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 「課長」で始まった「島耕作」は、「部長」「取締役」「常務」「専務」と出世して行き、今はとうとう「社長」をやっている。団塊の世代の夢の象徴として、「あの島耕作がついに社長になった」と新聞記事にまでなったほどだった。

 それとはべつに平行して「ヤング島耕作」が始まった。「課長」の前の、新入社員、平社員の島耕作である。あとづけであるからなんでもできる。なにしろ未来を知っているのだからスーパーマンだ。新人時代に早くも将来の「家電廃棄処理問題」について先見の明を発揮していたりする。「おまえは神様か」と言いたくなるほど(笑)。
 でも神様なんだよね、20年後、30年後、40年後の世界をぜんぶ知っているんだから。ちょうど家庭用VTRの1号機が出る夢の時代を描きつつ、VTRがやがてHDDレコーダになることまで知っているのだから。

 あのころ私は「すこしでも安いVTRテープ」を買おうと思い、また「テープが貴重だからCMの時は録画ストップ」をした。まさかそれから30年後にダンボール箱に入れたビデオテープを何千本も捨てる時代が来るとは想像できなかった。

 初めてCDを手にしたときは宝物のように扱った。傷を付けては大変だと細心の注意を払った。まさかすぐに雑誌の附録にもついてくるようになり、ジャマになり、まとめて捨てるようになるとは思いもしなかった。


 あとづけで若い頃の島耕作を描くことで「島耕作シリーズ」にはいくつもの矛盾点が出てきた。たとえば「島耕作と初芝の創立者吉原会長との初対面」だ。「課長」の何話かに上役と一緒に吉原邸を訪問した際の初対面が描かれている。雲の上のひとである経営の神様との間近での初対面に「課長島耕作」はコチコチである。が、「ヤング」が始まると新入社員の研修中、ショップの不法投棄に逆らっているところにいきなり吉原会長が現れる。通りかかったのだ。これじゃ課長時代のあれはどうなるのだ、となる。島耕作ファンなら誰でも気づく矛盾だ。

 最初は「弘兼さん、ぼけたのか!? スタッフは気づかなかったのか!?」と思ったが、その後同じような矛盾が連続するから、最初の時はともかく、これはもう割り切って楽しんでいるのだろうと解釈することにした。初期の「課長」時代の矛盾には目を瞑ってもらうことにして、今を楽しもうとしているのだ、と。

 なにしろ始まったばかりの「課長」のころなど、島耕作はどうしようもないヘタレである。小心翼々を画に描いたようなつまらない男だ。そんな凡才のサラリーマン話として弘兼さんも連載を始めた。ところがそこからなぜか方向転換して社長にまで駆け上がるスーパーサラリーマンになってしまう。

 「あとづけ島耕作」は矛盾だらけだが、私としてもいちばん好きなキャラである中沢部長(後に社長、あっさり逝去)の課長時代が見られて愉しい。不満はない。というか、この「あとづけ」がいちばんおもしろい。中沢部長のフルネームは「中沢喜一」。ヨーダに似たどこかの総理大臣を思い出す名前で、それだけが不満(笑)。


 名前と言えば、中沢部長は、アメリカの「コスモス映画」の買収に成功したという実績が大抜擢の基本になる。この「コスモス映画の変人オーナーの名はバクスター・ゴードン。弘兼さんはハワード・ヒューズからイメージとエピソードを得たと語っている。

 「島耕作」の売りのひとつに章のタイトルが名曲というのがある。「課長」の途中からJazzの名曲がタイトルになった。そのことで弘兼さんもスタッフもJazzに詳しくなっていっただろう(笑)。バクスター・ゴードンの名はサックス奏者のデクスター・ゴードンから取っている。こんなあそびが見えるのも「島耕作」の楽しみの一つだ。


 平社員の「ヤング」から始まった流れは「主任篇」になり、いまの「係長篇」が最後になると言われている。そりゃそうだ、次は「課長」だからすべての人生を描いたことになる。ぐるりと環が繋がる。

