコードをすり切れるほど聴くなんてことがない。だからみな新品同様なのである。洋物もそうだが、今年なくなったタカダワタルのレコードなどみな新品同様で揃っていた。たとえ売らなくてももっていて、ネットで知り合った彼のファンにあげてもよかったではないか。けっこう若いファンもいたりして彼らからすると宝物になったはずだ。だがそのときの私にはそんな発想が浮かばなかった。

 今回の引っ越しでは灯油をぶっかけて大量に本を燃やした。ゴミ集荷所に出しただけでめそめそしていた(?)ころと比べると大きな変化である。およそ400冊ほどを豪快に燃やした。これまた好事家には垂涎の初版本も山とあった。古本屋に来てもらうかとも考えた。ただ<BOOK OFF>のようなところに一律一冊10円のような値付けをされるなら、自分だけの想い出として灰になってくれと思ったのである。これがもしも故郷をもったままのあらたな旅立ちならともかく、二度と戻ることはないという縁切りの引っ越しである。燃やすことはひとつの区切りになった。

 ビデオテープ捨ても初めてだったからすこし感傷的になっただけだ。なにしろ使い始めたころは本体はもちろんテープすらも貴重品だった。使い回しをした。すこしでも長く録ろうとCMのときは録画を中止した。みっともない。ケチくさい。でもそんな時代でもあった。
 モノを捨てるということはそれにまつわる自分の歴史を捨てることである。中身そのものはDVDに移植されて保存されるというのに、たかが用済みとなった古いビデオテープを捨てるのに感傷がつきまとうのはそれゆえであろう。でもそれも初めてだからだ。これで二回目、三回目になるともう平然と捨てているはずである。(だからこそ感傷を感じたときに書いておかねばならない。)

似たような貸出票


 似たような貸出票

 新宿中央図書館から借りてきた車谷長吉の「銭金について」を読んでいたらハラリと貸出票が落ちた。一瞬見て自分のものだと思った。台東区の入谷図書館から借りてきたのと同じ本の名が書かれている。藤沢周平全集を借りていたころのものか。が、よく見ると新宿の中央図書館だし、日附も四月だ。私の前にこの「銭金」を借りた人がここに挟んだままだったのだ。いやはや池波正太郎といい「日本の名随筆」といい、好みがよく似ている。

 同じ本を読む人はこんなにも好みが似ているのかと、最初照れくさいような気分で苦笑し、それからすこし共通しすぎていることに気味が悪くなり、やがてこんなに感覚の似ている人がいるのは決してわるいことではあるまいと思えた。
 同じように立川図書館の本からこれと同じ紙が落ちたことがあった。その人も私と同じく落語CDを借りて時代小説を読んでいる人だったので苦笑したことがある。いつの日か酒場で隣り合ったら、趣味嗜好が似ていて話の弾む人がいるってことだからまんざら悪い話ではない。そう思うことにした。

チャリンコ嫌い──ことばの普及度合

 チャリンコ
 先日この日記で「ぼくの乗っている自転車はいわゆるママチャリと呼ばれるヤツである」と書き、そのあと「このママチャリなんてことばも絶対に使いたくない日本語になる」と附け足した。「ヒャッキン」や「なにげ」について書いていたときである。
 そうしてしばらくその文を見つめていて、「絶対使いたくないことばなら使うなよな」と「ママチャリ」というコトバが登場するその文全体を消した。自分の書く文章に「ママチャリ」なんてのがあることが許せなかった。



 チャリンコというコトバに関してよく言われることは「東京弁における子供のスリの隠語」ということである。これは東京育ちの年配者に共通していて、誰もが自転車をチャリンコと呼ぶことを毛嫌いする。今までにかなりの回数、耳にしてきた。むかし私のつき合っていた娘は何気なくこのことばを自転車の意で使い、それはスリのことだとひどく父親に叱られたと言っていた。当時私も二十代だったが急速に普及してきたこのことばをイヤだなと感じていた。以来いまに至るまで一度も使ったことがない。一般化し始めたのは1970年代からと言われる。茨城の田舎者である私に「チャリンコ」なる隠語は存在しない。あくまでも語感の問題になる。あるいはまた「使う人のタイプ」も関係あろう。このことばを日常的に使用する人に私の好きな人はいなかった。

