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こういうことにケチをつけるのは小説好きではないと言われれば、その通りなのだろうけど……浅田次郎「見知らぬ妻へ」感想文

●こういうことにケチをつけるのは小説好きではないと言われれば、その通りなのだろうけど……

▼浅田次郎「見知らぬ妻へ」から
 ひさしぶりに気持ちよく泣こうと浅田次郎の短編集「見知らぬ妻へ」を借りてきた。初版でもっていたが短期間に連続した引っ越し(私にとってはだが)の際、ほとんどの本を捨てまくったので今は手元にない。本を捨てるとき、やはり辞書や語学本のようなものは残し、小説類を捨てることになる。
 この本が出たのは1998年だから、書かれた時期を考えるとちょうど十年前になる。所在なげな春の午後に泣かせてもらおうと図書館で借りてきた。
 ところがまったく泣けない。それどころか当時は気づかなかった細かな瑕疵が気になって没頭できない。以前は泣けたはずなのだ。こういう感覚の変化はどこからくるのだろう。

 いや違う。思い出した。この作品集には初めてのときも同じ事を感じた。そう感じたから捨てたのだった。その他の作品、たとえば大好きな「プリズンホテルシリーズ」等はいまでも所持している。この作品集は最初から缺陥に気づいたのだと思い出す。まずタイトル作の「見知らぬ妻へ」は、「ラブレター」同様、支那人売春婦を主人公にした作品だが、共産党革命以前の支那に憧れる浅田さんは、現実の中華人民共和国がまったく見えていない。これらはもう「妄想」としか言いようのない駄作である。と、このことは別に論じるとして、ここでは他の作品の設定について書いてみたい。

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 赤坂のサパークラブを舞台にした作品がある。主人公は藝大出身のチェリスト。四十代。クラシック演奏者の道から挫折し今はピアノの弾き語りで食っている。華やかなエリートの集うクラシック界と夜の世界の対比がテーマ。文中でも書かれているが我が子をクラシック演奏者に育てるには教育費や楽器代など医者にするより遙かに金がかかる。
 初めて来たときから酒場にあった旧いスタインウェイでジャズのスタンダードナンバーを毎夜弾き、時には渋い喉を聞かせる。無頼の生活ではあるがそこそこ生活は安定しているし格別の不満もない。もちろん道を踏み外した救いがたい闇は抱えている。
 かつての藝大の同期生で今はオーケストラの指揮者となっている友人。彼の妹が主人公のむかしの恋人で、今や世界的ヴァイオリニスト。
 そこに絡んでくる地回りのヤクザ、蝶々のように男と男のあいだを渡り歩いている夜の女。
「クラシックの世界に戻ってこい、妹はまだ君のことを……」という友人の誘いを悪ぶって断り、いつものよう夜の街へ……。
 というクラシック音楽の世界から挫折した男のほろ苦い物語なのだが……。


 店にある古いSteinwayのピアノ。これがあったから主人公はこの店で働く気になったという重要な小物。調律が狂いGの音がフラットしてF#になっているのだとか。だから彼は毎夜Gを飛ばして弾いているという。んなアホな。何度のGなのか出てこないが、あまり使わない低音であれ高音であれ毎夜毎夜ジャズのスタンダードナンバーの弾き語りをGを飛ばしては弾けまい。それにどうやら話から推測するにこのGはそんなに端っこではないようだ。それが一夜の苦労話ならまだわかる。翌日調律師を呼び寄せてすぐに直した、というのなら。でもそうではない。ずっとその状態らしいのだ。Gの音の出ない壊れたスタインウェイを弾きこなすピアニスト、そういう外連に奔る気持ちはわかる。浅田さんはそれが大好きだ。浅田作品の醍醐味でもあろう。ここでも小物を通り越して脇役の地位すら与えられているスタインウェイにそういう性格付けをしたのだろう。だけどそれはいくらなんでもちょっと……。


 同じ店で働くギタリストの青年。外見は髪を赤く染めたロック風、軽薄そう。だが実はかなりの実力者。上記主人公のピアノとアコースティックギター一本で五分に渡り合うという。この店のステージはピアノとギターが30分交代。店の呼び物らしい。
 そのギタリストの彼が出番前にギターを磨いている。宝物のように愛しげに。だがそのギター「フェンダー」なのだ。ここもわからない。彼はアコースティックギターで弾き語りをしている。フェンダーのアコギ? 実力者の彼はいま高名なジャズバンドに闕員が出て誘われているという。夜の弾き語り生活から脱出だ。ならますます「宝物のようにして磨いているアコギ」がフェンダーではおかしい。彼のプロフィールと弾き語り内容から、常識的にはここはギブソンのフルアコだろう。それでも「アコースティックギターの弾き語り」とは矛盾するが。
 なら、それほど大事にするアコギならオールドマーチンとなるが、ジャズバンドに誘われるほどのジャズ系ギタリストなら、ギブソンのL5とか、そんな感じになろう。いったい彼が宝物のように磨いていたフェンダーのアコギってなんなんだ。そんなものはないぞ。


 2018年註・近年になってフェンダーブランドはアコギも出すようになった。エレアコである。日本のフェンダージャパン(富士絃楽器)が作っている。安物だ。最高でも20万円程度。安いのだと5万円以下で買える。フェンダーのロゴが附いているギターがこの値段で買えるのは、お金のない若者にはうれしいだろう。だがそれは、ここに登場するギタリストの彼が宝物のように磨くものではない。それと、この小説が書かれた1997年頃、フェンダーはまだエレアコは生産していないと思う。していてもフェンダージャパンの安物だ。小説舞台と時代を考えたら、「高名なジャズバンドに誘われるほどの腕を持つギタリストが大切そうに磨いているオールドフェンダーのアコギ」という設定は、ギターを知らない人による明らかなまちがいであろう。


  いやフェンダーでもいいのである。夜の酒場でテレキャスやストラトを使い、リズムボックスと一緒にエフェクターを多用した弾き語りはあるのかもしれない。ピアノとの音量差を考えたら、こういう店での演奏はエレキでやったほうが自然だ。それならば磨いているのは1950年代生産のテレキャスやストラトだったりして話は噛みあう。だけどその前にアコースティックギターの弾き語り、と書いてしまっている。そして愛しげに磨いているフェンダーのアコギ。ただの無知としか思えない。

 たぶん浅田さんはギターメーカーのギブソンとかフェンダーの名をうっすらと知っていた。だがエレキやアコギとしての中身までは知らない。漠然とした知識から、設定としてフェンダーの名前を出したが、フェンダーがテレキャスやストラトのエレキギターのメーカーとまでは知らなかったのだろう。そういうことだと思う。でも読者もそれを知らなければすいと読めるのか。いまAmazonの感想文を読んできたが、こんなことにケチをつけるひとは皆無で、みな絶讃していた。


 音楽音痴が書いたものならまだ許せる。だがカラオケ時代到来の前に浅田さんは弾き語りをしていたとエッセイに書いている。この作品の舞台と同じく夜の店だ。たいそう人気のある高収入の弾き語りだったと自負している。だがそれが本当であり、そこそこの音楽知識があるのなら、この文章と設定はあまりにお粗末である。

 私は、浅田さんの作品の99%を読了している(2007年当時)が、ただの一度も氏の文章から音楽を感じたことはない。こういうことは隠してもでてしまうものだ。例えば浅田さんは作家になる以前、洋服関係、ブティック経営のような仕事をしていたという。たいそう辣腕の経営者で、人生において金銭で苦労したことはないと言いきる。うらやましいことである。「地下鉄に乗って」等、多くの作品で洋服に関する話がでてくるが、そういうことをしていたひとなのだろうなと解る。競馬や料理も、好きなんだろうな、詳しいんだろうな、と思う。思わせるだけのものが迸っている。

