2014年10月

携帯電話の辞書機能──今ごろになってやっと気づいた──怪訝について──ことば

 過日奥多摩にいたとき、ふと「あの字はどう書くんだっけ」と疑問が浮かんだ。調べたい。調べられない。タブレットを持参しているがWifiは通じない。ケータイすら圏外になることが多い。東京都なのだが。

 奥多摩に住む予定は断念した。プラスマイナスを考えると、美景と幽谷というプラスと比してマイナスが大きすぎる。光ケーブルが通じていることからその気になっていたのだが、日常生活で、故郷の茨城の田舎よりもはるかに不便だ。住民のかたは、食糧は主に生協の宅配を利用しているらしい。今年二月の大雪では、降雪後一週間十日と過ぎてもまだ道路が通れず、孤立してしまった集落に自衛隊のヘリコプターで食糧を運ぶという事態となった。5分でスーパーやコンビニに行ける今の環境からは離れがたい。なにより「刺身で晩酌」が出来なくなる。



 知りたいと思ったことを調べられないのはつらい。ましていまはインターネットという万能百科事典をいつも持参しているようなものだ。何でもすぐに調べられることが当たり前になっている。調べられないとストレスがたまる。だからそれが出来ない環境にいるときは、なるべく「疑問を抱かないようにして過ごす」ことにしているのだが、それでも浮かんでくるものはある。

 たとえば「奇形」は「畸型」と書くのが正しい。「畸」は当用漢字というくだらない制度で使用不能となり「奇」が代用されている。では「奇妙」も「畸妙」とすべきなのか。確認したい。できない。なんどかテーマにしたことだが、附属学校、附属病院の附属は「附」が正しい。「付属」なんて使ってはならない。そういえば四月にもどってくる税金の「還付金」は「還付」と書くが、あれも「還附」が正しいのではないか。寄付は寄附が正しい。ならやはり「還附」だろう。いや、「ひとに対してのもの」だから「還付」とニンベンでいいのか。調べたい。調べられない。大きな搬送用の木箱を見かけた。ああいう「木箱」って英語でなんていうんだっけ。喉元まで出かかるが出ない。港にある大きな荷物によく印刷されている。なんだっけ、たしかカ行、クラフト、そんな感じ。そのへんだ。確認したい。出来ない。イライラする。



 ガラケーに「辞書」というボタンがあるのに偶然気づいた。国語辞典と英和和英がついている。ありがたいことに圏外でも使える。タブレットのそれはネット辞書なのでWifiが通じないと使えない。所有しているモバイルギアではPOMERAに辞書機能があり、通信とは関係なくいつでも使えるが、あのキイボードは使いづらくここのところ携帯していない。なんかあたらしいものをと探していたが、「青い鳥」よろしく、しあわせはいつもポケットにいれている身近なケータイにあった。和英辞書を引く。木箱はCrateか。よかった。ほっとする。咽のつかえが取れた。

 ちいさな辞書なので簡便なことしか調べられない。「畸」の字の情報はなかった。でもそれは家でやればいい。書けないようなむずかしい漢字が調べられなくても不満はすくない。ストレスは度忘れにある。知っているのに思い出せないもの。背中の痒いところに手が届かない感覚だ。それをこの辞書は救ってくれる。

 「携帯電話に辞書」は、いつから始まったのだろう。20年ほど使っているが今まで気づかなかった。ここ10年は電話機能しか使ってないし、さらにいえば受信専用みたいなもので、それも1日に2件ぐらいしかないから、ほとんど使わないのと同じ。連絡はみなPCメールでしている。今のガラケーなんて機種交換して2年近くなるが未だに新品同様だ。あ、もうひとつ、外国に行ったとき「目覚まし機能=アラーム」に助けてもらっている。目覚まし時計は必ず持参するのだが、ケータイとダブルでセットしておくと安心感が違う。ローミングすることなく外国から発信受信できるようになってケータイはほんとに便利になった。目覚ましに加えて辞書でも助けてもらうようになったから、これからはもう「おれはケータイは電話にしか使わない」とは言わないほうがいいのか。それにしても便利だ。いままで気づかなかったのが悔やまれる。

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【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使 う。というか正解は「かいが」だよね。「けげん」なんてただの当て字だ。過日「おこがましい」を「痴がましい」と書いているひとがいた。くだらんことだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪 訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

  私のガラケーに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれた。ありがたい。漢字なんてのは和語の当て字だからどうで もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えな い」のような組合せで初めて「ここは爐韻欧鶚瓩任呂覆爐いが瓩伐仔匹澆砲垢襦廚箸亮臘イ砲覆襦正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに 「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル 用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ た。「けげん」はモバイルにもある。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」が常用であることも確認でき た。

 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みの使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。 「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。

ホッピー話──空きビン捨ての苦労──ホッピーももう恋しい日本の味?

hoppy-akibin

 空きビンを捨てられる日は二週間に一度。以前は指定の袋にいれさせられたが、今春から空きビン専用の容器を用意しろとなった。そのほうが合理的だ。大きめのポリバケツを用意した。これ、二年前、足湯をやろうとして買ったものだ。その後フットマッサージャーを買い不要になっていた。でも足湯には独特の味わいがある。今冬はまたやってみようか。

 ホッピーに凝るまで、私の出すゴミにビンはほとんどなかった。肉を食わなくなってワインは飲まなくなったし、たまに日本酒の四合瓶が1本ぐらいだ。本当はもっと日本酒を飲みたいのだが、ビンボなくせに味が判るものだから、まずいのは飲めない。日本酒は高くつくので稀となる。

 二週に一度これを抱えて集荷所に置きに行くのが恥ずかしい。毎回この状態だから、収集するひとも「なんかここには異様なホッピー好きがいるな」と思っているのではないかと赤面する。

 毎回このバケツを抱えて運ぶたび、ブログ用に写真を撮ろうと思っていた。今回やっとやれた。のでアップ。
 36本あった。14日分だから平均2.5本か。前回も写真は撮らなかったが数えてみた。42本あった。これだと平均3本になる。飲むときはきまって4本だ。ビールの日や日本酒の日もある。寒いときは、ホット焼酎の生レモン割もやる。それで平均3本になるらしい。

 健康診断によると肝臓その他きわめて健康。唯一、悪玉コレステロール値が高い。高脂血症、いまは脂質異常症というのだったか。魚と野菜中心の生活なので、この指摘は不満だ。それに効果のあるサプリメントを探したら青魚から採ったなんとかかんとか。毎日魚ばかり喰っている。不要だな。思いあたるものとしては乳製品。バター好きだし、カマンベールチーズとかもツマミでよく喰っている。あの辺を我慢せねばならないのか。

