2011年04月

ありがとう台湾──日本から感謝の心──台湾の2ちゃんねる



「謝謝(ありがとう)台湾」 感謝広告の募金に1800万円、ツイッターで広がる 

 「謝謝(ありがとう)台湾計画」。東日本大震災で米国や中国を上回る多額の義援金を寄付してくれた台湾に感謝の気持ちを伝えようと、フリーデザイナーの木坂麻衣子(37)さんが、地元2紙への感謝広告費約240万円の募金を呼びかけたところ26日午前までに1800万円が集まった。すでに1紙に広告料を支払い、5月上旬にも掲載する方向で調整を進めている。

 台湾は震災発生後からテレビなどを通じたチャリティー活動を行い、現地メディアによると、今月13日までに総額約148億円が集まった。米国の約104億円(4月初旬)や中国の3億4000万円(3月末)を上回る規模。

 日本政府は今月11日、米ウォールストリート・ジャーナルや中国人民日報など7紙に支援に対する感謝広告を掲載する一方、台湾には外交ルートで馬英九総統らに謝意を表した。外務省は7紙を選んだことについて、「義援金の総額ではなく総合的な理由」としている。

 「台湾にも感謝広告を出してきちんとお礼をしたい」。感謝広告は木坂さんが11日夜、短文投稿サイト「ツイッター」で何気なくつぶやいたのが始まりだった。共感の声が寄せられたため、台湾に詳しい知人などを通じて話しを進めてみたところ、台湾紙「聯合報」と「自由時報」が広告スペースを提供してくれることになった。(以下略)


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110426/dst11042612210018-n1.htm

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20日から22日まで開催されていた「台北國際安全博覽會」を訪れたネットユーザーが、同博覧会に出展していた某日本企業の社員たちが、台湾人に感謝するメッセージが書かれたTシャツを着ていたと、掲示板「PTT」に写真とともに紹介したのだ。

 背中側に中国語で「日本国民を支援してくれた、台湾人のみなさまに、心より感謝します、ありがとう」という文章と、日本と台湾の旗がプリントされているこのTシャツを見た「PTT」ユーザーたちは、「感謝してもらいたいわけではないが、実際にこういうメッセージを見ると胸が熱くなる」「日本人と台湾人の絆が一層深まった」などと称賛。


http://news.livedoor.com/article/detail/5520487/?p=1

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 以下のサイトが、台湾の2ちゃんねるのようなものへの書き込みを訳して紹介してくれている。台湾の若者の心情だ。中には「南京大虐殺」なんて言い出すのもいて、必ずしも日台友好ばかりでもない。

 日本の2ちゃんねると投稿内容の流れがあまりに似ていておどろく。日本も「台湾ありがとう。涙が出た」と書き込みがあると必ずその後にはチャンコロがどうのこうのと否定的なことを書き込んだりするのがいる。台湾のそれも同じだった。それでこそ健全?なのだろう。がっかりしたというか安心したというか……。

 手間暇かけてこういうことをやってくれるひとに感謝。ぜひ読んでみてください。

http://mantou.at.webry.info/201104/article_1.html

大震災話──またも天皇陛下の前であぐらの男──宮城県

天皇皇后両陛下が宮城県の被災地を訪れた。
またも跪坐する天皇陛下の前であぐらの男がいた。
いま、19時のNHKニュースで見て呆れている。

前回の武道館に避難してきた福島県の若い男ふたりはただのバカと解釈できる。
無智な若者にとって両陛下は見知らぬ年寄りでしかなかったのだろう。
無学なバカだからしょうがないとも言える。彼らの親や教師には何を教えてきたのだと腹立つが。

陛下はそこまでのお覚悟をなさっていた。そういうこともあろうと。
あのバカ者を思うといまだに立腹するが諦めるしかない。
そういう日本だ。石原都知事の言うように一度国全体を洗いなおした方がいい。



今回の宮城でのあぐら男は、目のギョロっとした50歳前後だった。
無智ではない。いわゆる確信犯である。
跪坐する天皇陛下にあぐらで接しようと待ち構えていたのだ。

百歩譲って、福島のバカは、今回のことで気づき、今から勉強してまともになる可能性がある。
対して宮城のあぐら男は、してやったりとばかりほくそ笑んでいるだろうからどうしようもない。
日教組でもあるのか。

