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ブログテーマ──「ライブドアブログのいいところ」──ほんとにいいところばかり!

livedoorブログの管理画面の上部には、「ブログネタ」というのが表示されている。こんな感じ。

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 興味がないので気づかなかったが、このサジェストは流れていると知る。いま知った。上の「どんな花火が好きですか?」の部分は、次々と変るのだ。日代わりと思っていた。そうじゃない。10秒ぐらいで変っている。5分も見ていれば誰でも気に入るテーマに出逢えるか。

 また気づいた。いま文章を記入しているこの場には表示されない。なるほど。文章を記入する場とは、すでにテーマがあり、書いている状態だ。そこにそんなものはいらない。表示されるのは、あくまでも訪問者数や人気記事等が表示され、「さて今日はなにを書こうかな?」と思っている場のみなのである。藝が細かい。まあ「管理画面」を開き、「さて今日はなにを書こうかな」と思うひとがいるかどうかはべつにして。

 この表示その物はだいぶ前から知っていた。ずいぶんと親切な話である。これに関して私は批判的だった。「そんなにまでして書くものでもないだろう」と。
 まだ眠りたいこどもを「起きろ、学校に行け」と親がやるのは平常だが、始めはしたものの書くべきテーマもなく、書かないブロガーに「書け、なにも思いつかないのか、ならこんなテーマはどうだ」と主催者がやるのはやりすぎだ。そんなにまでしてやるものではないだろう。

 この世に「三日坊主ブログ」はどれぐらいあるのだろう。「猫も杓子も」で始めたものの書くことがなくて数回で放置する。そもそも書くことがないのにとりあえず始めるというのがまちがいだが、たぶんそういうひとは大勢いて、ふたつみっつ書かれただけで放置されたブログもいっぱいあるのだろう。当然そういうひとは、「わたしにはもう書けません。書けもしないのに始めたわたしが悪うございました」と潔くIDとブログを削除してきれいに消えるのではなく、ぐだぐだとそのまま放置なのだろう。そんな「三日坊主放置ブログ」が、それこそ何百万何千万とあるにちがいない。それをすこしでも減らしたいと考えた主催者側のアイディアがこれなのか。この「こんなテーマはいかがですか」の表示を見るたび、いつもそんなことを考えた。



 先日、といってもだいぶ前になるが、この「ブログネタ」のところに「livedoorブログのいいところ」というのを見かけた。ライブドアが利用者に「うちのブログのいいところはどこですか?」とテーマを示唆しているわけで、なんだかな、と苦笑したのを覚えている。
 この「ブログネタ」のコーナーを担当し、思いつくテーマを次々と書きこむ係のひともいるのだろう。上記の「どんな花火が好きですか?」のようなことから、「夏休みの思い出」「初めて飼ったペット」とか、あれこれ書きこんで行く中で、「ライブドアのいいところ」ってのも出てきた。それはライブドアブログの利用者なら思うところはあるだろうからいいテーマだ。「いいところ」とサジェストすれば自然に「不満」も思いつく。褒めたり貶したり、ここで掲示されるテーマにアシストされて書いているひとには有効だったことだろう。って、この掲示を見て、「よし、今日はこのテーマで書こう!」なんてひとはいるのだろうか。いるんだろうな、何十万人も利用者がいるのだから、それで毎日やっているひとも何百人ぐらいはいるのだろう。

 と、「ライブドアってブログネタを教示してくれるんだよ。でもブログってそんなにまでして書くものなのかね!?」と否定しつつ、そのことをこういうふうにして書いたら、そのブログネタに示唆されて書いているひとと私も同じになってしまう。私はいまそれをやっている。とてもかっこわるいことだ。そうわかっているのに、なぜこのことをテーマにしたかだが……。



 2005年7月から丸十年続けてきたこのライブドアブログをやめようと思っている。ブログをやめるのではない。引っ越しだ。引っ越しの理由はあらためて書くとして。とりあえずいまFC2ブログに引っ越しはした。それはこちら。
 サイトを長年FC2でやっているので(と確認したら、サイトは2000年からやっているがFC2にしたのは2007年からだから狡糠瓩任發覆い)FC2統一はうれしくもあるのだが、どうにもこのFC2ブログの使い勝手がわるい。

 サイトがFC2だからブログもそれにしようと安易に考えたのではない。あちこち調べた。みな使いづらい。みな缺点が目につく。長所もあるにちがいない。しかしあまりに慣れ親しんだlivedoorブログが快適なものだから、ちっとも良さが見えてこない。
 知人のKさんがやっているYahooなんて広告がうざくて訪問するだけでいやになる。論外。ほんと、Kさんのブログがなかったらちかよりたくない。芸能人ご用達のアメーバなんてのも嫌いだ。あれこれさがすが帯に短し襷に長しで結論が出ない。私なりに調べて、結論ではなく、とりあえずよさそうなFC2にしてみた。ユーザー数は最大だというから、ずいぶんとFC2もメジャーになった。
 私はまだFC2ブログを使いこなしていないが、納得するデザインのブログもいくつか見かけたから、こちらのスキルがあがれば満足するだけのものが出来るようにも思う。だが使いづらい。

 スキルは、私にもそれなりにあるのだ。どんなバカでも30年以上関わっていればそれなりに出来るようになる。htmlやcssをいじって、自分なりのオリジナリティを出すぐらいはやっている。フォントの変更、ポイントの指定、字間行間の設定、オリジナルトップ画像とか、自分なりにやってきた。いやむしろそれぐらい出来るから不満が生じているのかも知れない。つまりそれらが「やりづらい」のである。どこと比して? livedoorブログである。livedoorブログは「やりやすい、わかりやすい、便利」なのだ。

 ここで「そりゃ十年も関わってりゃそうだろう」という意見はあるだろう。ブログのカスタマイズ、CSSの書きかえを初めてやったのはlivedoorブログだから、そこのやりかたに慣れているのは確かだ。ブログパーツの設定とか……。

 livedoorブログならサクサク出来ることが、FC2ブログでは引っ掛かってギクシャクする。そのことに苛立っている。でもそれは単に「livedoorブログに慣れている、FC2ブログに慣れていない」だけが原因ではないように思うのだ。livedoorブログは多くの面ですぐれている。離れると決意して判った。別れると決意してから気づく女房の美点のようなものか(続く)

テイラー・スイフトを聞く朝──アップルに抗議、テイラー勝利──でかい女・考

 テイラー・スイフトがアップルの音楽配信制度に抗議し、システムをあらためさせたと話題になっている。

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 時代はCDからiTunesなどの配信へ。若者世代は、毎月約10ドル(約1230円)を払うとスマホなどで音楽聞き放題の、会員制ストリーミング配信サービスが主流になってきた。中でもスウェーデンから上陸したスポティファイが、米国での最大の利用者数を誇っている。

 その市場に今月、大手アップル社が参入を発表。30日から世界約100カ国で「アップル・ミュージック」のストリーミング配信サービスが始まることになった。

 ところが実施直前の今月21日に騒動があった。同サービスでは、3カ月の無料お試し期間を設けているが、その間、著作権使用料をアーティストに払わないと発表。これにインディーズを中心とした音楽業界は大反発した。英実力派人気歌手、アデルは当初、不参加を表明したほどだ。

 ノロシを上げたのは、人気シンガー・ソングライターのテイラー・スウィフト。ブログでアップルに公開文書を送り、アーティストに対する扱いに抗議した。「アップルへ愛をこめて」と題し、彼女の記録的なヒットアルバム「1989」を提供できない理由を説明。「iPhoneをタダで欲しいとは言わないから、あなたもアーティストに無料で音楽を提供させないで」と締めくくった。

 慌てたアップル社の副社長は、何とわずか17時間後に方針撤回を発表。「テイラーがアップル社との“1日戦争”に勝利」(NYタイムズ)とメディアは沸き立った。

 ライバルとなるスポティファイなどでは、お試しや割引期間中はアーティスト等への支払いは無料ではないものの、通常の半分に抑えられているという。アップルも他社と同額程度を支払うことになりそうだ。テイラーは昨年、配信サービスがアーティストの収入低下をもたらしていると指摘。スポティファイへの参加を拒否していた。

 経済誌フォーブスは「テイラーのアップルへの手紙は、厳格で礼儀正しく、当然必要な行動だ」と強く支持。ワシントン・ポストもテイラーの指導力を褒めるなどメディアも、そのパワーと影響力を評価している。

 レコードの時代から、著作権使用料はケース・バイ・ケースで、複雑に利権がからんでいた。泣かされた弱小ミュージシャンも多いはずだ。

 こうした中、グーグルは先週末、広告収入でまかなう無料配信サービスをスタートした。音楽の新しい購入形態、鑑賞スタイルが状況をさらに悪化させるとしたら、作曲家や作詞家、演奏家や歌手にとって死活問題。天下のアップル相手に立ち上がったテイラーの勇気に、音楽ファンとして拍手をおくりたい。


 http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150630/enn1506301140002-n1.htm

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 ということで今朝はひさしぶりにテイラー・スイフトを聞いている。彼女のデビューは2006年。カントリー系ではリアン・ライムス以来の大物新星の出現だった。テイラーもリアンを愛聴し影響を受けたことを口にしている。天才歌手のリアンほど巧くはないが、まだ十代でありながらソングライターとしての価値が絶大だった。そして美形だった。これも大きい。私が彼女のデビューアルバムをすぐに手にしたのは美人だったからだ。大きいといえば躰も大きかった。180センチ。



 以前、旅関係の文章を書く際に協力してもらったオーストラリア関係の役所(とあえて曖昧にする)の担当者が190センチの大女だった。顔はきれいだしスタイルもよかった。だがその大きさによる威圧感が半端ではなく(笑)、私は彼女のナイスバディを目前にして、あれこれ相談したのだが、よからぬ妄想にひたるどころか、ひたすら逃げだしたかった。でかすぎる。闘ったら負ける。大女を好きな男の気持ちがわからない。

 むかし聞いた話。エイロクスケ──出ないな、AtokからGoogle日本語入力に切り替えると、永六輔、おっ、出た、さすが!──は、ある映画での、男が小柄な女を抱きしめ、女が背伸びするようにしてキスをするシーンが心に残り、それがしたくて背の低い女を奥さんにしたとか。映画のシーンのようなキスが出来て満足だったらしい。
 一方、チビ男は大女が好きだ。いわゆる「ノミの夫婦」はよく見かける。155センチの男が170センチの女に惚れたのはその身長だったりする。171センチの私は158センチぐらいの女がいい。これだとヒールを履いても並んで歩ける。しかし現実は150センチもない女と結婚したので、あこがれてもないのにエイロクスケになってしまった。

 男女ともいちばんデカいのが揃っているのは私の体験ではオランダだが(たしか男女の平均身長は世界一ではなかったか?)、オーストラリアもイギリスの前にオランダ領だったからか、とにかくデカいのが多い。オランダとオーストラリアには180センチ級の女がごろごろいる。女を見あげて話すのは愉しくない。やはり女は腕の中にすっぽり抱き締められるサイズがいい。
 テイラーは美人でスタイルも良く、映像で見るとすてきだけれど、実際に会ったらただの白人大女だろうな。



taylorswift2015 上のニュースにテイラーの画像があった。もう25歳だからこんな感じになるか。ケバいな。

 私の好きなテイラーは下の写真。こちらは16歳。やはりこっちがいい。
















mu-taylerimage59「テイラー・スイフトを聞いている」と言っても、私の持っているのはデビューアルバムの「Taylor Swift」と2作目の「Fearless」だけ。2014年に出た「1989」がいいらしい。今日買ってくるか。1989とは彼女の生まれた年か。Downloadでもいいけど、彼女だとやはりCDのジャケットが欲しい。



●1989、オグリの秋

 1989年と言えば、「オグリキャップの秋」だ。

 前年、河内とのコンビで連勝街道をひた走ったオグリは、秋天、JCと敗れたあと、岡部騎乗で有馬記念を勝つ。そのあと脚部不安で長い休養に入る。

 1988年の有馬記念は、タマモクロスの生産者の錦野さんと一緒に中山競馬場で観た。タマモクロスの活躍以前に牧場が倒産した錦野さんは、その夏、私が「G1馬の故郷」として訪問したときは日高にいなかった。『優駿』編集部に連絡をもらい、この中山で初めて会った。お母さんと一緒だった。一般席で観戦した。笠松で8連勝、中央入りして6連勝のオグリの連勝は、秋天でタマモクロスに敗れ14で止まった。タマモクロスは400万条件から始まった連勝、春天、宝塚、秋天とG1みっつを含む8連勝で飾った。ペイザバトラーの勝つジャパンカップ。2着タマモクロス、3着オグリキャップ。
 1989年秋、京都4歳特別以来となる南井とのコンビでオールカマーから復活。あのときのパドックのオグリを待つ昂奮をいまも思い出す。そしてベストレースと名高い毎日王冠。イナリワン、メジロアルダンとの叩きあい。秋天はスーパークリークに惜敗する。いまも南井が「勝てていたのに負けたレース」と最も悔やむレースだ。武豊、春のイナリワンに続いて春秋の盾、連覇。マイルチャンピオンシップ

 何年か前サイトに彼女のことを書いたはずと探す。見つけた。2010年にテイラーの「Fealess」がグラミー賞年間最優秀アルバムに選ばれたときに書いたもののようだ。マイケル・ジャクソンのこどものことに脱線したりしてまとまりのない文章だがとりあえずリンク。

 ここに書いているけど、私がテイラーを好きな基本は彼女がカントリーを基礎としている(こどものころ、カントリーが好きなことでイジメを受けたとか)からだ。アルバムの中にさりげなくバンジョーやフィドルが出てくるとにんまりしてしまう。

・2010年グラミー賞、発表

ブログ話──ライブドアブログで裏広告が出なくなった──事故か御褒美か!?

 ここのところブログをアップする際、いやな広告が表示されなくなっている。なぜだろう。
 無料のブログなので、アップするとき、下の画像の「ok」の下に広告が出る。これは強烈だ。見ないわけには行かない。アップするとき、必ず目にする。なら広告料金も高いのか。その割りにはセンスのないのが多かった。いまも覚えているのは「SoftBankサイバー大学の額が皺だらけの猿顔の外人の女」と、「めいろまとかいう不細工な女の顔アップ」である。それを見るのがいやでブログをしばらく書かなかったほどだ。

 だれもが目にせねばならない場所だから広告料金は高いものと推測したが、「めいろま」というのは個人のメルマガの宣伝だった。その程度のことでここの広告料金が払えるのかと不思議だった。根性の悪そうな顔をした不細工なのに自分をいい女だと思っているのか、堂々と「遠くを見つめている顔のアップ」なんてのを毎日見せつけられて反吐が出そうだった。

 それがいま、下の画像のようになにも出ない。ありがたい。真っ白である。ここに「めいろま」なんてのの顔のアップがあり、ブログを書こうと思ったら必ず目にせねばならなかったのだ。どれほど憂鬱だったことか。

livedoorblog

 ところで「めいろま」とかいうのは、いまなにをしているのだろうと検索で出たツイッターアカウントに行ったら「ブロックされているので読めません」と出た(笑)。私があのひとのことを書いたのは以下の部分のみだ。ふつうでは目にとまらない。文章のタイトルにもしていない。となると、自分の名で検索して見つけたのか。

 私のブログでそのひとが登場する部分。 

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●ブログの広告に自分の持ち物が──うれしい偶然──土屋鞄のペンケース  2014/4/1

 ブログCMには、この表に出るのと、裏で書いているときやアップするときに出るものと2種類ある。表のこれはブログ内容に合わせて選ばれるらしい。キイワードで自動で撰ばれるのだろう。上のペンケースが出たのも私が萬年筆のことを書いたからだ。訃報を書くと墓石の広告が出たりして苦笑するが、内容と合っていると言えないこともない。

 つらいのは裏のほうで、アップのたびに出てくるCMがきらいだと、それだけで書く気が失せる。「めいろま」といかいう名前の不細工な女の顔を毎日見せられたときは、しばらくアップをやめたほどだ。 広告を完全にオフにするには月945円かかるようだ。いつもそれにしようと思いつつ、喉元過ぎれば、で忘れてしまう。そしてまた思い出す。馬券が当たったら1年分払うつもりなのだが、それがまた当たらなくて(笑)。

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 ここに出てくる「めいろま」という一言を見つけてブロックするのだから閑人だね。ところで、私がフォローしたのならブロックってわかるけど、一度も読んだことがないのにブロックってどうやるんだろう。わからん。私も気味の悪いのにフォローされてブロックしたことが何度かあるけど、それはあちらのアカウントがわかっているからだ。見知らぬ人間をどうやってブロックするのだろう。

 イギリス在住らしく、上から目線でえらそうなことを言っているのに、ひどい食事をアップして笑い者になっていると知る。そのtogetterはこちら。
 まあどの程度の女かはこれでわかる。不精だな。がさつだ。汚部屋だろう。いやはやひどい。こんなものを平然と、いや得意気にアップする感覚が、あの女の発言に出ている。こんなのがなにをえらそうに発言しようと信用などできるはずもない。瞬間でこの女を嫌った自分の感性に納得する。その画像を貼ろうかと思ったが、自分のブログにこんな汚い写真を載せるのはいやだ。やめる。興味のあるかたは上のtogetterで見てください。



 広告が出なくなった理由を、長年ライブドアブログをやってきて、星印評価が合格点に達した御褒美だと解釈しているのだが、どうなのだろう。単なる事故かなんかで、また明日あたりから復活するのかも知れない。もうすこし様子を見よう。

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【追記】 ──【芸スポ萬金譚】に書いていた(笑)

 もういちど自分の書いたものを調べて、

●芸能人は歯並びが命──フット後藤、バナナ日村、おぎ矢作──めいろま?──2013年9月17日

 に、その不快な広告を画像附き(上の白い部分にめいろまの顔がアップで入っているモノ)で書いていると知る。 これだとタイトルに名前が出ているから検索で発見したのだろう。一応芸能人ではないので、くくりを別にして、なにをしているひとか知らないので「?」もつけている。

 ここを読み返し、「芸能人は歯並びが命」という前前から書きたいと思いつつ、歯並びの悪い人に反感を抱かれることを懸念して書けなかったこのテーマを、めいろまへの反感から踏みきったと知る。いまも多くのひとに読んでもらっているこれを書けたのは、めいろまへの不快が始まりだったのだ。なのにフット後藤やバナナ日村のことは覚えているのに、この女のことは記憶から消えていた。前半の後藤や日村のことや、思い出としての小柳ルミ子や石野真子を、懐かしみつつ読んでいたが、この女のことは完璧に忘れていたので、後半になって「めいろま」が出てきて、この女への反感からこの文章を書いたと知っておどろいた。忘れていた。タイトルに名があるけれど、ほんの1、2行触れているだけと思っていた。ところが、この女への反感が始まりだったのだ。なのに忘却の彼方。それは人間の「イヤなことは忘れよう」という能力?からきているのだろう。ひさしぶりにその画像を見たら、当時の不快がゲップのように浮かんできて気分が悪くなった。ああいうものには出会いたくない。これからも広告が出ないことを祈る。

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【追記】──だれもがそのようだ──広告をなくしたのか!?

 上の「芸能人は歯並びが命」を点検する際、【芸スポ萬金譚】からのアップを実験してみた。するとあちらも広告が出ない。あちらはこことちがってまだ日が浅い。閲覧数もすくなく、「ご褒美」の対象にはなっていないはずだ。とすると、あまりの不評につきライブドアブログがアップの際の広告を一斉にやめたのか。そう思うしかない。理由はなんでも、なくなったことはありがたい。しかしそれはあちらの都合でいつ復活するかわからない、ということでもある。今後どうなるのだろう。

WiMAX機器交換の話──インターネット接続不可の日はないかも知れない──「日韓牘瀚畸埜鬚呂いが?──大高未貴」

 いま28日の朝の5時。いつものよう3時に起きて、今日からはもう休日なのでベッドの中で読書をしていた。
「日韓牘瀚畸埜鬚呂いが?──大高未貴」。私はあまり嫌韓関係の本は読まない。嫌いなものをいかに嫌いかと確認しても憂鬱になるだけだ。なら愉しい気分になれるものを読んだほうがいい。ベストセラーとなった室谷克実さんの「呆韓論」もすこし立ち読みしただけで十分だった。
 初期のものは読んだ。「マンガ嫌韓流」が出たのは何年だったか。友人のmomoさんがプレゼントしてくれた。2005年か。あれからもう9年も経つんだな。月日の経つのは早い。雷様はいつお立ちになるので? うむ夕立じゃ。

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 叮嚀な取材をして書かれた大高さんの作品だが、この国のことは知れば知るほど憂鬱になるのでどうでもいい。ほんと、国交断絶が望ましい。自称元従軍慰安婦が専用の養護施設で「強制連行された11歳12歳の朝鮮人少女を、日本軍人が殺し、犬に喰わせた」と喚き散らすあたりで本を閉じる。溜め息しか出ない。犬を喰ったり人間を犬に喰わせたりするのはあんたたちの風習でしょうよ。なんで日本人が朝鮮人少女を犬に喰わせるの。なぜそんなことをする必要があるの。このへんの妄想クソババアはもう気違いとしか思えない。ところがそこに日本人が団体で訪れて反省と謝罪の寄せ書きをしているのだ。写真がある。JRの組合、日教組の名が見える。朝鮮人キチガイババアよりもっとたちのわるい日本のサヨク。うんざり。

 大高さんにはもうしわけないが読了する気力がわかない。やはり私は韓国関係の本は読まないほうがいいようだ。
 ベッドの中でぼんやりとこれからしばらく続く「インターネットのない日々」を考える。年末に一週間もインターネットができないのか。不便だな。でも年末から正月ということは、休みの会社が多いから、いちばん迷惑を掛けない時期を選んだということか。しかしそれにしても……と考えて、起きだした。疑問がある。



 年末にひとつactivationせねばならないDTMソフトがある。29日からのインターネットが出来ない時間に掛かってしまったら困るなと懸念する。
 今時のソフトというのはみな「ネットでactivation」がふつうになっている。ネット環境のないところでは使えない。知っているつもりだったが、つい失念して失敗したことがある。日本で使っているDTMソフトを雲南の山奥にもちこんだ。DVDからインストールまでは順調にいった。しかし使用しようとすると「インターネットでactivationしてくれ」と出て使えない。ネット環境はない。けっきょく使えなかった。違法コピーに対抗する企業の防衛策であり、それは当然と思うものの、金を出して買った自分のモノが、ネット環境がないという理由で使えないことには不満が残った。この雲南の自作機には日本版Windows8を挿れているが、これも起動するたびにactivationしろと言ってくる。わずらわしい。それでもなんとか使える。DTMソフトは使えなかった。

 まずまちがいなく今度のソフトもネットactivationが必須であり、それが出来ないと使えないはずだ。購入前にそんな文言を見た記憶もある。そうなったら年末正月休暇の楽しみが大幅に減る。
 寝てはいられない。起きだして検索してみる。そしてこんなことを知る。



「12月27日までに連絡完了した利用者には年内に新機器を順次発送。27日以降のひとは年明け1月4日から発送」とある。
 私はぎりぎりだが27日午後に連絡がついた。すると27日は無理としても28日に機器発送、29日到着になるのではないか。もしも29日の0時から通信が出来なくなるとしても、29日午後に機器が到着してセッティングしたなら、「インターネットの出来ない時間」は実質的に0でクリア出来るのではないか。そう思えてきた。29日発送の30日到着とか、そんな形でも年内にクリア出来るのではないか。そうなったら出来ない時間はほんのすこしだ。

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 もしも日本中のWiMAX利用者が全員年末年始に一週間もインターネットが出来ない状況に陥ったら、それは社会的にも大問題となろう。なのにぜんぜんそんな話題はなく、上のことを調べるだけでも情報がすくなく苦労したほどだ。そうだな、きっと29日の停止前に新機器が届き、実質的な断線(無線だからこの言いかたはおかしいか)はないんだ。そう希望的に思うことにしよう。
 無料で交換してくれるあたらしい機器は上の写真。新製品大好きなので楽しみだ。
 DTMソフトのactivationさえクリアできれば一週間とまってもいい。それだけは頼む。activationが済むまで繋がっていてくれ。さてどうなるか。

WiMAXの都合で12月29日から1月4日までインターネットが停まる話のご連絡

 WiMAXの会社から電話が来た。いま話し終ったところ。これまでもなんどか来ていた。慌ただしい時間で出られず留守番電話になることが多かった。後に再生して「WiMAXの速度変更に関して連絡をした。また掛ける」という内容であることは確認していた。受話して、「速度変更についてお話したい」と言われ、「いま忙しいのであとにして欲しい」と断ったこともある。


wimax2

 今回初めて「あ、何度もすみませんね。どうぞ」と言って会話した。その内容におどろいた。Wifiの速度変更があり(110MB/Sにアップとか)、機器の変更(ルーターの交換)等があるまでは納得出来たが、なんとそのために「12月29日からしばらく通信不能になる」というのである。だいぶ前から毎週一度程度だが何度も掛かってきていた。留守番電話では「速度変更のお知らせをしたかったが、お忙しいようなのでまた掛ける」と機器変更には触れていなかった。その程度のことでなぜにこんなにも熱心に、と不審ではあった。今の時代「インターネットが一週間出来なくなる」は重要な問題である。いかに叮嚀に説明しようとも激昂するひともいたことだろう。それがあってか、オペレーターの女はなんだかおっかなびっくりで話しているように感じた。私は苛立ちはしなかったけれど、それはそれで事件だから、思わず「最初に掛かってきたとき受話していればこんなことにならなかったのか!? 留守電にしたことがこんな事態を招いたのか!?」とは問い質した。すると、なにがどうあろうと、なんぴとたろうとも、「12月29日から一週間程度は断線となる」と知る。WiMAX利用者は全員そうなるらしい。なら諦めるしかない。ここに書いたけれど、私はNTTの光フレッツとWifiを両方使っていた。それは無駄と知り今年の10月に光フレッツをやめ、Wifiだけにした。毎月光フレッツ料金3500円をむだにしていた。丸一年分だからもったいない。ふたつあった時期ならこんなことになっても平気だったのだが、やめたらこの事態。なんとも間が悪い。



REALFORCE
 実は、 ここのところブログ更新が滞っていた理由のひとつに、「気に入ったキイボードがない」ことがあった。キイボードは今までに何十台も買った。壊れたもの、壊れなくても気に入らないものは捨てまくってきたが、それでもまだ10台以上ある。気分によって使い分ける。ま、PC関係小物オタクであろう。その辺の事情はそのネタの時に書くとして、一番気に入っていたものを他所に置いてきたので、残りのものもそこそこなのだが、どうにも書くのが滞っていた。今日の午後、それを解決するために註文した東プレREALFORCEが届いた。ここ数ヵ月、打ちやすいキイボードに餓えていたので、ひきちぎるようにして開封し、すぐに繋いで打ち始めた。期待通りの逸品だった。明日から私も年末正月休暇である。いままでブログ更新が停滞していた分、東プレREALFORCEで書きまくるぞ! と思った瞬間のインターネット一週間停止のお知らせだった。
 
 ということで、明日の28日、インターネット停止前に有馬記念ネタでもひとつ書くつもりだが、29日から最短でも1月4日、最悪10日ぐらいまで、このブログは停止する。メールの送受信も出来ない。 緊急のかたは、電話連絡にしてください。私としてもこんなことは初体験なので戸惑っている。私は電話嫌いなのでほとんどがいまメール連絡である。みんなそれを知っているので電話をしてこない。だから、たとえば、12月30日に1月5日に飲みましょうと連絡をもらっても、私はそれを読めないし返事も出来ない。ぜひともここを読んでそれをご理解ください。



 2014年暮れから2015年始めにかけての10日間の休みを、私は「DTM製作に撤するつもり」でいた。 これが最優先。次ぎに読書。読まねばならない本の予定も立て、あらかじめ購入した本、図書館から借りた本を積みあげ、気合十分だった。そして大掃除。ここのところの繁忙で部屋が乱雑になっていた。時間を見つけては掃除をし、台所と居室の大掃除も済ませ、あとはPC部屋を整理して、28日からの大型休暇に突入する予定だった。インターネットにはあまりちかよらないが、でも音楽創りの過程や読書感想などをそれなりにアップして、という心積もりだった。「出来るのに、あまりちかよらない」と「したくても、通信出来ない」の差は大きい。



 東プレREALFORCEが届いたら書きまくるぞ! と意気込んでいたのに、それで書いた最初の文章がこれというのはちょっと皮肉だ。しかしまあすごいぞREALFORCE、これを使ったら他のキイボードは使えなくなる。インターネットは出来ないが、29日からの正月休み、文章は書きまくるだろう。 

 やりたくてもやれないインターネット一週間断ち(もっとかな?)の感想は、年明けに。それではみなさん、よいお年を。 

佐川急便嫌い──イートレンドからの購入を諦める──配送業者が佐川

東プレのキイボードを買おうと価格comで値段を調べた。イートレンドが一番安い。Amazonと同じくここも送料は無料だ。会員登録もしてあり何度か買ったことがあった。

ここにしようと思い、「そうそう大事なこと」と配送業者を調べる。利用したのはだいぶ前だ。配送業者はどこだったか。佐川悪夢だった記憶はないが念のためだ。サイトを開くと佐川とヤマトが並んでいる。両社を使っているようだ。撰べるのだろうか。大事なのはそこだ。ヤマトを指定できるならすぐにでも買うが、佐川に来られたら不快な目に遭う。それだけは避けたい。懲りない暗愚ではあるが、さすがに30年にわたって数え切れないほどイヤな目に遭えばそれぐらいの感覚は芽ばえる。佐川だけはイヤだ。メールで質問することにした。すると「よくある質問」のコーナーがあった。ここでわかるだろう。開いてみる。すると、

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とあった。脊髄反射でイートレンドを諦める。佐川かヤマトか二分の一の確率だ。そんなロシアンルーレットをする気もない。イートレンドからの品を佐川でイヤな思いをした記憶はないから前回はヤマトだったのだろう。その運に懸ける気もない。それは馬券にとっておく。500円ほど高いがAmazonにした。Amazonも関連会社の出品だと佐川の場合がある。何度かそれで苦い思いをした。この品はAmazon出品とあるからだいじょうぶだろう。佐川に不快な目に遭わされることを考えたら500円差なんてどうでもいい。

私はAmazon一辺倒になりたくない。同じような値段なら東北のちいさなショップ等から意識して買うようにしている。でもこの種の特殊な品はさすがにそういう店では無理なようだ。数が捌けない。扱っていない。どうしても購入先は大手になる。同じ大手でもAmazonよりイートレンドから買いたかったのだが、佐川という悪夢だけは無理。佐川だけはもうイヤだ。

イートレンドも、「配送業者は、佐川急便、ヤマト運輸の二社からお選びいただけます」とすれば、私のようなのがもっと利用すると思うのだが……。それってむずかしいことなのだろうか。イートレンドの関係者がそれに気づいてくれることを切に願う。

毎度の結論だが、佐川急便というのは、事務所から運転手まで、ほんとほんとにひどい会社で、多くの利用者が不快な思いをしている。しかしその声は、佐川を使用している会社には届かない。届いたとしても、たぶん佐川の値段は安く、私のような者の声は無視されるのだろう。

こちらとしては「佐川を使っている会社からは買わない」という方法で対抗するしかない。それはもう、これまた前回も使った比喩だが、ピラミッドをひっくり返そうと穴を掘るアリンコみたいな、ほとんど無意味な努力なのかも知れないが、こちらの出来ることはそれしかない。私のような「佐川急便だけはダメだ」というひとが増えてゆけば、あの会社もすこしはまともになるだろう。私は、まともになることを願ってはいない。この世から消滅してほしいだけだ。

msn産經ニュースが終了──MSが次ぎに組むのはどこ? アサヒ? 聖教新聞?

msn産経ニュースが終了 ご愛顧ありがとうございました 2014.10.1 02:10

 日本マイクロソフト株式会社と2007年10月から共同で運営してきた「msn産経ニュース」のサービスが9月30日、終了しました。7年間にわたってご愛顧いただき、誠にありがとうございました。

 10月1日からは、産経新聞グループの新たな旗艦ニュースサイトとなる「産経ニュース」がスタート。新聞記事の正確性、ウェブニュースの速報性に加え、世の中で今起きている事柄を網羅した三位一体の「ウェブ・パーフェクト」報道スタイルを堅持。ネット用のオリジナル記事「産経プレミアム」を大幅に拡充するほか、トップページを大阪の視点で編集するユニークな「産経WEST」、モバイル端末に適したフォトジャーナリズムを提案する「産経フォト」など、独自コンテンツの豊富なニュースサイトとなります。スマートフォン用のアプリも大幅にリニューアルし、操作性と視覚性を高めます。
http://sankei.jp.msn.com/etc/news/141001/inf14100102100001-n1.htm

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 丸7年か。時の過ぎるのは早い。もともとMSは毎日新聞と組んでいた。「毎日」嫌いの私は読まなかった。Ms-Dosのころからの窓使いではあるが、とにかくMSが嫌いでIEすら使わないぐらいだから、嫌いな「毎日」と嫌いなMSのコンビを蛇蝎の如く嫌った。いいコンビだと嗤った。

 それが突如2007年に産經と提携となった。「えっえっえっ、なぜ???」と奇妙に思ったことをいまも覚えている。私からすると共に嫌いな「毎日」とMSだが、両者はよく似合っていた。お似合いのカップルだった。田原総一郎とドイタカコの夫婦、あるいは佐高信とツジモトキヨミの熱々恋人みたいなものだ。まことに醜い。それがなにゆえ同棲を解消して産經と組むのか、私には理解不可能な光景だった。しかしそれはさんざんこちらを苦しめてきた敵の龍王が、捕獲したらこちらの持駒飛車になってくれるような、痛快な出来事でもあった。以来毎日「msn産經ニュース」を読んできた。zakzakと並ぶ私の愛読ネット新聞だ。2007年というと今の地に越してきた年、光フレッツを始めた年だ。あれからもう7年経つのか。
 当時、MSが「毎日」と切れることを知ったのが下のニュースだった。



マイクロソフト、MSNニュースポータルを毎日新聞から産経新聞へ  2007/06/27 22:04
   
 マイクロソフトオンラインサービス事業部は6月27日、毎日新聞社と共同で運営している「MSN毎日インタラクティブ」の提供を9月30日に終了することで合意したと発表した。

 これにより毎日新聞社は、10月1日から新たな総合情報サイトとして「mainichi.jp」を開設する。新サイトは、ニュースサイトからさらに進化した「総合情報サイト」としてスタートし、ニュース報道のほかエンターテインメント情報や暮らしに役立つ生活情報、地域情報を充実させる。

 また、ユーザー参加型コンテンツも充実させ、情報の信頼性に加えて“楽しい”“役に立つ”サイトを目指すとしている。さらに新サイトの開設に合わせ、英字新聞サイト「MAINICHI Daily News」も全面リニューアルを行う。

