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 この『将棋世界』1992年10月号「大山康晴十五世名人追悼号」は隅から隅まですばらしい出来の一冊だ。私の宝物である。古本で買うと高いだろうな。

 その中身の濃さは今まで何度か小出しで書いてきた。一冊丸ごとの感想を、いつかきちんとまとめたいと思いつつ、いまだに仕上がっていない。

 なにしろ全頁充実しているのだ。それはいかに大山名人の業績が偉大であるかを示している。そのすべてに感想を書きたいので、そうなると、雑誌一冊の感想とはいえ、とんでもなく大部の長文になってしまうのである。
 
 例えば、米長追悼号で米長のことを褒めなかった変人の加藤一二三が、すなおに大山を誉めたたえていて気持ちがいい。すると、やはり加藤は米長が大嫌いだったのだろうとわかる。

『将棋世界 米長永世棋聖追悼号』に関してはここに書いている。米長が亡くなったのは2012年、もう6年か、時の過ぎるのは早い。

 例えば、林葉直子の追悼文は、胸を打つ。目頭が熱くなる。心から大山名人が大好きだったことが伝わってくる。そしてまた、大山名人も、自分を慕ってくるこの女流棋士をかわいがっていたことが解る。米長追悼号で、林葉は、異例の2ページの追悼文を書いている。他の方々がみな1ページなのにだ。これは編輯部の発註だろうが、その理由は、林葉が米長の内弟子だったというような事情よりも、この大山追悼号での林葉の名文が、みなの胸に印象的に刻まれていたからではないだろうか。
 例えば、大山が木村名人から名人位を奪取したときの新聞コピーがある。現在のJISが滅茶苦茶にした簡体字ではなく、正字で書かれたその文字が美しい。
 例えば、原田泰夫九段の追悼文は、かなり辛辣な部分があり、理事としていろいろあったのであろうことが偲ばれる。
 例えば、と書きたいことがてんこ盛りの充実したムック(月刊誌だけど)なのだ。


 大山名人の命日は平成4年(1992年)7月26日。もう26年も経つのか……。

 この時点での棋界勢力は、谷川が竜王、棋聖、王位、王将の四冠を保持する全盛期。
 前王者の中原は名人のみ。翌年米長に奪われ、その米長から羽生が奪い、と激動の夜明け前。
 王座は福崎。翌年羽生に奪われ、その羽生が19連覇する。福崎の秀逸な冗談「前王座19連覇」はここから生まれる。
 後に、偉大な大山名人の記録を次々と塗りかえる羽生は、このとき22歳、タイトルは棋王のみ。まだタイトル歴は、竜王一期、棋王三期に過ぎない。森下七段、先崎五段と「大山将棋を大いに語ろう」という座談会で参加している。

 このあとタイトルを取りまくって三年後には史上初空前絶後の七冠王になる羽生は、この時点ではまださほどの大物扱いは受けていない。それは重要なことは青字で記入されている巻頭の大山年譜に、「昭和15年四段。加藤一二三生まれる」「昭和22年七段。中原誠生まれる」「昭和37年通算500勝達成。谷川浩司生まれる」とあるのに、昭和45年の項目に「羽生善治生まれる」がないことからも解る。このころはまだいくら若手の羽生が強いといっても、大山の大記録を次々と更新して行くとまでは誰も思っていなかったのだろう。すくなくともこの年譜を作成した人は思っていない。
 

 偉大な棋士の追悼号であるから多くの棋士、関係者が追悼文を書いている。 
 その中のひとり、米長九段は、「思い出の初手合い」という昭和44年の七段時代、時の三冠である大山名人と初対局した棋譜を、連載自戦記で取りあげて追悼している。

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●「去年今年貫く棒の如きもの」について
 と、ここからもう将棋とは離れてしまうのだが。 
 米長は、その自戦記の冒頭に、大山名人を讃える表現として、次のように書いている。

《去年今年 貫く棒の ようなもの
 これは飯田蛇笏の俳句だったと思うが、大山先生ご自身を遠くから拝見しているといつもこの句が自然に浮かんできた。
 この句は大山先生のためにあるような気がしてならない。》

 いかにも米長らしい、いい切り口である。 
 だがすぐに、「飯田蛇笏? 高浜虚子だよな」と思う。「ようなもの、じゃなくて、如きもの、じゃなかったか?」と。調べた。インターネットのない時代、この程度の調べものでもけっこう面倒。でもそのころはそれしかない。高浜虚子の句であり「如きもの」だった。


 誤解のないように強調しておくが、私は米長の勘違いを批判しているのではない。こんな勘違いは誰にでもある。私も同じようなミスをして、編輯者に指摘されて訂正し、救われたことがある。だから、米長の批判はしないが、「『将棋世界』編集部で、このことに気づく人はいなかったのか!?」とは言いたい。有名な句だ、誰かひとりぐらい「米長先生、これは飯田蛇笏ではなく高浜虚子です」がいてもいいだろう。
 発刊後すぐに読者からの指摘があったにちがいない。それを知った米長は、「誰か気づいてくれよ、恥を掻いたじゃないか……」と嘆いたろう。