百万歩譲って、あのあぐら男が、足を痛めていたとする。正座できないような。
しかしそれはありえない。それだったら、自分は陛下の前で正座できないからと遠慮するからだ。
どう考えてもあれは、東京での福島の若者のニュースを見て、「おれもやったる」と待ち構えていたとしか思えない。なにより顔がそう語っていた。正座できないような体調なら、その申し訳なさが顔に表れる。あの男の顔はそうではなかった。

ああいうのはこれからも出る。
だから陛下はそこまでなさる必要はない。陛下のお身体のほうが心配だ。

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【ATOK話】──跪坐を変換できないATOK

ATOKは「跪坐」が変換できない。前回の時、それができなかったので、「ひざまづかれる陛下」と書いた。
今回サ変名詞として辞書登録した。

くだらん芸能人の名前の変換を誇るならもうすこしまともなコトバを揃えて欲しい。
ジャリタレの名やくだらない流行りことばの収録に熱心なようだが、そっち方面ではどんなにがんばっても無料のGoogle-IMEに適わない。なにしろATOKが一年毎のVersion Upなのに対してGoogleは毎日更新している。長年のATOKファンである私も、芸能人やスポーツ選手の名を書くような文章ではもうGoogle-IMEに切り替えて使っている。ぜんぜんちがうのだからしょうがない。

唯一の有料IMEとして生き残りたいなら、ATOKを支持してくれている購入層がなにを望んでいるか真剣に考えるべきだ。人名等では絶対にGoogleに敵わない。なら何を売りにすべきかだ。



跪坐と脆弱

先日、脆弱(ぜいじゃく)を「きじゃく」と読んだ女アナの話を書いた。
跪坐の「跪」は、作りからの読みで「き」が正解になる。その他にもこの構成で「き」と読む漢字は多い。
脆弱をぜいじゃくと読むためには脆弱ということばを知っていなければ不可能だ。
女アナがすこし気の毒になった。聞くところによると英語が堪能だとか。二十代でそんなにスーパーマンにはなれない。失敗を励みにすることだ。

大震災話──好奇心の減少──椎名さんの「赤マント」から

今日、『週刊文春』の椎名誠さんの随筆を読んでいたら、大震災以降、世の中に対する興味が減少したというようなことが書いてあった。週刊誌にいくつもの連載随筆を持つ椎名さんは毎日が締切日だ。でもそのネタに苦しんだことはないという。自分の随筆を「ゴミバコのようなものだから」と謙遜しつつ、疲れきった日でも、「あれを書こう」と思いつくとすぐに机に向かってきたことや、あまりの疲れから書きながら机で寝てしまったこと、目覚めるとまた書き続けて仕上げたこと、その満足感を綴っている。

ところが大震災以降はそういう世の中のあれやこれやに対する興味が薄まり、書く気力が失せている、ネタに困っているとか。そう書いた後、「これはグチだ」と気づき、「長年の物書き生活でグチだけは書かないようにしてきたのに」と反省している。
そのあともうひとつ、かなりの活字中毒者なのに、ここのところ本を読んでいないと書いてあった。



それを読んで、自分も大震災以降世の中に対する興味、好奇心が失せていることに気づいた。二十年ほどパソコンにつけている日記も、ここのところ何時に起きた、何を食った、何時に寝たと、無趣味の独居老人の日記みたいになっている。元気があるときは政治から芸能まであらゆることを書きまくっていたのに。

ホームページもブログも更新が滞っている。馬券を買うことは義捐に繋がるのだと思いつつもかつてのような熱気はない。毎日チェックしてくださるかたがいるので最低限の更新はしているが……。

本も読んでいない。私の読書ペースは、時折狂ったように一ヶ月間毎日一冊ずつ読了することもあれば、一週間十日まったく読まないときもある。平均すると週に二冊ぐらいだろうか。それがここ一ヵ月半で読んだ本は一冊だけだ。日記を調べてみて、大震災以前はたしかに週に二冊は読んでいたと確認した。こんなところでもショックを引きずっているようだ。この随筆を読んで、椎名さんでもそうなんだから、とすこし救われた気がした。

昨夜、というか今朝方、午前二時から六時までかかって小説を一冊読了した。ひさびさの徹夜読書である。渇いた心がじんわり湿った気がした。たぶんそのことでいささか昂揚し今こんな文を書いている。



