日が長くなった。夕方は18時半になってもまだ明るいし、今朝はまだ6時前なのに眩しいほどの陽光がふりそそいでいる。

 いまBGMは「Jazzで聞くクラシック」。ドビュッシーの「夢」、グルックの「精霊の踊り」が流れている。

jazz classic



 昨日、バイト仲間のHさんというかたと知りあった。私より5歳年長。グループサウンズ(笑)の話がきっかけとなり、音楽話に花が咲いた。年輩者なのに休憩時間にはずっとイヤフォンを耳にしているので、なにを聞いているのですかと問うたのが始まりだった。いま小型mp3プレイヤをシャツのポケットに入れ、あれこれ聞きまくっているという。いわゆるオールデイズをYouTubeからDownloadしてためこんでいるらしい。パソコンは初心者だが娘に教わってそれぐらいは出来るようになったとか。

 Hさんの音楽好きは学生時代までで、就職してから定年までまったく音楽に接しなかっただそう。40年間の空白を経て、いままた音楽に夢中になった。懐かしの50年代、60年代のオールデイズを聞きまくり、いまそれまで知らなかった70年代ロックに燃えているのだとか(笑)。「KISSはいいですねえ」と言っていた。どういう趣味なのだろう。これから80年代、90年代と追及して行きたい、もっともっと音楽を知りたいので、自分の知らないことを教えてくれと言われる。いま何を聞いているのかと問われたのでASUS MeMO Padに挿れているSmooth Jazzを聞かせた。Earl Klugh。すると、「すごく音がいい、これと比べたら自分のは音楽じゃない」とのこと。ASUS MeMO Padの音はたいしたことはない。iPhoneよりはいいとしても(笑)。まったく、音のいいWalkmanがiPodに惨敗したのだからこの種のものは音質よりも宣伝とイメージなのだ。ASUS MeMO Padの音に感激したのだからHさんの音はそうとうよくないと思われる。そもそもソースのYouTubeがよくないのか。mp3もUSBメモリタイプの安物なのだろう。イヤフォンも関係あるか。ASUS MeMO Padの音はたいしたことないが、私の場合、ステレオイヤフォンはいいものを使っている。ともあれ音楽に関してはHさんに一目置かれた。



 仕事のあと、喫茶店に誘われて話しこんだ。喫茶店文化と縁が切れて長い。若いときはハシゴまでしたものだが……。
 Hさんは喫煙者なので、タバコを喫える店を探すのに苦労していた。場所は吉祥寺駅前。いまは禁煙の店が多いようだ。ある店──有名なチェーン店なのだろうが興味がないので名前を忘れた──に3フロアあり、その三階が喫煙席だった。そこに入る。

 私はひとに意見するタイプではないが、Hさんのノートパソコンは、OSのあるCディスクだけのようなので、パーティションを切ってデータ用のDディスクを作ったほうがいいですよと伝えた。いまのままだとOSがクラッシュしたときに、せっかく集めた音楽データも消えてしまう。Dディスクを作っておけばOSクラッシュとは無縁である。思えばWindows95のころから、このことだけは熱心にやってきた。Hさんは、HDDにパーティションを切るというあたりはまだチンプンカンプンのようで、すこし難しすぎたようだ。三ヵ月に一度帰ってくる娘に教えてもらうと言っていた。娘さんからもらって覚えたノートパソコンのようだ。

 じつはこのあとおもしろい展開になった。それはまた後日書くとして先を急ぐ。
 Hさんとの話がたのしかったたので、昨日の晩酌は奮発して、うなぎの蒲焼きで菊水ふなぐちを開けた。私のようなのが喰える蒲焼きはスーパーで売っている程度のものだ。しかしそれでも高い。安いのもある。でもそれは中国製。パソコン部品、衣類、文房具等、中国製品と完全に縁を切ることはもう不可能だが、それでも食い物だけは口にしないようにしている。アブナイからだ。日本製は中国製の倍の値段だから、たかがスーパーの蒲焼きでも、私にとっては贅沢になる。気持ちよく酔って就寝。

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 いつも21時就寝、3時起きなのだが、昨日はHさんとの喫茶店があったので時間がずれ、23時就寝、今朝は5時起きになってしまった。
 PCを起動すると、このブログに掲載しているアドレスにメールが届いていた。これまた偶然に同じ苗字のHさんから。

 Hさんは私が「亀造競馬劇場」という競馬小説本を出したときに手紙をくれたかただ。何度か手紙のやりとりをした。手紙のやりとりがもどかしかったのか、Hさんに「パソコン通信をやってみませんか」と誘われたことを思い出す。Hさんはすでにやっていた。私もパソコン好きだからそれは知っている。しかしこのブログにも何度か書いているが、私は見知らぬひとと知りあうことに興味がない。ましてそういう場でのディベートなんて大嫌いだ。当時から競馬関係のそれは充実していて(それだけリクツ好きが多いジャンルなのだろう)、理想の血統等をああでもないこうでもないとやっているのを知っていた。係わりあいたくない。私はパソコンと電話線を繋ぐことを嫌った。私のパソコンはスタンドアローンでいい。いまじゃもうインターネットと繋がっていないとactivationが出来ず、購入したソフトを使うことすら出来ない時代になっている。インターネットの便利さは計り知れないが、インターネットのなかった時代のパソコンもまたいとおしい。「パソコン通信」というコトバから、いつの時代の話かがわかる。

 そのHさんが、私のこのブログを偶然見つけ(どのようにして見つけたのかはまだ聞いてない)メールをくれたのだ。20年ぶりか? いまバンコク在住だという。たしか静岡のかたと記憶しているが。なにがあってバンコクに?

