ギャンブル

競馬ファンの愉しみ──思い出馬券

 昨年競馬ファンのTさんと知りあった。長年馬券をちびちび愉しんでいるかたである。すでに定年退職し、充分の年金とたまのシルバー人材のアルバイトで悠々自適の生活だ。「あれも当たった、これも当たった」とレース名を出して的中を自慢する。財布の中から的中の100円馬券コピーを次から次へと出してくる。「うわあ、ほんとに馬券上手ですね」と持ちあげ、「あれはどうでしたか」とよけいなことを訊いたら、「いや、あれは……」と黙ってしまった。外れたレースのことは語りたくないらしい(笑)。でもG1では勝負馬券とは別に応援する馬の単勝を100円買い、それらをコレクションしているらしいからロマン派なのだろう。先日は額縁に入れたディープインパクトのG1単勝馬券コレクションを「ぼくの宝物なんだ」とわざわざ持参して見せてくれた。

 素人なので智識は浅く、時折教えてあげたくなることもあるが、でしゃばらないようにしてつき合っている。「素人なので」というもの言いには反感を抱くかたもいるだろうから弁明しておくと、素人でも私なんかより血統に詳しいマニアはいくらでもいる。特に今時の若者にはすごいひとがいる。と同時に三十年も四十年も馬券を愉しんでいるけど、「そんなもんなんもしらん」というひとも大勢いる。Tさんはそんなタイプだった。そしてまた、たとえば将棋は「なんもしらん」では弱いまま負け続けて厭になりやめてしまうだろうが、ギャンブルは「なんもしらん」でもたまに「なんもしらん」からこそ大穴が当たったりするから趣味として長続きするのである。

 Tさんは毎週日曜のメインレースだけを愉しむ。電車の中でカンチューハイの小をちびりちびりやりながら午前中に家を出て、立川ウインズに昼に着くように出かける。お酒に弱いので、それだけでほんのり赤くなるらしい。馬券を購入したらすぐに帰宅し、レースは午後三時からのテレビで愉しむという。こういうひとのためにもあのテレビ番組はなんとかしてほしい。見ていると腹立つ。
 ウインズの雰囲気が好きだという競馬ファンは多い。あの人ごみの中でやることが楽しいのだと言う。Tさんはそうでもないようだ。すぐに帰宅する。馬券を買いに行くだけの往復はたいへんだ。スマートフォンを使っているのだからIPATをやればいいのにと言ったら、「うん、それは知ってる。やりかたも覚えたんだけど、おれはね、この馬券、この紙の馬券を手にしないと競馬をやっている気がしないんだ」と言って笑った。たしかにそういう面ではIPATには虚しいところもある。実感がない。私にも「宝物」として昭和の時代の馬券があれこれある。当たった馬券は払い戻したし、当時はコピーサーヴィスなんてないから、あるのはみな外れ馬券なのだが、このままIPAT馬券師をやっていたら「思い出馬券」はなくなってしまう。思い出は心の中にあればいいのだが、そう言いつつも、「
紙の的中馬券」が欲しい気もする。


 と、この話はTさんとの交友録を書こうと思って始めたのだが、ここで脱線して「思い出馬券」の話にする。思い出は心の中のものであり、私にTさんのようなコレクションはないが、たまたま手元に残った馬券を名刺入れに収めたものがある。それに関する「思い出」はふたつ。

 ひとつは「入れておいたはずのジョンヘンリーの単勝馬券がなくなってしまった」こと。1982年、昭和57年の第2回ジャパンカップにアメリカの英雄ジョンヘンリーが来日した。血統も見た目も悪く50万円という安値で買われた馬が、気性の烈しさから虚勢され、苦難の末に、アメリカンドリームともいうべき大活躍を始める。当時はまだ元気だった寺山修司もさかんにジョンヘンリー讃歌を書いていた。来日時にG1を11勝、もう7歳だったから峠は越えていたろうが、日本の競馬ファンは断然の1番人気に支持した。13着に大敗し、さすがのジョンヘンリーももう終ったのだろうと思われたが、帰国後、8歳、9歳になっても走り、G5勝を含む8勝をあげている。最後は4連勝で引退した。

 記念馬券なんてものを買うタイプではないのだが、なんともこのジョンヘンリーのサクセス物語には心を動かされ、買ってしまった。単勝1000円。勝っていたら払い戻した可能性が高い。的中したのに払い戻さないというほどのロマン派ではない。惨敗だったので保存することにした。といっても引きだしの中に入れておいただけだ。数年前までは確実にあった。いまは行方不明。この昭和57年のジャパンカップのことを書きたいのだが、この思い出馬券がないので書かずにいる。だって説得力がちがう。そのうち出てきたら書きたいと思う。失くしたとは思っていない。その辺に紛れこんでいるだけだ。とはいえ今のように馬名が入ったりはしていない。数字しかないのだが、それでもいとしい。

 例えば写真の1992年のエリザベス女王杯だ。(続く)

近代麻雀「阿佐田哲也」特集号──なぜか「怪しい来客簿」色川武大さんの記事が人気に!?

