2012年05月

ことば──「もう1回反すう」という表記──野田首相の談話から

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野田首相と小沢一郎議員の会談があった。増税に関して意見が合わず物別れだったとか。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE84T04V20120530?sp=true



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 会談のあとの首相インタビュウ。
 以下の文は、野田首相のことばに対するURLの「文章表記」に関するものであり、首相批判ではありません。



「きょうはかなり率直な天下国家の議論ができた。そのことをもう1回反すうしながらどうするか考えたい」と述べるにとどめた。

 この「もう1回反すうしながら」という数字とカナ交じり文は醜い。ネット時代になってもあいかわらず新聞系はこんなことをやっている。数字関係はアラビア数字に撤している。
 「反芻」を「反すう」では意味がわからない。



 これでもう条件反射で思い出すのが「ら致」だ。
 高島俊男先生も初期の『お言葉ですが…』で取りあげていた。

「学生ら致される」という新聞の見出し。
「学生ら、致される」とは何だろうという話。「学生、拉致される」。

 同じく北方領土近辺の漁船事件では「だ捕」が乱発された。「拿捕」。

 高島先生の意見のように、そんなにまでして使わなければいい。「ら致」「だ捕」と意味不明のことばを使うなら、別の日本語に置きかえるべし。

 新聞記者の感覚ってへんだ。率先して漢字制限に協力しながら、というかもうそれすら通りこして、自分達の感覚であらたな漢字制限までしつつ、一方ではこんなカナ交じり語を平気で使う。
 このへんにも新聞記者という特権階級の歪んだ感覚が垣間見える。



 牛のあれで有名な「反芻」の、こういう場合の意味あいは、「あらためて、もういちど、解釈を試みる」という意味であり、こういうときの「もういっかい」は、決して回数の「もう1回」ではあるまい。

 私だったら「もういっかい反芻しながら」と書く。

「反芻」を「反すう」と書くぐらいなら別のことばに置きかえた方がいいが、首相のことばをそのまま伝えるとしても、だったらそのまま漢字で表現し、読めない人のためにカナを振ったり、欄外で説明すべきだ。まずなによりも「反すう」をかっこわるいと感じないひとには記事を書く資格がない。この記事は、全体的にもへたな文だった。

 ネットで読む新聞記事には、へたなもの、お粗末なまちがいが多い。30歳で知りあい60歳の今も親しいふたりの親しさを強調するのに、「まさに竹馬の友である」と書いているのには惘れた。ふたりがいまどんなに親友でも、それは「竹馬の友」ではあるまい。

 一方、素人の書くWikipediaでは、これでもかと難読漢字が使われている(笑)。
「弁える」「購う」「窘める」「綰ねる」「嘯く」とか、やりすぎだ。あれはあれでビョーキと感じる。「おまえはテレ朝の安直なクイズ番組か」と突っこみを入れたくなる。くだらん漢検にでも凝っているのか(笑)。
 
 むずかしい漢字を連発すれば上質な文章になるというものでもない。すぐれた文章の基本は、わかりやすいことである。Wikipediaなんてものに書くのに、なんであんなに肩に力が入るのか不思議でならない。あそこはそういう素人の晴れ舞台なのか。

期待する政治家3位に前原???──産經・FNN世論調査

全文は http://news.livedoor.com/article/detail/6581658/を読んでもらうとして。

評価する政治家が、ベストの順で、橋下徹、石原慎太郎、前原誠司。

評価の低かったのが、ワーストの1.2.3の順に、鳩山、菅、小沢。 

前原ってそんなに人気があるのか。わからん。

「こども」を楯にする感覚──がれき処理反対の妊婦──煽る<きっこさん>

先日、「こども」を全面に出す人は、こどもを「前面」に出している、ような

というのを書いた。 

今日も同じ事を感じた。
がれき処理反対の現場に妊婦がいて、警備する警察官ともめたらしい。

早速<きっこさん>がツイートする。



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 べつに妊婦は職業ではないから、差別を怖れて「ラーメン屋さん」「八百屋さん」と「さんづけ」するように、「妊婦さん」とさんづけする必要はない。なのにするのは、そのほうが「弱々しい、いたいけな、護らねばならない存在」とアピール出来るという計算なのだろう。すくなくともふだん<きっこさん>は「妊婦さん」とさんづけはしていない。

 警察が「妊婦さん」を「容赦なく逮捕した」のかどうか知らないが、公務執行妨害をするなら、処女であろうと妊婦であろうと生理の上がった婆であろうと、そりゃ逮捕するでしょう。妊娠しているかどうかなんて関係ない。だって成人がそのひとの意思でそういう現場に来ているのだから。

 <きっこさん>のこの「まるで」という文章によると、暴力団や右翼は「妊婦さん」を容赦なく逮捕するらしい。聞いたことのない話だ。むしろスターリン、毛沢東から連合赤軍まで、左翼の粛清のほうがよほど怖いと思うが。



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 揉みあいになる現場にいればケガもするでしょう。その前線の現場にいたのなら「何もしていないのに」ではない。戦場で流れ弾に当たり、「私は戦争反対なのに」と言っているのと同じ無意味。幼稚。



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 盛りあげたい<きっこさん>からしたら、「妊婦さん」は警察官に突きとばされて流産でもしたほうが理想的だったのだろうが、残念ながらそれはなかったようだ。それどころか最初に書いた「妊婦さんまで容赦なく逮捕する警察! まるで暴力団か右翼のようだ!」がまちがいとわかり、リプの形でそれとなく訂正している。このへんの悪質な誤誘導は、まるで反日のサヨクのようだ(笑)。私のほうが文章として筋が通ってるね。



 冒頭の先日書いた文章にもどって。

 なぜこういう現場に「妊婦さん」が行く必要があるのか。
 お腹のなかのこどもの未来を思ったら、行動せずにはいられなかった、とでも言うのか。
 お腹のなかのこどものことを思ったら、流産やケガを案じてそういう現場に行かないことが子を思う心ではないのか。

 こういうのも「こどもを楯にする感覚」だ。

「妊婦の私を排除できるのか! お腹の中にはこどもがいるんだぞ! そんな私を排除できるならやってみろ!」と、自分の主義主張をアピールするために妊娠を武器にしている。

 この種の連中は、自分のミスで流産しても、「警官に暴力を振るわれて流産した」なんて言いだしかねない。
 輿論を盛りあげリードするためなら「お腹のなかの子」も道具だ。
 もともとそれが目的だったのに、警官が暴力をふるってくれず、うまく流産できなかったのか。



 心ある自治体ががれき処理を引き受け、日本中がひとつになって復興に力を合わせようというとき、「おれんところにだけはそんなものもってくるな」という我慾。それを正義とかんちがいした感覚。

 好き放題に暴れる連中を前に、手を出すことは許されず、ただひたすら「人間鎖」となって、身を挺して護るだけの警察官があわれだった。逆に彼らがこの連中にケガをさせられてもメディアは取りあげてくれない。職務とはいえ、くやしいだろう。

ChromeがついにIEを抜く──IEの強いのはアメリカと日本

Google Chrome、世界ブラウザ市場で初のトップに――StatCounter調べ

 米GoogleのWebブラウザChromeが、アイルランドのアクセス解析サービス企業StatCounterによる5月14日〜20日の週の世界ブラウザ市場調査で、米MicrosoftのInternet Explorer(IE)を抜いてトップに立った。週間の調査でChromeがトップに立つのはこれが初めてだ。

 この週、Chromeのシェアは32.76%、IEは31.94%だった。3位のMozillaのFirefoxは25.47%、4位は米AppleのSafariで7.08%、5位のOperaは1.74%。

 月間でのシェアでは5月22日現在、IEが32.42%、Chromeが32.29%とIEがわずかにChromeを上回っているが、月末には月間でもChromeがIEを超える可能性が高い。

 Chromeは、昨年11月の世界ブラウザ市場で初めてMozillaのFirefoxを抜き、2位になっていた。

 国別では、米国や日本ではIEが、ドイツ、フランスなど欧州ではFirefoxがトップ。Chromeはインドや南米などの新興国で強い。

 StatCounterの調査は、世界の約300万のWebサイトの1カ月当たり150億程度のページビューの分析に基づいている。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120522-00000023-zdn_n-inet 

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 とうとう逆転か。
 これが数字以上にすごいのは、ほとんどのひとはパソコンを「買ったまま使っている」から、デフォルトで入っているIEをそのまま使っているのに対し、ChromeであれFirefoxであれ、その他を挿れる人は、「あえてダウンロードして挿れる」ことだからだ。そこに「行動」がある。
 むかしはブラウザは買わねばならなかった。IEとNetscapeの時代だ。洗練されていたからNetscapeが優勢だった。だがMSがOSにIEを附けるようになってからは一気に逆転した。というかもう寡占状態になった。そりゃOSに無料で附いてきてすぐ使えるのだから敢えて他のものを使うひとなどめったにいない。



 私はIEの使いにくさと、MSの「おれんとこのOSを使うんだからブラウザもIEを使え」という押しつけがましい傲岸さを嫌った。そしてNetCapterというすぐれたブラウザと出会いIEと縁を切ることができた。しかしMSの傲岸さは嫌いだったけどIEがすぐれたブラウザであり十分に使いやすかったら使っていたと思う。明らかにIEというのは、OSの提供者であるMSが、「おまえらにただで使わせてやっているんだ」という高飛車な態度の、「痒いところに手の届かないブラウザ」だった。IEのそれに不満を持つ有志が、続々とその「痒いところに手の届くブラウザ」を開発し始めた。

 私はIEという痒いところに手の届かないブラウザを嫌ったけど、同時にまた、世間一般はその「痒ささえ感じない」らしく、IEに多くのひとが満足しているようだから、IEを逆転するブラウザはもう無理と思っていた。
 MozillaのFirefoxが健闘したけど、所詮は「IE70% Firefox20% その他10%」でしかないと思っていた。

 なのにChromeは、とうとう、しかもあっさりと、IEを越えてしまった。驚愕としかいいようがない。




 絶対的な立場のナンバーワンを新種が凌駕したことでも、たとえばGMの自動車販売数をトヨタが抜いたというのとはすこしちがう。クルマは誰もが撰んで買うものなのに対し、プラウザは、Windowsを買ってきたら、最初にIEが入っていて、それで問題なく使える。敢えて他のものにする必要はない。
「これじゃないものにする」という「智識」と、そう「意識」して、「行動」しなければならない。
 その「意識」がついにIEを越えたのだから、これはすごいことだ。

「最初に誰もにIEありき」であることを考えると、この逆転は価値がある。Chromeをβ版の時から人柱となって使ってきた身にはなんとも感動的だ。
 といってもちろん礼讃ばかりではない。個人情報が集められると気味悪がったりもした。最初のChromeはことわりもなしにやっていた。のちに承認制になったが。そのこともあって、今もChromeよりも互換のCoolNovaやIronのほうを重用している。

 Chromeタイプに慣れたらIEは不満だらけになるのは確か。私はマルチタブブラウザに走り、IEを14年ほど使っていないからIEのことは詳しくないが、それでもWindowsではデフォルトだから、IEの8や9が出たら自然に入ってくるし、OS再インストールの時などは最初はIEを使わねばならない。

