2010年01月

今おもしろい落語家──1位柳家喬太郎







 文春ムックの順位で、1位柳家喬太郎、2位立川志の輔だった。私の順位と同じでうれしくなった。

 昨年からその事を書こうと思いつつ、本屋で見かけたこの本がなんだったのかわからなくなっていた。何度も検索し、やっと文春ムックと知った。ひとと同じ事を喜ぶ気質ではないが、多くの落語ファンと同じ意見だったことはすなおにうれしい。続きはホームページで。




 「今おもしろい落語家──1位柳家喬太郎」

懐かしい電話──過ぎた日への想い

 昨日はなぜか旅先で知り合った懐かしいひとからの電話があいついだ。というと偶然のようだがそんなはずもない。正月にひとりで酔ってさびしくなった私が懐かしい彼らに次々と電話をしたのだ。当然みな海外である。いない。帰国して留守電を聞いて電話をくれた。それだけのこと。年末からの一ヶ月を海外で過ごして今が帰国ラッシュ。一般人のそれとはだいぶちがう。

 暗い話題が多かった。交通事故死はまだいいほう。殺されたひとの話もいくつか聞いた。ふと忘れがちだが、原則として海外は危険なのだ。それがどこであれ。
 意外な離婚話も知った。それによる鬱病とか。あんなに仲よかったのに……。

 といってそれはここ一二年のことではない。あちらも酔っているし(今回は私は素面)、以前話し忘れたことを思いつくたびにしゃべるからほぼこの十年の総決算のようになる。さほど親しくはなくても十分に顔なじみで、よく将棋を指したりしたひとが数年前に亡くなっていたと聞くとおどろく。みなまだ若い。旅人は早死にか。

 むろんそれは他人様の話になる。電話をくれるひとはみな順風満帆だ。でなきゃ電話もくれないし、無責任な他人様の噂話も出来ない。次々と懐かしい名前が出てくる。

 楽しい話ばかりでもない。途中で「もういいです」と言って切ってしまったものもあった。あまりに無責任な他者を傷つける話につきあう気はない。簡明な真実だが、根拠のない悪質な噂話を私にしてくるひとは、次はそれをまた他者にする。一歩間違うとその悪質な噂話を流したのが私になってしまう。こういう負の連鎖は切っておかねばならない。

 ここのところ自分の記憶力に自信をなくしていた。むかしは人並みより遥か上の「上の上」と思っていた。だがどうやら、偏った部分においては優れた面もあるものの、缺落も多いと知り上の下くらいに方向修正し、友人に「ほんとにあのことを覚えてないの!?」と恥を掻かされることにより最近では中の下ぐらいまでになっていた。

 しかし彼らと話していると、彼らに関する二十年前の些細な出来事も克明に記憶していて、「よく覚えているねえ(=あの件を当事者の自分以外にもそこまで記憶してくれていたひとがいたのか、という感激)」と感心され、すくなくとも上の下ぐらいはあるなと居直ることが出来た。



 写真は二十年前の『サクラ』。すべては過去になって行く。
 過ぎ去った日がいとしい。
 鬼籍に入ったひとも多い。
 同時に、あのときの幼児がもう二十歳と聞くと、またあらたな感慨に包まれる。




名札をぶら下げたおとな──後日談

 昨日、梶山さんのブログのコメント欄は、私のせいですこしばかり荒れてしまった。今は削除も済み落ちついた。続きを書いておく。すべて削除された(私もした)のでもう跡形すらないからだ。これはこれで「ことば問題」としておもしろかった。
 経緯は前記した通り、私の書きこみを誤解した医者が抗議してきたことによる。それに続いて彼を支持する以下のようなものもいくつか書きこまれた。

お医者さまごっこ
お医者さんごっこ
書いた本人は違うつもりでも 同じに聞こえるよ
私も バカにしているのかと思いました
更に このような反応をするとは だなんて失礼にもほどがある
何を考えているんだ
貴方は自分のブログがあるなら そこで自由に好きな事を書いて下さい




 私の方の言い分は前記した。


 あらためて自分の書いたことを分析すると、私の文は見事に起承転結になっている(笑)。しかしこの種の頭の悪い連中は【起】・【承】という平坦な道から【転】という急カーブに入ったことが理解できずつんのめってしまったようだ。
【起】・「名札をぶら下げた」連中に対する梶山さんの指摘に同感した。
【承】・昼休みに名札を首からさげているのはバカとしか思えない。
【転】・名札と言えば医者である。
【結】・彼らは「お医者さまごっこ」をしているつもりなのだろう。


