落語

今日の修正──「立川談志の死」の「新日」──訃報に接する態度

いつものよう午前3時起床。
「人気記事」を見ると、「立川談志の死」が入っている。今度は誰かが落語話を引っ張りだしてくれたのか(笑)。というかこれは分類的には「訃報」か。
ということでチェックしていたら、プロレスの「新日」を「親日」と書いているのを見つけて修正。
これは逆も良くやる。気をつけよう。 



心優しい日本人は、なんでも水に流す。
村八分でも、火事と葬式の二分は例外である。
知らないひとでも、とりあえず死んだと聞いたら哀悼する。
それはきっといいことなのだろうが、ひねくれ者の私には不可解でもある。



16年間暮らした最愛の猫を失い、埋葬した家の隣の畑で泣き濡れていたら、実家に帰ってきた姉(実家に帰るの正しい使いかた)とその娘が、線香をあげようと畑にやって来た。事勿れ主義者でなんでも適当な私だけど、そのとき反射的に激しく拒んでしまった。一瞬で反応した自分におどろいた。

おとなげないと言われるだろうし、他者の好意を無にしていると嗤われるかも知れない。
東京で一緒に暮らしていた猫は、私が外国旅行に行く間に両親に預かってもらうようになった。老父母は猫をかわいがってくれた。いまも感謝している。そして猫の存在は、私とあまり仲の良くない母とのあいだもとりもってくれた。これは猫に感謝することだ。

猫嫌い、というか動物嫌いの姉は、自分の実家に猫がいることを嫌った。臭いとか気味が悪いとか、あれこれ言っていた。その娘(姪)も同じ。姉(母)が動物嫌いで飼わないから娘ふたりも動物嫌いになっている。まこと、親の影響とは大きい。そんなふたりに、死んだからと言って神妙な顔で線香をあげに来られたらたまらない。

ほんとにもう事勿れ主義であらゆる摩擦を嫌い、誰とも揉めたくないと思って生きてきた私だが、線香を手に神妙な顔で現れた姉と姪を「やめてくれ!」と激しい口調で拒んだ。よろこんで受けいれられると思ってやってきた姉と姪は予想外の事態に驚いた顔をした。ふつう線香をあげに行けば、それこそ故人の殺人者でもない限り受けいれるのが日本の常識だ。姉は常識にそって行動した。それが拒まれた。

しかしいちばん驚いていたのは私自身だった。そういう激しいことが自分に出来るとは思っていなかった。でもそれだけあいした猫だった。自分が汚されてもかまわないが、彼を護るためならなんでも出来た。自分を臭いとか気味が悪いと嫌っていた人間に線香を上げられても彼は喜ばない。恥だらけの人生だが、あのときのあれは、私には珍しくよくやったと思っている。



日本人は死んだらなんでも許してしまう。
朝鮮人の長州力は、自分の嫌いなヤツ(安生だったか)に対し、「あいつが死んだら、墓に行ってクソぶっかけてやる」と言った。「あんなヤツ、死ねばいい」ではない。死んだ後にも墓に行ってクソぶっかけるのである。まさに朝鮮人の恨の思想をよく顕わしている。時勢とはいえ、こんな民族を併合してしまったのだから、あと何百年経とうと憎まれ続けるだけである。日本人はそこを理解せねばならない。死んだら水に流す自分達とはちがうのだ。



しかしまた日本人の何でも許してしまう感覚にも問題はある。
原爆を落とされ、大量無差別殺戮をやられたのに、その相手を責めることなく、「二度と過ちはおかしません」と碑に刻む自省はヘンなのではないか。



談志が死んだとき、談志の落語など一度も聞いたことのない連中が、いかにも神妙に、かなしげに語っているのは、私には不快だった。しみじみ心の狭い人間だと恥じいるが、この感覚を当の談志は支持してくれるだろう。この「立川談志の死」という文は、熱烈な談志信奉者には嫌われるだろうが、談志本人には気に入ってもらえると思っている。

長州力のように、死んだ後に墓にクソをぶっかけに行くほど嫌いなヤツはいないが、興味のないひとが死んだとき、死んだというそのことだけで哀悼するようなことはやめようと思っている。興味のないひとには、その死にも興味を持たないのが礼儀であろう。

ツイッター考──談志訃報に便乗する安易なブログ文章

日本人は死んだらみな神様にする。死んだらみな許す。

だから在日朝鮮人のプロレスラー長州力が、敵対した相手に「あいつらが死んだら俺が墓に糞ぶっかけてやる!」と言ったのは新鮮だった。日本人だったら「ぶっころしてやる!」までだ。墓に入ったらもう許す。墓に入っているのにさらに糞をぶっかけはしない。朝鮮人の感覚がよくわかる名言、いや迷言だ。いまだに豊臣秀吉を恨んでいる民族だから墓に糞もぶっかけるだろう。



しかしまた日本人は、死んだらみな知らない人まで追悼せねばと勘違いしている。仲間外れにする村八分も「火事と葬式」だけは別物だ。だから八分。死んでしまうと生前のことはすべて水に流す。すべて別扱いになる。

談志が死んだからと、あちこちで追悼が始まった。それはそれでいいのだけど、こういう場合、必ず話題に便乗してくるヤカラが出現する。それもまたそれで日本の風習みたいなものだからしかたないとは思うのだが、自分のTwitterにも関わってくるとカチンとくる。思わずつぶやいた。

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RTされてきたので出かけてみた。「師匠の言葉は深い」とか、いかにも物知り気なので、ほんまかいなと確認だ。すると、どう考えても談志の落語など聞いたことのない無名女タレントが、「死」という話題に便乗してネタにしていただけだった。引用されている「師匠の言葉」は、その辺の追悼記事から探してきたのだろう。

