「こんなゲームを子どもがやってるの!?」。
大臣や国会議員が驚きの声を上げました。

5月19日の参議院文教科学委員会で、実際の画像も提示して、下村文科大臣や経産副大臣、内閣府副大臣と、国による統一的な残虐ゲーム規制について議論しました。

今年2月の川崎中1殺害事件に続き、一昨日、またも私の地元の横浜で15歳の少年が母と祖母を殺害するという驚くべき事件が起きています。その他にも、名古屋女子大生事件や佐世保女子高校生事件など、未成年による残虐な事件は後を絶ちません。これら事件の原因には、様々な要素が絡み合っているのでしょうが、その一つとして、多くの識者が残虐なゲームの影響を挙げています。

 次世代の党、松沢しげふみ議員のサイトより。以下は、原文をお読みください。残虐ゲームの映像もあります。

http://matsuzawa.com/report/2015/05/post-229.html

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 大きなテーマである。まじめに論ぜねばならない。私個人はもう「バイオハザード」あたりでイヤになって離れている。ゲーム以前に、私はあのスプラッタムービーを好むひとの感覚がわからない。見ない。はらわたが飛びちり血塗れになる映像をケラケラ笑いつつ見て、そのあと肉をおいしいとは思えない。 
 それはまた、犬猫をテーマにした感動ドキュメントに涙しつつ、牛豚をおいしいおいしいと喰う矛盾(わたしには矛盾だ、だったら犬猫も喰えよ、となる)に通ずる。

 まあ私は、豚や牛の屠殺を目の当たりにして、喰わなくなってしまったヘタレだからね、その程度なのだけど、それでも、そういう映像を見て、「キャア、残酷!」と言いつつ、スーパーのパックされた肉は「わあ、おいしそう」と言うひとよりは筋を通して?生きているつもりだ。「今日はめでたい日だ。ともだちもいっぱい来る。よし、今日は豚をつぶしてみんなに御馳走しよう」と、飼っている豚を引きずりだして殺してふるまう感覚は正しい。そういう流れの国は多い。それが動物を殺して生きているニンゲンの業だから全面的に肯定する。私はそういう場に接し、豚の咽をかっ切ることが出来なかったけど。

 とこのテーマ、書きだしたら果てがないので、今回印象的だったことにのみ絞る。それはこの松沢議員のサイトに投稿されていた二件の意見だ。
 ふたりとも若者である。

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上田康人 ・ 高知工科大学
 
このゲームのシリーズをいくつかプレイした元ゲームプログラマです。
その立場の上でコメントさせていただきますと、YouTubeのタイトルに書かれてますが、この動画はわざわざそういうシーンを集めたものです。
最近のゲームは物理計算にも力を入れており、必然的に死体の動きもリアルになっていますが、普通、わざわざ死体に弾を撃ち込んで死体が跳ねるのを見て喜んだりしません。
(失礼な言い方をすれば、「もうこの動画を選ぶ時点で悪意がある」と言わざるを得ません。)

さらに、開発者はやろうと思えば弾を撃ち込むことで現実と同じように?(実際そうなるかわかりませんが)死体が千切れるような表現も出来るはずですが、それは必要な表現ではないから実装されていません。
またこのゲームは、人を殺すことが目的ではありません。マフィアとの関わりで犯罪でお金を稼ぎ、それぞれの主人公のストーリーを解き明かし、エンディングに到達するのが目的です。



小林 岳史 ・ 立命館生協リンクショップ アルバイト
確かにこれらのゲームは非常にグロテスクですが、現在の日本の教育制度ならば、Z指定ゲームと現実を混同して犯罪に走るような生徒はそうそう居ないと考えます。データを見たわけではありませんが。

そもそも、若者がゲームに影響されるというならば、今頃日本の公道はバナナの皮で後続車を滑らせようとする人間で溢れかえっているのではないでしょうか。また、残虐度で言えば、昭和時代の子供達がしていたという、カエルの腹に爆竹を入れて爆破する」という遊びや、「鉄道軌道に釘を乗せて列車に轢かせナイフを作る」遊びの方が、現実の危険度という点で余程危険極まりないと考えます。

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 ふたつとも「残虐なゲームはこどもの教育によくない。規制すべき」という松澤議員の意見に反対したもの。
 上の上田さんというかたの意見は、プログラマーとしての意見。「死体に弾を何発も撃ちこんで死体を痙攣させるようなことは出来るが、ゲーム進行上それに益はないし、そんなことをするプレイヤーはいない」というもの。
 それはまあそうだろう。だがクリアだけを目ざしてプレイしているひとだけではない。そこに凝ってしまうひと、それが愉しくてたまらない、というひとも出てくる。ふたつめの意見と通じる部分があるので先を急ぐ。そっちでまとめる。

