島耕作

飲食話──なすのわさび漬けの素──異国で涙したわさびの味──庶民派屋台好き『島耕作』のウソ--ネットレシピは誤字だらけ

wasabi motoスーパーで写真の「なすのわさび漬けの素」を見かけた。なつかしくて思わず3袋も買ってしまった。値段は税抜きで93円だった。以前買ったときは130円ぐらいしたと思うのだが勘違いか。
 異国に長逗留するとき、ふと思いたってこの種のものを手当たり次第に買って持参した。こだわりのモノを持参することは以前からやっていた。
 たとえばタイに燃えていたころ(笑)、塩味歯磨きを持っていった。あのころのタイの歯磨きはハッカ系のものばかりで、サバイサバイを至上とする民族なので、スースー度合もすごかった。しかし日本人の私にはあわない。私は日本にいるときからスースー系はきらいだったし。同じく彼らにも塩味歯磨きは不評だったのだろう。タイ製はもちろんないし、大きなスーパーに行っても日本からの輸入品もなかった。どこを探しても見つからず持参することになった。いまはもちろんある。
 「森永ハイソフト」というキャラメルが必需品の時期もあった。日本にいるとき口にすることなどほとんどないのだが、異国でさびしくなったとき、あの味が私には疲れを取る最良の甘さだった。どこに行くにもバッグにひとつ入れていった。とまあいろいろあるのだが、さすがに漬け物の素を買ってもっていったことはなかった。



 だいぶまえの話だが。
 世界を巡ることがたのしくてしょうがない時期の三十代の競馬ライターが、一緒に旅行することの多い先輩の五十代のライターを否定していた。そのひとと異国に行くと、まず最初に日本料理店はないかと言うのだとか。せっかく異国に行ったのに日本食ばかり食べている。異国に来たならその地の料理を食うのが基本であり、「あのひとは若いときから多くの国を旅したひとなのに、なんであんな……」というのが彼の不満だった。
 しかしそれは「若いときから多くの国を旅したひとだからこそ」なのである。その先輩ライターは、それこそあのシベリア鉄道でヨーロッパに渡った世代だ。当時は日本食など食いたくてもなかったろう。それはそのあとに巡った数十ヵ国でも同じだった。その地その地の飯を食うしかなかった。不満はあったにせよ、この三十代のライターと同じく、それがたのしい時期もあったろう。
 そうして五十代も後半に入ると、素朴な本音が出て来る。日本人なのだ、日本食が好きなのだ。もうそういう苦労からは卒業して日本食の好きな日本人として素直に生きたい。そういうものである。それがまだ異国巡りと異国の味が新鮮でたのしくてたまらない三十代の彼にはわからない。私にも三十代の彼と同じ時期、同じ意見の時があり、そしていま見事にその先輩ライターと同じ感覚になった。
 あの三十代のライターもいまはもう五十代だ。ここのところ音信不通だが、いまはどんな食生活で異国を巡っているのだろう。



『島耕作』の初期の頃、異国に赴任した彼が、その国の庶民の食べる屋台で食事し、現地人の社員に「こんなひとはいなかった」と一目おかれるシーンがよくあった。その後もその路線は続いた。気どっている日本人はみなクーラーの利いている日本食や洋食のレストランに行くのに、島耕作は、現地人と一緒に庶民的な屋台で汗を掻きつつ食事する。現地人スタッフから、あなたは変人だ、でもいいひとだ、と思われる設定である。現地人の美人秘書に、それが理由で好かれたりする。わたしたちと同じ目線のひとと。
 それが弘兼さんの姿勢であり、「その国の庶民のものを喰わなければその国はわからない」という主張なのだろう。フィリピンでもタイでもベトナムでもやっていた。定番であり、悪く言えばワンパターンとなる。中国でも同じだ。それは現地採用の連中に好感を持って受けいれられている。

 しかしこれはウソだ。こういうところに「取材して描くマンガ」の嘘っぽさが出る。弘兼さんの異国取材は長くても一週間だ。そりゃ初めて行った国で、庶民が食事する屋台取材は基本であり、「うん、こりゃうまい、気に入った」が出来るだろう。一、二回は。一週間だけだし。
 だがサラリーマンは数年間も勤務する。フィリピン、ベトナム、中国の、現地の連中があわただしく食事する下々の者の屋台で、毎日『島耕作』のようにスーツにネクタイ姿の日本人サラリーマンが食事など出来るはずがない。一週間で厭きて、つらくなり、日本食が食いたい、クーラーのあるところで飯が食いたい、となるだろう。あくまでもあれは「弘兼さんの一週間取材」であるからこそ出来るエエカッコシーである。現地赴任のサラリーマンからは、そういう『島耕作』のキレイゴトには批判もあったと思う。

 タイ篇のバンコクではトゥクトゥクに乗り、「わーお、こりゃベンツよりいい」なんてやるシーンがあった。もちろんそこでもタイ人の運転手ソムチャイに、「旦那はかわったひとだ」と好意的な評価を受けている。弘兼演出の「島耕作はいいひと」である。初めて乗って、一回限りだからそんなことが言える。あの地獄渋滞都市バンコクで、毎日トゥクトゥクに乗っていれば、暑さにバテ、排気ガスに煤けて、クーラーの利いたベンツが恋しくなる。私がそうだった。「庶民なのだから庶民用のトゥクトゥクに乗るべし」なんて、100回ぐらいまではトゥクトゥクだったが、やがてエアコン附きのタクシーにばかり乗るようになった。地獄の渋滞もジャスミンの生花のいい匂いがする涼しい車内なら耐えられる。

 私はサラリーマンじゃないから、気楽な恰好で、『島耕作』と同じ考えで庶民屋台で食事をする旅をしてきたが、美味しいタイやベトナム料理だって、毎日そればかりだと厭きてくる。たまにはちがうものを喰いたくなる。カンボジアはまずかったし、中国はもうあのうるさくて礼儀がなく食いちらかすシナ人と一緒に飯を食うだけで憂鬱になる。食はたのしみなのに、食が憂鬱になるのだ。シナ人の食堂に行きたくなくて、部屋でコーラとビスケットで過ごしたことすらあった。そのほうがまだヤツらの食堂に行くより精神的にましだった。なにが「食は中国にあり」だ。食以前に人間の問題のほうが大きい。
 『島耕作』はフィリピンやベトナムや中国の屋台に何度行ったのか。「よし、これからは朝食はここにしよう」なんて言ってるが、ほんとにそれからも毎日そこに通ったのか。訊いてみたいものだ。

 全巻所有している大好きな『島耕作』だが、あちこちに矛盾点を含んでいる。でもそれはそれでおたのしみと割り切ることにしているから、私のいちばん嫌いな『島耕作』は、この「異国でやたら庶民派をアピール」かもしれない。



wasabi moto 日本食に餓えたときのために「きゅうり 浅漬けの素」とか、同様のものを何種類か持っていった。その中で私がいちばん感激したのがこの「なすのわさび漬けの素」だった。期待していなかった。ほったらかしておいた。なすの漬け物なんて日本でも作ったことがない。漬け物は、大根、蕪、白菜、高菜、野沢菜、なす、きゅうり、みな好きで、日本酒を飲むときには、メインの肴は刺身だが、漬け物も缺かせない。といって異国で餓えるほどでもなかった。