 IEでないと受けつけないサイトなんてのともたまに出会う。そういうときはそのサイトを諦める。たしか古いテレビ動画を見られるギャオスとかいうのがそうで、IEを使いたくないので見るのを諦めた。それぐらい嫌いだ。遅ればせながらタブ型になったのはいつから? 7から? 8? IEもむかしと比べたらとてもよくなっている。と思う。でもMSでないところが開発したBrowserはIEのずっと先を行っていた。それはまた当然である。「IEに不満を持っているひとたちが作り始めた」のだから。



米国や日本ではIEが、ドイツ、フランスなど欧州ではFirefoxがトップ。Chromeはインドや南米などの新興国で強い。 

 これは興味深い。アメリカ、日本では、そのままIEを使っているひとが多いのだ。「アメリカをひとことでいうと田舎」という言いかたがあり、私も体験から同意するけど、こういうところにもそれを感じる。ジャンクフードを喰いまくる太ったアメリカ人が何の疑問ももたずそのままIEを使っている感じ。
 底辺のひろいアメリカ、日本にはBrowserに凝るひともいるが、そのままIEを使っているひとが大多数ってことか。

 ドイツ、フランスがFirefoxってのは、もろにイメージ通り。がんこであり、押しつけられるものを拒む感覚の欧州人がIEを拒み、Firefoxを撰んで使うのが目に浮かぶよう。

 一方、Chromeがインドや南米で強いってのは意外。というか思ったこともなかった。ただインドはパソコンに関しては決して新興国=後進国ではない。時差を利用してアメリカの仕事を受けているPC大国だ。
 南米は疎いのでわからない。南米のパソコン好きがIEではなく、敢えてCromeを使うというイメージが浮かばない。やはり知らない地域はイメージ貧困になる。インドと南米に親しいパソコン好き友人がいないので浮かびようがない。Chrome愛好の私の感覚はインドや南米にちかいらしい(笑)。



 アサヒシンブンあたりがやる500人程度の輿論調査なんて信じないが、さすがに150億のページビューが基本だと重みがある。  

レディ・ガガやジョニー・デップも入れ墨があるがと橋下市長に尋ねるマスコミ──まじめに応える市長──それを記事にする新聞

橋下市長「タトゥー市職員、ガガさんでも断る」
 
 大阪市職員110人が入れ墨をしていた問題に関連し、橋下徹市長は17日の記者会見で、歌手のレディー・ガガさんや俳優のジョニー・デップさんが入れているようなファッションとしてのタトゥーについて見解を問われ、「ガガさんやデップさんが大阪市職員になるなら断る。歌手や俳優だから支持されるのであって、公務員の入れ墨は許されない。(ガガさんらが)大阪市を受けるわけはないが」と述べた。

 橋下市長は「僕も大阪府知事になるまで茶髪だったから偉そうなことは言えないが、公務員になるから黒に戻した」と説明。

 環境局で入れ墨をしていた73人のおよそ半数が「市役所採用後に入れた」と回答していることについては、「なぜ平気でできるのか。それなら大阪市を辞めて、許されるところで個性を発揮してもらったらいい」と述べた。(2012年5月18日  読売新聞)


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 わしは若毛の居たりで前身に倶利迦羅紋紋を入れとる 服役寺に歯ブラシ削て全珍に8コ入れとる おなご ヒイヒイいうで<笑い> qj たまらんで  つるたろは真珠イチコだけ ぜんぜんちゃうで

 わしも公務員になりたかたけど あきらめた それがスジいうもんや
 臥牙丸も市役所員はphあきらめたほがいいと思う



 むかし琴天太は左腕に虎の入れ墨があたのでサポタで格下よ
 おすもさんも入れ墨現金 テンタ gj わかいね 

kototenta


 後のアース・クエイク、ジョン・テンタね もうしんでる

johntenta

 これから歌手をめざそと思う
 入れ墨に冷たい釈書なんか こちらかおさわらよ

 おひさしぶりねでMacつかてロマ時入力 ニホンコすこしへん ことえりオバカサン コメンなさいねあのひのことはこいのいみさえしらずにいたの 

LenovoのThinkPadキーボードがMacbook型に──ThinkPadの終焉

IBMノートブックといえばその良質なキーボードが特徴。そのIBM PCを受け継いだレノボが従来型キーボードを廃止し、AppleのMacbookタイプのキーボードへ完全に移行することを決断した模様です。

すでにノートブックの一部はアイランドタイプのキーボードを取り入れていましたが、モデルチェンジに伴い、伝統のキーボードを全廃することになり海外では嘆きの声が上がっています。

http://news.cnet.com/8301-1023_3-57435504-93/lenovo-dumps-classic-keyboard-on-new-thinkpad-laptops/

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thinkpad
 これが来月から発売になるというキイボードのタイプが変った新型ThinkPad。

 なんでこんなことをするのかなあ。
 たぶん「薄型にするため」だろう。そのことではMacのキイボードはすぐれているけど、それ以前にThinkPadは、日本IBMが開発したあのキイボードの使い易さこそが美点だったのに……。
 まあそれがChinaの企業には通じなかったってことか……。

 このことで、「おお、Macみたいだ、かっこいいな」と売れるようになるのか。私にはむしろ「むかしからの固定ファンを逃がしてしまう」ように感ずるが。



 私がいま使っているThinkPadは、右下のThinkPadの貼りつけ文字の上に「IBM」とあるもの。これが入っている最終世代。でもすでにLenovoに売却されていて、生産もLenovoだから意味のないこだわりだけど、世界中を一緒に回った「IBM ThinkPad」への愛着を断ちがたく、未練たらしくその機種を買った。

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                     ↑ このIBMマークが誇り

 これはWikipediaからもらってきた映像。さすがにいま私が使っているのはここまでは古くない(笑)。しかしこのむかしのゴツい武骨なデザインがいいな。スタイリッシュなMacとは対極だ。

 Macbookを今風の小顔の美男とするなら、ThinkPadはエラの張ったデカ顔の汗臭い男。丈夫で長持ち。おしゃれじゃないけど、いざというとき、いちばん頼りになる。それがよかったのに……。

 今回のこの事件、IBM ThinkPadを愛用してきたものには痛哭の変更となった。



 2ちゃんねるのPCニュースでは、私と同じくこの変更を嘆くひとが集っていた。いくつかを引用させていただく。

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/05/18(金) 08:45:39.78 ID:???
3Dゲーに走った国内ゲームメーカーと同様に、自分たちの強みを「捨てて」流行(?)に便乗しようとするから、確保していた客まで逃してしまう愚策。

 「確保していた客」を確保し続けるより、それらに逃げられても、これからゲットする新規客のほうが多いと読んだのでしょうね。 

8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/05/18(金) 09:58:00.58 ID:3Fc61tQN [1/2]
もうこれでレノボを選ぶ理由が完全になくなった

※ 

9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/05/18(金) 12:20:47.58 ID:???
まぁ俺はIBMで無くなった時、すでに見捨ててるんだがなw
レノボになって肝心のKBも質が落ちたし。

それでも他よりはマシと居残ってたユーザーまで切り捨てたかw
本当、馬鹿だなぁw

 私もLenovoへの身売りに愕然としながらも、その後も「それでも他よりはマシと居残っていたユーザー」だった。ほんとにこれでレノボにする理由がなくなった。



 PCに関する自分の文章を読み返すと、やたら「ThinkPadのキイボードはいいなあ」と出て来る。私がPCをいじる割合は90%以上自作のデスクトップ機だ。デスクトップ機でのキイボードは6台ほどを気分によって使い分けている。今は黒のロジクールワイヤレスに厭きたのでバッファローの白の有線にした。これはつい先日思いつきで買った安物なのにとてもよい。「安物でもいいのがあるんだ」と感心している。

 そういう合間にThinkPadに触ったりすると、必ず「ThinkPadのキイボードはいいなあ」と書いてしまう。さすがにThinkPadだけの環境だったら毎回そこまで誉めることもないと思うのだが、たまに触るものだから、触るたびに誉めている。週に一度しか会えない妻に遭うたびにほれ直すようなものか。

 デスクトップ機用の外附けフルタイプと比しても負けないのだから、まったくもってこのノートブックのキイボードはすぐれものだ。

 ノートのそれが優れていたから、デスクトップ機用の外附けにもThinkPadキイボードを使っていた。このタイプもLenovoになって品質が落ちた。下の写真はIBM時代の良質だったThinkPad型キイボード。12000円ぐらいだったか。

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※ 

10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/05/18(金) 12:30:50.76 ID:???
レノボになってからしっとり感は無くなったよな
IMB時代のは使い込むとテカテカになるのが良かった

 ほんとですねえ、使いこむとキイがテカテカになった。古臭くなるんだけど、なんか、一緒に歩んでいる相棒って感じでいとしかった。

 8年前、父が死んで田舎を離れるとき、8台のノートブックを物置に置いてきたが、1台だけ、下のThinkPadはもってきた。すでにその時点で能力的に使い物にならなくなっていたし、後継のDellの新型がもうあったが、一緒に世界を回ったタフガイだけは、その後もそばに置いておきたかった。

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 これバンコクのホテル。2000年。このときはまだ新品のThinkPad。やがて壊れたけど捨てられず今も持っている。もう1台は田舎の物置に置いてきたSony Vaio C1。旅先に2台もっていった。しかも外附けのDVDプレイヤーを持って行くのでは小型軽量の意味がない。

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 Canonのプリンタも携帯していた。まだ完全に電子メール送稿になっていず、週刊誌原稿はプリントアウトしてファクスしていた。ファクス代が高かった。

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 これの前は、写真のSharp Mebiusのフルノートをもってパリやロンドンを廻ったりしていた。90年代。このMebiusは当時最大の1.4GBのHDDが搭載されていた。ノートにギガバイトのHDDに感激したものだった。
 その前はDynabook。これのメモリ8MBに8MBを増設して、そのメモリ代金が8万円で1メガ1万円の時代と、何回同じ事を書くんだ(笑)。4GBが1500円だったりすると使い道もないのに買いこんでしまうトラウマ。
 これらはみな田舎に置いてきた。あらためてThinkPadラブな自分を知る。

 画面の縦書き原稿は『QXエディター』だ。長いおつき合いになる。Mebiusがいちばん活躍したのはパリか。

 Mebiusが重かったので、ちいさなこれらを買ったのだが、こうして2台もって行き、その他もろもろではよけいに重くなっている。ただタイは毎回2カ月ぐらいいたから、そのために2台もっていったのだろう。バンコクのパンティッププラザ(パソコンビル)で買い物をしていたころだ。日本よりも発売が早いNorton(もちろん英語版)を買ったり、mp3音楽を詰めこんだ違法CDを買ったりしていた。そういやNortonを導入したのは自慢できるぐらい早いほうだったのに、今ではぜんぜん使わなくなってしまった。


12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/05/18(金) 12:34:50.68 ID:3Fc61tQN [2/2]
おそらく洋服や下着や眼鏡と同じように毎日使うものだから
気に入っているかどうかというのは重要
変化の激しいPC業界で唯一無二変らない存在だったものがなくなるのは残念

13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/05/18(金) 13:14:53.86 ID:???
Xシリーズの上位機種もフラット&アイソレーション・キーになるのかな。
トラックポイントが消えるのも時間の問題か。
さよならThinkPad...