読書をしないとはむろん小説に関しての話。単に活字なら新聞、雑誌の類は以前にも増して手にしている。さいわい計画停電が中止になり図書館が開館するようになったので毎日読みまくっている。大嫌いな「週刊朝日」「週刊金曜日」まで読んでいる。インターネットでの政治、大震災、原発等に関するニュースも頻繁にチェックしている。でもそれは「読書」ではない。



読書をしない時期、私淑している高島俊男先生の本ばかり読んでいた。電車の中、晩酌をしつつ、風呂の中でも、ずっとそればかりだった。あとは『将棋世界』や将棋の戦術書を読んでいた。
これは「逃げ」だろう。
「世間で話題になっている本を読む。おもしろかった(つまらなかった)、読んでよかった(貴重な時間を無駄にした、腹が立った)」が興味であり好奇心だ。よかれあしかれ心に波風が立つ。それを避け、ぜったいに安心できる定番のモノに縋っている。高島先生の本は例の「もしも無人島に」の質問に即答するぐらいの座右の書だし、読むたびに新鮮な発見がある(というか忘れている)ので当然だとしても、それに縋るほど今精神は非常事態ということなのだろう。将棋本も同じで、その世界に飛びこむとこの世の憂さを忘れられるのである。やはり「逃げ」と思わざるを得ない。

今日、図書館から五冊ほど借りてきた。藤原正彦さんの本。あとはすこしこ難しいのもある。そういう興味が湧いてきたから私なりに立ち直ってきている気がする。

大震災情報──深夜の餘震──気象庁の餘震一覧

午前2時37分に地震。
がっくんと揺れる強烈な一発だった。
昨日入れた地震速報ソフトがすぐに教えてくれる。
マグニチュード4.3。
寝てたひとも起きたろうな。
それとももう慣れてこれぐらいじゃ平気か。

地震予報速報ソフトは予測の時に不粋なアラームが鳴る。
いまのは予知できなかったらしく、揺れと同時に速報が来ただけだった。アラームは鳴らずじまい。それでもほぼ同時に教えてくれるだけでもすごいが。

昨日は一日中パソコンに向かっていた。その間、5回ぐらいアラームが鳴った。
楽しいものではないけれど、油断しないためには使った方がいいのだろう。

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気象庁の餘震情報サイトで餘震の一覧を見てみる。

http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_local_index.html

ほぼ私の感じた回数と同じだ。数えてはいないけれどだいたい合っている。自分の感覚が狂っていないことに安心する。毎度書くが、私がいまいちばん怖いのは、地震恐怖症のようなものから、来てもいない地震を感じてしまうことだ。精神的な病気である。それほどの恐怖はもっていないし、どこにも逃げだすことなくこの地で死ぬ覚悟も出来ているから、そんなことになるはずはないと思うのだが、一日に二十回も餘震を感じると、いくらなんでも多すぎて、自分の感覚はおかしいのではないかと心配になる。

昨日、速報ソフトをインストールすると「餘震の詳細は気象庁のサイトで確認を」とあったので、初めて気象庁のサイトに行ってみた。このソフトに教えてもらわないと、私には気象庁のサイトに出かけるという発想はなかった。そこにある餘震一覧を見て、自分の感覚がごく正常だと知って安心した。

都心で電車に乗っていたり道を歩いていたりしたら、震度1,2の餘震には気づかないだろう。気づくほどの大きいのは一日に数回か。私は三階建てアパートの三階の閑かな部屋でパソコン作業をしているだけだから、震度1でも確実に感じる。3以上じゃないとテレビでも流さないから、あまりにそれが多いと、自分がおかしいのかと思ってしまうのだ。でも速報ソフトの設定を「マグニチュード1から通知」にしたら、見事に私が感じるのと同じくソフトも地震だと教えてくれた。それにしても多すぎる。あまりに不気味だ。

大震災情報──地震速報ソフトSignalNow Express

毎日何十回も餘震を感じる。

私が案じたのは、ほんとうに餘震なのかどうか判らなくなってきた自分だった。確実に餘震を感じているし、地震だと思うのだが、もしかしたら恐怖心から自分の心が揺れているだけなのではないかと。