 餘談だが、私はいま朝鮮漬けを喰わない。日本のおいしい漬け物があるのに、なにゆえに朝鮮漬けを喰わねばならないのか。むかしは「朝鮮漬け」と言った。いつしか「朝鮮」というコトバが禁句となり、いまは「キムチ」と言うらしい。日本の最高にうまい漬け物に「糠漬け」がある。それを食わず朝鮮漬けを好むようなのは、味覚が壊れている。食品は風土にあって育つ。朝鮮漬けは日本よりも寒い朝鮮半島で喰ってこそうまいものだろう。閑話休題、言帰正伝。

 旅行バッグの中からこれを見つけた。やってみるかと手にする。なすはあった。日本と同じ感じのものが。それを庖丁ならぬカッターで切り、ビニール袋にいれて、この素と揉み、冷蔵庫に保管した。たいした期待はしていなかった。1時間で喰えるようになるらしいが、一昼夜ほっておいた。これは正解だった。一昼夜漬けは1時間よりもあきらかにうまかった。これは後日確認した。
 翌日「あ、忘れていた」と取りだし、口にしたとき、茄子の漬物のわさびの味から日本を想い、泣きそうになった。そしてまた、猛烈に日本酒が飲みたくなって困った。とても日本酒が手に入るような環境ではない。諦めざるを得なかったが、あれで日本酒を飲んだら確実に泣いていた。



 こういう「素」に関して素朴な疑問がある。旬となってきゅうりが安くなり、3本が98円なのに「きゅうり 浅漬けの素」が128円だったりする。私の感覚だと、きゅうり本体が3本98円なら、浅漬けの素は30円ぐらいが適切だ。「素」のほうが高いことに納得が行かない。本末転倒だろう。
 その点この「なすのわさび漬けの素」は、まだ茄子がシーズン前なので高く、今回私の買ったのは博多茄子で3本268円、この3本を漬ける「素」が93円だから、私流のリクツにあっている。


「素」の中身にも「なぜそんな値段なのかわからない」と感じる。簡単な調味料の組合せにすぎない。どう考えても30円で充分だ。つまりこれは「浅漬けすら作れないヤツのためのもの──高くて当然」ということなのだろう。それすら出来ないヤツのための便利グッズだから、そういう値段なのである。ターゲットとする「ヤツ」は料理の出来ない主婦か。

 一般にはどうなのかと検索してみた。「素」を使わずにおいしい漬け物を作っているひとがいるはずだ。ネットには「なすのわさび漬け」のレシピがいっぱいあった。チューブわさびを使って、すこしその他の調味料を足せば作れるようだ。「チューブわさび」は私には必需品で異国に行くとき必ず持参する。うまい刺身が手に入ったとき、これがないと困るからだ。わさび抜きの刺身を喰う気はない。チューブわさびはまずい。しかしあるとないとでは段違いだ。ちかごろスーパーの寿司に「さび抜き」というのがあり、たまにまちがって買ってしまうことがある。そのときしみじみわさびの利いてない寿司など意味がないと感じる。というぐらいわさび好きで、外国に行くときは、その味に満足はしないが緊急用として常にチューブわさびをも持参するのだが、残念ながら今まで役だったことはない。ポルトガルでタコを喰う機会があったら役立つのだが、ここのところ私の異国行きはシナの山の中ばかりなので、わさびを使うような肴には出逢えなかった。いつも使わずに持ち帰っていた。帰国してそのままごみ箱行きである。だからこそ「なすのわさび漬け」のわさび風味に感激したのだ。そうか、チューブわさびを工夫すればいいのか。勉強になった。役立ちそうだ。まずは日本で作って試してみよう。



 ネットの料理レシピを見るなんてめったにない。便利なものだと感激した。しかし、ちょっとこれはと思うこともあった。あまりに誤字が多いのだ。それもほんの1、2行の短文の中に。

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「茄子を5cm長さ切り」──「煮切り」という料理用語があるのかと思った。茄子を煮るのか!? 煮た茄子を漬けるのか? ただの「に」を漢字変換したミスだった。また「5cm長さに」は「5cmの長さに」と「の」を入れるべきだろう。

 しかしこんなミスが出るのはなぜなのだろう。20年前のIMEならともかく。すくなくともATOKはこんなミスはしない。









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夏向きひと品──これも最初「名ひと品」というものがあるのかと思い、それからやっと「夏向きな」の「な」を不要な漢字変換しているのだと気づいた。おそらくMS-IMEだと思うが、しかしこれぐらい気づかないのだろうか。IMEもお粗末だが、これに気づかないひとの感覚が信じられない。



 他人様の揚げ足をとってもつまらないからもうやめるけど、これは数多くの中のほんの一例。多い。料理レシピにはほんとにこんなのが多い。あきれた。ネットにレシピをあげるひとってこんなにがさつなのか。ほんの1、2行の文章の中にこんな誤字を挿れるひとの料理がうまいのだろうか。信じがたい。読む気が失せた。

島耕作話──「学生島耕作」がスタート!──島耕作の矛盾点、孫鋭の「娘」が成長すると「息子に」(笑)

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 しばらく「島耕作」を読まずに(読めずに)いて、ひさしぶりにコンビニで立ち読みしたら「会長」になっていたのでおどろいた。前々から弘兼さんは「社長で終り」と明言していたのだが、ここまで来るともうとめられないのだろう。これに関してはすでに「課長」のころ、単行本の解説に「掣肘を阻む」という表現で語っている。キャラがひとり歩きを始めていて、弘兼作品ではあるが弘兼さんにももう先が読めない状態になっているのだ。



 ただ、長年読みつづけてきた読者として、「立場が上がるほどにつまらなくなった」とは言える。それは「島耕作のゴルゴ13化について」と題して書いた。

 ゴルゴ13のつまらなさは、というか白ける手法は、「ゴルゴ13というスナイパーの物語のようでいて実は世界情報ウンチクマンガ」であるから、読者にその情報の状況と背景を説明せねばならないのだが、それを登場人物の会話でやる点だ。もう何度も書いているので今更だが、それでも倦まずに書くと、たとえば《沖縄独立のために自衛隊精鋭が決起する。決起前夜、リーダーが延々と沖縄の歴史を語り始める。決起直前になにやってんのとここで鼻白むが、問題はそのあと、その彼の説明する沖縄の歴史に、一緒に決起する隊員が「えっ、そうなんですか!」と驚いたりするのである。そりゃなかんべさ。そのやりとりが不自然だ》になる。読者に沖縄の虐げられた歴史と、何故自分達は立ち上がったかを知ってもらわないと物語のおもしろさが伝わらない。それを説明するのはわかるが、なぜ決起前夜にリーダーが延々と語り始めるのか、そして命を賭して決起する精鋭が、そんな初歩的な情報に、なぜ今ごろ「えっ!」と反応したり、「それではその場合?」と質問したりするのか。それはもうずっと前に済んでいることだろう。そういうことをすべて学んだ連中が決起したのだろう。ト書きで処理できないのだろうか。毎度毎度白けてしまう。全編がそうであり、依頼主のCIAやMI6、KGBの高官が延々と状況説明を始め、聞いている側近が「えっ!」とやる。みな同じパターンである。