 2年前にまたThinkPadにもどった。Dellのひどさに接して、あらためてThinkPadの良さを知った。
 トラックポイントが消えたら完全にさよならだけど、「もしかしたらこのキイボード、使いやすいかも」と一縷の望みをもって、発売されたら触ってみたい。 こんなことになっても、それでも多くの機種を使ってきた私の中で、今もいちばんのノートブックだから。

橋下市長を批判するマスコミ人の基本は嫉妬──エリートの自意識は他者の功名を認めない

前記、マイニチシンブン「余録」に代表されるように、やたら橋下市長に対して批判的なマスコミ人が多い。
 その理由として、独裁だのヒトラーだのハシズムだのと、それらしく、しかつめらしく、かまびすしく言われているが、私はその根底にあるものは、ごく単純に「男の嫉妬」だと思っている。

 マスコミ人は現代のエリートである。わたし個人はべつにそうも思わないけど、それだと先に進まないので、そういう前提で……。いや、エリートじゃないとしても「現代の権力者」ではある。それは思う。



 いい大学を出て、難関の入社試験を突破して、アサヒシンブンのようなところに入る。
 経歴を積み、やがて上記「余録」のような、誰もが注目する言論のページを持つようになる。
 自分の意見を何百万人ものひとが読み、注目される。テレビでも取りあげられたりする。輿論を誘導し、政府の方針すら左右するほどの威力を持つ。

 これはこれで「権力の座に登りつめた」ことになる。大手新聞の社説や看板コラムを書くことは、国会議員になるよりもはるかに権力を手中にした実感があろう。

 しかし「剣よりも強いペン」ではあるが、ペンのことなど意識することなく剣で実行してゆく者の前には、まったく無力でもある。剣にはその辺の雑草を薙ぎはらう実行力があるが、ペンは「雑草を抜きましょう」と喚起する意見でしかないからだ。



 『週刊文春』『週刊新潮』という日本の二大週刊誌が手を組んでやった「橋下徹出自叩き」というネガティブキャンペーンは、極限のペンの威力のはずだった。このペンよりも強い剣など存在するはずがなかった。太刀打ちできるものがあるとしたら、伝説の聖剣と幻の秘技ぐらいだが、そんなものが現代にあるはずもない。文春新潮聯合軍という最強マスコミ軍団の前には、すべてが平伏するはずだった。橋下は木っ端微塵に砕けちり、表舞台から消え、もとのバラエティ弁護士タレントにもどるはずだった。

 ところが橋下徹は、「あのバカ文春が、バカ新潮が」と、「ヤクザのむすこ? おおいにけっこう、けっこうけだらけ」と、伝説の名剣も幻の秘技も関係なく、そのへんにあったこん棒を力任せに振りまわすだけで、最強の文春新潮マスコミ聯合軍を追い払ってしまった。
 理窟屋のペンを、実行の剣が薙ぎはらった瞬間である。



 エリートマスコミ人というのは、中学生に例えるなら(笑)、「試験満点のひ弱な生徒」である。橋下徹は「粗暴な運動能力満点生徒」だ。
 「ひ弱」は、東大合格まちがいなしと言われ、親からも教師からも将来を嘱望されているが、じつのところ「運動満点」が妬ましくてしょうがない。
 密かに思っているマドンナ(国民)も、ちかごろは勉強満点の自分より駆け足の速いアイツのほうを気にしてるみたいだし。



 マスコミ人は、己の職業に誇りを持ち、プライドが高い。政治家なんて俗物の運命は、自分達のペンで、なんとでもできると自負している。
 しかしそこに、いくらペンで叩いても平気の平左の政治家が登場した。
 時には新種のマスコミであるTwitterを利用して、おそれおおくもマスコミ様である自分達に反撃すらしてくる。

 気に入らない。なんとかして消してやると躍起になる。
 しかし一面において、能書きとリクツだけの自分達とはちがい、現実に実行して行く彼に対する妬ましさもある。



 ま、嫉妬だよね。男の嫉妬はネチネチしてしつこい。しかも「橋下なんかよりもおれのほうがエリートだ」と思っているマスコミ人のそれは陰湿で粘着だ。

 これはこれで、ホンモノかニセモノかの識別に役立つ。

橋下市長否定のために入れ墨を擁護する毎日新聞の屁理窟──さすがMBSのあの女アナの親会社

マイニチシンブンの「余録」から抜粋。

「魏志倭人伝」には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん)文身す」とあるから、当時の日本人の男は大人も子供も顔や体に入れ墨をしていたらしい。

ならば入れ墨のない者は当時の役所をクビになったのか??とは、むろん大阪市での職員への入れ墨調査を聞いて頭をよぎった妄想である。
 
▲映画では片肌脱いで桜吹雪を見せる遠山の金さんこと町奉行、遠山景元には本当に入れ墨があったか。
放蕩(ほうとう)ざんまいの若い頃に遊び仲間と腕に桜の入れ墨をしたと記すのは元幕臣の漢学者、中根香亭だ。
 
▲だが香亭によれば、幕府で昇進をとげてからは常に肌着をきつくまとい、夏も脱ぐことがなかったという。
さて景元は「若気の至り」を後悔したのかどうか。
 
大阪市職員の入れ墨事情は人それぞれだろうし、何らかの措置が必要なケースもあろう。ただ未来の景元を失わぬようにするのも組織の「マネジメント」だ。毎日新聞 2012年05月18日
 
http://mainichi.jp/opinion/news/20120518k0000m070123000c.html

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 いやはや、橋下市長を叩くために「魏志倭人伝」を出してきた。「当時の日本人の男は」って、西暦280年頃の風俗を出すことになんの意味があるんだ?

 ならば入れ墨のない者は当時の役所をクビになったのか?? って、1700年前の時代と今を結びつけて、こんなリクツを言うことが恥ずかしくないのか。

 そんなこと言いだしたら際限がない。裸商売が入れ墨を入れるのは昔も今も同じ。山本キッドを見ればよくわかる。身一つで闘う身には神の加護が欲しくなるのだろう。
 
 私は山本キッドの入れ墨が嫌いだ。しかしそれは入れ墨そのものではなく美的センスの問題である。これじゃ躰に悪戯書きしているようなものだ。

yamamoto

sudogenki
 こちらは須藤元気の背中と腕。



 西暦300年ころに書かれた支那の古書「魏志倭人伝」を引いてどうする。その当時の日本人が入れ墨を入れていたと書くことに何の意味があるのだ。いまも裸で暮らすアフリカの部族やパプアニューギニア等では入れ墨を入れている。時代と生活様式で習慣は変る。 「衣服という入れ墨」を被るようになれば直に肌に彫り物はしなくなってゆく。

 憎い敵を貶めるためならどんな牽強附会もするつもりのようだが、己のバカを晒しているだけだ。これがマイニチシンブンの看板コラム「余録」なのである。どんなやつが書いているのだろう。顔を見てみたい。



 さすがに「魏志倭人伝」では古すぎて同意は得られないかと、恥ずかしげに「妄想」と書いたあと、今度は「遠山の金さん」を出してきた。庶民に受けているから、これを味方にしようとしたのか。だったら高倉健の「唐獅子牡丹」も出したらいいのに。いやあれは明らかにヤクザだからまずいのか。

 テレビ映画の遠山の金さんの「桜吹雪」の価値は、入れ墨そのものにあるのではない。「奉行がチンピラ庶民としても生きている二面性」(「水戸黄門」「暴れん坊将軍」と同じ)という絵空事のおもしろさにあり、入れ墨は「あのとき現場で顔を合わせていたチンピラと奉行が同一人物」という証拠として価値を持つ。「この桜吹雪が」と大見得を切ったとき悪人がギョッとするのは、桜の入れ墨に気圧されたからではない。あのとき現場にいたヤクザと目の前の奉行が同一人物と悟ったからだ。そんなことあるかいな。
 とアホなマイニチシンブンにマジメになるのもバカだが。



 大阪市職員の入れ墨事情は人それぞれだろうし、何らかの措置が必要なケースもあろう。

 なにが「人それぞれだろうし」だよ。 単に公務員として自覚がないだけだ。なんでこんなところで懐の広さを見せるんだマイニチシンブン(笑)。

 人それだれにそれぞれの事情があるから、考慮してやらねばならない。だけど、入れ墨を入れていながら公務員になるヤツ、さらには公務員になってから入れたヤツ、をなぜ「人それぞれ」と解釈してやらねばならないんだ。今の日本で、「入れ墨を入れていたらどうなるか」は明白なのに。

 入れ墨を入れるのは自由だ。好きなだけ入れたらいい。山本キッドを見てあらためてそう思う。その山本ですらオリンピックを目ざした時期は、試合の時、サポーターでいくつかの入れ墨を隠していた。

 入れ墨を入れたいなら、入れるなら、入れたなら、公務員になるな。国歌を歌いたくないなら歌わねばいい。なら公立学校の教員にはなるな。それだけの話だ。ルールだ。基本的な決め事だ。そういう職業を選んでおきながら、こっちのそれも通せというのは傲慢。矛盾。我慾。



 橋下市長と無智で無礼なやりとりをして、最後にはヘラつきながら、「今日はこのぐらいにしといてやる」と吉本新喜劇的な捨て台詞を吐いたあのMBSの女アナのようなのがいるマイニチシンブンだから、入れ墨を入れている社員がいっぱいいるのだろうし、それに寛容なのが社風なのだろう。

 ただ未来の景元を失わぬようにするのも組織の「マネジメント」だ。 

 あまりに強引なオチ(笑)。あまりにわざとらしく、失笑すら出ない強引なサゲ。
 入れ墨のある大阪市職員が、未来の遠山の金さんになるかもしれないから、クビにはするなってことか。

 誰が書いたのだろう。
 こういう記者は、こういう文を書いた後、「魏志倭人伝から遠山の金さん……、結びに組織のマネジメント……。ふっ、決まったな」と、自己満足し、得意気な顔をするのか。
 何百万部も発行される新聞の記者が書いたものとは思えない。こういうリクツを述べる自分に恥を感じないのだろうか。

 この記者が、入れ墨をしているひとを庇う文章として書いたのなら、それはそれで認める。でもそうじゃない。
 橋本市長、橋下市政を否定するために、入れ墨側に立っただけ。その姿勢が見苦しい。 

世界に良い影響を与えている国、日本!──BBCの世論調査より

 英BBC放送が読売新聞社などと22か国で共同実施した世論調査によると、日本が「世界に良い影響を与えている」という評価は58%で、「悪い影響を与えている」は21%だった。

 調査は、国際社会に影響を及ぼす16か国と欧州連合(EU)の評価を聞いたもので、「良い影響」は日本が最も高く、ドイツ56%、カナダ53%、英国51%などが続いた。

 日本が1位になったのは、ドイツと並んでトップだった2008年以来。約1年前の前回調査ではカナダ、EUと同率で3位だった。日本への評価をみると、中国と韓国を除く20か国で「良い影響」が「悪い影響」を上回っている。

 「良い影響」で前回1位のドイツが2位、EU48%(前回3位)が6位に後退したのは、欧州の財政・金融危機が影響したとみられる。中国50%は5位(同9位)に上昇した。「悪い影響」は、イラン55%、パキスタン51%、北朝鮮、イスラエル各50%などの順に高かった。

 調査は昨年12月から今年2月にかけて面接または電話方式で実施、計2万4090人から回答を得た。
 読売新聞社は日本国内分を担当した。(読売新聞)


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 日本を貶めることを生きがいにしている反日分子には悔しい結果だろうな。
 下線部分は毎度のこと。
 「主な8ヵ国とEU」ではないKoreaのことはどうでもいいとして、Chinaの「良い影響50%」ってのが不可解。

佐川急便嫌い……なぜこんなに強いのか!──もうすこし頑張れよ、ヤマトの営業!

