●ケントク買いに関する阿佐田哲也の至言

 ある随筆で、阿佐田哲也のことばに「予想の最後はケントク買いになる」というのがあると知った。

 阿佐田さんの大ファンなので、著書は、阿佐田哲也名義のギャンブル系から色川武大名義の小説まで、ほとんどぜんぶ読んでいるはずだが、このことばを覚えていない。

 それが出てくる本を読んでいないのか。その可能性も僅かにあるが、40年前の『近代麻雀』の牌譜まで保存しているほどの阿佐田ファンだ。読み漏らしているとは思えない。とすると、「読んだが記憶に残ってない」可能性のほうが高い。それは有り得る。

 なぜなら私は、ケントク買いというのをコバカにしていて、やったことがないからだ。やるヤツを嫌っている。よって、大好きな阿佐田さんのことばでも、まったくそのことに興味がないから心に残らなかったのだろう。と思う。たぶん正解だ。



 ケントク買いとは、自分の誕生日の目で買ったり、11月4日だから4-11を買ったり、エリザベス女王杯で、5枠の2頭の頭文字がエリだから、そこから買うとか、データ的なことを排した、そんな買いかたのことである。「こどもが生まれた。産後の大穴で3-5だ」なんてのもそれになる。
 この種の買いかたを私は長年一切やらず、それをするひとを軽蔑してきた。



 ところが齢を重ねて、最近好きになってきたのである。そのことに驚いているのは私自身だ。
 枠順が確定すると、愛猫の名前にちなんだ数字や自分の誕生日の目を気にしたりする。

 ただし、盲目的にそれを買うのではなく、気にするようになったというレベルなので、まだまだ真のケントク買い好きにはほど遠い。私の誕生日は10月5日なので、G気力判腓確定すると10-5の馬単は有り得るかと思いつつ枠順を見たりする。たったそれだけのことなのだが、以前は考えもしなかったし、そんなことをするひとを嫌っていた。それになってしまった。そして「いくらなんでもこれはない」と結論する。買わない。だが来たことは何度もある。当然大穴である。買っておけばよかったと思うが、どうにも、なんも考えずに誕生日の目を買う、というようなことは爐泙性瓩任ない。そのうちできるようになるのか。

 その程度のことなのだが、それでも、40年以上絶対にしなかった身からすると、そんなことを意識するだけで、とんでもない変化なのである。恥ずかしい。変れば変るものだと思う。



 だからこそ、阿佐田さんのことばに深みと凄味を感じる。
 阿佐田さんは、ケントク買いが好きだとか、おもしろいからやってみたら、とか言っているのではない。やればやるほど、最後はそういうところに行きつくと言っているのだ。

 たしかに、データでやってもダメ、騎手でもダメ、と追い詰められてきたら、「おれはむかし、最終レースで、ここで負けたら死ぬしかないと言うとき、誕生日の1-4の一点勝負をした。そして当たった。今回ももうそれしかない。この最終レース、1-4で勝負だ」と、なってくるだろう。私もそうなるのだろうか。



 今回のエリザベス女王杯は11月11日。前々からゾロ目を買うと決めていた。
 これはケントク買いだが、私はそう思っていない。過去の体験で、こういう日附の時、ゾロ目が多出したことを躰で覚えているからだ。
 でもまあ統計的に見たら、たまたまであり、でない日のほうが多いにちがいない。しかしそれが10年に1度であったとしても、「またゾロ目だよ、やっぱり22日だから2-2は出るんだよ」と現場で感じた記憶は強烈だ。

 ゾロ目で勝負しようと枠順確定を待った。何枠にどの馬が入るのか。
 すると、4枠にデムーロ兄弟が人気馬で同居した。ここからだ、エリザベス女王杯は4-4で決まる。

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