 テレビの2時間推理ドラマ等では、最後の崖っぷちに立ったようなシーンで犯人が延々と犯罪に到る動機、殺人のトリック等を説明する。それと同じ白々しさである。もっともテレビの場合、小説やマンガのように文字で説明は出来ないから、どうしても「しゃべらねばならない」という面はあろう。だがマンガには文字がある。文字の説明でいい。ドラマのように「会話」で無理にする必要はないのだ。ただしゴルゴも初期の作品を読むとト書き処理もある。連載が続く内にこの手法が中心となったようだ。



「島耕作」もえらくなるにつれて中国、インド、ロシア、ブラジル等を語る「経済ウンチクマンガ」になってしまい、つまらなくなっていった。それはそれでいいのだが、その手法にこの「ゴルゴ方式」を取りいれたのは興醒めだった。「課長」のころは、単身赴任した初めてのニューヨークについても、ト書きで説明していた。それで十分だった。その方法でよかった。なぜいまゴルゴ方式にしたのか、なんとも残念。

 つまらない一例として、インド篇で「不浄の左手」の話がある。インド人はなぜ食事の際左手を使わないかの説明だが、それをヒロイン?の大町久美子が質問するのである。その時点で久美子はもうインドに長く住んでいる。久美子がインドに行く前に「地球の歩き方インド編」を読んだかどうかは知らないが(笑)、セレブはあんなものは読まないか、インドに住もうとするひとならそれぐらいは知っているだろう。弘兼さんが「不浄の左手」のウンチクを披露したかったのはわかるが、それの質問者に久美子を選び、その初歩的な智識に久美子がおどろくというのは、前記ゴルゴの「沖縄独立決起前夜に決起メンバーが沖縄の歴史を知らされて驚く」のと同じ滑稽さでしかない。

 もっとも、滑稽とか矛盾で言うなら「島耕作」はそれに満ちていて、久美子にしても、初芝創業者吉原初太郎の寵愛した芸者に産ませた一人娘であり、母は巨額の株をゆずり受けた大金持ちである。正妻とも一人娘とも不仲の吉原が真に愛したのは、その芸者の愛人と久美子だけであり、久美子の婿に初芝を継がせるのが吉原の願いだった。久美子は後々世界の社交界にデビューし、将来は初芝の社長夫人となるお姫さまなのだ。
 なのになぜか登場時は短大卒の初芝の経理社員である。ソロバンが得意というわけのわからなさ。ここではそんな設定だったのだろう。しかしまた久美子も独自の動きを始める。島耕作のラブアフェアの相手として設定した女子社員が、これまた弘兼さんの「掣肘を阻」んで「吉原初太郎の隠し子」というひとり歩きを始めてしまった結果、世界の初芝を継ぐセレブレディが、名もない短大を出たそろばんの得意な娘という矛盾が出た。あちこち「後付け」だらけの矛盾に満ちた物語ではある。でもそれがまたいとしい(笑)。



 島耕作が出世するに従いつまらなくなったなと思っていた頃に「ヤング篇」が始まる。これはおもしろかった。でもズルい。だって「未来を知っている」のだから。何が流行り何が廃れるか、どんな夢のような商品が開発されるかも、そしてその夢の商品ですらもより新たな製品に押し遣られて消えて行くことも、すべて知っている。家庭用ビデオが開発された時代だ。それの普及もテープがHDDになることも、すべて知っている。家庭用電気製品の廃棄処理が問題になる、なんてことまで読んでいる。あれはちょっとやり過ぎだと思った。あの時代にあそこまで読んでいたひとはいないだろう。

 たとえば「鉄腕アトム」では、人型ロボットのアトムが空を飛ぶ時代なのに電話はダイヤル式の黒電話だ。
 たとえば「バビル2世」では、はるか未来の図書館で調べ物をするとき、相変わらずぶ厚い本を拡げている。
 後付けじゃないからひとりひとりが携帯電話をもつ時代とか、電子チップへの情報処理まで想像が出来ない。
 その点、後付けは強い。

 しかしまた後付けであるから矛盾が生じる。弘兼さんが意図してやったのかボケたのか知らないが、「課長」篇で会長宅に呼び付けられ「初めて吉原初太郎に会った」というシーンがあるのに、「ヤング篇」では、新入社員時代にもう親しく話したりして、自分で自分の作品を壊している。

 私は「課長」「部長」時代の島耕作と「ヤング」が矛盾することを、弘兼さんなりに割り切って遊んでいるのだと好意的に解釈することにした。そういう大きな心がないと「島耕作」は楽しめない(笑)。
 たとえば「課長」後半になって登場する重要な脇役であり、私がいちばん好きなキャラの「中沢部長」なんかも、「ヤング」時代に、すでに中沢課長のころから知っていたりする。そのころから中沢課長は、さすが将来最年少で社長になるぐらいの才覚を現している。中沢部長もまた弘兼さんの手を離れてひとり歩きしたキャラであり、弘兼さんもお気に入りなのだろう、だからこんなことをする。「課長篇」とは矛盾しても、それは弘兼さんの読者サービスであり弘兼さん自身の楽しい遊びでもあるのだろう。そう解釈している。



 しかし以下のものなんかは完全にボケているんだろうなあ。海外でノートパソコンに挿れて持っていった自炊ファイルを読んでいて思った。世界中いろんなところで「島耕作」を読んでいる(笑)。そういえば海外の日本人の溜まり場に置いてあるマンガは、日本の理髪店と同じく『ゴルゴ13』『美味しんぼ』『静かなるドン』がベスト3だが、ここのところ『島耕作』も増えてきた。読者は最も島耕作と遠い人生を歩んできたひとたちだが。

 小説の場合も思うのだが、こういうミスって編集者は気づかないのだろうか。あるいは描いているスタッフは。本人はしかたない。そんなものだ。いわば遮眼革を掛けた状態。まっすぐしか見えない。しかし周囲はちがう。それを指摘してやることはできないのだろうか。

 中国の電機メーカー「出発」の社長・孫鋭に、日本の女「男全(おまた)マキ」が近づき子供を産む。孫鋭は「出発」の創業者、オーナー社長、大金持ち。独身。こどもはいない。後に日本留学時代に芸者に産ませた娘がいることになる。これまた大きな矛盾なのだが、それはまたべつにして、この時点ではこどもはいないことになっている。
 男全マキの生んだ子は孫鋭の莫大な財産を受け継ぐ権利を持つ。そのために近寄り、そのために産んだ。金のためだ。悪女である。念のために書いておくがこどもはこれひとり。最初が女で二番目が男とか、そういう話ではない。