20年以上前から、何度も何度も書いているのでもう書きたくないけど、まったく、佐川急便てのは……。

同じ品、今日で三度目の紙切れ。私が「留守」っていうんだけど、いるんだよなあ……。

急ぎの資料じゃないからいいけど……。

紙切れが入っている。ケータイの番号が書いてある。
品物が欲しかったらケータイに電話してこいってことか……。

おまえが電話してこいよ。おれはいるんだ。何度も紙切れをいれなくても、それですむことだぞ。
意地でも電話しない。いやそんなことしてたら戻ってしまうか。

なんでいいかげんなんだ、この会社は。
そして、なのになんでみんなこんなのを利用しているんだ。



誰もが佐川はダメだと言っている。やりかたが雑。腹立つと言っている。
その点、ヤマトはいいと言っている。私も同じだ。
しかしここまでくると、「その佐川から仕事をぶんどれないヤマトは何を考えているんだ!?」と思えてきた。 

ヤマトが好きだからこそ、なんでそこいら中、佐川なんだと腹が立つ。
仕事関係、インターネット通販、みんな佐川だ。そんなに安いのか!?
通販でPC小物を注文する。
「佐川急便でお届けします」となっている。
「ヤマト宅急便を御希望の場合は別途500円いただきます」
それでもヤマトを指名するのか。

そんなに佐川の営業力は強いのか。
ヤマトの営業はなにをしているんだ!



起業の頃、「佐川急便」という名が社会的に有名になったのは、「ドライバーでも月給百万可能」だった。めちゃくちゃノルマはきついが、がんばればがんばるだけ稼げると話題になった。「京大卒の運転手」が誕生して話題になった。彼は働きまくって見事に月収百万以上を達成した。
と同時に、肉体的にとんでもなくきついことが問題視もされた。

私は佐川急便を利用することはなかったし、関わりがなければ、創業者はアントニオ猪木の借金をかたがわりしてくれた「いいひと」だと思ったりした。

そのころは他人事だったが、現実にここを利用した荷物が届くようになってくると、そりゃあもういいかげんでひどかった。一日中家にいるのに「不在届」が入っている。おそらく「荷物が欲しかったら、そっちから電話してこい」と紙切れを入れまくっているのだろう。いるかいないかわからないところを訪問しているより、それをしたほうが効率的だ。ノルマで収入が決まるなら、客に電話を掛けさせ、届ける時間を確認して行けば確実に数をこなせる。
客に荷物を届けるというサービスより、「件数をこなして収入を上げるというドライバー側のリクツ」が優先されている。

そうしてドライバーというありんこを酷使し、そこから吸いあげた金で猪木の何億もの借金をかたがわりしてやってるのかと思うと、今度は創業者も猪木も嫌いになってくる(笑)。



佐川を使っている企業側のひとも、自分が受けとる側にまわり、佐川のひどさを知ったら、決して佐川とは契約しないだろう。

もしも私がそっち側だったら(ま、そんなことはありえないんだけど)、私は絶対に佐川急便は使わない。

ほんとに、ほんとに、ほんとに、イヤな会社だ。 ドライバーにどんな教育をしているんだ。

それでもこれだけ世の中「佐川急便」だらけなのだから、よほど安いのだろう。そうとしか考えられない。



会社側のニンゲンてのは、安く利用できるという理由だけで、相手のことなんか考えていないのだろう。
20数年前、コピーライターをしているとき、大阪の広告会社から毎週資料を送ってもらうのだが、どうにも佐川急便のいいかげんさが我慢できなくて、私だけ佐川ではなく郵便にしてもらったことを思い出す。その会社はぜんぶ佐川急便を利用していたから事務の女性に迷惑を掛けることになった。私はわがままを言わない方だけど、どうにもこれだけは我慢できなかった。 それほどひどかった。毎週佐川とのやりとりだけでノイローゼになりそうだった。

四半世紀たったけど、なにひとつ変っていない。この会社のドライバーはいいかげんだ。それはたぶん佐川急便という会社が悪い。そういういいかげんでないとやっていけないシステムなのだろう。



それにしても、これだけ怨嗟の声が満ちているのに、その佐川から仕事を奪えないヤマトの営業ってのはなんなのだろう。企業に電話するなんて今まで一度もしたことないけど、ヤマトに電話して問うてみたくなった。

「こども」を全面に出す人は、こどもを「前面」に出している、ような

反原発や放射能や、ブログやツイッターでの、いくつもの論争を見聞して、

論争において、やたら「こども、こども」とこどもを全面に出す人は、

一見、こどもを後ろ手に庇い、あらゆる石つぶてを自分の顔面で受けて、血塗れになりつつ、
「未来を担うこどもを傷つけるなら、さお俺を殺せ」と言っているようでいて、じつは、

こどもを「前面」に出し、こどもの後ろに隠れ、「殺せるか、このかわいいこどもをおまえらは殺せるのか」と、
飛んでくる弾や矢をぜんぶこどもに受けさせ、楯にして、前進している、

ように感じた。 



やたら「こどもが、こどもが」と言っているひとの言説をよく読んでみるとわかる。だれでもわかる。

こどもがいないひとでも「こども」さえ出せば正義の味方だから、
それこそもう三人もこどものいる母親だったりしたら最強。否定できるひとはいない。
「あたしはどうなってもいい。ただこのこどもだけは、命を懸けて護る!」
これに異論を挿めるひとはいない。

こどもを楯にして、「こども、こども」と叫んでいれば最強の論客?として通用する。

「動物好き」なんてのも同じだね。

それはまた逆に、まともなことを言っているひとは、それをかざしてはいない、ということでもある。



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これは「マヨネーズデマ」を流した<きっこさん>のツイート。文章としては「そうとう防腐剤やら何やらが入ってんだろうなって思う」で十分。 つけたすにしても「あたしも母さんも食べない」だ。

しかしそれでは不安を煽れない。
そのあとに「あたしに子どもがいたら絶対に食べさせない」と、こどもはいないのに、「いたら」と假定してまで「こども」を出す。こどものいるひとたちの不安を煽る。
典型的な「こどもを利用して効果的にするデマ」である。 

<きっこさん>は独身。母子家庭。子どもはいない。という設定。
でもマヨネーズは危険な食品だと無知蒙昧の絶叫をするには、「あたしと母さん」だけではアピールが弱い。
そこに「こども」を登場させると、一気に真実味をおびる。 

「こども」をどんなふうに利用しているか、その一点だけで、そのひとが見えてくる。



なお、「マヨネーズは防腐剤が入ってなくても日持ちします」。それはこちらにまとめたので読んでください。このきっこというオヤジ(64歳の男です)がいかに無智であるかがわかります。

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<きっこさん>の煽るマヨネーズ不安──デマの初歩



参考──こどもをふりかざすことで、自分を無敵の論客とかんちがいして恥を掻いた人の例


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「ずっと福島の子供達を心配し応援してきた」という前提と、「私のムスコは福島の娘と結婚させない」という差別結論がリクツになっていない。最後の高飛車な「ダメだね」は、どこから出てきたのか。
こういうバカ親から生まれたムスコが不憫である。でもこういう女のムスコだから憐憫には価しないか。 

私も日本の将来を担う「こども」のことは思っている。私に出来ることは、こういうバカ女の存在を、「5年後10年後」も語りつづけて行くことだ。Twitterでこんなトンデモなことをほざいて、隠れればそれですむと思うなよ。鎌田千詠子!

猫ひろし──オリンピック出場消滅──4年後、8年後、12年後、16年後、20年後を目ざせ! オリンピックは続く、そのままカンボジアに定住しろ!

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 猫ひろしのカンボジア国籍でのオリンピック出場が取消しになったらしい。よかった。
 いまさらもう名前を書くことすらいやなのだが、以前いくつか意見を書いているので、このままほったらかすのも無責任。まとめた。もうこれでこの不愉快な出来事とは無縁になれる。ほっとする。

●カンボジアからオリンピックに出ようという猫ひろしという名の国辱

 これを書いたのが2月13日。【芸スポ萬金譚】だった。以下は【木屑鈔】。

●猫ひろし、カンボジアからオリンピック出場──創価学会の栄光──アイネスフウジンとナカノコール

 これが3月26日。 

●猫ひろし、スポンサー契約でボロ儲け──カンボジアが「猫ひろし従軍慰安婦」で賠償を求める日

 これが3月28日。

●猫ひろし問題──国籍変更を仕掛けたのはホリエモン

 これが3月29日。 

 四つも書いていたのか。それぞれ長いからかなりの文字数だ。
 くだらない芸能ネタのようだが、これは私にとって大きな主題だった。



 たとえば「肌色の問題」。人種差別のある国における「名誉白人」という称号。本来は黄色の有色人種だが、金があるから特別に白人扱い。これは自慢できることか? なんとも恥ずかしい。

 たとえば「湾岸戦争」。聯合の一員として参加せねばならない。しかしあの憲法もどきによって派兵できない。で、「金は出すから」という結論。 「敵対する連中と仲間のみんなで殴りあう」という場面で、「食費とケガしたときの医療費はおれが出すから」と言って殴りあいに参加しないのだから男としてクズ。(英米の石油利権によるあのくだらん無意味な戦争に日本人の命をかけなかったことは肯定するが、その英米と「一緒に殴りあいする」という仲間の契りを結んでいたのは事実。) 

 憲法もどきに縛られ手を出せない日本人は、その代わりの武力としての経済力でみっともないことをいくつもやってきた。それらは、まともな憲法をもっていれば、正規の国軍があれば、するはずのないことだった。



 スケールはちいさいが猫ひろしのこれも同列の問題。それらのことは上の四つに詳しく書いているので省く。
 言いたいのはひとつ、「逆だったらどう感じるか」。貧しい国日本が、大金持ちの国から、こんなことをされたらどう感じるか。それは喜びではない。屈辱だ。

 現実問題としては、カンボジアの庶民は日々の暮らしに精一杯で、こんなことに怒る餘裕はない。ほとんどの国民は知りもしないだろう。なにしろオリンピックそのものが遠い。

 だからこそ、決してしてはならないことだ。それこそオリンピック精神に悖る。わたし、オリンピック精神なんて認めてないし、あんなの大国の利権だし、大嫌いだけど。まあここは方便(笑)。



 ほんとにもうどうでもいい「芸能ネタ」なのかも知れないが、私には看過できないけっこう大きなテーマだった。

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(この写真は ぬるっぱち@湯豆腐Lv6 ◆Null.DTdoM  さんのコラージュです。)

