2013年08月

Windows8.1Preview版インストール顛末記──やっぱり最悪の結果

 Win8.1Preview版Downloadが可能になったのが6月28日。
 私がそれをやってみるとここに書いたのが6月27日。アップは午前9時33分となっている。そうかアメリカが28日で日本は27日だったのか。ともかく世界的にもかなり早い時期に私は人柱として突撃した。

 その後、まったく触れていない。言うまでもなく無惨な結果だったからだ。 



 2.4GBの8.1ファイルをDownloadして、8をアップグレードする。
 8でなくなり、さんざん不評をかこったスタートボタンが8.1では復活すると言われていた。
 しかし残念ながらそれはスタートボタンではなかった。7までのように下部左端にスタートボタンが表示されたが、それは単にあの気分の悪くなる8のスタート画面へのリンクでしかなかった。あれだけ評判がわるいのに変えようとしない。ほんとにしょうもない会社である。 



 それでも、当然のことではあるが、8にインストールしておいたソフトもみな生きており、SP1適用と同じ形になった。ここまでは満足である。
1-3 画面右下にこんなのが出ていて、これがまだ実験版であることを示している。これを見るのは7のRT版以来だから懐かしい。8もやったが、すぐに削除したので記憶にない。

 とにかくあのスタート画面が嫌いなので、ユーティリティソフトを使って7のようにしようと思う。いくつもの種類が出ているが、私がいちばん気に入っているのは「StartIsBack」というもの。これはいいソフトだ。

classicshell Classic Shellのほうが有名かも知れないが、こちらは写真のように貝のデザインでClassic Shellであることを主張する。その点StartIsBackはごくふつうに7のようななってくれる。ほんとうにありがたい。
 どうでもいいことだが、上の写真は私のPCの画面をカットしたもの。下のClassic Shellはネットで探してきたものだ。というのは下の写真にInternetExplorerがある。私はこんなもの使わないからタスクバーにピン留めすることはない。InternetExplorerを使わないというのは私の大切な姿勢なので、細かなことだが書いた次第。



 ということで、まずは8.1にStartIsBackをインストールすることから、私の8.1体験は始まった。いや始まる予定だった。
 これをインストールしようとしたら、いきなり画面が固まった。それも激しく痙攣するもので、まるで「あたらしいスタートボタンにしたんだもん。そんなの使って古い形にされるのイヤだもん」とこどもがごねているようなフリーズだった。長年Windowsを使っているが初めて見る形だった。

 なんちゅう出来の悪いOSだと腹立ったが、それでもまだあまく見ていた。再起動で直ると思っていたのだ。もちろん固まっているから再起動なんて出来ない。強制的に電源を落とすしかない。
 そうしてもういちど電源を入れると、またも痙攣画面でフリーズ、そして、なんと7まで壊れていた。おそるべき不出来である。自分が壊れるのはいいが、安定していた7まで壊しやがった。8.1は起動するが、また先程の痙攣ブルブル画面になるだけだ。どうしようもない。とんでない厄災に手を出してしまったと心底後悔した。



 せっかく磨きあげ、7のようにした8が8.1にすることでぶち壊しになった。しかしこれは諦める。それなりの覚悟もしていて、やったことだ。しかしなにも7まで具合が悪くすることはないだろう。
 起動しなくなってしまった7に修復ディスクを当てて恢復を図る。なんとか直った。だいじょうぶのようだ。ほっとする。

 それからずっとほっておいた。7で作業し、8なんてものはなかったことにしていた。
 一週間ほどして傷もすこし癒えたので、また起動して見る。相変わらず痙攣ブルブル画面だ。もう諦めるしかない。フォーマットして8をクリーンインストールする。8を磨きあげた日々が懐かしく通りすぎて行く。
 ソフトを挿れたりせず、もう毒を食らわば皿までの心境で、いきなり8.1にする。これはすんなりできた。

 そんなわけでいま、生のままの8.1がある。ソフトをひとつも挿れてないし、なにもいじってない。
 これからキイ配置を換えたり、ATOKや『QXエディター』のような愛用ソフトを挿れたりして、延々と仕上げる時間が続く。なにしろ私のOSは様々なソフトであふれ、いまの7-Ultimateなど140GBである。
 いまはどうにもその気になれない。あの痙攣ブルブル画面のショックはまだ引きずっている。

 というか9月になったらもう正規版が出るのか。これにそれの上書きをしよう。
 ひどい体験をした。8がクソなんだからそりゃ8.1もそうだろう。愚かなことをした。しみじみ反省。PCに関する限り割合楽天的で、こういう経験もたまにはいい、なんて前向きな発言をするのだが、今回ばかりはうんざりした。史上最悪のOSである。

小物話──中国で作ったメガネ──中国物価考

 ロンドン、パリ、ブリュッセル、シカゴ、チェンマイに続いて中国の田舎町でメガネを作ってみた。前よっつの都市と比してタイのチェンマイは田舎町だが、それでも人口17万の何でも揃っている市だ。今度のはそんなものではない。私の生まれ育った田舎町よりももっと田舎。ほんとに中国山奥の田舎町。

