2013年04月

日露共同会見──特亜よりもロシア──せっかくのいい雰囲気をぶちこわしたTBSオガタ記者の質問

 突如中立条約を破棄して侵攻し、満洲、北方領土の侵略、そしてシベリア抑留と、ソ連に対して好感を持つふつうの日本人はいない。私もそのひとりだった。
 しかしここのところ考えを変えつつある。それは「ロシア庶民は親日的」だからである。なぜか。
 反日教育をやっていないからだ。だから庶民はクルマ等すぐれた製品を生み出し、良質なアニメをつくる「ちいさな大国日本」をすなおにすごいなと思っている。


 まったく逆が特亜だ。
 
 ATOKは「特亜」が出ない。たしかに「特定アジア」の略語であるこれは上品なことばではないが、ここまで一般化しているのだから辞書に入れるべきだろう。Google日本語入力は一発で出る。いよいよ私もATOK卒業かな。(と何年言ってるんだ!?)

※ 

 特亜は幼児の頃から、反日というか嫌日というか、私の感覚で言うと「憎日」教育を徹底してやっている。あれを国の政策として子供の頃からやられたら、日本を好きになる支那人や朝鮮人などいるはずもない。あそこから脱却して、それでも日本を好きになってくれるごくごく少数の存在は、それこそ奇蹟である。反日の支那人や朝鮮人を嫌うひとは、彼の国の実情を知ってほしい。あんなことをやられたら好きになるはずがない。


 いままでに何度も書いたし、これからもまた何度でも書くが、支那では「助けてくださいと手を合わせて頼むいたいけな女子供、老人を、目を覆うような残虐な方法で殺し、女は強姦し、死体の内臓まで食らう鬼のように日本人兵士の映画を毎日流している」のである。私の知る限りでも、この20年毎日安まで流している。そしてそれをやっつけるのが正義の毛沢東軍だ。そういう映画も溢れていれば、ゴールデンタイムに帯番組の連続ドラマで流したりもしている。そこにいる日本人の私の気まずさ……。

 むかしアメリカが流していた「残虐なインディアン、それをやっつける正義の騎兵隊」というくだらん映画を量産していたが、あれに似ている。ただしそれにはまだ時折「話のわかるよいインディアン」もたまには出てきたが、支那映画の日本軍はひたすら殺戮と強姦を繰り返す鬼ばかりである。

 結果、祖父や父親が日中戦争で死んだなんて漢民族は当然として、あの国はいま日本の昭和30年代のように、貧しい連中にとって最大の日々の楽しみはテレビという時代だから、日本がどこにあるかすら知らない無学な連中、日本との戦争には無関係だった少数民族まで、ひたすら見たこともない日本人というものを恐れ、憎むようになっている。あんな映画を毎日見たらそうなる。なにしろ「憎日」を国是としてやっているのだから歯止めが効かない。

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 江沢民ほど嫌いなやつもいない。こいつが共産党独裁政権の歪みを日本を憎むことでそらそうとして始めた政策が「憎日教育」だ。中共の民はこういう政治家の被害者でもある。私が支那で遭う不快な思いは、みなこの江沢民の「憎日教育」から始まった。支那人の20代30代がそれに当たる。日本人とわかると憎しみを込めた目で睨まれる。

 闇は深い。物心着く頃から擦りこまれた憎悪である。消すことは出来ない。この世代が絶えるまで。
 だから、もしいますぐに中共が「憎日政策」をやめたとしても、それが消えるには100年はかかる。そしてもちろんやめるどころか国内の不満のガス抜きのために、ますますそれはエスカレートしている。結論として、日中の友好は永遠にあり得ない。


 韓国も同じ。小学生の時からあんな教科書で歴史を教えられたら、日本など好きになるはずがない。それでも若者には日本の文化に憧れ、日本が好きだというひともいる。あんな教育を受けてきたのにだ。それがなかったらどんなに仲良くなれただろう。
 国があんな憎日教育をしている限り、日本と韓国がなかよくなれるはずがない。そしてあの国の政治家は絶対それを変えないから、やはり日韓は永遠に不仲のままである。

※ 

 韓国と北朝鮮は微妙にちがう。韓国は「日本にひどい目に遭わされた、永遠にこの屈辱を忘れない」というネチネチ視点だが、北朝鮮は「悪い日本に金日成様が完全勝利された。朝鮮半島から追い出した」という勝利の解釈をしている。つまり北朝鮮は日本に完全勝利しているから、韓国のようにネチネチしていない。北朝鮮は日本に優越感を持っている。あちらのほうが上位にいる。だから恨みつらみだけの韓国よりは北朝鮮のほうがつきあいやすい。かもしれない。どっちともつきあいたくないけど。


 日本人なら旧ソ連(現ロシア)に対する複雑な思いはあろう。北方領土問題も解決していない。
 しかし国民ひとりひとりで判断するなら、ロシア人は「憎日教育」を受けていないから反日感情はすくない。
 永遠に仲良くなることは無理な特亜のことで悩むなら、もうロシアと仲良くしたほうがいいのかも知れない。このごろ本気でそう考える。今や世界第二の経済大国となった中共の武力を牽制するためにも、ロシアとの通商を大事にすべきと思う。

 しかし日露が仲よくしようとしたら、当然それをじゃましようとする勢力もあるわけで……。 

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 4月29日、午後10時、「昭和の日」の夜に、日露首脳会談がロシアから衛星中継で流れてきた。
 私はしばらくのあいだ、朝鮮人が司会するテレ朝の番組を見ていた。ふだん見ることはないのだが、午後10時にニュースを見るとしたら、やっているのはここだろう、という思い込みがある。
 やたらその朝鮮人司会が中継を切断しては説明を入れたがるので、うんざりし、そこで「国営放送でもやっているのか!?」と気づいてチャンネルを替えたら、こっちはそんなよけいなことをせずに、ふつうに中継していた。最初からこちらを見ればよかったと悔いた。

 ロシア大統領が一節を語り、日本語の翻訳が入り、また一節を語り、翻訳が入る、という形で進んでゆく。日本首相の時は逆に、日本語で一節語るごとにロシア語の翻訳が入る。
 日ソで協力し合い、通商を活発させることが中共の牽制にもいちばんいいのだろうなと思いつつ見ていたら、冷水を浴びせるような質問が入る。
 いきなりこの場で北方領土問題に触れたのだ。惘れる。


 ここは両国があたらしい出発をしようという、とりあえずのめでたい場である。日露共同会見がこういう形で実現したのも10年ぶりだ。
 にこやかに今後の両国の友好を誓い合い、握手して分かれ、水面下で領土や金銭のことなどドロドロしたテーマを話し合ってゆけばいい。それが外交だ。

 いわば、傷だらけのふたりの結婚式で、みんなが「ふたりは一目惚れ。熱々です。おしあわせに」と盛りあげているときに、「お二人はともに再婚同士。これまでにもたいへんな経験をされてきました」と、悦に入ってスピーチを始めたバカがいるようなもの。

 どこのバカがそれを始めたのかと思った。私はほろ酔いだったのでそいつの名を記憶していなかった。顔は覚えていたが。
 今朝になって調べてわかった。TBSのオガタというカスだった。といってもこれが考えたのではなく、あくまでもこいつは捨て駒のひとつに過ぎないが。

 この仲良くまとまるべき場に、不愉快になるような質問をさせた「仕掛け人」は誰かと考えれば、それはこのまま日露が仲良くなったら都合が悪い勢力だろう。そしてそこに媚びている日本の獅子身中の虫だ。


 プーチンはそれに対して手厳しい対応をした。オガタが、質問前にカンペを渡され、それを読み上げたことをまず指摘した。「誰にわたされたんだ? あんたの質問じゃないようだな」と。
 元KGBの凄腕である。日本のマスコミ人とは生きてきた道が違う。そこまで見抜いている。観察力が半端じゃない。

 ほろ酔いではあったが、私もこのオガタというのの観察は十分にできた。
 この男は右手でマイクを持ち、左手に書類を持って質問していたが、その書類がプルプルと震えていた。怖かったのだろう。恐怖にかられながらも、上から命令された場をぶち壊す爆弾投下の役を、震えつつ懸命に遂行したのだ。なんともお粗末だった。
 せっかくうまく行くかも、という日露の関係を、こういう場のこういう発言で壊す。国賊である。

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 以下はそのときの日露首脳の応答である。

TBS、おがたです。まず安倍総理にお聞きします。 
北方領土の帰属問題が解決されない中、現地ではロシア政府によるインフラの整備が進んで外国系企業が地熱、風力発電施設の建設を受注するなど、ロシアによる実効支配が強まっているという現実があります。日本にとっては、受け入れ難いような状況になってると思いますが安倍総理はどのような認識をお持ちでしょうか?

そしてプーチン大統領にもお聞きします。 
ロシア政府は今後も同じような政策を北方領土に対して継続するお考えでしょうか? 
そしてその場合、日本との領土交渉への影響というのについては、どのようにお考えでしょうか?


安倍:ご指摘のような状況は、確かに、日本の立場と相いれないわけでありますが、今回の共同声明において、双方の立場の隔たりを克服しとあるように、重要なことは、そのような問題を根本的に解消をするために北方領土問題を解決するしかないということでありまして、今回のプーチン大統領との合意を受けて、交渉を加速化し、そして、平和条約の締結に向けて、努力をしていきたいと思います。


プーチン:私が今、注目したのは、記者の方がこの質問を紙から読み上げていただいたかと思います。
 この質問をたぶん、ほかの人からもらったかと思いますけれども、その人に対して、次のことを伝えていただきたいと思います。この問題というのが、われわれが作ったものではなくて、それは過去からの遺産であって、もう60年前からの過去です。それは私たちが真にこの問題を解決したいと思います。

生活雑記──旧友からの突然のメール──23年ぶりの再会予定

 数日前、携帯電話にメールが届いていた。いきなり親しい呼び掛けで「××ちゃん、ご無沙汰してまーす。5月中旬にひさしぶりに東京に行くので会いましょう。楽しみにしてます」とある。なれなれしい。誰なのか。わからない。携帯メールのアドレスはない。090から始まる携帯番号があるだけだ。



 私は一応携帯メールアドレスを持っているけど、使わない。理由は打つのが面倒だから。あれはたいへんだと思う。しかし電車の中などでとんでもない早打ち若者(というか中学生ぐらいのこどもが多い)を見かけるし、私より年上なのに、ガラケーで、そこそこ長文のブログを毎日アップしているひともいるから(もちろん理由はPCが使えないからだ)、あれは慣れなのだろう。私は指先は器用だから、その気になればそれなりの速さに達する自信はある。用途がないのでやらないけれど。そもそも楽器演奏だって、出来ない人から見たら神業だけど、長年やっていれば目を瞑っても弾けるものだ。携帯電話の早打ちもそれに類したものだろう。それはともかく。



 こういう意味不明のメールは無視するのだが、どうにも気になる。「××ちゃん」という呼び掛けをするひとは、かなり限られている。学生時代にまで溯る古い知りあいの可能性が高い。しかし学生時代から今に至るまでつきあっているひとなら、限られているからすぐに思いつくし、「ご無沙汰」のはずもない。
 もうひとつのポイントは「ひさしぶりに東京に行きます」だ。地方在住なのだろう。地方に住んでいて、今度ひさびさに東京にやって来るひとで、私を「××ちゃん」と呼ぶ古い古い知りあい。いないよ、そんなひと。誰だ!?

 それでいて携帯の番号を知っている。
 私はJ-Phoneを契約してから20年近く携帯電話の番号は替えていない。仕事用だからそれが肝要だ。一般にはそれは充分長い時間であろうが、私にとっては「近年」でしかない。
 「××ちゃん」という学生時代の古い呼び方をするひと(これは「近年」ではない)と、「近年」使うようになった携帯番号を知っているひととなると、ごくごく限られてくる。しかし確実にそのひとたちではない。その中に「ひさしぶりに東京に来る」なんてひとはいない。



 ここ数日、そればかり考えていた。
 電話番号は明示されているのだから掛けてみればいいのだ。
 しかし、相手に「あなたは誰ですか」と問うのも憚られる。
 そもそもこのひとは、なぜ私に電話を掛けてこないのだ。いきなり名前も名乗らず携帯メールってのはなぜなのだろう。

 もうひとつ、「敵」の可能性がある。何かで私の「××ちゃん」という呼び方と携帯電話の番号を入手したヤツの悪戯だ。CNXと名乗る気狂いに長年絡まれているから、そういうことも想定しなければならない。こんなヤツに気楽に返事したらたいへんなことになる。だってほんとに旧友なら名前を名乗るはずだ。どう考えても不審である。
 考えれば考えるほどわからなくなった。



 昨日、突如思いついた。
 きっかけはM先輩だった。大学時代の音楽サークルの先輩である。いつもここに名を出すFM東京で竹脇無我さんとの仕事やJ-Waveで白鳥英美子さんとの仕事をした長年お世話になっているM先輩ではない。もう交流が途絶えて長い別のひとである。ふたりのM先輩は同級生だった。

 私を「××ちゃん」と呼ぶ古いひとは、ごくごく限られる。必死に考える。そのひとりとしてこのM先輩の名が浮かんだ。しかしM先輩は横須賀に住んでいる(今は知らないけど)はずだし、東京っ子であることを自慢するひとだから、「ひさしぶりに東京に行く」は当たらない。なにより私の携帯番号を知らない。だからM先輩ではないのだが……と考えているとき、そこからの連想でオノケンの名が浮かんだ。



 23歳のとき、当事札幌に住んでテレビ局の仕事をしつつ北海道を歌い回っていたM先輩が「歌いに来い」と誘ってくれた。ギターを担いで出かけた。私の北海道初上陸である。
 M先輩は、渋谷宮益坂の伝説のフォーク喫茶「青い森」で、RCサクセッションや泉谷しげる、古井戸なんかと一緒に歌っていたひとだ。卒業して北海道に渡っていた。
 先輩と一緒に道東を回った。楽しい旅だった。大鵬の生まれ故郷の弟子屈に行ったのもこのときだった。布施明の「霧の摩周湖」でしか知らない摩周湖に行ったり、根室から国後半島を臨んだりしたのもこのときが初めてだった。

 そのとき知り合い、一緒にコンサートをやった(私たちは彼らの主催するコンサートに出させてもらったわけだが)現地の歌い手に野付郡別海町の酪農家・小野謙治さん(通称オノケン)がいた。オノケンは当事、NHK教育テレビの「みんなの歌」じゃないや、なんだ「今日の歌」みたいな毎日流れる5分間番組みたいなのに出演していた。自分たちで作詞作曲した歌を三人組グループで歌っていたから、現地じゃ有名人である。この番組、北海道ローカルだったかも知れない。いや、そうだな。でも毎日朝夕に2回、NHKから歌と映像が流れるのだから有名人である。

 番組の作りは、彼ら三人がギターを手に口パクで歌う映像から始まり、歌のバックに牧場での仕事風景が流れたり、今時のPVみたいだった。

 ♪ 朝日が大地に顔を出せば、ミルク搾りの唄が聞こえる
   でっかい太陽、両手に抱いて、そうさ、仲間さ、おれたち、ひとりじゃ、ひとりじゃないのさ
   (作詩作曲・小野謙治)

 よく覚えるてな、おれ(笑)。いまでも歌える。



 オノケンと親しくなった私は、翌年ひとりで訪ね、酪農をしているオノケン宅に住まわせてもらい、仕事を手伝いつつしばらく滞在した。前年、M先輩と一緒に数泊させてもらっていたが、東京っ子のM先輩は、牛にも近寄らなかったし、毎日の作業である糞尿処理なんてとんでもないというひとだった。私はそれが平気だったのでオノケンに気に入ってもらえた。
 その翌年には、私が明大前の「キッドアイラックホール」で開いたコンサートに、はるばる別海からゲストとして駆けつけてくれたりした。

「駆けつけてくれた」には、すこしウソがある。当時オノケンは、酪農実習に来た横浜の娘さんを嫁にしようと燃えていた。しかし奥さんの実家は大反対だ。北海道の果てに娘は嫁にやれない。オノケンが北海道からギターをしょって上京し、私のコンサートに出てくれたのは、歌うこと以上に、この横浜の家を訪ね、嫁にもらう許可を得ようというのが主目的だった。
 それからもまた夏になると出かけては世話になった。



bekkai このへん、書き出したら切りがないので先を急ぐ。
 オノケンならM先輩が当時私を読んでいたように「××ちゃん」という呼び方をするだろうし、「ひさしぶりに東京」も納得できる。

 唯一携帯電話の問題がある。一年前、ひとりさびしい正月を送っていた私は、オノケンに電話している。それは覚えている。その電話ですら10年ぶりぐらいだったから、オノケンはとんでもなく驚いていた。田舎のひとの固定電話は何十年も変らない。古い手帳を整理していたらオノケンの固定電話番号が出てきたので(北海道野付郡別海町なので0146だ)ほろよい機嫌で掛けてみたのだった。地図のA地点が別海町。

 しかし私は、そのあときちんと近況を報告する手紙を書こうと思いつつ書いていない。無精が恥ずかしい。だからオノケンは私の住所も携帯電話の番号も知らないはずだ。可能性としてあるのは、その普通電話のディスプレイに表示された(もしも電話機がそんなタイプであったなら)であろう私の携帯電話の番号を彼がメモしたかどうかだ。可能性としてはうすいが……。



 考えるほどにオノケンしか思いつかないので、思い切って携帯メールを書いた。「あなたは誰ですか? オノケン?」と。これだけ書くのでも面倒だったから、私はほんとに携帯メールは苦手だ。

 今朝、「そうです、オノケンでーす。名前を書かなくてごめんね」と返信があった。ひさしぶりに横浜の嫁さんの実家に一緒に来るらしい。「会えるのを楽しみにしています」と返事を書いた。



IMG 前回会ったのは、いつだろう。写真の軽自動車ダイハツMIRAで、茨城から仙台まで走り、そこからフェリーで苫小牧に渡り、いつもは千歳空港からレンタカーで行っていたお世話になっている日高の牧場や名馬の故郷をあちこち訪ね、それからオノケンの別海までゆき、旧交を温め、知床半島をぐるりと走り回ってきたのだった。3週間ぐらいの旅だったか。90年の夏か。すると23年前になる。

 私の北海道体験は、20代の趣味の道東から始まり30代の仕事の道南の日高にいたるのだが、このふたつは繋がっていなかった。道東のころ、競馬ファンなのに日高に名馬を訪ねる感覚はなかった。競馬好きの大学生なんてのは、だいたい経験しているものだが、私は北海道をたびたび訪ねていながら日高には行かなかった。日高を取材で毎月のように訪れるようになっても、今度は懐かしい道東に行ってみようという考えはなかった。まあ広い北海道で離れているのだが。 
 このときにやっとふたつが繋がった。



 オノケンはその後、奥さんの実家から許可をもらって結婚し、ふたりの息子に恵まれた。牧場も次男が継いだという。
 さて、どこでどんな再会になるのだろう。なんとも楽しみなことだ。
 牧場の豪快な男の割には、酒は弱かった。まあビールで乾杯ぐらいはできるだろう。4日間、横浜にいるらしいから、積もる話もあるし私のところに一泊してもらおうと思っている。

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【追記】──別海で見たサクラショウリのダービー

 日本ダービーに関する原稿の直しゲラが届いた。
 レース展開で書き直しを指摘されたものに昭和53年のダービーがあった。サクラショウリの勝ったレースである。1978年5月28日。

 私はこのレースを、オノケンと一緒に別海でテレビ観戦した。馬券は友人に頼んで東京で買ってもらっていた。
 当時は枠連のみ。渋谷等の場外は千円単位のみの発売になる。だから長年私にとって馬券とは千円単位で買うものだった。100円から始めた人とは感覚がちがう。当時と物価を比較すると4倍にはなっている。今の金銭感覚で言うと「1枚4千円」が最低単位だったことになる。ひどい時代である。もっとも昭和初期の「1枚20円時代」は、大卒初任給が75円の時代の20円だから、1枚4万円になる。馬券はもともとそんなものだった。



 1番人気のバンブトンコートから枠連3点買い。勝ったのは2番人気のサクラショウリ。2着に12番人気のアグネスホープ。今だったら馬単馬連万馬券だ。しかし枠連しかなく、アグネスホープは4着に敗れた1番人気バンブトンコートと同枠だった。「代役」というやつである。だから結果は単勝1、2番人気で決まったのと同じく枠連620円の低配当だった。3千円投資した私は6200円になり3200円の儲け。今だったら嗤ってしまうようなちいさなプラスだが、あのころはまだ価値のある3200円だった。



 別海のテレビで見たサクラショウリのダービーのレース展開を、当時の記憶のままで書いたら、すこし有力馬の位置取りがちがっていたようで、修正となった。そのときに見ただけで、後にビデオを見ていないし、さすがに記憶だけで書いたらそうなるか(笑)。
 民間雑誌だったらそのまま載ってしまい赤っ恥だが、私の競馬仕事はJRA専門なので最強のチェック機関がついている。それはそれはすごいものだ。二重三重どころか五重六重のチェックが入るから、細かなことまで完璧になる。そりゃまあ御本家だから当然だろう。「3コーナー、後方3番手から仕掛けて上がって行く」なんて書くと、「3コーナーでは後方4番手の位置、仕掛けるのは4コーナー手前です」なんて指摘が入る。ここの仕事に慣れるとチェックの甘い民間の仕事はもう怖くて出来なくなる。そのことにすこし甘えている部分は反省せねばならない。



 だから高名なブロガーでありアフィリエイト商人の<きっこさん>のようなかたが、「AJC杯で、とうさんはあたしの奨めたホワイトフォンテンの単勝を千円買い、それが7万円になった」なんて、ちょっといい話も、「ホワイトフォンテンの単勝19倍。7万円にはなりません」とすぐに直される。<きっこさん>のJRAデビューは遠いようだ。



 知らないレースなら調べまくって書くのだが、どうしてもこういう知っているレース、しかも別海で見たという思い出深いレースだと、筆に任せて書いてしまう。そして勘違い発露。赤面となる。

 大阪の枚方の街頭テレビで見たテスコガビーの桜花賞と、別海で見たこのサクラショウリのダービーは、「その土地の思い出」で印象深い。



 サクラショウリは後に皐月賞、菊花賞二冠馬サクラスターオーの父となる。「父子で三冠」だ。
 そのころ日高で初めて種牡馬サクラショウリに会う。かなり気性の荒い馬らしく、馬房に「危険注意」の赤いプラスチック板が貼ってあった。

ブログ話──モザイク今昔、隠されると覗きたくなる心理──エロじゃないよ(笑)

表から「ブログパーツ人気記事」は削除したが、記事を書くときに私は見ることが出来る。
すると「モザイク今昔──むかしNHK、いま民放──隠されると覗きたくなるこちらの心理」という2012年3月に書いたものに根強い人気がある。不思議だ。 

内容は、「むかしのテレビでは、ナショナルの電池ハイトップ等の商品名をNHKがフェルトペンで塗りつぶし見えないようにしていた。時代が変り、最近ではNHKは消さず、民放がモザイクをかけてスポンサーではない商品名を隠すようになった。時代は変ったな」という話。

私は時代の差を書くこの手の話が大好きだが、しかしこれ、どう考えても人気記事になるようなものではない。まして1年以上前のものだ。
どんなものが人気記事になっても、その理由はわかる。一見意外なものがなったようでも、わたし的には「これをわかってくれるひとがいるのか。世の中、捨てたもんじゃないな」と当然だったりする。

しかしこれはわからない。
懸命に考える。行きづまり、初めて「リンク元」というのも調べてみた。そういうツールがライブドアブログには用意されているのだが使ったことはなかった。もしかしてそこに理由があるような気がした。



それでわかった。「モザイク」という言葉、「隠されると覗きたくなる」というタイトルから勘違いされたらしく、エロ系のまとめサイトにリンクされていたのである(笑)。そこから多くのひとがやってきて、そのことによるランクインだった。
そこに行ってみると、「おっぱい丸だし」とか、「スカート内盗撮特集」とかいうのと並んで、私のこの「モザイク今昔──隠されると覗きたくなる」がリンクされていた。

そこで知ったひとは、けっこうわくわくしてここに来たんだろうなあ。AVのモザイクの処理について書いてあると思って。エロ画像まで期待しただろうか。
でもモザイクはモザイクでも、書いてあるのは昨今の民放ではビールのラベルが見えないようにモザイク処理しているとか、ごくまじめなもので、エロのエの字もない。