 一方、マイクロソフトは産経新聞グループの産経デジタルと業務提携を締結し、新たなニュースサービスの提供を開始する。両社は産経デジタルが運営する産経新聞のウェブサイト「Sankei Web」を発展成長させ、双方の技術力やコンテンツ、ノウハウを融合した新しい「MSN産経ニュース」を開設することで、さらに多くのユーザーを満足させるサービスを実現するとしている。



 毎日、産經と相方を替えてきたMSは次はどこと組むのか。話題のアサヒシンブンか、赤旗、聖教新聞、恋人候補はいっぱいいる(笑)。

 私はとにかくMSが嫌いだったので、いまも嫌いだが、この「MSが毎日との縁を切って産經と組んだ」というのは、唯一MSに好意的になれた事件として記憶している。それは、大嫌いな騎手が大穴馬券を取らせてくれたので嫌い度合が減ったのに似ている。これからどこと組むのか知らないが、産經と組むことによって嫌い度合を減らした私のようなのもいる。溜め息の出るようなことにならないよう祈る。でもMSだからな、期待はしない。ともあれ7年間、ありがとう。この「msn産經ニュース」のおかげで、MSアレルギーがしばらく治まっていた。そのことにはすなおに感謝する。 


Wikipediaのわかりにくい文の例──二所ノ関部屋の歴史から──アラビア数字と漢数字

 Wikipediaの文章がわかりにくいと何度か書いている。見かけるたびに、それを引いてブログテーマにしようと思うのだが、いつもそのままになってしまう。今回気になることがあった。忘れないうちに書いておこう。大相撲の二所ノ関部屋の項目だ。


1909年(明治40年)1月に二枚鑑札で5代二所ノ関を襲名した関脇・海山は、1911年(明治41年)1月場所限りで引退して友綱部屋に預けてあった内弟子を連れて二所ノ関部屋を創設した。なかなか弟子に恵まれなかったものの、苦労して玉錦を大関に育て上げた。しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。

1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した。
当時の二所ノ関部屋は稽古場さえ持たないほどの弱小な部屋だったが、猛稽古により一代で部屋を大きくし、先代弟子から関脇・玉ノ海や幕内・海光山などといった関取を育てた。しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した。



 いきなり餘談だが、私のような世代の相撲好きにとって二所ノ関部屋は超名門である。日本プロレスの開祖・力道山のいた部屋であり、大横綱大鵬、大関大麒麟を輩出している。先代が亡くなり、後継問題で揉めるという事件もあった。結果的に先代の(調停役として短期の暫定親方をおいたので正確には先々代になる)の娘婿になるという寝業を使った爛曠蘓瓩金剛瓩継ぐことになる。金剛もまた平幕優勝したりして話題の力士だった。この爛曠蘓瓩瓩蓮大言壮語することで有名だった爛曠蘓瓩クレイ瓩ら来ている。モハメッド・アリの前名だ。自分よりも格下の弟弟子金剛の親方襲名に不満を持った大麒麟は独立を申し出るが許されない。大麒麟は弟弟子を連れて寺に立て篭もる。このときほとんどの力士が金剛ではなく大麒麟にしたがった。私は裏事情を知らない一相撲ファンだったが、「大麒麟が正しいのだろうなあ」と思ったのを覚えている。大言壮語する金剛とは対象的に大麒麟は力士には珍しい読書好きでインテリ力士と言われていた。ま、正直、のっそりしていて好きな力士ではなかった。なんというか、四股の足があがらないのがかっこわるかった。大鵬は自分のことを天才と呼ばれるのを嫌い、よく口にしたのが「大麒麟のほうが自分よりも天才だ」だった。
 解決まで揉めに揉めたが、大麒麟の独立を許すという形で決着する。押尾川部屋の誕生である。しかし有力な力士を連れて行くことは認められなかった。大麒麟を尊敬している天龍は立てこもり事件でも行動をともにしていたが、米櫃の幕内力士だから二所ノ関部屋に残らされる。それを不満として天龍は引退する。まだ27歳。大麒麟へのを義を通した行動だった。その後プロレス入りを発表する。あの騒動がなければ天龍のプロレス入りはなかった。そういう経緯もあってデビューのころの天龍はいつも沈鬱な顔をしていて、ちっともプロレスが愉しそうではなかった。アメリカ修業からの帰国後も伸び悩んでいた。ふっきれるのはロビンソンとタッグを組んだあたりからか。でも天龍は自分でも認めていたが大関になれたかどうか。たぶんなれなかったろう。プロレスでは横綱になった。果たしてどっちがよかったのか。あれこれと思い出の尽きない名門である。
 一方で友綱部屋は、魁輝が大関魁皇を育てあげ、四股名の「魁シリーズ」が注目を浴びるまでは地味な部屋だった。長年閉鎖されてもいた。しかし歴史的には「二所ノ関部屋は、友綱部屋から分離独立した」のである。あちらのほうが超名門二所ノ関部屋の本家なのだ。Wikiを読む愉しさはこんなところにある。
 名門二所ノ関部屋は、金剛親方時代に活躍する力士が出ず、後継者もなく昨年閉鎖された。金剛も今年故人となった。政略結婚だったから親方の娘とは離婚している。歴史的には「人望のある大麒麟が継ぐのが正解だった」となるだろう。だが押尾川部屋も益荒男の独立問題でおかしくなった。歴史は繰り返すのか。
「二所ノ関部屋が不振により閉鎖」というのは「超名門」と認識して育った私の世代には信じがたい事件だった。活躍力士が出なければこんなこともあるのだ。二所ノ関部屋の力士が移籍した(吸収された)のは松ヶ根部屋だった。大関若嶋津が創立したあたらしい部屋だ。あの二所ノ関部屋が松ヶ根部屋に吸収合併されるというのは、わたし的にはメダカがクジラを呑みこむような感じである。相撲部屋の栄枯盛衰を見ていると、なんとももののあわれを感じる。


 閑話休題、書帰正伝。二所ノ関部屋の由来に関する上の文。
《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し》と読んでいて、私は「大関の玉錦が、横綱昇進前に胃癌で死んだ」と思った。この文章の主語は「玉錦」なのだから。しかしそのあと《弟子は粂川部屋に預けられた》と続くのが奇妙。大関が死んで弟子が預けられるという流れがわからない。「弟子」とは誰の弟子なのだ。昔も今も力のある力士は現役中に弟子を取る。内弟子だ。独立したときにはそれを率いる。魁皇は浅香山として独立するときすでにふたりの弟子を持っていたし、横綱白鵬ももう内弟子を持っている。とすると「大関玉錦がガンで死んだので、その内弟子は粂川部屋に預けられた」という意味だろうか。

 このあと《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》と続く。玉錦は死んでいなかったのだ。生きていて横綱になったのだ。となると死んだのは誰だとなり、その前からの文の主役である《5代二所ノ関を襲名した関脇・海山》であるとやっとわかった。というのはウソ。私は玉錦が横綱になった、というか、横綱玉錦が二所ノ関部屋の基礎を築いたことを知っていた。だから「やっとわかった」は大袈裟だが、でも一瞬「え?」となったのは事実。知っている私でもそうなったのだから誤解したひともいるだろう。中学生の國語の問題として「この文の主語は誰か!?」と出題するなら、誰でもすこし考えて「海山」と正解を出せるだろうが、言いたいのは辞書辞典で「え?」と思わせてはまずいのではないかということだ。

《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。》の問題点は主語がないことである。ここに「しかし海山は、玉錦が横綱に昇進する前に死去し」と本来の主語の「海山」を挿れるだけでまったくちがってくる。それがないとこの文章の主語は「玉錦」になってしまう。それでは意味が通じない。英文で訳したとして比べるとわかりやすい。
 
「しかし玉錦が1932年10月に横綱に昇進する直前の1931年6月に胃癌で死去し」と、
「しかし海山は、玉錦が1932年10月に横綱に昇進する直前の1931年6月に胃癌で死去し」は、英語なら主語の異なるまったく別の意味の文になる。日本語は英語とちがい、主語を略しても成立する性質を持っている。ここでも前段を受け「海山」という主語を省いているのが日本語の味わいだ、と言うひともいるかもしれない。そうだろうか。

そのあとの玉錦の人生を語る、《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》も主語のない文である。日本人ならそれは「玉錦」のこととわかるが、これを自国のことばに訳して紹介しようとする異国人Wikipediaライターは戸惑うだろう。主語がないのだから。
 これも《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、玉錦は6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》と挿れればいいだけのことだ。しかしこれは「玉錦」がかぶるみっともない文だ。それをしないことが「日本的省略の美」であり、日本語の文章独自の美しさなのであろうか。いやそれ以前に、「6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した」と書く日本語感覚はなんなのだろう。いくつぐらいの、どんなひとが書いているのか興味深い。部屋の師匠に就任したはかなり滑稽だ。

 下に書くが、Wikipediaの文は各国語に翻訳され世界に流れるものである。よって漢数字で表すべき部分もみなアラビア数字になっている。それは許容せねばならない。そういう世界なのだ。Wikiの使命とは事典として「情報を正確に伝えること」であり、それが各国独自の表現よりも上に立つ。各国が自国の文章表現の美に酔ったなら、世界共通百科事典として翻訳の際に混乱を招くことになる。Wikiの文が川端康成や村上春樹である必要はない。

 こういうタイプの文が多い理由を、Wikipediaのライターが日本的表現の美にこだわったゆえに、とは思わない。これは、Wikiの文章の問題として指摘した「いちどに全部を言おうとし過ぎる」ことが原因であろう。二所ノ関部屋設立の由来を、なにもそんなに一気に「これこれこういう出自の力士が西暦何年(年号何年)にこういう経緯で創立し、西暦何年(年号何年)まではこれこれこういう理由で苦労したが、西暦何年(年号何年)に、これこれこういう理由で流星するが、でも西暦何年(年号何年)にこれこれこういう問題が起きて、これこれこういう理由で死んだ」と、創立者の人生を経歴や設立年度、死まで一息に言う必要はないのである。「設立に到る過程」と「弟子を育てるまでの苦労」、「その後の死ぬまで」を分けて書けば問題は起きない。そのほうがよりわかりやすい。なのに一気に書こうとするから足がもつれる。

 これはそのあとの「玉錦の項」にも共通している。冒頭の文は、連続しており、上段が「海山の一生」、続いて「玉錦の一生」だ。ふたりの人生を一息で語ろうとする。海山の最後は《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。
》、玉錦の最後は《しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した》となっている。まったく同じ形式の文だ。ふたりの人生を「あれがあってこれがあって、しかしこうなって死んだ」と一気にまとめようとするので読み辛い。玉錦の結びの文も主語がないが海山の結びよりはわかりやすい。同じ主語のない文でも、海山の生涯が玉錦の生涯よりもわかりづらいのは、玉錦が「これからというときに死んだ」とまとめられているのに対し、海山は「死去し、弟子は粂川部屋に預けられた」と、一生に加え死んだ後のことまでも一息に書こうとしているからである。一般原稿だと字数制限があるから主語を省いたり限られた字数ですこしでも多く情報をいれようと焦ったりする場合はある。しかしこれはネットの文である。字数制限はない。締切もない。なのになぜこんなに言いたいことを一気に言おうとしてよれよれになっているのだろう。そしてまたその文で、なぜ主語を明確にせずわかりにくくするのだろう。不可解である。

 たいした問題じゃない。「ん?」と一瞬思うが、すぐに「ああ、そうか」と理解できる。しかしこの「ん?」が「誰でも書きこめるWikipedia」にはやたら多いのだ。辞書を引いての「ん?」はいらない。「ん?」を解決してくれるのが辞書だ。便利さに感謝しつつも、この辺の不備はかなり苛つく。


 英語崇拝者により昨今の日本語は壊されている。典型的な例に「単数・複数」への異様なこだわりがある。「鳥が飛んできた」では「一羽か複数かわからない」とばかりに「鳥たちが飛んできた」とやる。英語はBirdとBirdsと単複を分ける、なのに日本語はあやふやだという英語信奉である。かといって英語も、一羽と二羽以上の区別はあっても、二羽と三羽の区別はない。どうでもいいことである。しかしこだわるのがいる。「男女」も同じだ。男と女がやってくる。「彼ら」でいいのだが、それでは男だけだと勘違いされると「彼彼女等」と書いたりする。男女同権か。
 
 日本語を貶める英語崇拝者が大嫌いな私としては、上記のようなWikiの文に関してもむしろ「主語が曖昧でも成立するのが日本語の秀でた点だ」と肩を持ちたい。しかし持てない。これはやはりただのへたな文章であろう。

 Wikiには世話になっている。インターネット環境のない場所に行くとき、可能な限りの辞書をHDDに挿れて行くが、それでも調べられないことは多い。上のような大相撲のことなどはWikiがないとお手上げである。異国の果てで突如むくむくと湧きあがってきた疑問点。知りたい知りたい。あれはどうだったんだっけ!? しかし調べる術がない。背中の痒いところに手の届かないもどかしさ。「ああ、こんなときWikiを引けたら」と何度思ったことか。Wikiには感謝ばかりで批判など出来る立場にはないのだが、それにしても下手な、というか基本的な日本語を書く技術を有しないひとたちが、大勢出入りしているところではある。

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【補記】──アラビア数字、漢数字

 Wikipediaはインターネット世界に存在するグローバルなものである。外国や外国人に関する文などはみな「翻訳」だ。相撲のような日本独自の文も、興味を持った異国のひとたちによって翻訳されて行く。だから日本のなんとか新聞が数字表記をすべてアラビア数字に統一しているように、Wikiの数字がアラビア数字なのは当然なのだろう。もともとがそっちの世界なのだから。コンピュータは0と1で構成されるアラビア数字の世界だ。

 文句は言いたくない。でもなあ、親方の代なんかは漢数字で書いて欲しい、と思ってしまう。「五代目二所ノ関親方」だろう。「5代目二所ノ関親方」はどうも……。まあこの場合は「何代目かわかればいい」と割り切るべきなのだろう。Wikiはそういうものだ。そう統一しているのだろうし、そこまで望んじゃ罰が当たる。テレビでいま「ひとつ、ふたつ」を「1つ、2つ」と表する時代だ。腹立つことなく我慢せねばならない。

 Wikipediaはそういうものだとあきらめるとしても、個人の表記はそれとはちがう。知りあいに近年将棋に興味をもち、ブログにしったかぶりの浅薄な将棋智識を書き始めたのがいる。彼は棋士の段位を「大内9段」のように表記する。こういうヤツに将棋が語れるとは思えない。

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【追記】──英語版を読んでみた

 主語のない文をどう英訳するのであろうと気になって英語版Wikipediaの「二所ノ関部屋」を読んでみた。以下、全文である。これで全部。創立から代表力士、閉鎖、移籍まで、要点のみをまとめたじつにスッキリしたものである。わかりやすい。見事である。量は日本語文章の十分の一もない。よって原文の足のもつれなど無関係だ。そんなことを気にした自分がバカみたいだった。そこまでWikiは原文を重視していない。


Nishonoseki stable
From Wikipedia, the free encyclopedia

Nishonoseki stable (二所ノ関部屋 Nishonoseki-beya?) was a stable of sumo wrestlers, part of the Nishonoseki group of stables (ichimon) named after it. It first appeared in the late eighteenth century and was re-established in 1935 by the 32nd Yokozuna Tamanishiki while still active. The former ōzeki Saganohana produced the stable's greatest wrestler, yokozuna Taihō, who won a record 32 yūshō or tournament championships between 1961 and 1971. The stable's last head coach, former sekiwake Kongo, took charge in 1976, when he was adopted by the widow of the previous head. He has also been on the board of directors of the Japan Sumo Association. The heya's fortunes declined in later years. It had no sekitori wrestlers after the retirement of Daizen in 2003 and at the end had just three active wrestlers, all in sandanme or below (and one of whom, Kasachikara, was 41 years old). The naturalisation of a Chinese born rikishi, Ryūtei, opened up another spot in the heya for a foreigner, and a Mongolian rikishi was recruited in March 2010, but he retired in May 2011.

In February 2010 general affairs manager Yoshiyuki Inoguchi, a former wrestler for the stable from 1975 to 1993 under the shikona of Nijodake, was found hanged in an apparent suicide.[1]

The stable closed after the January 2013 tournament, due to the ill health of the stablemaster and the lack of a suitable successor to him.[2] All three of its wrestlers retired, with the rest of the personnel (except Fujigane Oyakata) moving to Matsugane stable.

パソコン話──インターネットアクセスなし──スコットランド独立投票と逸ノ城

 私はいまNTTのフレッツ光と、WifiのWiMAXを使っている。フレッツは2007年から。WiMAXはASUS MeMO Padを買って使い始めたものだからちょうど一年になる。WiMAXと契約したとき「NTTをやめて、これ1本に出来ないか」と一瞬考えた。毎月の料金はNTTが3500円、WiMAXが4100円。やめるとしたらNTTのほうである。外出時のノートやタブレットで役立ってくれるWifiは必要だ。NTTをやめることが可能なら、3500×12、一年で42000円の節約になる。しかしその種の智識に疎い私は、どうにもWifiの無線というのを心細く感じる。全幅の信頼がおけない。やはり有線が確実のように感じる。デジタルを語るときに引きずるアナログ感覚である。ルーターもフレッツ用のBuffalo Air Stationが、いかにもStation然として頼り甲斐があるのに対し、URoad Aero Stationはかわいらしすぎて貫録がないWifi1本にしぼり、万が一大切なときに故障して通信出来なかったなんてことになったら困る。いちばん大切な趣味であり生活の要であり唯一の贅沢みたいなものだから、ここはどうかこの無駄づかいを御容赦願いたいと債権者方面に手を合わせ、二本立てで一年間やってきた。
Buffalo airBuffalo Air Station

 私が現在使用しているPCはデスクトップ機2台、ノート3台、タブレット1台の計6台だ。実質的に毎日触っているのは、自作デスクトップ機、モバイルThinkPad、ASUS MeMO Padの3台になる。インターネットに繋がらず困っているのはデスクトップ機の2台。あとはみな順調に動いている。それらはみな内蔵している無線子機でWifiを受信している。自動でやってくれるのだから楽だ。設定の最初のみパスワードを挿れねばならないが、2回目からは自動である。繋がらないデスクトップ機2台は有線LANタイプ。受信用の子機を内蔵していない。私のAsusのマザーボードはかなりあたらしいものなので附いていると思っていた。調べたら、ない。意外だった。デスクトップ機はまだまだ有線LANが基本ということか。この有線LANのデスクトップ機の調子がわるい。問題はNTT方面にある。「受信はしているがインターネットアクセスなしになる症状」の解決策を探すのに疲れた私は、なら以前からの懸案通り、「これをきっかけにぜんぶWifiにしてしまうか」と考えた。この時点ではこれは非常手段であり、NTTをやめる気はなかった。姑息な手段である。この場合の「姑息」は本来の意味、正しい使用法。「根本的解決にはならない一時凌ぎ」の意味あいだ。姑息に卑怯という意味はない。
 価格comの最安値段で980円の品を近所のケーズデンキで1580円で買うのにはすこし抵抗があったが、そうと思いついたら通販で届くのを待っていられない。最愛の自作デスクトップ機がインターネットに繋がらない不便にもう我慢がならなかった。思えばその症状が現れてから9日が過ぎていた。自転車を飛ばし無線子機を買いに行く。一時凌ぎのつもりだからデスクトップ機2台用に2コではなく、とりあえず実験気分で自作機につけてみようと1コにした。焦っている割には珍しく冷静。つまりは信用していない。追い詰められ、身動きできず、とりあえず姑息な一手段としてやってはみるが、どうせダメなんじゃないか、という気持ちがある。安いものとはいえ、そんな気分の品を一度にふたつは買えない。繋がらなかったらただのゴミだ。

 買ってきた。USB接続をする。設定を始める。自作機がWifiルーターを認識しない。「ルーターがありません」となってしまう。その辺の解決策をノートでネット検索する。「WiMAX ルーター 認識しない」で簡単に見つかった。ありがたい。感謝。ip重複を回避し、IPv4を固定する。10分後、無事繋がった。自作機がインターネットに繋がったことでこんなに感激している自分に惘れる。繋がらなかった9日間が遠い記憶のように思えた。
uroad-cradleURoad Aero Station

 私のようにWifi1本にしようと思いつつもなんとなく不安と二本立てでやっているひとに、Wifiだけでまったく問題はないとお伝えしたい。速さも充分だ。すぐにNTTをやめて1本にしたほうがいい。既にそうしているひとには「なに言ってんだ今ごろ」と嗤われるかもしれないが。
 WiMAXは10台まで繋げるらしい。このちいささでたいしたものだ。6台のPCとテレビのSmart Viyella、合計7台に無線で繋いでみたがトラブルは一切ない。極めて順調。上のURoadの写真はネットからもらったものだが、私のものと色も形もまったく同じ。AC電源接続に差しこむ透明な下部はPC用語で「クレイドル」と呼ぶらしい。Cladle。揺り椅子から転じてこういう受け皿の意にも使うのか。クレイドルという用語はテリー・ファンクのローリング・クレイドル・ホールドでしか使ったことがない。ひとつ賢くなった。調べると、この赤いWifi受信器とクレイドルのセットは、正規に買うと3万円以上する。私は二年契約をして無料で入手している。毎月の4100円に含まれているのだろう。ちいさくて薄くて(それが売りなのだが)ちょっと心配だったが、3万円もすると知ると急に心強く感じるのだから現金だ。置きっ放しだったのに急いでホコリを拭いて大事にしたりする。もう私のインターネットとの繋がりはこれだけだから頼りにせねばならない。壊れないでくれよ。

 こんなに順調なら去年やるべきだった。この1年のNTT料金42000円を損した気分だ。びびって決断できなかった自分の責任だからしょうがない。これから毎月3500円節約できるのかと思うとうれしい。怪我の功名となった。2007年から世話になったNTTは解約する。電電公社にさんざん威張られてイヤな思いをしてきたからNTTが大嫌いだ。無縁になってさっぱりした。そもそも携帯電話に興味津々なのにJphone設立まで買わなかったのもNTT以外の携帯電話会社が出来るのを待っていたからだった。JphoneはいつしかフランスのVodafoneになり、いまは朝鮮企業のSoftBankになった。それを使っているのがいまも忸怩たる思いなのだが……。あ、そうだ、今年の11月の「携帯電話会社切り替え無料月間」にauに替えるのだった。忘れないようにしないと。可能な限り朝鮮とは縁を切りたい。自作機に朝鮮部品はない。台湾だらけ。
 光ケーブルだってNTT以外の会社があったらそちらを契約したかった。しかし2007年当時、私の住まいでは選択肢はなかった。まさかこんな形でNTTと縁が切れるとは。すでに据えおき電話はずっと前に解約しているから、これでNTTとは縁が切れたことになる。深い部分は知らない。民間企業でも実はNTTを使わせてもらっているなんてとこも多かろう。それでも、すくなくとも毎月NTT宛に金を払う生活とは無縁になった。早速貸与機器を返せと封筒が送られてきた。使わない光フレッツのモデムをもっていてもしょうがない。着払いなのですぐに送り返した。

 今回二ヵ月ほど留守にするのに電気を切っていった。いつも入れたままで行く。ひとのいない部屋で冷蔵庫とPCが動いていた。HDDレコーダが番組を録画していた。今回は冷蔵庫の中を掃除してブレーカーを落とした。留守録までして見たいテレビ番組ももうない。私は何かを喰わないと酒が飲めない。たぶんその習慣のお蔭でまだ肝臓がもっている。喰わずに酒だけ飲むヤツはみな死んでいった。スーパーに行く時間がなく惣菜を買えなかったときのために、というかまだ開店前にやる狡酌瓩里燭瓩法⇔篥犖砲涼罎卜篥狄品がぎっしりと詰まっている。私の必需品だ。それを計画的に処分しつつ、空にしての掃除は手間が掛かった。処分が間に合わず出発前に捨てることになったものもけっこうあった。でもやってよかった。この辺の節電感覚は大震災以降に芽ばえたものだ。「計画停電」なんてのがあったっけ……。
 自作機の変調はそれも一因かも知れない。二ヵ月間電源を落としていたので、8.1が起動しなかったり、3teraのHDDを認識しなくなっていたり帰国後不調だった。さいわい内蔵電池は切れなかったようだ。この辺のCmosクリアとかの智識はもっているので心配はしなかった。しかしまさか想定外の「インターネットアクセスなし」に襲われるとは……。なんともスッキリしない9日間ではあったが、来月から毎月コンビニで支払っていたNTTのあれを払わなくてもいいのかと思うと心は秋晴れである。毎月1万円弱の電気代を大震災以降節電を心懸け5900円まで落とした時以来の壮快感だ。(続く)

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【追記】早速のURoadクレイドルのCM(笑)──22:03

 上の文をアップして間もなく、下にWifi受信器の下部、クレイドルの広告が入った。見事としか言いようがない。すごいなあ、自動検索で自動応答するようになっているのだろう。それにしても早い。あまりの反応の早さに怖くすらなる。これである。上の、赤いのを刺している下の部分。

UROAD-CM
 次のテーマをアップしたら次の広告になり消えるだろうから、今のうちにメモしておこう。これが壊れたなら12970円で買わねばならないのかと思うと、急に慎重に扱うようになったりして(笑)。

 今場所横綱大関を破って大活躍の嘉風の化粧回しは、嘉風が広告塔になっている高級マットレスのマニフレックスから贈られたものと知り、マニフレックスっていくらぐらいするのかなと調べた。腰痛持ちに高級マットレスは憧れだ。それでもう「こいつはマットレスに興味がある」と認識されたらしく、以来ブラウザにくどいほどマットレスのCMが表示される。即座の反応はありがたくもあり迷惑でもある。

パソコン話──インターネットアクセスなし──スコットランド独立投票と逸ノ城

 パソコンのインターネットトラブルとしてはかなり難易度の高い?「繋がっているのに繋がらない爛ぅ鵐拭璽優奪肇▲セスなし瓠廚法△劼気咾気砲屬舛△燭辰討靴泙辰拭8回線で毎秒100MBで受信しているのだがネットに繋がらないというトラブルだ。有名なトラブルでありネットにも解決策が目白押しだ。すぐに直るだろうと軽く考えていた。今までに何度も経験している。ところがコマンドプロンプトからipconfigを調べたりTCPのプロパティを手動にして書きかえたり、体験から学んだ解決策をあれこれやってみるが解決しない。かつてない難度だ。とはいえノート2台もASUS MeMO Pad(タブレット)も繋がっていて順調だ。ネット調べ物での苦労はない。仕事のメール送信にも支障はない。繋がらないのは自作のデスクトップ機と、もう一台のメーカー製デスクトップ機の2台だ。メーカー製の安物デスクトップ機は予備機でほとんど使わないからどうでもいい。もっとも、こういうときのための予備機であるから、いざ鎌倉というときなのに役立たずではある。いずれにせよネット環境のないところで何ヶ月も過ごしたりする私からするとインターネットに繋がらないなんてのはたいしたトラブルじゃない。繋がっているのだ。ノートでは。インターネットはできる。問題は私が自作デスクトップ機溺愛型であることだ。ましてしばらく海外でモバイルThinkPad、10.5インチだけの日々を送ってきたから、Core i7 3770をOCして4.3GMh、メモリ24GBのフルタワーに23インチデュアルディスプレイの最愛自作機への渇望がいつもよりも大きい。今はもう4000番台が主流だから3770は一世代前になってしまうが、このCore i7というのは私にとって到達点とも言える優れ物だった。Core 2 Duoは不満だらけだったが、これになってそれが一切なくなった。もともと負荷の大きい作業をするわけではないから高スペックは必要としないのだが、それでもCore 2 Duo時代には不満が溜った。Core i7は、なんともすばらしい。支那の田舎での自作では、これの弟分であるCore i5を使った。これまたよかった。今の私はこれで十分なのだと知った。i5で十分なのだからOCしたi7なら満点以上だ。かわいくてたまらない。Windowsで初めて満足できたのが2000だったように、やっと満足できたこのCPUの自作機をいじくりまわしたくてしょうがない。好きなだけいじくりまわせる。インターネットに繋がらないだけで。今の時代、どんなにかわいい自作機でもインターネットに繋がらないと魅力が激減すると知る。21世紀に入ってからパソコンを始めたひとはほとんど全部がインターネットをやることが目的らしい。私はそのずっと前の世代だからインターネットに偏っていない。通信は嫌いだ。パソ通もどんなに誘われてもやらなかった。見知らぬひとと係わりあいたくない。基本は文章書きと辞書であり、それはインターネットがなくても出来る。電子辞書なんて、日本語に関するPC系で発売されているものは全部もっている。外国語辞書も10ヵ国語ぐらいもっている。それはHDDに挿れてあるからインターネットがなくても利用できる。万全の態勢だ。でもこういう自慢も今の時代はむなしい。20世紀感覚だ。いまはそんなもの大金を出して買い揃えなくてもインターネットですべて無料で調べられる。ともあれデスクトップ機がインターネットに繋がらないだけであとは満点なのだが……。

 インターネットに繋がらない自作機で作業し、調べ物はノートでして、「おれはデスクトップ機がインターネットに繋がらなくても平気だ」と強がっていたのだが、一週間ほどでやはりそれは無理だと白旗を揚げた。面倒なのだ。その一例としてブログをぜんぜん書いてない。デスクトップ機偏愛であるから文章はこれで書きたい。好きな音楽を流し、右手のサブディスプレイでBGVを流しつつの作業だ。この快適さはノートにはない。なによりキイボードがちがう。私はフルキーボードが好きなのだ。しかしこれでブログテーマを書いたとしても、それからThinkPadに写して、そこからのアップになる。私はクラウドを利用していない(信用していない)からUSBメモリ経由になる。そんな二重手間をする気はない。クラウドを利用していればもっと簡単だが二重手間であることに変りはない。そう思うと書く気にもならない。書くPCとアップするPCが別々なのはイタい。ここ10日ほどなにも書いてないのはそれが原因だ。それ以前は日本にいなかったのだからしかたない。ブログのことはともかく、インターネットがあるのにインターネットに繋げないという苛立ちは大きかった。なければないで平気なのだ。私はインターネットのない生活を送れる。昔話じゃない。ついこのあいだも1ヵ月以上それのない生活をしてきた。ないのだからしょうがない。諦められる。でも今はあるのだ。あって、ノートやタブレットは繋がっている。唯一最愛の自作機だけが繋がらない。それも完全に繋がらなければまだしも秒速100MBで受信はしている。そこが不快だ。文章を書いているデスクトップ機のPC机を離れ、ノートを置いてある文机まで行き、そこでネットの調べ物をする。またデスクトップ機にもどる。それを何度かしている内に、「なんでこのデスクトップ機はインターネットに繋がらないんだ!」と腹立ってきた。こうなるともうダメである。インターネットのない生活を思えば、いやインターネットのある生活でも、かつての通信の遅かった時代、さほどインターネットが役に立たなかった時代を思えば、PC机で、デスクトップ機のかたわらにノートを置いて調べ物をすればなんの不足もないのだ。だが便利さに慣れてしまった今では、それすら煩わしくてやっていられない。

 二重手間で苛立った筆頭はWikipediaだった。すべての電子辞書を用意してあるとはいえWikiほどの万能辞書はない。あれが紙の辞書だったらどれほどの量になるだろう。Wikipediaはいろいろと問題点を指摘されている。まちがいも多い。私が最も不快に思うのは、あまりに日本語がへたなひとが書いていることだ。言うまでもないが美文や品格を望んでいるのではない。要は「わかりやすさ」だ。そうでなくても日本語は最後まで読まないと意味のわからないというフクザツな言語なのに、こういうところに書くひとは、「わかりやすい文を書いたら軽んじられるのではないか!?」とでも思っているらしく、やたらわかりにくい文を書く。自分に自信がないのだろう。これはきっと正鵠を射ている。私の知りあいでもやたらむずかしい文を書きたがるのはみなそんな連中だ。難読漢字、熟語を多用する傾向もうんざりする。たとえば「弁える──わきまえる」「阿る──おもねる」なんてのを多用する。漢字にする必然性を感じないが、それ以前にそのテーマ文章に「わきまえる」も「おもねる」も必要ないのだ。もう「弁える」「阿る」と使いたくて書いているのではないかと思うほど不自然な使用法である。これまたわかりやすい日本語やかな文字を使うと文に重みがないとでも勘違いしているのだろう。Wikiの下手な文のもうひとつの傾向は、「一度にぜんぶを言おうとすること」だ。簡便に分けて書けばわかりやすいことを一気に言おうとするから、やたら長くて意味不明な文になり、「これはなにを言いたいんだ?」と何度も読み返すような文が頻出する。しかしそういうマイナスは微微たるものだ。Wikiを信仰する神様だと思うなら不満も噴出するが、隣のなんでも知っている物知りおじさんと解釈するなら、こんなすばらしい友人はいない。旅先でのWikipediaの便利さは抜きん出ている。どんなことでもたちどころに調べられるから、これのないインターネット生活は不満が溜る。

kanren7 Wikipediaのわかりにくい文の例──二所ノ関部屋の項目から


 デスクトップ機がインターネットに繋がらずブログを更新していないここ十数日のあいだ、書きたいなあと思うブログテーマがふたつあった。ひとつはスコットランド独立のこと。もうひとつは大相撲の逸ノ城のことだった。しかし書いてない。アップしていない。デスクトップ機で書き始める。するといつものよう「スコットランドのGDPはUKの何割なんだ?」「逸ノ城が今年の初場所幕下付け出しでデビューしたとき、初黒星は何日目だっけ?」と疑問が浮かぶ。調べたい。しかし出来ない。このデスクトップ機はインターネットに繋がらない。ノートまで行く。調べる。デスクトップ機にもどる。それを繰り返している内にイヤになってしまう。書く気が失せてくる。ほとんど使ったことのないことばなのでこの時とばかり使おう。「モチベーションの低下」ってヤツだ。
 これは文章の書きかたとして間違っている。文章を書くなら、あらかじめ下調べをし、それを資料としてまとめてから書きだすのが正しい。ノートが繋がっているのだからスコットランドのことも逸ノ城のことも調べられる。調べてメモして、それを手元に置いて書きだせばいい。それが正当な方法だ。しかしもう何年も「書きつつ疑問点を調べるというインターネット癖」でやってきたものだから、これが出来なくなっている。いや、もちろん、一応ライターとして、それは出来る。仕事ではそうしている。でも趣味のブログでそこまでやるのは面倒になっている。
 妥協案として「不明な部分は空白にしておいて後で記入するという方法」がある。しかしこれも「疑問に思ったことはすぐ調べる。すぐ解決するというインターネット癖」がついているから、後まわしにするのがもどかしくてしょうがない。「スコットランドのGDPはUKの×割しかないが」「逸ノ城はデビュー×日目に初めて黒星を喫する」のようにとりあえずパスして書いていると×の部分が気になってちっとも愉しくない。けっきょく書くのをやめてしまった。自分がここまでインターネットに依存しているとは知らなかった。あらためて「今の時代、インターネットに繋がらないPCはPCじゃないんだ」と感じた。(続く)

