2008年03月

ライブドアの広告──早くも会津が──ブログデザイン変更5

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 TBSのクイズ番組のいい加減さを批判したら、早速下記の広告が載った。「会津」がキイワードなのか。いやはやその反応の早さにおどろく。キイワード自動対応なのだろうから早いも遅いもないのだけれど。

 午前中銀行で金を振り込んでも午後にならないと着かない時代に生きてきたから、こういう即座の反応にいまだにおどろいている。IPATなんか払い込んですぐ入金できる。

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 猫は眠る場所を転々とする。
 性格も運動神経もすべて猫型の私がひとつのデザインにこだわることもなかった。
 せっかくライブドアが豊富なデザインを無料提供してくれるのだから、これからは気分次第で毎日のように替えてゆくことにした。

 同じデザインでやっている整骨医のさとう先生の場合は、整骨院の正規ブログだ。あまり頻繁にデザインを替えると医院の評判にまで関わる。

 その点私はしがらみとは無縁だから思いつきで替えてもなんら問題はない。ずっと同じデザインでやってきた反動で、一度替えると、四十過ぎの初めての浮気のようにとまらなくなるかもしれない。

 今回いくつか試してみて不向きなものがあるのも知った。
 私は引用文を青色文字にしている。「黒系の背景に白抜き文字」では、この青が読みづらくて成立しない。かといってそれを考慮して、過去の青色文字引用文の色を変るのも面倒だ。
 季節デザインとして「夜桜」というのがあった。ぜひこの一週間ぐらい使ってみたかったが、残念ながらその理由で無理のようだ。

 月ごとに替えることにして、気に入った12のデザインがあったら理想的だ。でも今回も緑地を選んだように、気に入るものはそうもないのだろう。

「報道2001──竹村健一卒業スペシャル」──黒岩卒業希望1

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「報道2001」が「竹村健一卒業スペシャル」をやっていた。竹村さんも喜寿か。早いものだ。

 最近は、話すとき唇がプルプル震えているし、なかなか言いたいこともスッと出てこないから、卒業の時期としては適切だろう。

 ただ私は、こういうひとたちを見ていると、心底からすごいなあと思う。三宅さんにしても屋山さんにしても、あの年齢であれだけの頭脳は驚異的だ。ハマコーの頭の回転の速さにも感嘆する。

 若い人は彼らに対して言いたい放題しているが、やがて衰えを感じる齢になったら気づくだろう。あのひとたちがいかに怪物であるかと。

 2ちゃんねるの「ニュース速報+」にもすぐにスレが立った。そのなかに「竹村の真似を最初にしたのはキッチュ(松尾貴史)だったか」とあった。

 竹村の物まねで私が印象的なのは九十九一(つくもはじめ)だ。「お笑いスター誕生」で人気者になりLPレコードを出した。このなかにある竹村のパロディは絶品だった。竹村口調の肉体労働者が、「ぼくなんかねえ、あーた、普通免許に大型免許」と資格をたくさんもっていることを自慢するネタには笑い転げた。

 誰が最初だったかは知らないが、すくなくとも九十九のほうが松尾よりは早い。

 あらためて黒岩の出しゃばりすぎ、仕切りすぎが鼻につき、いやになった。

 チクシテツヤやフルタチのようなタレントが冠番組として仕切るのならともかく、このひと、ただの局アナである。なんでこんなに我が物顔なのか。

 卒業して欲しいのは黒岩だ。

TBSのめちゃくちゃ番組──会津若松市激怒──ロンドンブーツ田村淳の「長州」感覚1

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TBS番組に会津若松激怒、鶴ヶ城開城「不衛生だから」?
 

 福島県会津若松市は28日、東京放送(TBS)系のクイズ番組で戊辰(ぼしん)戦争時の若松城(鶴ヶ城)のイメージを損なう放送があったとして、TBSと番組制作会社に24日付で抗議文を郵送したことを明らかにした。
 
 抗議文によると、番組は2月16日に放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」。若松城について「旧幕府軍が城を明け渡したとんでもない理由とは」との出題に対し、「糞尿(ふんにょう)が城にたまり、その不衛生さから」が正解とされ、理由のすべてのように放送されたとしている。

 菅家(かんけ)一郎市長は記者会見で、〈1〉他藩からの応援の望みが絶たれた〈2〉1か月に及ぶろう城による傷病兵の増加や物資の枯渇――など様々な要因が重なった結果と説明。「視聴者や市民らに著しい誤解や不快感を与えた」とし、市民への謝罪と訂正を求めている。

 TBS広報部の話「抗議文が届いたかどうかを含め、内容を確認している」

(2008年3月28日13時44分  読売新聞)
 

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 これは読売新聞の記事。私はこれより先に『夕刊フジ』で読んだ。ここに書こうと引用記事を探していて、読売も書いていることを知った。
 夕刊紙だけのトピックかと思っていたので、最大発行部数の新聞も取り上げていると知ったのは心強い。発行の時間から、読売の記事をフジがフォローしたようだ。
 
 読売は中立を保っているが『夕刊フジ』はもっと手厳しい。ぜひともこちらの全文を読んで欲しい。

「クイズ番組で歴史捏造? 関係者激怒」

http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_03/g2008032906_all.html


 読売は「糞尿(ふんにょう)が城にたまり、その不衛生さから」と一般紙しらく穏和に(?)書いている。これだと単なる歴史解釈の相違のようだ。中にはなにも抗議するほどのことでもないと解釈するひともいるだろう。そうではない。現実の放送は、城の中のそこいら中が糞だらけになり、こりゃたまらんと全員が逃げ出したと、会津武士を嗤うひどい内容であり、タレントも会場も嗤っていたのだ。私はリアルタイムで視聴していたから、そう断言できる。
 

 
 『夕刊フジ』からの一部引用。
 

 この騒動、専門家はどう見るか。
 幕末の会津藩に関する多数の著書があり、会津史学会の会員でもある直木賞作家の中村彰彦氏=写真=は「そんな放送をされたら、多くの人が亡くなったあの戦争が、糞尿譚や尾籠な笑い話になってしまう。死者を冒涜する曲解ですよ」と断言する。

 中村氏は、5000人が籠城した戊辰戦争経験者の回想録の一部に「籠城中、持ち場から離れられず、厠に行けなくて野糞をする人もいた。それを踏んで転んだりと、始末に苦労したといった記述はある」と解説。

 その上で「約10万坪の敷地がある若松城は、深いお堀に囲まれ、糞尿だって始末はできた。それだけで降伏をしたなんて、あり得ない話で、あまりにも史実の曲げすぎです」と指摘する。

 放送前に市側が、制作会社に糞尿話の引用先をたずねると『戊辰戦争速記録』という歴史書の名を挙げたというが「そんな本は聞いたこともなく、そんな史料をあげること自体が、おかしい」と中村氏は失笑する。
 

 
 私は2月に放送されたこの番組を見ていた。このくだりもよく覚えている。正解を知ると出演者のタレントや会場も苦笑していた。ロンブーの淳はおおはしゃぎ。

「よくもまあこんなバカなことをしたり顔で放送するもんだ」と呆れた。
 糞尿の処理に困って籠城していた武士がみな逃げ出したというのだ。今時の軟弱な感覚で歴史を知ったかぶりするとこういう噴飯ものの勘違いが生まれる。命を懸けて戦っている武士がたかが糞小便ごときでそんなことをするものか。

 そもそも現在でこそ水で流されてしまう無価値な人糞だが、当時は金銭で売買もされていた貴重な肥料である。都市部の糞尿の売買権利は大きなものだった。利権争いも起きている。
 自分の身から出た糞尿は、発酵させ、食物栽培の肥料として使用する価値のあるものだった。私の知る限りでも、昭和30年代の農村ではふつうに行われていたことだ。糞尿は忌み嫌うだけの役立たずではなかった。
 石坂洋次郎の小説を読むと当時の感覚がよくわかる。

 とんでも本「少年H」のばかばかしさと同じく、現在から過去を捏造するとこんな滑稽なことが起きる。水洗トイレ感覚で当時を論じてはならない。



 上記、中村氏が紹介している「持ち場を離れられず、近くに野糞をした。それにすべって転んだ」という引用も、尾籠な滑稽話ではない。いかに真摯に戦っていたかの証明だ。今風に、糞にすべって転んだ、服にうんちがついた、たいへんだたいへんだ、臭くていられない、という感覚で語るものではない。

 たとえ首まで糞に埋まろうと会津戦士は最後まで戦い続けたろう。そして言うまでもなく、深い堀に囲まれている10万坪の若松城が、糞尿の処理に困ることなどあり得ないのである。最大の問題は籠城による饑餓だったろう。
 それこそ「垂れ流し」のくだらないテレビ番組とはいえ、世の中にはそれを信じるひとがいる。会津の人たちは先祖の誇りにかけて笑ってすませるわけには行かない。


 
 もうひとつ大事な点を『夕刊フジ』から引用。
 
 じつは、抗議は今回が初めてではなかった。
 放送前、番組の制作会社から会津若松市の観光公社に「戊辰戦争の際、城内にはどのくらいの数のトイレがあったのか」と問い合わせがあり、質問の理由を聞いた担当者らが「それは史実と違う」と放送中止を申し入れていたのだ。
 だが「収録も終わり編集できない、と言われた」(
同市観光課)と地元のアピールを無視した形の放送となった。


 下線部分にTBSの体質がよく現れている。放送前に抗議はされていたのだ。真実を確認することや相手の名誉よりも、自分たちの都合を最優先している。こんな連中に報道の資格はない。
 いったいどこまで不祥事を重ねるつもりなのか。
 


 

 ささいなことだが──いや意外に重要な要素か──この番組の司会をし、戦国武将、歴史が大好きだと大言壮語するロンドンブーツの田村淳が山口県(=長州)出身だというのも関係があろう。

 田村は戦国武将に詳しいことを自慢し、そのことがきっかけとなってNHK大河ドラマに武将役で出演もしている。私は大河ドラマは見ないが、彼が自分の武将好きを連綿と語るNHKの番組は偶然見ている。
 この番組でも、自分を「歴史王子」と名乗り、出題や正解発表の際にも、通であることを大いにアピールしていた。この番組の企画発案にも関わっているのかもしれない。

 長州と会津は不仲である。当時の経緯をいまも引きずっている。
 山口育ちで歴史好きという田村は、子供のころから、むかし敵対した会津の「だらしない連中の実態」として、この種のくだらない風聞を聞いて育ったのではないか。
 

 朝鮮の高校生が日本に修学旅行に来ると、ガイドは神社で、「神様を拝むときは頭の上に靴を載せるのだと冗談で教えたら、無知な日本人は本気にして頭の上に靴を載せて拝んだ。それが烏帽子の形になった」と説明する。朝鮮の高校生が優越感でどっと笑う。あわれだ。まあこういうねじくれた関係が生じる歴史的不幸はあるが。

 それと同じように、長州育ちの田村は、こどものころから「腰抜けの会津のサムライは、くそしょうべんだらけになって逃げ出した」と覚えて育ったのではないか。
 この問題のときも、司会の田村は正解のそれを知っていたと得意気だった。
 

 ※
 

 敗者はかなしい。原爆や空襲で無差別殺戮をされても文句も言えない。それどころか中には、そういうことをされるようなことをしたこっちがわるいと言い出す輩までいる。
 それと同じ流れがここにもある。これは「勝てば官軍」の発想だ。

 それにしてもTBSってのは……。

 

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【附記】──TBSが謝罪
 

鶴ヶ城クイズへの抗議にTBS謝罪「市民心情に配慮欠く」

 福島県会津若松市がTBS系のクイズ番組を巡って抗議文を送った問題で、TBS側は31日、謝罪文を提出した。

 番組では、旧幕府軍が若松城(鶴ヶ城)を明け渡した理由について、「糞尿(ふんにょう)が城にたまり、その不衛生さから」を正解とした。市は「それがすべてのように放送され、イメージを損なわれた」と抗議していた。