 なのに「高給を取るギター弾き語りだった」とまで言っているのに、浅田さんの文章からはちっとも音楽の匂いがしない。そこから推測すると、このエッセイの中に登場する腕のいいギター弾き語りだったという話は、ほとんどウソなのかも知れない。それが登場するのは、「あんなものが登場したために売れっ子の弾き語りだった私は食いっぱぐれた、あんなものさえ出てこなければ……カラオケには恨み骨髄だ」というカラオケ否定話の中である。カラオケ時代を否定し笑いをとるための作り話なのかもしれない。

 何冊も出たエッセイ「勇気リンリン」シリーズにも音楽の話はほとんど出てこない。こういう趣味のかをりは出そうとして出すのではなく隠しても見えてしまうものなのである。売れっ子弾き語りだったという浅田さんのギタリスト能力はどうなのだろう。すくなくともギターに詳しくないことだけは確かだ。

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▼『島耕作』話──知っているタイ、知らないフィリピン
 こういう話でいつも思い出すのは「課長 島耕作」である。(他の項目でも書いているが)私はこれの「ニューヨーク篇」「フィリピン篇」を楽しんだ。好評だったニューヨーク篇に関して、「いったいどれぐらい取材されたのですか」とニューヨークに詳しい人たちから問われた弘兼さんは、「一週間です」と応え、「えっ、たった!」と驚かれるのが快感だったようだ。あとがきで書いている。「たった一週間の取材で何年も住んでる日本人もおどろくようなあんな物語が描けたんですか!」という驚嘆の感想に、取材者として、してやったりとほくそ笑んでいるのである。私も単行本あとがきでそれを知ったときはすなおにすごいなあと感心した。
 フィリピン篇も同じく。私はアジアを放浪したが、キリスト教が嫌いなので、キリスト教国家であるフィリピンには近寄っていない。詳しくないからフィリピン篇はおもしろかった。

 ところが「タイ篇」になったらいきなり楽しめない。タイに関しては私も詳しかったからだ。ニューヨーク篇と同じく、弘兼さんが忙しい合間にこなしたであろう「一週間のタイ取材旅行」が、どんな日程でどんな形で行われたかまですべて読めてしまう。トゥクトゥクの運転手の個性、ソムタムとトムヤムクンを喰う話、パタヤのオカマショー、展開もエピソードもすこしも楽しめなかった。それはいかにも一週間の駆け足取材で創りあげた薄っぺらなウソ話だった。

 じゃあニューヨーク篇やフィリピン篇がタイ篇よりすぐれていたのか、タイ篇は劣っていたのかというと、そういうわけでもあるまい。読み手の私の問題である。私はニューヨークやフィリピンに詳しくないから、それに感動した。タイは弘兼さんより詳しかったから、その中身を薄く感じて感動しなかった。それだけの話であろう。

 それで思う。こういうのってみんなそうなのではないかと。
 私は浅田さんの書くヤクザの世界を感心しつつ読む。彼らの使う専門用語ひとつ知らないからいつ読んでも新鮮な世界である。しかしそれは私が「知らないから」なのではないか。
「プリズンホテル」に出てくる看護婦・阿部マリアの医療知識、連発される薬の名と治療の手さばきに圧倒される。しかしそれはこちらにそういう知識がないからであって、専門家から見たら「ふんふん、よく調べたな」であり、中には「こんなのないよ」と苦笑を誘う間違いもあるのではないか。
 まあ調べて得た知識ってのはそんなものだ。

 こういう瑕疵に気づいたときいつも思うのは「編輯者」である。浅田さんの担当者はこのことに気づかなかったのだろうか。「先生、フェンダーのアコギっておかしくないですか!?」と言うギター好きの編輯者はいなかったのか。小説雑紙編輯部には読者から意見が寄せられる。その中には私と同じ考えのものも多数あったと思う。それを浅田さんに伝えていないのだろうか。
  
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▼宮本輝の外連、あるいはマンガ『月下の棋士』
 先日読んだ宮本輝の小説は、阪神淡路大震災による人生の激変をテーマにした作品だった。主人公の三十代女は、ひょんなことから離婚になり、顔見知りの老婆から軽井沢の地所と建物を遺産としてもらい、と人生の激変が続く。最初は固辞していたが主人公はその家をもらい、地震で親兄弟を失った少女たちを引き取って育てることにする。そこにおけるそれぞれの個性と軋轢、旅立ちの物語だ。

 少女たちの中にひとり、女子プロレスラーくずれがいる。名前は「マフー」、自分で考えた「魔風」というリングネームであるらしい。女子プロレスに憧れ入団したが練習の厳しさに耐えきれず挫折した。
 それぞれの少女が特有の道を見つけて巣立ってゆく物語。体が大きく外見も性格も粗暴な彼女は意外にも陶芸に才能を見いだし、その道に進む、という落ちになっている。
 彼女は自分のことを「俺」と言う。少女たちとの会話に「腕十字を決めたるで」とか、「あの背骨折りをやられたら死んでまう」のようなものが登場する。主人公の三十代後半の女が「危ないからあの背骨折りは禁止よ」なんて言ったりする。生活の中にプロレスが根付いている。というウソ。一読してウソだなあ、と白けてしまう。

 宮本輝はこういう外連が好きである。七八人いる少女にキャラクター付けをしてゆくとき、「女子プロレス出身のゴツい娘」を想定したのであろう。ゴツくて自分を俺と呼ぶ娘が意外や意外繊細な陶芸の世界に能力を発揮し巣立ってゆくという流れ、そこから始まったウソだ。こりゃおもしろいと設定に酔い知りもしないプロレスを調べもせず知っている言葉で語らせた。それが「腕十字固め」であり「背骨折り」だ。そのウソがプロレス好きには見えてしまう。とてもそれはプロレスに憧れ、挫折したとはいえ入門までしたプロレス好きのことばではない。さらにいえば宮本が「プロレスのことなどこの程度で充分だろう」と甘く見ていることまでが見えてくる。まあ実際それで充分であり、プロレスを知らない宮本ファンは「あの女子プロレス出身のマフーって登場人物、よかったよね」なんて話しているのだろう。つまりはこれも「島耕作」のタイと同じでそれに詳しいこっちの問題になる。

 小説家はもともと知らない世界のことを調べて知識を得、話を展開させる場として、あたかも専門家のように嘘をつくのが仕事である。専門家を唸らせる綿密な取材もあれば苦笑される手抜き取材もあろう。技倆の差はあれ、どんなに努力しても全ジャンル完璧にはなれない。多少の齟齬はしかたない。しかし手抜きを見破られてはならないだろう。宮本のこれは設定に酔ってしまっての手抜きである。ほんのすこし女子プロレスに関する勉強をするだけで簡単にクリアできたことだ。私が不快なのは純粋な仕事としての手抜きよりも、そこにある精神的な見下しを感じることである。絵画や陶芸の世界なら本格的に調べるが、プロレスだから適当でいいだろう、という。もっともプロレスを知らない彼にとっては、腕十字も背骨折りも十分に勉強しての用語なのかもしれない。


  
 私からすると、将棋マンガ「月下の棋士」は、どう考えても設定が矛盾だらけの駄作だったが(と文句を言いつつ毎週読んでいたけれど)、将棋界は、その矛盾に眉をひそめるのではなく、メジャーな青年漫画雑誌が将棋をテーマにしてくれた、それが大ヒット、いま話題の作品になっていると、こぞって喜んだ。
 すると上記宮本の作品も、女子プロレス関係者にはうれしいことなのかもしれない。宮本輝のこの小説を読む女子プロレス関係者がいるとは思えないが。
 結局プロレスであれ将棋であれこういうことに腹を立てるのは、私のようなそれらの熱心なファンというごくごく一部であり、内部関係者やその他大勢のファンは気にしないのだろう。

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▼駄作、山口瞳の「競馬放浪記」
 と書いて本業のことで思い出した。ヤマグチヒトミの「草競馬流浪記」である。私はこの本について「高名な作家が大出版社の編集者二人を引き連れて地方競馬場を訪問し、わかったようなことを書いた駄本」と切り捨てた。公の場で書いたので山口ファンから攻撃を受けた。なにしろ現代の黄門様を気取るのはいいとしても、この黄門様、新潮社の編輯者を助さん格さんのように従え、いきなり地方競馬場の貴賓席に乗り込むのだ。理事長以下、並んでのお迎えである。ドラマの黄門様のように庶民のふりをするならともかく、最初からも葵の御紋を出しっぱなしなのである。