続・奥多摩の遅い春──Wifi通じず

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 奥多摩探訪は楽しい体験だった。唯一困ったのは山奥でWifiが繋がらなかったことだ。電波状況が赤ボタン点滅になってしまう。これは以前東京の街中でもなったことがあり経験済みだった。小金井公園のちかく、しかもマンションの中である。部屋の真ん中で通じない。窓辺に行ったら黄色ボタン点滅になり、なんとか実用に耐えうる程度の通信は出来た。安定は緑ボタン点灯である。黄色はまだなんとかなるが、赤ボタン点滅になると確実にダメだ。この時点でWifiがさほど頼りにならないらしいとは気づいていた。だって分厚いコンクリートの壁が遮ったとはいえ都内なのである。この奥多摩のような外れではない。ショックだった。



 私は下のWiMAXを使っている。これはネットで探してきた写真だが私のもこの赤である。他社のものなら奥多摩で通じるのか? ま、いずれにせよかつてケータイがそうであったように、より普及すればどこでも通じるようになると思うけれど。 
 
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 Wifiを導入したとき、私は通信環境をこれだけにしようかと考えた。Wifiの会社ではそれを勧めているところもある。「もうこれだけで十分ですよ」と。そうしているひともけっこういるらしい。
 ずっとフレッツ光を使ってきた。それをやめてデスクトップ機もWifiにするとフレッツ代金3500円の節約になる。しかしWifiは私の住まいでも時折黄色点滅になったりするのだった。なんのかんの言ってもインターネットがなくてはいられない。3500円の節約でイライラするような状態は避けたい。そう思って今も両方使っている。思えば使い始めの昨秋から、電車の中でAsus MeMO Padでネット新聞を読んだり、メールの返事を書いたり、外出先(都心)でThinkPadに繋いだりしてWifiの便利さに感謝しつつも、「なんかもうひとつ頼りにならないぞ」とは感じていた。


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 奥多摩山中で完全に繋がらなくなった。地理的には首都東京なのに。
 ここで私はいかにもWifi初心者らしい勘違い悪足掻きをしている。恥ずかしいが正直に書いておく。Asus MeMO Padの受信状況(携帯電話でいうなら棒三本のような)は満点を示し、さらには内部設定で確認すると「非常に強い状態の受信」になっている。それで私は「なんとかならんのか」と、タブレットの通信設定を変えたり再起動したりしていじくりまわした。Asus MeMO Padは「非常に強く受信」しているのである。なら出来るはずだと。
 お笑いになっているかたもいるかと思うが、この「強い受信」はAsus MeMO PadがWifiルーターの電波を受けている状況のことである。そりゃ50センチと離れていないのだから強く受信しているだろう。でもWifiルーターは電波を受け取れず赤ボタン点滅なのだから、いくらAsus MeMO Padが「受信絶好調」となっていてもインターネットが出来るはずもないのだった。とは後で気づいたこと。

 私のガラケーは通じた。友人のスマホも通じた。はっきりとWifiの能力は携帯電話よりも落ちると知った。これは私なりにショックである。多くの識者が口にし、私も同意した「ガラケーとタブレットのタッグが最強」が、奥多摩山中で崩壊した。
 私はネットで調べ物をしたかった。でも電話機能に限定しているガラケーでは出来ないし、Wifiが通じないのだからタブレットでも出来ない。でもスマホなら簡単に出来てしまう。私の考える最強タッグがスマホ単独に完敗した瞬間だった。 


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 インターネットが出来ないとAsus MeMO Padの魅力は半減した。通信できなくても、カメラもあるし、内蔵のゲームも出来るし、外附けの32GBのMSDカードにはたっぷりと音楽も自炊マンガも入っている。出来ることはいっぱいあるのだ。だがこの種のタブレットは「通信することによって使える機能」が多い。辞書もそうだ。通信状態にならないと使えない。マップは言うまでもない。

 なんでも即座に調べられる状況に慣れているから、「あの漢字はどう書くんだっけ」「あの英単語のスペルは」と疑問が湧くとすぐに調べる癖がついている。漢字や英語のほうは携帯した[POMERA]に、国語辞典、英和和英辞典がついているのでなんとかなったが、ネットでないと調べられないこともある。

 といってたいしたことではない。たとえば「内田の勝っているG1ていくつあったっけ!?」のようなものだ。実話である。ふとそんなことを思った。奥多摩山中で、思わねばいいのに思ってしまったのだった。思ってしまった以上ただしく知りたい。指折り数えてみる。「ゴールドシップの皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念」と、あたらしいところから遡って行く。「ヴィルシーナのヴィクトリアマイル、エイシンフラッシュのダービー、オウケンブルースリの菊花賞」と、このあたりまでは順調。だんだん怪しくなる。「ああ、サクセスブロッケンのフェブラリーは内田だよな、それから……宝塚記念をもうひとつ勝っていた、なんだっけ、エイシンデピュティか」、「あとNHKマイルを勝ってる。あれはまだ南関所属のころだ、え〜と、あの馬は……」
 
 これが出てこない。「たしか金子さんの馬だったな」「牝馬だ」「とんでもない大穴だった」と周辺のことは思いつく。「なんだっけ、ローブデコルテ、ちがうな、あれはオークス馬だ、福永だ」
 出ない、いらいらする。

 通信さえ出来ればすぐにわかる。もう十数年もそういう環境の中で生きてきた。しかしいま奥多摩の山奥でそれが出来ない。インターネットのない時代だったらわからなくて当然だ。手帳にメモしておき帰宅して調べる。そうするものと決まっているから憤懣はたまらない。でも今の時代は、すぐに調べる、すぐにわかることに慣れている。そして、私がスマホ派だったらこのイライラはないのだ。それが悔しい。隣の友人にスマホで調べてくれとは意地でも言えない(笑)。


 山から降りて町中(街中じゃなくて町中だろうねえ)まで来たら通じた。すぐにピンクカメオとわかる。背中の痒いところに指が届いた気分。
 奥多摩の光フレッツはどうなのだろう。地元の友人によると通じているらしいのだが……。

 山野井さんのような山暮らしにも憧れるが、やはり私に奥多摩は無理のようだ。通信のこともあるが、それ以前に、ここで暮らすにはクルマは不可欠だし、町への買い物がたいへんだ。街中の集合住宅で暮らすほうが楽で安あがりなのである。そう、なによりも経済的な問題が先だつ。ごくたまの訪問だけにしたほうが無難のようだ。奥多摩の訪問……オヤジギャグになってしまった。

楽天が鯨肉やイルカ肉の販売を全面禁止──社内の会話はすべて英語というアホ会社

 楽天が運営するインターネット仮想商店街「楽天市場」で、鯨肉やイルカ肉の販売を全面禁止する通達を出したことに、怒りと戸惑いの声が広がっている。国際司法裁判所(ICJ)の判決を踏まえた判断というが、ICJが中止を命じたのは南極海での漁のみで、調査捕鯨自体を否定したわけではない。捕鯨関係者は楽天に販売禁止通達の即時撤回を求めている。

 楽天が通達を出したのは今月1日で、ICJ判決(3月31日)の翌日。楽天市場の出店店舗すべてを対象としたガイドラインをメールで送信し、鯨肉を「禁止商材」に加えたことを通知した。30日までに該当商品を削除するよう求めている。

 捕鯨の町として知られる和歌山県太地町の三軒一高(さんげん・かずたか)町長は「ICJ判決をちゃんと読んでいないのではないか。日本の企業として絶対にあってはならない」と憤り、楽天の措置を「今すぐ撤回してほしい」と語る。

 楽天は、全面禁止の理由について「ICJの判決と、政府が判決に従うという見解を出したので、両方を踏まえて総合的に判断した」と説明するが、判決は南極海での調査捕鯨を対象にしたもの。日本国内に流通する鯨肉のうち、南極海産は約2割に過ぎない。

 さらに、ICJ判決は実際の捕獲数が捕獲枠よりも少ないことを「非科学的」と批判しただけで、日本の調査捕鯨自体は「科学的研究の性格を持つ」と一定の理解を示している。

 にもかかわらず、楽天が鯨肉すべてを販売禁止にしたのはなぜか。

 楽天の広報担当者は「総合的判断としか言いようがない」と繰り返すが、評論家の屋山太郎氏は「楽天は世界に進出するのだから『鯨の肉を売るのはまずい』と判断したのだろう。流通業としては仕方ない。ICJの不合理な判決の犠牲者だ」と同情的な見方を示す。

 これに対し、宮城県・金華山沖合で、組合員が調査捕鯨に従事する牡鹿漁業協同組合の内海純業務課長は「楽天市場の中で鯨肉を扱っている割合が低いから、他の影響を考えたらやめたんじゃないか。過剰反応だ」とため息をつく。

 前出の三軒町長は「楽天という企業に対する見方が、これで変わってしまった」と語った。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140407/dms1404071535008-n2.htm

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 どうにも、以前から、ずっと、楽天という会社が好きになれない。通販でも利用したことがない。ごく感覚的なもので、サイトのデザインや、しつこくフォローしてくることや、とにかく、なんか、嫌いなのだ。
 社内での会話をすべて英語にすると発表したときは、惘れた。こんなバカな会社が存在する時代になったのかと。好きになれない自分の直感が正しいことを確認した。 そういやユニクロってのも社内の会話は英語だったか。楽天もユニクロも関わったことがないのは誇りになる。

 そして今回のこれである。 「日本の企業としてあってはならない」と憤っているひとがいるが、「日本の企業として」の自覚なんてものがそもそもないのだろう。だって日本という国にいて、日本人社員全員が英語で会話してるんだよ(笑)。バカとしか言いようがない。日本語をきちんと話せないヤツにまともな英語が話せるわけがない。
 社内でいつも英語で話しているヤツラと私が、あるテーマで英語でディベートしたなら、私が勝つだろう。彼らのほうが英語はうまいだろうが、日本語力と綜合力のちがいだ。社内の会話を英語にすることに何の意味があるだろう。暗愚である。以前ニュージーランドに留学していたことが自慢の二十代の女とそんなことがあった。現地で学んで、発音のいい流暢な英語を話したとしても、中身のない人間は中身のない英語しか話せないのである。社内の会話を英語にするよりすべきことがある。
「楽天という会社の見方がこれで変ってしまった」と嘆く町長は、今まで変らなかったのがへん。遅すぎ。もっと早く気づくべし。

 一貫性で語るなら、楽天には見事に一貫性がある。負の(笑)。
 つまんねえ会社だ。 これから世界の顔色をうかかがってこんなことをする日本の会社が増えて行くんだろうな。いやな時代である。

SNS考──Facebook、Twitter──「シマムラ事件」──キリンビールCM「ラ党の人々」二度目の人気(笑)

キリンビールCM「ラ党の人々》というのを書いたのが2011年12月13日。友人が教えてくれ、会員限定のYouTubeで見たものだ。そこでは『文學界』で読んだ《つかこうへいの遺作「鯖街道」》をリンクしている。

 その後どういう理由なのか知らないが2年半後の2013年2月に、隣の「人気記事」にランクインした。なにかあっての懐メロ再ヒットである。たぶんどなたかのリンクだと思うが原因はわからなかった。
 
 その時、2年半前の記事を読み返した。本文の中身は覚えていたがリンクしている「鯖街道」に関する文をまったく忘れていた。「へえ、そうなのか」と自分の文を感心しつつ読み進んだので、「自分の書いた文に感激するという惚け現象」というのを書いた。なさけないけどほんとなのだからしょうがない(笑)。

※ 

 今回またランクインしている。うれしいおどろきである。このブログをやっていての最大の楽しみは、こんな形で旧い記事が突如浮上することだ。ここのところもうそれだけが楽しみでやっているようなもの(笑)。
 これはアクセス解析を見てすぐに原因がわかった。どなたかがFacebookでここをリンクしたらしい。だってそれを読みに来ているひとのすべてがFacebookから来ている。無料ブログの簡単なアクセス解析でも解るぐらい明確だった。
 どなたがどんなテーマを書き、どんな流れでリンクしたの知りたいが私はFacebookに参加していないので行けない。でもかなりの人気者なのだろう、だってそのひとのリンクからだけで毎日何百人ものひとが来ているのだから。なんなのだろうねえ、つかこうへいファンなのかな。



 Facebookには参加していないが、以前友人のパソコンで「Facebookとはどんなものなのか!?」は見せてもらっている。
 ここは本名と顔写真で登録するらしい。試しに、何十年も会っていない学生時代の知人の名を入れてみた。するとすぐに反応があり、「慶應義塾大学×学部×年卒業」というプロフィールとともに顔写真や住所まで出てきた。おどろいた。Facebookとはそういう場なのか。これだったら会えなくなっている友人捜しも出来る。あるいは母校繋がりによるあらたな交友とか。あの当時、今は知らないけど、義塾の一学年は6000人ぐらいか。思えば6000人も同級生がいるんだな。考えようによっては心強い。いやはや、ほんと、世の中すごいことになっている。ま、その知人はべつに会いたいひとでもないので私は連絡しなかったけど。



「しまむら土下座事件」というのがあった。それに関する私の考えはここに書いた。
 ああいう些細な気に入らないことで店員を土下座させるような異常な人間による事件は、今までもいくつもあったことだろう。だが世間的な事件になることはなかった。個人と店の関係で終っていた。
 ところが今はSNSがある。 

 あの女は、そのことを自慢たらしくTwitterで公開した。土下座写真附きで。
 そのことから反感を抱かれ、Facebookを見つけられる。そこから青木という通名も朝鮮人学校に通う娘の写真も流出した。

 SNSがなければ、この女が、いくら土下座させたことを世間に自慢したくても、アピールの方法がなかった。
 アピールとそれに対する反感も、Twitterだけなら批難が集中した時点でアカウントを消して逃亡も出来た。だがFacebookまでやっていた。「買ったタオルケットに穴が開いていた」という抗議で店員に土下座をさせること、その写真を得意気にアップすることからも、この女の精神がまともでないことはたしかだが、SNSがなければ、全国的な事件になることもなく、逮捕されることも、罰金刑30万円になることもなかった。ずいぶんと高い「土下座代金」になった。自業自得、墓穴を掘ったことになる。いわば近年の猫も杓子もSNSという気狂いに刃物状態の中、気狂いが刃物で我が身を切ってしまうというオチになった。 



 Facebookに参加すると、あたらしい友人が出来るかも知れない。交友世界が拡がるかも知れない。
 懐かしい友人と再会出来るかも知れない……というのはないな、会いたいひととは会っている、会わないひとは会いたくないひとだ。会いたいけど会えないというひとはいない。死人を別にすれば。
 あたらしい世界が拡がるのはたしかだろう。でも自分のサイトとこのブログだけでいいや。これ以上SNSには関わらなくてもいい。今の状態でお腹いっぱいだ。 
 
 逆から考えてみると、もしも私が「連絡が取れなくなり交友が途絶えてしまっている旧い友人と再会したい」と願うようなタイプなら、すでにもうFacebookをやっている、ということか。

佐川急便話──再配達時間指定とはなんなのか!?──時間指定をしても無視する異常

 3月7日に書いた「佐川急便嫌い──またあのクソ佐川に関わってしまった」に、「営業所番号がなかったのは運転手のミスだった」という文を4月2日に追記した。

 前回、ドアに不在通知が入っており、そこにある自動受付に電話したら「4桁の営業所番号を挿れろ」と言われた。不在通知書にそんなものはなかった。絶対になかったのだが、私は自動受付電話があそこまで自信満々に言うのだから、それに対応できない自分にもなにか問題があるかもと思っていた。

 それが今回ハッキリした。3月末に註文した充電池eneloopを4月2日に届けに来たらしく、また不在通知が入っていた。するとそこには運転手の手書きで4桁の営業所番号が書かれていた。前回なかったのは運転手が書き忘れたのである。これもまた明らかな佐川側のミスだった。それを確認できた。原因がわかって咽のつかえが下りた。



 過日、不本意ではあったが佐川に自分のことを登録した。縁を切りたいのだが、佐川と契約している店が圧倒的に多く、ここに書いている話は3月7日と4月2日だが、その間にも何度か佐川を使っている店から購入してしまい、そのたびにトラブルが起きている。「佐川が嫌いだ、縁を切る」と言いつつ縁を切れない自分を恥じて、ここには書いてないけれど。

 氏名住所メールアドレスを登録したからか、佐川からもヤマトと同じような「メールの不在通知」が来るようになった。今回も届いていた。そのURLをクリックして、「4月3日の夜7時から9時のあいだに届けてくれ」とWeb佐川に申しこんだ。それに対する返事が下のもの。


info-ptl@sagawa-exp.co.jp
4:07 (12 時間前)

To 自分 
結城恵助 様
Web再配達受付サービスをご利用頂き、ありがとうございました。
受付内容をお知らせ致します。

【受付内容】
■お問い合せお荷物番号
3543-7578-0
■希望再配達日時
2014年4月3日(木)
19:00〜21:00

【ご注意】
※天候・道路事情等により予定通りに配達できない場合がございます。
※本メールのご案内はシステムによる自動送信を行っています。
 ご返信についてはお受けできませんのでご了承下さい。

佐川急便株式会社

 4月3日の19時から21時に届けてくれというこちらの希望を諒解しました、という内容である。
 【ご注意】
※天候・道路事情等により予定通りに配達できない場合がございます。とあるが、それは「19時から21時のあいだに届けられない場合もある」ということだろう。まさか「19時から21時のあいだに届けられないので朝の9時に届ける場合もあります」ではないと思う。

 3日は17時にもどった。帰路、「19時過ぎに佐川が来るから印鑑を用意しておかねば」と思った。私は代引の時代もお釣りのないように、3627円のような端数の場合もきちんと揃えて待っていたので、 運転手によろこばれた。「こんなことしてくれるお客さんは10軒に1軒もないですよ」「お釣りがなくて、ちかくの自動販売機でカンコーヒーを買って作るんですが、1日に何度もそれをやるとお腹がガボガボになっちゃって」なんて会話もした。今日のように届く日は、ドアの近くに印鑑と朱肉を用意しておき、チャイムがなったらすぐに捺せるように準備している。それは、届けてくれる運転手に感謝と敬意を表しての礼儀と心得ている。

 ところがドアをあけたらまた不在通知が入っていた。理解できない。午前中に来たようだ。なぜ19時過ぎと指定しているのに毎度午前中に来るのだろう。いるわけがないのに。ずいぶんと無駄なことをしている。諒解しましたという返事はなんなのだ。
 PCを開くとメールが届いていた。


佐川急便株式会社 info-nimotsu@sagawa-exp.co.jp
10:25 (6 時間前)

To 自分 
結城恵助 様

いつも佐川急便をご利用いただきありがとうございます。
ご不在でしたのでお荷物をお預りしています。

■お問い合わせNo.
354375780

■配達日時
2014/04/03 09:32

■Web再配達依頼受付

Web再配達依頼受付をご登録されるお客様は、以下のURLをクリックして下さい。 


 朝の9時に届けに来て留守だったという。私は19時過ぎにと申しこんでいるし、諒解しましたと返事ももらっている。なのになぜ9時に来るのだろう。

 あらゆることが不快な佐川急便だが、今回は会社側(=コンピュータ)と運転手の齟齬が不快だった。今日は雨の日である。雨の中、いないと伝えてあるのに、 その私の部屋に来て、チャイムを鳴らし、留守を確認し、不在通知を書いている運転手が気の毒になった。こういう会社だからああいう運転手ばかりなのだろう。自業自得か。



 なんともしょうのない会社である。さんざんイヤな思いをしてきた私の中の佐川に対する熱い怒りは、数を繰り返すことによって、次第に「しょうがないよね、佐川なんだから」と諦めの気持ちになりつつある。とにかく、精一杯努力して佐川を使っている店からは買わないようにしよう。いまはそう思うしかない。

 不在通知にある運転手の携帯電話に掛けてみる。これから持ってきてくれるかもしれない。運転手の電話受付は18時までと書いてある。いま17時20分、まだだいじょうぶか。
 出ない。18時までのあいだに何度も掛けたが出ない。出ない電話番号なら書くなよ。

 これからまた「4月4日の19時過ぎにお願いします」とWeb佐川にメールを書く。どうせまた届かないのだろう。また「午前中に来ました、留守でした」と不在通知が入っているのか。しょうがない、佐川なんだから。佐川を使っている店に註文した私が悪いのだ。溜め息吐いて諦めるしかない。

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【追記】──ヤマトだってある(笑)──2015/02/18

 2015年2月16日、Amazonで買い物をし、カードで払う。17日に註文確定のメールが来た。「お届け時間」が「指定なし」になってるいるので、ヤマトのサイトから会員覧にログインし訂正する。日中はいない。「なし」になっている指定時間を18時から20時にした。すぐに返事が来た。それがしたのもの。



受け取り日時変更依頼受付完了のお知らせ
受信トレイ

ヤマト運輸
2月17日 (1 日前)

To 自分 
******* 様

いつもクロネコヤマトをご利用いただき、ありがとうございます。
お荷物の受け取り日時変更のご依頼を下記のとおり受け付けました。

<ご依頼内容>
■お受け取りご希望日時 : 02/18日 (水) 18時から20時まで
■伝票番号       : 4114-4288-****



 2月18日。17時半に帰宅すると不在通知が入っていた。



ご不在連絡eメール
13:19 (5 時間前)

To 自分 
**** 様

いつもクロネコヤマトの宅急便をご利用頂きありがとうございます。
お荷物のお届けについてお知らせします。

02月18日 12時43分にお届けに参りましたが、ご不在でしたので持ち帰りました。

■伝票番号
4114-4288-**** 



 上記の佐川と同じである。なんのために時間指定したのか。むなしくなる。いつも思うのは「いないとわかっている部屋をノックし、不在通知を書く運転手が気の毒だ」である。ヤマトでは初めてだ。しかしここは公平に書いておかないと(笑)。

 運転手に電話するのも面倒だし、ヤマトのサイトに抗議メールを書くのもなあ、と迷っていたら、18時10分にノックの音。届いた。運転手にその旨話すと、「ぜんぜん聞いてなかったものですから」とのこと。「二度手間になっちゃいましたね、雨の日にすみません」「いえいえ、こちらこそ」となごやかな応対。
 これで連絡が面倒だとなにもせず、届くのが数日遅れ、運転手の態度が悪かったりすると、ここに書く文もちがってくるのだが、以上のような流れですんなり治ったのでヤマト批判はなし。

 ほんとうはあの「ヤマトメール便廃止」に関して、郵政に対する怒りをヤマト側に立って論じたいのだが、いまはそんな元気もないのでここまでとする。 メール便廃止は残念だ。役所には腹立つことばかり。

生活雑記──GMOとくとくポイントでラミーのサファリが無料に──なんだかうれしい朝(笑)

 数年ぶりに燃えあがった萬年筆熱で、ここのところ原稿用紙に書いている。満寿屋である(笑)。
 メインはプラチナ太字(#3776以前の品なので型版がわからない)とパイロットのカスタム74極太でいいのだが、安いのもあれこれ使ってみたい。
 LAMYの万年筆Safariが欲しくなった。もちろんペン先はBである。
lamy

 Amazonには太字がなかったので、いままで買ったことのないショップに行った。2700円。佐川でなく郵便で送ってくることもしっかり確認して註文へ。



 そのショップの会員新規登録を選ぶと不思議なことが起きた。「このメールアドレスはすでに登録されている」と出てしまうのだ。した憶えがない。初めての店だ。でもそう出る。パスワードを挿れてログインしようとすると今度はミスと出る。それで「パスワードを忘れた」をクリックして、パスワード変更を希望すると、「正しいメールアドレスを挿れてください」と出てしまう。これは私のメールアドレスが登録されていないということだ。そのはずである。この店で買った記憶がない。ならなぜ「すでに登録されている」と出てしまうのか。

 これを何度か繰り返し、うんざりしてしまった。この店がいちばん安い。他は千円以上高くなる。だからここで買いたいのだが、めんどくさがりの私はこういうのに当たると「千円ぐらい高くてもいいや」になってしまう。もう他所の店で買うか。とにかく買いたい。使いたい。極太で原稿用紙にまともな文を書いていて、その間にまたノートを手にして中字で「いやあ、さすがに書くのに疲れた。すこし休もうか」と愚痴ったりするのが──書くのに疲れたとぼやきつつまた書いているのだが(笑)──愉しい。そのためには気分転換用にカラフルな萬年筆、カラフルなインクは必需なのだ。



 この店が会員にならなくても買えるのならよかったのだが、会員登録をしないとレジに進めない形式だ。困った。しかたない、他の店で買うか。と、その隣にあるこんなのが目に入った。

gmotokutoku

 私はもう数年プロバイダはGMOだ。でもこの種のものには興味がないので関わらない。これにも入っていない。でもこちらからログイン可能ならやってみるかと新規登録をクリックする。するとまた「このメールアドレスはすでに登録されている」と出る。なら会員としてログイン出来るかとなると、パスワードを挿れると認められない。うんざり。もうだめだ。でももう一度だけ、と「パスワードを忘れた」をクリックしてみる。隣のショップの新規会員になるところでは、これが通じなかった。

 なぜかこちらはすんなりそれが通じ、すぐに「パスワードを変更する場合はこのURLに」というメールが送られてきた。パスワードを変更する。するとあたらしいパスワードですんなりログインできた。よかった、いちばん安いこの店で買える。

 ということは私はこの「GMOとくとくポイント」というのにプロバイダ契約をしたときに入っていたのだろう。このポイントはアンケートに答えたり、加入店でショッピングしたりして溜めるらしい。アンケートには答えないし加入店で買い物をした覚えもないからこのポイントは私とは無縁だ。



 ところが、なんと、知らないうちにポイントが溜っていたのである。ここ数年のプロバイダ使用によるものらしい。そしてそれがなんという偶然かピッタリ2700ポイント(=2700円分)だったのだ。

 この種のものと関わらない私はまだ半信半疑。いつものようVisaデビットカードで2700円を払おうとする。その下に「GMOとくとくポイントでお支払」というのがあったので、そこをクリックしたら、2700ポイントが0になったかわりに、私の払う金額も0と表示され、それで註文OKとなった。いま確認メールが来た。私は一円も払ってないが、写真の黄色いLAMYのSafariを明日にはもう無料で入手出来るらしい。夢みたい(笑)。

ink-tsukiyo
 いやはや世の中ってのはやってみるもんなんだなあ。うまくログイン出来ないときに腹立って他の店に行ったら、同じ商品を3700円で買っていた。それが憶えのないGMOとくとくポイントなるものに関わったら無料でLAMYのSafariを入手出来たのである。着くのが楽しみだ。インクは何を挿れよう。パイロットの「月夜」でも挿れてみるか。



 ニコ生で「電王戦第二局 佐藤紳哉六段対やねうら王」を観戦中。先手PCはオーソドックスな四間飛車と美濃囲い。後手佐藤は居飛車穴熊。がんばれ、サトシン!

ネトウヨは低所得低学歴?──ひとは裕福になるとウヨクになる?──アサヒシンブンによると(笑)

シナの新聞にあった意見

9日に実施された東京都知事選において、元自衛隊航空幕僚長、「右翼の旗手」である田母神俊雄氏が60万票 以上を獲得し、本人でさえも意外であったほどだ。

日本メディアは、田母神氏はネット選挙の戦略と極右的な 発言により、ネット右翼の人気を集めたと分析した。 ネット右翼とは、主にネット上で右翼的・保守的な意見を発信する人々のことで、他にも排他的な傾向を持つ 個人や集団を指す。

朝日新聞によると、ネット右翼の多くは低学歴・低所得の若者で、ネットを好んで利用 するという。
彼らは中韓を憎み、日本が韓国に支配されていると感じている。彼らは右翼の観点にとって 有利な、確かではない「証拠」を集めることに熱中し、「陰謀論」を迷信している。

記者が日本のウェブサイトを閲覧したところ、ネット右翼がネット上の輿論を支配していることが分かった。 2ちゃんねるは、ネット右翼が結集する「砦」だ。

彼らは中韓両国に関するさまざまなことを必死になって 軽蔑・攻撃し、ナショナリズムの旗を高々と掲げ第二次世界大戦の歴史を否定し、南京大虐殺や慰安婦問題 などを認める文献を「自虐史観」と見なしている。

また多くの親中派、中立的な立場を持つメディアを 「売国奴」としており、鳩山由紀夫元首相も攻撃を受けている。

彼らは安倍晋三首相ら、日本の政治家による 靖国神社の参拝、侵略などを否定する言行に強く賛同しており、先ほどのNHK会長らによる慰安婦を否定する 発言などを支持している。

法政大学大原社会問題研究所の五十嵐仁教授はブログの中で、日本は確かに右傾化しており、ネット右翼の 活動などが活発化していると指摘した。五十嵐教授によると、ネット右翼などの排他主義は民族的な理由から ヘイトスピーチを発信し、その勢力を強めているという。

弁護士の猪野享も、日本の若者は景気低迷や就職難 などの問題により、最も社会に反抗しやすく、権威により自分を強く見せるという傾向に陥りやすいと指摘 している。http://japanese.china.org.cn/life/2014-02/13/content_31460000.htm


 アサヒシンブンによると熱湯よく(ATOK2012変換)は低学歴低所得の若者らしい。どういうふうに調べたんだろう。興味あるなあ。調べてないだろうけど(笑)。自分達が高学歴高収入だから自分達と考えのちがう人間をそう決めつけただけじゃないの(笑)。
 でも下のような記事もある。これはアサヒシンブンが調べたんじゃなくて事実からの分析だ。

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左派も、金持ちになれば右派に転向

研究結果 The Huffington Post 執筆者: Mark Gongloff 投稿日: 2014年02月12日 17時09分 JST

有名なベンチャーキャピタルクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズの 共同設立者トーマス・パーキンス氏は先日、左派的な人々が、「1%」を占める富裕層への批判を 繰り返していることを、1938年にドイツで起こったクリスタル・ナハト(ユダヤ人に対する襲撃 暴動事件)になぞらえたことで問題になった。

正直に告白すると、筆者も「左派」の一員だ。だが、私が将来思いもかけずお金持ちになったら、ど うなるだろうか。きっと、その1%の人たちに加わって、今度は貧しい人たちをクリスタル・ナハトに なぞらえるようになるだろう。 どうしてわかるのかって? それは、科学的な調査の結果だ。

人は、裕福になるほど、右派的な政治家に投票するようになり、「社会福祉の拡大」や「富裕層への増税」 といった、富を分配する政策に反対するようになる。

これは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの ナタブドゥ・ポウドサビー教授と、ウォーリック大学のアンドリュー・オズワルド教授が、英国で宝くじに 当たった数千名を対象に行った調査(PDF)の結果だ。

この調査によると、宝くじで得た金額が大きい人ほど、右派的な考え方が強くなったという。 これらの人々の多くが、かつて左派的な政治家に票を投じていたにもかかわらずだ。

また、当たった金額が大きいほど、「普通の人々はすでに、社会の富から十分な分け前をもらっている」 という考え方を信奉するようになるという。

グラフを見ると、英国の宝くじで500ポンド(約8万4400円)以上を手にした人々の18%近くが、 当選後に、左派(または支持政党なし)から右派に転向したことがわかる。


http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/12/uk-lottery-study_n_4771788.html http://i.huffpost.com/gen/1610064/original.jpg

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 宝くじの配当84000円ぽっちで転向するなら、どっかで1億円拾った大貫さんだったか、あのひとなんて極右になってるな(笑)。
 ネット有名人のきっこさん(65歳、男性)も、競馬のWin5で2億円を狙っているらしいけど、上限の2億円まで行かなくても、文字打ち内職で年収50万円らしいから、1000万円も当てたらネトウヨになるかも。このひとから分析すると「ネトサヨは低学歴低所得の団塊の世代」になるんだけどね(笑)。

 どちらの「説」を支持するかはひとそれぞれだ。あとでまた書き足そう。

インターネットラジオの愉しみ──Smooth Jazz考──Abusolutery Smooth Jazz-Sky FM讃歌

 PCに向かいながらいつも音楽を流している。最近はSmooth Jazzばかりになってしまった。ぎっとぎとのBluesばかり聞いたいたむかしなら「こんな腑抜けな音楽!」と拒んだろうに、変れば変るものである。しかしそれでもそれなりのこだわりはある。



「ジャンルに貴賤なし、されどジャンル内に貴賎あり」とは「私、プロレスの味方です」当時の村松友視さんの名言だ。他スポーツファンからのプロレス蔑視に「ジャンルに貴賤なし」と「野球、サッカー、ボクシング、プロレス、それらに貴賎はない」と反論しつつ、それらすべてのジャンル内には、感動に価する試合や唾棄すべき試合もあり、そこには「貴賎あり」と喝破したものだ。



 Smooth Jazzとひとことでくくると、ヘビーなJazzファンからはお気軽なEasy Listeningと蔑まれそうだが、それはそれで認める。だって私は軽く快適なものでないとBGMに出来ないし、BGMで興奮したりしていては仕事にならないから、それがそうであるのは事実なのだ。そういう用途でいま世界中で支持されているのだろうし。
 たとえばまともな本屋のBGMはクラシックと決まっている。でもSmoothJazzなら代役が適いそうだ。「まともな本屋」とは本や文房具を売っているだけの店である。<TSUTAYA>のような複合店はレンタルビデオやレンタルCDが一緒だから、本屋でもJ-popなんてのをガンガン鳴らしていて、私はそれがうるさくてあの種の店には行かなくなってしまった。いや今も必要なときには行くが、急いで用事を済ませて逃げるように帰ってくる。本屋の中であんな騒々しいものを流されてはたまらない。もちろん好きなひとには、本も読めて好きな音楽が聴けて二重に楽しいんだろうけどね。



 さてSmoothJazz内における「貴賎」の話。
 CDをよく買ってくる。図書館でも目にすると借りてくる。いいものを繰り返し聞くのもいいが、とにかくたくさんのものを耳にしたい気持ちがある。私はCDを買ってきてもすぐにPCの中に挿れてしまいmp3で聴いているのだから、だったらもっと安いDownload購入をしたらいいと思うのだが、それが出来ない。現物のCDが欲しい。ジャケットの魅力もあるし。そういう意味じゃむかしのニンゲンである。
 そんな中にはずいぶんといいかげんなものも多い。いわゆるcompiアルバムだ。掘り出し物があるかもと安物のそれを買うこちらにも責任はある。ヒット曲をイージーに演奏しただけ。サム・テイラーの吹く演歌みたいなものだ。いやいや、あれはあれでコンセプトがあったから、あれと一緒にしたらサム・テイラーに失礼か。日本のジャズマンはみな彼を嫌ったし、彼も商売と割り切ってやったのだろうけど、あれはあれでサックスという楽器の官能的な魅力を日本人に知らしめた意味で、それなりの価値はあったろう。演歌のこぶしと吐息を表現するのに一番適した楽器はサックスだった。たしかに最も人声にちかいんだろうな。
 売らんかなと、そういう粗雑な「サックス名曲集」のようなモノもみな今、「The Best SmoothJazz30」なんて題しているからタチが悪い。
 
