野田聖子

子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う──【追記】─「たかじん」で知った高田夫妻と代理母のこと

「子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う」への【追記】文である。

 正しくは、【追記】というか、あとから知ったことを書き足す「修正文」のようなものになる。当然「子は親を選べない」の項目に書きたいのだが、それが出来ない。

 このライブドアブログのひとつの記事の字数制限は15000字である。これを1文字でも越すとアップできなくなる。さすがにそれは原稿用紙換算40枚だから、今までにそこまでの長文を書いたことは数回しかない。その数少ないそれがこの文章になる。
 字数オーバーでアップできなくなり、100字程度ずつ削っては様子を見つつ、なんとかアップできたのがあの文になる。つまりあの項目には、追加出来るのはもう100字ぐらいしかない。甚だ不本意ながら、こちらに別項とする次第である。



 先日、「たかじんのそこまで言って委員会 2013年1月21日放送 まじめに命について考える」をネットで見て、知った事実についてだ。

 そこでは野田聖子や高田延彦夫妻のような「他人の躰を借りて命を作ること」を論じていた。
なぜかより悪質な野田聖子のことには触れず、やたら高田夫妻が取りあげられ、名前が連発されていた。

 高田夫妻のそこに到る流れや、出産後のことも取材したひとが出ていて、私の知らない生々しいことを教えてくれたので、追記しておかねばと思った。



 私は上記の「子を選べない」で、野田聖子を批判した。その野田との比較から、精子も卵子も自分達のものである高田夫妻のことは割合好意的に書いている。そのような子作りに賛成なわけではない。いやはっきり反対だ。でも野田聖子の自己満足鬼畜の所業と比べたら、まだまし、という視点である。

 しかしこの「たかじん」に出演したかたの取材によれば、高田夫妻の場合もそんなきれいごとではなかったようだ。この問題に関して自分の意見を書き、高田夫妻の名も出しているのだから、私もそのことはぜひ追記せねばならない。



 そのかたによると、高田夫妻のこどもを産むことを引き受けた代理母のアメリカ人女性はとても小柄だったとのこと。そしてまもなく胎児が双子であることが確認される。その小柄な女性はあまりに負担が大きいから、片方を中絶してくれと高田夫妻に願ったそうだ。それを高田夫妻は拒んだとか。

 小柄な女性が双子を産む苦痛に耐えかねてそう願ったのもわかるし、やっと授かった生涯一度のこどもが双子であり、いちどにふたりも子宝に恵まれるとわかった高田夫妻が片方の中絶を拒んだ気持ちもわかる。

 そのかたは高田側から女性に渡った「代理母料金」が20万ドルとも明言した。アメリカ人女性は50万ドルの借金があり、それの返済に充てたというようなことも語っていた。言うまでもないことだが、代理母は善意とかではなく金のために引きうけた犹纏瓩任△襦



 どろどろとした現実であり、とてもきれいごとで語れる世界ではない。
 2003年11月に生まれた高田夫妻の双子が帝王切開であることは知っていたが、代理母が片方にして欲しいと願ったこと、高田側がそれを拒んだこと、そのことによって帝王切開にならざるを得なかった流れは知らなかった。
 また、この代理母が出産するまでがドキュメンタリーとして日本でテレビ放映されたことも知らなかった。まあ、高田夫妻が記者会見したりして、それが話題になっていたころ、私はそれから目を逸らしていたから当然か。考えたくない話題だった。



 高田夫妻の話題は、ひととして許されることなのかどうか、考えたくない、「触れたくない出来事」だったが、野田聖子の場合は怒り心頭で、「触れずにはいられない事件」だった。それを喧伝する野田の行為も含めて。

 日本の法律は、「分娩した女が母親」としている。だから自分の卵子とは関係なくても野田聖子は母親と息子と認められ戸籍に記入される。自分達の精子と卵子でありながら、高田夫妻は認められず、最高裁まで争ったが敗れた。

 そういうことが不可能だった時代の法律にいまだに縛られているのは愚かである。
 といって、ここは誤解しないで欲しい。私は高田夫妻の味方をしているのではない。これは、法改正をすることなく、旧態依然の法律でかつて存在しなかった事例を処理しようとする裁判所への批判である。



 高田夫妻の子も今年10歳になる。むずかしい時期に差し掛かって行く。これからどんな結論になるのだろう。裁判所は、戸籍的に代理母の子となっている男児二人を、養子にしたらどうかと薦めた。どうなったのか。

 ともあれ、父として母として、ふたりはこどものために強い精神と教育方針を貫かねばならない。それはこのような方法で子を得ると決めたときからの宿命だ。がんばってほしい。

「子は親を選べない」という拙文は野田のことを論じたものだが、高田夫妻の名も出している。あらたに知った智識を追記する次第である。



「たかじん」を見た素直な感想として、芸能人として世に出ているからか、精子も卵子も自分達のものということがわかっている(ひととして、比較的罪が軽い?)からか、眦追弸覆鯀箒未傍鵑押∈任睫簑蠅魎泙鵑任い襪呂困慮人の野田に触れない姿勢を不自然に感じた。政権与党の役職にある政治家だからだろうか。すくなくともそう感じさせる番組作りであり、ひさびさに不満を感じた内容だった。

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【追記】──特番があったらしい──2013/4/28

 ここ数日、このブログで一番アクセスが多いのは「野田聖子」に関する記事だ。
 何事があったのかと検索したら、すこし前にフジテレビで特番が流れたかららしい。いかにもウジテレビらしい追っ掛けだ。死ぬまで追い掛けるのだろう。
 もちろん私は見ていないから知らないし、今から動画倉庫で見られるとしても、見る気もない。
「金を払うから取材として見てくれ」と言われても断る。近寄りたくない。

 その検索の中で、あのかわいそうなこどもは「気管切開で声を失った」と知る。一生もう声は出ないのだ。なんともたまらん気持ちになる。
「最近は元気になってきて、母親を蹴ったりもする」とか。
「なんでこんなにおれを苦しめるんだ」と憎しみで蹴っているのではないのか。

 野田聖子のやったこともたまらんが、こんなもので視聴率を稼ごうと特番にしているテレビ局の姿勢もたまらない。たしか野田の「持ち込み企画」のはずだ。どこまで腐っているのか。

野田聖子先生、出産と子育てについて語る──死にかけてる子供がいるのに仕事をするのはツラい

自民党の衆議院議員野田聖子先生が出産と子育てについてインタビュウにお答になった。
記事はこちら

――10年間にわたる不妊治療は苦行でした?

