タバコを喫おうが喫うまいが個々人のかってだが、こちらに食を提供するひとにだけは喫って欲しくない。というか、それはもう基本と思うのだが、世の中必ずしもそうではないようだ。
 タバコを喫うと舌の味蕾がぼろぼろになる。そりゃニコチンタールという毒物をひっきりなしに舌に塗っていたら荒れて当然だ。いかなタバコ擁護の愛煙家でも、あの「非喫煙者の味蕾、喫煙者の味蕾」という写真を見たら、味について大きな事は言えなくなるだろう。味を判別する味蕾がみな潰れている。味蕾があの様になっているひとが味について語っても意味はない。それは××が××を語るようなものだ。しかし今の世の中、とんでもない××が有名人になって言いたい放題しているようだから、それも成りたつのかも知れない。
 


shinya
 先日、インターネットでテレビドラマ「深夜食堂」を見た。好評らしいので、どんなもんかと覗いてみた。マンガは以前から読んでいる。テレビドラマ化されてマンガの売りあげも伸びたらしい。テレビの影響力はまだまだ大きい。東野圭吾の傑作「白夜行」が、小説ではなくテレビドラマとして認知されているのは悔しい。でも力関係はそんなものなのだろう。

 ほんのすこしだけだが、初めて見ての感想は「『深夜食堂』の舞台ってこんなに暗かったのか?」だった。マンガのほうは白い空間を活かした線の細いアッサリ味である。いわば「薄い塩味、透明スープ」。対してテレビドラマは暗い店内に店主の衣裳も暗く、「濃い醤油味、まっ黒け」のようになっていた。まあそれはそれで演出なのだろうが、マンガから想像していた『深夜食堂』とはずいぶんと異なっていた。逆にまた「白夜行」なんかもそうであったように、テレビで知ったひとが原作を読んだら、その相違に戸惑うだろう。



oishinbo
 私の読んだ食マンガで、食の職人はタバコ厳禁としているのが『美味しんぼ』と『将太の寿司』、料理人が喫煙するのが『味いちもんめ』と『深夜食堂』、料理人ではないが主人公が喫煙者なのが『孤独のグルメ』になる。

shouta
『美味しんぼ』と『将太の寿司』では、職人が内証で喫煙し、料理にヤニの臭いがうつってしまい、海原雄山や親方から厳しく叱責される回がある。煙草呑みは味覚と同じく嗅覚も死んでいるから自分では気づかないが、手にヤニのついた人間の作った料理は一発で判る。臭くて気持ち悪くて喰えたものではない。料理人として失格だろう。

 私が今まででいちばん惘れたのは、池尻大橋にあった寿司屋だった。カウンターの中で店主が銜え煙草で寿司を握っていた。すぐに出た。



aji
『味いちもんめ』はスマップの中居が主演してテレビドラマとしてもヒットしたらしい。見ていないし興味もないが、ただあの主人公の容姿は中居に似ているので、スポーツ紙で記事を読んだとき、いいキャスティングだとは思った。
 あのマンガは食マンガでありながら原作者が喫煙者だからか登場人物も喫煙する。休憩時間に花板の親方からしてあぐらを搔いてタバコを喫うコマがあり、以降は読まなくなった。どうにも我慢ならなかった。

 『深夜食堂』や『孤独のグルメ』の喫煙に文句を言う気はないので、五つのマンガで絶対的に否定するとしたら、この『味いちもんめ』になる。



shinya 『深夜食堂』も料理を作る店主は喫煙者だが、これはマンガのテーマが食と言うよりも店に出入りする客の人間模様だから、さほど気にならない。喫煙者の溜まり場のほうが自然だ。そういうものがあっても、いい。こういう物語の設定で店内が禁煙だったらかえっておかしい。そのことで料理人の店主の喫煙を許容するわけではないが、味なんてどうでもいい客のあつまりなのだ。そんなことにこだわったらこのマンガは楽しめない。



 同じくインターネットで見た「たかじん」で知ったのだが、アニメ映画「風立ちぬ」に喫煙シーンが多すぎる、こどもに悪影響を与えるとケチをつけた団体があったとか。こうなるともう気狂いの世界である。時代も状況も考慮していない。
 そのケチには「もらい煙草」に対するものもあったそうだ。あれは喫煙率の高かった当時の風習である。喫煙率の高い支那にいると、ちょっとした知りあいにしょっちゅう煙草を勧められる。そこいら中ケムくていやになるが、「一本どうですか」と勧められると、むかしの日本もそうだったなあと思い出す。当時を描いた作品に今の視点でケチをつけるのは意味がない。今の感覚で戦前を裁こうとするように。