 気持ちのいい昨日の夕に続いて、気持ちのいい今日の朝になった。



【追記】──バンコク在住となったHさんが、最近はすっかり競馬とは疎遠になっていると書いていたので、JRAのサイトにある私の文章「競馬クロニクル」「競馬を愛した人々」「名馬の肖像」のURLを紹介した。その日、早速読んでくれたらしく、ひさしぶりに読んだ私の競馬文章がなつかしく、とてもよかったと感想をくれた。うれしかった。

 さて、バンコクのHさんにこれからメールを書き、日本のHさんから聞いたおもしろい話をネタとしてブログに書こう。

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 【追記.2】──なんときっかけはあのniwatoriK1だった!──2015/05/29

 その後、バンコクのHさんとなんどかメール交換をしている。なにしろ20年ぶりだからお互い報告しあうことは山とある。過日どんな経緯で私のブログを知ったのかを問うてみた。すると予想外の返事が返ってきて、おどろいたのなんのって(笑)。

 タイに惚れ、料理技術も学んで、日本でタイ料理店を出すまでになったHさんは──、と、ここから書き始めるとHさんとはタイ繋がりと誤解される。最初から書いておこう。

 Hさんは競馬好きのミュージシャンだった。私の出した競馬小説を読んで、出版社気付で手紙をくれた。それに返信して交友が始まった。まだ会ったことはない。手紙だけのやりとりである。始まりは競馬だった。20年前、Hさんとの手紙のやりとりにはタイのタの字も出て来ない。

 交友が途絶えているあいだに、Hさんの人生は激変し、タイに惚れ、タイ料理店を経営するまでになっていたのである。その店を畳んでタイにわたり、いまはバンコクで仕事をしている。今後も帰国するつもりはないという。Hさんに会うためにはタイに行かねばならない。う〜む、いい口実が出来たな。



 当時からタイ関係のネットでは「よくもわるくも」有名だったTというのがいた。タイに惚れこんだHさんもその名は知っていた。あまり好印象はもっていなかったようだ。そのTとやりあっているサイトがあると知る。行ってみた。テーマを読む。ここでそのTに関する記事だけで終っていたら今回のHさんとの交友復活はなかった。そこに「管理人のサイト」がリンクしてあった。ほんの気まぐれだったのだろう、その「管理人のサイト」をクリックしてみた。 それがこのブログ【木屑鈔】だった。そこでHさんはやっと、Tとやりあっているサイトの管理人が、20年前に何通かの手紙のやり取りをした私だったと知るのである。かなりおどろいたらしい。私もこれを聞いておどろいた。まさかniwatorik1がきっかけだったとは。

 Hさんはもちろん私の名前を知っているから、私の名で検索すればすぐにこのブログにたどりつく。バンコクの気怠い午後、ふとむかしなつかしい私の名を思い出し、検索してここにたどり着いたとばかり思っていた。つまり私がHさんに問うた「どんなきっかけで?」は、「どんなきっかけで突如私の名を思いうかべたのですか?」だった。ところがHさんからの答は予想外のものだった。T関係で読んでみたサイトの管理人が、偶然にも私だったのである。それがHさん側の「きっかけ」だった。この偶然にはおどろくよねえ。

 ハッキリ言ってこのTというのを好きなタイ好き日本人はいない。Hさんも好きではない。でも最新のメールで、「それがきっかけで交友復活ですから、あいつにも価値はありましたね」と笑っていた。 



 この「niwatorik1──木に登った豚を狙撃する」というサイトは、タイに興味のあるひとにはかなりおもしろいサイトなので、ぜひ読んでみてください。

 もうひとつ私としては、「日本語」や「学歴」に興味あるひとに読んで欲しいと思っています。日本語がまともでないのが外国語(この場合はタイ語)を話せるようになり天狗になると、いかに滑稽なことをするか、学歴コンプレックスのあるのが異国の大学院にうまくもぐりこんだりしたら、いかに高慢で増長することか、おもしろいですよ。
 そしてそこに集った真にタイ語能力のあるひとたちの含蓄に富んだ意見は勉強になります。私にとって最大のよろこびはそれでした。

 始まりが2005年11月なので、もう10年になるのですね。早いもんだ。私は30人ほどの友人を対象にひっそりとサイトをやっていたように、見知らぬひととの出会い、他者との論争を好みません。「売られた喧嘩は買う」ではなく、とにかくケンカを売られないようにおとなしくしていました。でもいるんですね、世の中にはそういう私にもケンカを売って来るひとが。このTというのがそうでした。逆探知?して私のサイトまできて、文を読んだようです。そして逆上し、自分のサイトに私のそのひっそりサイトのURLを貼り、「おれさまにケンカを売ってきたこんなバカがいる。徹底的に叩いてやる」と始まったのですね。ことここに到っては私も買わざるを得ませんでした。そのことはこのサイトの「戦端」に詳しく書いてあります。でもあまりに程度の低いひとだったので彼を嫌う私以外のひとが代わりに論破してくれましたけど。

 ここで知りあった人たちは今、野田さんとTwitterでフォローーしあっているぐらいになってしまったけど、みんな元気なんでしょうか。ここを読んでいるniwatorik1のかたがいたらメールくださいね。