ということで、いつもすわっているパソコン前のディスプレイに糸でネジを吊したことを過日書いた。すると私が餘震を感じるとき、確実にそれが揺れるので、恐怖心から来る勘違いではないと判断できた。まだ狂っていないようだ。

3以上になるとテレビでも速報として流れるが、それ以下のものが一日何十回もある。地震のない國から来た外国人がそれで精神をおかしくしたというのがよくわかる。怖いだろう。慣れている私でも不安になるぐらいだから。



パソコン用の地震速報無料ソフトを知り、インストールした。

http://www.estrat.co.jp/download.html

予測ソフトでもあるので地震前に教えてくれる。ちょっと仰々しいので最初のアラームにはびっくりしたが、慣れると心構えが出来ていい。お勧めです。

というか、みんなもう知ってるんだろうけどね。こういうものを探すのに熱心ではないから、ここのところニュースも後手に回っている。でもまあのんびりゆこう。この時期、焦りは禁物だ。

ことば──アナの誤読──きじゃく・とほう

あまりテレビを見ないし、見たとしてもいいかげんなながら視聴なのでアナのまちがいに気づいたりしない。

下のサイトでそれを見た。
女アナが脆弱(ぜいじゃく)をキジャク、訃報(ふほう)をトホウと読んでいた。ひどいもんだ。

作りの危とトからきている典型的な百姓読みによる誤読だ。
脆弱は大震災に関して、訃報はもちろん死者に関する話題だったからともにまじめな表情。よけいにみっともなく感じた。

原稿チェックの段階で、ぜんぜん読めない難しい漢字なら上司に訊いたり辞書で調べたりする。しかしこれらに関しては「きじゃく」「とほう」という読みに自信を持っていたのだろう。

とはいえことばは多数派が本流になって行くから、みんなが誤読して行けば、先々「きじゃく」「とほう」が正当になっている可能性もある。脆弱をぜいじゃくと知らないひとは精一杯の智慧を発揮して「きじゃく」と読んで行くだろう。みんなが「きじゃく」と読むようになれば、やがて辞書も認めて行く。百姓読みでそうなってしまったことばもたくさんある。
例えば「消耗(しょうこう)」だ。作りの毛からみんなが「しょうもう」と誤読したことからいつしかそれが正しくなってしまった。いま「しょうこう」で消耗を引くと「消耗--しょうこう→しょうもう」と、まるで「しょうもう」の誤読のように扱われている。

みみざわりなんてのも「耳障り」であり、それだけで悪い意味だったのに、「みみざわりがいい」と使われることにより、今では「耳触り」なんて当て字をして認めている辞書まである。さすがに「目障り」はそうならないようだ。

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51232508.html



ここは大人気サイトのようだ。これだけおもしろい話題がびっしりと詰めこまれてあれば人気も肯ける。私は初めて訪れた。これから毎日読ませてもらおう。
ブログタイトルの下のコピー、《「ボクはものすごく原子力に詳しいんだ」と自画自賛する総理に日本の未来を託すブログ》が皮肉が効いていて秀逸だ。たぶんこれは時節に併せて適度に更新するのだろう。

4月3日のテーマ《殿下とホモかっちゃんが「福島第一原発の冷却装置を誤って操作したまま、さっさと逃げて郡山で祝盃を上げた」と糾弾していた東電社員2名 4号機地下より遺体で発見される》という記事も勉強になった。勝谷がこんなとんでもない誤報を流していたことを知らなかった。

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51228446.html



先日知人のクルマに同乗しているとき、ラジオから大震災に関する話が流れてきた。被災者に対するまじめな意見が紹介される。MCが沈痛な声で投稿された文章を読んだあと、自分の感想を手短に述べ、投稿者のペンネームを読んだ。それは「カツオ風味のふんどし」というものだった。「カツオ風味の本だし」をもじった気に入っているペンネームなのだろうが時と場合による。

ことば──計画停電の発音

表記と発音はちがう。
「携帯電話」にカナをふる問題では「ケタイデンワ」とせねば×になる。それが正解。でも発音は「けたいでんわ」「けーたいでんわ」が正しい。誰もが自然にそうしている。それでいいのである。







