12月27日に『将棋世界』2015年2月号が届いた。例年、年明けの1月3日に書店で買っているのだが、今年は毎コミと通年契約をしたので年内送附となったようだ。ありがたい。正月の楽しみが増えた。
 そういえばこの契約は今年の3月にしたのだった。「4月から消費税が上がると『将棋世界』も高くなる。でも3月中に年間予約すると一年分今までの値段で契約できますよ」と将棋連盟のサイトで知り、毎月書店で手にするのにも独特のたのしみがあり、すこし迷ったのだが、やってみた。消費税アップ前にまとめ買いなんてなにもしなかった。増税を意識してやったたったひとつのことになる。



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 毎年2月号は決着した竜王戦特集。写真は今年2014年の2月号。渡辺の十連覇を阻止して森内が奪還したところ。もともと森内から奪って始まった渡辺の連覇だったから、きっちりケリをつけたことで、好ましい形だった。
 が、たった一年で糸谷に取られてしまった。2015年2月号の表紙はもちろん糸谷。特集も大々的に竜王戦のこと。ま、それはみなさんが読むこととして先を急ぐ。(ネットにはまだ来年2月号の画がないので引っ張ってこれない。私の手元に現物があるのだからスキャンして載せればいいのだが、そこまでして糸谷の顔を載せる気になれない。というようなことから、どうやら私は新竜王があまり好きではないらしい、と知る。やはりマナーのわるいひとは好きになれない。)



「羽生1300勝最速達成」を特集した記事がある。鈴木宏彦さんの犢柔瓩箸覆辰討い襦なぜ「文・鈴木宏彦」ではないのかちょっと不思議だ。たくさんの資料を編集部が用意して鈴木さんがまとめたってことか。この構成、というか鈴木さんの文章がとてもいい。 

 今まで1300勝を達成したのは、大山、中原、加藤のみ。羽生は4人目だ。大山が62歳、これまでの最速が中原で60歳、加藤は71歳なのに対して羽生は44歳。いかにすごいことか。
 最多勝記録は大山の1433勝。あと数年で羽生がこれを追いぬくのはまちがいない。

 が、私がこの鈴木さんの構成に感激したのは、大山の時代にきちんと触れ検証しているからだ。一見、驚嘆の最速記録を作った羽生を讃える記事だから、羽生讃歌になりがちだが、そうではないのである。「今と同じような時代だったら、大山は1700勝していただろう」とある。前前からそう思っていた。単純に比べられるものではない。そこに踏みこんでくれた。痺れた。すばらしい。



 その前に自分の将棋歴を書いておくと、私は、「大山対中原」の時代に将棋に夢中になった。並べ方もあそび方も小学三年生の頃から知っていた。いわゆる無筋の将棋をともだちとやっていたが、あれは将棋ではなかった。きちんと勉強して夢中になった大学生時代が将棋青春になる。「大山対中原」の時代だった。イコール「振り飛車対居飛車」である。
 大山さんの本も中原さんの本もずいぶんと買って勉強した。いまもある。しかし大山の凄味と深さは受けにあり、素人がわくわくするものとはちがっていた。むしろ彼の盤外戦術まで駆使する勝負師としての気魄は嫌いだった。それと、若い頃の大山さんはなんでもやったらしいが、私が知った頃はもう振り飛車ばかり。それも四間飛車がほとんどだった。守りの金が角頭の護衛に進出して行く6七金のような受けの妙手で玄人を唸らせるものの、素人にはあまりたのしい将棋ではなかった。

 こんなことを書いて行くとまた果てしなく長くなるので急いで結論を書くが、言いたいのは、私は大山さんの熱心なファンではなかったということである。でも何冊も著書を買っているからアンチでもない。升田ファンのアンチ大山は大山さんの本を買ったりはしない。アンチではないが、振り飛車なら大内さんのほうが好きだった。大内振り飛車はわかりやすくスマートでかっこよかった。大内さんの本もたくさんもっている。
 最高に衝撃を受けたのは光速の谷川であり、自分で創った定跡を自分で壊しに行くようなオールラウンダーの羽生将棋だった。大山さんの時代は新手は隠していて見せない時代である。大山は、「妙手を出して勝った四間飛車を、次の対戦では居飛車側を持ち、その妙手を自ら超えに行く」というようなことはしない。敵がそれを凌駕し、妙手が新手が通用しなくなるまで、それを使う。でもまあこれは常識だ。どんな棋士もそう。そんなことをする羽生が凄すぎるのである。だから羽生は将棋の求道者なのだ。対して大山は「勝負師」であろう。
 私は、「大の羽生ファン、大山将棋はむずかしくてよくわからん、あまり好きではない」という立場である。だからここに書くことは、大山ファンが「よくぞ大山先生の偉業に触れてくれた。羽生なんかより大山先生のほうがずっとすごいんだ」ではない。羽生ファンで、あまり大山将棋を好きではない私が、だからこそ「よくぞその視点で踏みこんでくれた」と感激しているのだ。



