競馬

護憲バカサヨクは競馬の結果も政府のせいにする──天皇賞キズナ惨敗

 バカサヨクは気に入らないことをなんでも政府のせいにする。それを高邁な意見と思い込んでいる。論理の矛盾を突かれると他人のせいにして逃げる。いま話題の、カヤマリカというバカサヨクの「ツイッター乗っ取られ事件」なんてインチキ話もそれになる。

 以下の文は、5月3日に行われた競馬・天皇賞観戦記の一部。無料ブログ文。こんなもので金をもらえるほど世の中は甘くない。読むにたえないヘタクソな長文は脱線し、結びは、1番人気キズナが負けたのは、「政府と民衆のあいだに絆がなかったからかも」というこじつけとなっている。バカサヨクもここまでくると嗤える。だが彼らはこういうことを悦に入って書いているのだ。救い難い。救わないが(笑)。「だったのかも知れない」「言えないこともないだろう」という気弱な結びが憐れだ。



(前略)

ホームストレッチ。
もはや私には、馬群から先に抜け出した蛯名正義カレンミロティックにも、ゴール前に急追した北村宏フェイムゲームにも(気づいて見れば共にハーツクライ産駒だった)、眼線は行かなかった。ただただ横山典弘ゴールドシップを見つめていた。

武豊キズナの惨敗は、推測していた通り、おそらく距離適性なのだろう。或いは、現憲法を恣意的にないがしろにする政府と、多数の民との間には、もはや絆など持ち合えないという時代の反映だったのかも知れない。憲法記念日の天皇賞なればこその結果と言えないこともないだろう。

(後略)



・現憲法を恣意的にないがしろにする政府

・多数の民との間

・もはや絆など持ち合えないという時代の反映

なればこその結果と言えないこともないだろう。


 う〜む、よくぞここまでヘンテコな文が書けるものだ。感心する。ま、このひとはむかしからぜんぶこんな感じなんだけど(笑)。そのヘンテコな文とキズナの天皇賞敗戦がつながるらしい。なんじゃそりゃ。ほんとは全部掲載して嗤いたい。上にあるような「妙にひねくった、なにが言いたいのかわかりにくい表現の連発」である。かなり嗤える。ナンクロなんかやるよりこのひとの文の、「この主語は、どの述語と繋がるのか!?」「この部分はなにを形容しているのか!?」を考えるほうがよほど頭を使うよ。クイズ好きは読んでみて。といってURLは貼らないけど。

<きっこ>と名乗る女の振りをしている団塊世代のオヤジが、毎日毎日あれもこれも安倍晋三のせいと狂ったようにツイートしているが、これも同じレベル。恥ずかしくないのだろうか。

 この一見かっこつけたわかりにくいヘタクソな文章は、あの戦勝国押しつけ憲法のわかりにくい文に酷似している。あんなもんを支持するぐらいだから、こういう回りくどいわかりにくい文章が好きなのだろう。溜め息が出るぐらい下手だ。



 競馬マスコミ関係者にはサヨクが多い。団塊の世代のサヨクが就職先として流れこんだのが大きな要因だが、元々朝鮮人や部落出身者が多い世界であることが根源的な理由になる。体質的に反体制なのだ。厩務員ストなんて国鉄並だった。競馬界は、 ヤクザや芸能の世界と同じく「そういうひとたちの分野」なのである。先人がそういうひとたちなのだから、後に続くひとも、そういうひとたちになる。芸能界と同じ。私もいつしか三十年関わってしまったが、同じ保守派思想の競馬ライターとは今までにひとりしか出会っていない。対して上の文を書くようなバカサヨクはすぐに二十人、三十人思いつく。もしもあなたが競馬好きでそれなりに競馬有名人を思いつくとしよう。彼らの90%は──ほんとは100%と言いきりたいが希望を込めて90%にする──護憲派である。あの醜悪な憲法もどきを崇拝している。上のような切り口の文は稀有ではない。そしてもちろんみな親中、親韓であり、自虐史観に染まっている。よって「朝鮮人は嫌いだ」なんて言ったら、嫌いと言ったことを批判される以前に「チョーセンジン」なんてことばを口にしたことにより一斉に白い目で見られる。見られた本人がいうのだからまちがいない(笑)。

 さすがに名のあるひとはそのへんのことは商売上抑えているが、二年前、柏木集保が上の駄文と同じように、ネット上でのレース回顧文で、レースや馬と結びつけて「世界に誇る平和憲法」という表現をし、護憲派カミングアウトと話題になった。どうやら競馬ライターはレースと憲法を結びつけるのが好きらしい。しかも底が浅い。あきれるほどヒダリがかった世界である。しかしそれにしても上の文はあまりにバカ文だ。

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【追記】──友人の感想──競馬ファンの視点

 ここを読んだ友人がメールをくれた。私は元文のURLを載せなかったが、掲載した一部分から検索してたどりついたらしい。したことがないので知らなかった。そんなこともできるのか。便利な時代だ。


これは本当にひどい観戦記ですね。「距離適性」のあとに唐突に「憲法」とか「政府」とか、組み合わせが無茶苦茶です(笑)。本人は「憲法記念日の天皇賞」という視点でうまいことを言ったつもりなんでしょうけど、そのことでさんざん持ち上げたゴールドシップやノリの価値をも下げてしまっていることに気づいていないのがなんとも滑稽です。
検索して全文を読みましたが、なるほど全体的にわかりにくい文章でした。冒頭の「たった1頭の馬が」がどこにかかっているのかも、すぐにはわかりませんでした。「それだけの価値ある騎手なのだから・・・」という締め方も、別に文中で苦言を呈したわけではなく絶賛したのですから、なにかおかしな感じでした。


  友人は大の競馬ファンであり、政治的にはニュートラルなひとである。だから自民党も民主党も護憲も改憲も関係ない。そういう彼がこの文に不快を感じるのは、「競馬を語るのに、そんなことをいれこむな」という感覚からだろう。彼が指摘しているように、あんなオチをつけたのでは、それまでもちあげていたゴールドシップと横山がどこかに行ってしまうのだ。してはならないのである。競馬の観戦記にそんなことを絡ませてはならない。基本だ。鉄則である。そこに気づかないからバカサヨクなのだ。だがサヨクにとっては、長文の観戦記と同じぐらい最後の二行が大事になる。アンチ安倍、アンチ自民党の彼は、キズナの敗戦を「政府と民の間に絆のない時代」に結びつけたとき、充足感に包まれニンマリしたことだろう。あほらしい。

競馬ファンの愉しみ──思い出馬券

昨年競馬ファンのTさんと知りあった。長年馬券をちびちび愉しんでいるかたである。すでに定年退職し、充分の年金とたまのシルバー人材のアルバイトで悠々自適の生活だ。「あれも当たった、これも当たった」とレース名を出して的中を自慢する。財布の中から的中の100円馬券コピーを次から次へと出してくる。「うわあ、ほんとに馬券上手ですね」と持ちあげ、「あれはどうでしたか」とよけいなことを訊いたら、「いや、あれは……」と黙ってしまった。外れたレースのことは語りたくないらしい(笑)。でもG1では勝負馬券とは別に応援する馬の単勝を100円買い、それらをコレクションしているらしいからロマン派なのだろう。先日は額縁に入れたディープインパクトのG1単勝馬券コレクションを「ぼくの宝物なんだ」とわざわざ持参して見せてくれた。

素人なので智識は浅く、時折教えてあげたくなることもあるが、でしゃばらないようにしてつき合っている。「素人なので」というもの言いには反感を抱くかたもいるだろうから弁明しておくと、素人でも私なんかより血統に詳しいマニアはいくらでもいる。特に今時の若者にはすごいひとがいる。と同時に三十年も四十年も馬券を愉しんでいるけど、「そんなもんなんもしらん」というひとも大勢いる。Tさんはそんなタイプだった。そしてまた、たとえば将棋は「なんもしらん」では弱いまま負け続けて厭になりやめてしまうだろうが、ギャンブルは「なんもしらん」でもたまに「なんもしらん」からこそ大穴が当たったりするから趣味として長続きするのである。

Tさんは毎週日曜のメインレースだけを愉しむ。電車の中でカンチューハイの小をちびりちびりやりながら午前中に家を出て、立川ウインズに昼に着くように出かける。お酒に弱いので、それだけでほんのり赤くなるらしい。馬券を購入したらすぐに帰宅し、レースは午後三時からのテレビで愉しむという。こういうひとのためにもあのテレビ番組はなんとかしてほしい。見ていると腹立つ。
ウインズの雰囲気が好きだという競馬ファンは多い。あの人ごみの中でやることが楽しいのだと言う。Tさんはそうでもないようだ。すぐに帰宅する。馬券を買いに行くだけの往復はたいへんだ。スマートフォンを使っているのだからIPATをやればいいのにと言ったら、「うん、それは知ってる。やりかたも覚えたんだけど、おれはね、この馬券、この紙の馬券を手にしないと競馬をやっている気がしないんだ」と言って笑った。たしかにそういう面ではIPATには虚しいところもある。実感がない。私にも「宝物」として昭和の時代の馬券があれこれある。当たった馬券は払い戻したし、当時はコピーサーヴィスなんてないから、あるのはみな外れ馬券なのだが、このままIPAT馬券師をやっていたら「思い出馬券」はなくなってしまう。思い出は心の中にあればいいのだが、そう言いつつも、「紙の的中馬券」が欲しい気もする。


と、この話はTさんとの交友録を書こうと思って始めたのだが、ここで脱線して「思い出馬券」の話にする。思い出は心の中のものであり、私にTさんのようなコレクションはないが、たまたま手元に残った馬券を名刺入れに収めたものがある。それに関する「思い出」はふたつ。

ひとつは「入れておいたはずのジョンヘンリーの単勝馬券がなくなってしまった」こと。1982年、昭和57年の第2回ジャパンカップにアメリカの英雄ジョンヘンリーが来日した。血統も見た目も悪く50万円という安値で買われた馬が、気性の烈しさから虚勢され、苦難の末に、アメリカンドリームともいうべき大活躍を始める。当時はまだ元気だった寺山修司もさかんにジョンヘンリー讃歌を書いていた。来日時にG1を11勝、もう7歳だったから峠は越えていたろうが、日本の競馬ファンは断然の1番人気に支持した。13着に大敗し、さすがのジョンヘンリーももう終ったのだろうと思われたが、帰国後、8歳、9歳になっても走り、G5勝を含む8勝をあげている。最後は4連勝で引退した。

記念馬券なんてものを買うタイプではないのだが、なんともこのジョンヘンリーのサクセス物語には心を動かされ、買ってしまった。単勝1000円。勝っていたら払い戻した可能性が高い。的中したのに払い戻さないというほどのロマン派ではない。惨敗だったので保存することにした。といっても引きだしの中に入れておいただけだ。数年前までは確実にあった。いまは行方不明。この昭和57年のジャパンカップのことを書きたいのだが、この思い出馬券がないので書かずにいる。だって説得力がちがう。そのうち出てきたら書きたいと思う。失くしたとは思っていない。その辺に紛れこんでいるだけだ。とはいえ今のように馬名が入ったりはしていない。数字しかないのだが、それでもいとしい。

例えば写真の1992年のエリザベス女王杯だ。(続く)

競馬日記──1998

○月×日 Mさんと会う

 ベトナムで知り合ったMさんから「出所しました」と電話。渋谷で会う。
  Mさんは昔、名古屋競馬で厩務員をしていたという。最初はホーチミンの安宿で知り合い、たまに将棋を指したりする、その他大勢の知り合いだった。それがひょんなことから競馬に話が飛び、私が競馬関係の仕事もしていると知ると、自分の過去を話してくれ、それ以後急速に親しくなったのだった。

  私は旅のプロ(?)ではないから、彼らの流儀が解らなかったのだが、どうやら旅をすることを生き甲斐にしている人たちというか、ほとんど旅をするためだけに生きているような人たちにとって、旅人以前の経歴というのは基本的なタブーであるらしい。たとえば「ヤマさん」と呼ばれている人がいて、でもそれは名字とは全然関係ない通称だったりする。誰もがヤマさんは知っているが、その本名も日本で何をやっていたのかは知らないのだ。宿帳やパスポートに触れることもあるのだから、誰も知らないというのは嘘だと思うのだが、そこを詮索しないのが彼らの礼儀であるらしい。
  年に何回か世界のどこかで必ずと言っていいほど出会い、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり情報交換をしたりする長年の付き合いでありながら、本当に本名も知らずにつきあっているという不思議な関係の人たちがいるのだ。そういう人たちに何人も出会っている。

  では過去を抹消した彼らがなにを話しているのかというと、これが旅の話なのである。あの国のあの町はどうの、あの町のあの店がどうのと、旅の通過点で出会った同類と、今までの旅を飽きることなく話し合い、自慢しあい、そしてこれからの旅の情報を交換しあっている。そんなときの彼らは一様に自信に満ち、満足げな笑みを浮かべている。自分の既に行った場所にこれから向かおうとする旅人に情報を与える時には先輩となり、これから行こうとしている未知の国の情報を得るときには新米となる。それを感じることが、日本という国からはみ出してしまった彼らの至福の時間なのだ。そういう場において、日本の自分、実物大の自分を思い出させてしまう経歴の話はタブーになるのだろう。

  ところが旅慣れしていない私は、興味のある人物と出会うと、平然と「どこの生まれなんですか」「いままで仕事はなにをしてたんですか」と訊いてしまう。その辺、無神経と言えば無神経なのだが、すこしでも相手が顔をしかめればすぐに話題を移すぐらいの気配りは出来るから、それほど他人様にイヤな思いはさせていないはずではある。それに、「経歴を訊くのは旅のタブー」というのは、どうやらそれほどのものではないなというのが、私の今の感想になる。

  つまり、誰にだって話したくない過去があるように、これまた誰にだって、話したくてたまらない過去もある。一応私はインタビューのプロである。いや、プロと言うのはおこがましいが、とにかく職業的にインタビュー記事をこなしたことは相当数あるのだから、最低限のノウハウぐらいはもっている。そういう人間に、テーマを絞って、筋道立てて自分の経歴を訊かれるということは、まるで一代記を語るタレントにでもなったようで、それほど悪い気分のものではないらしいのだ。

 「おれ、自分のことこんなにしゃべったの、あんたが初めてだよ」と、かなりの人に言われた。皆、自分のことを洗いざらいしゃべったことに対して、多少の戸惑いを浮かべながらも、随分とすっきりとした顔をしていたものだった。そりゃあ、素人がプロからロング・インタビューを受けるなんてことは滅多にない。悪い気分ではないだろう。

  そしてその後、彼らは皆、一様に口をそろえて言うのだ。ある人は照れながら、ある人は怒ったような顔をして、しかしまたみんな、それなりに自信を浮かべた表情で、「おれのこと、小説にするんでしょ。やめてくださいよ」と。
  冗談のつもりらしく、こうもよく言われる。「モデル料、もらおうかな」とも。

  残念ながら小説になるような価値のある話なんてひとつもない。彼らの話はただ「私はこうして日本という国から落ちこぼれました」というだけの話で、そこからまた成り上がって行くと話は違ってくるのだが、落ちこぼれたまま、意味もなくただ放浪しているだけの話をどうして小説に出来るだろう。それぞれが個性的なつもりでいて、実は皆同じような没個性の人なのだ。

  彼らと話してしみじみ思うのは、「人間って皆、自信家なんだなあ」ということである。
 「おれなんか、ゴミみたいなもんだよ」という人に限って、「だけどね」というのを持っていて、その「だけどね」を聞くと、「あんた、全然自分のことゴミだなんて思ってないじゃない。自身過剰だよ」と言いたくなるようなことばかりなのである。

  Mさんは、私が競馬好きだからと胸襟を開いてくれたのではない。本格的な競馬の話になったとき、一目置かざるを得ない知識を私が持っているのを知って、初めて自分の過去を話したのである。むしろ、ただの競馬ファンだったなら決して自分のことを話さなかっただろう。Mさんは、自分が外側の競馬ファンではなく、内側世界の人間だったという経歴に特別の自負を持っていた。私も内側世界に通じた人間だと知って、初めて心を開いてくれたのだ。

  Mさんから聞いた厩舎筋の内輪話は、なかなかにおもしろかった。内側世界の人は、内側の人にしか解らないおもしろいネタをたくさんもっている。

  かなりの腕利きだったというMさんが厩務員を辞めてしまったのは、いわゆる「東南アジア病」にかかってしまったからだ。この病気に罹ると、何度東南アジアに行っても帰ってくるとすぐにまた行きたくてたまらなくなり、まともな仕事はもう出来なくなってしまう。特効薬のない難儀な不治の病である。そしてまた生き物の世話をする厩務員というのは、給料には恵まれているが休日がなく、とても長期の旅行などは出来ない職業である。

  不治の病、東南アジア病に罹ると、まず自由の利かない会社を辞めてしまう。最初はアルバイトで食いつなぎ、短期間行っては帰国するということを繰り返しているが、次第にそれでは物足りなくなり、それなりの期間居座りたくなる。どうするかというと、季節工という職業につくのだ。半年間、衣食住付きの職場で懸命に働き、節約に節約を重ねてお金を貯め、後の半年を東南アジアを回遊して暮らすという、半年天国半年地獄の生き方である。いつの間にか、私が「回遊魚」と名付けた、そういう知り合いが何十人にもなっていた。Mさんもそのひとりである。

  いよいよ来週、Mさんは天国へ出かける。彼らは半年の労働が終ったとき、「出所しました」と電話してくる。一ヶ月四十万円ぐらいになる厳しい肉体労働を半年間懸命にこなし、二百万円ぐらい貯めるのだから、その間の生活は想像がつく。だいたい皆、ひと月に五万円ぐらいしか使わないと口をそろえる。私のように馬券を何十万も買っては当たった外れたと騒いでいるような奴は、彼らからみたら異邦人なのだ。三十万あれば東南アジアで三ヶ月は十分に暮らせるらしい。常夏の国で、のんびりと昼寝を楽しみ、酒を飲み、かわいい女をはべらせて過ごせるのだ。それをたったひとつのレースにぶっこんで外れるような私は、彼らから仲間とは認めてもらえない。(言うまでもないが、私の経済状況も彼らと同じようなものである。バクチ狂の私は彼らと金の使いかたが違うだけだ。)

  そういう知り合いの中で、Mさんだけが、昔そういう世界にいたから、私の金の使いかたに理解を示してくれた。そのことで親しくなったとも言える。といって私にはバクチ仲間はいくらでもいるからMさんが恋しいわけではない。Mさんが昔の世界を恋しがって、出所すると私に連絡を寄越すのである。


  渋谷の『蘭タイ』というタイ料理屋に行く。Mさんのような東南アジア放浪のプロは、決して日本でエスニック料理など食べない。値段が現地の十倍もして、しかも不味いのだから当然だ。タイでも貧乏人しか飲まない一本四百円の安ウイスキーが、日本のタイ料理レストランでは六千円もする。六千円なら今、上質のスコッチが飲める。まあここは私からの出所祝いということで誘う。ただならどこへでも行くのもこういう人たちの特長だ。

  正月に、タイの日本領事館が主催する新年会に出たことがある。立食形式のパーティだった。そこにこの旅のプロ達が集ったのだが、その貧乏くさいエネルギーは圧巻だった。領事の挨拶など誰も聞いてない。普段は行けない高級日本料理店のメニュー、寿司やてんぷらなどを食いまくる。中にはナップザックを持参して、お土産だと詰め込んでいる人までいた。彼らは正規に招待されてはいない。招待されるのは、いわゆる在留届を出して、日本人会に属している人だけだ。とはいえ日本人がやってきたのを追い返すわけにもいかないのだろう。勝手に押し掛け、勝手に食いまくるのだから、すごいとしかいいようがない。まあ私も、招待されていないのに見物がてら出掛けた一人ではあるのだが。
 (註・このときの話はめちゃくちゃおもしろいので、その内「チェンマイ雑記帳」にでもあらためて書こうと思います。)

  Mさんの来週出発を聞いても、べつに私は羨ましくもなかった。それよりも、仕事に対する焦りがある。頑張って仕事をせねばと思う。自己満足できるだけの仕事というものを残したら、私も季節工になってもいい。

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○月×日 Yさんと会う

 タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。
  彼ら〃渡り鳥〃は、暖かい時期の日本で働き、寒い季節に東南アジアに渡るという習性があるから、出所の時期が相次ぐ。しばらくは彼らとの飲み会に忙殺されることだろう。
  Yさんは某国立大学、私たちの時代感覚でいうと〃一期校〃を卒業しているインテリである。しかも工学部だ。はみ出し者には色々な人がいる。

  競馬というものを一度見てみたいというので、知り合いの馬主に席を頼み、Yさんを招待したことがある。東京競馬場だった。4Fの特別席である。1レースからやってきたYさんは、「おもしろい」「昂奮する」「楽しい」を連発し、最終レースまで熱心に観ていたが、ただの一度も馬券を買わなかった。

  Yさんは株をやっている。既に三千万円ほど貯金があるらしい。バブルの頃、百万買っては、十万儲かる形になるとすぐに売るという細かなことを何度も何度も繰り返して作り上げた財産なのだそうだ。一度も失敗しなかったという。

  私にも株をやれと勧めるのだが、十数年前、株で三億の借金を作り親戚中をパニックに陥れた従兄弟がいる私には、株というのは恐怖以外のなにものでもない。その従兄弟の借金は親戚中が金を持ち寄って返却した。先祖伝来の田地田畑を皆売り払ったのだ。私の家でも可能な限りの金額を供出したらしい。田舎の一族というのは結束が堅いものだとあらためて感心した。かなり手広く穀物商をやっていたその従兄弟は、全てを失い、今はトラックの運転手をしている。彼も最初は順調だったのだ。親戚中の出世頭だった。悪いほうに転がり始めたとき、押さえが利かなかったのだろう。

  同じ血が私にも流れている。土日に銀行で金を下ろせるようになったのは何年前だったろうか。十万円の中から五万円だけ使おうと競馬場に行き、歯止めが利かなくなって十万全て負けてしまう。それぐらいならまだいいのだが、熱くなり、競馬場から駅前の銀行まで行き、全額を引き出し、家賃やらなにやら必要な生活費もすべてを使い果たしてしまったということが何度もある。熱くなると私は何も見えなくなる。こんな私が株などやったら従兄弟の二の舞だろう。株にだけは手を出さないことが、今の私のせめてもの理性なのだ。

  というようなことを話しても、Yさんは不思議そうに首を傾げるだけである。株というものでただの一度も損をしたことがない人なのだから当然かも知れない。もしもYさんが競馬をやったなら、110円ぐらいの確実な複勝をじっと待ち続け、そこでドンと買うのだろう。だって私なら三千万円の貯金があったなら手取り二十数万の工場で季節工などしない。この辺の堅実さは雲泥の差というやつである。

  Yさんは現在45歳だが、なんとか50歳までに貯金を五千万円にして、タイに永住する計画なのだそうだ。かつての日本のような高度経済成長期にあるタイでは年利が10パーセントつく。数年前までは12パーセントだったそうだ。その金利で暮らして行くのがYさんの夢なのだという。そういうYさんだから、競馬などという不確実なものに駆けるお金など、びた一文ないということなのだろう。Yさんの経済感覚だと、特観席にただで入れただけで、もう儲かっているということなのだ。

  紀ノ国屋前で待ち合わせ、歌舞伎町の居酒屋へ行く。
  最近話題になっているアジア関係の本のことで盛り上がる。若いカメラマンが写真と文章で綴ったものだ。アジア各国に住み着いている日本人をドキュメントしたその本の中に、Yさんも私も知っている人物が登場していた。

  そこで彼は、日本という俗世界から脱出し、バンコクの安宿で、わずかな身の回りの品だけで慎ましく暮らしている孤高の老人(=極めて魅力的な人物)のように紹介されていた。私たちの知る彼とは随分と違っていた。私の知っているのは、とてもいやみな年寄り、我が強く他人に自分の意見を押しつける人物、説教酒、唯我独尊タイプ、それでいて本格的な知識教養はない、組合活動家出身のサヨクということである。彼がその本の中に登場するような魅力的な人物でないことに関してだけは、皆口をそろえるだろう。