 この流れを理解できないひとが、【起】バカ、【承】バカと来て、【転】医者、だったので、医者=バカと解釈して立腹したらしい。その立腹したのが本物の医者であるから、医者=バカは成立するのかも知れない。上記赤字の書きこみも医者(インターン?)らしい。


 バカ文の代表としてこの赤字の例を挙げたのは、信じがたいことだがこれは私が抗議してきた医者に懇切丁寧にふたつの文章で説明してやったそのあとに書きこまれたからである。


 私がその読解力のない医者に丁寧に説明してやったのは、《あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょう。》の「あれ」が何を指しているかである。その後この医者は「了解しました」と書きこんできた。「了解しました」ではなく「勘違いしました。読解力不足でした」となぜ言えない。こちらは中学生レヴェルの國語力もない相手に腰を低くして説明してやったのに。さらにはなぜか私を同業の歯医者と思い込んでいて、「がんばってください」と書いてきた。この辺の観察力闕如にも呆れる。


 なんの自慢にもならないが、私は梶山さんの今のYahooブログ以前のブログから固定ネームで長文の書きこみをしてきた唯一の読者である。さんざん梶山さんと同業だとか、一緒にパドックに並んで、とか書きこんできた。読者のほとんどがあたらしく梶山さんを知らないので、梶山さんが上岡龍太郎のテレビ番組に「馬券生活者」として登場し、百万勝負をしたなんて十数年前の話を紹介したりしてきた。それは梶山さんにとってもうれしいことらしく、「物書きの結城氏が」「yk氏の文章にもあるように」と何度も引用されている。それらに気づくことなくいきなり「歯医者」である。なんとも。

 いやしかし彼らこそが梶山ブログの典型的な「新しい読者」で、ほんの数ヵ月前から関わり始めた競馬とは無縁の医療関係者なのだ。そんなことを知れという方が無理である。この件は不問にする。しょうがない。でもなんで歯医者なんだ?



 上記赤字文章は、私と医者とのあいだでそれらのやり取りがあった後に書きこまれたものなのである。私は「あれ」は医者のことではなく名札をぶら下げた連中のことですよとこどもに諭すように教えてあげた。医者はとりあえずそれでわかったらしい。なのにこのインターンは、それでもまた理解できず、私の書いたことを「あれは尊敬する〃お医者さま〃のことを書いたのであって、〃お医者さんごっこ〃とは関係ありません」と言い訳したかのように解釈し、「本人は違うつもりでも同じに聞こえる」と書きこんできた。ここまで来ると対処のしようがない。どこまでバカなんだ。医者も匙を投げたではなく、私は「医者に匙を投げた」。


 医者ってほんとにこんなにバカなのだろうか。なにより怖ろしいのは、自分の解釈が正しいかどうか考えることなく即座に反応していることだ。これじゃ胃が悪くて医者に行ったら、症状を説明する前に「わかったわかったなんにもいうな」といきなり肝臓を切られたようなものである。こんな短絡的な連中に命を任せてだいじょうぶなのか。こりゃ医療ミスも出るはずだ。それは「人間だから失敗もある」というレヴェルではなく、単にその医者が粗忽だからである。


 なぜか多くの医療関係者が出入りするようになった梶山さんのブログでは以前も医者によるかなり世間知らずな書きこみがあり、それに対する指摘に、「私達は専門バカなのであしからず」と返答し物議を醸したことがある。他の医者からも「私達は専門書を読まねばならず、最新の医療技術の習得もたいへんで」とフォローの書きこみがあった。


 それはその通りだと思う。お医者さまはたいへんだ。激務だと思う。だが、私の文を読むやいなや即座に反応し見当違いの抗議をしてきた医者や、説明してやってもまだわからず明後日の方向を論じているこのインターンは、いくらなんでもひどすぎないか。


 このインターンはバカ大学所属らしいのでどうでもいいとして、医者の方はやたら「信濃町」を売りにしているから慶應病院の医者である可能性が高い。慶應病院もたいしたことないなと思った。これは義塾卒でも紹介者がいなくて慶應病院にかかることのできないビンボー人のひがみだが。いやそんなことを言ったら、私のかかれる医者はこのバカインターンクラスなのだからよけいにおそろしい。


 いま、ひとつだけ悔いているのは、「あのままほっておいたらどうなったか!?」である。梶山さんのブログだから荒れてはいけないとすぐにフォローしてしまった。昨日は一日中家にいたのでそれができる態勢にもあった。これがなんやかや忙しく二日間ぐらいほっておいたら、どうなっていただろう。もっともっと荒れたろうが、そうなればなったで「あの書きこみはお医者さまを批判しているのではないと思います」という真っ当な読者も登場したような気がする。それを確認できなかったことだけが悔やまれる。

名札をぶら下げたおとな──医者からの反論!?