 こういうヒステリックな抗議も、テレビだったらまだわかる。よく言われるようにテレビは「誰でも見られるメディア」だからだ。ポルノ解禁している国でもテレビはおとなしい。エロシーンも暴力シーンも制限されている。いちばんいいかげんなのが日本だ。その分、あちらでは有料であり限られた人々の見る映画での表現は自由になる。

 「風立ちぬ」の喫煙シーンにケチをつけた団体があると知ったとき、こんなもの誰だって気違い染みたヒステリックないちゃもんだ否定するはずだから、もしかしたらこの団体って、ウヨクのイメージダウンのために朝鮮人サヨクがニセウヨクになって暴れるように、ニコチンタール中毒者が嫌煙の流れに水を差そうと作った擬似の嫌煙団体ではないかと疑った(笑)。



 マンガ『深夜食堂』の店主が喫煙者であることは気にならなかったのだが……。
 ネットで見たテレビ映像に「タバコ喫っていいんでしょ」と問う老女の客に、店主の小林薫が灰皿を出しながら、「このごろタバコも喫いづらくなって」と応え、大箱のマッチをシュッと擦って自分もタバコに火を点けるシーンがあった。これもマンガでは読んでいる。この老女、じつは伝説のストリッパー、というオチになっている。
 そのシーンを見てイヤになってしまった。据え置き型の大きなマッチ箱からシュッと音を立ててマッチ棒を一本摺り、煙草に火を点けるシーンは小林の軽い見せ場なのかも知れない。テレビ画面からマッチの臭いがしてきた。やはり映像という動画は画像のマンガよりも強烈だ。ハッキリとマッチの硫黄の臭いが伝わってきた。

 これをふつうのドラマで見ても反感は抱かない。このシーンも、その前との繋がりがなければ平気だった。ところがその前のオープニングに、店主が料理を仕込んでいる映像があった。蒟蒻を指でちぎって鍋に入れている。煮ものを作っていた。あのヤニ臭い指でちぎるのかと、マッチの臭いまで重なってきて、それ以上見られなかった。あの煮ものはヤニ臭くて喰えたものではないだろう。10分ほどで視聴を辞めた。

 ここで「蒟蒻を千切る前に手を洗うよ」という喫煙者からの反論があるかも知れない。そりゃ当たり前だけど、そういうもんじゃないのだ。ヤニの臭味は躰に染み込んでいる。ヤニ中毒のあなたにはわからないだろうけど。ドラマとして、こちらにそう思わせてしまってはダメだ。自分のために料理するひとはいい。料理がヤニ臭くてまずかろうと本人は気づかないのだからしあわせだ。だが客に提供するひとは、手で触れた料理を出すような立場のひとは、喫煙してはならない。

 店主がマッチを擦ってタバコを喫うシーンと、指で蒟蒻をちぎって煮ものを作るシーンを、一緒に流すのだから、この番組の演出者は無神経である。たぶん喫煙者だろう。



kodoku
 同じくテレビドラマ化されて古いマンガ本が急に売れ始めた作品に『孤独のグルメ』がある。今、モデルとなった食堂には客が押し掛けているのだとか。なんだかね。時代は変るようで変らない。昭和30年代もインターネットの平成もおんなじだ。
 こちらは主人公が町で出会った定食屋の一品(のような食)について語ったりするマンガであり、主人公がうまそうに食後の一服をすることに文句はない。 私のこだわりは「作るひと」である。



 新宿ゴールデン街を舞台にしている『深夜食堂』のような店に私が行くことはないし、舞台設定から禁煙の店だったらかえって不自然だし、その他の作品についても、マンガやドラマという作り物にケチをつける気持ちはないのだが、タバコを喫うひとの作る料理は食いたくないという気持ちに変りはない。まして生物だったら絶対だ。指先のヤニの臭いは当人が思っているよりもキツい。躰の中に染み込んでいるタバコの臭いは決して取れるものではない。
 
 私は電車で隣にすわったひとが喫煙者であることが一瞬でわかる。あまりに臭い。生命力の強い若者だと、生命力がニコチンタールに勝っているのだろう、かすかに臭いだけだが(でもわかる。オーデコロンをつけている女でもわかる)、体力の衰える中年以降のニコチンタール中毒者は、吐き気をもよおすほどの悪臭を全身の毛穴から発散しており、それは腐った内臓からの死臭に思え、我慢出来ず席を立つこともしばしばだ。それがけっこう長距離の電車で、苦労して取った席だったりするとすこし悔しい。それでも立たずにいられないほど臭い。

 生の食材を扱う仕事をしていながらタバコを喫うひとは非常識である。それは嫌煙がどうの愛煙の権利がどうのなんてのとは別次元の話だ。