 なにより自転車という普及したコトバがあるのだから苦労はない。たとえばこれに「足踏み式回転車」という言い方しかないのならチャリンコなる愛称の普及も理解できる。言いやすい。しかしジテンシャとチャリンコは字数的にも差はない。となると使用するか否かは個々人の感覚の問題になる。

 ここでまた不思議に思うのはこれをJIDENSHAと濁る人がいることだ。あれは関東関西のどのあたりからなのだろう。意外に関西の人に多い。もちろん私はJITENSHAである。ATOKで「じんしゃ」と打つと「自転車(じてんしゃ)の誤り」と表示される。



 一年ぐらい前の某バラエティ番組で、「東京ではエスカレイタの左に立ち、追い抜く人は右を上ってゆく。大阪では右に立ち、左を追い抜いてゆく。この違いはどのあたりから始まるか」を検証していた。JRの駅をすこしずつ下っていって確認するのである。結果は名古屋の手前あたりからだった。関東と関西の違いはおもしろい。大阪のエスカレイタで左側に立って奇妙な思いをしたことが何度かある。日本は広い。(大阪人の主張によると左側が世界標準なのだそう。)
 そしてまた思うのは、私は漫才コンビダウンタウンの言葉遣いがむかしから大嫌いなのだが、ヒャッキンもチャリンコもドンキも、極めて彼ら臭いコトバだということである。まったく世の中よくできているものだ。
 
 しかしことばは通じることが要である。あれこれの不満は後付だ。私が絶対使いたくないと思っている「ママチャリ」でも、これを使えばすぐに通じるのに、他のコトバで代用するとしたらめんどくさいこともあろう。なによりそれを使わずに一所懸命に説明をしていたら、「なあんだ、ママチャリのことですか」と言われたら目も当てられない。ことばとはそんなものである。その意味で、ママチャリと言えばすぐに通じることがわかりながら決して使わない人は愚かな頑固者となる。そんな人が好きだけれど(笑)。



 この文章をUPする前にネットで「チャリンコ」を検索してみた。すると「東京弁では子供のスリを指す隠語なので使わない人が多い。なぎらけんいちはこの理由で決して使わないそうだ」との書き込みを見つけた。なぎらは私と同い年である。あちらは銀座生まれの葛飾育ちで茨城の田舎者の私とは違うけれど、彼もまたこのことばを毛嫌いして決して使わないということに意を強くした。

 私の人生訓の基本は「かっこいいか、かっこわるいか」である。もしも「チャリンコ」なることばが今時の若者が使う軽薄なコトバであり識者から毛嫌いされていたとしても私の感性がそれをかっこいいと感じたなら私はためらいなく使う。五十のオヤジがなんとまあ、と非難されようとそういうことはまったく意に介さない。だからこそまたどんなに普及しようとかっこわるいと思うモノには関わりたくない。チャリンコはそれに当たる。
 こういう形のことばの好き嫌いには我を通し続けたい。

 そうしてまた思うのは、この種の普及度合いだ。私の親しい人に自転車をチャリンコと言う人はいない。もしも家族間ではそう言っている主婦でも私の前では必ず自転車と言うだろう。と、そんなことにホっとしたりする。

CANONプリンタの故障──対応したCanonのふたりの女の態度2

mp770CANONの故障
 CANONの統合型プリンタMP770(このMPはきっとマルチプリンタの略なのだろう)の黒インクが出なくなった。名刺印刷はなんとか黒を使わないよう設定してくりぬけた。といってこのままでは済まない。パターン印刷、ノズルチェック、ヘッドクリーニング、リフレッシング、可能なことはぜんぶやったのだが埒が開かない。

 もう自力ではどうしようもないかと6日にCANONに電話した。取説にあったプリンタの相談専門所である。
 こういうときぼくはまず自分の方の事情を述べる。パソコン歴は20年以上あり、CANONのプリンタもBJ-10(最初のバブルジェットプリンタ)からもう十数年、10台ほど使っていて、BJ-35,50,80Vは外国にももっていって重宝した、のようなことだ。実際、イギリス、フランス、タイ、中国、オーストラリアに持って行っている。変電機が必要なので重くなった。当時はまだメイル送信になっていずファクスがメインだった。
 それはCANONファンだというアピールでもあるが、それ以上にパソコン初心者でないことの主張である。というのはよく言われることだが「パソコンが壊れた、助けてくれ」でいちばん多い理由が「電源コードが抜けていた」であるように、こういうところに相談する連中のほとんどは初心者なのだ。これこれこういう状態でプリンタが壊れたと相談するとき、電源コードが抜けていることに気づかないほど初心者ではないとこちらの状況をアピールすることはあちらでも進行しやすく役立つだろう。