この場合私は「どうもすみませんでした」と謝るべきなのだろうか。期待を裏切ったのはたしかだ。
でもなあ、意図したわけじゃないし。
いろんなことがあるもんだ。 

しかしこれ、くせになりそうだ。しばらく「まぎらわしいタイトルシリーズ」でもやってみるか(笑)。 

「パソコン話──フロッピーディスクの保存限界──古い原稿全滅の悲嘆」に、「スキャン原稿で復活──スキャナー思い出話」を【追記】

「パソコン話──フロッピーディスクの保存限界──古い原稿全滅の悲嘆」に、「スキャン原稿で復活──スキャナー思い出話」を【追記】。

 けっこう長い文になったので、あらたに「スキャナー思い出話」として独立させてもよかったのだけど、きっかけとなった話と繋がりがあったほうがいいと思い【追記】にしました。



 ドキュメントスキャナーによる犲炊瓩辰討里蓮△△燭蕕靴で箸任垢諭その自炊マンガに癒された話も書きました。
 あれを商売でやられると著作権が破壊されると漫画家の弘兼憲史さんなんかが先頭に立って反対運動をしているようです。たしかに、商売でやっちゃまずいでしょう。著作権侵害だと思います。私は自分の所持しているマンガを「個人として個人用に」やっただけなので無罪と思いますが。

 でも私の中にも、たとえば「島耕作」をぜんぶパソコンファイルにしてくれて、廉価に売ってくれるなら買いたいという気持ちはあります。私は全巻持っているけど、ドキュメントスキャナーに読ませるために、それをバラバラにしてしまうことには抵抗があります。もとの漫画本のままでもっていたい気持ちも強いですし。

 いままでは「パソコンで読むマンガ」は好きではありませんでした。今回旅先で役立ってくれて好きになりました。異国の片隅で読むパソコンファイルマンガは癒しになります。だからどこかで廉価な「違法自炊ファイル」を見かけたら買ってしまいそうです。でも違法自炊のあれって、どこで買うんだろう。ネット世界に疎いので、いままで見かけたことがありません。(と書くと、必ずメールで教えてくれるひとがいます。それを待っているようで、この言いかた、我ながらすこしいやらしいですね。)

 弘兼さんたちの戦いもたいへんだと思います。しかしこういう「時代の波」を法で規制して全滅させるまでには時間が掛かるでしょうね。いや核兵器と同じで、こんなふうに普及してしまったものはもう全滅させるのは無理でしょうか。

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【追記】──すこし調べてみました──4/30

 あまりに「知らない」ばかりじゃバカすぎるので、すこし自炊業者に関して検索してみました。
 すると「あなたの本を自炊してあげます」というのはありなのですね。「1冊××円、×冊以上は御自宅に受けとりにまいります」のようなのを見かけました。「PDFファイルで画質は300dpi」あたりが基本のようです。まあ、ふつうです。

 しかしこれだとマンガ本はバラバラになってしまいますから私の望んでいるものではありません。私は元本は本のままで所有し、パソコンで持ち運べるファイルを別物として欲しいのですから。



 すると、そういうことをしたひとは逮捕されています。非合法なのでしょう。
 そして今回初めて「値段」を知りましたが、高いですね。「26000円が13000円」というのを見かけました。1冊500円のマンガ本が全52巻で26000円、それをPDFファイルにした狆ι吻瓩半額の13000円ということのようです。「半額」だから安いとも言えますが……。

 このひとはこのマンガ本を正規に26000円で購入したとしても、13000円でふたりに売ったら元価を取り戻し、あとは儲かるばかりです。ファイルのコピーはいくらでも出来ます。20人、30人と売っていったらボロ儲けですね。そりゃ弘兼さんたちも怒るはずです。

 5000円ぐらいなら買ってみたい気もしますが、すでに持っている本のそれを1万円以上はきつい気がします。
 まあ関わらないほうがいい世界なのでしょう。自重しないと。

ブログ話──ブログパーツ「人気記事」を削除──メール返事をまだ書いてないかたへお詫びをかねて


 きのう、ここ半年ほど右側の欄に表示していた「ブログパーツ人気記事」を削除しました。以下、本人にしか関係のないどうでもいい話なのですが、備忘録のつもりで書いておきます。


 このライブドアブログのブログパーツというのに、アクセス数を統計して読者の多い順に並べてくれる「人気記事」というものがあると知り、設置したのは去年の11月でした。と書くと覚えているようですが、記憶はいいかげんで、いま調べてわかったのですが。
 この「ブログパーツ人気記事」は、どういうアクセス数で順位を決めるのか設定が出来るのでした。私は最もオーソドックスらしい「当日+6日」というのを選びました。一週間の統計ですね。

 なんということなく始めた思いつきだったのですが、1ヵ月後にうれしいことに出逢います。


 
 ずいぶんと前に書いた文が、どなたかによって引っ張りだされ、「人気記事」にランクインするのは、とてもうれしいことでした。
 それまでにも自分のブログの「人気記事」は確認できました。ブログ文を書くホームにそれが表示されています。だいたいにおいて「人気記事」の上位になるのは、高名な政治家のこととか世間的な事件とか、タイトルが耳目を集めるものでした。まあ、そりゃ当然ですね。見知らぬひとはみな検索で来るのですから。
 その順位は、綜合的なアクセス数と同時に、どの記事にアクセスが集中しているか表示されているのでわかります。何を書けばアクセスが増えるかもわかっています。目立たないよう、なるべくそんなネタは書かないようにしています。

 しかしその「人気順位」で確認できるのは「上位5つ」だけなのですね。大雑把でした。そこに表示される上位5つはさんざん見なれたそういうテーマのものばかりでしたから、その「人気記事」の順位は、私には興味のないことでした。
 ところが思いつきでやったこの「ブログパーツ人気記事」というのは、それとはちがい20位まで出ます。すると、19位あたりに、「いつ書いたかはもう忘れたけど、心を込めて書いたもの。地味なテーマだけど自分でも気に入っている文」がランクインしているのです。あれはうれしかった。いま思い出してもほのぼのとします。


 このままその「ほのぼのとした気持ち」を書いていたら果てしなく長くなるので先を急ぎます。この辺のことは右の「カテゴリー別アーカイブ」の「ブログ」にまとめてありますので、興味のあるかたは(そんなひとはいないと思うけど)読んでください。
 
 そのうれしかったことに「将棋ネタがランクイン」がありました。それはNHK杯戦の羽生対山崎のことを書いた「ひさびさに見た才能の将棋」というものでした。これがランクインしたことがきっかけで、次々と将棋文章がほじくりだされ、ランクインします。
 このブログの中でも不人気のコンテンツである「将棋」が次々とランクインすることがうれしく、思わず私は「もう将棋専用ブログにしようか」などとはしゃいで書いています。 

 そこに世間的にも大きな話題となった「電王戦」が開催されます。これのすばらしい点は、ニコ生による完全中継があったことと、全5戦が「毎週土曜日」と決まっていたことでしょう。他の棋戦は、日附も曜日も様々です。全国を転戦します。それと比すと、この「毎週土曜日」は強烈でした。定期番組を見るように「毎週土曜日」を待つことが出来ます。そして、朝に始まり、夜には決着する一日制です。毎週40万人ものひとが視聴し、私もそれを見ては感想を書きました。

※ 

 ここまできて「ブログパーツ人気記事を削除した理由」にやっとたどり着きます。今までは長い前振りでした。ここからが本題。
 
 電王戦の影響により、私の人気記事20の内のほとんどが「将棋文」になってしまいました。冗談で言った「将棋専用ブログにしようか」がほんとに実現してしまったことになります。
 それは冗談ではあれそう望んでいたのだからうれしいことではありますが、同時にまた様々なことを書いているのに、将棋だけがずらりと並ぶのは、実現したらしたで、ものさびしいことでもありました。 

 まあ一過性のものであり、電王戦の昂揚感が治まるとともにまたもとのように戻るとは思いますが、ともあれ、いつしか「人気記事20」の内、14を将棋記事が占めるようになったので、「ブログパーツ人気記事」を削除することにしました。1が2になり、4になり、8になりと増えて来ました。このままだとまず間違いなく18ぐらいまではゆくでしょう。それはあまりかっこいいものではありません。将棋好き以外は引いてしまう光景です。


 ブログの人気記事が将棋ばかりになり、「人気記事ランキング」は意味がないから削除した、が表の理由なら、裏の理由はたくさんのメールをもらったことになります。

 電王戦による将棋記事の人気上昇で、かつてないほど多くのメールをもらいました。私は戴いたメールには必ず返事を書くことを旨としています。さらに、待たせることなく、その日のうちに返事を書くことを心懸けています。見知らぬひとに思いきってメールを書いたら、誰だって返事が気になると思うからです。
 しかし今回の電王戦ブームによるメールは多すぎました。いまだ返事を書いてないかたが何十人もいる状態です。

 と、もらったメールに返事を書いてないひとが何十人もいるという無礼を平然と書くと人間性を疑われそうですが、一応最低限の礼儀は護っています。メールを戴いたその日に「必ずきちんとした返事を書きます。いま時間がありません。もうすこしお待ちください」という返事はすぐに全員に書いているからです。私はそういうことに関して極めて誠実な人間です(笑)。
 
 そしてまた趣旨として、私は「長文のメールをくれたかたには、それを越える長文のメールで返事する」を心懸けています。私を褒めてくれたかたにはその倍褒め返すことにしています。当然ですがわざわざ書いてくれるメールは褒めてくれるものばかりですから、褒め返しもたいへんです(笑)。その自分に課したノルマがあまりにきつく、毎日ひとつひとつせっせとこなしてきましたが、未だ何十人ものひとに返事が滞ることになってしまいました。かつてないことなのでかなり焦っています。


 将棋好きというのは知性的なかたが多いのか、じつにもうすばらしい内容の長文メールが多く、そのテーマに完璧に応えるには、いまの私には時間が足りません。
 
 たとえば「ゴキゲン中飛車と超速3七銀」に凝っているひとが、自分の意見を書き、私の意見を求めてきます。しかし私の対中飛車戦法は「4六金戦法」ですからねえ(笑)。今どきもう加藤一二三九段でも指さないという。そんな戦法、メールをくれた若いひとは知りません。
 
 せっかく意見を求めてくれたのだから、私の考えを書きます。でもそこに行くまでに、話の流れとして「4六金戦法」のことも書かねばなりません。当然私の対振り飛車の主要戦法である、これまた今じゃ古色蒼然の「5七銀左」にも触れねばなりません。するともう毎日メールの返事書きばかりになってしまいます。しかもそれなりに高度な将棋論の展開ですから気を抜けません。そしてそれを気に入ったかたはすぐに次のメールをくれます。これも充実しているので返事を書かねばなりません。

 ふと、いま思ったのですが、「私の将棋戦法史」のようなのを書いておき、貼りつけるようにするといいかもしれません。あるいはそれをブログにアップしておき、そこを読んでくださいにするのもいいかも。でも、自分のへたくそな将棋の戦法変遷史を書くってのも問題あるか。ブログには出来ない。サイトにまとめておくか。
 とにかくひとりひとり、相手の趣味に合わせてこちらの事情を説明するのはたいへんでした。 

 このまま「人気記事」に電王戦関係の将棋ネタがずらりと並び、将棋専用ブログとして、これからも多くの将棋ファンにメールをもらい続けたら、私の生活は破綻してしまいそうです。返事を書かねばならないからです。「もらったメールにはきちんと返事を書く」というのは、私のひととしての基本姿勢です。返事を書かないことは、返事の来ないひとも不快でしょうが、私にも「おれはまだあの人に返事を書いていない」と四六時中自分を責めたてるつらいことでもあります。


 というわけで、「ブログパーツ人気記事」を削除したのは、将棋に偏ったブログの形をすこし直すこと、将棋ファンから戴くメールを減らすこと、が目的です。「ブログパーツ人気記事」がなくなれば、このブログでいま圧倒的人気を集めているのが将棋ネタだというのが隠れますから、自然にメールを戴く機会も減ると思っています。メールというのは、もらって返事を書いて、それで終りではありません。そこから延々と続いて行くものです。もう限界になってしまいました。

 キャパで言うなら、私のメル友容量は20人程度です。なにしろ長文のやりとりですから、これでもう精一杯です。それがいきなり100人ぐらいに増えたのですから悲鳴も挙がります。
 TopPageでお断りしてあるように、私は正体不明のメールは読みません。読まずにすべて削除します。一々そんなものまで読んでいたら身が持ちません。それでいてこれだけの数ですから、いかに礼儀正しい正規のメールが多かったことか。

※ 

 こんなどうでもいいこと、内輪話をなぜ書いたかというと、昨日「ブログパーツ人気記事」を削除したら、早くももう今日、「なにがあったのですか」と複数のかたからメールをもらったからです。これは早く書かねばと焦りました。理由は以上のようなことになります。

 あらためて、まだ返事を書いていないかた、もうすこしお待ちください。必ず書きます。

将棋話──渡辺竜王が棋聖戦挑戦者に!──史上初、三冠同士の戦い

いま、棋聖戦挑戦者決定戦で、渡辺竜王が郷田九段を破って挑戦者となった。
これで6月には、「渡辺竜王三冠と羽生三冠」の闘いが実現する。三冠を保持しているふたりが対戦するのは史上初になる。

羽生はいま名人戦を闘っている。ここまで0勝2敗。今年度の成績は0勝3敗。勝率0。
名人位を奪取したら、「羽生名人四冠」と「渡辺竜王三冠」の闘いとなる。
羽生が名人奪取に失敗しても、「三冠対三冠」の闘いになる。

羽生が棋聖位を防衛しても、三冠と三冠は同じであり、棋界最高位の竜王を保持する渡辺が上。
渡辺が奪取すると「渡辺竜王四冠」と「羽生二冠」になり、完全な渡辺時代の到来となる。
渡辺が年齢的にまだまだ上昇傾向にあるのに対し、羽生世代は四十代の落ち目だからきつい。

だからまあなんというか、気分的に「郷田がんばれ」の気分でいたが、いまの渡辺の勢いはもう誰にもとめられないようだ。
「郷田がんばれ」の気分ではいたが、棋聖戦が渡辺挑戦のほうが盛り上がるのは言うまでもない。
そもそも「郷田がんばれ。郷田が挑戦者のほうが羽生は楽だ」というようなのは真のファンの応援のしかたではない。

棋聖戦が楽しみになった。 
このごろ二日制のタイトル戦がまだるっこくなってきた。一日目が平穏すぎる。
棋聖戦は一日制だから、その日の内に決着がつく。
初戦は6月4日か。 楽しみだ。

そのあとの宝塚記念では、オルフェーヴル、ジェンティルドンナ、ゴールドシップが対戦する。
楽しみな6月である。 

靖国神社に公式参拝した国、しない国──日本は孤立しているのか!?

ニューヨークタイムスが日本の閣僚の靖国参拝を批判していた。おともだちのアサヒシンブンがそう書くように頼んだのだろう。
アメリカの従軍慰安婦像とかの建立もKoreaがアメリカのロビーストに頼んでの活動だろうし、反日赤勢力に対抗するため、日本ももっと裏技を使わないと。
しかし、存在しなかった従軍慰安婦なんてものの像(しかも現実はプロのおばさん売春婦なのに、いたいけな少女に変更されている)が、まったく関係ないアメリカに建てられるなんてのも、かなり笑える話だ。滑稽である。しかしそれを許してしまう日本の外交下手は笑えない。



こうして靖国神社に公式参拝した国(青色)と、それに反対している国(赤色)を見ると、「特亜」ということばが目に染みる。

Chinaは日本から絞りとったODAの金をアフリカにバラまき「親中国」の国を増やしている。
この地図を見ると彼らの味方になる可能性のある国はもう「白の国」だけだから、その思惑が見える。
しかし日本の外交がしっかりしていれば、「白人植民地からの有色人種の独立」に勇気を与えたのは日本だから、日本こそがアフリカと最も親しくなれる国だろう。

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先日行ったSouth Koreaは、明らかにいままでとはちがっていた。人々のこちらを見る目が険しかった。
あれは気のせいじゃない。
さすがに大韓航空の機内ではふつー(でもこれもかなり冷えていた)だったが、仁川に着いたらもう空気がかわった。
私は典型的な日本人の容姿らしく、どこの国でもChineseやKoreanに間違われたことはない。
それはまたChinaやKoreaでは敵視されることに繋がる。



別項で書いたが、South Koreaの電車(たしか太田行きだった)で、同行した友人が周囲を気にすることなく大声で日本語を話していたことがある。あのときの周囲のこちらをチラチラ見る冷ややかな視線はたまらなかった。

だから私は日本で異国語を耳にしても、なるべく反応をしないように心懸けている。それが異国人に対する礼儀だろう。私のいま住んでいる東京都下、西東京は、異様に異国人が多い。Chinese、Koreanはもちろん、スペイン語やポルトガル語、タガログ語が聞こえてくる。今までこんなに異国語に囲まれたことがない。だって外国に行ったって、そこにはほぼひとつの言葉しかない。こんなに多国籍な感覚は初めてだ。

理由を考えると、家賃が安くて異国人にも住みやすいのだろう。その分、都心まで遠い。英語やフランス語が比較的すくないのは、そういうひとたちはここまで落ちなくてももいいということか。またスペイン語やポルトガル語を話すのも、スペイン人やポルトガル人ではない。
先日フランス語しか話せないアフリカ人と出会った。あらためて植民地のことを思った。



Chinaでは口を利かなければ、なにしろひとが餘っている国だから日本人であることをごまかせる。日々を生きるのが精一杯の連中は他人のことなど気にしない。
なにしろ終点に着いて長距離バスから降りようとしたら客引きのタクシードライバーがわめき合いながら乗り込んできて、「タクシーだタクシーだ、どこそこまで行く人はいないか」と怒鳴りまくる。客が降りられない。そんな生存競争の国だ。しかし不思議なもので誰も怒らない。みなドライバーを押しのけ、突き飛ばすようにして降りる。突き飛ばされてもドライバーも怒らない。それがChineseのマナーだからだ。

過日ネットで見ただいぶ前の「たかじんNOマネー」で、「ODAの金で中国人にマナーを教えてやろう」というような冗談交じりの提案をしていた。それはちがう。彼らにマナーがないわけではない。彼らなりのものはあるのだ。それが著しく他国とは異なっているだけだ。だからChinaと付き合うのに大切なのは、こちらのマナーを押し付けるのではなく(絶対にそれは無理だから)、彼らのやりかた、常識を理解することである。



Chinaでもひとたび口を開いたら、私はChineseが話せず英語だから、一気に相手の態度は硬化する。
それでもしばらく前までは、マクドナルド等で私が英語で注文すると、カウンターの娘が、「あんたが話しなさいよ」「あたし英語なんて話せないわよ、あんたがやりなさいよ」とワイワイキャアキャア言いながら譲りあうような罪のない場面があったが、今は険しい顔で敵視される。この容姿でChineseが話せず英語を話すということは、100%日本人と表明することになる。客商売なのにそっぽを向き、目の前からスッといなくなったことがあった。購入を諦めた。ひどい話である。
あの国の庶民食堂の食い物はまずくて喰えないから、いきおいこういう米国のジャンクフードに頼らざるを得ない。それすら拒まれた。



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Chinese、Koreanの態度が明らかに変りつつある。
報道による民衆教育による効果は歴然だ。
片田舎でも写真のようなステッカーを貼り、尖閣諸島は自分達のものだ、戦争をして小日鬼を殺せと喚いていた。ヤツラは本気で日本を支配下に置き、「台湾省」と同じく「日本省」にしようとしている。チベットやウイグルをそうしてきたように。

なのに日本には、そういうChinaやKoreanの人々が不愉快になるから靖国参拝はやめましょうと国会で質問する国会議員がいたりする。 
私には、キリスト教的なマナーがないChinaよりも、そういう日本人のほうが怖い。
赤いChinaがやっていることは、むかしからのChineseのやりかただ。一貫している。欲しいものは、他人のものでも自分のものと言って行動に出る。ある意味、わかりやすい。シンプルだ。

それを理解できず、自己満足できれいごとを言っている日本のマスコミや国会議員の島国根性のほうが異常なのである。日本の最大の敵は獅子身中の虫だ。

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「非を認めぬなら未来ない」──安倍内閣の靖国参拝非難──中国

中国外務省の華春瑩副報道局長は25日の定例記者会見で、中韓両国が麻生太郎副総理ら閣僚の
靖国神社参拝に反発したことを受け安倍晋三首相が「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と表明したことについて「日本が歴史問題で間違った考えに固執し、非を認めなければ、日本とアジアの隣国の関係に未来はない」と強く非難した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130425-00000113-jij-int


無償化適用除外 母親らが国連にアピールへ

高校無償化適用から除外された朝鮮学校の生徒の母親らが、国際条約違反だとして、スイス・ジュネーブで国連に対してアピールを行うことになった。
現地では、無償化適用の除外は、日本政府が批准している「国際人権規約」などに反した民族差別だとして国連に対するアピールを行うという。
http://news24.jp/articles/2013/04/26/07227486.html

民主党徳永エリ「閣僚の靖国参拝で拉致被害者家族が落胆している」発言問題

 参議院テレビを見ていたら、この女がとんでもないことを言いだしたのでおどろいた。名前も顔も知らない。民主党にはまだまだいろんな国賊がいるのだとあらためて知った。

 閣僚の靖国神社参拝を批難するのだが、そこでなぜか「拉致被害者家族も落胆している」と言ったのだ。
 古屋拉致問題担当大臣が厳しい表情で対応した。安倍総理も、看過できない発言と指摘した。
 こりゃ第二の永田事件になるなあと思ったら、もうあちこちで大きな話題となっていた。
 リンクが切れてしまう前に、まとめ記事をコピーして保存させていただく。このままじゃすまないだろうから、そんなに焦る必要もないが。

 徳永というのは、ツイッターもブログもそのままにして逃亡したらしい。下の引用文に「ブログで反論した」とあるが、その反論は削除されている。両方ともまだ存在しているが参議院後の発言はない。逃亡中だ。
 国会議員が国会の場で、発言のソースを問われて逃げだすぐらいなら、最初から口にしちゃ行けない。でもそれが民主党テーストか。

「永田事件」は、簡単なトリックに引っ掛かったのだった。いわばだまされた。しかし今回の場合は、自分の発言に重みをつけようと、なんの根拠もなく他者の名前を出した。罪はこちらのほうがはるかに重い。正規の謝罪が必要だろう。

 名前を出された「拉致被害者家族会」が正式にコメントを出した。自分達の名を都合良く、しかも事実無根のことで出されたのだから怒りは正当だ。
 国会議員として、このまま逃げることは出来まい。北海道もなあ……、なんでこんなのを選ぶ。

 みのもんたの付き人から芸能活動を始めたらしい。
 見ていないけど、昨日の朝のみのもんたは、この女を庇う発言をしていたのだとか。
 みのも、そのへん慎重にやらないと、タレント生命を失うぐらいの事件になる。それぐらい大きな問題だ。

 次から次へと、いろんなトンデモが出て来る。2009年のあの民主党ブームがあり、この女は2010年の参議院選挙で、その風に乗っても当選した。あらためてあのブームの罪を思う。私はあのとき民主党に票を入れていないけど、「堕落した自民党にお灸をすえるため、一度ぐらいやらせてもいいか、一度やらせれば、いかにこいつらがダメかはすぐにわかるだろう」と思ったから同罪だ。そして悪夢のような地獄の三年が始まった。

 いまは政権がしっかりしているから安心だ。
 今回のこれも、害虫を一匹退治できるきっかけになるなら、これはこれでいいのか。

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tokunagaeri「閣僚の靖国神社参拝で、拉致被害者の家族が落胆している」。民主党の徳永エリ参院議員が国会でこう指摘したことに、安倍首相らはウソだと批判を強めている。徳永氏は、国会では答えず、ブログなどで同僚議員から聞いたと釈明したが、証拠はあるのだろうか。

2013年4月24日にあった参院予算委で、徳永エリ議員は、安倍晋三内閣の3閣僚が靖国神社を参拝したことをしきりに責め立てた。

その論理は、北朝鮮による拉致問題は、韓国や中国と協力して解決していくべきなのに、靖国参拝でその協力が得にくくなったというものだ。
安倍首相らは、国のために命をかけた人たちを敬うのは当然で、参拝への脅しには屈しないと反論したが、徳永氏はそこで、いきなり次のような話を持ち出したのだ。

拉致被害者の家族のことを挙げて、「落胆をしているという声が聞こえてきています」と主張した。そして、「こんなことで、本当にしっかりと拉致問題の解決に取り組んでくれるんだろうかという声も上がっております」と言い切った。

これに対し、古屋圭司拉致問題相は、驚いた様子で、「いや、それはね、まったく聞き捨てならない話ですよ。あの、ぜひお名前を言ってみて下さい」と徳永氏をただした。


ところが、徳永氏は、「それでは、あの、総理にお伺いいたします」と話を逸らしてしまった。そして、靖国参拝が中韓に影響を与えたという主張をどう思うのかと安倍首相に質問した。