 謝罪文では、要因は複数あると認識していたが、バラエティー番組という側面もあったとしたうえ、「主な理由として扱い、市民の心情に配慮を欠き、深くおわびする」とした。訂正放送は「(クイズ番組は)単発なので困難」とした。

 菅家一郎市長は「この回答では市民の憤りは収まらない。きちっとした歴史認識をもってもらいたい」と話している。

(2008年3月31日21時41分  読売新聞)

 

タイでブルートレイン5

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 朝のテレビで「タイで日本のブルートレイン車輛が活躍中」とやっていた。映像も流れている。どの路線だろう。

 ネットで検索するとすでに旅行記が載っていた。北部である。バンコク・チェンマイだ。これは乗りたい。

http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/nekomask/album/10109773/

 書かれたのは2006年の暮れ。そんなに前から走っていたのか。まったく知らなかった。時計が止まっている。

 軽度の「てっちゃん」である私は、外国に行っても電車ばかり乗っている。その分、バスが嫌いだ。乗らない。鉄道でいちばん楽しいのは本家のヨーロッパだ。

 バンコク・チェンマイ間の寝台車も、一等二等三等と全部乗っている。三等はイス席。二等の冷房つきがふつうにいちばん楽しいか。数多く乗っているのもそれになる。でも一等は一等で楽しい。シャワー室もあるし。

 急いでいるときは飛行機、時間があるときは寝台車だった。長距離バスには乗ったことがない。乗ろうと思わない。でもバンコクに働きに来ている地方の連中が帰省といったらバスだ。まあ、鉄道駅が郊外にあって不便なのに対し、バスの駅は町中にある。すぐトゥクトゥクやバイクタクシーにも繋がる。便はバスのほうが断然いい。

 長距離深夜バスの中で有り金全部盗まれた話はよく聞いた。
 Hさんは現金200万円を深夜バスの中で盗まれている。睡眠薬入りのジュースを奢られ、熟睡して目覚めたら、網棚のバッグ! に入れていおいた現金がなくなっていた。そんな大金を網棚に置くのも変だし、まずそれ以上に、金があるのになんでバスなのか。
 Oさんは尻ポケットに入れておいた財布を盗まれた。30万円入っていた。
 そんな日本人がいるのだから長距離バス専門、日本人専門の泥棒にも力が入る。知恵を絞る。悪いのは日本人のほうだろう。

 バス嫌いの私には無縁の話だけれど。
 云南ではバスに乗らねばならない。近くまで飛行機で行っても、最短でも8時間のマイクロバスが待っている。それがいやでいやで……。

 タイの車輛もいいが、日本製ブルートレインの車輛ならもっといい。日本のブルートレインはチケット入手がむずかしく、しかも高い。なかなか乗れないブルートレインに、バンコクからチェンマイまで乗れる。これはうれしい話だ。

 次回、かならず乗ろう。

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【附記】──古い話だった

 書いてから、タイで日本のブルートレインが走っていると話題になったときのニュースを見ていることを思いだした。2006年だ。そのとき書こうと思い書かなかった。それはいいとして、なぜか今回これを「初めてのニュース」として受け止めている。ぼけている。赤面。

チベット蜂起考──再アップされた関西テレビ番組──「漫画で学ぶチベット問題」2

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 INさんが、削除された関西テレビの青山繁晴氏が再アップされていると教えてくれた。見に行く。たしかにそうだ。ありがたい。
 以前のものは左下に番組名が出ており、わかるひとには一瞬でわかるようになっていた。わからない私も「Anchor」から探し出せた。今回は画面からはわからないし、しばらくは関西テレビも見逃してくれるかもしれない。
 

http://jp.youtube.com/watch?v=nW71acbX--8

 もうひとつINさんが教えてくれたのはニコニコ動画に投稿された「漫画で学ぶチベット問題」。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2752213

 小林よしのり氏の「新ゴーマニズム9巻」から構成されたもの。音楽つきで構成されると、あらためてコミックの訴求力を知る。私はこの本をもっていたけれど前回の引っ越しで処分してしまった……。

 INさんは「今回だけは小林さんに見逃して欲しい」と書いている。あきらかな著作権違反だけれど、私もせめてしばらくのあいだ、知っても見逃して欲しいと願う。これによって理解するチベット問題の基本は絶大だ。

 大東亜戦争時もチベットは独立国家として中立を守り、日本とは戦っていない。

 中共が武力侵略した1951年当時、チベットはただ広いだけの山岳地帯だった。現在は豊富な地下資源が埋蔵される黄金の地となっている。もしも独立したら穏便な仏教国であるチベットが、それによって理想郷となるのはまちがいない。逆に、宝の山とわかったのだから中共が手放すはずがない。

 中国国内において、中共によって破壊された仏教建築、美術の損失は計り知れない。チベットにおいてもしかり。
 共産主義は悪魔である。

 ヨーロッパ諸国が中共に批判の視線を向けるのは、これが「宗教の危機」だからである。キリスト教信者は宗教の価値を知っている。
 日本の政治家が他人事としてしらんふりなのは「無宗教」だからであろう。

 今日、『夕刊フジ』のコラムで中川昭一が姿勢を明確にしていてうれしくなった。この国の政治家はなんでこんなに鈍感なのだろう。(投稿予約原稿)

突如「We Can Work It Out」を聞きたくなった──Life is very short5

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 ドラッグストアであれこれ買い物をしての帰り道、なぜか無性にビートルズのアレが聞きたくなった。「Life is very short」ッてえ、アレである。

 三十年近く前、初めて留守番電話用応答機器を買ったとき、うれしくて毎週留守電のBGMを換えていた。初期の留守番電話応答機器はカセットテープを2本使い、ヴィデオデッキぐらいの大きさがあった。それを電話機に接続して使う。
 
 ラジカセで音楽を流しつつ、留守電のメッセージを録音する。
 そのときの一曲にこの「Life is very short」があった。最初にいきなり「Life is very short」のメロディを流し、しばらくしてから応答する。
 ある日、見知らぬ女からのメッセージが入っていた。それは、間違い電話を掛けてしまいました、ごめんなさい、でもとてもいい音楽ですね、誰が歌っているのでしょう? というものだった。声のきれいなひとだった。きっと美人だろう。

 これはいかにもポールらしいメロディの、ポールの才能がきらきらしている名曲である。あの「レノン&マッカートニー」ってやりかたはよくない。ポールが怒るのもわかる。

 聞きたい聞きたいと早足で帰る。帰宅してiTunesを起動する。すぐに聞けると思った。
 ところが、ない。ビートルズのアルバムは全部もっているし以前はCDからmp3に変換して全曲挿れていた。しかし聞き飽きているので聴くことなどめったにない。それどころかパーティシャッフルで「イエスタデー」や「イマジン」が流れてくるとうんざりして止めるほどだ。

 どうやらハードディスクがクラッシュしてあらたに構成したとき、DVDにまとめておいたビートルズのmp3は挿れなかったらしい。なんとなく思い出す。それはそれで正解だ。挿れたとしても聞きたいと思ったことがなかった。今日までは。

 段ボール箱に入れたままのCDをかき回してこの曲を探し出すのは面倒だ。だいたいが何というアルバムに入っていたのか覚えていない。いやそれより正規のタイトルが浮かんでこない。Life is very shortはサビの部分の歌詞だ。(「さび」は「わさび」から来ている日本語だからカタカナにしちゃいかんのだけど。)

「Beatles──Life is very short」でネット検索し、曲名が「We Can Work It Out」であることを思い出す。便利だなあ。むかしだったら音楽好きの友人に電話をして、このサビの部分を歌って曲名を教えてもらうところだ。

 すでにその時点で{Youtube}に映像つきであることがわかった。

 というわけで今、モノクロの映像を見つつ聞いている。ありがたい時代だ。インターネットがなかったら、いまごろ押入れの段ボール箱と挌闘していた。
 突如こんなことがあるからビートルズも挿れておこう。

http://jp.youtube.com/watch?v=mSu6SMBBBpk&feature=related

 スティービー・ワンダーやチャカ・カーンのものまで揃っているようだ。素人の凝ったカヴァーも多数あった。すごすぎるよ、ようつべさん。

 

チベット蜂起考──ニッサン、リチャード・ギアとのCMをキャンセル1

siso.gif ニッサンがリチャード・ギアを起用したCMをとりやめたとか。
 ギアがダライ・ラマ十四世と親交があり、中共に批判的なことに気を遣ったらしい。
 くだらん。でもそれが商売の現実か。

http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=36254

チベット蜂起考──福田「他人事内閣」の恥1

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 福田内閣を揶揄したコピーに「他人事内閣」というのがあった。言い得て妙である。あのひとは他者の痛みのわからないひとだ。
 今回のチベットに関しても、いわゆる先進国と呼ばれる国の政治家がそれぞれ意見を述べているのに対し、我関せずでいる。実際あのひとにとってはどうでもいいことなのだろう。
 閣僚には二階を始めとする媚中派も多い。媚中派は中共の肩を持つ。福田サンはそれすらどうでもいい。興味がないのだ。あのひと、なんで政治家になったのか。あるべき熱さがない。
 こういうひとをトップに仰いでいることが国民として恥ずかしい。

 クライン孝子さんの日記。

http://www2.diary.ne.jp/user/119209/

 3/28の項に「島根県人氏より」が紹介されている。
 ラサでの僧侶との体験。

「謝謝(シェイシェ)というな」
「ここは、中国ではない」

 これは強烈ないい話。私もこれは体験している。
 中国を知らないひとと話して困るのは、彼らは「中国人」という人種がいると思っていることだ。清が女真族の国であることすら考えようとしない。言われればさすがに元がモンゴル人国家であることは思い出すようだが。

 中国を考えるとき、「漢民族の国か否か」は基本だ。

 下に書いたように、せっかくいい番組を作っているのに、著作権うんぬんで{Youtube}から削除させた関西テレビの姿勢は残念だ。

 しかしまあ、{Youtube}のない時代だったら、あんな番組があったことすら知らなかったのだから、偶然見られただけでもよしとすべきなのか。

チベット蜂起考──{Youtube}から削除──関西テレビ1

下記の{Youtube}にあった関西テレビの映像が、テレビ局からの著作権ウンヌンの抗議により削除された。くだらんことをするものである。【附記】を書いた。

Wikipediaのやたらむずかしい漢字使い3

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 難読漢字ブーム

漢字は日本語である (新潮新書 253)

 前々から気になっていた。Wikipediaでは難読漢字が頻繁に使われている。いまも「懇ろに労う」と見て、なんでこんなに好きなのだろうと首をかしげた。

 先日、「業と間違う」とあったので、この場合の「わざと」はこれじゃないよなと思った。といってすぐに正解は思いつかず辞書を引いた。「態と」が正しい。しかしそれ以前になんで「わざと」を無理矢理漢字で書こうとするのだろう。

 テレビがクイズブームである。四月からはますます増えるらしい。制作費が安く、そこそこ視聴率がとれるので楽なようだ。この種の読みの問題がよく出題されている。どうなのかと思う。鼻につく。

続き──http://monetimes.web.fc2.com/ez-sesou08.htm#nandoku

 