 さすがにそこにあるのが昔風の年寄りが一人で店番しているようなメガネ屋なら近寄らなかったが、ここのところこの山奥の町も急速に近代化してきて、しゃれたメガネ屋が出来た。検眼の機材も新型が揃っている。バイク事故でひとつ壊してしまったので作ってみるかとなった。
 メガネは日常で使用するし、私は物持ちがいいので、古いメガネも全部持っている。度が合わないのだからもっていても意味はないが。ともあれ、無駄にはならない品である。



 店員は、でっぷりと太った人相の良くない男だった。あれにそっくりだ、あの近年政治討論番組によく顔を出す「孔子の子孫」とかいう人相の悪い支那人。 あれにそっくりだった。
 日本人と知ると、「この検眼機械は日本製だ。日本製はすぐれている」。とまあこれぐらいのことは支那人でも言う。

 彼らにも本音と建て前はあり、建て前では日本をボロクソに貶すが、彼らは日本製品がすぐれていることを知っている。それどころか世界一と崇拝している。同時に中国製品を信じていない。だから金持ちは争うようにして日本製品を買う。日本製の電化製品を使い、日本製のクルマに乗り、日本米を食べる。それが金満支那人のステータスだ。 



 チタンフレームの、なかなかいいメガネが、8千円ほどで作れた。日本だと2万円以上するだろう。

 中国というと貧富の差が激しく(これは事実)、物価は、日本と比したらとんでもなく安いと思っているひとがいるが、そうでもない。だいぶ品により異なる。
 たとえばビールは大瓶で40円ほどだから日本の十分の一と言える。まあ麦芽3%程度の、日本だと発泡酒以下のまずいビールだけど、それはともかく、うどん一杯もそれぐらいだし、「中国の物価は日本の十分の一」と言える面もある。

 が、たとえばこの山奥の町では、物品はみなトラックで山道を延々と運んでくるから、それらは中国の大都市よりも高い。たとえばこどもの靴、カラフルなナイキもどきなどは、2千円以上する。こうなるともう物価は日本と同じになる。

 さらにはパソコンパーツになると日本より高い。たとえば今日本では、ワイヤレスマウスが1500円で買えたりするが、この中国の山奥では旧式の有線マウスが3千円する。まあパソコンパーツは、利用者もまだすくないし珍品だからしかたない。それにこれは、よりすぐれた日本製品(ただしMade in China)を日本から持って行くことで解決できる。

 私が困るのが酒である。あちらのまずいビールと臭い高粱酒ばかり飲んでいると、日本酒に餓えるが、それは無理だから諦めるとして、気分転換にウイスキーが飲みたくなる。これが高い。日本だと安売りで1200円で買える最低レベルのバーボンでも6千円以上する。シーバスの12年物になったら1万円以上だ。いま調べたら、日本だとシーバス12年ものは最安値2000円で買える。まあ近所で買ったら3千円としても、この品に関しては、中国の物価は日本の3倍となる。だから、中国イコール物価が安い、とは一概に言えない。

 では暮らすのはたいへんかとなると、それもまたちがう。100円の粗雑な中国製サンダルを履き、自家製の米や野菜を食い、どこへも出かけず地元で生きていれば安く暮らせるのである。しかしこどもにちょっとしゃれた服を着せたり靴を履かせてやりたいと思ったら、いきなり出費が嵩む。また交通費も高い。旅行をしようと思ったらたいへんだ。つまり、それを出来ると出来ないが貧富の差であるのだが、この国にいるとあらためて日本の良さが判る。



 とまあ日中の物価さは物によってちがうのだが、メガネに関しては2倍というところだろうか。
 チタンフレームの8千円で作ったメガネを私は気に入った。

 予備であるからめったに掛けない。
 しかしたまに掛けると、何か違和感がある。しっかり検眼して、「孔子の子孫みたいなオヤジ」も、一所懸命作ってくれたはずなのだが……。

 ある日、日本で、テレビを見ながらそのメガネをいじっていて気づいた。掛けると、なんか乱視の度が合わず、ぐわ〜んと、イヤな感じがする。おかしいなあ、作るときはピタッと合っていたのに、と思いつつ、逆さに掛けてみた。するとピタっとあった。じつにいい。完全に左右ともくっきり見える。
 あの「孔子の子孫のようなデブオヤジ」は、レンズを削ってフレームに嵌めるとき、左右を間違えたのだ。私の目は左右で近視乱視とも度数がちがう。それを左右逆にいれやがったから、掛けると、なんか気持ち悪い。逆さに掛けたらピタッとした。せっかく検眼は正確にして、いいメガネを作りつつも、肝腎のはめこみのとき左右を逆にした。大陸的粗忽さではある。
 すてるのももったいないので、いま、テレビを見るとき逆さに掛けて使っている。当然外出には役立たないからテレビ視聴専用眼鏡である。なさけない。

携帯電話話──携帯電話機種交換──ガラケーからガラケーへ

 数日前、携帯電話の機種を交換した。ガラケーからガラケー。じつに7年ぶりの機種交換になる。(商売柄、きしゅと打つと騎手が真っ先に出てきて変換に手間取る。)
 1990年代から2000年代初頭までは、新型機種が出るとすぐに替えていた。毎年のように。つまりその時期は私にとって携帯電話は最新のモバイルギアとして価値を持っていた。まだそんなに普及していなかったし、90年代は周囲の友人知人でも持っているひとはほとんどいなかった。