 シナのまずいビールを飲んでいたらホッピーが恋しくなってこまった。
 ひとが引きずるものにはいろいろある。長年異国に住み、その地で人生を終えることがきまっている知人が、たまに帰国したとき、桜の開花に出会い、涙がとまらなくなったと言っていた。私にまだそれはないが、ちかごろ異国にいると日本の食い物が恋しくなって困る。異国に行ったらその地の食い物を食うようにしてきた。不満はなかった。なのに……。齢か。食通でもないし、こだわるようなお袋の味なんてのもないのに、自分にそんな感覚が芽ばえるとは意外だった。

 ま、この駄文、ホッピー文に上の写真を添えました、とそういうご報告です。

競馬ファンの愉しみ──思い出馬券

 昨年競馬ファンのTさんと知りあった。長年馬券をちびちび愉しんでいるかたである。すでに定年退職し、充分の年金とたまのシルバー人材のアルバイトで悠々自適の生活だ。「あれも当たった、これも当たった」とレース名を出して的中を自慢する。財布の中から的中の100円馬券コピーを次から次へと出してくる。「うわあ、ほんとに馬券上手ですね」と持ちあげ、「あれはどうでしたか」とよけいなことを訊いたら、「いや、あれは……」と黙ってしまった。外れたレースのことは語りたくないらしい(笑)。でもG1では勝負馬券とは別に応援する馬の単勝を100円買い、それらをコレクションしているらしいからロマン派なのだろう。先日は額縁に入れたディープインパクトのG1単勝馬券コレクションを「ぼくの宝物なんだ」とわざわざ持参して見せてくれた。

 素人なので智識は浅く、時折教えてあげたくなることもあるが、でしゃばらないようにしてつき合っている。「素人なので」というもの言いには反感を抱くかたもいるだろうから弁明しておくと、素人でも私なんかより血統に詳しいマニアはいくらでもいる。特に今時の若者にはすごいひとがいる。と同時に三十年も四十年も馬券を愉しんでいるけど、「そんなもんなんもしらん」というひとも大勢いる。Tさんはそんなタイプだった。そしてまた、たとえば将棋は「なんもしらん」では弱いまま負け続けて厭になりやめてしまうだろうが、ギャンブルは「なんもしらん」でもたまに「なんもしらん」からこそ大穴が当たったりするから趣味として長続きするのである。

 Tさんは毎週日曜のメインレースだけを愉しむ。電車の中でカンチューハイの小をちびりちびりやりながら午前中に家を出て、立川ウインズに昼に着くように出かける。お酒に弱いので、それだけでほんのり赤くなるらしい。馬券を購入したらすぐに帰宅し、レースは午後三時からのテレビで愉しむという。こういうひとのためにもあのテレビ番組はなんとかしてほしい。見ていると腹立つ。
 ウインズの雰囲気が好きだという競馬ファンは多い。あの人ごみの中でやることが楽しいのだと言う。Tさんはそうでもないようだ。すぐに帰宅する。馬券を買いに行くだけの往復はたいへんだ。スマートフォンを使っているのだからIPATをやればいいのにと言ったら、「うん、それは知ってる。やりかたも覚えたんだけど、おれはね、この馬券、この紙の馬券を手にしないと競馬をやっている気がしないんだ」と言って笑った。たしかにそういう面ではIPATには虚しいところもある。実感がない。私にも「宝物」として昭和の時代の馬券があれこれある。当たった馬券は払い戻したし、当時はコピーサーヴィスなんてないから、あるのはみな外れ馬券なのだが、このままIPAT馬券師をやっていたら「思い出馬券」はなくなってしまう。思い出は心の中にあればいいのだが、そう言いつつも、「
紙の的中馬券」が欲しい気もする。


 と、この話はTさんとの交友録を書こうと思って始めたのだが、ここで脱線して「思い出馬券」の話にする。思い出は心の中のものであり、私にTさんのようなコレクションはないが、たまたま手元に残った馬券を名刺入れに収めたものがある。それに関する「思い出」はふたつ。

 ひとつは「入れておいたはずのジョンヘンリーの単勝馬券がなくなってしまった」こと。1982年、昭和57年の第2回ジャパンカップにアメリカの英雄ジョンヘンリーが来日した。血統も見た目も悪く50万円という安値で買われた馬が、気性の烈しさから虚勢され、苦難の末に、アメリカンドリームともいうべき大活躍を始める。当時はまだ元気だった寺山修司もさかんにジョンヘンリー讃歌を書いていた。来日時にG1を11勝、もう7歳だったから峠は越えていたろうが、日本の競馬ファンは断然の1番人気に支持した。13着に大敗し、さすがのジョンヘンリーももう終ったのだろうと思われたが、帰国後、8歳、9歳になっても走り、G5勝を含む8勝をあげている。最後は4連勝で引退した。

 記念馬券なんてものを買うタイプではないのだが、なんともこのジョンヘンリーのサクセス物語には心を動かされ、買ってしまった。単勝1000円。勝っていたら払い戻した可能性が高い。的中したのに払い戻さないというほどのロマン派ではない。惨敗だったので保存することにした。といっても引きだしの中に入れておいただけだ。数年前までは確実にあった。いまは行方不明。この昭和57年のジャパンカップのことを書きたいのだが、この思い出馬券がないので書かずにいる。だって説得力がちがう。そのうち出てきたら書きたいと思う。失くしたとは思っていない。その辺に紛れこんでいるだけだ。とはいえ今のように馬名が入ったりはしていない。数字しかないのだが、それでもいとしい。

 例えば写真の1992年のエリザベス女王杯だ。(続く)

