2011年09月

<QXエディター>と<Vertical Editor>──パソコン作業日誌

机のデスクトップ機からChopinを流しつつ文章を書いている。

テキストエディターは長年愛用している<QXエディター>。長くなったなあ、何年からだ。いったいQXでどれほどの文章を書いてきたろう。作者のarakenさんには足を向けて寝られない。

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鐸木能光(たくきよしみつ)さんの「鉛筆代わりのパソコン術」というCD附きの本がきっかけだった。この本の発売が97年だからそれからか。Laoxコンピュータ館の書籍売場で買ったことも覚えている。仕事はもちろん、それ以降の海外旅行の日記もDynabookとこれでぜんぶ書いた。ソフトウェアオタクであたらしいもの好きだから有料無料シェアウェアとあらゆるテキストエディターに手を出したが、これ以上のものはなかった。なんといっても縦書きの出来るのが大きい。当時は他になかった。『一太郎』等では出来たが重かった。

<QXエディター>と出会わなかったら私は今でも『一太郎』を使っていたのだろうか。いや、<QXエディター>以前にもうテキストエディターに移り、『章子の書斎』や『VZエディター』を使っていた。<QXエディター>はWindows95からだが、私はNECの9800時代にもうテキストエディター派になっていた。『VZエディター』のビレッジセンターは解散した。後継ソフトの『WZエディター』は他社がいまも売っている。『章子の書斎』のテグレットって今はどうなったのだろう。『章子の書斎』でも商業文章も大量に書いている。『章子の書斎』の写真を載せておこうかな。おそらくこのパッケージ写真をもっているひともすくないだろうし。私ももう10年以上前に処分してしまったけど、世話になった想い出のソフトなのでデジカメで撮っておいた。デジカメも最初期のものだから今とは比ぶべくもない。
あのころは、こういうA4版の大きくて豪華な箱で、開けると中にフロッピー1枚という15000円から3万円ぐらいのソフトウェアがいっぱいあった。

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『一太郎』はその後もずっと買い続けていたがVersion8ぐらいから触ったこともない。いまはもうATOKだけを買うようになってしまった。



坐卓のThinkPadでも文章を書く。
こちらは項目が分岐して行くことを書いているのでアウトラインプロセッサの「Vertical Editor」を使用。こちらも長年愛用させてもらっている。この「させてもらっている」という言いかたは、<QXエディター>は実質フリーだが私はシェア時代に料金を払っているのに対し、「VerticalEditor」は完全フリーだからだ。「無料で使わせてもらっている」という感謝の気持ちが強い。
こんなにすぐれたものをフリーで使わせてもらうことが申し訳ないほど。

自分史や猫話やあれこれを階層で書いている。あ、これ書いて思ったが、知らないひとには「回想」の誤変換と思われそうだ。そうじゃない「階層」で正しい。アウトラインプロセッサとは階層で書けるエディターのこと。たとえば自分史で「子供時代」としたら、そこから小学校時代を下の階層にして書き、そこで親友のA君のことを書きたいと思ったら、そこからまた下の階層になり、と分岐できる。完全に構想を練りあげない前に下書き気分で書くと、書いている内に全体像が見えてきて、一度慣れると便利この上ない。
アウトラインプロセッサは、以前は有料の『WZエディター』を使っていたが、いまはもう「VerticalEditor」のみ。これも縦書きの出来るすばらしいソフトだ。400字詰め原稿用紙設定まである。至れり尽くせり。Win5で2億円当てたら感謝の気持ちでドーンと寄附したい。ろくでもないソフトに3万、5万と払い、累計すると何百万も使ってきた身には、拝みたいほどの優秀ソフトである。



内容の異なるふたつの文章を書くにせよ、どちらかひとつの机でよさそうなものだ。デスクトップ機はデュアルディスプレイだし。でもふたつの机をこまめに往復し、異なる文章を書くことで倦きるのを防いでいる。
その間に、トイレに行ったら浴槽の壁の汚れが気になったので掃除を始めたり、ひさしぶりに「蒼炎の軌跡」をやったりと、いくつかのことをかけもちでやっている。まあ根性がないとか集中力に缺けるとか言われるとぐうの音も出ないが。寝場所を気紛れに替える猫型だからしょうがない。私なりに悩んだ末に見つけた方法で、もう長い。なんとかこの方法で生きてきた。これで寝転んでマンガを読んだり小説を読んだりを始めるともう終りなのだが、いまのところそれは我慢して文章書きが続いている。



これまた長年愛用しているFujitsuのキイボードを気分転換に替えた。色は白から黒になった。Metsとかいうよく知らないメーカー。メインはFujitsuだが気分転換用に安物のキイボードを何種類も揃えてある。しかし安物は安物。よくない。新品のFujitsuキイボードを買わないと。いい品だけあってそこそこの値段だ。高級キイボードというと東プレのRealforceばかり話題になるけどFujitsuはそれに匹敵する。
安物のそれら外附けキイボードと比すとThinkPadキイボードの感触のいいこと。ノートでありながらデスクトップ用キイボードより遥かにいい。それが欲しくてあえてIBM時代のThinkPadを買ったのだから当然だけど。デスクトップ用外附けThinkPadキイボードはキイがふたつほど動かなくなったのでお蔵入りになっている。あたらしいのが欲しい。と、ここで価格comに移動。

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12000円か。欲しいなあ。でもどうもLenovoになってから信頼できない。これもIBMとロゴが入ってはいるけどどうなんだろう。
先日ビックカメラで触ったロジクールの8000円のキイボードもなかなかだった。あれも買っておきたい。
と、脳内買い物で物慾を満たして作業に戻る。ちなみにこれはデスクトップで書いた。