これに関しては高島俊男先生が『お言葉ですが…Α.ぅ船譽張薀鵐僖麈卜して』の中で詳しく解説している。

高島先生がこれを書くきっかけは産經新聞の投書欄だった。そこに端午の節句の歌「背くらべ」を「セクラベと歌うのが多く不快だ。正しくセクラベと歌え」という投書があり、元NHKアナの小川宏さんが「せえくらべが正しいのです」と応えたことから始まる。


元兇は「新カナ使い」にあるらしい。旧かなの時代は「表記と発音はちがう」が常識だった。新カナになってから表記と発音の一体化が始まった。

経済はけざい、産經新聞はさんけしんぶん等、いくつもの正しい例が挙げられている。また童謡「ぞうさん」も表記は「ぞさん」でも「ぞさん」と歌うのが正しく、自然にだれもがそうしていると指摘されている。

詳しくはそちらを読んでもらうとして。



防災タワーから計画停電に関する放送が流れてくる。
反響を意識してことさらゆっくり一語ずつ発音される。
「本日のケカクテデンのヨテは」

「けーかくてーでんのよてー」でいいのである。ふだんだれもがそう発音している。
だが世の中にはへんなところで突っこんでくるクレームバカがいる。
産經新聞に投書したのと同じく「ケイカクテイデンをけーかくてーでんと放送されて不快だ」と市役所に抗議してくるのがいるかもしれない。
それを意識してなのか、放送担当者が単に読みと音は一緒だと思っているのか異様な発音になっている。

放送している三十代か四十代の女も、ふだんは「けーかくてーでん」と言っているはずだ。なのにマイクの前では「ケイカクテイデン」になる。たぶん「ふだんの発音はまちがい。放送のときは正しく発音しないと」と思っているのだろう。



この件に関して高島先生の結論は手厳しい。「ことばの世界ではたいがい無智のほうが勝つ」とおっしゃっている。
そのうちこどもが「けーかくてーでん」と言っていたら、「正しくケイカクテイデンと言いなさい」と叱られる世の中になるのだろう。くだらんなあ。でもそれがことばでもある。


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「あらたに」「あらためる」と同じ系列で「あらたしい」が正当だった。誰かが始めたふざけことば「あたらしい」が流行り、いつしか「あたらしい」が主になってしまった。江戸期と言われている。

憧憬(しょうけい)のどうけい、些細(ささい)のしさいは、百姓読みが勝った例。

いまどき「憮然」を正しい意味の「しょんぼりする」で使っても意味が通じない。読むほうの大半が「むっとする」と解釈するのだから筋が通らない。

まこと、ことばは「無智が勝つ」世界である。

大震災情報──台湾に礼を言わない政府

「台湾に義援金のお礼の広告を出したい」。あるデザイナーのインターネットでの呼び掛けが注目を集めている。政府は海外7紙に、支援に対する感謝広告を出したが、台湾の新聞には掲載されなかった。その代わりという意味も込められているらしい。

東日本大震災から1か月たった4月11日、英国、米国、中国、韓国などの海外7紙に、菅直人首相の「絆に感謝します」というメッセージ広告が掲載された。しかし、中国への政治的な配慮からか、台湾の新聞には掲載されなかった。台湾からの義援金は官民合わせて100億円以上。人口や経済力を加味すると、他国より格段に多く、日本国内では「なんで台湾の新聞には広告を出さないんだ」「台湾に感謝を伝えたい」との声が上がっていた。


http://www.j-cast.com/2011/04/13093010.html?p=all

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日本を心配し真っ先に立ち上がってくれた親友に、なんという失礼なことをするのだろう。
恥ずかしい。申し訳ない。なさけない。しみじみ腐った政府だ。「中国への政治的な配慮」ってなんなんだ! 「絆」をいちばん強く感じさせてくれたのは台湾じゃないか。
ただし河野洋平のようなのもいるから自民党政府だったとしても同じ事が起きた可能性はある。

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だが台湾では、別の形で菅首相からの謝意が届けられたようだ。
と以下のサイトにある。

http://www.j-cast.com/2011/04/12092867.html?p=2

台湾へは表には出さず、裏からソッと感謝の意を伝えたらしい。よけいに失礼だ。

そして中共へは表からも他国とはちがう特別の謝辞を含んだ礼をしたとか。
「中国には、地震発生直後の3月13日に救援チームを派遣していただいた」「3000万人民元相当の物資、ガソリンやデイーゼルオイル1万トンずつを緊急援助として被災地にお送りくださった」と支援内容を具体的に挙げ、胡錦涛国家主席が天皇陛下に、地震の犠牲者に対する哀悼の意を表すメッセージを送ったことにも触れた。

完全な土下座外交になっている。赤い官房長官・仙谷の中共に対する異様な叮嚀語尊敬語を思い出した。

デマ──石原都知事が東電の大株主!?