マンガ考──「大相撲」と「将棋」はマンガ原作に向いてない

 その1──漫画原作の王者ボクシング
 
 少年向けスポ根マンガの原作として相撲は向いていない。「スポ根マンガ」とは多少ちがうが、「戦いもの」として括るなら、将棋もこの「向いてない原作」に入る。それは王者であるボクシングと比較すると明らかだ。
 ボクシングが今も昔も王者であるのはなぜか。「戦いもの」の基本である「敵のステップアップ」に最高のジャンルだからである。
 まずはデビュー戦。相手はデビュー前から話題の選手だったりする。アマチュアのエリート。対してこちら、主人公は無名の新人だ。でもやがて世界最強になる逸材なのだが。
 このデビュー戦だけで充分に盛りあがる。引っ張れる。熱戦の末に勝つ。第一関門突破。次は東の新人王戦。ここではデビュー戦の時、無名ながらすさまじい勝ちかたをして話題になったのが相手になる。また盛りあがる。これも突破。東の新人王。次は東西対決の新人王戦。デビュー戦の相手だったアマチュアエリートが、アマチュア時代唯一負けた相手だったりする。「ヤツの××に気をつけろ」と、今は主人公を応援してくれているアマチュアエリートが忠告に来てくれる。このとき「××」に謎を絡ませることも出来る。謎めいた「××」とは何なのか。この「かつての敵が味方となって関わってくる」もボクシングマンガの醍醐味だ。つまり一期一会。ステップアップするたびに過去は懐かしい風景となって行く。こうして日本チャンピオン、東洋チャンピオン、最終目的の世界チャンピオンと、「よりスケールアップしたあたらしい敵」と戦いつつ進行するのだから、まさに原作の王者である。世界チャンピオンという最終目的が明確にあり、減量という地獄も絡められる。子ども心を刺激する必殺技を使えるのも長所だが、私はこの「過去の対戦相手が次の対戦相手の引き立て役になる」というスパイスも大きな魅力と思う。「熱戦を繰り広げ、試合後は互いを認めあい親友となったアイツが、廃人にされた」のような形で過去の登場人物もストーリィに寄与して行く。
 以下のリンクは「好きなボクシング漫画ランキング」。http://ranking.goo.ne.jp/ranking/026/boxing_comic_male/
 「はじめの一歩」が1番人気。上に書いたボクシング漫画の王道を真っ直ぐに歩いている。私がいちばん好きなのは「がんばれ元気」だが、これは「あしたのジョー」のアンチテーゼとして作られたものだから──たとえばジョーに対抗して経済的には恵まれていることにした──「ジョー」の偉大さは否定できない。対して、さすがに「リングにかけろ」は連載時に成人していたので、あの荒唐無稽さは楽しめなかった(笑)。でもああいう必殺技で燃える子ども心はわかる。私がいちばんそれで興奮したのはプロレス漫画の「タイガーマスク」になる。プロレス漫画もボクシングに負けず劣らず少年スポ根分野の王者だが、チャンピオンのランキングがボクシングのようにシビアでないし、減量の苦しみのようなサイドストーリィが使えない。逆にタイガーマスクは躰のちいさいことで悩んだ。これは星飛雄馬の球質の軽さの悩みに通じる。
 高橋留美子やあだち充の作品は、「ジョー」にあった血腥さを否定してラブコメ風にした軽い乗り。まったく異なる作風ながら、ここでもまた「ジョー」は無視できない。
 ちばあきおの「チャンプ」がずいぶんと下のほうだが、知っているひともすくなくなったのか。彼らしい派手なことをしないシリアスなボクシング漫画だった。
 同じような形で「野球」も王者側だろう。ボクシングが横綱なら、プロレスと野球は大関か。野球も、とにかく少年スポ根漫画の盛りあがりは「一期一会」だから、プロ野球よりも「甲子園もの」が向いている。これもボクシングと同じように、地区予選、県大会、甲子園と「ステップアップする世界」が使える。
 「巨人の星」は、けっきょくのところ「子離れ出来ない父親」との関わりを含め、「必殺技とそれを破る新技」の繰り返しだったから、ストーリィの本筋は、野球漫画というよりプロレス漫画にちかい。梶原一騎らしい結末の悲劇も共通している。(続く)

競馬日記──1998

○月×日 Mさんと会う

 ベトナムで知り合ったMさんから「出所しました」と電話。渋谷で会う。
  Mさんは昔、名古屋競馬で厩務員をしていたという。最初はホーチミンの安宿で知り合い、たまに将棋を指したりする、その他大勢の知り合いだった。それがひょんなことから競馬に話が飛び、私が競馬関係の仕事もしていると知ると、自分の過去を話してくれ、それ以後急速に親しくなったのだった。

  私は旅のプロ(?)ではないから、彼らの流儀が解らなかったのだが、どうやら旅をすることを生き甲斐にしている人たちというか、ほとんど旅をするためだけに生きているような人たちにとって、旅人以前の経歴というのは基本的なタブーであるらしい。たとえば「ヤマさん」と呼ばれている人がいて、でもそれは名字とは全然関係ない通称だったりする。誰もがヤマさんは知っているが、その本名も日本で何をやっていたのかは知らないのだ。宿帳やパスポートに触れることもあるのだから、誰も知らないというのは嘘だと思うのだが、そこを詮索しないのが彼らの礼儀であるらしい。
  年に何回か世界のどこかで必ずと言っていいほど出会い、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり情報交換をしたりする長年の付き合いでありながら、本当に本名も知らずにつきあっているという不思議な関係の人たちがいるのだ。そういう人たちに何人も出会っている。

  では過去を抹消した彼らがなにを話しているのかというと、これが旅の話なのである。あの国のあの町はどうの、あの町のあの店がどうのと、旅の通過点で出会った同類と、今までの旅を飽きることなく話し合い、自慢しあい、そしてこれからの旅の情報を交換しあっている。そんなときの彼らは一様に自信に満ち、満足げな笑みを浮かべている。自分の既に行った場所にこれから向かおうとする旅人に情報を与える時には先輩となり、これから行こうとしている未知の国の情報を得るときには新米となる。それを感じることが、日本という国からはみ出してしまった彼らの至福の時間なのだ。そういう場において、日本の自分、実物大の自分を思い出させてしまう経歴の話はタブーになるのだろう。

  ところが旅慣れしていない私は、興味のある人物と出会うと、平然と「どこの生まれなんですか」「いままで仕事はなにをしてたんですか」と訊いてしまう。その辺、無神経と言えば無神経なのだが、すこしでも相手が顔をしかめればすぐに話題を移すぐらいの気配りは出来るから、それほど他人様にイヤな思いはさせていないはずではある。それに、「経歴を訊くのは旅のタブー」というのは、どうやらそれほどのものではないなというのが、私の今の感想になる。

  つまり、誰にだって話したくない過去があるように、これまた誰にだって、話したくてたまらない過去もある。一応私はインタビューのプロである。いや、プロと言うのはおこがましいが、とにかく職業的にインタビュー記事をこなしたことは相当数あるのだから、最低限のノウハウぐらいはもっている。そういう人間に、テーマを絞って、筋道立てて自分の経歴を訊かれるということは、まるで一代記を語るタレントにでもなったようで、それほど悪い気分のものではないらしいのだ。

 「おれ、自分のことこんなにしゃべったの、あんたが初めてだよ」と、かなりの人に言われた。皆、自分のことを洗いざらいしゃべったことに対して、多少の戸惑いを浮かべながらも、随分とすっきりとした顔をしていたものだった。そりゃあ、素人がプロからロング・インタビューを受けるなんてことは滅多にない。悪い気分ではないだろう。

  そしてその後、彼らは皆、一様に口をそろえて言うのだ。ある人は照れながら、ある人は怒ったような顔をして、しかしまたみんな、それなりに自信を浮かべた表情で、「おれのこと、小説にするんでしょ。やめてくださいよ」と。
  冗談のつもりらしく、こうもよく言われる。「モデル料、もらおうかな」とも。