将棋王座戦・羽生を超えた渡辺──途絶えるイチローの記録

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27日朝から山形県天童市の松伯亭あづま荘で指されていた第59期将棋王座戦(日本経済新聞社主催)五番勝負第3局は、午後10時45分、147手で先手の挑戦者、渡辺明竜王(27)が羽生善治王座(41)を下し、3連勝で王座を奪取した。羽生前王座の連覇記録は19でストップした。

渡辺新王座は、7連覇中の竜王と合わせ、自身初の二冠となった。羽生前王座は1992年から保持していたタイトルを失い、王位・棋聖の二冠に後退した。羽生の王座19連覇は同一タイトル連覇の歴代最高記録。20の節目を目前にして途絶えることになった。(日本経済新聞)


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27日は王座戦5番勝負の第3局。朝9時からインターネットで生中継。
開始から観る。決着がつくのは午後9時ぐらいだから途中は抜けてもいいのだが横歩取りから激しい展開になったので目が離せない。午後にはもう羽生が優勢になり、あっさり1勝を返しそうなので、その瞬間を見ようとパソコンから離れられなくなった。勝っても1勝2敗で角番に変りはないのだが、とにかく急場は凌ぐ。気分も違ってくるだろう。

写真の局面で午後6時の夕食休憩。1時間。その間にあれこれ急いで用をこなす。7時から再開。2枚飛車で羽生の勝利は目前だ。まだ58手目。

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このときホームページ・ビルダーでつけている電子日記に「羽生完勝体制。でもここから渡辺には何度もひっくり返されているからまだ安心は出来ない」と書いた。書きはしたが、いくらなんでもこのまま押しきるだろうと思っていた。不安が現実となる。



77手目。3九飛車成で楽勝だ。
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インターネット解説も△3九飛成▲同角△同竜▲6二と△同金に▲7四桂なら△5九角▲7九玉△7八歩で▲6九玉は△7七角成と銀が取れる。「これは後手が勝ちですね」と控室。また△6二同金に▲5九銀は△7八銀成〜△5九竜で「これも後手勝ちそうです」と控室で検討している木村八段と阿部四段。


そうなのだ。もうこの形になれば、解説通り羽生の勝利は確定していた。そうなるものと信じていた。
ところが羽生はここで4九龍とやった。これで形勢がおかしくなった。ただ一手で大きく動いた。大内九段は「逆転したんじゃないか」とまで言った。90手ほどで片がつくと思っていた急戦将棋はここから泥仕合。泥仕合になると渡辺は果てしなく強い。147手までもつれて渡辺が勝った。
羽生がストレート負けで19年間守ってきた王座を失った。偉大な記録が途絶えた。渡辺が羽生からタイトルを奪ったのは初。初めての2冠となる。

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2003年に渡辺の挑戦を退けた第5局が、有名な「羽生の指震え」だ。2対2からの決勝の一局、防衛の一手を見つけた羽生が着手するとき、激しく指が震え、指せないほどだったという。遥か上の世代、同世代と闘い勝ち続けてきた羽生にとって、一回り以上も年下の挑戦者は特別な存在だったのだろう。その後はずっと楽勝の防衛だった。そして今回登場した渡辺に将棋史に残る偉大な連覇記録を止められた。今後この記録の更新はまずあり得ないだろう。まさに天敵である。
渡辺は、羽生の書いた戦術書を愛読して育った将棋少年だった。時の流れ。



羽生の全盛時、奨励会で話題になっている中学生がいた。将来羽生を負かすとしたらあのこだろうという周囲の噂を聞いた中原十六世名人が、「そうか、羽生君もあのこに負けちゃうのか」と言って笑った(呵々大笑ではなく微笑んだ感じ)という話があった。小学校4年生で全国小学生名人になった渡辺(4年生の優勝は初)は入門のころから話題だったし、加藤、谷川、羽生に続いて4人目の中学生棋士になり、いかにも大物然としていた。しかし私は竜王戦以外での実績がない彼よりも、衰えることなく全棋戦で活躍する羽生を支持していた。竜王戦で二度渡辺に敗れているがいつも羽生応援だった。とにかく渡辺は竜王戦以外での実績があまりにすくなかった。羽生を倒す若手の刺客として認めるには成績が偏っていた。

今回のストレート王座奪取で渡辺が羽生の力を越えたと認めざるを得ない。



といって私はアンチ渡辺でもない。このひとの将棋はおもしろい。以前見た山崎とのNHK杯戦など、終盤の捻り合いがすさまじく、息を呑むような激しい展開に、そのとき競馬場に行かねばならず、録画もしていたからあとで観ればいいのだが、テレビから離れられなくなってしまったことがあった。
世代として私は中原名人に憧れた世代だし、時代激変という意味では谷川名人誕生の方が遙かに鮮烈だった。そのときひょんなことから月刊プレイボーイにその記事を書いたっけ。あの雑誌ももうないのか。

それでもいまショックを受けているのは、チャイルドブランドと呼ばれ将棋界を席捲した十代の羽生世代を20年以上も観てきたからだろう。羽生は何度も敗れているが、それは同世代の森内や佐藤との対戦であり、すこし年下の深浦や三浦に敗れたことはあったがすぐに取りかえしている。

世代交代的な意味あいはあまりない。二十代で強いのは渡辺だけだ。羽生世代は二十代の時に全タイトルを独占して、森内、佐藤、丸山、藤井と、同世代で奪取防衛が続いていた。いまも羽生、森内がいて、すこし年下の久保がいて、二十代は渡辺ひとりだけだ。先日まで廣瀬ががんばっていたが羽生が王位を奪還したように羽生を超えるところまでは行っていない。

20局以上羽生と闘って勝ち越しているのは、引退棋士を含めても、渡辺ただひとりだ。いわば羽生キラーである。これで羽生から見て14勝18敗。羽生も渡辺に対してはおかしい。優勢な将棋を何度もひっくり返されている。渡辺の底力だが、贔屓目には羽生がひとりで転ぶような形が多い。確実に苦手意識があるのだろう。今日の敗戦も羽生が転んだものだ。