 だがこの6日の女担当者はバカだった。こちらがそれほど長年のCANON使用者であり、メンテに関しても充分に詳しいのだとあらかじめ主張しているのに、「インクタンクにオレンジ色のテープを貼ったままで使用していませんか」のようなマニュアル通りの応答をする。思わず「ですからそういう初心者じゃないんです」と声を荒げてしまった。インクタンクにオレンジ色のシールというのは、栓を開けないまま醤油が出てこないと文句を言っているようなもので、そういう質問を避けるために最初にこちらの事情を述べたのだった。そういう見落としがないことは充分に調べ尽くした上での電話である。だめだな、この女は、と早々に切る。

 しかしその後もあれこれやったが解決しない。ヘッドクリーニングもヘッドリフレッシングもインクをかなり消費する。なんどもやっていたらなくなってしまい、またも指先を汚しつつインク補充となった。
 翌7日、もう宅配便で送って直してもらうしかないと覚悟してもういちど電話する。今度電話に出たOさんという人は昨日とはちがってまともだった。繰り返しになるが自分側のアピールをする。BJ-10から使っていると言ったらすなおに感嘆した。
 ということから話が弾んだ(?)のだが、かといって直らないものはどうしようもない。送るしかないか。ぼくはMP770の箱を今回の引っ越しで捨ててしまったことを口にした。すると宅配便にCANON特約の専用便があると教えてくれる。これは往復1750円だから通常よりも安いし、専門業者が部屋までやってきて機械を傷つけないように梱包してくれるのだそうだ。これにしようかと九割方決めかけた。
 それでもまだ未練がましくぼくは言った。便利で毎日愛用しているからそちらに送って手元からなくなることをなんとか避けたい。こういう場合プリントヘッドの故障が多いようだが、あれの交換では直らないだろうか、あれっていくらぐらいするんですか、と。彼女はしょうしょうお待ちくださいと言って手元の資料で調べて3750円ぐらいですね、と言う。
 これを立川のビックカメラで買ってきて交換して見ようと思った。それでだめならまた1750円かけて送らねばならないから二重手間になるが、なんとか手元で、自力で直したかった。それをやってみようと思うと告げた。
 すると彼女は、でしたらまだ保証期間中でもありますし、こちらからプリントヘッドを早急に送りますので交換してみてください、それでだめだったら宅配便で、と提案してくれたのである。なんともありがたかった。今からすぐに発送しますと約束してくれた。



 それがきのう。そうしてきょうの午前中に早速新品のプリントヘッドが届き、交換したら、昨日までのトラブルが嘘のようにきれいに印刷され、問題なしとなったのだった。私はOさんの機転に感謝し、御社のますますのご発展を心から願うと礼状を書いた。昨年暮れ買った製品の故障だから不快になってもおかしくないのだが彼女の適切な応対でむしろ気分はよくなったのである。

 と、いいことづくめだったのだが問題点も書いておこう。
 私が二十年近くCANONを愛用してきたのは故障知らずだったからである。途中ちょっと浮気したEPSONやAlpsがすぐに故障したのと比して、初期のBJ-10ですら一切故障しなかった。これをお払い箱にしたのはあまりに印刷スピードが遅くなったからだった。なにしろ一行の片道印刷だった。とはいえこれですらワープロと比べたら当時は脅威の速さだったのである。これがやがて往復印刷になり、一気に三行同時の往復になったりして、まったくバブルジェットプリンタの印刷の速さと美麗さの進歩は驚異的だった。

 しかしながら故障知らずは、現在H子さん宅にある前愛用機のBJ-530までだった。
 現在の愛機MP770は初期不良品だった。液晶が反応しない。よって水戸のヤマダ電気で買った翌日、40キロ以上離れた店までぼくは交換に走ったのである。これなどもぼくは待望のCD、DVDにダイレクト印刷できるからとわくわくしていたし、クルマで走ることは苦痛でないからまったく気にしていなかったが、短気な人なら「いったいどういうことなんだ、責任取れ! そっちが引き取りに来い!」と腹立ってもおかしくなかったろう。