安倍首相も切り返して、「どなたがそれを言われたか、これはやはり予算委員会ですから、ちゃんとしていただかないと」と反撃に出たが、徳永氏は結局、このことに答えずじまいだった。

徳永氏は被害者家族が落胆しているという証拠を示さなかったため、ネット上では、その発言に批判が集まった。ツイッターやフェイスブックも炎上状態になり、徳永氏も慌てたのか、フェイスブックで発言について釈明した。

そこで、徳永エリ議員は、英霊に手を合わせる気持ちは母親なのでよく分かるが、今は韓国や中国を刺激するべきではないと説明した。ところが、被害者家族の落胆については、「被害者家族の支援をしている議員に言ってくれと頼まれました」とだけ明かした。それ以上は、「個人情報なので皆さんには言えません」という。

徳永氏の発言は、2013年4月25日の参院予算委で自民党から取り上げられ、安倍首相は、拉致被害者の家族会に問い合わせても落胆の声は聞かなかったとして、根拠がないなら捏造と言わざるをえないと指弾した。

さらに、安倍首相側はフェイスブックでも取り上げ、徳永氏がただされて狼狽したことを挙げて「嘘をついている」とまで書いた。「もう民主党は社民党化してます」「こういう議員の発言が日本の外交力を弱める」とも批判した。

また、古屋圭司拉致問題相もフェイスブックで、質問内容には首をかしげるとし、「拉致被害者家族会に対する誹謗中傷ともとれる質問もありました」と指摘した。

そこで、拉致問題に取り組む市民団体「救う会」に取材すると、事務局長は、被害者家族の落胆について、「私どもでは聞いておりません」と答えた。徳永氏の発言については、「拉致問題の運動をしていて、ほかのことはしゃべらないことにしています」とコメントはしなかった。

被害者家族の関係者は、取材に対し、徳永氏の発言について、「個人的にはおかしいと思います」と明かした。「事実なら証拠がなければなりません。被害者家族を政治的に利用しているのは、いかがなものでしょうか」と言っている。

徳永氏は25日、ブログでも発言し、安倍首相が「捏造」との言葉を使ったのは、名誉毀損だと訴えた。ただ、国会発言については、同僚議員から話してほしいと言われたとの釈明を繰り返し、「冷静に、裏事情や、それぞれの弱い立場も考えてご判断下さい」と主張している。

同僚議員がだれで、本当に被害者家族の声を聞いたのか、さらに徳永氏に取材しようとしたが、事務所に何度電話をかけても出なかった。

http://www.j-cast.com/2013/04/25174001.html


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tokunaga2■徳永議員の参議院予算委員会での発言に関する見解 平成25年4月25日 
      北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 代表 飯塚 繁雄

 昨24日の参議院予算委員会において、民主党北海道選出の徳永エリ議員が質問に立ち、古屋担当大臣に対して靖国参拝問題に関して「拉致被害者の家族の方々は、実は非情に、まぁマスコミベースの話ですから今ご説明を受けて少し誤解をしたところがあるかも知れませんけれども、『落胆をしている』という声が聞こえています。あの〜こんなことでしっかりと拉致問題に取り組んでくれるんだろうかという声も上がっておりますが
その点は如何でしょうか?」等々、さも、被害者家族数人が現内閣の拉致問題に関する取り組みに不満を抱いているかのような質問をしているが、「被害者家族の方々」と複数の家族が異を唱えたかの様な誤解を与える発言をしている。

 「被害者家族の方々」というと、連想されるのは「家族会」の面々を想像される国民の方々もおられ、現に北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会に対し問い合わせの電話がかかってきたという事実もあった。

 もし、徳永議員が意図的にではなくとも、国民に対し誤解されるような質問の材料に「被害者家族」の名前を使われたとしたら誠に遺憾である。

 本日、本会役員による確認の結果、前述のような「感想」を抱いている家族会メンバーは確認できなかった。
 更に言うならば、現安倍内閣における「拉致問題解決」に向けたスタンスを北朝鮮による拉致被害者家族連絡会としては支持しているのが現状であり、不満を感じている拉致被害者家族会メンバーはいないと思われる。

 また、これまで被害者救出のためにご尽力いただいた支援者の方々に対しても誤解を与えるような質問をしたことに対して被害者家族として近々に説明を求めたい。

 この拉致問題は超党派で取り組んでいる状況下で、こういった質問に何の意味があるのか、また、どういう意図があるのかを含めて 徳永議員には、本会と国民の皆様に対して説明する必要があると考える。以上

http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_3406.html

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民主党議員、捏造質問疑惑「偽メール事件と一緒」の指摘も 2013.04.26
  
tokunaga3 民主党に“捏造質問疑惑”が直撃している。同党の徳永エリ参院議員(51)が国会質問で、閣僚による靖国神社参拝に対し、「(北朝鮮による)拉致被害者の家族の方々が落胆しているとの声が聞こえる」などと発言したことに、安倍晋三首相や被害者家族会が猛批判しているのだ。同党はかつて日本政治史に残る「偽メール事件」を引き起こしたが、またやったのか。

 「あり得ない。家族会のメンバーと連絡を取ったが、私を含めて『閣僚の靖国参拝は当然』『誰も発言していない』という認識だ。国会で拉致被害者家族という名前を使った以上、徳永氏はきちんと説明すべきだ」

 家族会の増元照明事務局長は25日、夕刊フジの取材にこう明言した。

 徳永氏の問題発言は、24日の予算委員会で発せられた。麻生太郎副総理兼財務相と古屋圭司拉致問題担当相の靖国参拝を批判したうえで、冒頭の拉致被害者家族の落胆を指摘し、「そんなことで、しっかりと拉致問題の解決に取り組んでくれるのか」とまで言い切ったのだ。

 古屋氏は長年拉致問題に取り組んできたため、「聞き捨てならない。どなたが言われたのか?」と聞き返した。

 安倍首相も「極めて重要な質問。予算委員会ですから、ちゃんとしていただかないと。質問者としての信頼性、民主党の信頼性にかかわる。もし、言ってもいないことを『言った』と発言したとすれば大変。明らかにしないとおかしい」と迫った。

 この後、徳永氏は別の質問に移ったが、インターネットで国会中継を見ていた人々から、電話やツイッターなどで徳永氏に批判が殺到した。

 徳永氏は1962年、札幌市出身。みのもんたの付き人から、テレビリポーターや雑誌記者、飲食店経営などを経て、2010年7月の参院選に民主党公認で北海道選挙区から出馬して初当選した。現在1期目。

 民主党は2006年の偽メール事件で、当時の前原誠司代表が辞任し、質問した永田寿康氏は議員辞職に追い込まれた苦い経験がある。国権の最高機関である国会で質問した以上、徳永氏は根拠を示すべきではないか。

 安倍首相は25日の参院予算委員会でも「(徳永氏には)相当な根拠があったと見るのが当然。それがなければ捏造質問になり重大だ」と指摘した。

 民主党の細野豪志幹事長は25日の記者会見で、「(徳永氏の)質問を見ていない」と前置きしたうえで、「拉致被害者家族は苦労されてきた。(徳永氏は)しっかり確認すべき」「事実関係をみて(党としての対応は)考える」と語った。

 夕刊フジでは、徳永事務所に何度も電話を入れたが、着信音が鳴り続けるだけ。こうしたなか、徳永氏のブログに25日、「予算委員会での質問について」という文章が掲載された。

 これによると、徳永氏は拉致被害者家族の落胆について、「拉致被害者を支援している同僚議員から、『一連の韓国や中国との関係、問題、影響しないだろうか?』と心配する声が出ている、それを話して欲しいと言われたので、お話ししたと言う事です」と伝聞だったと説明。

 それなのに謝罪の表現が一切ないどころか、安倍首相の「捏造質問」との発言に対し、「公共の電波を使って、個人の名前を出し名誉を著しく傷つけるような事はしてはならないことなのでは」と批判までしている。

 前出の増元氏は、この文章について、「偽メール事件と一緒じゃないですか。あきれるしかない。拉致被害者家族会の名誉は回復してもらわないと困る」と語った。

 民主党はどうケジメをつけるのか。
 
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130426/plt1304261142001-n1.htm 

将棋話──将棋専用ツイッターアカウントを作ってみました

Shogi.gif 先日Hさんが、屋敷九段や田中寅彦九段のツイッターアカウントを教えてくれ、「観戦の時にこれを見ると楽しめますよ」とアドバイスしてくれた。

 前々からいくつかの将棋関係はフォーローしていたのだが、本来のツイッターアカウントでは、熱心な政治ネタツイートのあいだに埋もれてしまって見辛い。 

 それで、「将棋専用ツイッターアカウントを作ればいいのか!?」と思いついた。フォローするのもそっち方面ばかりで、流れてくるツイートも全部将棋ネタである。こりゃいいやと、そんなことを思いついた自分に感動した(笑)。
ネット世界に詳しい人なら誰でも思いつくし、やっていることなのだろうが、そうじゃない私は、そんなことを思いついた自分を誉めてやりたい気分だった。



 ということで昨日、作ってみた。まったく別物として作るのか、moneslifeの延長としてやるのか迷ったが、ごくふつうにmoneslife-Shogiとした。

 あくまでも観戦用アカウントであり、将棋ネタで思うことがあったらここに書くし、つぶやくこともないと思うが、一応作ったのでご報告。



 今日は女流王位戦第1局である。里見香奈女流王位VS甲斐智美女流四段。いま棋譜中継を見ている。去年、甲斐から里見が奪い、今年は甲斐が挑戦者。 
 ツイッターに、将棋mobileのTwitter解説というのが流れてきて便利だ。 

 私は、 男の全七冠制覇はもうないと思うが、女の全六冠制覇は大いにあり得ると思っている。もちろんそれを成し遂げるのは里見だ。

 王位を防衛して四冠保持。マイナビ女王はいま2連勝中だから奪取するだろう。それで五冠。
 残るは加藤桃子の保持する女流王座だけである。これも挑戦者になったら、現在の奨励会での里見と加藤の成績を比べたら、加藤があぶないだろう。まずは王座戦の挑戦者になれるかどうかだ。

パット・メセニー「One Quiet Night」──ノラ・ジョーンズからの流れで

Front






















 Pat Methenyの「One Quiet Night」を聞いている。 

 2003年に出た古いアルバムだが、私は入手してからまだ2年ほどでしかない。
 きっかけはインターネットラジオから流れてきた「Don't Know Why」だった。いま調べたら2005年の12月10日にそのことをサイトに書いている。「CDを手に入れるぞ」と決めてからずいぶんとも時間が掛かっている(笑)。

 大好きなノラ・ジョーンズの歌の中でも特に好きな一曲だ。それがA・ギター一本でじつにきれいに演奏されている。低音が異常に強いからバリトンギターなのだろう。鳥肌が立った。誰がやっているのかと調べるとパットだった。

 パットの実力は知っているし、それなりに音も持っている。いまチェックしたら、PMGのアルバムは4枚ある。でもみなグループものだった。というか、パット・メセニーと言ったらPMGだろう。このひとはひとりでやってもこんなに凄いのかと感嘆した。そりゃまあ巧いひとはなにをやっても巧いんだけど、こんな取組みかたをしたアルバムがあるとは知らなかった。2005年12月10日には(笑)。



norah ノラ・ジョーンズのデビューは新鮮だった。夢中になった。あれほど女性シンガーにいれこんだのは20代のときのリンダ・ロンシュタット以来だったように思う。
 あのインドのシタール奏者ラヴィ・シャンカールが59歳の時に白人女性とのあいだにつくった娘である。そのラヴィも昨年亡くなった。ビートルズに影響与えた人だから、ジョンやジョージと比べたらずいぶんと長生きだった。享年92歳は私の父と同じだ。

 ただ、私のノラ好きは──「ノラ好き」と書くと内田百里痢屮離蕕筺廚鮖廚そ个宏;.汽ぅ箸望椶靴書いたけど、初期のアルバムの犧酩吻瓩始まりだった。
 ビリー・ホリデイを聞いて育った彼女のジャジーなヴォーカルセンス、父から受けついだオリエンタルな味わい、そしてこれも私には大事なのだが、彼女にはカントリーの下地もあった、そういう歌手としての彼女が大好きだったのだけど、それと同時に、彼女に提供された楽曲が大好きだった。
 日本で言うなら、ZARDの歌声以上に織田哲郎の曲が好き、に通じる。

 その後彼女は全曲自分で作詩作曲するようになりシンガーソングライターとして自立する。しかし今でもいちばん好きな曲はと聞かれたら、私はこの初期の周囲から提供された作品になる。



 ノラが初来日したのは2002年。まだ世界的ヒットは出していない。プロモーションとしての来日だ。そのあと日本で数回のコンサートをやっている。まだキャパのちいさなホールだ。このとき観られたひとはしあわせだ。うらやましい。
 J-waveのプロデューサーであるM先輩はこのとき局に挨拶に来たノラに会ったとか。新人のノラはとてもきさくだったらしい。今じゃ大スターだけれど。
 今日はひさしぶりにノラのライブDVDでも見ようかな。



 ところで、たしかにパットのこのアルバムは深夜や明け方に愛聴しているのだけど、かといって急いでここにアップするほどのことでもない。なぜそんなことをしたかというと、下の社民党の醜いポスターを見るのがイヤだったから。それが自分のブログのトップにあるのが我慢できなかった。
 パットとノラのアルバムジャケットをトップにもってこられてほっとした。 

社民党のイメージポスター「やさしい社会」──最悪のセンス──こういうひとたちがいたことを覚えておきたい

社民党がイメージポスター「やさしい社会」

shaminイメージポスターを発表する社民党の福島瑞穂党首(右)と吉田忠智参院選闘争本部事務局長=23日、東京・永田町の社民党本部









 社民党は今年7月予定の参院選に向けたイメージポスターを製作し、23日に福島瑞穂党首(57)らが東京・永田町の党本部で発表した。約3万枚を印刷する。

 ポスターは「強い国よりやさしい社会」をキャッチコピーに、事故で損壊した東京電力福島第1原発の原子炉建屋の写真を使用し、脱原発の姿勢を強調した。

 福島氏は「事故が起きる社会ではなく、環境や命を大事にする安心安全な社会を目指す。安倍政権と、とことん戦う」と意気込みを示した。
http://www.sanspo.com/geino/news/20130424/pol13042405020000-n1.html  2013.4.24 05:01

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 社民党という文字を打つのさえ吐き気がする。確実に今夏の参院選で消滅する反日悪鬼共のことなど触れたくないのだが、このような狂った感覚の連中だということは、正視して記憶しておくべきだろう。



 私は人生の基本をごく単純に、「なにをかっこいいと思うか!?」においている。幼稚なようだが人生の指針なんてそんなものだ。
 新品のジーンズをかっこいいと思う時代もあれば、わざとそれをボロボロの穴だらけの古物にするのをかっこいいと思う時期もある。時代により、経済により、個人のそれも変る。すくなくとも、日々の衣服に困るひとは、やっと手に入れた新品のジーンズにわざと穴を開けたりはしない。
 手一杯の生活なのに、給料の大半をクルマのローンに廻す若者がいる。カップラーメンを啜りつつも、クルマだけは大きくてかっこいいのに乗らねばならないというこだわり。
 と思ったら時代が変り、「若者のクルマ離れ」だとか。かつてはかっこよかった?そういう痩せ我慢が、時代と共に愚行となったらしい。それもまた時代。
「なにをかっこいいと思うか!?」で、そのひとが見える。



 このひとたちは、こういうポスターをかっこいいと思っている。この絵柄を選び、それに満足している。それが日本国民の共感を得ると確信しているのだ。話して通じる相手ではない。

 こういうことをする感覚を推測するなら、「損壊した無惨な原子炉建屋の写真で恐怖を煽る」→「原発は怖い。こんなことになったらたいへんだという脅え」→「原発反対の社民党支持」という計算なのだろう。恐怖を煽って自分達の支持に結びつけようという計算がすでに頭の壊れたひとの発想だ。
 それでいて一方では、「自民党は中国や北朝鮮の恐怖を煽って軍拡しようとしています」なんて批判の方法を採る。アホ!

 しかしまともな日本人なら、こういう写真をイメージに使い、嬉々として写真を指差す政治家を否定する。そういう狆鐚鵜瓩、このひとたちには通じない。この写真を指差して悦に入っている。一種の狂人である。だが狂人の基本が「狂人の自覚がない」のと同じく、このひとたちにもそれはない。損壊した建家より、こういうひとの心のほうがよほど怖い。

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shamin2 こんなのもいた。多数与党の民主党にくら替えして、要職にまで就いた。
 昨年、やっと落とせたかと思ったら、比例で復活した。こいつと菅の復活がくやしい。

 こうして仲好しぶっているのが嗤える。犬猿の仲なのにな。

「連立政権でやります」とある。悪夢の民主党政権があり、こいつらも「政権与党」だったのだ。思い出すだけで怒りに震える。






shamin3  こんなのもいた。いま「未来の党」の代表だ。 
 こちらはもともと福島とは犬猿の仲だった。袂を分かって当然。 

乙武さんの「謝々、台湾!」に涙──パラリンピック嫌い

 私は「五体不満足」は出てすぐに読んでいるけれど、かといって乙武さんのファンなわけではない。
 ツイッターでもフォローしていないし、彼自身の体をネタにしたギャグを笑う気もない。彼をフォローし、彼の「これじゃ手も足も出ない。もともと出す手も足もないか」とか、「完全犯罪。指紋が残らない」のような冗談に笑うひとはどんな感覚なのだろう。私にはわからない。
 むしろがんばりすぎる彼の活躍は目にしないよう、避けているほどだ。

 彼は、障碍者は特別なものではないとして、一般人との垣根を取り払う努力をしているようだから、私のような考えはいちばん嫌いかもしれない。
 私はパラリンピックを見ない。両足のないひとが膝から下に金属性のバネをつけて走るのを見たって愉快にはならない。それをするひとの楽しみは否定しないけど、足のあるひとがあれを見て、どうやって楽しむのかがわからない。見たくない。触れたくない。

 これはずっと前から書こうと思いつつ書けなかったことだ。今の世の中、パラリンピックに否定的な意見を言ったらたいへんなことになる。毒舌を売り物にしているタレントもぜったいに口にしない。私もむろん否定はしない。大いにやったらいいと思う。個人の趣味として、その中継番組を見ないだけで。
 差別はしないけど、かといってああいう世界に溶け込もうとも思わない。これは区別であり、区別は差別だと言われたらそうかもしれないが……。

 でも、「パラリンピックをもっともっと中継しなきゃいけないんです。もっともっと大きな規模でね、オリンピックと同じ規模でやるべきなんです」なんてトンデモを、いかにも障碍者の味方面して、しかつめらしくしゃべっているみのもんたなんかよりは、基本の感覚はまともだと思っている。



 話題になってしばらくしてからだったが、YouTubeで、東北楽天での乙武さんの始球式を見たことがあった。そのときも、見ていてつらくなっただけだった。乙武さんが頑張るのを見て勇気をもらったというひとがいるが、私はいつも「そこまでやらなくてもいいのに」とつらくなってしまう。 

ototake













 なのに今日、台湾の野球場で、顎と肩でボールを挟み、「謝々、台湾!」と叫んで投げる映像を見たら、どわーっと涙が出てしまった。なぜなのだろう。楽天の時はそれはなかったのに。

 台湾だからか。自分でもよくわからないので、確認のためにいま、もういちど見てみた。するとやっぱり涙が出てきた。「謝々、台湾!」の叫びで涙のスイッチが入るようだから、日本のことをあれほど思ってくれた台湾に失礼なことをした民主党政権への怒りとか、あのAsusの基板に書かれたGod Bless Japanの感動とか、なのに台湾の新聞に感謝広告を載せる運動に一口小銭で関わるぐらいしか出来なかった自分のなさけなさとか、今回その気持ちを代弁してくれた乙武さんへの感謝とか、それらが入り交じって一気に噴出するらしい。

 あらたにまた民主党への怒りが湧いてきた。あいつら、「もう一度私たちにチャンスを!」なんて、まだ言っているらしい。自分達のやった愚行と罪に気づかないほどの愚だ。

 乙武さんのがんばりで、台湾のひとが日本人みんなの「謝々、台湾!」を感じ取ってくれたならうれしい。
 ありがとう、乙武さん。



 なお、上のは写真だけ。クリックしても映像は流れません。(やったひとがいるような気がする。)
 下のリンクから行って、あちらで観てください。

http://news.livedoor.com/article/detail/7618398/ 

将棋話──サンスポ「甘口辛口・今村忠」のつまらん電王戦感想──知らないのだから書くな、書くならすこしは勉強しろ!

 サンスポの「甘口辛口」というのに、じつにくだらん文章があった。書いているのは今村忠というひと。

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●棋士側に意味を感じないコンピュータソフトとの対局

2013.4.22 06:41 [甘口辛口]
 1秒間に2億5千万手を読む将棋のコンピューターソフトにトップ棋士の一人、三浦弘行八段が負けた。5人のプロ棋士が5種類の将棋ソフトと対戦した団体戦「第2回将棋電王戦」の最終局。三浦八段の負けで棋士側は1勝3敗1分けで終わった。「プロは強い」と絶対視されていた棋士にとって、これ以上の屈辱はないだろう。

 将棋は概して好手を指した方が勝つというより、悪手を指した方が負けるといわれる。人間同士では相手が悪手を指すと喜びすぎて自分も悪手で返し、負けることもあるからだ。ところがソフトは悪手を指すと、容赦なく正確無比に突いてくる。そこには人対人での駆け引きなどは存在しない。

 電王戦は持ち時間が各4時間だった。「持ち時間10秒のような早指しになると差は歴然。なにしろ向こうは10秒では25億手読むことになる。人間はせいぜい本筋を含めて、2〜3手がやっとだから…」とある高段棋士は苦笑いした。反対にソフト開発者は「既にソフトは名人を超えた」と、自信たっぷりという。

 コンピューター将棋が強いのはよくわかったが、この対局が棋士側にとって何の意味があったのか。負けによってプロとしての存在意義が薄れたといわれても仕方ない。好対照の棋風でファンを沸かせた大山康晴vs升田幸三のように、人間力や個性のぶつかり合いで将棋の面白さを広めることに専念すべきではないか。
 コンピューターには他に人間を超えてほしいものが沢山ある。たとえば「くるぞ、くるぞ」といわれる大地震はいつどこにくるのか。予知となると人間は無力だ。1秒間に2億5千万手の読みこそ、そうした人の命に関わることに生かしてもらいたい。(今村忠)

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 こういう薄っぺらで無内容な文章って、一読するだけですべてが見える。
 この今村ってひとは、将棋もコンピュータも知らない。電王戦は、いわゆる「旬の話題」として取りあげているだけだ。よくいるコンピュータを知らないおっさんらしく、それふうに人間側の肩を持った文を書いただけである。
 コンピュータに対する基礎知識として「1秒間に2億5千万手を読む将棋のコンピューターソフト」を強調する。数字のマジックによるこけおどしである。そしてまた「大山、升田」なんて名前を出す。「古くからの智識があるんだぞ!」という外連である。しかしこのひと、大山升田に関してもまともなことは語れないだろう。一瞬で判る。

 そして結びはだれもが興味を持っている「地震予知」に繋げる。いかにも、な結び。それでコラム、いっちょ上がり。なんとも安易な姿勢が見えて、将棋好きとしても、コンピュータ好きとしても、次の地震を案じる日本人としても、たまらん気持ちになる。これが日本の「コラムニスト」の現状だ。



 コンピュータを知らないひとの顕著な特徴は、知らないから嫌っているのだが、同時にコンピュータに異様な恐怖心をもっていることだ。ある種、誰よりもコンピュータを崇拝していると言える(笑)。「スイッチポンで、あっと言う間に、凄いことを何でもやってしまう」のように思いこんでいる。コンピュータは、人間がひとつひとつプログラミングしないと何もしない、出来ない。

 先程、YouTubeで「ほこたて」を見た。「最新シュレッダーで断裁した絵葉書文章を、スキャンし、結合するプログラムで読めるところまで復元できるか」という闘い。コンピュータ側はアメリカのプログラマー軍団。絵葉書の断片をスキャンし、読み取り結合を始めるところからはコンピュータの出番だが、その前は、鼻息で吹き飛ばさないようマスクをした人間が、細いピンセットで断片をひとつずつスキャナーで読み取らせる手作業だ。コンピュータを嫌い、やたら怖れ、一方で意味なく崇拝する連中は、ここの流れがわかっていない。

 将棋ソフトも、人間が作りだした過去の棋譜を読みこんで学習する。プロ棋士にとってコンピュータとの闘いは、機械との闘いではなく、過去に自分達が紡ぎだしたものとの闘いでもある。



 こういうコラムをしたり顔で書くひとは、ニコ生中継を見ながら、将棋ファンがどんなに熱狂したかなんてわかりゃしない。塚田にもらい泣きした気持ちなんかわからない。
 わからないのは、彼らに無縁の世界なのだからそれでいいけれど、わからないくせにわかったふうなことを書くからたちがわるい。棋士にもコンピュータソフト開発者にも将棋ファンにも失礼だ。その「失礼」の感覚が缺落している。「紙メディア」でのマスコミ意見だから粋がっている。ふんぞりかえっている。自分の滑稽さに気づいていない。上半身は正装して立派だがズボンを履き忘れている。ついでにパンツも。

 サンスポを毎日購入していたころから、つまらんコラムだなあと読みたくないのに目を通しては惘れていた。いまだにこんなことを書いているのか。どうしてこんなものが続いているのだろう。サンスポに自浄作用はないのか。

「読みたくないのに目を通して」いたのは私が活字ケチだからである。せっかく買ったものだからと、やりもしない競艇やインチキ競馬予想会社の広告まで、そこにある活字全部を読んでしまう。それでもさすがに最後のころはこのコラムとエロ記事は読まなくなっていた。



 しかしまたよくできたもので、世の中にはこういうのを好むひともいる。この今村というのと同じようなひとだ。将棋も知らない、コンピュータもいじれない、でもニュースで「将棋のプロ棋士がコンピュータに負けた」らしいと一行ニュースとして知る。そしてこういうコラムの「1秒間に2億5千万手!」というこけおどし数字に反応する。それがもう罠に落ちていることなんだけど。
 期待通りに、このコラムのように、「それがなんだってんだ、コンピュータにはもっとやるべきことがあるだろう」のような「わかったふうの」意見を言う。まあそんなひともいて世の中、動いているわけだが……。



 第五局が終り、電王戦総括としての記者会見。
「時間の関係で、最後の質問にさせていただきます」に手を上げ、質問したのは産經新聞のフジタというひとだった。
 質問内容は「(ニコ生を)どれぐらいの人数が見たのか教えてくれ。一日でもいいし、総数でもいいし」

 そんなことすら知らないなら記者会見に来るな。最終戦第五局の取材に来るなら、第一局から第四局まで調べてくるのが記者の基本だろう。それらはすべてニコ生で見られるようになっている。ニコ生を一度も見たことすらない門外漢なのが丸わかりだ。それが日本のマスコミか。
 なんだか虚しくなるような最後の質問だった。

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【追記】──2ちゃんねるにスレがありました 20:17

●2ちゃんねるの「甘口辛口」のスレ

 2ちゃんねるにこの件に関するスレが立っていました。
 総じて、真っ当な批判が多く安心しました。日本人はまだまともなようです。
 もちろんこのコラムを賞讃している意見もありました。

 最後の「こいつらって、コンピュータに命令すればなんでも出来ると思ってるじゃねーの?」に強く同意します。
 知らないんだから書くな、書くならすこしは勉強しろと言いたくなります。



36 :名無しさん@恐縮です [↓] :2013/04/22(月) 10:41:37.69 ID:yD+smNTp0
負けた途端今までが無意味みたいな意見言い出すのはバカすぎねえか?