午後9時に寝て午前3時に起きる生活をしている。昨夜は王座戦を観ていたから終局が午後11時近く、眠くて眠くてそのままダウンしたが、よほど羽生が負けたことが悔しかったのか夢にまで見た。5時に起きたが、なんとも不愉快な目覚めになった。我ながらおどろいた。そんなに悔しかったのか(笑)。

イチローの偉大な記録が途絶える。それはまあ初夏の頃に、今年はもう無理なんだろうなあと、すこしずつ認めていたから、残念ではあるけれど、しかたないかとも思う。ICHIRO51というすばらしいサイトが「現在のヒット数と最終的なヒット数予測」を毎日出してくれるのだが、それがずっと今年は180本程度のままだったので諦めざるを得ない気持ちになれた。今年は無理なんだと哀しい気持ちで確認していた。

武豊のJRAでの連続G1勝利記録も風前の灯火となっている。デビュー2年目のスーパークリークの菊花賞勝ちから続いてきた記録だ。一応スマートファルコンで統一G1を勝っているが、あれと中央のG1は価値が違う。秋天、JC、有馬……勝てそうな騎乗馬もいないようだし、いよいよ途切れてしまうか。スマートファルコンでJCDを勝てば一応記録は続くが……。



イチロー、武豊という天才アスリートの成績が落ち目だ。それは肉体的なものなのだろう。
将棋も、興味のないひとには意外かも知れないが、「最強は25歳」ともう結論?が出ている。将棋も挌闘技なのだ。むかしは精神的にも充実する三十代半ばが最強と言われていたが、今はもう社会人としての常識とかそんなものは関係なく、アスリートとして体力気力充実する25歳が最強というのが定説だ。羽生が七冠を達成したのもこの年齢だし、体力的にこの年齢でないと無理と言われている。脳味噌はもう二十歳過ぎから退化して行くわけだし。
羽生がいま衰えてくる四十代、渡辺が最強の二十代半ばにいる。



ここのところの対渡辺戦の流れから、5番勝負で2連敗したからもうダメだろうなと諦める気持ちはあった。それでも今日の将棋は確勝と思っていたからショックは大きい。ひとつは返して欲しかった。

気になるのは、もう何年も前から囁かれている、そしてかなり確実な現実らしい羽生夫妻の不仲だ。週刊誌ネタにもなっている。さいわい男女ネタではない。でもだからこそよけいにひどいように感じる。元芸能人の妻は娘を連れて家を出ていて、豪邸にひとりで住む羽生が近所に回覧板を届けたとか、ギスギスした話が書かれていた。
こんなことを一ファンが今更言ってもしょうがないが私はあの結婚を好ましいとは思わなかった。あんな派出好きの芸能人ではなく、周囲はもっとしっかりした娘を世話してやれと思った。将棋界の宝なのだ。でも世間知らずの羽生が雑誌で対談したきれいな娘を好きになってしまったのだからしかたない。内助の功どころか内から足もとを引っぱられる現状だ。
そういう状況を加味すれば、別居状態という苦しい状況の中でよくぞここまでがんばっているとすら言える。この解釈のほうが正解だろう。今の羽生はその精神的苦痛で八割の力しか発揮できていない。名人失冠も王座失冠もそれが原因だ。

一方、渡辺の方は年上の賢夫人として有名だ。竜王戦で羽生に3連敗と追いこまれたとき、渡辺を励ます夫人のブログが話題になった。といってわざとらしいそれではない。ほんの1.2行だけの短いブログ。それも假名でひっそりとやっていた。マニアがそれを発見し話題になった。その1.2行の味わいが絶妙だったのだ。そこから渡辺は4連勝で逆転防衛した。7番勝負で3連敗から4連勝は史上初の快挙だった。それは羽生から見ると、これまた史上初の3連勝から4連敗をくったことでもある。渡辺は二十歳のときにできちゃった結婚をした。そのひとり息子も将棋に興味を持ち、将来プロ棋士の可能性を示唆している。渡辺のやっているgooブログがアクセス数で話題になるように公私共に絶好調である。
今回の結果はそれを無視しては語れまい。



これから将棋界は秋から冬にかけての大一番、竜王戦の季節を迎える。春の名人戦、秋の竜王戦が二大タイトルだ。渡辺に挑むのは丸山元名人。このふたり、不仲である。丸山の将棋に対する姿勢を渡辺が評価していないのだ。そんなふたりの対決。それもまたたのしみだ。さてどうなることか。

テレビのない生活──見ない・見られない・見たい

テレビのない生活──見ない・見られない・見たい

やらなきゃならないことがたくさんあるのに、テレビばかりで日曜を過ごしてしまった。まずい。反省。
フジテレビのボロボロの國旗とか、韓流批判のデモとか、かといってビートたけし批判は筋違いだろうとか、書きたいことはいっぱいあるのに、テレビを見てちゃいかんよなあ。

テレビ欄のテレビ局並び順──真ん中にテレ朝、端っこにフジ

「テレビ欄のテレビ局並び順──真ん中にテレ朝、端っこにフジ」

サンスポ記者の買春容疑──ブログ時代の不幸

児童買春容疑でサンスポ次長を逮捕 神奈川県警

 神奈川県警秦野署は8日、児童買春・ポルノ禁止法違反の疑いで、産経新聞東京本社サンケイスポーツ編集局レース部次長、黒田栄一郎容疑者(39)を逮捕した。同署によると、容疑を否認している。
 同署の調べによると、黒田容疑者は今年2月13日、横浜市神奈川区のホテルで、携帯電話の出会い系サイトで知り合った当時16歳で私立高校1年だった女子生徒(17)に、現金4万円を渡す約束をしてみだらな行為をした疑いが持たれている。
 産経新聞社広報部の話「本社社員が逮捕されたことは誠に遺憾です。事実関係を確認の上、厳正な処分をいたします」
http://www.sanspo.com/shakai/news/110908/sha1109081906013-n1.htm