 このときもぼくは初心者で使いこなせないと思われたらしゃくなので店に行って不具合を主張する前に自分のパソコン歴をアピールした。実際、液晶がまったく反応せず初期不良品とぼくは判断したのだが、もしかしたらちょちょいのちょいと横っちょのスイッチを入れればああら不思議、見事に反応して、という可能性もあり、多少おどおどもしていた(笑)。しかしヴェテラン店員はぼくからの症状を聞くとあっさりと初期不良品と判断し商品を確かめもせずに交換してくれたから、もしかしたら新発売のあのころ、同じようなトラブルが連発していたのかも知れない。また同じ目に遭うのはイヤなので、店内で電源を入れ、確実に液晶が反応するのを確認してからもちかえった。そうして今回で二度目のトラブルである。

 九ヶ月間で、初期不良とプリントヘッド不良による目詰まり、という二度の故障は、コピー、スキャナ、プリンタの三つを兼ね備えたマルチ機械として、さほど頻繁ではないかも知れない。しかし「故障知らずのCANON」というぼくの中での神話が崩れたのは事実である。大のCANONファンであり今後もCANONを愛用してゆくことは間違いないのだから、なんとかこれからも故障せずにいってもらいたい。

DVDエラー連続1

 DVDエラー連続!
 怖れていたことが起きてしまった。VTからDVD移植作業にエラーが連続したのである。
 最初は一昨日、将棋VTをDVDに移した6時間モノをファイナライズしようとしたら、途中で失敗し再生できないDVDになってしまった。これは捨てるしかない。次に今日、ヴァラエティ番組を移植していたら、途中まで好調だったのに3時間ほど進んだところで「エラーが発生したのでダビングを中止した」とメッセイジが出て止まった。このDVDの録画された3時間分は、これを作ったこのHDDレコーダでは再生できるが、「ファイナライズ出来ない」と出てしまうので、他のDVDプレイヤでは再生できないことになる。これでは意味がない。将来雲南のDVDプレイヤで見るために作っているモノなのだ。これまた捨てるしかない。

 DVDメディアは過日秋葉原で最廉価の10枚350円を30枚買い、一枚もエラーが出なかったので、信頼に足ると判断して先日同じ10枚組を50枚買い足した品である。今回のエラーまで一度も出なかったから、50枚で2枚出たということになる。25枚で1枚の割合だが、今の10枚組に問題があり、このあと立て続けに出る可能性もある。そうなると一気に10枚に1枚、5枚に1枚となって、とても使用には耐えないものとなる。やはりこれだけ安いものはまだ無理なのだろうか。

 ただ同じエラーでも初期であることに救いがある。私が怖れているのは20年ぐらい保つと思っていたのに5年で見られなくなってしまっていた、のような場合だ。これはひどい。二度と見られない。元のメディアももうない。だが今回のような場合だと作り直せば済むことである。さいわいにもまだVTもダビングしたHDDも残っている。6時間+3時間の作業が無駄になってしまったが、自動でやらせていたことであるし、たいしたことではない。

 あと2、3枚、連続するようだと、先々のことを考えて、また太陽誘電にすることにしよう。さてどうなるか。これはたまたまなのか。それとも。

談志と小三治の顔1

 談志・オオタ・小三治
 談志は爆笑問題のオオタがお気に入りだ。もちろんオオタも談志を慕っている。談志は「爆笑問題の片方は私の隠し子である」とまで言っておどけている。これは言われるまでもなくオオタを初めて見たときから、あの猫背具合とひねくれ度合いがよく似ていると感じていた。
 きょう、小三治を借りてきてジャケットを見ていたら、オオタに似ていると思った。「茶の湯」(私の好きな演目である)というCBSソニーのCDだが2枚ある表情の違う写真が2枚とも似ている。
 とすると三段論法で談志と小三治の顔は似ているとなる。そうだろうか。

旭天鵬の帰化──日本人、太田勝さん誕生4

 旭天鵬の帰化

kyokutenhou-kekkon

 旭天鵬がモンゴル人力士として初めて日本に帰化した。大相撲中継で知った。スポーツ紙のバックナンバで調べてみる。
 すると、昨年1月に帰化申請を出して、今年6月23日に法務省から許可が出たと知る。帰化には該当する期間日本で暮らしたことに加え、日本語をよどみなく話すこと、文字の読み書き能力が必要だ。旭天鵬の日本語は十両時代に初めて聞いたときから驚異的にうまかった。なぜモンゴル人の日本語はあんなにうまいのだろう。感動的ですらある。在日二十年の白人よりも三年のモンゴル人の方がはるかに自然な日本語を話す。前相撲時代の相撲学校では読み書きと歴史をしっかり教えるからこっちも問題はないだろう。どちらも小錦なんぞよりは格上である。
 問題は引受人だ。小錦は女房の姓にした。そのご離婚したから帰化のための結婚ととられてもしかたない。その他、高見山を始め力士の帰化は「結婚して女房の姓を名乗る」が基本だった。旭天鵬は独身である。どうするのだろう。