 下は、その念願のこどもが生まれたときのシーン。出産したのはインドである。携帯電話で中国にいる孫鋭に報告している。「常務篇」のひとこま。なおこの男癖のわるい悪女のことは孫鋭も疑っていて、すぐに医者にDNA鑑定をするように依頼している。

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 それから数年後、成長したこの「娘」が中国で誘拐される。身の代金目当てだ。こちらは「社長篇」の中の一篇。するとこんなシーンが。ここでは孫鋭もかわいがっているから、DNAの結果は自分のこどもだったのだろう。

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 誘拐される前の食事シーン。落ちつきのないこどもは食事途中でその辺を走りまわり、その際に攫われてしまう。「本龍」という名前から男の子と思われる。しかしインドで産まれたのは上の画にあるように「女の子」なのだ。とすると女の子なのに「本龍」なんて男っぽい名前をつけたのか。そこに誘拐犯から電話が掛かってくる。

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 やはり「息子」のようだ。とするとインドで産まれたときは「女の子」だったが、そのうち次第に「男の子」になったのだろう。一般社会でもよくあることだ。って、ないか(笑)。

 しかし気づかないのかなあ。誰かひとりが「先生、産まれたときは女の子設定でしたよ」と言えばすむことなのに。編集者もスタッフも気づかないのだろうか。ほんとに不思議だ。
 産まれたのが「常務篇」、その次ぎに「専務篇」が5巻あり、そして「社長篇」だから、画の通り赤ん坊から幼児まで作品中でも現実でも5年ぐらい経過しているのか。弘兼さんがボケて勘違いしたのはしかたないとしても、スタッフも編集者もみな忘れてしまうものなのだろうか。信じられない。



 しかしこんなことに腹立っていたら「島耕作」は楽しめない。成りゆきにまかせ、大らかな心で読むのが正しい。こういうこともまた楽しみのひとつなのだ。
 私は上掲3枚の画像を探すのに苦労した。「たしかこんな矛盾があったはず」とは覚えていても、それが何篇の何巻にあるかまでは記憶していない。よって「部長」の後半から「取締役」「常務」「専務」「社長」と探しまくった。閑人である。それもまた「島耕作」を読む楽しみだ。

 閑人と言えば、「課長篇」で登場するハーバード大卒の切れ者の八木が、出世とともに人格が変貌して行き、「社長篇」ではロシアで悲惨な殺されかたをする。容貌の変化もまたひどいことになっている。その変化を画像で並べたいと前々から思っているのだが、さすがにそこまで暇でもない。



 12月から始まるという「学生篇」だが、さてどうだろう。
「課長篇」初期において回顧される「学生島耕作」は、普通に学び遊び雀荘に入りびたったりする、あまり勉強に熱心ではないノンポリ学生だった。そもそもそういう「凡庸なサラリーマン物語」のはずだった。
 対して、後にフィリピンで死んでしまう樫村という早稲田の同期学生が、ESSのリーダーで優秀な男という設定だった。ところがキャラがひとり歩きを始めると、島耕作もまた英会話に堪能な優秀な学生だっことになり、さらには僚内の集会で、理想論をぶつサヨクの先輩を論破したりする秀でた存在として描かれる。これはきちんとした保守思想を持っている学生でありノンポリではない。これまた「課長篇」の否定だった。

 おそらく「学生島耕作」は、若者らしい軽さやおっちょこちょいな部分を見せつつも、一面においておそろしくスーパーな存在にも描かれるのだろう。なにしろ「後付け」だから。世界の初芝の頂点に立つ男の「後付け青春時代」だから、その辺はもうわかっている。「ヤング」「主任」「係長」と読めば読むほど「島耕作ってこんなにすばらしいひとだったのか」と感心することばかりだ。やりすぎ(笑)。
 40年後の世界をすべて知っているのだから恐いものなしだ。ソ連が崩壊することも北朝鮮の真実の姿も、すべてわかっている。わかっていて、北朝鮮が医療も教育も無料の夢の国とされていた時代を描く。

 前記、ヤング篇で、県人寮のようなところに住んでいた島耕作は、そこのサヨク集会に缺席がちだとサヨク先輩に怒られるが、きちんと筋立てて彼を論破する。私の憧れである。私も当時のサヨクを論破したかったが無智なので出来なかった。自虐史観には染まっていたが私はサヨクではなかった。周囲はサヨクだったがサヨクになりきれなかった。北朝鮮を夢の国と讃美する感覚に疑問を持っていた。しかしまたそれに対抗できるだけの智識も智慧もなかった。今までに「ヤング篇」の中で何度か回顧的に描かれた「学生島耕作」は私の理想の学生になる。しかしあの時代、あんな正しい学生はいなかった。いるはずがない。アサヒシンブンの報じることをみな正しい情報と思い込んでいた時代だ。あくまでもあれは「今という時代を知っているひとの描く理想の学生」である。いわば「少年H」の滑稽さと同じである。

 これから描く「学生島耕作」は、弘兼さんにとっても理想の学生であるにちがいない。今は保守思想である弘兼さんだが、学生時代にサヨクを論破する島耕作ほどの強さはなかったろう。「もしもあのころ、おれもこれぐらいしっかりしていたら……」。その視点で描かれるにちがいない。
 島耕作と同じ多くの団塊の世代が、当時を偲びつつ懐かしく読むのだろう。そこには元サヨクも数多くいるにちがいない。現役サヨクは読まないだろうけど(笑)。



「ヤング島耕作」の連載が始まったとき、私は「これを待っていた」と喜ぶと同時に、心の片隅で「これをやっちゃあおしまいよ」とも思っていた。その気持ちはいまも変らない。「学生島耕作」も同じく反則である。でも楽しみだ。

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【追記】──「会長島耕作」の老け顔

 前々から島耕作の容姿が「若すぎる」と批判があったのを気にしてだろうが、初めて「会長」を読んだら老けているので驚いた。画で老けさせるにはシワを挿れるしかない。それだけで一気に老けるが加減が難しい。「会長」には両方の目尻に2本ずつシワが描かれていた。すると島耕作が一気に老けておじいちゃんになる。66歳になる設定だからそれ相当かもしれないけど、 若々しいひとだっているし、あんなに老けさせる必要もないと思うけどな。



【追記.2】──作家と編集者--浅田次郎の凡ミス

 女の子で産まれたのにいつのまにか男の子になってしまうミスをなぜ弘兼さんのスタッフや編集者は気づかないのだろうと思っていたら、浅田次郎のことを思い出した。

 今夏、「島耕作」と同じく海外で浅田次郎のエッセイを何冊も読み返したのだけど、そこではくどいほどに、自分がいかに真剣にゲラチェックするか、遣り手の、厳しいけれど有能な編集者に恵まれているか、いかに優秀な校閲が存在しているかを語っていた。いわば爛繊璽狎田畆慢のようなものである。