 やがて一気に普及し、電車の中でアンチャンネーチャンが携帯電話で声高にしゃべり社会問題になるようになる。あれはイヤだった。あのころから携帯電話を使わないようになって行く。アンチャンネーチャンと書いたら「おっさんおばさんも多かったぞ」と抗議が来るか。非礼なひとに世代は関係ない。
 電車の中での通話が消えたのは、マナーを護る日本人のえらさ、というよりメールの普及だった。一気にメールの時代になり通話は減った。ほっとした。電車の中の光景は、一気にメール打ちになった。これみよがしにしゃべりまくるのを耳にするよりは遥かに気楽だった。



 以降私は気分としてアンチ携帯電話になり、所持は続けたが、凝らないようになった。
 先日、西東京で中央線に乗ったら、1車両の中で、全員が携帯電話を見詰めていたので気持ち悪くなり、降りてしまった。若者ばかりではない。老若男女そろってそれだったのだ。仕込でやっている撮影現場のような異様さだった。その後、都心の山手線に乗ったら、そんなひとばかりではないので安心した。文庫本を読んでいるひともいれば居眠りしているひともいた。やはり洗練されている地域はそれ一色にはならないようだ。

 そういうことを危ういと思う気持ちがあるなら、冷静に、客観的に周囲を見るといい。電車の中で誰もが手元の携帯電話を見ている光景は気味悪いものだ。そういう感覚を持てば、電車に乗った瞬間にスマートフォンを開くことはやめるだろうし、仕事中にくだらんツイートをすることもなくなるだろう。

 昨日、自転車で走っていたら、スマートフォンを見ながら歩いているおばさん(たぶん40代)とぶつかりそうになった。もちろんむこうがわるい。そんなときに声を出すことなどほとんどないのだが、思わず「前を見て歩けよ」と口にしてしまった。おばさんに鬼のような顔で睨みつけられた。



 携帯電話機を捨てるというのはなんだか申し訳ない気がして、歴代の機種をずっと持っている。歴代のそれを見るとデザインの変化がよくわかる。
 捨てられないのには、電話番号が漏れるのではないかという心配もある。そんなこともないのだろうが、すこし気になる。なら破壊すればいいのだが、それが出来ない。まあパソコン用小物収納引きだしでさほど場所を取るわけでもない。もうすこし溜めてみよう。蒐集癖がないから偶然のこういうものがそれなりにたのしい。



 2006年末に今のにして、それからはもう完全に「電話をする道具」と割り切ったので機種交換もやめた。する必要がなかった。
 携帯電話もろくに使いこなせないオヤジと思われるとすこし悔しいので書いておくと、私はすでに90年代にモバイルパソコンに携帯電話を接続して自分のホームページ(当時はそう言っていた。ブログはまだない)にアップしたりしている。 ただし正確に言うと、茨城から石川まで走り、その途中経過をアップしようとしたのだが、長野を始め山岳地帯では当時の携帯電話は電波が通じず、実際は当時出はじめた下部にコネクションのあるグレー電話からのアップだった。

 しかしまた一面において、私が「携帯電話もろくに使いこなせないオヤジ」になってしまったのも事実で、その後出てきたQRコードあたりから私は時代に遅れて行く。2008年ぐらいだったか、インターネットをやっていても、やたら「QRコードを読みこんでウンヌン」というのが増えてきた。それは「インターネットから申しこむか、携帯電話なら、このQRコードを読みこんで」という二者択一だから、私がそれをする必要に迫られることはなかったが、知っていた方が良かろうと、ある日の飲み会で旧知の若者(といっても30になっていたか)にそのやりかたを問うた。そのときの彼のこちらをコバカにしたような表情はいまも覚えている。附属カメラを接写モードにしてという簡単なことなのだが、必要がなかったから私はそれを知らなかった。あのときの彼の表情を見て、自分は他者にあのような表情はしないようにしようと誓った。

 その後もそういう失礼な若者には何人か遭っている。こちらが携帯電話を「電話するだけの道具」と言うと、それだけでもうその種の機械を使いこなせない化石オヤジと見下してしまうらしい。あんたの産まれる前からパソコンいじってるんだけどね、と腹の中でつぶやく。
 今回の機種変更の応対をしたやたら付け睫毛の長いオネーサンもそうで、ケータイを電話機としてしか使えない化石オヤジに一所懸命説明していた。でも機種の説明や料金をiPadを利用しながらするので、すこしばかりiPadについて質問したら、しどろもどろだった。仕事用に最低限のことを教えられているだけで、実際はなにも知らないらしい。奧からもっと詳しい男が駆けつけてきて交代した。けっこうわらった。

 若者に見下されても、私には反撥できるだけのものがあるからいいけど、実際に化石オヤジのひとは、小僧っ子にそんな態度を取られて悔しいだろうなあ。そんな日は居酒屋で飲んで愚痴るのか。「コンピューターがなんだあ、なあにがスマートフォンだ、電話機は電話するためにあるんだあ」とかなんとか。