  これが東南アジア放浪歴二十年というYさんの手に掛かると、もっと手厳しい。このじいさんは、タイ北部のチェンライという町では、知らない人のいないロリコンじじいなのだという。孫のような少女売春婦を両脇に抱えては、変態的行為に浸るので蛇蝎のごとく嫌われている有名人なのだそうだ。

  考え込んでしまった。この老人のことではない。文章のことだ。ここにはドキュメントの難しさがある。この本を書いたのは、彼と初対面の、旅慣れていない若者である。本来はカメラマンだ。彼から見てその老人が魅力的だったのだから、それはそれでいい。かなり良くできた本ということで、それなりの評価も受けているのだ。だが実態を知っている人から見たら、間違いだらけの何も描けていない本になる。

  初めてタイに行ってから急速に魅せられた私は、4回ほど通った後、在タイの日本人達を主人公にしたドキュメント小説(こんな言葉あるんだろうか)というか、実話をベースにした半分フィクションの物語を一気に書き上げた。本にするつもりだった。出版社も決まっていた。だがさらに5回、6回と通っている内に、間違いや勘違いの箇所に気づき、出版しなくて良かった、出していたら大恥をかいたところだったと冷や汗をかく。そしてさらにまた通っている内に、今度はタイという国に対する考え、タイ人に対する感覚までが変ってきてしまったのだ。最初に書いた文章など、甘っちょろくて読めたものではないとなってきた。一言で言えば、見知らぬ国に対し好意的に浮かれていたのが、実状を知るに従い視点がシビアになってきたのである。


  詳しくなればなるほどそうなるのは当然だが、こうなるとメビウスの輪というか、クラインの壺というか、出口のない堂々巡りが始まってしまう。未熟なまま突っ走ってしまうことも必要なのだと考える。お蔵入りにしてしまったその小説は、今の私から見たら間違いだらけ、人物の掘り下げ方が甘ちゃんであり、「みんないい人」に描かれているどうしようもないものである。だが、タイという国を知らない人が読んだら、誰もが一度は行きたいと思うぐらい、あたたかくてやさしい面ももっている。真実って何だろう。真実って全てに関して尊いのだろうか。Yさんと飲みながら、考え込んでしまった。

競馬話──タップダンスシチーをどう描くか!?──引きずるあの問題

タップダンスシチーをどう描くか。
決まってはいる。
5歳の暮れに、初めてのG1有馬記念に出走し、14頭中13番人気で2着した。
ただの一発屋と思われたが、そこから活躍を始め、JCを勝ち、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞に挑戦までする。
典型的な遅咲きの名馬だ。
そしてまた鞍上の佐藤哲三が「ひとも馬も地味ですが、これからも応援してください」と語ったように、キャラとしても確定している。さらにはその佐藤が、あの大怪我からの闘病もかなわず、引退となった。語るべきことも、切り口も、いっぱいある。ありすぎて困るほどだ。なにをどう書くか。愉しみだ。わくわくする。だが……。

肝腎のタップダンスシチーのその後が闇に包まれている。 
競馬は人間の傲慢が生みだした残酷な遊びだ。
そのことは忘れて、割り切って、自身の職業に撤しようと思うのだが、屠殺の現場を見すぎて、肉と距離を置いたように、見聞きしてきた現実が絡んでくる。

ワインと肉はあう。
うまいワインを飲みつつ肉の旨さを堪能したい。それでいいのだ。それがヒトという生き物だ。生きるとは、そういうことだ。それの否定はヒトの否定になる。くだらんこだわりは捨てたほうがいい。まして競馬だ。たかが競馬だ。割り切らねばならない。わかってはいるのだが……。

● タップダンスシチー行方不明

●タップダンスシチーは生きていた

●タップダンスシチーの老後は安心できるのか──ハイセイコー、タケホープ、イチフジイサミ 

競馬話──ディープインパクトをどう語るか!?──NGワードは狆弖皚瓠↓牘冤梱瓩?

ディープインパクトをどう書くか。
日本競馬史上屈指のこの名馬は、すでに多くのライターに様々な切り口で書かれている。
読んでないのでなにひとつ知らない。しかし想像はつく。
かつてないタイプのこの馬に、まだ誰も手をつけていない語り口は残っているのか。

狆弖皚瓩NGワードだろう。馬名から聯想されるそれはあまりにイージーだ。猗瑤岫瓩發修Δ。

牘冤梱瓩呂匹Δ世蹐ΑI靄が口にした。「ディープインパクトの愛称は英雄がいいのではないか」と。
 なぜ武がひでおという人名にこだわるのかがわからない。村田英雄が好きなのか。しかしディープに和服を着て「王将」を歌うイメージは湧かない。あれほど顔もでかくないし。あるいは野茂英雄からのイメージなのか。日本人大リーガーの路を切り開いた彼なら村田英雄よりは似合う気もする。しかし彼は野球選手として理想的な大きなお尻のひとだったし、それは小柄なディープとはまたちがう。そもそもなんでディープを「ひでお」と呼ばねばならないのか。*もうひとつ武のセンスがわからない。私は武豊騎手の大ファンだけれど、今までもこれからもディープを爐劼任瓩噺討屬弔發蠅呂覆ぁ

試行錯誤しているうちに、「かつてない」をそのまま出せばどうだと思いつく。
ヒントは武の語った「楽」にあった。
武は、あれやこれや戦術を考えるのではなく、単純に他よりも速い馬で、楽に勝つ、シンプルに勝ってしまうのが競馬の理想なのではないか、ディープはそんな馬だと語っていた。

これで切り口が見えてきた。
テーマは「あたらしい風景」だ。

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* 世の中には親切なひとがいて、こんなことを書くと、「武豊騎手の言ったのは、村田英雄や野茂英雄の爐劼任瓩箸い人名ではなく、牘冤=えいゆう甕儻譴埜世Ε辧璽蹇爾箸いΠ嫐です。武騎手はディープインパクトのことをヒーローと読んで欲しいと願い、英雄と言ったのです」とメールをくれたりする。

 そういうひとには必ず「そうだったのですか。気がつきませんでした。教えて下さりありがとうございました」と返事を書くことにしている。

競馬話--馬名ウリウリ──ハワイの楽器の名からの馬名を朝鮮語に結びつける日刊スポーツ──未だ韓流ブームの感覚なのか!?

 今週の東京メインはG汽凜クリアマイル。昨年の覇者ヴィルシーナ、一昨年の覇者ホエールキャプチャと役者が揃い楽しみな一戦だ。かといって絶対的存在もいずおもしろいレース。
 すると日刊スポーツに以下のような記事が。



根性のウリウリは韓国か/ヴィクトリアM

 今週の日曜東京メーンは、春の古馬女王決定戦ヴィクトリアM(G1、芝1600メートル=18日)。サッカーW杯になぞらえ勝ち馬を探ってみると…。

 阪神牝馬S2着のウリウリ(牝4、藤原英)は先週のNHKマイルCを逃げ切ったミッキーアイルと同じディープ産駒の1頭で府中のスピード競馬はもってこい。田中大助手は「何とかうまく立ち回れればチャンスはあるはず。馬群を縫っていける根性は強み」と、重賞初勝利となった京都牝馬Sと前走で見せたイン差しに期待する。

 馬名はハワイの楽器が由来だが「ウリ」は韓国語で「我々、我が」を指す。韓国といえば豊富な運動量と根性で02年日韓W杯でポルトガル、イタリア、スペインなど強豪を破り、アジア最高の4強入りを果たした。“快挙”は夢ではない。




 これは、いくらなんでもひどすぎる。
 ウリウリはディープインパクト産駒、馬主もディープと同じ金子さん。ウリウリという馬名は、キングカメハメハ、アパパネ、カネヒキリ等と同じく金子さんの大好きなハワイから取っている。

 Wikipediaから引くと《ウリウリ (`uli`uli) は、ハワイで使われる楽器。ココナッツまたは瓢箪の中に種などを入れて振って音を鳴らす。1784年のキャプテンクックのハワイ上陸の時に、羽をつけたウリウリを持っての踊りが描写されている。イプヘケと共にハワイを代表する楽器である》となる。



 なぜにそれを朝鮮人のあのみっともない「我が我が」のウリウリ主義に結びつけるのか。キリストも孔子も朝鮮人、サッカーも剣道も空手も朝鮮起原とする主張はオリジナルならぬウリジナルと呼ばれ世界中の笑いものになっている。それをこの馬名にも適用するのか。これではウリウリファンがウリウリ嫌いになってしまう。ウリウリ聞こえるウリウリの声。ってのは落語。現に馬名の由来を知っている私も一瞬「えっ! ウリウリってそっちだったの!?」と思った。むかし似たようなタイトルのテレビ番組があった。それは主役の南原が朝鮮人だからそれでいい。しかしこのウリウリという馬は朝鮮とは関係ない。



 アサヒシンブン系列の日刊スポーツは狷韓スポーツ瓩任△蠶鮮人が多い。あまりにくだらん批判を繰り返すので、朝青龍に「うるせー、このキムチ野郎!」と言われたのがいる。この朝鮮人記者のネチっこい絡みは不愉快だったから、朝青龍の啖呵は胸の空くものだった。しかし人気商売としてはまずかった。朝鮮大好きの全アサヒを敵に回してしまった。朝青龍を引退に追いこむ流れにこの連中の果たした役割は大きい。爛ムチ野郎!瓩噺世錣譴榛┐澆和腓いのだ。実際キムチ野郎なのだけど。

 スポーツ紙は配置転換が多い。この記事は無署名だが、おそらく当時大相撲担当だったあの爛ムチ野郎瓩いま競馬担当になって書いたのではないか。あまりにキムチ臭い。いや韓流ドラマやKpop好きの日本人記者が書いたのかも知れない。新聞配下の日韓スポーツには朝鮮贔屓の記者が多いから。ま、どうでもいいが(笑)。



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 サッカーで韓国がアジア最高の四強入りを果たした、馬ウリウリもそれに続けと関連づけたようだが、こんな12年も前の話で盛りあがる日本人はいない。まともな日本人はこういう文をしゃれているとは思わない。その辺、まだアサヒ系列は勘違いしたままのようだ。いまの日本人はアナタガタが考えているよりもっと覚醒している。この朝鮮人の書いた文(推測)を「おお、なかなかいいぞ、いい切り口だ!」と通した日刊スポーツのデスクもかなりズレている。

 それにしても愚かである。朝鮮人は自分達の立ち位置が見えないようだ。2014年の競馬に2002年のサッカーがなんの関係があろう。韓流ファンなんてバカを基本にしているから日本を見誤っている。もうすこしまともになれよ、朝鮮人。

さつき冷えの朝──天皇誕生日に開催されていた天皇賞のころ

先日、早くも「今年最初の真夏日」が記録された。もう初夏のように暑く、でもさわやかな日だった。

今朝、いつものよう3時に起床し、窓を開けたら風が涼しいのでおどろいた。寒いほど。すっかり夏の恰好になっていたので震えあがり、すでに洗濯して畳み、しまう予定だった厚地のジャージを履いた。この時期、まだまだ気温変化が激しい。
窓辺の温度計は14度を指している。十分寒いと言える温度だ。

梅雨冷えのころ、老父母がこたつに火を入れていたのを思い出す。



連休に「五月晴れ」の文字が躍る。五月晴れは「梅雨の合間の珍しい晴れ」のことだが、いつしかすっかりこの時期の快晴をさすことばになってしまった。
芭蕉翁の「五月雨をあつめてはやし(すずし)最上川」の五月雨も梅雨のことだ。
旧暦のことばを新暦で解釈するから生じる齟齬だが、ことばは時代と寄りそってゆくものだから、これはこれでいいのか。



昨日は春の天皇賞。
思えば、以前は昭和天皇の誕生日である4月29日祝日に開催されていた。1989年が最後か。もう25年経つ。一応競馬歴25年以上でないと体験していないことになる。そのとき二十歳だとしても45歳以上か。それに参加できたことを、今は懐かしく誇りに思う。水曜日であれ金曜日であれ、あのころは4月29日の祝日に春天は開催されていたのだ。
と書くと嬉々として参加していたようだが、当時の私にはむしろ「競馬は土日」の感覚が強く、半端な曜日に開催される春天のそれを奇妙に感じていた。だって土日に競馬があり、また火曜日に天皇賞があったりしたのだから。
今のほうが競馬社会にとってもずっと機能的であり、調教スケジュール等でもすんなり進行している。あの合理的でない部分が旧き昭和の味なのだろう。
「天皇陛下はいいな、天皇賞の日に生まれていいな」という寺山修司の競馬ファンの心を擽る洒脱な言いまわしも遠いものになった。

大好きな田辺のホッコーブレーヴを穴馬としてピックアップしておきながら、エビナ嫌いなのでフェノーメノを頭におけずハズしてしまった。たったそれだけで21万馬券を逃しているのだから競馬に好き嫌いがあってはならないとあらためて思う。3連単のみで3連複は買わなかった。簡単に取れた3連複380倍だった。悔いる。皐月賞も同じく。エビナ嫌いには辛苦の日々が続く。

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上を投稿したのが5月5日のam4時半。

5時18分に地震。
関東の人間は地震慣れしている。ふつうの地震にはおどろかない。地震慣れしていない関西人は、初めて関東人のそれを見たとき「無理をしている」「不自然だ」と感じるらしい。学生時代、大阪出身の友人がしきりにそれを口にしていた。しかしこどものころから慣れているから無理はしていない。地震のほとんどない国から来た人にとっては、地が揺れるというのは、文字通り驚天動地の衝撃だろう。

比較的地震につよい関東人の私だが、今朝のそれはひさしぶりにびびるものだった。PCに向かっていた。揺れ始めて「これは大きいぞ」と思ったが、その後治まるどころかさらに激しくなってきたときは思わず立ちあがり、いよいよ最後の日が来たのかと覚悟した。この「あまりの揺れに思わず立ち上がる」は、ここ二年ほど記憶にない。

大震災以後、ここまで恐怖を感じた大揺れは二度しかない。いかに大きな揺れだったことか。千代田区が震度5でいちばん大きいそうだが、この辺の西東京はもっと揺れたのではないか。とても不気味な揺れだった。 
死ぬのかと思ったら妻子のことを思った。死を意識したときあいたいと思う存在があるのはしあわせなことなのだろう。 


調教助手女子校生買春で「サンスポ記者買春記事」が再人気に(笑)

いま「このブログの人気記事」というパーツを消しているので見えませんが、裏から見ると、2011年3月9日に書いた「サンスポ記者の買春容疑──ブログ時代の不幸」というのがリバイバルヒットしています。もうあれから三年以上経つのですね。

その理由は明解。関西の調教助手が女子校生買春て逮捕されたらしく、それをまとめたサイトにリンクされたからのようです。それはまあこんなも形で人気復活(笑)すれば、なにがあったんだろうとアクセス解析を見るわけで、するとひとつのリンクからの殺到だとわかります。そういうまとめサイトに、「そういえばこんな事件もあったな」とあり、それを詳しく伝えている記事として私の文がリンクされていました。 



下衆な興味ですが、あのK記者の家庭はどうなったんだろう。前途洋々の39歳のKさんは、そのごどうなったんだろう。あれから三年だからもう42歳か。 もしも離婚しなかったとしても、家庭内の冷え冷えとした雰囲気は想像がつくし、どうせならわかれたほうがスッキリするだろうと思うけど、意外に仲直りしてたりして。どうなんでしょう。



関西の調教助手は50歳だそうです。50歳が17歳を買春したと問題になっていて、これも17歳が補導されて、そこから顧客として捕まったようです。K記者もそうだっけ? そのまんま東はそうでした。

私の感想はいつもの通り、「気の毒に」「ついてないね」とアッサリ風味。自分にはぜったいにそういうことがないので、まったくの他人事です。 同情もしないけど、わるいことをした許せないヤツだとも思わない。かといって「明日は我が身」とドキリとするなんてこともない。ま、ほんとにどうでもいい話。自分のブログへのリンクがなかったら、そんな事件があったことも知らないままだった。

楽天のお偉いさんの不倫による転落、調教助手の女子校生買春話、くだらんことを連発してしまった。あすからまたまじめになろう。 

<きっこさん>の超能力──売っていない本を立ち読み(笑)

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 てなことを安倍晋三が大好きで(笑)、その地元の山口県に疎開している<きっこさん>が言う。



 しかし、Wikipediaでは。

『週刊Gallop』(しゅうかんギャロップ)とは産経新聞社が「サンケイスポーツ特別版」として発行する競馬専門の週刊誌である。原則的に毎週月曜日に日本各地の主要書店、駅売店、コンビニエンスストア、産経新聞社取り扱い販売店、競馬場・ウインズの新聞売店コーナーで発売されている。

中国、四国、九州、北陸地区では、2010年9月6日号よりインターネットによる通信販売のみの取り扱いとなった。 




 西日本では三年前からもう売っていない本を西日本で立ち読み(笑)。さすがスーパー鼻カルボ。
 世田ケ谷に引き篭もっているのに西日本に疎開したなんてウソをついていると、こんなところからもボロが出る(笑)。設定ボロボロ。地方には行っていないが痴呆は確実に始まっているようだ。

「文字打ち内職」の思い出;;<きっこさん>のツイートから

 <きっこさん>が今やっているという文字打ち内職のことをツイートしていた。一日2500円とか。毎週月曜から金曜まで5日間、毎日6時間から8時間それをして、合計20日で月に50000円ほど。なのだとか。
 それに続くツイートによると、<きっこさん>の収入の6割以上は馬券の儲けらしい。ということは文字打ち内職の50000円を40%とするなら馬券的中の収入60%は月に75000円ほど。合計12万5千円が<きっこさん>の月収になる。毎月75000円を確実に勝っている競馬好きはそうはいない。毎月100万円ぐらい買っていて、「先月は10万ぐらい浮いたな」ならいる。かつての私だ。毎月100万以上買って払い戻しは50万もなかった。たまに浮いても10万ぐらいだった。やればやるほど負けは増える。いったいどれぐらいJRA銀行に預けてあるだろう。それが競馬ファンの実態だ。なのに<きっこさん>だけは勝ちまくる。天才である。

 なにしろ<きっこさん>の資金は毎週2500円、月に1万円なのだ。それで75000円のプラス。つまり回収率750%ということになる。いや、それは浮きだから、85000円の払戻で投資の1万円を引いて、プラスが75000円なのか。すると回収率850%。やはり<きっこさん>は世界一の馬券名人になる。予想会社からスカウトは来ないのだろうか。生活が苦しい苦しいと嘆いているが、週の資金を1万円にするだけで、月のプラスは4倍の30万円になり、生活は楽になる。なぜそれをしないのか。不思議でならない。

 それに、「月曜から金曜まで毎日8時間も文字打ち内職をしている」のに、毎日休むことなく倦きることなく16時間はツイッターをしまくっている彼にそれは可能なのだろうか。ツイッターも周囲にいる会社の上司の悪口を書きこむようなのではなく、幅広くあちこちのネタを拾ってきては紹介したりしている。ラジオを聞いては政治関係原発関係のネタを紹介したり、おもしろいYouTubeを紹介したり、アニメを見て号泣したり、どう考えてもあのツイッターが「文字打ち内職」の片手間に出来るものとは思えない。あれは「専念」して初めて出来ることだ。

 ということから私は<きっこさん>の「文字打ち内職」はウソだと思っている。ついこの間まで「芸能人のブログの代筆をして収入を得ている」としていた。それがなぜか突如として「文字打ち内職」に変った(笑)。ほんとに思いつきでコロコロ変る。本気で信じているひとはどれぐらいいるのだろう。



 他人様の懐具合なんてどうでもいいし<きっこさん>の矛盾を指摘していったら切りがない。収入の6割を占めるという競馬にしたってほんの数年前までボロクソに言い、寺銭25%の公営競技全般を否定し、絶対やらないと言っていたのに、今では狂ったようにやっている。それはそれでひとの考えは変るものだからかまわないけど、そういう狎瀋雖瓩鯤箒しようと、こどものころの父さんとの競馬思い出を創作し、中学の時には離婚して月に一度しか会えない競馬好きの父さんに気に入ってもらおうと、数々の馬券必勝法まであみだしたりして、ずっと競馬が好きだった、思い出の馬はタマモクロスだという犇引後付けキャラ瓩呂△鵑泙蠅澄ネット上にそういう矛盾した事実が文章として残っているのによくも平然と出来るものである。


 てなことを書いていたら切りがない。書きたいのは<きっこさん>のことじゃない。そのツイートで思いだした「文字打ち内職」のこと。「文字打ち内職」か。すっかり忘れていた。思い出すと懐かしい。その思い出。と言ってもやったことがないのだから思い出ではないか。やりそうになった経緯、当時の思い出、である。当時疑問に思い、未だよくわかっていないことなので、《「文字打ち内職」というものに対する素朴な疑問》でもある。(続く)

馬券自慢名人<きっこさん>の買いかたを推理する(笑)──100円単位の総流し──万馬券、的中!