これはこれでかまわない。文才もなくブログネタにも困る無名タレントにとって立川談志を追悼することでアクセスが増えれば御の字なのだろう。勝手にやってくれ。だけどこんなのを何も考えず機械的にRTしてくるフォロワーにはうんざりする。なんと安易なのだろう。なんとセンスが悪いのだろう。
私がフォローを外すのはみなこのパターンだ。RTには人柄とセンスが出る。

立川談志の死──立川談志カール・ゴッチ論──北朝鮮拉致被害者に対する暴言の記録

立川談志が亡くなったらしい。大相撲を見ているとき、中断の5時のニュースで知った。これからしばらくマスコミは追悼と絶賛が続くだろう。明日のワイドショーなどは一色か。
私の談志(と亡くなった日だからこそ呼び捨てが優れた芸人に対する敬意ですよね)に関する想いは、ホームページに今までたっぷりと書いてきたので、ここでは省く。興味のあるかたはここに書いてあるので読んでください。

ひとことで言うと、私は立川談志という落語家を礼讃はしていない。志ん生はもちろん志ん朝とも比ぶべくもない。でも「落語評論家」としては日本一だと思っている。談志ほど落語を真剣に考え理論化したひとはいない。彼の落語CDはぜんぶもっているが「五大落語家論」がいちばん好きだ。

落語よりも百倍詳しいプロレスで例えると、私の感覚では、立川談志はカール・ゴッチになる。この比喩に新日ファンの落語好きは大喜びするのか。プロレスの神様カール・ゴッチの狄斥有瓩世函まああれはゴッチぐらいしか招聘できない猪木が無理矢理作った大嘘だが。

ミスター・プロレスはルー・テーズである。最高に強くてかっこよく、適度に弱い奴にもブックなら負けてやり、逆らってくる生意気な奴はバックドロップで泡を吹かせる。何でもできる真の最強レスラーでありチャンピオンだ。すなわち志ん生である。談志は志ん生のようなチャンピオンになれず、不器用な「ほんとなら俺が一番強い」とふて腐れているゴッチである。

志ん生に対する憧れ、志ん朝に対するコンプレックスにも、それがよく現れている。王様と王子さまに対する平民の悔しさだ。

高座で寝てしまい、客が「そのままにしといてやろうよ」と寝てるのを見守ってもらえた志ん生。
自分の落語の時に寝た客を寄席からつまみだし、裁判ざたになった談志。

談志というひとの落語、生きざま、主張、すべてカール・ゴッチのように思える。上記、「自分の落語の時に寝た客と裁判沙汰」なんてのは、WWWFのチャンプだった“ネイチュアボーイ”バディ・ロジャースを控え室で殴ったゴッチに通じる。ゴッチを神様にしている日本人は「実力のない人気だけの奴に焼きを入れた」という「ちょっといい話」にしているが、こんなのは売れない芸人が人気者に嫉妬しただけの暴力事件だ。当時ニューヨークで活躍していた馬場は、ロジャースがいかに華やかでスターとしてのオーラをもっていたかを証言している。ゴッチを慕う弟子も前田日明とか、そのへんの流れも談志とよく似ている。談志も前田も「生涯欲求不満」ということで共通する。

談志が死んで、その感覚を最もよく引き継いでいる芸人は太田光か。ふたりは仲がよかった。顔も所作もよく似ている。太田は談志を尊敬し、談志は大田をかわいがっていた。談志は「爆笑問題の片方は俺の隠し子」という冗談を好んだ。私はふたりとも大嫌いだ(笑)。大田の憲法9条に関する発言を読んだりすると吐き気がする。



落語家・立川談志が生前、「北朝鮮拉致被害者」に対してどのような意見を吐いていたか。以下にまとめて書いた。2002年11月のものだ。

これからしばらくはマスコミでは「立川談志さん哀悼と絶讃」が続く。
それとは別に、こういう発言をしていた、この程度の人間であることも、よく確認して欲しい。

北朝鮮被害者に関する立川談志のとんでも発言──2002年11月

これが載ったのは談志のサイトだった。今はもう削除されてしまい目にすることは出来ないが、これが立川談志というひとの基本である。落語以外ではこの程度の男である。
これも抗議されたから削除しただけで、もちろん謝罪なんてしていない。あまりにお粗末だ。どんなに落語が巧かろうとまともな人間とは思えない。こども時代から50年ぐらい見ているが、むかしから粋がって発言するたび、こんな的外れなのばかりだった。しみじみたいしたもんじゃないと思う。談志を崇拝している人間でまともなのにあったことがない。ついでにカール・ゴッチ崇拝者のプロレスファンもろくなもんじゃない。

明日からスポーツ紙、芸能記事、テレビのワイドショー、みな「立川談志師匠追悼一色」になるだろう。私は「立川談志的ひねくれ者」として、彼のこの「とんでも発言」を強く主張してゆきたい。

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附記 11/24──ワイドショーふたつ──みのもんたとミヤネ屋

私の生活は午後9時就寝、午前3時起床。3時からPCに向かっていて、時計を見たらちょうど5時半だった。みのもんたの番組が始まるなと点けてみた。11月6日にテレビのある生活に復帰してから初めてだ。ちょうど5時半に時計に目がいったのもなにかの縁だろう。以前はよくこんな形で5時半から30分ぐらいこの番組を見ていた。ひといきつきたくなる時間なのだ。3時間のロングワイドショーだが、1時間を3回繰り返すだけなので、すこし見れば全体が見える。「8時またぎ」と銘打って7時40分ぐらいから8時20分ぐらいまでやる大ネタ(これはうまい手法だ。8時から始まる他局のモーニングショーへチャンネルを替えさせない作戦)は、ゲストに興味があったらその時間にまた点ければいい。

案の定オープニングはみのの談志との想い出話だった。昼間から酒を勧められ、「イヤ、時間が」と言ったら、「あんたは時間で酒を飲む飲まないを決めるの? 時間と酒は関係ないだろ」と絡まれた話。私も24時間飲みたいときに飲むので談志の意見はよくわかる。ひとさまが起きだして朝飯食って出勤するような時間に風呂に入って酒を飲むのは楽しい。もちろん生番組が控えていて飲めなかったみのの気持ちもわかるけど。