  残念ながら小説になるような価値のある話なんてひとつもない。彼らの話はただ「私はこうして日本という国から落ちこぼれました」というだけの話で、そこからまた成り上がって行くと話は違ってくるのだが、落ちこぼれたまま、意味もなくただ放浪しているだけの話をどうして小説に出来るだろう。それぞれが個性的なつもりでいて、実は皆同じような没個性の人なのだ。

  彼らと話してしみじみ思うのは、「人間って皆、自信家なんだなあ」ということである。
 「おれなんか、ゴミみたいなもんだよ」という人に限って、「だけどね」というのを持っていて、その「だけどね」を聞くと、「あんた、全然自分のことゴミだなんて思ってないじゃない。自身過剰だよ」と言いたくなるようなことばかりなのである。

  Mさんは、私が競馬好きだからと胸襟を開いてくれたのではない。本格的な競馬の話になったとき、一目置かざるを得ない知識を私が持っているのを知って、初めて自分の過去を話したのである。むしろ、ただの競馬ファンだったなら決して自分のことを話さなかっただろう。Mさんは、自分が外側の競馬ファンではなく、内側世界の人間だったという経歴に特別の自負を持っていた。私も内側世界に通じた人間だと知って、初めて心を開いてくれたのだ。

  Mさんから聞いた厩舎筋の内輪話は、なかなかにおもしろかった。内側世界の人は、内側の人にしか解らないおもしろいネタをたくさんもっている。

  かなりの腕利きだったというMさんが厩務員を辞めてしまったのは、いわゆる「東南アジア病」にかかってしまったからだ。この病気に罹ると、何度東南アジアに行っても帰ってくるとすぐにまた行きたくてたまらなくなり、まともな仕事はもう出来なくなってしまう。特効薬のない難儀な不治の病である。そしてまた生き物の世話をする厩務員というのは、給料には恵まれているが休日がなく、とても長期の旅行などは出来ない職業である。

  不治の病、東南アジア病に罹ると、まず自由の利かない会社を辞めてしまう。最初はアルバイトで食いつなぎ、短期間行っては帰国するということを繰り返しているが、次第にそれでは物足りなくなり、それなりの期間居座りたくなる。どうするかというと、季節工という職業につくのだ。半年間、衣食住付きの職場で懸命に働き、節約に節約を重ねてお金を貯め、後の半年を東南アジアを回遊して暮らすという、半年天国半年地獄の生き方である。いつの間にか、私が「回遊魚」と名付けた、そういう知り合いが何十人にもなっていた。Mさんもそのひとりである。

  いよいよ来週、Mさんは天国へ出かける。彼らは半年の労働が終ったとき、「出所しました」と電話してくる。一ヶ月四十万円ぐらいになる厳しい肉体労働を半年間懸命にこなし、二百万円ぐらい貯めるのだから、その間の生活は想像がつく。だいたい皆、ひと月に五万円ぐらいしか使わないと口をそろえる。私のように馬券を何十万も買っては当たった外れたと騒いでいるような奴は、彼らからみたら異邦人なのだ。三十万あれば東南アジアで三ヶ月は十分に暮らせるらしい。常夏の国で、のんびりと昼寝を楽しみ、酒を飲み、かわいい女をはべらせて過ごせるのだ。それをたったひとつのレースにぶっこんで外れるような私は、彼らから仲間とは認めてもらえない。(言うまでもないが、私の経済状況も彼らと同じようなものである。バクチ狂の私は彼らと金の使いかたが違うだけだ。)

  そういう知り合いの中で、Mさんだけが、昔そういう世界にいたから、私の金の使いかたに理解を示してくれた。そのことで親しくなったとも言える。といって私にはバクチ仲間はいくらでもいるからMさんが恋しいわけではない。Mさんが昔の世界を恋しがって、出所すると私に連絡を寄越すのである。


  渋谷の『蘭タイ』というタイ料理屋に行く。Mさんのような東南アジア放浪のプロは、決して日本でエスニック料理など食べない。値段が現地の十倍もして、しかも不味いのだから当然だ。タイでも貧乏人しか飲まない一本四百円の安ウイスキーが、日本のタイ料理レストランでは六千円もする。六千円なら今、上質のスコッチが飲める。まあここは私からの出所祝いということで誘う。ただならどこへでも行くのもこういう人たちの特長だ。

  正月に、タイの日本領事館が主催する新年会に出たことがある。立食形式のパーティだった。そこにこの旅のプロ達が集ったのだが、その貧乏くさいエネルギーは圧巻だった。領事の挨拶など誰も聞いてない。普段は行けない高級日本料理店のメニュー、寿司やてんぷらなどを食いまくる。中にはナップザックを持参して、お土産だと詰め込んでいる人までいた。彼らは正規に招待されてはいない。招待されるのは、いわゆる在留届を出して、日本人会に属している人だけだ。とはいえ日本人がやってきたのを追い返すわけにもいかないのだろう。勝手に押し掛け、勝手に食いまくるのだから、すごいとしかいいようがない。まあ私も、招待されていないのに見物がてら出掛けた一人ではあるのだが。
 (註・このときの話はめちゃくちゃおもしろいので、その内「チェンマイ雑記帳」にでもあらためて書こうと思います。)

  Mさんの来週出発を聞いても、べつに私は羨ましくもなかった。それよりも、仕事に対する焦りがある。頑張って仕事をせねばと思う。自己満足できるだけの仕事というものを残したら、私も季節工になってもいい。

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○月×日 Yさんと会う

 タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。
  彼ら〃渡り鳥〃は、暖かい時期の日本で働き、寒い季節に東南アジアに渡るという習性があるから、出所の時期が相次ぐ。しばらくは彼らとの飲み会に忙殺されることだろう。
  Yさんは某国立大学、私たちの時代感覚でいうと〃一期校〃を卒業しているインテリである。しかも工学部だ。はみ出し者には色々な人がいる。

  競馬というものを一度見てみたいというので、知り合いの馬主に席を頼み、Yさんを招待したことがある。東京競馬場だった。4Fの特別席である。1レースからやってきたYさんは、「おもしろい」「昂奮する」「楽しい」を連発し、最終レースまで熱心に観ていたが、ただの一度も馬券を買わなかった。

  Yさんは株をやっている。既に三千万円ほど貯金があるらしい。バブルの頃、百万買っては、十万儲かる形になるとすぐに売るという細かなことを何度も何度も繰り返して作り上げた財産なのだそうだ。一度も失敗しなかったという。