棋士のレベルも半端無いから2013年まで勝てなかったんだろ。俺が相手なら
20年前のPCでもコンピューターの勝利だわ。



39 :名無しさん@恐縮です [↓] :2013/04/22(月) 10:42:34.18 ID:Dhenj3Le0
>存在意義が薄れたといわれても仕方ない

馬鹿の筆頭
これがマスゴミか 



52 :名無しさん@恐縮です [] :2013/04/22(月) 10:46:41.00 ID:Ws9NvrKoP
こいつらって、コンピュータに命令すればなんでも出来ると思ってるじゃねーの?

二億通り以上の先手を作り出すアーキテクチャは人間が考えてんだよ

地震予測をやれ?
だれがその元となるアーキテクトを創るのですか?

一見無意味とも思える将棋プログラムがその肥やしにもなるのですよ?

パソコン話──ブログアクセスの6割がAndroidとiPhone!?


 外出するとき雑誌を買う。しっかりした本を読むときもそれなりにあるが、電車の中では雑誌が愉しい。 きちんと本屋で買えばいいのだが、いつも駅に着いてからそれに気づき、けっきょく毎回kioskで『週刊アスキー』を買っている。どうせなら本格的なコンピュータ月刊誌のほうが好ましい。

 『週刊アスキー』は 創刊のころから毎号買っていたが、今ではそんなときしか買わなくなった。 月に2冊ぐらいだから、かえってそのことで見えてくるものがある。 ここのところまったく愉しくない。 記事のほとんどがスマートフォン絡みだからだ。 もはやパソコン雑誌とは言えない気がする。スマートフォン雑誌だ。でもそれは読者の要望なのだからしかたない。そういう時代なのだ。ガラケーおじさんの買う雑誌ではない。

 ※
 

os-android ブログの誤字直しをしていて、たまに開ける「アクセス解析──ブラウザ/機種」というのをクリックした。するととんでもないことになっていた。な、なんと、いつのまにかAndroidとiPhoneがWindowsを越えていたのだ。6割である。

 いずれそんな日が来るとは思っていたが、まさか自分のところで、こんなに早くこうなるとは思わなかった。しばし唖然とする。

 しかし、と思う。いくらなんでも急すぎるのではないか。ここを見るのは月に1度ぐらいで、今回は2カ月ぶりぐらいだが、たしか前回はWindows7が1位、次いでXPだった。こんなに急な逆転てあり得るだろうか。なんか間違えている気がする。

  と、そこで気づいた。「ここはどこだ?」と。確認する。
  そこは【芸スポ萬金譚】だった。そうか、そうだったのか。安心する。

 ここのところなぜか【芸スポ萬金譚】が人気があって、【木屑鈔】よりアクセスが多かったりする。まあテレビ番組とかお笑い芸人とかイージーなネタだから読みやすいのだろう。とはいえ中身はけっこうキツいことを書いているので一概にお気楽ブログとは言えないと思うが。



 本拠地?の【木屑鈔】に戻って同じ事をやってみる。Windowsであってほしい。

os-windows よかった。Windowsだった。以前見た通りだ。変っていない。それでも以前と比べるとAndroidとiPhoneは伸びている。それだけ世の中そういう時代なのだ。必ずしもスマートフォンに限らず、タブレット端末も多いのだろう。なんとも複雑な気分である。まさしく「パソコン時代の終り」というのがひたひたと迫ってくるのを感じる。世の中がどうなろうと、私は「最後のデスクトップ機使い」になる決意をしているので平気だが。

「よかった」ってのもへんな感想だが、Windowsデスクトップ機で書いているので、読んでくれるほうもそうであって欲しいと本気で願っている。まあデスクトップ機はもう死に体のようだから、そこまでは無理としても、私の書いていることはスマートフォン向けのものではないと思うのだけど……。いやいや、なんでもいいんですけどね、読んでくれるひとに文句は言えません。

 たぶん私は【芸スポ萬金譚】で「アクセス解析──ブラウザ/機種」というのをやったことがなかったのだ。きっとあちらはだいぶ前からスマートフォンの時代になっていたと思う。私が気づかなかっただけで。

 しかしこれは敢えて嫌われ者になって言えば、電車の中でスマートフォンをいじっているようなひとは、テレビ芸能ネタなんてのを探している、と言える。あまりにサンプルがちいさいので(笑)えらそうなことは言えないが、方向性としては正鵠を射ているだろう。1日に10万アクセスもあるような、写真と1行2行のコメントだけの芸能人ブログなんてののアクセスは、9割方携帯電話からなのではないか。



 Windows8はタッチパネルに対応している。それで時折IMEのところがへんな表示になることがある。なんなのだろうとクリックしたら、いきなり画面にキイボードが出た。なぜそうなってしまうのか、ちょっと苛ついている。今から検索して調べ、そうならないよう、機能そのものを削除してしまおう。写真は2面ディスプレイの左側下半分に、そのタッチキイボードが出ているところ。

 こんな感じでいきなりドーンとタッチキイボードが出現する。タスクバーのプロパティで無効に出来るのだが、それをしておいても、なぜか自動復活してくる。気分のわるい話だ。
 液晶画面を指で触るなんてイヤだ、ってのはもう時代遅れなんだろうなあ。スーパーのレジだってみなそうだし。同じ事を言っているのは同世代の<きっこ>おやじぐらいしかいない。私は一応DS、3DSではそれをやっているから<きっこ>おやじよりは適応性はあるか(笑)。

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将棋話──電王戦第五局──声優・岡本信彦の将棋実力──本物を見ると気分がいい

Shogi.gif もうひとつHさんのメールから。
 声優岡本信彦さんのこと。
 私もこのひとのことを書こうと思っていたので、いいタイミングで触れてもらいました。



okamoto2












> いままでコンピュータソフトは、棋士の過去の定跡から戦法を構築して行くので、新手、新定跡とは無縁、創りだすのは無理

一方で、こちらこそ純然たる新手、新構想といえるかもしれないのは、gps将棋が突いた矢倉の端歩△1四歩ではないでしょうか。

この歩は端攻めされる恐れがあるので突いてはいけない、というのが定説でしたし、ニコニコ生放送の大盤解説でも、ゲストの声優の岡本信彦が指摘していました。

小学生時代は研修会にいて将棋連盟の道場で三段、橋本八段に飛車落ちで勝ったことのある、かなりの指し手です。こういう人が、ニコニコ動画というメディアをハブにして「アニメ」と「将棋」を繋ぐとすれば、ニコニコに進出した甲斐があったと思います。
ただ、大島麻衣に厳しい指摘をされる結城さまですから、もしかすると評価はされないのかもしれませんが。




 私はこのひとをまったく知りませんでした。今風のさわやか青年がゲストとして登場したとき、だいじょぶかと案じました。

 【芸スポ萬金譚】につるの剛士のことを書いています。この時点では彼の将棋好きに感心していたのですが、あの「将棋検定テスト」の時、いつだっけ、あれ、森内名人も受験したヤツ、え〜と、忘れた、調べる、ああ去年の10月か、あれの簡単なやつをスタジオでやったら、「次の三人の内、名人位をいちばん多く獲得しているのは? 1.羽生、2.中原、3.大山」で、羽生を選んでハズれているのを見て、「こいつ、ほんとに将棋好きなのか!?」と急に疑問に思いました。彼が彼なりに将棋好きなのはまちがいないのでしょうが、でも将棋好きと、そういう無知が同時に存在しているのですね。だけどこれはちょっとお粗末です。

 「社長島耕作に少年編が」には、「アメトークの島耕作特集に疑問」を附記しました。島耕作大好きだという芸人が集まってそれらしいトークをするのですが、30そこそこの連中の知識は浅く、見ているのがつらくなりました。

 そういうことをさんざん経験してきているので、私は、この青年(そのときには名前も覚えていません)に懐疑的でした。「将棋、だいすきなんですぅ」なんて女が登場して、口先だけでうんざりしたなんてことは多々あります。



okamoto













 でも嬉しい誤算、本物でした。
 Hさんと同じく、矢倉で、後手からの1四歩にすぐ反応し、指摘した時点で、「あ、これは強い人だ」とわかりました。その後の意見もすべて見事でした。

 そのときに、「あとでこのことをブログに書こう」と思ったのですが、彼のことをなにも知らないので戸惑っていました。知らない人のことだから「あの青年は本物だ」としか書けません。
 今回Hさんから「小学生時代は研修会にいて将棋連盟の道場で三段、橋本八段に飛車落ちで勝ったことのある、かなりの指し手」との情報をもらいました。研修会にいた本物なのですか。そりゃ指摘のセンスもいいはずですね。

 「大島麻衣の競馬」は、知らないのに知ったかぶりするから、タレント売り出しの戦略としてまちがいではないのか、につきます。もう一歩かしこいと、引くこともできるのでしょうが。
 その点、岡本さんは本当に棋力があるから本物です。

 岡本さんが、声優という仕事と、かつてはプロを目指した本格派の将棋好きということを、うまく両立させ、絡めて、ふくらませ、大きく成長することを、心から願っています。

将棋話──電王戦第五局──7五歩からの仕掛けは新手ではなかった!

Shogi.gif ニコ生で電王戦第五局を再生しながら書いています。10時間39分の中継をもういちど見られるのだから贅沢です。ニコ生に頭があがらん。

denou5-7  この局面。
 詰めろ詰めろで迫ってくるGPS。

 なんとか振りほどこうとするのですが、解けません。

 解説の屋敷と矢内も懸命に考えるのですが脱出口が見えません。沈痛な雰囲気になってきました。

 胃が痛くなる場面です。しかも相手は矢倉の堅城で手つかず。三浦八段が顔を真っ赤にして苦しんでいます。

 私はこのあたり、リアルタイムで見ていませんでした。いま「タイムシフト再生」というこれで見て、三浦と一緒に苦しんでいるところです。



 Hさんがまたすごいことを教えてくれました。Hさんと同じぐらい詳しいひとはもうご存知でしょうが、私レベルのひとには驚愕情報だと思うので、紹介させてもらいます。
 あの「7五歩」からの仕掛け、勝又や渡辺竜王が「新手」と言った手に前例があったというのです。
 以下、Hさんのメールからの引用です。

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> 7五歩からGPS将棋が仕掛けたところ。勝又によると新手だという。新手で三浦を撃沈したのだ。

このくだりですが、おそらく屋敷伸之九段だろうと言われている匿名のTwitterアカウントの@itumonhttps://twitter.com/itumon が、非常によく似た実戦例が1982年に存在していた、と教えてくれました。
しかもそれが、この日将棋会館にいた、電王戦出場者の塚田泰明と、開催に関与した連盟の理事の田中寅彦の対局というのだから、真部一男の幻の4二角と大内延介の局にこそ劣りますが、なかなかの因縁でしょうか。

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@shogishogi ありました!1982年の全日本プロの▲塚田四段ー△田中寅彦六段がこの仕掛けですね。(塚田先生が先手なので)▲3五歩△同歩▲2六銀△3六歩▲3五銀△4五歩と進んでいますね。本当にありがとうございます!

https://twitter.com/itumon/status/325653845457911808

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このアカウントが屋敷ということは一度も明言されていないのですが、タイトル棋戦を リアルタイムで解説するときの分析の深さと鋭さが並大抵ではないこと、屋敷が対局のときや大盤解説などのときはツイートがないことから、ほぼ屋敷で間違いないだろうと言われてます。あまりTwitterは活用されていないと書かれているのを拝見しましたがタイトル戦のときなどはこちらのアカウントをフォローされておられるとより楽しみが増えるのではないかと。

勝又がこの棋譜を見つけられず、渡辺も初めてだと言ったのは無理もないかと思います。


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 ふうむ。もう溜め息しか出ません。そうなのですか。コアな情報をありがとうございました。31年前の棋譜ですものねえ。さすがの勝又教授も気づきませんでしたか。お化け屋敷はそんな活動をしているのですか。なぜ正体を隠しているのでしょう。

 Twitterは「あまり活用していない」どころか今はまったくやっていません。起きている間中、絶え間なく呟き続けている<きっこさん>のようなひとを見ると、狂人としか思えませんし、サラリーマンやOLが仕事の合間に、あれこれ思いつくことを呟いているのを見ると、気味が悪くなります。あれに中毒したら黙ってはいられなくなるのではないでしょうか。ツイッターで知りあったひとでまともなひとを知りません。

でも、こういう話を聞くと見直します。とはいえ私のフォローしているのは政治関係のかたばかりで、将棋関係をフォローしても、めちゃくちゃ活動的なそのひとたちの発言の中に埋もれてしまいます。いまも橋本八段とかいくつかフォローしてますが、埋もれてしまって見にくいです。

 そうか、将棋情報を得るためだけの将棋専門アカウントを作ればいいのか。なるほど、Twitterというのはそういうふうに使い分けるものなのですね。早速いまからやってみます。

将棋話──電王戦第四局、第五局に【追記】──メールをくれたHさんに感謝を込めて──「名人戦」のことを書いた夜

 コンピュータ将棋にとても詳しいHさんが、長文のメールでご意見をよせてくださり、私の観戦記の勘違い等を指摘してくれました。

電王戦第五局「GPS将棋、三浦八段に勝つ」

電王戦第四局「塚田八段対Puella α 持将棋」

 修正部分を下部に*マークで追記しました。

 Hさん、ありがとうございました。また何か気づいた点がありましたら教えてください。感謝しています。

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●仕事に対する私の基本姿勢──将棋、放送、競馬、その他あれこれ

 私は、マイナーではあるけれど、良質の仕事をこつこつとこなしてきたと自負しています。
 私と感覚のちがう同業者は、「おれは来た仕事は断らない。それがポリシーだ」と言っていました。依頼があった仕事は絶対に断らないというのです。どんな仕事も受けるのだから収入にはなるでしょうが、ずいぶんと質の悪いいいかげんなこともしていました。いわゆる団塊の世代というのは、最高最悪の競争社会を生き抜いてきたので、仕事を断ったら他人に取られる、二度と発注が来ないかも知れないという恐怖を抱き、注文を断れないようです。そのことにより、ろくに知らない内容の仕事でも、来たら全部受けてしまうのでしょう。井崎さんとか石川さんはこのタイプですね。上記のその理由をご自分たちで口にしています。



 ベビーブーマーの正しい意味を知らないひとは、なんでもかんでもおっさんを狠腸瑤寮ぢ絖瓩砲靴討靴泙い泙垢、私は正しい意味で団塊の世代ではありません。それは正真正銘の団塊の世代である兄と比べるとよくわかります。5歳上の兄と私では中学校のクラスの数が倍もちがいました。当然競争の限度がちがいます。兄のときは一組50人以上で12クラスもありました。私の時は40人で6クラスです。半分以下です。それほどちがうのです。ベビーブーマーとは、あの第二次世界大戦が産んだ異常な世界でした。兄の世代は先生に対して「ハイ! ハイ!」と積極的に手を挙げないと、永遠に指名されない(覚えてもらえない)世界です。目立ち根性がちがいます。私のときは、手を挙げなくてもふつうに順番で指名されてしまう世界でした。そして今その田舎は過疎になり、一年生と二年生が一緒に学ぶ「複式学級」とかいうのになっています。併せても20人もいない世界です。兄の世代と複式学級では、同じ学校でも全然ちがいます。団塊の世代のああいうひとりひとりの存在感が薄くなってしまう競争社会に生きてきたひとは発想がちがいます。何を考えるにしても段階の世代は独特の発想をします。そういう競争社会に生きてきたからでしょう。たとえば「カンナオト」なんてひとの目立ちたがり根性が典型です。私からすると「来た仕事はどんな内容でも必ず受ける」という発想は理解し難いものになります。

 私は彼らとは逆に仕事を選びに選び、納得できる数少ないものだけを受けてきました。「やっつけ仕事」をしたことは一度もありません。それは私の誇りです。後々恥じることのない仕事をするのが私の基本でした。



 将棋では、むかし「月刊プレイボーイ」から、本来それを書くはずだった弦巻というカメラマンが締切を守らず、ぎりぎりになって書けないと逃げてしまい、そこが白紙になってしまいそうだから助けてくれと編集者から電話が来たことがありました。電話が来たのが夜の9時、ぎりぎりで印刷所に放り込む締め切り時間は明日の朝の6時だとか。

 親しい編集者ではありませんでした。弦巻というひとが、ぎりぎりで行方不明になったため、錯乱状態に陥り、知り合いのライターに片っ端から頼んだけど全員断られ、そのときなぜか私が将棋好きだったことを思い出し、もしかしたら書けるのではないかと、わらにもすがる思いで電話してきたようでした。

 テーマは谷川が新名人になり「あたらしい時代が到来した」ことを、歴代の名人戦を振り返りつつ書くというものでした。書けるか書けないか一瞬考え、書けると判断し、受けました。ひどいものを書いて後々まで悔やむようになる可能性もありましたが、義を見てせざるは勇なきなりと、なぜかそのときは思いました。

 そのとき私が相手に出した条件は、「ワープロのシャープの書院を用意しておいてくれ」だけでした。使い慣れた書院を用意してもらえばなんとかなるはずです。逆に、それがないと量的に手書きでは自信がありません。まだPCではなく「書院」で書いている時代でした。私のは、固定型の大型のタイプだったので持参するわけには行かず、「用意してくれ」と頼んだのですが、今は、ユーザー辞書の入っている自分のワープロをタクシーで運べばよかったのだと気づきます。そのときは思いつきませんでした。けっこう私もテンパっていたのでしょう。

 あちらから用意できそうだと返事があった後、編集部に駆けつけ、会議室の中で、一切の資料もないまま、徹夜で、なんとか6時直前に書きあげました。4ページ用で原稿用紙換算20枚ほどでした。きつかったです。
 谷川が中原から名人位を奪った時期のことでした。テーマもそれです。大山から中原、そして谷川と、自分でもあれこれ想うことがあったので書けた原稿でした。谷川が初めて名人になり、あの名台詞「名人を一年預からせて頂きます」の時ではありません。あれは加藤一二三から奪取した時です。
 中原から奪い、「中原さんに勝って初めて名人」と思っていた谷川が、真の谷川時代に向かって歩き始める時です。(でも中原さんは、谷川からまた取りもどします。驚異でした。感動しました。)

 一晩で仕上げたのですから、何十回も読み直して推敲するのが常の私の仕事としては、時間的に一種のやっつけ仕事になりますが、出来上がったものに関しては今も自信を持っています。
 落ちるかもしれないと覚悟していたのをぎりぎりで助けてくれたとたいそう喜んでもらい、編集長までニコニコ顔で出てきて、握手をして(笑)、その場でギャラの20万をくれました。ギャラのことは聞かずに受けました。いわゆる「とっぱらい」で、後に源泉徴収も来なかったように記憶しています。一晩で20万だといい仕事のようですが、当時の私は馬券狂なので、その週にすぐに溶かしてしまいました。

 弦巻さんというひとは、将棋関係では高名なカメラマンらしく、そのときカメラマンを飛びこえて、さらに「エッセイスト」としてデビューしようと思ったようです。でも現実にはまったく書けず逃げ出しました。いまも名物カメラマンらしく、大言壮語しているのをたまに将棋雑誌で見かけますが、迷惑を掛けられた私は好印象をもっていません。逃げた詫びもありませんでした。積み重ねてきた将棋愛があったから、水準以上のものを書けたと思っていますが、へたをしたら、唯一の、今も恥じる、やっつけ仕事になるところでした。

 前記、「今も自信を持っています」にはすこしウソがあるかもしれません。後々後悔と羞恥で身悶えするようなひどいものを出さなかったというだけで、三日あったらもっといいものが書けたし、一ヶ月前に正規の注文を受けていたら、どんなにいいものが書けただろうとは思います。だから、やっぱり、これはこれで私の「将棋関係唯一のやっつけ仕事」なのかも知れません。



 放送関係は学生時代から親しくしてもらっているM先輩がディレクトする仕事をやってきました。これもM先輩という仕事に厳しいすばらしいかたがいたからやったのであり、手を広げませんでした。心優しいM先輩は、自分にもっと力があったら、私にももっともっといろんな仕事を廻して遣れたのにとおっしゃってくれたことがありましたが、私はM先輩以外のディレクターと仕事をする気はありませんでした。自分から世界を縮めているようですが、後々恥じない仕事をするためには、己の力に応じた、こういう縮めかたも必要と思っています。



 競馬では、この20年を振り返ると、ずっとYさんという名編集者に支えられてきたのだと、あらためて気づきます。
 理科大院卒のYさんは、理系独自の厳しさで、情というか乗りで書く私の文章を、上手に諌めてくれます。Yさんの指摘により、私は脱線した部分を修正し、飛びだしたよけいな枝葉を剪定します。結果としてこの20年、私とYさんのタッグで創りだしたそれは、どこに出しても自慢できるだけのものであったと自信を持っています。昨年の仕事など、たった4枚を書くのに、どれほど多くの資料を読んだ(読まされた)ことか(笑)。

 今春、移動でYさんは私の担当ではなくなってしまいました。今更ながらYさんの世話になっていた自分に気づき、とても心細い心境で仕事をする春です。



 Hさんも理系のかたなのでしょうか。私の脱線した部分を適確に指摘してくださるメールを読んで、私の缺けている部分を補ってくれる感覚に、Yさんとの仕事をなつかしく思い出しました。
 Hさんがコンピュータ将棋に興味をもったのは「渡辺対ボナンザ戦」からだとか。そのあとの集中しての取り組みかたと系統だった智識は、やはり理系の智性を感じます。
 私も一応理系崩れ(笑)で、数学大好きであり、いわゆる「国語英語が大得意。数学物理はチンプンカンプン」というタイプではないのですが、大ざっぱな自分を反省するたび、本物の理系のきちんとした感覚のかたはすごいなと感嘆します。

 Hさんは今回あらたに知りあったかたではありません。もうずいぶんと前から、気づいたことがあると指摘してくれます。ありがたい存在です。今回のメールはひさしぶりでした。