チベット蜂起考──関西ローカルの熱い番組──FNNスーパーニュースアンカー3

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 同じく、青山繁晴が熱く語る番組を見つけた。なんという番組なのかわからない。画面片隅のAnchorの文字から検索し、関西テレビの「FNNスーパーニュース アンカー」という番組だと知る。これも関西ローカルの番組だった。充実してるな、関西は。

http://jp.youtube.com/watch?v=6u5_zDb2UWE

 宮崎、勝谷、青山と関東でもなじみの論客だ。なのに語っている自由度がぜんぜん違う。それだけ関西は本音が許されるのだろう。関西に住みたくなった。

 勝谷も青山も「暴動ではない」と主張していた。
 ことばに気をつけよう。そう、チベットのあれは決して「暴動」ではない。虐げられてきた民族の決起であり蜂起なのだ。
 山本アナも、東京だと心配になるようなことをビシっと言い切る。気持ちがよい。
 東京は腰抜けなのだとあらためて感じた。
 むろん「ローカルの強み」はあるにせよ。
 東京は腰抜けだ。
 こんな熱い番組を見たらもうこちらのつまらんニュースなど見られない。

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【附記】──削除の感覚 3/27

 いまリンクした{Youtube}に行ってみたら、

《この動画は、著作権法上の権利が侵害されたとのKansai Telecasting Corporationによる申し立てにより削除されました。》

 となって見られなくなっていた。私が昨日見たのはまったくの偶然だったから幸運だったことになる。

 しかしつまらんことをする。ただの午後のワイドショーだろう。あれがUPされることにより、私のように関西のやる気を見直したものは多いはずだ。それこそ金に換算できないほどの宣伝効果である。ああいうふうに「こんないい番組がありますよ」とわざわざ{Youtube}にUPしてくれるひとこそ、本当の視聴者であり支持者だ。なのに削除。

 ドラマやコントだったなら後々DVDで発売する都合とかもあるからわかる。だがワイドショーの中のニュース解説など一過性のものだし、まして日々刻々と情勢の変化する時節的な事柄である。私が番組プロデューサだったならADに命じて{Youtube}にUPさせる。番組のやる気を見せる最高の宣伝だ。

 なのに削除。なにが著作権だ。つまらん。星を減らそう。

チベット蜂起考──関西ローカルの熱い番組5

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 チベット問題に関して宮崎と勝谷が熱く語っている。

http://jp.youtube.com/watch?v=YrKvUGdy3lE&feature=related


 宮崎の言う「日本の仏教関係者のかたは立ち上がってください。これは法難です。ここで意見を言わなかったら恥ですよ!」はまさに正論。

 勝谷の、「日本の伊勢神宮にGHQが土足で入ってきて、神主や祢宜を殺しているようなもの」も正鵠を射ている。

 今まで見た「チベット問題」に関するテレビでいちばんよかった。関西ローカルだという。熱い番組だ。いいなあ、関西ローカル。すばらしい。
 それを関東で見られる{Youtube}に感謝。

 先週日曜の「報道2001」を始め、こちらのこれに関する番組はみな腰抜けだ。勝谷、宮崎に思い切りしゃべらせる関西はいい。それに、この司会者もいいな。知らない人だけど。

 

あいかわらずの朝青龍批判──ニッカンスポーツとテレ朝の姿勢2

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 大阪場所後の、あいかわらずの朝青龍批判をまとめました。まあほとんどがニッカンスポーツとテレ朝なんですけど(笑)。

 朝青龍と競走馬アドマイヤジュピタのことを他のメディアから引用したら、ごくふつうの文章で、あらためてニッカンスポーツの異常さに気づいた次第です。

http://monetimes.web.fc2.com/ez-sumo08.htm#hihan

 

Crossroads Guitar Festival 2007──満足度100%5

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 ネットにもう秀逸な解説・感想があふれているので、いまさら私が口を出すことはない。すばらしい音楽DVDである。いわゆる「ぜったいに損はしない一品」なのでお勧めする。

 解説サイトは多々あるが、本家のここがいちばんだ。英語だけれど懇切丁寧。

http://crossroadsguitarfestival2007.com/

 
 別項に書いたが、すべてがすばらしいけれど、中でも私はアルバート・リーのカントリーギターに感激した。とにかく多士済々である。
 

 デレス・トラックスの指弾きギターは初めて見た。しぶい。クラプトン世代、先輩世代、後輩世代が出ているわけだが、これは後輩世代。こういうひとからエルモア・ジェイムスの名が出てくると新鮮だ。
 

 やつれたドリー・ファンク・ジュニアがいるなと思ったらジョニー・ウインターだった(笑)。いすにすわっての演奏。だいぶ体力が落ちているようだ。そういやSRVはジョニーに認められて世に出たのだった。
 

 ジェフ・ベックは、指弾きストラトでヴァイオリン奏法。噂の天才少女ベーシストがいる。彼女を見られたのは収穫だった。

 名前を書いているだけでページが埋まってしまう。

 とりはバディ・ガイがつとめる。
 セッションの「スウィート・ホーム・シカゴ」
 会場はシカゴの「トヨタ・パーク」
 キイボードではヤマハががんばっている。
 でもギターはストラトとテレキャス。

 ホームページであらためて書く。
 この種のものじゃ、あの「ラスト・ワルツ」以来の満足度になる。

朝夕のニュースショーの構成3

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 長時間のニュースショーは繰り返しだ。たとえばみのもんたの朝のワイドショーは5時半から8時半の3時間番組だが、1時間番組を3回繰り返すだけである。メインは時間帯や他局を意識した7時半から8時半の部分にせよ、5時半から6時まで見れば、今日なにをやるか=昨日なにがあったか、はわかるようになっている。見ずにすむこともあって助かる。

 夕方のそれも同じだと思っていた。午後5時から7時までの2時間番組も、1時間番組の2回繰り返しであり、5時から見ても6時から見ても同じだろうと。
 ちがうことに気づいた。ニュースは5時からである。大事件があったら6時からも繰り返すのだろうが、そうそうそういう日もない。よってテレビ局は6時からのためにテーマを決めた特集を毎日用意している。それはうまいラーメンや安い寿司屋の「食」であったり、ケチケチ生活や大家族のような「生活」であったり、鬱病や乳ガンのような「病」であったりする。

 夕方のニュース番組で、その日一日の事件を知ろうと思ったら6時からでは遅い。チベットのことを知ろうとしても、「ラーメン」や「鬱病」の話になってしまっている。いつまで待っても出てこず、7時前定番の天気予報になって終る。この時間にニュースを見たいと思ったら4時55分ぐらいから始まるそのときに合わせねばならない。夕方の2時間ニュース番組は、1時間のニュースと1時間の特集という2部構成なのだ。
 ここを逃すと午後10時、11時の番組までニュースは見られなくなる。毎日午前2時起床の私はその時間にはもう寝ているので夕方のこれが勝負(?)になる。

 PCに向かってのっているとき日課とはいえテレビのニュースチェックはわずらわしい。いつも5時になると見ていたのだが、ここ何度か「5時からでも6時からでも同じだ」と思い、そのままPC作業を続け、6時過ぎに見る日が続いた。ぜんぜん傾向が違うことにやっと気づいた。チベット問題を見たい私に鬱病や花粉症特集は無意味だ。
 みのもんたのそれが「1時間番組3回繰り返し」と気づいたときは、すこし賢くなった気がしたのだが、なかなかうまくゆかんものである。(投稿予約原稿)

続きを読む

{Youtube}で、Scuttle Buttin 三昧5

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 iTunesでStevie Ray Vaughanの「Scuttle Buttin」を聞いていた。この曲は落ち込んでいるとき元気を出すのに効き目がある。高フレットでやたらキィキィ鳴らす速弾きは多いが、こういう低フレットでの速いフレーズのものはあまりない。カントリーミュージックからの流れだろう。
 その証拠に(?)、この曲からブルーノートを取り除くと見事にカントリーになる。バンジョーとフィドルの欲しくなる(笑)。

 先日来見ているClaptonの「Crossroads Guitar Festival 2007」で、私がいちばん感激したのはアルバート・リーだった。大方は御大BBやJeff Beckだろうが、私は断然アルバート・リーに魅せられた。彼の映像を知らなかった。クラプトンも絶賛するカントリー系の大御所ギタリストである。白髪のあっさりしたファッションは学者のようだった。
 このお祭りがすばらしいのはロックに凝り固まっていないことだ。

 SRVの「Scuttle Buttin」はいくつものヴァージョンをもっているし、映像もある。たまに観るSRVは最高だ。Little Wingを聴くと、いやなことも忘れられる。
 ふと、{Youtube}にはSRV以外の「Scuttle Buttin」もあるのか? と思った。なにしろ「悲しき願い」の尾藤イサオまであるのだ。きっとある。そう思って検索した。すると本家はもとより、様々なカヴァーや、日本人バンドのライヴまであった。あまりうまくなかったが(笑)。

{Youtube}で感心するのは、なぜか「教則ヴィデオ」がよく載っていることだ。「Johnny B Goode」や「Highway Star」なんかがるあるのは当然として、これはどうだろう。知名度はそれほどない。でもギター子僧が弾きたがる曲である。見事にあった。ゆっくりと丁寧に解説していた。すごい時代だなあ。

※  ※  ※

 ギターフェスティバルで、クラプトンがもしもいまここにいてくれたら、と語ったのはジョージ・ハリスンだった。そうだねえ、「While My Guitar Gently Weeps」からの流れがある。数ヶ月前の「Player」だったか、「過小評価されているギタリスト」の特集があり、ハリスンの名があがっていた。まあそうかもしれないし、そういう感覚の人もいるだろうけど、でも当時のことを思えばクラプトンとは雲泥の差だ。なによりビートルズではポールがギターもいちばんうまい。

 私はこの種のイベントを見るたびに、「ギター馬鹿一代」のSRVが元気だったらなあと、そればかり想う。ジミヘンはああいう運命だったのだろう。ああいう運命だからほんの数年にすべてを凝縮したのだ。しかたない。でもSRVと、それにデュアン・オールマンは、もっと生きていて欲しかったといまだに思う。

【附記】 SRVはヘリコプター事故、デュアンはオートバイ事故での死亡。

政治家のありかた──辻説法の価値──Voice4月号より2

Voice 「Voice4月号」に「日本の明日を壊す政治家たち」という特集があり、十人の名前が挙げられている。それが誰かは読んでもらうとして。

 その中の政治記者匿名座談会の一節にこんな箇所がある。
「街角で毎日演説するのが政治家だと思っているのがいる(笑)。民主党に多い」と。同意である。

 拡声器を手に、街角や駅前で毎日辻説法をする。道行くクルマに手を振ったりする。それになんの意味があるのか。本来の辻説法になり、少数でもきちんと聞いてくれる人がいればまだいい。だが出勤前の人々はみな通り過ぎてゆく。立ち止まって彼の意見は聞かない。
 たとえば彼が「ガソリン税暫定税率廃止」を訴えていたとして、その根拠と彼の意見に耳を傾ける時間はない。通り過ぎるだけだ。看板や幟から「廃止」だけは伝わるだろうが……。このことになんらかの意味、価値があるとしたら、「ああ、毎日がんばっているな」というアピールだけである。まったくもってくだらんことだ。一所懸命を取り違えている。

 たとえば夜、10人、20人の小規模集会でも、そういうもので自説を聞いてもらおうとするのなら、それはそれで意味がある。それこそ地道な辻説法になる。だが、通り過ぎるひとを相手のそれに、なんの意義があるのか。パフォーマンスとしか思えない。そう割り切ってやっているのならまだいい。顔を売るための地道な戦術なら。そうではなく、「これこそ真の住民に密着した政治家の姿」と思っているとしたら病んでいる。

 私は民主党の松原仁を、北朝鮮拉致問題への取り組み方等、嫌いではない。でも彼が額に汗を浮かべて、毎日の辻説法に燃えているのを見ると、情熱の使いかたがずれていると思わざるを得ない。
 郵政民営化問題で造反し落選した城内実も、次の当選を目指し、毎日毎日これをやっているようだ。たしかに「あの人はいま」的に報道するとき、これは「毎日一所懸命がんばっている姿」として画になりやすい。
 でもなあ、どう考えてもそれは、有権者に顔と名を売るパフォーマンスでしかないだろう。国会議員は町会議員とは違う。視点はもっと高見にあるべきだ。

