バカサヨクは気に入らないことをなんでも政府のせいにする。それを高邁な意見と思い込んでいる。論理の矛盾を突かれると他人のせいにして逃げる。いま話題の、カヤマリカというバカサヨクの「ツイッター乗っ取られ事件」なんてインチキ話もそれになる。

 以下の文は、5月3日に行われた競馬・天皇賞観戦記の一部。無料ブログ文。こんなもので金をもらえるほど世の中は甘くない。読むにたえないヘタクソな長文は脱線し、結びは、1番人気キズナが負けたのは、「政府と民衆のあいだに絆がなかったからかも」というこじつけとなっている。バカサヨクもここまでくると嗤える。だが彼らはこういうことを悦に入って書いているのだ。救い難い。救わないが(笑)。「だったのかも知れない」「言えないこともないだろう」という気弱な結びが憐れだ。



(前略)

ホームストレッチ。
もはや私には、馬群から先に抜け出した蛯名正義カレンミロティックにも、ゴール前に急追した北村宏フェイムゲームにも(気づいて見れば共にハーツクライ産駒だった)、眼線は行かなかった。ただただ横山典弘ゴールドシップを見つめていた。

武豊キズナの惨敗は、推測していた通り、おそらく距離適性なのだろう。或いは、現憲法を恣意的にないがしろにする政府と、多数の民との間には、もはや絆など持ち合えないという時代の反映だったのかも知れない。憲法記念日の天皇賞なればこその結果と言えないこともないだろう。

(後略)



・現憲法を恣意的にないがしろにする政府

・多数の民との間

・もはや絆など持ち合えないという時代の反映

なればこその結果と言えないこともないだろう。


 う〜む、よくぞここまでヘンテコな文が書けるものだ。感心する。ま、このひとはむかしからぜんぶこんな感じなんだけど(笑)。そのヘンテコな文とキズナの天皇賞敗戦がつながるらしい。なんじゃそりゃ。ほんとは全部掲載して嗤いたい。上にあるような「妙にひねくった、なにが言いたいのかわかりにくい表現の連発」である。かなり嗤える。ナンクロなんかやるよりこのひとの文の、「この主語は、どの述語と繋がるのか!?」「この部分はなにを形容しているのか!?」を考えるほうがよほど頭を使うよ。クイズ好きは読んでみて。といってURLは貼らないけど。

<きっこ>と名乗る女の振りをしている団塊世代のオヤジが、毎日毎日あれもこれも安倍晋三のせいと狂ったようにツイートしているが、これも同じレベル。恥ずかしくないのだろうか。

 この一見かっこつけたわかりにくいヘタクソな文章は、あの戦勝国押しつけ憲法のわかりにくい文に酷似している。あんなもんを支持するぐらいだから、こういう回りくどいわかりにくい文章が好きなのだろう。溜め息が出るぐらい下手だ。



 競馬マスコミ関係者にはサヨクが多い。団塊の世代のサヨクが就職先として流れこんだのが大きな要因だが、元々朝鮮人や部落出身者が多い世界であることが根源的な理由になる。体質的に反体制なのだ。厩務員ストなんて国鉄並だった。競馬界は、 ヤクザや芸能の世界と同じく「そういうひとたちの分野」なのである。先人がそういうひとたちなのだから、後に続くひとも、そういうひとたちになる。芸能界と同じ。私もいつしか三十年関わってしまったが、同じ保守派思想の競馬ライターとは今までにひとりしか出会っていない。対して上の文を書くようなバカサヨクはすぐに二十人、三十人思いつく。もしもあなたが競馬好きでそれなりに競馬有名人を思いつくとしよう。彼らの90%は──ほんとは100%と言いきりたいが希望を込めて90%にする──護憲派である。あの醜悪な憲法もどきを崇拝している。上のような切り口の文は稀有ではない。そしてもちろんみな親中、親韓であり、自虐史観に染まっている。よって「朝鮮人は嫌いだ」なんて言ったら、嫌いと言ったことを批判される以前に「チョーセンジン」なんてことばを口にしたことにより一斉に白い目で見られる。見られた本人がいうのだからまちがいない(笑)。

 さすがに名のあるひとはそのへんのことは商売上抑えているが、二年前、柏木集保が上の駄文と同じように、ネット上でのレース回顧文で、レースや馬と結びつけて「世界に誇る平和憲法」という表現をし、護憲派カミングアウトと話題になった。どうやら競馬ライターはレースと憲法を結びつけるのが好きらしい。しかも底が浅い。あきれるほどヒダリがかった世界である。しかしそれにしても上の文はあまりにバカ文だ。

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【追記】──友人の感想──競馬ファンの視点

 ここを読んだ友人がメールをくれた。私は元文のURLを載せなかったが、掲載した一部分から検索してたどりついたらしい。したことがないので知らなかった。そんなこともできるのか。便利な時代だ。


これは本当にひどい観戦記ですね。「距離適性」のあとに唐突に「憲法」とか「政府」とか、組み合わせが無茶苦茶です(笑)。本人は「憲法記念日の天皇賞」という視点でうまいことを言ったつもりなんでしょうけど、そのことでさんざん持ち上げたゴールドシップやノリの価値をも下げてしまっていることに気づいていないのがなんとも滑稽です。
検索して全文を読みましたが、なるほど全体的にわかりにくい文章でした。冒頭の「たった1頭の馬が」がどこにかかっているのかも、すぐにはわかりませんでした。「それだけの価値ある騎手なのだから・・・」という締め方も、別に文中で苦言を呈したわけではなく絶賛したのですから、なにかおかしな感じでした。


  友人は大の競馬ファンであり、政治的にはニュートラルなひとである。だから自民党も民主党も護憲も改憲も関係ない。そういう彼がこの文に不快を感じるのは、「競馬を語るのに、そんなことをいれこむな」という感覚からだろう。彼が指摘しているように、あんなオチをつけたのでは、それまでもちあげていたゴールドシップと横山がどこかに行ってしまうのだ。してはならないのである。競馬の観戦記にそんなことを絡ませてはならない。基本だ。鉄則である。そこに気づかないからバカサヨクなのだ。だがサヨクにとっては、長文の観戦記と同じぐらい最後の二行が大事になる。アンチ安倍、アンチ自民党の彼は、キズナの敗戦を「政府と民の間に絆のない時代」に結びつけたとき、充足感に包まれニンマリしたことだろう。あほらしい。