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 何度も同じ事を書くが、と言いつつこれからもまた何度も何度も書くだろうが、私がブログをやっている楽しみのひとつ、それも大きな楽しみのひとつに、《古い記事が突如「人気記事20」にランクインすること》がある。それはみな、自分は気に入っているが、地味な記事なので、書いた当時べつに好評だったわけでもないものだったりするから、それが何年か過ぎた後、突然読まれるようになったりするのは愕きであり、すなおにうれしい。突如そうなる理由がわからないのがすこし怖くもあるが。

 とはいえそのころは好評だったかどうかなんてわからなかった。ホームページのほうは友人がメールで感想を送ってくれたりするから感覚はつかめたが、ブログにはメールアドレスも掲示してなかったし、そもそも「人気記事20」というパーツがなかった。これを取り入れたのは去年の12月からだが、ずいぶんと楽しみが増えた。とにかくうれしいのは、そういうものはただひとつの例外もなく、私の気に入っているテーマであることだ。

 よいことばかりでもない。不人気の将棋文がひとつランクインしたことがうれしく、将棋ネタに力を入れたら将棋ファンに気に入ってもらえたのか人気記事がほとんどぜんぶ将棋ネタになってしまうという事態が起きた。それはそれで狙ってしたのだからよいとしても、常識のない将棋ファンから無礼なメールが殺到したので、急いで今度は将棋ネタを書かないようにした、なんてこともあった。今も意図的に将棋のことは書かないようにしている。これはそのうち別項でまとめる。ここに将棋ネタを楽しみに来ているかた、そういうことなのです。

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 今回なぜか「怪しい来客簿──色川武大讃歌」という色川武大さん、別名・阿佐田哲也のことを書いた2010年2月の記事がランクインしていた。なぜだろう、わからない。テレビで阿佐田哲也の特集でもあったのか。いやこの文章のタイトルには色川さんの名前しかないからそれは関係ない。「怪しい来客簿」は傑作だけど誰にも好かれる本でもないだろうし、どういうことだろう。色川さんの命日は4月だし、それも関係ない。サブタイトルに「大橋巨泉批判」とあるのだが、彼になにかあったわけでもあるまい。調べてみる。だいじょうぶだ。元気のようだ。

 いま2位だけど、この流れは判る。どなたかが発掘してくれ、なにかがあって20位になったのだ。するとランキングを見て、読んだことのないものだと常連のひとがクリックして読んでくれる。そうなるとあとは面白い内容なら自然に上がって行く。興味のあるのは20位になるまでだ。どなたが何をしたのか。



 理由はわからないけど、なにかのきっかけでこれが発掘され、多くのひとの眼に触れたうれしさに変りはないので、感想を書く。
 この文章には、力を入れて書いた思い出とか、自分の意見を述べた愛着とかは、ない。 あるのはただ「麻雀牌画像を多用した文を初めて書いた──そのたいへんさ、苦労」だけである(笑)。
 いま読み返して、当時の苦労を思い出した。画像はひとつひとつ手作業でアップしなければならない。当時「11PM」で観た麻雀における阿佐田さんと巨泉とのやりとりを再現するために、麻雀の萬子の画像を全部アップし、それを並べて意見を書いた。麻雀ブログでもないのに、我ながらよーやると思いつつ書いた。せっかく時間をかけてアップした萬子なのにこのときしか使っていない。もったいないから今回使うことにした。意味もなく挿れてみる(笑)。

 文末に「近代麻雀が阿佐田哲也特集号を出した。今も持っている。そのうちアップする」と書き、そのままになっている。今回遅ればせながらそれをアップする。


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 昭和52年8月増刊号である。阿佐田さんが亡くなるのは平成元年(昭和64年)の4月だからこの12年後になる。そのとき追悼号が出て、それももっているが、中身はこちらが断然上。牌譜もいい。
 いま検索してみたら、Yahooオークションで1冊出されているようだが、個人のブログで、こんな形の写真の掲載は初のようだ。すこし自慢。

 昭和52年は1977年、あのトウショウボーイとテンポイントの一騎討ち有馬記念の年である。病みあがりのトウショウボーイが逃げきる宝塚記念もすさまじかった。ダービー馬はラッキールーラ。私はカネミノブで勝負した。7番人気のカネミノブは3着。連複しかない時代。3連単があったらカネミノブ軸で取れたな、と今ごろ思ったりする。競馬ファンは年月を競馬で覚えている。この年に産まれた赤ちゃんはもう36になるのか。