 ここに下記、「名札をぶら下げたおとな」を書いたあと、梶山さんのブログにコメントを書きこんだ。いつものイニシャルykで。



梶山様。私も昨今のあの「名札ぶら下げ男女」には苦笑していたので、「あるいは少し痴呆が進み」はなんとも痛快でした。まるで幼稚園児の名札です。通行パスの重要さはわかりますが私なら社外では外します。すくなくともドトールコーヒーや定食ランチの店で首からさげている必要はありませんね。

胸に名札といえばお医者さまです。あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょうか。

私のブログにその部分、引用させて頂きました。事後報告ながら。




するとすぐに医者と思われるひとから以下のコメントが書きこまれた。

お医者さんごっこ

どういう意味でしょうか?

必要性がありまして 我々は写真入りのIDパスとして 貼用を義務づけられております

他のスタッフに関しても同様です

自身に責任を持ち 任務を遂行しております

yk様 ご理解頂くのは無理でしょうか


信濃町T.M



それでまた、以下のコメントを書きこんだ。

その一。

信濃町T.M様

私の書いたのは「命を預かる大切な場で働くお医者さまは、(現実はもちろんドラマ等でも)身許を明確にする名札を胸につけている(=かっこいい)。昨今、そういう立場でもない一般の男女が首から名札をぶら下げて歩いているのを見かける。あれは、お医者さまのような──自身に責任を持ち崇高な任務を遂行している方々──を疑似体験しているつもり(=ごっこ)なのであろうか」という意味です。

多くのお医者さまが貴重なコメントを書きこんでいるここに、梶山さんと二十年来の知己である私がお医者さまを揶揄するようなことを書きこむはずがありません。宜しく御理解ください。


物足りなかったので(笑)もうすこし書き足した。

その二。

在日韓国人の友人と話していると、「チョーセン」という音(おん)に過敏に反応するので、「挑戦」は「チャレンジ」と言うようにしています。そういうことに気をつけていましたが、まさかお医者さまが「お医者さんごっこ」にこのような反応をするとは思いませんでした。

ただし私の書いたのはお医者さんごっこではなく「お医者さまごっこ」であり、敢えてカギカッコを附けてその種の誤解を避けたつもりでした。通じなくて残念です。ここは「医療関係者にでもなったつもりなのだろうか」とストレートに書けばよかったのでしょう。でもそれじゃ文章としてつまらないので、どうしても私は《あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょう。》になります。

尚これらの書きこみは、梶山さんとT.Mさんが読まれたであろうと思った時点で自己削除します。




 梶山さんのブログは競馬予想をしている。もともとそういうブログだった。梶山さんの馬券弟子である看護婦さんが梶山さん経由で発表する予想が上手であり、また本業の方でもたいへんすぐれたナースであるということから、いつしか医療関係者が集ってきて、書きこみコメントのほとんどは医療関係の話になってしまった。たまにある一般のひとの書きこみも、その医療関係者との縁から高名な医者に執刀してもらい、家族の命が助かったというような御礼ばかりになってきた。

 それはそれでたいそう意義のあるコメント覧になっている。でもそればっかしでもつまらないと、梶山さんは電話で話すたびに、たまには毛色の違ったことを書きこんでよと私に言っていた。

 そんなことからきょうも書きこんだのだが、ちょっとこんな誤解を受けると引いてしまう。

 これはハッキリ言いきれる。私のこの書きこみを見て、自分達医療関係者が侮辱されたと解釈する医者は、かなり國語力が低い。「お医者さんごっこ」と見ただけで(正しくは私の書いたのは「お医者さまごっこ」だが)正しく文章内容を理解しようともせず反射的に反撥するのは異常である。梶山さんのブログだから迷惑を掛けないよう丸く収めたが、正直この医者の読解力のひくさには呆れた。

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 國語問題

 このお医者さんはなにをどう勘違いして怒ったのかを國語問題風に考えてみた。

《例文》

梶山様。私も昨今のあの「名札ぶら下げ男女」には苦笑していたので、「あるいは少し痴呆が進み」はなんとも痛快でした。まるで幼稚園児の名札です。通行パスの重要さはわかりますが私なら社外では外します。すくなくともドトールコーヒーや定食ランチの店で首からさげている必要はありませんね。