今日の昼、こんなデマがツイッターで流れた。

東電の株主、第五位はなんと石原都知事でした。個人で2.3%持ってるんだそうです。政治家が株を持つって違和感を感じるんは俺だけか?詳しくはTHINKERのホームページをみてちょうだい

アンチ石原が大はしゃぎして拡散させる。

東京電力の株主第5位は原発推進派の石原慎太郎都知事

石原氏は東電の株の3、2%を所有する大株主(第5位)で〜原発を推進すべきという考え


のように原発と関連づけ、明日投票の都知事選に向けてマイナスイメージ作戦。



が、まともな脳味噌をもっていればすぐにデマとわかること。
正しくは東京都がもっていて都知事は名義人になっているだけだ。
個人で東電の株を3.2%をもつのがいかにたいへんか。
ここまでして他人の足を引っぱりたいか。
バカサヨクのやることは救いがたい。

こんなことがすぐに拡散され、「あの石原が、あの東電の大株主」とはしゃぐバカがいかに多かったことか。かの有名な「きっこの日記」の「きっこさん」も必死に拡散していた。後に謝罪(笑)。
やがて元記事は削除されしらんふり。乗り遅れたバスにしがみついて、そのあとでも得意気に拡散させるのが連続した。
ツイッターは災害時に有効だとしても、気違いに刃物の側面があることを忘れてはならない。

大震災情報──中国の本音──辻元清美が「災害ボランティア担当首相補佐官」という悪夢

 中国紙、「日本の大震災と不況入りは中国にとって千載一遇の機会だ」
「中国企業が基幹部品や素材の供給先として日本の地位を一気に奪える」とホンネ


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 中国の経済専門新聞「第一財経日報」(3月29日)は、「日本の大震災と不況入りは中国にとって千載一遇の機会であり、これを契機に中国企業が基幹部品や素材の供給先として日本の地位を一気に奪える」とホンネにしたがって扇情的な報道をした。

また日本経済の“空白”に中国が食い込む好機として、経営難に陥る日本企業の買収が近道だとした。
理由は被災した東北地方にIT関連や自動車の部品メーカーなどが密集しており、買収が容易になると予測した。
(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より)


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一党独裁共産国家が、ここまですなおに本音を語ってくれると不快を通りこしてさわやかですらある。
この報道に対し宮崎さんはこんなご意見を書いている。

 あけすけにホンネを表現するあたり中国のメディアらしいが、これは中国の願望を述べただけであって、実現はたいそう難しいだろう。

 第一は品質の問題があって、中国経営が日本で部品を展開しても、エンジニアの確保が難しいうえ、被災した多くは下請け系列が明確で、外国資本が食い入る余地は極めてすくない。

 第二はとくに東北地方は中国資本をいやがる。仙台市がチャイナタウン構想を拒否したように。

 第三に日本人は今次大震災により、救援活動、義援金、ボランティアなどで大きな団結をみせたばかりで、外国人が入り込む余地はすくないうえ、日本人の情緒はむかしから火事場泥棒的遣り方を好まないのである。


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こんな火事場泥棒に負けてなるものかと心底から思う。
天が日本に課した試煉なら今こそ日本人の底力を見せてやろう。
あんな下衆な共産国家と日本はちがう!
漢民族に日本人は負けない!