 私は「歌のない歌謡曲」と揶揄される松居慶子の音楽を長年聴いている。そういう評価よりはずっと上質のものと思う。ただひさしぶりに良質のSmooth Jazzを聞いた後に耳にすると、アメリカで成功するためにはしかたないのだろうが、オリエンタリズムというか、アメリカ人の思うオリエンタリズムのようなものを強調しているのが鼻につく。つまり、なんというか、アメリカ製忍者映画で感じる違和である。だから、それはそれなりに認めるが、ジャンルの貴賎で上位にはおけない。



 とまただらだら書いていると際限なく長くなるので先を急ぐ。
 私の音楽リスニングは、ここのところインターネットラジオのSHOUT cast Radioが多い。数年前にも朝から晩まで聞いていたから復活である。これは私の愛用ソフトであるMedia Monkeyでも、縁を切ったiTunesでも聞けるが、昔から私がこれを聞くのにいちばん愛用しているのはWinampだ。今回もこれで聞いている。

winamp



 インターネットラジオで音楽を聴くようになったのはいつからだったろう、2005年からか。そうだ、思い出した、私は2005年に引っ越し、そこでやっとADSL回線に出来た。そのことによってインターネットラジオを聞くことが可能になったのだった。それまでの接続ではぶつ切れで快適に聞くことは不可能だった。

 最初はもの珍しくいろんなジャンルを聞いてみたが、やがて当然のごとくJazzとClassicしか聞かなくなった。まあ文章を書く際のBGMだから当然だ。本気で没頭するときは音楽も止めてしまう。

winampgenre

 ジャンルはこれだけある。いま私の聞くのはこの中のJazz部門だけであり、そこからもまた絞られている。
 長年毎日のように聞いているのはAbusolutely Smooth Jazz--Sky FMである。

skyfm

 PCに向かって作業しているときはいつもここの音楽を流していた。SmoothJazzの智識が次第に増えてくる。私がJ-waveのプロデューサーであるM先輩から試聴版CDを貰って愛聴していたJonathsan ButlerやEarl Klughが、この分野では私の思っているよりもずっと大物らしいと知ったのもこのころだ。彼らを聞いたのは運転するときのBGMだったし、日本で彼らの熱烈なファンと接することもなかったので、まことに失礼ながら私は彼らを小物だと思っていた。大物と言えばGeorge Bensonだった。そこから勉強し、CDを聞き、PCの中に「Smooth Jazz」というジャンルで蒐集して行き、それなりに私も語れるぐらい智識を得た。



 今回、数ヵ月前から、自分のPCの中の曲ばかり聴いていては井の中の蛙になってしまうだろうとひさしぶりにインターネットラジオ──Sky FMを聴き始めた。すると、「ほとんどの曲がいつも聴いているのと同じ」なのであるる。

 私がいま自分のファイルから適当に選別して流すのは、たとえば前記のJonathan Butler,Earl Klughであり、Paul Brown,Jessy J,Acoustic Alchemy,Bob James,Chris Botti,Fourplay,Norman Brown,Peter White,Rick Brown,The Rippingtonsあたりだ。

 このSky FMからは、彼らの音楽ばかりが流れてくる。この他、あと10人ぐらいの音楽が頻繁に流れてくるのだが、それもみな保っているから、Sky FMは私にとって極めて快適なSmoothJazzラジオ局だった。毎日24時間私の好きな何千曲の中から好きなものを選んで流してくれるようなモノなのだ。

 私は自分の気に入っているものを集めてまとめ、それをシャッフルして聞くようなことはしない。再生ソフトFittleからアルバムとして流す。そのままにしておくとAcoustic Alchemyのアルバムが5枚でも10枚でも有る限り流れてくる。さすがに数枚聞いたらミュージシャンを替える。
 ところがこのSky FMの快適さは、ほとんどぜんぶが私の保っているアルバムとはいえ、ミュージシャン30人(30組)のアルバム150枚から、1曲ずつ適当に取りあげて流してくれるようなものである。これは快適だ。

 知らない曲、保っていない曲なんて、まずめったに流れない。私は自分のSmoothJazz蒐集もラジオ局と並ぶほどになったかと満足しつつ、まるで専属DJがいるようだとほくそ笑み、しかしこれでは見知らぬ曲を知ろうとラジオを聞く意味がないなあなどと傲慢なことを思ったりした。



 長々と書いてきて、やっと今日書きたかったこと。
 今日、それこそ最初の頃は聞いていたが、やがてSky FM一辺倒になったので長年聞いていなかったSmoothJazzの他局、The Jazz Groove.comというのを聞いてみた。

thejazzgroove
 
 するとそこでは私の見知らぬ曲を数多く流れていた。3曲に1曲は「これ、誰が演奏してるの!?」と確認のために文章を書く手を休めWinampを開くほどだった。印象的な曲はメモするようにしているので、こうなると気楽に聞きながすBGMではなくなってくる。

 そうそう、これも大事。書いておかないと。ここではOscar Petersonも流していた。Smooth Jazz専門局で聞くオスカーもうれしかった。Sky FMがSmoth Jazzと呼ばれるジャンルが確立されてから(Grover Washington Jrの「Winelight」がヒットした1982年ぐらいか)の作品を流しているのに対し、こちらはそれ以前のJazzでもSmooth Jazz的要素をもった作品はそう解釈して流しているようだった。たしかにオスカーのその種の作品は薄っぺらなKenny GあたりよりもSmooth Jazzとしても優れている。

 と書いている今はGrant Greenが流れている。やるなあ。そうか、Grant GreenのギターはSmooth Jazzとしても通用するのか。さっきはWes Montgomeryだった。まあ、Wesはどこでも流れるけど。「Smooth Jazzのギター」と言ったらイコール「オクターブ奏法」だから、そりゃ元祖のWesは流れる。オクターブ奏法だと速いフレーズは弾けないけど、音に厚味と深みが出る。Easy Listening的なSmooth Jazzには速さは必要じゃないから、オクターブ奏法が主流になったのは自然な帰結だった。あまりにギターがそればかりなのですこし食傷気味(笑)。
 Smooth Jazzのサックス方面の創始者がGrover Washington Jrだとすると、ギターはもちろんGeorge Bensonになるけど、その前にWesがオクターブ奏法というもので土台を築いていたことになる。



 インターネットラジオでSmooth Jazzを聞くようになった頃(Smooth Jazzそのものは1990年代から聞いている)、Sky FMから流れてきたPaul Brownの「Wine light」に衝撃を受けた。サックスの名曲をギターでここまで再現できるのかと身震いするほど感激した。いまいちばん好きな女性サックスプレイヤーJessy Jを知ったのもここだった。

 そこからSky FMに惚れこみ、SmoothJazzに耽溺し、Sky FMで耳にした名曲を蒐集するようになる。私はその行為、流れを「SmoothJazz全般が好きになった」と解釈していたのだが、そうじゃなかったことに今回やっと気づいた。

 私はPalu Brown的なSmoothJazzを求めて「Absolutery SmoothJazz-Sky FM」を聞いていたのだが、「Abusolutery Smooth Jazz-Sky FM」とは、「Paul Brown的なSmoothJazzを流す局」だったのである。

 Paul Brownは今でこそギタリストとしても名高いが、もともとは辣腕の音楽プロデューサーである。この局で流れているアーティストの多くは彼がアルバムプロデュースをしている。Jessy Jも彼が発掘して育てた娘のようなものだ。私がJessyの冗舌でないサックスプレイが好きなのも、ひとつひとつの音を考えぬいてむだにしないPaulの教えによるものだろう。だったら私が彼女を好きになるのは当然だった。幼稚なたとえだが、大きなスーパーに行って鮮魚コーナーはあるかなと思ったら、あるどころかなんと店内全部が魚売場で魚しか売っていない。魚好きの私は大感激した。しかしそれはスーパーではなく大きな魚屋だったというオチのようなものだ。魚屋なのだから魚ばかりなのは当たり前である。
 YouTubeにあるSky FMのライブ映像からも、Paulはここの経営者?でもあるのだろう。



 The Jazz Groove.comは、Abusolutery SmoothJazz-Sky FMとは選曲の傾向が違う。私の知らないSmooth Jazzの名曲が次々と流れてくる。なんとも新鮮だ。Sky FMの選曲があまりに自分の所有しているものばかりなので、「おれはもうSmooth Jazzの名曲と呼ばれるものを網羅してしまったのか!?」とゴーマンかましたのが恥ずかしい。これからまた初心に戻って勉強できそうだ。

kanren6 YouTubeのPaul Brown{Winelight}
 

メール話──gooフリーメールの終り──プロバイダメアドの復活

 gooのフリーメールが来年の3月でなくなるという。
 サイトもこのブログも連絡先としてgooを利用させてもらってきた。どれぐらいお世話になったろう。10年以上か、いやそこまではゆかないのか。このブログはいま8年目、最初からそうしたように思う。8年はたしかだ。

 サイトのほうは、最初は正規のメールアドレス、って言いかたもへんだが、契約プロバイダのものを使用していた。ところがYahooみたいな最悪のところもあったし、niftyのように何の不満もなく大好きだったけどホームページ容量が足りなくなって契約解除する(まさかホームページの容量が100MBを越えるなんて想像も出来なかった)ところもあり、そのたびに連絡アドレスが変るのも迷惑を掛けるので、gooのフリーメールを利用させてもらうことにしたのだった。こちらはもう13年を越えたから、やはり使い始めて10年は経っているだろうか。



 ホームページやブログの連絡先にフリーメールを使うのは、友人との大切な連絡にはプロバイダのものを使い、何が来るかわからないその種のものには用心して捨てアド的なものを用意しておくというのが普通らしいが、私のgooはちがう。メアドが頻繁に変っては常連に迷惑を掛けるだろうと安定して使えるものとして選んだ。だから私にとってgooのフリーメール使用は用心ではなくむしろ誠意になる。



 フリーメールをいろいろやってみてgooに落ちつき、いっさいの不満もなく、それどころか心から感謝しつつこんなに長いあいだ利用させてもらったのだから、gooのフリーメールはそれだけ優れていて、私との相性もよかったのだろう。「goo mail checker」は便利だった。常駐してgooメールの到着を知らせてくれるユーティリティだ。これはメールソフトを使わないブラウザ上のフリーメールソフトとしては秀逸だった。
 嫌いなフリーメールにYahooがある。あそこから来たメールには返事を書く気が失せる。ま、Yahoo好きとはつき合いたくない。



 ここ数年、私のメールの中心はGmailになった。こうなったきっかけは、恥ずかしいのでちいさな声で言うが、ホリエモンだった。彼が「これからのメールは世界中どこでも受信できて便利なGmailになる。Gmailがあれば他はいらない」と書いていたのである。私がGmailを導入したのは彼のこのことばがきっかけだった。
「世界中どこでも受信できて便利」の先駈けにMSのhotmailがある。15年ぐらい前はよく利用していた。最初はなんて便利なのだろうと感激したが、それはそういうものが初めてだったからであり、メールに慣れてくるとhotmailってのは使いづらかった。プロバイダからもらうメアドのほうがずっと使いやすかった。それに、なんというか、「ただで使わせてやってんだから文句言うなよ」のような気配も感じて、どうにも好きになれなかった。褒める気にならない。いまもあるらしいが。どうにもMSのあの種のものは嫌いだ。一切使わない。



 ホリエモンのことばに触発されて使ってみるとGmailはすばらしかった。世界中どこでも受信できたし、なにより使い勝手がよかった。hotmailの使いにくさと比すと隔世の感がした。もともと私はGoogleが好きだったし、すぐにはまった。

 ということで、それまでメールソフトとしてMozilla Thunderbirdを使い、プロバイダからもらうメアドと、gooを始めとするフリーメール(infoseekも使っていた)を管理していた私は、ブラウザのホームページをiGoogleに設定し、そこから行くGmailを中心とするようになった。それは今に続く。

 メールソフトもあれこれ使った。サンダーバードに落ちつくまでに有料ソフト、シェアソフト、無料ソフト、どれほど使ったことか。『WZエディター』の「WZメール」が好きだった。Just Systemの「Shuriken」も愛用した。あのころは電子メール花盛りだったから、これでもかというぐらい花形ソフトとしてメールソフトが濫出した。やがていちいちそんなものは使わず、すべてブラウザ上で処理してしまうGmailのような形が主流になる。これまた時代を感じる。



 gooのフリーメールが来年3月で終ると知り、サイトやブログの連絡先がそれになっているから、早めに対応しようと思った。それの代替メアドは、ひさしぶりに「正規のメアド」を使うことにした。2年ほど前からGMOというプロバイダを使っている。とてもいい会社で不満がない。長いおつき合いになりそうだ。
 そのGMOが利用者にくれるメルアドを私は使っていなかった。GMOと契約したときにはもうGmail愛用になっていたので必要がなかったのだ。もったいないことである。むかしなら考えられないことだ。しかしここから考えるに、極端な話、公共Wifiを利用して、Gmailのようなものを使えばプロバイダ契約をしなくてもやっていける時代なのか!? なんともすごい。私はまだ無料Wifiサービスって空港でしか利用したことがないのだが、今じゃファーストフードやら地下鉄やらそこいら中にあるらしい。この辺に関する出遅れにちょっと焦る。芸能スポーツ分野で今浦島になっても平気だが(というかもうとっくになっているが)PC関係だけは最前線にいたい気持ちがある。

 数年ぶりにサンダーバードをDownloadして、GMOのメアド設定をやってみた。すると、初めての頃は苦労したが、やがて日々いじるものだから目を瞑っても出来るようになっていたPOPやSMTPの設定等が、数年間触らなかったものだから、また出来なくなっていた。ほんとにこの種のモノってのは忘れるのが早い。やらなくなったらすぐ忘れる。しかしまたやっていると次々に思い出しても来る。なんとかクリア。



 そんなわけで、すこし早めに連絡メアドを更新した。以前のgooも来年3月までは使える。gooにある多くのメールをGmailやサンダーバードに移動することは出来るのだろうか。その辺、無智だ。すこし心配。今回早めにメアドを替えたのは、来年3月にドタバタするのを避ける意味もある。

 ブラウザのホームページに設定して愛用してきたiGoogleも11月で消えるという。「もう当初の意義を達成し、存在価値をなくした」というのがなくなる理由らしいのだが、これがないといられないというぐらい愛用している身には、ずいぶんとつらい話である。なにか代わりのものを見つけないと。goo以上にこちらのほうが切実だ。

世相話──Amazon中毒──なりたくてもなれないひともいる

 Amazon中毒が話題になっている。欲しいものを探して買うと、「この商品を買ったひとは、次のような商品も購入しています」と、関連商品を次から次へと紹介してくる。それがまたポイントを突いているものだから、懐に餘裕のあるひとは、まして一杯機嫌だったりしたら、次々とクリックして、あれこれ購入してしまう、と。

 社会現象だということで冷静に分析するひとまで出て来る。
 そのひとのも意見を読むと、これに嵌るのは女より男が多いのだとか。その理由は、「女は商品その物よりもショッピングという好意に興味がある。衣服を身に着けて、お似合いですよと店員に言われるような時間を楽しむ。対して男は、商品その物に興味があるので、ネットから購入しがちなのだ」とか。

 たしかに男である私は商品そのものに興味があり、さらには人嫌いだから店員などと接したくない。街のショップで買うより、ひとけのない乾いたネット買い物が気に入っている。



「アメトーク」でもテーマとして取りあげ、ますます話題になる。チュート得意や麒麟川島が、「毎日のようにAmazonから届く」と語っていた。

 しかし私は「酔った勢いで、次から次へと関連商品を買ってしまう」とはならない。
 それこそ欲しいモノ──假りにビデオカードだとする──の該当商品をいくつかに搾り、最安値を調べ、そしてまたメーカー希望小売価格が30000円の品が「いま25000円で最安値」であっても、価格の推移を調べると、三週間前には最安値23500円を記録していたのを知ったりすると、またそこまで下がらないかと逡巡したりする。 

 つまりは「Amazon中毒で毎日のようにモノを買っているひと」とは、男も女も問わず、それだけの経済力のあるひとなのである。結論は、ごくシンプルに、それになる。
「覚醒剤中毒」だって、覚醒剤を買う金がなければなりたくてもなれない。それだけのことだ。

小物話──電波時計──インターネット・取説ダウンロードのありがたさ

 インターネットの便利さは限りないが、先日は、紛失した取扱説明書のDownloadで助けてもらった。



casiodqd660 CASIOの電波時計が好きで、壁掛けから置時計、小型の目覚まし型と、いくつも持っている。狭い住まいにそんなにあってもと、笑われるほど揃えている。デスクトップ機の上にもあり、炬燵テーブル上にもあり、台所にもある。そういや風呂にないな。今度置こう。湿気は大丈夫だろうか。
 複数ある時計の時間がくるっていると困るが、電波時計だとみな一致するから助かる。 

 有楽町ビックカメラで買い物をしたら、レジ近くに写真のDQD660が安売りで並んでいた。それだけだとたぶん買わなかったと思うのだが、写真の製品のブルーが、いかにも爽やかでかわいい。欲しくなってしまった。特売だから1780円。しかしこういう魅力的な小物(安い品)をレジのちかくにさり気なく置いておくのは、スーパーのレジのちかくにガムや乾電池があるのに似てうまい手だ。見事に引っ掛かった。 



 この手のものが好きだし、機械には強い方だから取説など読まない。すぐに捨ててしまう。しかし今回困った。
 時刻合わせをしていたら、みなうまくいったのだが、月日の月が変えられないのだ。古い時計らしく「1月」にセットされていた。あれこれセットしたのだが、「月」が変えられない。どういうことなのだろう。



 ということでCASIOのサイトに行き、型版を記入して取説をDownloadする。これは以前に経験して知っていた。G-SHOCKの使いかたでわからないことがあり、探してたどり着いた場所だ。 ほんとはこのネタはこのとき書くべきだった。

casio
 時刻も合った。日附も合った。でもなぜか月だけが「1月」なのである。その日は「7月6日」だったが、時計は「1月6日」のままである。「月」のところを動かす方法がわからない。
 電波時計であるから「受信」を押せば「今日、今」になるのかと思ったが、受信するのは「時間」であり、月日までは無理らしい。さて困った。



 Downloadした取説で知った正解は、「長押し」だった。つまり「1月6日」の「6日」の部分を長押しするのである。すると1月31日を越えると2月1日になり、と「7月6日」になるまで押し続けるのだった。わかってみりゃなんてことないが、一時「月が変えられない!」と焦った。



 もしもインターネットがなかったら、私はこの時計を持ってビックカメラまで聞きに行ったのか。面倒だ。電話で質問するってのもバカっぽい。私の性格だと、聞くのが恥ずかしいので、「1月6日」のまま使っていた気がする(笑)。「時間がわかればいいんだ」と「すっぱいぶどう理論」を言って。

 ともあれ、便利な時代だ。とインターネットに感謝。もちろん取説をアップしているCASIOの姿勢にも。

Windows版ドラクエ10、テストベータ版──遊び始め

 大好きな福島瑞穂たんの社民党と、心から尊敬する真の国士である小沢一郎先生の生活の党が都議選で大躍進、圧勝し、過半数を制したので、両党を応援しているネット界の高名な廃人<きっこさん>もさぞお歓びだろうと、都議選の結果が確定した6月24日、ひさしぶりにTwitterを覗いてみた。するとそこにこんなつぶやきが。
 
kikkodq




 <きっこさん>はほんとに情報通だなあ。なんでも知っている。そうかあ、Windows版が出るのかと、情報に感謝しつつ調べてみる。
 ところで「ドラクエ10」は正しくは「ドラクエ勝廚世、私はもう面倒なので「10」と書く。最初のころはローマ数字がかっこよかったが、5を越える当たりから面倒になってきた。<きっこさん>もきっと同じ考えだろう。



 私は<きっこさん>と同性同世代なので、お笑い芸人からなつかしのテレビ番組まで感覚が共通している。<きっこさん>のなつかしいギャグ(たとえばレッツゴー三匹、ルーキー新一)や、懐かしいテレビ番組(宇宙家族ロビンソン)のネタを読むとうれしくなる。若いひとは知らないだろうなあと、積み重ねてきた歳月を誇りたくなる。

 スピッツの「ロビンソン」を聞いたとき、タイトルと「宇宙の風に乗る」という歌詞に「宇宙家族ロビンソン」から取ったのかと思った。間違いだった。考えて見りゃ草野はあの番組は見ていない。若すぎる。見ているのはきっこさんや私の世代だ。しかしそのあとに知る真実はもっとうれしかった。あれはタイを旅行したときの「ロビンソンデパート」から取ったのだとか。タイ語の発音は「ローンソン」だ。

 テレビゲームに関しても<きっこさん>の「テレビゲームは大きなテレビ画面でするもの。だからあたしは携帯ゲームはやらない」と私も同意見になる。テレビ画面でやるからこそ愉しい。 



 ただ私は、大震災のあと、西日本に疎開するため現金8千円を手に、布団を被ってふるえている<母さん>と一緒に初めて新幹線に乗った<きっこさん>とちがって、海外に出ることが多かったから、退屈凌ぎのために携帯ゲーム機もGAMEBOYからやっている。海外でやったGAMEBOY ADVANCEの「ダビスタ」がなつかしい。
 しかし基本は<きっこさん>と同じく「大きなテレビ画面で遊ぶもの」だったし、なにより外国にいるとき携帯ゲームをやるほど退屈しなかったから、持参はしたがほとんど使用していない。
 本格的な長期滞在者は、日本からスーファミを持ってきて、変圧器を使って電圧を変え、マルチテレビ(PALでもNTSCでも対応する)を買ってプレイしていた。当時のマルチテレビは高かったし、外国だからまだ14インチが主流だったけど、それでもGAMEBOYとはぜんぜんちがう。私もちいさな画面が嫌いだったから、スーファミでドラクエやFF、マリオをやっているひとたちの気持ちはわかった。

 その後も、DSもDSiも買った。それは「ファイアーエンブレム」をやるためだった。そのときも「どうして据え置き型で新作を出してくれないのか」と不満だった。このころからもうゲームは携帯の時代に入っていたのだろう。
 DSi-LLを買ったのは、「ドラクエ9 星空の守り人」をすこしでも大きな画面でやるためだった。携帯ゲーム機嫌いの<きっこさん>は、ドラクエ9がDS用ソフトになったのに失望し、ここでドラクエとは縁が切れたと記憶している。私もDSでドラクエをやる気にはならず逡巡した。しかし買った。すこし大型のLLなら出来るかも知れないと。実際LLなら遊べたのだが、そこでまた失敗している。「星空の守り人」のオープニングというか天界での話はまだるっこい。最初あの時点で投げてしまった。失敗作だと結論した。だいぶ経ってから、機中で暇潰しに始め(私は「人生で退屈したことはない」が持論だが、さすがに機中12時間とかはキツい)、それからはまった。天界をクリアして地上に落ちてからはおもしろかった。

 3Dに興味はなかったけど、「FE覚醒」をやるためには3DSを買わねばならなかった。どうせならとこれも3DS-LLのほうを買った。
 私は<きっこさん>と同じく携帯ゲーム機嫌いなのだけど、結果的には任天堂系列はぜんぶもっていることになる。だから<きっこさん>よりは携帯ゲーム機に関してすこし詳しいだろう。
 据え置き型では、GAMECUBEを買ったのは「FE蒼炎の軌跡」をやるためだったし、Wiiを買ったのは、その続篇の「暁の女神」をやるためだった。「メトロイド」もあったし。バランスボードも買った。ゲーム機ってのはソフト次第だとあらためて思う。SonyはPS2までで3を持っていない。PSPもない。やりたいゲームがないのだから自然にそうなる。PS2でやっていた『激指』は、より強いPCでやるようになった。



 ゲームと縁遠くなってゆく中、ドラクエとFEは特別だった。「ドラクエ10」がオンラインゲームになると知ったときは落胆した。これまた<きっこさん>と同じく、私はそれが嫌いだったからだ。すでに持っているWiiで遊べるけど、ドラクエ10用にグラフィック性能があがったWii Uを買おうかというぐらい楽しみにしていたのに、オンラインゲームと知って興味をなくした。よっていまだに遊んでいない。あの「課金制度」ってのもなあ。「30日」とか期限を切られるのも……。

 そんなところに<きっこさん>に教えてもらったWindows版「ドラクエ10」のニュース。
 9月発売。無料でテストベータ版を遊べるというので参加してみた。



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 これはありがたい企劃だった。いきなりポンと発売されても、なにしろオンラインゲームに抵抗があるし、買うかどうか迷い、けっきょく買わなかったと思う。Wii版も買ってない。
 ところが無料のこの実験的な企劃(バグ直しなのかな?)があったものだから、それならと関わることが出来た。(いま気づいたのですが、Wiiの時もこれはあったのですね。知りませんでした。いや、思い出しました。たしかにありました。オンラインというだけで興味をなくしていたようです。)



 まずは「ドラクエ10専用ベンチマークソフト」をDownloadする。これがzipファイルで196MBある。むかしだったらこれだけでたいへんだ。ついそう思ってしまう。どうもいまだに時代がズレている(笑)。これでPCのハード性能を調べ、ドラクエ10が遊べるPCかどうか確かめるわけだ。対象OSからXPが外れている。

dqbench













 ここですこし恥ずかしい思いをした。私の自作機のWindowsエクスペリエンスインデックスは、CPUからメモリ、プライマリハードディスク(Intel SSD使用)まで、すべて最高点だがグラフィックだけ低い。ゲームをやらないので、どうにもそこは手抜きになる。ビデオカードだけ2世代前。ほんとの自作オタクだと、ゲームをやらなくても、そこも凝り、ベンチマークテストの数字を見てはニンマリするのだろうが、そこまでオタクでもない。

 この「ドラクエベンチマーク」を、「最高品質」にして、解像度もFull-HDを指定して走らせた。最高級条件である。ビデオカードが弱いのはわかっていたから少し心配でもあったが、CPUパワーでなんとかなるだろうとも読んでいた。すると、「問題なく遊べるレベルだが、たまにもっさりする。標準品質に落としたら?」と言われてしまった(笑)。恥ずかしい。これは恥ずかしい。ジサカーとしては赤面だ。
 でもまあそれは先日ここにも書いたが、近々NVIDIAのGTX660に換装するつもりだから、その時に解決するだろう。いい目標が出来た。換装したら真っ先にこのドラクエベンチマークをやろう。



 これに合格すると「ドラクエ10テストベータ版」のDownloadが許可される。これの容量は1.1GB。いまHDDの総量は6teraあるからなんてことないんだけど、ここでもまた「むかしならなあ」とギガを越える巨大ファイルにおどろく自分がいる。なかなかこういう感覚は消えないものだ。何度も書くが、「15MBのiTunesをDownloadするのに一晩かかった」のである。正確に言えば一晩では終らなかった。その記憶が消えない。1.1GBを十数秒でDownloadする(現実にいましている)時代になっても。

 年寄りの昔話ってのはこんな感じで芽ばえるのだと実感する。むかしの競馬は魅力的だったとか、むかしの棋士は個性的だったとか、むかしのテレビドラマはおもしろかったとか、昔礼讃をする連中が周囲にいっぱいいる。私は一切言わない。ちっともむかしをいいと思わない。だけどパソコンに関しては昔話をしてしまう。とはいえここでも「むかしはよかった」ではない。むかしのパソコン環境はオソマツだった。それを覚えているから凄すぎる今に実感がない、というお話。



 テスト版をインストールすると、「オフラインモード」と「オンラインモード」があり、誰もがまずオフラインモードをやらねばならない。キャラ設定やゲームの基本を学ぶためだからしょうがない。オフラインモードが「ドラクエ9」の「天界」に相当する。
 これをクリアして、やっとオンラインモードに行ける。いま私はその地点。

 グラフィックが美麗なのはもちろんだが、音もいい。このテストベータ版は「シンセサイザー音源」であり、製品版では「オーケストラ音源」になるという。まあそこそこいいサウンドカードをつけていることもあるし、ここのところSSWでDTM(いまはDAWと言うらしいけど、わたしにゃこの和製英語のほうが好き)をやっているから、VST音源の音に慣れていることもあって、これでもう充分。フルオーケストラサウンドになって、これがもっとよくなるのか! とにかく、グラフィックも音もテレビでやるよりずっといい。ドラクエは2頭身キャラとテレビのチープな音でいい私には凄すぎる。
 ただしすでにWii版で遊んだひとは、「ベタな、そのまんまWiiからの移植。グラフィック最低!」とか言っていた。こういうひとは「Wii Uは最悪。買う必要はない」と書きこんだりしている。あれってただの本音なのか。任天堂嫌いの粘着者なのか。でもWii Uも買っているみたいだから、ただの悪口屋でもないんだろうし……。

 今日からいよいよ本格的にオンラインモードで遊べる。こどものことを考えている?のか、平日はオンラインモードは、12時から18時までに限られている。まともなひとは遊べない時間だがまともじゃない私は出来るはず。



sn オフラインモードのクリア時間は、ネット検索すると、「1時間程度」とみなさん書いているが、私はテンキーでキャラを操作するのが初めてだったので、2時間ちかく掛かってしまった。しかしまあテンキー操作もなれるもので、2時間もやっているとずいぶんと速くなった。私は30年前にブラインドタッチをマスターしているが、数字打ちこみの文とは無縁なのでテンキーの操作は下手だ。ゲームコントローラーは必要だな。あれじゃないとゲームの気がしない。

 それと私はこの種のゲームは寝転んでやるのが好きなのだが、PCの前だとそれは出来ない。そこが不満。慌ただしいアクションゲームは寝転んでは出来ないけど、RPGやSRPGはそれが出来る。だから好きなんだ。寝転んでやっていて経験値を稼いで、ボスクラスとの対決になると、思わず起き上がってコントローラーを握る手にも力が入る。そんな流れがいい。

 左の写真は、オフラインモードでひさしぶりに会ったスライムナイト。スライムから降りている姿は初めて見た。ここから騎乗して戦う。これは正しい姿勢だろう。以前のスライムナイトはスライムの下半身を持った騎士だった。いわば合体してしまった化け物である。今回のこれで、スライムは別の生き物で、それに馬のように乗って戦うという形になっていた。



 ところでこのゲーム、本体は3990円ということだけど、あれでしょ、これにまた「30日間3千円」とかの接続権利を買わねばならないんでしょ? オンラインゲームに疎いので知らないんだけど。やっぱそれは馴染めない。オンラインじゃなくて、最初から8千円のゲームだとしても、それに不満はないけど。なんだか、最初は安いけど、それから「愉しく遊びたいならもっと払いな」になるシステムがぼったくりみたいで嫌いだ。すでにもうDSの「ドラクエ9」も、アイテムとかストーリーとかをネットから購入する形式になっていた。「FE覚醒」もそうだった。そのシステムが嫌いなのだから、だからもう私は、ゲームからは卒業なのか。いや卒業じゃなくて退学か。
 とにかくこのテストベータ版でオンラインゲームが好きになれるかどうか試してみよう。



 テストベータ版の感想と、9月発売の本物を買うかどうかの決断は後日書くとして。
 この情報を教えてくれた<きっこさん>に感謝しつつ、こちらからも<きっこさん>に情報。

<きっこさん>、Windows版発売を知って、「やった〜! って思ったのもトコノマ、オンラインゲームと知ってガックリ」ということですが、このゲーム、オンラインじゃなかったとしても、あなたの安物ノートPCでは動きません。最低でも「Core2 Duo 1.6GHz」です。メモリも最低2GBを要求されています。それよりも低性能のあなたのノートじゃ最初から無理です。ベンチマークテストで落第です。買っても動きません。「せっかく買ったのに、あたしのPCじゃ無理って言われた!」と怒るより、オンラインゲームと知って諦められてよかったのですよ。「ドラクエ10」のことは忘れて、これからもアフィリエイト商売と24時間Twitterに励んでください。あなたの安物ノートはそれがお似合いです。

パソコン話──「将棋ソフト」コピー──PC9800 MS-Dosの思い出

geki12 珍品を贈ってくれたかたにお礼として、『AI将棋』や『激指』等の私の所持する将棋ソフトをコピーしてお返しとした。
 サヨク系アナログのかただが(一応ブログと電子メールはやっている)、PCの将棋ソフトに触れたことはないらしい。それでも、敵?を知らねばならないという気持ちもすこしはあったらしく、ほどよいプレゼントになったようだ。うまくインストール出来たろうか。

 市販ソフトウェアは購入者ひとりにひとつが基本であり、DVDを複製しシリアルナンバを添えてプレゼントすることは違法なのだが、ここはお目こぼし願いたい。

 関西のかた、ドキっとした?(笑)。常習犯だと問題だが、ここ30年で数回しかしていないので許してくれ。お目こぼし使いではなくソフトコピーの話。お目こぼしなんて言葉もここ30年で数回しか使ってないが。

 ソフトウェアをコピーしてプレゼントしたことには、クルマの走っていない交叉点でも、信号が青になるまで待つ典型的小心者几帳面日本人として、罪悪感がある。しかしすこしばかり居直って言うと、最強のボナンザやGPS将棋がネットで無料対戦できる時代だ。長年大枚をはたいてこれらを買い続けてきている。ここはひとつ、見逃してください。常習犯じゃない。たまたまである。いや初めてである。

 以下、MS-Dos違法コピーという饒舌な話。毎度の一代記。



pc9800 30年前、私はPC9800を買って、どんなもんかとドキドキしながらスイッチを入れた。すると真っ暗で何も出ない。どうやらOSというものを別に買わないとパソコンてのは動かないらしい。という言いかたにもすこしウソがある。そんなものだと購入前に知っていた。知ってはいたが、買わなかった。「ほんまかいな」と電源を入れたら、ほんまに何も出来なかった。それがなくても、なにかいくつかは出来るものと思っていた。
 ところで今、つい「ウイーンという音と共に立ち上がったが画面は黒いまま」なんて書きそうになった。書いたらウソ。当時のパソコンに回転モノは入っていないから、そういう音はしない。

 月賦の丸井で、30万のパソコンを買うことにした。高い金利手数料は不承不承納得したが、OSというものをさらに別途3万円払って購入せねばならないことが不満だった。あくどい商売だと感じた。あくどいというか、商売として不自然である。

 選択肢があるのならわかる。OSというものがいくつもあり、どれを選ぶかはユーザーに任せるという今のような時代なら。しかしこのNECのPC9800は、NEC-PC9800用のMS-Dosでしか動かない。だったら挿れておくべきだろう。それが商品を売る側の礼儀ではないのか。当時のパソコンメーカーは、OSは別個であり、当社とは関係ありませんという立場だったのか?
 せっかく買ってきたのに、映らないテレビ、洗濯できない洗濯機、冷えない冷蔵庫、なんにでも例えられるが、なんともひどいと思った。今と比すと隔世の感がする。