胸に名札といえばお医者さまです。あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょうか。

《問題》

 例文中の赤字の「あれ」とは何を指しているか答えなさい。

《正解》


「首から名札をぶら下げて歩いている男女」

《誤答》

「お医者さまが胸に名札をつけていること」





 このお医者さんのコメント書きこみは、私が書きこんだ7分後だった。おそらくさっと一読して誤解し、熱くなってすぐに書きこんだのだろう。しかしお医者さまがお医者さまごっこをするはずがない。書きこむ前に深呼吸し、ほんのすこし冷静になればわかったことだ。それこそが医療関係者にとって最重要なことだと思うのだが。

名札をぶら下げたおとな

 友人の梶山徹夫さんのブログ記事の一部。



(六本木での話)外人も多いしビルはガラス張りでキラキラ太陽を反射させるし、何だか他所の国に来ている錯覚を起こす。

しばし都会の人を観察したが、昼近くなった事もあり首から名札をぶら下げた人が目立つ。

あれも都会の流行りのようだ。似たようなビルが多く迷子になった時の為なのか、あるいは少し痴呆が進み外出時には人様にも理解を求めているのか不思議な光景だ。

余り長居する場所とも思えずそそくさと駅に向かった。






 まったくあの「首から名札をぶら下げた人」には嗤う。一種のファッションなのだろう。かつて六本木ヒルズに出入りしていたころ、私はここの関係者ですと言いたいのか、いつでもどこでも通行証をぶら下げている連中を見かけた。まあこれは月に数回Jwaveに入るのにいちいち通行証を申請して、外来者用のそれを借用せねばならないものの妬みとも言える。それにあのころ、六本木ヒルズは日本中の注目の的だった。

 でも新橋あたりで見かけるあまり自慢にならないようなビルに出入りしている男女もみな昼休みに、首からあれをぶら下げて歩いている。なんとも異様な光景だ。思わず梶山さんのように「痴呆が進み」と皮肉を言いたくなる。三年前、門前仲町でデータ入力の仕事をしていたとき、私も電子ロック用の名札カードをもたされていたが、昼休みに飯を食いに行くときは胸から外してポケットに入れていた。外でもぶら下げる理由がない。外さないのは紛失することを怖れているのか。幼稚園児のような名札感覚なのか。誰かに自慢したいのか。バカとしか思えない。つまらんものが流行る。梶山さんが同じ事を感じていると知ってうれしくなった。

Windows7-OSをクリーンインストール!……のはずが……。

 そんなわけで、ここのところ二日に一度程度原因不明のフリーズをするWindows7-Ultimate64bitを削除してあらたにクリーンインストールすることにした。DVDから起動し、あとはInstallボタンをClickするだけである。その間、ラップトップからブログに進行度合を書きこもうと思っていた。クリーンインストールはある種むなしい作業だけれど、これはこれで楽しみもあり、PCマニアはよくやることだ、私ももう何度やったか数え切れないなどと……。

 ボタンをクリックしようとして迷いが生じた。今回、何度も思い浮かんでいたことだった。「はたしていまここで、クリーンインストールをする必要はあるのだろうか!?」と。



 一ヶ月ほど前から快調だったWindows7が固まるようになった。しかし頻度は一ヶ月で八回ぐらい。ここのところ頻発して不愉快なのだが、それでも二日に一回程度だ。電源を切って再起動するまではトータルで5分にすぎない。その「二日に一回の5分」の不愉快さを解消するために十数時間挌闘してのクリーンインストールは理に適っているか、である。

 ところでこの「再起動に5分」におどろくひともいるかもしれないので書いておくと、私は日常的に使う多くのソフトウェアをスタートアップに登録し、Fontも200以上入れているので優にこれぐらいは掛かる。ふつうのひとは2分ぐらい。1分台のひともいるだろう。

 時間は掛かるが、その代わり立ち上がったときにはすべて揃った状態になっている。OSを立ちあげてから使用するソフトを起動するか、OSと同時にその他もみな起動しているかのちがいだ。私の場合、立ちあがりが完了するころを見はからって、その間に淹れた緑茶やコーヒーなどを手に机に向かえば、そこには満点の環境が待っていることになる。

 むかしの脆弱なOSと低能力ハードの時代だとこのように立ちあがりに負荷を掛けるのは誉められたことではない。いまのようにハードが充実し、一度起動すれば何日もそのままの状態が続けられ(強者は一ヶ月起動しっぱなしなんてざららしい)、たまに休むにせよスリープにするだけだから、こういう「重い設定」もありだろう。というわけで私のPCは立ち上がるのに5分掛かる。



