隣の「人気記事」の下の方に「キリンビールCM──ラ党の人々」というのがあった。懐かしいので出かけてみた。
これを書くきっかけは明瞭に覚えている。神戸の友人Sが教えてくれて、YouTubeに見に出かけたのだ。 
記事を書いたのは2011年12月13日である。



1990年、キリンビールは、他社の生ビール(正しくは熱処理をしていないだけで生ビールではないが)ブームに押されて売りあげの落ちているかつての主力商品キリンラガービールを大々的に売りだすことにした。復活キャンペーンである。生ビールが出るまでは、ビールイコールキリンラガーだった。ビール商品全体の六割りぐらいを占めるガリバー型寡占企業キリンビールの屋台骨だった。

勝新太郎始め豪華な役者陣で、しかも演出はつかこうへいで、しかもしかもそれは「物語性のある連作CM」という凄いモノを、大金をかけて作ったのである。

それが全作出来上がり、いよいよ第1回の放映を始め、これから話題沸騰と思った矢先、勝が麻薬で逮捕され放映中止となる。キリンの被害額はたいへんなものだったろう。ふつうこういう不祥事が起きると広告会社との契約から芸能事務所に損害賠償が請求される。キリンもそれをしたのだろうか。当然したよな。とんでもない問題なのだから。億単位であろう。勝の死後、中村玉緒がしゃかりきになって働き、必死に返した勝の借金の中にそれは含まれていたのだろうか。



このCMの存在を大のつかこうへいファンであるSが教えてくれたことも、CMの中身も覚えていたが、いま驚いているのはそこにある《『文學界』9月号──つかこうへいの遺作「鯖街道」》というリンクである。これが書かれたのは2011年8月18日。なぜ自分の文なのに「これを書いたのは」ではなく、「これが書かれたのは」と他人事風なのかはこのあとのオチにある。

流れとしては、まず私がこの『文學界』のつか特集を読み、友人のSにそれを教えてやった。つか大好きの彼はすぐに購入して読んだ。そのあと彼が、このCMのことを私に教えてくれ、「CMのストーリィが『鯖街道』に似てますね」とメールをくれたのだった。

そのリンクをクリックして行ってみる。つかの遺作となった「鯖街道」を掲載した『文學界』を読み、その感想や、学生時代にすでに日吉キャンパスで伝説的演劇をやっていたつかの思い出や、彼の小説のこと、映画「蒲田行進曲」を見た思い出とか、あれこれ書いているのだが、その中身が知らないことばかりなのである。「へえ、そうなんだ」と感心しつつ読んでしまった。書いたのは私なのに(笑)。



なんだろう、これ。
一度読んだ本(映画)の中身を忘れていて、最後の最後あたりになってやっと、「これってむかし読んだ(観た)ことがあるな」と気づいたりするのは毎度のことなのだが、 いくらなんでも自分で書いたブログの文にそう思うか!? 惚けたのか!?

と真剣に悩み、考えれば、たしかに私はむかし「銀ちゃん」に関して熱心に読んでいたことを思い出す。それらの本はすべて処理してしまって、ない。いまの私の周囲には辞書類ばかりで小説はほとんどない。捨てられなかった筒井康隆とか藤沢周平とかで300冊ぐらいか。壁の四方が本棚で、本の数が自分のraison d'etreのように思い込んで生きてきたが、ある日、そんなことに何の意味があるのだと思い、一転して、親の仇のようにむきになって本を処理してしまった。 だから読書家だというピース又吉なんかのズラリと本を揃えた部屋が紹介されたりするのを見ると、いろんな意味で胸が痛くなる。

確実にひとつ悔やんでいるのは将棋雑誌だ。1970年代の「近代将棋」や『将棋世界』を取っておいたら、ここにもおもしろい古い将棋話をいっぱい書けたのに……。大江健三郎あたりの本を捨てたことには一片の悔いもないが。



そういう昔とった杵柄が『文學界』を読むことによって一気に噴きだしたのだろう。そこにあるのはたしかに本好きだった私の記憶であり思い出であり、私の考える「つかこうへい論」だった。読みかえし、感心し、しばらくしたら、やっと記憶が戻ってきた。思うままに書き、そこを離れた私はもう、それを忘れてしまうらしい。記憶にないのである。
真剣に悩み考えてもどうしても思い出せず、「なんなのだろう、これ!?」となったら、ほんとに惚けたのだが、考えるうちに、あれこれ思い出してきたから、まだだいじょうぶのようだ。それにしても、ほんの二年半前に書いた自分の文章を他人事風に感心しつつ読むというのは、なんとも奇妙な出来事だった。



しかしまあ前向きに考えればいいのだ。
テレビの映画を観て感激し、いい映画だなあと感想を書こうと思い、そのあたりでやっと「むかし見たことがなかったか。感想を書いてなかったか」とファイルを探したら、熱烈な感想を長々と書いていた、なんてことだってあった。そういうときは自分の記憶のいいかげんさを責めるのではなく、「二度感激出来てよかったではないか。儲けたではないか」と言いきかせることにしている。それと同じく、「自分の書いた文で感激できるなら一石二鳥だ(?)」と思うことにしよう。