みのの想い出話自体はおもしろいのでまだ見たい気もあったが、この種の番組ではよくあるように、談志のだの字も知らないような(いや、ようなじゃなくてほんとに知らないな)若い女子アナが、いかにも悲しくてならないという感じの殊勝な顔で打つ「ほんとに」「ええ」「すごいかたでしたよね」なんて相槌が煩わしくて消した。なにが「すごいかたでした」だ。演目ひとつ聞いたことがないくせに。
見たのは5分ぐらいだったか。私は談志崇拝者ではないけれど、長年見てきた落語家として彼の死を悼んでいる。そんな私にはこういう女子アナは不愉快で見ていられなかった。こういう浅い演技が視聴者を不快にすることに気づかないのだろうか。というか、視聴者のほとんども同じようなものか。



午後、こたつをセットした。そろそろやらないとと懸案だった。まだ火はいれないけど、とりあえずの冬支度。いい天気で、秋の陽光が差し込む私の部屋は温室のよう。ホットカーペットを敷くのに掃除機を掛けたりしたら汗ビッショリになった。ティーシャツ一枚になる。ほんとにこの部屋は暖かい。夏は地獄だが。

そのとき、ちょうどまた偶然に午後2時ぴったりだったのでミヤネ屋をつけると、木久蔵が談志を語っていた。ミヤネ屋を見るのも7月24日以降初めて。
これは1分ぐらい見て、すぐに消した。談志や木久蔵の好き嫌いとは関係なく、この種の訃報に関するワンパターンはつまらない。「××にいるときに、△△さんから電話があって、それで知りました。おどろいて、ウンヌン」。

きついことを書いたので、ここに来て気分を害した談志ファンもいるだろうが、私は彼のCD全集もぜんぶもっているし、著書も、弟子たちの書いたものも含めて99%読んでいる。談志が企画立案し、自身で司会をしていた『笑点』も初回から見ている。後に不仲になり縁を切るので談志は『笑点』をボロクソに言うようになる。スタンダップコメディアンとして語っていた談志も見ている。距離をおいた50年だが、ここ何年かで談志のファンになり、弟子でもないのに談志を「家元」なんて呼んでいる半端な談志ファンよりはよほど談志を見てきた自信はある。

ただし肝腎の寄席は、彼が「立川流で独立してから」は見ていないので、そこのところは弱い。立川流で独立してからは、生の高座には接していない。寄席で見ていたのはその前になる。
彼の弟子筋もCDでは聞いているし著書も呼んでいるが高座は見ていない。そもそも私はプラチナペーパーとか呼ばれるものには一切近寄らないから当然だ。落語なんて予約までして見にゆくものではない。気が向いた時ふらっと寄るのが寄席だ。上野鈴本や新宿末廣にもそんな気分ででかける。

今日はこれから晩酌の時、私なりに談志の噺を聞いて追悼しよう。DVDも6枚ほどもっているから、それを見るのが筋なのだろうが、私は彼のしゃがれ声の音曲は好きではないし、「演芸評論家としては日本一」と書いたことからも、CDの「立川談志のゆめの寄席」を聞こうと思う。

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これはいわゆる「わたしの選んだおもしろい落語 立川談志編」で、談志が自分の好きな先輩落語家の噺を紹介するものだ。談志は解説と進行を兼ねてしゃべっている。登場はほんのすこしだが、落語への愛情が感じられてすばらしい。本来なら談志の「芝浜」「文七元結」「らくだ」のような大ネタで偲ぶべきなのだろうが、わたしなりにこれにした。
それと一番好きな「五大落語家論」はやはり聞こう。志ん生や文楽への愛情があふれていて、何度聞いても楽しい。

談志が選挙に出た時、選挙カーで文楽の家の前を通りかかり、「黒門町の師匠、談志です。よろしくお願いします」と選挙カーからやったら、二階の窓を開けて文楽が顔を出し、「ようがす」と言ったって話はいつ聞いてもいい(笑)。

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【附記.2】 11/25──東スポの「談志に隠し子騒動」

金曜土曜だけ東スポを買う。競馬の馬柱を見るために。
11月25日の夕方。金曜版の一面に「談志に隠し子騒動!」。
あれだけのひとだからいて当然だ。
と興味津々で読んだら、なんと上に書いた爆笑問題の太田光のこと。
あいかわらずの東スポだ。他にネタはなかったのか。

今おもしろい落語家──1位柳家喬太郎







 文春ムックの順位で、1位柳家喬太郎、2位立川志の輔だった。私の順位と同じでうれしくなった。

 昨年からその事を書こうと思いつつ、本屋で見かけたこの本がなんだったのかわからなくなっていた。何度も検索し、やっと文春ムックと知った。ひとと同じ事を喜ぶ気質ではないが、多くの落語ファンと同じ意見だったことはすなおにうれしい。続きはホームページで。




 「今おもしろい落語家──1位柳家喬太郎」

落語の朝──正蔵と小米朝

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落語の朝──正蔵と小米朝


 16日はTBS落語研究会があった。午前4時25分から5時15分まで。こんな時間に誰が見るのだろう。「落語特選会」のころは見ていたが今はまったく見ていない。あれは深夜一時半ぐらいからだったからまだ充分に夜だった。これはもう夜とは言い難い。見なくなった。今回も偶然である。
 通例として朝は五時からで、この時間は日曜の朝ではなく土曜の28時25分と表記するらしい。視聴者は早起きしてみる年寄りの方が多いだろう。

