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『文學界』9月号の売り物は、つかこうへいの遺作「鯖街道」。220枚一挙掲載。
といって期待するとがっかりする。これは叩き台だ。完成されていない。表現もバラバラで仕上がり途上。同じ事を繰り返して書いていたりして、かなり雑。果たしてこれを発表することがよかったのかどうか心配になるほど。「遺作」というよりは「遺稿」として、ファンがつかを偲ぶものであり、小説好きが完成された作品として接するものではない。

つかは生前信頼する女性に自分の活字物のすべての著作権管理を任せて逝ったらしい。「遺稿」と呼べるものが5つほどあり、その中からふたつを今回その女性が発表したのだとか。5つといっても独立したものではなく、みなこの「鯖街道」に関する叩き台としてのもの。その原稿が5つあり、みな同じような中身らしい。つかもこんな半端なものを公開されることは望んでいないだろうし、この管理人も迷ったろうが、これはこれでまあファンにはうれしいものか。
河野孝というひとが解説を書いているが、これはわかりやすくて親切。というか、そういう解説が必要なほど難儀な状況ということだ。

ひとつ新鮮だったのは、つかは自分の活動に関する文章的記録がないことを残念がり、それの出版にこだわっていたということだった。上記の女性への信頼はそこから芽生えたらしい。
口伝による彼の演出は様々に変化するから同じタイトルの演劇でも中身はちがってくる。それに対する活字のフォローはない。つかのこだわる気持ちがわかる。つか信者がそれをやるべきだったように思う。ちいさな出版社にはそういうひとが多いようだから、これからまとまって出て来る可能性もある。



さて、遺作の作品名ともなった「鯖街道」というコトバ。
これが最初に出てくるのは「銀ちゃんが、ゆく」だったか。つかは気に入った設定を何十回何百回も使いまわし、いじくりまわして完成度を上げてゆくので「最初」ではないかもしれない。私が記憶しているのはこれが最初。ちがうのかな。熱心なつかファンのかた、知っていたら教えて下さい。「銀ちゃんが、ゆく」以前にもう、つかは「鯖街道」をどこかで使っていますか?

「蒲田行進曲」のスター銀ちゃんと大部屋俳優ヤスの格差は、出版当時天皇制と絡めて語られ(口火を切ったのは五木寛之)大きな話題となった。私はその頃そういう視点を持つほどの智識も教養もなかったが、つかというひとの、大仰なSM的切り口に呆れたことを覚えている。やりたい放題のサディスティックな銀ちゃんも不可解だがマゾヒスティックに尽くすヤスはもっと理解できなかった。なぜあれほどの極端な切り口が出来るのだろうと不思議だった。それは演劇的デフォルメとはまたちがって、どこか深い屈折を感じた。当時私はまだつかが在日朝鮮人であることを知らない。その名は日吉キャンパス時代にもう有名であったけれど。
そのことがすべてとは思わないが、それなくしてあれが出てこなかったのも真実だろう。

そしてまた、絶対的存在である銀ちゃんが天皇であり、ヤスはそれにしたがう日本人庶民だという解釈に意味があるとは当時から思えなかったし、あのころよりは分別がつくようになった今も、あらためてそんな解釈は無意味と思う。



「蒲田行進曲」は映画を見てから小説を読んだ。小説「蒲田行進曲」の発刊が1981年。その6年後に「蒲田行進曲完結編」として出版された続篇が「銀ちゃんが、ゆく」である。ここで銀ちゃんは自分の出自を語る。そのときに銀ちゃんの父系は明治まで続いた「鯖街道」の鯖担ぎの一族だと語られる。そこからまた落ちこぼれて「河原乞食」になったのだと。銀ちゃんの父親はどさまわり劇団の座長で銀ちゃんはその息子だ。

遺作として公開された「鯖街道」の舞台は、犬養毅が暗殺される5.15事件の年。昭和7年。今は財閥の長として君臨している男だが、元は鯖街道で鯖を担ぐことから財をなした卑しい出自という設定。銀ちゃんの場合は古い話として「先祖は鯖街道の鯖担ぎだったらしい」と推測だが、こちらはリアルタイムだ。