野田:塗炭の苦しみね。最初は普通妊娠を目指していたけど、なかなかできないから、不妊治療を始めて。漢方薬を服用したり、排卵を誘発する注射を打ったりで薬漬け。
この注射は、“アレ”の10数時間前に打つので、当時の夫に「今日は早く帰ってきて」と強要してしまう。すると、「俺はお前の子供をつくる道具じゃない」なんて言われて


――“同業者”から批判されたことはありました?

野田:表だって言わないですよ。ズル賢い人たちですから。

――「障害を抱えた子が生まれるのを承知で子供をつくるなんて、エゴだ」と、だいぶ批判もあったようですね……。

野田:出産自体、エゴじゃない? 子供の側から見れば。親がエッチして、世に送り出されちゃって。ネット掲示板に「基地外」だ「ババアは引っ込んでろ」だの書かれたときは、ずっと泣いてましたよ。何だか日本人が汚く見えて。

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 野田先生もネット掲示板をお読みになったりするのですか?
 そうですか、ずっと泣いていたのですか。日本人が汚く見えたのですか。
 出産自体、エゴなんですか? 親がかってにエッチして作るのですか? こどもみたいなリクツですね。それだけ先生は純粋なのですね。
 不妊の苦しみを一緒に語れる三原じゅん子議員は親友ですね。
 同業者ってのは同業の政治家のことですか?
 そうですか、ズル賢い人たちなのですか。
 障碍児の子育てと国政の両立はたいへんですね。

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野田:私だって死にかけてる子供がいるのに、仕事をするのはツラいですよ、本当に。

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 岐阜県民のみなさん、野田先生を子育てに専念させてあげてください。これ以上先生を苦しませないでください。
 「死にかけてる子供がいるのに仕事をするのはツラい」と先生はおっしゃっています。みなさんの力で楽にしてあげてください。先生を死にかけてる子供の子育てに専念させてください。よろしくお願いします。先生を子育てに専念させてあげる力は岐阜県のみなさんだけがもっているのです。

kanren6
「子は親を撰べない──野田聖子議員の子作りに思う」

「子は親を撰べない──野田聖子議員の子作りに思う──【追記】眦追弸覆里海函

野田聖子が総理大臣になる日!?

自民“野田政権”なら少子化相は進次郎氏

 昨年1月、50歳で第1子を出産した自民党の野田聖子衆院議員(51)が22日、5年ぶりに衆院予算委員会で質問に立ち、持論の少子化対策を展開した。「仮に『自民党の野田政権』になれば、少子化担当相は女性にこだわらず、小泉進次郎議員を据えたい」と、政権交代後の総理総裁への意欲や進次郎氏の入閣プランにまで言及した。(ニッカンスポーツ)

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野田聖子が総理大臣になる日が来るのなら、おれは創価学会に入信してカンボジアに国籍を移しオリンピックを狙う。

この鬼畜は本気で総理大臣になる気なのか!? なれると思っているのか!?

たしかなのは、命を玩ぶあの鬼畜の所業で、自分が国民的人気を高めたとかんちがいしていることだ。

kanren6
子は親を撰べない──野田聖子議員の子作りに思う

粉雪の朝──Google急上昇ワード、野田聖子1位!

 いつものよう午前3時起床。
 さほど寒くない。暖房いらず。薄地のダウンジャケット。膝掛けで十分。ほんとうに冷え込むと身体はだいじょうぶでも指先がかじかんでキイボードが打ちにくくなる。それもない。快調。

 編輯部から送ってもらった資料分析。戦前の調べ物。古い資料を読む。印象的な部分を見つけたら蛍光ペンでチェック。テキストエディターにメモ。
 戦前のかな遣いは、しっかり「政治」は「せい」なんだねえ、今の醜悪な「せい」じゃなく。あたりまえのことだけど、今更ながらあらためて感心する。
 サトウ・ハチローの書いている「おや」も新鮮。「親父」の「ちち」の濁りなんだから、「おやじ」じゃない。「ぢ」だよね。むかしの正しかった日本に触れてうっとりする。



 いま6時半、だんだん明るくなってきた。
 東京西部は今日も粉雪。さらさらと雪が舞っている。

 Google急上昇ワードは昨夜21時に眠るときから今に至るも「野田聖子」が1位。
 昨夜の番組は話題になったのか。良くも悪くも注目はされたようだ。

 見たくもないものを見かけてしまい、戦前のサトウ・ハチローの世界から現実の野田聖子の世界に引き戻されてしまった。



 私の知る限り、番組放送前から私と同じように野田のやったことには批判的なひとが多かった。刺々しい自分のことばづかいを反省しつつ、それでも書かずにはいられなかったのだが、そんな私が苦笑するほど、もっともっと激烈なことばで野田を罵倒しているひともいた。

 そんな中、「番組を見ながらのTwitterでは野田さんを擁護するひとが大半だった」という情報を見かける。まあ、ソレをどんと出されて、ヨヨヨと泣いたりすれば、そっちに流れるひとは多いだろう。病気の赤ん坊の映像はつよい。とんでもない映像であることは想像がつく。全身チューブだらけの……。まともなら生存できない物体を現代医学の力で無理矢理生存させているのだから。
 それは野田を支持するというより、それを見て、気持ちよく泣いている自分の肯定でもある。



 私はここで野田の出自から来歴、過去のハナヤカナ実蹟?を羅列してどうこう言うつもりはない。
 ただ、こんな問題を起こすひとは、元々そんなひとだということは指摘しておきたい。
 ふだんは常識的なとてもいいひとが、唯一いきなりとんでもないことをしたのではない。いかにもそんなことをやりそうなひとがやっただけの話である。その意味で辻褄はあっている。

 その番組などもちろん見ていないが、視聴率はどうなのだろう。
 よかったらフジテレビはまちがいなくパート2を制作する。それこそ「大家族シリーズ」だかなんだか、あんな感じで毎年恒例のシリーズ物にするだろう。野田ももちろんのる。ヒロイン気取りなのだから。全身缺陥品のこどもは死ぬまで晒しものだ。
 それがテレビ局であり、それが政治屋だ。