 私は今、二日に一度の再起動5分が気に入らずOSをクリーンインストールしようとしている。それは徹夜作業になるだろう。わたし専用に極端なカスタマイズしているPCだから、とりあえずOSをインストールしたあとも、Font入れから始まって、キイボードのキイ配置を変えるユーティリティを入れ(左ctrlとcapslocksの交換)、常用するソフトを入れる作業が延々と続く。その間、ソフトを入れるたびに再起動せねばならない。

 Windows7-Ultimateを入れるには最低16GBを用意してくれと書いてある。64bitだと20GBとある。いま見てみたら、これから削除するOSの入っているCドライヴは39GB使っている。20GB用意してくれというOSは20GBは使わない。18GBぐらいだとすると、私の入れるソフトの容量は39-18で21GBとなる。我ながら入れも入れたりである。データ類はみなD以降のドライヴにあるから、これは純粋なソフト本体の容量になる。

 インストールのあいだ、好きな本を読んだり、DVDで映画を見たりする炬燵テーブルとPC机との往復は何十回にも及ぶ。iTunesのようなソフトはインストールして終りではない。それからデータ用ディスクの音楽を2万曲取りこむ。この取組作業もそれからの音量やら何やらiTunesがかってにやる整理整頓もまた時間が掛かる。同じような映像関係のソフトもある。そういえばCodec関係もあれこれ入れねばならない。



 それはもうじつに無意味な作業だ。すべてかつてやったことなのである。完成し組みあげてあったものをバラして、もういちど同じものを組みあげるに過ぎない。それはそれでまた組み上がって行くという楽しみがある。F1に代表されるレーシングマシンは、一度走るとエンジンからシャーシーまでみな分解するという。そしてまた次のレースの時、ネジのひとつひとつまで点検し磨きあげて組みあげるのだ。OSのクリーンインストールはそれに似ている。レーシングマシンのようにチューンナップが勝利に繋がるというようなプラスのよろこびはないが、部品を改めて組み立て、油を差すことによって、調子のいい初期状態にもどるという点では共通している。



 ということでInstallボタンを押して、いま使っている去年の8月から磨きあげてきたWindows7を無にし、あらたにクリーンインストールして築きあげようとした。だが、ぎりぎりのぎりぎりになって私は、「ま、いいか」と思ってやめたのだった。

 なにもそんなことをする必要はない。99%満足しているOSなのだ。不満は二日に一度のフリーズだ。そんなもの再起動5分を我慢すればいい。それだけのことだ。その間に飲物を用意したりトイレに行ったり、それだけでなんの問題もないではないか。なんなんだこの潔癖症のようなクリーンインストールって……。

 もしかしたら明日にでもフリーズの原因が見つかるかもしれない。不要なソフトをひとつアンインストールしたらすべて解決かも知れない。99%満足のOSを、いまここでクリーンインストールなんて、そんなたいへんなことをする必要はないのだ。私は自分にそう言いきかせ、クリーンインストールをやめた。

 それは、いまから十数時間の挌闘をする気力が萎えかけていたからだ。煩雑から逃げたのだ。クリーンインストールをやめ、DVDを取りだすとほっとした。いつしか育てあげたOSを削除してのクリーンインストールは、私には重荷になっていた。かつては平然と挑んでいたことを、なんやかや理屈をつけて避けようとする。それは成長か、それとも後退か。

 またひとつ老いた気がした。

腰痛考.2──途絶える連絡

 同時にあらためてともだちのありがたさを知ったときでもあった。身動きできない病床からのSOSにすぐに応えてくれたひと、直接窮状を訴えていないのに又聞きで励ましのメールをくれたひと、面識がないのにホームページやブログの更新が滞っているようだがなにかあったのかと心配してくれたひともいた。いろいろだった。そういう友人のためにもがんばらねばとリハビリに励んだ。



 あれこれ好き勝手なテーマでメールを寄こし、頻繁にやりとりしていたひとに、「腰痛で動けません。助けてください」とメールをしたら、それっきりピタっと音信が途絶えたのには苦笑した。「こいつとこれ以上かかわるとヤバい。迷惑を掛けられる」と判断したのだろう。ずっと寝たままのトイレに行くのさえ必死だった時期なので、「助けてください」は本音なのだが、かといって彼に住まいまで助けに来てもらおうと願ったわけではない。半分冗談の大仰な言いかたで現状を伝えたつもりだった。


