河口俊彦七段(78歳)が、2015年1月30日(金)午後5時18分、神奈川県横浜市の菊名記念病院にて腹部大動脈瘤のため、死去いたしました。
また、同日付けで八段を追贈することになりました。

将棋連盟ホームページより


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 2015年2月3日5時49分、将棋連盟のホームページで知った。おどろいた。まったく予期していなかったことなのでおろおろしている。もっともっと河口さんの文を読めるものと思っていた。いちばん好きな将棋作家だった。河口さんは闘病していたのだろうか。だって昨日届いた『将棋世界』3月号の「評伝 木村義雄」を読んだばかりだ。これは昨年内に書かれたものだとしても、すくなくとも長い期間闘病していたわけではないだろう。なんとも残念だ。長いあいだありがとうございました。河口さんの本でどれほどドキドキワクワクさせてもらったことでしょう。ご冥福をお祈りします。



 Wikipediaから河口さんの著書一覧を引いてみる。

『つよくなるぼくらの将棋入門』(1981年、新星出版社)2000年再版 ISBN 978-4405065314
『勝ち将棋鬼のごとし プロ将棋の勝負師たち』(1982年、力富書房)ISBN 978-4897760049 - 初期(昭和52年度〜)の「対局日誌」
『のこぎり詰 伊藤宗看の将棋無双より』(1983年、山海堂)ISBN 978-4381006097
『けむり詰 伊藤看寿の将棋図巧より』(1983年、山海堂)ISBN 978-4381005960
『勝負の読み方 第40期将棋順位戦より』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760148 - 昭和56年度の「対局日誌」
『決断の一手 第42期将棋名人戦各級順位戦』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760155 - 昭和58年度の「対局日誌」
『勝機を待つ 第43期将棋名人戦各級順位戦』(1985年、力富書房)ISBN 978-4897760179 - 昭和59年度の「対局日誌」
『勝因と敗因 第44期将棋名人戦各級順位戦』(1987年、力富書房)ISBN 978-4897760285 - 昭和60年度の「対局日誌」
『プロ将棋ワンポイント講座』(1987年、力富書房)ISBN 978-4897760292
『将棋対局日誌集』(1990年、力富書房)ISBN 978-4897767116 - 昭和52年度〜昭和60年度の「対局日誌」
『一局の将棋一回の人生』(1990年、新潮社)ISBN 978-4103772019 のち文庫(1994年10月)ISBN 978-4101265117
『将棋界奇々快々』(1993年、日本放送出版協会)ISBN 978-4140801161 のちNHKライブラリー(1996年10月)ISBN 978-4140840412
『覇者の一手』(1995年、日本放送出版協会)ISBN 978-4140802243 のちNHKライブラリー 
『人生の棋譜 この一局』(1996年、新潮社)ISBN 978-4103772026 のち文庫 ISBN 978-4101265124
『新・対局日誌』(全8集、河出書房新社) - 昭和61年度〜平成3年度、平成6年度〜平成7年度の「対局日誌」
第1集 二人の天才棋士(2001年4月) ISBN 978-4309614311
第2集 名人のふるえ(2001年6月)ISBN 978-4309614328
第3集 十年後の将棋(2001年9月)ISBN 978-4309614335
第4集 最強者伝説(2001年12月)ISBN 978-4309614342
第5集 升田と革命児たち(2002年4月)ISBN 978-4309614359
第6集 大山伝説(2002年6月)ISBN 978-4309614366
第7集 七冠狂騒曲(上)(2002年9月)ISBN 978-4309614373
第8集 七冠狂騒曲(下)(2002年12月)ISBN 978-4309614380
『大山康晴の晩節』(2003年、飛鳥新社)のち新潮文庫 ISBN 978-4101265131 、のちちくま文庫 ISBN 978-4480431271 
『盤上の人生 盤外の勝負』(2012年、マイナビ)ISBN 978-4839943899
『升田幸三の孤独』(2013年、マイナビ)ISBN 978-4839946456
『最後の握手 昭和を創った15人のプロ棋士』(2013年、マイナビ)ISBN 978-4839949990
『羽生世代の衝撃 ―対局日誌傑作選―』(2014年、マイナビ)ISBN 978-4839951405 