 ふたつめの小林さんというかたの意見は、「ゲームと現実を混同するような生徒はいない。そんなことをいうなら昭和時代の、カエルに爆竹とか、鉄道で釘を轢かせ、ナイフを作るほうがよほど危険だ」というもの。



 私の意見は、「バーチャルと現実はちがう」につきる。
 上田さんの「死体に弾を撃ちこんでピクピク」は、自分の体験で言うなら、蛇殺しになる。蛇を引きずりだし、棒で擲る。何人もで擲る。籔に逃げこもうとする蛇を引きずりだし叩き殺す。それは血腥い現実だ。そこでまた肝試しとばかり、その叩き殺した血塗れの蛇を戦果として手にして見ろとガキ大将が言う。まだ痙攣している。生きているのか。下っ端下級生はこわごわとそれをしようとするが出来ない。泣きだしたりする。大将がオレは平気だぞと手掴みして尊敬と賞讃の目を向けられる。夕暮れだ。暗くなってきた。帰宅する。しかし蛇を叩き殺したという昂奮と惑いは残っている。必死に逃げようとする蛇を引きずり戻し、何度も何度も叩いて血塗れにして殺したという記憶はある。それは興奮することだったが、血まみれになりながら懸命に逃げようとする蛇を、引きずり戻して殺したことは残酷ではなかったか。それに意味はあったのか。朝が来る。登校途中に昨日の蛇が死んでいる。蛇を叩き殺した生々しい感覚がもどってくる。下校時、蛇は乾涸らび悪臭を放っている。蝿がたかっている。また蛇を叩き殺した記憶がもどってくる。 

 小林さんの「カエルに爆竹」も、それをするためにはまずカエルを捕まえねばならない。泥でぬかるんだ池に裸足で入らねばならない。あのヌルヌルしたカエルを手掴みにせねばならない。私はザリガニ釣りの餌にするために、道路に叩きつけて殺し、足をひきちがって、それを篠竹の竿にぶらさげてザリガニ釣りをした。
 「線路で釘を」も、現実の巨大な鉄道の迫力と間近に接する。命懸けの恐怖がある。たかが「釘ナイフ」を作るだけでも、そこで接する恐怖、迫力、現実世界のそこから学ぶものは多い。それはゲームにおける「入手したアイテムを組合せ最強の剣を作る」とはちがう。 たかが釘ナイフを作るだけで、親や学校にバレないように行動する秘密、連帯があり、目の前を走る鉄道に接する昂奮と恐怖がある。それは居間で寝転がってコントローラーをいじっているだけで人間に銃弾を撃ちこんで殺人が体験出来てしまうゲーム世界とはちがう。

 小林さんは、それら昭和の遊びを「危険極まりない」とし、ゲームのほうがよほど安全としているわけだが、ここで「危険極まりない」を考えるなら、そういう蛇やカエルを殺す、鉄路で釘をナイフにする、という体験は、いま生きている現実と通じているからたいした「危険」ではない。むしろそれはひととして生きて行くための「学習」になる。真に「危険極まりない」のは、現実にはカエル一匹殺したことのないコドモが、ゲームというバーチャル世界で殺人やその他の残虐なことを体験し、それを現実世界でもやってみたいとなってしまうその「飛躍」にある。



 しっかりと管理し、この種のものや、エロがこどもに届かないようにするのが、おとなの務めであろう。松沢議員のサイト動画にあるが、あんなことをこどもにやらせてはならない。それはプログラマー上田さんの言う「わざとそういう場面ばかりを集めた悪意のある映像」という意見とは根本的に異なる。あんなことが「出来てしまう」ことが問題なのだ。入手出来ないようにすべきである。

 毎度の意見だが、ポルノ解禁国なんてところでは、その分テレビを始めとする「だれもが目にすることが可能なモノ」には、しっかりと規制を設けている。日本という国は、そのへんがとてもあやふやだ。
 今後も「サカキバラ事件」のような異常な事件は起きるだろう。それはパーセンテージの問題だ。あの種の事件を起こす因子は人間の中に潜んでいる。根絶やしには出来ない。しかしおとなの努力でそのパーセンテージが下げられるなら、それはすべきことであろだろう。