前記、マイニチシンブン「余録」に代表されるように、やたら橋下市長に対して批判的なマスコミ人が多い。
 その理由として、独裁だのヒトラーだのハシズムだのと、それらしく、しかつめらしく、かまびすしく言われているが、私はその根底にあるものは、ごく単純に「男の嫉妬」だと思っている。

 マスコミ人は現代のエリートである。わたし個人はべつにそうも思わないけど、それだと先に進まないので、そういう前提で……。いや、エリートじゃないとしても「現代の権力者」ではある。それは思う。



 いい大学を出て、難関の入社試験を突破して、アサヒシンブンのようなところに入る。
 経歴を積み、やがて上記「余録」のような、誰もが注目する言論のページを持つようになる。
 自分の意見を何百万人ものひとが読み、注目される。テレビでも取りあげられたりする。輿論を誘導し、政府の方針すら左右するほどの威力を持つ。

 これはこれで「権力の座に登りつめた」ことになる。大手新聞の社説や看板コラムを書くことは、国会議員になるよりもはるかに権力を手中にした実感があろう。

 しかし「剣よりも強いペン」ではあるが、ペンのことなど意識することなく剣で実行してゆく者の前には、まったく無力でもある。剣にはその辺の雑草を薙ぎはらう実行力があるが、ペンは「雑草を抜きましょう」と喚起する意見でしかないからだ。



 『週刊文春』『週刊新潮』という日本の二大週刊誌が手を組んでやった「橋下徹出自叩き」というネガティブキャンペーンは、極限のペンの威力のはずだった。このペンよりも強い剣など存在するはずがなかった。太刀打ちできるものがあるとしたら、伝説の聖剣と幻の秘技ぐらいだが、そんなものが現代にあるはずもない。文春新潮聯合軍という最強マスコミ軍団の前には、すべてが平伏するはずだった。橋下は木っ端微塵に砕けちり、表舞台から消え、もとのバラエティ弁護士タレントにもどるはずだった。

 ところが橋下徹は、「あのバカ文春が、バカ新潮が」と、「ヤクザのむすこ? おおいにけっこう、けっこうけだらけ」と、伝説の名剣も幻の秘技も関係なく、そのへんにあったこん棒を力任せに振りまわすだけで、最強の文春新潮マスコミ聯合軍を追い払ってしまった。
 理窟屋のペンを、実行の剣が薙ぎはらった瞬間である。



 エリートマスコミ人というのは、中学生に例えるなら(笑)、「試験満点のひ弱な生徒」である。橋下徹は「粗暴な運動能力満点生徒」だ。
 「ひ弱」は、東大合格まちがいなしと言われ、親からも教師からも将来を嘱望されているが、じつのところ「運動満点」が妬ましくてしょうがない。
 密かに思っているマドンナ(国民)も、ちかごろは勉強満点の自分より駆け足の速いアイツのほうを気にしてるみたいだし。



 マスコミ人は、己の職業に誇りを持ち、プライドが高い。政治家なんて俗物の運命は、自分達のペンで、なんとでもできると自負している。
 しかしそこに、いくらペンで叩いても平気の平左の政治家が登場した。
 時には新種のマスコミであるTwitterを利用して、おそれおおくもマスコミ様である自分達に反撃すらしてくる。

 気に入らない。なんとかして消してやると躍起になる。
 しかし一面において、能書きとリクツだけの自分達とはちがい、現実に実行して行く彼に対する妬ましさもある。



 ま、嫉妬だよね。男の嫉妬はネチネチしてしつこい。しかも「橋下なんかよりもおれのほうがエリートだ」と思っているマスコミ人のそれは陰湿で粘着だ。

 これはこれで、ホンモノかニセモノかの識別に役立つ。