  私にも株をやれと勧めるのだが、十数年前、株で三億の借金を作り親戚中をパニックに陥れた従兄弟がいる私には、株というのは恐怖以外のなにものでもない。その従兄弟の借金は親戚中が金を持ち寄って返却した。先祖伝来の田地田畑を皆売り払ったのだ。私の家でも可能な限りの金額を供出したらしい。田舎の一族というのは結束が堅いものだとあらためて感心した。かなり手広く穀物商をやっていたその従兄弟は、全てを失い、今はトラックの運転手をしている。彼も最初は順調だったのだ。親戚中の出世頭だった。悪いほうに転がり始めたとき、押さえが利かなかったのだろう。

  同じ血が私にも流れている。土日に銀行で金を下ろせるようになったのは何年前だったろうか。十万円の中から五万円だけ使おうと競馬場に行き、歯止めが利かなくなって十万全て負けてしまう。それぐらいならまだいいのだが、熱くなり、競馬場から駅前の銀行まで行き、全額を引き出し、家賃やらなにやら必要な生活費もすべてを使い果たしてしまったということが何度もある。熱くなると私は何も見えなくなる。こんな私が株などやったら従兄弟の二の舞だろう。株にだけは手を出さないことが、今の私のせめてもの理性なのだ。

  というようなことを話しても、Yさんは不思議そうに首を傾げるだけである。株というものでただの一度も損をしたことがない人なのだから当然かも知れない。もしもYさんが競馬をやったなら、110円ぐらいの確実な複勝をじっと待ち続け、そこでドンと買うのだろう。だって私なら三千万円の貯金があったなら手取り二十数万の工場で季節工などしない。この辺の堅実さは雲泥の差というやつである。

  Yさんは現在45歳だが、なんとか50歳までに貯金を五千万円にして、タイに永住する計画なのだそうだ。かつての日本のような高度経済成長期にあるタイでは年利が10パーセントつく。数年前までは12パーセントだったそうだ。その金利で暮らして行くのがYさんの夢なのだという。そういうYさんだから、競馬などという不確実なものに駆けるお金など、びた一文ないということなのだろう。Yさんの経済感覚だと、特観席にただで入れただけで、もう儲かっているということなのだ。

  紀ノ国屋前で待ち合わせ、歌舞伎町の居酒屋へ行く。
  最近話題になっているアジア関係の本のことで盛り上がる。若いカメラマンが写真と文章で綴ったものだ。アジア各国に住み着いている日本人をドキュメントしたその本の中に、Yさんも私も知っている人物が登場していた。

  そこで彼は、日本という俗世界から脱出し、バンコクの安宿で、わずかな身の回りの品だけで慎ましく暮らしている孤高の老人(=極めて魅力的な人物)のように紹介されていた。私たちの知る彼とは随分と違っていた。私の知っているのは、とてもいやみな年寄り、我が強く他人に自分の意見を押しつける人物、説教酒、唯我独尊タイプ、それでいて本格的な知識教養はない、組合活動家出身のサヨクということである。彼がその本の中に登場するような魅力的な人物でないことに関してだけは、皆口をそろえるだろう。

  これが東南アジア放浪歴二十年というYさんの手に掛かると、もっと手厳しい。このじいさんは、タイ北部のチェンライという町では、知らない人のいないロリコンじじいなのだという。孫のような少女売春婦を両脇に抱えては、変態的行為に浸るので蛇蝎のごとく嫌われている有名人なのだそうだ。

  考え込んでしまった。この老人のことではない。文章のことだ。ここにはドキュメントの難しさがある。この本を書いたのは、彼と初対面の、旅慣れていない若者である。本来はカメラマンだ。彼から見てその老人が魅力的だったのだから、それはそれでいい。かなり良くできた本ということで、それなりの評価も受けているのだ。だが実態を知っている人から見たら、間違いだらけの何も描けていない本になる。

  初めてタイに行ってから急速に魅せられた私は、4回ほど通った後、在タイの日本人達を主人公にしたドキュメント小説(こんな言葉あるんだろうか)というか、実話をベースにした半分フィクションの物語を一気に書き上げた。本にするつもりだった。出版社も決まっていた。だがさらに5回、6回と通っている内に、間違いや勘違いの箇所に気づき、出版しなくて良かった、出していたら大恥をかいたところだったと冷や汗をかく。そしてさらにまた通っている内に、今度はタイという国に対する考え、タイ人に対する感覚までが変ってきてしまったのだ。最初に書いた文章など、甘っちょろくて読めたものではないとなってきた。一言で言えば、見知らぬ国に対し好意的に浮かれていたのが、実状を知るに従い視点がシビアになってきたのである。


  詳しくなればなるほどそうなるのは当然だが、こうなるとメビウスの輪というか、クラインの壺というか、出口のない堂々巡りが始まってしまう。未熟なまま突っ走ってしまうことも必要なのだと考える。お蔵入りにしてしまったその小説は、今の私から見たら間違いだらけ、人物の掘り下げ方が甘ちゃんであり、「みんないい人」に描かれているどうしようもないものである。だが、タイという国を知らない人が読んだら、誰もが一度は行きたいと思うぐらい、あたたかくてやさしい面ももっている。真実って何だろう。真実って全てに関して尊いのだろうか。Yさんと飲みながら、考え込んでしまった。

奥多摩山中にいきなり共産党の演説──これは許されるのか!?

奥多摩の秋を満喫していたら突如高い塔の上にある町のスピーカーから「それではこれから共産党の××議員のごあいさつです。今日はお忙しいところを来ていただきありがとうございます」と司会?の挨拶があり、「みなさん、こんにちは、共産党の××です」と話が始まった。なんだなんだこれはと惘れる。不粋も甚だしい。なにゆえ奥多摩の秋に共産党の演説が始まるのだ。どうしてそんなものを聴かねば、いや、無理矢理聞かされねばならんのだ。聴きたくなくても入ってくる。天から声が降ってくる。暴力である。ああいう塔の上の拡声機は「防災行政無線塔」とかいうらしいが、どうしてそんな設備から特定政党の議員の演説が流れてくるのだ。わからん。これがそういう選挙の時期で、日替わりでぜんぶの政党とかならまだわかる。それだってうるさくて迷惑であり聞きたくはないが全部の政党なら公平ではある。なぜ共産党なのだ。特定の政党がこういう強制的に耳に入ってくる施設を使って政治的なことをやっちゃいかんだろう。安倍政権批判、消費税増税反対、集団自衛権行使反対、オスプレイ配備反対といつものことをわめいたあと、最後に「共産党の機関誌、真実を伝える新聞、赤旗の購読をお願いします」と結んでいた。どれぐらい話していたのか10分か、15分はあったか。通りかかった地元のご老人が「なんじゃありゃ」と塔を見あげ惘れたようにつぶやいたので、「奥多摩は共産党が強いのですか」と問うと「いや、よわい」と言う。「これはよくあるんですか」と問うと「初めてだ」と言う。「なんで共産党が……」と首を傾げていた。熱烈な共産党支持者が自宅のスピーカーを使ってやったのならともかく、どうにもあれは町の施設だろう。こんなことが許されるのか。これから住民が抗議して、かってにこんなことをした役場の誰かが始末書を書くのか。なんとも不快な出来事だった。しかしわからん。あれって共産党を支持する町役場職員の暴走だったのだろうか。珍しいものに接したことになるのか。どんな理由であれ不快だったことに変りはない。そのことに共産党は関係ない。自民党であれ太陽の党であれ、ああいうことをいきなりやられたら不快だ。しかしなぜ共産党だったのだろう。やはり「熱烈な支持者の暴走」が妥当な推理か。裏事情を知りたい。