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 サンスポの有名競馬記者である。若手だったのにもう次長になっていたのか。時の過ぎるのは速い。
 否認しているのは「未成年とは知らなかった」に関してであり買春行為自体は認めている。
 たいしたことではないと言ったら語弊があるがたいしたことではない。こんな事件をこのブログで取りあげたこともない。ただ彼が「ブログを書いていた」ということから今までの同様の事件とはすこし様子を異にしている。そのことを書いてみたい。

 私がこのニュースを知ったのは当のサンスポ紙でだった。自分のところの事件だからか責任を感じたらしく(?)真っ先に報じていた。一方同業他社はちょっと遠慮気味。このへんは武士の情なのだろう。
 すぐ2ちゃんねるの「芸スポ速報」板に行ってみた。そこで以下のことを知る。それがなければここにこうして書くこともなかった。



 そこには黒田記者がやっていたというブログのアドレスが貼ってあった。競馬に関するブログは異常に数が多い。黒田記者は予想上手だったからアクセスの多いさぞかし人気のあるブログだったことだろう。私はまったく知らなかった。競馬記者のブログなんて行ったことがない。
 ブログアドレスをクリックしてみる。見事に消されていた。これは速い。本人がやったのか、逮捕されたと知った同僚が気を利かせたのか。
 しかし「魚拓」と呼ばれるコピーが存在する。早速当時のブログ文章が貼られていた。

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2月10日
義父の葬儀が終わり、ひと段落しました。会社の理解を得て、土曜までサポートを続けます。自分の父の時と同様、つらい現実に容赦なくさまざまな事務手続きが押し寄せてきますね。多方面に迷惑をおかけしていますが、やることをやったらきちんと仕事で返しますので、よろしくお願いいたします。


 一週間ぐらい休暇を取って妻の父の葬儀を仕切っていたようだ。その辺のことを書きこんでいる。こういう事件が表に出ると誠実な文章がよけいに惨めだ。

2月12日
午後から崩れるという予報を受け、昼前に嫁さんの実家を辞去。新幹線は多少遅れましたが、この時間に新横浜に戻れました。というわけで、ただいまWINS新横浜。内覧会以来ですが、きれいで客層が若い! フレンチカクタス頑張れ。


 12日は土曜日。嫁の実家から横浜まで戻ってきてウインズで馬券をやっている。

 事件当日、13日のツイッターではこんなことをつぷやいている。

悲惨な週末になりそうだったけど、共同通信杯を◎○▲で完全的中
いわゆる「かいしんのいちげき」になりました。よかったよかった
2月13日

 2月13日は日曜日。逮捕の理由となる事件はこの日に起きている。競馬記者として予想が「かいしんのいちげき」になったことはうれしかったろう。しかしその前に嫁さんの父の死に関して神妙なことを書いていたからもつれることになる。

 餘談ながら「かいしんのいちげき」をひらかなで書いているのはドラクエを意識してのことだろう。漢字の使えないファミコンバージョンのころはひらかなだった。あのころ「かいしんのいちげきのかいしんを漢字で書くとどうなるか」なんてクイズがよくあった。よくあるまちがいが牴心瓩澄正しくは会心。



 この共同通信杯の配当は馬単36倍、3連単300倍。これが◎○▲は見事。これでたっぷり儲けて出会い系の買春を予約したのだろう。こういう形で「買春した金の出所」までわかってしまうおそろしさ。まあ「わかってしまう」というより本人がバラしているのだが。

 いや、別の新聞によると黒田記者が「そんなこと」をしたのは、「午前11時半から午後1時まで」となっている。午前中からよくがんばる。私はこの時間、将棋のNHK杯戦を見ていた。
 共同通信杯は午後3時45分発走だから、買春はその前にやっていたことになる。とするとこのレースの馬券的中と買春代金4万円は無関係だ。土曜日の横浜ウインズでの儲けから払ったのか。2ちゃんねるでは「義父の香奠で女買ったのか」と書かれていたが、そういう推測も成りたつことになる。

 自分の父の葬儀を、会社を休んで我が事のように親身に仕切ってくれた夫に、妻はもちろん、妻の母(から見ると娘婿、義理の息子になる)も親戚も、みな感謝したことだろう。だがその餘韻も消えない翌々日に、その男は高校生の娘を買春していた。そして。どうにもこの流れから、これが初めてとは思えない。なんか手馴れた感じが伝わってくる。未成年者買春の常習者のように思える。

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 韓国の番組偏重でフジサンケイグループはいま批判されている。先日はフジテレビ前でデモがあった。花王製品の不買運動まで起きている。
 当然以下のような皮肉も書きこまれる。



121 :名無しさん@恐縮です [] :2011/09/08(木)

2011フジサンケイグループスローガン
混迷する 社会の指針 フジサンケイグループ(キリ

あらあら、社員に徹底しないとダメですよ




123+4 :名無しさん@恐縮です [] :2011/09/08(木)

@binkuroda 黒田栄一郎
危機的状況にあるのに、危機感のない人たちがいる。不思議なことです。
8月29日

ワロタwwwwwwwwww


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 上記、8月29日の文はツイッター。彼は8月24日に競馬部門から移動したことが紙面で報告されていた。8月29日にはまだこんな餘裕綽々のことをつぶやいていたのだからこの移動は事件とは関係ない。部長になる前に他部門を経験させるための移動だったのだろう。本人に、逮捕されるなんて自覚もなかったようだ。