だが日本には日本の滅亡を願うサヨクがいる。
獅子身中の虫だ。
共産国家などより遙かにたちがわるい。
「わたしは国議員です」と誇らしげに自称するツジモトキヨミは、大臣の味が忘れられず社民党を抜け、民主党に擦りより、いま災害ボランティア担当首相補佐官だ。民主党入りも間近いだろう。
こんな悪夢のような人事をする政治を許してはならない。

大震災情報──ありがとう台湾

震災義援金100億円突破=支援桁外れ、親日ぶり示す−台湾

【台北時事】台湾当局のまとめによると、東日本大震災の被災者への義援金が1日までに、官民合わせて計100億円を突破した。米国が赤十字を通じて集めた寄付が3月30日現在で約99億円。
人口が約14分の1の台湾が同規模の義援金を集めたことは「桁外れの支援ぶり」(日台関係者)で、台湾人の親日ぶりを端的に示している。
台湾では大震災発生直後から被災者支援の輪が広がり、外交部(外務省)が震災発生当日に1億台湾ドル(約2億8500万円)の義援金を送ると表明。
同月17、18の両日にはテレビ局などがチャリティーイベントを開催して寄付を呼び掛け、これまでに約9億台湾ドル(約25億6600万円)を集めた。
同部が把握していない寄付も相当程度あるとみられ、実際の金額はさらに多いとみられる。
時事通信 2011年4月1日
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011040100738


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台湾のみなさんの心に何度泣かされたことか。
日本という国に親友がいることがうれしい。
それは台湾にインフラを整備し教育を普及した英霊が築いてくれたものだ。

同じ事をしても怨みばかりの国もあるが。

報道2001感想──焦りすぎる東国原

今日の都知事候補が論戦した「報道2001」はおもしろかった。
この時期にテレビごときにおもしろかったというのは不謹慎に感じるが、都知事選もみな派手な活動は自粛しているし、耳を傾ける機会もすくない。今日は貴重な機会だったし、すなおに「おもしろかった。楽しめた」と言わせていただく。



書きたいことは山ほどあるが、ふたつだけ書く。

ひとつは、共産党の相変わらずの姿勢に嗤ったこと。石原都政を批判した小池候補は石原候補の「共産党はいつもそういうけど」という反論に「私は共産党ではない」と言っていた(笑)。今回無所属での出馬だから自分は共産党とは関係ないと言うことらしい。推薦はうけているが。笑える話だ。

共産党は、あの迷コピー「確かな野党」にあるように、野党として「理想論をがなりたてる高学歴者の群れ」でいいのだろう。ほんと、日本一高学歴の東大卒があつまり、「低学歴の貧乏人をしあわせにしよう」と高邁なことを言い募り、肝腎の低学歴貧乏人からは支持されていないという不思議な政党だ。

政治素人の美濃部が雰囲気だけで当選し、東京都政をめちゃくちゃにして、後の鈴木都知事がさんざん苦労したように(その功績で鈴木さんは多選したが)、正当なバランス感覚のないひとに為政者は無理。もしも小池が当選したら──まあそんなことはありえないからどうでもいいが──一部の身障者なんかの待遇は抜群によくなるだろうが、肝腎のそのへんの国家よりも巨大な東京都は財政赤字でたいへんなことになるだろう。



もうひとつは東国原の焦り。
早口で険しい目でしゃべりすぎるから魅力が伝わらない。
私が彼のブレーンなら、「もっと落ちついてください」とアドバイスする。
ゲストのなんとか研究所の所長みたいなひとがしゃべっているのを遮り、相手も黙らなかったものだから、両者がしゃべってどっちが何を話しているのかわからない情況にしたのは最悪だった。
「朝ナマ」ではよくあることだが、朝ナマはいわばそれがひとつの売り。
でもここはそういう場ではないし、他の候補にそんなことはなかった。
だから東国原のテンパリ具合がひとりだけ目立ってみっともなかった。



と書くことでもわかるように、私は東国原に好意的なのだ。
基本は石原支持だが、東国原にもがんばってもらいたい。
そのためには、今後のことも考えても、今日のような「きばり」は好ましくない。
ゆったりと、おおきく構え、相手の言う事を十分に聞いてから、閑かに反論するような姿勢が必要だ。

今日のように、相手が言い終わらないうちに反論を始め、ふたりが同時にしゃべっていて、何を話しているかわからなくなるなんてことをしてはならない。

彼のスタッフはどうなっているのだろう。今日の彼を見て、たしなめるプレーンはいるのだろうかと心配になった。
過剰な気張りにはおとなは引いてしまう。そのことを考えたほうがいい。