 その醜悪さにフジテレビも野田聖子も気づかない。
 地獄に堕ちるな。



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 嫌われるのを覚悟で餘計なひとことを言っておく。
 見たアナタも同罪だ。
 アナタのようなひとが見るからフジテレビは制作する。
 今後も同じ。
 アナタがどんなに野田聖子に批判的であろうと、見る限りテレビ局は制作する。
 それが唯一の寄る辺なのだから。

 映画「エレファントマン」のテレビCMは、「頭巾をとる瞬間」を、これみよがしに流した。バケモノの正体のように。なんとも胸くその悪くなる煽りだった。
 アナタはきっと怖いもの見たさであの映画を見ただろう。
 野田の番組も同じ。

 私はエレファントマンもエレファントノダも見ていない。

 韓流偏重のフジテレビを批判したアナタは、「だったら見なきゃいいじゃねえか」と言ったビートたけしとロンブー淳に反発した。不愉快に感じた。その反発はどこから生まれたのか。それを考えなければアナタは野田聖子と同類だ。

kanren6
子は親を撰べない──野田聖子議員の子作りに思う

野田聖子特番が放送されるらしい──薄気味悪い話は忘れよう

更新もしないのに朝からアクセスが殺到しているので何事かと調べたら昨年夏に書いた「子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う」のファイルだった。

(いまリンクするのにこのファイルのありかをさがした。ブログ内部から昨年8月のファイルをさがすのはとても面倒なのだが、「野田 子作り」でGoogle検索すると真っ先に出てくるので、その方法で見つけてリンクした。)



テレビは見ないしラジオも聞かないが、常時接続のパソコンでiGoogleやライブドアニュースを目にする(目にさせられる)ので、それなりに世間のことは知っている。知りたくなくても知ってしまう。昨日は録画して楽しみに見ようと思っていた大相撲の波乱を見る前に知らされてしまった。インターネットは便利だが不粋だ。今度からそういうことをするときは接続を切っておこう。

野田聖子は同棲している男の種と、金を払って見つけた見知らぬアメリカ白人女の卵子の受精卵を体内に宿して出産体験をした。自分の体験したいことのために命を弄んだ鬼である。
しかしそんな自覚はまったくなく、全身病気だらけのこどもを演説のネタにしたりして晒し者にしてきた。それがいよいよテレビの特番にそのこどもを出演させるという。その話は目にしていた。ネットで。これまた目にしたくなくても飛び込んできてしまう。

私のブログに今朝かなりのアクセスがあるということは、昨夜それが放送されたのかと思う。私はまちがってもそんな気味の悪いものは見ない。
調べてみると放送は今夜のようだ。ならなぜ今アクセスがあるのだろう。すでに前煽りでそんなに盛り上がっているのか。



野田聖子のような人間にだけはなりたくない、と思う。
野田聖子の息子のような形での生は受けたくない、と思う。
百万歩譲って、野田聖子の「出産体験」を容認したとしても、缺陥だらけのその子を政治的思惑に利用し、晒し者にする感覚は、なにをどう考えても理解出来ない。なぜひっそりとしていないのだ。なぜこどもを晒し者にするのだ。こどもの将来を考えていないのか。

このような形で「製造」された「生命体」が、多感な思春期を平穏に過ごせるとは思えない。自分を製造した血のつながっていない戸籍上の母親へは憎悪しか感じないだろう。なにより納得できないのは、「そのことを売り物にしていること」だ。それも得意気にだ。厚顔きわまれりである。今夜の特番を将来その「生命体」は感激して見るとでも思っているのか。これからのいくつもの大手術を耐え忍び、もしも成人するまでその「生命体」が生き長らえたとしても、そこから生まれるのは屈辱と憎悪だけだろう。



高視聴率をとって世間では売れ入れられるのだろうか。涙涙の感動の番組になるのか。
こんなものを企劃するフジテレビにもあきれるが、嬉々として受け入れ出演する野田はもう人間ではない。それとも野田がテレビ局に持ち込んだ企劃なのか!? だとしたら鬼畜ぶりに拍車がかかっている。
でも怖いもの見たさで高視聴率になるのか。



私の見聞してきた庶民の実態に「他人の不幸を見て自分の幸福を確認する」というのがある。いわゆる「他人の不幸は蜜の味」に通ずる。
何十年ぶりかで初めて実の親に会う、のような番組を見て、かわいそうにかわいそうにと泣きつつ、「こういうひとと比べたら、自分はなんてしあわせなのだろう」と確認する。「私の見聞してきた」などと他人事風に書いたのは、私には若い時から今に至るまでその感覚はぜんぜんないからだ。自分のしあわせの確認は自分の中ですべきもの、いわば絶対的なものであって相対的なものではない、と思っているので、その種の番組を見たことすらない。あんなもの誰が観るのだろうと思っていたら、二十代後半のとき、後輩の家を訪問したら、じじばばから高校生の弟妹まで、一家揃ってそれを見て泣き、自分たちのしあわせを確認していた。ああ、こういう人たちが、こういう視点で観るものなのだと学んだ。
そういや暴力団とのつきあいが露呈して芸能界を引退したチンピラは、この種の番組の司会でハンカチで涙を拭い、いいひとを演じてのしあがってきたのだった。後輩一家が見ていたのはその種のものだった。



野田聖子の息子(というか、野田聖子が腹の中で育てた他人のこども)ほど気の毒な存在はない。今夜は日本中の多くのひとが、かわいそうにかわいそうにと涙を流し、これと比べたら自分はしあわせだと胸をなでおろすのだろう。

今夜、気持よく晩酌をしているとき、あの女が自慢顔で涙の感動秘話を語っているのかと思いだすと気分が悪くなる。もうこの話は忘れよう。野田聖子という鬼の存在自体を忘れよう。

野田聖子ファイルへのアクセス集中

なんだか異様にアクセスが多い。内柴問題の流れかと思った。時節柄そう考えるのは自然だ。するとそうじゃなく、なぜかずいぶんと前に書いた「野田聖子のこどものこと」にアクセスが集中していた。野田の発言かなんかあったのか? 「徹子の部屋」「波瀾万丈」「金スマ」みたいな番組に野田がでたとか? 赤ん坊の具合が悪くなったとか? なぜいま野田聖子なのだろう。ちょっと不可解。気味が悪い。原因を知りたい。