 サンケイはなかなか正社員にしない。嘱託や契約社員が多い。競馬記者として有名なひともほとんど嘱託だ。黒田記者は正社員であり次長職にあった。エリートである。今回の件がなかったらデスクになったろう。すべてが水の泡と消えた。懲戒免職だろうか。なんとも残念な結果だ。だが前記の「義父の葬式」あたりを読むと同情も消える。私が言いたかったのはそれになる。不謹慎な言いかたになるが、それがなかったら「ついてないな」と思う程度だった。

 そのまんま東をきらいなひとが、彼がそういう罪を犯したと今でもしたり顔で言うが、彼の場合は風俗店で遊んだら、その相手が店に年齢をごまかして働いていた未成年だった、ということに過ぎない。店が摘発され、その未成年の客筋を溯って罪に問われた。いわば不可抗力だ。問われるとしたら妻子のある身でありながらそういうことをしたという倫理観になる。しかし政治家の今ならともかく当時はお笑い芸人だ。遊びが仕事だ。妻帯者として、なんて理窟は通じない。この件での彼への批判は見当違いだろう。

 今回の場合も、黒田記者のブログ文章によって「家庭背景」が見えなければ、競馬記者でそういうことの好きなひとは多いだろうし、そもそも「記者」よりは「芸人」にちかい社会だから、私の感想は「ついてないね」だけだった。ちなみに私は彼らと競馬帰りに酒を飲んだことは数多いが、そういう流れになったことは一度もない。しかし知りあいの漫画家によると今は毎週テレビに出ている高名な評論家ともかつては頻繁に行っていたそうだ。

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 もしも前記のブログ文章がなかったら、この事件のイメージはまったくちがったものになっていた。

昭和46年11月28日、東京都生まれ。
高校1年生で競馬と出会ってから競馬道ひと筋。
大学1年生の時にはクイズ「カルトQ」に出演するほどの競馬オタクとなる。
平成8年に産経新聞社入社。同年秋にサンケイスポーツレース部に配属となり、以後は競馬の取材記者として働き続ける。
仕事が競馬、趣味も競馬。その他に競輪、ラーメン、国内旅行を好む。凱旋門賞で日本馬が2着になった2回をいずれも取材。
いつの日か、日本馬が凱旋門賞を勝つ時に取材することが夢。
税込み年収をはるかに上回るほどの馬券を買うギャンブルジャンキーで、馬券は単複と3連単が中心。
平成19年の皐月賞(162万馬券)を予想、馬券ともに的中したことが自慢のタネ。東京サンスポ紙上で展開されている「記者POG」では、過去4年のうち3度優勝。
今年もレーヴディソールを指名している。


 世に知られているのはこういう公開プロフィール程度だった。
 ところがブログに、義父の死や、それを悼んでいるようなことを書いて、そのあとすぐにこの事件だから様相が一変した。妻の存在やその他も「まきこんでしまった」のである。顔写真もFacebookから流通している。これもこの程度の事件なら晒されることもなかったろう。自ら首を絞めたことになる。

 ブログやツイッターが普及している時代特有の結果だ。それらがなかったら「競馬記者なんてそんなもんだろ」「女房との仲が冷えてたんじゃないの」ぐらいの推測で終っていた。すぐに忘れられた。その程度の話である。だが……。
 2ちゃんねるには「当然離婚だな」との書きこみも散見される。妻からしたらこの種の事件を起こした夫は世間的にも肩身が狭くたまったものではないが、その前にこの葬儀に関する話があるのだからより残酷になる。
 ネット時代のこわさをあらためて感じた一件だった。

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【附記】── ところで「出会い系」ってのはなんなんだ。興味もないし接したこともないのでなにもわからん。誰とも出会いたくないしなあ。ケータイから行くのか、PCからも行けるのか。私がこういうことで逮捕されたら「こいつはブログにこんなことを書いていた」と、ここに書いたようなことを晒され笑いものにされるわけだが、それはありえない。ションベン臭いガキに興味はない。バカ面した女子校生なんてのが下品なしゃべりかたをしているのを見たら汚物のように避ける。電車でも車両を替ったり1本遅らせたりする。バカが伝染する。近寄りたくない。あんなものに金を払うやつの気がしれん。だからまあ私の場合こんな事件とは絡むはずがない。どうせ逮捕されるなら売国奴の議員でも刺すほうにしたい。



【附記.2】──すこし修正。最初時系列がわからなかったので「爐いしんのいちげき瓩龍ζ営命杯で儲けた金で遊んだのか」と書いた。その後そういうことをしていたのが「午前11時半から午後1時まで」とわかった。共同通信杯の前である。日曜の午前中からこんなことをするひともいる。元気だなあ。そこでその部分を修正した。
出会い系サイトに書き込んだのが「 楽しく安心して会いたい」だそうで、手馴れているから常習犯だろうと評されていた。



【附記.3】──2ちゃんねるに「かいしんのいちげき」をもじった「かいしんのいちげき」って書きこみがあって、思わず笑ってしまった。

もしも警察が本気でこういう連中を逮捕する気なら競馬界から逮捕者が続出する。どうせなら一網打尽にしてほしい。でもたぶん一番メジャーな黒田を逮捕して「おまいら、調子にのるなよ、こちとらわかってんだからな!」という嚇しを見せて、これで幕引きなのだろう。私としては競馬評論家のSとかNとかIとか、みんな逮捕して欲しいんだけど。どんなやつがやっているかは彼らのブログ等を読めばすぐにわかる。毎日更新しているのに一切この事件に触れていない(笑)。いかな鉄面皮でも同じ事をしていながら非難はできないのだろう。

愛煙家のトンチンカン(笑)──養老孟司のバカの壁

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『SAPIO』で養老孟司さんが、いつもと同じ寝ぼけたことを言っていた(笑)。
それでもこれはこれで話題になるのかなと思ったら、それなりになっているようだ。ここに転載されている。

私はこれについては以前ホームページで取り上げた。
「喫煙者のヘリクツ──養老孟司のヒトラー」2007年9月20日。
これは養老さんが文藝春秋に書いた文に対する感想と反論だった。