 私が彼に伝えたかったのは、腰痛で机に向かうことが出来ず、メールを書くのが苦痛な現状だった。というのは彼は、好きなときにメールを寄こし、即答を要求するからだった。ちょっと返事が遅れると催促が来る。それでいてこちらへの返事は思いつきであり一週間、二週間と不通になったりする。それはそれでおもしろかったから、私は「あんたのほうは思いつき返事だが、おれは必ず即答してやる」とばかりに、すこしばかり意地になって、どんな内容のメールにも即日応答していた。さすがにその時期はつらかった。滞ることも増えた。それでたび重なる彼の催促に、上記のような返事を書いた。



 しかし彼は「助けてください」という直截的なもの言いにびびったようだ(笑)。いきなり連絡が途絶えた。それはどう好意的に解釈してもこちらの体調を慮ってくれたから、とは思えなかった。煩わしいものから逃げたのだ。知りあって長いが、さほど心の交流のあるひとではなかったから、こんなものかと諦めたが、いきなりメールが途絶えたのは侘びしくなった。それまでの多岐にわたる長文のやりとりはなんだったのかと。



 年が明けてブログを再開すると、そういうひとたちからもポツリポツリとまたメールが届くようになった。おっかなびっくりの文面でこちらの様子をうかがっているのが見える。さすがに返事を書く気になれない。鷹揚に構えたいと思うのだ未だそういうひとたちには一通も返事を書いていない。腹立っているわけでもないし蟠りもないのだが、かといって以前のように明るく楽しくメール交換をする気にもなれない。

腰痛考.1──書けない苦痛

 昨年下半期は腰痛に苦しんだ最悪の半年だった。なにも出来ずただひたすら横になって恢復を待つだけだった。いままですべての危機をそういう動物的感覚と方法で乗りきってきた。私にはそれしかない。しかし昨年のそれは今までにない長丁場の闘いとなった。

 退屈はなかった。今まで感じたことがない。好き勝手な駄文を書きつらねてさえいれば、たとえどこかに幽閉されようとも平気だ。家から出られず寝た切りの生活に悲観的ではなかった。

 ところがデスクトップに向かうこと(=椅子にすわる)がいちばんの苦痛なのである。肝腎要の唯一の救いであるそれが出来ない。ベッドに横になったまま、過去の名作を読みかえす読書と、HDDに取りこんでおいた名画をラップトップで観賞し時間をつぶしたけれどちっとも楽しくなかった。私の基本姿勢は「一流のものを観賞するより五流のものでも創りたい」になる。受けるだけの時間はつらいものだった。

 創作の出来る環境にあれば、たとえそれが世間的にどんなにひどいものであろうと私に不満はない。なのに腰痛で机に向かえない。これがいちばんの苦痛だった。

ホームページビルダー.13にもどる

 けっきょくどうにも毎回かってに入ってくる末尾のPowerd byが気に入らず、それを消す方法もわからなかったので、Version13にもどった。Installした最新版をuninstallして前のVersionにもどすのだからかなりヘン。でもそれしかない。早くどなたか達人がこの問題を解決してくれないか。でないとせっかくの14がもったいない。

 とはいえ13と14のどこに違いがあるのか、どれぐらい便利になったのか、わかってはいない。これで14にだけある機能が気に入っていたら問題だった。それはない。

 ともあれこれでよけいな煩わしさからは解放された。しかし最新版を持っているのに前Versionにもどったのはちょっとだけ悔しい。

入試の季節、満員の図書館

 きょうは自分のラップトップを持ちこんで一日中図書館。開館と同時に椅子席はほぼ満員。なんとか運よくPC専用席を確保できた。ここだとインターネットに接続でき自室と同じ感覚で作業できる。

 なんでもそろっている自室がいちばん快適なのに重い大型ラップトップをかついではるばるここにやって来るのはやる気の問題。懸命に勉強する高校生に囲まれているとこちらも気合が乗ってくる。

 入試はこれからなのか。もう始まっているのか。私の時はいつだったろう。二月初めに試験で下旬に発表だったか。



 なんだか知らないけど狂ったようにキイを打ちまくるオヤジが向こう隣にいてうるさい。なにをやっているのだろう。文章を書いているのではない。いくつかの限られたキイを叩きまくっているのだ。まるでシューティングゲームでもやっているかのよう。株とか、なにか一刻を争う取り引きでもしているのだろうか。閑かな環境にそいつの叩きまくりの音がうるさい。