 ところで、ビンボな私が利用していた「丸井」「緑屋」という月賦屋の金利手数料は高かった。30万のものを10回割賦で買うと3万円10回で30万円かと言うと、そんな単純なものではない。手数料がついて高くなる。10回ではキツいからと24回払いにしたりすると、いろいろ金利が附いて、30万は35万ぐらいになる。
 この30万という値は今で言う「メーカー希望価格」であり、秋葉原で現金で買えば25万円だ。それがこれらの店では現金でも正価の30万円なのである。すでに5万円高い。ここも現金なら25万であり、月賦だと30万になるのならわかる。そうじゃない。現金で30万と高く、さらに割賦金利が5万円もつくのだ。じつにどうも10万円の差である。しかし貧乏人がPC初体験するにはそれしかなかった。待てなかった。どうしても欲しくて悩んだ末に踏みきった。 

 先日、90年代に「モーニング」に連載されてヒットした「ナニワ金融道」を再読した。共産主義者のマンガ家が書いた読んでいるだけで暗い気持ちになる作品だ。なぜあんなマンガがヒットしたのか未だにわからない。それを読みながら当時の割賦制度を思い出した。むかしのあれは高利貸しと変らない。今は知らないが、すくなくとも表向きはソフィストケートされていると推測する。



 割賦制度に関しては、貧乏人が購入するにはそれしかないのであり、25万の品が総額35万になろうとも、月々の少額の割賦金でそれを手にすることが出来るのだから割り切った。貧乏人はそうするしかない。それどころか、それがなかったら手にできないのだ。コツコツ貯めるとしたら(それが私には出来ない)何年後かになる。その「何年」という時間を買うのだと思えば、10万円の差額は腑に落ちた。



 と書いてまた脱線するが、「小泉政権以降、格差社会になった」なんてことをしかつめらしく主張するひとがいる。サヨク系の近視眼だ。

 人間社会というのは、コミューンとして始まったときから格差社会である。原始時代からキリスト歴21世紀のいまに到るまで一貫している。なにも変っていない。なにが「この十年」だよ(笑)。そんなに簡単に社会が変るか。部落差別から学歴差別、給料格差、いつだって格差が人間社会の基本だ。

 高度経済成長と島国社会で実現した人類歴史上唯一絶対の珍妙「樽型社会」が異常だったのだ。その甘い夢が忘れられないサヨクが現状認識できず騒いでいる。それだけである。ピラミッド型が正しい。小泉政権なんて関係ない。小泉さん、人間世界の構造をいじれるほどのすごい人じゃない(笑)。異常に浮腫んでいた体が本来の姿にもどっただけである。

 人間のみならず動物社会だってそうだ。オットセイの帝国、猿山のボス、どこだって格差社会である。ニワトリだってそうだ。大きな小屋に10数羽を入れておくと、必ずいじめられて毛を毟り取られ、無惨なのが出て来る。かわいそうだとそいつを隔離してやると、今度は別のがいじめられるようになる。生き物社会はそんなものである。

 脚の遅いシマウマ、脚を折って走れなくなったシカから、先に肉食獣に喰われる。そのことによって脚の速い種、丈夫な脚が優性として残って行く。何万年も繰り返されてきた自然の掟だ。
 脚を折って走れないシマウマが、周囲に「みんなでライオンからオレを護れ。護れないシマウマ社会は誤っている」なんて声高に叫ぶ世界のほうが狂っている。脚を折ったシマウマはライオンに食われるのが定理なのである。ヒューマニズムという美しくも滑稽な世界。血の滴るような牛豚の肉を食いつつ、「処分される犬猫を救わねば」と熱弁する矛盾。ヒューマニズムという気味の悪いものが人間世界を狂わせている。最近、洋食屋でゴネて話題になったかたわの問題で、そのことを強く感じた。



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 現金なら25万のパソコンが月賦だと35万になる、までは納得したが、どうにもそれを動かすためのOSなるものを別途3万円で購入せねばならないことに得心がゆかなかった。

 しばらくそのままほっておいた。しかしせっかく買ったものだ。もったいなくもある。誰彼となく嘆いていた。ある日の夜、ひさしぶりに電話の掛かってきた友人にそれを話したら、「ああ、それならコピーしてあげますよ」と言ってくれた。大学の後輩だ。もう故郷の北海道札幌に戻って家業を継いでいた。金持ちの彼はすでにPC98もMS-Dosも持っていたのだ。すぐに郵送してくれた。フロッピーディスク2枚のMS-Dos。当時はプロテクトがかかってなくて、すぐにコピーできた。正規に購入してもアクティベーションの面倒な今とは段違い。
 2枚組だが実際は1枚しか使わない。これで3万円。パソコンを使おうと思ったら必ずこれを買わねばならない。これを売るヤツはは儲かるだろうなあと思ったらすぐに世界一の金持ちになった。



 上揚の写真はそのMS-Dosパッケージについてくる説明書。ネットにあった。ありがとう。感謝。
 立派な、大きくて重いパッケージに入ってくる。分厚い辞書のようなパッケージ。さすが3万円の価値だ。しかしそれは説明書の重み。肝腎のOSはフロッピーディスク1枚。言うまでもないが、いやこれは当時を知らないひとには誤解されているかもしれないが、PCにそのフロッピー1枚のOSをインストールして使うのではない。毎回FDDにそれを入れ、そこから立ち上げるのである。そもそもこの当時、HDDがまだない。



 ここにも卑近な格差社会がある。金持ちはパソコンもOSも即金で安く買っている。貧乏人は月賦で高い金利を払って買わねばならない。そういうものだ。むかしから同じ。そしてまたそれをヒットさせて大儲けする商人。いつだって世の中は格差社会である。なにが「この十年」だ。

 やっと本題に戻った。この「金持ち友人がコピーして送ってくれたフロッピーディスクのMS-Dos」が、私の「違法コピー初体験」である。当時は違法なんて意識もなかった。そして当然ながら、私の最初で最後の体験になる。その後は正規品を待ちかねて買いビル・ゲイツに貢ぎまくっている。
 これは貰った例。今回の将棋ソフトはあげた例。これぐらいしか記憶にない。



 OSのMS-Dosを挿れたらパソコンが起動した。ワープロのモノクロ画面に慣れていた身には、カラーであることだけで感動した。しかし起動しただけ。何も出来ない。何かをしたかったら、そこからまたソフトを買わねばならなかった。OSは入手したが、まだなにもできない。
 日本語の文章を書きたいと思ったら、それ用のソフトと、それと同時に今度は「日本語を入力変換する辞書ソフトウェア=当時はFront End Processor=FEP(フェップ)と言った」を購入せねばならない。初めて手にしたパソコンとは、おそろしく何も出来ないものだった。
 そしてもちろんWindows以前だからGUIはない。すべてアルファベットで命令を打ちこんで作動させる。
 購入するソフトウェアはA4判の美麗なパッケージなのだが、軽い(笑)。仰々しい包装を解くと、中から出て来るのはフロッピーディスク1枚。それで1万円以上する。

 当時、いくつものFEPが販売されていた。これの好みは紙の辞書の何が好きか、に通じる。私の好きなのは「WX」「WXG」だった。ATOKはその次だった。やがてWindowsにIMEが附いてくるようになり、みな潰れていった。ATOKだけが生き残った。ATOKの辞書はあのころから育てている。だからいつ遊んだのか記憶にない『AI将棋2』なんてのがユーザー辞書に登録されていたりする。
 日本語入力ソフト「WX」「WXG」を売っていたのは「エーアイソフト」。『AI将棋』を売っていたのは、エーアイソフトではなく「アイフォー」。アイフォーの商品もずいぶんと買った。



 いま当時のIMEソフト「WXG」の画像がないかと検索したら、いきなり私の田舎の家の柿の木の写真が出てきたのでおどろいた。このブログにアップしたものである。自分で撮ったものだから一瞬でわかる。何年か前、田舎の追憶話をしたとき、大量にPCソフトを焼却したことに触れ、そのときも「当時の私が好きなFEPはWXGだった」と書いたのだろう。すると検索に引っ掛かり、そこに添えられたまったく関係のない柿の木の画像が抽出される。というか田舎の家の果樹について書いた文で、WXGのほうが1回だけ出て来る無関係な単語なのだが。

 なるほど、検索ってそういうことなのか。勉強になった。毎度、たとえば「某美女タレント」のことを調べると、トップにはその美女の画像があり、ありがたく利用させてもらうのだが、下に行くに従って、「なぜこんなのが?」と思う無関係な画像になってゆく。そうか、文章中にそのコトバが出てきたら中身は関係なくすべて網羅してしまうんだ。古いIMEソフトの画像を探したら、自分のブログの柿の木の写真が出てきて、その辺の流れがやっとわかった。「網羅」か。なるほど、ネットだな。
 今どき「WXG」の画像を探すひともいまいが、もしもいたら、「なぜここに柿の木の写真が?」と悩むだろう。



 いろんなソフトを買いまくった。田舎の家の上下二段の押入がそれで埋まるほどだった。ソフト本体は初期はフロッピーディスク、後期はCDだったから、1千万円以上買った総量でも、十数年分でちいさな段ボール一箱程度だろうが、美麗で豪華なケースがある。それが嵩張り、それほどの量になった。
 いまWXGの写真が手に入らないのを知り、ソフトオタクだった私こそがそういう商品の写真を撮っておき、アップする立場になるべきだったと反省する。パソコン好きとして唯一世間に役立てる機会だった。デジカメも初期から使っていたし、それぐらいはやってもいいはずだった。

 ただ私は、やっと満足できるOSのWindows2000が出ると、もうあのフリーズする思い出とは縁を切りたいと美麗なWIn95、Win98を、CDも解説書もパッケージごと焼却してしまうような性格だったから、過去に愛用したソフトを処分前に写真に撮っておくというような発想が出来なかった。世の中には、自分がWin2000になったら、95や98を誰かに安価で売ろう、というような発想をするひともいる。オークションなんてのが流行っているのはそうなのだろう。私にそれはない。他人の古物など欲しくないし、自分の古物を他人に押しつける気もない。

 そんな私の数少ない役だったこと。PC9800時代に愛用していたテキストエディターソフト『章子の書斎』(株テグレット)のパッケージ画像。検索すると最初に出るし、まちがいなく私のサイトからの画像だ。このソフトにはほんとにお世話になったから、古いソフトにこだわらない私も、これだけは廃棄する前に写真を撮ったらしい。『章子の書斎』に思い入れのあるひとには喜んでもらえると思う。しかしそんなひとが日本全国どれぐらいいるのか。お知り合いになりたいものだ。そのころの王者は『VZエディター』だった。「あきこ」と打てば『章子の書斎』が、「ぶいぜっと」と打つと、『VZエディター』に変換される。そのころから育てている辞書なのだなあとしみじみ。


 
 当時両手の人指し指2本でワープロ『書院』を打っていた私は、パソコン購入をきっかけにブラインドタッチを覚えようと思い、それの練習用ソフトを買った。7千円ほど。これまた豪華なパッケージに入っていた。フロッピーディスク1枚。おそらく容量は350kとかそのていど。ベルトコンベアで流れてくる荷物に書かれている文字を打つ。規定時間内に打たないと荷物が落ちてしまう。今ならフリーソフトでも誰もDownloadしないレベル。しかし当時は新鮮だった。ギター弾きだったこともあり、指先は小器用だったから、熱心に練習し、かな入力、ローマ字入力、ほんの数日でブラインドタッチは完璧になった。

 両手の指でブラインドタッチし、キイボードを見ないで済む快感は格別だった。筆圧が異常に強く、手書きでは一日10枚が限度だったが、ワープロのお蔭で30枚以上になり、パソコンのブラインドタッチを覚えて、50枚でも100枚でも書けるようになった。
 しかし文章としては確実に下手になったように思う。手書きの時は構成を考え、極力書き直しのないように慎重に歩を薦めたが、パソコン使いになったら、「まずは書く」になった。消しゴムカスが出ることなく、いくらでも修正書き直しが出来る。だらだらと「とにかく書き」、それからまとめる癖がついた。

 古稀を過ぎて私からワープロを習った亡父にとって、ワープロは清書機械だった。それこそ比喩ではなく本当に「チラシの裏」に、手書きで文章を書いては直し、完成したものをワープロで清書するのだった。文章の書き方として父のほうが正しかったようにも思う。私にはもう出来ないけれど。



 パソコンとはそんなものなのだろうと割り切り、以降あれこれソフトを揃えて行く。ハマった。それは苦にならなかった。秋葉原に買い物に行くのが楽しみだった。パソコン雑誌を見ながら、来月ギャラが入ったら、あれを買おうこれを買おうと楽しみにした。ソフトウェアオタクとなってゆく。
 そのすこし後、「パソ通」なるものが話題になる。ファンレターをくれる雑誌読者からぜひ参加してくれと熱心に誘われたが、頑なに関わらなかった。私は通信機器としてのパソコンを拒んだ。



 体験により感覚も変って行くが、しかし、どのようなジャンルであれ、商品の常識として、最低限OSと、誰もが必要とするであろう日本語入力装置として、テキストエディターとFEP(後にIME=Input Method Editorと呼ばれるようになる)ぐらいは附けるべきとの想いは変らなかった。OSのないパソコンはハンドルを別個に買えという自動車のようなものであり、テキストエディターもFEPもないのは、「夜間に走りたかったら別個にライトを買ってください」と言われるようなものだった。(まあ初期のクルマはそうだったろうけど。)

 その後、市販のパソコンを買えば、ひととおり揃っているようになったのはいうまでもない。それ以前は、なにもついてない歪んだ時代だった。
 やっと「買ってきたらそのままで最低限のことは出来る」というまともな時代になり、やがて今度は、あらゆるソフトがインストールしてあることが売りの時代になる。これまた異様な時代。日本人らしい。使うことのないものまで入っている。それも飽和状態になり、今度はOfficeのあるなしを撰べるような選択の時代となる。これが本当のまとも。あんなもの、使わないひとから見たら無用の長物だ。その分安くするというのは正しい発想である。
 振り返れば、迷走蛇行失敗を繰り返しつつも、すべてはまともになりつつある。「むかしはよかった」を連発するひとがいるが、私は今がいい。



 私はこの当時の独占企業であるNECの傲慢を嫌っている。互換機を出しているEPSONいじめは陰湿だった。よってWindows時代になってからは、一切NEC製品は使っていない。

 脱線するが、いま一番嫌いな企業は東電だ。大震災は関係ない。前々から貧しい一市民として、高圧的で傲慢な東電が大嫌いだった。絶対的に必要なものを独占しているのだから高飛車にもなるだろう。早く、電力会社を撰べる時代にならないか。料金が高くて、たとえ蛍光灯が暗くても?、私は東電以外の会社と契約する。



 将棋ソフトコピーを送ったひとからお礼のメールが来た。
「いともたやすくコピーしてしまう知識と技に感服」「この知識を別方面に活かしたらどうか」とある。
 どうやら彼にとってDVDを複製することは驚嘆のスキルであるらしい(笑)。彼我の差を感じる。アナログ系サヨクとの感覚の違い。そりゃ「この十年の格差社会」とか言うはずだ。



 前々から「理想の政治家、菅直人」と言っているひとがいた。あの目立ちたがりカスが市川房枝を利用して愛想笑いを振りまいていた頃である。時が流れ、民主党政権が誕生したとき、彼は万歳し、菅直人が首相になったときは、ついに夢が実現したと興奮していた。世の中、いろいろだ。いまあのひとは何を思っているのだろう。ブログをやっているが、民主党が下野してから政治のことは一切書かなくなった。といって目が覚めたわけではない。こういうひとは生涯覚めない。「今は逆風だからじっと耐える」と思っているだけだ。救いようがない。

 MS-Dosの思い出の結びがまさかカンナオトになるとは(笑)。なんたるまとまりのない構成。赤面。でもこれが私の本質なのだろう。
 将棋ソフトをコピーしてプレゼントした話から始まり、初めてそれに関わったMS-Dosの思い出を中心に書いたが、いちばん心に残ったのは、民主党を支持し自民党を否定するその狆棋駒蒐集家瓩箸寮治感覚の差だった。最も強く感じたことが結びになるのは自然でもある。

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kanren6 
 尾崎豊「卒業」の思い出──2011 /11/18


 この文章に登場する大学の後輩Nが、MS-Dosをコピーしてプレゼントしてくれた。 52歳で死ぬのは早すぎる。

 上記画像のMS-Dos3.1の分厚い解説書はネット検索してお借りしたものだが、これは私も持っていた。明確に覚えている。間違いない。ほとんど読まなかったが。

 ということは、私は正規のMS-Dos3.1も持っていたのだ。彼がコピーして送ってくれたMs-Dosを使っていたが、なにしろ毎回使うものであるから、何かのミスで壊してしまい、もういちどお願いするのもあれなので、自力で買ったのだった。いや、彼にコピーして貰ったのは3.0で、私は3.1を買ったのだったか。
 それは、すんなり買えるぐらい金回りが良くなりつつあったとも言えるが、それ以上に「OSの価値」というものを見直したからだろう。最初は「なんでこんなものに3万も」と立腹したが、パソコンに慣れてくると、それこそが「キモ」なのだと理解した。 

 IBMは「OSの開発なんて面倒だ。下請にやらせよう。パソコンはハードが命」と、OS部門開発を下請けにやらせた。それを受けたのが弱小会社のMSだった。自分の所でやっていればIBMこそが世界一の金持ちだった。コンピュータ史に残る大過失である。 

パソコン話──昨今のフリーソフトDownload事情──ダウンロード管轄ソフトのいやらしさ

 フリーソフトのDownloadは、以前は作者のサイトから直接出来たが、近年はDownload専門のソフトが管轄するようになってきた。いろんな商売があるものである。
 しかしその存在理由は世事に疎い私にも推測できる。

 便利ソフトを開発する。フリーで公開する。「Donate──寄附希望」と書いても、なかなかそれをしてくれるひともいまい。
 そこにこの「管轄ソフトサイト」の登場である。フリーソフトウェアのDownloadをここが管轄する。フリーソフトをDownloadしようとすると、この管轄しているソフトのサイトに行く。というか行かされる。


dl-2 なかなか賢い商売である。何千何万とあるフリーソフトのDownloadを管轄し、Downloadするには自分のところを通さねばならないようにする。そこに有償の体験版等をくっつける。それによって金を得る。フリーソフトの開発者も、自分の所からDownloadされても一銭にもならないが、ここに預託すれば、Download数に応じてそれなりの金がもらえるのだから、よろこんで預けるだろう。
 
「管轄ソフト」側も、自分達の苦労はなにもない。多くのフリーソフトと契約し、スポンサーを得て、フリーソフトファンのDownloadを待つだけである。
 同じような形で儲けるアフィリエイト商売というのは、一応自分の人気、能力に依存するが、これの場合は、他人の開発したフリーソフト人気に便乗するだけである。自分の手を汚さない。汗を流さない。いかにもネット時代のおいしい商売だ。

 しかし利用者にとっては不便になった。ブロードバンド時代だから、直接出来るなら、ほんの数秒でDownload完了し(フリーの便利ソフトだから容量はちいさい)、すぐに解凍してインストール。数分後には使い始められたのに、今はこの「管轄ソフト」のDownloadに時間を取られる。どんなちいさなソフトのDownloadでも、まずはこの「管轄ソフト」のDownloadから始めねばならない。そしてその後が面倒なのだ。いやな時代になった。


dl-1 フリーソフトをDownloadしようとして行かされるこの「管轄ソフト」サイトの構成が判りづらい。悪質だ。そのソフトをDownloadしたくて行ったのだから、そこに一番目立つように大きく「Download」とあったら、そのソフトだと思う。しかしそれはちがう。このサイトが契約している有料ソフトの体験版だ。その罠が二重三重に用意されている。自分のDownloadしたいソフトにたどり着くまでに疲れてしまう。それは目立たなく、一番下のほうにちいさく表示されていたりする。
 
 それもまあ商品陳列の基本として、利幅の大きいものを前面に出すのは当然だろうからリクツとしてはわかる。しかしいやな時代になった。短気な私はもうこの辺でめげそうになる。
 
 それでも私はこの種のことに慣れているからだまされないけど、不慣れなひとはこの「Download」に引っ掛かって、不要なソフトをいっぱいPCに挿れてしまっているだろう。
 そしてまたこれらのソフトは、挿れようとしていないのにかってに入ってくるぐらい図々しいから、出ていってくれと言ってもすなおには出て行かない。「アンインストール出来ない。困った。教えてくれ」というSOSがネットに溢れている。 


 今朝、Win8にSIWを挿れようと思った。7には挿れてあるが8にはない。
 ビデオカードを替えたい。NVIDIAのGT660にしようと思うのだが、今のはRADEONのいくつだったか。ゲームをやらないので自作機のパーツとしてビデオカードは凝っていない。エクスペリエンスインデックスでも一番数字が低い。SIWでRADEONのそれを確認したい。

 以前なら簡単に出来たSIWのDownloadが複雑になっていて、上記のような苦労をした。振りまわされ、戸惑い、苦労した。Download管理ソフトとは無縁にDownloadしたかったが、やはりそこからするしかなかった。しかたない。

 かってにくっついてきて浸入しようとするよけいなソフト「レジストリィをどうたらこうたら」「あなたのPCを劇的に速くするうんぬん」「とっても便利ななんとかツールバー」には、「要りません」とハッキリ拒み、デフォルトのチェックを外してインストールしたが、気づけばぜんぶ入っていた。それどころか自動起動して「あなたのPCチェック」とかを始めた。急いで「スキャン停止」を押し、そのソフトを閉じる。
 今時のこの「挿れるか挿れないか選択出来る。チェックを外せば入ってこない」は形だけのマナーのようだ。私は毎回そのチェックを外しているが、全部入ってきている。


siwそれでもなんとかSIWをインストール出来たから、パーツ確認をするかと起動したら、「Not Support Your OS Windows6.2」と出て起動しない。6.2とはWin8のことである。6.0がVista、6.1が7。ちなみに5.0がWin2000、5.1がXP。じゃあWin98は4かというと、そういうものでもない。NTの話。
 7も8もVistaの改良型だ。今夏のWindows Blueは、9(6.3)ですらなく、8のSP1と言われている。
 
 しかしなぜサポートしないのだろう。Vistaも7もしているのだから、同じ路線の8に合わせることがむずかしいとは思えない。
 肝腎のソフトは起動せず、かってに浸入してきたソフトは元気よく活動を始めるという踏んだりけったり。
 自分のPCがそんな状態になっているのは不快だ。よってアンインストールソフトで駆除をする。Your Aninstaller Proで、浸入されたレジストリィもすべてクリーンにする。


 朝っぱらから、目的のソフトは使えず、不要なユーティリティソフトやツールバーの駆除に小一時間掛けるという不毛な時間となった。

 しかし真の嘆きは記憶力の衰えだろう。空虚なアンインストール作業を続けている内に思い出した。私は去年の10月にWin8を導入した後、すぐにSIWをインストールしようとして、そのときにも今回と同じく拒まれた。「8はサポートしていない」と。
 当時はサポートしていなかったが、8ヶ月経ってフォローした可能性もあるから、あながちすべてが無意味とも言えないが、なんとも虚しい作業だった。さわやかな朝(でもないか、梅雨で空気が湿りすぎている)の5時から6時、失った1時間が悔しい。

パソコン話──かってに入ってくるDelta Search(Babylon)のしつこさ──に「ジャストシステム話」を【附記】

ichitarou《パソコン話──かってに入ってくるDelta Search(Babylon)のしつこさ》に「ますますジャストシステムがわからん」を【附記】しました。

 徳島のベンチャー企業ジャストシステムに関して勉強していなかったので、2009年にもう創業者夫妻は経営から手を引き、以降はまったく別会社となっていたことを知りませんでした。

 そういえば、IBMのホームページ・ビルダーの販売を始めたりしたのも、この経営権が代わったころだったことを思い出します。「なぜジャストシステムがホームページ・ビルダーを?」と思ったのですが、経営陣が一新され、あらたな路線を踏みだしたのですね。

 IMEが「差別語を打てなくする」というのは越権行為だと思います。
ことばをどのように使うかはユーザーに委ねるべきであり、ソフト制作者が規制すべき事ではないでしょう。
 ATOKに対するこの不満が消えることはありません。 

パソコン話──かってに入ってくるDelta Search(Babylon)のしつこさ──イスラエルと中共の象徴──ATOKの差別語規制

 Firefoxの検索エンジンがDelta Searchになっていた。いつ浸入したのだろう(笑)。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。インストールしたフリーソフトに附いてきたのだろうが、私は確実に「挿れません」とチェックを外し、拒んでいるから、どうやらもうこの種のものと契約したフリーソフトは、「挿れたら附いてくる、かってに入ってしまう」と覚悟せねばならないようだ。チェックを外しても入ってしまう。これは経験から確認している。外せば拒めるという、もうそんな柔な時代ではないようだ。
 一応企業イメージを考慮して、「チェックを外してインストール不要を選ぶことも出来ます。強要はしません」としているが、その実、「いらない」と言っても、しっかり入ってくる。悪質だ。



 こうなると、その種のフリーソフトの便利さを取るか、あとからBrowserの設定や拡張機能を操作したり、ファイルを開いて不要項目を削除する面倒さを嫌い、それを拒むかの問題になる。

 私はいまのところ、「フリーソフトの便利さ」を取っているが、それはまだこれらを削除できるからで、さらにしつこく巧妙になってきたら、もうフリーソフトを捨てるしかない。レジストリをいじれば駆除できるが、そこまでして使い続ける気はない。

 しかしそこそこの知識があり削除出来るからいいようなものの、出来ないひとにとっては不快だろうなあ。気違いに勝手に部屋の中に居すわられるようなものだ。



 それにしてもこのイスラエルのBabylonという会社のしつこさは異常だ。世界中で話題になっている。悪評ふんぷんだ。でもいっこうに改めない。
 もうひとつのしつこさで話題なのがBaidu(百度)で、こちらは中共製。イスラエルと中共という問題のある国を象徴しているかのようだ。

 そんなに嫌われてもまで進出しても、けっして好印象は与えないと思うのだが。
 もっとも削除することが出来ないひとは侵掠されたまま、これを使って行くことになるのか。
 竹島も尖閣諸島も対馬も沖縄も取られてしまうように。
 そう考えると泣き寝入りは出来ない。



 Firefoxに浸入して「標準検索エンジン」として居すわったBabylonは、検索窓にある▼をクリックして「検索エンジンの管理」を開き、いつのまにか入っていたBabylonを削除しても、起動のたびにまた復活してくる。臭い匂いは元から断たなきゃダメだ。

 Firefoxのフォルダを開くと、「searchplugins」の中にしっかり鎮座している(笑)。ほんとになあ、よくやるよ。
これを削除すれば消える。次回起動時からも出なくなる。



 あれこれ入ってくるToolbar削除にToolbar Cleanerを挿れておくと便利だ。これが悪質だったらミイラ取りがミイラになるが、ここ4カ月使っていて、それを感じたことはない。いまのところ「とても便利」が結論になる。
 なんだかBabylonとBaiduのせいでフリーソフト恐怖症になりそうだ。

toolbar












 Jane StyleやJanetterのYahooとの連繋もいやだ。でもそれは使わなければすむ。2ちゃんねる閲覧ソフトやツイッターソフトはたくさんある。私はV2Cにして、だいぶまえにJaneとは縁を切った。
 初代Open Janeのころからの長いつきあいだったけど、検索エンジンをYahooに限定されるのがたまらない。もちろんそれを切り替える情報はネットに溢れている。さほど難しくはない。しかしそれをしてまでJaneを使う気になれなかった。Jane開発者が孫正義にひざまづくのは自由だが、それとは関わりたくない。つまり、Yahooと結託したことがイヤなのだ。裏テクで検索エンジンをYahooでないようにすれば解決するという問題ではない。

 この意見は前にも書いたけど、もういちど書いておこう。

「JaneやJanetterはフリーソフトだからYahooからもらう金は貴重だろうし、使用者にそれを強要してくるのはしかたないと思う。こちらも無料で使わせてもらっているのだから割り切るしかない。でも、有料ソフト、それも決して安くないJust System製品が、Yahooと結託してYahoo Toolbarをインストールしてくる姿勢は容認しがたい」

 Just Systemってのは、ATOKの差別語規制も異常だし、トップの考えがよく見えない。ヒダリなの?
 フリーのGoogle日本語入力がますます充実してきて不自由しない。縁切り時なのだろうか。でも長年ATOKを使ってきたからなあ。慣れ親しんでいる。

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ichitarou【追記】──ますますジャストシステムがわからん──5/16

 『一太郎』について書こうと思い、調べていて、ジャストシステム創業者は2009年にもう退社していることを知った。『一太郎』やATOKの開発者である。2009年以降の製品には「創業者の精神」は関係ないことになる。いまのジャストシステムは経営権からなにからなにまで当初のジャストシステムではないのだ。IBMのホームページ・ビルダーを販売するようになったのもこのころか。

 創業者は身を引いたけど、ATOKの異様な差別語規制に反感を持ったのはそのずっと前だから、私の反感は「創業者の制作姿勢」と関連している。
 そもそもATOKなんて最初は辞書などほとんどないちいさなソフトだった。当時、私の最愛FEP(もちろん有料)はWXGだった。

 ATOKはますます充実し、大きな容量のソフトとなってゆく。やがて『一太郎』から離れ、単体で販売されるようになる。そんなある日、「差別語(と言われるもの)が一切打てない」と気づいた。だからそれはまちがいなく開発者・創業者の社長の方針のはずである。



 今回Wikipediaを読んで、ATOKのシンボルカラーである「赤地に白」は「日の丸をイメージ」と知る。20年以上使ってきて、そんなことも知らなかった。言われてみればたしかにそうだ。だから好きだったのか。
 とすると上記の「サヨクなの?」は当たらない。サヨクは日の丸大嫌いだからぜったいに使わない。この件から推測すると愛国者となる。
 しかしまた、そのプログラマーである社長が開発したATOKであるから、異様な差別用語規制等には社長の姿勢が反映されている。創業社長の方針と考えるのが自然だろう。創業者でありソフト開発者でありワンマンなのだから無関係のはずがない。



 と書くと、「差別語を規制したらサヨクなのか!?」と問われそうだ。
 いちがいにそう言えるものではないが、かなりの部分、それが現実の一面でもある。
 たとえばサヨク区長の品川区では、「五体満足という言いかたは差別用語です。使うのはやめましょう」のようなことを区のページでやっている。こういうことをやっている連中を追い掛けて行くと、見事にサヨクと護憲にたどりつくのも事実だ。
 そのことは私のサイトのここにまとめたので、興味のあるかたは読んでください。2006年の文章です。



 今の時代、こういうこともネット検索を駆使すれば、そこそこわかるのだろうか。検索下手なので知りようもない。
 ともあれ、この件に関しては、長年ATOKに不満をいだいている。
「差別用語」と呼ばれるものを、ひとつひとつ辞書登録するのも惨めだ。べつにそんなことばを好んで使いたいわけではない。だけど「盲」「気違い」ぐらいはふつうに使う。それが何十万語だかしらんけど、巨大な辞書をもっているはずなのに、そこから打てないのだ。出て来ない。日本語ではないと削除されてしまっている。そのようなことばを使うか否かはユーザーに委されるべきであってソフトが規制することではない。こどもに対しては、エロや残虐シーンは規制してやらねばならない。しかしATOKユーザーはこどもじゃない。ATOK辞書にある差別語を使って問題を起こしたのがいたとしても、誰もそんなことばを辞書に含んでいるATOKの責任とは言うまい。

 今はジャストシステムを去ったという創業者御夫妻は、この件に関してどう考えているのだろう。知りたいものだ。

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kanren6 Baiduとは何なのか!?

音楽話──YouTubeのPaul Brown「Winelight」──「ようつべ」にはなんでもあるんだなあ!