数多くの楽曲も政治思想的にも大好きで尊敬しているすぎやまこういちさんも、ことタバコのことになると迷走する。最近そういう愛煙運動をまた始めたらしい。それについても書いた。2009年12月10日。これは『WILL』に書いたすぎやまさんの文章に対する感想だった。
「喫煙考──すぎやまこういちさんのヒトラー」
すぎやまさんや浅田次郎さんのように一滴も飲めないひとにとってタバコは創作に必要な重要アイテムだろう。それはわかる。



さすがにもう疲れてきて毎度おなじみのこの種のくだらない意見には反論を書く気にもなれないのだが、それでもあちらが書くのだから、こちらもがんばらねばならない。

養老的意見は毎度同じ。
「タバコ嫌いは健康中毒者。ガン恐怖症」から始まる。
それに対して「自分たち愛煙家だってタバコが躰にわるいのはわかっている」と自分たちの自覚を言う。そこにあるのは「嫌煙家は私たち愛煙家がタバコの害を知らないと思っているだろうが、そんなことはよくわかっているのだ」というアピールだけど、そんなことはどうでもいいのだ。
そしてそこから「果たしてタバコとガンは関係があるのか。こんなデータがある」と迫ってくる。これまたどうでもいい。ガンと関係あろうとなかろうと。

そんなことはどうでもいいのだ。躰によかろうとわるかろうとガンになるのかならないのか、どうでもいい。
こちらの言いたいのはもっともっとシンプルだ。

食事時にウンコのにおいがしてきたら、どんなおいしいものでも食う気が失せる。だから、こらちと一緒のときにはやめてくれ、それだけである。
だけどタバコがうっとりするほど気持ちのいい香気である彼らには、その愛するタバコが「食欲をなくすウンコのにおい」と言われても、絶対に理解出来ない。そういう差である。

人間の何万倍もの嗅覚をもつと言われる犬は、人間の好む香水のような匂いを嫌い、人間からするととんでもない悪臭のものを気持よさそうに嗅ぐ。犬と人間では「気持ち良くなるにおい」に致命的なちがいがある。それと同じだ。食事時はもちろん、ベンチでくつろいでいるときに流れてきただけでもいやになるウンコのにおいと感じているこちらと、それを「うっとりするほどいいにおい」と思っているあちらが、共通認識で語れるはずがない。それだけの話なのである。

養老的な愛煙家擁護の意見をいうひとは、そこがわかっていない。「嫌煙家はかんちがいしている。よく説明してやればわかるはずだ」と思っている。勘違いをしているのはそっちのほうなんだ。
反論の主軸をなす「健康志向」「ガンとの関連」「ヒトラー的形容」をまず捨てなさい。それが勘違いの最たるもの。それを捨てて語るべし。するとまあ反論のしようがなくなってしまうだろうけど(笑)。
「健康志向でガンが怖くてタバコを否定するひとがいるが、そもそもタバコは」って切り口そのものが無意味なのである。健康志向でもないしガンが怖いわけでもない。ただごく単純に「食事のときにウンコのにおいを嗅ぎたくない」。それだけなのだ。絶対的壁だから話しあってどうこうなるものではない。ひたすら分離するしかないのだ。
すなわちそれは喫煙場所の制限である。

彼らは、「自分たちの嫌いなものを排除するのはファッショだ」と言うわけだけれど、「自分たちの好きなものは、きっとあんたたちも好きになれる」という勘違いも、病は深いと思うよ。
「わかりあえないとわかること」から始めねばならない。こちらはわかっている。だってウンコのにおいなのだから。わかってないのはあちらだ。

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ところでこの「田中角栄特集」の『SAPIO』だが、私はつまらなくて読めなかった。田中角栄を認めていないからだ。「英雄のいない時代は不幸だが英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」と言われるように、田中のようなのを夢見て、「もし今、田中角栄がいたなら!?」と『SAPIO』のような雑誌が假定する今は限りなく不幸な時代なのだろう。いや「だろう」じゃなくて、あの菅直人なんてのが首相になっていたのだから絶対的にそうなのだけど。
たしかに田中が首相だったなら、大震災時に菅や村山のようなことはなかった。だけどかといって「もし田中角栄がいたなら」と假定して語ることはあまりにせつない。

ことば──ことほぐ・言祝ぐ・寿ぐ

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阿比留瑠比さんがizaに書いた「輿石幹事長誕生を言祝ぐ地元紙と私の過去記事」の「言祝ぐ」に絡んでいるひとがいた。

阿比留さんの書いた「言祝ぐ」に、《言祝ぐ(ことほぐ)は「寿ぐ」と書きまするんどすえ。》という意見。
すぐに他の読者から「どちらも正しい」という意見が入る。このかたは「釣りだった?」と書いていたから、知っていての絡みかと思ったのだろう。どんな辞書にも「言祝ぐ」はある。
最初のひとからまた反論。「言祝ぐは当て字。正しくは寿ぐ」と、それでも「寿ぐ」を主張する。

くだらんことを言うひとだなと思った。後に阿比留さんにしつこく絡んでいる有名な投稿者と知る。
阿比留さんの勘違い誤字を見つけ、うまくあげあしを取ったと悦に入ったのに、同じ読者から誤字じゃないと否定されてむきになったのだろう。



「言祝ぐ」を、日本語の「ことほぐ」の「当て字」とするなら、当然ながら「寿ぐ」もまた「ことほぐ」の当て字である。
「しあわせ」を「幸せ」が正しく「仕合わせは当て字」と言っているのと同じだ。
和語を漢字で表記するのはみな当て字である。まったく資質のちがうものを無理矢理一緒にしているのだから単なる強制結合だ。なにが、どれが正しいかは、時の担当者が決めたにすぎない。

中学や高校の「国語の試験」、あのくだらない「漢検」やQさま(笑)では「寿ぐ」が正解だろう。しかしそれらとは無関係の、それらを卒業したおとなの世界ではそういう「しばり」に意味はない。
そして、輿石幹事長誕生に浮かれる地元の雰囲気を伝えるためには、字面的にも「言祝ぐ」の方が似合っている。



このひとは意見のちがう阿比留さんに、このことで一矢報いたつもりなのかも知れないが、その「あげあしの取り方」がもうかっこわるい。文部省的決め事を絶対とし、そこからはみだしたものを否定する四角四面な感覚だ。よく「辞書が辞書が」と辞書を神聖化するひとにもこんなタイプがいる。
たかが当て字ひとつの話なのだが背景に見えてくるものはけっこう大きい。

単行本「きっこの日記」熟読中──幻のベストセラーを奇蹟的に入手!?