チベット蜂起考──映画ロケ地への興味──「セブン・イヤーズ・イン・チベット」「北京のふたり」2

eiga
 近年好奇心不如意で田舎引きこもりの私が、今回のように「ん!?」と関心をもつ場面はめったにない。テレビドラマはほとんど、というか全面的に観ないし、観る邦画の数も限られている。時代物のロケ地は観る前からわかっている。

 アメリカ映画を観ていつも思うのは、アメリカが「大いなる田舎」ということだ。あの国はまだ西部劇を撮影できる場所がいくらでも残っている。京都しかない日本とはそこがちがう。まあ広いからなあ。
 でもそれをいえばヨーロッパも全体的にそうだ。あちらは意図的に古いものを守っている。新築の家を建てるときも、解体した古い家と同じデザインのものを建てなければならないとか。北海道の田舎にヨーロッパの古城を買ってきて建て悦にいる日本人とは心構えが違う。

「釣りばか」や「寅さん」は、地元振興のための誘致合戦。金もかかる。映画のほうが「行ってやってもいいぞ」のパターン。映画会社に田舎町が何千万円も払ったりする。醜い話なので知りたくもない。

 NHK大河ドラマとかも決定すると地元は沸くらしい。観光の面でたいへんな経済効果があるようだ。観たことがないので知らない。そういえば「徳川慶喜」がテーマになった時期、地元の田舎町が、慶喜一行が訪れた寺だとか、史跡だとか、看板を立てて大騒ぎしていた記憶がある。いくらか観光客は来たのだろうか。

「007」や「Ranbo」のロケ地は興味がある。タイが多い。「Ranbo 4」でも、私はカレン族のあの村が自分の知っている地域か、それを気にしつつ観た。くだらん俗物。
 ディカプリオの「The Beach」に出てくる「On On Hotel=安安旅社」に映画より前に泊まったことがあるのはささやかな自慢(笑)。プーケットタウンの売春とドラッグが蔓延している安宿。
 ヨーロッパ映画で自分の行ったことのある町が出てくると、知っている通りが出てこないか、泊まったホテルが出てこないかと、探してしまう。基本はミーハーだ。ばか。うんざりする。

「ロス疑獄」が起き、被告の会社「フルハムロード」が有名になり、「ひょうきん族」で景山民夫が「フルハム三浦」でプロレスをやった数年後、ロンドンで「Fulham Road」の道路標識を見たときはけっこううれしかった。ビートルズのAbbey Roadのように。
 書いてることの程度が低いので恥ずかしくなってきた。もうすこしましな話にしよう。

 いまチベットがたいへんなことになっている。ここのところブログを書いていないのはそのことの情報収集に追われているからである。そのことを書きたいのだが事態はまだ流動的だ。まとめられない。末端のことを書こう。

「Seven Years in Tibet」のロケ地は気になった。あの内容を共産党独裁政権の中共で撮れるはずがない。のちにアルゼンチンロケと知る。主演のブラッド・ピットは、いまも中国に「永久入国禁止」である。
 この映画は、中国共産党の侵略に批判的な視点はうれしいが、基本はあれも「白人の見た珍しいもの」の世界だ。いやそれでも、あの映画のおかげでチベット問題に関心をもってくれたひとは何百万、何千万といるはずだからありがたいと思っているけれど。

 リチャード・ギアの「北京のふたり=Red Corner」も、北京じゃ撮れるはずがないからどうしたのだろうとロケ地に興味を持った。ロスにセットで再現したらしい。ダライ・ラマ十四世を尊敬し、親交のあるギアは、チベットに関する声明をたびたび発表している。
 しかし日本のマスコミはそれを無視する。いわば「俳優リチャード・ギアがヘンなものにかぶれている」という視線。

 この国のマスコミはおかしい。(投稿予約原稿)

「全国ロケ地ガイド」を知る──検索音痴の新発見3

eiga
「亀は意外に速く泳ぐ」のロケ地に興味を持ち、こういうことに関する情報サイトがあったら便利だなあと検索して「全国ロケ地ガイド」というサイトを知る。

http://loca.ash.jp/

 累計アクセス数が1300万で、毎日1万5千アクセスだというから、テレビ映画好きなら誰もが知っている有名サイトなのだろう。こんなものすら知らなかった。ほんと検索音痴だ。ここを知っていればエンドロールの画面を瞬きもせずに瞶める必要もなかった。

 総量5GB、写真1万点という、こんなすごいサイトを運営しているひとはなにを考えているのだろう。写真や地図まで載っているのだ。
 テレビドラマのそれもやっているのだから、おそらくこれをやっているだけで一日がつぶれてしまうだろう。お金になるとも思えない。大金持ちの趣味なのか。代表者は金沢のひとらしい。今度金沢に行ったら取材で伺ってみようか。世の中、ひろい。(投稿予約原稿)

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映画「亀は意外に速く泳ぐ」を観る──深夜にほっとする5

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●「亀は意外に速く泳ぐ」

 深夜三時からのテレ東でやることを発見したので観る。三木聡監督作品だ。2005年の公開時点から観たいと思っていたが、都心の映画館に出かけてゆくほどの熱意もなく、DVD作品になってからも、レンタルビデオとすっかり縁が切れていたので、いまだに観ないままだった。
 いつも通り午前二時に起床してPCに向かう。そういえば木曜深夜には映画劇場があったなあと番組表を見たらこれだった。ついている。今日出会わなかったらあと何年も無縁だったろう。

 主演の上野樹里は「スウィングガールズ」、蒼井優は「フラガール」、脇役陣も見慣れた連中ばかり。安心してみられる日常的非日常映画。まったく倦きることなく二時間映画を観られたのはひさしぶり。銃器を撃ちまくり、火薬を爆発させて自動車を壊すのばかりが映画じゃない。ほっとした。

 どうにも気になったのがロケ地。ぜったいに知っている場所だ。まちがいないと確信していたが、確認せねばとタイトルロールを食い入るように瞶める。やっぱり横須賀の三崎町だった。学生時代の先輩が住んでいたので二十代のころはよく通っていた。
 あの辺は独特の雰囲気があり、見てすぐにもしやと思った。いいなあ、海の近くは。いま山のほうにいるので海が恋しい。

 偶然いい映画を観られて気分は爽快である。(投稿予約原稿)

 

ソフトバンクCMのジミヘン──Voodoo Chile5

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 ブラッド・ピットが出ているソフトバンクのCMに、ジミヘンの「Voodoo Chile」が流れる。イントロのみ。とても40年前の演奏とは思えない新鮮さ。

 あれはどのテイクなのだろう。ジミヘンの音楽は海賊版もぜんぶ持っていて、HDDに入っているから聞き比べればわかるだろうが、ありすぎてこんがらがっている。とっさに判別できないのが悔しい。さすがにCMはえらいと思うのは、いちばんいいテイクを使っている。
 ジミヘンの音楽は毎日聴くものではない。ライヴの出来不出来の差も激しい。「Voodoo Chile」もあのイントロはかっこいいがそれほど好きな曲でもない。それでもあのCMが流れてくるたびにピクンと反応してしまう。

 iTunesを起動して調べたら、ジミヘン以外にSRVとClaptonがあった。いまClaptonとSteve Winwoodの「Voodoo Chile」を聴いている。先月MSGでやったライヴ盤だ。
 このふたりの競演では「Little Wing」もやっている。それがClapton風のソフィストケートされたもので、なんともいい。これは真っ先に聴いたが「Voodoo Chile」はたいして好きな曲でもないから聴いていなかった。
 ああ、この「Voodoo Chile」もそうだ。17分もの長尺だが、見事にクラプトンの音楽になっている。

 円熟期のクラプトンが今やるコンサートで、ジミヘンの曲を2曲も取り上げていることが、その価値を物語っている。(もっとも、意地の悪い解釈をするなら、円熟期、老境に入ったからこそ、あの青春時代の思い出の曲を、と採ることも出来るだろう。)

橋下大阪府知事の「卑怯な大人発言」考2


橋下知事発言「卑怯な大人」 異例の3度目議事録削除
3月12日1時40分配信 産経新聞


 大阪府の橋下徹知事は11日、府議会の一般質問で、知事を批判した民主府議に対し、別の質問の答弁で「卑怯(ひきょう)な大人」と反論し、激論となった。民主側は「答弁を求めていないのに、別の質問で反論するのはルール違反。内容も言い過ぎ」と抗議。岩見星光議長は、議事録から発言を削除することを決めた。今議会で橋下知事の発言が議事録から削除されることが決まったのは3度目で、極めて異例の事態となった。

 この日、民主の中野隆司府議が非行少年の自立支援施設について質問した際、橋下知事の著書を掲げ、「『罪を犯した少年のために税金をつぎ込む必要があるのか』とあるが、私人時代のコメントとはいえ府民に混乱を招く。出版物を回収すべきだ」と批判した。

 橋下知事はこの質問での答弁は認められなかったが、別の質問で、「子供たちには、著書の一節を用いて発言しながら、答弁の機会を与えないような卑怯な大人になってほしくない」などと反論の答弁をした。

 この答弁に民主側が記事録の削除を岩見議長に申し入れ。 (後略)
 

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映像のある時代はたすかる。この記事だけを読むと橋下の落ち度のようだが、ニュースがしっかり映像を流してくれた。するとだいぶ状況がちがう。

 質疑に立った民主党府議が、橋下の過去の著書を持ち出して拡げ、その一節を紹介し、「回収すべき」と発言する。
 橋下はそれに反応して「議長、議長」と手を挙げて発言を求めるが、議長はしらんふり。
 言うだけ言った民主党議員は、本来の質問に入る。
 この件に関して発言できなかった橋本は、応答のときに記事にあるような発言をした。
 すると削除を求められ、議長が削除するように指図した、という話。

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 新銀行東京問題で揺れる都議会では、民主党議員が「トップダウンで作った銀行」と石原都知事に絡んだら、石原が「トップダウンてのはおたくの代表のオザワイチローのように」と言い始め、「そんなことは関係ない」と民主党からヤジが飛んで騒然となった(笑)。それを石原は「トップダウンてのはそういうことだ。例を引いたまでだ」と応えている。
 議事会から出てきたところで感想を求められ、「挌闘技みたいでおもしろいね」と笑った。

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 橋下と民主党議員のやりとりをこの挌闘技(というかケンカ)に例えるなら、最初に民主党議員が橋下を蹴ったのである。突然、なんの意味もなくだ。蹴られた橋下が蹴り返そうとしたら、まあまあまあと周囲が抱きついて止められてしまった。それで橋下はしばらくしてから蹴った。すると民主党議員が蹴られた蹴られたと騒ぎ始めた、とそんな感じである。

 小泉総理時代に、野党議員が、「国民が不況で苦しんでいるときに、総理の息子は芸能人になって、CM出演料が5千万だそうだが、それでいいのか」と、くだらんことを言った。小泉さん、憤然として「私の息子は芸能プロダクションと契約して月給30万円で働いている」と反論した。

 それと同じぐらいくだらない話である。橋下に質問したこの民主党議員の卑劣さは、橋下の過去の著書から一節だけを引用し、回収したらどうかと大きなお世話の一言を言いつつ、それをいわば前振りとしてしまったことである。前振りに反論できないのなら、言ったもの勝ちになる。

「子供たちには、著書の一節を用いて発言しながら、答弁の機会を与えないような卑怯な大人になってほしくない」とは皮肉の効いた見事な発言だ。

「別の質問のときに反論するのはルール違反」と民主党府議が抗議して削除されたというが、「質問のときに、関係ないことを前振りとして言い、反論の機会を与えないのはルール違反ではないのか!?」。よほどそっちのほうが悪質だ。そのときに反論の機会が与えられなかったのだから別の質問のときにするのは当然である。でなきゃいつする。