 河口さんと言えばなんといっても「対局日誌」だ。あれが切り開いた将棋文章の意義は広く深い。そのあとを同じような形で何人かの棋士が継いだが、河口さん以上のひとは誕生しなかった。若い頃から文才で注目されていた先崎だけど、すくなくとも「対局日誌」に関する限り、河口さんのそれと比べるとはるかに落ちる。 というか、あれは先崎のような現役バリバリの若手棋士が書くものではないのだろう。つまり、書けるひとだからと先崎を起用した企画ミスだ。といって年輩のひとが書いたのも、河口さんと比すとつまらない。それは文章力とかではない。目の付け所だ。河口さんは、独自の繊細な譬喩、他の追随を許さない多彩な表現、そんなタイプで光る文章家ではなかった。ごく淡々と目の前の対局の事実を書いていて、でもそれがたしかに「他の追随を許さない」のだった。やはり名人である。

 年齢制限ぎりぎりの三十歳でやっと四段になり、長いあいだその自慢にならない「最年長記録」をもっていた河口さんは、棋士としての実績は残していない。しかし将棋文筆家としては名人だった。そしてそのふたつのあいだには、きっと関係がある。「名選手名監督ならず」と同じように。



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 『覇者の一手』(1995年、日本放送出版協会)『人生の棋譜 この一局』(1996年、新潮社)は何度も海外に持参して読んだ。外国で読む将棋本は味わい深い。異国の地で、異国語の飛びかう中で、異国料理を食しながら、将棋本を読む。この快楽。

 将棋本の利点は「長持ちすること」だ。どんなにすぐれた小説でも、海外で何度も読むことには耐えない。「好きな作品で何十回読んでもあらたな発見がある」なんて作品も、そういう読者もあるのだろうけど、私にそれはない。大好きな好きな作品で、生涯に何度も読み返すとしても、一ヶ月の海外滞在なら一度で充分だ。つまり「一冊で一回」である。その点、将棋本は、文章と共に「棋譜」がある。最初は棋譜を深く検討はせず、河口さんの展開する猜語瓩鯡しむ。次には棋譜を読みつつ愉しむ。その次は、棋譜に没頭する。「ここで大山が投げた」とか、「ここで投げる升田の美学」なんてのも、弱いアマのこちらからは「なぜここで投げるのか!?」を考えるだけで難問である。升田は投げたのにこちらの気力では勝っているように見えたりする。懸命に考える。「ああ、なるほど相手の勝ちか」と解る。しかしそこでまた「でもここでこうやったらどうなるんだ!?」と思う。よって一冊の本で何度も何度も楽しめる。旅行に持参できる冊数は限られている。将棋本はいい。1冊で5冊分の価値がある。「覇者の一手」は新書判なので旅行向き。「人生の」は文庫版を持っていった。さすがにハードカバーを持参する餘裕はない。と書いて思いだした。「棋譜」というのは異国人の興味を引くものらしい。いくつもの国で多くのひとに、「それはなんだ」と覗かれて問われた。

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 上記2冊と『大山康晴の晩節』が私にとっての河口作品ベストスリーになる。ナンバーワンはこれだろうか。あの大名人大山の晩年の落日が、いや落日とはいえ最後の最後まですごいひとなのだけれど、癌で体力が落ちて、ちいさく萎むことによって、最強のボス猿が自ら裏山にひとり去って行くかのような、道の真ん真ん中からそれてゆく姿が、なんともせつない寂寥となって胸に突きささってくる。

 そのあいまに挟まれる当時のエピソード。大山対升田の時代。朝日主催の名人戦。朝日の嘱託であり朝日派の升田が勝つと本社から幹部まで駆けつけての大宴会。大山が勝つと本人と関係者だけのひっそりとした打ちあげ。それにじっと堪える大山。朝日嘱託の升田と毎日嘱託の大山という新聞社同士の角逐でもある。大山はひたすら勝つことによってそういう流れをひっくり返してきた。つよいひとだ。
 升田勝利の瞬間、盤側に駆けつけた升田贔屓の五味康祐の無礼に対しても大山はじっと耐える。そのときの記録係は河口三段。級の時から関わっている。だからこそ「河口さんの書く大山」はおもしろい。