 
 正蔵が「ぞろぞろ」、小米朝が「七段目」。興味深かったのは正蔵が長年やってきた、というかそれだけでもってきたような「海老名家ネタ──三平から兄弟姉妹まで」を一切やらず、前振りなしで本題に入ったこと。そして逆に小米朝が、「米朝ネタ」をマクラとしてたっぷりやったこと。
 国立劇場とはいえ客には「ウチの人間国宝がこのあいだ骨折しまして」「なにしろわたしは国宝の息子ですから」とアクション混じりでくだけた話をする小米朝のほうが受けていた。

 正蔵を襲名したこぶ平が、毎度の三平を引き合いに出してのマクラ(天国のお父さん、ぼくどうしよう、落語が出来ないんだ──せがれよ安心しろ、おれも出来なかった、のような)を一切封印しているだろうことは予測できた。
 だがまだそこには「もう正蔵なのだから。国立劇場だから。テレビ録画だから」の意気込み、かたさが見えていた。おどおどしているように見えた。まだまだである。
 対して小米朝はなんら迷うことなく米朝ネタを開陳してすなおに笑いを取っていた。
 正蔵が自分の藝に自信を持ったなら、やがてまたむかしのように堂々と三平ネタをやるようになるだろう。最近なら絶好の小朝泰葉離婚ネタがあった。それでこそ本物である。今の封印もまたわかる。先は長い。
 なんとも意味深なふたりの組み合わせだった。

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 次いで5時15分から45分までNHK「日本の話芸」。ざこばの「子は鎹(かすがい)」。関東では「子分かれ」の演目。私は「芝浜」とか「子分かれ」は嫌いだ。それはともかく。
 ざこばはかんでばかりいるし滑舌もわるく、ひどい出来である。といって今回がそうというのではなくいつもそう(笑)。この人の持ち味。
 かすがいを知らない人もいるだろうからと実物を見せて説明する。うしろの人は見えにくいだろうといきなりより大きなものを取り出して笑いを取る。この辺は関西藝人のサーヴィス精神。「わたしこれ、自前で買ってきました。落語のためならお金は惜しまないんです」って、たかがかすがいで(笑)。

 不思議なもので好みは変る。最近の私は立て板に水の流暢なものよりこんなのを好む。CDでも志ん朝や文珍の流麗なものはまったく聴かず、志ん生の登場人物の名前も忘れたような投げやりなもの(笑)ばかり聴いている。それと昭和三十年代のラジオを思い出す、思い出すというかもろに当時のものだが、金馬の落語。それらがあたたかくてほっとするのだからしょうがない。落語の好みもこちらの精神状態によって変る。

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 というわけで、偶然落語を連続して聞いて(見て)しまった夜(朝?)だった。いつ以来だろう。二年ぶりぐらい。

◎「早指し将棋選手権」の思い出
 見終わって思ったのは、毎週この時間は夜更かしであれ早起きであれ、テレ東の「早指し将棋選手権」を見ていたなあ、ということ。終ってもう何年になるのだろう、放映時間は微妙に変わったが、日曜明け方の思い出として体にしみこんでいる。
 不人気だったらしく、日曜の朝の九時からだったのに六時からになり、五時からになった。六時はまだ朝だったが五時になるともうついゆけない。(ゆけたが)。このままじゃ四時台になり三時台になるのじゃないかと心配していたら五時代で打ちきりになってしまった。競艇の笹川さんのようなスポンサーがいなくなったらもう打ち切りしかなかったのだろう。

 長年ヴィデオに取りため、数年前DVDに移植したものが何十枚もある。どれぐらいだろう、50枚以上100枚未満。当時はビデオテープもけっこう高かったから、つまらない勝負だと録画したあと上書きして消したりしている。HDDレコーダの便利さを痛感する。とはいえそういうふうにセコく上書きしたビデオテープの消しのこりCMなんてのが味になる。
 いつしか見ることがあるだろう。四段になったばかりの中学生の羽生が、若い森内が、佐藤がいる。王者の中原、谷川がいる。咳払いをし、体を揺する加藤がいる。貴重な二上会長の二歩による反則負けの一戦もある。大山の映像は宝物だ。

 と、ひさしぶりにテレビで落語を見たのだけれど、想いとしてはそのあとぼんやり思った「早指し将棋選手権」への郷愁の方が強かった。衛星放送を契約すれば将棋番組なんて一日中見られるし、見たければそういうものと契約しろという時代だ。まだする気はない。

円楽『笑点』復帰と千秋楽2

円楽『笑点』復帰と千秋楽
 

 3月26日から『笑点』に円楽が復帰だと知った。落語家の円楽が好きなわけでもなく『笑点』に関しても近年のボケ司会はひどいものだったから、彼の復帰を待ち望んでいたわけではない。しかしながら40年近くも前から(なんとなくではあるが)見てきた番組だから、そこそこの興味はある。特に近年、落語に本格的に興味を持ち、好事家のあいだで『笑点』を否定することが通の基本のように言われていることを知ってからは、みょうに贔屓になったりしている。その理由はよそにも書いたが、病気で気弱になっているようなとき、『水戸黄門』の単純な勧善懲悪に心が癒されるように、ああいうものには独自の効用があるということに尽きる。たぶん「演歌」等にも共通のモノがあるのだろう。まだ未経験だが。(『笑点』は1966年開始だから今年の5月で丸40年となるようだ。)

 なにがどうであれ良きマンネリの最たるモノが復活するのだからめでたい。長寿の年寄りが生きていてくれるだけでありがたいのと同じだ。
       その日は6時過ぎに都心で待ち合わせがあった。折しも朝青龍と白鵬の優勝決定戦があるかも、という千秋楽である。録画予約をして出かけようと思っていた。
     