 それでいて、地方競馬ファンとしてこっそりやってきたかのように、もったいぶったことをそれらしく書く。本人のやりたいのは「あんな高名な作家なのに鄙びた地方競馬なんてものが好き」と好意的に受けとめられることだ。全身から「ぼくって有名作家なのに、意外と田舎の地方競馬なんてものが好きだったりするんだ」という悪臭を発散している。
 この人を持ちあげる役目の地方競馬が気の毒だった。なんとも醜悪な姿勢だった。しかし現実には競馬会は彼を貴重な広告塔として尊重していたし(そのことから発生した勘違いなのであろうが)、地方競馬側もヤマグチセンセイに御来場いただいて、小説雑誌に我が競馬場の紀行文が載るならこんな光栄なことはないと歓待した。(へたをして悪口を書かれたらたいへんという気持ちもあったろう。)

 ファンの中には「全国の地方競馬場を訪問したこの本はわたしのバイブルです」なんて得意げに話すのもいた。その辺の感覚の差はいかんともしがたい。

 私にとってこれはいい踏み絵になった。競馬ライターでもこの本を褒めるのはいたが、それはみな競馬など知らず原稿料を稼ぐために参入してきた連中だった。競馬場を這いずり回ったファンはみなこの本の臭みに辟易していた。それはもう見事に分別できたものだった。

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 浅田、宮本、ヤマグチの三者から感じる悪臭は、共通のようでまったく違う。ひどい順で言うとヤマグチ>宮本>浅田となろうか。
 浅田のは小説的なちょっとした勇み足であろう。どんな分野にでも踏み込んでゆくジローちゃんのちょっとしたミステイクだ。白けてしまったという意外なんの問題もない。しかし毎度思うのだが編輯者はこういうことに気づかないのだろうか。音楽好きの編輯者が、「浅田さん、半音狂ったスタインウェイを毎晩弾くってのはちょっと無理があるんじゃないですか」と言えばすむことだ。作家は編輯者が育てるものだ。この辺どうなっているのだろう。
  
 宮本のもまた単純な勇み足、というか手抜きの缺陥なのだろうが、なんとなくそこに彼の価値観が見え隠れしてすこしイヤミである。編輯者がどう接しているのかは知らない。「先生は女子プロレスにまで詳しいんですか。いやあさすがですね。おどきろました」ぐらいの世界だろう。

 ヤマグチの場合は彼の存在そのものである。この競馬に対する姿勢が彼の人生観だ。芸能人、棋士、騎手等、暮れに自分が目を掛けている(と本人は思っている)連中を呼び寄せて家の大掃除をさせ、一緒に正月を迎える。文豪と取り巻きの藝人連中という形の旦那を気取りたかった彼の感覚は滑稽である。自分を好きだと言ってくれたので、呼ばれたから行ったが、「なんでおれがモノカキの家の掃除をしなきゃならないんだ」とケツをまくって二度と行かなかった小島太は男である。

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 評論家じゃないんだから作品の穴ぼこを指摘してもつまらない。ただ最近読んだ本として気になったのでメモのつもりで書いた。
 こういうことは気づかない方がしあわせなのだろう。  


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▼補稿──そんなピアノがあるとは思えないけれど──「粋」について
 さて、百歩譲ってGの音が出ないピアノでの毎晩の弾き語りが可能だったとする。私には信じがたいことだがもしかしたら世の中にはそんな奇妙なピアニストと、彼の奏でる音楽を支持する客が実在するかもしれない。しかそれって「粋」だろうか。そこにこだわりたい。

 たとえば貧しいインディオの世界、壊れた五弦しかないギターを手にしたインディオがそれを弾きこなして独自の奏法を編み出すこと、あるいはネックが反ってフレット音痴になってしまった安物ギターを、黒人が空きビンをスライドさせて弾き、そこからボトルネック奏法が生まれたこと、缺陥を自己流で解決し、あらたな輝きを創るそれらを私は「粋」だと思う。

 だけど赤坂のサパークラブでGの音が出ないスタインウェイで毎晩Gの音を飛ばして弾き語りをすることは「粋」なのか。東京である。電話一本でその日のうちに調律できることだ。なのにせずに毎晩Gの音を抜かして演奏し唄う。その感覚がわからない。Gの音が出ないピアノなのだ。その演奏は誰が聴いても不自然であり聞くに堪えないだろう。いやそれ以前に、なぜそんなことにこだわるのか。

 そういう「設定」をして小説の「味」とする。それは常道だ。それが小説だ。だがこの「設定」がごくふつうに考えて成立するのか。問題はそこである。

 競走馬で言うなら、類い希な能力を持ちながらも右前足が外交していて本気で全力疾走したら骨折の可能性がある。そういう馬が、ある日のレースで全力疾走をする。そして……。というような設定。浅田さんはGの音のでないスタインウェイをこの競走馬の能力と缺陥ぐらいの設定のつもりなのだろう。しかし私にはそれは前脚の外向という缺陥どころか、三本足の馬としか思えない。走れない。そういう感覚の差である。

 もしかしたら赤坂だか麻布だかに、そういう「Gの音の出ないスタインウェイでの弾き語り」を売り物にしていた店があるのかも知れない。浅田さんの書いたのは実話なのかも知れない(笑)。それはどうでもいいことだ。要は粋であるか、ほんまなかいな、の差である。(2007年7月4日)

▼そして嫌いになっていた──2018年10月5日
 私は浅田次郎作品をデビュー作からぜんぶ読んでいた。大ファンだった。外国に行くときも文庫本を何冊か持参するほどだった。自衛隊出身という経歴も好きだった。

 だがこのあたり、上記2007年あたりから彼の作風、上のような仕掛け、外連に首を傾げるようになり、今は一切読まなくなってしまった。さらにはこのころから自衛隊出身とはとても思えないサヨク的言辞が目立つようになり、大嫌いになってしまった。いまは作家として、同世代の男として、二重に嫌いである。でもこのころはまだ「浅田さん」と書いているから多少まだ好きだったのだろう。

文章考──すっきり書けないこまった性格──Transcend-MP300購入記

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 長年遠ざけていた中国語を本気でやろうと、そのパートナーとして小型のmp3プレイヤを買った。Transcend-MP300。2500円。8GBのフラッシュメモリにmp3再生機能が附いている。それでいてこの値段。信じがたい時代だ。どこに出かけるときもこれを胸ポケットに入れて、今秋から年末、正月は中国語の勉強一筋の予定でいる。30年ほど前に始めたが途中で投げだした。再挑戦である。まだカタコトレベルだが今回一気にマスターしてやる。モノから始める性格なのでグッズはかかせない。これは中国語学習専用のギアにする。力強い味方を手にした。がんばるぞ。

 ということを書こうとした。こうしてまとめると、たったそれだけの話なのだが、あれこれ寄り道していてまとまらない。その寄り道度合の話。



 まずはそれを買おうと思った動機のこと。あれほど嫌っていた中国語の勉強を再びする気になったきっかけだ。するとこの「中国語」なる意味不明のコトバについてまず書かねばならない。この世に「中国語」なんてものはない。そもそも「中国」なんて国はない。表現がおかしい。「中国」とは「世界の中心地」という意味であり、敢えて日本語に訳せば「我が国」である。日本も日本のことを「中国」と表記していた時期がある。もちろん国名ではなく「我が国」の意で使っている。それはいくつもの書物に残っている。いまも西のほうに「中国地方」がある。シナ人が「誇り高い世界の中心地である我が国」の意で「中国=チュンゴー」と口にするのはわかる。ただしい。しかし日本人があの国のことをそう言うのはヘンだ。「我が国」の意なのだから。ならどう呼べばいいか。世界共通のChina(発音はチャイナ、シーノ、シーヌ、シーネと国によって微妙に異なる)、日本語ならシナが正当になる。「中国」なんて国はない。ただし、あの悪名高い共産党独裁国家、歴代のシナ王朝でも最悪の殺戮国家「中華人民共和国」なら、ある。以下それを「中共」と略すことにして、いかにそれが歴代の中でもひどいかを語りたくなる。しかし歴代の王朝と絡めて中共のひどさを語っていたら結末までの路が果てしなく長くなる。我慢。