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 わからんのはこの岩見という自民党の議長の態度だ。議長権限によって削除されたのは「答弁の機会を与えない卑怯な大人」のひとりに、議長が該当したからだろう。橋下が議長席を見ながら「議長、議長」と手を挙げているとき、不自然なほどしらんふりをしていた。意図的である。

 府議会議員になった以上、誰だって府知事になりたいと願う。夢を抱いたまま、五十歳、六十歳と年輪を重ねてゆく。なのにそこにテレビで名前と顔を売った三十八の若造がいきなり府知事になってやってきた。その反感は自民党府議の中にもあるのだろう。この岩見というのには「小僧っ子の橋下をいじめてやれ」の意識が見えている。

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 国会でも「本来の質問の前に、総理や大臣に対して皮肉っぽいネタを前振りにする手法」というのはよく使われる。議員としては、テレビ視聴者という大向こうを意識した大見得のつもりなのだろう。やめたほうがいい。見事だと思ったことがない。品格を落とすだけだ。そんなもの最初からないか。

 議会から出てきた橋下は、「すぐ熱くなってしまって」と反省の弁を口にしていた。そんな必要はない。まちがいなく相手は「卑怯な大人」だ。やられたらやり返せ。縮こまるな。

蕪村から子規、古今集から萬葉集──今日のWikipedia勉強4

春だ。冬が去ってしまうと恋しがる自分がいる。あんなに苦しめられたのに。

「春の海 ひねもすのたりのたりかな」は蕪村だったよなと思い、与謝野蕪村の項を開く。あとは「菜の花や月は東に日は西に」ぐらいしか知らない。ほぼ白痴。代表句が二十首載っていた。これぐらいは覚えよう。と手書き。

原稿用紙に萬年筆で書いてみる。う〜む、へたくそ。でも我慢。

春の海 終日のたりのたり哉

柳散り清水涸れ石処々

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな

花いばら故郷の路に似たるかな

不二ひとつうづみのこして若葉かな

牡丹散りて打かさなりぬ二三片

夏河を越すうれしさよ手に草履

ゆく春やおもたき琵琶の抱心

易水にねぶか流るゝ寒かな

月天心貧しき町を通りけり

さみだれや大河を前に家二軒

菜の花や月は東に日は西に

涼しさや鐘をはなるゝかねの声

古庭に茶筌花さく椿かな

ちりて後おもかげにたつぼたん哉

あま酒の地獄もちかし箱根山

鰒汁の宿赤々と燈しけり

二村に質屋一軒冬こだち

御火焚や霜うつくしき京の町

寒月や門なき寺の天高し

さくら散苗代水や星月夜

住吉に天満神のむめ咲ぬ

みじか夜や浅瀬にのこる月一片

秋の夜や古き書読む南良法師 

字が下手なのでうんざりする。高島俊男先生はそんなことは気にするな、字のうまいへたにこだわる奴にろくなのはいないと激昂しているが、これにはご両親のことから来た個人的な感情が入っている。下手な私はすなおにうまいひとにあこがれる。字がうまいと句が引き立つ。逆もまた真。

蕪村は絵も達人。いくつかの作品を目にする。眼福。

蕪村の影響を受けた正岡子規に行く。無学なので子規について語る知識を持たないが、高島先生が漱石と子規の交流をおもしろおかしく書かれているのであまり遠く感じない。すごく尊大で年上のひとでもなんでもみんな弟子扱いしたというのが笑える。「よし、特別におまえを今日からおれの弟子にしてやる」みたいな。

子規は「古今集を否定し萬葉集を称えた」から、古今和歌集と萬葉集の勉強。
萬葉集はぜんぶ漢字で書かれている。
とはいえ漢字の意味を無視して音訓だけを利用した「萬葉仮名」の世界。

都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之曾乃名曾(大伴家持)

これは漢字じゃなくて「萬葉仮名」という仮名文字。当て字。暴走族の「夜露死苦」や2ちゃんねるの「基地外」は萬葉仮名の流れか(笑)。

ここから平仮名と片仮名について成立までの勉強。
学生時代、六法全書のカタカナにどうしてもなじめなかった。漢字しかなかった時代を考えればその便利さを理解し、親しめたはず、と遅すぎる反省。

妻にかな文字を教えたときを思い出す。「ア」を教えると、音を覚えるために、妻は「ア」の横に「阿」とメモしていた。「阿」を簡略化したのが「ア」なのだが。
漢字とかな文字のある日本語はすばらしい。漢字だけの中国は苦労しているし、ハングルにばかり走る韓国もみっともない。あれは極端だ。両立すべきだろう。それでこそハングルの美しさも際だつ。でももう漢字で自分の名前を書けない若者が大多数というから手遅れか。

チェンマイ『サクラ』の有山パパは、手紙やちょいとしたメモでも、カタカナを多用した。私はひらかな派だった。これって世代だろう。「カタカナ=外来語」の使いかたがしみこんでいる。有山パパのメモを見て、カタカナが男の文字であることを再確認したものだった。これは昭和初期の文章からもわかる。
小学校で最初に習う文字がカタカナからひらかなに変ったのは何年からなのだろう。

かなに関する基礎知識があったら六法全書にももっと親しめたのだが、当時の私には奇妙な読みづらいものでしかなかった。

というところで一息。これだけの勉強が一気に出来てしまうのだからありがたい時代である。(投稿予約原稿)

林家正蔵の「お弟子さん」1

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NHKの演芸番組。正蔵(こぶ平)と中川翔子の司会。正蔵「ふだんは何してますか」中川「ひとりでいることが多いです」正蔵「うらやましいなあ」のくだり。

正蔵「ぼくなんか家族もいるし、お弟子さんも一緒に住んでますから、なかなかひとりになれないんですよ」

「魚屋さん」「ラーメン屋さん」のような職業を始め、なんでもかんでも「さん」をつけて角の立たないようにする時代だ。しかしこの「お弟子さん」は適切か? 「弟子」だろう。
中川が「お弟子さん」と言うならともかく。

他の落語家を想像してみた。小朝……「弟子が一緒ですから」と言うと思う。言うよなあ、ふつう。『笑点』メンバー。これはまちがいなく「弟子」である。古い人たちに「お弟子さん」と身内までもちあげる勘違い丁寧の感覚はない。

正蔵の波風立てないタレントとしての賢さはともかく、「落語家としてのつまらなさ」が、よく出ている一例といえる。(投稿予約原稿)

Qちゃん惨敗──名古屋マラソン──セイウンスカイ3

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  午後11時帰宅。疲れた。
 今日は親族会議があり早朝から田舎に出かけた。片道5時間。クルマがないと遠い。田舎の家にいた時間よりほとんど移動にとられている。

 親が死ぬとあれこれとたいへんである。もう二度と帰る気のない故郷だし、遺産放棄でいいのだが、息子のためにそれなりの土地は遺してやったほうがいいのかも、とも思う。私が死んだあとの話だ。やっておくべきなのだろう。しかし面倒だ。

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 高橋Qちゃんの結果は気になっていたので、帰途、友人に電話して尋いた。惨敗とのこと。セイウンスカイの天皇賞を思い出した。あれは涙ものだった。棄権せず走り抜き、20位か30位ぐらいで入ったらしい。これまた泣ける。

 今日から大相撲が始まった。これも見ていない。とはいえ初日。たいしたことはあるまい。把瑠都が復調したかどうかだけが心配。両横綱の結果もまだ知らない。

 マラソンと相撲と競馬の録画を見ねばならないが、ほとんど寝ていないのでその元気がない。
 風呂に入って寝て、午前6時起床予定。
 それからここに【附記】として書こう。

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賭の感覚──名古屋国際マラソン3

sportsoccer
 本命◎は、やっぱりQちゃん?! 女子マラソンの北京五輪代表最終選考会を兼ねた名古屋国際女子(9日、名古屋市瑞穂陸上競技場発着42.195キロ)に出場する高橋尚子(35)=ファイテン=に6日、早くも“北京当確”が出た。英国連邦マン島政府公認のブックメーカー「Bet luck」で、Qちゃんが1.96倍のトップをキープしていることが判明。

名古屋国際で日本人選手でトップは誰−の項目(日本時間6日23時時点)で、Qちゃんが1.96倍のトップをキープしている。3位にはアテネ五輪7位・
坂本直子(天満屋)、07年大阪国際1位・原裕美子(京セラ)が8.17倍で続くが、その差は4倍以上だ。

 さらに、Qちゃんは何位−の項目(同)でも優勝の2.10倍が最高。全世界に会員を持ち、公共性に優れた英国ブックメーカーのお墨付きが出されたかたち。ちなみに、スタート直前まで賭けは可能となっている。(MSN産經)

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 名古屋マラソンのことを書いたとき、「Qちゃん1着固定で、3連単でいくらつくだろう」と考えた。不謹慎と思い書かなかった。
 でもイギリスだと不謹慎でもなんでもなく現実に行われている。おとなの国だ。

 藤沢周平作品には頻繁に「バクチで身を持ち崩す男」が出てくる。優しい恋人だった男、善良な職人だった夫が、ふと覚えた丁半バクチで、人生を狂わしてゆく。それに巻き込まれる女の悲哀。
 江戸時代にカタギが身を持ち崩す話を描こうとしたら、「ふと手を出してのめり込んだ丁半バクチ」しかないわけで、ご自分はバクチをやらなかったであろう藤沢さんは「手段」としてそれを多用する。それを理解しつつも、現実に馬券で身を持ち崩した私は、あまりにパターン通りの転落に、読んでいてつらくなることがあった。

 バクチの基本は単勝だ。丁半だ。その好き嫌いで本性がわかる。
 私は馬券好きだがバクチ好きではない。世界各国のカジノに行ったけれどまったく燃えなかった。ドラクエでもカジノでは遊ばない。江戸時代に生きていたら中間部屋の丁半バクチに狂ったろうか。それしかないのだから狂うか。博才のなさに気づいてすぐに目覚めたと思うが……。
 馬券というのはいいかげんなバクチなので、才能のないものほど足を洗いにくい。

 ブックメーカーのマラソンバクチは単勝だけなのか。3連単はないのか。
 根がまじめな私はやはりこれは不謹慎に思えて、あったとしても手を出すことはないけれど。

 どんな結果になるのやら。

内藤、ポンサクレックに勝つ──この世に亀田戦は存在しないかのようなTBS3

boxing
 内藤がなんとかポンサクレックに勝った。最強のチャンプである彼をKOするのは無理か。ともあれ引き分けだがなんとか防衛した。これで当面は安泰である。ポンサクレック以上の敵はいない。ふたりが尊敬しあっていることがわかるボクシングらしい試合だった。

「白鵬と内藤」というコンビは誰が推したのか。「朝青龍と亀田」に対抗して、ここでもベビーフェース対ヒールの構図。
 試合前のそれらの映像を見て、そういえばふたりが一緒に食事したり、相撲部屋に内藤が稽古に行ったりしたことをすでに見ていたのだと思い出す。なのに忘れていたのは、TBSが仕掛けたあまりのわざとらしさを無意識のうちに拒んでいたからだろう。

 過去の映像、周囲の人々を延々と流すが、亀田のカの字も出てこない。思わず「局はどこだっけ」とあらためて確認するが、するまでもなくTBS。

 ボクサー内藤の経歴を編輯するなら、亀田との絡みがまったくないのはあまりに不自然。その不自然を平然とやるのがTBS。
 亀田次男戦のときは、バッティングで流血した内藤にはしゃぎ、このまま続行不可能になれば亀田次男がチャンピオンだと実況していた。すべてしらんふり。しかしおまえらが忘れてもこちらは覚えている。

 こわいよね。ないことをあるように捏造するのも得意だが、あったことをなかったかのように無視することも平気。こわいテレビ局だ。

 三月末にはまたしらんふりして今度は亀田兄の試合を流す。

 戦争中は戦争を礼賛して、敗戦後はそんなことはなかったかのように振る舞う新聞と感覚は同じ。
 それぐらい面の皮が厚くなければ出来ない商売だ。

高橋尚子の勝負──名古屋マラソン4

sportsoccer
 すなおなスポーツ(?)に興味のない私にも、これは興味津々。挌闘技だ。しかも世間と名誉と時代を背負っているガチンコ。猪木プロレスと『PRIDE』を足したような勝負。目が離せない。

 2000年のマラソン金メダリストが2004年のオリンピックに出られなかった。競馬で言うなら、前年の天皇賞をレコードタイムで勝っている馬が、トライアルで2着に敗れたから今年の天皇賞に出られない、というようなヘンな話。そんなバカな。馬がしゃべる? エド? そんなことが現実に起きた。

 出場枠があるからしかたないとは思うが、「出るだけ」の奴らも多い他競技と比したら、高橋を出してやれよとどれほどの日本国民が思ったことか。いやほんと、どんなにがんばっても10着なんてことが前もってわかっている競技も多いのだ。そして見事に結果もそうなっている。でも代表枠があるから出られる。「参加することに意義のあるオリンピック」。これって選挙の「一票の重み」と同じく考えるべきことだろう。高橋を出してやりたかった。出すべきだった。

 だがその高橋の出られないオリンピックを野口が楽々と勝っちゃうんだから日本の女の強いこと。野口は今年も絶好調。北京も期待大。だけどこの人、強いんだけど華がない。馬で言うと?