 階下に降りて気分転換。もどるとそいつがいなくなっていた。よかった。こんなことでも気になるんだもの会社務めは出来ない。とはいえそいつは周囲の人も眉を顰めるほど充分に異常だったけれど。



 異常と言えば階下の新聞閲覧のコーナーにいつもの気違いがいた。そいつは他人の立てる音にいちいち「うるさい!」と大声で叫ぶのだ。それは立ち上がるときの椅子の軋みや新聞をめくる音だから言われた方はおどろく。最初はみな刮目したがやがて気違いと気づき無視するようになった。常連だ。いつもいる。この世で気違いほどこわいものはない。

 ホームレスのおじさんは陽当たりのいい場所で束の間の安眠。

 さて閉館までもうすこしがんばろう。

固まるWindows7

 Windows7 Ultimateの64bitを使っている。7はRC版から使っているお気に入りのOSなのだが、信じがたいことにここのところ何度か固まっている。何かが起きているのだ。


 フリーズといえば98まではさんざん悩まされたが2000と出逢ってから無縁になった。Vistaも順調だったし、その改良型である7はさらに理想的だった。だがその7が98以来の固まりなのである。突如として動かなくなる。マウスカーソルも時計の秒針も止まるのだから完全なフリーズだ。最新OSでなぜこんなことが起きるのか。



 昨年12月が最初だった。ウイルス感染かと細密にチェックした。それはないようだ。スパイウェアも入っていない。そもそもそういうことはあちこちのサイトを見て歩いたりエロサイトに入場したりして感染する。私は実生活で出無精であるようにインターネット世界もほとんど出歩かない。そっち方面の心配はないようだ。


 となると疑うべきはそのころに入れたソフトでありドライバーだ。相変わらずソフトウェアオタクであり色んなものを挿れている。ブラウザなんてすぐれものはぜんぶ揃っている。「出無精でインターネット世界もほとんど出歩かない」のに「ブラウザはぜんぶ揃っている」は我ながら笑える。ブラウザはインターネット世界を歩くための道具だ。いわばジョギングシューズから登山靴まであらゆる運動靴を買い揃え、眺めては楽しんでいる引き篭もりである。


 それらの削除で様子を見るのが最善なのだろう。



 もうだいぶ磨きあげ使いこんできたOSだから、そろそろクリーンインストールをすべきなのかもしれない。せっかく築きあげ積みかさねたものをまたバラして初期状態にし、そこから出直すのだからたいへんな手間暇がかかる。なにしろ入っているソフトの数が多い。それらのインストールだけで一日仕事だ。でもそのあとは軽くて快調になるから嫌いな作業ではない。マニアックなひとはとりたてて問題は起きていなくても、数ヵ月に一度クリーンインストールするらしい。チューンナップだ。そろそろすべき時期か。



 しかしまあ7が固まるかね。突然の固まりやブルー画面は不快なのだけれど、あまりにひさしぶりの体験なので98時代を思い出して懐かしくもある。あのころは毎日数回固まっていた。そのたびに再起動だ。それを思えば一ヵ月に四五回固まっただけなのだからたいしたことではない。ただXPやVistaで起きなかったことが7で起きている。いや7でも、RC版から正規版まで10カ月ぐらい一度も起きなかったことがいま頻繁に起きているのが気になる。原因を知りたい。

Powered by ホームページ・ビルダー

ホームページビルダー.13からのUP-2

やはり出ない。以前もそうだったのだから当然だ。これでこのよけいなものが14からプログラムとして埋めこまれたのだとあらためて確認した。それにしても不粋なことをする。これからも「スギさんのこと」のようにたった三行を書きこむたび、望んでもいないこれがかってに附属して四行になるのか。うんざりする。

ホームページビルダー.13からのUP

最新版のVersion14があるのだが、旧Versionのすでにお役ご免になった13を物置から引っぱりだし、そこからUPしてみる。これにも文末に不要なPowerd byは出るのだろうか。以前はなかった。あるはずがないのだが。

ホームページビルダー14の不可解──Powerd by ホームページビルダー

 ホームページビルダーの最新版、Version14でブログ記事を投稿すると、文末にかってに「Powerd by ホームページビルダー」と入ってしまう。つい先程の投稿で知った。わずらわしい。なんとか消せないかとやってみたがダメだ。


10年以上使っているソフトだからそれなりに使いかたは知っている。今さら私の知らないオプション処理があるとも思えない。なにより前Versionの13まではそうはならなかった。ということはこちらでは消せない処理をしているのだろう。気分の悪い話である。ホームページビルダーを使っているからといってブログ記事にまでいちいちそんなことは載せたくない。載せねばならない理由もない。