 スポーツ紙で「太田勝」となったことを知る。7月10日から始まった名古屋場所では初日から3連敗。4日目に初白星。「日本人として初の1勝」と笑顔で語っていた。会場では「太田、がんばれ!」とのかけ声もとぶという。照れくさいがうれしいとのこと。

 はて「太田」とはなんだろう。そこでひらめく。師匠の大島親方、元大関旭国は、普段は、というか通例として業務上は「大島武雄」を名乗っているが、たしか本名は太田ではなかったか。調べる。やはりそうだった。とすると旭天鵬は親方の姓をもらったことになる。なかなかいい話だ。

 スポーツ紙によると「帰化は相撲界に残り後進の指導をするため」となっている。一部では「部屋を継承するため」とも言われている。それは大島親方の株を引き継いで親方になるってことか。そうなると旭国のこどもが気になる。こういう場合、旭天鵬と娘を結婚させて跡を継がせるのが相撲界の常道である。息子が生まれても親方株を引き継ぐ名力士になれるとは限らない。自分の娘と部屋の最強力士と結婚させるのが最良の継承方法である。だから親方クラスは娘が出来ると喜ぶ。
 どうやら旭天鵬が大島部屋を継ぐのは事実らしいのだが、どうもこの辺がわからない。

 それはまあそのうち追々判るからいいとして、旭天鵬の「日本人に帰化したことでモンゴル人から『金で国籍を売った』と責められた」は興味深かった。在日モンゴル人のサイトで旭天鵬の日本人帰化が否定的に論じられたのは事実らしい。横綱朝青龍はモンゴル人の妻をもらい、帰化しないことを明言している。もっともこれも最近では「日本に残って力士を育てるのもいいな」と発言したりしているらしいから先は判らない。

 ともあれ旭天鵬は人柄もいいしみなに好かれている好人物だ。だからこそ旭国も後継者に選んだのだろう。私も好きな力士であるし彼の帰化を心から喜びたい。今後もモンゴル人力士は一大勢力として相撲界で活躍するだろうから通訳も出来る旭天鵬は貴重な存在になる。

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 旭天鵬初優勝、おめでとう太田勝さん──旗持ちは白鵬──2012/5/20

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【追記】──旭天鵬帰化が【木屑鈔】初めてのテーマ──2014年9月26日

 40歳幕内勝ち越しをなしとげた旭天鵬人気で、私のこの「旭天鵬の帰化──日本人、太田勝さん誕生!」が人気記事として復活していた。調べてみると、書いたのは2005年7月18日。自分でも忘れていたが、なんとこれはこのブログの最初の記事だった。
 サイト(当時はホームページと言った)は2000年のすこし前からやっていた。それで十分だったのだが、なぜか流行り物として、それを凌駕する勢いでブログなるものが話題になっていた。とりあえず自分もやってみようかと手を出してみたのがこの【木屑鈔】になる。早いものだ、もう9年になるのか。すぐに飽きて旧態のサイトにもどると思っていたが、ブログの便利さに慣れてしまい、いまではすっかりサイトのほうがご無沙汰となってしまった。そうかそうか、この【木屑鈔】最初の文はこの「旭天鵬の帰化」だったんだ。当時もいまも旭天鵬大好きだから、なんかうれしい。

 上の文を読むと、朝青龍が現役なのは当然として、「日本に残って」なんて発言もしていたんだ。すっかり忘れている。だってもう9年も前の記事だから。

 上にリンクしたのは【芸スポ萬金譚】の「旭天鵬初優勝」の時の文。これもぜひ読んでください。なんかこの【木屑鈔】の「帰化」は人気になっているのに、【芸スポ萬金譚】のそれはあまり人気がないようだ。なぜだろう。いい文章なんだけど(笑)。

 旭天鵬の40歳現役、しかも幕内で勝ち越しは、長年のファンとして大事なことなので、あらためて文にします。そのときはここにリンクしますのでまた読んでください。
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