アクセスが集中しているのはこれです。8月9日の文章。

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追記──12/14

どうやら、その後も野田は相変わらずの発言を続け、それをサイゾーというのが手厳しく批判したので(その視点は私と同じ)ネット上で話題になったらしい。そこからのアクセスと判明した。まあ来たのは基本的に私と同じ考えの人だから悪い意味ではないと解釈することにした。

子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う──に附記

一週間ぶりにブログを書こうと思ってここに来たら、この一週間更新していないのにやたらアクセスが多い。何事かとチェックしたら8月9日に書いた「子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う」へのアクセスだった。
野田聖子がなにかで話題になったのか、それとも影響力のあるメディア(2ちゃんねるとか)に、これが貼られたのか。

文中に乙武さんに関して書いた箇所があり、直さねばと思っていたからちょうどいい。附記を書いた。それは以下の文。本が出たころは「くん」だったけど、もう二児の父親なんだから「さん」にしないと。

※  ※  ※

野田聖子がエゴで作った赤ん坊が病弱で、生まれてからずっと手術ばかりで「全身ブラックジャックの傷跡のよう」と発言したのを知ったのが6月11日。すぐに書こうと思ったけど、あまりに気分が悪く、やっと書けたのが8月9日。そのとき乙武さんに関して不明瞭なことを書いてしまい、どこかで確認せねばと焦った。病院の図書室に「五体不満足」があるのを見つけて確認したのが10月11日。それを附記として書いたのが11月4日。ずいぶんとのろい流れになってしまったがそれだけ重いテーマなのだからしかたない。
他人のやったことに意見など言いたくない。言えるようなりっぱな人間でもない。でもこの件に関しては言わずにはいられなかった。なんともむごくひどい話である。だが当人にはまったく自覚はなく、「わたしの子供は命がけで生きている。政治家も政治に命かけてみろや!」と演説のネタにして悦に入っている。鬼としか思えない。詳しくは8月9日の文に書いてあるのでそちらを読んでください。


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【附記】──「五体不満足」再読(10/11)

病院の図書室に「五体不満足」があった。再読した。出たばかりの時に読んだ本だ。何年ぶりだろう。
そこで上記の勘違いを知ったので訂正する。

乙武君のお母さんは、妊娠してから一切病院に行かなかったらしい。エコーなども撮っていないのだ。だから生まれてくるまで乙武君に手足がないことは知らなかった。産んでから、病院側が、母親がショックを受けるだろうと何日か会わせなかったとか。そしてやっと会えたとき、前記したように「まあ、かわいい」となった。
もしも事前に手足のない子であることがわかっていたら産むか産まないか悩んだと、母親は乙武君に語ったそうだ。著書にそう書いてあるのを確認した。そのことを忘れていた。

すこし不思議な気がする。
妊娠したような気がして医者に行く。妊娠が確定する。それから出産まで、定期的に医者に診てもらうものではないだろうか。現代では。
乙武君のお母さんは出産するその日まで一切医者に行かなかったという。だから男女の性別まで解る時代に、お腹の中の我が子が四肢缺損であることを知らなかった。でも、そんなことがあるのだろうか。



私がこどものころ、田舎ではすごい話が山ほどあった。農作業に出て、田んぼや山で産んだなんて話がある。産んだというか、生まれてしまったのだ。その日まで働いていたのである。働き者というのか、そういう貧しい時代だった。でも母子ともに健康。山から赤ん坊を抱いて自力で歩いて戻ってくる。
そういう地域と時代だから、「ほんとうは双子だったけど、畜生腹と嗤われるから片方を間引いた」なんて話も拡がってしまう。畜生腹とは、双子を産んだりすると動物のようだと蔑まれることである。むかしの田舎はそんなものだった。そう言われるのを嫌って産婆と家族が相談して生まれてすぐ片方を殺してしまう。いまなら殺人罪だ。ふつうに暮らしている男の子が「あれはほんとうは男と女の双子で女の方を間引いたんだ」と心ない連中に後々まで言われるのだから残酷な話だ。

私は小学生の時、そういうことを言う母を、人の心を傷つけるから言ってはならないと窘めたことを覚えている。一応母を弁護すれば、彼女はそういうことを軽く口にする薄っぺらな人間ではあったが悪人ではなかった。嫌いな人間を貶めようと根も葉もないことを言うのではなく、みんなが知っている事実だからと、気軽にしゃべってしまうのである。「だってほんとうのことだもの」と、息子に注意されて口をとがらせる四十代の母に小学生の私が、「本当のことだからといって何でも口にしていいものではない」と説教した。



また脱線するが、競走馬にも双子は多い。だが本来1頭分のスペースで育った双子馬はちいさくてひ弱な仔が生まれる。よってまだちいさな時点で片方を潰す。生産地で頼りにされるのはそれが巧い獣医だ。名人と呼ばれるひともいる。詳しい技術は知らないが「馬の子宮に手を突っこんで、片方だけ卵子を潰す」のだそうな。これは度胸のいる作業になる。なにしろ何百万円もの種付け料を払って受胎した仔だ。形のいい牡馬が生まれれば何千万円にもなる。だが潰しかたをまちがって流産になったら0である。かといって双子で生んだのでは競走馬として通用しない。これも0だ。怖いけどやらねばならない作業になる。
そうして生まれた子は二頭分の運命をしょっているからか活躍する。私の知っている有名馬だと二冠馬サクラスターオーも間引かれた双子の片割れだ。
人間だとホームラン王の王さんは双子で生まれ、片方を1歳でなくしている。王さんの活躍も二人分だからだろう。

むかしは農作業のさなか、田んぼや山で自力で産んだと書くと、むかしの女が強かったようだが、今でも女子校生が公衆便所でこどもを産み捨て、自分はそのまま平気で暮らしていたりするのだから、女の強さは変っていない。一方、難産で命を落とす人もいる。個体差か。



乙武君の話は本当なのだろうか。
私には、妊娠から出産まで一切検査を受けず、四肢缺損であることを知らなかったとは信じがたい。
といって、知っていて産んだとも思えない。ならやはり本当なのか。
それはもう、乙武さんが二児の父となっている今では、どうでもいいことなのだろう。

