Sさんのロックカフェの話を読んでいたら、渋谷道玄坂のロック喫茶「ブラックホーク」を思い出し、宮益坂のフォーク喫茶「青い森」を思い出し、さらには下北沢で出会った清志郎のことを思い出した。

 下北で飲んで街を歩いていたら、一緒にいたマンガ家が誰かに声を掛けて話しはじめた。知りあいのようだった。午後十時ぐらい。酔顔で近づくとこどもを抱いた清志郎だったのでおどろいた。清志郎におどろいたのではない。こどもを抱いていたことにだ。彼ほど赤ん坊を抱くことが似合わないひともいない(とそのときは思っていた)。奥さんが寄りそい、画に描いたようなしあわせな三人家族だった。そういえば初めてのこどもが出来たとかいう記事を読んだような気がした。酔っていた私は、「いやあキヨシローさんがこどもを抱いてる姿は想像できなかったなあ、ワッハッハ」とか失礼なことをやった気がする。恥ずかしい。

 時は競馬ブーム。清志郎も競馬をやっているとかで、こちらが専門家?と知ると、あれこれ質問された。これもまた意外だった。15分ほどの立ち話。



 そんなことを思い出した昨日、タイミング良くこんなことが記事になっていた。

昨年5月に亡くなったロック歌手の忌野清志郎さん(享年58)の愛息である大学生の栗原竜平さん(21)が、清志郎さんの新アルバム「Baby ♯1(ベイビー・ナンバーワン)」(3月5日発売)にコーラスで初参加したことが、分かった。竜平さんは小さいころから清志郎さんに連れられてステージに上がったり、「子どもの声」でレコーディングに参加したことはあったが、本格的な参加は今回が初めて。

http://www.ntv.co.jp/zoomin/enta_news/news_1610379.html?list=1&count=2



 息子の年から逆算すると、私の出会ったのは18年前だろうか。1992年、平成4年。ミホノブルボンの年だ。ダービーから夢の新馬券・馬連が発売になった年である。50万負けた。勝ったミホノブルボンから行ってるんだから馬連を1万円ずつ総流ししておけば、17万が295万になっていたのに。なにやってんだか。一緒にいたかなざわいっせいは、ミホノブルボンと、世話になっている川上悦夫牧場の生産馬マヤノペトリュースとの馬連10万円一点勝負で同じく負けていたが、充分10万円分の価値のある、ひとに自慢できるハズレ馬券だった。私もミホノ・マヤノは10万円持っていたからゴール前は力が入った。4馬身千切ったミホノブルボンが勝ち、先行したライスシャワーが粘るところにマヤノペトリュースが追いこんできた。流れとしては差し馬有利なのだが、どうにも2着にライスシャワーが残ったような気がして、それでも淡い期待を抱いて、かなざわといっしょに掲示板を見詰めたものだった。
 マヤノペトリュースはハナ差の3着。1番人気のミホノブルボンが勝ったが、18頭立て16番人気のライスシャワーが2着となり、馬連馬券が新発売になった記念ダービーは295倍の大荒れとなった。

 私はバラバラバラバラろくでもない馬連をあちこち買いまくり、なぜか締切直前に「新馬券発売の年はゾロ目が出る」という当時親しくしていた馬券作家・片岡勁太さんの理論を思いだし、最後の小銭で枠連7-7を2千円買い足した。7枠はミホノブルボンの枠だが同枠に4番人気のゴールデンゼウスがいて、これとの馬連はもうたっぷりもっていたのだから、どうせならもう1頭の16番人気ライスシャワーとの馬連を買えばよかったのだ。そうすれば2千円が58万になってわずかだがプラスにしてくれたのに……。

 7-7の枠連が13倍。当たった。50万2千円馬券を買って2万6千円の払い戻し。むろんそれを最終に突っこんでオケラ。馬券歴36年、さんざんみっともない馬券をやって来ているが、このダービーはワーストスリーに入る。恥ずかしくて書きたくない。書いてしまった。



 キヨシローに会ったのはそのころだ。春の東京開催のあとの飲み会だった。下北に行ったのは「競馬盤」という予想ソフトを作っている上野さんの会社がそこにあったからだろう。と、書いているうちにあれこれ思い出してくる。いや、もしかして会ったのは19年前か。となるとトウカイテイオーのダービーの年だ。でもそれを書いても、多少金額と買い目が違うだけで、同じようなハズレ馬券の内容になる。どっちでもいいか。ただ、「キヨシローに会った年」は、トウカイテイオーではなくミホノブルボンのような気がする。

「清志郎 息子」で検索し、以下のニッカンスポーツのインタビュウ記事を見つけた。

 38歳で初めて父親になる戸惑い。生まれてからの愛情。すばらしい記事である。


http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2005/sun050515.html


 私はこのインタビュウにある、清志郎の反体制でいようとする姿勢を支持する。藝人は基本としてそうあるべきと思っている。清志郎も心底からのサヨクではなく、「そうあらねば」と意図しているのが伝わってくる。ぜひとも彼の「民主党という体制に対する反体制ソング」を聞きたかった。

 渡辺えり子に代表されるように演劇人にも反体制は多い。あの種の劇団の伝統?であるし、それはそれでよい。だが彼らはみな反体制というより、単なる「反自民党」でしかない。民主党の体制になったら鉾先がにぶっている。それはおかしい。自分達と考えの違う政府に自民党も民主党も関係ない。サヨクが小沢一郎を必死にかばっているのを見ると笑ってしまう。

 清志郎の「反民主党ソング」を聞いてみたかった。彼は体制になった民主党にどんな態度を取ったろう。典型的アメリカのロックミュージシャンのように民主党を熱烈に支持したのか。確認は叶わない。
 Sさんの記事にあるミッシェル・ポルナレフの話をする予定が清志郎に寄り道したが、これもこれでロックだ。

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【追記】──生きていてくれたら<きっこさん>のことを質問できたのに

 私はこのとき名刺を渡し、後に彼はなんどか電話をくれている。競馬の話だった。
 そのとき彼は私に電話番号を教えてくれたわけではないが、そうして何度かかかってきて話しているから、機械が覚えている。

 ネット世界に<きっこ>と名乗る気味の悪いのがいる。清志郎のマンションに泊めてもらったことがあり、「あたしは、やられてもいいと思ったけど、キヨシローはなにもしなかった」なんて書いている。生きていてくれたら電話してまことかウソか訊けたのに、残念だ。もちろんウソに決まっている(笑)。だって<きっこ>って女は存在しないんだから。オカマの妄想である。

kanren6

<きっこ>のキヨシローへの妄想文章

■2004/05/24 (月) 老体ロックンロール 3
あたしは、清志郎さんが大好きで、高校生の時に、大晦日の浅草ロックフェスで会って、打ち上げに連れてってもらって、それから親切にしてもらって、あたしのバンドのライブにも2回も来てくれて、近田春夫さんも来てくれて、渋谷陽一さんも来てくれたんだけど、やっぱり清志郎さんが一番ステキだった。
当時、246沿いにあった清志郎さんのマンションにも遊びに行った‥‥ってゆ〜か、酔っぱらって夜中に行ったら、泊めてくれた。あたしはヤラレてもいいと思ってたのに、清志郎さんは、あたしに何にもしなかった。嬉しいのと悲しいのとが入り混じり、あたしの乙女心は複雑だった(笑)