 この「あとづけ」で始まった「ヤング」「主任」「係長」の島耕作は、人格的にも知識、正義感、すべてにおいてすばらしく、ますます連載初期の「ヘタレ課長島耕作」の矛盾が浮き彫りになる(笑)。

 たとえば「ヤング」で、学生運動出身の先輩が初芝の新人寮でアジテーションする場面がある。あまり乗り気でない島耕作は集会に遅れ、組合運動の若いリーダーである早稲田のその先輩になじられるのだが、ハッキリとその青臭い学生の革命理論に対して反論を述べる。論破する。島耕作のかっこよさに惚れ惚れするシーンだ。
 
 でもそれはあとづけの島耕作、「人間交叉点」を経た今の弘兼さんだからできること。最初の設定の島耕作は、フィリピンで死んでしまった樫村がESSの生真面目リーダーであったのに対し、雀荘に入り浸ったり、雰囲気サヨク(私なんかもそうだったが)だったり、いいかげんを絵に描いたような学生生活なのである。なんだか「あとづけ島耕作」があまりにかっこよく、読んでいて気恥ずかしくなる。


 と、今現在の流れの「社長」と、あとから描いている若き日の「係長」連載終結で、「大河マンガ島耕作」大団円かと思っていたら、今週特別編として「少年島耕作」が載った。冒頭の写真。社長の島耕作が高校生15歳の島耕作を自転車に乗せているという時を飛んだいい絵である。
 
 三週連続でやるらしい。そうか、この手もあったのか。「社長」の次の「会長島耕作」は誰でも思いつくし、その後の「相談役島耕作」「老後島耕作」も、もう「部長」のころから楽しい笑い話にしたものだが、「ヤング」以前の島耕作は考えてなかった。「少年」が出てきたなら、次は「園児島耕作」か(笑)。さらに溯れば「島耕作の父」もかける。「島耕作」が生まれる前の両親の話。


 というのは冗談。なぜここで「少年」が出てきたか!?
 前回の「社長」で、島耕作シリーズのマドンナ大町久美子がガンになる展開になった。下腹部を指した久美子が「ここにゴルフボール大の腫瘍があるの」と言う。子宮癌か。ここのところ企業漫画に徹していた島耕作シリーズの私生活における久々の大事件である。泣きながら久美子が結婚して欲しいと言う。死にたくないと。そこでふたりはついに入籍した。大手術前のふたりだけの結婚届だ。長い長い春だった。

 ふたりの出会いは課長の40歳と短大を出たての新入社員20歳の時。あれから25年。課長だった島耕作は社長となって今は65歳、初芝の創立者吉原初太郎が芸者に産ませた隠し子であり、吉原の株を相続して大金持ちの性に奔放な久美子も45歳になった。そしてガン。なかなかの大河ドラマである。すくなくとも国営放送の大河ドラマと称しているものなんかよりははるかに大河だ。

 でもこれなんかも、晩年の吉原初太郎が最愛の女に産ませ、将来初芝の社長となる男と結婚させ自分の後継者にしようと思っていた久美子であり、母親も吉原から一千万株をもらい大金持ちという設定なのだから、なんで短大卒で初芝に就職してくるのか疑問。「世界的社交界にデビュウさせる」というプランも後に実行される。だけどだったら名のある四年制大学からイギリスやフランスに留学となるはずで、なんで名もない短大卒の一OLとして初芝に就職してくるのか。

 これも「課長島耕作のオフィスラブの相手として、若い美人の部下の大町久美子」を設定し、そこから「もしも久美子が吉原初太郎の隠し子だったら」と、「もしももしも」で路線変更していった矛盾なのだろう。

 いや矛盾と言ったら失礼か。いわゆる「キャラの一人歩き」だ。見事なキャラの設定により、作者を無視して一人歩きを始めたのだ。久美子や中沢部長の一人歩きはクリエイター冥利に尽きる愉しみだろう。