 「中国」の呼称に関しては妥協しても「中国語」に関しては多少書かねばならない。中共支配下の地域で話されている言語は多種多様だ。チベット、ウイグル、モンゴルという悪虐暴力中共に武力併合された文化から歴史からなにもかも異なる地域はもちろん、漢民族以外にも60もの少数民族の言語がある。漢民族の話す主要な言語も、北京語、上海語、広東語とあり、それらは別の言語というぐらい異なっている。その異なり具合を日本的方言で判断してはならない。とんでもなくちがうのだ。と書くと、高校生の頃に体験した「ジュディ・オングの自慢話」のことを書きたくなる。ジュディ・オングが「わたしは五ヵ国語が話せる」と自慢していた。すごいなと思ったけど、「英語、フランス語、北京語、上海語、広東語」だったので、後半の三つは水増しじゃないかと反感を抱いた。いまはわかる。彼女は正しい。でも当時の私は「中国語」なるものが存在すると思っていた。「日本語」と同じくそれはひとつだと思い込んでいた。でもちがう。当たり前だ。あれだけ広い文化もことなる地域の言語がひとつのはずがない。架空の水戸黄門は標準語で全国漫遊しているが、あの当時日本の方言も多種多様で東北のひとと九州のひとでは会話が成りたたなかったろう。それを思えばシナの言語のちがいも感覚で理解できる。その後、あのとんでもない国に実際に行って体験した、上海人は上海語に誇りを持っていて北京語を話さないということ、ふたつはとんでもなくちがっていること、も書きたくなってくる。経済の中心地は上海だ。歴史にも誇りを持っている。でも政治の中心は北京だ。だから公用語は北京語になっている。そのことに上海人は憤懣を抱いている。納得していない。仲が悪い。だから北京語は使わない。それを書きたい。切りがない。我慢。
 主用みっつの言語の中では香港映画で耳に馴染んでいる広東語が響きがやわらかくて比較的好きなことも書きたい。別テーマにすべきか。とりあえずいまのシナの政府、中共が標準語としているのが、<北京語=普通話>であり、日本で発売されている「中国語」の教科書はみなこれであることは書かねばならない。しかしこれは政府の押しつけであり、上海経済圏や広東文化圏ではみな使わない。でも一応これが「中国語」の代表ではある。以下不本意であるが「中国語」という意味不明のコトバを<普通話(北京語)>の意味で使う。



 中国語とはなにかを書いたら、次はなぜそれを「再び」突如勉強する気になったかだ。訪問する異国ではその国の言葉をしゃべることを基本としている。半端な独学ではあるが長年ずいぶんと異国語を勉強してきた。買い物や道を訪ねる程度の言語なら10ヵ国語ぐらいは話せる。いま私の部屋は本を捨てまくったため小説類はほとんどない。本棚に残っているのは語学教科書とJazzやClassic音楽に関するものばかりだ。あ、将棋本も多いな。その中には中国語に関するものも五、六種類見える。やる気だった。まだ朝鮮や中国に悪印象、いや正確な智識をもっていない時期、話せるようになってから行こうと、スペイン語やポルトガル語と同じく、いやいや身近な国だからそれ以上に、やる気満々で語学素材を揃え、熱心に学んでいた。しかし一度訪問していやになった。あの国に行き、「こういう国の言葉は覚えたくない」「この民族と会話したくない」と嫌悪した。それもまた詳しく書きだすと切りがない。というかあの国のことは書きたくない。ひどすぎる。中共という独裁国家のせいもあろうが、それ以前に漢民族ってのは日本人とはちがいすぎる。絶対に合わない人種だ。白人よりも黒人よりも遠い。そもそも隣国とか見た目とか漢字使用からの勘違いがあるが、日本は遣唐使遣隋使以降あの国とはつきあいがない。その証左としてよく言われるのが北京、上海、香港の呼びかただ。その呼び名は英語から来ている。つきあいがあったら「ほっきょう」「じょうかい」「こうこう」と呼んでいた。つきあいがないから毛唐の発音を真似ている。毛唐とのつきあいが始まり、あらためて意識したのがそれらの都市だ。実際つきあいがあった時代は、「洛陽 らくよう」「長安 ちょうあん」とあちらの都市を日本的な発音で呼んでいる。ではなぜつきあいを断ったかというと、当時の賢人も、いまの私の感覚と同じく、実際に接してみて「こいつら、つきあう価値がないわ」と投げたのではないかと推測する。それほど漢民族というのは実際に接するとうんざりする連中だ。あまりに日本人とはちがいすぎる。しかしそれとはまた別に、つきあいのない江戸時代にもシナの思想は、儒教や朱子学が本家とは離れた形で日本独自の発展をしている。それはそれで日本らしいとも言えるが。福澤翁はそれを批判している。と、これまた切りがないので我慢。ともあれ「かつてはやる気だったこと」「断念したこと」を簡単に記し、ついで「それをまたなぜやる気になったか」は書いておかねばならない。(続く)

競馬日記──1998

○月×日 Mさんと会う

 ベトナムで知り合ったMさんから「出所しました」と電話。渋谷で会う。
  Mさんは昔、名古屋競馬で厩務員をしていたという。最初はホーチミンの安宿で知り合い、たまに将棋を指したりする、その他大勢の知り合いだった。それがひょんなことから競馬に話が飛び、私が競馬関係の仕事もしていると知ると、自分の過去を話してくれ、それ以後急速に親しくなったのだった。

  私は旅のプロ(?)ではないから、彼らの流儀が解らなかったのだが、どうやら旅をすることを生き甲斐にしている人たちというか、ほとんど旅をするためだけに生きているような人たちにとって、旅人以前の経歴というのは基本的なタブーであるらしい。たとえば「ヤマさん」と呼ばれている人がいて、でもそれは名字とは全然関係ない通称だったりする。誰もがヤマさんは知っているが、その本名も日本で何をやっていたのかは知らないのだ。宿帳やパスポートに触れることもあるのだから、誰も知らないというのは嘘だと思うのだが、そこを詮索しないのが彼らの礼儀であるらしい。
  年に何回か世界のどこかで必ずと言っていいほど出会い、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり情報交換をしたりする長年の付き合いでありながら、本当に本名も知らずにつきあっているという不思議な関係の人たちがいるのだ。そういう人たちに何人も出会っている。

  では過去を抹消した彼らがなにを話しているのかというと、これが旅の話なのである。あの国のあの町はどうの、あの町のあの店がどうのと、旅の通過点で出会った同類と、今までの旅を飽きることなく話し合い、自慢しあい、そしてこれからの旅の情報を交換しあっている。そんなときの彼らは一様に自信に満ち、満足げな笑みを浮かべている。自分の既に行った場所にこれから向かおうとする旅人に情報を与える時には先輩となり、これから行こうとしている未知の国の情報を得るときには新米となる。それを感じることが、日本という国からはみ出してしまった彼らの至福の時間なのだ。そういう場において、日本の自分、実物大の自分を思い出させてしまう経歴の話はタブーになるのだろう。

  ところが旅慣れしていない私は、興味のある人物と出会うと、平然と「どこの生まれなんですか」「いままで仕事はなにをしてたんですか」と訊いてしまう。その辺、無神経と言えば無神経なのだが、すこしでも相手が顔をしかめればすぐに話題を移すぐらいの気配りは出来るから、それほど他人様にイヤな思いはさせていないはずではある。それに、「経歴を訊くのは旅のタブー」というのは、どうやらそれほどのものではないなというのが、私の今の感想になる。