 私が人前では口に出来ない恥ずかしいことに、ソフトバンク使用がある。私が契約したのはJ-Phoneなのだが、それがフランスのVodafoneになり、またまた今度は朝鮮のソフトバンクになってしまった。あの日本人の男を犬にしたCMを流している孫正義率いる反日クソ会社である。 

 今回、他社にしようと思って出かけたのだが、乗りかえに金が掛かることを知った。それも半端ではない。会社を替えるだけで1万円弱の金が発生するという。それをソフトバンクに払う。その他の手続もあり総額15000円ぐらいはかかるらしい。阿漕なことをしやがる。(いま「あこぎ」を変換したら、音楽用に辞書登録してある「A・ギター」が最初に出てきた。)
 しかし「特別期間」とかがあるらしく、私の場合は「2014年11月1日から30日まで」に手続をすると、その1万円弱が無料になり、番号ポータビリティとかで今の番号を引き継ぐ経費とか、5千円程度で出来るという。これを逃がすと、いきなり2年後の「2016年11月」まで出来なくなるのだとか。なんなんだこの2年に1ヵ月訪れる無料月間は。ともあれ忘れずにそのときに会社を替えよう。来年の11月だな。



 店を出て、手にしたあたらしい電話機を開いたら、待受け画面が、あのイヌコロになっていた。屈辱で顔が熱くなった。まだ買ったばかりで使いかたもよく解らん。急いで店に戻り、待受け画面を替えてくれと先程応対したネーチャンに頼む。「おとうさん、嫌いなんですかぁ」と間延びした口調で言われたので張り倒してやろうかと思った。あのイヌコロを「おとうさん」と呼ぶのが通例らしい。

 帰宅して、すこしいじっていたら、絵文字や、flash動画? そんなのもイヌコロだらけ。あちらはあちらで「ソフトバンクの携帯にすると、あの犬のおとうさんがついてきます」を売りにしているらしい。削除しまくる。疲れた。とにかく全部消した。私の電話機の中にあのイヌコロはいない。
 2014年11月まで待っていられない。金を作って早く会社を替えよう。金を作る。馬券。
 いつもこうして、馬券さえ買わなければ……という人生を送ってきた。おとなしく2014年11月まで待つか。いや待てん。なんとかせねば。

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【追記】──ワンセグが愉しい

 以前のは最高機種だったので、あれこれ附いていた。ワンセグの画面も縦型横型回転で切り替えられた。今度のは安い普及型なのでおそろしくシンプル。クラウンデラックスからカローラスタンダードになった気分。(←たぶんこの比喩もかなりズレている。)音量を変えるボタンもない。earphoneを挿れる穴もない。ん? 「防水機能」、ああそれじゃなにもないはずだ。

 それでもワンセグの映りが前よりもずっといい。前の機種はアンテナが附いていて、それの方向を変えたりして映りを調整した。今度のはアンテナはないがきれいに映る。
 それでここのところ以前の習慣だった6時前後にみのもんたを観る、というのをやっている。テレビを点けるほどではないし、デスクトップ機で作業中、ちょうどいい。3時から作業していると、ちょうどこのあたりで一息入れたくなる。

 あまりに世情に興味がないので、それでもまずいかと観てみるのだが、結果はくだらんなあと10分も見ずに消すことになる。世の中、ますますくだらんことになっているようだ。それでもこれでなんとなく世間の話題を知った気分になり、安心したりする。

世相話──Amazon中毒──なりたくてもなれないひともいる

 Amazon中毒が話題になっている。欲しいものを探して買うと、「この商品を買ったひとは、次のような商品も購入しています」と、関連商品を次から次へと紹介してくる。それがまたポイントを突いているものだから、懐に餘裕のあるひとは、まして一杯機嫌だったりしたら、次々とクリックして、あれこれ購入してしまう、と。

 社会現象だということで冷静に分析するひとまで出て来る。
 そのひとのも意見を読むと、これに嵌るのは女より男が多いのだとか。その理由は、「女は商品その物よりもショッピングという好意に興味がある。衣服を身に着けて、お似合いですよと店員に言われるような時間を楽しむ。対して男は、商品その物に興味があるので、ネットから購入しがちなのだ」とか。

 たしかに男である私は商品そのものに興味があり、さらには人嫌いだから店員などと接したくない。街のショップで買うより、ひとけのない乾いたネット買い物が気に入っている。



「アメトーク」でもテーマとして取りあげ、ますます話題になる。チュート得意や麒麟川島が、「毎日のようにAmazonから届く」と語っていた。

 しかし私は「酔った勢いで、次から次へと関連商品を買ってしまう」とはならない。
 それこそ欲しいモノ──假りにビデオカードだとする──の該当商品をいくつかに搾り、最安値を調べ、そしてまたメーカー希望小売価格が30000円の品が「いま25000円で最安値」であっても、価格の推移を調べると、三週間前には最安値23500円を記録していたのを知ったりすると、またそこまで下がらないかと逡巡したりする。 

 つまりは「Amazon中毒で毎日のようにモノを買っているひと」とは、男も女も問わず、それだけの経済力のあるひとなのである。結論は、ごくシンプルに、それになる。
「覚醒剤中毒」だって、覚醒剤を買う金がなければなりたくてもなれない。それだけのことだ。

ことば考──「CP」とはコンピュータの略?