 今日も雨。
 ひさびさに「インターネットもいいもんだ」と思える朝になりました。多謝。

将棋話──電王戦第五局──GPS将棋、A級三浦八段に完勝!──歴史的変革の日

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小雨の日、GPS将棋が、現役A級三浦八段に、矢倉で完勝した。今年1月12日、A級順位戦で羽生のA級21連勝を止めた三浦である。1996年、無敵の羽生七冠から棋聖位を奪い、七冠を崩壊させた、あの俊英の三浦である。そのことにより、「電波少年」で、松本明子にアポなし押し掛け交際を迫られ、「最初はお友だちから」と応じていた、あの三浦である。それが木っ端微塵にされた。
(写真は朝の10時40分。観戦者は56000人)



佐藤四段の和服が気合なら、*1カジュアルなセーター姿での対局は、これはこれで三浦の対局に臨む姿勢だったのだろう。かなり意図的だったと思われる。おまえごときに正装はしないという。
(いま18時50分からの記者会見では、背広を着てきた。)



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この勝利の価値は大きい。現役A級の三浦からの完勝なのだ。奇策ではない。三浦得意の矢倉なのだ。しかも7筋からGPS将棋が仕掛けての完勝である。残り時間は三浦が1分。コンピュータは1時間53分。
コンピュータ側の3勝1敗1引き分けだが、実質4勝である。
Puella αの伊藤が言うように、もう最強の将棋ソフトは「名人より強い」と言えるだろう。
森内名人がGPS将棋に勝てるイメージが湧かない。

電王戦は来年からどうなるのだろう。
今年、もう、それなりに、いや、それなりに、じゃないか、結論は出た。



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今日もなぜか無料会員なのに追いだされずに最後まで見られた。いま観客は441413人。
将棋の歴史が変る日に立ちあえた幸運に感謝する。

「禁断の扉を開けた」とは、こんなときに使うのだろう。
パンドラの匣に希望は潜んでいない。

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【追記】──将棋の美学 19:12

いま会見をやっている。
金子さんとおっしゃるGPS開発者のかたは、謙虚で気持ちいい人だな。感心した。将棋はこうでなくちゃ。
将棋の美は、礼儀にある。
勝敗が決したとき、「負けました」と頭を下げた敗者に、勝者は決して居丈高に口を利いたりはしない。敗者が平静になり、ことばを搾りだすまで、沈黙して、待つ。
それが将棋の美学だ。

私が『月下の棋士』を嫌いなのは、基本として、筋そのものがけったいなものだからだが、この美学がない作品であることによる。年輩者に対する口のきき方も出来ず、室内でもいつも野球帽を被り、正座もしない無礼な少年には、いくら将棋が強かったとしても、将棋を語る資格はない。やたらこの作品を誉めるひとがいるが、この考えは変らない。連載中は毎週スピリッツで読んでいたし、単行本もまとめて読破しているが、変らない。不快になる。嫌いだ。ごく一部では「あれを見て将棋を始めたこどもは態度が悪い」という批判もあるようだ。これはまたあとで書こう。

Puella αの開発者が嫌われる理由も、その辺にあろう。
それにしてもせつない。どうしてこんなにかなしいんだろう。

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【追記.2】──記者会見を見て 20:05──観戦者は47万人

全員揃っての記者会見。勝者のコンピュータ側が、みな謙虚だったのが清々しい。
Puella α伊藤だけがニヤニヤしていた(右から2番目)が、しかし彼の予言通りの結果になった。コンピュータ側の完勝なのだ、それは許される。

*2昨年の世界コンピュータ将棋選手権で、全勝のGPS将棋に唯一黒星を点けたのが、前年度の優勝ソフトボンクラーズの改良型Puella αだった。
いま思うのは、結びの一番で三浦を破るのがPuella αでなくてよかったということだ。それどころかPuella αは塚田に持将棋に持ちこまれ、五局のなかでいちばんつまらない将棋を指している(指させられた)。伊藤は「ふつうの将棋を指したかった」と不満を述べていた。「つまらない将棋だった」と言い、それは棋士に対して失礼ではないかと週刊誌にも取りあげられていた。大一番で目立ちたかった伊藤をそこに追い遣った塚田は、やはり殊勲なのだ。
もっとも、大賞の三浦を破るのがPuella αであり、伊藤が「Puella αは名人を越えた。来年は名人か竜王とやりたい」なんて豪語するのも、憎々しいラスボスとして、物語としてはおもしろいかも知れないけど……。



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六本木でMCの矢内も、今日の敗戦はいつになく悔しそうだった。A級三浦が勝って、2勝2敗1引き分けは、みんなの願いだった。
会見での谷川会長も悲痛な顔をしていた。

画像は7五歩からGPS将棋が仕掛けたところ。勝又によると新手だという。新手で三浦を撃沈したのだ。
いままでコンピュータソフトは、棋士の過去の定跡から戦法を構築して行くので、新手、新定跡とは無縁、創りだすのは無理、と言われてきた。そうじゃないことを証明した。すばらしい。



ニコ生のコメントで新鮮だったのは、「初めて見ましたが」と、将棋を全然知らないひとが、かなりの数、見ていたことだ。
将棋を知らないひとたちにも大きなアピールをした「電王戦」だった。
これは「将棋」というテーブルゲームにおいて、日本将棋連盟にとって、プラスになったのだろうか。
私のように落ちこんでいるものだけではなく、これがひとつのブームとなり、日本のこどもたちがもっともっと将棋を始めてくれるなら、それはとても寿ぐことだ。

でも、毎度言うことだが、これから将棋を覚えるひとにとって、パソコンでもゲーム機でも、将棋ソフトってのは「自分より強いもの」なんだな。なら十数年以上将棋ソフトに負けなしだった私は、そんな時代にいられたことを喜ぶべきなのか……。



たとえばそれは、息子に関して、抱きあげて遊び、肩車した記憶があるようなものだ。いま息子は自分より大きくなったけど、それはそれで成長の楽しみだ。息子のほうにも、かつては見あげていた大きなお父さんが、いまは自分よりちいさいというのは、それはそれで感慨だろう。

しかしこれから将棋ソフトで将棋をするひとは、最初から見あげるような大巨人と戦うことから始まる。どんなに努力しても(そりゃ強さはいじれるけど、最強設定では)勝てない相手との遊びになる。父と息子で言うなら、こどもは最初から自分よりも大きいのである。こどもに抱っこされることはあってもだっこすることはない。ここにおける意識の差はかなり大きい。

そうだな、私はファミコンの「森田将棋」、PSの「東大将棋」、PS2の『激指2』、パソコンの「極」から、「AI将棋」「東大将棋」「金沢将棋」、いまの『激指』「銀星将棋」まで、「かつては勝っていた。勝ちまくっていた」のだ。今は歯が立たないけど、その「かつて」を思い出に生きて行くか。息子は大巨人になってしまったけど、かつては私が肩車して遊んでやったのだ。



流れてきたコメントに「夢のような1ヵ月だった」とあった。
この5週間、私も楽しませてもらった。生中継ニコ生の価値は絶大だった。ニコ生あっての電王戦だった。
2ちゃんねるの「将棋板」には、「電王戦がおもしろすぎて他の棋戦がつまらない」との書きこみもあった。それもまた事実だ。私の中でも、この1ヵ月、名人戦より遥かに興味が強かった。将棋ソフトとともに、ニコ生もまた勝者である。

米長が生きていたら、どんなコメントを発したろう。どんなときでも凡庸な発言を嫌い、ひととは違う味を出して目立ったひとだから、また誰とも一味ちがう発言をしたことだろう。聞いてみたかった。この結果を見届けて欲しかった。あのPVが輝くのも、ラスボス伊藤の憎々しさと、やつれた米長がいるからなのだ。あらためてそう思う。

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H氏よりご指摘いただいての修正──4/20 6:06

*1──三浦八段は、ずっと背広(上着)を着ていて、セーター姿になったのは午後からだとのご指摘。小雨の降り続く、冬にもどったかのような寒い日だった。私も室内で秋物の薄地のジャケットを着た。
 三浦八段は、寒い日だったのでスーツの中に薄地のセーターを着て対局し、午後、暑くなったので上着を脱いだ=べつに意味はない、のではないかとのご意見。その通りでしょう。こちらで訂正し、本文はそのままにしておきます。

 じつは土曜日であり、競馬もやっていたので、一日中ニコ生にはりついていたわけではありません。短時間ながら外出もしています。観察不足でした。失礼しました。
 その裏には、「電王戦の中でも最高の話題となる第五局、A級三浦八段との闘いであり、視聴者が殺到し、もう昼前には無料会員は追いだされるだろう」との投げ遣りな気持ちがありました。最後まで見られたのは意外です。

「棋士のセーター姿」というのは、私はあまり記憶にありません。三つぞろいのベスト姿はけっこう見ていますが。とても新鮮な姿でした。真っ先に思いつくのは、「NHK杯戦にカラフルなもこもこセーター姿で登場して顰蹙を買った先崎」です。「そんなことに何の意味がある!」「目立ちたがり師匠の悪いところばかり真似して!」と糾弾されました(笑)。あれ以来テレビ棋戦でそんなことをする棋士はいないようです。

 でもそれは、私がむかしの「早指し将棋選手権」「NHK杯戦」ぐらいしか「映像」を知らないだけで、テレビ中継のない将棋会館での対局では「棋士のセーター姿」はごくふつうなのでしょう。先崎のようなのは特別としても、今回のように「寒い日に上着の中に薄地のセーターを着る。暑くなったので上着を脱いでセーター姿」というのはよくあることなのかもしれません。単に「私にとって棋士のセーター姿が新鮮だった」というそれだけの話ですね。すみません。



*2──昨年の世界コンピュータ将棋選手権で、全勝のGPS将棋に唯一黒星を点けたのが、前年度の優勝ソフトボンクラーズの改良型Puella αだった」に関して、Hさんは「私の棋力では、この将棋はGPS将棋が勝っていたのを、ソフト全体の弱点とされる入玉の対応を誤ってpuellaに負けた、と思っているのですが結城さまはどのようにお考えでしょうか」と問うてくださいました。

 おっしゃるとおりです。私も『将棋世界』でこれは見ています。今回の電王戦の前にも読み返したほどです。そこでの解説もHさんの言うように、「GPS将棋全勝優勝かと思われたら、最後の最後に思わぬ展開に」のようになっていたのを覚えています。
 全勝のGPS将棋に「入玉」問題で初黒星を点けたPuella αが、塚田に入玉から持将棋にされるという皮肉な展開になりました。Puella α伊藤の傲慢な態度が好きでない私(笑)は、詳しく触れませんでしたが、勝敗に関する見解はHさんと同じです。
 しかしこの入玉や点取りもコンピュータはすぐに改善するだろうし、鉄壁ですね。



 もうひとつ第四局の「コンピュータソフトは、古今の百人以上ものすぐれた棋士が心血注いで作りあげた定跡や戦法を全部身に着けているのだ」に関しても意見を戴きました。それは第四局のほうに【追記】したいと思います。
 Hさん、すばらしい内容の長文メールをありがとうございました。心から感謝します。

将棋話──電王戦第四局に【追記】──河口さんの観戦記を読んで知ったこと──投了の進言を拒んだ神谷

Shogi.gif「電王戦第四局──塚田対Puella α」に、「河口さんの観戦記を読んで感じたこと」を追記しました。

18日に公開されるというので待ちかねていた河口さんの観戦記がアップされたのは20日でした。知らないコンピュータ将棋の観戦記でご苦労されたのでしょう。期待にたがわぬ力作でした。

そこで、河口さんや先崎は、あの絶望的な状況(入玉は出来るが点数で負けることが確実)になったとき、塚田八段にもう投了した方がいいと進言するよう立ち合いの神谷七段に促したそうです。しかし神谷が断固としてそれを拒み、指し続けることを望みました。その結果あの「大逆転持将棋」が成立したのだと知りました。 

塚田と神谷は「花の55年組」です。同期生のあのあまりに惨めな状況に、それでも心中で逆転を願った神谷の気持ちが、あれを産んだのでしょう。
河口さんは、「あんな将棋は二度と見たくない」と言いきっています。
私もああいう将棋を見たいとは思いません。
しかしあれは、人間の意地が産んだ人間的なものでした。
しかしまたそれは、ニコ生の中継があったからこそ感動的なのであり、棋譜だけを見たら、じつにつまらんものでもあります。

さて、今日は、三浦八段の登場する第五局。
ニコ生の無料中継は無理でしょうから、またfc2経由で見せてもらえることを願う次第です。

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そろそろ、ほんとに有料会員になろうかな。有料会員になったら、私もfc2経由中継のような形でどなたかの役に立ちたい。でもその技術はない。パソコン歴30年自作歴15年でハードには詳しいけど、そっち方面の智識はまったくない。未だ動画のアップすらしたことがない。もっとも、したくても出来ないのではなく、したいと思ったことがないからやったことがなく、やりかたを知らないだけだ。必要になったら覚える。
あちこちの記事を寄せ集めた個人の出す「日刊新聞」てのがあるけど、あんなのってどうやって作るのだろう。想像すらつかない。あんなことに興味はないのでこれまたどうでもいいけど。ああいうことをしているひとのモチベーションてなんなのだろう。わからん。

ここのところ、自分の詩をIllustratorでデザインされて発刊されるパンフのデザインが気に入らないので、本気でPhotshopとIllustratorの勉強を始めた。いままで何度も挑戦しては挫折している。才覚がないのだろう。果たしてマスターできるだろうか。マスターして、自分の詩は自分でデザインしたい。
といって、假りにマスターできて、そんなものを作っても、自分だけの慰み物でしかないのだが。
それでも気に入った写真と自分の詩と自分のデザインなら満足は出来るだろう。でもなあ……。前途多難。 

Enya「Amarantine」を聴く──皇后陛下のお気に入り──意味不明のWikipediaの文章

Enya-Amarantine Enyaを聴いている。アルバム「Amarantine」。ひさしぶりだ。歌物を聴くなんて、ここのところめったにない。器楽曲ばかり。

 仕事のあいま、BGMとしてシャッフルで適当に流していたら、Enyaの歌声が聞こえてきた。「おお、エンヤだ。なつかしいな」と、しばし聴きいる。彼女の音楽にはアイルランドがある。それはもうあきらかにイギリスとはちがう音楽だ。それで私は音楽ソフトで整理する彼女の音楽ジャンルをPopsとかではなく「World」にしている。世界中で好まれているから適切だろう。

 それから彼女のWikipediaに行ってみた。彼女の音楽が話題になったころからずっと聴いてはいるが、語るほどの知識はない。癒し系音楽として漫然と聞いてきただけだ。
 すると以下のような文があった。



2005年5月9日、アイルランドを訪問した今上天皇・皇后美智子夫妻天皇皇后両陛下は、ダブリン市長公邸にて彼女を含めたアイルランド文芸関係者と歓談し、特に彼女が皇后の希望で招かれ、彼女の音楽を夫妻が楽しんでいることを知り、感激していた。



 皇后陛下はエンヤがお気に入りなのか。お慕いしているもののひとりとして、とてもうれしい。いいご趣味だなあ。なんとも清々しい気分。Enyaも日本の宮廷で自分の音楽が聴かれていると知ったときはうれしかったろう。
 ダブリンか。もう20年も行っていない。でもあの街は変っていないだろう。初めて行ったのに懐かしくなるような街だ。今夜はEnyaを聴きつつギネスでも飲むか。

 あ、うまそうな静岡産のしらすがあったから、しらすおろしにしようと大根と一緒に買ってきたのだった。かつをの切り身も。今日は日本酒の予定だった。
 しろすおろしと生姜醤油のかつをとギネス。ミスマッチか!?
 でも皇后陛下を和食の美の象徴として、Enyaをアイルランドの美のギネスとすれば、それほど不自然な組合せでもない。
 両陛下の御健康と御長寿を願って乾杯しよう。 

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 このWikipediaの文、誰が書いたか知らないが「今上天皇、皇后美智子夫妻」と、ここに皇后陛下の御名前を挿れるのは無礼である。「天皇皇后両陛下」とするのが正しい。 不快だったので直した。Wikipediaも直したいが、どうやって参加するのか知らん。

 両陛下がアイルランドを訪問され、ダブリン市長宅で歓談したこと、そこに皇后陛下のご希望で特別にEnyaが招かれたこと、Enyaが、自分の音楽が両陛下に好まれていることを知って感激したことを、節を分けて書けばいいのに、一息にみっつのことを書こうとしてひどい文になっている。 主語が誰かわからん(笑)。悪文の極みである。尊敬叮嚀語がないのはアサヒシンブンの教育なのだろうからしかたないとしても。
 私流に修正してみた。

2005年5月9日、アイルランドを訪問されていた天皇皇后両陛下は、ダブリン市長公邸にてアイルランド文芸関係者と歓談の場をお持ちになった。そこには皇后陛下のご希望で特別にEnyaも招待された。両陛下が日本でEnyaの音楽を聴かれることを知り、Enyaは感激したという。

 このほうがだいぶ読みやすい。
 と書いて、もしかしたらそれは「英文の直訳」なのかも知れないと思った。そうであってもWikipediaの文が悪文であることにかわりはないが、責任の所在はだいぶ薄らぐ。

 調べてみたら、英文のEnyaの項目には日本の天皇陛下のことなどひとことも出て来ない。だからこれは日本人が日本人用のWikipediaのために書き足した文になる。
 と書いて、また思った。このひどい日本文を英文に訳すことは不可能である(笑)。だって主語と目的語がめちゃくちゃなんだもの。だから、この主語のない悪文が英文の日本訳である可能性は最初からないのだった。だって英文では主語からまず始まるのだから。

 知らなかったことを教えてくれたことには感謝するが、なんともひどい文である。いろんなひとがいるもんだ。まあWikipediaは元々そういう場ではあるけれど。

藤沢周平「山桜」映画化の憂鬱──を引っ張りだしてくれたかたに感謝を込めて

eiga-yama6 なぜそんなことになったのかわかりませんが──たぶん人気映画サイトにでもリンクされたのでしょう──2008年2月に書いた《藤沢周平「山桜」映画化の憂鬱》が人気記事に入っていておどろきました。

 このブログの読者は1日千人ぐらいです。「人気記事」の設定は「当日+6日」に設定してあるので、最低でも300人ぐらいは読者がいないとランクインしません。こんな古い文が、どなたかひとりが読んだことで、じわじわと拡がっていったと解釈するのは無理があるので、やはり映画サイトか、東山ファンのサイトにでもリンクされたのではないかと思います。

 いずれにせよ私にとって、とても思い入れのある原作であり、映画なので、最初に引っ張りだしてくれたかたに感謝しています。



 ただ、この文章は、「映画化の憂鬱」→「評判がいいようで安心した」→「映画山桜を観ての感想」と、いわば三部作なのですが、このブログには「原作をぶち壊しにしたろくでもない映画になるにちがいない。憂鬱だ」という「観る前の予測」しかありません。半端です。しかも否定的です。

 ブログ文を読まれたかたは、サイトに全文がありますので、どうかそちらの「結末」までお読みください。リンクを貼っておきます。
 結果として、この映画は、藤沢作品が大好きであり、原作の味をぶちこわすヤマダヨウジ映画に立腹していた私が唯一納得する映画となりました。 

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私のサイトへのリンク↓

・藤沢周平「山桜」映画化の憂鬱
・「山桜」評判のよさに安心
・「山桜」を観る 

将棋話──電王戦観戦記の感想記──第1局観戦記=すべりまくる夢枕獏

 電王戦の観戦記は第1局と第5局が夢枕獏。第2局が先崎八段、第3局が大崎善生、第4局が河口七段、ということらしい。いま第3局まで公開されている。河口さんのは4月18日公開だとか。

 以下、三局分の感想を述べる。意見が違い気分を害するかたもいるだろうことを予めお断りしておく。夢枕獏氏のファンは不快になるだろうから読まないでください。

Shogi.gif電王戦観戦記




 第1局の夢枕の観戦記がひどい。ニコ生のえらいひと(社長)とのやりとりから、初の観戦記を「やりましょう!」となり、社長のほうもネットだから紙数に制限はなく、「好きなだけ書いてください!」と盛りあがっての始まりらしい。まあそういう勢いはほのぼのとしていていいけれど……。

 この観戦記の感想をひとことで言うと「はしゃぎすぎ」である。あるいは「空回り」か。羽生を相手に名人戦防衛戦をやった米長が52歳と書いてあるが、正しくはまだ50歳と11カ月だろう。でもそんな細かいことはどうでもいい。後で直せる。しかし「空回り」という全体の空気は直せない。

 米長がボンクラーズに負けた「われ、敗れたり」を読んで「泣いた」という。信じがたい。あんなものを読んで泣くか。私は白けた気分で読了しただけだった。しかしその理由も読み進むとわかる。このひと、なにも知らないのだ。
 書きだしはこうなっている。



一局目と五局目を観戦して観戦記を書くのがぼくの役割であった。
 観戦を終えた時にはすでに原稿の構想はできあがっており、どう書くかという文体まで決めていたのだが、今日『われ敗れたり』を読んで、これまで考えていたことが、みんなぶっとんでしまったのである。
 白紙。
 まっしろ。
 その中で、ぼくが考えていたのは、この本を書いた米長邦雄のことを書かねばならないということであった。まず米長邦雄のことを書かねば、この稿を進めることができないと思ったのだ。
 おれはプロだよ。
 書くことのプロ。
 要求された枚数で、必要なこと、思ったことは書ける。
 だから、いきなり、この文章を普通の観戦記としてスタートさせることだってむろんできたのだが、この米長邦雄の本を読んだ時に。それができなくなってしまったのである。
 落涙。
 おれは泣いたよ。
 米長邦雄に泣いたのだ。




 これ、ここだけ読むといい話のようだけど、冷静に分析すると違う面が見える。
「今日、『われ、敗れたり』を読んだ」とある。1年前に出た電王戦に関するこの本を観戦記を書く今日まで読んでなかったのだ。観戦記を書くことになって急いで読んだらしい。するとそこには自分の知らない世界があり、感動したのだ。それでもって書く方向性を変更することにした、という。いい話のようでいて、じつは単に「おれ、将棋に熱心じゃないんだ」と告白しているにすぎない。私は1年前に発刊されてすぐ読んでいる。たいした中身の本ではないが、そういうタイミングで読むべきものだったとは言える。観戦記を書くぎりぎりまでそれすら読んだことがなかったということからも、夢枕の将棋に関する知識と熱意がどれほどのものかも見えてくる。ものすごく浅いのだ、感覚が。それは次の文章からも見える。



そもそも、将棋のプロ棋士というのは、とてつもない天才である。
 小学生の頃に、大人のアマチュア四段、五段と指して負けない。そういう少年が将棋の奨励会に入るのだ。
 能力のある者がない者が、どんぐりの背くらべをするのではない。
 子供の頃からの天才が、その天才を比べっこしているのが奨励会なのである。
 その中から、プロ棋士になるような人間は大天才であり、さらにA級の棋士ともなれば大大天才であり、名人位にある棋士は超大天才なのである。




 読んでいて恥ずかしくなる。天才、大天才、大大天才、超大天才だって(笑)。こどもかよ。まさか酔っ払って書いたとは思わないが、なんともお粗末な言語感覚だ。でも当人は棋士をこれで持ちあげているつもりなのだろう。
 将棋ファンとして棋士を天才と持ちあげられるのはうれしいが、ここまでことばに節操なく幼稚なこどものような言語感覚でもちあげられると、「バッカじゃねーの」と言いたくなる。ほんと、素面で書いたのだろうか?