私は、妊娠時に四肢缺損のような大きな障害が判ったら、中絶するのがよいと思っている。
この考えに変りはない。

乙武さんは「野田聖子のこども」にどんな意見を持っているのだろう。訊いてみたいものだ。

子は親を選べない──追記しました

「子は親を選べない──野田聖子の子作りに思う」に、今日知った「障害児であることは早期にわかっていた」を追記しました。末尾にあります。

子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う

「生んでくれと頼んだ覚えはない。かってに作ったんだろ!」
 反抗期のころ、母とのケンカで何度か口にした。母はそのたびに激昂し「生んでもらった恩を忘れて」と怒った。怒れば怒るほどこちらの「生んでくれと頼んだ覚えはない」というリクツも鞏固になった。
 ある日のケンカ、ふだんはそんな場にはいない父がいた。父は母と言いあらそう私の言い分を聞いて「こどもは親を撰べないからなあ」と、苦笑しつつ、ちょっと困ったような顔をした。

 それから私はこの言いかたをしなくなった。こどもは親を撰んで生まれることは出来ない。親もまたこどもを撰べない。そういう絶対的な真理があるのだから、もうそんなリクツを振りまわすのはやめようと思った。その後も数限りなく母親とはケンカしたが、こんな言いかたはもうしなかった。「生んでくれと頼んだ覚えはない」は幼稚なリクツだが絶対的真実でもある。同時に「それを言っちゃあおしまいだろ」でもある。それを意識して封じたとき私の反抗期は終った。



 以下の話は、前々から気になっていたことだった。なんとかして妊娠したいと願っているころから知っている。金を払ってアメリカ人女の卵子を買い、事実婚の亭主の精子と体外受精させ、それを自分の子宮に着床させて産むと決めたあたりも覚えている。今年の正月、帝王切開で出産したことも知っていた。
 今回、今現在の状況をニュースで知ったとき、すぐにブログテーマにしようと思った。でも重くて哀しくて書く気になれなかった。だけどこういうことは、2ちゃんねるのスレで一過性のものとして流れ去るだけでなく、自分なりに書いておくことも必要と思い、書くことにした。

 私が生まれでた赤子の苦難の様子を知ったのは2ちゃんねるの「ニュース速報」板でだった。日附を見ると6月11日だから、もう二ヵ月経っている。このスレが立つと、いつものよう多くの意見であっと言う間に埋めつくされていった。それらのほとんどは野田聖子議員を批判するものだったように記憶している。私はテーマそのものがつらいので、ほとんど読んでいない。批判する記事を読んで同じ意見の自分もスッキリするというものでもない。いや中にはそういうものもあるが、これだけは、どんなに自分と同じく野田を批判しているひとの意見を読んでも、よけいにつらくなるだけだった。
 見ないことにしたかったけど、前々から考えていたことだから、いつか自分のブログに書こうと思っていた。



野田議員「政治家、命かけてみろ」 息子は集中治療室
2011年6月12日

 自民党の野田聖子衆院議員(比例東海ブロック)は11日、岐阜市内のホテルで政治コラムニストの後藤謙次氏を招いた講演会を開き、生後5カ月の男児がいまだ集中治療室にいることを明らかにした。野田氏は米国で卵子提供を受け、今年1月に出産していた。

 野田議員は支持者へのあいさつで、男児が大手術を5度経験し、「(手塚治虫さんの漫画)ブラックジャックのように息子は手術痕だらけになった。あの世に行きかけた息子を懸命に引き留めた」と述べた。その上で、「命をかけると政治家は簡単に言うが、かけてみろやと、一生懸命生きている息子を見て思った」と話した。

http://mytown.asahi.com/areanews/gifu/NGY201106110029.html



 そういうこどもが生まれたというだけで胸の痛むひどい話なのに、その子がいまだに集中治療室にいる状況を語り、なぜか「政治家、命かけてみろや」と都合のいい政治的発奮材料に転化している。
 このひとはなにを考えているのだろう。理解に苦しむ。「ブラックジャックのように手術痕だらけになった」って、生後五ヵ月のこどもが、そんな目に遭っているのは、すべてこの野田聖子というひとの「こどもを産みたい」というエゴから来ているのだ。赤ん坊がかわいそうで涙が出た。

 2ちゃんねるの書きこみからひとつ。
名無しさん@12周年 [] :2011/06/14(火) 10:10:21.07 ID:CeEO6KC10
自分のワガママで、生まれるはずのない子どもを産んでしまって苦しめてるのに なぜこんな言い方ができるんだろう



 野田聖子という国会議員が、40歳を過ぎてから、なんとしてもこどもを産みたいと発言するようになり話題になった。二十代三十代のときから言っていたのかは知らない。世間的に有名になったのは、2004年に『私は、産みたい』という本を出してからだろう。結婚したのが2001年だというから41歳。流産とか不妊に苦しみ、そのあとに本を出した。このときが44歳か。それによって同じく高齢で不妊に悩む女の支持を集め、高齢出産に挑む女の旗頭のようになっていった。私は、彼女のこれみよがしの姿勢を支持していない同じ立場の女もいたと信じたいが、マスコミ的に野田聖子がそういうふうに捉えられ、本人もその立場に満足して活動していたのは事実だ。涙ながらに流産の悔しさを語っているのも見た。いつしか高齢出産に挑むヒロインになっていた。

 なんとしてもこどもを欲しいという気持ちはわかるが、そのことにのみ執着した鬼気迫る言行には他人事ながらうんざりした。亭主は同じ国会議員の鶴保という7歳年下の男である。いま確認したら「事実婚」であり未入籍だったようだ。夫婦別姓の支持者のようだから入籍はしないのだろう。

 この鶴保というのが語っていた。野田は基礎体温を計ったり、常に妊娠しやすい状況を模索していて、そういう状況(妊娠しやすい日の妊娠しやすい時間)になると、どこにいようと急遽呼びよせられ、それをさせられるのだと。性行為ではあるが、あいしあう男女の行為ではなく、こどもを作るためだけの行為である。種付けだ。たび重なるその強要に鶴保は「おれはおまえの種馬じゃねえよ」と嘆いたことが週刊誌ネタになっていた。いつなんどきでも7歳年上の四十女に呼びだされ、性行為を強要されるのだ。こうなると拷問である。よく勃ったものだ。その後、事実婚を解消するが、おそらくそれは勃たなくなり、種馬として解約されたのだろう。いや、種馬としてのみ扱われることから逃げだしたのか。