 弘兼さんは登場人物を殺すのが好きだ。読者に人気のあるキャクラクターをばんばん殺す。読者から批難が殺到するのを楽しんでいるかのようだ。果たして久美子を殺すのか。

 「少年島耕作」は、そんなヒロイン大町久美子のこれからを描くという大仕事の前にワンクッションおいたのだろう。

 吉原初太郎も、木野会長も、大泉社長も、中沢部長も、みな死んでしまった。フィリピンの銃撃で死んだ同期の樫村もいたなあ、ニューヨークで作ったハーフの娘のニャッコも死んじゃったし……。「課長」時代の八木なんて有能ないい部下だったのに、なぜか「社長」では、島耕作に絡んでくるとんでもなく悪相のイヤなヤツになってロシアで殺された……。ポイントは中国篇なのかな。中国を理解しようとしない高飛車なやつに描かれていた。

 読み返してみていちばんおもしろいのは、やはり「課長」になる。いいかげんだからこそ面白い。経営マンガ、薀蓄マンガになったら、おもしろさは目減りする。けっきょくは課長の島耕作と久美子の物語だ。
 その久美子をどうするのか!? 45歳でやつれさせてガンで殺すのか……。


 いずれにせよ「社長篇」も、あとづけ連載で始まった「ヤング」からの流れの「係長篇」もともに大詰めだ。弘兼さんは「社長篇が最後」と明言している。大河漫画の完結もまぢかい。

 いろいろ言うひとはいるし、たしかに「幸運な偶然」が多すぎるけど(笑)、私はこの作品をリアルタイムで楽しめたことに感謝している。

 先日何度目かのまとめ読みをした。テレビは見ないしインターネットも極力やらないようにしているので時間がある。かといって<きっこさん>みたいに、星を見上げたり、虫の声に耳を傾けたりするような風流な趣味もないので(笑)、マンガを読む時間が増えた。とはいえこれとか、「パイナップルアーミー」「マスターキートン」等の限られた好きな作品の読み返しだ。私の基本はビッグコミック(小学館)系なので、講談社系のモーニング連載作品はこれぐらいだ。もちろん「バガボンド」とか有名作品はぜんぶ読んでいる。読んでいることと好きはまた別。


 ひさしぶりに読み返してしみじみ思ったのは、目につく矛盾よりも、リアルタイムでこれらを読んできたという過ぎ去った時間への愛しさだった。1984年からだから28年を並走したことになる。この時間は大きい。

 たとえば、「島耕作」の名は「弾厚作」から取っている。加山雄三(も芸名だけど)の作曲するときの筆名だ。田舎の少年だった弘兼さんにとって加山雄三はあこがれのスターだった。後に対談している。うれしそうだった(笑)。そんなもの。子供のときのあこがれのスターはいくつになってもスターだ。

 弾厚作という筆名は、加山の好きな作曲家、團伊玖磨と山田耕筰から合成している。こういうことはいくらでもあとから知識として得ることはできるが、加山雄三が登場した時のかっこよさは、時代を知らないとわからない。
だからやっぱり、最後部の【餘談】に書いたけど、「アメトークの島耕作大好き芸人」の企劃は無理だった。

※ 

 たとえば、木野会長と大泉社長の決断で、取締役35人抜きで中沢部長が次期社長に決定する。これはソニーをモデルにした。あまりの行天人事に固持する中沢部長を「社長を受けてください。社長になってください」と「課長島耕作」が口説く店は、新宿ゴールデン街の古びた店だ。店名は伏せられているが、モデルとなった店を知っている身には、なんともたまらない設定である。

 「課長島耕作究極の謎」とか、そんな本があるらしい。私は読んでいない。同じような内容であろう『ゴルゴ13』のものは読んだが。
 弘兼さんは、その本が前記の店を特定したのでおどろいたと単行本「課長島耕作」のあとがきで書いていた。正解だ、と。でもゴールデン街に出入りしていたひとなら、あの店を断じるのは難しくはない。