 その発端は、それを知らないマスコミに攻撃された際の反論だった。
 有名な話だが、直木賞を受賞した翌日に、「直木賞受賞第一作」という帯が着いた本が平積みされた。「活動冩眞の女」だったか。それを「不自然だ」と批判した記事があった。受賞翌日にそんなことが出来るはずがない。もう受賞は決まっていて用意していたのではないかと。
 それに対し浅田は、もちろん「直木賞受賞作『鉄道員』」、「直木賞受賞第一作『活動冩眞の女』」という帯は受賞を予測して作ってあったのは当然として、その帯掛けは、「受賞決定の夜に、編集者がみな徹夜でやってくれたのだ。朝一番で本屋に届けてくれたのだ。彼らは天使なのだ」と反論した。

 チーム浅田自慢のもうひとつの流れとしてインターネット批判がある。浅田はインターネットをやらない。さらにはワープロとも無縁の今も手書きのひとである。当然インターネットとは距離を置くというか、批判的な視点で語る。世の中には検閲を受けず、他人のチェックを通さず流通するインターネット文章のようなものがある。自分が関わっている世界はそんなものとはちがうのだ。多くのすぐれた人間が、職人が、誇りを持ってチェックしてくれているのだ、という主張である。

 しかしそんなに優秀な人々に恵まれ、本人も何度もゲラチェックしている割には、彼の小説には常識的な用語の誤用が多い。周囲は直せないのだろうか。信じがたい。本人はしょうがない。知らないのだから。間違いに気づかない。これは誰にもあることだ。だけど周囲が指摘してやればわかるだろう。あまりに簡単な誤用の連発を見ると、私は彼は既に狎田天皇瓩砲覆辰討い特も忠告できないのかと思えてくる。
 でもあのシリーズエッセイはビッグになる前のものである。直木賞をまだ受賞していない40代の浅田さんになら編集者は言えると思うのだが……。浅田さんの誤用という恥はチーム浅田の恥でもあるのだし。彼の自慢する腕利きの編集者ってなんなのだろう。彼の編集者礼讃を読むと、私はただの身内の褒めあいにしか思えない。本当に優秀な編集者なら、ベストセラー作家であろうと誤用を指摘してやるだろう。本人のためになるのだし。

 つい最近の『新潮45』にも著作権を守るための文を書いていた。あの「自炊代行業者」訴訟である。つい先日勝訴したようだ。そこではネット世界を、自分達のような二重三重の校閲も校正もないから、誤った情報が垂れ流しだと批判していた。その事はまったくその通りなのだけど、彼のいる紙メディアには、そういう自慢するような優秀な校閲や校正がいるのなら、なぜ彼の文章にはあんなに誤りが多いのだろう。これまた不思議でしょうがない。

「社長島耕作」の解散預言はヒットかチョンボか!?

昨日は寒かったなあ。今年は厳冬になりそうな気がする。
去年の日記を見ると、「そろそろこたつの用意をしないと」と11月末に初めて書いている。今年はもう11月始めに同じ事を書いている。冷えこむのが早い。暖房なしでいつまでがんばれるか。



今週号の「社長島耕作」が衆議院解散を描いている。島が、万亀会長や中国人として初のテコットの理事となった陳らと一緒に温泉でくつろいでいるとき、解散の報が届く。年内解散で選挙は1月4日としている。

弘兼さんは松下電器のPanasonic改名や三洋電機の買収等、現実よりも先走ることを誇りにしてきた。未来予測である。経済界の現実があとからついてきた。
もしも今回もバッチリだったら称賛を浴びたことだろう。

だが、11月16日解散、12月16日投票という衝撃的な現実の前には、「12月解散、1月選挙」は霞んでしまう。
とするとこれはチョンボなのか?



しかしまた、民主党が政権にしがみつき、何を言われようと満期の来年9月まで解散しなかったら、「1月解散という予測」は現実と乖離して笑いものになっていた。「島耕作」そのものの存在価値を落としていた。

とするなら、ほんのすこし時期がズレたが、大胆にも「解散」と予測して描いたのは大ヒットなのか。
そんなの触れずにいてもいいことだ。現実を知ってから追っ掛けで描いた方がミスがない。それを思いきって踏みこんだ。弘兼さんなりに情報を得て、自信を持っていたのだろう。やはりヒットなのか?
 
世間の評価はどうなのだろう。

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【追記】──選挙結果は先走り

 11月29日発売号ではもう選挙結果を出し、一足早く自民党(作品中では民自党)圧勝を報じていた。

「島耕作」話──久美子に豊麗(ほうれい)線

最近の「島耕作」は、完全に「ゴルゴ13」になっている。つまらない。
それがどんな意味かはあらためて書くとして。

最新号の「島耕作」は、「社長話」が行き詰まっていることもあり、「耕作と久美子の新婚話」をやっている。それでいい。それが読者の最もよろこぶ話だ。



「65になる社長島耕作が若すぎる」とは以前から問題?になっていた。
弘兼さんは、「アラフォーの前髪ハラリのパターンで始めたため、替え時を失った」と話していた。イシダジュンイチみたいなものか。

その反省?があったのか、ここのところ「島耕作」は、いきなり65歳という年齢相応になってきた。白髪っぽく、それなりに老けさせている。
それに合わせたのか今出ている最新号では、「大町久美子」に豊麗線がある。それはまあ彼女も45歳だから当然だ。



しかし「島耕作」のおもしろさとは、「41歳の島耕作課長が、セクシーな新人OLの大町久美子21歳とアレコレすること」にあった。

65歳と45歳のくんずほぐれずでは、弘兼さんのべつのヒット作「黄昏流星群」のセックスシーンと変わりない。
なんだかな。

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【追記】──「あぶさん」と「浮浪雲」のすさまじい格差(笑)

ビッグオリジナルは、巻末のほうに「浮浪雲」と「あぶさん」が並んでいる。「浮浪雲」は時が止まっている。「あぶさん」は現在進行形だ。その極端な差(笑)。

と言えば「釣りバカ」もそうか。こちらは現在進行形なら「スーさん」は死んでたな(笑)。

「課長島耕作」話に追記──その他の作品への感想

課長島耕作に少年篇が」を大幅に書き直しました。
ゴールデン街のモデルになった店に関して質問のメールをいただいたからです。 半端な文章だったので、わかりやすくまとめました。つもり。

ついでに、弘兼マンガを「島耕作」しか読んでいないと思われると悔しいので(笑)その他の作品に関する感想も大ざっぱに書きました。私は弘兼さんがビッグコミック大賞に応募してきた素人時代の作品から読んでいます。
マンガは評論家が出来るほど読んでいるけど、評論家ほどきらいなものはないので、極力評論はやめています。映画も音楽も。私のは「感想」です。