 それから野田はまた別の年下の男と「事実婚」を始める。しかし妊娠は出来ない。それでやったのが、その事実婚の朝鮮人の精子を、金で探しだしたアメリカ女の卵子と人工授精させ、それを自分の子宮で育てるということだった。自分の血は入っていない。「事実婚」の相手と見知らぬアメリカ人女とのあいだに出来た自分とは無縁の子を、自分の腹で育てるという行為だ。こうなると「出産体験願望」である。

 こういう野田の提案に乗る「事実婚」の男ってのもなにを考えているのだろう。生まれてくる子は実の母親を知らないという闇を最初から抱えることになる。それは野田とこの男が作りだし、生まれてくる子に課す宿痾だ。ここにおいて子は、野田と、それに協力するこの男の、おとなふたりの自己満足の犠牲となっている。

 母親となるアメリカ女と父親となる朝鮮人の男は、子作りに繋がる性行為などすることもなく、いやそれどころか一度も見たことのない、これからも会うことのない(これは規約で決められている)関係だ。そういう形で子を作る。この男はなにを考えているのだろう。私には、野田はもちろんだが、この男も理解できない。男として、そういう我が子を作ることに疑念を感じないのだろうか。

 なんとしても「子を産むという体験」をしたいという、そのためにならなんでもするという野田も狂っているが、その申し出を受けいれたこの男もまともとは思えない。この男は正常な形で子を作ることが出来る。なのに野田の欲求を叶えるため、この形にしたがう。それは野田との愛に殉じるとも言えそうだが、そのために利用され、生まれてくる子という命のことを考えていない。鬼畜である。

 世の中には、生まれたばかりのころに親を失ったり、親に捨てられたりして、養子になって生きる子がいる。それを育てる養父母がいる。これは親と子という関係が切れてしまった闇を光に変える価値ある所為だ。

 野田のやったことは、自己満足のために最初から親との関係が切れている闇を創りだすことだ。無理矢理それを背負わされる子が気の毒でならない。この子にはノーと拒む権利がない。
 アメリカの役者は戦争で親を失った異国の子を養子として受けいれたりしている。野田もこういう形で親となる経験はいくつもの形で選択できたろう。野田は親になりたいのではなかった。子を育てたいのでもなかった。他の女と同じく「産むという体験をして母親ぶりたかった」のだ。出産という体験のない己の劣等感の穴埋めである。その執念が奇妙な状況を生みだした。



 プロレスラー高田延彦夫妻がやったのは、彼ら夫婦の精子と卵子を授精させたものを、アメリカ人女の腹で育て、出産してもらうことだった。この場合、こどもは100%彼ら夫婦の子である。腹だけを借りた。いわゆる「代理腹」だ。アメリカ女は礼金をもらって腹を貸し、産みの苦しみを味わったけれど、生まれてきた子とはDNA的には繋がっていない。

 野田がやったのはこの「代理腹」志願だった。自分の卵子ではもう受精できないので、だったら好きな男と見知らぬ女との子を体内に宿し、せめて「産みの苦しみ」だけでも味わいたいと願ったのである。
 腹が大きくなってくると、「日本(正しくは朝鮮)とアメリカのハーフだからすごいイケメンが生まれてくる」と発言していた。
 私は、その子が物心ついたとき、どんなに苦しむだろうと思い、そのニュースを耳にするたび暗い気持ちになった。



 高田と野田のやったことは似て非なるものである。高田の妻は、正常な子を作れる能力のある高田の子を産みたかった。自分の卵子で受精までは出来る。だがそれを育み出産する健康な母体がない。それを探した。応じてくれたのは、すでにそういう経験を何度かしているアメリカ女だった。

 すごい国である。将来日本にもこういう女が現れるのであろうか。若くして子を何人も産み、離婚して、何人もの子を抱えて生活保護を受けつつパチンコをしているような女には、いいアルバイトになりそうだ。でもこういうのは飲酒も喫煙もするから、出産に関する健康な母体としては選ばれないか。

 でもここには人助けの感覚がある。アメリカ女には十月十日自分の腹で育て、へその緒を繋ぎ、産んだ子には、それなりの思いがあることだろう。でもその子は100%依頼された夫婦のものだ。将来みんなで会うことだって可能と思う。第二のおかあさんだ。

 対して野田の場合、最優先されているのは「子を生むという体験をしたい」という野田の願望である。野田には子を産む能力がない。でもなんとしても体験したい。精子はいま付き合っている男から得る。卵子がない。その提供は金で探した、見知らぬ、今後とも会うことのない、アメリカ女に頼んだ。そのことにより、「生まれてくる子は、自分の半分である母親を永久に知らない。知ることができないという闇」が生まれた。この闇は野田のエゴから生まれたものだ。そしてそれを背負うのは生まれてくる子だ。野田は「私も一緒に背負ってゆく。その覚悟で作った」と言うかもしれないが、子はそれを了承するとことなく生まれてくる。子は親を選べない。



 高田の場合は実の子である。その子が大きくなったとき、日本の法律では認められていない非常手段を用いて自分達(双子)は生を受けたということにそれなりのショックはあろう。心ないことを言う周囲もいよう。でも目の前にいるのは実の父と母だ。あちこち似たところもあるにちがいない。たぶん高田の絶壁頭なんてそっくりなのではないか。親の躾がしっかりしていれば、まだ見ぬ「産んでくれた母」に感謝の気持ちをもつことはあっても、なんとしても会いたい、そのひとこそほんとの母親だ、と慕うとか、そんなことは起きまい。そしてまた可能なら、みんなで会って記念写真を撮っても決して不思議ではない。そういう関係だ。

 野田の場合はちがう。50になって産んだ子だし、国会議員の子であるから、それこそ目に入れても痛くないほどのかわいがりかたをし、可能な限りのエリート教育を与えるだろう。
 だがその子が自分の出自を知ったときの苦悩はいかほどのものであろう。両親のルックスが日本人なのに自分は白人とのハーフの容貌である。自分には本当の母親がいる。でもそれは法的には生涯会えないことになっている。明かされない。野田聖子という女の「子を産みたい」という欲求を叶えるために無理矢理生産された自分という存在。まともなら、いわゆる反抗期に、自分の満足感を得るためだけに自分を生産した「代理母」を憎み、自分の半分である本物の母に会いたいと願うだろう。その子の懊悩を思うとこちらまで気が重くなる。