 知人の文章を読んでいて奇妙な感じを受けた。
 頻繁に「CP」と出て来るのである。「CP」というものに否定的なようだ。
「なんでもかんでもCPが支配する世の中はつまらない」
「将棋もCPで検討するようになってからつまらなくなった」



 ということから「CP」とはコンピュータの略らしいと気づく。最初から気づいてたけどさ(笑)。
 この略は初めて見た。
 ComputerをCom-Puterと分けて略してCPなのか。

 私の知っている略してCPは、チーフ・プロデューサー、コスト・パフォーマンス等。キャンペーンを略してCPとも言う。でもコンピュータをCPとは普段は言わない。
 中央処理装置Central Processing UnitでCPUとは言う。
 パーソナル・コンピュータを略してPCとは言うが……。



 おそらくPCやCPU等がこんがらがってのことだと思う。コンピュータの専門家がそう言っているなら、それは彼らの職場ではそう言うのだろうとすなおに納得するのだが、そうではない。このひとは、そっち方面に疎いひとだ。それでいて人一倍そっち方面を嫌っている。

 コンピュータのことなど何も知らない。知らないけど知ったかぶりで否定する。「将棋もCPで検討するようになってつまらなくなった」と、しかつめらしく言うが、語るほど将棋を知っているわけではない。あくまでも否定のための否定でしかない。
 誇りだけは高い彼にとって「知らないのに否定的」と言われるのは屈辱になる。 よって「背伸び」する。その背伸びが、「コンピュータ」なんて誰もが知っているカタカナではなく、ちょっと専門的な「CP」という略語なのだ(笑)。いわば、芸能界に詳しいと思われたくて、ツェーマンだとかジャーマネだとか連発するレベル。バカ丸だしと言える。ひさしぶりに笑えるものを見た。

ことば考──「なんたら」の使いかた──「アベノ何たら」

 自民党嫌いのサヨクのブログを読んでいたら以下のような表記があった。
「円安・株高の表面的な数字を誇るアベノ何たらという机上経済論の影響か、少しだけボーナスも増えたらしい」。
 アベノミクスを敢えて「アペノ何たら」としている。
 そのアベノ何たらを否定し、「庶民には、多少なりとも良くなった生活実感は何もないのだ」と続く。

 当たり前じゃないか、バカ(笑)。経済政策が発動されてほんの数ヵ月で一般庶民が「いやあ、生活が良くなったなあ」なんて実感出来たらそのほうが異常だ。GDPが鳥取県ぐらいの北朝鮮のような国だったら指導者が代わって数ヵ月で劇的な変化もあろうが、日本が民主党から自民党に戻っただけで庶民の暮らしが急によくなったという生活実感があるはずもない。これから緩やかにインフレになり、物価が上がり、それが給料に反映されてくるまでにはまだまだ時間が掛かる。それこそしばらくは物価が上がったというマイナスばかりが目立つだろう。100円のものが120円になり、500円のものが600円になる。物価上昇が先だ。生活にそれが戻ってくるまでは時間が掛かる。しかし犁な瓩ちがう。悪夢のような政権が終り、やっとまともな国にもどったという希望がある。そして、最低時給が850円から900円に、やがて千円になるだろう。

 こういう体制の悪口を言うことで粋がっているバカはなにを考えているのだろう。自分の愚かさに気づかないのだろうか。安倍政権を批判する以前に、民主党を支持し、票を投じて政権を具現化した己の政治音痴を反省しろ。



 テーマは「アベノ何たら」という表現のこと。
 私は「何たら」なんて表記は嫌いなので以下「なんたら」で行く。もしかしたらこのひとの読みは「なにたら」かも知れない。だったらなおさらこんな無神経な漢字使用はやめたほうがいい。

 これは、やたら長いものを「そんな面倒なモノしらねーよ」で使う。
 横文字なら、 コーポレート・アイデンティティとか、インフォメーション・ディベロプメントなんてのに「コーポなんとか」「インフォなんとか」と使ったりする。
 ここには「わたしはバカなので、そんな難しいコトバは知りません」と一歩引きつつも、そういう「小難しそうな長ったらしいモノを、これみよがしに使う相手に対する、「なにそれ?」的な揶揄も含まれる。

 このバカサヨクの使用法もそれに則っているのだが、ただ「アベノミクス」は6文字であり、「アベノなんたら」は7文字である。省略になっていない。いや「何たら」と漢字にしたのは見た目だけでも6文字にしようとしたのか(笑)。
 意図はわかる。大嫌いな自民党の、いま話題になっているアベノミクスなんて流行り言葉は使いたくないのだ。その6文字を書くことを否定するのだ。それがバカサヨクなりの意地なのだろう。

 ただしこれは流行り言葉とはいえ一部の若者が粋がって使うようなものではない。欧米の新聞にも登場し、テレビの経済番組でも使われたりする一般的なものである。欧米の新聞雑誌でもAbenomicsと表記されている。ロシアでも使われている。
 純粋にこの政治音痴が「アベノミクス」というコトバを知らないという可能性もあるが(笑)、なんとも珍妙な「なんたら使用法」だった。