 かの有名人<きっこさん>は、競馬初心者でありながら馬券名人である。難解なレースの馬単を、しかも万馬券を、ほんの2.3点買いで楽々と的中する。私は<きっこさん>以上の馬券名人を知らない。世界中の競馬ファンを見渡しても、<きっこさん>以上の馬券名人は存在しない。
 では世界一とも言える馬券名人<きっこさん>は、どのような買いかたをしているのか。それはレース前の予想とレース後の馬券自慢の落差から簡単に推測できる。



 まずはレース前の予想ツイート。

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 1番人気の芦毛リトルゲルダは16番、同じく芦毛のシゲルスダチは3番(4番人気)。もう1頭の芦毛ブルームーンピサは14番(13番人気)である。

 このツイートから<きっこさん>の勝負馬券は、芦毛馬同士の16→3,16→14になる。もちろん裏の3→16,14→16も、縦目の3→14,14→3も表裏押える。これで8点である。この8点買いは、2点ずつ4枚の購入にするだろう。

 「奇蹟」が起きたときの馬券自慢のために芦毛3頭で決まったときの3連単も買う。これは6点になるが、これも2点ずつ3枚に買う。それが<きっこ>流(笑)。
「奇蹟だな」と書いているが、この時点でもうこの「奇蹟馬券」は購入済みだ。「奇蹟が起きた!」と的中自慢を書きたくてうずうずしている(笑)。そのための前振りである。



 1番人気のリトルゲルダが勝って予想が的中した場合、16→3,16→14の2点買いをアップして「1番人気からだから安いけど芦毛のワンツーで決着」と自慢する。人気薄の14が来た場合は、「念のために買っておいて正解!」のような自慢。

 順位が逆になった場合は、3→16,14→16の裏だけの2点買いをアップして「1番人気からじゃ安いので2着になることを願ったら見事に的中、ヒヒーン」となる。

 もしも人気薄のブルームーンピサが絡んで大荒れになったら、3→14,14→3の2点買いだけをアップし、「芦毛3頭の内、1番人気のリトルゲルダを消して他の芦毛2頭で勝負したら見事に的中、ヒヒーン」と自慢する。
 これは予想と馬券が一致した場合。ほとんどそんなことはないが、的中馬券自慢のためにここまでのことをしている。



 そして今回のように芦毛のワンツーフィニッシュとはならなかった場合、つまり予想大外れの場合、するとこんなツイート。

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 なんと、予想した芦毛のワンツーフィニッシュではないのに、それでも軽々と「ナニゲに馬単万馬券」を的中。さすが世界一の馬券上手である。そして的中馬券のアップ。

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 しかしこの馬券、レース前の予想からするとかなりヘンである。だって芦毛のワンツーフィニッシュや芦毛3頭で3連単が決まる奇蹟まで願ったのに、100円3点、300円勝負の馬券の中に、1番人気の芦毛16番から他2頭の芦毛への馬券、16→3や16→14がないのだ。前予想とは全然違う購入である。

<きっこさん>の一日の、じゃなくて毎週土日の競馬資金は2500円である。<きっこさん>はこの金額をきちんと護る。1レースの購入資金も200円から300円と決まっている。なのになぜ予想で口にしている芦毛同士の馬券がないのだろう。<きっこさん>の猴論瓩覆蕁△海海蓮16→3、16→14」「3→14」という芦毛同士の馬券があり、「残念ながらハズれた。くやしい」となるのが自然である。
 的中した場合でも、芦毛馬券以外に「16→12」があって、「芦毛馬同士の馬券と、もうひとつ高配当をナニゲに1点買っておいたら的中。ヒヒーン」とならないと筋が通らない。なのになぜこんなヘンな馬券なのだろう。相手の番号が10.11.12と続いているのもヘンだ。



 結果はこういうレースです。
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 このヘンテコ馬券の秘密はこういうことだ。<きっこさん>は前記のような自分の予想にしたがった馬券をまず買い、その他にも100円の3点買いずつ16番から総流しをしているのである。馬券的中を自慢したいために。
 1番人気からの総流しで当たるのはかっこわるい。すくない点数で当てるのがかっこいい。そしてもうひとつ、少額で馬券を楽しむ健全な放射脳西日本疎開者(笑)という設定を維持するため、1レースの馬券は3点までにしている。

 つまりこの1番人気16番からの総流し馬単は、3点ずつ分けて購入されている。「あたしの競馬資金は2500円、1レースの購入金は300円」という狎瀋雖瓩里燭瓩法

 まずは「16-1.16-2,16-3」の3点で1枚。次いで「16-4,16-5,16-6」で2枚目、3枚目は「16-7,16-8,16-9」となり、的中自慢でアップされた4枚目のこれは「16-10,16-11,16-12」になるってスンポーだ(笑)。それが不自然な「続き番号馬券」の秘密。もちろんこのあと5枚目の「16-13,16-14,16-15」も購入している。

 これは予想会社が「またも1点で的中!」と謳うために1点馬券を何十種類も買うのと同じ手法になる。インチキ予想会社とインチキオカマは、馬券自慢のインチキぶりが共通している(笑)。

 1番人気のリトルゲルダが2着になったら配当はより大きい。そのときはその自慢もしたいから当然「1-16」「2-16」「3-16」という裏目の総流し馬券も300円ずつ買っている。手間が掛かる。

 さらに、シゲルスダチからの流し馬券も買っているだろう。みな300円ずつだからたいへんお忙しい。でも的中馬券を自慢するためだ。燃えている。おそらくあれやこれや様々なパターンを50点はお買いになっているだろう。私のようなフォーメーションだと一発で買えるが、「300円(=3点以内)勝負」をアピールするため、<きっこさん>はそれが出来ない。たいへんな手間暇を掛けている。それが連続してレースを楽しめない理由でもある。ひとつのレースの馬券購入にものすごく時間が掛かるのだ。それは今までの的中自慢でも明白だ。
 芦毛馬同士のような馬券は早めに買っておく。だからそれの自慢は速い。でもこういうのは予備として買う多種多様な馬券のひとつなので、これが的中したときは説明とアップが遅れる(笑)。

 <きっこさん>は芦毛馬が好きなのではない。芦毛馬が好きだったら上記の馬券自慢は筋をハズしている。芦毛馬と心中しているはずだ。<きっこさん>が好きなのは「的中馬券自慢」なのである。その方策の一つとして、「芦毛好き」「人気薄の芦毛から流して万馬券」を狙っているにすぎない。



 そしていつもの馬券収支自慢。毎度おなじみ(笑)。

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 <きっこさん>は毎週のように馬券収支をプラスにしている。世界一の馬券名人だ。こんなひとはこの世にふたりといない。
 毎週の資金を狎瀋雖瓩2500円から25000円にすれば、ほぼ9割方の確率で毎週15万円程度は儲けていることになる。それだけで月収60万円は固い。それがもうここ数年の統計で確実に証明されている。なにゆえ頑なに「毎週2500円」を厳守するのだろうか。なにゆえ「100字書いて50円」のようなアルバイト(私もこのアルバイトを知っている)をしつつ耐乏生活を続けるのだろうか。馬券だけで人並み以上の生活が出来るのに。「Win5で2億円」など狙わなくても、<きっこさん>の馬券能力があれば、2億円などすぐに貯められる。週に25000円で勝負して月に60万円を稼いだら、次は週に25万円の資金にすればいい。そうすれば毎週150万、月に600万円のプラスは確実なのだ。なぜそれをしないのか。

 <きっこさん>は嫌いな安倍総理を大バカと罵るが、ここまで確実に儲かることが体験と数字実績でハッキリしているのに、頑なに「毎週2500円」を護る<きっこさん>は、安倍総理以上の大バカになる。

 これは毎週のように<きっこさん>からの清浄な寄附を受けとっているらしいシリアの難民の子供達にとっても謎であろう。<きっこさん>さえその気になれば5000円じゃなく、毎週50万円の寄附も可能なのだ。シリアの子供達のためにも、<きっこさん>が面倒を見ている野良猫のためにも、立ち上がるべきだ。でなきゃ男じゃない。いや男じゃなくてオカマだけど(笑)。



 なぜ投資金を2500円から25000円に増やさないのか!? なぜ頑なに2500円を守るのか!?
 
 答は簡単。2500円はウソだからである。毎週3万円ぐらいは買っているのだ。馬券的中を自慢したいがために、勝負レースではあれやこれや100円で50点ぐらい買っている。一日に6つぐらい参加しているようだから、ちょうど3万円になる。その中からの当たりレース自慢。それでもハズレレース多数なのが現実。毎週3万円買って、オケラか、15000円程度の払い戻しというマイナス決算だが、表には「資金は2500円、今週も2万円のプラス」のような大嘘をついている。

 だから、「そんなに的中しているんだもの、資金を10倍にしたら?」と言われても出来ない。すでにもう2500円ではなく25000円は使っているのだ。25000円設定にして勝ちまくる話にするには、毎週25万円買わねばならない。それでオケラか12万円程度の払い戻しだ。「資金は25000円なので今週も10万円のプラス」とウソをつくのはつらい。毎週25万、月に100万円馬券を買う資金は今の<きっこさん>にはない。なにしろ公園の水を盗んだり、ひと袋の入浴剤で三日保たせているのが現状だ。ヘアメークをやっていたころは、本業と夜のバイトで月120万円ぐらい稼ぎ、そのうち100万円以上を母さんの難病治療費に充てていた(という狎瀋雖瓠砲反瓩まくっていたが。

 実際は馬券的中を自慢したいがためにあれもこれも買い漁り、毎週3万円以上買ってマイナス決算だろう。月に十数万円を競馬に使っての赤字だからこれ以上のことは出来ないのだ。
 何万円使ってオケラになっても「今週は2500円のマイナス」と報告する。調子のいい週で1万5千円のバック(=1万5千円のマイナス)というところか。だからいつまで経っても「今週は思いきっていつもの10倍、25000円を資金にして勝負したら30万円儲かった。内25万円をシリアの難民の子供達に寄附して残り5万円は生活費にした」とは書けない。だって毎週3万円使って払戻15000円程度のマイナス決算だから、これ以上のウソは無理なのだ。



 6枠に「グリーン」の名前の馬がいるからというケントク買いで、とうとう母さんまで万馬券を当てての馬券名人設定には笑った。あれはそういう馬券的中自慢もしたいから(同じような買いかたのお友だち、石川喬司さんもいることだし)そっち方面まで買っているということだ。いったい1レースで何点買っているのやら。

 マイナスなのにプラス自慢するってむなしいだろうなあ。でも鉄面皮だからそんなこと感じないか。存在自体がウソなんだものね。「カップヌードルのエビはカナブンの幼虫」という、かつてやっていた企業テロ誹謗中傷と比したら、架空の馬券名人自慢なんてかわいいものだ。

 なお、この文章のタイトルは「馬券名人の<きっこさん>」ではない。「馬券犲慢疚梢佑<きっこさん>」である(笑)。

郵便話──番地のない速達は受けとれないと郵便局に拒まれた──それはまあそうなんだろうけど……

@moneslifemone 2分前
速達を出しに行くと番地が書いてないので受けとれないと言われた。宛先は「北海道新冠郡新冠町明和ビッグレッドファーム岡田繁幸様」である。この「明和」のあとに番地がないと届けられないと言う。今まで何百回もこれで届いていると言ったのだが断られた。50代と思えるおばさん局員だった。(続く)



とツイートして、続きを書こうと思ったが、こんな愚痴を140字限定で何度も書くのはかっこわるいからやめた。ブログに書くことにする。

ムツゴロウさんは「北海道ムツゴロウ様」で届いたそうだが、岡田さんの場合も「北海道新冠町ビッグレッドファーム」で十分届くだろう。おばさん局員は、速達なのに番地がなく、万が一到着が遅れた場合のことを慮ったようだった。
しかしそれは日高の牧場の現状を知らないからだ。日高は牧場の名前さえあれば着く。その代わり、荒木牧場と荒木ファーム、アラキファームは別物だから牧場名は正確に書かねばならない。私は桜花賞馬アラホウトクの取材でアラキファームに行ったとき、牧場主も荒木さんだし、気楽に「荒木ファーム」とメモしつつ取材していたら、荒木さんにノートを覗かれ、「うちはカタカナのアラキね」と注意されてしまった。



おばさん局員が言うには、番地がないと届けられない局員がいるかも知れず、速達としての意味がなくなる、ということのようだった。
ビッグレッドファーム明和は、ハイセイコーの明和牧場を買い取ったものだ。引退したばかりのハイセイコーが種牡馬として繋養されていた時は、観光バスが鈴生りとなった牧場である。ハイセイコーを見るための展望台まで設置された。そしていま岡田さんが率いるあのマイネルマイネの総本山である。日高地方の郵便局員でビッグレッドファーム明和を知らないひとはいまい。ちいさな家やアパートが犇めいている都会なら正確な番地、部屋番号まで必須である。書くのが礼儀だ。常識だ。だが日高の牧場地帯なのだ。1ヵ所1ヵ所がでっかい。1ヵ所何十ヘクタールである。ビッグレッドファーム明和は100ヘクタール以上か。1時間歩いてもまだ牧場内だったりする。そんなところに何丁目何番地は必要ない。



しかしまあこれはこれで私の側の理由。おばさん局員としては、明日着く予定の速達が数日遅れになったりして、「速達なのにどういうことだ」とネジこまれることを怖れたのだろう。現にそういうひとはいるようだし。だから郵便局員の応対としては正しいのかも知れない。が……。



じつはこのおばさんとは前々から確執がある。このひとは郵便物に対して異常に厳しい。支那にEMSで荷物を送るときも、「中国は放射能関連で日本の食物の郵送を禁じています。食物は入っていないですね」のように異常にしつこく聞いてくる。私はそのたびに「禁止されている食物はこれとこれとこれであり、私の入れたのは、それとは関係のないこれとこれだから問題はない」のような説明をしてやらねばならない。

仕事に誠実で厳しいようでいて、雑でもある。
いま航空便でリチウム電池のある製品は送れない。船便なら送れる。私はリチウム電池を内蔵しているNINTENDO DSを送ろうとした。船便で送れることはインターネットで調べて確認してあったが、念を入れて郵便の本部に電話して二重の確認をした。応対してくれた女性職員に「リチウム電池内臓のNINTENDO DSだが、船便なら大丈夫ですね」と商品名まで口にして確認している。そのうえでの船便郵送である。送り状の中身欄にも、「リチウム電池あり」と書いた。もちろん英語でだ。

なのにこのおばさん、「船便でもリチウム電池は送れない」と言いだした。さすがにこのときは私も、インターネットでも日本郵政グループの本部にも電話して確認した、絶対に間違いないと、すこし気色ばんで伝えた。するとおばさん、黙った。黙らないならまだわかる。「あたしは郵便局員何十年のベテランだ、まちがいない、あたしが法律だ!」とでも見得を切って決まり事を確認するなら、それはそれでいい。規約書を出してくれば私が正しいのは証明されるが、そこまで戦うならこちらも認めてやる。でも私が「確認した、まちがいない」と言ったら、急に今度は黙ってしまったのである。うろ覚えの雰囲気だけでしゃべっているのだから、有能な局員というわけでもないようだ。



そういうこともあったから、今日も番地のない封筒を速達でお願いしますと言ってきたのでケチをつけてきたのだろう。要するにイチャンモンおばさんなのだ。こんなのが高い給料をもらってやっているのだからいい商売である。仕事に熱心、だけでは割りきれないものを感じる。

このおばさんのいない郵便局は倍の距離になる。こんな不平不満を言うことのないように、次回からはそっちに行こう。

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<きっこ>という女のふりをしている男性が「今までの郵便局で不満を感じたことがない→民営化に意味はない。だから民営化反対」というようなことを書いていた。ほとんど利用しないひとの意見だ。私のように頻繁に利用するものは不満だらけである。民営化されて確実にサービスは向上した。国営時代の田舎の特定郵便局なんてとんでもなかった。行くたびにストレスがたまった。

その残滓は今もある。私がこのおばさん局員に感じたのはそれになる。郵便局員は郵便を扱う商人だ。一通でも多く郵便を利用して貰い、そのことによってよりよい給料を貰えるようにと意識し努力せねばならない。それが仕事である。あちらは商人、こちらは客である。商人の基本は、キュウリを買おうとしている客がいたら、そのキュウリはおいしいですよと勧め、でもキュウリにも飽きたしと客が言ったら、じゃあナスはどうですかと勧める、その姿勢である。商売熱心の心意気は客にも伝わる。

しかしこのおばさん局員から伝わってくるものは、国営時代と同じくお高くとまった「拒否の姿勢」だった。私の速達350円を受けとろうが拒もうが自分の実績とはならない。給料にも関係ない。ならトラブルの種になりそうなものは拒もうという姿勢だった。役人根性である。そこに「もしかしたら番地がないと速達なのに遅れてしまうかも知れません。それじゃ困りますよね。どうしましょう。普通便になさいますか、それとも番地をお調べになりますか」というこちらへの気配りは微塵もなかった。

前記の「支那へのEMSでの食物」の件も、「あんたがもしも放射能の含まれている食物を中国に送ったら、係のあたしが見逃したと局員のあたしのマイナス点になるんだ。そんな食物は入ってないだろうな!」という自己保身ばかりが感じられるのである。

けっきょく私の言いたかったのは、速達を拒まれたという事実よりも、そのおばさん局員から感じた高飛車な態度への不快だったようである。とここまで書いてきてやっとわかった。



しかしまあこんなくだらないことを書いていたら、「ツイッターやブログの9割9分は卑小な自己アピール」に反論できなくなるな。

9月17日雑感──颱風一過、一気に秋?──オルフェーヴル、キズナの勝利

颱風が来る時期だからやめたほうがいいのにと言われていた月曜祝日を利用したJRAの三日開催三日目は、颱風来襲で予測通り中止になった。週伸ばしにしている餘裕はないから今日代替開催するらしい。さてセントライト記念、参戦すべきなのか。



15日、フランスではオルフェーヴルとキズナの両馬が勝った。オルフェーヴルは力通りで、鞍上もスミヨンだったので安心して観ていたが(正直な気持ちを書いているだけだが取りようによっては皮肉になってしまうか)、キズナが英ダービー(ダービーは英国のものなので本当はこの牘儉瓩呂弔韻討呂覆蕕覆い海箸砲覆辰討い襦砲鬟魯丙紘蕕したのは見事だった。映像では差されたように見えたが。

なにしろむかしは英国ダービー馬を種牡馬に迎えるなんてのは夢のまた夢で、「英国ダービー出走馬」という惨敗した馬を購入するだけでも自慢だった。それが本場ダービー馬を種牡馬として購入できるようになり、ジャパンカップに英ダービー馬が出走するようになり、とうとうこちらから日本ダービー馬が遠征して行き、同い年のダービー馬を負かす時代になった。感激一入である。(一入=ひとしお)。



異様な残暑で(というか今年の猛暑を知らないのだが)連日扇風機とクーラーをかけっぱなしだった。寝るときも扇風機は廻したままだった。それでも暑くて目覚めたりした。
ところが今朝は肌寒いほど涼しい。扇風機を止めた。いまもティーシャツでは寒い。長袖が欲しいほどだ。室温25度、湿度47パーセント。颱風一過で一気に涼しい秋になるのか。 
とかいって今日も厳しい残暑になったらこんなことを書いてわらいものだけど、いつものよう午前3時起床で窓を開けると、風に秋を感じた。今日から秋になってゆくような気がする。

酒話&競馬話──「越後桜 大吟醸」を飲んでみた──「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは鉈の切れ味」──「ならメイヂヒカリは日本刀の切れ味だ!」

echigosakura 私はあまり「大吟醸」は呑まない。日本酒にフルーティな香りは求めない。むしろ苦手なぐらいだ。フルーティな大吟醸が好きだという女も多いが、好きじゃないという日本酒好きの男もまた意外に多い。

 昨日、宮城県産の旨そうなかつを切り身を見かけた。
 かつを刺身なら日本酒だ。日本酒は生魚に合う世界一の酒だ。こういうのに白ワインのひともいるが、私は生魚や生貝類をワインで楽しむ味覚とは意見があわない。



「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは鉈の切れ味」という武田文吾調教師の言葉は有名だ。これは昭和39年にシンザンが無敗で皐月賞を制したときに、昭和35年に同じく無敗で皐月賞を勝ったコダマとのちがい(共に武田調教師が管理)を問われ、武田師が言った比喩である。

 この言葉の意味は誤解されていて、私は機会があるたびに書くようにしているのだけれど。
 コダマはダービーも勝って無敗の二冠馬となる。レコードタイムで駆けぬける駿馬だった。母はシラオキであり名血だ。菊花賞は5着に敗れて三冠はならなかった。
 対してシンザンは地味な馬だった。血統でも注目すべき点はない。
 皐月賞の時点で、2頭の無敗の皐月賞馬のトレーナーとなった武田師は、両馬の評を問われて、そう応えた。武田師の中でコダマとシンザンの評価は雲泥の差があった。それが「カミソリと鉈」なのである。
 人間の評価に例えるなら、コダマを「1を聞いて10を知る天才やね」と絶讃し、シンザンを「1を聞いても1しかわからんけど、一歩一歩着実に歩んで10を知る努力家や」と言ったようなものである。

 ところがシンザンは多くの二冠馬(クモノハナ、トキノミノル、クリノハナ、ボストニアン、コダマ、メイズイ)の叶えられなかった夢を叶え、セントライトに続いて日本競馬史上二頭目の、戦後初の三冠馬となる。さらには天皇賞、有馬記念も勝って犖浚馬瓩覆鵑匿係譴泙農犬澆世好后璽僉璽好拭爾箸覆辰拭E時は八大競走外だったが宝塚記念も勝っている。天皇賞が今のように勝ち馬も出られる制度だったらまちがいなく2勝しているだろう。するとG7勝の先駆である。JCもあったらG8勝の記録を作っていたか。

 誤解とは、その圧倒的戦歴(19戦15勝2着4回)から「鉈」が過大評価されてしまったのだ。「カミソリは切れ味鋭いが脆い。その点、鉈はどんな籔でも切りひらいて行く。歯が缺けることはない。すごいぞ、シンザンは鉈なんだ!」のように、シンザンを知らない世代から崇め高められ、名言が見当違いのひとり歩きを始めてしまったのである。
 そうじゃない。武田師は、あきらかにカミソリよりも切れ味の鈍い、格下の存在として「鉈」を使ったのである。
 後に、「シンザンは爛ミソリの切れ味をもった鉈瓩世辰拭シンザンに失礼なことを言った」と述べている。
 私は、機会ある毎にこのことを書いて誤解を消すようにしているのだが、ひとり歩きが早すぎて追いつけない。
 最近は、それはそれで名言の味だから、これでいいのかと諦めている。



 てなことを書いたのは、これに隠れたもうひとつの名言を書きたかったから。
 メイヂヒカリの蛯名武五郎である。
 メイヂヒカリの成績はこちら。菊花賞、天皇賞、有馬記念を勝っている。

「メイジ」じゃなくて「メイ」なのが美しい。「明治」の「治」は「チ」なのだから、どう考えても「ヂ」が正しい。このころのかなづかいはまともだった。当時のものを読むと、「親父」もしっかり「オヤ」になっていて感激する。なんで「チチ」なのに、「オヤジ」になるのだ。いまこのかなづかいをするとATOKに「誤りです」と指摘される。

 成績表はいつものように「優駿の蹄跡」からお借りした。私は長年「馬事文化賞」を「優駿の蹄跡」に授けよと主張しているのだが未だに叶わない。あの審査員じゃ無理か。きっこと親しい石川喬司(笑)。

meijihikari













 メイヂヒカリはスプリングSで故障発症して春のクラシックは出られなかった。
 朝日のころはセントライト以来の三冠馬かと期待された大物だ。なおこのころはただの「朝日」であり、「朝日3歳ステークス(現朝日杯FS)」ではない。この成績表の表示は誤りである。でももちろんここはこれでいいんだけどね。こんなことでケチをつけたら罰が当たる。
 ただ私はこれなんかを自分が競馬をやっていたときの「朝日杯3歳ステークス」と書いてしまい、あちら様から「朝日盃」と直されるような仕事環境にいるので、すこし気になる(笑)。
 最後の「中山グランプリ」は有馬記念のこと。これが第1回目。これを創設した競馬会理事長の有馬さんが急逝したので、翌年の第2回から「有馬記念」と名前を変える。その意味では貴重な唯1頭の「中山グランプリ馬(有馬記念馬ではなく)」である。



 メイヂヒカリに騎乗し、史上最強と信ずる関東の蛯名武五郎騎手は、関西の武田師の「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは鉈の切れ味」を伝え聞くと、「ならメイヂヒカリは日本刀の切れ味だ」と言った。
 これ、比喩として最強だろう。日本刀ほど美しく凄まじい切れ味のものはない。

 その地の酒は、その地の刀に似ている。サーベル、青龍刀、シャムシール。

 日本刀と日本酒は世界最強である。毛唐かぶれにはわからない。



 日本酒はうまいのだ、洋酒なんかに負けていないのだ、ということを言おうとしたらコダマやシンザン、メイヂヒカリに脱線してしまった。
 むかし「私、プロレスの味方です」がヒットして、アントニオ猪木と初めて対談をした村松友視さんは、猪木の話しかたを「ブーメラン話法」と言った。プロレスの話をしているのに、どんどん脱線してゆき、南米大陸をぶっこぬく新幹線を作るなんて話になり、いったいどうなるのかと心配するのだが、最後にはきちんと本題に繋がり、うまくまとまるのだという。それを「ブーメラン」としたのだ。
 私のも、日本酒の話からいきなり「武田文吾調教師は」になってしまったので、何事かと思ったかたもいただろうが、一応ブーメランではある(笑)。

 やっと本題の「大吟醸 越後桜」の話。



 かつを切り身を買い、酒屋を覗く。四合瓶を買おうと思っていた。ちょっと高めの旨そうなヤツ。
その時点ではいつもの「純米酒」にしようと思っていた。それが、「ワイングラスでおいしい日本酒アワード部門金賞2年連続受賞」と札の掛けてあるものがあったので手にしてみる。それが「大吟醸 越後桜」だった。

3nen いま思えば「ワイングラスでおいしい日本酒ってなんなんだ」なのだが、そのときは深く考えず、モンドセレクションのようなものかと思ってしまった。モンドセレクションといえば「日清のバターココナッツ」である。そんな審査を崇拝しているわけではないが、ここのところ気に入っている「博多の華 三年貯蔵」のように、これをきっかけに手にしてハズレを引いた記憶はない。



 宮城沖のかつをは旨かったし、大吟醸越後桜もすいっと入り、酔い心地もよく、文句はなかった。ただ、すこし薄く感じた。しかしそれはしかたない。なぜなら私が大吟醸なんて普段はあまり飲まないものを呑んだのは値段だったからだ。四合瓶で980円だったのである。この値段で大吟醸はちょっと無理だろう。安くても四合瓶で1500円はする。馬券敗戦が続き苦しい台所事情なので、つい手を出してしまった。