 そして最悪なことに、十分予測されたことではあったが、50女のポンコツ子宮で育てたものだから、あちこちに缺陥を持つ脆弱な子が生まれてしまった。よって生まれてすぐから手術が続き、生後5カ月でもまだ集中治療室にいて、「手術痕でブラックジャックのよう」なのだという。いまこれを書いていてもたまらない気持ちになる。この子はなぜこのようなひどい目に遭わねばならないのだ。こんなことをした野田が、まるでヒロインのように演説したり、新聞の取材を受けているのは正常な状態なのか。



 うまく書く自信がないので二ヵ月間寝せて来たテーマだが、やはりまだうまく書けない。どうにも感情的になってしまう。
 言えるのはただ、野田聖子というひとの感覚には同調できないということだ。いまも身体中に不調箇所を山のように抱え、生後7カ月の身で、手術や薬漬けの日を送っている赤子が気の毒でならない。それは野田聖子という女が、「なんとしても子を産みたい」というエゴを発揮しなければ、非合法な手段にうったえてまで実行に移さなければ、決して発生することのない悲劇だった。


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【追記】──早期にわかっていた障碍(17時記入)

8月6日に、野田聖子が読売新聞でこどもについて語っているニュースを知った。

この記事の読売新聞の下部を見ると、読売はこの「野田聖子出産」をシリーズでやっているようだ。知らなかった。知っていてもこんなもの読まないけど。今回で6回目か。

いやはやおどろいた。もう早期のとき、妊娠三ヶ月ぐらいに障碍児であることはわかっていたんだ。そういう子であることがわかっていても、子のことよりも、自分の「産みの苦しみを味わうという満足感」を優先したわけだ。まあひたすら「産む体験をしたい」ということで撰んだ道だから、なにがあっても中絶なんて考えるはずもないが。



ということで思ったが、乙武君の両親はお腹の中の子が両手両足がないことを知っていたのだろうか。私は「五体不満足」を発売時に読んでいるし、お母さんが肝っ玉のすわったひとであることは知っているが、このことがどうであったか記憶にない。

生まれたばかりの乙武君を母親に見せるとき、医者はショックを受けるのではないかと戸惑ったが、母親は乙武君を一目見るなり「まあかわいい」と言って抱きしめたと彼は著書で書いている。落涙しつつ読んだ箇所だ。

だがいま冷静に考えるとこんなことはありえまい。今の科学だ。母親はもう早い時期に体内写真により医者からそれを知らされ、両手両足のない子を生むかどうかさんざん悩んだはずだ。なにしろあの男か女かの判断はチンチンがついているかどうかで判別する。早い時期にそれですらわかるのだから、両手両足のない子は、エコー写真でもとんでもない畸形だったはずだ。
むかしはそんな便利なものはない。だから奇形児が生まれたら親と産婆が相談してその場で間引いた。今はそれは殺人罪になるのでできない。その代わり初期の段階でわかるから、生むか堕胎するかの選択ができる。

不覚にも、「母親は両手両足のない乙武くんを、そのとき初めて見た。それなのにかわいいと言った。えらい」と落涙してしまったが、母と父は妊娠三ヶ月ぐらいのときにもうそれを知り、そういう障碍児を産むかどうかさんざん迷い、苦しんだ末の、決断だったろう。
初めてわが子を見るとき、母親は「どんな畸形の子であってもぜったいにおどろかない。悲鳴を上げたりはしない。かわいいと思う。かわいいと言う」と何度も自分に言い聞かせて臨んだろう。もちろん自分がお腹を痛めて産んだ子だから、両手両足がなくても、「かわいい」と思ったこともまた真実であろうが。



新聞記事はリンクを貼っておいても、後々消えてたりするから要諦を書いておこう。読売新聞にあった野田聖子の記事からの抜粋である。体内の子の障碍は早い時期にわかっていた。

・障害児であることは妊娠12、3週でわかった。
・臍帯ヘルニアという臍の側に肝臓が飛び出している状態で、障害児であるとわかった。
・ほかにも、心臓障害、染色体異常とか、重い病気が起こりやすいと言われた。

・夫には「どんな障害を持っていても、幸せにするのが私たち夫婦の仕事」と言った。

・帝王切開での出産。肺呼吸ができなくて死ぬ可能性もある、と事前に言われた。


・生まれてすぐに、胃ろうの手術をしました。胃に直接栄養を送る管を入れる手術です。それから、肝臓を閉じる手術、離れていた食道と胃をつなぐ手術など、生後5か月までに5回の手術をしました。体重が増えたら、心臓の本格的な手術をする予定です。
 鼻から酸素。胃ろうでミルク・・・。いま3本の管が彼を生かしている。最悪の時は17本くらいチューブが入っていたことを思えば、すごい進歩です。生きる力は強いなと思います。


いままでにもう5回の手術、体重が増えたらこれからまた続く。最悪の時は17本のチューブ……。
なんでこの子はこんな地獄を味わわねばならないのか。「生きる力は強いなって思います」って、よくぞこんなことが言えるものだ。現代の医学で無理矢理生かされてるだけだ。口が利けたら「楽にしてくれ」と言うだろう。

野田は未だそういうヒロイズムに酔っているのかも知れないが、いや笑顔であちこちの媒体でそれをしゃべっているのだから、明らかに酔っている。冒頭の発言でもわかるように、政治利用している。そういう運命をしょわされて生まれてくる子はたまったものではない。こういう親のエゴで人生に重荷を背負わされたこの子がかわいそうだ。あらためてそう思う。

この子がどういう形で育とうとも、途中で命つきようとも、野田はしっかり政治主張に活用してゆくのだろう。「私はこどもを生んだことがあります、お母さんがたの味方です」的なスタンスで。そして、数多くの障碍をもったその子が、いかに生まれてきたときから苦しみ、多くの手術を受けてきたかと涙ながらに話せば、会場からはすすり泣きが漏れ、いい方向に作用するのだろう。障碍方面は重要で確実な票田だ。不妊の味方と障碍児の味方で固定票獲得か。でも、子を作るというのはこういうことではない。

かといって、両親がパチンコに熱中しているあいだに、猛暑のクルマの中で熱中症で死ぬこどもと、野田のこどもとどっちがしあわせかはわからない。
毎夏、このニュースを知るたび、乳飲み子を蒸し風呂のようなクルマの中に放置して、夫婦で涼しい場所でタバコ吸いながらパチンコやってる親のもとで生きても、どのていどの人生かはわかっているから、早々に死んでよかったのかも、とすら思う。