 この「不自然な省略」に関して今も記憶に残るのは「小沢一郎の前田なにがし」である。
 元プロレスラーの前田日明が民主党から出馬かとなった。そもそも前田が民主党からというのがへんなのだが、あの当時はそれほど民主党に勢いと夢(笑)があった。前田も勘違いしていた。民主党の応援演説に燃えていた。そこが底が浅くかなしいのだが。
 しかし時の幹事長、剛腕ならぬ傲慢な小沢と意見があわず公認は却下となる。そのとき小沢が言ったのが、「ええ、前田なにがしに関してましては、うんぬん」である。アキラという単純な名前なのに、あえて「前田なにがし」と言ういやがらせ。極悪人小沢の毒素が全身から噴きだしているかのようだった。同じ朝鮮人同士の争いではあるが。

kanren6
民主党、前田日明を公認せず──小沢「前田なにがし」発言 2010/03/04

民主党、前田日明を公認せず──外国人参政権問題 2010/03/05



 最近ブログを始めたこのサヨクライターは、ごくごく一部ではあるが、それなりのファンもいる。ブログはやめたほうがいい。「アベノミクス」を「アベノ何たら」と書いてサヨクを気どるバカを晒すとその数少ない支持者も離れて行く。諸刃の剣の怖さにまだ気づいていない。おとなしく山の中で水槽のメダカでも見詰めているほうが似合っている。

イニシャルのこと──日本人のイニシャルは「姓・名」の順が正しい──「名・姓」にしていた時代の愚

 あるひとがブログで私のことを「知人のKY氏」と書いていたので、「私のイニシャルはYKですので直してください」と抗議した。ささいなことだが看過できなかった。そのひとは自分の持っている有限会社にも「JT」と自分のイニシャルである「名・姓」をつけているぐらいだから、よほどこの「名・姓というイニシャル」が好きなのだろう。

 日本人の名前は「姓・名」の順であるから、それを略したイニシャルも「姓・名」の順が正しい。しかし長らく欧米人を真似て、それをひっくり返し、「名・姓」で表記する習慣があった。
 これは明治維新のころの日本人が、「あちらではそうする。それがかっこいい」とミーハー感覚で真似たことから始まった。西洋人コンプレックスの最たるものになる。日本というすばらしい国は、明治からの「西洋人へのあこがれ」で国をおかしくした。



 明治維新で始まる明治をやたら礼讃するひとがいるが、夏目漱石すらも「すくなくとも明治中ごろまではどうしようもない軽薄な時代」と語っているように、あれはもう初めて触れた西洋文化に浮かれた、なんともどうしようもない、軽薄な、恥ずかしい時代である。姓・名の順である日本人の名を、名・姓の順で記して西洋人のようにふるまうという悪習もこのころに始まった。

 もっとも、そういうヤカラばかりではなく、榎本武揚はこの時期、外国での批准書類に「Enomotto Takeaki」と「姓・名」で署名している。(ttはミスではなく、ママ)



 日本人は劇的なことを経験するとすぐにそちらに染まる。むかしなら、仏教、儒教や漢字を知ったら、いきなりそれ崇拝になる。近代で言うなら明治維新と敗戦だろう。180度方向転換してあちら一色になる。
「姓・名」の順である日本人が、自分のイニシャルを「名・姓」と逆さにしたのは、開国を迫ったペリーや進駐軍のマッカーサーが強要したわけではない。先進を気どる日本人が、「外国ってかっこいい。おれもそうしよう」と猿真似しただけである。いわば黒髪を金髪に染めるバカと同じレベル。

 そうして時は流れ、やっと「日本人は日本人の黒髪がいい」と金髪から黒髪に戻るように、耳に空けた穴を恥じるように、イニシャルも「姓・名」の順に戻った。パスポートや外交書類でもそれが徹底された。



 それは21世紀の常識なのだが、私を「名・姓」で表した知人のように、まだ知らないひともいるらしい。条件反射で、アルファベットで自分の名を書くときは、「名・姓」にしてしまうのだ。

 過日、共産国へのヴィザ申請を専門会社に代行してもらった。以前は自分で麻布や六本木の大使館まで行ってやっていたが、西東京の外れに都落ちしてからは、電車賃と消費する時間を考えると、こちらのほうがむしろ安くあがる。また共産国の中には個人での申請を受けつけなくなった国もある。
 そのとき印象的なことがあった。代行会社のサイトから申請フォームをDownloadして記入するのだが、そのアルファベット名前記入欄の注意が異様にくどいのだ。

「姓名は姓・名の順で記入してください。パスポートと異なっていると申請が却下されます」までは解るが、その後に例まであげてある。
「山田太郎さんの姓は山田、名前が太郎です。姓がYAMADA 名前がTAROです。姓名の欄に正しく記入されていますか。逆にするとパスポートと異なるため、申請が却下されます」と、まるでこどもに教えるかのようである。この会社は、ビザ申請を代行して金を得ている。申しこんできた客の書類が記入ミスでは金にならない。真剣にもなる。これほどくどいというのは、それだけいまだに逆に書いてくるひとが多いのだ。