 こんな本を未だに持っているひともそうはいないだろう(笑)。ただし私はコレクターではない。逆だ。本の数を誇るのはみっともないと大量の本を捨ててしまい、いまはほんのわずかしか持っていない。恥ずかしいほど。その私が「捨てられなかった大切な一冊」だ。大江健三郎の初版本など全部捨てたが、これは捨てられなかった。捨てようと思ったことすらなかった。宝物である。

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 なぜいま「再読 怪しい来客簿」が人気なのかさっぱりわからないが、まさか悪い意味での注目でもあるまい。よいほうだと解釈してすなおによろこぶことにしよう。

再読「怪しい来客簿」-色川武大讃歌(というか阿佐田哲也の麻雀の話)──大橋巨泉批判5

「怪しい来客簿」を読みかえしている。ひとつずつ、じっくり。色川さんのようなすごいひとと時代を共に出来たしあわせを感じる。私の見知っているのはほとんどの部分「麻雀新撰組」の阿佐田哲也だけれど。



 ここ十年の何度かの引っ越しで本とCDをほとんど捨てた。八割りぐらい捨てた。いま持っている本は段ボール箱で10箱もない。しかもみな押し入れの中。引っ越してきてから整理もしていない。私の部屋を見ても誰も私が読書好きとは思わないだろう。CDも200枚ほどあるだけだ。これまた音楽好きとは思えない。3000枚ぐらい捨てた。でもそれはみなmp3に変換してHDDに入っている。念のためコピーを取りふたつに入れてある。
 その数年前にLPレコードを500枚ほど捨てた。聴きもしないものをもっていてもしょうがないと判断した。捨ててから金になるのだと知った。学生時代から一枚一枚爪に火を点すようにして買い集めてきたレコード群である。聴きもしないのにとっておいたのはそういう経緯だからだ。大事にしていたので美麗。名盤珍品揃い。ヤフオクとか名前を知っている程度。関わったことがない。そもそも自分の物を誰かに売るという発想がなかった。しかし後々安く見積もっても30万円ぐらいにはなったと知り、もったいないことをしたと悔いた。引っ越しの際、燃えるごみとして路上のゴミ置き場に山積みしたけど誰かが持っていったのかも知れない。



 残ったものは、本もCDも私にとっての本物になる。この昭和52年の初版本もその一冊だ。薄汚れたシミすらいとしい。何度も読みかえした愛読書、というわけでもない。ただ保っていただけだ。とはいえ大量に本を捨てまくった引っ越しの際も、この本を捨てようと思ったことはない。色川さんとはそんなひとだ。いてくれるだけでいい。

 上の元本は「話の特集」刊。いまは下の文春文庫であるらしい。知らなかった。いつもなら表紙写真はAmazonでもらってくるからこの画像になる。ここはひさしぶりにスキャンした。文庫本しか知らないひとはここから元本をコピーしてゆくといい。私も貴重な初版本の表紙を、見知らぬかたのブログからコピーさせてもらうことがある。たまには恩返ししないと。

 ところでAmazonから借りてきた下の写真。よくみると「著作権保護コンテンツ」と上下二ヵ所に入っているのが読める。著作権保護のため、いまはこういう本の表紙にもこんな文字が入っているらしい。





 これまた読むたびに納得し心新たにする阿佐田さんの名著。これ以上の麻雀戦術書を知らない。



 これもスキャンした画像。1989年発刊だからちょうど色川さんが亡くなった年にこの文庫本は出ている。双葉文庫。元本も保っている。押し入れの段ボール箱の中。学生時代からの愛読書。

 麻雀の戦術書だが、阿佐田さんの言うことは勝負事における心のありかたである。人生指南の書とすら言える。

 阿佐田哲也の語る競馬を読みたくてずいぶんと読み漁った。色川さんは競輪ファンであり、競馬はほとんどやらなかったので、残念ながら競馬に触れた文章はすくない。あの当時、完璧なライン読みをして、「110円の配当に百万円賭けて10万円儲ける」のが競輪だった。そんな勝負をしていた阿佐田さんにとって不確定要素が多すぎる競馬は博奕ではなかったのだろう。私はその頃からその解釈に納得していた。私は競馬と馬券が大好きだけれど、それは博奕としていいかげんだからだ。