遺作にまで使ったのだから、よほどつかはこの「鯖街道でのし上がり」が好きだったのだろう。福井の連中は一年中この鯖街道を通って京都まで鯖を売りに行くのだが、その中でも特に厳冬の時期は、小浜から京都まで鯖を徹夜で担いでゆけば高価で売れ、財をなすことが出来た。だが峻険な山道の上、極寒だから、街道には体力自慢で挑んだが、力尽き、鯖を担いだままの死者も見られたという。つかが好むのもよくわかる。
ここでの設定は、その鯖街道からのし上がった財閥の長が「自分の妾を息子の嫁にして、それからも毎晩嫁を抱きに行く話」。これまた捩れている。

私は「銀ちゃんが、ゆく」で「鯖街道」を知り、行ってみたいとあこがれた。いま調べたら、「鯖街道マウンテンマラソン」なんて耐久レースがあるらしい。しっかり売り物にしている(笑)。福井県の小浜から京都までの国道367号線だ。今も鯖寿司の店が多いという。行ってみたい。食ってみたい。行くならクルマだな。



「銀ちゃんが、ゆく」で「蒲田行進曲」は完結したはずだったが、さらにそれから8年後の1994年、つかは演劇「銀ちゃんが、逝く」を発表する。ひらかなの「ゆく」は「逝く」になり、タイトルからして銀ちゃんの死が明示される。「ゆく」では、銀ちゃんは妹の恋人であったケンという役者になりたがっているチンピラ(いわば、どうでもいい存在)に刺されて死ぬのだが、なんとこの「逝く」では、ヤスが刺す。ヤスが殺す。つかとしては、こうしないと完結しなかったのだろう。

「逝く」では銀ちゃんの出自も変る。先祖は鯖街道の担ぎ手だったが、こちらでは五つ川村という香典泥棒(コーデンドロボー通称デンドロ)で生計を立てている被差別部落の出身となった。小柄な少年時代、棺桶のなかにうまくもぐりこみ、屍体と一緒に過ごし、ひとけの絶えた夜更け、そこから出て香奠を盗んでとんずらするのが仕事だ。周囲からデンドロと呼ばれて差別される中、唯一そう呼ばない親友だと思っていた奴が大怪我をしたとき、親友として輸血してやろうとしたら、ベッドの中からそいつに「おまえの汚い血をおれの躰にいれるな」と拒まれる話が挿入される。まあこれは部落に関しては「よく言われるエピソード」ではある。
よくもわるくも「逝く」は「ゆく」より遥かにパワーアップしている。つかの「これでもか」というぐらいのマゾ感覚がより強くなっている。



1994年初演の「逝く」は1998年の「つかこうへい戯曲集」に収められた。私はこの演劇を見ていず、この戯曲集で知ったので、「ゆく」と「逝く」の相違には驚いた。これはもう別作品だろう。だが「ゆく」では飽きたらず、あらたに「逝く」を創作したつかの気持ちはよくわかる。そのころにはもうつかは自分の出自を公にし、母は日本語の読み書きができないことを語り、さらには1990年には「娘に語る祖国」を出版して、在日朝鮮人文化人として表立った活動を始めていた。その辺のふっきりが、つかにとってもいとしい作品であるこれをこんな形に変化させたのだろう。

銀ちゃんが天皇であるなら、天皇を殺し、その存在をあとかたもなく消滅させるのは、ヤスという天皇の無理強いにも従い、栄光も得たが失意も味わった、類型的な日本人でなければならなかった。私は銀ちゃんとヤスの関係を天皇制と関連づける気は毛頭ないし、五木を始めとするその種の解釈をナンセンスと思っているが、つかがその解釈を受け入れたなら、銀ちゃんを殺すのはヤスでなければならなかったのだろう。それが在日朝鮮人としてのつかのメンタリティになる。

熱心なつかファンは、これからも彼の牋篁瓩燭舛演じるつか演劇を観て行くのだろう。活字でつかワールドに接することの多かった私には、それは無縁の世界になる。ひさしぶりにつかの活字に触れられて、なんとなく懐かしくしんみりした日になった。私は映画や小説でしかつかワールドを知らないし、彼のチケットを入手するために苦労したこともない。そういう熱烈なつかファンではないが、彼が世に出る前の日吉キャンパス特設舞台のころから知っている古いファンではある。



ところで、冒頭の「文學界」のコピー写真だが、本来のものはもうすこし横に広い。今月号の売り物は4つあるらしく、つかの横にもうふたつの売り物記事が並んでいる。そのひとつがあの上野千鶴子なのでそこは切った。名前を見るだけで気分が悪くなる。文藝春秋の「文學界」があんなものを載せるのが理解出来ない。