競馬話──タップダンスシチーをどう描くか!?──引きずるあの問題

タップダンスシチーをどう描くか。
決まってはいる。
5歳の暮れに、初めてのG1有馬記念に出走し、14頭中13番人気で2着した。
ただの一発屋と思われたが、そこから活躍を始め、JCを勝ち、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞に挑戦までする。
典型的な遅咲きの名馬だ。
そしてまた鞍上の佐藤哲三が「ひとも馬も地味ですが、これからも応援してください」と語ったように、キャラとしても確定している。さらにはその佐藤が、あの大怪我からの闘病もかなわず、引退となった。語るべきことも、切り口も、いっぱいある。ありすぎて困るほどだ。なにをどう書くか。愉しみだ。わくわくする。だが……。

肝腎のタップダンスシチーのその後が闇に包まれている。 
競馬は人間の傲慢が生みだした残酷な遊びだ。
そのことは忘れて、割り切って、自身の職業に撤しようと思うのだが、屠殺の現場を見すぎて、肉と距離を置いたように、見聞きしてきた現実が絡んでくる。

ワインと肉はあう。
うまいワインを飲みつつ肉の旨さを堪能したい。それでいいのだ。それがヒトという生き物だ。生きるとは、そういうことだ。それの否定はヒトの否定になる。くだらんこだわりは捨てたほうがいい。まして競馬だ。たかが競馬だ。割り切らねばならない。わかってはいるのだが……。

● タップダンスシチー行方不明

●タップダンスシチーは生きていた

●タップダンスシチーの老後は安心できるのか──ハイセイコー、タケホープ、イチフジイサミ 

将棋話──王座戦第四局──羽生、危うし──時代は動くか!?

昨日の王座戦第四局は豊島が勝って、これで二勝二敗。
二連勝したときは羽生がすんなり防衛するものと思っていたので意外だった。羽生は敗れた若手を研究して膝下におく。豊島には初対戦から二連敗したが、それでマークする相手と認めたのだろう、そのあとは五連勝だ。これでもう豊島対策は完成したのかと思ったら、ここに来て二連敗。しかも二局とも完敗である。
豊島連勝の中身がいい。豊島断然有利の流れか。二十代棋士でタイトルを獲ったのは「森内から渡辺」の竜王戦の他に(だから森内が取りかえしたのはじつによい流れだ)広瀬の王位があるが、あれは深浦からだった。そして羽生に取りかえされている。だから広瀬は「羽生世代を切りくずした」とは言えない。今回豊島が羽生から奪ったら渡辺に続く快挙になる。そして豊島は渡辺よりもずっと下の世代だ。

豊島が羽生から王座を奪い、糸谷が森内から竜王を奪取するようなことになると、王者として君臨する羽生世代にも危機が訪れる。果たしてどうか。個人的には今年絶好調の羽生が再び七冠かと期待していたので竜王戦挑戦権がなくなった時点でかなり昂揚感低下というのが正直なところだ。私は8/15,9/2,9/8の「竜王戦挑戦者決定三番勝負」を観戦できない環境にいた。それが出来るようになったとき、いの一番に確かめたのはそれだった。羽生が挑戦者になり、森内から奪取し、永世竜王になる流れを期待していたので、あっけにとられる結果だった。糸谷にはわるいがまさかあそこで羽生が敗れるとは思わなかった。



四十代に入っても衰えのない羽生世代は最強だが、中原さんだって四十三のときに名人位を奪回している。あのとき中原さんは「同世代のひとに、すこしでも元気を与えられたら」のような言いかたをした。あれは感動的だった。谷川は加藤から名人位を奪ったときは「名人位を一年間あずからせていただきます」と謙虚だった。これで時代はもうもどらないと思ったが、中原は谷川から名人位を奪って復位する。もうそれはないと思っていたので、これだけで驚異だった。そしてそれをまた谷川が奪う。加藤の時には謙虚だった谷川だが、長年中原から取らねば意味がないと思っていたから、この時は自信をもって名人位に着いた。今度こそ完全に世代交代と思ったのに、もういちど中原さんが取りもどす。そのときに上記の名言が出た。あれはたしかに同世代に勇気と希望をあたえたろう。
逆に言うと光速流の谷川はかっこわるかった。時代が完全に羽生になってから、その羽生から名人位を奪って永世名人になる。それはそれで震災後の「復活」と絡んで感動的だった。そのときのことばは「自分は他の永世名人(木村、大山、中原)と比して時代を築いていないので」と、これまた謙虚だった。ここで復活して本当の自分の時代を築くという宣言だったが、それはならなかった。羽生世代の流れはすさまじかった。谷川の「他の永世名人と比して時代を築いていない」という自己反省は、イメージ的にはまことにその通りで、あれだけの衝撃をもって登場した谷川だけど、将棋史的には「中原時代と羽生時代の橋渡し」みたいな存在になっている。私が将棋に興味をもってから最も衝撃を受けた棋士は谷川だったからこんな言いかたはせつないが、しかし俯瞰してみると、「谷川時代」はそういうことになるだろう。しかしその「羽生世代」出現の芽を育てたのは「史上最年少名人」谷川の存在だから、そこのところでもっと評価されるか。時代で言うなら、四冠を保持し「世界で一番将棋が強い」と豪語した米長に「米長時代」はなかった。四冠でいばっても、所詮名人にはなれないひと、でしかなかったし、「おれのために出来たようなもの」と語った最高賞金の竜王戦でも、決定戦で島に4-0で敗れ、第一期竜王にはなれなかった。これまたあたらしい世代登場の引き立て役でしかない。もしも将棋史に「米長時代」があるとしたら、それは「会長時代」だろう。功罪半ばする迷会長だった。