なおきといえば、「課長島耕作」のスタッフに「唐沢なをき」の名があるのは印象的ですね。有名な話ですけど。あのころ弘兼さんのところでアシスタントをしていました。



golgobest
『ゴルゴ13』は、全作リアルタイムで読んでいて、それこそ第1話のころは高校生だったのだから、長年の友人のような親しみはあるけれど、かといって上記の本で著名人がやっているように自分流の「ベスト13」を選ぶほどの熱心さはない。この『広辞苑』みたいに分厚い「Best13」は、ファンの礼儀として買ったけど、とにかく重い。風呂の中で左手で開いて見るには無理(笑)。文庫本てのは便利なアイテムだ。

すらすらと感想を書ける「島耕作」は、かなり好きなマンガなのだろう。と思う。 



浦沢直樹が大好きで全作品読んでいるけど、「20世紀少年」じゃ筋書きがわからなくなったし(笑)、いまの「Billy Bat」もわかりません(笑)。大好きだった筒井康隆に「虚構船団」のあたりからついてゆけなくなったように、ウスラバカは天才には置いてけぼりをくうようです。

まだなんとか「社長島耕作」についてゆけているのがなぐさめ。つうかもうノウハウマンガだからついて行くとかの問題じゃない(笑)。興味が持続するかどうかの話。だからこそ長年の恋人の久美子のガンは久々に新鮮なネタだった。

島耕作話──「社長」で終るはずの島耕作に「少年篇」が!──アメトークの「島耕作」──西原理恵子「人生画力対決4」

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 「課長」で始まった「島耕作」は、「部長」「取締役」「常務」「専務」と出世して行き、今はとうとう「社長」をやっている。団塊の世代の夢の象徴として、「あの島耕作がついに社長になった」と新聞記事にまでなったほどだった。

 それとはべつに平行して「ヤング島耕作」が始まった。「課長」の前の、新入社員、平社員の島耕作である。あとづけであるからなんでもできる。なにしろ未来を知っているのだからスーパーマンだ。新人時代に早くも将来の「家電廃棄処理問題」について先見の明を発揮していたりする。「おまえは神様か」と言いたくなるほど(笑)。
 でも神様なんだよね、20年後、30年後、40年後の世界をぜんぶ知っているんだから。ちょうど家庭用VTRの1号機が出る夢の時代を描きつつ、VTRがやがてHDDレコーダになることまで知っているのだから。

 あのころ私は「すこしでも安いVTRテープ」を買おうと思い、また「テープが貴重だからCMの時は録画ストップ」をした。まさかそれから30年後にダンボール箱に入れたビデオテープを何千本も捨てる時代が来るとは想像できなかった。

 初めてCDを手にしたときは宝物のように扱った。傷を付けては大変だと細心の注意を払った。まさかすぐに雑誌の附録にもついてくるようになり、ジャマになり、まとめて捨てるようになるとは思いもしなかった。


 あとづけで若い頃の島耕作を描くことで「島耕作シリーズ」にはいくつもの矛盾点が出てきた。たとえば「島耕作と初芝の創立者吉原会長との初対面」だ。「課長」の何話かに上役と一緒に吉原邸を訪問した際の初対面が描かれている。雲の上のひとである経営の神様との間近での初対面に「課長島耕作」はコチコチである。が、「ヤング」が始まると新入社員の研修中、ショップの不法投棄に逆らっているところにいきなり吉原会長が現れる。通りかかったのだ。これじゃ課長時代のあれはどうなるのだ、となる。島耕作ファンなら誰でも気づく矛盾だ。

 最初は「弘兼さん、ぼけたのか!? スタッフは気づかなかったのか!?」と思ったが、その後同じような矛盾が連続するから、最初の時はともかく、これはもう割り切って楽しんでいるのだろうと解釈することにした。初期の「課長」時代の矛盾には目を瞑ってもらうことにして、今を楽しもうとしているのだ、と。

 なにしろ始まったばかりの「課長」のころなど、島耕作はどうしようもないヘタレである。小心翼々を画に描いたようなつまらない男だ。そんな凡才のサラリーマン話として弘兼さんも連載を始めた。ところがそこからなぜか方向転換して社長にまで駆け上がるスーパーサラリーマンになってしまう。

 「あとづけ島耕作」は矛盾だらけだが、私としてもいちばん好きなキャラである中沢部長(後に社長、あっさり逝去)の課長時代が見られて愉しい。不満はない。というか、この「あとづけ」がいちばんおもしろい。中沢部長のフルネームは「中沢喜一」。ヨーダに似たどこかの総理大臣を思い出す名前で、それだけが不満(笑)。


 名前と言えば、中沢部長は、アメリカの「コスモス映画」の買収に成功したという実績が大抜擢の基本になる。この「コスモス映画の変人オーナーの名はバクスター・ゴードン。弘兼さんはハワード・ヒューズからイメージとエピソードを得たと語っている。

 「島耕作」の売りのひとつに章のタイトルが名曲というのがある。「課長」の途中からJazzの名曲がタイトルになった。そのことで弘兼さんもスタッフもJazzに詳しくなっていっただろう(笑)。バクスター・ゴードンの名はサックス奏者のデクスター・ゴードンから取っている。こんなあそびが見えるのも「島耕作」の楽しみの一つだ。


 平社員の「ヤング」から始まった流れは「主任篇」になり、いまの「係長篇」が最後になると言われている。そりゃそうだ、次は「課長」だからすべての人生を描いたことになる。ぐるりと環が繋がる。

 この「あとづけ」で始まった「ヤング」「主任」「係長」の島耕作は、人格的にも知識、正義感、すべてにおいてすばらしく、ますます連載初期の「ヘタレ課長島耕作」の矛盾が浮き彫りになる(笑)。

 たとえば「ヤング」で、学生運動出身の先輩が初芝の新人寮でアジテーションする場面がある。あまり乗り気でない島耕作は集会に遅れ、組合運動の若いリーダーである早稲田のその先輩になじられるのだが、ハッキリとその青臭い学生の革命理論に対して反論を述べる。論破する。島耕作のかっこよさに惚れ惚れするシーンだ。
 
 でもそれはあとづけの島耕作、「人間交叉点」を経た今の弘兼さんだからできること。最初の設定の島耕作は、フィリピンで死んでしまった樫村がESSの生真面目リーダーであったのに対し、雀荘に入り浸ったり、雰囲気サヨク(私なんかもそうだったが)だったり、いいかげんを絵に描いたような学生生活なのである。なんだか「あとづけ島耕作」があまりにかっこよく、読んでいて気恥ずかしくなる。


 と、今現在の流れの「社長」と、あとから描いている若き日の「係長」連載終結で、「大河マンガ島耕作」大団円かと思っていたら、今週特別編として「少年島耕作」が載った。冒頭の写真。社長の島耕作が高校生15歳の島耕作を自転車に乗せているという時を飛んだいい絵である。
 