 ここのところずっと音楽再生ソフトはMedia MonkeyのGoldを使っている。有料版だけあって文句なしだ。サブとしてMusic Bee。もうiTunesを使うことはないだろうが、一応最新版をDownloadして持ってはいる。先日すこしいじったが、あれって、益々使いづらくなってないか? なにを考えているのやら。もう縁切りしたからどうでもいいんだけど。



 Winampの最新版をDownloadしてみた。こちらもしばらくご無沙汰だ。ただしこちらは嫌いなiTunesとはちがって、その多機能を使いこなせない私に問題がある。
 ひさしぶりにDownloadし起動したらオープニング画面がインターネットラジオになっていた。しばらく聞いてないなあとAbusolutely Smooth Jazzをクリックしてみる。

 するとまあなんというタイミングであろう、いきなり大好きな「Winelight」が流れてきた。サックスだが本家のGrover Washington Jrとはちがう。誰かと演奏者の欄を見るとRocco Ventrellaというひと。不勉強にして知らない。今度買ってみよう。それよりももっとこのラジオを聴いて幅を拡げないと。ここのところ持っているものしか聴いてない。それでもありすぎるほどなんだけど。



paul brown そのあと、自分の持っている本家G.W.JrとギターのPaul Brown、Nick Colioneの「Winelight」を聴く。Paulがアルバムに収めたのは2005年だからNickの1999年のほうがずっと先だ。本家G.W.Jrの発表は1982年。1999年は爛好燹璽好献礇困良祗瓩噺世錣譴身爐遼瓦なった年である。

 しかしNickのを聴いても最初に聴いても私は感激しなかったろう。それはギターで演っている独自の「Winelight」に過ぎない。いやそれはとてもすばらしいのだけど、聞きのがしていた気がする。私がPaulのこれに惹かれたのはPaulの解釈のしかただった。ギターでサックスを模倣するような不思議な感覚だった。さすが名プロデューサーだけにそのへんがうまい。



 そこでふとYouTubeのことを思った。あそこで日々多くのものを得ているひとは不思議に思うかも知れないが、どうにも私にはいまだにYouTubeに毎日接するという感覚がない。

 出かけて、Winelightで検索すると、本家はもちろんだが、なんとPaul Brownのライヴ映像まであった。しかもJessy Jが参加している。ふたりが親しいのはJessyのアルバムをPaulがプロデュースしているのだから当然としても、こんなものまであるのかと感嘆し溜め息が出た。すごいなあYouTubeって。ほんと、なんでもあるんだ。(このセリフ、このブログだけでも相当の回数書いているような気がする。これからもまた何度も書くのだろう。)



 インターネットラジオから流れてきたPaul Brownの「Winelight」に衝撃を受けたのは2006年だった。感激してサイトに長々とそのうれしさを書いた。サックス吹きが作ったサックス用の曲を忠実にギターで再現しあたらしい世界を構築しているのがなんとも新鮮だった。
 Smooth Jazzの名プロデューサーが、年をとってからいきなりギタリストとしてデビュウしたのが不思議で、「数数のヒット番組のディレクターだったテリー伊藤が近年タレントに変身したようなモノか」と私なりの例えで表現している(笑)。



paul brown2 Paul Brownの演奏姿を見るのは初めてだった。ロンドンでのライヴらしい。なんともありがたい時代である。あまりにありがたいのでパソコンに感謝して拝んでしまった(笑)。

「Winelight」のアレンジは基本として、というか本家のG.W.Jrからもう伝統的に、ギターがオルタネイトなミュートアルペジオで伴奏し、サックスが自由に踊るものだ。あの伴奏をやれと言われるたらきつい。倦きてしまう。指がつる。ほんとにほんとの引き立て役の「伴奏」だから。Paulはギターでリードを取るので、それをエレピにやらせていた。
 Jessyとのダブルリードだと思ったが、Jessyは師匠格のPaulを立てて、一歩引いている。いい雰囲気だった。5分過ぎ、最後のJessyのソロがいい。



 こういうものを見ると、毎回「もっとYouTubeに行こう。もっと利用して勉強しよう」と思うのだけど、すぐに忘れてしまい、また何ヶ月後かに同じようなことを書いている。やはり「ネットをやるためにパソコンを始めた」というひとと比べるとどうにもそのへんが鈍い。なにしろ常時接続なのに、いまだに知らないことはインスールしてあるいくつもの辞書で調べ、それでハッキリせず、「こまったこまった」と悩んでいて、「そうだ、ネットで調べてみよう!」と大発見のように思ったりする。最初からネットで調べる感覚のひととはおおちがいだ。

 ともあれDownloadさせてもらった。しばらくは毎日のように聴くだろう。とはいえ夜っぽい雰囲気の曲だから昼間は聴かないだろうけど。



 Paul Brownの「Winelight」を知らないひとのためにリンクを貼っておきます。

・YouTube──Paul BrownとJessy Jの「Winelight」ロンドンライヴ

JessyTequila そのあとMedia MonkeyでJessy Jを開き、連続して聴いた。あいかわらずJessy Jの情報がすくない。検索してもなにも出ず、このブログに当たってしまった(笑)。検索して自分のブログを見つけてもしょうがない。でも懐かしかったので読んだけど。

・「夏の朝にJessy J」

 Jazzを聴くとバーボンをストレートで飲みたくなるというバカっぽいワンパターンをなんとかしないと。



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【追記】──Paulはライヴよりアルバムがいい!?──「Foreign Xchange」を聴きながら

Paul Brown & Marc Antoine - Foreign Xchange
 これは2009年の「Foreign Xchanges」。親しいギタリストのMarc Antoineとの共演。Paulの最新アルバムは2012年に「The Funky Joint」というのが出ているらしい。それはもっていない。

 ライヴのビデオを見たあと、これを聴いていてしみじみ思ったのだが、Paulはライターよりスタジオ録音のアルバムのほうがいいと感じた。あそびのない1音1音計算尽くのような無駄のないフレーズがいいのであり、ライヴの饒舌な音とは似合わないように思う。

 単なる私の好みだが、もともと敏腕プロデューサとして多くのヒットアルバムを手掛けてきたひとだ。ギタリストとしても、ライヴでよさが発揮されるというタイプではない。この感想、あながち的外れでもあるまい。
 もちろんそのことと、YouTubeのお蔭で貴重なロンドンライヴの映像を見られた感激は別物だ。

パット・メセニー「One Quiet Night」──ノラ・ジョーンズからの流れで

Front






















 Pat Methenyの「One Quiet Night」を聞いている。 

 2003年に出た古いアルバムだが、私は入手してからまだ2年ほどでしかない。
 きっかけはインターネットラジオから流れてきた「Don't Know Why」だった。いま調べたら2005年の12月10日にそのことをサイトに書いている。「CDを手に入れるぞ」と決めてからずいぶんとも時間が掛かっている(笑)。

 大好きなノラ・ジョーンズの歌の中でも特に好きな一曲だ。それがA・ギター一本でじつにきれいに演奏されている。低音が異常に強いからバリトンギターなのだろう。鳥肌が立った。誰がやっているのかと調べるとパットだった。

 パットの実力は知っているし、それなりに音も持っている。いまチェックしたら、PMGのアルバムは4枚ある。でもみなグループものだった。というか、パット・メセニーと言ったらPMGだろう。このひとはひとりでやってもこんなに凄いのかと感嘆した。そりゃまあ巧いひとはなにをやっても巧いんだけど、こんな取組みかたをしたアルバムがあるとは知らなかった。2005年12月10日には(笑)。



norah ノラ・ジョーンズのデビューは新鮮だった。夢中になった。あれほど女性シンガーにいれこんだのは20代のときのリンダ・ロンシュタット以来だったように思う。
 あのインドのシタール奏者ラヴィ・シャンカールが59歳の時に白人女性とのあいだにつくった娘である。そのラヴィも昨年亡くなった。ビートルズに影響与えた人だから、ジョンやジョージと比べたらずいぶんと長生きだった。享年92歳は私の父と同じだ。

 ただ、私のノラ好きは──「ノラ好き」と書くと内田百里痢屮離蕕筺廚鮖廚そ个宏;.汽ぅ箸望椶靴書いたけど、初期のアルバムの犧酩吻瓩始まりだった。
 ビリー・ホリデイを聞いて育った彼女のジャジーなヴォーカルセンス、父から受けついだオリエンタルな味わい、そしてこれも私には大事なのだが、彼女にはカントリーの下地もあった、そういう歌手としての彼女が大好きだったのだけど、それと同時に、彼女に提供された楽曲が大好きだった。
 日本で言うなら、ZARDの歌声以上に織田哲郎の曲が好き、に通じる。

 その後彼女は全曲自分で作詩作曲するようになりシンガーソングライターとして自立する。しかし今でもいちばん好きな曲はと聞かれたら、私はこの初期の周囲から提供された作品になる。



 ノラが初来日したのは2002年。まだ世界的ヒットは出していない。プロモーションとしての来日だ。そのあと日本で数回のコンサートをやっている。まだキャパのちいさなホールだ。このとき観られたひとはしあわせだ。うらやましい。
 J-waveのプロデューサーであるM先輩はこのとき局に挨拶に来たノラに会ったとか。新人のノラはとてもきさくだったらしい。今じゃ大スターだけれど。
 今日はひさしぶりにノラのライブDVDでも見ようかな。



 ところで、たしかにパットのこのアルバムは深夜や明け方に愛聴しているのだけど、かといって急いでここにアップするほどのことでもない。なぜそんなことをしたかというと、下の社民党の醜いポスターを見るのがイヤだったから。それが自分のブログのトップにあるのが我慢できなかった。
 パットとノラのアルバムジャケットをトップにもってこられてほっとした。 

衆議院テレビの憂鬱──見たくない女の顔──辻元と北原

shugiin テレビの国会中継はかなり熱心に見ていた。いまテレビはほとんど見ないが、これがなかったら相変わらず見ていたろう。

 これ、すなわちインターネットの「衆議院テレビ」である。便利だ。いつでも好きなときに興味のある審議をつぶさに見ることが出来る。まったく便利な時代である。むかし大事な国会の質疑応答があるのにNHKの中継がなく、それでいてくだらん番組を流しているときは腹立ったものだった。この中継はインターネットの最もすばらしい点であろう。

「参議院テレビ」もあるが、こちらは見ないなあ、まあ参議院なんて廃止しろと思っている方だから当然か。



 4月16日火曜日に、西村眞悟議員が質問した。西村さんもあちこち移って、いまは「維新の会」。詳しい質問内容はこちら。西村眞悟ホームページ。

 水曜の明け方、「衆議院テレビ」でいま見ている。

「専守防衛」について総理に質問しようとしたら、総理ではなく小野寺防衛大臣が立った。一瞬それを止めようとした西村さんだが、「あ、あんたでもよろしい」。
 すると小野寺さん、「お認め戴いて光栄です」。おとなだね。



kitahara2 ところでこの「衆議院テレビ」、見るたびに不快になることがある。カメラが質問者を映す、その向こうに、必ず辻元清美がいるのだ。その隣に原口。そういう席なのだろうが、見るたびに辻元のあの死にかけた鮒みたいなブス顔を見るのは不愉快である。

 過日、北原みのりという信じがたいバカ女を知り、そのことを【芸スポ萬金譚】に書いた。あまりにバカ意見なので呆れはて、まったく知らない「著明なコラムニスト」とかいう女のことを調べる気にもならなかった。単なる目立ちたがりかと思った。いつ書いたのか忘れていたが、いま調べると去年の6月のようだ。

 その後またこの女が話題になったらしく、つい最近その記事を読み、辻元の盟友だと知った。辻元がサイン入りバイブ片手に一席ぶって笑い物になったことがあったが、あの「女のための大人のおもちゃ屋」をやっているのがこの女らしい。バイブ提供者だ。また、汚らしい裸を靖国神社で晒し、英霊を侮辱したことも知った。反日朝鮮人のやることはみな一緒だ。左はそのときの裸写真。不快である。



 しかしこのアングル、なんとかならんか。誰の質疑応答を見ても必ず辻元と原口がいる。「衆議院テレビ」を見るのがつらい。

nishimura-kokkai














 こちらは中山成彬議員の質問場面。ここでも辻元と原口を見ねばならない。

nakayama2

安倍首相のFacebookで日本人的主張をしてくれたフランス人──ほんとにフランス人だったらうれしいな

過日、「安倍首相のFacebookでの発言に、KoreanやChineseが反論したら、それを日本語の上手なフランス人が論破した」ということが話題になっていた。

そのことを「生活雑記──酒屋の若旦那とインターネット話──安倍首相のFacebookとフランス人」として書いた。
いつだったかと確かめたら3月22日だった。早いな、もうそんなに前なのか。

ここで私は「Facebookをやっていないので、そのフラン人の文章が読めない。なんとか読みたいものだ」としている。そのまま読めないまま今日まで来た。
今日それを取りあげているブログを知り(ライブドアニュースが教えてくれた)、いまそこに行って読んできたところ。
アドレスはこちら。「安倍首相のFacebookに韓国人・中国人が反論するも、なぜかフランス人が論破した件



リンク先にすべて載っており、一読していただければそれでいいのだが、こういうリンクって、1年後に読もうと思っても切れていたりする。File not foundだ。よってそのやりとり部分をコピーし保存させていただく。

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 先ずは発端となる安倍首相の発言。

    3月11日の東日本大震災慰霊式典に「台湾の代表の取り扱い」を理由に中国が欠席いしました。

    昨年行われた慰霊式典では、台湾の代表は招待され出席していたにも関わらず名前すら読み上げられませんでした。
    震災発生時、台湾は世界のどの国よりも多額の200億円を超える義援金を贈ってくれた大切な日本の友人です。台湾の人々の気持ちを傷つける非礼な対応でした。
    今年はこの対応を改め、台湾に対し感謝の意を込めて「指名献花」をしていただくことにいたしました。

    このことに対して中国が代表を送らなかったことは大変残念なことであります。
    しかし私達はこれからも礼儀正しくありたいと思います。
    そして多くの支援をいただいた台湾をはじめ全ての国に対して、感謝の思いでいっぱいであります。


(原文そのまま、引用元http://www.facebook.com/abeshinzo)



 これに最初に絡んできたのは、なぜかChineseではなくKoreanなのだとか。以下の文。

 震災でなくなった方々にはご冥福をお祈りしています。しかし、自民党政権のような保守ふりしている既得権&機会主義者のようなあんた達は理解できません。段々、右に行ってみてください。右に行けば行くほど、それがあんた達の首を縛ることになるはずです。よく考えてください。過去の事を周辺国に謝罪しない限り、あんた達がいつも叫んでいた「脱アジア」は絶対できないと思います。過去の事謝罪したドイツを見習ってください。同じ敗戦国なのに違いますね。日本の責任ある行動に楽しみにしています。

(原文そのまま、引用元同上)



 これにフランス人のデヴィッドさんが反論。

 そんなだからあなたたち韓国人は、現在最も世界で嫌われていて、それをまったく自覚できていない残念な民族なんだよ。
   日本は中国、韓国に対してドイツとは比較にならないほどの補償と経済援助を行って、それをあなたたちの国は受け入れているの。それをあなたたちの馬鹿な国家は馬鹿な民衆に伝えずに、いつまでも思想教育で謝罪と賠償を求め続けさせる乞食根性を植えつけているってわけ。
    60年以上前のこと、しかも謝罪どころか今のあなたたちの生活を劇的に発展させるほどの経済援助を行った後なのに。大戦の謝罪を今まさに起きていることかのように騒ぐあなたたちの頭はおかしい。

    さらに言わせてもらうと、第二次大戦においてのドイツ、イタリアの行ったことは決して許されることではないし、その意識は我々フランス、欧州の各国もしっかり持っている。しかし、それらは国家としては償いを行っている。日本も同様にあなたたちの国に償いは行っている。では、何が違うのか? それは私たちは前を向いて同じ欧州の人間同士あらためて平和に向かって団結し、発展を目指しているのに対して、あなたたち韓国人、中国人は更にしつこくゴネ続けることで金を日本から揺すり取ることしか頭にない、後ろを向いて自国がいかに狂っている国家であるか?ということから目を逸らしているからである。
    あなたたち韓国と中国以外の国から見ると、日本が気の毒でならない。

    あと、今回の安倍総理の行為は他の国から見て当然であることで、別に褒め称えることではないのです。私は今回の安倍総理の行動は評価することではないと思う。台湾の人も感謝する必要はない。礼には礼をという精神は国家間に最低限持っておかなければならないものだからだ。
    そして、政治問題を持ち上げて犠牲者への追悼の気持ちを表明しない、あなたたち韓国、そして件の中国という国家の非礼は世界から見て、ありえないほど異常なのです。
    日本に住んでいてこのようなことも感じ、学ぶことができないあなたは、これ以上、日本にいる必要はないと思います


(原文そのまま、引用元同上)



 以下の英文はChineseから。

how about think on this way..a murder use a cruel ways to kill you family ,and after it he just give you money without nothing for his apologize ..and will you say “ok thank you! I forgive you ,cuz of your money!?”



 それに対してもういちどデヴィッドさんの反論。

 金銭の賠償以外にも日本はあなた達に対して何回も謝罪している。それを知らない己の無知を知りなさい。
日本、日本人を今なお殺人者扱いしてそのような呼ばわり方をするから、あなた達中国人は愚かなのです。あなた達中国は、第二次世界大戦の後にチベットという国を武力で侵攻して、多くの人を殺して、今なおまともな人権の無い制圧を続けている。そして、それを内政問題だと馬鹿な主張をする。そして、ことあるごとに、台湾という国家の国際舞台での活躍を妬み、妨害している。

 私から見たら、あなた達の国家の方が悪質だ。現在を見なさい。あなた達の国は現在進行形で殺戮国であり、侵略者だ。


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 私の感想として、デヴィッドさんの意見はすべて自分と同じであり、これをフランス人が書きこんだのだとしたら、とてもうれしいが、あまりに私と同じなので、日本人なのではないかとの想いが消えない。日本が支那や朝鮮にどれほど金を毟り取られたかは日本人でも知らないのが多い。両国の経済発展など、すべて日本から毟り取った金で成りたったようなものだ。フランス人がそこまで通じ、ドイツなどとは比べ物にならない額の賠償金を日本が支那や朝鮮に払ってきたこと、公式にも私的にもさんざん謝罪してきたことを知っているとは思えないのだ。でもこのひとがほんとにフランス人だったら、歴史観に希望が持てる。

 本名と顔を晒すらしいFacebookでなりすましが出来るものなのか、なにしろやっていないので意見が言えない。ただ、そのIDが、フランス人でフランス在住のデビッドさんだとしても、周囲の友人の日本人が、それを借りて意見を書きこむ、のようなことは可能だろう。真相は薮の中だが。

 ともあれ、なんとか読めないものかと願っていたものを、こういうまとめで読めたことがうれしい。読ませてくれた「ガジェット通信」に感謝。「こんなのが載ってるよ」と教えてくれたライブドアニュースにも。



 ところで、この文章の末尾にこうある。
《この記事はガジェ通ウェブライターの「写楽斎ジョニー」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?》

 最近私のところにもいろんなところからこういう「執筆しませんか」の誘いのメールが来る。きちんと担当編輯者がフルネームを名乗り、文章も礼儀正しい。URLをクリックすると、しっかりしたところに行くから、イタズラではなく、本物のそういう誘いらしい。あれこれ捜しまわり、書けそうなヤツを見つけて声を掛けているのだろうか。

 こちらにとって、それをする利って何なのだろう。ギャラは出ないようだから、自分の文章を世に出したい、有名になりたい、出世したいってひとには意味があるのか。しかしそれに興味のない身には無縁な話ですわなあ。

ホッピー話──ホッピー用にキンミヤ注文──伊予銀行初体験

 今日も雨の日。ここのところ肌寒い。
 春分の日はティーシャツ一枚でも暑いほどだった。桜はすでに咲いてしまうし、いったいどんな春になるんだと心配したが、呼びもどしがあって、まともな寒さの4月のようだ。
 数年前には4月になって桜が散ってから雪が降ったことがあった。今年はどうなるのだろう。
 この雨があがると、一気に春らしいあたたかさになるような気がする。



 春分の日の暑さで、私の今年のホッピー解禁はずいぶんと早まった。そのまま来てしまったので、昨夜など寒くてこたつに火を入れたのだが、それでもつめたいホッピーを飲んだ。

kinmiya あれこれやってみたが、やっぱりホッピーにはキンミヤである。この組合せを発見したひとはえらい。

 キンミヤは「さとうきび焼酎」である。よってラムに通じるトロっとした感じがある。これを冷凍庫で冷やしておいてホッピーで割る味わいは、他の甲類焼酎とはちょっとちがっている。ほんと、最初にこれに気づいたホッピーファンはえらいな。

 キンミヤの社長のインタビューでは、「おかげさまで(ホッピーのある)関東では好調なんですが、地元で売れなくて(笑)」とあったっけ。

 東京の下町にはキンミヤ割ホッピーを飲ませる店が多々あるらしい。いちど外でそれを飲んでみたい。ここのところ家飲みばかり。明日ひさしぶりに外飲みするが、ホッピーはない店だろう。

 600ccのこれをホッピーブラックで空けるのがここのところの習慣。量もほどよい。毎度これを買いに行くのも面倒になってきた。
 レギュラー、55、ブラックとあるホッピーは、ここのところブラックばかり。これもびんの処理が面倒。

 黒ビールは個性が強すぎて毎日飲んでいると倦きが来る。アイルランドでギネスしかない地域にいたときは猛烈にふつうのビールが飲みたくなった。ギネスはうまいビールだけど、毎日あれだけというのもつらい。ホッピーのブラックはギネスのように強烈ではなく、黒の主張がハーフアンドハーフぐらいでほどよい。



 というところで通販になる。紙パック1.8リットルを6本以上注文すると送料無料というところを見つけた。酒は重いから送料が高い。無料はありがたい。ここに注文することにした。ほんとはびんの味わいがいいのだが、割り切って風情のない紙パックにする。ごみ処理が楽。

 すると振込先が「伊予銀行」とある。こんな銀行、看板すら見たことがない。でもたぶん愛媛県じゃ由緒正しい有名銀行なのだろう。それはまあ茨城の田舎者なのでよくわかる。うちの親は茨城相互銀行とか石岡信用金庫なんてところに預けていた。茨城で伊予銀行に匹敵するのは常陽銀行か。



 思えば、ここのところ私が通販で購入する会社はほとんど東北だった。パソコン部品は青森、宮城が多い。たぶん店舗を持たない倉庫営業なのだろう。秋葉原より安い値段でがんばっているのだから、東京、大阪、東北が同じ値段だったら東北を応援する。そんな応援に意味があるかどうか判らないけど気は心だ。
 酒は福島、秋田、新潟だ。これは好きな銘柄がそっちなので自然にそうなる。有名な灘伏見だが、あっちの酒になじみはない。



 愛媛県から通販で酒を購入するとは夢にもおもわなんだ。でもキンミヤは三重県の焼酎だから、こんなこともあるのだろう。 まあこれはこれで新鮮な体験。

生活雑記──酒屋の若旦那とインターネット話──安倍首相のFacebookのフランス人のこと

 いつも行く酒屋は、70代の旦那と40前後の若旦那が店番をしている。
 客待ちのあいだ、若旦那はいつもノートパソコンに向かっている。

 旦那のほうとは何度か世間話をしていた。
 あちらのほうから客との会話の定番である、「いやあ、寒くなりましたねえ」などと話しかけてくるので、こちらも作法通りに「今年は冬が早いようですね」などと応えていた。
 無口な若旦那とは会話したことがなかった。私と旦那の会話の時もノートパソコンに向かっていて、こちらを無視することが多かった。そんな無礼な商売人にこちらから話し掛けることもない。



 店内のPOPがカラフルに、とてもよく出来ている。パソコンによる手製だ。あの若旦那がノートパソコンで作っているのかと、前々から気になっていた。画質からインクジェットプリンタだとわかる。
 ある日、いつもの焼酎を若旦那から買った時、社交性のない私には珍しく、「これはご自分で作っているのですか?」と思わず話しかけてしまった。

 若旦那は「ええ」とそっけなく応えた。すると横っちょで商品整理をしていた旦那のほうが、「いやあもう便利な時代になって」とか「わたしなんかにゃチンプンカンプン」と即座に応じてきた。旦那も若旦那も、私がそういうものに知識のない、まるで印刷物であるかのようなPOPに感嘆している客と判断したようだった。
 つまりパソコン好きの若旦那はそっち方面に知識のないオヤジが適当に話し掛けてきたなと私を敬遠し、旦那のほうは、知識のない客の適当な話し掛けに、接客態度のよくない息子が無愛想な応対をしそうだと、横っちょから助け舟を出してくれたのだ。それは鈍い私にも露骨なほど感じられたから、明らかにそうだったのだろう(笑)。

 気持ちとしてはわかる。知識のないひとに適当に話し掛けられ、脹らむことなく終る会話は虚しい。



 話し掛けた相手に冷たく応対され、横から助け船まで出される惨めな状況だから、誇り高い私としては憤然としてそこで会話を打ち切るのが常なのだが、なぜか私は、店中の商品に貼られているA−4版の値段(黄色地の紙に赤字で値段が書かれているタイプ)を見ながら、「これ、インクジェットでしょ。たいへんですね」と言っていた。前々から思っていたことだから自然に口を突いていた。

 社交家でない私がつい話し掛けてしまったのもそれが理由だった。昨今のインクジェットプリンタは「ハードは安く、消耗品で儲ける」に徹底している。CANONが自社の製品よりも安いインクを製造していた会社──なんて言うんだっけ、サプライ品メーカーでいいの?──を違法だと訴えた事件も記憶に新しい。儲けるジャンルのインク分野に他所から参入されて鳶に油揚げは許さないだろう。でもそういうメーカーが複数存在する(需用がある)ほどむかしからインクジェットプリンタの消耗品は高く、CANONが裁判を起こすほど、そこは儲かる分野なのだ。

 私のプリンタはここ数年カラーレーザーが中心だった。それで何の問題もなかったのだが、DVDのラベル印刷とか写真印刷ではインクジェットの画質が欲しくなるときがあり、つい先日数年ぶりにCANONのそれを購入したばかりだった。CANONのインクジェットプリンタを最初の製品から使ってきたという思い入れもある。そして予想通りインクの減りの速さに往生していた。以前もひどかったのに、ますますすごいことになっていた。ちょっとバカにならない額である。若旦那に話し掛けた「たいへんですね」は「これじゃ消耗品のインク代がたいへんですね」の意味になる。



 するとそれを聞いた若旦那がピクンと反応したのだ。そこがそれ好事家。好きな道には通ずるものがある。「そうなんですよ、インクがね」「ぼくはもうカラーレーザーにしました」「でもレーザーのトナーも高いですよ」「ですね。でもカラーレーザーはハードが、かつては夢でしたもの」「個人には無理でしたね」。
 一気に話が弾む。あまり周囲にパソコン好きがいないのか、若旦那も話の通じる客と出会い、ちょっとうれしそうだった。
 おかしかったのは、それまでは「パソコンを知らない者同士」として私に親近感?を持っていたのだろう旦那が、息子と私が自分のわからない話で盛りあがり始めたので、ちょっと傷ついた顔をして(笑)、そこからさっと去って行ったことだった。

 いつも行く酒屋で、そんなことからパソコン好きの若旦那と仲よくなったという、ここまでが「生活雑記」。ここからいわば本題の「安倍首相のフェースブックとフラン人の話」になる。

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 さらに話している内に、若旦那は政治思想的にも私とちかいひとだと知った。最初は「アベノミクスで株価があがって」なんて話題だったのだが、そこから自然に民主党政権批判になり、感覚が通じてゆく。

 客待ちをしている間、若旦那はいつもレジでノートパソコンをいじっていた。前記したように、旦那のほうが客である私に「今日は寒いですね」なんて話し掛けている間も、見むきもせず画面を見詰めている。いったい何をしているのだろうと思っていた。オンラインのRPGにでも凝っているのだろうかと。
 それが今回、私と同じく2ちゃんねるの「ニュース速報」等でニュースを追っているのだと知った。

 私がそっち方面にも通じていると知って、若旦那は「さっき、Facebookでフランス人がね」と話し掛けてきた。私はちょうど部屋を出る前にそれを読んできたばかりだった。ホットな話題である。



 安倍首相がFacebookで、大震災における台湾への感謝を述べた。昨年、民主党はあれほど日本のことを案じて多額の義捐金を寄せてくれた台湾を無視するというとんでもない無礼をした。有志がお金を出しあって台湾の新聞に感謝のことばを載せた。そんなことに関わることなどめったにない私だが、あれには一口参加させてもらった。それほど媚中の民主党が台湾に対してやったことは無礼だった。

 今回安倍首相は台湾にも礼を尽くした。当然だ。それがひととしてのありかたたが。するとそれすらも外交に使おうとする中共が式典への参加を缺席した。けっこうだ。出てもらいたくない。中共と南北朝鮮には。
 安倍首相はそれに対しても、「残念ではあるが台湾への感謝は当然である」とゆるがなかった。やっとまともな首相になったと安心したばかりだった。
 そのフェイスブックに朝鮮人が抗議の書きこみをした。ここまでは毎度のこと。

 その相変わらずの身勝手な論理に、フランス人が反論の書きこみをしたのだという。
 それが歴史観としても正しく、また日本語が上手で、Facebookはいまそれで盛りあがっているらしい。



 私はFacebookをやっていないので、それは知らない。ただ2ちゃんねるの「ニュース速報」にすでにスレが立っていた。とても興味ある話題だったから、若旦那の「Facebookでフランス人が」に、喰い気味に「ああ、あれですね」と応えていた。

 当然ながら2ちゃんねるでも、そのフランス人があまりに日本語がうまいこと、日本とシナ朝鮮の歴史と確執に通じていることから、日本人のなりすましではないかとの説も出ていた。
 こういうときFacebookをやっていれば、その文章を読んで自分の意見を書けるのだが、やっていないので読めない。彼がフランス人なのか日本人のなりすましなのか、その文章を読みたかった。



 パソコン黎明期、多くのひとにパソコン通信に参加するよう勧められたが関わらなかった。パソコンに電話線を繋ぐ気にはなれなかった。私には見知らぬひととネット上でのやりとりをしたい気持ちは毛頭ない。mixiもやらなかった。TwitterもIDはもっているが活動していない。Facebookなんてやるはずもない。最近はハンドルだけのメールには返事も書かない。ネット世界で交友を拡げるどころか、もう拡がりすぎなので拒んで狭くしたいほどだ。

 そんな私だからFacebookのそのフランス人の文章を読めないのは当然なのだが、なんとか読んでみたいので、今から探しに行く。うまく見つかるといいが。

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 安倍首相のFacebookで日本人的主張をしてくれたフランス人



かってに浸入してきて居すわるソフトの恐怖──創価学会?

 入れた憶えがないのにかってに居すわって検索エンジンになろうとするClaroや、しつこくIMEを勧めてくるBaiduのようなソフトにうんざりしていたら、むかしむかしの話を思い出した。



 二十代の頃、私の友人がある人とバイト先で知りあった。とても親切な人だった。親しくなった。その人に誘われ、何も知らないまま、ある集会に参加した。
 短期の契約だったのでバイトはすぐに終った。
 その会社とも、その人とも縁が切れた。はずだった。

 ある日、彼がアパートに帰ると、部屋の中に手土産を持って、その人がすわっていた。
 そのころ近所に住んでいた私と友人は、おたがいの部屋を自由に出入りできるよう鍵を掛けなかった。
 その人は友人に、人生の悩みなどを問い、熱心に何かを語り始めた。
 人のいい友人は、そんな彼の姿勢に感動した。自分のことを心配してくれる親切な人だと。



 数日後、友人が帰宅すると、また部屋の中に手土産を持ったその人がいた。
 また熱心に人生について語っていった。
 そんなことが何度か続いた。

 友人に相談された。どうしたらいいだろう。あれはなんなのだろうと。
 さすがに呑気な友人も、知らない間に部屋の中で自分を待っているその人を、すこし不気味に感じ始めたのだった。
 私もそんな経験はなかったので応えようがない。
 とりあえずお互いに、しばらくは部屋に鍵を掛けることにした。

 数日後、友人が帰宅すると、鍵を掛けたので、今度はドアの前で待っていた。
 部屋の中で話を聞く。
 そこでやっとそれが創価学会であり、その人は入会を奨めている(折伏)のだと知る。
 以前学会の集会に参加したので、その人は、友人に入会の可能性ありと判断していたのだ。



 友人に二度目の相談を受け、今度はもう創価学会と正体が解ったので、私は強く拒むべきとアドバイスした。
 友人も、あれが創価学会の集会だと知っていれば行かなかったのだがと悔いていた。
 しかし気弱な友人は、毎回手土産を持ってドアの前で待っているその人を強く拒むことは出来ず、来るたびに部屋に上げてしまい、長々と話を聞いてしまうのだった。
 ただ気弱ではあれ、創価学会が大嫌いで入会するつもりはないという気持ちは強かったから、どんなに折伏されても肯くことはなかった。

 折伏できると思い込んだその人(折伏した人の数だけ自分の幸福が増す、という教えである)を諦めさせるには、それから長い時間が必要だった。
 入会の意思はないと断ってもその人はやってきた。その人が来そうな日は、友人は私の部屋に避難し、深夜まで帰らなかったりした。



 インストールした覚えもないのにかってに鎮座しているしつこいソフトに出会うと、友人の部屋の中に手土産をもってすわっていたという、その人の不気味さを思い出す。

Claroの検索ページがかってに開いて困っているかたへ

去年の11月に書いた「Claroってのも悪質ですなあ」に根強いアクセスがあるようです。かってに入ってくるほんとにイヤな押し掛けソフトですから、消し方がわからず苦労しているかたが、検索する気持ちがとてもよくわかります。
あらためてまたイヤな目に遭ったので報告しておきます。



Chrome系ブラウザを起動したら、ホームページに設定しているiGoogle以外に、憎きClaroの検索ページが開く。なぜなんだ? そんな設定はしていないぞ。

私はChrome、Iron、Comodo Dragon等を同期して使っていて、2画面のディスプレイで複数起動させる。それらが全部がそうなる。なんとも不愉快。だがなぜこうなるのかわからない。
検索ページか開くということは検索エンジンの問題だろう。
「設定」を開き、「検索エンジンの管理」を見ても、以前削除したままだ。入っていない。
上記の文で書いた「拡張機能」にもいない。どこにいるんだ、こいつ!