  つまり、誰にだって話したくない過去があるように、これまた誰にだって、話したくてたまらない過去もある。一応私はインタビューのプロである。いや、プロと言うのはおこがましいが、とにかく職業的にインタビュー記事をこなしたことは相当数あるのだから、最低限のノウハウぐらいはもっている。そういう人間に、テーマを絞って、筋道立てて自分の経歴を訊かれるということは、まるで一代記を語るタレントにでもなったようで、それほど悪い気分のものではないらしいのだ。

 「おれ、自分のことこんなにしゃべったの、あんたが初めてだよ」と、かなりの人に言われた。皆、自分のことを洗いざらいしゃべったことに対して、多少の戸惑いを浮かべながらも、随分とすっきりとした顔をしていたものだった。そりゃあ、素人がプロからロング・インタビューを受けるなんてことは滅多にない。悪い気分ではないだろう。

  そしてその後、彼らは皆、一様に口をそろえて言うのだ。ある人は照れながら、ある人は怒ったような顔をして、しかしまたみんな、それなりに自信を浮かべた表情で、「おれのこと、小説にするんでしょ。やめてくださいよ」と。
  冗談のつもりらしく、こうもよく言われる。「モデル料、もらおうかな」とも。

  残念ながら小説になるような価値のある話なんてひとつもない。彼らの話はただ「私はこうして日本という国から落ちこぼれました」というだけの話で、そこからまた成り上がって行くと話は違ってくるのだが、落ちこぼれたまま、意味もなくただ放浪しているだけの話をどうして小説に出来るだろう。それぞれが個性的なつもりでいて、実は皆同じような没個性の人なのだ。

  彼らと話してしみじみ思うのは、「人間って皆、自信家なんだなあ」ということである。
 「おれなんか、ゴミみたいなもんだよ」という人に限って、「だけどね」というのを持っていて、その「だけどね」を聞くと、「あんた、全然自分のことゴミだなんて思ってないじゃない。自身過剰だよ」と言いたくなるようなことばかりなのである。

  Mさんは、私が競馬好きだからと胸襟を開いてくれたのではない。本格的な競馬の話になったとき、一目置かざるを得ない知識を私が持っているのを知って、初めて自分の過去を話したのである。むしろ、ただの競馬ファンだったなら決して自分のことを話さなかっただろう。Mさんは、自分が外側の競馬ファンではなく、内側世界の人間だったという経歴に特別の自負を持っていた。私も内側世界に通じた人間だと知って、初めて心を開いてくれたのだ。

  Mさんから聞いた厩舎筋の内輪話は、なかなかにおもしろかった。内側世界の人は、内側の人にしか解らないおもしろいネタをたくさんもっている。

  かなりの腕利きだったというMさんが厩務員を辞めてしまったのは、いわゆる「東南アジア病」にかかってしまったからだ。この病気に罹ると、何度東南アジアに行っても帰ってくるとすぐにまた行きたくてたまらなくなり、まともな仕事はもう出来なくなってしまう。特効薬のない難儀な不治の病である。そしてまた生き物の世話をする厩務員というのは、給料には恵まれているが休日がなく、とても長期の旅行などは出来ない職業である。

  不治の病、東南アジア病に罹ると、まず自由の利かない会社を辞めてしまう。最初はアルバイトで食いつなぎ、短期間行っては帰国するということを繰り返しているが、次第にそれでは物足りなくなり、それなりの期間居座りたくなる。どうするかというと、季節工という職業につくのだ。半年間、衣食住付きの職場で懸命に働き、節約に節約を重ねてお金を貯め、後の半年を東南アジアを回遊して暮らすという、半年天国半年地獄の生き方である。いつの間にか、私が「回遊魚」と名付けた、そういう知り合いが何十人にもなっていた。Mさんもそのひとりである。

  いよいよ来週、Mさんは天国へ出かける。彼らは半年の労働が終ったとき、「出所しました」と電話してくる。一ヶ月四十万円ぐらいになる厳しい肉体労働を半年間懸命にこなし、二百万円ぐらい貯めるのだから、その間の生活は想像がつく。だいたい皆、ひと月に五万円ぐらいしか使わないと口をそろえる。私のように馬券を何十万も買っては当たった外れたと騒いでいるような奴は、彼らからみたら異邦人なのだ。三十万あれば東南アジアで三ヶ月は十分に暮らせるらしい。常夏の国で、のんびりと昼寝を楽しみ、酒を飲み、かわいい女をはべらせて過ごせるのだ。それをたったひとつのレースにぶっこんで外れるような私は、彼らから仲間とは認めてもらえない。(言うまでもないが、私の経済状況も彼らと同じようなものである。バクチ狂の私は彼らと金の使いかたが違うだけだ。)

  そういう知り合いの中で、Mさんだけが、昔そういう世界にいたから、私の金の使いかたに理解を示してくれた。そのことで親しくなったとも言える。といって私にはバクチ仲間はいくらでもいるからMさんが恋しいわけではない。Mさんが昔の世界を恋しがって、出所すると私に連絡を寄越すのである。


  渋谷の『蘭タイ』というタイ料理屋に行く。Mさんのような東南アジア放浪のプロは、決して日本でエスニック料理など食べない。値段が現地の十倍もして、しかも不味いのだから当然だ。タイでも貧乏人しか飲まない一本四百円の安ウイスキーが、日本のタイ料理レストランでは六千円もする。六千円なら今、上質のスコッチが飲める。まあここは私からの出所祝いということで誘う。ただならどこへでも行くのもこういう人たちの特長だ。

  正月に、タイの日本領事館が主催する新年会に出たことがある。立食形式のパーティだった。そこにこの旅のプロ達が集ったのだが、その貧乏くさいエネルギーは圧巻だった。領事の挨拶など誰も聞いてない。普段は行けない高級日本料理店のメニュー、寿司やてんぷらなどを食いまくる。中にはナップザックを持参して、お土産だと詰め込んでいる人までいた。彼らは正規に招待されてはいない。招待されるのは、いわゆる在留届を出して、日本人会に属している人だけだ。とはいえ日本人がやってきたのを追い返すわけにもいかないのだろう。勝手に押し掛け、勝手に食いまくるのだから、すごいとしかいいようがない。まあ私も、招待されていないのに見物がてら出掛けた一人ではあるのだが。
 (註・このときの話はめちゃくちゃおもしろいので、その内「チェンマイ雑記帳」にでもあらためて書こうと思います。)

  Mさんの来週出発を聞いても、べつに私は羨ましくもなかった。それよりも、仕事に対する焦りがある。頑張って仕事をせねばと思う。自己満足できるだけの仕事というものを残したら、私も季節工になってもいい。

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○月×日 Yさんと会う

 タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。
  彼ら〃渡り鳥〃は、暖かい時期の日本で働き、寒い季節に東南アジアに渡るという習性があるから、出所の時期が相次ぐ。しばらくは彼らとの飲み会に忙殺されることだろう。
  Yさんは某国立大学、私たちの時代感覚でいうと〃一期校〃を卒業しているインテリである。しかも工学部だ。はみ出し者には色々な人がいる。

  競馬というものを一度見てみたいというので、知り合いの馬主に席を頼み、Yさんを招待したことがある。東京競馬場だった。4Fの特別席である。1レースからやってきたYさんは、「おもしろい」「昂奮する」「楽しい」を連発し、最終レースまで熱心に観ていたが、ただの一度も馬券を買わなかった。

  Yさんは株をやっている。既に三千万円ほど貯金があるらしい。バブルの頃、百万買っては、十万儲かる形になるとすぐに売るという細かなことを何度も何度も繰り返して作り上げた財産なのだそうだ。一度も失敗しなかったという。

  私にも株をやれと勧めるのだが、十数年前、株で三億の借金を作り親戚中をパニックに陥れた従兄弟がいる私には、株というのは恐怖以外のなにものでもない。その従兄弟の借金は親戚中が金を持ち寄って返却した。先祖伝来の田地田畑を皆売り払ったのだ。私の家でも可能な限りの金額を供出したらしい。田舎の一族というのは結束が堅いものだとあらためて感心した。かなり手広く穀物商をやっていたその従兄弟は、全てを失い、今はトラックの運転手をしている。彼も最初は順調だったのだ。親戚中の出世頭だった。悪いほうに転がり始めたとき、押さえが利かなかったのだろう。

