携帯電話

携帯電話の辞書機能──今ごろになってやっと気づいた──怪訝について──ことば

 過日奥多摩にいたとき、ふと「あの字はどう書くんだっけ」と疑問が浮かんだ。調べたい。調べられない。タブレットを持参しているがWifiは通じない。ケータイすら圏外になることが多い。東京都なのだが。

 奥多摩に住む予定は断念した。プラスマイナスを考えると、美景と幽谷というプラスと比してマイナスが大きすぎる。光ケーブルが通じていることからその気になっていたのだが、日常生活で、故郷の茨城の田舎よりもはるかに不便だ。住民のかたは、食糧は主に生協の宅配を利用しているらしい。今年二月の大雪では、降雪後一週間十日と過ぎてもまだ道路が通れず、孤立してしまった集落に自衛隊のヘリコプターで食糧を運ぶという事態となった。5分でスーパーやコンビニに行ける今の環境からは離れがたい。なにより「刺身で晩酌」が出来なくなる。



 知りたいと思ったことを調べられないのはつらい。ましていまはインターネットという万能百科事典をいつも持参しているようなものだ。何でもすぐに調べられることが当たり前になっている。調べられないとストレスがたまる。だからそれが出来ない環境にいるときは、なるべく「疑問を抱かないようにして過ごす」ことにしているのだが、それでも浮かんでくるものはある。

 たとえば「奇形」は「畸型」と書くのが正しい。「畸」は当用漢字というくだらない制度で使用不能となり「奇」が代用されている。では「奇妙」も「畸妙」とすべきなのか。確認したい。できない。なんどかテーマにしたことだが、附属学校、附属病院の附属は「附」が正しい。「付属」なんて使ってはならない。そういえば四月にもどってくる税金の「還付金」は「還付」と書くが、あれも「還附」が正しいのではないか。寄付は寄附が正しい。ならやはり「還附」だろう。いや、「ひとに対してのもの」だから「還付」とニンベンでいいのか。調べたい。調べられない。大きな搬送用の木箱を見かけた。ああいう「木箱」って英語でなんていうんだっけ。喉元まで出かかるが出ない。港にある大きな荷物によく印刷されている。なんだっけ、たしかカ行、クラフト、そんな感じ。そのへんだ。確認したい。出来ない。イライラする。



 ガラケーに「辞書」というボタンがあるのに偶然気づいた。国語辞典と英和和英がついている。ありがたいことに圏外でも使える。タブレットのそれはネット辞書なのでWifiが通じないと使えない。所有しているモバイルギアではPOMERAに辞書機能があり、通信とは関係なくいつでも使えるが、あのキイボードは使いづらくここのところ携帯していない。なんかあたらしいものをと探していたが、「青い鳥」よろしく、しあわせはいつもポケットにいれている身近なケータイにあった。和英辞書を引く。木箱はCrateか。よかった。ほっとする。咽のつかえが取れた。

 ちいさな辞書なので簡便なことしか調べられない。「畸」の字の情報はなかった。でもそれは家でやればいい。書けないようなむずかしい漢字が調べられなくても不満はすくない。ストレスは度忘れにある。知っているのに思い出せないもの。背中の痒いところに手が届かない感覚だ。それをこの辞書は救ってくれる。

 「携帯電話に辞書」は、いつから始まったのだろう。20年ほど使っているが今まで気づかなかった。ここ10年は電話機能しか使ってないし、さらにいえば受信専用みたいなもので、それも1日に2件ぐらいしかないから、ほとんど使わないのと同じ。連絡はみなPCメールでしている。今のガラケーなんて機種交換して2年近くなるが未だに新品同様だ。あ、もうひとつ、外国に行ったとき「目覚まし機能=アラーム」に助けてもらっている。目覚まし時計は必ず持参するのだが、ケータイとダブルでセットしておくと安心感が違う。ローミングすることなく外国から発信受信できるようになってケータイはほんとに便利になった。目覚ましに加えて辞書でも助けてもらうようになったから、これからはもう「おれはケータイは電話にしか使わない」とは言わないほうがいいのか。それにしても便利だ。いままで気づかなかったのが悔やまれる。

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【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使 う。というか正解は「かいが」だよね。「けげん」なんてただの当て字だ。過日「おこがましい」を「痴がましい」と書いているひとがいた。くだらんことだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪 訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

  私のガラケーに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれた。ありがたい。漢字なんてのは和語の当て字だからどうで もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えな い」のような組合せで初めて「ここは爐韻欧鶚瓩任呂覆爐いが瓩伐仔匹澆砲垢襦廚箸亮臘イ砲覆襦正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに 「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル 用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ た。「けげん」はモバイルにもある。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」が常用であることも確認でき た。