 いまの日本のパスポートのアルファベット表記は、「山田 太郎」は「YAMADA TARO」である。「アルファベット表記」というかアルファベットだけで漢字表記はない。だからこれがすべてになる。
 もしも姓名の表記順序を昔風に間違え、「TARO YAMADA」と書いても、、日本人なら、「山田太郎さんが太郎山田と順序を逆に書いた」と理解できる。山田が姓、太郎が名前という常識があるからだ。だが外国人から見たら「YAMADA TARO」と「TARO YAMADA」はまったくの別人である。この場合の注意書は外国への考慮以上に、コンピュータ処理の問題もあるだろう。コンピュータも外国人と同じく「山田太郎」と「太郎山田」は別人と判断してしまう。や行とた行はまったく異なる。

 ビザ申請フォームのくどい注意書きは、未だに自分の名をアルファベットで書けと言われると、「名・姓」にしてしまう日本人が多いからなのだろう。そしてきっと、これだけしつこく注意しても、間違えるひとはいるのだ。確実に。

 こういう慣習の変化は早い。若者は「姓・名」の順で書く。それがふつうになっている。これからのこどももそう覚えて行く。自分の名をアルファベット綴りで「名・姓」とひっくり返して書き、「おじいちゃんはどうしてそんなヘンなことをするの?」「おまえはそういうが、むかしはこうしたんじゃよ」となる時代は遠くない。

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【追記】──まともな時代がやってきた──2014/12/01

 今や外国語教育は小学校でも必修となった。家庭でも授業を終えた子供が、覚えたばかりの英語で話しかけてくるかも知れない。しかし、不用意に自分の常識で対応するとあいさつの段階で恥をかく。

Hello, my name is Ken Tanaka.〉は教科書に載っていた一番はじめに教わる英語のあいさつだ。

 このようにMy name isのあとに「名―姓」の順で習ったはずだ。しかしMy name is〜のあいさつは「古い言い回し」として今の教科書では使われなくなった。
 
 現在中学一年生の教科書ではI am Tanaka Ken.と、 I amと「姓―名」の順で名乗るのが標準なのだ。

 姓名の順は2000年に国語審議会が「国際社会に対応する日本語の在り方」で、日本人の姓名についてローマ字表記を「姓―名」の順にすることが望ましいと答申したことが大きく反映されている。
SAPIO2014年12月号

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 時代は正しいほうに動いている。西洋人コンプレックスで、日本人が姓名を逆さに言う時代は終った。

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【追記】──「姓・名」と「名・姓」によるたびたびのトラブル──2014年7月3日

 ちょうど1年前に書いた上記の「日本人のイニシャルは姓・名の順が正しい」が息長く読んでもらっているらしい。ありがたい。感謝を込めて、その後の私の体験談を書く。


 ここに「日本人のイニシャルは姓名の順が正しい」を書いてから、私は何度か空港で「チケットの再発行」というのを経験した。理由はいつも同じ、「チケットとパスポートの名がちがっているから」である。それらはみなネットで購入したチケットだった。

 ネットでチケットを買う。クレジットカードで払う。ひき換えナンバーをメールでもらう。空港の航空会社カウンターに行き、パスポートとナンバーを提出し、チケットをもらい、チェックインしようとする。
 
 そこで問題が生じる。「すこしお待ちください」となる。スタッフが話しあっている。「チケットのお名前とパスポートのお名前がちがっておりますのでチケットを再発行いたします。あちらのサーヴィスカウンターでお待ちください」と言われる。そのことに費やされる時間は結果的に30分程度だが、私の前のひと、後ろのひとたちが続々とチェックインして行くのを尻目に、別口のサーヴィスカウンターとやらで待たされるのはあまり気分のいいものではない。旅慣れていないひとがミスしたようである。それはない。落ち度はあちらにある。旅慣れてもいる。そんなこともあろうかと早めに行っているので、なんとかそれ以上のトラブルには巻きこまれずに済んでいるが……。


 つまりこういうことだ。ネットでチケットを申しこみ、航空会社のサイトで申込用紙にあれこれ記入する。まずは最初にあるFirst Nameのスペースに名前を、その下段にあるFamily Nameのところに苗字を記入する。それはもう何度も何度も確認してやっているから決して逆に書いてはいない。それから生年月日、住所、電話番号を記入して行く。

 空港の航空会社カウンターに行く。そこにはすでに私のチケットが用意されている。そのチケットの名前は、ネットの用紙に記入した順序と同じく「名・姓」になっている。欧米人の場合はこれですんなり行く。パスポートも同じ「名・姓」だから。
 
 しかし私の提出した日本人パスポートの名前は、今の時代、「姓・名」の順である。なのにチケットにプリントアウトされた名はむかし風に「名・姓」の逆さ順である。異なっていては搭乗できない。急いでパスポートと同じく「姓・名」の順のチケットを再発行するからちょっと待っててくれ、となる。航空会社の怠慢である。自分のミスならともかくあちらの杜撰な体制のために30分待たされるのは愉快ではない。