 羽生が最速で1000勝を達成し、タイトル獲得数で大山を抜き、大山の最多勝を抜くのも時間の問題のように讃えられるほどに「でも時代がちがうだろ」と強く思った。同じように語れるものではない。それは誰のファンかとはちがう客観的な視点になる。大山の全盛時に七冠があったら、大山は楽々とそれを達成していたろう。当時と今ではタイトルの数も対局数もちがう。大山は特別だ。69歳で亡くなるまでA級に在位し、53歳で56勝、66歳で24勝しているひとなのである。まさに衰え知らずの怪物である。

 図は、年度対局数と年間勝ち星のベスト10。ともに大山は入っていないがメンバーと時代を見れば理由は一目瞭然。大山全盛時にいまと同じ対局数があったら絶対に入っていた。

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 2月号の特集では、鈴木さんがきちんとそこに踏みこみ、大山の勝ち星は二十代の時より五十代のほうが多いこと等を検証している。これは大山の五十代が二十代の時より強い、とは意味あいがちがう。大山が二十代の頃は闘う場がすくなかったのである。当然ここから「もしも大山の二十代に今と同じぐらいの対局があったなら」となり、その假定から鈴木さんは「大山は1700勝していた」と推論する。強く納得する。激しく同意。2ちゃんねる風に言えばハゲ同である。

 結びは、「羽生もやがて通算勝率7割を切り」となり、「70歳まで現役なら1900勝が可能」「それでこそ真に偉大な羽生」としている。強い棋士が五十代半ばで一気に弱くなり凋落して行く姿をいくつも見てきた。中原も米長もそうだった。谷川は五十前に弱くなった。羽生はどうなるのだろう。そういうことを思うほどに、大山の偉大さを思い知る。



 と、どうでもいい自分のことを書いたりして多少よたよたしたが、言いたいのは、「『将棋世界』2月号の羽生1300勝を讃える記事は、きっちりと大山の凄味も検証していて、とても良く出来ている」という話。

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【追記】──私の大好きな羽生の記録──名誉NHK杯 ──2015/1/8

 これはサイトの将棋の項目にも何度か書いているのだが、羽生がNHK杯戦を10回優勝し、初の「名誉NHK杯選手権者」になったときはうれしかった。もしも大山さんが御存命だったとしても、これにはすなおにまいったしたはずである。

 NHK杯戦が始まったのは1951年(昭和26年)。ラジオ放送である。『将棋世界』で当時の写真を見たことがある。スタジオで指すのをラジオで実況するのだ。このとき参加者は8名。大山さんは前年に「九段戦──十段戦、竜王戦の前身」ですでに優勝し参加している。優勝者は木村名人。大山さんの初優勝は1954年。すでに肩書は名人になっている。翌年も優勝し、初の連覇を成し遂げる。

 最多勝に関しては「時代がちがう、対局数がちがう」と言える。しかしNHK杯戦はむかしからあった。今年で64回目のこの棋戦で、羽生が10回優勝なら、大山さんはここでも20回ぐらいしていなくてはならない。まして開始初期は8人だけの参加、それから16人の時期も長い。いまのような多人数のものではない。でも8回しかしていない(いやそれでも61歳でも優勝しているからとんでもなくすごいんだけど)。羽生の優勝10回はすべて予選制度も取りいれられた全員参加になってからのものである。より価値が高い。NHK杯戦のような早指しに関しては、確実に「羽生は大山より上」と言いきれるだろう。

 大山、中原と比して名人在位が短く、永世竜王もまだの羽生だが、この名誉NHK杯は、ほんとに自慢できるすばらしいものだ。それにしても「10回」とは、NHKもずいぶんと敷居を高くしたものだ。もしも5回なら、大山、加藤、中原が達成していて、羽生は4人目だった。いつまでたってもひとりも出ないことに、「ハードルを高くし過ぎたのではないか」なんて反省も内部にあったかもしれない。しかしそれを羽生は見事に飛びこえて見せた。しかも四連覇での達成である。予選からある早指しのトーナメント戦で四連覇は絶対的な偉業だ。早見え能力は齢とともに劣化すると言われるが、羽生にそれはないようである。現役でこれに続くのは、佐藤、森内の2回だから、「名誉NHK杯」こそ、羽生だけの唯一の冠になるような気がする。