あたらしい時代のたのしみを思いつつも、「羽生、防衛しろ」と思っている自分がいる。それはまだ豊島の個性が弱いからだ。入門のころから逸材と話題になり、加藤、谷川、羽生、渡辺に続く中学生棋士と期待された。それにたがわない活躍と出世をしてきたが、雰囲気が温厚だ。それはいい。好ましい。豊島の人柄は好ましい。しかし振り返ってみると、中学生棋士としてのし上がってきたころの羽生なんてほんとふてぶてしかった(笑)。あの「羽生睨み」は、気の強い生意気そうなこどもそのものだった。このひとはあがるにつれて顔が良くなった。地位はひとを作るんだな。あの「上座事件」のときは、羽生に対する熱意がだいぶ引いた。王者になるには、ああいう面も必要なのだろう。温厚なままでは豊島の時代は来ないのか。

羽生は昨年の王座戦も中村大地に逆転防衛したが、あれは中村2-1の流れから2-2に追いついての防衛だった。今回は2-0から2-2に追いつかれている。流れが違う。その前が6期連続の「3-0防衛」だから、去年今年と二十代若手にフルセットに持ちこまれているのは気になる。流れとしては豊島奪取だが、さてどうなるか。決戦は10月23日。

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【追記】──羽生、防衛!──10/23

 153手の熱戦。羽生が勝った。画は投了図。
 一日で決着のつく将棋はおもしろい。それをたのしめるインターネット時代のありがたさ。

 ここで「豊島王座、誕生!」のほうがよかったのだろうか。まだ「羽生世代時代」を見ていたい私は、防衛にほっとしているというのが本音だ。

ouzasen2014

競馬話──ディープインパクトをどう語るか!?──NGワードは狆弖皚瓠↓牘冤梱瓩?

ディープインパクトをどう書くか。
日本競馬史上屈指のこの名馬は、すでに多くのライターに様々な切り口で書かれている。
読んでないのでなにひとつ知らない。しかし想像はつく。
かつてないタイプのこの馬に、まだ誰も手をつけていない語り口は残っているのか。

狆弖皚瓩NGワードだろう。馬名から聯想されるそれはあまりにイージーだ。猗瑤岫瓩發修Δ。

牘冤梱瓩呂匹Δ世蹐ΑI靄が口にした。「ディープインパクトの愛称は英雄がいいのではないか」と。
 なぜ武がひでおという人名にこだわるのかがわからない。村田英雄が好きなのか。しかしディープに和服を着て「王将」を歌うイメージは湧かない。あれほど顔もでかくないし。あるいは野茂英雄からのイメージなのか。日本人大リーガーの路を切り開いた彼なら村田英雄よりは似合う気もする。しかし彼は野球選手として理想的な大きなお尻のひとだったし、それは小柄なディープとはまたちがう。そもそもなんでディープを「ひでお」と呼ばねばならないのか。*もうひとつ武のセンスがわからない。私は武豊騎手の大ファンだけれど、今までもこれからもディープを爐劼任瓩噺討屬弔發蠅呂覆ぁ

試行錯誤しているうちに、「かつてない」をそのまま出せばどうだと思いつく。
ヒントは武の語った「楽」にあった。
武は、あれやこれや戦術を考えるのではなく、単純に他よりも速い馬で、楽に勝つ、シンプルに勝ってしまうのが競馬の理想なのではないか、ディープはそんな馬だと語っていた。

これで切り口が見えてきた。
テーマは「あたらしい風景」だ。

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* 世の中には親切なひとがいて、こんなことを書くと、「武豊騎手の言ったのは、村田英雄や野茂英雄の爐劼任瓩箸い人名ではなく、牘冤=えいゆう甕儻譴埜世Ε辧璽蹇爾箸いΠ嫐です。武騎手はディープインパクトのことをヒーローと読んで欲しいと願い、英雄と言ったのです」とメールをくれたりする。

 そういうひとには必ず「そうだったのですか。気がつきませんでした。教えて下さりありがとうございました」と返事を書くことにしている。

msn産經ニュースが終了──MSが次ぎに組むのはどこ? アサヒ? 聖教新聞?

msn産経ニュースが終了 ご愛顧ありがとうございました 2014.10.1 02:10

 日本マイクロソフト株式会社と2007年10月から共同で運営してきた「msn産経ニュース」のサービスが9月30日、終了しました。7年間にわたってご愛顧いただき、誠にありがとうございました。

 10月1日からは、産経新聞グループの新たな旗艦ニュースサイトとなる「産経ニュース」がスタート。新聞記事の正確性、ウェブニュースの速報性に加え、世の中で今起きている事柄を網羅した三位一体の「ウェブ・パーフェクト」報道スタイルを堅持。ネット用のオリジナル記事「産経プレミアム」を大幅に拡充するほか、トップページを大阪の視点で編集するユニークな「産経WEST」、モバイル端末に適したフォトジャーナリズムを提案する「産経フォト」など、独自コンテンツの豊富なニュースサイトとなります。スマートフォン用のアプリも大幅にリニューアルし、操作性と視覚性を高めます。
http://sankei.jp.msn.com/etc/news/141001/inf14100102100001-n1.htm

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 丸7年か。時の過ぎるのは早い。もともとMSは毎日新聞と組んでいた。「毎日」嫌いの私は読まなかった。Ms-Dosのころからの窓使いではあるが、とにかくMSが嫌いでIEすら使わないぐらいだから、嫌いな「毎日」と嫌いなMSのコンビを蛇蝎の如く嫌った。いいコンビだと嗤った。

 それが突如2007年に産經と提携となった。「えっえっえっ、なぜ???」と奇妙に思ったことをいまも覚えている。私からすると共に嫌いな「毎日」とMSだが、両者はよく似合っていた。お似合いのカップルだった。田原総一郎とドイタカコの夫婦、あるいは佐高信とツジモトキヨミの熱々恋人みたいなものだ。まことに醜い。それがなにゆえ同棲を解消して産經と組むのか、私には理解不可能な光景だった。しかしそれはさんざんこちらを苦しめてきた敵の龍王が、捕獲したらこちらの持駒飛車になってくれるような、痛快な出来事でもあった。以来毎日「msn産經ニュース」を読んできた。zakzakと並ぶ私の愛読ネット新聞だ。2007年というと今の地に越してきた年、光フレッツを始めた年だ。あれからもう7年経つのか。
 当時、MSが「毎日」と切れることを知ったのが下のニュースだった。



マイクロソフト、MSNニュースポータルを毎日新聞から産経新聞へ  2007/06/27 22:04
   
 マイクロソフトオンラインサービス事業部は6月27日、毎日新聞社と共同で運営している「MSN毎日インタラクティブ」の提供を9月30日に終了することで合意したと発表した。

 これにより毎日新聞社は、10月1日から新たな総合情報サイトとして「mainichi.jp」を開設する。新サイトは、ニュースサイトからさらに進化した「総合情報サイト」としてスタートし、ニュース報道のほかエンターテインメント情報や暮らしに役立つ生活情報、地域情報を充実させる。