探しまくると、「設定」「起動時」のところの「特定の1つのページまたは複数のページを開く」の「ページの設定」にちゃっかり入っていた。いったいどうやって入ったのだろう。不思議でならない。ともあれ、同じ事に悩んでいるかたはここから消してください。ほんと、ヤなソフトだね。

claro













将棋話──今年の最優秀棋士は渡辺か!?──漏れてしまったNHK杯戦の結果

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 40日ぶりのインターネットで、わたし的に印象的な出来事は「佐藤が王将位を渡辺に奪われたこと」になる。棋王も奪取までもう一歩のようだ。元々私は渡辺がふたつの棋戦の挑戦者になったとき、今の勢いからして、「王将、棋王を奪取。渡辺三冠誕生」と読み、順位戦も羽生が挑戦者となって森内から名人を奪取し、羽生名人四冠、渡辺竜王三冠というふたりの時代になると予測していたから、読み通りの結果ではあるのだが、あの佐藤康光がいいところなく4対1で完敗したのはショックだった。(まだ棋譜を見ていないから、結果だけから完敗と断言するのは早計だが。)
 
 渡辺の竜王九連覇の価値は、森内から奪い、佐藤、羽生という最強の挑戦者連を退けていることだ。佐藤も二度挑戦して阻まれているし、年齢からして実力はもう逆転していたのかもしれない。しかしまた渡辺が「竜王戦だけは強い」のも確かだった。こんな一方的な結果になるとは……。まさにいま渡辺は最強の時季なのだろう。



 NHK杯戦決勝も気になっていた。昨年に続き「羽生対渡辺」の決勝と知る。3月17日放送だ。果たして羽生の「NHK杯五連覇」はなるのかと気になる。今からもう録画予約しておこうか。

 というところで2ちゃんねるの将棋板を覗いたら、「最優秀棋士」に関するスレがあった。そこを読んで驚愕する。このNHK杯戦決勝で、羽生が渡辺に負けたらしい。五連覇を阻まれ渡辺初優勝のようだ。書きこんでいるひと全員がそれを既定の事実として、その上で今年の最優秀棋士を予測している。ガセではない。どうやら間違いのない事実のようである。どういうことなのだろう。何が起きたのか。

 NHK杯戦は録画だが、放送まで結果を知らせない。いくら箝口令を敷いても人の口に戸は立てられず、どこかから漏れてしまうと思うのだが、その守秘力はなかなかのもので、私なんぞは毎年結果を知らないまま、手に汗握ってNHK杯戦決勝を見ている。それはそれでいいことだ。
 今年はどうして漏れてしまったのだろう。いま興味があるのはそれになる。これから調べてみるところ。将棋的には羽生の五連覇が阻まれ、渡辺時代到来かという大事件である。さすがに伏せきれなかったのか。どこから流出した情報なのだろう。

 複雑な気分だ。日曜の楽しみが消えてしまった。観るのがつらい。知らなきゃよかった。なんで2ちゃんねるなんか覗いたんだと悔いる。あと二日、そんなことをしなければ今年もまた手に汗握って観戦できたのに。
 しかしまた考えようによっては、知らないまま観ていたら、その結果に愕き、ひどく落胆したのは確実だから、前もって知ってよかったのか。いやいややはり知らない方が……。



 昨年、私は最優秀棋士は渡辺だと思った。羽生の歴史的快記録王座20連覇を止めたのである。竜王を八連覇し、王座を奪取して二冠になった。
 羽生は、名人位と王座を失冠した。保持している棋聖と広瀬から奪取した王位の二冠のみとなった。まあ「二冠のみ」なんて言いかたはへんなのだが、羽生の場合はそうなる。その他の棋士だと「なんと二冠も!」だが。
 同じ二冠であり、羽生にはその他の棋戦優勝というプラスポイントもあったが、渡辺の二冠は↑であり、羽生は↓だ。印象に差がある。だからもう最優秀棋士は渡辺で決まりだと思った。

 しかし羽生は年度末にまたすごいことをした。NHK杯戦四連覇による通算10回優勝、あの大山ですら成し遂げられなかった「名誉NHK杯」となったのだ。早指しのトーナメント戦(=一度の負けも許されない)でのこれは絶大な価値がある。

 羽生は大山の棋戦優勝80期を越え、いま83期だが、これは大山全盛期の棋戦の数を考慮すれば、まだまだの数字といえる。羽生はデビュー時から「七冠時代」だったが、大山の二十代は二冠(名人、王将)のみである。この差は大きい。100期獲得でやっと並ぶぐらいだろう。羽生はまだタイトル獲得数で実質的に大山の数字を超えていない。その大山ですら出来なかった、この永遠に誕生しないのではないかと思われた「名誉NHK杯」を獲得したのは偉大な業績になる。



 そういえば昨年も今ごろ、その2ちゃんねるの「最優秀棋士」のスレを読んだのだったと思い出す。いや、もうすこし前になる。NHK杯戦の結果が出ていないころだ。毎年同じようなことを書いている(笑)。
 そこでは圧倒的に羽生優勢の意見が多く、私には意外だった。あらためて「羽生人気、渡辺不人気」を知った。私は羽生ファンだけれど、多くのひとの意見を読んでも、「今年は渡辺」という考えは変わらなかった。何と言っても王座戦の20連覇を止めたのが大きい。同じ二冠でも、「誰かから王座を奪取して二冠になった」とは意味が違う。
「今年も羽生だ。羽生に決まっている」という意見を、私は羽生ファンの身贔屓と解釈した。そしてまた思ったのは、「王座戦20連覇を止めた渡辺が今年取れなかったら、いったい誰が、いつ取れるんだ!?」だった。

 しかし将棋関係マスコミの投票による結果は私の予想とは大きく違っていた。NHK杯戦の結果が出てからは、「羽生になるかも」と私も思っていたが、それでも接戦だろうと思っていた。ところが票数は「13対4」と圧倒的だったのである。正直、私はこのときも「羽生ファン」というものを感じた。この投票権をもつ人たちに対してである。ここでも渡辺の不人気を感じた。
 ファンというよりも人徳と言った方が適切か。それだけ羽生の将棋観に魅入られているひとが多いのだろう。そしてまた渡辺には、将棋は強いけれど、まだそれがないのだ。



 競馬のほうでは昨年、皐月賞、菊花賞、有馬記念を勝ちながら「年度代表馬」になれなかったゴールドシップという馬がいた。これもかなりの「歴史的出来事」である。今後もこんな成績を上げながら年度代表馬になれない馬は出まい。年末のオールスター戦である有馬記念で古馬を破ったクラシック二冠馬が年度代表馬に撰ばれないというのはとんでない珍事である。
 でも私も、假りに投票権があったなら、3歳牝馬で史上初のジャパンカップ優勝を果たしたジェンティルドンナに票を入れたろうから、これはこれで割りきれる。

 私はゴールドシップの大ファンなのだが、それでも年度代表馬はジェンティルドンナだと思った。当たった。
 同じく、私は羽生ファンなのだが、最優秀棋士は渡辺だと思った。外れた。
(念のため。ゴールドシップの場合は2012年1月から12月までの成績であり、ここで取りあげている犧鯒瓩留生と渡辺の場合は、2011年4月から2012年3月までの成績であるから、同じ「昨年」と言っても時間差がある。感覚的には羽生渡辺の場合は一昨年だ。)



 羽生登場以降、「最優秀棋士」とは羽生のものだった。それを止めたのは、谷川(2回)、森内、佐藤のみである。1989年以降、その4回を除いてぜんぶ羽生なのである。ここ5年も羽生が独占している。常に複数のタイトルを所持している羽生がいるのだから、それを越えて受賞するのは並大抵のことではない。谷川も森内も佐藤も、誰もが納得するすばらしい結果を出して受賞している。

 今年、渡辺が郷田から棋王を奪取すれば、竜王、王将、棋王(挑戦者決定戦で羽生を破る)の三冠となり、その他、朝日杯(準決勝で羽生を破る)、NHK杯優勝(決勝で羽生を破る)だから、これはもう文句なしだろう。同じく羽生も、王位、王座、棋聖の三冠であり、その渡辺から王座を奪還しているが、竜王位の格と、年度末(年明け)に一気に二冠を奪取した勢いで、いくら投票記者に羽生ファンが多くても、これはまちがいないと思われる。

 問題は棋王奪取に失敗した場合である。すると羽生三冠に対して渡辺二冠である。タイトル数では劣る。私はそれでも、竜王九連覇、王将位奪取の二冠、NHK杯戦優勝(羽生の五連覇を防いだ)で、渡辺だと思う。いまは五番勝負で1勝2敗と追いこまれた郷田棋王にがんばれと声援を送るのみ。

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【追記】──羽生、渡辺に完敗──2013/03/17

 NHK杯戦決勝を見た。2ちゃんねる「将棋板」からの推測通り「羽生負け、渡辺初優勝」だった。あらかじめ羽生敗戦を知っていたから、あまり見たくなかったが、どんな将棋になるのだろう、いや「だったのだろう」と興味を奮い立たせて、見てみた。

 内容は、ここのところ対渡辺戦によくある「息切れ完敗」である。王手を掛けられ詰まされたのではなく、それ以前の投了だった。
 しかし、そういう「大事な一戦」にも「実験的試み」をする羽生に感嘆した。なんともそれがうれしかった。もしも羽生に「五連覇したいという護りの意識」があったなら、羽生は後手番として、今まで渡辺と五分に戦えてきた戦法を選んだろう。一流棋士で唯一負け越している相手ではあるが、完勝譜だっていくらでもあるのだ。

 でもこのひとは、こんな場でも、あらたなことを試みる。渡辺という、唯一自分の座を脅かす年下の棋士と闘える喜びを優先する。結果は、息切れ完敗であり、失礼ながら凡戦ならぬ凡棋譜だったが、羽生善治の将棋道への想いは充分に伝わった。

 私が、私には理解できない天空にあるこの天才棋士に求めているのはそれである。もしもここで羽生が、過去の戦歴から、対渡辺戦で、有功と思われる戦法を採択して五連覇を成し遂げたとしても、私は逆に「羽生もそんなことをするようになったのか」と解釈して失望したろう。

 羽生善治は42歳の今も、七冠完全制覇を成し遂げた25歳の、いや竜王を奪取した19歳の精神をなくしていない。そのことを確認した、悔しいけどうれしい敗戦だった。

ツイッター話──1時間に2回も酒の値段を知りたくもない

ツイッターで、どなたかがフォローしてくれると、Gmailが「××さんにフォローされました」と教えてくれる。
ツイッターをほとんどやっていないので、どうでもいいのだが、憂国の士がフォローしてくれたからも知れないので、一応確認には出かける。

たまにへんなものにフォローされることもあり、その場合はブロックする。今までに3回ぐらい、したことがある。ほとんどやっていないことを考慮すれば、この種のものとの軋轢としては無事なほうだろう。
今日のは「へんなもの」ではないのだが、ブロックした。

ウィスキーを紹介するロボットです。 新入荷のウィスキー情報を自動収集してツイートします。一時間に二回つぶやきます。

どういう呟きかとおもったら、「××ウイスキー、××円。楽天」のように、ウイスキーの値段と、それを売っているところを教えてくれるのだ。酒は好きだし、近所の酒屋にないものは通販で買うこともあるし、こういうツイッターも便利だと思うが、 かといって1時間に2回も酒の値段を知りたくもない。



なんでこんなものにフォローされるのかと考える。ツイッターやブログをロボット検索して酒のことを書いているヤツを捜しだすのだろうか。

ブログに酒のことを書いたことはあるし、worukoやmakichabinと酒のことでツイートしあったことはあるが、ウイスキーのことってほとんど書いてない。もしもこんなものにフォローされるとしたらむしろ日本酒だと思うのだが。

ブロックしてごめんね。でも1時間に2回も酒の値段を知らされるのはわずらわしいし、TLが汚れるので御容赦ください。

ブログ話──デザイン変更による読み辛さの修正に追われる日々

2012年8月にやったデザイン変更による弊害の修正に日々追われている。
「白地に黒文字」を「色地に白抜き文字」にしたので、色文字にしていた部分が読み辛くなってしまった。
読み辛いならまだいいが(よくないけど)、ひどいのになると読めない。

さいわいここは「黒背景」なので、読み辛いだけだが(さいわいじゃないけど)、【芸スポ萬金譚】なんて青背景にしたので、青文字がまったく読めず、べろんと青い背景だけが続いているようなページがあった。
ここでの青字や赤字の読み辛さも気づくたびに直してはいるけれど……。



高見盛引退報道によって、【芸スポ萬金譚】のほうで、2010年に書いた高見盛のタレントとのスキャンダル記事?がアクセスを集めて浮かんできた。「おお、そんなこともあったな」と懐かしい気分で行ってみたら、これの引用文が青地に青文字でまったく読めない。冷や汗を搔きつつ急いで修正した。

検索で見つけてきてくれた高見盛ファンのひとは、肝腎の部分が読めず不快だったろう。本当に申し訳ない。
なにしろ私の「高見盛に関してこのような報道があった」とあり(この部分は読める)、そこから引用が始まるのだが、それが青地に青文字で溶けこんでしまっていて読めない。それでそのあとに再び読める文字で、「これを読んで安心したのだが」と私の文になる。しかしその「安心した文」が読めないのだから苛つく。さらにそこに「ここでまた衝撃のニュース」とあり、引用文が紹介されるのだが、これがまた読めない。これはストレスが溜まる。アクセスしたら「File not found」で読めないほうがまだいい。すんなり諦められる。こんな蛇の生殺しみたいなことはしてはならない。



過日ここに「ブログを読んでくださるかたへの感謝──引っ張りだしてくれてありがとう」というのを書いた。自分でも忘れていたような何年も前のものを、どなたかが引っ張りだしてくれて「人気記事」にしてくれることへの感謝だ。

いまこれが私のブログをやることの最大の楽しみになっている。
そういう「引っ張りだしてくれたもの」だから最後のほうである。「人気記事」の最下位あたりにある。それを見つけると喜色満面で、「おっ、こんなものが」とクリックする。すると古い記事だから覿面読み辛い状態になっている。赤文字や青文字の色がきつすぎて読み辛いのだ。それでそれらを淡い色に修正する。
どなたかがほじくりだしてくれた古い記事に行き、懐かしく読み返し、それを修正して読みやすくするのだから一石二鳥である。

だいたいにおいて私のブログの「人気記事」というのはタイムリーなものだ。政治関係のような。これらはあたらしいのでそんなことにはなっていない。
それらとはちがった、発掘された音楽や文学の記事を読みかえし、修正することは愉しい作業になる。



なぜかここのところ2012年1月に書いた「大相撲理事選挙──貴乃花再選! 八百長千代の富士の落日」というのにアクセスがある。初場所があり、大鵬が亡くなり、高見盛が引退したけど、この文自体はタイムリーな話題ではない。それらの出来事との関係もない。なぜアクセスがあるのかちっとも理解できない。でももしかしたら将棋記事に突然人気が出たように、誰かの手によって「なかなかおもしろい相撲記事のあるブログだ」と相撲ファンに発掘されたのかも知れない(笑)。なら、それはそれでうれしい。

しかしこの色文字修正、いつになったら「修理完了」となるのだろう。「引用文は色分けして読みやすくする」というサービス精神が裏目に出てしまった。

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【追記】 ──なぜか白川道が!

というところで、なぜか今度は「最も遠い銀河──白川道──クライス・レリアーナ」が最下位のあたりにランクインしているのを発見。

2010年2月に書いたものだ。読書感想というよりは、文中に登場する「クライス・レリアーナ」から、マルタ・アルゲリッチの演奏等に触れた音楽話の趣。私がこのブログに書いたものとしてはかなりの力作(笑)ではある。だから発掘されてうれしい。

誰がどんなきっかけでこんなのを掘りおこしてくれるのだろう。ほんとにありがたい。

私のサイトの文字化けについて──Chrome系ブラウザの場合

私のサイトの相撲記事を公開してアドレスを貼ったのですが、Chrome系のブラウザによる文字化けが頻出しているようです。私も体験しました。

私のサイトの文章が文字化けを起こしているのではありません。閲覧するブラウザ側の問題です。

Mone's World 大相撲



解決法は、右上のボタンをクリックして、「設定」を開きます。
その中の「ツール」を撰びます。
ツールのなかの「エンコード」を撰びます。
そこを「 Unicode」にして「自動検索」をオンにします。
これで解決します。

私のサイトに限らず、閲覧するサイトに奇妙な文字化けがあるときは、これをやってみてください。

ただしこれ、Chrome系ブラウザの話です。Iron、Coolnovo、Comododragonのやりかたは同じです。
IEとかはどうするのか、長年使ってないのでわかりません。

ブログを読んでくださるかたへの感謝──引っ張りだしてくれてありがとう

ブログの、なんていうんだっけ、「パーツ」か、右側に表示されるヤツ、そこに「人気記事」というのを入れられると知ってやってみたのが二ヵ月前だった。

毎度同じことを書いて恐縮だが、私は友人30人ほどへの「まとめメール」みたいな感じでホームページを始めた。1999年から始めて、今の形態になったのが2001年だった。CNXと名乗る狂人に見当違いに絡まれたことから、パスワードの会員制にして、「なるべくひとに知られないよう」ひっそりとやっていた。その基本はいまも変らない。同じ頃に始めたひとも、みないなくなってしまった。続いているほうではあろう。

そこにブログブームが来た。パソコン的なあたらしいものは大好きだから、自分もやってみようと2005年に手を出してみた。それがここになる。手を出してはみたが注目はされたくない。だから多くのブログにある「気に入ったらここをクリックしてください」というブログランキング的な、ひとりでも多くのひとに読んでもらいたい、というモノとは根本からちがっている。 



そういう姿勢だったので、アクセス数は伸びないが、CNXというキチガイ以外には絡まれることもなく、今日までなんとかやって来られた。

それでもいつしか千人以上のひとが来てくれるようになっていた。アドレスを伝えた知りあいはいまもむかしも30人だけだから、千人以上の見知らぬひとが読んでいるのだと思うと緊張する。タイムリーなものを書いてしまい(書いた、ではない、書いてしまった、になる)5000人ものひとが来た日には、ひたすら焦る。びびる。とにかくヘンなものに巻きこまれることを怖れる事勿れ主義としては、そんな事態が起きると、すぐにでも該当記事を削除したくなる。しかしブログという大通りに出た以上、びびって削除はまずいのだろうと、それはせずに今日まで来た。



そんな臆病な、他人とは関わりたくない私にも、「パーツ」に「人気記事」を設定してから、ひとつだけ楽しみが出来た。そこに、たまに、本人も書いたことを忘れているような、意外なものがランクインしているのである。そしてそれはうれしいことに、いつ書いたか忘れているようなものではあれ、内容は当人も自信を持ち気に入っているものばかりだった。

推測だが、なにかのきっかけで、どなたかが私の古い文を引っ張りだす。たぶんそれは「Google Search」なのだろう。としか思えない。そのきっかけまでは私にはわからない。でもなんらかのきっかけで何人かのかたが検索からそれを引っ張りだし、読んでくれる。すると「人気記事」の下のほうにランクインする。それを見て興味をもったひとがクリックして読む。それが連鎖して「人気記事」の上位になる。するとまた興味をもって読むひとがいる。

それはインターネット世界のブログというものにおいてふつうのことなのだろうが、「人気記事」というパーツを設置したばかりの私には、とても新鮮であり、うれしいことだった。



たとえばいま下の方に、「 支那料理と日本食」というのが入っている。
いつ書いたのだろう、調べる、えーと、2011年8月17日だ。 たいした内容ではないが、本人的にはとても気に入っている中身だった。でもインパクトはないから一過性で忘れられて行く。
「食は中国にあり」は、誰もが認める常識みたいなものだが、実際に支那に行き、庶民生活をしていたら、とてもじゃないがまずくてやっていられない。いかに日本がいいことか。「日本の中華料理」とは日本人向けに改良された日本食なのである。そんなことを体験から書いた。

それをどなたかが掘りだしてくれた。いまクリックして読み返した。誤字がないかチェックする。
たいしたものではないが、一応20年ぐらいの支那体験経験から紡ぎだしたものだから、それなりに想いは詰まっている。体験であり、机上の空論ではない。わたし的に思い入れはある。薄味ではないと自負している。
しかしそれはあちらに行って体験しない限りどうでもいい話である。マイナーなテーマとして埋もれて行くのは自然だ。

こういうものが、どなたかが引っ張りだしてくれたことによって、いま何十人何百人ものかたに、あらたに読まれているのだと思うと、私は胸を熱くしてしまうのである(笑)。



先日も書いたが、やはりどなたかがどこかに紹介してくれたのだと思うが、それまでアクセスのなかった将棋記事が、ここのところずっと「人気記事」の上位にいる。もううれしくて、「将棋専門ブログ」にしたいぐらいである(笑)。あ、今日王将戦二局目だ。観ないと。モテミツがんばれ。
いや、これもちがうか。将棋記事はずっと人気があったのに、そういうことに気を遣わないから、私が気づかなかっただけなのかもしれない。とすると、パーツに「人気記事」というのを入れたことはますます正解だったことになる。



今日は、昨夜午後8時就寝、午前1時起床でがんばった仕事が、明け方になんとかまとまり、いい気分の午後である。ノルマ達成なので、早々とほろ酔いとなり、文章にまとまりがないが、言いたいのは、私の古いお気に入り文を引っ張りだして読んでくださるかたへの感謝である。

ものかきにとって文章はこどもみたいなものだから、我が子が頭をなでられているのを見るのは(ひねくれた解釈で、引っぱたかれている、とは思いません)、親としてとてもうれしい。

けっこういい子が埋もれていますから、また本人(わたし)が驚くような、意外なものをほじくりだしてください。それをしてくださったかたに、心から感謝しています。



Bob James{Angel of Shanhai}を聞きつつ。ほろ酔いの午後に。

angel of shanghai


 【追記】──見知らぬかたへ──心からありがとう

 いま下の方に「中東をいたぶるアメリカに見る日本の負け犬の歴史」が入っていた。去年4月のもの。ほんとにどなたがこんなのを引っ張りだしてくれるのか、ありがたくて手を合わせたくなる。多謝。

ファイル添附を確認してくるGmail──親切すぎてびびる(笑)

知ってるひとはとうのむかしに知っていることなんだろうけど、私は初体験なのでおどろいた。ので書きます。

ツイッターで親しくなった京都の友人が「今年はジャズや落語を勉強したい」とメールをくれたので、「欲しいものがあったらいくらでもファイルを送りますよ」と返事を書いた。もちろんそれは今後のことであり、今回は添附ファイルはない。
送信しようとすると以下のメッセージ。

gmail








一瞬、まちがって添附ファイルのボタンをクリックしたのかと思う。確認する。していない。となると、PCがこちらの書いたメール文の中身を判断して注意してくれたことになる。
これ、親切すぎるよね。親切すぎてびびった。
メール文中に「ファイル」「送る」「ファイル」「添附」のような文言があり、なのに添附ファイルがないと、それを感知して、これが出るのだろう。 

今までこういうことばを書いたときは実際に添附ファイルを送るときだった。「ファイルを添附しましたのでよろしく」のように。ファイルを添附すると書き、実際に添附したから、こういう注意をされることはなかった。

でも、「添附ァイルで送ってもらえませんか?」と書いたことは何度もある。そのときにこの注意は出なかった。
とすると「送ります」には反応するが、「送ってください」には反応しないことになる。とするとGmailのエディターは「日本語文法を理解している」ことになる。まさか!?

多用しているひとなら何年も前から知っていたことなのだろう。私ももうだいぶ前からGmailばかりなのだが、今回初めての経験だった。すごい時代である。
ATOKが漢字熟語の誤用や、よくある誤読を注意してくれることは、そんなにすごいとは思わない。それが売りだからだ。目をらんらんと光らせていることだろう。それは頼りにしてるいるし、たまに有り難迷惑のこともある(笑)。しかしGmailがここまでやってくれるとは思わなかった。
すばらしい気配りと感動しつつ、すこし怖くもある。

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【追記】──「添附」にも反応するかな?──1/11

「てんぷ」を「添付」と書いていたので「添附」に直した。「付属」ではなく「附属」と同じく、こちらが正しい。敗戦による漢字制限で「附」の字が使えなくなった故の無意味な当て字になる。「いるが、そのうち全廃する漢字というもの」の略である「当用漢字」の害だ。いまは改称して「常用漢字」というらしい。それにしては常用の漢字がない。

現代のIMEはこの「当用漢字」を基本にしている。
Gmailのメールエディターは、正字の「添附」にも反応するだろうか。なんか「添付」だけのような気がする。そのうち実験してみよう。

ソフトバンクCMの不快──サイバー大学篇

日本人の男を犬にして貶めたあのCMを始め、日本に「恨の思想」で接する朝鮮人・孫正義のやることなすこと大嫌いだが、ここのところライブドアブログにこれをやられて参っている。

ブログをアップしたり、修正したりするときに、必ずこれが出るのだ。
この大口を開けた猿のような白人女の顔を見て気分の良くなるひとはいるのだろうか。
見たくないが、ライブドアブログを利用している以上、こばめない。私はもうずいぶんと前から、日に何度もこれに接せさせられている。そのたびに不快になる。
そういや、なぜか人気があるらしい「Baiduとは何なのか」という記事のBaidu IMEも、ここに折りこまれたCMだった。



こういうCMを作るひとの気が知れない。
なぜサイバー大学とかのCMで、白人特有の額に皺を寄せた(白人てかなり若いときにそうなる)大口開けた女の顔なのだろう。この女の顔がサイバー大学のすばらしさを表現しているというのか。通学不要で大卒資格が取れるネット大学の宣伝なら、もっとふさわしい画像はあると思うが。

自分が不愉快になる画像を自分のブログに載せ、読者に同じ不愉快を押しつけることには戸惑いもあるが、しかしこの悪趣味に対する不快感を共有して欲しかった。ごめん。

softbankcm
























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 【追記】──やればできるまともなことをしないセンス──1/20

いま、こんなCMになっている。前記猿顔外人よりもずっとまとも。ほっとする。なぜ最初からこれをしないのか。

 softbankcm2

Windows8体験記──に【追記】──ShitがShiftに直されていた

《Windows8体験記──タスクマネージャを古い形に戻すフリーソフト──キーボードの「たわごと」を押してください》に追記しました。

そこで私は「たわごと」キーというものに出会い、「それはなんなのだろう」と考えこんだのですが、いま見に行ったら直されていました。外国人のかたもそういうミスタイプを直しているのだと初めて知りました(笑)。どなたかユーザーがメールしたのでしょうね。

Windows8体験記──タスクマネージャを古い形に戻すフリーソフト──キーボードの「たわごとキー」を押してください

task 
 これは私のデスクトップ機、7-64bit-Ultimateのタスクマネージャ。まだ起動したばかりなのでメモリは6GBしか使っていない。いや、すこし前を思えば「起動したてのPCの使用済みメモリが6GB」ってとんでもないことだが。
 そういやこれって4GBリミット(実質3.5GB)の32bit-OSでは出現しない事態なのか。64だけにして長いので32の感覚がもうない。

 このあと好き放題にソフトを起動してゆくとやがて10GBを越える。この体験で、いちばんメモリを使うのはブラウザなのだと知った。ブラウザをみっつも起動してあれこれ複数のサイトに行ったりしていると、ぐんぐんメモリ使用量が増えて行く。

 同じ事をメモリ上限のある32bit-OSでやったらどうなるのだろう。ページファイルが増えて行くってことなのか。その場合、CPUに力があればHDDからの読込でももたつくことはないのだろうか。どうなるのか興味がある。かといってそれを確かめるためだけに32を挿れてみるってのもなあ。

 前回の大改造まで私のデスクトップ機メモリは5.5GBだった。十分と思っていた。なのに時々スタックするので、文章を書くテキストエディター、辞書ソフト、BGMの音楽ソフト、BGVの映像ソフトの内、映像ソフトあたりが負担になっているのかと解釈していた。だがタブブラウザで10ヵ所ぐらい開いたままで、さらに別のブラウザを起動したりして行くと、ひとつのブラウザですぐに800MBぐらい喰うのを見て、犯人はブラウザだったと知った。意外。さすがに24GB積んでからはそれがない。
 ノートのメモリは8GBだが時々足りなくなる。しかし4GB*2が限界なのでこれ以上増やせない。8GBが差せると助かるのだが。

 と書いて思いだした。そういや5.5GB時代、何度か「××が大量にメモリを喰っているので閉じてください」という警告が出た。その××はChromeだったりFirefoxだったり、いつもブラウザだった。「意外」でもなんでもない、犯人は以前から知っていたんだ。

 Dual CPUで自作したのはいつだったろう。2000年ころか。それを受けいれるOSはWin2000でないとダメだったから、それが出た後になる。それ用のマザーボードにCPUをふたつ載せる。壮観だった。タスクマネージャ「CPU使用率の履歴」にふたつの欄が表示されたときの感激。今じゃひとつのCPUで8つも表示されている。それでいて使用電力は半分だ。



task8 8になってタスクマネージャのデザインと能力が一新された。多機能である。だからこれに関しては否定せず、「もしかしたら後々絶讃するのかも」と慎重に書いたのだけど、やはり8のタスクマネージャにはなじめない。使いづらい。知りたいことが判りづらい。上の写真の古い形がいい。それを可能にするフリーソフトを見つけた。
 アドレスはこちら。11月27日発表だからホカホカのソフトだ。

 それを使って旧型に戻したのが左の画像。日本語化されていないので英語版だけど、むしろかっこいい。私は以前7のUltimateを英語版にして使っていたぐらいだからこれは平気。英語OSを使っていると、コンピュータというものが英語用であることを痛感する。

 この画像は8を知らないひとにはいい例になるので解説。上の7のタスクマネージャと比すると角が直角でしょ。これが8の特徴。おそらくタッチパネル対応で「角が重要」になったからなのだろう。とにかく四角。それが8の特徴です。

 長年appleのGUIを追い掛けてきたMSは「7で追いつき、追いこした」と宣言した。その判断はひとそれぞれだろうが、ともあれ7でそういう満足感を味わったMSは、appleの真似をやめたらしい。その意味では8はオリジナリティがある。のだろう。たぶん。

 私が8を懐かしいと感じたのは、この直角で私の最愛のOSだったWin2kを思い出したからだ。Windowsの角が丸くなりはじめたのはXPのSP2ぐらいからか。最初のXPから丸かったんだっけ? 忘れた。そこからVista、7とひたすらMac風おしゃれなデザインを真似ていた。それが一息吐いてまた元に戻った。この直角の武骨なデザインがやたら懐かしい。もしかして私にとって唯一の「8の好きな点」になるかもしれない。

 タスクマネージャを旧型にすることによって、またひとつ、8が元に戻った。スタートメニューを戻し、リボン形式のエクスプローラを戻し、タスクマネージャを戻す。8が「どうです? いいでしょ!」と言ったもので肯けるものがひとつもない。



「8は7より軽い、速い」と言われる。しかしそれはMSがそう言われたいがためのインチキでもある。
 エクスプローラでのファイル表示を「アイコン」にする。なのに画像が表示されない。みな同じタイプの目かくしになっている。画像を見て判断したいフォルダでは困る。自分のOSになにか缺陥があるのかと悩んだ。7では表示されたのだ。
 検索して知ったが、これは「8は7より速い! 軽い! 低スペックモデルでも動く」という評判を得ようと、MSが出荷時に「画像表示off」にしているのだった。呆れた。なるほどこうすればPCに負担が掛からず、多少速くなるだろうし、低スペックモデルでも動かせるだろう。でもそれはインチキだよ。

 エクスプローラの「フォルダと検索のオプション」を開いてみると、なるほど、たしかにoffになっている。こんなくだらんことをして「速い」をアピールしても意味はない。offに入っているチェックを外す。こういうふうにしていったら、けっきょく7と8は同じになるだろう。早いとこ8のSP1を出してもらいたい。それとも9を出すのかな。

 ここまで評判の悪いOSを聞いたことがない。me以来か。そりゃこれを強引に進めた次期CEO候補が責任取って退社するはずだ。
 これは今、8を使って書いていて、8は順当に動いているのだが、あれこれ旧型に戻したので、前記の「タスクマネージャの角が直角であること」のようなことを除くと、デュアルブートにしている7と変らない。それじゃ意味がない(笑)。

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 ところで、この項目を書いたのは、そこでおもしろいことがあったから。
 いまのブラウザには「翻訳機能」がついている。英語だったので翻訳の必要はなかった。苦手分野ならともかくPC関係だから苦労はない。でもなぜか思いつきで「翻訳」ボタンを押してみた。それでおもしろいことに出くわしたのだから何でもやってみるものである。すこし引き篭もりを反省した。



 機械翻訳された日本語を読んでみた。相変わらずヘンテコで笑える。でもだいたいは理解できる。「あれを、こう訳したから、こんな文になったんだな」と推測したりして楽しむ。全体的にヘンだが理解できる。しかし次の箇所で首を傾げた。

 shit2


 う〜む、これはむずかしい。ソフトを起動するために、何かを言わねばならないというのは新しい形式だ。今まで経験がない。まずCtrlキーを押し、次ぎに「たわごと」を言わねばならないらしい。たわごととは戯言と書き、大辞林に拠れば「ばかげたことば、たわむれごと」となっている。

 言われたとおり、Ctrlキーを押しながら私なりに考えた「ばかげたこと」を言い、そのままEscキーを押したがソフトは起動しない。もしかして私の言った「たわごと」が真面目すぎて「ばかげたこと」になっていないのではないかと、ちがうことを言ってみた。やはり起動しない。これはむずかしい。なにかPCに通じる「たわごと」はないかと考える。「内閣総理大臣菅直人」と言ったら見事に起動した。適確なたわごとだったらしい。

 てな「おへだら(福島弁)」はこのぐらいにして、さて、「キーボードのCtrl+たわごと+Escキーを押す」の「たわごと」とは何だろう。何かの誤訳か勘違いなのだが、元になったコトバはなんだ? PC好きとして、ここはわからないと恥ずかしい。

 懸命に考えた。あれか、と思いつく。正解を見る。やはりそうだった。

shit


      ↑
 英語の原文が「Shift」と打つ際にミスタイプで、「shit」にしていたのである(笑)。「クソ」と訳さなかっただけましか。「クソを押します」になっていたら、よけいに悩んだか。いや「たわごと」よりも「クソ」のほうが米映画でなじんでいるから、こっちならもっと早く正解を思いついた。

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【追記】──Shiftに直されていた(笑)

 上の文を投稿したのはいつだろう、調べてみる。12月1日の17時か。
 今日、12月3日、14:21、ブログの誤字チェックをしていて(まじめでしょ。それでもなくならないんですけどね。すみません)上記ソフトのリンクをクリックしてみたら、なんと「Shitが正しくShiftに直されて」いました。
 翻訳してみると、そこが直ったのですから、日本文も「Ctrl+Shift+Esc」と正しく表示されています。「たわごと」は幻になってしまいました。

 まさか日本語のここを読んでくれて直したのでもないでしょうから(笑)、英語が日常語のユーザーが指摘したのでしょうね。
 でもちょっと不思議なのは、英語のままだとfが抜けているだけで気づかない程度の問題です。英文なら誰だって「Shit」が「Shift」の打ち間違いと気づくでしょう。ふつうの文じゃわかりませんよ。でも「キーボードのこのキーを押してください」となっていて、「Ctrl+Shit+Esc」とあったら、それがShiftの打ち間違いだと誰だって気づくでしょう。CtrlとShiftと何かを押してどうこうというのはPCの基本ですし。

 このミスタイプで「なんじゃこりゃ」と驚くのは、「たわごと」と出たりして意味不明に悩む「英語が日常語でないひと、翻訳したひと」のはずです。
 となると、英語が堪能な日本人が英文メールで作者に注意してやった、なんて可能性もあるのでしょう。もしかしてアラビア語のひとが、ロシア語のひとが、と考えると楽しくなってきます。

 私はネットに熱心ではないので、こういうことに関してタイミングは最悪であり、出会ったことがありません。今回のことで言うなら、どなたかにこのソフトを紹介してもらい、そこにこのような文があり、「ほんとかよ」とばかりに行ってみたら、すでにもう直されていた、という、そういうヒトなのですね、私は。
 ところが今回は私がそのミスタッチを発見し、ここに書いたら、直されて消えたという体験が出来ました。異国の見知らぬフリーソフト開発者のかたと、なんか親しくなれたようで、みょうにうれしいです(笑)。

Key Hole TVって終ったの?──アクセス激減におどろく

keyhole Key Hole TVを知ったのはいつだったろう。2年前ぐらいか。もうすこし前かな。どこかに初めて知った日の感動を書いているはずだ。探してみよう。

 私の生活は、午後9時就寝、午前3時起床。すぐにPCに向かい、朝の5時半に「みのもんた」をつけて一服することが多かった。これを見ると、昨日なにがあったかがほぼ掴めた。大ネタは「8時またぎ」という7時半から8時過ぎにかけてやる。それでもその大ネタや特別ゲストは5時半にわかる。

 それがつい先日の安倍自民党総裁生出演のような場合だったら、あらためて7時半になってから見る。
 でもだいたいにおいて何もなく、特に私は殺人事件のような世間的なことや、サッカー、野球というメジャースポーツに興味がないので、政治的大事件がないことを確認し、5時半から20分ぐらい見て、またPCにもどることが多かった。

 そんなときにこれを知った。映りがわるく観賞には耐えないのだが、そういう情報を得るためという私の用途にはあっていた。これで十分だった。

 そのころツイッターを始めたのだったか。アメリカ在住のかたとやりとりして、あちらでこのKeyHole TVで日本のテレビ番組を見ている、とても便利だと聞いて、役立っているんだなあと感激した。そりゃアメリカで日本のテレビ番組が日本と同じように見られたらうれしい。



 いまWikipediaを引いてみると、始まりは「地デジ」に関係しているらしい。
 アナログ放送は2011年の7月24日に終了し、私はそれから3カ月ほどテレビを見られない、いわゆる「地デジ難民」になる。すでにそのころKey Hole TVを知っていたが、テレビのない生活のとき、これに助けてもらったことはない。

 理由は、あまりに映りが悪かったからだ。画面が停止して音だけ聞こえるというようなことも多い。テレビがあるならそれもいい。テレビを点けて見るかどうかの試してとして利用するのなら。