 従軍慰安婦なんてものはなかった。もちろん軍人相手の朝鮮人売春婦はいたが。
 売り手と買い手。金銭商売。なんの問題もなかった。誰も気にしなかった。だが、そこそこ国力をつけてきたところに、売国奴のアサヒシンブンのようなのが、「強制」と「涙」を捏造し、火を点けて盛りあがると、今のような気運になる。あちこちに「従軍慰安婦像」を立てて、騒ぎたてる「有力な外交ネタ」にまでふくらむ。

 たっぷり金を儲けて笑っているおばさん娼婦達の写真もあるのに、いきなり「強制連行されて性交奴隷にされた少女」というイメージで「従軍慰安少女」になっている。いやはやなんとも。
 朝鮮半島に火薬をつけて上の写真のように宇宙の果てに飛ばしたい。

 猫ひろしも同じ。カンボジアが国力をつけたら、「日本はかつて我が国のスポーツ界にどれほどの屈辱を強いたか」なんて騒ぎ始める。悪い芽は早く摘まねばならない。



 しかし、なにをどうすればこんな失礼な発想が出来るのか。発案者がホリエモンだというのがよくわかる。金もうけはうまいが人の心のわからないニンゲンらしい発想だ。

 それが望む形で決着したので、うれしい。でもそれははしゃぐようなよろこびではなく、しかめっつらの溜め息だ。二度とこんな醜い問題は起こして欲しくない。なんとも不愉快な事件だった。



 猫ひろしのブログに以下のような「ご報告」が載ったのが3月28日。

(念のために書いておきますが、以下の猫ひろしのブログからの引用等は、いま調べてやっています。私は猫ひろしのブログに行ったのは初めてです。やっているのは知ってましたが行きたくないので行ったことはありません。つまり、この問題にとても興味がありましたが、私は猫ひろしのブログを読んで日々観察するようなことはしていません。関わりたくない、忘れたいイヤな話なのですから当然です。)



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 と「ご報告」をしたあと、こんなことをやってはしゃいでいる。

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 (但しカンボジアで)というギャグのつもりの但し書きが失礼だ。

 たとえば「猫ひろし 教皇に拝謁!」とやり、そのあとに(但し創価学会教皇)と書けば、こいつにもその失礼の意味が解るだろう。これはローマ教皇に対して創価学会教皇をコバカにした但し書きだ。それと同じ。
 自分のやっている非礼を認識しろよ、創価学会芸人!

 目白大学ってのを卒業しているのか。聞いたことのない大学だが、どの程度かは想像がつく。りっぱな卒業生をもって在校生も誇らしいことだろう。


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 しかしめでたく出場は取消しとなる。

   お笑いタレントの猫ひろし(34)のロンドン五輪マラソン出場が消滅した。

 国際陸上競技連盟はきのう8日(2012年5月)、カンボジア代表としての国際大会参加資格を満たしていないとしたためだ。猫は去年10月にカンボジア国籍を取得し、2月の別府大分毎日マラソンで2時間30分26秒を出して当時のカンボジア選手のなかでは最高記録だった。
 
   国籍変更選手の国際競技参加には「国籍取得から1年以上経過」というルールがある。また、「変更後1年が経過していない場合」には(1)連続した1年の居住実績(2)国際陸連理事会による特例承認のいずれかをクリアする必要があった。

 猫は09年からカンボジアを行き来してビジネスもしていたが、連続して1年は住んでおらず、カンボジア陸連は「特例」を申請していた。国際陸連は猫は「特例に該当する理由がない」と拒否した。

   また、猫を代表に決めたあと、カンボジアの他の選手が猫を上回る記録を出すなど、微妙な雲行きにもなっていた。

   キャスターのテリー伊藤「残念ですね。前に番組に出てもらった時、選ばれなくてもカンボジアの選手として走るといっていた。4年後にもう1回走るという気持ちでいてもらいたい」(J-castニュース)

 あたりまえだ。住んでもいないしことばもしゃべれない。こんなバカな話はない。「特例に該当する理由がない」は極めて妥当。



 そのころ、情報が遅れたのか本人はこんなことを得意気にツイートしていた。

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 山篭もりして自分の躰にツンデレしてたんだって。
 オリンピック出場になって、今度は取消しで、オリンピックにもツンデレされた? あ、逆か? デレツン?

 めでたく出場取消しと確定したが、本人とは連絡が取れない。



猫ひろし事務所も困惑 まだ本人と連絡取れず
 
スポニチアネックス 5月9日(水)7時1分配信
 
 五輪出場が消滅したことで、猫ひろしの所属する「ワハハ本舗」も困惑した。

 関係者は「(五輪消滅は)報道で聞きました。本人は国内にいますが、まだ連絡は取れていません。カンボジア・オリンピック委員会からは何の連絡もないので、まだよく分かりません」と話した。会見などの予定についても「(正式な)連絡があれば、対応を検討したい」とだけ答えた。

 
失踪か、と話題になる。全力疾走とツッコミが入る。 

※ 

 そのあと、本人がファクスでコメントを発表。
 
 ロンドン五輪出場が消滅したお笑いタレントの猫ひろし(本名滝崎邦明、34)が9日、所属事務所を通じてマスコミ各社にファクスでコメントを発表した。

 「今回、カンボジア王国の代表としてロンドンオリンピックへの出場が不可能となりました」と報告。「正直本当に残念な気持ちでいっぱいですが、これまでたくさん協力していただいたカンボジアオリンピック委員会の方々やスタッフの方々には本当に心から感謝しています。そして応援してくださった多くの皆様にも、心から感謝申し上げます」と複雑な心境を明かした。

 「ロンドンオリンピックには出場できませんでしたが、今まで練習してきた事は決して無駄にはなりませんし、これからも芸人としてそしてランナーとしても頑張っていきます」と前向きにつづり、国籍変更など今後の対応について具体的には触れていないが「引き続き、カンボジアと日本の両国を活動の場として、日々精進してまいります」と決意を表している。(スポニチ)



 このコメントを受けての意見。有森は、テレビ新聞が浮かれているときも、一貫して批判的なことを言っていた。
 これみんなスポニチ。この問題に熱心だったんだな(笑)。しかし下手な文章だ。記者のレベルが低い。

 昨年10月に国籍を取得したカンボジアで、ロンドン五輪男子マラソン代表に選ばれたタレントの猫ひろし(本名・滝崎邦明、34)について、国際陸上競技連盟が参加資格を満たしていないとの判断を同国陸連に通達、出場が不可能ににったことが8日、分かった。 

 ▼有森裕子さん(女子マラソン・バルセロナ五輪銀、アトランタ五輪銅メダリスト)
 世界の共通ルールで判断されたことはスポーツ界にとって大事なことだと思う。(マラソンを通じてカンボジアとの国際交流に尽力)

 ▼ワット・チョムラーン・カンボジア・オリンピック委員会専務理事 
 猫さんには今後もカンボジア選手でいてほしいが、それは彼次第だ。もし彼が(カンボジア人を)やめるようなことがあれば残念だ。(スポニチ) 

  ワット・チョムラーン・カンボジア・オリンピック委員会専務理事さん、その心配は無用です。彼は今後もカンボジア国籍でカンボジア人であり続けます。これからはカンボジアに移住し、4年後のオリンピック出場を目ざしてそちらで暮らすでしょう。まさかオリンピックに出られなくなったから国籍を戻すとか、そんなことはしません。そんなことは池田先生が許しません。カンボジア人猫ひろしをよろしくお願いします。返品不可です。


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【追記】──4年後のリオデジャネイロを目ざす!?

 競技者としての猫さんを支援してきた関係者によると、猫さんは8日夜も東京都内で長距離の走り込みを行った。
 走り終わった後にロンドン五輪に出られなくなったとの報道を知らされ、「もし今回出られないとしても、カンボジア人として4年後のリオデジャネイロ五輪を目指す」と話したという。

 いいぞ、猫ひろし! 男だ! もしも4年後がダメでも、8年後、12年後、16年後と、オリンピックは4年に一度ある。生涯カンボジアからのオリンピック出場を目ざして、かの地に骨を埋めろ。がんばれ! 明日からもうずっとカンボジアに住め。日本に帰ってくるな。

 その真摯な姿勢はやがてカンボジアの教科書にも載るだろう。「日本人の猫ひろしさんはカンボジアからオリンピックに出たいと国籍を変更してカンボジア人になりました。その後もカンボジア人としてオリンピックに出るために10年、20年とがんばりましたが一度も出ることなく死にました。」

◇国籍問題に一石

 スポーツ選手の国籍変更は珍しいことではない。中東諸国が潤沢なオイルマネーで優れたアフリカ出身選手を集めるケースが議論を呼んできた。

 だが、富める国の五輪水準に達しないアスリートが「オリンピアン」になるという夢のため、貧しい国の代表枠を得るというのは極めて特異な事例だ。
  (毎日新聞)

 
アスリートじゃねえよ、創価学会芸人だ。そもそもが芸人としての話題作りから始まったことだ。でも聖教新聞を印刷して食いつないでいるマイニチにしちゃよくこの点に触れたな。

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【追記.2】 ──あらためて安心した

 私はオリンピックをほとんど見ないし、見るとしても陸上中心で、合計でも数時間ぐらいだろう。
 日本人優勝の可能性のない男子マラソンは見ないと思うけど、見なくても、「カンボジア代表の猫ひろし」は意識した。 「猫ひろしを追ったドキュメント」は必ず作られるし、それも見ないけど、それでもどんな出来になったかは気にした。そしてそれは調べなくても、ふつうにネットをやっていたら、あちらから入ってくる情報だったろう。

 いま極力ネットをやらないようにしている。パソコンは起きているあいだずっといじっているけど、インターネット接続は切っている。それでも繋いだ瞬間に情報が押しよせてくる。この「知りたくなくても知らされてしまう情報」ってのは苦痛だ。

 オリンピックオタクじゃないけど、それでもオリンピック前に、気になる不快なネタが消滅したことはうれしい。 スッキリしたので、「今回は男子マラソンを見てみようか」という気になっている。何十年ぶりかで。前回見たのはいつだろう、アベベが裸足で走っていたな。円谷、君原、あのあたり。水泳は「前畑、がんばれ」をラジオで聞いたぐらい。あれは興奮した。ラジオの前で思わず「前畑、がんばれ」と言ったものだ。

<きっこさん>の煽るマヨネーズ不安──デマの初歩──無智も8万フォロワーの力で真実になるか!?──『美味しんぼ』の画像

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「市販のマヨネーズは日持ちする。防腐剤が入っているにちがいない」ってのは誰もが感じる疑問だ。

私の知る限り、最初にそれに応えてくれたメジャーなものは『美味しんぼ』だった。来年で連載30年になるマンガのかなり初期のころだからだいぶ前になる。雁屋はそこで山岡士郎の口から、市販マヨネーズの日持ちする仕組み、安全性を説明している。

たしか工場訪問のような場面があったから、雁屋哲自身も疑問を持ち、調べたのだろう。ひたすら大企業や化学調味料や大量生産品を攻撃するサヨクマンガだけど、事実は事実として伝える良識はあるのだなと感じた巻だった。