 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みの使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。 「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。

携帯電話料金10万円──もうすぐ止まる話(続き)

携帯電話料金10万円──もうすぐ止まる話の続きです。

携帯電話料金10万円──もうすぐ携帯電話が止まる話;;J-Phoneのころ

 あと数日で携帯電話が止まる。しばらく経験していないので定かではないが、たぶんそれぐらいだろう。
 その経緯を自省を込めて書いておきたい。


●携帯電話料金の思い出
 
 私が携帯電話を使いはじめたのはJ-Phone創業の年からである。何年になるのだろう。理由は明解だ。私は選択肢のない国営企業のみという状況が嫌いだから、携帯電話には興味津々だったがNTTしかない時代には手を出さなかった。待望の民間企業(まあNTTも建前は民間企業だが)の携帯電話が発売になったので関わった。

 もしも電気会社を選べる時代が来たら絶対に東京電力は使わない。さんざん止められていじめられたから(それはまあ料金を滞納するこちらがわるいのだけど)NTTや東電に対する怨みは深い。
 携帯電話は、たぶん1995年ぐらいから使い始めたのだろう。それから2005年ぐらいまで毎月の携帯電話料金は2万円から3万円ぐらいだった。愛用していたから、ほどよい使用料金だった。ただし90年代はまだ地方に行ったらほとんど使いものにならなかった。


keitai3 アジアにおいて、2000年ぐらいから一気に携帯電話は便利になった。いわゆるローミングサービスを利用するより、あちらで買った方が安くて手早い。私はあちらで携帯電話を買い、向こうのものはローミングなんて関係なくそのまま国際電話として使えたから、その番号を日本の編集者に伝えて、それに掛けてもらって通話した。使い捨て感覚である。

 写真は当時のタイで買った携帯電話機。これを15000円ぐらいで買い、プリペイドの1万円分ぐらいのチップを挿れておくと、1ヵ月ぐらい気持ちよく使えた。

※ 

 
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 しかしまだまだ歪んでいた時代でもある。
 写真のような、支那の山奥の見わたす限り山ばかりの泥道で、民族衣装を着た少数民族の老婆が懐から携帯電話を取りだして通話を始めるような珍現象が起きた。

 広大な支那では電話線を引くのがたいへんで、電話の普及が遅れていた。そこにこのテクノロジーである。無線通信が異常な速さで普及した。 その老婆のように、普通の家族用電話(有線電話)を一度も使ったことがないのに、いきなり個人の携帯電話を保持するような珍妙な事象が連続したのである。

 ただしこれは悪徳企業?が安い電話機(その分、電話賃が高い)を無理矢理押しつけ、無智な人々がなにもわからないまま購入してしまったような一面があり、その後料金が払えないという揉め事が続出した。
 
DSCF0205 悪徳企業と言ったら気の毒か。彼らもあたらしい商売なので読めなかったのだ。とにかくもう山奥の田舎町にも携帯電話屋があふれていた。機器を安く誰でもいいから売りまくり、電話料金で儲けるシステムだったが、貧しい山岳民族に高額の電話料金が払えるはずもなく、徴収できず倒産したところも多いはずだ。そういう民族の中には、ただみたいな値段で電話機が購入できるので勧められるまま買ったが、考えてみたら電話を掛ける相手がいないという笑い話みたいなことも起きていた。



 一方で、こういう地でファクスを使うひとなどめったにいないので、中級以上のホテルには一応機械はあったが、おそろしく古く遅い機械で、日本へのファクス一枚送信に5千円も取られたりした。原稿料がファクス代金で消えてしまう。
 ボっているのではない。旧型機械なので原稿読込みがとんでもなく遅く、それだけ電話賃(通話時間)がかかってしまうのである。


 ADSLからブロードバンドの普及により、在宅仕事である私の携帯電話への依存度は急撃に減った。2005年には普通電話を撤廃した。
 2008年ぐらいからは毎月5千円もかからない。まず使わない。今もガラケーであり、ここのところ3千円から5千円で安定している。普段は3千円だ。たまに都心に出たとき、あちこちに掛けたりして、その月は5千円になる。
 私がスマホを使わないのは必要ないからであるが、もしもガラケーと同じ料金だったら、あたらしいモノ好きであるから、きっと手を出した。さすがに、使わないと分かっている物によけいな金を使う元気はなくなってきた。私はもうまったく使わなくなっているのに、『一太郎』等の「使い慣れたソフト」をニューバージョンが出るたびに惰性というのか習慣病と呼ぶのか、買い続けてきた。そういう無駄からやっと卒業しつつある。

「いまの私の携帯電話料金は3千円から5千円以下で安定している」が「もうすぐ携帯電話が止まる話」の前提の一になる。(続く)
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