 しかし地デジ対応テレビがなく、テレビが見られない環境にいる状況で、ちいさな画面で画質がわるいのに、さらには映像が乱れ、ストップし、音声だけになったりするのを見るのはつらい。あまりに惨めである。難民が気高く生きるには、自分が難民であると自覚しない環境にいることが大事だ。だから見なかった。



 やがてテレビのある生活に復帰したが、その間に吹っ切れたのか(韻を踏んでるね)テレビを見なくなってしまった。「みのもんた」とも縁遠くなった。

 先日の安倍総裁生出演を見られたのはまったくの偶然だった。あれはうれしかった。だってあの温厚なひとが、大学認可取消しで話題になっているタナカマキコについて問われ、「尋常なひとではないんです。私は今まで彼女を誉めるひとにひとりも会ったことがありません」と言いきったのだ(笑)。みのが苦笑する。私も思わず声を出して笑った。こういうのに出会うからたまのテレビも楽しい。アンテナは張っていなければならない。



 今朝Win8を使っていて、「そういや7に挿れているKey Hole TVを8には挿れてないな」と思いつき、インストールしてみた。
 そして出たのが上の一覧である。

 かつて愛用していたときは、NHKから民放まで全局があった。それらがアクセス数600とか800でトップを争っていた。それこそ大阪や東北のテレビ局まであり、日曜の午後、私は東北のテレビ局を開いて「たかじん」を見たことがあった。スクロールしないと全部の局が見えなかった。なのに今回は1画面で十分だった。

 今回一覧に有るメジャー局はTBSだけ。それもたった200。そもそもアクセスしているひとがほとんどいない。あとは、ほとんどはラジオ局だ。かつて、と言ってもほんの1年前だ──の盛況を知っている身には信じがたい状況だった。
 どういうことなのだろう。Key Hole TVは役目を完了したということか。それとも放映の権利ウンヌンで規制されて落ち目なのか。そっちは疎いので現状が理解できない。

 私はKey Hole TVがなくても平気だけど、外国で、これで日本のテレビ番組を見るのを楽しみにしていたひとには、残念なことだろうなあと思った。私もまた、外国でこれを利用させてもらおうと思っていたから、意外な流れに落胆している。

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【追記】──ガラケーのワンセグ──2013/4/15

 ということで、ここのところずっとご無沙汰していたガラケーのワンセグを見ることが増えてきた。
 上記のよう、一息吐いた朝の6時頃、デスクトップ機をいじりながら、ガラケーのテレビを点ける。Keyhole TVのように東京では見られない民放が見られるような便利さはないけれど、平日のみのもんたや、日曜の「新報道2001」をチェックするには充分だ。Keyholeと比べると、ガラケーの映像は抜群にきれいだ。当面はこれで行くしかない。
 しかしKeyhole TVってどうなったのだろう。気になる。 

パソコン話──Claroってのも悪質ですなあ──拡張機能から削除できます

かってにToolbarとして鎮座したり、検索エンジンをかってに替えたりされると不愉快になる。
だいたいにおいてこういうのはフリーソフトを入れるときに附いてくるのだが、それはインストールの際に気をつければほとんど防げる。

しかし今回のClaroってのにはおどろいた。
私はChrome系のBrowserを愛用している。Iron、Coolnovo、ComodoDragon等。
それらの検索エンジンがいきなりぜんぶClaroってのになってしまった。 
いつ入ったんだろう。ちょっと記憶にない。



初歩的な知識だが、もしかしたらそれを知らず困っているひともいるかも知れないので、書いておきます。
Chrome系Browserの「設定」を開きます。 
「ツール」の「拡張機能」に行きます。
すると憶えがないのに、しっかりこのClaroってのが「有功」になっているでしょ?
このチェックを外し、隣のごみ箱アイコンをクリックして「削除」します。これで完了。

こいつが悪質なのは「設定」から「検索エンジン」を見ても、しっかりGoogleになっていて、変更されていないこと。私は最初「拡張機能」に行かず、この「検索エンジンの管理」で直せると思っていたから(例のBaiduなんかはここに来ますね)、ここがGoogleのままのときは戸惑った。

それにしてもこいつ、いつ、どこから浸入したのだろう。まったく不愉快である。

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ぐあ、Firefoxもやられていた。こちらは平然と「デフォルトの検索エンジン」になっている。削除する。 

アンインストールソフトに、私はYour UninstallerのProという有償版を使っている。いろんなものを挿れてはトラブルを起こしているアホなので、すぐれたアンインストールソフトは必須。いろいろ使ってみたが、いまはこれが気に入っている。
これを起動して本格的削除をする。レジストリも書きこんでいたようだ。削除にかなり時間が掛かった。
Supermodeで完全に消す。
なんとも悪質な浸入者だ。気をつけてください。



Your Uninstallerには無料版があります。レジストリまできれいにしてくれるのでお勧めです。

いま、Your UninstallerにはBabylonが附いてくることを確認しました。インストールの際、デフォルトでチェックが入ってるいので、それを外してください。本体には関係ないようなので、こういうのはダウンローダーの仕掛けなのでしょう。

そのまま挿れてしまって、Your Uninstallerの初仕事がBabylonの削除ってのも楽しいかも(笑)。

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【追記】──11/22

IEでしか受けつけないところがあって、しかたなくひさしぶりにIEを起動したら、いきなりホームページがClaroになっていた。いつ、どうやってイジるのだろう。IEのホームページがClaro Searchになっていた。

すぐに直したが、ここまで好き勝手にやられると、ほんと不愉快。
ただし、つい最近なったのではなく、上記のときと同じ日になったのだろうけど、IEを使わなかったので気づかなかった。

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【追記.2】──2013/3/14──いきなり開くClaroのページ

Chrome系ブラウザを起動したら、ホームページに設定しているiGoogle以外に、憎きClaroの検索ページが開いてくる。私はCrome、Iron、Comodo Dragon等を同期して使っているから全部がそうなる。なんとも不愉快。だがなぜこうなるのかわからない。「設定」を開き、「検索エンジンの管理」を見ても、以前削除したままだ。入っていない。

探しまくると、「起動時」のところの「特定の1つのページまたは複数のページを開く」の隣の「ページの設定」にちゃっかり入っていた。いったいどうやって入ったのだろう。不思議でならない。ともあれ、同じ事に悩んでいるかたはここから消してください。




 

パソコン話──アクセス解析を見る──OSにAndroid、iPhoneの増加

ひさしぶりに「アクセス解析」というのを見てみた。ここのところアクセスが多くて、目立ちたくない私としてはこわいのである。まあ多いといっても「わたし的」に多いのであって、世間の人気ブログとかとはぜんぜん桁が違うのだけど。

そのページにある、この「接続してくるひとたちが何を使っているか」というのの分析を見るのが好きだ。



osbrowser











 私のブログにアクセスしてくるひとのOSとBrowserの分類。
やっと7がここまでのシェアになったかと7好きとしてはうれしい。といってもこれはあくまでもこのブログに対するものであって、世間とは関係ない。世間全体はどんな感じなのだろう。視聴率の原理と同じで、こんなものかな。
いや、Macを使ってMac礼讃のことを書いているブログなら、アクセスしてくるいちばん多いOSはMac-OSになるだろう。このOSとBrowserの分類はこのブログだけの傾向で一般的には無意味なのか。



Vista、7と来て、今は8まで出ているのに、まだXP使用者がこんなに多いのは、もうXPと離れて長い私には不思議な気がする。それはまた「XPで十分」ということの証明であり、儲けたいMSは困っていることだろう。私のようにあたらしいのが出たらすぐに飛びつくバカばかりではない。早くOSが無料の時代になって欲しい。

正規のVistaが出たのは2006年11月だが、私はもう試験版から使っていて、そのままVistaにしたから、XPは2005年に卒業している。もう7年だ。
VistaはXPとはまったく異なっていたから、新機能を確かめるのが楽しかったけど、失敗OSであり問題も山積していた。改良品の7は、ほんとによく出来ていた。私が7を好きになったのはVistaが不出来だったからでもある。
まだVistaのひともいるようだけど、以前から言ってるが、ここは奮発して7にしたほうがいい。7は90%はVistaと同じだけど、改良したその10%で、とんでもなく使いやすくなっている。むざむざMSに金を儲けさせてやる必要はないが、Vistaを7にすることは、それだけの価値があると思っている。



ほとんどのPCユーザーにとってOSとは「パソコンを買ったときについてくるもの」であり、この分析は、単にそれだけの話なのか。7が増えたのはそういうことなのだろう。「パソコンが古くなったので買い替えたら、あたらしいのには7が入っていた」であり、Vistaユーザーとは「まだパソコンが壊れないので古いのを使っている。それにはVistaが入っている」。それだけの話なのだろう。
そうなんだな、「7はいい。Vistaの不具合が修正されている」というのは、Vistaから7に替えた人のみがわかることであり、ずっとVistaを使っているひとは、べつになにも感じないのだ。「ウォシュレットは快適だ」というのは使ったひとの感覚であり、紙で拭いている人にそれを言っても通じないように。

しかしXPが入ってきた既製PCを今もそのまま使っているということは時代的にありえないだろう。とするとこのXPユーザーは私みたいな自作派で、意地でもXPを使っているひとなのだろうか。そこが不思議だ。

だって有名メーカーのパソコンを買ったとして、XPが入ってきたのは2006年の11月までだ。デスクトップ機であれノートであれ、最短でももうそれから6年経っている。全部が全部2006年購入ということもないだろうから、2003年とか2004年にXPのインストールされているPCを買ったというひともいるだろう。するともう8年も経っていることになる。それを今まで使っているとは考えがたい。ありえない。私は2008年に買ったVistaの入っているDellのノートをもう廃棄している。使い物にならないと。その前のXPが入ってきたノートが現役であるとは信じられない。信じられないが、もしかして、そうなのか!? ここにXPでアクセスしてくるひとって、そうなのだろうか。
自作派でOSはXPとこだわっている、と解釈したいが。



数日前、7の「XPモード」をやってみた。2009年に7が出たとき、珍しいモノ好きとして、その新機能を一度試しているが、さほど意味がないのですぐにやめた。そのとき私にはXPでしか動かない、使いたいソフトがなかったから。

ここのところまたDAWをやっている。秋になると本を読む量が増えたり、音楽を作ったりする時間が増えるのは不思議だ。「藝術の秋」は無理矢理作った言葉ではなく自然の発露なのだなと感心する。
Rolandの製品がXPにしか対応していず、私はHyperCanvasの音が好きなので、久々のXPモードとなった。

XPの画面を見ると、しみじみと懐かしい。7年前に別れた恋人との再会である。7とは比ぶべくもない質素なグラフィックを見ながら、「こんなのを使ってたんだなあ」と思う。それは本音。
が、ここに来るひとには未だにその「こんなの」を使っているひとがいっぱいいるんだから口のきき方に気をつけないと。
一方、Macからのアクセスはほとんどないようでほっとした。安心してマッカーの悪口が言える(笑)。

ひさしぶりに接したら、私はもうXPの使いかたを忘れていて戸惑うことが多かった。コントロールパネルの使いかたとかディバイスの管理とか、微妙にちがうのである。7に慣れているので戸惑う。それでも昔取った杵柄だから、いじっているうちに思い出す。するとそれは「XPを使っていたころ」に繋がるから、当時の出来事を思い出してほろ苦くもなった。使用OSもまた思い出である。「MS-Dos3.1」と書くだけで当時に飛ぶ。飛べる。



AndroidとiPhoneの多さでスマートフォンを思う。そんな時代なんだな。私はiPhone圧勝かと思っていたのだが、そうでもないようだ。いやこれもあくまでもこのブログに対するアクセスの話でしかないのだが。

ブラウザはIEがあまりに多いのでおどろく。でも今のIEは他のブラウザのいいところを取りいれて使いやすくなったらしいから悪口はやめよう。タブブラウザになっているのだから文句はない。私は使わないけど。

「その他」の中にひとりぐらいSafari使いがいて、マッカー批判を読んで気分を悪くしたりしているのだろう(笑)。



こんなアクセス分析なんてものを見ても何も感じないひともいれば、私のようにこれだけで果てしなくあれこれ書けるのもいる。世の中いろいろだ。ほんと、際限なくだらだらと書きそうなので、ここで締める。

Google Mapsが「韓国領 独島」を削除──島根県の抗議に応える

グーグルマップ、竹島の韓国住所を削除 島根県と政府の変更要請受け
2012.10.24 14:33

 米インターネット検索大手グーグルが、地図サービス「グーグルマップ」で島根県の竹島(韓国名・独島)について表示していた韓国の住所を削除したことが24日、分かった。

 島根県によると、グーグルマップで「竹島」や「独島」で検索すると、地図上に島名の表記はなく、地図外のスペースに住所として「ウルルン郡799−800」と表示されていたことから、県と政府が「誤解を与える」と変更を求めていた。

 グーグルから県への説明によると、中立の立場から住所は表示せず、地図上に日本版では「竹島」、韓国版では「独島」とそれぞれ表記するよう19日付で変更した。

 島根県総務部の竹島担当の山崎祥管理監は「誤解を招く表記が修正されたことは評価する。今後も日本の住所が記載されるよう求めたい」と話している。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121024/plc12102414360016-n1.htm

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 以下の文を書いたのが8月21日。

・Google Mapsの竹島表示の異様 

 どう考えてもヘンなのである。竹島は日本領土だから、そう表記するのが正しい。しかし雑なアメリカ人にとって極東の島国のさらにまたちいさな島のことなど、どうでもいいのだろう、韓国から金を貰ったロビィストが動いたのか、完全に韓国領として表記していた。日本人にとっては極めて不愉快である。

 どれぐらい朝鮮寄りの表記をしているかは、上の私の文を読んで頂きたい。いや読んでくれなくてもいいから、さっと図を見て欲しい。竹島はその表記の方法からして、朝鮮の領土となっており、日本語で竹島を調べると、まるで「韓国領の独島を竹島と呼ぶ日本人もいるらしい」のような、失礼な扱いになっている。
 そこに書いたが、「竹島」で検索すると島根県県庁の竹島史料館が表示されるのだ。どこまで日本を愚弄するのだアメ公! なぜにここまで偏ったことをするのか。

 だから私は、百歩譲って、八方美人の商人なのだから、せめて日本人が日本語で調べたら竹島、朝鮮人が朝鮮文字で調べたら独島と出るぐらいにはすべきだろうと書いた。

 今回、島根県の抗議があり、なんとかそこまで漕ぎつけたようだ。



 やはり、抗議し、行動し、意見を述べねばならない。やればやっただけの効果がある。
 私は、Googleの人間が何も考えず竹島を韓国領とし、あのような表記をしたとは思わない。韓国が「活動し、「行動」して、そうしたのだ。つまりGoogleに接して「こう表記してくれ」と頼み、金を使っている。

 シナ人や朝鮮人のように他国の国旗をひき裂いたり燃やしたりする白痴行為をしないのは日本人の誇りだ。あそこまで醜い人種にはなりたくない。
 だが「わかるひとにはわかる」と黙っているだけではなく、「わからないひとにも、正しくわからせる」よう、行動し、発言せねばならない。

 島根県の行動が通じたことがうれしい。
 しかし、「竹島の日」を無視する政府が、こういう成果があると「わたしたちもやりました」とばかりに顔を出すのにはうんざりする。

 一日も早く民主党政権が終りますように!














 

チャンネル桜の安倍新総裁を祝う映像──慎太郎さんはあのバカ息子がかわいいのか!?


チャンネル桜の15分ほどの映像。中身が濃く、安倍晋三支持者には楽しい内容。

新内閣で、稲田朋美を大臣にしてくれないかなあ。
女嫌いの私が「日本初の女性総理」として期待するのはことひとだけだ。

石原都知事の発言も出て来る。



ところで、慎太郎さんは本気であのバカ息子を応援していたのだろうか。
いまだに無能なバカ息子と気づいていないのだろうか。

となると、さすがの慎太郎さんも親バカで、目が曇っていると言いたくなる。
慎太郎支持者は山といるけど、あの息子に総理をと思っている国民はいないと思うよ。 

ブログの色文字が読みにくくなったお詫び──気分転換のデザイン変更



 気分転換でブログデザインを変更した。以前は背景写真にも自分のものを使ったりして凝っていたのだが、ここのところ面倒になり、ライブドア既製の3カラムをそのまま使っていた。

 「白地に黒文字」という最も一般的なものは、ふだん文章を書くとき、もう30年以上「黒背景に白文字」で書いているので、私にはかえって新鮮になる。パソコンで、ピュアな白地に黒文字で書くのはこのブログ文章だけなのだ。そのこともあってここのところずっとそれだったのだが、昨日、さすがにつまらんデザインだなと思い、替えてみた。
 先日、黒地に白文字の、ちょっとかっこいいブログを見たことも影響している。



 30数年前、初めてシャープのワープロ『書院』を買ったとき(10カ月月賦の、私には大きな買い物だった)、すでに当時のモデルでも「白背景に黒文字」と「黒背景に白文字」という切りかえ機能が附いていたことを思い出す。私は反骨精神旺盛だから「黒字に白文字」という原稿用紙ではありえない方式に興味津々だったが、さすがに黎明期のそれはひどいもので、ちっともかっこよくなく、ふつうに「白背景に黒文字」を選択した。撰ばざるを得なかった。思うに、モノクロ画面だったからだろう。

 そのあとPC9800で文章を書くようになると、こちらはカラーディスプレイだから「黒背景に白文字」は映えた。当時から「そのほうが目が疲れない」と言われていた。実際そうだった。「黒背景に白文字」にして、見出しマークのを色設定して書くカラフルな画面は愉しかった。

 私の「●第一見出し」と、そこから分岐する「▼第二見出し」の黄色と緑は私の「デフォルト」になった。これまた30年以上続いているからなかなかのものだ。この黄色と緑の見出しで、いったいどれほどの文章を書いてきたろう。いま思うと14inchの彎曲したディスプレイはひどいものだった。でも自分の文章がそこにカラーで表示されることは夢のようだった。



 まずは、いままでの白背景のものから、とりあえず黒背景のライブドア既製のデザインにして、それだけじゃあまりに藝がないので、cssやhtmlをすこし書き直し、背景も黒から薄墨にして、トップの画像をオリジナルにしてみた。カラーコードは黒だと#000000だが、薄墨、「鉄黒」とも言うが、これのコードは#281a14になる。ここはひとつこだわりたい。みなさん、このブログの背景は「黒」じゃないですからね。

 色合いを変えて、狙い通りの気分転換にはなったのだが、過去の文章をいくつか読みなおして、意外な弊害が出ていることを知る。
 白地の時には問題のなかった「色文字」が、とんでもなく読み辛くなっているのだ。

 たとえばこれ。新聞等からの引用は「白地に青文字」にした。いいアクセントになった。ところが黒背景だとこんなに読み辛い。
 同じく、敵対する意見は「白地に赤文字」にしたが、これもコントラストが強すぎて読み辛い。
 あとは「白地に茶色文字」だ。これは納得でもなく敵対でもなく半端な意見に対する色。私の使ってきた色文字はこの3種類だけ。それが黒背景だとみな見辛い。

 時間を見つけて、出来るだけ直して行きたい。色を薄くするといいようだ。
 たとえば「白地に青文字」は、黒背景だと「水色文字」にすると、かなり見やすくなる。でしょ?
 同じく「白地に赤文字」も黒背景の場合は「ピンク」ぐらいにすると見やすい。



 しかしそれはまた「白地に黒文字」に戻したとき、今度は薄すぎて読み辛いという問題を起こす。
 たぶん私のことだから猫が寝場所を替えるように、そのうち思いつきでまたちがう色合いにする。
 いくらなんでもそのたびに直すわけには行かない。どうしよう。
 どちらでも通じる色合いを探すのが得策か。 

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 いま午前2時。明日の朝、ちがうちがう今日の朝までに仕上げねばならない仕事がすこし停滞していたので息抜きにこんなことを書いてみた。
 仕事仕事、締切まであと8時間。

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【追記】──徹夜仕事、無事終了

 いま8:15。仕事が無事終了した。
 世間はまだ新潟競馬だが、私のほうはもう府中の秋天。
 10時予定が8時にあがったから一杯やって寝よう。

 肴がないと飲めない私はどうする。
 コンビニでなんか買ってくるか。こんなときこその便利屋。コンビニに何がある?

 冷蔵庫にあるのは冷凍の焼きおにぎり? レンジで作るスパゲティ?

 ま、仕事が完成した朝は、なにはともあれシアワセだ。

Google Mapsの竹島表示の異様──李明博の哀れな末路



 Google Mapが竹島を韓国領として表示しているのは知っていた。
 島根県は日本Googleに抗議している。 国会で爛劵欧梁眥広瓩海蛤監正久議員が取りあげたこともあった。

 今はどうなっているのかと開いてみた。
「竹島」と検索覧に入れると鹿児島県の竹島が出て来る。

mishima2



 はて、こんなところにそんなに有名な「竹島」なる島があったかと拡大すると。

 この「竹島」は、鹿児島県鹿児島郡三島村のごく狭い「地域の名」なのである。島の名は「三島」、その一部の地域の「竹島」。

 島根県の竹島が出ず、ここが出て来る。
 Googleが「日本領土の島根県隠岐の島町竹島」を意図的に排しているのは明らかだ。

mishima



 なら「竹島」だけじゃなく「島根県 竹島」と入れてみる。すると下記の画像が出る。

dokuto

 本来その場所を示すべきAの地点には「島根県庁竹島史料館」が表示される。なんとも不自然である。
 その他、様々な竹島の資料やら細かい地域名などが出て、竹島の地はアルファベットAからGまでの最後部のGである。



 Gの説明文がこれ。大韓民国のDokudoという島だと表記している。

dokuto2



「大韓民国 独島」で検索してみる。すると以下の地図。島の場は見事に最優先のAになっている。

takeshima

 説明はもちろんこれ。ハングル。Google Mapにおける竹島の解釈が明瞭になる。
 Googleは、竹島というものは存在せず、韓国領土の「独島」というものがある、としている。

dokuto3


 Googleが「公平な立場」をとるとしたら、まあ公平もなにも日本固有の領土を韓国のものとしているのは明確な誤りだが、百歩譲って「揉めてるようだから、両方のごきげんを取ろう」と思ったとするなら。

 日本人が竹島で検索したら竹島がAと出て、そこに日本語の解説があり、朝鮮人が独島で検索したら、独島がAと出て、ハングルの解説がある、とすべきだろう。それがGoogleという八方美人商人のやるべき手法である。

 なのに実状は、日本の竹島ではなく、朝鮮の独島としている。解説もハングルだけだ。とんでもなく偏っている。それがGoogleの明確な姿勢だ。こりゃもう日本海が東海になるのも時間の問題か。



 竹島は歴史的にも国際法的にも日本の領土である。錯乱した李承晩ラインという狂気の沙汰から始まったにすぎない。

 それはGoogleもわかっているし、そもそもGoogleにとって、こんな極東アジアのせまい領土争いなどどうでもいいことだ。なのにこんな表記をしている。それは韓国がアメリカのロビーストに訴えかけて牘親悪瓩靴燭里世蹐Α

 朝鮮人は世界中で嫌われている。彼ら独自の結束感と強調性のなさが原因だ。それはアメリカでの暴動現場を見ればわかる。私の友人のアメリカ人にKoreanが好きだというのはひとりもいない。 Korean Townは地元に溶けこむことなく世界中で孤立している。
 彼らの身勝手さは大震災の現場で日本人が見せた気高さとは対極をなすものだ。地理的にちかいだけであんなのと同種の人間と思われるのはたまらない。

 金をばらまく強烈な運動なくして、この世界中の嫌われ者に都合のいい表記をしてやる会社などあるわけがない。いったい竹島を韓国領土と表記させるために、Googleにどれほどの活動をしたのだろう。

 まあそれはそれでそれだけ嫌われ者であるからこそ韓国が懸命だという証左であるし、実効支配されて黙っているだけの日本とは姿勢が違う。私は韓国の必死さを何もしない日本よりもリッパだと本気で思う。最低なのは腰抜け日本政府だ。

 もう火種を交えない限り竹島を取りもどすことは出来ないだろう。



 竹島を契機に、両国が紛争状態になり、国交を断ち、在日朝鮮人は全員帰国になるとうれしい。理想的な展開だ。もちろん韓流ドラマとかKpopとかぜんぶ禁止だ。ぜひそうしてくれ。

 しかしそうなると日本の芸能界、スポーツ界は火の消えたようになる。お笑い番組も淋しくなる。紅白歌合戦なんて開催不可能だな。40年以上見たことないからどうでもいいけど。韓流ドラマも見ないしKpopも聞かないからニセモノの朝鮮ブームがどうなろうと関係ないんだけど、李明博の竹島上陸のような政治的な不愉快な話は無視できない。

 以上本文終り。シナや朝鮮のあまりの暴挙に腹立って冷静に文章が書けない(笑)。

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 餘談ながら、北朝鮮も竹島を領土として主張していることを知った人の、「初めて知った。ギャグかwww」というツイートを見かけた。北朝鮮は朝鮮半島全部を自国のものとしている。南部の韓国というのは不法支配されているだけなのだ。少しでも早く統合したいと思っている。だからあそこの観光案内は、「我が国の人口は6千万人。北部に2千万人、南部に4千万人住んでいます」と語る。半島全部が朝鮮民主主義人民共和国のものなのだから竹島も自分達のものと言うのは当然だ。

 韓国も朝鮮半島は全部自分のものであり、北部を北朝鮮というならず者に「実効支配されてしまっている」と主張している。
 韓国が竹島に関し「長年実効支配しているから韓国のものだ」と声高に叫ばないのは、それをしてしまうと、北朝鮮を認めてしまう(=竹島と同じく長年北朝鮮が実行支配している)からである。ダブルスタンダード。



 【追記】──南朝鮮の人口が5千万人を突破!

 つい先日、南朝鮮の人口が5千万人を突破したと発表された。となるとこれからは北朝鮮の観光ガイドも5千万と言うようになるのか。

 スペインが南米を殖民地にしたような形で日本が朝鮮を殖民地化したなら、ロシアが朝鮮を殖民地にしていたなら、朝鮮民族は殺戮されまくり、今ごろ100万人もいなかったろう。アメリカインディアンのように保護される稀少民族になっていた。「併合。皇国民化」というのが世界史に例のない、いかにゆるやかな特殊なものだったことか。
「植民地化された状態」で、原住民が増えつづけた例は人類史にない。植民地化した原住民族に教育を与えた例もない。あらゆる面で感謝されて当然なのだ。なのに憎まれるだけという現状。



 李明博は、韓国大統領のいつもの末路として、自殺か牢獄か暗殺か(笑)。あんなのの気狂いパフォーマンスになど触れる気にもならない。大阪生まれの朝鮮人は、
天皇陛下に拝謁できるまで出世したが、最後は惨めなものになるだろう。
陛下を愚弄した罪は贖えないからな、覚悟しておけよ。

 韓国では李明博が
天皇陛下に4回頭を下げたとかを問題にしているらしい。「日王に頭を下げた」と。
 バカなことを言ってんじゃない。李明博のようなのが
天皇陛下に謁見できたこと自体が奇蹟だ。日本政府の誤りだ。あれぞ陛下の政治利用だろう。なんで
天皇陛下が朝鮮の大統領ごときに会わねばならないのだ。口を利いてやらねばならないのだ。握手をしてやるのだ。あんなのは総理大臣で充分だろう。シナの習近平も同じ。陛下の御予定を力尽くで変えてまで無理矢理謁見させた小沢一郎への憎しみは消えない。



 些細なことだがこのGoogleの姿勢は看過できない。竹島は日本領土と表記させるよう闘うべきだ。
 今後もシナや朝鮮がこういう形の絡みかたを執拗にしてくるのはまちがいない。竹島を独島に、日本海を東海に、尖閣諸島を釣魚台へと、やつらはGoogle表記のようなものから攻めてくるだろう。

 シナや朝鮮はそういうもののためにアメリカのロビーストに金をばらまく。金も戦略も本気でやる。アメリカ人は金でいくらでも転ぶ。あいつらにとって日本がシナや朝鮮に貶められようとなんの痛痒もない。逆にまた日本が戦略としてやつらを上手に使えば、南京大虐殺とか従軍慰安婦なんて虚構も払拭できる。

 いつまであいつらに遣りたい放題されて我慢せねばならないのか。なんとも不快な夏である。

「居酒屋店主と妊婦の闘い」に関する私見※;ヽじ桐沙海呂匹辰舛量Jか!?

寿司屋のカウンター。注文を聞かれて若者が迷う。すると店主が怒鳴りちらす。
「なにぐだぐたと迷ってんだ、この朝鮮人野郎!」
 
ここのところ正確には覚えていない。
「朝鮮人じゃあるめーし、ぐだぐたと迷ってんじゃねーよ!」
「ぐだぐた迷ってんじゃねーよ、てめーは朝鮮人か!」
 
まあニュアンスはわかってもらえるだろう。注文をサッと決められない客を朝鮮人かと侮蔑したのだ。
そういう威勢のいい?口の悪い店主が売り物の店なのだ。常連は苦笑交じりにそれを受けいれ、楽しむのが粋ということなのだろう。この店では。

かといってこの「朝鮮人」にさほど深い意味はない。大橋巨泉が自分達江戸っ子(笑)は、あいさつがわりに「バカヤロー」と言っていたと語っているように、この場合のバカヤローに相手を否定するような深い意味はない。もっと軽いものだ。

この寿司屋のオヤジの「朝鮮人」も、民族差別というほどの深い意味はなく、巨泉の言う「バカヤロー」程度だ。つまらんヤツだとは思うけど。でもいきなりそんなことを怒鳴られたらおどろく(笑)。

※ 

初めての店で、注文に戸惑っただけでいきなり「朝鮮人野郎!」と怒鳴られた若者は、静かに店主に言い返した。
「おやじさん、おれが朝鮮人でなくてよかったね」。

これは、それを近くで見ていた五木寛之さんが書いた話だ。「ちかごろの若者もすてたもんじゃない」と誉めていた。

※ 

最近の話ではない。たしか初期の「流され行く日々」にあった話だから古い。
これを読んだあと、「いい話ですね」と先輩と語りあった日を思い出す。日教組教員に自虐史観(当時そんなことばはなかったが)を植えつけられ、私がまだ今のデヴィ夫人みたいに朝鮮贔屓だったころ。
自分が当事者だったら、その若者のように穏やかだが強かに言い返せたろうかと考えた。

もちろんウヨクサヨク自虐史観に関係なく、こういうことを言う店主は最低である。それは朝鮮が好きか嫌いかとは関係ない。

私がツイッターから足を洗ったのも、チョンとかチャンコロとか汚いことばが多すぎることが一因だった。嫌いであること、批判することと、そういう用語を連発することは別物だ。欧米に行ってJapと呼ばれることがどれほど不快であるかを経験すればわかる。
ネット上でそういうことばを連発して国士を気どっている連中が井の中の蛙であるのはまちがいない。


なんともいやな店主である。そしてまたこんなのを粋として許している常連も気味が悪い。こういうのが許される猜顕臭瓩嫌いだ。
こんな店とは知らずに入ってしまった若者が、穏やかに、しかし確実にカウンターブローとなる一発を返したのが小気味いい。同じ「気味」を使っても、「気味悪い」と「小気味いい」じゃだいぶちがうな(笑)。

※ 

こんな古い話をなぜ書いたかというと、前記の「居酒屋店主と妊婦の闘い」に寄せられた意見(togetter)に、「こういう店主をのさばらせるきっかけとなった『美味しんぼ』の罪は重い」とあるのを見かけたからだ。つまり、そのひとの意見だと、「妊婦お断り。ソフトドリンクはありません。食事のみの客もお断り」という今回の舞台となった居酒屋は、『美味しんぼ』から影響を受けて誕生した、となるらしい。

大嫌いなきちがいサヨク雁屋哲がどう断罪されようとしったこっちゃないが、でも傲慢な店主とそれをもてはやす客、そういう風潮は『美味しんぼ』が生んだものではないだろう。ここに一例を引いたように、そのずっと前からあった。

むしろ雁屋哲はそれに批判的であり、そういう不見識な店を叩き潰す傲慢なキャラとして海原雄山を産みだした。今回の問題に雁屋哲を絡ませるなら、店ではなく客のほうだろう。

海原雄山(雁屋)がやったのは、「行列のできるような流行っている店」があり、「流行っているから店主は自信満々で傲慢」なのに対して、いかに料理や素材に関して不見識か、結果としていかにまずいか、味音痴の並ぶ行列なんてのがいかに愚かなことかを知らしめ、店主に猛省を促すことだった。
 
海原の批判は、今回の例で言うなら、「妊婦お断りという傲慢な店主」ではなく、「そういう店は許せない」と、インターネットという権力の力を借りて、その店を潰そうとした妊婦側に向かうだろう。もしも海原雄山がこの件に関して意見をいうなら、「妊婦お断りの店にゆく妊婦が悪い」だと私は思う。

雁屋哲が大嫌いだからこそ的外れの雁屋哲批判には反論したくなった。
と、この項の目的は「雁屋哲擁護」です(笑)。以上で終了。あとは餘談。

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私は威張っている店主の店になどぜったいに行かない。何度か経験している。腹は立ったが文句は言わない。早々に退散した。金持ちに連れていってもらった店だったし(笑)。

冬の北海道のカニ料理なんてのにもこんなのは多い。「うまいでしょう」の押し売りだ。そんなのは客が言ったら礼を言う程度でいいのであって、なにも言ってないうちに店側から強要されても困る。札幌に多い。 

そういうのって高級寿司屋とか凝った和食店みたいなイメージだが、じつのところどこにでもある。

私が腹立ったのに「威張っている立ち食いソバ屋」というのがあった(笑)。ただの礼儀知らずなのだろうが、ふて腐れた態度のおばちゃんだった。浦和競馬場に行く途中だったから南浦和駅のちかくだったか。一度で懲りて二度と行かなかったが、意地悪気分で通るたびに店内の様子をうかがった。いつもがらがらだった。客だってわかっている。たかが立ち食いソバ──しかもまずい──を喰うのに不愉快になる必要はない。やがてつぶれた。淘汰されて当然である。

「威張っているスーパーのレジ」ってのもあった。こちらが客なのに目下の者に対するような乱暴な口の利きかたをする。こんなのも「商売の方法」とかじゃなくて単にばかおばちゃんなのだろうが。でもそれでもまだ続いているから不思議だ(笑)。誰も抗議しないのかなあ。それとも「口はわるいけど意外に親切」とか。でもなんも気にしない私だけど、めちゃくちゃ馴れ馴れしい口の利きかたをされて愉快ではなかった。


今回の問題の焦点は

・店主の態度は傲慢だったのか!?
 
・妊婦夫婦の態度に横柄さはなかったのか!?

になる。双方に問題があり、起こる可くして起こった事件なのだろう。

私は店主が威張っているような店は大嫌いだけど、今回の例では、妊婦側によりイヤなものを感じる。それは私の嗅覚であり感覚でしかないけれど。
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