       以前のようにヴィデオデッキを6台ももっているときならともかく今はすべて処分してしまってHDDレコーダ1台だけである。とはいえこれは1台でHDDとVTRに同時録画できるスグレモノなので両番組を録ることは可能だ。だがそこまでする必要はあるまいと判断した。HDDレコーダに馴れてからVTRは面倒で触っていない。
       私の判断は、午後4時から5時45分まで大相撲を録画、45分から6時まで『笑点』録画、である。これで朝青龍と白鵬のどちらが優勝してもそのシーンを録画でき、円楽復帰の大喜利も録画できると判断した。
       相撲の45分以降は表彰式のはずだ。テレビも「決定戦の可能性があるので取り組みの開始をいつもより早くしている」と言っている。たとえ決定戦かあったとしてもこの判断で間違いあるまい。
     
       録画して出発しようと思ったが好取組が続き相撲から目が離せない。今場所は15日間缺かさず観戦してきた。しかも十両時代から応援してきた白鵬の初優勝がかかっている。相撲に関する文章でいちばん白鵬のことが多い。それだけ好きな力士の出世の瞬間だ。今から出てももう遅れるのは確定だ。ここはもう腰を据えてリアルタイムで見るべきかと居直る。
      
       そこに電話が来る。何時に着くかと。あちらはもう近くまで来ていると思っている。まだ家を出ていない。出発せねばならない。でもテレビから目が離せない。私は遅れることを告げて了承してもらった。あちらの家を訪問するのでその点は気楽である。もしもこれがどこかの店での待ち合わせであり遅れてはならない状況だったらと思うとゾっとする。いや後にゾッとした。
      
       白鵬が魁皇に負けた。朝青龍の優勝かと思ったら朝青龍まで栃東に負けた。魁皇の大関残留が決まり、栃東の来場所への横綱昇進の夢が繋がった。白鵬の大関昇進は決定している。そして優勝決定戦が見られると万事丸く収まったかのような結末。
       それはそれでめでたいがこれで10分間の休憩をとって決定戦というときにもう5時45分。HDDレコーダは『笑点』の録画を始めた。重要度が違う。私はそれを止め、大相撲を録画状態にして『笑点』を見ることにした。相撲の方は対決に向かっての細かな緊張感の盛り上がりをじっくり見たい。決定戦のヴィデオもゆっくりと鑑賞したい。対して『笑点』の方は円楽復帰の瞬間を見て、「よかったね」と祝福するだけでいいのである。どちらを録画するのかに迷いはなかった。
      
       『笑点』は、どういうことなのか司会は歌丸のままだった。円楽はどうしたのか? また体調を崩して復帰はお流れか?
       相撲の方は朝青龍優勝。
       そこまで見て外出。遅れたお詫びを言って飲みに出かけた。
      
       もしも当初のままの録画設定だと、いよいよ優勝決定戦というところで録画が終り、円楽の復帰していない大喜利を録画するという最悪の事態となっていた。
       優勝決定戦はニュースでも見られたろうが、乱れた髪を直したりして盛り上がってゆく流れが楽しいのだ。勝負だけを伝えるダイジェストなんてのは相撲じゃない。それは見直して確認する。ひとときも休まず体を動かして決定戦へのやる気を見せる白鵬。初優勝への興奮からこれは動かずにはいられなかったのだろう。対して朝青龍は沈思黙考している。こちらには15回優勝の経験がある。
       それらを見られて、結果として助かったが冷や汗ものである。最悪の事態と紙一重だった。
      
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       その後も私は円楽のことを知らなかった。ふと気になり調べてみたら、「大喜利司会は歌丸に任せて、進行の部分のみの復帰」と知る。なんだ、そういうことだったらしい。なら26日も予定通り出ていたのか。私は「大喜利司会復活」とばかり思いこんでいた。
       円楽の判断は正しい。倒れる前から呂律がおかしく当意即妙な反応が出来なくなっていたのだから降りた方がいい。当意即妙もなにも精緻な台本があるのだから本来はそんな能力は必要ない。与えられた役を演じるだけでいいのである。それすら出来なくなっていた。
       3月26日も冒頭のオープニングでは登場していたのだろう。45分番組が30分番組になってからますますつまらなくなり、この演芸の部分はいつも見ていない。じゃあ大喜利がおもしろいのかというとそういうわけでもないのだが、近所のおじいちゃんの元気な姿を確認して安心するような気持ちで、毎週家にいるときは必ず確認?してきた。春秋の競馬シーズンになると日曜のこの時間は競馬場周辺で飲んでいることが多くなり、それすらも出来なくなる。
      
       ということで4月2日。今度は冒頭からしっかり見た。すると円楽が出てきて呂律の回らない舌で、簡単な挨拶と芸人紹介を懸命にやっていた。これで精一杯だろう。
       ともあれ復帰おめでとう。 長寿番組記録更新を心から願う。

好き嫌いによる好き嫌い──志ん生とヤマモトシンヤ

mas 好き嫌いによる好き嫌い──志ん生とヤマモトシンヤ
 NHKに志ん生の魅力を探った番組があることは知っていた。どこで知ったのだったか。案内人はロマンポルノ監督のヤマモトシンヤである。志ん生に関することだからぜひとも見たいと思いつつ、そこが引っかかっていた。ヤマモトは民主党左派というよりもうほとんど社民党的な発言をしているテレ朝専属の心情サヨクである。しかしなんでああもろくでもない映画監督というのは似たり寄ったりなのか。サイとかイヅツとか。サイはまあ在日朝鮮人だからいいとしてイヅツなんてのはバックの資金源である朝鮮総連との絡みだというのだが正気なのかと信じがたいほどのバカ発言を連発している。あれがいやでアサ芸もすっかり読まなくなった。ヴァラエティ番組もこの種の連中の顔が見えたら即座に消す。