 それだけまだ21世紀になってから徹底された「日本人の姓名は、姓・名の順」というのが諸外国の航空会社には浸透していないのだ。逆に言うと、「姓・名」の順の日本人なのに、欧米人の牘鄂浸瓩鬚靴董◆嵬勝姓」にしていた時代の弊害がいまも残っている、ということになる。


「藤圭子&沢木耕太郎『流星ひとつ』考」に書いたが、1979年、後の『深夜特急』の旅を終えた沢木さんがパリから日本までもどってくるのに購入した格安チケットは、他人名義である。あのころはそれほどいいかげんだったのだ。

 これは、假りに正規品で10万円のチケットだとすると、払い戻し不可の品なので、乗れなくなったひとがその辺のアヤシイ業者に売ったものである。たぶん3万円ぐらいに根切られる。新品の10万がたったの3万だが、返品不可の品なので搭乗期日までに売らないとただの紙切れになってしまう。しかたなく売る。そこにとにかく安いチケットはないかと捜しまわっている沢木さんのようなひとが来る。6万円で売る。沢木さんのようなひとは、10万円のものが6万円で買えたとよろこび、こちらは3万円のものが6万円で売れたのだから大儲けである。金儲けのうまいひとは、こんなことをする。どこの国でも、いつの時代でもいる。

 搭乗するのは26歳の日本人男性の沢木さんなのに、チケットの名前は50歳の白人女性だったりする。それでも乗れてしまうのである。さすがに一年間の放浪をしてきて旅慣れている沢木さんも、「ほんとに他人名義の航空券で搭乗できるのだろうか」と心配しているから、当時としてもめちゃくちゃな話だったのだろう。航空会社は当時も今も悪名高いソ連のアエロフロートである(笑)。


 あれから幾星霜。ハイジャックやらテロやらいろいろあり、今ではパスポートとチケットの姓名が一致しているかどうか、じっくり見られる。1文字でもちがっていたらアウトである。爆発物で死にたくないから、厳しいことは歓迎する。いくらでもしつこくチェックしてくれと願う。時折「なんだよ、めんどくせえなあ」と怒っている日本人を見かけるが、飛行機なのだ。なんかあったら即、死なのである。船のように、沈みそうだから泳いで逃げるべえも出来ない。アヤシイものはしつこくチェックしてもらわないと困る。この辺も日本人は平和ボケだと感じる。

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 不便なのは、今はそういう警備の厳しさから機内への水ものが持ち込み不可になったことだ。飲料水もぜんぶ取りあげられる。ウイスキーの小瓶を持ちこんだりできない。私はウイスキー党じゃないが、深夜の飛行機でキュッとやって眠る寝酒にはやはりウイスキーがいちばんだ。パスポート審査を通った後、免税店で大瓶を買って持ちこむことは出来るが、次のトランジットで乗りかえるときに残りは取りあげられてしまう。ワンフライトでウイスキーの大瓶を空けるほどの大酒飲みではない。いやヨーロッパまでなら12時間かかるから空けられるが、私の場合は、うまいツマミがあってこそ、である。真っ暗な機内でツマミも氷もないウイスキーをストレートで一本空けたらアル中だ。
 免税店の連中も、私みたいなヤツのために(けっこういると思うよ)、そこそこのウイスキー小瓶とツマミと氷のセットでも用意したら、けっこう売れると思うのだが。


 長年けっこういい航空会社に乗ってきたので、ここのところ安いところに乗って(しか乗れない)、しみじみと惨めな思いをしている。いいところだと酒は飲み放題だ。「酒とおつまみのセットを売ってないか」などとバカなことを考えたこともなかった。といって繰り返すが、わたしゃ酒飲みだけど意地汚い酒依存症じゃない。体質的にすこし強いだけだ。でも今まで乗ってきた航空会社は、ビジネスクラスはもちろんエコノミー席でも、そんな私に充分満足するだけの、ビール、ワイン等を飲ませてくれた。
 
 先日乗った航空会社は、飯が有料、ビールを頼んだら有料、寒いから毛布をくれと言ったら有料、なんでもカネカネカネなので、怖くなって不細工なCAに話し掛けることすら出来なくなってしまった。話し掛けただけで金を取られるのではないかと。


 と、後半、ぜんぜん関係ない話になってしまったが(すまん)、これらのトラブルから鑑みるに、日本人の「姓・名」の順で書くアルファベット表記は、まだ世界的には浸透していないようである。
 でもきっとフラッグ・キャリアだとそんなことはない。格安航空券であることによる問題点と思われる。ここのところフラッグキャリアなんて南朝鮮とシナぐらいしか乗ってない。上記「航空券の再発行」となった航空会社はみな新進のマイナー航空会社である。そういうことなのだ。みんなビンボがわるいんや。ビンボだけど上の「カネカネカネ」の航空会社だけはもうやめようと思う。みじめを噛み締めつつ街で生きているのに、飛行機の中でまでそうはなりたくない。数万円安かったとしても、あの惨め感はそれ以上だ。私の経験を他山の石にしていただきたい。格安飛行機会社はやめたほうがいい。

携帯電話料金10万円──もうすぐ止まる話(続き)

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