「11PM」に阿佐田さん、小島さん、古川さんが出ていた時代を思い出す。なつかしい。

 意見が異なり、キョセンが顔を真っ赤にして絡むほどに一流と三流のちがいがわかっておもしろかった。といってキョセンを否定していたのではない。彼の言うのは正論だった。対して阿佐田さん達の言うのは実戦論だった。キョセンの言うのが常識的な正論だからこそ阿佐田さん達の凄味が光った。

 今も覚えている「11PM」の麻雀教室の一シーン。

 いらないがある。順も早く常識的にペンチャンメンツを嫌うところだ。から切るべきとキョセンは言う。三人も同じはずと思っている。だが小島さんはを切るという。キョセンが気色ばむ。こんな早い順目でペンチャンメンツを確定するのは無意味だと。をもってきてにくっつけば両面待ちになりタンヤオもつく。万が一を切った後をもってきてしまってもカンで待てる。どう考えても切りが正しく切りは邪道だと。

 しかし小島さんは、ここはを切るべきと譲らない。三色や一通のような役につながる可能性はない。あくまでもリーチドラ1程度の役だ。ならここはタンヤオを捨てても切りだと。

 寡黙な阿佐田さんと古川さんは黙っている。

 興奮したキョセンが問う。「を切った後を持ってきたらどうするのか」と。小島さんが応える。「ツモ切りする」と。キョセンはますます激昂する。をもってきたら、それを残してを切りカンに受ける。すなおに「を残しておくべきだったか」と反省しつつ。

 小島さんが言う。「を切っておけば、リーチをかけたときペンが出やすい」と。

 キョセンがあなたはどう思うかと古川さんに問う。モソモソっとした古川さんが、「わたしもを切ります」と言う。「あんたらプロは単なるひねくれ者だよ。確率を無視してるじゃないか」。納得できないと声を荒げたキョセンは、あんたはどう思うと阿佐田さんに問う。新選組隊長は自分と同じと信じている。半分寝ていた阿佐田さんが、あのギョロッとした目をむいて、「まあ、なんというか、その、こういう手牌だったらを切りますね」と言い、キョセン絶句。はい、コマーシャル。



 キョセンの言っているのは確率論だ。たしかに両面になれば待ち牌は倍になる。つもる確率も増える。でもひとりでつもるより三人に出させた方が確率は高い。三人に振りこませるためには、と切っての待ちより、と切ってのペン待ちの方が「確率」は高いのだ。それがキョセンには理解できない。さすが麻雀名人を自称しつつ公開対局には絶対に出て来なかった人である(笑)。

 でもいまはキョセンに感謝している。キョセンが自分の番組に呼んでくれなければ、阿佐田さん、小島さん、古川さんを見られなかった。なんのかんのいってもそれはキョセンの功績なのである。

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「怪しい来客簿」の話なのに中身にはまったく触れず「11PM」の思い出になってしまった。まあこんな凄い本、私なんかに書評は出来ない。Amazonのレビューを覗いたが、ここまで誉められている本もめずらしい。色川ファンは多い。

 色川さんは演芸通だった。談志が兄貴と慕い、あの口の悪い男がおとなしい弟分に撤していた。談志本を読んでいて色川さんが出て来るとうれしくなる。みな兄貴に一目置くような話ばかり。男としての度量が違う。

 文壇もそう。作品などほとんど発表していないのにみんなに注目され、作品を待たれ、すこし書いたら早速これが泉鏡花賞、次の「離婚」で直木賞。審査員クラスがあげたくてあげたくてしょうがないという感じの受賞だった。人徳である。馬で言うなら、春にサンケイ大阪杯、秋に天皇賞と2戦2勝だけの7歳馬が、クラシック二冠の3歳馬や天皇賞(春)、JCを勝っている4歳馬がいるのに圧倒的多数で年度代表馬になったようなもの。そんな感じだった。享年60歳。もう21年になる。

 「近代麻雀」は、昭和52年に「阿佐田哲也特集号」を、阿佐田さんが亡くなった平成元年に「追悼号」を出した。紙質のわるい増刊号だが、それまで掲載された様々な対局の「雀譜」が掲載されている。ほれぼれする。茶色でぼろぼろになっているが今も保っている。宝物だ。

 昭和を偲んだ夜だった。

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【追記】──2013/9/17

 なぜか2010年2月に書いたこの文がいま「人気記事20」に入ってきました。理由はわかりませんがうれしいです。(理由を知って残念になることがありませんように!)

 そのことをこちらに書きました。

 上記の「阿佐田哲也特集号」の画像を貼っておきます。昭和52年2月発刊の「近代麻雀増刊号」です。

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【追記.2】──2013/9/18

 JRAのサイトに、昨年レープロに書いた「競馬を愛した人々──阿佐田哲也」がアップされていますので、よろしかったら読んでみてください。
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