 チェンマイにみんなの嫌われ者の「イタ公」というのがいる。イタリアに何年かいたとかで誰彼かまわずイタリアの自慢ばかりするので、いつしかイタリアンと呼ばれるようになり、傍若無人な態度がみんなに嫌われて、いつしかイタ公になっていた。こいつの話題はすべて自分の自慢である。父方は天皇家の、母方は徳川家の血を引いていると力説する(笑)。誰も信じないものだからとうとう手書きの自分史を作って配り始めた。
 『サクラ』の丸テーブルでわいわいやるとき、誰もが「いまいちばん人徳がなくて嫌われ者といったら、やっぱり圧倒的にイタ公だな」なんて話になる。するとあっちのほうからやってくるのが見えるので急いで口をつぐむ。そんな光景がよくあった。
 私は彼の自分の自慢しかない話しぶりがおもしろくて、けっこう彼の相手をした。仲のいい方であろう。さすがに一通り聞いてしまうともうあとは繰り返しなので、彼の姿が見えるといかにも用事を思い出したように席を立つことが多くなったが。

 イタ公はひどいウヨクである。もうもったいないので右翼と漢字で書きたくないぐらいのお粗末な人である。こいつが私やらいぶさんがはるばるチェンマイまで持っていって『サクラ』に置いた『SAPIO』に、逆上的なことを書き込むものだから、いつしか『SAPIO』はイタ公不人気と連動して気味の悪い雑誌とされ『サクラ』から所払いをされてしまった。中国がいかに日本に対して失礼な外交をしているかというような記事があると、その横に赤ボールペンで、「そうだそうだ、あいつらみんな皆殺しにしろ!」なんて書き込むのだからたちがわるい。
 イタ公のことはまた「チェンマイ雑記帳」にでも書くとして、このイタ公の日芸──日大芸術学部ですね──時代の後輩がヤマモトで、当時は応援団に所属していた硬派なのだそうである。嘘か誠か知らない。ただなんとも情けないのは、イタ公が真に民族主義的感覚を持っているなら、今のヤマモトの姿勢を厳しく批判せねばならないのに、イタ公はおれはヤマモトシンヤと知り合いなのだと誰にでもそれを自慢するのだった(笑)。それだけでどの程度のオツムかわかる。



 数日前の明け方、5時ぐらいにNHKNHK教育TVをつけると、いきなり志ん生の写真が出てきた。志ん生はほとんど映像が残っていないので、そのモノクロ写真を紙芝居のように連続して噺と連動させている。おもしろいな、なんだろう、これと思っていると、しばらくしてヤマモトが出てきて得々として語り始めたので、これがそのかつて聞いた番組の再放送(厳密には再々再々ぐらいなのだろう)だと気づく。
 志ん生にもっと触れていたかったが、「志ん生落語を知らない人に、大の志ん生ファンであるヤマモトシンヤ監督が解説する」という構成が不愉快で途中で止めた。たぶん私の見始めたのが5時5分ぐらいで、5時半までの番組だったのではないかと思う。もしかして、もうすこし長いか? 45分番組とか。

 志ん生を見るよろこびよりヤマモトのいる不快の方が自分にとっては強力なのだと確認した時間だった。
 そうして、自分にはその傾向が強いなあ、これは不幸なことだなあ、と痛感したのである。たとえば国会中継を見る楽しみよりも、ツジモトの顔を見る不快の方が強い。小泉首相の答弁を聞きたくてもツジモトが関わるとなると消す。フジテレビの競馬中継を見る楽しみより、アオシマという自己陶酔絶叫型バカアナの中継を聞かねばならない不快の方が強い。音を消したりラジオで聞いたりする。アオシマは毎週ではないので、好きな馬のレースのときこいつだと、ああなんてついてないんだと思う。世の中のスポーツ中継アナがみな絶叫型に走るように、すべての私の好きなものが時代的に劣勢であることは否めない。
 これじゃますます世界を狭くする。でもそれが自分の本質なのだからしょうがない。そもそも「嫌いなものがある」ということは「好きなものがある」の裏返しであるから不幸ばかりではない。苦みがあってこその甘さだ。それは9対1でも釣り合いはとれている。
 このテーマ、拡がりそうなので思いついたらまた書いてゆこう。もう二年前からカトリシンゴのことを書こうとしてまだ書いていない。

三平の思い出3

 三平の思い出
 明け方、『竹林亭白房』を読む。三平の話が懐かしかった。
「昭和54年は亡くなる一年前」ということは三平は55年に亡くなったのか。今年は昭和80年だからもう25年前になる。月日のたつのは早いものだ。西暦で1925年生まれの80年死亡。享年55歳だから早い死だ。
 いっ平に「昭和のスターはおれと美空ひばりとおまえの父さんの三人だよ」と言って感激させた石原裕次郎は1934年生まれの87年死亡で53歳。美空ひばりは1937年生まれで1988年死亡だから51歳か。昭和の三大スターはみな早死にだ。
 長島は1936年生まれか。三大スターよりぼくには長島の方が偉大だ。

 三平が苛酷なリハビリを根性で制して復帰したのを見たのは「徹子の部屋」だった。chikurinさんが見たというヴィデオで、昭和54年に元気に高座を勤めているのなら、ぼくの観たまだ麻痺の残っている痛々しい状態で出た「徹子の部屋」は何年なのだろう。

「徹子の部屋」の放送開始は1976年(昭和51年)2月2日と知る。来年で30年か。たいしたものだ。ぼくが見たのを昭和52年か53年と仮定すると、ぼくは荏原町にいたときになる。なにしろ学生時代に武蔵小山に6年、卒業して荏原町に3年、そのご旗の台に20数年、とそれがぼくの東京住まいのすべてにる。三カ所とも歩いて20分以内。東京に三十数年住んだといっても品川のごく一部しか知らない。
 時間的には荏原町になる。でも見たという想いがない。どうしても旗の台になる。とするなら、昭和54年に旗の台に引っ越しているから、三平の出演はchikurinさんが見たVTの高座と近くて、快気祝いの宣伝も兼ねた昭和54年のように思える。ぼくの感覚ではそうだ。まあこういうのもネットで調べればわかることか。