 2000年の金メダリストと2004年の金メダリストが2008年のオリンピックでデッドヒートを演じるのが夢。日本女最強伝説の完成。

 勝てよQちゃん。なんとしても勝たねばならん。
 格闘技以外の勝負でこんなに燃えるのはひさびさ。

Vistaの復元──2007年7月のOS3

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 Vistaの調子がわるくなったのでバックアップファイルから復元した。2007年7月のものだった。ずいぶんと古い。それだけ安定していたことになる。2007年の1月から、毎月1回はBackupをとっていた。それが安定してきたので、そんなに心配しなくても大丈夫かと、7月からしなくなっていたのだった。実際八ヶ月も保ったことになる。

 世間には未だにXPを称えVistaを叩くひとがいる。Vista Ultimateに慣れた私は、とてもじゃないがもうXPにはもどれない。快適に動く環境さえ整えてやればVistaほど便利で使いやすいものはない。。(あくまでもMSのOSに限っての話です。)
 この安定した復元機能もそのひとつだ。ソフトウェアを使わずOSの機能としてあるのが助かる。
 復元された2007年7月が「なつかしい」と言いたくなるほど遠いのにはまいった。多くのソフトが何段階もVersionUpしていて、それのDownloadや日本語化だけで何時間もかかってしまった。いくつかのCodecも探してきて挿れねばならなかった。PC世界が日進月歩であることをあらためて感じる。

 表示された昨年7月の2ちゃんねるのスレは、「PCニュース」は「イギリスでFireFoxの使用者数がIEを超えた」、「相撲」は「琴光喜、大関になれるか!?」だった。遠い話である。

 いまの世の中は十年一昔ならぬ三年一昔と言う。十年前のことをつい昨日のことのように覚えている私には馴染めない話だった。しかし目の前に突きつけられたニュースで見ると、八ヶ月前でも一昔と言いたいぐらい世の中は変わっている。「ニュース速報+」に並ぶスレは、みな「むかしの話」だった。

 日々を忙しく生きているひとにとっては、たしかにもう「三年一昔」の時代なのだろう。すなおにそう思えた。
 八ヶ月前に無理矢理もどされるという、この「事件」がなければ、私はこれからも格言通り「十年一昔」と言っていた。

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「心が折れる」の多用──スポーツ紙の文章1

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 挌闘技に於ける「心が折れる」は誰が言い出し、いつから流行ったのだったか。『PRIDE』で三宅アナあたりが連発したのが始まりか。最初のころ、ピンチに陥っても「まだ心は折れていません!」という実況は、それなりに新鮮だった。

 一種の流行り言葉になったらしく、私のところに届いたメールでも、使っている人が散見された。私は使わない。こういうことには自制が働く。私の中で「心が折れる」は「キモい」と同等のレヴェルだ。

 下記は昨日の「戦極」での吉田VSバーネット戦に関するサンスポの文。
 どうかと思う。「折れてない」から「折らない」まで来てしまった。


前へ、前へ。心を折らない吉田が突進する。裏投げで脳天をマットに叩きつけられ、馬乗りになった相手からパンチの連打を浴びても、鬼の形相で立ち上がった。


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 「骨が折れる」はむかしからある。
 一番有名なのは園遊会での柔道山下。昭和天皇の「柔道は骨が折れるでしょう」に、「はい、先日足首を骨折しました」と応えた。カニ挟みで折られたのだった。仕掛けたのは誰だっけ?

 これ、一歩間違うといわゆる「都市伝説」のたぐいになるが厳粛な事実。私は又聞きや週刊誌ネタではなく、テレビ放送のそれをリアルタイムで耳にした。ありえないことが実際に起きると笑えないものである。一瞬なにが起きたかわからなくなった。反射的に笑ったり、「そりゃちがうやろ」とつっこみも入れられず、気まずく黙ってしまったものだ。

「骨が折れる」と「心が折れる」は分類としてどうか?

 前、前へ。骨を折らない吉田が突進する。


 これじゃ吉田が苦労していないみたいだ。
 かといって挌闘技実況で、タップしたとき、「ついに、ついに、ここで骨が折れたぁ!」と叫んだら、これは骨折になる。


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 元来新聞記者に名文家はすくない。それは当然で、限られた字数で事実を正確に客観的に伝える記者の文と感情の入った名文は別種である。両立はありえない。むかしは作家の前身に記者が多かったが、あれは作家を志すものの假りの職業としてそれぐらいしかなかったから。近年、電博等広告系の出身が主となったのは自然である。

 それにしても、下記の「朝青龍問題」等、スポーツ紙記者の文章がひどすぎる。
 スポーツ紙とはいえ新聞なのだから、週刊誌的な娯楽性より報道性を優先すべきだろう。ニッカンのあの記事など私的感情を交えた週刊誌のヨタ記事そのものである。



後日註・「心が折れる」は 、女子プロレスラーの神取忍が言い始め、それを文字にしたのは井田真木子のようだ。広めたのは『PRIDE』中継のフジテレビアナだろう。

アントキの猪木アントニオ小猪木ジャイアント小馬場長州小力3

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 アントキの猪木が活躍すればするほど消えていったアントニオ小猪木があわれになる。かといってジャイアント小馬場はそうでもない。あくまでも猪木模倣ふたりの問題。

 長州小力、アントニオ小猪木、ジャイアント小馬場は予測できたが、アントキの猪木という名は新鮮だった。小猪木が先立ったから苦し紛れとも思うが。

 しかしまあ長州力を知らない長州小力ファンがいて、なにより当の長州力が息子や娘が小力の真似をするので不快になり、真剣に落ち込むという一時期があり、やがて居直って、一緒にヴァラエティ番組に出て笑いをとり、そのことでまた人気が復活するという、いろいろあらーなの世の中。

 でもアントキの猪木とレーザーラモンHGのふとももはえらい。あれはきちんと作ってある体だ。

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【附記】 ご近所

 アントキの猪木が私と同じ茨城県の霞ケ浦近辺の出身と初めて知った。
 茨城は茨城なりに広く、たとえば日立のほうだともう福島に近く、まったく親近感をもたない。同じく下館なんてのも栃木に近く遙か彼方の感覚。
 だが彼の現かすみがうら市稲吉というのは、私の家からクルマで30分ほど。田舎的にはご近所である。茨城時代、クルマでここまで走り、最寄りのJR駅から上野に向かっていた。
 郷土意識は希薄な方だがなんとなくうれしい(笑)。

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【附記・2】 日本語は難しい

「小猪木が先立ったから」
 いやいやアントニオ小猪木はご存命。「先だった」を「先立った」と漢字一文字違えるだけで他者を故人にしてしまう非礼。日本語は難しい。

池波正太郎とジェームス──侍の自称3

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 高島俊男さんの一文にあったこと。あ、古い話ですよ、このこと自体は。

 高島さんが台所で洗い物(笑)をしている背後で、NHKテレビの「大河ドラマ」が流れていたそうな。高島さんは「大河ドラマ」を見ないけれど(私も見ません)、ニュースを見たあと、テレビをつけたまま洗い物をしていると、そのBGVになってしまうことがたまにあると書いていた。

 そこで八代将軍徳川吉宗が、家来に対して「この吉宗が」とか「吉宗にとって」と、自分のことを「吉宗」と自称して大見得を切るものだから、呆れてしまったという話。
 これは「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」をすなおに受け入れている人にとっては、「なにがへんなの?」と思うようなことだろう。でも絶対にあり得ない話だ。将軍の吉宗が今時のネーチャンみたいに「ミキはねえ」「ユミってばぁ」のように、自分の名を一人称にするはずがない(笑)。

 高島さんは同じく劇中で武士が気軽に「家康様が」と言ったりするのにも呆れていた。恐れ多くもかの大御所を名前で呼べるはずがない。徳川幕府が成立して百年以上経っている。開祖の家康は神様である。神君だ。常識的に「大権現様」とかであろう。「家康」なんて名を軽々しく口に出来るはずもない。

 たしかこの脚本はかの高名なジェームス三木だった(笑)。
 こういう話を読むと、高島さんが小説を読まない、テレビを見ない、という気持ちが分かる。私もテレビの時代劇はまったく見なくなってしまった。映画はまだ見るが見るたびにストレスが溜まる。
 一方でまた私には「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」を楽しめる人をうらやむ気持ちもある。こだわりは不幸を呼ぶ。目をつぶるのも勇気だ。その辺が師匠とは違っている。(私淑だけれど。)

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 さて、ジェームス三木が斬新なことをするはずもない。そこまでの才能もない。先人の真似をしたのだ。よりどころがあるはずだ。
 すると池波正太郎が「剣客商売」で、田沼意次に、やたら「意次が」と言わせていることに気づく。

 田沼意次というと、私などは高校時代、賄賂政治の汚い政治家と学んだ。しかし彼の経済活性化の実蹟が見直され、近年ではめちゃくちゃくに評判がよくなっている。「白川の清きに魚の住みかねて元の田沼の濁り恋しき」と戯れ歌にあるように、人の世は清ければいいというものではない。すでに昭和四十年代にこの悪評紛々の田沼を一方の主役にしていたのだから池波の炯眼はさすがだ。

 しかしなあ、いくら池波ファンでも、田沼意次が自分のことを「この意次が」と多用したとは思えない。
 そうなると、将軍が自分の名を自称する噴飯ものの「この吉宗が」は、実はジェームス(純日本人なのにこんな名前って恥ずかしい)が、池波の真似をした可能性が高い。

 池波ではないかもしれないが、ジェームス(笑)は、池波クラスの先人の真似をしたのであり、池波も手本のひとりであることはまちがいないだろう。すこし憂鬱である。

 でもまあ池波作品はほんと娯楽作であり、「剣客商売」だって、小兵衛のスーパーマンぶりにまじめにケチをつける気なら、いくらでも出来る。どんな剣豪も小兵衛と対決したなら「むうん……」と言って気絶するのだ。気にしちゃいかんのだろう。ただジェームスと池波を同格に語りたくないので、どうもまだもやもやしている。

タバコは千円?3

00-seso【正論】日本財団会長・笹川陽平 9兆5千億円の新たな税収


■たばこ「1箱千円」への値上げを

 ≪ロンドンは日本の3倍≫

 年明けに仕事で訪れたロンドンの街角で世界的に人気のある銘柄のたばこ1箱(20本入り)の値段を見ると5ポンド(1045円)だった。参考までにニューヨークの友人に聞くと、こちらも8ドル(最近まで960円、円高の現在は約850円)という。対する日本は同じたばこが320円、わが国の安さをあらためて実感した。(後略)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080304/plc0803040307001-n1.htm