  同じ血が私にも流れている。土日に銀行で金を下ろせるようになったのは何年前だったろうか。十万円の中から五万円だけ使おうと競馬場に行き、歯止めが利かなくなって十万全て負けてしまう。それぐらいならまだいいのだが、熱くなり、競馬場から駅前の銀行まで行き、全額を引き出し、家賃やらなにやら必要な生活費もすべてを使い果たしてしまったということが何度もある。熱くなると私は何も見えなくなる。こんな私が株などやったら従兄弟の二の舞だろう。株にだけは手を出さないことが、今の私のせめてもの理性なのだ。

  というようなことを話しても、Yさんは不思議そうに首を傾げるだけである。株というものでただの一度も損をしたことがない人なのだから当然かも知れない。もしもYさんが競馬をやったなら、110円ぐらいの確実な複勝をじっと待ち続け、そこでドンと買うのだろう。だって私なら三千万円の貯金があったなら手取り二十数万の工場で季節工などしない。この辺の堅実さは雲泥の差というやつである。

  Yさんは現在45歳だが、なんとか50歳までに貯金を五千万円にして、タイに永住する計画なのだそうだ。かつての日本のような高度経済成長期にあるタイでは年利が10パーセントつく。数年前までは12パーセントだったそうだ。その金利で暮らして行くのがYさんの夢なのだという。そういうYさんだから、競馬などという不確実なものに駆けるお金など、びた一文ないということなのだろう。Yさんの経済感覚だと、特観席にただで入れただけで、もう儲かっているということなのだ。

  紀ノ国屋前で待ち合わせ、歌舞伎町の居酒屋へ行く。
  最近話題になっているアジア関係の本のことで盛り上がる。若いカメラマンが写真と文章で綴ったものだ。アジア各国に住み着いている日本人をドキュメントしたその本の中に、Yさんも私も知っている人物が登場していた。

  そこで彼は、日本という俗世界から脱出し、バンコクの安宿で、わずかな身の回りの品だけで慎ましく暮らしている孤高の老人(=極めて魅力的な人物)のように紹介されていた。私たちの知る彼とは随分と違っていた。私の知っているのは、とてもいやみな年寄り、我が強く他人に自分の意見を押しつける人物、説教酒、唯我独尊タイプ、それでいて本格的な知識教養はない、組合活動家出身のサヨクということである。彼がその本の中に登場するような魅力的な人物でないことに関してだけは、皆口をそろえるだろう。

  これが東南アジア放浪歴二十年というYさんの手に掛かると、もっと手厳しい。このじいさんは、タイ北部のチェンライという町では、知らない人のいないロリコンじじいなのだという。孫のような少女売春婦を両脇に抱えては、変態的行為に浸るので蛇蝎のごとく嫌われている有名人なのだそうだ。

  考え込んでしまった。この老人のことではない。文章のことだ。ここにはドキュメントの難しさがある。この本を書いたのは、彼と初対面の、旅慣れていない若者である。本来はカメラマンだ。彼から見てその老人が魅力的だったのだから、それはそれでいい。かなり良くできた本ということで、それなりの評価も受けているのだ。だが実態を知っている人から見たら、間違いだらけの何も描けていない本になる。

  初めてタイに行ってから急速に魅せられた私は、4回ほど通った後、在タイの日本人達を主人公にしたドキュメント小説(こんな言葉あるんだろうか)というか、実話をベースにした半分フィクションの物語を一気に書き上げた。本にするつもりだった。出版社も決まっていた。だがさらに5回、6回と通っている内に、間違いや勘違いの箇所に気づき、出版しなくて良かった、出していたら大恥をかいたところだったと冷や汗をかく。そしてさらにまた通っている内に、今度はタイという国に対する考え、タイ人に対する感覚までが変ってきてしまったのだ。最初に書いた文章など、甘っちょろくて読めたものではないとなってきた。一言で言えば、見知らぬ国に対し好意的に浮かれていたのが、実状を知るに従い視点がシビアになってきたのである。


  詳しくなればなるほどそうなるのは当然だが、こうなるとメビウスの輪というか、クラインの壺というか、出口のない堂々巡りが始まってしまう。未熟なまま突っ走ってしまうことも必要なのだと考える。お蔵入りにしてしまったその小説は、今の私から見たら間違いだらけ、人物の掘り下げ方が甘ちゃんであり、「みんないい人」に描かれているどうしようもないものである。だが、タイという国を知らない人が読んだら、誰もが一度は行きたいと思うぐらい、あたたかくてやさしい面ももっている。真実って何だろう。真実って全てに関して尊いのだろうか。Yさんと飲みながら、考え込んでしまった。

競馬話──タップダンスシチーをどう描くか!?──引きずるあの問題

タップダンスシチーをどう描くか。
決まってはいる。
5歳の暮れに、初めてのG1有馬記念に出走し、14頭中13番人気で2着した。
ただの一発屋と思われたが、そこから活躍を始め、JCを勝ち、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞に挑戦までする。
典型的な遅咲きの名馬だ。
そしてまた鞍上の佐藤哲三が「ひとも馬も地味ですが、これからも応援してください」と語ったように、キャラとしても確定している。さらにはその佐藤が、あの大怪我からの闘病もかなわず、引退となった。語るべきことも、切り口も、いっぱいある。ありすぎて困るほどだ。なにをどう書くか。愉しみだ。わくわくする。だが……。

肝腎のタップダンスシチーのその後が闇に包まれている。 
競馬は人間の傲慢が生みだした残酷な遊びだ。
そのことは忘れて、割り切って、自身の職業に撤しようと思うのだが、屠殺の現場を見すぎて、肉と距離を置いたように、見聞きしてきた現実が絡んでくる。

ワインと肉はあう。
うまいワインを飲みつつ肉の旨さを堪能したい。それでいいのだ。それがヒトという生き物だ。生きるとは、そういうことだ。それの否定はヒトの否定になる。くだらんこだわりは捨てたほうがいい。まして競馬だ。たかが競馬だ。割り切らねばならない。わかってはいるのだが……。

● タップダンスシチー行方不明

●タップダンスシチーは生きていた

●タップダンスシチーの老後は安心できるのか──ハイセイコー、タケホープ、イチフジイサミ 

競馬話──ディープインパクトをどう語るか!?──NGワードは狆弖皚瓠↓牘冤梱瓩?

ディープインパクトをどう書くか。
日本競馬史上屈指のこの名馬は、すでに多くのライターに様々な切り口で書かれている。
読んでないのでなにひとつ知らない。しかし想像はつく。
かつてないタイプのこの馬に、まだ誰も手をつけていない語り口は残っているのか。

狆弖皚瓩NGワードだろう。馬名から聯想されるそれはあまりにイージーだ。猗瑤岫瓩發修Δ。

牘冤梱瓩呂匹Δ世蹐ΑI靄が口にした。「ディープインパクトの愛称は英雄がいいのではないか」と。
 なぜ武がひでおという人名にこだわるのかがわからない。村田英雄が好きなのか。しかしディープに和服を着て「王将」を歌うイメージは湧かない。あれほど顔もでかくないし。あるいは野茂英雄からのイメージなのか。日本人大リーガーの路を切り開いた彼なら村田英雄よりは似合う気もする。しかし彼は野球選手として理想的な大きなお尻のひとだったし、それは小柄なディープとはまたちがう。そもそもなんでディープを「ひでお」と呼ばねばならないのか。*もうひとつ武のセンスがわからない。私は武豊騎手の大ファンだけれど、今までもこれからもディープを爐劼任瓩噺討屬弔發蠅呂覆ぁ