私は業界の知りあいからサンプル音楽CDやサンプル映画DVDをもらうことが多い。CDの場合、「これはサンプルです。売買はできません」と何個所にもシールが貼ってあり美麗なジャケットを汚している。映画の場合は、ずっと「これはサンプルです」と画面下部に流れて雰囲気をぶち壊す。でもそれはしかたない。だって無料のサンプル品だし、一般よりも早く手にしているのだから。正規購入しているホームページビルダーはそれとはちがう。なぜこんなことをするのだろう。







あれこれ試行し、一度投稿した後、ライブドアブログの編集窓に呼びだし、そこでその一行を消して再投稿すれば消えると発見した。なにしろホームページビルダーで文章を作成しているとき、それは見えないのである。投稿すると現れる。なんともたちがわるい。だからそれを呼びだして消すしかない。といってホームページビルダーに呼びこんで消しても無意味。再投稿の際にまた自動で入ってしまう。だからライブドアの編集窓を利用するしかない。しかしそれはメールを送ったあと確認の電話を入れるような二重手間だ。そもそもライブドアの編集窓で作成するより便利だからホームページビルダーで書くようになった。ホームページビルダーの売りもそれだった。ライブドアの編集窓を開けるのではホームページビルダーを使う意味がない。



なんとも不粋なことをするものだ。いまのところまだネット検索してもこの一行を消す方法は載っていない。そのうちどなたか達人が教えてくれるのを待つしかないようだ。「登り坂下り坂」の文末はライブドアの編集窓から消したが、この文章のそれは一例として消さないままにする。


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もしかしたら私と同じ悩みを持った人が検索してここに来てしまうかも知れない。ブログの記事反応は速い。なんの解決策も載ってなくてすみません。と、私はここまでしか書いてないんだけど、このあとによけいな一行→Powerd
by ホームページ・ビルダー

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【追記】──ずっとあとになってから気づいたことですが、このホームページ・ビルダーは「試用版」でした。正規商品だと出ないようです。
 この不満を書いたとき、ホームページ・ビルダーのVersionは14、いまこれを書いているのは19。初めてのホームページ・ビルダーはいくつだったろう、4かな。長いつきあいになりました。会社もIBMからJustSystemsに変ったし。

登り坂下り坂

 

 早起きして文章を書いていた。参考資料として読まねばならない本がある。それの中身を確認しないと文章が仕上がらない。調べると、まだ行ったことのない図書館にある。近くの図書館だとそこからの取り寄せになる。今日頼んでも届くのは明日の午後だろう。午前9時開館。いま8時半。自転車で出かければ着くころにちょうど開館になる。


 出かけた。すこし寒い。もう一枚着てくればよかった。耳あてをもってきたのは正解。帽子を忘れたが頭は冷えるぐらいでいい。


 長い下り坂があった。以前一度だけこの道を下り、帰りの登りで息が切れたことを思い出した。あれはキツかった。なんとかこの道を登らずに帰る道はないものかと考える。



 2キロほど北に進み、左に折れて長い坂道を下ってまた左折。そこが目的地の図書館。



 9時3分。開いたばかり。目的の本もすぐに見つかった。新聞を読んで一息つき、自転車にまたがる。


 帰りは来た道をたどらず、南に進み、そこから左に折れる。四角形を描く進路である。


 もしかしたらこの進路を選ぶことで登り坂を避けられるのではないかと思った。





 図の下の平坦部分を走っているときしめたと思った。「坂がない。よかった。来た道をもどったなら長い坂を登らねばならなかった。この進路で正解。よくやった。おれは賢い」と。


 智慧を使うことによって必然の苦労を回避した気分だった。鼻歌が出そうだ。


 しかしそうはうまくゆかない。途中まで平坦であった分、とんでもない急坂が待っていた。これを自転車で登るのは難儀だ。息も絶え絶えになりつつ、楽をしようとした自分への罰として死に物狂いで登った。自転車を押して登っているおばさんたちが目を丸くしていた。筋肉痛になるだろう。三日ぐらい後に。


 思えば、高いところから低いところへ降りたのだから、元の位置に戻るにはぜったいに登り坂は避けられないのだった。どんなに遠回りをしたところでそれは避けられない。人生の真実を学んだ気がした。

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【附記】

 家と目的地が対面なのに四角に廻っているのは、真ん中に縦に川が流れているからです。ですから上辺と底辺の真ん中は橋になります。この初歩的な画を描くのに苦労しました。30年もPCをいじっているのに。
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