 と、ここでぼくの見たその「徹子の部屋」の三平がヴィデオで発売になっていると知る。36分で3800円とか。いろいろやっているんだねえ。その他、故人シリーズが続々発売になっているようだ。死人で商売か。そのうち黒柳自身が故人になるだろう。でも好きな人には貴重な映像になる。だったら月日もわかるはず。と下手な検索だがすこしがんばってみる。
「徹子の部屋 応援サイト」というのに五十音順で過去の出演者があるので「は」を調べたら、出てきたのは林家いっ平。めちゃくちゃ新しいものしかない。これじゃ役に立たない。
 その2003年のいっ平出演の時に黒柳が「つい昨日のように思うけどもう22年前」と言っているから三平は1981年の出演か。1981年は昭和56年。もう死んでるな。なんだかわからん。chikurinさんにヴィデオを購入してもらって教えてもらおう。ディスプレイに表示されたヴィデオパッケージを拡大して日附を見ようとしたがボケてしまって確認できなかった。

 談志の語る三平の話が好きだ。談志がむちゃくちゃしても決して三平は怒らない。あれはすごい。怒らないから怒らせてみようとめちゃくちゃする談志の気持ちもよくわかる。
 若い頃、村松友視さんが寄席のトイレで三平と出会ったら(出演者も客も同じトイレだったんですね)、一客に過ぎない村松さんに、三平は額に指をかざし、「どうも、三船敏郎です」と言ったそうな。これは色川武大さんの文で知った。サーヴィス精神旺盛(笑)。
 幼いころのいっ平は三平が誰にあっても「どうも、加山雄三です」と言うものだからずっと父の名を加山雄三だと思っていたとか。ある日テレビ局で誰かに三平さんと声を掛けられ「どうも、加山雄三です」と言って振り返ったら本物の加山雄三だったとか。「どうもすいません」とこれは本気で謝ったそうな。時代に合わせて三船敏郎から加山雄三に代わっている。

 chikurinさんが三平の中に歌奴、圓歌とたびたび登場すると書いていた。当時のふたりは必ずそれをやっていた。歌奴の得意なのは「三平が戦争に行ったから日本は負けた」だった。
 圓歌はどうにも好きになれないが、協会長である彼の権限によるこぶ平やいっ平の出世のしかたを見ると、三平とは本当に親友同士だったのだろうと、この点だけほのぼのとする。圓歌の思い出話に、当時三人会をやっていたが(もうひとりは誰だっけ?)、三平は新作なんか作ってこずいつもあの調子だったというのがある。それでいて懸命に新作を創って披露する自分よりも受けていたからむなしくなったそうな。

 こぶ平やいっ平の強引な出世とはいえ落語界なんてのはもともとそういうところだ。温厚と言われる文楽あたりもずいぶんと強引なことをしている。ふと悩み、そのことを師匠に相談したら、「なにいってんだ、おまえを27で文楽にするときだってたいへんだったんだぞ。悩むな」と言われたとか。そういう世界である。

 文楽は三平が好きでおもしろいおもしろいと笑っていた。圓生は三平が大嫌いで否定していた。あの圓生独立騒動のとき、さすがに穏和な三平も真っ先に独立騒動から身を引いている。談志や志ん朝、円楽、円鏡を引き連れて、本家が留守になるような大異変だったが、最初のつまづきが三平の脱落だった。圓生をトップとした世界に行く気だけはなかったのだろう。芸は達人だが、あのキツい性格の圓生にいじめられた三平が気の毒になる。もっともそれは寄席という狭い世界だけの話であり、一般的には遙かに三平の方がメジャで大金を稼いでいたのだから同情には値しないか。

 三平というと、なぜかやたら老けていた馬生を思い出す。協会副会長になった馬生が三平を見ながら、「これからは三平さんたち若い人の時代で」と言ったので、すかさず三平が「師匠、ぼくのほうが年上です」と言ったという実話は思い出すたびに笑える。

 かといって子供のころからゲップが出るほど見てきた三平を大好きだったかといえばそうでもない。ワンパターンでつまらない人だと思っていた。ただ子供心にも、ここまで恥も外聞もなく笑いをとるためにはなんでもすると徹する姿勢はすさまじいなと感じていた。

 chikurinさんが行くという12月のこぶ平の高座(正蔵襲名)が好感に満ちたものになることを願っている。でも祖父の正蔵も父の三平もああいう芸風だったんだから、なにもこぶ平が無理して古典落語の名人を目指す必要はないんだけどね。こぶ平が天国の父に語りかける「父さん、どうしよう、おれ、古典落語が出来ない」に、父が「安心しろ、おれも出来ない」と応えたりするくすぐりが好きである。あれでいいんじゃないかと思うけど、きっとこぶ平は古典の大ネタに挑戦するのだろう。口上とか、大阪公演での周囲を誰が固めるのかも興味深い。

 三平の思い出とこぶ平がんばれと書いたことは本意だが、「徹子の部屋」の調べものでつまらん時間を消費してしまった。もったいない。

落語と法華経1


 求む! ナンミョー嫌いの落語ファン
 仕事をサボって竹林亭白房を覗いたらchikurinさんが「落語と法華経」について書いてくれていた。
 なるほど、ぼくが悩んでいることはchikurinさんにとってはもう解決済みの問題のようだった。

 chikurinさんのあげている演目はぼくも知っている。「鰍沢」「甲府ぃ」「おせつ徳三郎」「堀の内」等である。そのあとのいくつかの「法華ウンヌン」はタイトルからして遠慮しているので聴いたことはない。
 ぼくの腹立ちは──元々がそういう演目なのだから腹立ってもしょうがないのだが──志ん朝の「甲府ぃ」や「堀の内」が抜群におもしろいので、おもしろいからこそなんでナンミョーなんだと白けるのだった。「鰍沢」は子供の時から嫌いだった。全面にナンミョーが出ているからだ。