 文句はなかったが、なんか残った。すこしだけ、疑問が。たぶんそれは値段による品質なのだと思う。山田錦50%精米であり、香りもいいのだが、ほんのすこしだけ、なんかちがうなと頭の片隅に引っ掛かっている。
 しかしそれは値段を知っているからかも知れない。もしもこれが四合瓶で2500円の品だったら文句は言わないのかと自分に問い掛けてみる。いややはりそれでも同じ事を感じたと思う。90%文句はないのだが、なんかどこかに違和感を覚えるのだ。



 翌日、越後桜の酔いも醒めてから、検索してみた。するとこんなサイトがあった。 

酔い人「空太郎」の日本酒探険──「越後桜 大吟醸」

 なるほどなあ、安くするために醸造用アルコールを足しているから、こんな感じになるのか。
 でも安いのだからしかたない気もする。
 このかたは、すばらしい日本酒博士である。これからも参考にさせてもらおう。博学に感謝。



echigosakura 私は「大吟醸 越後桜」を貶しているのではない。そこは誤解しないでいただきたい。フルーティな日本酒を好むひとには値段も手ごろで、とてもいいのではないかと思う。ふだん大吟醸を飲まない私がたまに愉しむならこれで充分だ。でも本格的な大吟醸好きのひとには不満が残るだろう。しかたない。安いのだから。

「ワイングラスで飲む日本酒アワード」というのも調べてみた。知って白けた。文字通り「ワイングラスで飲むとうまい日本酒大会」である。小規模だし、近年出来たばかり。この企劃に大賛成してくれていると民主党議員が紹介されていて、ますます白けた。

 でもワイン好き日本酒嫌いの女に対して、こんなアプローチも必要なのだろう。とは思う。でも女の酒飲みでも、まともなのは日本酒がわかるから、こういう「ほら、日本酒でもワインみたいでしょ、飲みやすいでしょ」という迫りかたは、なんか卑屈でイヤだ。「日本酒の価値はバカ女にはわからない」でいいんじゃないのか。わしはそう思う。いや商売だから、そんなバカ女に「ね、ワインみたいでしょ」と言って買わせねばならないのか。底辺を拡げねば始まらないのか。それこそが大前提か。いやいや、所詮バカ女はバカ女だから、そこまで腰を低くして奨めても、すぐにまた「やっぱワインよねえ、ぜんぜんちがう」とか言っていなくなると思うぞ。だからやはり「バカ女にはわからない日本酒の価値」でいいんじゃないのか。



 デフレスパイラルで庶民はみな質素な生活をしている。
 アベノミクスでどれだけ経済が活性化するだろう。期待して待ちたい。
 着道楽のひとはがんばって稼いで着るものの質を落とさないように努力している。私は、衣類は暑さ寒さを凌げればいいと割り切っているので、日々質素な安物中共衣料品で暮らしている。惨めではあるがそこは割り切らねばならない。

 ただ食品の質は落としたくない。特に野菜と酒にはこだわりたい。中共からの輸入食品は食わないほうがいい。これはまた別項で詳述する。
 酒も、毎日を週に三日、いや一日に落としても、いいものだけを呑みたいと心懸けてはいる。
 景気が良くなり、収入が増え、酒飲みが、すこし高いが良質の本物の酒を飲むことが望ましい。酒造メーカーは本物だけを作っていればいい。本物っぽい安物の贋物に凝る必要はない。それが時代の理想なのだが……。

生活雑記──旧友からの突然のメール──23年ぶりの再会予定

 数日前、携帯電話にメールが届いていた。いきなり親しい呼び掛けで「××ちゃん、ご無沙汰してまーす。5月中旬にひさしぶりに東京に行くので会いましょう。楽しみにしてます」とある。なれなれしい。誰なのか。わからない。携帯メールのアドレスはない。090から始まる携帯番号があるだけだ。



 私は一応携帯メールアドレスを持っているけど、使わない。理由は打つのが面倒だから。あれはたいへんだと思う。しかし電車の中などでとんでもない早打ち若者(というか中学生ぐらいのこどもが多い)を見かけるし、私より年上なのに、ガラケーで、そこそこ長文のブログを毎日アップしているひともいるから(もちろん理由はPCが使えないからだ)、あれは慣れなのだろう。私は指先は器用だから、その気になればそれなりの速さに達する自信はある。用途がないのでやらないけれど。そもそも楽器演奏だって、出来ない人から見たら神業だけど、長年やっていれば目を瞑っても弾けるものだ。携帯電話の早打ちもそれに類したものだろう。それはともかく。



 こういう意味不明のメールは無視するのだが、どうにも気になる。「××ちゃん」という呼び掛けをするひとは、かなり限られている。学生時代にまで溯る古い知りあいの可能性が高い。しかし学生時代から今に至るまでつきあっているひとなら、限られているからすぐに思いつくし、「ご無沙汰」のはずもない。
 もうひとつのポイントは「ひさしぶりに東京に行きます」だ。地方在住なのだろう。地方に住んでいて、今度ひさびさに東京にやって来るひとで、私を「××ちゃん」と呼ぶ古い古い知りあい。いないよ、そんなひと。誰だ!?

 それでいて携帯の番号を知っている。
 私はJ-Phoneを契約してから20年近く携帯電話の番号は替えていない。仕事用だからそれが肝要だ。一般にはそれは充分長い時間であろうが、私にとっては「近年」でしかない。
 「××ちゃん」という学生時代の古い呼び方をするひと(これは「近年」ではない)と、「近年」使うようになった携帯番号を知っているひととなると、ごくごく限られてくる。しかし確実にそのひとたちではない。その中に「ひさしぶりに東京に来る」なんてひとはいない。



 ここ数日、そればかり考えていた。
 電話番号は明示されているのだから掛けてみればいいのだ。
 しかし、相手に「あなたは誰ですか」と問うのも憚られる。
 そもそもこのひとは、なぜ私に電話を掛けてこないのだ。いきなり名前も名乗らず携帯メールってのはなぜなのだろう。

 もうひとつ、「敵」の可能性がある。何かで私の「××ちゃん」という呼び方と携帯電話の番号を入手したヤツの悪戯だ。CNXと名乗る気狂いに長年絡まれているから、そういうことも想定しなければならない。こんなヤツに気楽に返事したらたいへんなことになる。だってほんとに旧友なら名前を名乗るはずだ。どう考えても不審である。
 考えれば考えるほどわからなくなった。



 昨日、突如思いついた。
 きっかけはM先輩だった。大学時代の音楽サークルの先輩である。いつもここに名を出すFM東京で竹脇無我さんとの仕事やJ-Waveで白鳥英美子さんとの仕事をした長年お世話になっているM先輩ではない。もう交流が途絶えて長い別のひとである。ふたりのM先輩は同級生だった。

 私を「××ちゃん」と呼ぶ古いひとは、ごくごく限られる。必死に考える。そのひとりとしてこのM先輩の名が浮かんだ。しかしM先輩は横須賀に住んでいる(今は知らないけど)はずだし、東京っ子であることを自慢するひとだから、「ひさしぶりに東京に行く」は当たらない。なにより私の携帯番号を知らない。だからM先輩ではないのだが……と考えているとき、そこからの連想でオノケンの名が浮かんだ。



 23歳のとき、当事札幌に住んでテレビ局の仕事をしつつ北海道を歌い回っていたM先輩が「歌いに来い」と誘ってくれた。ギターを担いで出かけた。私の北海道初上陸である。
 M先輩は、渋谷宮益坂の伝説のフォーク喫茶「青い森」で、RCサクセッションや泉谷しげる、古井戸なんかと一緒に歌っていたひとだ。卒業して北海道に渡っていた。
 先輩と一緒に道東を回った。楽しい旅だった。大鵬の生まれ故郷の弟子屈に行ったのもこのときだった。布施明の「霧の摩周湖」でしか知らない摩周湖に行ったり、根室から国後半島を臨んだりしたのもこのときが初めてだった。

 そのとき知り合い、一緒にコンサートをやった(私たちは彼らの主催するコンサートに出させてもらったわけだが)現地の歌い手に野付郡別海町の酪農家・小野謙治さん(通称オノケン)がいた。オノケンは当事、NHK教育テレビの「みんなの歌」じゃないや、なんだ「今日の歌」みたいな毎日流れる5分間番組みたいなのに出演していた。自分たちで作詞作曲した歌を三人組グループで歌っていたから、現地じゃ有名人である。この番組、北海道ローカルだったかも知れない。いや、そうだな。でも毎日朝夕に2回、NHKから歌と映像が流れるのだから有名人である。

 番組の作りは、彼ら三人がギターを手に口パクで歌う映像から始まり、歌のバックに牧場での仕事風景が流れたり、今時のPVみたいだった。

 ♪ 朝日が大地に顔を出せば、ミルク搾りの唄が聞こえる
   でっかい太陽、両手に抱いて、そうさ、仲間さ、おれたち、ひとりじゃ、ひとりじゃないのさ
   (作詩作曲・小野謙治)

 よく覚えるてな、おれ(笑)。いまでも歌える。



 オノケンと親しくなった私は、翌年ひとりで訪ね、酪農をしているオノケン宅に住まわせてもらい、仕事を手伝いつつしばらく滞在した。前年、M先輩と一緒に数泊させてもらっていたが、東京っ子のM先輩は、牛にも近寄らなかったし、毎日の作業である糞尿処理なんてとんでもないというひとだった。私はそれが平気だったのでオノケンに気に入ってもらえた。
 その翌年には、私が明大前の「キッドアイラックホール」で開いたコンサートに、はるばる別海からゲストとして駆けつけてくれたりした。

「駆けつけてくれた」には、すこしウソがある。当時オノケンは、酪農実習に来た横浜の娘さんを嫁にしようと燃えていた。しかし奥さんの実家は大反対だ。北海道の果てに娘は嫁にやれない。オノケンが北海道からギターをしょって上京し、私のコンサートに出てくれたのは、歌うこと以上に、この横浜の家を訪ね、嫁にもらう許可を得ようというのが主目的だった。
 それからもまた夏になると出かけては世話になった。



bekkai このへん、書き出したら切りがないので先を急ぐ。
 オノケンならM先輩が当時私を読んでいたように「××ちゃん」という呼び方をするだろうし、「ひさしぶりに東京」も納得できる。

 唯一携帯電話の問題がある。一年前、ひとりさびしい正月を送っていた私は、オノケンに電話している。それは覚えている。その電話ですら10年ぶりぐらいだったから、オノケンはとんでもなく驚いていた。田舎のひとの固定電話は何十年も変らない。古い手帳を整理していたらオノケンの固定電話番号が出てきたので(北海道野付郡別海町なので0146だ)ほろよい機嫌で掛けてみたのだった。地図のA地点が別海町。

 しかし私は、そのあときちんと近況を報告する手紙を書こうと思いつつ書いていない。無精が恥ずかしい。だからオノケンは私の住所も携帯電話の番号も知らないはずだ。可能性としてあるのは、その普通電話のディスプレイに表示された(もしも電話機がそんなタイプであったなら)であろう私の携帯電話の番号を彼がメモしたかどうかだ。可能性としてはうすいが……。



 考えるほどにオノケンしか思いつかないので、思い切って携帯メールを書いた。「あなたは誰ですか? オノケン?」と。これだけ書くのでも面倒だったから、私はほんとに携帯メールは苦手だ。

 今朝、「そうです、オノケンでーす。名前を書かなくてごめんね」と返信があった。ひさしぶりに横浜の嫁さんの実家に一緒に来るらしい。「会えるのを楽しみにしています」と返事を書いた。



IMG 前回会ったのは、いつだろう。写真の軽自動車ダイハツMIRAで、茨城から仙台まで走り、そこからフェリーで苫小牧に渡り、いつもは千歳空港からレンタカーで行っていたお世話になっている日高の牧場や名馬の故郷をあちこち訪ね、それからオノケンの別海までゆき、旧交を温め、知床半島をぐるりと走り回ってきたのだった。3週間ぐらいの旅だったか。90年の夏か。すると23年前になる。

 私の北海道体験は、20代の趣味の道東から始まり30代の仕事の道南の日高にいたるのだが、このふたつは繋がっていなかった。道東のころ、競馬ファンなのに日高に名馬を訪ねる感覚はなかった。競馬好きの大学生なんてのは、だいたい経験しているものだが、私は北海道をたびたび訪ねていながら日高には行かなかった。日高を取材で毎月のように訪れるようになっても、今度は懐かしい道東に行ってみようという考えはなかった。まあ広い北海道で離れているのだが。 
 このときにやっとふたつが繋がった。



 オノケンはその後、奥さんの実家から許可をもらって結婚し、ふたりの息子に恵まれた。牧場も次男が継いだという。
 さて、どこでどんな再会になるのだろう。なんとも楽しみなことだ。
 牧場の豪快な男の割には、酒は弱かった。まあビールで乾杯ぐらいはできるだろう。4日間、横浜にいるらしいから、積もる話もあるし私のところに一泊してもらおうと思っている。

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【追記】──別海で見たサクラショウリのダービー

 日本ダービーに関する原稿の直しゲラが届いた。
 レース展開で書き直しを指摘されたものに昭和53年のダービーがあった。サクラショウリの勝ったレースである。1978年5月28日。

 私はこのレースを、オノケンと一緒に別海でテレビ観戦した。馬券は友人に頼んで東京で買ってもらっていた。
 当時は枠連のみ。渋谷等の場外は千円単位のみの発売になる。だから長年私にとって馬券とは千円単位で買うものだった。100円から始めた人とは感覚がちがう。当時と物価を比較すると4倍にはなっている。今の金銭感覚で言うと「1枚4千円」が最低単位だったことになる。ひどい時代である。もっとも昭和初期の「1枚20円時代」は、大卒初任給が75円の時代の20円だから、1枚4万円になる。馬券はもともとそんなものだった。



 1番人気のバンブトンコートから枠連3点買い。勝ったのは2番人気のサクラショウリ。2着に12番人気のアグネスホープ。今だったら馬単馬連万馬券だ。しかし枠連しかなく、アグネスホープは4着に敗れた1番人気バンブトンコートと同枠だった。「代役」というやつである。だから結果は単勝1、2番人気で決まったのと同じく枠連620円の低配当だった。3千円投資した私は6200円になり3200円の儲け。今だったら嗤ってしまうようなちいさなプラスだが、あのころはまだ価値のある3200円だった。



 別海のテレビで見たサクラショウリのダービーのレース展開を、当時の記憶のままで書いたら、すこし有力馬の位置取りがちがっていたようで、修正となった。そのときに見ただけで、後にビデオを見ていないし、さすがに記憶だけで書いたらそうなるか(笑)。
 民間雑誌だったらそのまま載ってしまい赤っ恥だが、私の競馬仕事はJRA専門なので最強のチェック機関がついている。それはそれはすごいものだ。二重三重どころか五重六重のチェックが入るから、細かなことまで完璧になる。そりゃまあ御本家だから当然だろう。「3コーナー、後方3番手から仕掛けて上がって行く」なんて書くと、「3コーナーでは後方4番手の位置、仕掛けるのは4コーナー手前です」なんて指摘が入る。ここの仕事に慣れるとチェックの甘い民間の仕事はもう怖くて出来なくなる。そのことにすこし甘えている部分は反省せねばならない。



 だから高名なブロガーでありアフィリエイト商人の<きっこさん>のようなかたが、「AJC杯で、とうさんはあたしの奨めたホワイトフォンテンの単勝を千円買い、それが7万円になった」なんて、ちょっといい話も、「ホワイトフォンテンの単勝19倍。7万円にはなりません」とすぐに直される。<きっこさん>のJRAデビューは遠いようだ。



 知らないレースなら調べまくって書くのだが、どうしてもこういう知っているレース、しかも別海で見たという思い出深いレースだと、筆に任せて書いてしまう。そして勘違い発露。赤面となる。

 大阪の枚方の街頭テレビで見たテスコガビーの桜花賞と、別海で見たこのサクラショウリのダービーは、「その土地の思い出」で印象深い。



 サクラショウリは後に皐月賞、菊花賞二冠馬サクラスターオーの父となる。「父子で三冠」だ。
 そのころ日高で初めて種牡馬サクラショウリに会う。かなり気性の荒い馬らしく、馬房に「危険注意」の赤いプラスチック板が貼ってあった。

パソコン話──フロッピーディスクの保存限界──古い原稿全滅の悲嘆

 今年は東京優駿(通名、日本ダービー)が80回目なのだそう。ミスターシービーが勝ったのが区切りの第50回だった。あれから30年も経つのか……。

 2001年に書いた「日本ダービー史(第1回から67回)──1932年から2000年まで」に68回から79回まで(2001年から2012年まで)を書き足すことになった。

 以前の分も訂正が必要だ。たとえば第12回、1943年のクリフジの項には「以後、現在に到るまで牝馬の優勝はない」と書いた。ご存知のように2007年にウオッカが勝っているから、これはもう誤りになる。そういう事実とちがう部分の訂正は当然だけれど、そうでない部分でも、細かな表現で変更したい箇所もある。



 編集部からもらったゲラに赤を入れているうち、「保存してあるはず」の思いがむくむくと湧いてきた。日記や海外旅行記のような私的な文章は、当時フロッピーに保存したが、そのあとCDやDVDの時代になったら、それにコピーしておいた。いまもHDDの中にある。この世にふたつとない自分の宝だから大切にしてきた。それと比すと商業文章は一度商品として売りわたし使命の終わったものだから、そこまで慎重な保存はしていない。
 でもあるはずだ。ぜったいにあるはずだ。その思いが強くなり、探し始めた。

 2001年……、12年前、本格的にホームページを始めた年だ。OSはもうWindows2000だろう。NECの98時代のものだって、それより更に前のワープロのシャープ書院時代の文書だって保存してあるのだから、これはある、必ずある。つい最近の原稿だ。
 押し入れの奥の段ボール箱に封印されているフロッピーディスクのケースを引っ張りだす。100枚収容のプラケースが5コある。約500枚ほどのフロッピーディスクの日附は最古が1986年だった。この中にあるはずだ。あってくれ。祈るようにして探し始める。



 あった。「日本ダービー史 2001年」と書いてあるSONYの3.5インチFDが見つかった。きちんと封をして、清潔な暗所に保管してきたから新品同様である。
 このファイルを読みだせば、細かな修正もパソコン上で出来る。編集部ではいま当時掲載した雑誌をスキャンして67回分を整理している最中だが、これがあればぜんぶファイルで入稿できるから、今後の作業は格段と楽になるだろう。編集者にもよろこんでもらえるはずだ。よくぞとっておいたと自分を誉めてやりたい気分だった。

 あのころのパソコンには、デスクトップ機もノートも、みなFFDが附いていた。いまはない。私のデスクトップ機もUSB接続FFDになった。それを取りだしてフロッピーディスクを挿れる。ウンガー、ゴチッゴチッと読み始める。懐かしい音だ。内容が表示された。
 12年前の連休はこんなことをやっていたのか。

yushunderby






 ところが、フロッピーの中身はこんなふうに表示されるのに、ここから読み込めないのだ。エラーになってしまう。これはくやしい。なんとか復旧できないものか。



 その他、1990年にJ-waveでやっていた「Classy Air Current」という番組の原稿(ナレーターは白鳥英美子さん)なんかも出てきた。私がWindows3.1を使い始めるのは1991年だから、これはNEC98のMS-Dosで書いたものになる。これらもまたことごとく読み込めない。1995年の凱旋門賞観戦記(勝ち馬はラムタラ)もダメ。これをパリで書いたのはシャープのMebiusだった。重かったな。4キロ以上あった。
 もう怖くてチェックする気力が失せた。500枚の内、まともに生きているのは何枚なのか。

 保存メディアとしてフロッピーディスクを信じた私がバカだった。日記や旅行記のようにもっと慎重にコピーしておくべきだった。もう使うこともないだろうとフロッピーに任せたままだった。私のミスといえばそうなのだが……。

 なんとも悔しくせつない春の日になった。外は雨。嵐。

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【追記】──スキャナーで復活して校了──スキャナー思い出話──4/27

 結局、その雑誌掲載原稿を担当の美人編集者Iさんがスキャンして復活してくれ、それを元に作業は円滑に進んだ。
 もしもこれがなかったら、雑誌コピーに赤を入れつつ、なんども郵便で往復せねばならなかった。Iさんに心から感謝する次第である。最初、そのコピー原稿赤いれでやろうと思ったけど、それではまだるっこいので、フロッピー保存が全滅と知ったとき、私は自分でスキャン復活をやろうと覚悟した。でももうそのときにはIさんがそれを始めてくれていた。数日後には第40回までの分が送られてきた。ほんとうにありがたかった。

 ところでこの「美人編集者」だが、これはものかきが編集者に阿るためによくやる手法である。実際はたいしたことのないのでも、内輪受けのためにこんな書きかたをしたりする。私も前々から一度はやってみたいと思っていた。でも私はウソが嫌いだから出来なかった。並以下を最上と書くようなウソはつけない。なによりそれはイヤミになる。不美人は不美人であることを自分で知っている。たまに勘違いしているのもいるが。
 今回やっと出来た。めでたい。うれしい。Iさんは本物の美人だからすんなり書けた。

 といってあらたに知りあったかたではない。25年ぐらい前から知っている。担当してくれたのが今回初めてということだ。当時から、ほんとにきれいな娘さんだった。当然ながらいまは結婚しお母さんになっている。そのかたが自宅で夜鍋仕事で復旧に取り組んでくれたとか。心から感謝している。



 Iさんに関してはいまも思い出す笑い話がある。
 当時、Iさんのうつくしさに惚れたTという同業のライターがいた。
 私は女性の美醜に敏感なほうではないので、Iさんのうつくしさを知らずにいた。あまりにTがきれいだきれいだと騒ぐので、どこにいるのだと言ったら、ある日、見せてあげようとIさんのいる部署に案内してくれた。その会社には珍しく、ほんとにきれいなひとがいたのでおどろいた。

 私がIさんのうつくしさを認めると、Tは我が事のように喜び、大きな声で言った。
「ね、Iさんてきれいでしょ! ほんと、掃溜めに鶴ですよ!」
 しかしそのとき周囲には、その他大勢の女性編集者もいた。そのうちのひとりが激しい口調で反応した。
「掃き溜めで悪うござんしたね!」
 美人を讃美するのはいいが、周囲には気を遣わねばならない。
 あのときの気まずい雰囲気(笑)。でもまあたしかに、その他は掃き溜めではあった。



mp770 スキャンというのはけっこう前からやっている。どれぐらいだろう。CanonのMP770(写真)が出たのはいつだろう。調べる。2004年か。出てすぐにこの複合機を買った。これはスキャナー2台目。
 この5年前にCanonのスキャナー専用機を買って始めたのがスキャン事始めだから、1999年からやっていることになる。12年ぐらいか。

 最初は古い写真をスキャンしてパソコンに収めるためだった。
 父母の古いモノクロ写真を復元し、修正してやってよろこばれた。母は、幼いときの親との写真を大事にしていた。それらを写真屋に出して修正してもらっていたが、そんなのは私のパソコンで簡単に出来ることだった。
 そのスキャナーはフィルムスキャンも出来たから、学生時代の現像していない写真をそこから読み取ったりもして遊んだ。

 文字スキャンもやってみた。
 ただし冷静に振り返ると、私は原稿をスキャンして掲載するような行為そのものは好きではなかったようだ。過去に雑誌に書いた自分の文章をスキャンして復元し、みんなに読んでもらいたい、のような欲求はなかった。私が好きだったのは、「スキャナーという機械とスキャンソフトを使って文字を読み取り、紙メディアの文章をパソコンに取りいれるという、いままで出来なかったあたらしい行為」に触れることだった。いままでやったことのないあたらしい行為をしてみたかったのである。だから何度かやったらすぐに倦きた(笑)。もう長年文字スキャンなんてやってない。