 三週連続でやるらしい。そうか、この手もあったのか。「社長」の次の「会長島耕作」は誰でも思いつくし、その後の「相談役島耕作」「老後島耕作」も、もう「部長」のころから楽しい笑い話にしたものだが、「ヤング」以前の島耕作は考えてなかった。「少年」が出てきたなら、次は「園児島耕作」か(笑)。さらに溯れば「島耕作の父」もかける。「島耕作」が生まれる前の両親の話。


 というのは冗談。なぜここで「少年」が出てきたか!?
 前回の「社長」で、島耕作シリーズのマドンナ大町久美子がガンになる展開になった。下腹部を指した久美子が「ここにゴルフボール大の腫瘍があるの」と言う。子宮癌か。ここのところ企業漫画に徹していた島耕作シリーズの私生活における久々の大事件である。泣きながら久美子が結婚して欲しいと言う。死にたくないと。そこでふたりはついに入籍した。大手術前のふたりだけの結婚届だ。長い長い春だった。

 ふたりの出会いは課長の40歳と短大を出たての新入社員20歳の時。あれから25年。課長だった島耕作は社長となって今は65歳、初芝の創立者吉原初太郎が芸者に産ませた隠し子であり、吉原の株を相続して大金持ちの性に奔放な久美子も45歳になった。そしてガン。なかなかの大河ドラマである。すくなくとも国営放送の大河ドラマと称しているものなんかよりははるかに大河だ。

 でもこれなんかも、晩年の吉原初太郎が最愛の女に産ませ、将来初芝の社長となる男と結婚させ自分の後継者にしようと思っていた久美子であり、母親も吉原から一千万株をもらい大金持ちという設定なのだから、なんで短大卒で初芝に就職してくるのか疑問。「世界的社交界にデビュウさせる」というプランも後に実行される。だけどだったら名のある四年制大学からイギリスやフランスに留学となるはずで、なんで名もない短大卒の一OLとして初芝に就職してくるのか。

 これも「課長島耕作のオフィスラブの相手として、若い美人の部下の大町久美子」を設定し、そこから「もしも久美子が吉原初太郎の隠し子だったら」と、「もしももしも」で路線変更していった矛盾なのだろう。

 いや矛盾と言ったら失礼か。いわゆる「キャラの一人歩き」だ。見事なキャラの設定により、作者を無視して一人歩きを始めたのだ。久美子や中沢部長の一人歩きはクリエイター冥利に尽きる愉しみだろう。


 弘兼さんは登場人物を殺すのが好きだ。読者に人気のあるキャクラクターをばんばん殺す。読者から批難が殺到するのを楽しんでいるかのようだ。果たして久美子を殺すのか。

 「少年島耕作」は、そんなヒロイン大町久美子のこれからを描くという大仕事の前にワンクッションおいたのだろう。

 吉原初太郎も、木野会長も、大泉社長も、中沢部長も、みな死んでしまった。フィリピンの銃撃で死んだ同期の樫村もいたなあ、ニューヨークで作ったハーフの娘のニャッコも死んじゃったし……。「課長」時代の八木なんて有能ないい部下だったのに、なぜか「社長」では、島耕作に絡んでくるとんでもなく悪相のイヤなヤツになってロシアで殺された……。ポイントは中国篇なのかな。中国を理解しようとしない高飛車なやつに描かれていた。

 読み返してみていちばんおもしろいのは、やはり「課長」になる。いいかげんだからこそ面白い。経営マンガ、薀蓄マンガになったら、おもしろさは目減りする。けっきょくは課長の島耕作と久美子の物語だ。
 その久美子をどうするのか!? 45歳でやつれさせてガンで殺すのか……。


 いずれにせよ「社長篇」も、あとづけ連載で始まった「ヤング」からの流れの「係長篇」もともに大詰めだ。弘兼さんは「社長篇が最後」と明言している。大河漫画の完結もまぢかい。

 いろいろ言うひとはいるし、たしかに「幸運な偶然」が多すぎるけど(笑)、私はこの作品をリアルタイムで楽しめたことに感謝している。

 先日何度目かのまとめ読みをした。テレビは見ないしインターネットも極力やらないようにしているので時間がある。かといって<きっこさん>みたいに、星を見上げたり、虫の声に耳を傾けたりするような風流な趣味もないので(笑)、マンガを読む時間が増えた。とはいえこれとか、「パイナップルアーミー」「マスターキートン」等の限られた好きな作品の読み返しだ。私の基本はビッグコミック(小学館)系なので、講談社系のモーニング連載作品はこれぐらいだ。もちろん「バガボンド」とか有名作品はぜんぶ読んでいる。読んでいることと好きはまた別。


 ひさしぶりに読み返してしみじみ思ったのは、目につく矛盾よりも、リアルタイムでこれらを読んできたという過ぎ去った時間への愛しさだった。1984年からだから28年を並走したことになる。この時間は大きい。

 たとえば、「島耕作」の名は「弾厚作」から取っている。加山雄三(も芸名だけど)の作曲するときの筆名だ。田舎の少年だった弘兼さんにとって加山雄三はあこがれのスターだった。後に対談している。うれしそうだった(笑)。そんなもの。子供のときのあこがれのスターはいくつになってもスターだ。

 弾厚作という筆名は、加山の好きな作曲家、團伊玖磨と山田耕筰から合成している。こういうことはいくらでもあとから知識として得ることはできるが、加山雄三が登場した時のかっこよさは、時代を知らないとわからない。
だからやっぱり、最後部の【餘談】に書いたけど、「アメトークの島耕作大好き芸人」の企劃は無理だった。

※ 

 たとえば、木野会長と大泉社長の決断で、取締役35人抜きで中沢部長が次期社長に決定する。これはソニーをモデルにした。あまりの行天人事に固持する中沢部長を「社長を受けてください。社長になってください」と「課長島耕作」が口説く店は、新宿ゴールデン街の古びた店だ。店名は伏せられているが、モデルとなった店を知っている身には、なんともたまらない設定である。

 「課長島耕作究極の謎」とか、そんな本があるらしい。私は読んでいない。同じような内容であろう『ゴルゴ13』のものは読んだが。
 弘兼さんは、その本が前記の店を特定したのでおどろいたと単行本「課長島耕作」のあとがきで書いていた。正解だ、と。でもゴールデン街に出入りしていたひとなら、あの店を断じるのは難しくはない。

 後に「島耕作部長」と「中沢社長」は、思い出のその店を訪ねる。するとすでにつぶれて、ない。でも同じ場所に「Chaco」というワインバーが出ている。弘兼さんはモデルにした店の名を口にしていないが、この店の名前「チャコ」からモデルとなった店の名を暗示している。

 このChacoのママは以前の店の女将の娘で、外国から戻ってきたばかりのワイン通、という設定だ。その後の「九州篇」「ワイン篇」「中国篇」にも関わってくる。
 この辺は純粋な弘兼さんの創作だが、現実にその店の女将にも娘はいて、私の知人と同棲したりしていたから、なんとなくこのへんもくすぐったい。