 後に「島耕作部長」と「中沢社長」は、思い出のその店を訪ねる。するとすでにつぶれて、ない。でも同じ場所に「Chaco」というワインバーが出ている。弘兼さんはモデルにした店の名を口にしていないが、この店の名前「チャコ」からモデルとなった店の名を暗示している。

 このChacoのママは以前の店の女将の娘で、外国から戻ってきたばかりのワイン通、という設定だ。その後の「九州篇」「ワイン篇」「中国篇」にも関わってくる。
 この辺は純粋な弘兼さんの創作だが、現実にその店の女将にも娘はいて、私の知人と同棲したりしていたから、なんとなくこのへんもくすぐったい。


ハロー

 「島耕作」を語るなら弘兼さんの最初のヒット作である「ハロー張りネズミ」は避けて通れない。そういや弘兼さんのデビュウのきっかけは「ビッグコミック大賞」への応募だったけど(佳作だった)、このあたりからもう講談社系だ。「ハロー張りネズミ」には「島耕作」でも肝腎の所で絶大な働きをする「グレさん」こと私立探偵の「木暮久作」が登場している。というかほぼ主役。弘兼さんもよほど好きなキャラなのだろう。

 大ヒット作であり弘兼さんの代表作となっている「人間交差点」はビッグオリジナル連載。これは小学館。弘兼さんのことをこの作品で語るひとは多いが、これは原作の矢島正雄の作品だ。絵師としての弘兼さんの力がなければ成立しないほど密接につながっているとはいえ、根本の思想がサヨクの矢島のものだ。たとえば「あの戦争」がテーマとして何度も出てくるが、そこでは日本は紋切り型の「アジアに迷惑をかけた悪い国」である。それは弘兼さんの感覚とは異なっている。

 この連載で絵師として「矢島思想」にじっと従っていたからこそ、その後の「島耕作」も「課長」と「部長」のあいだに書かれた政治漫画「加治隆介の議」も、まっとうな弘兼さんの政治思想が表に出たのだろう。「加治隆介の議」は「島耕作」なくしては誕生しない作品だった。別の言いかたをするなら、「島耕作を描いていれば加治隆介を描くのは必然だった」となる。まあこれも主人公の政治家加治隆介が、カンボジアとか韓国でアクション映画みたいな大活躍をしていて、おもしろいけどやりすぎだとは思うシーンも多いけど(笑)。


 「部長」以降の「島耕作」は、音楽業界に出向したり、ワインの輸入に関わったりしてゆく。私は、このへんから次第に興味を失っていった。音楽業界もワイン輸入もつまらなかった。
 唯一、九州博多での活躍は面白かったけど、あの「今野輝常」にまでもやさしくしてやるのは人間が出来過ぎと感じた(笑)。
 みんないいひとになって大団円になってゆく中、なぜ「八木尊」はあんな悪相になってロシアで殺されねばならなかったのか、ほんとに謎だ。訊いてみたい。ただあれもキャラがひとり歩きを始めたようにも思う。悪相になって殺されるところまで暴走を始めた八木を作者の弘兼さんも止められなかったのか。

 「社長」になってしまうと、やっぱりつまらない。権力があるからとかではなく、完全な企業マンガになってしまったからだ。松下がPanasonicになるように、初芝をTecotにするとか、松下と三洋の吸収合併の話とか、発電産業に参加する予定だったが東日本大震災で諦めるとか、もう時代に沿った企業マンガであり、やはり主人公は課長ぐらいがいいのだなと感じる。逆に「加治隆介の議」は、総理大臣になってからの加治隆介も、すこし読みたいなと思ったものだが。