 スキャナーはおバカさんだった。読み取りミスの誤字が多かった。原稿用紙20枚ぐらいの文章を読み取り、500ヵ所ぐらいある誤字をひとつひとつ修正するなら、その原稿の悪いところを直しつつあらたに書いた方が私には愉しかった。そのほうが早かった。
 これは自分の原稿だから出来ることである。他者の原稿を読み取って復活させる仕事だったなら、元原稿とスキャン原稿を見比べつつ誤字を修正しなければならない。そういう立場ではないから出来たことでもある。



scaner-d しかしスキャナーにはまた新しい時代が訪れる。ドキュメントスキャナーによる犲炊瓮屐璽爐任△襦私も手持ちのマンガをずいぶんと自炊した。
 この場合も、自動でどんどん読み取るあたらしいタイプのスキャナーに触れ、単に「あたらしいことをやってみたい」だけであり、小説もマンガも(小説の自炊はまだしたことがないけれど)寝転がって紙メディアで読むのが愉しいのであり、自炊したマンガをパソコンで読むことはないと思っていた。パソコンでマンガを読むなんてぞっとしない。

 ところが今回の支那の山奥40日に、120GB-SSDにあれこれ入れて持参したら、いちばん役立ってくれたのがこの自炊マンガだった。「マスターキートン」「パイナップルアーミー」「ヤング島耕作」あたりが日々の無聊を慰めてくれた。これから海外に出るとき、自炊マンガは必須となる。こんなありがたいものはない。

 なぜ「120GBのSSD」とあえて書いたかというと、とんでもない悪路だからHDDはかわいそうなのである。壊れる可能性が高い。揺れに強いSSDがいいのだ。なにしろ駆動部分がないのだから震動に強い。OSを挿れているのもSSDだし外附けもSSDにして持参した。
 このSSDには映画や「ロンハー」「アメトーク」等も挿れて持っていったのだが、結果は断然マンガだった。映画なんてぜんぜん見なかった。支那の山奥でハリウッド映画を見たって癒されない。やはりそれは読みなれたマンガなのである。

「マスターキートン」を読んでいれば連載当時のビッグオリジナルと、その周辺の自分の生活をを思い出すし、「ヤング島耕作」を読んでいれば、モーニングに連載されていた「課長」時代を思い出す。つまりはその「思い出す時間の流れ」が癒しに繋がるのであって、それはハリウッド映画のドンパチにはない。同じく、ハリウッドに限らず「Outrage」なんて日本映画を見ても同じ。

 これからは安くなった32GBのUSBメモリやSDカードに挿れて行こう。震動に強いし嵩張らないから助かる。まさか単に「あたらしいことをやってみただけ」の自炊マンガが、ほんとに生活を潤してくれるとは思わなかった。とはいえやはり日本じゃパソコンでマンガは読まない。あくまでも外国での癒し専門だけれど。



 話戻って。
 美人編集者のIさんがスキャンしてくれた私の古い原稿には誤字があった。
 私に送信する前に、Iさんが相当に直してくれていると思う。おそらく、そのスキャンだけでは使いものにならないぐらい誤字があったろう。不要な周囲の着順データ等も読みこんでしまうだろうし。
 Iさんにとっていちばんたいへんだった作業は、雑誌をスキャンにかけることより、文字となったそれの誤字修正だったはずだ。それをIさんが直して、それから送ってくれたのだが、それでもまだIさんのチェックを潜りぬけたスキャンミスの誤字があった。
 そしておそろしいことに、私はその文章を全面的に直し、何度も何度も読み返して、そういう誤字も直し、完璧のつもりで編集部に送ったのだが、ゲラがあがってくると、それでもまだ誤字が何個所もあったのだ。あれだけ読んでも、私はぜんぶを直せなかったのである。スキャナーの誤字、おそるべし。

 この流れを考えてみると、スキャナーの文字読み取り精度は、私が初めてやったころからあまり上がっていないのだろう。
 これは最近の犲炊瓩箸牢袷瓦砲舛う話だ。最近のドキュメントスキャナーによる自炊とは、みな「画像にしてしまうこと」だからである。これなら誤字の確立は減る。ページをそのまま画像にするだけなのだから。特にマンガ保存には最適だ。
 しかし今回のIさんがやってくれたことは、原点である文字を読み取ることである。スキャンソフトの精度、というか読み取り能力は、むかしからあまり進歩していないようだ。



 思いつくいくつかを書くと、競馬原稿であるから「」という字がよく出て来る。「8枠からのスタートとなった」のように。この「枠」が「」になったりしていた。なかなか粋なことをする。
 ゲラが上がってきてから誤字に気づいたのに「毛の時代」の「芦」が「声」になっていて、「毛の時代」というのがあった。これは気づかなかった。あとは「順」が「順」になっているのも多かった。細かい文字だからしかたないことだし、これ以上を今のソフトに望むのは酷なのだろう。
 ただしこれらもスキャンソフトが自身の辞書に「芦毛」や「着順」を持っていて、逆に「声毛」や「看順」なんてことばはない、と知覚していれば防げることだ。どうやらそこまではまだ無理らしい。



mg6320「いや、しかし」と、パソコン好きの私の血が騒ぐ。
 これらはあくまでも「スキャンソフト」の問題なのだ。スキャンソフトによって読み取り精度はちがうのではないか。MP770が壊れてしまい、いま私の使っている複合機はCanonのMG6320(写真)である。印刷はカラーレーザープリンターばかりだがスキャンはこれでしている。複合機として値段は5分の1ぐらいに下がったが、ハードとしてのポテンシャルはあがっているはずである。

 ハードのスキャン能力、解像度にも差はあろうが、それはたいした問題ではないように思う。要はスキャンソフトがどこまで賢くなっているかだ。
 MP770が壊れていなければ、2004年当時のスキャンソフトと2012年のスキャンソフト(添附してくるヤツ、なんだっけ「読み取り君」だったか?──いや、調べて「読み取り革命」と知る)に同じ原稿を読ませ、誤字を確認し、どの程度読み取り精度が違うか比べられるのに、残念だ。やってみたかった。10年近いソフトの差はかなりのもののはずだ。
 って、そんなことしても何の意味もないのだけど。でもそんなことが好きなんだ(笑)。



 あとは最終のゲラチェックだけになった。来週中には完成するか。
 S課長とIさんのおかげで楽しい仕事だった。

将棋話──渡辺竜王、阪神競馬場に登場!──競馬話

今日の阪神競馬のメインは、三冠馬オルフェーヴルの登場する産經大阪杯。
昼休みのゲストに渡辺竜王登場。

竜王の予想は、オルフェ→ショウナン→ダーク、トウカイという3連単の2点。当たるかな?
オッズはダークで13倍、トウカイで50倍。

最優秀棋士の発表は4月1日。初の受賞なるか!?

photo

































結果。オルフェ・ショウナン・エイシンで16倍でした。竜王、残念。1着──2着──4着、5着でハズレ。私はもっと残念な結果だけど(笑)。それは【競馬抄録玉】で。

競馬話──今年はおとなしかった<きっこさん>──AJC杯配当のウソ──#鼻カルボ

「4歳のときに父さんと行った東京競馬場」
「そこで見た真っ白な馬」
「あの馬がいいと父さんに言った」
「父さんは人気のないその馬の単勝を千円買った」
「その馬の名はホワイトフォンテン」
「逃げきる真っ白なホワイトフォンテンは、まるで翼の生えたペガサスのようだった」
「単勝は70倍もつき、父さんの千円は7万円になった」
「帰りにレストランで御馳走を食べた。あの日の思い出」

「やがて父さんと母さんは離婚した」
「月に一度だけ会える父さんによろこんでもらおうと、中学生のあたしは毎月いろいろな必勝法を考えた」
「父さんとあたしを結びつけてくれた競馬。あたしは競馬が大好き」
「あの日のレースの名前はAJC杯」
「あの日の勝ち馬ホワイトフォンテンの思い出から、あたしは芦毛が大好き」
「あたしは4歳のときからの競馬好き」

★これも大事だから書いておかないと

「石川喬司先生からメールをいただきました。感激です」
「あたしが4歳のあの日、石川先生も寺山修司さんも同じ競馬場にいたのですね」
「もしかしたら、すれちがっていたかも!」
「結びつきの運命を感じます」



という鼻カルボのべたな大ウソ、へたくそな作り話を、2011年11月5日に、きちんと数字的に証明したので、毎年この時期になるとAJC杯のことで大騒ぎするネカマですが、さすがにその後はおとなしくなりました。今年もひとつだけおとなしくツイートしただけのようです(笑)。

私が書いたのは「単勝配当のウソ」ということではありません。
鼻カルボは父親と一緒に競馬場になど行っていないし、もちろんホワイトフォンテンに関する話もぜんぶウソです。「設定」自体がすべてウソなのです。書いたのはそのことです。
だいたいホワイトフォンテンは、白馬じゃなかったしね。汚いマダラでした。ゴールドシップのようにあの若さで白くなるのは特別です。そのことに関し「より(芦毛の)マックイーンの血を引いている」なんて鼻カルボは言ってますが、マックイーンもその父のティターンも、現役時は白くなかったって(笑)。曾爺さんのメジメアサマは比較的早かったけど。



そのことを書いた長文です。
この時期になってまたアクセスが増えているのでリンクしておきます。
アンチ鼻カルボに教えてあげてください。鼻カルボの競馬的ウソをきちんと指摘しているのではいちばんと自負しています。(クソをクソであると指摘しても自慢にはならんか。)

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競馬大好き<きっこさん>──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当のウソ

今年初の降雪──中山競馬、5レースで中止──いまからおでんで雪見酒

午前中に競馬中継を聞いていたら(ラジオ)、千葉の中山では「雪になるかも」と言っていた。
そのころ、東京都下の西に住む私の地(むかしなら武蔵国であり東京ではない。江戸ってのはものすごく狭い。三鷹あたりのひとが代代江戸っ子って自慢してるのを見るとアホかいなと思う)では、かなりの雪になっていた。横に長い現在の東京ではこんなこともある。

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(写真は最後のレースとなった4レースの新馬戦。この後のレースは中止)

 <きっこさん>のように「買えば当たる」という後出し馬券名人でない私は、中山3レースに手を出して、得意のトリガミ(当たったけど損)をやってしまい、午後までおとなしくしていようと3DSでFE「覚醒」をやりつつ、しばし馬券から離れた。



 2時間後の午後1時、さあてやったるかと接続したら、降雪で開催中止になっていた。

 ヒッジョーに悔しい。財津一郎風に。
 中山が降雪で中止になったことが、昭和50年以降、何度あったろう。私はそのすべてに行っている。初めて今回、逃してしまった。今まで行ったときも、中止になるのが見えているのに、「開催中止」に生で接したく、敢えて行ったのだった。今年も行きたかった。それが自慢になる。ヒッジョーに……もういいか。 

 なんだか大儲けの機会を逃したようで悔しい。降雪でも開催続行されれば大穴を取れた気がする。って、ウソだけど。でも思い出すなあ、場内放送が実況出来なかったあの日。「さて馬群は、向正面にさしかかります、先頭は……見えません。雪で、見えません」だって(笑)。

 ということで、雪の中を、セブンイレブンでおでんを買ってきて雪見酒。
「こんな日もある」。

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【追記】──言葉狩り連中の執念(笑)

 15時からのテレ東の特番競馬中継はメインの中山京成杯がなくなって時間があまる。
 よって、中山にいる岩田を迎えてのインタビュウ特番。

 ジェンティルドンナとのレースを振り返る岩田が、振り落とされたとき、足首を引っぱられ、「大(おお)びっこになり、表彰式のとき、たいへんだった」と言ったので、「こりゃ、くるな」と思ったら、1分も経たないうちに「先程、不適切な表現があり」と詫びていた。イチャモン厨房は命を懸けてるんだな(笑)。「びっこ」ということばを耳にした瞬間にもう電話を掛けたのか。
 しかしあまりに早かったから、たぶんディレクターがMCに言わせたんだろうな。電話の来る前に。

佐川急便嫌い──年末の大切な時期にまたやられました──あれこれ言って非を認めないクソ会社!──レープロ合本のこと

 通販では極力佐川を使っているところからは買わないようにしています。資料を送ってもらう編集部にも、なるべく郵便で送ってもらうようにして、佐川とは無縁のしあわせな日々を送っていました。

 ヤマト運輸をほんとにすばらしいと思うのは、ここのところ事前にメールをくれるのです。たとえばAmazonから買ったら、Amazonが「×月×日×時、商品を発送しました」とメールをくれますが、それとはまた別にヤマトが、「Amazon様からの商品番号××を、×月×日14時から16時までにお届けします」とメールをくれるのです。時間も正確です。なんとも親切でありがたく思います。 佐川とはぜんぜんちがいます。
 と書いて気づきました。私はヤマト運輸の「クロネコ友の会」みたいなもの(もちろん無料会員)に入っているので、もしかしたらこれ、その会員だけのサービスかもしれませんが。



 レーシングプログラム(俗にレープロ)というものがあります。毎週競馬場やWINSで配る出馬表の載ったパンフレットです。
 今年、初めて「有馬記念の翌日」に競馬があります。来年もあります。賛否両論で話題になっています。その24日の月曜日競馬に、レープロ特別号が配付されることになりました。レープロ一年間の読物を集めた豪華なものです。



 今年一年間、私もそれに関わって、「ちいさいけれどたいへんな仕事」をこなしました。
「ちいさい」というのは、現在22あるG1の週にのみ掲載される原稿用紙換算4枚程度の文章だからです。短文です。毎週あるわけでもありません。年に22週のみです。ちいさな仕事です。

 しかしそれは「たいへん」でもありました。ひとりの作家の軌跡をそこに集約するので全仕事を見なければなりません。
 調べに調べて、それこそひとりにつき何十冊もの本を読みます。これがまずたいへんでした。あちこちの図書館通いの日々でした。担当編輯者のYさんも熱心なひとなので、山のように資料を送ってくれます。最初の文は2月のフェブラリーステークスですが、企劃打ち合わせは前年末から始まり、ラインナップが決まると、年が明けるともう正月から毎日のように郵便物の資料が届きました。現在、段ボール箱数箱にあふれています。

 そうして資料を読破し、書き始めると、それだけ読んでいますから、すぐに20枚程度にはなります。今度はそこから4枚に縮める作業です。これがまたたいへんでした。分厚い本を読んだのに、そのタイトルさえ出せないことも多々ありました。これはけっこう悔しいですね(笑)。

 私個人としては、1600字程度の文章は「詩」みたいなものですから、文末の「である」「だった」が連続しないように直したり、「大の競馬ファンだった」なんて安易な表現を、繰り返さないようにしたり、いやはや仕上がるまでにはずいぶんと時間が掛かりました。一篇を仕上げるのに、いったいYさんとの間に何十回メールのやりとりがあったことか。
 そういう「ちいさい」けれど、「たいへん」な仕事でした。



 それが一年分まとめられて本になるのですから大切な記念品です。うれしいです。しかも配付されたレープロでは何個所かあった誤字を直したり、デザインが決まっているのでかなり限定されるのですが、ほんのすこし付けたしも出来ることになりました。 

 たとえば、作家吉川英治はケゴンという馬で皐月賞を勝っています。クラシックホースのオーナーなのですね。
この母系のビューチフルドリーマー系はオーハヤブサを通じて、今も日本のすぐれた牝系になっています。その代表馬として天皇賞馬ニッポテイオー、エリザベス女王杯馬タレンティドガールの名を出しました。
 私にとってはつい昨日のような出来事ですが、若いファンは両馬を知りません。
 タレンティドガールの曾孫に、去年牝馬クラシック戦線で善戦したホエールキャプチャがいます。競馬を知らないひとは「曾孫」と聞いておどろくかも知れませんが、馬の世界ですからね。ほんの20数年の出来事です。

 この名を出せれば、若い競馬ファンも、古い牝系のビューチフルドリーマー系を身近に感じてくれるでしょう。しかしホエールキャプチャは牝馬クラシックで2着、3着はしましたが勝てませんでした。Yさんと、「 せめて何かひとつ勝っていたらなあ」と嘆いたものでした。

 そのホエールキャプチャが、今春古馬になってからG1ヴィクトリアマイルを勝ちました。吉川英治の号が出たのは春先です。そのときにはまだ勝っていません。ですから書けませんでした。
 今回、合本を作るに当たり、せまいスペースにホエールキャプチャの名を入れました。ちいさなことですが、そういう一字一句にこだわって仕事をしている者には、とてもうれしい出来事でした。

 そういうことをいくつかやっています。ですから「一年分を集めた合本」ではあるのですが、配付されたレープロをただ単に集めただけではなく、そういう箇所を修正した、より完成された物になっています。まあそのちがいは当事者しかわからないレベルですが(笑)。

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 前置きが長くなりました。これからが本題です。

 12月20日、木曜日、昼、編輯部に24日に配付するその合本が印刷され、製品として届きました。Yさんがすぐに5冊ほど私に発送したとメールをくれました。不安だったのはそこに「佐川急便で発送しました」とあったことです。なんかイヤな予感がしました。それは当たることになります。

 同じ都内ですからいつも24時間以内で着きます。楽しみでなりません。21日金曜日、私はもう午前10時から印鑑を用意し、受けとる準備をしていました。
 しかし届きません。昼を過ぎ、午後3時を過ぎても届きません。

 私はこのときスキャナーの電源を入れ、合本が届いたらそれをスキャンして、ツイッターで紹介するつもりでいました。大金をかけた豪華本配付なのに、なぜかJRAはあまり宣伝をしていず、一応サイトで告知はしていましたが、知らないひとも多かったからです。(そのスキャン写真は文末にあります。)

 午後5時になっても届きません。いくらなんでも遅すぎます。いつもなら昼に着くのです。
 我慢できなくなった私は、ここでウソをついてしまいます。ツイッターともだちのworukoさんに以下のようなツイートをしました。

 gouhon





 まだ届いていないのですから、「手にしましたがなかなか豪華です」はウソになります。すみませんでした。

 午後6時になっても届きません。いつもは夕方4時に行く晩酌用の買い物を、佐川を待ってここまで我慢していましたが、もう限界です。スーパーに買い物に行くとき、私はドアに「佐川急便様、近所に買い物に行きます。すぐもどります」と貼り紙をして出かけました。
 急いで買い物を済ませてもどりましたが、届いてはいませんでした。

 まだ諦めませんでした。午後9時を過ぎて届いたこともあるからです。早寝早起きなので、晩酌の終った午後8時頃はもう眠くなり、目をしょぼしょぼさせながら、それでも待っていました。しかし届きませんでした。

 寝る前にYさんにメールを書きました。
「Yさんへ。合本が届くのを楽しみに、今日一日外出もせずに待っていたのですが、届きませんでした。佐川はほんとにダメですね」



  翌土曜日。競馬関係者は土曜日曜も出勤します。その代わり、月曜火曜を休みます。
 土曜午前10時、出勤したYさんからメールが届きました。佐川に問いあわせてくれたようです。
「お届けに上がったが、留守だったので持ち帰った」と言われたとか。

 さあ、こうなるとこちらもカッとなります。丸一日待っていて、来なくて、もちろん「不在配達」なんて紙切れもありません。だって来ていないのですから。
「またクソ佐川のおとぼけが始まったのか!」と腹立ちました。25年前からさんざんいやな思いをしています。
木曜昼に発送されているのに、土曜昼になっても、まだ届きません。

 Yさんに「私は一日中部屋にいました。佐川は来ていません。お忙しいところ恐縮ですが、その旨伝えてください」とメールしました。



 Yさんはすぐにやってくれました。すると向こうの事務員は、今度は先程言った「留守だった」を平然と撤回し、「5-28-1や5-28-7に行ったが302号室がなかった」とわけのわからんことを言いだしたそうです。私の住所は「5-28-6」の「302号室です」。なのに何故1や7に行くのか。

 Yさんの書いた私の住所が雨に滲んで読めなかったのでしょうか。それともYさんが書きまちがえたのでしょうか。こうなると「悪いのは誰だ」となってきます。Yさんにも責任が生じてきます。
 でも、なら電話番号があります。電話すればすみます。そのために必ず電話番号を書かせるのでしょう。Yさんは電話番号を書かなかったのでしょうか。それとも番号がまちがっていたのでしょうか。これはこのあと届いたら、確認せねばなりません。住所が滲んで読めなかったのか、書きまちがっていたのか、電話番号はどうなのか。



 ここまで醜い逃げ口上をされるとこちらも引っこめません。私はそれをスキャンしてツイッターで競馬ファンに紹介したいのです。これでは間に合わなくなってしまいます。

 私は申し訳ないと思いつつYさんにもういちどお願いしました。
「送付先がいまだに届かないと激怒している。早急に届けろと、きつく言ってください」

 すぐにYさんはやってくれ、返事が来ました。それによると、
「5分、10分以内に、ドライバーに電話をさせる。必ず16時半までに届ける」とのことでした。そのとき15時でした。



 部屋でじっと待っていました。
「5分10分以内に電話する」とのことでしたが、30分経過、1時間経過しても、電話はありませんでした。

 16時32分にドアがノックされました。ドアを開けて呆れました。
「いやあ結城さん、昨日はどうもすみません」と言った運転手は、今まで何度も私に荷物を届けたひとなのです。どういうことなのでしょうか。私は荷物を引ったくると、まずYさんの書いた住所と電話番号を確認しました。すべて正しく、雨に滲んでもいず、明瞭でした。

 ドライバーは、「雨が降っていたのでこの建物が見えず(ものすごい言い訳だ)、隣のマンションに行ったら302号室がなかったので持ち帰った」と言いました。302号室がなかったら建物がまちがいだとわかるだろうし、そういうときの確認のために電話番号が書いてあるのでしょう。なんという杜撰な言い訳であることか。
「今日になって、ああ結城さんだと思い出したんですが」
バカなのでしょうか。 

 明石家さんまのネタに、遅刻したときの言い訳「向かい風が強かったので」というのがありますが、ほぼ同じレベルです。雨が降っていたので建物が見えなかったって。

 私は声を荒げることなどめったにありませんが、さすがに今回は「なんでおたくの会社はそんなにいいかげんなの」「何回やられたことか」と強い語気で言いました。宅配便にも郵便にも、いつも丁寧に「ご苦労様でした」と頭を下げて言うのですが、とてもその気になれませんでした。



 あまりに不愉快なので、ひとつイタズラをしました。私はふだん「佐藤和也」という筆名を使っているので、当然「佐藤」という印鑑ももっています。そいつの差しだす「ここにお願いします」という「結城」宛の受取証に、私は「佐藤」の印を押しました。指摘されたら、「あ、失礼、まちがえた」と「結城」の印鑑を押すつもりでした。なのにそいつは「毎度どうも」と、それを確認もせず帰って行きました。

 ここで私が「荷物が届かない」と暴れたらどうなるでしょう。「高額な貴重品だ」と言ったなら。
 運転手は「たしかに届けた、ハンコももらった」と言うでしょう。しかし確認すれば、そこにあるハンコは「佐藤」です。「結城」宛の荷物に「佐藤」のハンコをもらっても、それは届けた印にはなりません。やることなすこと、なんとも雑です。



 Yさんに「なんとか届きました」と報告のメールをすると、Yさんのほうからまた「佐川のお問い合わせセンターから電話があり、住所の番地がちがっていたので届けられなかったようですと言われました」というメールが来ました。さすがに温厚なYさんも怒り、「どこがどう違っていたのか正確に報告しろ!」と言ったそうです。Yさんが書いた住所も電話番号もすべて正しいのは、私の受けとった荷物に貼ってある写しで証明されています。

 こんないいかげんな都合のいいことを言って通ると思っているのでしょうか。ドライバーがいいかげんなら、事務所のニンゲンも、みなその場しのぎです。なんというだらしない会社なのでしょう。