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かの有名な<きっこさん>のことは、だいぶ前から知っていた。いつだろう2002年、2003年、それぐらい。もっと遅いか。
私がインターネットに初めて接続したのは1998年だった。海外のインターネットカフェである。
<きっこさん>は「きっこの日記」の前に「れいなの日記」というのをやっていたそうで、それが2000年10月からだとか。もちろん知らない。

そもそも私は友人に無理矢理勧められてインターネット接続を始めたものの、パソコン歴は30年近いのに断固としてパソ通をやらなかったほどの「接続恐怖症」だから、しぶしぶインターネットを始めはしたが、ごく限られた友人とのEメール(むかしはなぜかこう律義に言った)ぐらいしかやらなかった。おそろしい秘術をもったハッカーに電話線を通して自分のパソコンに侵入され破壊されるのではないかと恐れ、用件が済めば急いで接続を切ったほどだった。そしてまたあのころは接続していれば常に課金状態だった。今のような定額制ではない。電話のようなものである。インターネット三昧はできなかった。するほどの価値もなかった。

いずれにせよ私が「きっこの日記」を初めて訪問したのは<きっこさん>が有名になってからである。<きっこさん>が「さるさる日記」を始めたのが2003年からだという。当初は<きっこさん>も一日100人ぐらいのアクセスだったそうだから、私が知るはずもない。だからきっと初めての訪問は2005年ぐらいかもしれない。どんなきっかけだったのかは記憶にない。



餘談ながら、私は「さるさる日記」を開始当初から知っていたが魅力を感じなかった。2000年から私も日記形式のサイトを始めていたから自分が関わるものとして適切かどうか真剣に検討した。だけどあんなものをやるぐらいなら独自のホームページをやったほうがいいと結論した。私からするとなにひとついいところがない。あるとしたら、独自のランキングが発表されるから、ひとりでも読者を増やしたいひとには有用だったのだろう。おそらく最大の魅力であろうそれが、仲間内でひっそりとやりたい私には無意味だった。

自由度は低いし、デザインもわるいし、代々茨城の田舎者の私が両親とも代々江戸っこであるという粋な<きっこさん>にこんなことを自慢する自称江戸っ子なんてのはほとんど故郷を追われた無宿流れ者の家系だ(笑)。クズだよクズこんなことを言ったら笑われそうだけど、「さるさる日記」が好きな人はイモだと思う。まともな美的センスがあれば「これならせめて自分で作ろう」と思うだろう。あんなものには関わらない。利用者数は(いま読んでいる<きっこさん>の本によると)最盛期で15万人であり、そこからは頭打ちだったという。ブログが普及してからは、あんなのを利用するひとはいない。

長年お世話になった<きっこさん>さんは、「でも」と「さるさる日記」の利用者頭打ち状態を認めつつ、自分にとって「さるさる日記」がいかにすばらしいメディアだったかを力説していた。「さるさる日記」でトップを張ったのは「きっこさん」と「勝谷誠彦」だ。なんともセンスがいい両巨頭(笑)。

そういう世話になった「さるさる日記」をかばう<きっこさん>はステキだと思う。本気で。世話になっておきながら後ろ足で砂をかけるようなヤツは最低だ。でも<きっこさん>が必死に褒め称えたが(日記の3だから2007年時)、「さるさる日記」はその後も益々落ち目になり、ついに2011年6月で廃止になった。ごくごく当然の結末だった。だって、なにからなにまでみんなイモなのだもの。なんで「さるさる日記」は垢抜けなかったのだろう。



その後もどこかで<きっこさん>が話題になるようなことが起きると年に何度か訪問した。政治思想的に合わないことはハッキリしていたから読んでもつまらない。社民党を支持しているひとの話など読みたくない。なにしろ福島瑞穂支持なのである。その理由が病気の「母さん」に対して最もやさしい政党だからでは話にならない。でもそれはそれで「女っぽい」と思った。そのときは。

女はそういうリクツを言う。私の姉も「政治家はひとで選ぶ」などとしたり顔で言っていた。つまり国会議員を、憲法に対してどうなのか、外交をどう考えているか、国家の未来をどう描いているかというようなことではなく、奥さんを大事にするとか休みの日には近所のドブ掃除をするとか、そういうことから選ぶという意味だ。市会議員ぐらいまでならそれでもいいかもしれないが、国会議員はちがうだろうと姉に意見した。もうずっとずっと前のことであるが。

「きっこさん」は「母さん」の医療費に苦しんでいて、そのことに関していちばんやさしい意見なのが社民党なので支持していると書いていた。ここで大事なのは社民党は「言っているだけ」でなにも実現していないということだ。「きっこさん」が苦しんでいる「母さん」の医療費のようなものを無料にすると社民党は言っている。だから「きっこさん」は支持した。だが残念ながら社民党が政権与党となり「きっこさん」の夢を叶えることは永遠にないだろう。その意味でもかつての実恋愛と同じく「きっこさん」は悪い男にだまされているようなものだ。