ハロー

 「島耕作」を語るなら弘兼さんの最初のヒット作である「ハロー張りネズミ」は避けて通れない。そういや弘兼さんのデビュウのきっかけは「ビッグコミック大賞」への応募だったけど(佳作だった)、このあたりからもう講談社系だ。「ハロー張りネズミ」には「島耕作」でも肝腎の所で絶大な働きをする「グレさん」こと私立探偵の「木暮久作」が登場している。というかほぼ主役。弘兼さんもよほど好きなキャラなのだろう。

 大ヒット作であり弘兼さんの代表作となっている「人間交差点」はビッグオリジナル連載。これは小学館。弘兼さんのことをこの作品で語るひとは多いが、これは原作の矢島正雄の作品だ。絵師としての弘兼さんの力がなければ成立しないほど密接につながっているとはいえ、根本の思想がサヨクの矢島のものだ。たとえば「あの戦争」がテーマとして何度も出てくるが、そこでは日本は紋切り型の「アジアに迷惑をかけた悪い国」である。それは弘兼さんの感覚とは異なっている。

 この連載で絵師として「矢島思想」にじっと従っていたからこそ、その後の「島耕作」も「課長」と「部長」のあいだに書かれた政治漫画「加治隆介の議」も、まっとうな弘兼さんの政治思想が表に出たのだろう。「加治隆介の議」は「島耕作」なくしては誕生しない作品だった。別の言いかたをするなら、「島耕作を描いていれば加治隆介を描くのは必然だった」となる。まあこれも主人公の政治家加治隆介が、カンボジアとか韓国でアクション映画みたいな大活躍をしていて、おもしろいけどやりすぎだとは思うシーンも多いけど(笑)。


 「部長」以降の「島耕作」は、音楽業界に出向したり、ワインの輸入に関わったりしてゆく。私は、このへんから次第に興味を失っていった。音楽業界もワイン輸入もつまらなかった。
 唯一、九州博多での活躍は面白かったけど、あの「今野輝常」にまでもやさしくしてやるのは人間が出来過ぎと感じた(笑)。
 みんないいひとになって大団円になってゆく中、なぜ「八木尊」はあんな悪相になってロシアで殺されねばならなかったのか、ほんとに謎だ。訊いてみたい。ただあれもキャラがひとり歩きを始めたようにも思う。悪相になって殺されるところまで暴走を始めた八木を作者の弘兼さんも止められなかったのか。

 「社長」になってしまうと、やっぱりつまらない。権力があるからとかではなく、完全な企業マンガになってしまったからだ。松下がPanasonicになるように、初芝をTecotにするとか、松下と三洋の吸収合併の話とか、発電産業に参加する予定だったが東日本大震災で諦めるとか、もう時代に沿った企業マンガであり、やはり主人公は課長ぐらいがいいのだなと感じる。逆に「加治隆介の議」は、総理大臣になってからの加治隆介も、すこし読みたいなと思ったものだが。


 「島耕作」と並ぶ代表作である「黄昏流星群」には、「島耕作で培った知識」があちこちに出てきて興味深い。ワインの薀蓄とか。これは小学館。「人間交差点」以来のビッグの連載。
 ここには「ハロー張りネズミ」のころから弘兼さんが大好きであり、でもマジメな「島耕作」では使えなかった「タイムスリップ」「心霊現象」「呪術」「空間移動」とかが出てくる。そういう意味で、「ハロー張りネズミ」で始まった弘兼憲史のマンガ歴史は、絵師としての「人間交叉点」で方向性を確立し、思想として「島耕作」「加治隆介の議」で結実し、すべてを含んだ遊びとして「黄昏流星群」で完成を見たというのが「論」として正しいように思う。



【追記】──中国蘇州篇「周紅梅」の呪縛について──7/29

 「島耕作シリーズ」には、弘兼さんの大好きな「呪術」「呪縛」が出ないと書きましたが、この「周紅梅」に呪縛が出てきますね。忘れていました。ほんとにほんとにこういうネタの好きなひとだから、さすがに「フランス ワイン篇」なんかでは出せなかったけど、中国篇になったら、しんぼうたまらん、という感じで描いてしまったのでしょう。すごくマジメな島耕作ファンからブーイングだったと思います(笑)。



 「黄昏流星群」は中編のアンソロジーだから、出来不出来に差があり、大好きだからこそがっかりした作品も多いと批判するひともいるが、まあそれはしょうがない。どんなすぐれた作家も短編すべてが満点とはゆかない。

 さて、じゃこれから「黄昏流星群」でも読もう。私も好き嫌いがあるので好きなのだけを選んで。

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【餘談】──アメトークの「島耕作」

 私は「アメトーク」が好きだけど、中身の好き嫌いにはかなり差がある。好きな中身のときは録画して保存するが、中身次第では見ない回も多い。

 「島耕作大好き芸人」だったか、そんなタイトルの回はひどかった。楽しみにして見たのだが、出演した芸人が「島耕作大好き、詳しいですよ!」と言うには、あまりに若いのだ。30歳そこそこの麒麟の川島が島耕作マニアとしてしゃべるのは無理がある。実際知識も浅いのが見え見えだ。かなり無理な企劃だった。連載が始まったときは赤ん坊だろう。いくら若くても、「20歳の大学生のときから読み始めて28年経って、いま48歳」ぐらいでないと話にならない。もちろん最適なのは島耕作(=弘兼憲史)と同じ団塊の世代だ。

 お笑い界にそんな世代はいないのか。年齢的には西川きよしだ。西川きよしは島耕作を読まないだろうし、読んだとしても中学を出てがんばって、24歳の時には家を建てていたと自慢するあのひとでは「島耕作」は楽しめないか(笑)。

 川島世代のお笑い芸人だからこそ他人事風に楽しめたと言えるのもしれない。一種の夢物語として。ま、あたらずとも遠からず、冬来たりなば春遠からじ。冬の来ない春はない。来週も「少年篇」を読まないと。

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【追記】──西原の「人生画力対決」 ──弘兼、柴門ボロクソ(笑)

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 過日、西原の「人生画力対決」の3と4を買って読んだ。もちろん1,2も持っている。
 これが連載されている「スペリオール」は「あずみ」終了以降読んでない。すっかり「雑誌派」から「単行本派」になってしまった。今回この「画力対決」はUstreamネット中継があると知る。まあそこまで関わる気もない。単行本だけでいい。

 「岳」の石塚真一が登場していて興味深かった。「ほんとは山マンガでなくJazzマンガが描きたい」のだとか。楽しみに待とう。その割りにはマイルスの画がへたすぎだったが(笑)。「岳」が高い評価を受けたので、書き続けることがきつくなっているのだろう。わかる心理だ。

 「画力対決」には登場しないのだが、パーティで顔を合わせた弘兼憲史が出てくる。西原は前から弘兼をボロクソに言っている。ついでに「こいつの女房(柴門ふみ)のマンガがまたつまらなくて」と、怖いものなし状態(笑)。ほんとすごいな、西原って。大笑いした。
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