 20年ほど前、私は競馬随筆で、「世を制するのは天才ではなく秀才だ」というような内容のものを書いたことがある。キャロットクラブの会報だった。
 その一部に升田、大山を引用し、「棋界に長く君臨したのは、天才型の升田ではなく、秀才タイプの大山だった」とし、その後、本来の趣旨である競馬に関し、「騎手の世界も、天下を制したのは、誰もが天才と呼んだ福永ではなく、秀才型の岡部であり武豊だった」と続く。高名な作家に無名ライターがケンカを売ったら嗤われるが、天才、大天才、大大天才、超大天才と天才を大安売りする彼より、升田大山という偉人を「天才と秀才」にする私の方が、日本語感覚としてまともだと自負する。



 と、ここまできて、先程からもやもやしていたモノの正体が見えた。この薄くて軽い味のない、ひとりで炎上している文を読んで、「何かに似ている」と思っていた。ターザン山本である。あのひとの軽薄な中身のない文とそっくりだ。やはりプロレスファンて通じる感覚があるのだろうか。もっとも山本さんは職業として選んだだけでプロレスは好きじゃないし、私は彼ら以上のプロレスファンである自信はあるが。

 しかしまあこのノリは、山本さんが知りもしない世界を知ったかぶりでしゃべるときの薄っぺらさとそっくりだ。たとえば山本さんが松任谷由実について書いたことがあった。音楽なんてなにも知らないひとだ。それが何かのきっかけでNHK朝の連ドラ「春よ、来い」の同名の主題歌を聴いた。彼女に関する知識はそれだけだ。すると、山本さんの表現で言う「スイッチが入った」になり、連綿とはしゃぎまくり知ったかぶりをしてスベりまくるのである。今回のこの観戦記がまったく同じだ。
 まあ夢枕氏は大山名人と駒落ち対局までしているらしいから将棋を知らないわけじゃない。でもかといってこのお粗末な観戦記を持ちあげる気にはなれない。やっぱり薄っぺらで軽い。



 それから今度は自作の「キマイラ」とかについて延々と語るのだが、こちらが読みたいのは「電王戦第1局の阿部光瑠四段がコンピュータソフト習甦に勝った話」なのであって、あんたの作品のことじゃないんだ。いやいや夢枕先生の大ファンにとっては、「キマイラ」について先生ご自身が語られるのが読めて最高かもしれない。でも夢枕ファンでもなく、「キマイラ」なんて知らない将棋ファンには、「電王戦観戦記でなにやってんだ、このひと?」というイタい話でしかない。



 細かいことで言うと、このひとは手書き原稿だそうで、原稿用紙に縦書きで書き、それをどなたかがネット用の横書き文章に直してアップしたらしい。高名な作家先生の文章だから原文を大事にする。そのことによって「一○○○万」というような私の大嫌いな表現が出ることになる。先生が書かれたものをそのまま写したのだろう。「一」は漢字。あとは○が三つである。「一千万」でもいいし、「1000万」でもいい。でもこんなのはヤだ。ま、これは私の好みの話だが。



 ネットなので紙数に制限がないというのも、このひとにはマイナスに出た。さすがに文筆業で喰っているのだから「10枚」と限られたなら、その中に必要最低限のことは書いたろう。そうすればコンパクトにまとまったはずだ。ところが制限がないから果てしなく脱線して行く。脱線したまま戻ってこない(笑)。行ったっきり垂れながしの無惨なものとなった。

 冒頭でこのひとは、

おれはプロだよ。
 書くことのプロ。
 要求された枚数で、必要なこと、思ったことは書ける。
 だから、いきなり、この文章を普通の観戦記としてスタートさせることだってむろんできた


 と書いている。「むろんできた」が、敢えて道を外したのだ。私は、要求された枚数で、必要なこと、思ったことを書いて、普通の観戦記にして欲しかった。道を外さなければ、もうすこしましなものが書けたろう。そうすりゃここまでわけのわからんものは出現しなかった。思うのはそれだけである。



 もしも本当に棋士を「天才」と思い、尊んでいるなら、この場では阿部光瑠四段の将棋を語らねばならない。なぜならここは「そういう場」だからだ。阿部光瑠四段がコンピュータソフトと対局し、血涙を振りしぼって創作した棋譜を語る場なのだ。

 そのことに「阿部四段が勝った」とだけしか触れず、自身の作品のことを延々と語るあなたは、いくら「超大天才」などと薄っぺらなことばで棋士を持ちあげても、とてもとても棋士を尊敬しているひととは思えない。あなたが真に尊び、酔っているのは自分自身だけなのだろう。ひとりで裸踊りをしてはしゃぎまくっているような、みっともない観戦記である。
 生きるということは恥を掻くことなのだと、あらためて感じさせられた観戦記もどきだった。こんなものは観戦記と認めない。



 米長は、名人挑戦者となったとき、アサヒシンブンの名人戦恒例となっていた山口瞳の観戦記を、「山口さんでは困る」と拒み、大揉めに揉めた。将棋界を「狂人部落」と呼んで悦に入っていたセンスの悪い、しかし世間的には高名な作家に対する、米長の聖域なき抵抗である。まさか(たかが)棋士が観戦記担当の作家を拒むなどという事態を想定していなかったアサヒシンブンは戸惑った。
 阿部光瑠の将棋には触れず、自著についての説明を延々とした夢枕の観戦記?に対し、天国の米長はどう感じたろう。(続く)

衆議院テレビの憂鬱──見たくない女の顔──辻元と北原

shugiin テレビの国会中継はかなり熱心に見ていた。いまテレビはほとんど見ないが、これがなかったら相変わらず見ていたろう。

 これ、すなわちインターネットの「衆議院テレビ」である。便利だ。いつでも好きなときに興味のある審議をつぶさに見ることが出来る。まったく便利な時代である。むかし大事な国会の質疑応答があるのにNHKの中継がなく、それでいてくだらん番組を流しているときは腹立ったものだった。この中継はインターネットの最もすばらしい点であろう。

「参議院テレビ」もあるが、こちらは見ないなあ、まあ参議院なんて廃止しろと思っている方だから当然か。



 4月16日火曜日に、西村眞悟議員が質問した。西村さんもあちこち移って、いまは「維新の会」。詳しい質問内容はこちら。西村眞悟ホームページ。

 水曜の明け方、「衆議院テレビ」でいま見ている。

「専守防衛」について総理に質問しようとしたら、総理ではなく小野寺防衛大臣が立った。一瞬それを止めようとした西村さんだが、「あ、あんたでもよろしい」。
 すると小野寺さん、「お認め戴いて光栄です」。おとなだね。



kitahara2 ところでこの「衆議院テレビ」、見るたびに不快になることがある。カメラが質問者を映す、その向こうに、必ず辻元清美がいるのだ。その隣に原口。そういう席なのだろうが、見るたびに辻元のあの死にかけた鮒みたいなブス顔を見るのは不愉快である。

 過日、北原みのりという信じがたいバカ女を知り、そのことを【芸スポ萬金譚】に書いた。あまりにバカ意見なので呆れはて、まったく知らない「著明なコラムニスト」とかいう女のことを調べる気にもならなかった。単なる目立ちたがりかと思った。いつ書いたのか忘れていたが、いま調べると去年の6月のようだ。

 その後またこの女が話題になったらしく、つい最近その記事を読み、辻元の盟友だと知った。辻元がサイン入りバイブ片手に一席ぶって笑い物になったことがあったが、あの「女のための大人のおもちゃ屋」をやっているのがこの女らしい。バイブ提供者だ。また、汚らしい裸を靖国神社で晒し、英霊を侮辱したことも知った。反日朝鮮人のやることはみな一緒だ。左はそのときの裸写真。不快である。



 しかしこのアングル、なんとかならんか。誰の質疑応答を見ても必ず辻元と原口がいる。「衆議院テレビ」を見るのがつらい。

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 こちらは中山成彬議員の質問場面。ここでも辻元と原口を見ねばならない。

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将棋話──電王戦第四局──塚田対Puella α──19:20、あと1点で持将棋!──河口さんの観戦記

 あの傲岸な伊藤のPuellaに勝って欲しい。塚田がんばれと思いつつ10時の開戦前からの観戦。

denou4-3 午後、塚田入玉模様になる。入玉はもう確実だ。しかし大駒4枚がPuella。これじゃ入玉しても点数で完敗だ。
 コンピュータの形勢判断は、コンピュータ2900ポイント有利。絶望的状況。かなしくなって離れた。



 かなしいけれど、とりあえず塚田の敗戦を確認しようと18時過ぎに繋ぐと、相入玉模様から、塚田も大駒を取りもどし、1点勝負になっていた。なにがどうなったのか。まさかここまで盛りかえすとは。塚田の根性だ。
 なぜか知らんが、この時間になっても追いだされることなく、ミラーサイトではなくニコ生で見られる。325806人も見ているのに。ありがたい。




 点取り勝負で、「もしかしたら塚田が持将棋に持ちこめるかも」という形。勝ちはない。ベストで引き分けだ。
 延々と続く相入玉の将棋。短絡にと金を作り続けるコンピュータソフト。缺陥か!?
 木村の絶妙の解説に会場から笑いが起きる。いつもとはちがう風景。
 どうやらPuellaは持将棋の点数計算が苦手のようだ。
 点取り合戦になったら、手持ちの駒でのと金作りより、取られる可能性のある盤上の歩を勧めてと金になるのが常法なのだが。

 さて、塚田、持将棋に持ちこめるか。あと1点だ。盤面右端の歩三枚の内、一枚を取れば24点に達する。がんばれ。(19:20) 



 19:31、塚田のと金が歩を取って24点になった。これで相手が持将棋の申しこみを受ければ持将棋が成立する。会場から拍手が沸く。 

 19:38、持将棋成立。会場から大拍手。引き分けではあるが、 塚田、よくがんばった!(島崎三歩風に)

 しかしこれ、持将棋の点数計算の弱さ(金銀も歩も同じ1点)という缺点を突いたものであるのも確か。それをソフト側が今度修正してきたら……。

 さらにまた、持将棋の申しこみをコンピュータが受けず、千手二千手三千手と指し続けたら、人間は体力が切れて倒れる。時間切れでコンピュータが勝つ。

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 対局の間でのインタビュウ。
 奇妙な決着、珍妙な勝負に、立会人の神谷が笑い続けている。

 1986年、塚田が前人未到の22連勝を達成する。それまでの記録は有吉の20連勝だった。誰も越えられないと言われたその記録を越えたのが、同時期に連勝をしていた神谷だった。「花の55年組」の同期生である。その年、神谷が達成した28連勝を越えるのは不可能と言われている。ちなみに羽生の連勝記録も22である。

 絶対的劣勢の場面、投了を考えた瞬間はあったかと問われ、塚田が声を詰まらせ、ハンカチで涙を拭う。

 機械との闘い、負けられない人間の誇り。チーム対抗戦。1勝2敗を受けての第4戦。最年長。
 残酷でもある。胸が熱くなった。
 笑いに満ちていた雰囲気が一転してウェットになる。

 塚田が一番強かった二十代、王座の頃から知っている。中原さんから奪った。
「塚田スペシャル」が吹き荒れたころ。

 今回最年長、50歳近くなってのこの場への登場はつらかったろう。
 事前予想で確実に勝つと思われていたのが船江なら、最も不安だったのが塚田だ。
 その船江が負けた後を受けての一戦。
 絶望的状況から、ほんとによくがんばった。



 来週は第五局、最終戦。A級三浦の闘い。相手はモンスターマシンGPS将棋。700台以上を繋いでくる。
 三浦のプレッシャーも半端ではなかろう。
 がんばれ、人間!

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【追記】

 いま20:50。
 20時10分から記者会見があった。立会人の神谷が、塚田と35年のつきあいがあるが、初めて涙を見たと語っていた。

 塚田との質疑応答を聞いて、あらためてショックを受けたのは、Puellaを借りての練習将棋で、真正面から塚田の得意とする横歩取りをやっては勝てないという告白だった。「もしも勝てるとしたら」、あの「入玉模様」しかなかったのだ。ただし、もちろん、引き分け狙いではない。自分だけ入玉し、相手を負かすつもりでいたら、コンピュータも入玉してきたので驚いたという。そして絶望的状況。
 ところが相入玉模様になるとPuellaの意外な缺陥が露呈した。持将棋の点数計算が苦手なのだ。しかしすぐに直してくる。今回はうまく引き分けに持ちこめたが、来年はもう無理だろう。

 塚田の横歩取りが通用しないというのは、勝ちまくった「塚田スペシャル」時代を知っている身にはショックだった。しかしそれは「塚田スペシャル」の利点と、その後の全棋士が知恵を絞って作りあげた対応策を完全に定跡として記憶しているのだから当然だ。

 昨年、米長が敗れたとき、彼がどんなに「6二玉」の価値を主張しようとも、それを言えば言うほど、「矢倉は将棋の純文学」と言った彼が、何百万手もの定跡を体内に抱えたコンピュータソフトには、正面からの矢倉では勝てないのだとの確認になり、かなしくなった。あの時点でもうすべての結論は出ていた。戦う棋士がひとりの人間でしかないのに対し、*コンピュータソフトは、古今の百人以上ものすぐれた棋士が心血注いで作りあげた定跡や戦法を全部身に着けているのだ。優れたコンピュータソフトと戦うということは「全将棋史」と戦うと言うことなのである。

 つまり今後、羽生渡辺クラスが出てきたとしても、それですらもう「コンピュータソフトの苦手部分を突く」という闘いになり、彼らでも矢倉や相掛かり、横歩取り、ふつうの「居飛車対振り飛車」ではもう勝てないのだ。
 それはかなしいけど、明確なひとつの結論だろう。



 カメラはインタビューの畳の間から、また六本木の会場に戻り、木村と安食の会話の後、最後に初公開の来週用のPVを流す。かっこいい。ほんと、電王戦のPVはよくできている。
 米長の映像も使い、ポイントをつかんでいる。闘いに臨む棋士の姿が鮮烈だ。
 PVに感動したMCの安食総子女流が涙でしゃべれなくなっている。

 今日の番組のアンケート結果。もちろん私も「とても良かった」に1票。
 男を上げたね、塚田さん。かっこわるかったけど、かっこよかったよ。
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【追記】──河口七段の観戦記を読んで 4/20

 待ちに待った河口さんの観戦記がアップされた。18日アップと知り、こまめにチェックしていたが、遅れに遅れ、やっと読めたのは20日の午前5時だった。河口さんもご苦労なさったのだろう。
 それによって知ったことを追記しておきたい。

 誰もがあの相入玉将棋にうんざりしていた。塚田に勝ち目はない。もしかしたら奇蹟的な「引き分け」に持ちこめるかも知れないが、その可能性も薄い。ただ黙々と指し続ける時間。Puella αはバカの一つ覚えのように歩を垂らしてと金を作る。それを解説の木村八段が揶揄する。六本木の観戦会場からは笑いが起きていた。



 今回の観戦記で知った愕き。
 河口さんもうんざりし、立会人の神谷七段(塚田と同期)に、塚田が投げるように進言したらどうかと意見を言ったのだとか。そばに居た先崎八段も同意見だったという。

 しかし神谷が動かない。「256手まで指す規定があります。規則は規則です」と言って。
 河口さんの本音は、「みっともないから、もう投げたら」だったらしい。しかしさすがに対局場に行き、塚田にそう言うわけにもゆかないと自重する。もしも誰かが短気を起こし、それをしてしまったなら、それを拒んでも黙々と指し続けることは、さすがの塚田も出来なかったろう。
 そして、点取りが苦手な将棋ソフトの缺点を突いて、奇蹟的な持将棋が成立する。



 プロ棋士としての、あまりに惨めな姿に、同期生の悲惨な姿に、立会人の神谷が「狹跳、もう投げたら」と口にしていたら、あの持将棋はなかったのだ。残ったのは、入玉という変則戦法を用いたが、将棋ソフトに相手にされず、大駒を全部取られ、大差で負けた惨めな棋譜、だけだった。
 塚田の辛い心境を知りながら、河口に、先崎に、投げるよう言ってこいと進言されても断固拒んだ神谷が、あの塚田の「逆転の引き分け」を生んだのだ。

 230手で持将棋が成立したとき、立会人の神谷は、対局者の向こう側で、「くっくっくっ」と、おかしくてたまらないという感じで笑っていた。笑いすぎだった。私はそれを不快に思った。たしかにみっともない将棋だったが、指しに指し続けた塚田の気力を思えば、笑うのは失礼だろうと感じた。そのあとの塚田の涙を見て、さらにその思いを強くした。

 しかしそれはそんな単純なものではなく、泣きたいのは神谷なのに、河口さんや先崎に言われるまでもなく、すぐにでも対局場に行き、立会人として「狹跳、もう投げなよ」と言いたいのに、「256手まで指す規定ですから」と彼らの意見を拒み続けた神谷だからこそのうれしさから来る笑いだったのだ。

 もしも先崎が立会人だったら、口にしていたかも知れない。あるいは塚田に強いことを言えるより年輩の棋士が立会人だったなら……。するとあの持将棋はなかった。
 そう思うと、あのみっともない引き分けではあるけれど、塚田のがんばりに涙した世紀の凡戦という熱戦は、塚田の同期生、立会人の神谷が作りだしたものでもあったのだ。



 河口さんの観戦記はさすがだった。
 だが河口さんは観戦記を厳しい言葉で結んでいる。

最後に一言書いておきたい。

 本局のような将棋も、将棋にはこういった場面も生じるのだ、との例として相応の価値はあろう。しかしニコニコ動画などによって、プロ将棋をファンに見てもらい、楽しんでいただくために、二度とこういう将棋は見たくない。

 たしかに。
 塚田のがんばりに感動した一局ではあったが、私自身、大駒を全部取られて、入玉しても点数で負けとわかった時点でうんざりし観戦を打ち切っている。塚田の人間としてのがんばりに感動はしたが、ひどい一局ではあったろう。

 だが、コンピュータなど触ったこともなく、まして将棋ソフトと対局などしたことなどあるはずもない河口さんのこの意見は、升田大山時代から知っている引退プロ棋士の意見として極めて正当ではあるが、私は「河口さんは将棋ソフトの強さをわかっていない、その恐怖を肌で感じていない」という不満を覚えた。

 かつてA級棋士であり、タイトルも獲得した塚田は、事前対策として、正攻法でソフトと何百局も対局したのだ。 だけど勝てない。「塚田スペシャル」を用いても、その後開発された対抗法をソフトはすべて記憶している。間違えない。正面からでは勝てないと認めざるを得ない屈辱。そこから生まれた奇策がアレだった。



 今回ドワンゴは、夢枕獏、先崎、大崎善生さん、河口さんと、コンピュータに詳しくないひとばかりを観戦記に選んだ。 それは計算尽くの戦略だったのだろう。
 夢枕は、電子メールはするらしいが原稿は手書きのアナログ人間だ。「電子メールはできる」と自分はコンピュータを知らない人間ではないと自慢するあたりでどの程度かわかる。
 先崎もまたコンピュータ的世界を否定することを人生の柱としているひとだ。
 河口さんはコンピュータどころではない。「携帯電話すら持っていない」と書いていた(笑)。

 唯一大崎さんが、古くからゲーム機やパソコンで将棋ソフトと遊び、旅先にもノートパソコンを持参して原稿を書く今時のふつうのひとだが、パソコンマニアというほどでもないだろう。今回の観戦記でいちばん好きなのは大崎さんのものなのだが、それは別項でまとめる。



 パソコンと対局しないひとの観戦記には、パソコンに負けるという恐怖が書けてなかったように感じる。それは観戦記をそういうひとに依頼したのだから当然だけど。

 私のような最盛期でもアマ三段という低レベルの者でも、ファミコンからPS、パソコンでも十数年勝ち続けてきたから、初めて負けたとき(PS2の『激指』)はショックだった。それが悔しくて私は本気になり、なんとかPS2の『激指』四段に勝てるところまで復活したが、すぐにパソコンでは、逆立ちしても勝てない時代になってしまった。相手にならないほど弱くてバカだった将棋ソフトに、相手にされない時代になった。

「あんなに弱かった将棋ソフトがこんなにも強くなった」という感慨はある。1万円以上出して買った将棋ソフトに勝ってばかりではつまらないから、負かしてくれるほど強いのはありがたいことでもある。同時にやはり、どんなにがんばっても将棋ソフトにはもう勝てないのだという敗北感も引きずっている。



 私ごとき素人でも、それなりの絶望感がある。もうどんなに頑張っても、棋書を読んで努力しても、絶対に将棋ソフトには勝てないのだ。それは、「すでに将棋ソフトが自分よりも強い時代に将棋を始めたひととは決定的にちがっている感覚」だ。

 小学生でおとなの高段者を破る神童として、将棋一筋の人生を生きてきた人が、それを職業としている棋士が、必死に考えてもパソコンに勝てないと自覚したとき、どんな思いをしただろう。

 総じて、今回の観戦記は、ひとり明後日の方角ではしゃいでいた夢枕は論外として、先崎も、河口さんも、将棋ソフトに負ける痛みというものに関して、鈍感なように感じた。
 もしも先崎や河口さんが『激指12』と指していたなら、観戦記の切り口はまったくちがったものになったろう。おそらく市販品の『激指12』でも河口さんより強いはずだ。

 河口さんは引退棋士だが、先崎八段は現役だ。来年はぜひ選手として出場し「自戦記」を書いてもらいたい。その自戦記と今年の観戦記を読み比べたい。 出ないだろうけど。

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Hさんからのご指摘──2013/04/21 6:29

*コンピュータソフトは、古今の百人以上ものすぐれた棋士が心血注いで作りあげた定跡や戦法を全部身に着けているのだ

 の部分に、Hさんからご意見を戴きました。



これ、実はそうではないところがあります。
例えば、一昨年の晩秋、当時のボンクラーズが米長との対戦を控えてネット将棋の将棋倶楽部24に席主の許諾を得て参戦して、匿名のプロや奨励会員やトップアマと数千局指して弱点の洗い出しをしました。
(その結果ボンクラーズのレーティングが人間では絶対に届かないレベルに到達したのですが)

そのボンクラーズの棋譜を遠山雄亮5段が全て精査した解説番組が昨年の電王戦前にニコニコで放送されました。
http://www.nicovideo.jp/mylist/29409825

かなり長い番組なのですが、お楽しみいただけるのではないかと思います。
この中で遠山が指摘しているのですが、鷺宮定跡とか、そういう古い定跡にころっとはまって負けることがあるのだそうです。
特に多い負け方が、角換わり腰掛け銀の富岡流、先手必勝とされている流れに自分から飛び込んでの自爆でした。




 なるほど、今回第五局が終った後の会見で、GPS将棋が「どれぐらい、どのような定跡を挿れているのか」という質問に、「1995年からの順位戦を中心に」のように応えていました。手作業なんだから「古今東西全部」は無理ですよね。となると、そういう「知らないので苦手な戦法」も現実に存在するのでしょう。

 将棋ソフトに関するこの部分で重要なことは、「人間が覚えさせる」ということですよね。もしかしたらこれからは、ソフト自身が自動で棋譜を収集して学習する、なんてことにもなるかもしれません。そうなると『ゴルゴ13』に出てきたモンスターソフト「ジーザス」みたいに、人間が寝ている間に、かってにネットの中を徘徊し、教えていない定跡をいつのまにかマスターし、やれと言ってもいないのに、かってに新戦法を考案し、なんてことも起きるのでしょうか。すくなくともいまは、人間が「これを覚えなさい」と過去の棋譜を与えて成長させているから、知らない戦法、知らない定跡の流れになると、そうなることもあるのでしょう。



 そうかあ、対振り飛車「鷺宮定跡」は私の得意とするところです。あれで勝てる可能性もあるのですね。あくまでも「まだ学んでいない時」に限られますが。
「金開き」とか「角頭歩突き」なんてのをやったらどうなのだろう。「鬼殺し」の受け方なんて知ってるのかなあ。あとで『激指』でやってみます。

 でも所司七段が監修した『激指』定跡道場は、その辺の定跡をしっかり覚えさせているから「鷺宮」にも強いんですよねえ。

 遠山五段監修のそのニコ生は今も見られるのでしょうか。今から出かけてみます。楽しみです。
 ご指摘、ありがとうございました。感謝いたします。

ことば考──「笑う」と「咲く」のこと

【芸スポ萬金譚】のほうに「笑う」と「咲く」について二題書いたのでリンクしておきます。

タカトシの時間ですよSP──誤って伝わった漢字「笑う」と「咲く」について

再び「笑う」と「咲く」について──武井咲を「えみ」と命名したひとのセンスのよさ

訃報──英国サッチャー首相──誇り高い政治家のいるしあわせ

Thatcher イギリス初の女性首相として11年余りにわたり政権を率い、強気の政治姿勢から「鉄の女」とも称されたイギリスのサッチャー元首相が8日、死去しました。87歳でした。

 サッチャー元首相のスポークマンによりますと、サッチャー元首相は、8日朝、脳卒中を起こし死去したということです。(4月8日21時22分)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/k10013770101000.html

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 私はサッチャー首相の政治を全面肯定するものではない。フォークランド紛争など、どう考えてもアルゼンチンに理があると思っている。

 ただ、日本国の一国民として、中韓に気弱な、やたら謝罪するばかりの政治家に俯いた人生を強いられてきたから、もしもサッチャーのような強い首相を戴けたなら、どんなに自国に血筋に誇りを持って生きられるだろうと憧れてきた。国民に、国に誇りを持たせるのは政治家の基本であろう。サッチャーは、それをした。

 彼女に批判的なイギリス国民には、こんなことを言っている日本人の嘆きは理解できないだろう。敗戦国がどんなに惨めであることか。過去の善行ですら悪行に変えられ、存在しない悪まで捏造され、それを世界に流布され、金をゆすりとられ、しかもそのゆすりとった金のことは国民には知らせない。ひたすら謝罪を強要される日々だ。サッチャーのような強い政治家なら、断固としてそんなものは拒むだろう。

