《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に、以下の文を追記。知名度について。

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百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

以下本論からすこし離れて「知名度」について。
私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかを知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている自信はある。智識とはそんなものである。

今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。
でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。どう考えても百田さんの落ち度だ。

でもそれでいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。