 「島耕作」と並ぶ代表作である「黄昏流星群」には、「島耕作で培った知識」があちこちに出てきて興味深い。ワインの薀蓄とか。これは小学館。「人間交差点」以来のビッグの連載。
 ここには「ハロー張りネズミ」のころから弘兼さんが大好きであり、でもマジメな「島耕作」では使えなかった「タイムスリップ」「心霊現象」「呪術」「空間移動」とかが出てくる。そういう意味で、「ハロー張りネズミ」で始まった弘兼憲史のマンガ歴史は、絵師としての「人間交叉点」で方向性を確立し、思想として「島耕作」「加治隆介の議」で結実し、すべてを含んだ遊びとして「黄昏流星群」で完成を見たというのが「論」として正しいように思う。



【追記】──中国蘇州篇「周紅梅」の呪縛について──7/29

 「島耕作シリーズ」には、弘兼さんの大好きな「呪術」「呪縛」が出ないと書きましたが、この「周紅梅」に呪縛が出てきますね。忘れていました。ほんとにほんとにこういうネタの好きなひとだから、さすがに「フランス ワイン篇」なんかでは出せなかったけど、中国篇になったら、しんぼうたまらん、という感じで描いてしまったのでしょう。すごくマジメな島耕作ファンからブーイングだったと思います(笑)。



 「黄昏流星群」は中編のアンソロジーだから、出来不出来に差があり、大好きだからこそがっかりした作品も多いと批判するひともいるが、まあそれはしょうがない。どんなすぐれた作家も短編すべてが満点とはゆかない。

 さて、じゃこれから「黄昏流星群」でも読もう。私も好き嫌いがあるので好きなのだけを選んで。

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【餘談】──アメトークの「島耕作」

 私は「アメトーク」が好きだけど、中身の好き嫌いにはかなり差がある。好きな中身のときは録画して保存するが、中身次第では見ない回も多い。

 「島耕作大好き芸人」だったか、そんなタイトルの回はひどかった。楽しみにして見たのだが、出演した芸人が「島耕作大好き、詳しいですよ!」と言うには、あまりに若いのだ。30歳そこそこの麒麟の川島が島耕作マニアとしてしゃべるのは無理がある。実際知識も浅いのが見え見えだ。かなり無理な企劃だった。連載が始まったときは赤ん坊だろう。いくら若くても、「20歳の大学生のときから読み始めて28年経って、いま48歳」ぐらいでないと話にならない。もちろん最適なのは島耕作(=弘兼憲史)と同じ団塊の世代だ。

 お笑い界にそんな世代はいないのか。年齢的には西川きよしだ。西川きよしは島耕作を読まないだろうし、読んだとしても中学を出てがんばって、24歳の時には家を建てていたと自慢するあのひとでは「島耕作」は楽しめないか(笑)。

 川島世代のお笑い芸人だからこそ他人事風に楽しめたと言えるのもしれない。一種の夢物語として。ま、あたらずとも遠からず、冬来たりなば春遠からじ。冬の来ない春はない。来週も「少年篇」を読まないと。

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【追記】──西原の「人生画力対決」 ──弘兼、柴門ボロクソ(笑)

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 過日、西原の「人生画力対決」の3と4を買って読んだ。もちろん1,2も持っている。
 これが連載されている「スペリオール」は「あずみ」終了以降読んでない。すっかり「雑誌派」から「単行本派」になってしまった。今回この「画力対決」はUstreamネット中継があると知る。まあそこまで関わる気もない。単行本だけでいい。

 「岳」の石塚真一が登場していて興味深かった。「ほんとは山マンガでなくJazzマンガが描きたい」のだとか。楽しみに待とう。その割りにはマイルスの画がへたすぎだったが(笑)。「岳」が高い評価を受けたので、書き続けることがきつくなっているのだろう。わかる心理だ。

 「画力対決」には登場しないのだが、パーティで顔を合わせた弘兼憲史が出てくる。西原は前から弘兼をボロクソに言っている。ついでに「こいつの女房(柴門ふみ)のマンガがまたつまらなくて」と、怖いものなし状態(笑)。ほんとすごいな、西原って。大笑いした。