 これ、短気なひとなら、「責任者を出せ、出るとこ出てかたをつけよう!」となるでしょう。こちらには正しい住所と正しい電話番号の書かれた写しがあります。明らかなドライバーのミスです。なのに事務方が、それがまちがっていたから届けられなかったと言っているのです。話を大ごとにしたら、あちらは責任者が謝罪に出むくことになります。

 私もYさんもこんなものとは関わりたくないので、そこで終りにしましたが、なんとも呆れた会社です。まあ、利用しないことがいちばんですね。利用したら、必ず不愉快な目に遭います。



 やっと届いたその「合本」の裏表の表紙です。フルカラーで56ページ。無料で配られるものとしては紙質からも最高級の贅沢品です。ぜひ入手してください。有馬記念の日には配られません。24日の月曜日のみです。

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 佐川急便がいかにイヤな会社かは以下にまとめてあります。佐川に立腹しているかたは読んでください。共感できることも多いと思います。不快感を共有しても何も生まれませんが、この会社のだらしなさは今後も追求して行きたいと思います。いやいや、追及なんかしたくない、ひたすら関わりたくない、こんな会社、この世から消えてしまえ、が本音です。



私が今までに書いた佐川急便に関する話。

佐川急便嫌い(2008/1/23)

佐川急便はだめだなあ」という毎度の愚痴(2012/2/5)

佐川急便の問題点──ガラパゴス速報「佐川が嫌がらせしてきた」(2012/3/4)

佐川急便嫌い──なぜこんなに強いのか──もうすこし頑張れよ、ヤマトの営業!(2012/5/11)

アマゾンの宅配業者が佐川からヤマトに!(2012/6/2)

佐川急便嫌い──ヤマトもミスをする、問題はその後のフォローだ(2012/6/18)

佐川急便批判──国民はこの酷い会社にもっと真剣に怒るべきだ!(2012/10/11)

ホッピー話──キンミヤ焼酎との絶品の組合せ──レパートステークス的中記

55hoppy Amazonに注文しておいた55ホッピーが届いた。48本注文したのだが何故か半分24本だけ届いた。でも品薄でどうのこうので遅れると連絡が来ていたので半分だけでも日曜に届いてうれしい。意外。
 ヤマトの運ちゃん、汗びっしょり。重いから。もうしわけない。ごくろうさま。

 東京はどこの酒屋、スーパーにもホッピーはある。レギュラーも黒も。しかしなぜかこのちょい高めの値段の55は置いてない。 

 これはホッピー誕生55周年を記念して発売された、サッポロならエビス、サントリーならプレミアムモルツみたいな一品。麦芽100%。

 私は数ヵ月前に「ホッピーお好みセット」というのを注文し、まぜまぜ3種類のホッピーと専用ジョッキ(これが目的)とポスター(これはいらんけど)とライター(これもいらん)のセットを入手して、初めてこの55ホッピーを飲んだ。うまかった。たしかに。 知らなきゃよかった禁断の味。

 その後はいつものレギュラーと黒。買うたびに飲みたくて55を探したが置いてない。顔じゃないのかと我慢していたが、しんぼう溜まらんと通販で注文してしまった。(「顔じゃない」は相撲用語。かな)




 kinmiyaこれとキンミヤの組合せは最高だ。
 可能な限り思いつく組合せをやってみたが、やっぱりキンミヤに落ちついた。

 関東のホッピーと三重県の焼酎というこの組合せを最初にやったのは誰なのだろう。すばらしい。ほんとによく合う。

 キンミヤは、このラベルデザインが絶讃される。なんともいい。淡色系の明るい色づかいに沖縄のクースーみたいな雰囲気がある。
 といって「すぐれている」とはすこしちがう。むしろ、なんか安っぽいデザインだと思う。でもそれがいい。明るくて、むかし風で。チープでクラシカルなかっこよさ。

 ズブロッカもやった。ウオトカも。ジンも試してみた。
 乙類はやっていない。これはネットでも「まずい」と報告が出ている。やらなくてもわかる。「くさい」のだから合うはずもない。乙類は乙類だけでその香りを楽しむものだ。
 結果はやっぱりキンミヤ。ホッピーにはキンヤミヤだ。

 冷凍庫にホッピー用ジョッキとキンミヤを冷やしておく。冷蔵庫にホッピー。この「3冷」がいい。
 数ヵ月ぶりに55ホッピーを飲むのは、いま冷やしたばかりだから今夜になる。氷は厳禁だからホッピーが冷えるのを待たねばならない。
 オリンピックの陸上を見ながらか。

 関西のひとはホッピーを知らないという。もったいない。酒好きなら一度は味わって欲しい。


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【追記】──イジゲン好きの<きっこさん>を意識してレパードステークス的中!──8/5 17:03

 というわけで、さほど暑くないのだけど、このままではクーラーを使わずに夏が終ってしまうから、かつを刺身を肴に待望の55ホッピーを飲む日曜の午後にクーラーを奮発(笑)。
 ぬるま湯風呂上がりになんとも気持ちがいい。涼しい空気の中で競馬観戦。
 ホッピーには魚よりも揚げ物なんかのほうが合うのだが用意できなかった。日曜は忙しいからしょうがない。

 かつを刺身と、キンミヤに55ホッピーを手に挑む競馬はレパードステークス。3歳のダートG3。しかし後々にまで繋がる重要レース。

 前々から私の本命はイジゲン。父はエンパイアメーカー。フェデラリストの父。いま血統好きなら一番注目する種牡馬。そこは社台、早速もう輸入している。
 しかしこのイジゲンの時点では外国種牡馬。よってイジゲンはマル外。
 ここは来年のダート界の大スターイジゲンの勝ちっぷりを見るレースだ。イジゲン、断然の1番人気。鞍上は大好きな内田。土曜にもう馬券を買ってしまおうかと思っていた。

 が、あの<きっこさん>が、イジゲン本命なのだと知る。芦毛だかららしい。
 よけいなことを知らせてくるネット好きのUという名の友人。



 ということでイジゲンを急遽連対馬から消すことにする。1、2着でなければ馬単、馬連、枠連の対象から消える。3着候補には入れる。
 「イジゲン3連単1着固定」の予定だったが変更。同性同年齢の意地で<きっこさん>と同じ馬は買いたくない。

 なら勝つのはホッコータルマエかナムラビクターしかいない。
 よって馬券は、まずは2頭の馬連。次いで枠連。というのは8枠の人気薄メテオライト(10番人気)に色気があったから。万が一ナムラビクターがこけたとき、これが保険になる。
 それから3連単。2頭の1、2着固定に3着馬5頭という3連単フォーメーション10点。イジゲンが消えてくれた方が配当はいいが、基本的に好きな馬なのだからイジゲン3着は大本線。厚めに買う。

 結果、ホッコータルマエ、ナムラビクターが抜けだして、追いこんできたイジゲンが3着という決着。めったにない会心の結果となる。3着にはメテオライト(5着)を入れていた。これが来ると770倍だったが、それは取らぬ狸。こういう形の本線決着こそが馬券の醍醐味。

 3連単78倍。単勝2.3.1番人気の順当な決着。ただし頭が断然人気のイジゲンだと配当は半分になる。3連単にしては低配当だけど読み筋通りのうれしい高配当。本来なら私はイジゲン1着固定でハズれ、「内田、バカヤロー、なにやってんだ!」と55ホッピーはヤケ酒になるところだった。(註・78倍は私が買ったときの配当。結果は75倍でした。)



 ついでだからと遊び気分で新潟12レースに参戦。3連単でもよかったが、念には念を入れて3連複。儲け分を突っこむ。全額ではなく儲け分(笑)。セコ。以前は全額行っていた。齢を重ねて私もおとなになりました。
 絶対安心のダイワスペシャルがいるので、そこからフォーメーション7点買いで上手に3連複49倍的中。ダイワスペシャルは2着。3連単でも285倍が当たっていた、は未練。これだとフォーメーション30点買いだ。遊びの最終だから、これでほどよい。

 すべては<きっこさん>の「イジゲンが異次元の走りを見せちゃる」とかいう素人タンカに反撥したお蔭。



 いやいや正しくは、<きっこさん>のツイートはいま、会員制とかなんとかになっていてふつうのひとには見られないらしいから、見たいとも言ってないのに、わざわざそんな情報を送ってくるUのお蔭。読みたくもねーのにうぜーなと思っていたけど、今日は素直に感謝。「きっこさんはイジゲンで勝負」と知らなかったら、私はイジゲンの1着固定3連単で負けていた。ありがとう、U。お蔭で馬券が当たりました。配当で一杯奢ります、なんて気はない。だっておまえがそういう情報を送ってくるのはヘビとナメクジのケンカを見たいという下衆な根性だものね。おれはもうあんなのからは手を引いているから踊らないよ(笑)。

 これから今夜は虫の声に耳を傾け、星を見あげ、母さんのかたでも揉んであげようと思います。母さん、5年前に死んでいないけど。

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【追記.2】──うまくなかった55ホッピー──8/6 朝

 これ、正直に書いておかないと。
 Amazonから届いたのが昼前。すぐ冷蔵庫に入れたけど、15時からの競馬観戦時にはまだほとんど冷えていなかった。だから温くて、すごく楽しみにしていたのに、さほどうまくはなかった。ぬるい麦茶みたいなものである。

 いま6日の午前4時。起き出してオリンピックを見ている。冷蔵庫に入れて16時間経ったから、今度はキンキンに冷えていてうまいだろう。楽しみだ。昼に揚げ立てのコロッケでも買ってきて、それを肴に飲もう。

スティーヴィー・ワンダー「Love Songs 20 Classic Hits」──CDウォークマンのころ──坂本冬美の魅力

stevie20 BGMとして歌を聴くことはまずめったにないのだが、先日のJ.D.Southerの「Your Only Lonly」から、当時彼の恋人だったLinda RonstadtsのJazz Album「Round Midnight」を聴いたりして、ここのところまた歌を聴く(聴ける)ようになっている。

 今日はStevie Wonderを聴いた。Media Monkeyを開き適当にクリックした。そりゃまあ本気で聴くなら、傑作の誉れ高い「Key of Life」とかになるのだろうし、個人的には「Master Blaster」が思い出の一枚になる。いやそんなアルバムはないのか、あれはなんだっけ、「Hotter than July」がアルバムタイトル。その中の一曲が「Master Blaster」か。いちばん好きなのはこれになる。



 スティーヴィー・ワンダーと言えば、むかし名古屋から中央入りし、阪神大賞典やダイヤモンドステークスを勝ったステービーワンダーという名の馬がいた。活躍時が1970年だから馬名がついたのは1967年ぐらい。スティービー・ワンダーは1950年生まれだからそのとき17歳。リトル・スティーヴィーとしてもう音楽活動をしていた。つまりジャクソン5時代のマイケルみたいな活躍をすでにしていたわけだけど、この馬主がかなりのポップス通であったのはまちがいない。早くもこの時期にこの馬名である。

 当時地方競馬では馬名に小文字が使えなかった。だから「ステービー」。「スティービー」と書いたら間違いになる。
 今は「ヴィ」が使えるから「スティーヴィー・ワンダー」か。11文字だから馬名は無理。

 大井から中央入りして活躍した馬に「ミサキネバアー」がいる。重賞は勝てなかったが春天でモンテファストの2着している。これもネヴァービート系からとった名前だが、小文字の「ァ」は使えない。だから「ネヴアー」だ。父の名はネヴァービート(Never Beat)と表記され、ちいさい「ァ」があるが、息子はネバアだ(笑)。

 しかしだからといってこういうのを今風に「ミサキネヴァー」と書いてしまったらそれは誤記になる。「ネヴアー」が正しいのだから「ミサキネヴアー」と書かねばならない。



 いま旧い競馬の調べ物原稿を書いているのだが、吉川英治の活躍馬で「チリオ」がいる。中央で13勝した名牝。どう考えても「チリオ」であり、関係者もそう呼んでいたのだろうが、登録上の正しい馬名は「チエリオ」になるから、「チリオ」と書いたらまちがいになる。

 同じく当時は旧かな使いなので、菊池寛の持ち馬の「トキノチカ」は、これも読みはトキノチカイであり、誰もがそう呼んでいたろうが表記は「ヒ」になる。
 これはむしろ「旧かな遣いの時代かあ」と好感を持つが。



steviehotter スティーヴィーのアルバムはほとんど持っているのに、適当にクリックしたので名盤ではなく、寄せ集めアルバムを聴きだしてしまった。結果としてそれがアタリになる。
 念のため、左の写真は私のいちばん好きな「Hotter Than July」。寄せ集めアルバムの写真は冒頭。

 Media Monkeyでチェックすると、私がHDDに収めているスティーヴィーの曲は、731曲、3.8GB。そんな中から偶然にこの買ったことすら忘れていた寄せ集めアルバムを聴き始めた。期待していない。すぐに切り替えるはずだった。

 が、Beatlesの「We can work it out」が流れてきて背筋がゾクッとする。名曲のスティーヴィー流の解釈だ。天才の作った名曲を天才が独自の解釈で歌っている。



 私はBeatlesのこの曲を当時普及し始めた最新鋭家電・留守番電話機(笑)のBGMにしていた。「Life is very short」の部分。
 私はケータイは電話にしか使わないし、着メロはデフォルトのままだが、このころ留守番電話のBGMを毎週のようにチェンジしていたから、「着メロに凝る感覚」はわかる。私が今高校生だったら毎日のように凝った着メロをダウンロードしては替えていたろう。そういう性格だ。

 この初期の留守電は、そんなことをしようと思ったらぜんぶ自分でやらねばならなかった。ふつうの電話機に、外附けで留守番電話機を繋いだ。カセットテープを内蔵した「留守番電話機」はビデオデッキぐらいの大きさがあった。ラジカセから音楽を流し、自分でメッセージを吹きこむ。そのBGMの音楽撰びに凝った。毎週替えていた。つまらんことに時間を使った。でも楽しかった。

 留守電はあっと言う間に普及し、ちいさく安くなった。ふつうの電話機を買うともうその機能がついていて、電子音が受け答えをしてくれる時代になる。短くもはかない「つまらんことに凝った、でも懐かしい時期」になる。

 この「Life is very short」のときに、間違い電話が吹きこまれていた。きれいな声の女で、「あ、間違って掛けてしまいました。ごめんなさい」と謝った後、「でも、とってもステキな曲ですね」と感想を述べていた。性格のよさが出ていた。思わず、もういちど間違い電話を掛けてこないかなと思った(笑)。

 あれやこれや当時の状況が浮かんでくる。



sakamotolovesong むかし、NHK総合の明け方に時間潰しの手抜き番組があった。適当なBGVと適当な音楽を流すだけ。緊急事態が起きたらすぐに対応すると構えているのが見えた。阪神淡路大震災のあとぐらいか。緊張していた時期だったのだろう。去年今年に通じる感覚だ。

 いまはこの時間帯にもしっかりした番組を流しているようだが、当時は毎日3時から5時まで連日そんなのを流していた。当時の私はその時間まで仕事をして、明け方にセブンイレブンまでクルマで行き、おでんとかのツマミを買ってきて、明け方にそれを流しながら、雑誌を読んだりしつつ、一杯やって寝る生活だった。

 手抜きのチープな番組だったがそれはそれで息抜きにとてもよかった。外国の美しいビーチの景色に、それふうの音楽をかぷせる。ブラジルあたりの海辺の保養地の映像が流れたりしたから、NHKの番組ではいちばん露出度が高かったかも知れない。心地良いBGMにビキニの美女の映像だったりするから、とりあえず流しておくのにとても適していた。
 ここで強調しておきたいのは「そのBGVはとてもレベルが低かった」ことだ。どこかから安く買ったのだろうか、その海辺の保養地の、ビキニの美女が闊歩したり、こどもたちが波を被ったりしている映像は、素人が撮ったこどもの運動会のようだった。あまりにへたなので妙に鮮明に覚えている。

 ある朝、息抜きにそれを点けたら、そういう景色にかぶせて、スティーヴィーの名曲「I Just Called to say I love you」が流れてきた。歌っているのは女。聴きほれた。声に艶があり、たまらない。なんてうまいのだろう、これは誰なんだと思った。クレジットを見て仰天する。坂本冬美だった。以来ファンになった。演歌歌手の底力はすごい。アメリカもすぐれた歌唱力の女歌手はカントリー(まあ日本の演歌だ)出身が多い。Lindaもそうだし、LeAnn Rimesも。

 といって私は坂本冬美の演歌のヒット曲はいまだに一曲も知らない。このへんは微妙だ。何度も書いているが紅白歌合戦もレコード大賞も何十年も見ていないし。
 歌手としての彼女の能力を高く評価しているのだが、かといって彼女の典型的な演歌を聴く気もない。

 彼女が日本の名曲をカバーしたアルバム(写真)は持っている。でもこれはかなりの部分「コブシを回しすぎ」と感じる。もっと抑えて欲しかった。あまり感心しない。彼女としては自信を持った今の時期だからこそ敢えて「演歌歌手」を前面に出したかったのか。そんな気がする。以前の彼女のこの手の歌は、演歌歌手であることを隠している感じがした。だから私には「とんでもなくうまい覆面歌手」だったわけだ。いまは全面的になにを歌おうと「演歌歌手の坂本冬美です」と出している。いいのかわるいのか。



stevie2 この「Love songs 20 Classic Hits」というかっこわるいタイトルのアルバムは何なのだろうと調べる。いつどこで買ったのかすっかり忘れている。スティーヴィーのdiscographyには記載されていない。Amazonで調べて、

1963~71年に発表された楽曲の中からセレクトされた20曲のラブ・ソング。CMに起用されリヴァイヴァル・ヒットした「LIFE~ステイ・ゴールド」をプラスしたベスト・アルバム。

 と知る。発売は1985年。スティーヴィーは、シングル「パートタイム・ラヴァー」がヒットした年だ。
 スティーヴィとは思えないようなこどもっぽい声があって、ほんとにスティーヴィなのかと思ったが、13歳なら当然だ。

 左が収録されている曲名。13歳から21歳までのスティーヴィーのアルバムから、彼がカヴァーした他者のヒット曲を抜きだして集めたモノ、のようだ。まだシンガーソングライターとして完成されていない時期だ。

 安易な企画物だが、御本尊が歌唱力抜群のスーパースターだから優れた出来になっている。
 なんて、20数年ぶりに聴きなおして、というか偶然触れて、いまさらのことを言っているだけだが。



discman ということからいきなり記憶が浮かんでくる。CDウォークマンの頃だ。ソニーのあれの初期の名称は「Discman」。私の買ったのにもそのロゴがあった。

 茨城と東京の二重生活をしていた。クルマには10連装CDチェンジャーを詰み、上京帰郷する電車の中ではディスクマンを聴いていた。最新の製品で5万円もした夢の機械(笑)だったから、電車の中で聴いていると、下校時の高校生が憧れの目で見ていたものだ。ほんと。

 競馬関係者は音楽に疎いから、競馬場の記者室でこれを聴いていると、「それはなにをするものなのだ」と質問されたりした。ほんと。

 私はCDウォークマンはこの一台だけ、このあとのMDウォークマンも一台しか買っていない。カセットテープのウォークマンはそれこそ何十台買ったか覚えていないほどだが。
 このあとの90年代がいちばん外国に出かけた時期になる。旅先ではまだカセットウォークマンのほうが便利だったから、最新型のCDからまたそっちに戻っている。欧米ではもうCDの時代になっていたがアジアではまだカセットが主流だった。旅先で5千円もしないまがい物ウォークマンを買い、現地の音楽をそこで購入したカセットテープで聞いた。帰国するとき、タイやベトナムやカンボジア、ラオス、ミャンマーの親しくなった人たちにあげてきた。これがいちばん実践的だった。

 MDウォークマンというのはかなり日本的なもので、当時の若者がやっているのを真似て、私も自分の好きな音楽をMDに編集したりしたけど、そういう「国内的な使いかた」しか出来ず、すぐに厭きてしまった。外国では使い物にならない。MDのソフトなんて日本でしか売ってないし。
 今もほぼ新品のまま残っていて、これも5万円ちかくした高級品だけに捨てるには忍びない。しかし使い道はもうまったくない。こういうのも困ったものだ。

 あのころ、好きな音楽を好きなだけ入れて携帯できる今のiPodがあったらなあ、と思う。旅の楽しみは何倍にもなったろう。私は毎回カセットテープを最低でも30本は持参していた。嵩張った。今ならiPodだけでいい。



 このスティーヴィの寄せ集めCDは、帰郷するとき、電車の中で聴くBGMとして、上野駅構内にあったいいかげんなCD屋(失礼)で適当に買ったものだった。思い出した。割安だったから、出たばかりの1985年ということはない。2年ぐらい経っていたろう。でもワゴンセールの安物じゃなかったな。

 私は明確な意図を持って制作されたオリジナルアルバムが好きだ。これを買ったときは、電車の中で本を読むときの雑音消しBGMぐらいにしか思わなかった。
 それから20年以上経ってあらためて感嘆させられた。十代のスティーヴィに。

 それは、この種の寄せ集めアルバムを楽しめる齢に私もなった、ということなのかもしれない。オリジナルアルバムしか認めないというのは、純粋ではあるがそれはそれで餘裕のない固い考えでもある。幅が拡がったのか堕落したのか、いまだ判らないけど、以前の私はこの種のアルバムを受けつけなかった。

 もっと歌を聴かないと……。

ひさしぶりに見たカルメン・マキの写真──寺山修司の思い出

カルメン・マキが東電に電気代を払わず戦っている?という記事があった。そこに彼女の近影があったので驚き、以下の書き込みをした。

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彼女の近影と17歳当時の写真は【芸スポ萬金譚】のほうに載せた。こちら

カルメン・マキだとデビュウ曲「時には母のない子のように」であり、作詞した寺山修司へと思いは飛ぶ。
よってまた以下の書き込み。

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ツイート内容の繰り返しになるが、朝日新聞の投書欄に「本当に母のいない子にとって、なんと残酷な歌か。このようなものを流してはならない」と載っていたことをよく覚えている。私もそう思った。しかしまた「時には母のない子のように」とは、なんと斬新で衝撃的な発想だろうと、これをやってのけた寺山修司というひとに興味を持った。とぼしい小遣いから寺山の本を買うようになった。「血は立ったまま眠っている」なんてかっこいいんだと思う。高校生時代。私は「書を捨てよ、街に出よう」を手に上京した。

その切り口に感激した「時には母のない子のように」が、じつはアメリカのゴスペルソング「Sometimes I Feel like A Motherless Child」の直訳でしかないと知ったときは心底落胆した。その後も自分なりに勉強して智識が増えるに従い寺山にはがっかりすることばかりだった。

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彼の歌集ももっていた。だが後に盗作を指摘され、本歌との対比一覧表まで発表された。それを見れば盗作は明らかだった。そしてまた私が感激した彼の作品はみな盗作なのだった。それは本歌が優れていて、だからこそ寺山も盗んだのだし、多くの作品から私もそれを選んだのだから、私にもよいものを選ぶ目はあったということになるのだが……。

心に残っている彼の発言に以下のようなものがある。

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この寺山のことばは私にしみこんできた。私も寺山と同じく、有名人のそういう写真を見ると、「とばされたひとり」の無名人に思いを馳せるような面があったからだ。寺山の発想法にちかづいたようでうれしかった。
元々あった資質に憧れていた寺山と同じという感覚が加わり、それからの私は有名人など一切見ず「とばされたひとり」ばかり見るようになった(笑)。

その視点から見えてくる世界がある。私はこどもの時に見た《東芝日曜劇場「ひとごろし」──山本周五郎原作・植木等主演》に影響を受けた。これも「仇討ち=剣術の秀でた勇敢な若者の物語。ハッピーエンド」を「もしも剣術下手で臆病な若者が仇討ちをせねばならなくなったら」という「とばされたひとり」からの発想である。寺山のことばで、その辺の自分の好みがスッキリ整理されたのだった。