以上、今日の「報道2001」の感想でした。

ことば──ドヤ顔とバタくさい

「きっこの日記」で有名な「きっこさん」のツイッターを読んでいたら、こんなつぶやきがあった。

「そもそも」や「ちなみに」で始まるツイートって、つぶやきの向こうに「ドヤ顔」が見える。》

これは「きっこさん」にリツイートで反論してくる連中の言いかたに「そもそも」や「ちなみに」が多いことに対する反論なのだろう。
それはともかく、私は「ドヤ顔」の意味が解らない。
知っている智識でまず思ったのは「ドヤ街」の「ドヤ」である。

ドヤ街(どやがい)とは、日雇い労働者が多く住む街のこと。東京の山谷や大阪のあいりん地区や横浜の寿町が特に有名である。Wikipediaより

この場合のドヤは「宿」の逆さ言葉で、「あまりにひどい環境で宿にすらなっていない」から来ているらしい。
しかしまあいくらうすらバカの私でも、「きっこさん」のつぶやきが、山谷やあいりん地区のドヤに関係ないことは判る。ネット検索してみた。

ここ1年ほどでよく耳にするようになった「ドヤ顔」という言葉。テレビのバラエティ番組に出ているタレントの表情や、インターネットの掲示板サイトなどで貼られた画像を目にするうち、「これがドヤ顔か…」と認識するようになったという人も多いのではないでしょうか。goo辞書「どや顔」の頁には、「得意顔。自らの功を誇り『どうだ』と自慢している顔」とあります。http://news.livedoor.com/article/detail/5121052/

知らないはずだ、ドヤ顔の「どや」は大阪弁の「どんなもんや」の「どや」だった。テレビ用語だったのである。

私は「きっこさん」とは政治思想的になにひとつ共通点はないがこの意見には同意する。
「そもそも」「ちなみに」は、アヤシイことばだ。それを多用するひともまたアヤシイと言える。
私も、自分の書いた文章をブログ等にアップする前に読み返し、削除する箇所によくこれがある。他山の石として気をつけよう。



ただそれとは関係なく、私は「ドヤ顔」というコトバを自分の語彙には入れたくない。今後も使わない。
むかしから新しいモノ大好きなのだが、こういうものには染まりたくないと思う。

テレビのくだらないバラエティ番組に腹を立ててもしょうがないし、そういうことはめったにないのだが、それでもたまに「最近の女子高生言葉の意味をおとなが当てようとするクイズ」のようなモノを目にすると腹が立つ。それは自分も関わっていたから、そういう問題を作って得意気な放送作家に対する怒りである。

人間社会は、未熟が成熟して中枢をにない、やがてその座を後進に譲り、老いて果てる、その繰り返しである。だれもが未熟・成熟・老衰の時期を経験する。その世界に独自コトバがあるのは当然だ。
おとなは毅然とした態度で未熟と接し、未熟なこどもが恐る恐る近づいて来るという関係が正常だ。おとながこどもに媚びてはならない。どんなおとなだって、かつては未熟なこどもだったのだ。それを通りぬけておとなになったのだから。おとなが「ちかごろの若者は」と嘆くのが正しい在り方なのである。

その原則が狂ってしまった。
仲間内のことばとして女子高生言葉があり、やがてそこから卒業してまともな言葉遣いになって行くのだ。その過渡期の未熟なことばに、おとなが媚びて近寄るとは、なんておろかなことだろう。

「世も末だ」と嘆く感覚は、ひとそれぞれだ。
私はこういう「おとなが若者に媚びる」というときに、一番それを感じる。それは「我が子を叱れない親」に通じる。

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【追記】バタくさい

今ほとんど死語だが「バタ臭い」ということばがあった。「バターくさい」から来ていて「西洋風」という意味だ。日本人にしては彫りの深い顔だちのひとを「バタくさい顔だち」のように使ったりした。どうでもいいくだらない表現なので、すたれたのは当然だった。

これを「バタ屋」と関連づけて勘違いしているひとがけっこういた。バタ屋とはクズ拾いのことである。これまたいまそんな職業はないし説明がむずかしい。とにかくまあそんな底辺の汚れ職業があった。それと関連づけて「バタくさい」を「ゴミ臭い、腐臭がする」のような意味と勘違いしているひともけっこういたのである。



今回の「ドヤ顔」を私が「ドヤ街」から「ドヤ街に良くいるような下品な顔」のように解釈したら同じ筋のまちがいをおかしたことになる。
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