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 私も同じ事を書いたなあと思った。あった。2005年の10月だった。

http://blog.livedoor.jp/moneslife/archives/50245073.html

 毎度の意見だが、消費税が20%ぐらいになるのはしかたないのである。避けられない。それがこの国の運命だ。だけどなんで「一律」なんだ。日々の食料品と毛皮ダイヤが同じなんて馬鹿な話があるか。

 イギリスの消費税は17.5%だが、食料品、家庭用上下水道、書籍、新聞、医療、教育、郵便は0である。それが正当だろう。

 たばこは千円でいい。中学生高校生が法で禁止されているたばこを喫ってみようとするのは健全な背伸びである。そうして成長してゆく。むかしもあったし、これからも消えることはない。だけどそういう後ろめたいことは、「マックを2回我慢しないと買えない」ぐらいであるべきだ。ガキが気軽に自販機で買えることがいかに異常であるか。

 これはエロ規制にも通じる。欧米は解禁しているが、だれもが見られるTV等では厳しく規制している。表向きは規制しているようで、実情はコンビニのような場所でも垂れ流しの日本とは反対である。もちろんあちらが正しい。

 日本政治の醜さは、気持ち悪い平等主義にある。
 この「タバコ千円」の話が出たら、必ず「愛煙家のひとだけにそんな負担を掛けることは出来ない」と言い出す政治家が出てくる。それが真の博愛主義ならいいのだが、そうではない。あちこちから均等に吸い上げようとしているのに、ここだけ値上げしたら問題が生じるのではないか、他所にも悪影響が出るのではないか、自分の票に響くのでないかと案じているだけだ。

 白人国と足並みをあわせる必要などないが、どう考えてもいまの日本、タバコは安すぎる。

DieHard 4を見る──スケールアップのつまらなさ2

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 原題は「Live Free or Die Hard」とか。Live Free or Dieは有名。それを文字ってのものなのだろう。でもそうなるとことばが矛盾しないか? Die Hardは死とは関係ない。でもいいのか。

 このシリーズのポイントは悪役のキャスティング。今回もそれは成功か。ティモシー・オリファントもマギー・Qもがんばっていた。マギーもなかなかダイハード、「危険な情事」のよう(笑)。

 空港のような限られた場所だからこそおもしろかったのに、今回は外に飛び出した。その分、カークラッシュは派手派手。ヘリコプターから戦闘機まで出てきてロケ用に建設した高速道路をミサイルで破壊しまくる。

 しかしこの戦闘機、いくらなんでもスゴすぎないか。どういう機能でホバリングのように停止し、あんなに小回りがきくのだ。高速道路の橋桁のあたりをもぐっていた。いくらなんでも。
 戦闘機というのは速いけれど全力疾走の猪みたいに急に止まったり向きを変えたりはできない。一度通り過ぎたら何キロもの距離を行き過ぎてから大きく旋回してもどってくるものだ。それが出来る特殊な機種もあるが、このジェット戦闘機はどうみてもふつうのタイプである。なのにあのホバリング。

 でもまあなにが出てこようとジョンは死なないから安心してみていられる。そう思われたらダメなんだよな、ほんとうは。

 一本の井戸が掘れたら、どれほど村の人が助かるか、という世界に行っちゃった私には、もうこういう高級車壊しまくり、一発何千円、何万円する銃弾乱射しまくり、火薬ガソリン大爆発、制作費100億円突破、のような映画は楽しめないようだ。

 世界は矛盾に満ちている。
 べつにハリウッド映画とアジアアフリカの井戸の話にしなくても、今夜も普通人の年収を一晩のホストクラプで使う成金女は身近にいる。それが人間社会ってえもんだ。

 愚痴ってもしょうがない。さあてまた湯豆腐でも食いつつ「剣客商売」を読もう。

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羽生、名人戦挑戦者に!5

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 3月3日は「将棋界の一番長い日」。A級順位戦最終日だ。
 羽生が勝って名人戦挑戦者になる。森内から奪って十九世永世名人にならねばならない。森内に先を越されただけでも屈辱だ。
 秋には竜王挑戦者となって奪取し、初代永世竜王になる。でないと渡辺がこのまま初代永世竜王になる。

 佐藤が結果的には3勝をあげて陥落を防いだ。6連敗から、行方、久保、木村と3連勝だった。これにも一安心。しかし6連敗はひどかった。
 陥落は行方と久保。行方は当然としても久保は大活躍しただけに不本意だろう。なあにすぐ戻ってこられる。
 5連勝で一時は挑戦者争いのトップに立っていた木村は終盤4連敗。この辺にまだ一流ではあるが超一流になれない木村の弱さがある。

 格として名人戦を超えた竜王戦だが、この時期の風景を見るとまだまだ歴史的に価値のあるのが名人戦であることを思い知る。

 すべて予想通りの結果。うれしい。でも前回書いたように最も緊張しておもしろかったのは2月1日の8局目だった。私も実況スレにしがみついて一喜一憂した。それと比べると今回は薄味。佐藤の残留にしても前回で75%になったのだからさほどの心配ではなかった。

 4月になったら名人戦の季節だ。

池波正太郎の絶筆──「梅安」の品川目黒3

book
「藤枝梅安 冬時雨」を読む。今まで読まないよう避けてきた一冊である。
 というのは、これが池波正太郎最後の作品であり、物語が中途のまま、巻末に「絶筆」とあるのを知っていたからだ。そんなかなしいものには触れたくない。
 今回、もう全作品読んでいるのだから、いつまでもこだわっていてもしょうがないと、思い切って読んだ。それでもやはり巻末にある「絶筆」はこたえた。体調のことがあって、すこし筆が乱れているように感じた。雑だと。単なる思い過ごしだろうか。
 
「梅安」には「鬼平」とも「剣客」ともまたちがった思い入れがある。地である。私は東京に三十年以上住んでいるがそれは品川と目黒のごく一部だけだ。というかそれしか知らない。それが私の「東京」のすべてになる。一昨年、江東区に半年ほど関わったが、まったくの別世界だった。異国とすら感じた。

 目黒品川といってもまた広くなるのだが、私の住んでいたのは池波師の描くそれにもろに当たる。
 師のお住まいがあったのが戸越銀座である。私は武蔵小山と旗の台に住んでいたから戸越銀座もまた手のうちだ。武蔵小山商店街を抜けると戸越銀座に繋がる。そこを抜けると旗の台だ。
 住まいから戸越側ではなく目黒側に行くと、すぐに碑文谷、目黒不動尊だった。
 
  池波師は、昭和四十三年から始めた「鬼平」の連載で一気に名を挙げ、昭和四十六年から「剣客」「梅安」シリーズも始めた。
「鬼平」は実在の人物であるから役宅の場所等は決まっている。これは江戸下町の本家である江東区や台東区、墨田区の住人のほうが親しめる。

 純粋なフィクションである後二作は舞台設定を自由に出来る。「梅安」の住居が「品川台町」になったのは、師が戸越銀座に住んでいたことと無関係ではあるまい。品川と目黒不動尊、碑文谷神社、それらが頻繁に登場するだけで、土地勘のある私はうれしくなる。五反田から大崎のあたりもよく舞台になる。雉の宮もよく登場する。なにしろ私は東京の他を知らない。知っているのはそこだけだ。それが舞台なのだからうれしくてたまらない。「梅安」が他のどんな時代小説よりも特別なのはそのことによる。

 江戸っ子である池波師は、変貌してゆく東京に絶望し、自分の中に江戸を創ったと言われている。自分の中に理想的な江戸を創造し、そこの住人となった。そのことで満足を得た。それによって現実の東京への失望を断ち切ったと。
 それはすばらしいことであるが、同時に脳内世界のむなしさでもある。どんなに充実していてもそれは現実世界ではない。

  現実ではどうしたか。
  師はパリを愛した。
  わかる。パリは変らない。変らない美徳にパリっ子がこだわっている。あのフランスの頑固さはかっこいい。江戸は東京となり、東京は軽薄に尻軽に醜く変貌していったが、パリは百年前、二百年前と変らないまま存在している。
  時代小説家の池波師は、しばしばパリに出かけ、JAZZを聴いた。そして帰国して、一見それらとは正反対のような、実は同質である「鬼平」を「剣客」を「梅安」を書いた。
 
  先生のお宅に歩いて十分ほどのところに私は長年住んでいた。もしかして商店街では何度かすれ違ったかもしれない。だが当時の私は時代小説に興味がなかった。読んでいない。もし先生とすれちがっても気づかなかった。
 パリを知るのも、JAZZに魅せられるのも、ずっとあとである。
  しかたのないことだ。池波師が東京に絶望してパリに惹かれていったように、私にも時代小説やJAZZに興味を持ってゆく順を追った流れがある。
 
  いまこうして、氏の作品を楽しめる自分に満足すべきなのだろう。
「梅安」の彦さんが大好きな湯豆腐を作り、「剣客」を楽しみつつ……。
 

図書館の西原人気3

book
 図書館での西原理恵子人気はすごい。いつ行ってもみな貸し出し中だ。そんな中、唯一あるのが伊集院静とのコンビ本。これはもうどこにいっても必ずある。西原関係の本はみな貸し出し中なのに、唯一残っている。だから借りる。でもこれ伊集院の本だ(笑)。せっかく借りてきたのだからと読む。つまらない。後悔する。返す。その繰り返し。そう、せっかく借りに行ったのだからと、なんどか同じ事をやっている。ばか。
 
  そんなに好きなら買えば? と言われそう。買っている。けっこうもっている。あのアマゾンに出かけたのなんて、引っ越しの際の何度もの大量焚書をくぐり抜けて残っている。「恨ミシュラン」はあったか? 前回の焚書で焼いたような。あれはコータリの本だし、なにより出版がアサヒだった。カモちゃんの本はまだ何冊かもっているが次の焚書で焼かれそうだ。

  最近の母親シリーズに、買うほどの興味はない。かといって読みたくはある。なので図書館、という流れ。しかしいつ行ってもどこでもみな貸し出し中なのである。
  私は「予約」というものをやったことがないし、する気もない。そこまでして借りるなら買えよ、と思う。なのに買わないから堂々巡り。いつまで経っても近年のサイバラを読めずにいる。
 
  立ち読み、という手がある。だが私の住んでいる地域でサイバラの本をそろえている店はない。いったいどんなところに住んでいるのかと笑われそうだが現実である。
 
  今朝は、カフェラテを作って飲んでいたらサイバラが読みたくなった。がまんするとすぐに忘れる。しばらく後、また思うことになる。同じ事を書かないようにメモ。

朝青龍「死ね、このやろー!」問題考1

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 横綱朝青龍(27=高砂)が公衆の面前で大暴言をはいた。
 25日、滞在先のハワイから関西空港に到着。待ち構えていたカメラマンに「死ね! このヤロー!」と吐き捨てた。横綱以前の人間性を疑われる発言に、一般の搭乗客もあぜん。

 ハワイ出発時にはアロハシャツに短パン姿で空港に現れ、撮影したカメラマンに写真を消すようどう喝。この日、番付が発表された春場所(3月9日初日、大阪府立体育会館)を前に、品格問題の再燃は必至だ。