 大山対中原の時代。当人と関係者がゴルフコンペをして汗をかく。汗を掻いたまま、風呂には行かず宴会にしようと大山の提案。誰もが汗を流したいが王者の意見に逆らえない。宴会場に向かう。そこにすこし遅れてやってきた中原。「あれ、どうしたの。先にシャワーを浴びましょうよ」。浴びたかったみんなはほっとして風呂場に向かう。取り残される大山。絶対王者大山の足もとが崩れてゆく瞬間。犲磴太陽畸羝兇蓮大山を猖棉瓩砲靴討靴泙辰拭
 大山打倒を宿願として喧嘩腰で挑んだ山田道美八段。あの「暗くしなさんな!」を知っている身には、この「シャワー話」なんてのは冒険活劇を読むよりもわくわくする。それは単なる事実かも知れないが、おもしろせつなく読ませてくれるのは河口さんの藝だ。
 なお『大山康晴の晩節』は、飛鳥新社の単行本が装丁がよくて最高だ。読んでみたいひとにはちくま文庫ではなくこちらを推薦する。



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 もう一冊、「盤上の人生、盤外の勝負」もいい。ここにある米長は魅力的だ。私は「対局日誌」のような現在進行形的なものより、こういう河口さんがじっくり腰を据えて書いたものが好きなようだ。と他人事風な書きかただが、いま書いていてあらためて気づいた。「大山康晴の晩節」がいちばん好きなのはそういう理由なのだろう。



「覇者の一手」は羽生七冠の話、まだ達成前のその道のりが中心だ。そのあとに達成してからの本格的な「七冠狂騒曲」がある。あの達成の翌朝、スポーツ紙の一面を飾った。いろいろ買って今も保存している。将棋ファンとして誇り高かった。「冒険活劇的わくわく」なら、こちらのほうがありそうだ。なんといっても前人未到の「七冠独占」なのだから。だが、なんかこちらは羽生のあまりの万能ぶりもあり、RPGのよう。たしかにラスボスクリアの快感はあるが……。時代劇的な、あるいはシェークスピア劇的なわくわくどきどきは、なんといっても「大山」だ。

『羽生世代の衝撃 ―対局日誌傑作選―』(2014)年はまだ読んでいない。明日にでも買ってきて、読みつつ、河口さんに献盃しよう。私は人後に落ちない羽生世代のファンであり、それを綴ったものでも河口さんがいちばんだと思うが、でも河口さんの最高の魅力は、やはり升田大山中原の時代を語るときだと感じる。



 結果として絶筆になってしまった「評伝 木村義雄」には、(以前にも読んで知っているエピソードではあるが)、坂田三吉の凄味をまだよくわかっていなかった河口さんが、坂田を外連からのみの評価をした文を書いたら、それを読んだらしい升田に「くだらんことを……」のようにボソッと言われる部分がある。被差別部落出身の坂田は文盲であり、将棋駒の文字すら読めなかった。独創の阪田流向飛車や伝説的なあの端歩を始め異能の人だった。それを外連ととった河口さんの姿勢はまともだろう。だが升田はそこにもっと奥深い凄味を感じていた。それを書くことによって升田が光る、また時代の向こうから坂田も光量を増す。その絶妙の価値、意義。河口さん、最高だ。
 先月号あたりから私の好きな狹通梢佑登場している。「勝つことはえらいことだ」の塚田さんだ。完結まで読みたかった。河口さんも心残りだったろう。

 河口さんの死を予期していなかったので、まだうろたえていてまともな文が書けない。時間を掛けてまた直したり足したりしよう。それでも、1月30日に亡くなった河口さんの訃報が将棋連盟サイトで発表されたのは「2月2日午前11時」のようだから、一日遅れだけど、大好きな河口さんに捧げる文章を自分のブログに書けたことをうれしくおもう。
 河口さん、やすらかに。