 ご冥福をお祈りします。

安倍首相のFacebookで日本人的主張をしてくれたフランス人──ほんとにフランス人だったらうれしいな

過日、「安倍首相のFacebookでの発言に、KoreanやChineseが反論したら、それを日本語の上手なフランス人が論破した」ということが話題になっていた。

そのことを「生活雑記──酒屋の若旦那とインターネット話──安倍首相のFacebookとフランス人」として書いた。
いつだったかと確かめたら3月22日だった。早いな、もうそんなに前なのか。

ここで私は「Facebookをやっていないので、そのフラン人の文章が読めない。なんとか読みたいものだ」としている。そのまま読めないまま今日まで来た。
今日それを取りあげているブログを知り(ライブドアニュースが教えてくれた)、いまそこに行って読んできたところ。
アドレスはこちら。「安倍首相のFacebookに韓国人・中国人が反論するも、なぜかフランス人が論破した件



リンク先にすべて載っており、一読していただければそれでいいのだが、こういうリンクって、1年後に読もうと思っても切れていたりする。File not foundだ。よってそのやりとり部分をコピーし保存させていただく。

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 先ずは発端となる安倍首相の発言。

    3月11日の東日本大震災慰霊式典に「台湾の代表の取り扱い」を理由に中国が欠席いしました。

    昨年行われた慰霊式典では、台湾の代表は招待され出席していたにも関わらず名前すら読み上げられませんでした。
    震災発生時、台湾は世界のどの国よりも多額の200億円を超える義援金を贈ってくれた大切な日本の友人です。台湾の人々の気持ちを傷つける非礼な対応でした。
    今年はこの対応を改め、台湾に対し感謝の意を込めて「指名献花」をしていただくことにいたしました。

    このことに対して中国が代表を送らなかったことは大変残念なことであります。
    しかし私達はこれからも礼儀正しくありたいと思います。
    そして多くの支援をいただいた台湾をはじめ全ての国に対して、感謝の思いでいっぱいであります。


(原文そのまま、引用元http://www.facebook.com/abeshinzo)



 これに最初に絡んできたのは、なぜかChineseではなくKoreanなのだとか。以下の文。

 震災でなくなった方々にはご冥福をお祈りしています。しかし、自民党政権のような保守ふりしている既得権&機会主義者のようなあんた達は理解できません。段々、右に行ってみてください。右に行けば行くほど、それがあんた達の首を縛ることになるはずです。よく考えてください。過去の事を周辺国に謝罪しない限り、あんた達がいつも叫んでいた「脱アジア」は絶対できないと思います。過去の事謝罪したドイツを見習ってください。同じ敗戦国なのに違いますね。日本の責任ある行動に楽しみにしています。

(原文そのまま、引用元同上)



 これにフランス人のデヴィッドさんが反論。

 そんなだからあなたたち韓国人は、現在最も世界で嫌われていて、それをまったく自覚できていない残念な民族なんだよ。
   日本は中国、韓国に対してドイツとは比較にならないほどの補償と経済援助を行って、それをあなたたちの国は受け入れているの。それをあなたたちの馬鹿な国家は馬鹿な民衆に伝えずに、いつまでも思想教育で謝罪と賠償を求め続けさせる乞食根性を植えつけているってわけ。
    60年以上前のこと、しかも謝罪どころか今のあなたたちの生活を劇的に発展させるほどの経済援助を行った後なのに。大戦の謝罪を今まさに起きていることかのように騒ぐあなたたちの頭はおかしい。

    さらに言わせてもらうと、第二次大戦においてのドイツ、イタリアの行ったことは決して許されることではないし、その意識は我々フランス、欧州の各国もしっかり持っている。しかし、それらは国家としては償いを行っている。日本も同様にあなたたちの国に償いは行っている。では、何が違うのか? それは私たちは前を向いて同じ欧州の人間同士あらためて平和に向かって団結し、発展を目指しているのに対して、あなたたち韓国人、中国人は更にしつこくゴネ続けることで金を日本から揺すり取ることしか頭にない、後ろを向いて自国がいかに狂っている国家であるか?ということから目を逸らしているからである。
    あなたたち韓国と中国以外の国から見ると、日本が気の毒でならない。

    あと、今回の安倍総理の行為は他の国から見て当然であることで、別に褒め称えることではないのです。私は今回の安倍総理の行動は評価することではないと思う。台湾の人も感謝する必要はない。礼には礼をという精神は国家間に最低限持っておかなければならないものだからだ。
    そして、政治問題を持ち上げて犠牲者への追悼の気持ちを表明しない、あなたたち韓国、そして件の中国という国家の非礼は世界から見て、ありえないほど異常なのです。
    日本に住んでいてこのようなことも感じ、学ぶことができないあなたは、これ以上、日本にいる必要はないと思います


(原文そのまま、引用元同上)



 以下の英文はChineseから。

how about think on this way..a murder use a cruel ways to kill you family ,and after it he just give you money without nothing for his apologize ..and will you say “ok thank you! I forgive you ,cuz of your money!?”



 それに対してもういちどデヴィッドさんの反論。

 金銭の賠償以外にも日本はあなた達に対して何回も謝罪している。それを知らない己の無知を知りなさい。
日本、日本人を今なお殺人者扱いしてそのような呼ばわり方をするから、あなた達中国人は愚かなのです。あなた達中国は、第二次世界大戦の後にチベットという国を武力で侵攻して、多くの人を殺して、今なおまともな人権の無い制圧を続けている。そして、それを内政問題だと馬鹿な主張をする。そして、ことあるごとに、台湾という国家の国際舞台での活躍を妬み、妨害している。

 私から見たら、あなた達の国家の方が悪質だ。現在を見なさい。あなた達の国は現在進行形で殺戮国であり、侵略者だ。


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 私の感想として、デヴィッドさんの意見はすべて自分と同じであり、これをフランス人が書きこんだのだとしたら、とてもうれしいが、あまりに私と同じなので、日本人なのではないかとの想いが消えない。日本が支那や朝鮮にどれほど金を毟り取られたかは日本人でも知らないのが多い。両国の経済発展など、すべて日本から毟り取った金で成りたったようなものだ。フランス人がそこまで通じ、ドイツなどとは比べ物にならない額の賠償金を日本が支那や朝鮮に払ってきたこと、公式にも私的にもさんざん謝罪してきたことを知っているとは思えないのだ。でもこのひとがほんとにフランス人だったら、歴史観に希望が持てる。

 本名と顔を晒すらしいFacebookでなりすましが出来るものなのか、なにしろやっていないので意見が言えない。ただ、そのIDが、フランス人でフランス在住のデビッドさんだとしても、周囲の友人の日本人が、それを借りて意見を書きこむ、のようなことは可能だろう。真相は薮の中だが。

 ともあれ、なんとか読めないものかと願っていたものを、こういうまとめで読めたことがうれしい。読ませてくれた「ガジェット通信」に感謝。「こんなのが載ってるよ」と教えてくれたライブドアニュースにも。



 ところで、この文章の末尾にこうある。
《この記事はガジェ通ウェブライターの「写楽斎ジョニー」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?》

 最近私のところにもいろんなところからこういう「執筆しませんか」の誘いのメールが来る。きちんと担当編輯者がフルネームを名乗り、文章も礼儀正しい。URLをクリックすると、しっかりしたところに行くから、イタズラではなく、本物のそういう誘いらしい。あれこれ捜しまわり、書けそうなヤツを見つけて声を掛けているのだろうか。

 こちらにとって、それをする利って何なのだろう。ギャラは出ないようだから、自分の文章を世に出したい、有名になりたい、出世したいってひとには意味があるのか。しかしそれに興味のない身には無縁な話ですわなあ。

将棋話──電王戦第三局──船江五段敗れてコンピュータ2勝目

5人のプロ将棋棋士がコンピュータ将棋ソフトと団体戦で戦う「第2回将棋電王戦」の第三局・船江恒平五段 VS ツツカナの対局が6日、東京・将棋会館で行われた。

第三局は、6日20:35、船江五段が第22回コンピュータ将棋選手権3位のツツカナに敗れ、全五局のうちコンピュータ側の2勝1敗となった。手数は184手で、消費時間は船江五段が3時間59分、ツツカナが3時間27分(残り33分)。

終局後にツツカナの開発者・一丸貴則氏は「途中はツツカナの評価値もかなり悪く、勝てないと思っていました。勝ったという気はしていません。1分将棋というのは本当に厳しいと感じました」と激闘を振り返り、船江五段は「結果については残念としか……。途中は優勢になったと思いますが、終盤逆転を許したのは自分という人間の弱さが出てしまいました」と肩を落とした。http://news.mynavi.jp/news/2013/04/06/105/

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土曜日にリアルタイムで見られず、夜、ニュースで結果を知った。船江の負けはショックだった。ある意味、最も負けてはならないひとだった。

『将棋世界』2012年7月号に「第22回コンピュータ将棋選手権」の記事がある。今回対局する五つのソフトの順位が決まった大会だ。
この大会の表彰式で、米長会長から「第2回電王戦は5対5の対決」と発表され、プロ棋士の中で唯一「船江五段」の名があがっている。あとの4名はまだ未定だ。米長会長直々の指名である。
私も、素人考えながら、船江は確実に勝つと読んでいた。あらためてショックである。

深夜、2ちゃんねるの将棋板で棋譜を得て、『激指12』で並べてみた。船江が優勢で進むが、時間のなくなった終盤から形勢が逆転する。



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先手の船江、圧倒的優勢(と私には思える)この場面で、ツツカナの指した勝負手と讃えられる74手目の5五香。駒割りは飛車香交換。



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95手目の局面。駒割りは龍と成桂。優勢だろう。

しかしここから184手まで続く「ツツカナ」の闘いは見事だった。
コンピュータは繋いでいない。最新のデスクトップ機一台である。ツツカナ作者のブログには「デスクトップ機を宅配便で送るので壊れるかも知れません。そのときはノートで戦います」とあった。デスクトップ機のCPUはCore i7 3930k、ノートになったら2630QMだから力は三割減になるだろう。それでも自信があったのか。何百台もクラスタで繋いだのとは勝利の意味あいが違う。



こちらのブログがリアル感たっぷりの写真をたくさん掲載して魅せてくれます。感謝。

『いけるい』の将棋日記



電王戦による話題沸騰で、いま空前の将棋ブームなのだとか。たしかにこれほど多くの媒体で速報のように将棋の結果が伝えられたことはない。名人戦よりも竜王戦よりも話題になっている。

だがこれは、「人間がコンピュータに負けるらしい」という「最後の場面」に対する興味だ。羽生と渡辺の対決が話題になるのとは根本から異なっている。将棋好きとして、そこのところにはしゃげない。

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【追記】──4/22

いまニコ生の「タイムシフト再生」というやつで見ています。
解説の鈴木八段の早見えで、なにをどうやっても勝てる流れだ。会場には笑いが沸き、コメントには「もう勝ったな」なんてのも目立つ。ここから負けたのか。いま12時間の中継中の4時間40分の部分。

パソコン話──フロッピーディスクの保存限界──古い原稿全滅の悲嘆

 今年は東京優駿(通名、日本ダービー)が80回目なのだそう。ミスターシービーが勝ったのが区切りの第50回だった。あれから30年も経つのか……。

 2001年に書いた「日本ダービー史(第1回から67回)──1932年から2000年まで」に68回から79回まで(2001年から2012年まで)を書き足すことになった。

 以前の分も訂正が必要だ。たとえば第12回、1943年のクリフジの項には「以後、現在に到るまで牝馬の優勝はない」と書いた。ご存知のように2007年にウオッカが勝っているから、これはもう誤りになる。そういう事実とちがう部分の訂正は当然だけれど、そうでない部分でも、細かな表現で変更したい箇所もある。



 編集部からもらったゲラに赤を入れているうち、「保存してあるはず」の思いがむくむくと湧いてきた。日記や海外旅行記のような私的な文章は、当時フロッピーに保存したが、そのあとCDやDVDの時代になったら、それにコピーしておいた。いまもHDDの中にある。この世にふたつとない自分の宝だから大切にしてきた。それと比すと商業文章は一度商品として売りわたし使命の終わったものだから、そこまで慎重な保存はしていない。
 でもあるはずだ。ぜったいにあるはずだ。その思いが強くなり、探し始めた。

 2001年……、12年前、本格的にホームページを始めた年だ。OSはもうWindows2000だろう。NECの98時代のものだって、それより更に前のワープロのシャープ書院時代の文書だって保存してあるのだから、これはある、必ずある。つい最近の原稿だ。
 押し入れの奥の段ボール箱に封印されているフロッピーディスクのケースを引っ張りだす。100枚収容のプラケースが5コある。約500枚ほどのフロッピーディスクの日附は最古が1986年だった。この中にあるはずだ。あってくれ。祈るようにして探し始める。



 あった。「日本ダービー史 2001年」と書いてあるSONYの3.5インチFDが見つかった。きちんと封をして、清潔な暗所に保管してきたから新品同様である。
 このファイルを読みだせば、細かな修正もパソコン上で出来る。編集部ではいま当時掲載した雑誌をスキャンして67回分を整理している最中だが、これがあればぜんぶファイルで入稿できるから、今後の作業は格段と楽になるだろう。編集者にもよろこんでもらえるはずだ。よくぞとっておいたと自分を誉めてやりたい気分だった。

 あのころのパソコンには、デスクトップ機もノートも、みなFFDが附いていた。いまはない。私のデスクトップ機もUSB接続FFDになった。それを取りだしてフロッピーディスクを挿れる。ウンガー、ゴチッゴチッと読み始める。懐かしい音だ。内容が表示された。
 12年前の連休はこんなことをやっていたのか。

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 ところが、フロッピーの中身はこんなふうに表示されるのに、ここから読み込めないのだ。エラーになってしまう。これはくやしい。なんとか復旧できないものか。



 その他、1990年にJ-waveでやっていた「Classy Air Current」という番組の原稿(ナレーターは白鳥英美子さん)なんかも出てきた。私がWindows3.1を使い始めるのは1991年だから、これはNEC98のMS-Dosで書いたものになる。これらもまたことごとく読み込めない。1995年の凱旋門賞観戦記(勝ち馬はラムタラ)もダメ。これをパリで書いたのはシャープのMebiusだった。重かったな。4キロ以上あった。
 もう怖くてチェックする気力が失せた。500枚の内、まともに生きているのは何枚なのか。

 保存メディアとしてフロッピーディスクを信じた私がバカだった。日記や旅行記のようにもっと慎重にコピーしておくべきだった。もう使うこともないだろうとフロッピーに任せたままだった。私のミスといえばそうなのだが……。

 なんとも悔しくせつない春の日になった。外は雨。嵐。

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【追記】──スキャナーで復活して校了──スキャナー思い出話──4/27

 結局、その雑誌掲載原稿を担当の美人編集者Iさんがスキャンして復活してくれ、それを元に作業は円滑に進んだ。
 もしもこれがなかったら、雑誌コピーに赤を入れつつ、なんども郵便で往復せねばならなかった。Iさんに心から感謝する次第である。最初、そのコピー原稿赤いれでやろうと思ったけど、それではまだるっこいので、フロッピー保存が全滅と知ったとき、私は自分でスキャン復活をやろうと覚悟した。でももうそのときにはIさんがそれを始めてくれていた。数日後には第40回までの分が送られてきた。ほんとうにありがたかった。

 ところでこの「美人編集者」だが、これはものかきが編集者に阿るためによくやる手法である。実際はたいしたことのないのでも、内輪受けのためにこんな書きかたをしたりする。私も前々から一度はやってみたいと思っていた。でも私はウソが嫌いだから出来なかった。並以下を最上と書くようなウソはつけない。なによりそれはイヤミになる。不美人は不美人であることを自分で知っている。たまに勘違いしているのもいるが。
 今回やっと出来た。めでたい。うれしい。Iさんは本物の美人だからすんなり書けた。

 といってあらたに知りあったかたではない。25年ぐらい前から知っている。担当してくれたのが今回初めてということだ。当時から、ほんとにきれいな娘さんだった。当然ながらいまは結婚しお母さんになっている。そのかたが自宅で夜鍋仕事で復旧に取り組んでくれたとか。心から感謝している。



 Iさんに関してはいまも思い出す笑い話がある。
 当時、Iさんのうつくしさに惚れたTという同業のライターがいた。
 私は女性の美醜に敏感なほうではないので、Iさんのうつくしさを知らずにいた。あまりにTがきれいだきれいだと騒ぐので、どこにいるのだと言ったら、ある日、見せてあげようとIさんのいる部署に案内してくれた。その会社には珍しく、ほんとにきれいなひとがいたのでおどろいた。

 私がIさんのうつくしさを認めると、Tは我が事のように喜び、大きな声で言った。
「ね、Iさんてきれいでしょ! ほんと、掃溜めに鶴ですよ!」
 しかしそのとき周囲には、その他大勢の女性編集者もいた。そのうちのひとりが激しい口調で反応した。
「掃き溜めで悪うござんしたね!」
 美人を讃美するのはいいが、周囲には気を遣わねばならない。
 あのときの気まずい雰囲気(笑)。でもまあたしかに、その他は掃き溜めではあった。



mp770 スキャンというのはけっこう前からやっている。どれぐらいだろう。CanonのMP770(写真)が出たのはいつだろう。調べる。2004年か。出てすぐにこの複合機を買った。これはスキャナー2台目。
 この5年前にCanonのスキャナー専用機を買って始めたのがスキャン事始めだから、1999年からやっていることになる。12年ぐらいか。

 最初は古い写真をスキャンしてパソコンに収めるためだった。
 父母の古いモノクロ写真を復元し、修正してやってよろこばれた。母は、幼いときの親との写真を大事にしていた。それらを写真屋に出して修正してもらっていたが、そんなのは私のパソコンで簡単に出来ることだった。
 そのスキャナーはフィルムスキャンも出来たから、学生時代の現像していない写真をそこから読み取ったりもして遊んだ。

 文字スキャンもやってみた。
 ただし冷静に振り返ると、私は原稿をスキャンして掲載するような行為そのものは好きではなかったようだ。過去に雑誌に書いた自分の文章をスキャンして復元し、みんなに読んでもらいたい、のような欲求はなかった。私が好きだったのは、「スキャナーという機械とスキャンソフトを使って文字を読み取り、紙メディアの文章をパソコンに取りいれるという、いままで出来なかったあたらしい行為」に触れることだった。いままでやったことのないあたらしい行為をしてみたかったのである。だから何度かやったらすぐに倦きた(笑)。もう長年文字スキャンなんてやってない。

 スキャナーはおバカさんだった。読み取りミスの誤字が多かった。原稿用紙20枚ぐらいの文章を読み取り、500ヵ所ぐらいある誤字をひとつひとつ修正するなら、その原稿の悪いところを直しつつあらたに書いた方が私には愉しかった。そのほうが早かった。
 これは自分の原稿だから出来ることである。他者の原稿を読み取って復活させる仕事だったなら、元原稿とスキャン原稿を見比べつつ誤字を修正しなければならない。そういう立場ではないから出来たことでもある。



scaner-d しかしスキャナーにはまた新しい時代が訪れる。ドキュメントスキャナーによる犲炊瓮屐璽爐任△襦私も手持ちのマンガをずいぶんと自炊した。
 この場合も、自動でどんどん読み取るあたらしいタイプのスキャナーに触れ、単に「あたらしいことをやってみたい」だけであり、小説もマンガも(小説の自炊はまだしたことがないけれど)寝転がって紙メディアで読むのが愉しいのであり、自炊したマンガをパソコンで読むことはないと思っていた。パソコンでマンガを読むなんてぞっとしない。

 ところが今回の支那の山奥40日に、120GB-SSDにあれこれ入れて持参したら、いちばん役立ってくれたのがこの自炊マンガだった。「マスターキートン」「パイナップルアーミー」「ヤング島耕作」あたりが日々の無聊を慰めてくれた。これから海外に出るとき、自炊マンガは必須となる。こんなありがたいものはない。

 なぜ「120GBのSSD」とあえて書いたかというと、とんでもない悪路だからHDDはかわいそうなのである。壊れる可能性が高い。揺れに強いSSDがいいのだ。なにしろ駆動部分がないのだから震動に強い。OSを挿れているのもSSDだし外附けもSSDにして持参した。
 このSSDには映画や「ロンハー」「アメトーク」等も挿れて持っていったのだが、結果は断然マンガだった。映画なんてぜんぜん見なかった。支那の山奥でハリウッド映画を見たって癒されない。やはりそれは読みなれたマンガなのである。

「マスターキートン」を読んでいれば連載当時のビッグオリジナルと、その周辺の自分の生活をを思い出すし、「ヤング島耕作」を読んでいれば、モーニングに連載されていた「課長」時代を思い出す。つまりはその「思い出す時間の流れ」が癒しに繋がるのであって、それはハリウッド映画のドンパチにはない。同じく、ハリウッドに限らず「Outrage」なんて日本映画を見ても同じ。

 これからは安くなった32GBのUSBメモリやSDカードに挿れて行こう。震動に強いし嵩張らないから助かる。まさか単に「あたらしいことをやってみただけ」の自炊マンガが、ほんとに生活を潤してくれるとは思わなかった。とはいえやはり日本じゃパソコンでマンガは読まない。あくまでも外国での癒し専門だけれど。



 話戻って。
 美人編集者のIさんがスキャンしてくれた私の古い原稿には誤字があった。
 私に送信する前に、Iさんが相当に直してくれていると思う。おそらく、そのスキャンだけでは使いものにならないぐらい誤字があったろう。不要な周囲の着順データ等も読みこんでしまうだろうし。
 Iさんにとっていちばんたいへんだった作業は、雑誌をスキャンにかけることより、文字となったそれの誤字修正だったはずだ。それをIさんが直して、それから送ってくれたのだが、それでもまだIさんのチェックを潜りぬけたスキャンミスの誤字があった。
 そしておそろしいことに、私はその文章を全面的に直し、何度も何度も読み返して、そういう誤字も直し、完璧のつもりで編集部に送ったのだが、ゲラがあがってくると、それでもまだ誤字が何個所もあったのだ。あれだけ読んでも、私はぜんぶを直せなかったのである。スキャナーの誤字、おそるべし。

 この流れを考えてみると、スキャナーの文字読み取り精度は、私が初めてやったころからあまり上がっていないのだろう。
 これは最近の犲炊瓩箸牢袷瓦砲舛う話だ。最近のドキュメントスキャナーによる自炊とは、みな「画像にしてしまうこと」だからである。これなら誤字の確立は減る。ページをそのまま画像にするだけなのだから。特にマンガ保存には最適だ。
 しかし今回のIさんがやってくれたことは、原点である文字を読み取ることである。スキャンソフトの精度、というか読み取り能力は、むかしからあまり進歩していないようだ。



 思いつくいくつかを書くと、競馬原稿であるから「」という字がよく出て来る。「8枠からのスタートとなった」のように。この「枠」が「」になったりしていた。なかなか粋なことをする。
 ゲラが上がってきてから誤字に気づいたのに「毛の時代」の「芦」が「声」になっていて、「毛の時代」というのがあった。これは気づかなかった。あとは「順」が「順」になっているのも多かった。細かい文字だからしかたないことだし、これ以上を今のソフトに望むのは酷なのだろう。
 ただしこれらもスキャンソフトが自身の辞書に「芦毛」や「着順」を持っていて、逆に「声毛」や「看順」なんてことばはない、と知覚していれば防げることだ。どうやらそこまではまだ無理らしい。



mg6320「いや、しかし」と、パソコン好きの私の血が騒ぐ。
 これらはあくまでも「スキャンソフト」の問題なのだ。スキャンソフトによって読み取り精度はちがうのではないか。MP770が壊れてしまい、いま私の使っている複合機はCanonのMG6320(写真)である。印刷はカラーレーザープリンターばかりだがスキャンはこれでしている。複合機として値段は5分の1ぐらいに下がったが、ハードとしてのポテンシャルはあがっているはずである。

 ハードのスキャン能力、解像度にも差はあろうが、それはたいした問題ではないように思う。要はスキャンソフトがどこまで賢くなっているかだ。
 MP770が壊れていなければ、2004年当時のスキャンソフトと2012年のスキャンソフト(添附してくるヤツ、なんだっけ「読み取り君」だったか?──いや、調べて「読み取り革命」と知る)に同じ原稿を読ませ、誤字を確認し、どの程度読み取り精度が違うか比べられるのに、残念だ。やってみたかった。10年近いソフトの差はかなりのもののはずだ。
 って、そんなことしても何の意味もないのだけど。でもそんなことが好きなんだ(笑)。



 あとは最終のゲラチェックだけになった。来週中には完成するか。
 S課長とIさんのおかげで楽しい仕事だった。

生活雑記──春らしい朝にマイルスのRelaxin'──靖国神社の奉納大相撲

milesrelaxin 予測通り、雨が上がったら春らしい日になった。しかし桜はもうほとんどない。桜好きにとって今年は決してよい春ではなかったろう。被災地のみなさんは桜を愛でることが出来たろうか。テレビを見ないのでそんなニュースにうとい。