 「品格」のかけらもない暴言だった。午後4時半、朝青龍が8日ぶりに日本に降り立った。搭乗者出口へ歩く横綱に、複数のカメラマンが近寄ろうとする。

 1人が「横綱、おつかれさまでした」と優しく声をかけた直後信じられない言葉が飛び出した。
 「死ね! このヤロー!」

 一般客もいる場所で、その後も「どこのカメラマンだ」とひと言。

 周囲にいた老夫婦が思わず「大変だねえ」とカメラマンに同情するほどだった。
 
報道陣が待つ到着ゲートから出てくると、仏頂面のまま無言で足早に歩を進め、関係者の車に乗り込んだ。

 暴言には伏線があった。17日から滞在していた米ハワイから出発するため、日本時間の25日午前6時ごろにホノルル空港に現れた。日本人観光客から「あっ、朝青龍だ」の声が挙がる中、力士とは思えない青い花柄のアロハシャツと白い短パン、サンダル履きの軽装。最初は笑みを浮かべていたが、待機していたカメラマンを見つけると表情を一変させた。シャッター音を聞くと右手でカメラマンを手招きし「どこの社だ。名刺出せ! 写真を消せ!」とどう喝した。

 力士が公の場に出るときは、着物が常識。認識していた朝青龍の後ろめたさが、理不尽な怒り爆発になった。
「着物はカバンに入っている。関空で撮ればいいだろ!」と、撮影した写真を目の前で消去させた。約10時間のフライト中もイライラが募ったのだろう。緑の着物姿で現れた関空では自らを抑えることができず、再び公衆の面前で醜態をさらしてしまった。

 昨年11月に2場所出場停止処分の謝罪会見を開き「品格の面でも磨いていきたい」と誓った。その後は公衆の前で懸命に感情を抑えようとしてきたが、報道陣の前では時おり周囲がまゆをひそめる言動は続いていた。ハワイへは兄スミヤバザルさんの結婚式のため渡った。関係者によれば滞在中もトレーニングを欠かさず、父ドルゴルスレンさんやスミヤバザルさんと砂浜を走ったり相撲を取ったりしたという。家族とリラックスして過ごしたことで、たがが外れてしまったのだろうか。

 この日、春場所の新番付が発表され、史上9位となる横綱在位31場所となった。その日に横綱としての自覚を問われる言動と服装。これまでも相次ぐ問題で騒がせてきた朝青龍だが、4場所ぶりの優勝を目指す場所を前にとった軽率な行動が、取り返しのつかないことになるかもしれない。 
( ニッカンスポーツ:2月26日)
 

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 見事なまでに事実をゆがめた悪意たっぷりの記事である。太字と下線部を読んで欲しい。私怨丸出しだ。
 言われたのは『東スポ』のカメラマン。「言ったか言わなかったか論争」では、私は言ったと思う。『東スポ』カメラマンは「小さな声でボソっと言った」と証言している。ハワイのアロハ姿のこともあり、苛立っていた朝青龍がつぶやいたのは事実だと私は思う。以下、事実としての展開。

 なんてことはない。苛立っていた若者がつぶやいたひとことである。よくあることだ。見過ごせばただそれだけのことである。どうでもいいことだ。
 
 だがそれを見過ごさないマスコミがあった。当事者でもないのに「やった!」とばかりに、事実をゆがめ、大袈裟に、大々的に一面で取り上げた。「ニッカンスポーツ」である。
 現実にそれを言われたのは(言ったと假定)『東スポ』記者なのに、我が事のように大仰に、上記のような感情入れまくりの歪んだ文章で報じた。

 ここまで大きく報じたのだからワイドショーは飛びつく。大騒ぎになった。逆に言うとこんなこと、「ニッカンスポーツが一面で大騒ぎしなければ、誰も知らないどうでもいいこと」だった。マスコミが事件を作る。その典型例になる。

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 『東スポ』のカメラマンにボソっと言ったひとこと。それも彼を特定して言ったのではない。毎度毎度のことからカメラマンというものに対して苛立っていた。たまたま待ち伏せし、声を掛けてきたカメラマンに対してつぶやいたひとことである。当人の『東スポ』カメラマン・遠藤氏が、そう語っている。

 ニッカンスポーツは、それをまるで公衆の面前で怒鳴り散らしたかのように報じ、有名人の写真を撮るために待ちかまえているカメラマンという職業を「たいへんだね」と言った一般人の発言を、その怒鳴り散らしに怯えたかのような発言にもってゆく。さすがアサヒシンブン系列のスポーツ紙である。

 しかしこれ偶然ではない。すべてはあの「キムチ野郎」から続くニッカンスポーツとの遺恨だ。それだけの話である。

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 なさけないのは『東スポ』だ。言われたのは自社のカメラマンなのだから最初から騒げばまだよかった。よかったってこともないが、それならまだ筋が通っている。しかしそんなこと誰も気にしなかった。だってどうでもいいことだから。『東スポ』はそんなことがあったことすら知らなかった。このことがまた朝青龍のやったことがニッカンが取り上げなかったらたいした問題ではないことを証明している。

 ところがニッカンが一面で報じ、テレビも巻き込んだ大騒ぎになる。どうやら直接言われたカメラマンは『東スポ』所属と知る。すると一転してこりゃおいしいとばかりに、いきなり「当社は最後まで戦う!」とか言い始めた。「読者も七割が本社を支持!」とか(笑)。自分のところが関わっていたのに他社が報じてから尻馬に乗るところがなさけない。いやいかにも今の『東スポ』らしいか。

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 ニッカンスポーツとウチダテマキコは明らかな敵意で朝青龍に接している。
 それはそれで「商売」の方法だろうが、こんなことで異国人の青年を追いつめて何が楽しいのだろう。朝青龍がノイローゼになり自棄になり引退したらうれしいのか。自殺でもしたら万々歳か。それが楽しみで報道(発言)し続けているのか。
 ウチダテは相撲が好きだという。ウソだ。好きなものをあんなに貶めるはずがない。ウチダテが好きなのは、相撲を好きな自分である。

 ニッカンは論外。アサヒ系だけに、ひたすら地位のあるものを引きずりおろすことが社是だ。こまったもんだよキムチ野郎! あの朝鮮人記者をなんとかしろ!

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 もうひとつ私は、ヒール朝青龍の対極として、やたら白鵬を優等生にしたがるマスコミの姿勢に懸念を感じる。こっちのほうが重要か。
 真の相撲ファンはニッカンやワイドショーの報道にたじろがない。どっしりと腰を構えている。安心だ。いわば北風。潜行艇岩風。すまん、ついゴロ合わせで関係ないことを言ってしまった。誰ももう岩風なんて覚えていないか。とにかくまあ、北風に対しては平気だ。

 一方この「白鵬褒め殺し」はたちが悪い。いわばぬるま湯。ピアニストの中村紘子が、ピアニストと家事について問われ、洗い物での冷たい水は問題ないが、お湯でふやけさせるのはよくないと語っていたことがある。ナマアタタカイものには注意である。

 これで白鵬が、ほんのすこしでもマスコミの気に入らないことをやったなら、それみたことかと大騒ぎするだろう。「白鵬よ、おまえもか」「モンゴルの血」「若手時代から朝青龍にかわいがられていた」と手のひらを返したように騒ぎ立てるのは目に見えている。優等生にして持ち上げるのはその前準備に過ぎない。

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 長島王の時代、実は寮を抜け出して夜遊びに行ったりする素行の悪さは王のほうが上だったのだそうだ。ご本人が語っている。だがマスコミは破天荒な長島に対するキャラとして、王をくそまじめな求道者キャラにしたがった。わかりやすく、伝えやすいからという「自分たちの都合のため」に。その紋切り型の切り口、くだらなさを、いま王自身が批判している。マスコミなんてそんなものだと。陰と陽に分けたがるのだと。

 時代は変わっているが変っていないものも多い。
 プロレスは衰退したが「悪しきプロレス的切り口」はむしろ増えている。(投稿予約原稿)

石波大臣辞任問題3

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 私は福田内閣が嫌いだ。心のない首相も嫌いだが、なにより閣僚が嫌いだ。コガマコトなど見るだけで吐き気がする。早くつぶれればいいと思っている。望むのは自民党の旧悪を追い出し、民主党の切れ者を引き込んでの政界再編成である。
 石波は、国防に関しては共通感覚も多い。大東亜戦争の解釈は意見を異にする。半分支持のひと。
 と書くのは、以下の意見が福田石波支持者のモノとは思われたくないから。

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 問題が起きるとすぐに辞めろと言う。首を代えてもなにも解決しない。それは逃げである。楽な幕引きだ。
 なのに野党は問題が起きると「辞めろ」の大合唱。バカのひとつ覚え。
「辞任して逃げることなく、最後まで問題解決に当たれ!」と辞任で身を交わそうとする政府を追いつめることこそ正しい野党の姿勢であろう。
 と、何十年も前から思ってきた。

「水に流す」という珍しい感覚を持つ日本人は、よくもわるくもすぐに「水に流してしまう」。そりゃ「恨の思想」の朝鮮と気が合うはずがない。
 問題を水に流させないために、辞任という責任のとりかたではダメなのだ。
 むろん民主党の狙いが石波の辞任から福田の辞任、解散を狙ってのモノなのはわかる。
 だがこんな時代遅れの戦術を今も繰り返していたら民意は離れて行く。

 今回、輿論の六割以上が「石破大臣は辞める必要はない、辞めてはならない」だとか。時代を感じる。以前はこんな問題が起きたらそれは一割、二割だった。辞めろ辞めろと騒ぎ、辞めさえすれば一段落、という考えは良くない。
 その六割も石波の支持者ばかりではあるまい。首を代えることが解決にはならないと言っているのだ。
 世間の方が進んでいる。民の感覚を「辞めろコール」の民主党は理解していない。

 石波、どうするか。辞めたほうが楽に決まっている。
 意地で踏ん張るか。
 たぶん辞めるのだろうが。

生き甲斐──働くこと、仕事のこと3

00-seikatsu
  腰が治ってきたのでPC机に向かった。三十分で休む。腰が張ってしまう。イテテイテテと言いつつ伸びをして、すこし休んで、また向かう。それの繰り返し。
 締め切り間際の短文原稿をがんばって書く。
 休み休み、合計してもほんの二時間ほどだから十時間ぶっつづけでも平気な通常時と比べたら作業とも呼べないものだ。
 でもひさしぶりだったので充実感があった。なんだかとても清々しい。

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 世界各地で「今まで一度も働いたことのない日本人」に何人も出会っている。親の遺産で食っている人だ。
 と書くと、大金持ちの子のおぼっちゃまを想像するかもしれない。そうではなかった。まあそんな人もいるのだろうが、私の出会ったのは違う。
 しょぼくれたおっさんである。見た目も地味だ。でもいつもそこそこの金を持っている。遊んで暮らしている。聞くと、早くに親を亡くし、譲り受けた財産でアパートやマンションを建て、その家賃収入が毎月百万ほどあるので、若いときから一度も働いたことがない、という。
 百万ほどの月収から月三十万ほどの予算で海外をぶらついているので、毎日遊んでいてもお金は貯まって行くのだった。お気楽な人生である。
 私の遭った「働いたことのない人」はだいたいがそんなタイプだった。

 うらやましいと思う。働かなくても食って行けるのだ。一面、なにもすることがなく、ひまだ、たいくつだと口癖のように言っている彼らを、たいへんだなとも思った。
 たとえばこういう人が、陶芸や絵に凝り、才能がないにせよ、とにかくそれに日々邁進しているのなら、私にもわかる。でも一様に彼らはなにもしなかった。といって間抜けではない。決して無駄な散財はしない。むしろケチだった。アパート経営に関してもシビアで一家言をもっているのだった。つまり親の遺産で食っているのだが決して世間知らずでもバカでもない。かといって味のある人たちではなかった。むろん異国の女にいれあげたりはしない。隙がない分、つまらなくもある。
 陶芸や絵に凝ったりしないのも彼らの賢さの一環だろう。投機をして一攫千金も狙わなかった。己が無能であることをよく理解している有能である。

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 本気になれる仕事のあることはしあわせだ。
 机に向かえるようになって、そんなことを思った。

 寝たきり生活のときは、遊んで暮らせる人をうらやんだが……。

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