 私事を書くと、私の競馬文章は中央競馬界の機関誌『優駿』から始まった。ここは本家本元であるから、競馬に関する誤記は許されない。学生バイト(大学の競馬研究会メンバーが多い)による数字等の基本チェックから始まり、三段階ぐらいの厳しいチェックがある。
 そういうところで育ったから、編輯部に対する絶対的な信頼感があった。後の競馬ブームで多種多様の民間競馬雑誌が創刊され、そこから声を掛けられたとき、ほとんどは断ったが、知りあいから頼まれたいくつかは受けた。そこで私は前記の米長のようなミスをしている。疎覚えの知識で書いても、まちがっていたら編輯部が直してくれるという甘えがあった。
 競馬ブームで続々創刊された競馬雑誌の版元はほとんどがアダルト雑誌の出版社であり、制作はみな下請の編プロ任せだった。競馬編輯のプロなどいない。こちらの原稿はチェックされることなくそのまま通った。自分の勘違いに気づき、だがすでにそのまま活字になってしまったことに身悶えし赤面し、その後、その種の仕事はしないようにした。
 慎重な私でもそうだったのだから雑なひとはもっとひどい。「来た仕事はぜんぶ受ける。絶対に断らない」と標榜して稼ぎまくっていた団塊の世代の同業者など、毎月あちこちで間違い文章を連発していた。すぐに消えて行く雑誌である。世の中そんなもの、といえばそんなものなのだろうが……。
 誇り高い米長は、読者からのそういう指摘を知ったとき、「しまった、確認してから書けばよかった」と反省すると同時に、「なんで編輯者が気づかないんだ。それをするのがプロだろ!」と怒ったのではないか。編輯長は田丸昇八段である。当時の『将棋世界』編輯部に「去年今年--高浜虚子」と気づく人がいなかったのは残念だ。
 しかしまあ時が過ぎれば、米長のそういう勘違い文章があるというのも、この『将棋世界』の魅力でもあるのだが。


 この件でもうひとつ思ったのは、「そういうふうにして覚えている誤った知識がいっぱいあるのではないか」という恐怖である。
 川端康成の随筆で有名になったこの句には力がある。すぐれた句には知らないひとを引きずりこむ魅力がある。
 かくいう私も初めて知ったとき、なんとも、言いようのない感動でしびれたものだった。去年今年貫く棒の如きもの。私の人生には、去年と今年を貫くだけの棒の如きものはあるだろうか、あっただろうか、もっているだろうか、心懸けているだろうか。

 この句を米長の自戦記で初めて知った読者は、確実にいただろう。理解しうる感性があるなら、しびれたはずである。そして記憶する。「飯田蛇笏作」と。「棒のようなもの」と。去年は「こぞ」と読むのだと。
 私は、たまたま知っていたのでそうならなかったが、もしもここで初めてこの句を知ったなら、確実に感動し、そして作者の名前、句を、まちがって記憶したはずである。


 私には、そういう「二十代の時にまちがって覚えて、そのまま生きてきて、それがまちがいだと四十過ぎてから知った」のような知識が今までにいくつかあった。
 例えば、「鶏口となるも牛後となるなかれ」を、なぜか「鶏頭となるも」と覚えていた。これはサイトを始めた2000年ごろ、読者に指摘されて気づいた。
 例えば、南関東の厩舎「矢作」を「やさく」だと思っていた。二十代の時から大井競馬には行っている。専門紙、スポーツ紙を読む。しかしそこにある「矢作」に音は附いていない。私がその読みは「やさく」ではなく「やはぎ」なのだと知るのは、お笑いの「おぎやはぎ」がでてきて、矢作が「やさくとまちがわれるの、いやなんだよね」と言うのを聞いてからだった。同じく、将棋の神吉を、四段になったころから将棋雑誌で知っていたのに「かみよし」だと思っていた。「かんき」であると知るのはテレビで見た十数年後だった。
 活字は音を教えてくれない。いまも、まだ気づかずまちがって覚えていることが一杯あることだろう。米長のこのまちがいを読んで、さいわいにもこのことに関しては、私は知っていたが、「まちがって覚えてしまう恐怖」を感じた。

 時の麻生総理大臣の漢字読み間違いについて、このブログに私見を書いたことがある。マニアックな麻生支持者から攻撃されて難儀したものだった。私は麻生さんを肯定し、漢字の読みかたなどどうでもいいじゃないかと言っているのだが、そのひとには通じなかった。

 麻生さんも国会で恥を掻くまで「順風満帆-じゅんぷうまんぽ」「詳細-ようさい」と思いこんで来て、なんの疑問を持つこともなかったのだ。意味は正しく理解しても、音がまちがっているとは他人に指摘されない限り気づかない。


 これで原稿用紙14枚。米長の自戦記のこの部分だけでこんなに思うことがあるのだから、一冊まるごとの感想が仕上がるのはまだずっと先になるにちがいない。