 珍しくあわただしい一日になりそうなので早朝から全開で雑事を片づけている。 やるべきことはほんの8コなのだがメモ用紙に書きだし、クリアするごとにチェックをいれる。それをしないと何か一つぐらい忘れそうで不安なのだ。劣化がひどい。むかしはメモ要らずだったのだが。

 昨夜は締切間際のキャッチコピーが浮かばず苦しんだ。かつてそんなことはない。これもまた劣化なのか。しかしそれは対象の問題のようにも思うのだが……。
 それでもなんとかそれをこなし、深夜に送信完了。気分は楽。春らしい今日と明日を楽しんでこよう。

 二日ほど家に戻れない。ケータイとデジカメの充電はやってあったがiPodの充電を忘れていた。いまその充電完了を待ちつつ、マイルスの「Relaxin'」を聞いている。



 携帯電話機とデジカメとmp3音楽再生機。「スマートフォンならひとつでぜんぶ出来るよ」と言われそうだが、そういうものでもない。

 私はデジカメにこだわりがあり、写したものは自分なりに加工してからアップする。知人がブログに日々の写真をアップしているが、携帯電話で撮ったままの写真を見ると、臨場感はあるけど、ここをこうしたらいいのに、と思ってしまう。必ず思う(笑)。傾いていたり、無駄な餘白を見たりすると、トリミングしたくなる。彼はPCを使えないからしょうがないのだが、でもブログのケータイ写真はそんなものでいいのだろう。私にはズーム機能のあるそれなりに能力の高いデジカメが必要だ。写メ遊びをしたいのではない。わかるひとはわかってくれるし、わかってくれないひとは、変なヤツだと思うだろうが本音。

 しかしSDカードの16GBってのはすごいな。今回、写真を撮りまくってもまだまだ餘裕だった。私のこの種の保存メディアはスマートカードの2MBから始めていて、スマートカードは128MBでも大容量だったから、ギガには実感がない。基本、動画用なのだろうが。



ipodclassic 音楽も最低でも1000曲ぐらいは保っていないと不安なのでiPodは必須だ。電車の中や歩いているときも音楽を聴いている若者は、スマートフォンやミニプレイヤーで好きなアルバムを繰り返し聞いているのだろう。音楽とはそんなものだし、それは正しい。私も若いときはそうだった。

 でももうだいぶ前から、「この風景、この状況に似合う音楽はなにか!?」を楽しむのを主にするようになった。1991年にタイ・ミャンマー・ラオスの接するゴールデントライアングルと呼ばれる地域をレンタルジープで走ったころから芽ばえた感覚のように思う。あのころはバッグの中にカセットテープを100本ぐらい入れていた。大荷物だった。

 それがいま小さな機器に収まる。夢のような時代になった。iPod Classic 160GBに、音楽と映像、写真をびっしり入れて行くのは、やっと叶った夢の時代への執着みたいなものだ。その夢の機器である小型HDDを使用するiPodも、フラッシュメモリの時代になり、「Classic」と呼ばれるようになっている。HDDは震動に弱いから携帯にはフラッシュメモリのほうがいい。私もそのうちそちらに移行するだろう。SDカードが大容量化しているので、この種の保存メディアにもうHDDの必要はないようだ。



 終戦前後の物資不足時代に空腹の少年期を送ったアイカワキンヤというサヨクは、食に対する異様なこだわりがあり、番組収録中にもポケットに菓子を入れ、いつも何かを喰っているのだという。好きなだけ食べられなかった少年期のトラウマであり、また食べられなくなるかも、という恐怖である。

 私がたかが二日間出かけるだけなのに、いつどこでも聴きたい曲が聴けるようにとiPadに1万曲も入れて持参するのは、彼のその饑餓感覚に似ている。外国でさんざん「ああ、いまこの景色で、あの音楽が聴きたい」と思って叶わなかった口惜しさだ。「ここに地終り、海始まる」の碑があるポルトガルのロカ岬で感じたそれは20年以上経ったいまも覚えている。

 そしてまたもちろんのことだが、私は電車に乗っているときや街を歩くとき、音楽は聞かない。ぼけっと考え事をしているか本を読んでいるかだ。それが愉しい。電車のゴットンゴットンという軋み音と、周囲のひとの会話とか、そんな雑音が似合いの音楽なのであり、イヤフォンを耳にする気はない。つまり「iPodの1万曲」には、まず出番がない。それでももっていないと不安になる。アイカワキンヤなのである。



3nen 今日これからの予定は、秋葉原に出かけ、パーツ買いをして、新橋で仕事の打ち合わせをして、それから飲み、大塚の友人宅に泊めてもらい、明日は靖国神社の奉納大相撲の観戦だ。

 奉納大相撲は昨年が初めてだったので雰囲気を知らなかった。場内でも酒とおでんを売っていたが、好みのものがなく、コンビニまで買い出しに出かけた。そのことでせっかく早い時間に行って確保した場所を放棄せざるを得なかった。

 その反省もあり、今年は万事そつなく準備した。去年、コンビニに日本酒がワンカップしかなくて往生した。コンビニのワンカップとサキイカじゃ、せっかくの奉納大相撲の場で惨めである。今年は「朝懸けの酒」と、焼酎はここのところ気に入って愛飲している「博多の華 三年貯蔵」をポットに入れて持参する。
 
 さてiPod Classicの充電が完了したようだ。出かけるとするか。
 忘れもののないように「持参品」と書かれたメモを見る。昨日購入した『将棋世界五月号』も電車の中の読書用にバッグに入れよう。 毎年五月号は年度末の特集でおもしろい。これはまた別項で書こう。
 日曜は桜花賞か。春だな。 

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kanren6 靖国神社春の例大祭 奉納大相撲2012体験記

ホッピー話──ホッピー用にキンミヤ注文──伊予銀行初体験

 今日も雨の日。ここのところ肌寒い。
 春分の日はティーシャツ一枚でも暑いほどだった。桜はすでに咲いてしまうし、いったいどんな春になるんだと心配したが、呼びもどしがあって、まともな寒さの4月のようだ。
 数年前には4月になって桜が散ってから雪が降ったことがあった。今年はどうなるのだろう。
 この雨があがると、一気に春らしいあたたかさになるような気がする。



 春分の日の暑さで、私の今年のホッピー解禁はずいぶんと早まった。そのまま来てしまったので、昨夜など寒くてこたつに火を入れたのだが、それでもつめたいホッピーを飲んだ。

kinmiya あれこれやってみたが、やっぱりホッピーにはキンミヤである。この組合せを発見したひとはえらい。

 キンミヤは「さとうきび焼酎」である。よってラムに通じるトロっとした感じがある。これを冷凍庫で冷やしておいてホッピーで割る味わいは、他の甲類焼酎とはちょっとちがっている。ほんと、最初にこれに気づいたホッピーファンはえらいな。

 キンミヤの社長のインタビューでは、「おかげさまで(ホッピーのある)関東では好調なんですが、地元で売れなくて(笑)」とあったっけ。

 東京の下町にはキンミヤ割ホッピーを飲ませる店が多々あるらしい。いちど外でそれを飲んでみたい。ここのところ家飲みばかり。明日ひさしぶりに外飲みするが、ホッピーはない店だろう。

 600ccのこれをホッピーブラックで空けるのがここのところの習慣。量もほどよい。毎度これを買いに行くのも面倒になってきた。
 レギュラー、55、ブラックとあるホッピーは、ここのところブラックばかり。これもびんの処理が面倒。

 黒ビールは個性が強すぎて毎日飲んでいると倦きが来る。アイルランドでギネスしかない地域にいたときは猛烈にふつうのビールが飲みたくなった。ギネスはうまいビールだけど、毎日あれだけというのもつらい。ホッピーのブラックはギネスのように強烈ではなく、黒の主張がハーフアンドハーフぐらいでほどよい。



 というところで通販になる。紙パック1.8リットルを6本以上注文すると送料無料というところを見つけた。酒は重いから送料が高い。無料はありがたい。ここに注文することにした。ほんとはびんの味わいがいいのだが、割り切って風情のない紙パックにする。ごみ処理が楽。

 すると振込先が「伊予銀行」とある。こんな銀行、看板すら見たことがない。でもたぶん愛媛県じゃ由緒正しい有名銀行なのだろう。それはまあ茨城の田舎者なのでよくわかる。うちの親は茨城相互銀行とか石岡信用金庫なんてところに預けていた。茨城で伊予銀行に匹敵するのは常陽銀行か。



 思えば、ここのところ私が通販で購入する会社はほとんど東北だった。パソコン部品は青森、宮城が多い。たぶん店舗を持たない倉庫営業なのだろう。秋葉原より安い値段でがんばっているのだから、東京、大阪、東北が同じ値段だったら東北を応援する。そんな応援に意味があるかどうか判らないけど気は心だ。
 酒は福島、秋田、新潟だ。これは好きな銘柄がそっちなので自然にそうなる。有名な灘伏見だが、あっちの酒になじみはない。



 愛媛県から通販で酒を購入するとは夢にもおもわなんだ。でもキンミヤは三重県の焼酎だから、こんなこともあるのだろう。 まあこれはこれで新鮮な体験。

菜食主義考──肉を肉と意識せず喰う感覚──考えるほどに何も喰えなくなる

「ロイド・カウフマンの菜食主義のススメ」

わかるなあ。

動物が肉になるまで」というストレートなものより、むしろ痛みが伝わってくる。

これが人間の本質であり業だからどうしようもない。正面から受けとめねば。



極力四つ脚動物の肉を喰わない生活をしているが、そのことに何の意味があるだろう。
魚を喰うことだって同じだし、菜食主義だって、徹底すれば、ヴィーガン(乳製品、蜂蜜等も食さない)を通りこして、フルータリアン(命を断つ根菜等を食べない。実をもぎって食べるだけ)まで行かねばならない。
生きるということは他の命を奪うことだから、こんなことで悩むことは生きることの否定になる。



むかし映画に、生きている豚の首を日本刀で切り落とすシーンがあった。スロー再生なので、血が噴きだし、首がゆっくりと舞うところまで見せる。
映画館の中にヒッという悲鳴が満ちた。
その悲鳴と、その映画の帰り、スーパーの豚肉の切り身を見て、うまそうと思って購入する感覚は別個に存在している。そういう矛盾とは縁を切りたい。高名なブロガーの言う「自分の殺せるものだけを喰う」と同じ感覚である。同世代だけに意見が合う。



今回、鶏をつぶす作業をした。手を出したから資格はあったのだが、喰う気になれなかった。
目の前で豚を殺す作業があったが、それには手を出さなかった。出せなかった。その代わり、それは口にしなかった。咽を切られ、血が噴きだすときに豚のあげるキィーっという断末魔の悲鳴はきつい。耳を塞ぎたくなる。でもそれはしたらしている連中に無礼だ。顔をしかめていたので、軟弱であると嗤いの対象になった。



仔牛のソテーはうまい。成長した牛とはちがううまさがある。
しかしそれはあのかわいい仔牛を殺した肉であること、正視できない残虐なそれをやってくれたひとがいて、いま目の前の皿に載っているのだということを忘れてはなるまい。いや逆か。今の時代、そんなことを意識してはならない、なのか。いやいや、そんなことを忘れるとか意識するとか、こんなことを書いているバカはいない。



いまからイカの塩からでいっぱいやる。どなたかが作ってくれた品だが、イカは自分で殺せるし、先日も調理したばかりだから罪の意識はない。イカにとっちゃいい迷惑だ。

死んでもまた生まれ変わらねばならないのだとしたら、一瞬で叩き潰されるハエでもカでもいいけど、ひとに喰われる豚や牛にだけはなりたくない。
牛タンだとか豚足だとかモツだとかを喰っているひとを見ると吐きそうになる。私はビョーキか。刺身を食う私を魚を食わないひとが見たら気味悪いだろうに。生きていることが罪だから、生きている限り聖人にはなれない。

Windowsの減少、止まらず、Macが急成長!──OSシェア──に【追記】

Windowsの減少、止まらず、Macが急成長!──OSシェア》に追記しました。

減少の止まらないのはWindowsではなくMacのほうらしく、とうとうシェア7%を切ったようです。

雁屋哲先生、茂木健一郎先生を始めMac大好きのみなさん、がんばってください。優れたMacを普及させ、クソWindowsを潰すためにはおひとりで最低10台は買う必要があると思われます。今日から「ひとり10台運動」を始めましょう。
osshare

Picasaの保存ファイルを変更する方法

picasa 写真管理ソフトとしてGoogleのPicasaは抜群に便利だ。
 しかし全HDDをスキャンしてデータを集めるので膨大な量になる。なにしろ写真は当然として、自炊したマンガからソフトウェアの立ち上がり画面まで、ありとあらゆるものを網羅する。まことにすさまじい。
 スキャンを全HDDではなく設定して容量節約はできるが、それでは意味がない。

 このソフトのいいところは、HDD内の画像を完全スキャンしてくれるので、ふだん目にすることのないクズファイルまで発見してくれることだ。どこかから勝手に侵入したしつこいソフトが、アンインストールしたのに、画像だけ残っていたりする。そういうのを削除すると、カビキラーで風呂場の黒い目地を真っ白に出来たときのような快感を感じる(笑)。



 Picasaが整理して表示する写真のDataは80GBほど。30年近い時間の蓄積量だからさほどでもない。自分の歴史でありいとしいものだ。
 しかしこれがOSのあるCに溜まるのは、初めて使ったときから愉快ではなかった。

「パーティションを切って、HDDをOSとDataに分ける」というのは自慢できるぐらいむかしからやってきた。私はData命だから、不具合の出るOSとDataを同じ場所におくわけには行かない。その徹底で、たび重なるMSのOSトラブルでひどい目に遭ってきたが、データ消失だけは経験せずにやってきた。(HDDクラッシュで大切な猫の写真を失ったりはあったが。)

 30年近く前からOSとDataを分けてきたのに、そのOSのあるフォルダーにデータを溜められるのは不快である。もっともそれはPicasa独自の二次データであり、元々のデータに影響はない。まあだから我慢して使えた、とも言える。

 HDD容量に餘裕のあるときは問題はなかったのだが、システムをSSDに挿れるようになって困った。
 Win7-Ultimateを挿れている240GBのSSDはなんとかなっているが、Win8のSSDは120GBしかない。80GBのデータを収めるのは無理である。それで8ではPicasaの使用を諦めていた。安くなってきた256GBのSSDを買うまで我慢かと思っていた。



 保存場所をOSのあるCから容量に餘裕のあるHDDに替えればいいのだが、これがけっこうむずかしい。
 あるフリーソフトを使ってやる方法が紹介されているが、これは64bitや8には使えなかったりする。

 GoogleやMacはそういうことに関して独善的だ。「おれが正しい。おまえら下々の者は、おれに素直にしたがえ」を強要してくる。信者はしたがうことに快感を感じるようだが奴隷にだってそうでないのもいる。
 Chromeのキャッシュ保存場所変更も話題になっていた。UserのApl dataがふくらむことは不快だ。Cはシステムのみのスッキリした形で動かしたい。そのほうが万が一の時の復旧も楽だ。
 ということでしばらくPicasaから遠ざかっていた。



 最新版になって簡単に保存場所が変更できるようになったらしい。助かる。今日やってみた。
「ツール」→「オプション」から「ファイルの保存場所」を自分の決めた場所に指定する。
 ここまでは誰でも気づく。ところがこれをやってもOSのあるUserフォルダに溜まってゆく。私はいつもそこで挫折していた(笑)。考えてみればここは「インポートした写真の保存場所」だった。そこを変更してもDatabaseの置き場所が変るはずもない。

 このあとの処置が肝腎だった。

「ツール」→「試験運用」→「データベースの場所を選択」で場所を指定する。そして再起動。


 CのシステムSSDから80GBが減り、データ用のHDDに移動したときは快感だった。でもなんなんだ「試験運用」って?
 Chromeもキャッシュの保存場所変更をこんなふうに簡単設定してくれればいいのに。



 秀でたひとたちがお作りになったソフトを無料で使わせてもらう庶民に苦労は絶えない。
 でも「おれの決めたとおりにしろ、いじるな!」という親方様の目を盗み、こっそり自分好みに改造したりするそれが愉しかったりする(笑)。

長嶋、松井への国民栄誉賞は乱発か!?──<きっこさん>の的外れ批判

あちこちで「乱発」と「参議院選挙のための人気取り」の記事が踊っている。いくつか引用しようと思ったが、そこいら中に溢れているのでその必要もあるまい。

なでしこジャパンや吉田沙保里のような若いひとにやることもあれば、大鵬のような偉大なひとに死んでから今更ながら与えたりもする。
「基準がいいかげんだ」という批判があるが、そんな議論はもう競輪の中野浩一が世界選手権で10連覇をしてももらえなかったときに惘れて卒業した。競輪選手に与えても政権の人気取りにならないと読んだのだろう。柔道の野村忠宏のように「オリンピック三大会連続金メダル」でももらえなかったひともいる。なのになでしこジャパン。むかしからめちゃくちゃだ。



だからこういう批判は的外れになる。

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総理大臣が自分の支持率稼ぎのために国民栄誉賞を利用するようになった今日このごろ」は笑止。

国民栄誉賞ってのは、そもそも福田内閣が国民の人気取りに作ったものだ。「今日このごろ」とこのオヤジは書いているが、始まりからしてそうなのである。その後もずっとそうだった。基準は当時から今に至るまでめちゃくちゃだ。「時の政権の人気取りアイテム」「基準がめちゃくちゃ」は設置当時から一貫している。いわば筋が通っている(笑)。「今日この頃」と書くなら、そうじゃなかった時代や例を示さねばならない。このオヤジ、いかに思いつきだけで書く明き盲であることか。

長嶋に、大鵬のように亡くなってからあげるようなことをするなら、いまの授賞は適切であろう。なぜ一緒に松井なのか不透明だが、もともとそんなどうでもいいいいかげんなモノなのである。
ある論客は、「長島よりも記録的に上の野村克也がいるのに」と長島受賞を批判していた。野村自身が「長島は太陽、おれは月」と言ったように、この種のことは数字で語るものではない。当時のことを知らないひとに何を言っても通じないだろうが、長島と野村克也じゃ月と鼈だ。



そもそもが政権の人気取り政策のひとつであり、中野のころからまったく信じていなかったが、柔道の野村に与えずなでしこジャパンなんてのにあげたとき、なんじゃこりゃと語る気すら失くした。なでしこジャパンの娘達だっていい迷惑だ。そのうち「国民栄誉賞が離婚」「国民栄誉賞が脱いだ!」「国民栄誉賞がシャブ中に」なんてことも起きるだろう。

なにはともあれこのオヤジのような自国の総理に対する口汚い言い方だけはしたくないものだ。どっちが「カス野郎」かは10万人もいるフォロワーが判断するだろう。
ツイッターというのがキチガイに刃物であることがよく現れている。

クラプトン「Old Sock」を聞く──なぜかレゲエ色

oldsock




















3月20日に発売されたばかりのクラプトンの新作。

レゲエ色が強い。全12曲中3曲がレゲエアレンジ。



ジャズのスタンダード・ナンバー「All of Me」がある。私のいちばん好きなのはダイナ・ワシントンだが、クラプトンのこれも定番として聞くようになりそうだ。このひとが味わい深いヴォーカリストだってことに、旧くからのファンにはいまだに実感がなかったりする。
あの「枯葉」から、ますます自信をもっているみたいだ(笑)。

いまAmazonのページを開いたら、「All of Me」について「1931年に誕生したGerald Marks / Seymour Simons作によるジャズ・スタンダード・ナンバーのカヴァー。ビング・クロスビー、ビリー・ホリデイ、フランク・シナトラ、ディーン・マーティン、エラ・フィッツジェラルドといった錚々たるレジェンドがこぞってカヴァーした超スタンダード」とあった。どうしてダイナ・ワシントンの名を入れないのだろう。私はビリー・ホリデイのファンだが、この曲に関する限り超絶名歌唱はあれに尽きると思うが。



「Goodnight Irene」のドブロがいいですね。ブルースの名曲。
「Bone To Lose」はカントリーのハンク・ウイリアムスの曲。いかにもなペダルスチールがいい。



「Our Love Is Here To Stay」。ご存知ガーシュインの名曲。Jazzyなアレンジで歌いあげています。

もうすぐワールドツアーに出るそうだけど、いまのクラプトンのステージってどんな感じなのだろう。知りたいのは演奏している曲だ。こんな渋い歌はやってないんでしょ? 前回の日本公演でやった曲なんてのも検索すればわかるのかな。検索下手なので方法すら思いつかない。



基本はお馴染みのナンバーをカバーしたヴォーカルアルバム。明るいレゲエ調と、渋いジャズヴォーカルがミックスしていて楽しめる。このカバージャケットとレゲエアレンジで能転気な明るさばかり想像されそうだが、思ったよりもずっとウェットだ。

今日は雨降り。クラプトンのレゲエで南国の青い空を夢見ることにします。

将棋話──最優秀棋士に渡辺竜王!──羽生は特別賞


最優秀棋士に渡辺3冠 羽生3冠が特別賞

 将棋の棋戦主催各社で構成する第40回将棋大賞選考委員会が1日、東京都渋谷区の将棋会館で開かれ、最優秀棋士賞には渡辺明3冠(竜王・棋王・王将)が初めて選ばれた。

 特別賞は、通算タイトル獲得記録を更新した羽生善治3冠(王位・王座・棋聖)が選出された。

 また、東京将棋記者会は記者会賞に石田和雄九段を選んだ。

 その他の受賞者は次の通り。

 優秀棋士賞 羽生3冠▽敢闘賞 中村太地六段▽新人賞 永瀬拓矢五段▽最多対局賞 羽生3冠(68局)▽最多勝利賞 羽生3冠(51勝)▽勝率1位賞 永瀬五段(7割8分6厘)▽連勝賞 中村六段(15連勝)▽最優秀女流棋士賞 里見香奈女流4冠(女流名人・女流王位・女流王将・倉敷藤花)▽女流棋士賞 上田初美女王▽女流最多対局賞 中井広恵女流六段(38局)▽升田幸三賞 藤井猛九段(角交換四間飛車)▽名局賞 渡辺3冠―羽生3冠(第60期王座戦第4局=千日手局を含む)▽名局賞特別賞 里見女流4冠―上田女王(第39期女流名人位戦第5局) ──スポーツ報知2013/17//42


http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/04/01/kiji/K20130401005524700.html

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 予想通りの結果。羽生はタイトル獲得数を更新したので「特別賞」ではないかと思っていた。
 最多対局も最多勝も取っているし、勝率は7割5分だし、賞金獲得額も1位だし、充実した一年だった。
 羽生ファンとして今年救われたのは王座を取りもどしたことだ。昨年の王座戦20連覇を渡辺に止められた時のショックと比べたら最優秀棋士なんてちいさいちいさい。

 渡辺竜王、初の最優秀棋士賞受賞、おめでとうございます。馬券も当ててくださいね。

 ここまで羽生は「5年連続19回」最優秀棋士になっていた。今回受賞したら20回目だった。王座の20期をとめたのも渡辺。羽生の20回目の最優秀棋士をとめたのも渡辺。
 さあ、春は名人戦の季節。羽生、名人に復位しろ!



 おお、名局賞は、あの千日手指し直しになった深夜の王座戦第4局か。目をしょぼしょぼさせつつ必死で見た日を思い出す。

 たしか投票者は17人のはず。最優秀棋士の票はどんなふうに分かれたか。興味深い。

kanren6 羽生、渡辺から王座、奪還!


<きっこさん>、鼻カルボ以上の参院選爆弾予告──みなさん、覚えておきましょうね──いやいや忘れた方がいいのかな?

鼻カルボで話題のネット世界の架空キャラ、あの<きっこさん>(男性、64歳)が#鼻カルボに続いて、またも凄いことを断言してくれました。
鼻カルボのVersion Up版です。

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どんなことでもいいから注目を浴びればうれしい愉快犯なのでしょう。
でも、これを書いた目的は、前回の#鼻カルボも冗談なんだぜ、それがわからないおまえらはバカだよ、という「鼻カルボ消し」ですね。ウンコの臭さを消すためにもう一回ウンコをするようなものです。その気持ちが見え見えです(笑)。でもそうはならないでしょう。何回してもウンコは臭いから。

かといって、これが#鼻カルボに続いて、#耳ペペロンチーノという話題にならないと、してやったりのようでいて、がっかりするのは<きっこさん>なんですよね(笑)。どうでもいい目立ちたがり団塊世代サヨクおやじの悪足掻きです。彼に取っちゃ大震災も放射能もネタですから。平和惚け日本が産みだしたミュータントです。
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