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これは寺山の大好きだった牝馬が中央で勝てなくなり地方競馬に移籍したことを書いた文だった。派手派手だったダンサーが落ちぶれて、雨漏りのする田舎のストリッパー小屋で踊っているという落魄。
船橋の森騎手から抗議の手紙が届く。寺山と森は新宿で会って飲む。意気投合する。調教師となった森から手紙が来る。自分のところで馬主になってくれと。それが寺山の初めての持ち馬ユリシーズである。

ここにあるように当時競馬ファンにあいされた「斬新な寺山の競馬文章」とは、極端な光と影で語る演劇的手法だった。これはつかこうへいのあの異様なコンプレックスで語る手法にも通じる。
その「光と影」の設定を間違えて抗議されたのが上記の例。落魄を表現するために「雨漏りのする厩舎」とやってしまい抗議を受けている。その辺、いかにも「机上で語る競馬」なのが解る。だからこそ今で言う「書斎派」の先駆けになった。

ここのところこの「競馬書斎派」は勘違いされている。競馬場に行かずほんとに書斎にこもって競馬を語る連中がいる。寺山も、同じく書斎派と呼ばれた巨泉も一応は競馬場に通っている。今時の引きこもり書斎派とはちがう。



と、五つもツイートしてから、こんな誰も読まないツイートをするならブログに書こう。Twitterじゃ誰も読まないけどブログなら固定読者が読んでくれるのだからとブログに戻ってきた。最初からここに書けばよかった。二度手間。毎度の間抜けな一席。

<きっこさん>初心者の知ったかぶり──ヴの馬名──泉谷への意見

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ブエナビスタ、トーセンレーヴの妹であるジョワドヴィーヴルが11月12日の新馬戦を勝った。そのことに対する書き込み。

ィーォドカも知らないんだな。呆れた。むかしの馬じゃない。現役馬だ。なんにも知らないくせに、なんでこんな高飛車な言いかたが出来るのだろう。「たまんない」はこっちのセリフだ。

競馬や音楽という自分の詳しいものを通すと、このひとの言っていることがまちがいだらけであることがよくわかる。専門知識をもっている多くのひとが同じ事を感じているだろう。このひとの発言はぜんぶ無知の知ったかぶりである。全分野。いっとき話題になった「政治の裏情報」みたいなものも、今ではみな根拠のないフカシであったことがわかっている。

極めて悪質なデマゴーグである。

以下は、東北支援のためのコンサートを企画した泉谷しげるへの意見。放射能恐怖をまき散らしてアフィリエイト商売をしているので、「食べて応援」を泉谷が引っ込めたことがうれしくてたまらないらしい。なぜか親しげに「さん」をつけている。

「泉谷さんは、山のように寄せられた意見や進言すべてに目を通してくれて、中にはムカつく中傷もあっただろうに、ちゃんと誠実に応えてくれた。本当に立派だと思う。偉そうな言い方になっちゃうけど、泉谷さんは今回のことですごく学んだと思う。次は絶対に正しいことをしてくれると信じたい。」

勝ち誇ったかのような高見からの視線。怒りでくらくらする。

競馬大好き<きっこさん>──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???──修正文

競馬大好き<きっこさん>──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???を全面的に書き直しました。一度読んでくださったかたも是非もう一度目を通してください。

これまでもたびたび

・初めての競馬場は4歳の時<父さん>と行った1976年のAJC杯。
・4歳のあたしがホワイトフォンテンを推奨し<父さん>は単勝を千円買った。
・ホワイトフォンテンは勝って<父さん>の千円が7万円になった。


と、ホワイトフォンテンとAJC杯のことを何度も何度も書いてきた<きっこさん>ですが、1976年のAJC杯ホワイトフォンテン単勝配当は1820円であり、千円買っても18200円にしかならないことを確認しました。詳しくは本文で。

競馬大好き<きっこさん>──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当のウソ

以前<きっこさん>は公営ギャンブルを否定し、パチンコのような個人バクチを好んでいました。2年前のエリザベス女王杯で12万円の馬連を100円当ててから突如競馬好きになります。そのことから「ほんとうは幼い頃からずっと競馬好きだったわたし」という設定を無理矢理追加します。

いまではメールで親しくやりとりしているらしい競馬好き作家の重鎮・石川喬司さんを「競馬の師匠」とまで呼んでいます。石川さんも「親孝行」な<きっこさん>が大好きのようです。ここのところ放射能が来るよお、こわいよお、と布団を被ってブルブル震えていた<母さん>は行方不明です(笑)。



<きっこさん>の創作した競馬好き少女の物語。
1976年、4歳の時に<父さん>と一緒に行った東京競馬場が<きっこさん>の競馬の原点です。そこで<きっこさん>さんが薦めた芦毛馬ホワイトフォンテンの単勝を<父さん>は千円買います。レースはAJC杯。

《あたしがまだ4才か5才のころのことで、その日は「AJC杯(アメリカンジョッキークラブカップ)」っていう競馬が行なわれてたそうだ。それで、父さんは、あたしを連れて府中の東京競馬場へ行ったんだけど、レース前にパドックで出走馬を見ていたら、あたしが灰色の馬を指さして「あのお馬さんがいい!あのお馬さんがいい!」って言ったもんだから、父さんは、自分の予想した馬券の他に、その馬の単勝馬券を1000円買ったそうだ。この1000円の馬券が7万円以上になって、そのゴホウビとして、あたしは、帰りにどこかのレストランで、チョコレートパフェを食べたそうだ。》2008年3月29日の日記。

おそらくこれが初出。創作日(笑)。石川喬司さんとのメールやりとりから石川さんや寺山修司を検索し、智識を積み重ねての創作と思われる。いかにも「過去の調べ物をして、こんなの作りました」って感じの駄作。この「物語」も、「ホワイトフォンテンと父さんの想い出」が表だとすると、むしろ裏の「あの日、石川先生も競馬場にいらっしゃったんですね。もしかしたらすれちがっていたのかも」という有名人へのすりよりがより重要なテーマとなっている。

石川さんはこんな話に弱い。ころっとだまされる。優駿エッセイ賞でも審査委員長としてこんな作風に率先して大賞をあげてきた。<きっこさん>はジジーコロガシがうまい。自分もジジーだからツボがわかるのだろう。
でもこの駄文、あまりにベタな設定だ。優駿エッセイ賞に応募しても一次審査で落ちる。優駿エッセイ賞のすべてを知りつくしたグランプリ受賞者の私が断言する(笑)。いや絶大な権力を持つ石川さんの力で無理矢理佳作ぐらいになれるかな。駄文の全文はここにあります。

石川さんをうまくだましたこの話がよほど気に入ったらしく、その後も頻繁に出てくる。厳選した日記のみを撰んだ書籍版にも収めている。私は検索ベタだし何より面倒なのでここにはみっつ(元文をいれるとよっつ)しか例を挙げないが、たぶんもっともっと登場しているだろう。なにしろ原点(笑)だから。

《お待ちかねの「アメリカンジョッキークラブカップ」、略して「AJC杯」がやって来るので、しばらく神秘のパワーを充電してたあたしは、モンローブロンドのような美しい脚でスックと立ち上がり、久しぶりの「エヴァンゲリオン予想」を楽しもうと思ってるんだけど、そんなマチカネタンホイザも1994年に優勝してる「AJC杯」は、あたしが4才馬だった時に、父さんに連れられて府中競馬場へ行き、あたしの「あの白いお馬さんがいい!」のヒトコトで、父さんにホワイトフォンテンの単勝を特券で獲らせた思い出のレースでもある》2010年1月19日の日記。

「設定」は、「成人してからの<きっこさん>が<父さん>に会い、自分の4歳の時の話を<父さん>から聞いた」ということになっている。「きっこがあんまり何度もあの馬がいいって言うから、父さん、ホワイトフォンテンの単勝を特券で買ったんだよ。そしたら70倍もついてなあ」と<父さん>が話したのだろう。という「設定」。

ここで初めて「特券」ということばが出て来ます。当時は200円、500円、千円の三種類しか馬券のない時代、千円券を特券と呼びました。公営ギャンブルの「専門用語」です。

競馬のことを知らないのに、競馬にすりより、じつは幼い頃から競馬が好きだったという「設定」を<きっこさん>は2008年3月から始めるわけですが、このときはまだ勉強不足で「1000円買った」と書いています。2010年1月にはその後の勉強が実を結び「父さんに特券で取らせた」と専門用語を使っています。あ、「らせた」でしたね。漢字に凝る<きっこさん>の文は正確に再現しないと。この辺に<きっこさん>の競馬勉強の成長が見えてほのぼのとしますね(笑)。

《今から30年以上も前のこと、物心ついたころのあたしは、父さんに連れられて行った競馬場のパドックで、白くて可愛い馬を見て、「あのお馬さんに乗りたい!」って言った。あたしの言葉を聞いた父さんは、その馬の単勝を特券で買った。スタートからトップに躍り出た白い馬は、他の馬たちを大きく引き離したまま、空を飛ぶようにゴールした。幼かったあたしの目には、まるで背中に翼の生えたペガサスのように見えた。 父さんの買った単勝の馬券は、7万円以上になった2010年10月24日の日記。

「あのお馬に乗りたい」というあたらしいフレーズが出て来ます(笑)。
空を飛ぶようにゴールした。幼かったあたしの目には、まるで背中に翼の生えたペガサスのように見えた」ってのもベタだなあ。「幼児が競馬を見て感激したらどう感じるか!?」と知恵を絞ってもこれしか浮かばない貧困な発想。というか、こういう表現をすれば本物に思われるという浅はかさ。

《「AJC杯」と言えば、今まで何度も書いてきたように、今から35年前の1976,年、第17回のレースを父さんに連れられて府中競馬場まで観に行ったあたしは、1頭だけで白くて小さかった馬、ホワイトフォンテンをひと目で気に入り、父さんに「★おのお馬さんがいい!」って言って、その馬が1着でゴールを駆け抜けるシーンを目撃した。ちっちゃかったあたしは、「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめての予想的中」ってワケで、あたしの予想でホワイトフォンテンの単勝を特券で買った父さんは、1000円が7万円になったってワケだ》2011年1月23日の日記。

完全な嘘話なので書くたびに微妙に内容が変化しているのが笑えますね。一貫しているのは「千円が7万円」です。

註・★おのお馬さんがいい!」
<きっこさん>は私と同じカナ入力である。「テレ」を「テレ」と誤打鍵するようなのはカナ入力独自のミスだ。この「あの」を「おの」とするのはカナ入力ではありえない。たぶんケータイからアップした文なのだろう。



ミニにタコ(by田代まさし)が出来るほど聞いた<きっこさん>の「ホワイトフォンテン話」だが、当時のことを記した私の資料「中央競馬レコードブック PRC刊」では、ホワイトフォンテンの単勝は1820円になっている。「単勝を千円買って7万円の配当」とはどこから出て来たのだろう。

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左の写真をクリックして、拡大して確認してください。単勝配当が1820円であることがわかります。



成人してから<父さん>に聞いた話という「設定」だが、競馬好きの<父さん>が間違えるはずもない。単勝18倍と70倍じゃあまりに違いすぎる。千円が7万円と18000円じゃ間違えるはずがない。すべてが作り話。そもそも父さん自体が架空設定。

枠連が72倍である。9頭立て8番人気のホワイトフォンテンが1着、前年の菊花賞馬4番人気コクサイプリンスが2着。なんでこんなについたのかというと、その他のメンバーが豪華すぎたからだ。それはこのあとに書く。

そのうちここを読んだ<きっこさん>は話を造りかえるでしょう。本命をコクサイプリンスにして、馬券を枠連にすれば辻褄が合います。そのポイントは騎手の中島かな。

《父さんの本命は前年の菊花賞馬コクサイプリンスだった。なんでも鞍上の中島啓之という騎手が父さんは大好きだったという。大人気のハイセイコーやタニノチカラを破って有馬記念を勝ったのも中島だった。関西馬のキタノカチドキが単枠指定というのになって大人気だったダービーでも、父さんは関東馬のコーネルランサーを応援した。勝てないと思っていたけど、それでも応援した。だって父さんはチャキチャキの江戸っ子だから。とにかく関東馬を応援するのだ。そのコーネルランサーが勝った。キタノカチドキを破ってダービーに勝った。そのときの父さんのよろこび。このとき父さんの中で中島啓之は世界一好きな騎手になった。
去年の菊花賞も断然関西馬有利だったのに中島が穴馬のコクサイプリンスで勝った。成人してから喫茶店であったとき、父さんは中島騎手の想い出を熱く語っていた。その中島さんは、それから数年後にガンで亡くなってしまう……。
コクサイプリンス本命の父さんは、あたしがあまりにホワイトフォンテンを薦めるものだから、コクサイプリンスからの枠連に無視していたホワイトフォンテンを追加した。それが見事的中。父さんの買った千円の枠連は7万円になった。》


とでも直されるでしょうね(笑)。すごく苦しい、かなり苦しい。

だって<きっこさん>は競馬なんか好きじゃなかったんだから。2006年にはこんな文を書いています。

ホラャララ団がやってる闇のカジノとかだって、通常のテラ銭は10%なのに、国が許可してるギャンブルが25%ものテラ銭を取るなんて、 どう考えてもボッタクリだ。

その上、競馬って、八百長が多過ぎる。あたしの知り合いで、競馬雑誌の編集者がいるんだけど、その人から、ある厩舎の調教師たちがやってる八百長の実態を聞いて、あたしは呆れ果てた。

八百長に利用されてる馬たちもかわいそうだし、こんなもんにお金を賭けるなんて、それこそ、北朝鮮に送金するのよりもアホらしいと思った。
2006年7月29日の日記より》

でましたね。ボッタクリに八百長。ボロクソですね。4歳の時の<父さん>との思い出を繋ぐ競馬のはずなのに、中学生の時には毎月必勝法を考案していたほど大好きな競馬だったのに……。これを読んだら石川喬司先生はなんと思うことか……。

得意の「知り合いから聞いた話」も出ました。そんなバカな競馬雑誌編輯者はいません。作り話なのが見え見えです。

北朝鮮に送金するよりアホらしい」ですか。今そこまで否定した「こんなもんにお金を賭ける」に夢中のようですけど。まあ競馬をやらないときもパチンコ狂いで北朝鮮に送金の手伝いはしてましたよね。

冒頭に赤字でみっつ掲載した「ホワイトフォンテンと<父さん>の想い出。競馬大好き<きっこさん>」と、この赤字の「競馬を憎むほど大嫌いな<きっこさん>」。どっちがほんとかと言えばそりゃもちろんこっちでしょう。

以上で本題は終りです。言いたいのは「<きっこさん>がくどいほど書いているホワイトフォンテンの単勝70倍はまちがい」ということ。<きっこさん>は競馬なんか大嫌いであり、それらは捏造だということ。それだけです。



インターネットで、むかしの競馬を調べて知ったかぶりをするのは簡単に出来る。有名馬、大レースに関しては、素人玄人入りまじって名馬物語が溢れている。私もYahooにけっこう書いた。仕事として。それらのエッセンスを呑みこめば、にわか競馬通一丁上がりだ。2ちゃんねるでも高校生が自分の生まれる前の名馬、昭和51年のトウショウボーイのことを「見てきたかのように」熱く語ったりしている。

ところが意外に金額のことはむずかしい。おそらく「逃げ馬ホワイトフォンテンが好きだった」という文章はインターネット上にたくさんあり、AJC杯や連覇した日経賞、あるいは若駒の時のダービー(ハイセイコーと同期)のことを書いた文もあるのかもしれない。両親の名やエピソードも知ることができる。でもAJC杯の単勝が18.2倍だったと書いてあるものは皆無なのだろう。もしあったなら1日18時間ネットをやる<きっこさん>が見逃すはずがない。

Wikipedia等でも着順や出走レースを知ることは出来るが配当はわからない。ホワイトフォンテンはたいした馬ではなかったが「白い逃亡者」と呼ばれた個性派逃げ馬だったからWikipediaにも載っている。でも配当まではない。もちろん日経賞の単勝万馬券のような派手なことは書いてある。だがあのレースの平凡な配当、単勝18倍ということをインターネットで知ることは意外にむずかしい。盲点か。私もそのために仕事用の資料を引っ張りだしてきて確認した。



推測すると、すべてネットから情報を得て知ったかぶりしている競馬初心者の<きっこさん>がライター用の資料である「中央競馬レコードブック」のような本をもっているはずはないから、35年も前のことだし解るヤツもいるはずがないと適当に7万円と吹いたような気がする。単勝70倍と18倍じゃぜんぜん違うが、これぐらいが適当かとやっつけ設定(笑)をしたのだろう。多くの読者がいるのに今まで指摘されなかったのは、そんな古い競馬を知っている読者がいなかったからだ。

そもそも<きっこさん>は競馬嫌いだったから読者にも競馬ファンはすくない。Twitterでも「競馬の話を始めるとリプライが減る」と書いていた。私はその流れを見たいのだが「彼女」をフォローしていないので見られない。ほんとうはフォローして観察すべきなのだろうがどうにもあんな薄汚いものをフォローする屈辱に耐えられない。
運よく誰にも指摘されないから悦に入って何度も何度も平然とウソを書きつらねて来たわけだ。なんとも滑稽である。結果として消せないほどの過失となったから、こちらからすれば大正解だ。1回だけなら直して知らんふりも出来るけど、うんざりするほど同じ事を繰り返し書いているから消せない過去になる。

そんなもの今までにももっともっと大きな事件で山ほどあるが(笑)、ともあれ私は競馬関係者としてこのウソを指摘しておきたい。蛇足ながらもういちど繰り返すが、これは「単に配当を勘違いしていた」という問題ではない。「すべてがウソの話である」という指摘だ。

神戸のロックカフェ.7──最強牝馬Zenyyatta、テリー・リードを聴く5

 いまアメリカでは牡馬勝りの最強牝馬2頭が話題になっている。そのうちの1頭ゼニヤッタ(Zenyyatta)は、14戦全勝内G1-8勝現在G1-4連勝中。昨秋はブリーダーズカップ設立26年目で初のクラシックの牝馬優勝を成し遂げた。獲得賞金は4億。日本のウオッカは13億。いかに日本の賞金が高いことか。ブリーダーズカップも26回か。鳴り物入りで始まった第1回がつい昨日のような気がする。

 ゼニヤッタと聞けば誰もが反射的に思い出すのはPoliceのアルバム「ゼニヤッタモンダッタ」。1980年。来日会見で、記者がスティングに「どんな意味ですか?」と聞いたら、「キミらの方が知ってるだろ」と応えて爆笑になった。そのままの日本語だ。

 この馬名はそれからとっている。それだけなら命名した馬主や関係者がPoliceファン、音楽ファンだという話でしかないが、なんとオーナーであり名付け親はPoliceのプロデューサーだったジェリー・モス。A&Mの創設者なのだ。本物である。

 Policeをプロデュースして成功したことも、友人とふたりの頭文字を社名にして始めたレコード会社が世界的なものに成長したこともうらやましいとは思わないが、この歴史的最強牝馬Zenyyattaのオーナーであることには羨望の眼差し。うらやましくて涎が垂れる。「一国の首相になるよりダービー馬のオーナーになる方が難しいとチャーチルが言った」というのはガセだが、それぐらい最強馬のオーナーになるのは確率が低い。馬主を50年、親子二代で70年やってもダービー馬のオーナーになれないのに、昨年のロジユニヴァースのオーナーのように、馬主を始めて初年度に持った馬がダービーを勝つ人もいる。

 最強馬によくあるパターンでZenyyattaも安馬。ゼニに明かして買った高額馬が活躍したのではない。運のある人はなにをやっても運があるのだなと溜め息が出る。

 というわけで神戸のSさんの影響で続いているささやかなマイブームはまだ継続中。私はもう何年も「歌」を聞いていなかったから私にとってはかなりの珍現象になる。現在のBGMはもちろんPolice。「ゼニヤッタモンダッタ」。私もずいぶんと馬券にゼニヤッタモンダッタ。



 毎週金曜日に友人のYさんと馴染みの店で飲み、共通の趣味である競馬の予想もするのであろうSさんは、そのあとふたりで「ロックカフェ」に寄る習慣が出来たようだ。もうすっかり常連。ロック通。

 先々週は、私がこの「神戸のロックカフェ」で取りあげたアルバムからリクエストしようと思い、ディランの「Desire」をお願いしたとか。とてもよかったとメールをくれた。
 以下は昨日くれたメール。先週の話。





 四字熟語やってみました。『暴走師匠』と出ました(笑)。一字離すと『帰宅宣言』でした。面白いですね。

 先週の金曜日は、ロックカフェでテリー・リードという人のレコードを聴きました。Y が「おすすめありますか」と聞いて、どんなのが好きか訊ねられ、「ジョンメレンキャンプやブルーススプリングスティーンが好きなんです」と答えると出してくれたものです。カッコよかったです。




 「四字熟語」とは下記にある「四字熟語メーカー」のこと。

 う〜む、テリー・リードか。渋い。早速聞いている。ひさしぶりだなあ。
 このひとの「ベストアルバム」ってなにになるのだろう。よくわからない。
 検索したらこんなサイトがあった。詳しい。すばらしい。世の中にはすごいひとがいっぱいいる。

気になるRINGO

 その中の一節。
《1980年代にはセッションミュージシャンとしてドン・ヘンリー、ジャクソン・ブラウン、およびボニー・レイット等と仕事をしています。 》
 みんな大好きなミュージシャンだけど、たとえばボニーのアルバムに参加したりしているのだろうか。ライブのときセッションしているだけでそれは関係ないのか? ボニーのアルバムはぜんぶ聞いているけど、ボニーしか興味がないので参加ミュージシャンを知らない。ドン・ヘンリーはソロアルバムを持っていない。イーグルスとしてしか知らないことになる。その理由は彼の政治活動。まこと思想とはやっかいなものだ。でもSさんから刺激を受けてひさしぶりにテリー・リードを聞いたのだから、ここはドン・ヘンリーのソロアルバムも聞いて、テリー・リードが関わっているのか確認してみよう。もっともヘンリーはドラマーである以上にヴォーカリストだ。同じヴォーカリストのテリーを必要としないように思うがどうか。それともハモっているのか。
 いま聞いているのは{Seed of Memory}という1973年のアルバム。ホーンがいい。テリー・リードはいま60歳か、するとこのときは27歳。さすがに若い。私もこのころはこんな髪形だった(笑)。
 Sさんが次ぎに刺激を与えてくれるミュージシャン名は誰だろう。それまで私のマイブーム勃起は持続するのか。

神戸のロックカフェ.4──清志郎の息子──ミホノブルボンのダービー

 Sさんのロックカフェの話を読んでいたら、渋谷道玄坂のロック喫茶「ブラックホーク」を思い出し、宮益坂のフォーク喫茶「青い森」を思い出し、さらには下北沢で出会った清志郎のことを思い出した。

 下北で飲んで街を歩いていたら、一緒にいたマンガ家が誰かに声を掛けて話しはじめた。知りあいのようだった。午後十時ぐらい。酔顔で近づくとこどもを抱いた清志郎だったのでおどろいた。清志郎におどろいたのではない。こどもを抱いていたことにだ。彼ほど赤ん坊を抱くことが似合わないひともいない(とそのときは思っていた)。奥さんが寄りそい、画に描いたようなしあわせな三人家族だった。そういえば初めてのこどもが出来たとかいう記事を読んだような気がした。酔っていた私は、「いやあキヨシローさんがこどもを抱いてる姿は想像できなかったなあ、ワッハッハ」とか失礼なことをやった気がする。恥ずかしい。