試行錯誤しているうちに、「かつてない」をそのまま出せばどうだと思いつく。
ヒントは武の語った「楽」にあった。
武は、あれやこれや戦術を考えるのではなく、単純に他よりも速い馬で、楽に勝つ、シンプルに勝ってしまうのが競馬の理想なのではないか、ディープはそんな馬だと語っていた。

これで切り口が見えてきた。
テーマは「あたらしい風景」だ。

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* 世の中には親切なひとがいて、こんなことを書くと、「武豊騎手の言ったのは、村田英雄や野茂英雄の爐劼任瓩箸い人名ではなく、牘冤=えいゆう甕儻譴埜世Ε辧璽蹇爾箸いΠ嫐です。武騎手はディープインパクトのことをヒーローと読んで欲しいと願い、英雄と言ったのです」とメールをくれたりする。

 そういうひとには必ず「そうだったのですか。気がつきませんでした。教えて下さりありがとうございました」と返事を書くことにしている。

生活雑記──GMOとくとくポイントでラミーのサファリが無料に──なんだかうれしい朝(笑)

 数年ぶりに燃えあがった萬年筆熱で、ここのところ原稿用紙に書いている。満寿屋である(笑)。
 メインはプラチナ太字(#3776以前の品なので型版がわからない)とパイロットのカスタム74極太でいいのだが、安いのもあれこれ使ってみたい。
 LAMYの万年筆Safariが欲しくなった。もちろんペン先はBである。
lamy

 Amazonには太字がなかったので、いままで買ったことのないショップに行った。2700円。佐川でなく郵便で送ってくることもしっかり確認して註文へ。



 そのショップの会員新規登録を選ぶと不思議なことが起きた。「このメールアドレスはすでに登録されている」と出てしまうのだ。した憶えがない。初めての店だ。でもそう出る。パスワードを挿れてログインしようとすると今度はミスと出る。それで「パスワードを忘れた」をクリックして、パスワード変更を希望すると、「正しいメールアドレスを挿れてください」と出てしまう。これは私のメールアドレスが登録されていないということだ。そのはずである。この店で買った記憶がない。ならなぜ「すでに登録されている」と出てしまうのか。

 これを何度か繰り返し、うんざりしてしまった。この店がいちばん安い。他は千円以上高くなる。だからここで買いたいのだが、めんどくさがりの私はこういうのに当たると「千円ぐらい高くてもいいや」になってしまう。もう他所の店で買うか。とにかく買いたい。使いたい。極太で原稿用紙にまともな文を書いていて、その間にまたノートを手にして中字で「いやあ、さすがに書くのに疲れた。すこし休もうか」と愚痴ったりするのが──書くのに疲れたとぼやきつつまた書いているのだが(笑)──愉しい。そのためには気分転換用にカラフルな萬年筆、カラフルなインクは必需なのだ。



 この店が会員にならなくても買えるのならよかったのだが、会員登録をしないとレジに進めない形式だ。困った。しかたない、他の店で買うか。と、その隣にあるこんなのが目に入った。

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 私はもう数年プロバイダはGMOだ。でもこの種のものには興味がないので関わらない。これにも入っていない。でもこちらからログイン可能ならやってみるかと新規登録をクリックする。するとまた「このメールアドレスはすでに登録されている」と出る。なら会員としてログイン出来るかとなると、パスワードを挿れると認められない。うんざり。もうだめだ。でももう一度だけ、と「パスワードを忘れた」をクリックしてみる。隣のショップの新規会員になるところでは、これが通じなかった。

 なぜかこちらはすんなりそれが通じ、すぐに「パスワードを変更する場合はこのURLに」というメールが送られてきた。パスワードを変更する。するとあたらしいパスワードですんなりログインできた。よかった、いちばん安いこの店で買える。

 ということは私はこの「GMOとくとくポイント」というのにプロバイダ契約をしたときに入っていたのだろう。このポイントはアンケートに答えたり、加入店でショッピングしたりして溜めるらしい。アンケートには答えないし加入店で買い物をした覚えもないからこのポイントは私とは無縁だ。



 ところが、なんと、知らないうちにポイントが溜っていたのである。ここ数年のプロバイダ使用によるものらしい。そしてそれがなんという偶然かピッタリ2700ポイント(=2700円分)だったのだ。

 この種のものと関わらない私はまだ半信半疑。いつものようVisaデビットカードで2700円を払おうとする。その下に「GMOとくとくポイントでお支払」というのがあったので、そこをクリックしたら、2700ポイントが0になったかわりに、私の払う金額も0と表示され、それで註文OKとなった。いま確認メールが来た。私は一円も払ってないが、写真の黄色いLAMYのSafariを明日にはもう無料で入手出来るらしい。夢みたい(笑)。

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 いやはや世の中ってのはやってみるもんなんだなあ。うまくログイン出来ないときに腹立って他の店に行ったら、同じ商品を3700円で買っていた。それが憶えのないGMOとくとくポイントなるものに関わったら無料でLAMYのSafariを入手出来たのである。着くのが楽しみだ。インクは何を挿れよう。パイロットの「月夜」でも挿れてみるか。



 ニコ生で「電王戦第二局 佐藤紳哉六段対やねうら王」を観戦中。先手PCはオーソドックスな四間飛車と美濃囲い。後手佐藤は居飛車穴熊。がんばれ、サトシン!

「パソコン話──フロッピーディスクの保存限界──古い原稿全滅の悲嘆」に、「スキャン原稿で復活──スキャナー思い出話」を【追記】

「パソコン話──フロッピーディスクの保存限界──古い原稿全滅の悲嘆」に、「スキャン原稿で復活──スキャナー思い出話」を【追記】。

 けっこう長い文になったので、あらたに「スキャナー思い出話」として独立させてもよかったのだけど、きっかけとなった話と繋がりがあったほうがいいと思い【追記】にしました。



 ドキュメントスキャナーによる犲炊瓩辰討里蓮△△燭蕕靴で箸任垢諭その自炊マンガに癒された話も書きました。
 あれを商売でやられると著作権が破壊されると漫画家の弘兼憲史さんなんかが先頭に立って反対運動をしているようです。たしかに、商売でやっちゃまずいでしょう。著作権侵害だと思います。私は自分の所持しているマンガを「個人として個人用に」やっただけなので無罪と思いますが。

 でも私の中にも、たとえば「島耕作」をぜんぶパソコンファイルにしてくれて、廉価に売ってくれるなら買いたいという気持ちはあります。私は全巻持っているけど、ドキュメントスキャナーに読ませるために、それをバラバラにしてしまうことには抵抗があります。もとの漫画本のままでもっていたい気持ちも強いですし。

 いままでは「パソコンで読むマンガ」は好きではありませんでした。今回旅先で役立ってくれて好きになりました。異国の片隅で読むパソコンファイルマンガは癒しになります。だからどこかで廉価な「違法自炊ファイル」を見かけたら買ってしまいそうです。でも違法自炊のあれって、どこで買うんだろう。ネット世界に疎いので、いままで見かけたことがありません。(と書くと、必ずメールで教えてくれるひとがいます。それを待っているようで、この言いかた、我ながらすこしいやらしいですね。)

 弘兼さんたちの戦いもたいへんだと思います。しかしこういう「時代の波」を法で規制して全滅させるまでには時間が掛かるでしょうね。いや核兵器と同じで、こんなふうに普及してしまったものはもう全滅させるのは無理でしょうか。

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【追記】──すこし調べてみました──4/30

 あまりに「知らない」ばかりじゃバカすぎるので、すこし自炊業者に関して検索してみました。
 すると「あなたの本を自炊してあげます」というのはありなのですね。「1冊××円、×冊以上は御自宅に受けとりにまいります」のようなのを見かけました。「PDFファイルで画質は300dpi」あたりが基本のようです。まあ、ふつうです。

 しかしこれだとマンガ本はバラバラになってしまいますから私の望んでいるものではありません。私は元本は本のままで所有し、パソコンで持ち運べるファイルを別物として欲しいのですから。