 また、ユーザー参加型コンテンツも充実させ、情報の信頼性に加えて“楽しい”“役に立つ”サイトを目指すとしている。さらに新サイトの開設に合わせ、英字新聞サイト「MAINICHI Daily News」も全面リニューアルを行う。

 一方、マイクロソフトは産経新聞グループの産経デジタルと業務提携を締結し、新たなニュースサービスの提供を開始する。両社は産経デジタルが運営する産経新聞のウェブサイト「Sankei Web」を発展成長させ、双方の技術力やコンテンツ、ノウハウを融合した新しい「MSN産経ニュース」を開設することで、さらに多くのユーザーを満足させるサービスを実現するとしている。



 毎日、産經と相方を替えてきたMSは次はどこと組むのか。話題のアサヒシンブンか、赤旗、聖教新聞、恋人候補はいっぱいいる(笑)。

 私はとにかくMSが嫌いだったので、いまも嫌いだが、この「MSが毎日との縁を切って産經と組んだ」というのは、唯一MSに好意的になれた事件として記憶している。それは、大嫌いな騎手が大穴馬券を取らせてくれたので嫌い度合が減ったのに似ている。これからどこと組むのか知らないが、産經と組むことによって嫌い度合を減らした私のようなのもいる。溜め息の出るようなことにならないよう祈る。でもMSだからな、期待はしない。ともあれ7年間、ありがとう。この「msn産經ニュース」のおかげで、MSアレルギーがしばらく治まっていた。そのことにはすなおに感謝する。 


旅話──中国在住白人との不快な体験※;.轡覆離肇ぅ貉情

 オンボロマイクロバスに揺られて山道を走ること4時間。やっと最初のトイレ休憩になった。かつては1時間半から2時間に一度ぐらいは確実に休憩所──路線のあいまにある比較的大きなバス駅──に寄っていた。国営でやっていた定期便バスに、民間人運転手のバス持込み制度導入の際、そういう行政指導があったのだろう。十年以上前は決められた時間、場所での休憩が順守されていた。しかしあの支那人がそんな堅苦しいことをいつまでも守るはずがない。便数はかつての何倍にも増え便利になったが、と同時にそれらルールもいいかげんになった。いつどこに停まるかは運転手次第である。停まらない。初めてノンストップで4時間走られたときは何事が起きたのかと思った。何度も乗ってその路線を知っている。1時間半経ち、そろそろ休憩の場と思うのだが停まらない。勘違いだったか。たしか以前はこのバス停で休憩があったが……と思う間もなく通りすぎる。3時間走る。次ぎも停まらない。おかしいじゃないか、と思う。きちんと定期的に停まっていたときでも、私は、万が一そんなことになったらたいへんだと、出発前は極力水分を取らないようにし、小用をもよおさないように気を使う。お腹を壊す可能性がすこしでもあるものは食べない。出発地で地元のおばちゃんたちが売りにくる果物、ゆで卵、焼きトウモロコシ等だ。中には魅力的なものもあったが、支那のバスでお腹を壊す恐怖を考えたら手は出せない。くだってもいないのに正露丸を飲むほどの用心をしてきたお蔭でさいわいまだその経験はないが、ここのところの運転手のいいかげんさのせいで、それでもつらいことになり始めている。運転手の気分次第で休憩所をとばす。いきなり4時間も停まらないのだ。この地ではまだまだ「載ってやる」ではなく「載せてもらう」感覚なので、そういう運転手のいいかげんさにみな我慢している。それでも4時間でもよおすのは私だけではないらしく、やっと最初の休憩となったときは、携帯電話で喚き散らしていた支那人のおっさんも、無口な少数民族のオババも、みな飛びだすようにしてトイレに駈けこんでいた。やはりこれは権力者である運転手の横暴なのだろう。あちらはいい。自分のバスだ。自分がもよおしたら好きなときに好きな場所に停まれる。載せてもらっているこちらはあちらの顔色をうかがわねばならない。日本でバス運転手をしている知人がいる。ワンマンバスだ。ごく普通に乗車降車案内を話しているだけでも、毎日のように、命令口調だ、高飛車だ、いばっている、態度が悪いと会社にクレームが寄せられ、いままで何度も始末書を書かされていると嘆いていた。それはそれでひどい話だ。しかしまたこの地のめちゃくちゃな部分を見ていると、せめてもうすこし、と思う。定期的な停車と休憩はまもってもらいたい。とにかくいまは「載せてもらう感覚」である。「寄って休憩するはずのバス停」に寄らないと、トイレに行けないこちらも困るが、そこで待っている客も困る。だがみなそれはあきらめる。10時半というバスが来なかったら、それは満員で通過したということだ。次の13時を待てばいい。そんなことには苛立たない。苛立っていたら生きて行けない。それが「大陸的」思考である。
  
 4時間ぶりのトイレ休憩にみなバスを飛びだして行く。支那のトイレは有料だ。一律5角(1元の半分、いまのレートで9円、日本的感覚で言ったら1回50円か)を払って糞尿が溢れていてとんでもなく汚く臭く吐き気のする金をもらっても入りたくない場に金を払って入らねばならない屈辱。しかし出るものがあるのだから行かねばならない。たいして行きたくなくても次の機会がいつかわからないのだからいまこの場でしておかねばならない。大のときだとトイレの前にすわっているオババにあと5角払って質素なザラ紙のようなトイレットペーパーを買う。良質のティッシュペーパーが無料で配られる日本、しかもそれをぷいと無視するような日本との差をしみじみと思う。しかしあえて「どっちが異常か!?」と問うなら日本のほうなのだろう。支那のほうがひとの暮らしの原点なのだ。いまこうして文を書きつつ、あの支那の汚いトイレを思うだけで吐き気がしてくる。あれだけであの国には二度と行きたくないと思う。もっとも「汚いトイレ」というのは支那に限らない。ロシアなどもそこいら中クソだらけで、足の踏み場のないようなトイレに入らねばならない。花の都パリもそこいら中イヌのクソだらけだし。近頃の若者は海外旅行をしないらしい。よくわかる感覚だ。背伸びせず身近な快適な環境で生きるのがいちばん愉しい。なにを好き好んで異国に苦労しに行く必要があろう。私は海外旅行推薦者じゃないけれど、それでも、異国のこういう状況を知るだけで自分の国を考える機会にはなるし、それは若者にとって貴重な瞬間のように思う。そういう体験を若いときにしておくのは、それはそれで意味があるんじゃないか。まあ私が今時の若者だったら間違っても海外に行ってみようとは思わないから、エラそうなことは言えない。温かい布団にくるまっているほど気持ちのいいことはない。気持ちのいい場所があり、そこにいられるなら、あえてそこから出る必要はないという感覚はよくわかる。(続く)
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