左巻き全開の気分の悪くなるマンガなので一切読まないけれど、一応全巻もっているから、スキャンしてその場面を載せたいが、さすがに雁屋哲のサヨク思想がちりばめられたあれを、これのためだけに探す気にもなれない。



というか、「マヨネーズはなぜ常温で日持ちするか」は、かなり常識的な智識だ。<きっこさん>が無智なのである。超有名ブロガーとして、8万人のフォロワーを誇るTwitterとして、いくらなんでもひどすぎるから、指摘が殺到してすぐに削除されるだろう。削除される前に、いかに彼が思いつきで他者を傷つける書きこみをしているかの一例として取りあげておこうと思った。

このひとの醜さは「こども」を使うことだ。「おとなはいい、でもこどもは」という手法は効果的らしい。
「おとなはいい、でもこどもだけは避難して欲しい」「こどもに罪はない」「こどものことを思うと涙がとまらなくなる」

「あたしにこどもがいたら」って(笑)。

きちがいサヨクの雁屋哲も、こういうひとと比べるとまともに思えてくる。



「買ってはいけない」を思い出す。サヨク雑誌「週刊金曜日」に連載され、単行本となって大ヒットしたあれだ。
「正露丸」の日局クレオソートを工業用のクレオソートと混同して、「電柱に塗ってある虫もちかよらないあんなものを躰に入れたらたいへんなことになる」とやったのを今も覚えている。基本は無智だが、それにあぐらを搔き、調べようともせず、それでいて高所見地からの意見なのだからおそれいる。そしてまた、それに踊らされるひとがいる。

無智なまま不安を煽り、本にすればより無智な連中に買われて信じられてしまう。悪質な「企業テロ」だと言われた。現在のTwitterによる「不安を煽るデマゴギー」の先駆か。
<きっこさん>もカップヌードルとかに企業テロをやっては失敗してきたようだが(笑)。

そういや日垣隆というひとの名を覚えたのは、文春に載った「『買ってはいけない』は嘘である」だった。1999年だから、日垣さんが表舞台に出てきたのはこの年なのか。

『週刊文春』はこのあとの編集長(野中広務の後援会長の息子)からおかしくなってゆく。「疑惑の銃弾」のころから読み始め、このころはまだ毎週待ちかねて買っていた。「週刊金曜日」のデマを真っ向から否定する姿勢に拍手を送ったものだった。いまはたまに立ち読みする程度。去年の『週刊新潮』と連動しての橋下叩きは醜態だった。



さすがに<きっこさん>も赤っ恥搔いてすぐに訂正するだろうけど、9万人ちかくのフォロワーの中には、これを見て「そうよねえ」「そうだよなあ」と、今日からマヨネーズを毛嫌いするようになるひとがいるのだろう。それが悪質デマの基本であり、また「だまされる人」の基本だ。

下の「白井由佳さんのTogetter」にも書いたけど、こういうものに染まるひとはなにをやっても染まるから、それはそれでしかたないのだろう。他山の石とするしかない。


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【追記】──『美味しんぼ』第34巻「サラダ勝負」より、マヨネーズは安心!

調べてみたら第34巻でした。『美味しんぼ』は全100巻だから、前半ではあるけれど、もっと前かと思っていたので探すのに手間取りました。
画像を貼るのは違法でしょうが、『美味しんぼ』が正しいとする内容なので許してもらうことにして。



まずは<きっこさん>みたいな無智なおばさんが登場して吠えます。

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と、きたない顔のヒステリーおばさんが、<きっこさん>みたいな疑問を呈します。

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<きっこさん>みたいなことをわめくわけです。<きっこさん>もこんな顔でしょうか。ちょっと男っぽいですね。



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<きっこさん>の「あたしに子どもがいたら」と同じ発想ですね(笑)。

このおばさんにはこどもがいます。<きっこさん>にはいません。
しかしこのおばさんとセックスしてこどもを作る男はどんなひとなんでしょう。わしゃ勃たん。



すると、

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と、無智はすぐに染まってしまいます。8万フォロワーにもいることでしょう。なんという単純さ。

「こどもにでもわかる当たり前のことなのに」ってセリフが笑えます。雁屋哲らしい(笑)。
こどもでもわかる当たり前のことを、そうじゃないんだよと教えてあげるのがおとなですね。

だいたいにおいて、「この世からすべての武器をなくそう」「戦争をやめよう」「国境をなくそう」「人類みんなでなかよくやろう」のような「こどもでもわかる当たり前のこと」は真実です。「差別をなくし、誰もが公平に、収入はみんな同じ」っていう共産主義も正しい。
でもそれでは生きられないのがニンゲンというたちのわるい生物です。

こどもってのはバカです。どうしようもない未熟で愚かな存在です。世の中を知らないから。
こどもを礼讃するのは醜いおとなの手法ですね。それによって歪められた醜いこどもも誕生します。
こどもこどもって言うおとなには気をつけましょう。
そういうひとは「こども」を「手段」にしているだけです。そういう「おとな」に利用される「こども」ほどかわいそうなものはありません。



そこに何でも知っている正義の味方が登場。まあこのひとも、Macの礼讃を始めたり、「支那そば」という名称を否定し始めたりするとたちがわるいひとなんだけど(笑)。

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あとは『美味しんぼ』34巻をお読みください。
まあどうでもいい話だけど、<きっこさん>よりは、今回は『美味しんぼ』のほうが正しいと、私は思っています。

訃報・竹内宏介さん──Twist of Jobimの朝

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「Twist of Jobim」を聞いている。Bossa Novaの大御所アントニオ・カルロス・ジョビンへのトリビュート。中心はプロデュースしたリー・リトナー。あ、リー・リトナー、書けるかな、Lee Ritenourのはず。確認。当たっていた。よかった。

今日は雨が上がっていい天気になった。ひとあし早いボサノバ。本格的なのはもっと暑くなってからだが、フュージョン系だと今の季節にも似合う。
エリック・マリエンサルのアルトサックスがいい。ハービー・ハンコックのピアノも、と書いて行くと全員書かねばならない。名人達人ばかり。

こういう場合のTwistはなんて訳せばいいのだろう、うまい日本語はない。意味はわかる。意味が、とても良く解るだけに、これに匹敵する日本語を思いつけないのが歯がゆい。



昨夕、東スポで竹内宏介さんの死を知った。
ものごころついた時からプロレスが大好きだったけど、そういう小学生時代から、中学生、高校生時代、東京に出たので大試合の会場に行けるようになった18歳以降、とあれこれ思いは尽きないが、いちばん熱くて楽しかったのは、田舎の高校生として、創刊されたばかりの「月刊ゴング」と「別冊ゴング」を毎月楽しみにしていた時期のような気がする。

東京の大試合とは無縁だったけど、毎月発売日を指折り数えて待ち、下校時に本屋に駆けつけた時の昂揚は、田園コロシアムでハンセンとアンドレの一騎討ちを見た時や、東京体育館でのハンセンと馬場の初対決を見た時や国技館でローラン・ボックを見た時の興奮に負けない。
毎月、丸ごと一冊暗記するぐらい熱心に読んだ。



「まだ見ぬ強豪」として、マスカラスやスパイロス・アリオンが取りざたされていた時期だ。その仕掛け人が「ゴング」であり、若い編輯長の竹内さんだった。まだ22歳ぐらいだったろう。

先発のベースボールマガジン社の「プロレス&ボクシング」に負けまいと、後発の「ゴング」はあれこれ工夫をした。それが楽しかった。「プロレス&ボクシング」は古手だけに、いかにも日プロの幹部と親しい(=御用マガジン)の趣があった。それこそ当時の幹部である芳の里(人名に関して強いGoogle日本語入力もさすがに芳の里は出なかった)や遠藤におもねっていたろう。
竹内さんは「プロレス&ボクシング」出身だが、いくら編集長を経験したとはいえ二十歳そこそこの若さだったから、日プロ幹部から接待されていたとは考えにくい。

創刊間もない「ゴング」は連中から鼻も引っ掛けられない立場だったか。たしかなのは、古手の「プロレス&ボクシング」よりは軽視されたことだ。その代わり、国際プロレスの記事が増えた。そのことでますます日プロには嫌われたろう。とにかくやつらは横暴だった。
その分、竹内さんの若さで、高校生の私のようなのがわくわくする企劃を連発してくれた。そのひとつが前記の「まだ見ぬ強豪」であり、話題になったのが当時ロスで活躍していたマスカラスだった。「ゴング」はマスカラス人気で部数を伸ばしていった。

ここを読んで一緒に竹内さんを偲んでくれるひとはみな「日テレの解説者の竹内さん」ではないか。私の竹内さんへの想いはそれよりも前になる。



gong

この写真は「ゲンキ・ヤ」というサイトからお借りした。こういう古雑誌の通販をやっているらしい。処分してしまったが、私もこれらをすべてもっていた。本誌の「月刊ゴング」は、ベースボールマガジン社の「プロレス&ボクシング」と同じくプロレスとボクシング。写真はその本誌である。そこからプロレス専門誌として創刊されたのが「別冊ゴング」で、私の好きなのはこれだった。

馬場をジャイアントスイングで振りまわしているのはジン・キニスキーだ。
2年前の4月、81歳で亡くなっている。ブログにもサイトにも書かなかったけど、日記には「今日、キニスキーがなくなったと知る」と記して偲んでいる。大好きなレスラーだった。顔から「平家蟹」と呼ばれていた(笑)。。

プロレスとボクシングの二本立てなので、表紙もボクサーとレスラーが半々。しかし「ゴング」は、やがてプロレス中心になってゆく。いや、始まりがプロレスだった。だって竹内さんが中心だったのだから。

gong2

本誌の表紙。ボボ・ブラジル、ドリー・ファンク・ジュニア、フリッツ・フォン・エリック。ボクサーよりもレスラーを大きく扱っている。当時の日本のチャンピオンは馬場だったけど、ブラジルやエリックはあきらかに馬場よりも強かった。猪木は話にならない。プロレスは「約束内の出来事」だけど、そこにもはっきり強さが見えるのが楽しい。ルー・テーズなんて地元の英雄の力道山に負けてやっているのがこども心にも見え見えだった。ブラジルもエリックも、最後は馬場に負けてやるのだが、負け方がへたなので(笑)、力の差が見えてしまっておかしかった。

ドリー・ファンク・ジュニアは、私の最も好きだったひと。大卒で、高校の物理の教師免状をもっているなんてのにも好感をもった。一緒に来日したプロンドのジミー夫人もきれいだった。のちに離婚してしまうけど。
そういう雰囲気は、後に日本のレスラーでも猪木が倍賞美津子と結婚してかもしだすが、当時の日本のプロレスにはないものだった。かっこいいなと憧れた。

NWAチャンプとして、来日してすぐ、猪木と60分フルタイム0-0の引き分け。翌日馬場と1対1のフルタイム引き分け。猪木にはフォールを許さず、馬場には許しているところが馬場猪木の格をあらわしている。馬場がフォールを奪ったのが初公開のランニングネックブリーカードロップだった。
周囲のプロレス好きは、「惜しい、もうすこしだった」「馬場猪木のほうが強い。たいしたことない」と言っていたが、私はアメリカから来日してすぐ、2日連続で60分フルタイムを戦い、それぞれドローで、地元の英雄にそれなりに華を持たせ、すぐにまた離日して、次の地元の英雄との戦いに飛び立つNWAチャンプの底知れないスタミナに驚嘆していた。