世間的には、<きっこさん>は耐震疑惑とかなんとかの裏情報で有名人になったらしい。私はそれに興味がなかったので、その時期にはまったく行っていない。いやもちろん一般的な興味を持ってニュースには接していたが、何事に関しても「どこも書かなかった極秘裏事情」みたいなものに興味がないので訪問しなかった。いまは<きっこさん>の当時の情報すら眉唾ものと評価されているようだ。



けっこう頻繁に行くようになったのはここ2年である。きっかけは大荒れとなったエリザベス女王杯だった。<きっこさん>がその100万馬券を当てたと話題になった。いや実際は100万は3連単であり、<きっこさん>の取ったのは馬連の12万馬券を100円でしかないのだが、「すごいすごい」と話題になっていた。

なんの自慢にもならないが私は馬券で地獄を見た男であり、10万馬券なんてのは千円単位で何十回も当てている。この程度のことを知っても、たまたま初心者の幸運と思うだけで驚くことはない。だが、それはそれでたいしたものだと祝福する気持ちはもっている。そしてまたどんな推理で当てたのかには興味がある。それでひさしぶりに出かけた。しかし内容はエヴァンゲリオン(わたしゃまったく知らない)とかによるこじつけだった。ひどすぎる。高本公夫よりひどい。

しかしまた馬券ファンは欲深いから、そう思いつつも、それ以降の<きっこさん>の予想は毎週チェックするようになったのである(笑)。なんとも。ここは「(笑)」ではなく「(照)」とすべきか。いや「(恥)」か。そりゃまあ負け続けているから、溺れるものはきっこでもつかむ。

そうして毎週末「きっこの日記」の競馬予想を読むようになった。せっかく行ったのだからそのついでに前後の日記も読んだりする。もちろん政治ネタは最初から避ける。あわないのは知っている。不快にはなりたくない。なにを読んでも感覚が違う。いろいろ言いたいことはあるが、それは無粋だ。「きっこの日記」で<きっこさん>さんが何を言おうとそれは<きっこさん>さんの自由だ。文句があるなら読むな! である。私も自分のホームページに関してそう思っているから、文句をつける気などさらさらない。ともあれ2年前から週末に「きっこの日記」を読むようになった。



前振りなのにまた長くなってしまった。すみません。もうすぐ終ります。
他人様に意見を言う気などないし、そんな資格もないのだが、それでも今回の<きっこさん>さんの原発に関する発言だけは看過できなかった。あまりにひどい。ひどすぎる。反論を書きたかった。しかしそれには私はあまりに<きっこさん>を知らない。
ネット上にある文章を集めて印刷し通読しようかと思った。他人様に意見を言うとき、そういう最低限の礼儀というか姿勢はもっている。でもできるなら発刊されている単行本を読むのが手っとり早い。

しかしあっと言う間に売りきれ、それは本人の見栄であり実態は全然売れてなくて有りあまっているらしいが、なのになぜか重版されずあまってるんだもの当然だよねえ入手困難と言われている幻のベストセラー「きっこの日記」を読むことは不可能にちかい。
藁をもすがる思いで地元の図書館を調べた。するとぜんぶあったのである。

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しかも3冊ともただの一度も誰からも貸し出されていない真っさらであった。まったく利用者がいないのでずっと前から「保管庫」という日の当たらない倉庫に引っ込められて図書館の書架にはなかった。手続をして取りよせてもらう。
私は前々から自分の住んでいる東京都下の文化意識に疑問を持っていたのだが、ここまでとは思わなかった。せっかくサヨク図書館員(たぶん社民党支持者)が揃えてくれた「きっこの日記」3冊を誰も借りていないとは何という民度の高さ低さであろう。思わず笑ってしまったため息をついてしまった。

その誰からも手を触れられていない3冊の「きっこの日記」が目の前にある。真っさらである。印刷されたそのままだ。麗しの処女だ。そっとその柔肌、いや白いページに指を伸ばす。
私は今赤いハイヒールを履いた小沢一郎みたいな顔をしたオカマジジーのカマを掘るヤケクソ心境とよた真帆に似た細身なのに豊かなFカップの胸の美女(ラビアにピアスあり)と結ばれる男の心境でページを括る。

3冊を読了してから、あらためて<きっこさん>に対する意見を書きたいと思う。

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★ひとさまで他人様にならないGoogle-IME

この文はGoogle-IMEで書いた。すると「ひとさま」は「人様」だけで「他人様」にならないのでおどろいた。Google-IMEは実際に使用しているひとたちのコトバを蒐集して成立しているから、今の時代ほとんどぜんぶのひとが「ひとさま」は「人様」と打っていることになる。こうなるともう「他人様」と書いて「ひとさま」と読ませることは通用しない。Google-IMEで「他人様」を出すには「たにんさま」と打たねばならない。

数年前の「たかじん」で、三宅久之さんが「たにんさま」と言った誰か(勝谷かな)に対し、「たにんさまじゃありません、たにんさまと書いてひとさまと読むんです!」と注意していた。世の中、三宅さんの感覚とはちがう方向に進んでいるようで残念だ。

勝谷が「消耗」を「しょうもう」と言った時も三宅さんは叱った。「しょうこう」だと。消耗はしょうこうが正しい。でも部首の想像から「しょうもう」と読むひとが増え、いつしかそちらが優勢になってしまった。今時「消耗品」を「しょうこうひん」と正しく読んだら誤読とされるだろう。
これはいわゆる部首から推測する「百姓読み」というやつだ。過日テレビのアナが「脆弱」を「きじゃく」と誤読したときにも書いた。これも「百姓読み」である。

この場合の「百姓」は一般人を示す普通の語なのだが、今の日本では「農民に対する侮蔑語」として弾かれてしまうだろう。漢字の本家支那には今も「百姓酒家」なんて店がふつうにある。もちろん農民限定の酒場ではない。
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