 時は競馬ブーム。清志郎も競馬をやっているとかで、こちらが専門家?と知ると、あれこれ質問された。これもまた意外だった。15分ほどの立ち話。



 そんなことを思い出した昨日、タイミング良くこんなことが記事になっていた。

昨年5月に亡くなったロック歌手の忌野清志郎さん(享年58)の愛息である大学生の栗原竜平さん(21)が、清志郎さんの新アルバム「Baby ♯1(ベイビー・ナンバーワン)」(3月5日発売)にコーラスで初参加したことが、分かった。竜平さんは小さいころから清志郎さんに連れられてステージに上がったり、「子どもの声」でレコーディングに参加したことはあったが、本格的な参加は今回が初めて。

http://www.ntv.co.jp/zoomin/enta_news/news_1610379.html?list=1&count=2



 息子の年から逆算すると、私の出会ったのは18年前だろうか。1992年、平成4年。ミホノブルボンの年だ。ダービーから夢の新馬券・馬連が発売になった年である。50万負けた。勝ったミホノブルボンから行ってるんだから馬連を1万円ずつ総流ししておけば、17万が295万になっていたのに。なにやってんだか。一緒にいたかなざわいっせいは、ミホノブルボンと、世話になっている川上悦夫牧場の生産馬マヤノペトリュースとの馬連10万円一点勝負で同じく負けていたが、充分10万円分の価値のある、ひとに自慢できるハズレ馬券だった。私もミホノ・マヤノは10万円持っていたからゴール前は力が入った。4馬身千切ったミホノブルボンが勝ち、先行したライスシャワーが粘るところにマヤノペトリュースが追いこんできた。流れとしては差し馬有利なのだが、どうにも2着にライスシャワーが残ったような気がして、それでも淡い期待を抱いて、かなざわといっしょに掲示板を見詰めたものだった。
 マヤノペトリュースはハナ差の3着。1番人気のミホノブルボンが勝ったが、18頭立て16番人気のライスシャワーが2着となり、馬連馬券が新発売になった記念ダービーは295倍の大荒れとなった。

 私はバラバラバラバラろくでもない馬連をあちこち買いまくり、なぜか締切直前に「新馬券発売の年はゾロ目が出る」という当時親しくしていた馬券作家・片岡勁太さんの理論を思いだし、最後の小銭で枠連7-7を2千円買い足した。7枠はミホノブルボンの枠だが同枠に4番人気のゴールデンゼウスがいて、これとの馬連はもうたっぷりもっていたのだから、どうせならもう1頭の16番人気ライスシャワーとの馬連を買えばよかったのだ。そうすれば2千円が58万になってわずかだがプラスにしてくれたのに……。

 7-7の枠連が13倍。当たった。50万2千円馬券を買って2万6千円の払い戻し。むろんそれを最終に突っこんでオケラ。馬券歴36年、さんざんみっともない馬券をやって来ているが、このダービーはワーストスリーに入る。恥ずかしくて書きたくない。書いてしまった。



 キヨシローに会ったのはそのころだ。春の東京開催のあとの飲み会だった。下北に行ったのは「競馬盤」という予想ソフトを作っている上野さんの会社がそこにあったからだろう。と、書いているうちにあれこれ思い出してくる。いや、もしかして会ったのは19年前か。となるとトウカイテイオーのダービーの年だ。でもそれを書いても、多少金額と買い目が違うだけで、同じようなハズレ馬券の内容になる。どっちでもいいか。ただ、「キヨシローに会った年」は、トウカイテイオーではなくミホノブルボンのような気がする。

「清志郎 息子」で検索し、以下のニッカンスポーツのインタビュウ記事を見つけた。

 38歳で初めて父親になる戸惑い。生まれてからの愛情。すばらしい記事である。


http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2005/sun050515.html


 私はこのインタビュウにある、清志郎の反体制でいようとする姿勢を支持する。藝人は基本としてそうあるべきと思っている。清志郎も心底からのサヨクではなく、「そうあらねば」と意図しているのが伝わってくる。ぜひとも彼の「民主党という体制に対する反体制ソング」を聞きたかった。

 渡辺えり子に代表されるように演劇人にも反体制は多い。あの種の劇団の伝統?であるし、それはそれでよい。だが彼らはみな反体制というより、単なる「反自民党」でしかない。民主党の体制になったら鉾先がにぶっている。それはおかしい。自分達と考えの違う政府に自民党も民主党も関係ない。サヨクが小沢一郎を必死にかばっているのを見ると笑ってしまう。

 清志郎の「反民主党ソング」を聞いてみたかった。彼は体制になった民主党にどんな態度を取ったろう。典型的アメリカのロックミュージシャンのように民主党を熱烈に支持したのか。確認は叶わない。
 Sさんの記事にあるミッシェル・ポルナレフの話をする予定が清志郎に寄り道したが、これもこれでロックだ。

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【追記】──生きていてくれたら<きっこさん>のことを質問できたのに

 私はこのとき名刺を渡し、後に彼はなんどか電話をくれている。競馬の話だった。
 そのとき彼は私に電話番号を教えてくれたわけではないが、そうして何度かかかってきて話しているから、機械が覚えている。

 ネット世界に<きっこ>と名乗る気味の悪いのがいる。清志郎のマンションに泊めてもらったことがあり、「あたしは、やられてもいいと思ったけど、キヨシローはなにもしなかった」なんて書いている。生きていてくれたら電話してまことかウソか訊けたのに、残念だ。もちろんウソに決まっている(笑)。だって<きっこ>って女は存在しないんだから。オカマの妄想である。

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<きっこ>のキヨシローへの妄想文章

■2004/05/24 (月) 老体ロックンロール 3
あたしは、清志郎さんが大好きで、高校生の時に、大晦日の浅草ロックフェスで会って、打ち上げに連れてってもらって、それから親切にしてもらって、あたしのバンドのライブにも2回も来てくれて、近田春夫さんも来てくれて、渋谷陽一さんも来てくれたんだけど、やっぱり清志郎さんが一番ステキだった。
当時、246沿いにあった清志郎さんのマンションにも遊びに行った‥‥ってゆ〜か、酔っぱらって夜中に行ったら、泊めてくれた。あたしはヤラレてもいいと思ってたのに、清志郎さんは、あたしに何にもしなかった。嬉しいのと悲しいのとが入り混じり、あたしの乙女心は複雑だった(笑)

ひさしぶり、府中へ

 昼、IPATでセコ馬券をやるつもりでいたらIさんから「出て来い」と電話。こんな競馬日和に家にいるとはけしからん、と。

 もう出来上がっている。夜勤明けに朝から仲間と飲んだようだ。先輩の命令なので出かけることにする。
 朝からどうやって飲むのかと思ったらファミレスだという。なるほど、その手があったか。ファミレスなら24時間飲める。酒好きの勤め人はいろんなことを考える。



 冬晴れ。東京競馬場はいい。広々としたターフ。世界一でかいターフビジョン。
 メインの根岸ステークスと最終レースに参加。メインは、パドックでよく見えた藤田ケイアイテンジン、川田スーニを軸に流す。ともに敗れて完敗。逃げたケイアイテンジンが惨敗したあの展開で2着確保のサマーウインドは強い。
 最終はもういちど藤田のキャッツインブーツ本命。相手にカツハルのケイアイプラウド。メインで2番人気のケイアイが負けた。今度は来るだろう。パドックで梶山さんに挨拶。会うのはひさしぶり。
 馬単、馬連、ワイドの三種類を一点勝負。藤田、大きく出遅れる。2番人気だったので場内がどよめいた。ケイアイプラウドが逃げきり、最後の直線、ダートとは思えないキャッツインブーツの凄い追いこみ。届かず3着。ワイドのみ的中。480円。均等買いだったのでこのレースはとりあえず浮いたが……。あの出遅れがなかったらみっつとも当たっていた。勝っていたレースだった。2着に来た人気薄はクラストゥス騎乗。マークしていたので、その気になれば?馬単290倍は取れた。○▲だ。でもなぜかこのレース、一点勝負をしたかった。三種類買っているから一点勝負とは言わないか。



 私はIさんとすこしだけ飲んで帰るつもりだったのだが、Iさんがみんなと飲みたがる。 『日刊競馬』の飯田さん他のいつものメンバーと合流。居酒屋で飲み会。二次会はカラオケスナックで盛りあがる。サンスポの佐藤さんに挨拶。今日と同じくIさんに呼びだされた昨年の府中最後の日、JCの夜は、ここで塩崎さんや清水さんとも会い、異様に盛りあがったのだった。
 飯田さんたちは麻雀へ。Iさんとふたりで三次会をやる。そのあと「新宿、行くか!?」とIさんが誘ってくれる。疲れているのが見えたので自重。私はまだ元気だったがゴールデン街に出たら徹夜になる。朝から飲んでいるIさんはまいってしまうだろう。

 駅で別れる間際、べろんべろんのIさんに「おまえ、出て来てよかったろ! おれのお蔭だぞ! 元気出たか?」と何度も言われる。心遣いに恐縮する。

 東京競馬場の壮大さは心に残った。あれは毎週通っていた時期には感じなかったものだ。大レースではないほどほどの人出もよかった。



 それはまた競馬と遠くなっている今の自分を感じることでもあった。IPAT100円馬券師の今、自分が府中で百万勝負をしていたとは信じられない。金回りが良くなってももうそんな愚かなことはしないだろう。
 それはJRAが4兆円企業にもどることはないということでもある。少額で大穴の狙える3連単馬券等の導入は自分で自分の首を絞めたとも言えるが、健全であり、必然の流れだった。そもそもバクチの胴元が4兆円企業なんてのがまちがいなのだ。売りあげが落ちつづけている今を嘆き、「落ち目の企業」と自虐的に言う関係者もいる。そうではない。脂肪太りの醜い体が正常に戻りつつあるだけだ。それを自覚できず過ぎた夢を追って足掻くのはみっともない。私から見るとまだ肥っている。

ウインズ話・1──IPATとグリーンチャンネルの普及

ウインズ塩釜断念 JRA、採算を不安視 構想13年

日本中央競馬会(JRA)は、宮城県塩釜市新浜町に計画していた場外馬券売り場「ウインズ」の開設を断念することを決め15日、塩釜市の関係者らに伝えた。JRAは断念理由として「売り上げが低迷している上、ウインズよりもインターネットなどで馬券を買う電話投票の割合が多くなり、開設しても赤字になる」と採算上の問題を挙げている。

 JRAの担当者らが同日、塩釜市水産物仲卸市場を訪れ、組合員約150人に開設断念の理由を説明し、謝罪した。

 ウインズは、仲卸市場が市場北側の駐車場など約5000平方メートルの敷地に、集客の目玉として計画、1999年8月にJRAに誘致申請書を提出した。JRAは仙台市にも近く有望な立地場所と判断して、直営での開設を計画。地元6町内会から同意書を集め、県警と交通対策についての協議を進めていた。

 一方で、市民団体から交通渋滞悪化や青少年への悪影響を理由に開設反対の声もあった。(後略)


http://www.kahoku.co.jp/news/2009/10/20091016t13035.htm


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競馬会が宮城県に作ろうとしていた場外馬券売場(以下ウインズ)の建設を断念したという話だから【競馬抄録玉】に書くべき根多(落語家は漢字でこう書く)なのだが、こちらに書くのは、これは競馬的というよりメディア的な話と解釈したからだ。



競馬会の売上が落ちているのは事実である。しかしそれはバブルのころ4兆円企業になったりしたのが異常なのだ。いまも年間売上2兆円台後半を保っている世界一の競馬組織であり、競馬を開催している国すべてが羨む超健全競馬運営組織である。賞金体系とか疑問はいっぱいあるがそれは後の話として。

売上が落ちてきたから塩釜に新ウインズを作らないのではない。作る必要がなくなったからだ。その理由は「IPATというインターネット投票が馬券売上に大きな割合を占めるようになったこと」と「CSデジタル放送のグリーンチャンネルで全レースが家庭で観戦できること」である。

ウインズの価値は競馬場に行かなくても馬券が買えることと、モニターでレースが観戦できることだ。そのふたつがIPATとグリーンチャンネルでまかなわれる。あえて人件費や運営費やあれこれかかる巨大施設を作る必要がなくなったのである。売上が落ちてなかったとしても作らなかったろう。これからの時代、IPATとグリーンチャンネルで競馬をするファンは増える一方であるのに対し、それが出来ずウインズに出かけて競馬をやるファンは減り続ける。競馬場派と家庭派の両極端に分かれ、ウインズ派という半端なひとたちは衰退の一途となる。先を見たら、どう考えてもウインズを作る意義がない。

逆にまた現在のように売上が右肩下がりであっても、IPATが存在しなかったらウインズ建設は続行されたろう。





競馬会の敵はヤクザの運営するノミ屋だった。なにしろここは「ハズレても一割還元」と良心的だ。後払いでもある。しかしそれは大都市部の話だ。ヤクザと庶民はそれほど身近ではない。競馬ファンはそんなものにはあまり近寄らず、ごくふつうに電話投票に縋っている。持っている友人に頼んで買ってもらうのだ。そこにインターネットの普及で一気にIPATが充実した。もうノミ屋に関しては心配なし、と競馬会は判断した。あるいはIPATの普及でノミ屋の売上が激減しているというような調査報告もあったのだろう。

IPATとグリーンチャンネルの普及、それによるノミ屋に流れていた金の激減。競馬会がウインズ建設を断念した理由はそれである。

朝青龍に関する小島太調教師のコメント

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こんな記事が

 出場停止処分が明けて3場所ぶりに復帰となった横綱朝青龍。27日の横綱白鵬との千秋楽の直接対決では、賜杯に届かなかったが、チケットや関連商品の売れ行きは、“朝青龍人気”で好調だったという。時津風部屋のリンチ事件発覚を機に“国技崩壊”と指摘される相撲界を支えているのは、皮肉にも「ヒール(憎まれ役)」だった。

 初場所千秋楽の両国国技館。初日同様、チケットは午前9時10分で完売した。白鵬との相星決戦。制限時間いっぱい。引きつけ合いの後、白鵬の上手投げが決まると、座布団が乱れ飛んだ。

 昨年、夏巡業の休場を決めながらモンゴルでサッカーをするなどの行動が問題視された朝青龍。
 国技館には朝青龍の負けるところが見たかった人も多くいたようだ。

 会社員の神作貴之さん(45)は「負けてすっとした。朝青龍は、日本人的なハート、礼儀、義理人情が足りなかった。相撲にヒールはいらない」。フリーターの水野尾祥子さん(35)も「朝青龍はよく相撲を取っていられるなと思う。今場所の快進撃で、モンゴルに戻ったのは仮病だと思った」。

 一方で、取り組みを評価し、両横綱に惜しみない拍手を送った人も。会社員の数寄真人さん(48)は「力と力のぶつかり合い。いい相撲だった。朝青龍は、スキャンダルを乗り越えた」と興奮しきり。

 自宅でテレビ観戦した元騎手で大相撲ファンの小島太さんは「すごい相撲だった。だが、(今回の盛り上がりは)スキャンダル的な興味もあるだろう。これでお客さんが本当に戻り、相撲人気が復活すれば」と話した。

 朝青龍の“参戦”は、国技館の“経済効果”にも現れた。売店を運営する「国技館サービス」によると、売れ行きは昨年の初場所に比べ1割アップ、昨年の9月場所に比べると1・5倍に。同社の伊藤善隆さん(39)は「『朝青龍弁当』は癖のある羊肉が敬遠されていたが、今回は5割増し」とホクホク顔だ。

 スポーツライターの永谷脩さんは「みんなが負けて大喜びする中でここまで耐えたのは、朝青龍の強さだ」と、朝青龍の今場所の取り組みをたたえた。(MSN産經より)

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00-kanso 2ちゃんねるの「ニュース速報+」で、一読してすぐにこれは「サンスポだな」とわかる。理由は下線の部分。小島太騎手(現調教師)は大相撲中継のゲストにも登場する相撲好きだ。デーモン閣下や野口五郎とならんでの相撲好き。
 その小島調教師にコメントをもらおうという発想、人間関係はサンスポしかあるまい、と思う。わくわくしながら最下段にあるニュースソースの項を見たらやっぱりそうだった(笑)。

 騎手になりたくて、身長が伸びるのがいやで押入の中に閉じこもっていたという逸話のある小島師が大男のぶつかり合いである相撲を好きなのは、北海道という土地柄なのだろう。だがその相撲王国の北海道はいま大不振である。幕内力士がいない。青森ががんばっているのにどういうことなのだろう。アマ相撲の事情は知らないけれど。

その名はシリウス──出て来ない馬の名前──シリウスシンボリ

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 その名はシリウス

 午前一時、作家の木村幸治さんから電話。賑やかな声が聞こえてくる。お店のようだ。いま木村さんは川越で「花明かり」という飲み屋をやっている。
 

「ルドルフの翌年もシンボリがダービー勝ったよね、あの馬なんだっけ?」
 シリウスシンボリと答える。ルドルフが昭和59年、シリウスが60年。
「ああそうだ、シリウスだ。ぼくはあの馬を追っかけてキングジョージまで行ってるのに出てこなくて、いまみんなで悩んでいたんだ」
 

 喉元まで出かかった言葉が出てこないとスッキリしない。木村さんも酔客も誰もシリウスの名を思い出せず、「そういえばぼくの友人に詳しいのがいるから電話してみる」という流れだったのだろう。とりあえず即答できて面目は保った。

 このあたりのことは得意だ。私が忘れるのは近年の馬である。競馬欄に書いた「FさんのQuoカード」で、AFというイニシャルのダービー馬を思い出せず苦労した。
 

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 電話を切ったあと、シリウスの強さ、あの移転騒動のことを思う。稽古でそのシリウスをルドルフは子供扱いしていたとインタビューした岡部から聞いたときの興奮、あれこれと思い出した。当時に思いを馳せているうちに、シンボリとシャダイのマスコミ対策について書きたくなった。これは長文になりそうなのでホームページに書こう。

カレンダー到着

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 カレンダー到着

 

 毎年『日刊競馬』の本紙担当飯田さんがカレンダーをおくってくださいます。今年もそれが今日到着しました。

 2008年用カレンダーの表紙は64年ぶりに牝馬でダービーを制したウオッカです。ウオッカは表紙と5月の二回登場しています。

 二十年前から毎年飯田さんは送ってくださるのですが、じつはそのうち半分ぐらいは受け取っていません。私がチェンマイに出かけてしまい留守になるからです。猫を預かってもらうために茨城に帰ってからは親が受け取ってくれるようになったのですが、ひとり住まいの品川時代は受取人不在でほとんど発送元の本社に戻っていたようです。のちに飯田さんから聞きました。私は気楽に届かない年は送ってくれなかったのだろうと思っていました。汗顔の至りです。

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 トウカイテイオーが惨敗した年に有馬に見切りをつけ、翌年から有馬を見ずにチェンマイに行くようになりました。十二月も半ばを過ぎると急激に航空券が高くなるのでその直前に出発します。カレンダーが完成し送られてくるのはそのころなのでちょうどすれ違いになってしまいます。


 下記の「朝日杯の思い出」も、そういう理由から朝日杯やスプリンターズステークスが年末最後の競馬になることが多かったからでした。
 一時期年末に施行されていた「暮れの風物詩」スプリンターズステークスも遠い思い出になってきました。タイキシャトルから大勝負したら、よりによってラストランで生涯唯一の連をハズされ腰が抜けました。暮れの中山じゃよく腰を抜かし死ぬしかないと思ったものです。いまだに生きていることが不思議です。

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 今年のカレンダーのメンバーは多士済々です。コイウタやサンライズバッカスも登場しています。そのことからもディープというスーパースターがいなくなったことを感じます。

 今年ももうすぐ終り、といくらテレビで言っていても何も感じませんでしたが、このカレンダーを手にしたら、急速にそれがしみこんで来ました。

 

冬の競馬場

◎冬の競馬場


暖かい毎日である。もう春爛漫といっていいのだろう。なにしろ部屋の中でちょっと片づけものをするだけで汗を掻き、ティーシャツ一枚になったりするほどだ。どう考えても二月末、三月上旬の陽気ではない。

東京の桜開花予想は3月19日。ずいぶんと早い。
凍えるほどの冬をさして経験しないまま春になってしまうと冬の厳しさを恋しく想ったりする。
そう想えば真冬の競馬場に通い、身も懐も(笑)凍えたことはいい経験だった。

今年の中央競馬初日は1月6日。激しい雨である。ひどい日だった。せっせと片道二時間かけて出かけた。寒くて震え上がった。館内にいれば暖かい。だが馬は間近で見たい。そうすると雨と風に触れて寒い。震え上がる。だけど馬も騎手もそこにいる。その寒さの中にいる。私は暑さ寒さを馬や騎手と一緒に感じることが競馬の基本だと思っているからここで逃げるわけには行かない。

だから寒いのは当然でありそれでいい。冬なのだから。困ったのは内外の温度差だった。
北京で買ったダウンパーカーを着ている。値段の点から本物かどうか疑わしいがとりあえず日本の寒さはしのげる。そりゃ北京のあれと比べたら東京なんて生ぬるい。

4階席から吹きつける雨の中、パドックを見る。そこまではいい。館内にはいると今度はこれでもかというぐらい暖房が効いている。寒い日だから最強にしているのだろう。暑くていられない。何もしなくてもダウンパーカーの前を開けているだけでは額に汗が滲み出てくる。ダウンパーカーを脱ぎ、それでも暑くていられないのでセーターも脱いだ。薄着である。返し馬を見て、オッズペーパーを印刷し、と慌ただしく時間が流れて行く。なにより脱いだ服が荷物になって煩わしい。

レースが終り、すぐにまたパドックに馬が出てくる。身に行く。今度は寒い。セーターをバッグに入れたままダウンパーカーを羽織って出たがそれでも寒い。しかしこれで館内に戻りセーターを着ていたりしたらそれに時間を取られ、ろくにパドックが見られないので我慢する。なんとも半端でつらい時間だった。

パドックで馬を見ることで最も大事なことは、一定の場所から一定の角度で見ることである。雨風に晒されようといつもの場所に行き、いつもの角度で見ねばならない。暖かい館内からガラス越しに見たりモニターで見たりしたのでは意味がない。なんのために競馬場まで来たのかわからない。
室内外の温度が同じ季節が恋しかった。室外で寒さに震えるから室内の暖かさはありがたかったけれど、あまりの温度差が恨めしくもあった。

というようなことを1月6日の金杯の日にやっていた。しかしこの日は雨の日だった。そこそこ風もあり厳しい状況だったがまだよかった。金杯の3連単12万を当てたことも関係あったろう。

真に厳しかったのは次の日だった。1月7日。この日は厳しかった。雨は上がったがとんでもない強風の日だった。この寒さは半端ではなく4階の外にしばらくいると体の芯まで冷えた。寒さとは風なのだとあらためて知った。北海道などで感じる深々と冷え込む寒さも風がないとそれほどでもないのである。問題は風なのだ。騎手の栄光と苦労を思った。たいへんな仕事である。

これはその後の東京開催でも思い知る。今度は新スタンドの5階である。いつもいつも強風で耳などちぎれそうになった。どれほどの強風だったかは自動ドアのスイッチを切っていたことでも解る。出入りは手動ドアだけだった。それが解らず自動ドアの前で押したり引いたりしている人がいるのが笑えた。私も最初やってしまったが。メインレースで間近に馬を見ようと一階の報道人席まで降りて行くとそうでもないから、やはり高いところは風が強いのだろう。一階まで降りて行くのが面倒で手抜きをした罰とも言える。競馬場に行くと本当に歩き回る。万歩計でどれぐらいか測りたいぐらいだ。健康のためにはいいだろう。

住居ではまったく寒さを感じない冬だった。ガスファンヒーターを点けたのは数回程度である。それも私の場合、一日中で最も冷え込む明け方に起きて仕事をしているのだ。それで17度ぐらいだった。晩秋ぐらいである。すごしやすい。その時間でめったにヒーターがいらなかったということは、もしもまともな時間に寝起きする生活をしていたなら今冬は一度も使用せずに済んだかもしれない。

競馬場に通って高い場所で寒風に震え上がったこと、今の部屋に越してきてからも、深夜に自転車で買い物に行き、手がかじかんだことなどは、異常な暖冬だったからこそいい体験だったと思う。
日当たりのいい今の部屋で室内作業ばかりしていたら、暖冬だ暖冬だと言うだけで一度も寒いと感じないまま冬を越してしまったろう。悪天候の日に競馬場に通ったことは、私なりに季節感を掴むためによかったと思っている。

 

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