 今回教えてもらってなるほどそうなのかと思ったのは、「法華経は関東、関西はそれほどでもない」だった。要するにぼくがもっと上方落語を聞けばバランスが取れるのだろう。とはいえ枝雀の「宿替え」だったか、あの辺を聴いていてもドンドンツクドンツクツクなんてのを見学に行くシーンが出てくるし、ぼくには落語家は全員法華経なのかとさえ思えていたのだった。
 それはその強烈さによるのだろう。今回chikurinさんの文を読んで、ぼくは「えっ!? 『天狗さし』や『後生鰻』ってナムアミダブツが出てきたっけ?」と思ったのである。両方とも何人もの演者でかなりの数、聴いている。なのにそれほど「宗教ネタ」の感覚はない。つまりそれはぼくがナムアミダブツの人でそれには抵抗がないということなのだろう。それと比すと前述の法華経ものは強烈だ。「ナンミョーホーレンゲーキョー、ナンミョーホーレンゲーキョー」としつこいほど繰り返される。たまらない。まともな人間なら鼻につく。ナンミョーが嫌いな人なら、それがどんなよくできた噺であれ、しらける。

 キリスト教信者でもないのにキリスト教の宗主の誕生前夜を祝い、プレゼントを交換し、「ひとりぼっちで過ごすイブはさみしい」なんて言う大多数の日本人にとって、ナンミョーに違和感を持って落語を楽しめないぼくは異常なコダワリ男に映るのだろう。

 現在放送されているNHKの大河ドラマ(何度書いても違和感がある。いったいあんなもののどこが大河なんだ。オールスター運動会と大差ない))の出演者は、主役からヒロインまで主要メンバがみな創価学会員だと週刊誌が指摘していた。学会の天敵の『週刊新潮』だったか。ぼくはそんなものは見ないけれど、かといって主要メンバが学会員だから見ない、とも思わない。その週刊誌のように、学会にNHKが乗っ取られたとも思わない(笑)。学会嫌いだからヒサモトマサミ、モンキッキー、ナガイヒデカズ、エレキコミック等を一切見ないという人がいるがそこまでも拒まない。そういう形の宗教に対するこだわりはない。

 ただナンミョーを連発されると話は違ってくる。つまり押しつけである。学会員が自宅で朝晩大声でお題目を唱えていてもそれは自由だが、無理矢理それを押しつけられるとなると話は違ってくる。さいわいにも今まで隣室にいなかったがいたらたまったものではなかったろう。
 chikurinさんが指摘しているように「甲府ぃ」なんて、そもそもがそのために作られた話なのではないかとすら思える。「鰍沢」や「おせつ徳三郎」の「材木があって助かった=題目があって助かった」というオチもバカらしくて聴いていられない。地口落ちとかなんとかいう以前にこりゃ宗教の宣伝だろう。
 しかしそんなことを言ったらゴスペルや讚美歌なんて聴けないことになってしまう。宗教画すら見られなくなってくる。いや絵の飾られている建築物すらか。宗教と無関係に人間世界はありえない。私自身「無宗教は最悪の宗教」と考えている。かといってこのように受け付けないものもある。どうすりゃいい。

通向けの佳作──「師匠」立川談四楼

 通向けの佳作
 私は「落語も出来る小説家」と名乗る落語家、立川談四楼に対して好感を持っていなかった。
 というのは、今までに読んだ何冊かの「トンデモ本」等に書いている彼の文章がつまらなかったからだ。「こんなつまらんことを書く暇があったらもっと落語に精進しろよ」と思ったものだった。ああいうのは編集部がネタを押しつける場合もあろうが、それぞれが自力で見つけたネタを持ち寄る場合も多いだろう。「トンデモ本」の場合は後者のように思う。もともと<と学会>はそうして出来たものだ。しかしここまで「トンデモ本」もメジャになってくると、そうそう人を唸らせるものも残っていない。彼が見つけてきて解説しているものはたいしたものではなかった。
 もうひとつ、「才人揃いの談志門下の中で、物書き部門担当」のような感覚が気に入らなかった。これはまあ生理的な反感か。

 そんなに気に入らないのになぜ借りてきたのかと言えば、そりゃタイトルに尽きる。「師匠!」とあったら誰でも談志との内輪話を思い浮かべる。この本を手にする人のほとんどはそうだろう。
 談志本が好きな私はもう全部読んでしまったので、今度は側面から攻めてみるかと(?)こんなのを借りてきたのである。先日「新釈落語噺」を買ってきた。いい本は借りて読んだあとにまた買うことになる。なんであれを買ったかというと2冊の全編に志ん生への愛と畏敬が溢れていて、ホームページに引用したい箇所が山とあるからだった。談志は文楽も圓生も超える自信があったが志ん生だけは……と思っていたのではないか。とこれはまた別の話。

 そんな思いで借りてきたから8月2日に借りてきたのになかなか手を出さなかった。いや出したのだがつまらなくて投げたりしていた。それが腰を落ち着けて読み始めるとおもしろく一気に読破してしまった。通好みの佳作である。ただし談志の内輪話は書いてないからそっち方面の期待は裏切られるし、なによりかなり落語好きでないと楽しめない。だからこそおもしろい一冊。

談志と小三治の顔1

 談志・オオタ・小三治
 談志は爆笑問題のオオタがお気に入りだ。もちろんオオタも談志を慕っている。談志は「爆笑問題の片方は私の隠し子である」とまで言っておどけている。これは言われるまでもなくオオタを初めて見たときから、あの猫背具合とひねくれ度合いがよく似ていると感じていた。
 きょう、小三治を借りてきてジャケットを見ていたら、オオタに似ていると思った。「茶の湯」(私の好きな演目である)というCBSソニーのCDだが2枚ある表情の違う写真が2枚とも似ている。
 とすると三段論法で談志と小三治の顔は似ているとなる。そうだろうか。
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