そういや野田聖子、パチコン利権でしっかり金をもらっている政治屋だ。障碍児をほったらかして夫婦でパチンコに行ったりするなよ。ああパチンコは金をもらうためだけのものでやらないか。

夫婦別姓支持者で、今までの二度の結婚も「事実婚」で籍を入れなかったのに、こどもができたら籍を入れた。やってることがめちゃくちゃだ。

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私は「しょうがい」は「障碍」と正字で書きますが、引用した文中にある「障害」は直さずそのままにしました。ここのところ「害という字はよくない」と、「障がい者」とかくだらん表記が横溢していますが、それは障碍の「碍」を常用漢字から外したのが問題であり、それを撤廃し「障碍」と表記すれば解決することです。こういうことを言ってくれる議員がいないなあ。

今の日本の法律では、高田のように他人の腹を借りて生んだ子は実子として認められない。まあそれはむかし作った法律だからそんなものだろうと思うが、おどろいたことに、野田の場合は「お腹を痛めた」から認められるのだとか。100%自分達の子なのに戸籍に入れられない高田の場合、すんなりと実子として認められる野田の場合、へんな話である。野田が産んだ子は野田とは血縁ではないのに。

餘談ながら、私がむかし高田にインタビューしたころ、高田は向井亜紀との交際が発覚したばかりだった。そのことを聞くとのろけていた。用賀のUWF稽古場でインタビューしていると、事務所に向井から電話がかかってきた。当時は携帯電話などまだない。高田は向井とのデートにいそいそと出かけていった。高田は中卒のプロレスラーだし、実家方面にも問題がある。向井は女子大卒のお嬢さんだ。うまくゆくのかと心配したが、結婚まで行き、こういう形でこどもにも恵まれた。よい子育てをすることを心から願う。

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【附記】──「五体不満足」再読(10/11)

病院の図書室に「五体不満足」があった。再読した。出たばかりの時に読んだ本だ。何年ぶりだろう。
そこで上記の勘違いを知ったので訂正する。

乙武君のお母さんは、妊娠してから一切病院に行かなかったらしい。エコーなども撮っていないのだ。だから生まれてくるまで乙武君に手足がないことは知らなかった。産んでから、病院側が、母親がショックを受けるだろうと何日か会わせなかったとか。そしてやっと会えたとき、前記したように「まあ、かわいい」となった。
もしも事前に手足のない子であることがわかっていたら産むか産まないか悩んだと、母親は乙武君に語ったそうだ。著書にそう書いてある。そのことを失念していた。

すこし不思議な気がする。
妊娠したような気がして医者に行く。妊娠が確定する。それから出産まで、定期的に医者に診てもらうものではないだろうか。現代では。
乙武君のお母さんは出産するその日まで一切医者に行かなかったという。だから男女の性別まで解る時代に、お腹の中の我が子が四肢缺損であることを知らなかった。でも、そんなことがあるのだろうか。



私がこどものころ、田舎ではすごい話が山ほどあった。農作業に出て、田んぼや山で産んだなんて話がある。産んだというか、生まれてしまったのだ。その日まで働いていたのである。働き者というのか、そういう貧しい時代だった。でも母子ともに健康。山から赤ん坊を抱いて自力で歩いて戻ってくる。

そういう地域と時代だから、「ほんとうは双子だったけど、畜生腹と嗤われるから片方を間引いた」なんて話も拡がってしまう。畜生腹とは、双子を産んだりすると動物のようだと蔑まれることである。むかしの田舎はそんなものだった。そう言われるのを嫌って産婆と家族が相談して生まれてすぐ片方を殺してしまう。いまなら殺人罪だ。ふつうに暮らしている男の子が「あれはほんとうは男と女の双子で女の方を間引いたんだ」と心ない連中に後々まで言われるのだから残酷な話だ。

私は小学生の時、そういうことを言う母を、人の心を傷つけるから言ってはならないと窘めたことを覚えている。一応母を弁護すれば、彼女はそういうことを軽く口にする薄っぺらな人間ではあったが悪人ではなかった。嫌いな人を貶めようと根も葉もないことを言うのではなく、みんなが知っている事実だからと、気軽にしゃべってしまうのである。「だってほんとうのことだもの」という四十代の母に小学生の私が、「本当のことだからといって何でも口にしていいものではない」と説教した。



また脱線するが、競走馬にも双子は多い。だが本来1頭分の子宮スペースで育った双子馬はちいさくてひ弱な仔が生まれる。よってまだちいさな時点で片方を潰すのだとか。生産地で頼りにされるのはそれが巧い獣医だ。名人と呼ばれるひともいる。詳しい技術は知らないが「馬の子宮に手を突っこんで、片方だけ卵子を潰す」のだそうな。これは度胸のいる作業になる。なにしろ何百万円もの種付け料を払って受胎した仔だ。形のいい牡馬が生まれれば何千万円にもなる。だが潰しかたをまちがって流産になったら0である。かといって双子で生んだのでは競走馬として通用しない。怖いけどやらねばならない作業だ。

そうして生まれた子は二頭分の運命をしょっているからか活躍する。私の知っている有名馬だと二冠馬サクラスターオーも間引かれた双子の片割れだ。
人間だとホームラン王の王さんは双子で生まれ、片方を1歳でなくしている。王さんの活躍も二人分だからだろう。

むかしは農作業のさなか、田んぼや山で自力で産んだと書くと、むかしの女が強かったようだが、今でも女子校生が公衆便所でこどもを産み捨て、自分はそのまま平気で暮らしていたりするのだから、女の強さは変っていない。



乙武君の話は本当なのだろうか。私には、妊娠から出産まで一切検査を受けず、親が四肢缺損であることを知らなかったとは信じがたい。といって、知っていて産んだとも思えない。ならやはり本当なのか。
それはもう、乙武さんが二児の父となっている今では、どうでもいいことなのだろう。でもきっと乙武さん夫妻は胎児を確認したろう。健常児と確認して出産に踏み切ったはずである。

私は、妊娠時に四肢缺損のような大きな障害が判ったら、中絶するのがよいと思っている。
この考えに変りはない。

乙武さんは「野田聖子のこども」にどんな意見を持っているのだろう。訊いてみたいものだ。

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kanren6野田聖子議員の子作りに思う──「たかじん」で知った高田夫妻の代理母のこと
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