このときは父親のシニアがセコンドにつき、ピンチになると騒いだりして、「過保護チャンプ」のような演出もしていた(笑)。なつかしい。



当時のNWAチャンプは禅譲性だった。テーズは自分が老いた時、キニスキーに次を託した。タフガイのキニスキーはしっかりと務めを果たした。キニスキーから禅譲されたのがまだ27歳のドリーだった。一気に若返りを図ったから不安も大きかったが、ドリーは見事にその大役を務める。ここからNWAチャンプは、ブリスコ、テリー、レイスと若い世代のものになった。そして、実力は文句なしだが精神的にチャンプに向いてなかったブリスコとは逆に、連日全米を飛び周り、地元のチャンプと戦って悪役を演じつつ、しかししっかりベルトは守るというハードビジネスに最もふさわしい地位を確立したのがレイスだった。

後にNWAが崩壊するのはプロレス嫌いのブリスコがNWAのプロモート権をマクマホンに売ったからだった。獅子身中の虫になる。インディアンでもありいろいろ屈折しているひとだった。日本人初のNWAチャンプに馬場がなる時の相手でもある。しかしああいう金銭で動く一週間天下(帰国するときには負けてベルトを返す)は読めすぎて白けたものだ。全日ファンとはいえなにもかも認めているわけではない。



国際プロレスが、日本プロレスにいじめられながらもがんばっていたころ。吉原さんの苦労を思うと義憤を覚える。その吉原さんがいちばん信じ、そして吉原さんを己の血を流して守ったのがラッシャー木村だった。木村は興行不振の国プロのために、額をギザギザにして金網マッチを連発した。連日流血だった。

もうかなわないことだけれど、私は、「もしも好きな人にロングインタビューしてもいい」と言われたら、木村さんの話を聞いてみたかった。彼の家に押し掛け罵詈雑言を投げつけ、犬までノイローゼになるほどの狼藉を尽くした新日オタクが嫌いだ。木村さんは義理に篤い大好きな朝鮮人になる。

日プロに対抗するために吉原さんが始めたのが「総当り制」だった。当時の日プロは日本人同士、外人同士は戦わないルールだった。吉原さんの決断により、アンドレ(モンスター・ロシモフ)対カール・ゴッチや、ビル・ロビンソン対ジョージ・ゴーディエンコが実現した。

上の写真でドリー・ファンク・ジュニアがダブルアームスープレックスの形を取っているが、これは国プロからバーン・ガニアにひき抜かれてアメリカに渡ったビル・ロビンソンから伝わったものだ。AWAチャンプのニック・ボックウィンクルもそうだった。ロビンソンと闘って盗んでいる。それはロビンソンの価値だが、そのロビンソンをイギリスから呼んだ吉原さんの功績でもある。



際限なく書きそうなのでこのへんにする。これは私なりの「Twist of 竹内宏介」のつもりで書いた。

竹内さん、大好きなプロレスラーに会えて、天国も楽しいでしょう。ほんとにほんとに竹内さんはプロレス大好きの青春でしたものね。享年65歳は早すぎるけど悔いのない人生だったと思います。

「放射脳」から脱した白井由佳さんのTogetter──感想・そうなるひとにはそうなるだけの理由原因がある

ライブドアブログの世話になっているので、ライブドアが押しつけてくるニュースを見せつけられる。くだらない芸能ネタも多く煩わしいけど、たまには勉強になることもあるからあながち否定も出来ない。

今日はその中から、「日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき」というのを読んだ。多くの日本人が自分を無宗教、無宗派と思い込んでいるが、そうではなく、日本人はかなり宗教的、という意見。
「因果応報」の考え、万物に魂が宿るというアニミズム的な考えがそもそも宗教的なのだという主張。
まあ、そうだわね。そのことはここで読んでもらうとして。


このブログの下部に「白井由佳が放射脳パニックになった理由─Togetter」というのがリンクされていたので行ってみる。すると大震災時44歳の女が放射脳になってしまった流れとそこからの脱却がまとめられていた。あまりこの種のことに興味はないのだが、このまとめに関しては興味深く読んだ。

と、最新のニュースだと思ったのだが、この本人による「まとめ」が作られたのが4月23日だというからもう10日以上前。寄せられているコメントもそのころに書きこまれている。このひとが「放射能」として活動していたのはさらにその前になるのか。なんにもしらん。関わらなければ関わらずにいられるということなんだな。Twitterをやめてよかったとあらためて思う。

(ATOKでは「放射脳」を辞書登録して作った。Google日本語入力ではすんなり出る。さすが流行り言葉に強いGoogleだ。)


これも全体はリンクしたところを読んでもらうとして。
私に印象的だったことを少しだけ書くと。

白井さんというひとは、「日本沈没」のような災害パニック映画が大好きだったとか。

私は嫌いだった。
小松左京、星新一、筒井康隆のSF御三家時代に学生時代を送っている。むさぼるように読んだものだ。全作品を読んでいる小松だが「日本沈没」にはもえなかった。なんで自分の国を沈没させ、消さなければならないのかがわからない。自虐的日本人の典型だろう。

それが話題になり、「日本沈没だあ!」と、まるで楽しみなお祭でも待つようにテレビも新聞も雑誌も大はしゃぎしているのが不思議だった。「日本人て、なんかヘンじゃないか!?」と思った最初かもしれない。

小松が亡くなったとき、訃報として思い出をここに書こうと思ったけど、なにもせずやりすごしてしまったのは、一時はあんなに夢中になって読んだひとなのに、書きたいことがなにも浮かんでこなかったからだった。それと、ふくぶくとした容姿しか記憶になかったから近年のやつれた写真を見ておどろいたこともある。

このころの私は日教組の教育による自虐史観に染まっていて、支那人や朝鮮人を見たら土下座して詫びねばならないと思って生きていた。自虐的だったが、かといって「日本を沈没させること」にはもえなかった。映画は見たがつまらなかった。その後は再度映画化されたものもテレビ版も見ていない。さいとうたかをの劇画も途中で投げた。一応入手して、見よう、読もうと思うのだがどうにもその気になれない。「日本が沈没して消えてしまう。たいへんだあ」と右往左往する映画のどこがおもしろいのかわからない。「日本以外全部沈没」は小説も映画もおもしろかったが。



東北で発生した地震は、私の脳に直撃しました。『次は関東だ!関東が崩壊する!』そう思い込んだのです。
仕事も何もかもやる気を失いました。どうせあがいても、関東は壊滅するんだと。日本は大混乱に陥り経済も崩壊するだろうと。地震で壊滅する前に、放射能汚染で人々は死に絶えるかもしれないし。

なんでこうなるのか私にはわからない。でも<きっこさん>なんかと同じ考えだね。

しかし、正直、嬉しい気持ちもあったのです。「放射能と地震で、私の苦しみが解放される」という矛盾する気持ちも、沸いてきたのです。

ああ、なるほど、現実逃避か。地震と放射能で日本全体が滅亡するのだと思えば、日々の悩みなんてどうでもよくなるね、たしかにそれは。

私は44歳でした。その数年前から幾つかの大きな壁を迎え、困惑していました。

その「壁」や「困惑」とは、容姿の衰えだったのだとか。「おばさん」なのだけど、おばさん扱いされるのを拒んでいたとか。なんだかね。



白井さんは自分のことを「私は野心家な上、目立ちたがり屋。ドデかい仕事をして世間をアッと言わせたい。長年そんな願望があり」と書いている。

ここもわからない。私にはそんな気持ちが微塵もないからだ。野心もない。目立ちたくもない。ドでかい仕事で世間をアッと言わせたくもない。

「本当の私って能力ないのでは?」と現実的に気が付き始めたのです。私は劣等感の強い人間。苦手なことが沢山あります。だけれどそれを認めたくない。だから身の丈に合わない目標を設定して妄想に浸ります。

こういうひとは、そりゃなっちゃうだろうなあ。いつも爪先立ちしてたら疲れるし。
私は白井さんのように野望もないかわり、強い劣等感もない。自分の能力は知っているつもりだし、苦手なこともすなおに認める。だから、身の丈に合わない目標を設定もしないし、妄想に耽ることもない。逆に言えば私には、「放射脳になる能力がまったくない」ことになる。「能力がない」「資格がない」と書くと、すこし悔しくなったりして(笑)。



白井さんのTogetterを読んでいて、統一教会に染まった飯星景子のことを思った。
彼女があれに走ったのも、白井さんのような発想が根幹のはずである。彼女は当時、すこしばかり知った競馬をテーマにした連載小説を書き、それを単行本にしたりしていた。目の当たりにしていたので、そのへんのことがよくわかるのだ。それはとてもレベルの低いひどいものだった。父の名がなければとてもメジャーな小説雑誌に連載できるものではなかった。彼女はきっと、自分の美貌、筆力、可能性に関して自信をもっていたが、同時に自分が無能であることも人一倍自覚していて悩んでいたと思う。実際無能だったし。そういう心のひとが、統一教会に走ったのは自然な流れだった。娘を取りもどすために闘った父飯干晃一は立派だったが、そういう娘にしてしまったのも父ではある。



白井さんは「44歳の容色の劣化」に触れているから、若い時はそれなりにきれいだったのだろう。そういうひとが齢をとって衰えてくると、必ずこの問題にぶちあたる。最初からブスだとそれはないのか、な? 

Twitterで私に因縁をつけてきたバカ女も、きっとこうなってゆく気がする。美人でもないのに異様に自分の容姿とスタイルにこだわっていた。 白井さんは子持ちだからまだそこに逃げ場があるが独身の女はもっとひどく錯乱する。
女がこどもを産まないまま産めない女になってゆく恐怖というのはたいへんなものだろう。「産めない」はいい。諦められる。「産まない」もいい。考えはひとそれぞれだ。産みたいと思う気持ちがありつつ、産める躰をもっているのに、縁がないまま、産めない躰になって行くのは辛い。追い詰められると野田聖子になる。



この種の問題を起こすのは、男も女も、自意識過剰の傲慢な自信家だ。そして一方では自分は無能ではないかと怯えている。 みな同じタイプのニンゲンである。

ここから白井さんはカルト系団体と接してゆくらしい。とにかくまあ「そうなるひとは、元々そういう資質を持っているのだなぁ」とよくわかる話だった。

白井さんは今はそこから脱し、客観的にこういうふうに自分に関してまとめたのだから、これはこれでいいのだろうけど、こういうひとは一生同じ事を繰り返すのではないか、とも思った。だって、「ならないひとは絶対にならない」し、「なるひとは、何度も同じ事をする」から。


最初のブログの話に戻って。
ここには白井さんのリンクの前に、「大阪市の育て方が悪いから発達障害になる条例案」へのリンクがある。発達障害は育て方によって防げる、直せるという意見だ。ブログ主はそれに疑問を呈している。「発達障害は先天性」と知見が得られている、と。

放射脳に陥ってしまった白井さん自身による「まとめ」を読んで思ったのは、「なるひとは、なる」だった。「先天性」とはすこし意味が違うけど、私はこの種の問題に関して意外を感じたことがない。そうなるひとには、そうなるだけの理由、原因がある。なるべきひとがなるべくしてなっている。その点では世の中はすっきりしている。

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【追記】──デマッターに踊らされるのは被害者か!?