 すると、そういうことをしたひとは逮捕されています。非合法なのでしょう。
 そして今回初めて「値段」を知りましたが、高いですね。「26000円が13000円」というのを見かけました。1冊500円のマンガ本が全52巻で26000円、それをPDFファイルにした狆ι吻瓩半額の13000円ということのようです。「半額」だから安いとも言えますが……。

 このひとはこのマンガ本を正規に26000円で購入したとしても、13000円でふたりに売ったら元価を取り戻し、あとは儲かるばかりです。ファイルのコピーはいくらでも出来ます。20人、30人と売っていったらボロ儲けですね。そりゃ弘兼さんたちも怒るはずです。

 5000円ぐらいなら買ってみたい気もしますが、すでに持っている本のそれを1万円以上はきつい気がします。
 まあ関わらないほうがいい世界なのでしょう。自重しないと。

「幕開け」と「極めつけ」に幕引き

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 「幕開けと極めつけ」と「幕開きと極めつき」論争にに幕引き
 

 

 偶然見かけたNHKの「言葉に関する番組」が、「極めつけか極め付きか」「幕開けか幕開き」か、とやっていた。
 正解は「極め付き」と「幕開き」。アンケートによると60%以上の人が「極めつけ」「幕開け」と誤用しているそうである。

 私もやったような気がする。急いでグレップソフトでハードディスク内を検索した。すると二件ほど該当文章が出てきた。すぐに直そうと思う。ところが直せない。それは活字になったものだった。コピーで「新たな時代の幕開け」とやっていた。恥じる。
 ホームページ内の文章なら直せるが過去に活字になったものはいじれない。なんとも悔やまれる結果になった。

ことば──一所懸命3

 一所懸命
 いまテレビを見ていたら、子供に相撲を教えている人が、負けたこどもに「いっしょけんめいに練習をやろう」と言い、「一所懸命にやろう」と字幕が出たので驚いた。
 ぼくが学校で習った「一生懸命」を「一所懸命」に替えたのは二十数年前である。椎名誠がこのことばをエッセイで取り上げ、「いやあそういう意味だったのか。知らなかった。これからは一所懸命と書くようにしよう」と言っているのを見て、自分もそうしようと思ったのだった。

 ここを読んでいるみなさんが一所懸命か一生懸命なのかぼくは知らない。世間ではどうなのだろう。
 強く覚えているのは、ほんの十年前、「亀造競馬劇場」というのを書いているとき、毎回ゲラがあがってくると「一所懸命」が「一生懸命」に直されていたことである。それをまたぼくが一所懸命に直して送り返した。毎回そうなので編集者に強く言ったが効き目がない。三四回続いたとき、さすがにうんざりしたので、出版社のエラい人を通じてやめてくれと申し込んだ。それでやっとなくなった。
 これは校正する人が「一所懸命は一生懸命のまちがい」とバカのひとつ覚えをしていて頑固に直していたのだろう。「校正のアルバイト」というのがあるそうで、作家予備軍の人たちがよくやるそうだ。ぼくも何人かむかしやっていたという現作家を知っている。そういう人はマニュアル通りになんでも直してゆくらしい。物書きの世界ですらそうだった。たった十年前である。

 昨年だったかchikurinさんが高島俊男さんの『お言葉ですが…』を読み、そこで「一生懸命となっていたがあれは高島がチェックを見逃したのだろう」と書いていた。ぼくもそう思う。高島さんは一所懸命と書く人だ。高島さんの原稿ですらそう直してしまう人がいる。それも昨年である。世間はまだまだ「一生懸命」なのだ。

 だからこそおどろいた。テレビである。しかも子供をとりあげた番組だ。中には一生懸命の間違いと思った視聴者もいたのではないか。賢い子供ほど学校で教えられたものと違うと反応する。
 こういうことに対してテレビは最も保守的だ。保守的? ちがうか、なんていうんだ。要するに波風を立てない事なかれ主義だ。たとえば退廃を頽廃と書いたりはしない。地面を「ぢめん」と表したりはしない。文部省的決め事にすなおに従う。それはルール遵守ではなく事なかれ主義だ。珍しいものを見た気分だった。
 この番組だけが特殊だったのだろうか。しばらくはテレビ字幕の「一所懸命」が気になりそうだ。

漢字とひらがな3

3866d4bc.gif漢字とひらがな──とめる・やめる・とどめる
 今週の『お言葉ですが…』は、高島さんの持論であるひらがなを使え、の巻。
 最初は「止める」が「とめるかやめるかわからない文章が多い」から始まる。これはまったくその通りなので私は今、とめるややめるを漢字で書くことはしない。泊めるや停めるは使っているが。

 辞書を使わねば読めないようなとんでもなく難しい漢字を使うことは一種の知的劣等感である。シークレットブーツを履くのと同じ感覚だ。背が低くても自分の中身に自信をもっている人はそんなものは履かないように、人間も中身に自信を持てばやたら難しい漢字は使わなくなる。「小説教室」をカルチャースクールでやっている作家講師がみな口を揃える生徒の缺点も彼らがやたらと難しい漢字を使いたがる、である。いわばこけおどしだ。
 ネット上の文章でもいくらでも実例を挙げられるが好んで波風を立てたいわけではないので抑える。一例だけ挙げるなら、「ほだされる」なんてのは和語のいいことばである。これはひらがな五文字の中にやさしさがある。これに「絆される」と漢字を当てると、糸偏が強烈すぎる。「ほだされる」という「ほだす」の受身形を敢えて漢字で書くならそれは「立心偏」だろう。心や情に関することばだ。だがこの糸偏の漢字があるとこんがらがった糸のイメージが押し寄せてきて興ざめだ。「ほだす」の本来の意味が「つなぐ・束縛する」であろうと、別れようと思いつつ別れられない「女の情にほだされる」と使うとき、漢字はない方がいい。
 いずれにせよ難しい漢字を連発する人は眉唾物である。もちろん京極のようにそれを味としている人は別として、だ。売りにしているとわかっていても私は京極を体質的に受けつけないけれど。
 難しい漢字を連発する人に限って会話の中に英単語を交ぜる人を否定する人が多い。同じなんだって(笑)。いずれにせよ、「なにか」で、人を圧倒しようとする人は、中身のない人である。

 やたら難しい漢字を使う人は知的劣等感だが、どっちに読んだらいいかわからない漢字の使い方をする人は無神経である。
 漢字の使い方でその人の心がわかる。かといって「会社を辞める」を「会社をやめる」と書くと「辞める」を知らないのではと思われるから、私のような雑文書きは、画一化されたマニュアルが横行する社会で生きて行くのはけっこう面倒である。ま、「ビッグ」になれば問題はないのだろうが。
 好きな作家に、「あの作品では『あおい空』になってましたね」と言い、「ウン、どうしても青いでも蒼いでもなくて、ひらがなしかなかったんだ」なんて話すのは楽しい。

 と脱線してしまった。本題。
 高島さんは「とめる・やめる」に続いて、「止る」の例を出す。これは「泊まる」の意味らしく、「藤沢の旅籠に止る」のようにむかしの文章には多いのだとか。そしてこれは「とどまる」であるとする。「とどまる」だと「留まる」があるが、「止る」が主流だったという。今の時代「とどまる」を使うには「とどまる」と書くしかあるまいとして、中には「止どまる」とやる人もいるがこれは論外とする。
 送りがなの問題は深刻だ。私もまだ不徹底なので悩んでいる。ただ今の社会が、というかマスコミ界が、こちらが「終る」と書いても「終わる」に直してしまうのなら、こちらとしては高島さんの言うように「おわる」と書くしかない。これまた長年の習慣であり、なにも漢字で書く必要はない。「終わる」も「終る」も当て字でしかないのだから。

 毎週『週刊文春』を買って、電車の中、ラーメン屋、晩酌のとき、といろんなシチュエーションで『お言葉ですが…』を読むのが楽しみだった。その楽しみを奪ったキマタ編集長への恨みは深い。かといって不満を言いつつ読むのだけは我慢ならなかったから、今のスッパリやめている自分は気に入っている。
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