放射能恐怖に陥っている人は、必ずしも私の様に「心の闇」を持った人だけではない。情報検索が得意ではなく、子どもへの心配が大きすぎて冷静ではいられず、人間関係も苦手。そのような人は、別な側面から「原発と放射能」を考えられない状況下にいる。デマッターに操られている完全な被害者だと思う。

う〜ん、デマッターなんてものに操られることのない私には、こういう「完全な被害者」というような発想は理解できない。

白井さんは、この前に「私は人の気持ちを読むのが苦手。暗黙の了解が分からないタイプの人間。しかも横暴。その為、被災者を冒涜したり、子どもを利用したり、不安を拡散したり、数々の害毒行為を行ってきました」と自身の反省を述べている。ずいぶんひどいことをしてきたんだろうなあ。このひとがどんな発言をし、それに対する批判があり、さらにそれに対してやりあうという醜い泥仕合が目に浮かぶ。

こういうひとをきちんと批判してくれるひとがいないと困るわけだが、私が思うのはただTwitterから身を引き、そういうひとたちと関わらずにいられてよかったというそれだけだ。



自分は「心の闇」を抱えているので、そんなことをしてしまったが、世の中にはそういう自分とはちがうタイプの、デマッターに操られる純粋な被害者がいるというのだが、私はその辺に関してはやさしくなれない。

假りにそれをツイッターとするなら、情報を判断する能力がないなら、そんなものには関わるなと言いたい。
「でも不安なんです、放射能のことが知りたくて、パソコンなんて苦手でも、ついついツイッターを始めてしまい、そこにあるデマで踊らされてしまったんです」というなら、「元々パソコンが苦手で、そういう世界のことも知らずに参加したのだから、そうなって当然だ」としか言えない。

いわば泳げないひとが川に飛びこんで溺れたようなもので、それは川があることが悪いのではない。みんなが飛びこんでいるからと、ろくに泳げもしないのに飛びこんだひとの責任なのだ。

そりゃまあ、川の真ん中で「浅いよ、水は温いよ、早く飛びこんだほうがいいよ」と誘っているデマッターは断罪されるべきだが、そんな誘いに乗って泳げないのに飛びこむひとは、けっきょく何をやってもそうなんじゃないの。

この辺の白井さんの論理展開にも、いかにもこういうことに染まってしまうひと独自の身勝手な論理が見えて興味深い。



自分の恥を晒し、ここまでの反省文を書いたのだから白井さんはもうだいじょうぶだろうか。
本人が、今後は「アンチ放射能活動」にすがってしまうのではないかと自身のことを案じている。 
そういうことなのだろう。 

九条を神のように崇めたてまつる連中には、戦前戦中は軍国少年だったひとが多いとか。
絶対的なものを必要としているので、それを天皇から九条に変えたのだ。

白井さんもきっとそういうものが欲しいひとなのだろう。
となると今後の展開は読めている。
懐の深い恋人でもできるといいのにね。

知らないうちに記録的豪雨──一転して青空

晩酌ならぬ昼酌の肴を買いにスーパーに出かけた。
そのときは、どんよりした曇り空。

地下一階のスーパーで買い物をする。
買い物を終えて階段を上がる途中、きれいな青空が見えた。

地上に出ると眩しいほどの陽射し。すばらしい好天になった。
スーパー前の広場のタイルに水が撒いてある。さわやかだ。



そこで勘違いに気づいた。撒き水じゃない。よく見ると、そこいら中、水浸し。 
私がスーパーの中にいたほんの15分ほどのあいだに、とんでもない集中豪雨があったのだ。
空の雨雲に溜まっていた水が、穴が空いたように一気にぜんぶ落ちた。それで青空になった。

いやはやこんなこともあるのか。
思わず隣のおばさんに、「なにがあったんですか」と話し掛け、「なんか、大雨がふったみたいですよ」と返事をもらって、しばらく世間話をしてしまった(笑)。ひとぎらいの私には珍しい。
そっちのほうにいたおじさんが、「あんなすごい雨降り、初めて見たよ」とつぶやいている。

その時間が帰る時間だったらびしょ濡れになったことになる。
濡れたくはないが、その雨を見たかった。

全国各地で記録的豪雨といい、なんか天気が奇妙な連休である。

将棋話──郷田真隆棋王の語るハーリー・レイス──井田真木子「プロレス少女伝説」──立花隆批判

shogisekai

 ここ数年の『将棋世界』の充実ぶりは著しく、絶讃せねばと思いつつ書かないまま時が過ぎてしまった。それはまあそのうち自分のサイトにたっぷり書くとして。

 2日に出たばかりの6月号は、なんといっても年に一度の「プレイバック2011」──昨年の全対局から棋士(!)が投票してベストの棋譜を撰ぶ企劃──が最高だが、今まで見たことのない、とんでもないめっけものがあった。

 久保から棋王を奪取した郷田真牢王のロングインタビュウの中で、なんと郷田棋王がハリー・レイスのことを語っているのだ。しかも半端ではない。スキャンしてその部分を掲載したいが、いまスキャナーが壊れている。買わねばと思いつつほとんど使うこともないのでそのうちそのうちと先延ばしにしてきたが、とうとう後悔することになった。急いで注文する。すぐ買おう。

 レイスの活躍していた時期、郷田は小学生である。「ハリー・レイスのことを知っているひとがどれぐらいいることか」と苦笑しつつ熱く語っている。この場合の「知っているひと」は知名度のことではない。年代的に若いひとは知らないだろうが、というような意味だ。
 プロレスを知らないインタビュアーが郷田の熱弁に戸惑っている(笑)。郷田は無関係に熱く語る。

 レイスの価値が解るひとはプロレスセンスがいい。まあ新日オタクとか長州なんてのが好きなのには無理。
 
 表紙の森内名人はプロレスなんてまったく興味がないだろう。その他、羽生も佐藤もぜったい好きじゃないだろうな。
 渡辺竜王が競馬好きで一口馬主にもなっているが、棋士とプロレスは結びつかなかった。だけど私の将棋好きは挌闘技好きから来ている。将棋は最高の挌闘技だ。

 まさか『将棋世界』で、郷田の口からレイスの名を聞くとは。サプライズ。ほれ直したぞ、郷田!

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 ということで検索したら、毎月『将棋世界』の内容を紹介しているサイトを知る。えらいひとがいるなあ。
 休まず毎月レビュウするということはとても大事で、むずかしいことだ。すばらしい。

http://www.shogitown.com/book/sekai/index.html 

 と思ったら将棋の古書を売っているから商売でもあるのね。納得。



harleyrace

 そういや、竹脇無我さんと仕事を始めたころ、出会ってすぐなぜかプロレスの話になり、竹脇さんが「ハーリー・レイスはかっこいいよな」と言って、私が賛同して、距離がぐっと近づいたのだった。

 と書いて思いだした。偶然じゃない。プロレスというのはアンチには手酷くコバカにされるジャンルだから、敵味方の区別に真摯になる。
 熱烈ファンはプロレス好きに敏感だ。私は竹脇さんとその仕事を始める前から、「俳優の竹脇無我はプロレスが大好き。ジャイアント馬場と親しい」という情報を得ていた。だから初対面の時からもう「竹脇さん、プロレス好きですよね」と話を振ったのだった。

 そのとき竹脇さんは、ちょっと身がまえた(笑)。それはわかる。だってそのあとに続くのは「あんなインチキ、どこがおもしろいんですか?」かも知れない。しかしすぐに私が、自分と同じく全日ファンのプロレス者とわかり、一気にうちとけたのだった。

0kanren 竹脇無我さんの訃報──あのころの思い出



 雑誌に連載していた私の競馬小説にメールをくれ、親しくなった年下の友人にSというのがいる。いつしかもう15年ぐらいのつきあいになる。神戸在住。
 彼とメールのやりとりを始めたときにも、プロレスファンかどうかをさりげなく問うた。長続きする友人になれるかどうか、そのへんは大事なのだ。競馬好きなら誰でも仲よくなれるものでもない。彼も大ファンとわかり、今も親しく連絡し合っている。

 その連載は10年以上も続いたので多くのひとから手紙やメールをもらった。親しくなったひとも何人かいたが、今はみな途絶えてしまった。残ったのはSだけだ。
 私の作品を絶讃する熱烈なファンレターをくれたひともいた。まだ電子メール以前だったので出版社気付けの手紙だった。感激して返事を書いた。しかし何度かのやりとりで、そのひとが「護憲派」とわかり(笑)、あちらも私が改憲派とわかり、次第に疎遠になっていった。出会いは競馬でも、そのあとの交友は難しいのである。



prowres

 井田真木子が「プロレス少女伝説」で大宅壮一ノンフィクション賞を取るとき、唯一強硬に反対したのが立花隆だった。理由は「プロレスなんてものに」だ。文章や構成への注文ではなく、テーマがプロレスだから賞を与えるに価しないとの主張だった。私は立花を憎んだ。「競馬主義」という雑誌のエッセイで立花を批判した。

 立花はこう言ってこの本を否定した。

私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」。

 プロレスは、立花のような品性と知性と感性が同時に低レベルにある人には絶対に理解できないものだ。



 そのときはまだ彼の本を一冊も読んでいない。どんなやつかも知らない。後に、詳しく知り、彼を嫌った自分の直感に満足した。

 村松友視さんの名言「ジャンルに貴賤なし、されどジャンル内に貴賎あり」で言うなら、立花は「ジャンルに貴賎あり」のひとだった。
 味も判らないのに紅茶やワイン蒐集に凝るところに、彼の気の毒な俗物性が出ている。紅茶やワインの味などわからないのだ。でもそれは彼にとって「貴のジャンル」であるから、凝る。蒐集する。それによって「ウンチク」「智識」を得る。紅茶やワインについて何時間でもしゃべれる博識。だが現実は、紅茶は安物のティーバッグを愛用している。だって味などわからないのだから。まさに「空の智識」である。むなしいひとだ。

0kanren 立花隆の「秘書日記」を読む




 ちかごろどんなスポーツ実況でもやたら「心が折れた」「まだ心は折れていない」と連発する。特にひどかったのがPRIDEがブームのころで、やたら実況がそればかりだった。
 このことばを最初に言ったのは神取忍であり、それを紹介したのが、井田真木子のこの本である。

 あのころはプロレス雑誌がいっぱいあった。そんな中、デラックスプロレス(通称デラプロ)は女子プロ専門誌へと特化していった。「特化」と書いたのは、最初はふつうのプロレス雑誌だった。生き残りのために、いつしか女子プロ専門誌になっていたのである。地方で見る女子プロ興行はおもしろかった。まさにどさ回り。私の大好きだった豊田真奈美はまだ十代だった。

 井田さんは慶應の後輩でもあり、そのうちどこかで会ったら一緒に立花の悪口を言おうと思っていたら、44歳の若さで急逝してしまった。
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