「タップダンスシチーは生きていた」の【追記】として書き始めだが、長くなったので独立させた。
「もう安心」と思いたいが、「まだ不安」でもある。

繰り返すが、競馬は残酷な産業である。ほとんどの馬は殺されて肉になって行く。仔馬にも多い。繁殖牝馬も種馬も同じ。それが競馬の現実だ。きれいごとは言いたくない。

中級の成績だった馬の餘生に熱心なひとがいる。会員制にして、会費でもって、なんとか生かしたいと努力している。それはそれで認めねばならない活動なのかも知れないが、そんなことをしていたら日本中に廃馬となったサラブレッドが溢れてしまう。サラブレッド生産という人間の残酷な遊びは、そもそもそんなこととは正反対に位置している。

かってに血統を組合せ、「生産」する。そう、それは愛しあった者同士の愛の子ではない。あくまでも理論尽くでの「生産」に過ぎない。工業の生産品と同じ。「失敗品」は廃棄するだけだ。

だから、こんなことを言うと、そんなことをしているひとから反撥を喰うだろうけど、さしたる成績でもないサラブレッドを、「自分が好きだった」ということを根拠に、なんとかして生かしたいと願うのは、かなり愚かな行為だと思っている。生涯負け続けの馬のことを本にしたり映画にしたりするヒューマニズムとおなじぐらいくだらない。本質を理解していない。かなしいけど、それが競馬である。



ただそんな中から、実力で「餘生を平穏に送る権利」を勝ちとった数少ない馬もいる。
タップダンスシチーは、文句なしのそんな1頭であろう。その馬の不遇は許しがたい。
「許しがたい」って、誰が何に対して許しがたいのか、書いている自分にもわからないのだが……。

タップダンスシチーは、老馬となり、自然死するまで、うまいものを喰ってのんびりする権利を、自力で手にした馬だ。勝てない馬が肉にされて行くのと同じく、それは競走馬における真理でなければならない。タッブダンスシチーの老後が保障されないなら、競馬とはなにか、勝つとはなにか、になってしまう。


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タップダンスシチーは生きていた」の【追記】

【追記】──まだ安心できる形ではないようだ──ハイセイコー、タケホープ、イチフジイサミのこと

私は、友駿シチーが、タップダンスシチーの居場所を明確にし、ファンとの交流も出来るようにするのだと思っていた。しかし発表されたのは、個人牧場が預かっている、生きている、対面は出来ない、ということのみだった。

なんだか大きな社会問題になってきたから、急いで「生きている」ことを発表しただけのようで、「タップダンスシチーは無事元気に生きている。よかったよかった」とは、ちょっと違っているようだ。安心はできない。そのうち「病死しました」とあっさり言われたりする可能性もある。


今回の件で、「JRAは功労馬の面倒を見ろ」という意見が多かった。
それはまあバクチの胴元なのだからそのとおりであり、それはそれで考えねばならないテーマになる。
だが私の本音は「友駿シチーという古手共同馬主クラブは、ほんの数万円から参加できる庶民的なクラブだが、G1とは無縁の組織だった。そこから出た初めての大スターなのだから、それこそ友駿シチーが功労馬として、顕彰馬として、売り物にして、面倒を見るべきなのではないか」になる。甘い考えなのだろうが、どうにもそこから抜けだせない。


昭和48年、ハイセイコーブームに沸いた年。
皐月賞、ハイセイコー1着。イチフジイサミ4着。タケホープは不出走。
ダービーを勝ったのはタケホープ。2着にイチフジイサミ。ハイセイコー3着。
菊花賞、タケホープ二冠達成。ハイセイコー2着。イチフジイサミ3着。

5歳(いまの4歳)の春、タケホープは天皇賞を勝つ。勝ち抜け制度。秋、天皇賞を勝ったのはカミノテシオ。イチフジイサミ2着。ハイセイコーは宝塚記念を勝つ。
ハイセイコー世代の5歳暮れ。有馬記念。勝ったのは年上の天皇賞馬タニノチカラ。ハイセイコーは2着。タケホープ3着。イチフジイサミ8着。
ハイセイコーは皐月賞と宝塚記念を勝ち、タケホープは、ダービー、菊花賞、春の天皇賞を勝って、これが引退レースとなった。むかしの強い馬はみな5歳暮れ(いまなら4歳暮れ)に引退して種牡馬入りした。
6歳の春、ずっと脇役だったイチフジイサミはついに春の天皇賞を勝つ。2着にキタノカチドキ。

当時の新馬戦、3歳未勝利戦は1000から1100しかなく、ステイヤーのイチフジイサミは未勝利脱出に11戦を要した。新馬戦に芝2000メートルがある今から考えると暗黒の時代だった。
イチフジイサミは、ハイセイコー、タケホープ時代の地味な脇役から、最後は天皇賞馬に登りつめた。


このイチフジイサミの老後は、生産者の千代田牧場が見た。近所のちいさな牧場に預託していた。私は千代田牧場に親しくしてもらったので、このことを知り、日高に行くと、必ず老いたイチフジイサミに会いに行った。

種牡馬としても成功したハイセイコーは、明和牧場で大事にされていた。気の荒い馬で、気に入らない客?には突進してきた。カメラマン今井久惠先生の助手だった長浜さんは、写真を撮っていたらハイセイコーが突進してきて、逃げおくれ、体当たりされて何メートルも吹っ飛んだことがあると、その怖さを語っていた。

競走生活でハイセイコーを凌駕したタケホープは、種牡馬としては成功せず、谷川牧場で餘生を送っていた。看板馬のシンザンが、菊花賞馬ミナガワマンナを出したこともあり、老いてもなお看板馬として、いちばん目立つ場所に放牧されていたのに、タケホープは牧場の裏の狭い場所にいた。


ハイセイコー物語とタケホープ物語ほど逆転の連続でおもしろいものはない。
誰もがハイセイコーのほうが強いと思った。それを破ったタケホープは敵役だった。だが、ダービー、菊花賞をタケホープが勝つ。しかしこれはよく言われているように、ダービーはハイセイコーに連戦の疲れがあったし(明らかに使いすぎだった)、菊花賞では、直線、タケホープの前がモーゼの海のように開ける。まるで「さあ、行け、勝て!」と神の思しめしのように。そして先行から抜けだし、いま勝たんとするハイセイコーをハナ差捉える。3000メートル走ってハナ差。まるで作ったような物語。いやこんなすごいものは誰にも作れない。

まだハイセイコー贔屓は多かったが、天皇賞でもタケホープが完勝することによって(これはもう中距離馬のハイセイコーとステイヤータケホープだからしょうがない)評価が定まる。今度は誰もがタケホープの強さを認めることになる。
山野浩一氏を始めとする血統評論家もみな「種牡馬としてもタケホープが成功するだろう」と言った。書いた。当時フジテレビの競馬中継の司会をしていた川口浩もタケホープ最強説を力説していた(後のテレ朝インチキ探険隊長ね)。

今度はハイセイコーが「墜ちた英雄」になってしまった。しかし「ハイセイコーは種牡馬としてもたいしたことはない。タケホープの圧勝だろう」という血統評論家を嘲笑うように、初年度産駒からカツラノハイセイコがダービー馬に輝き、父の無念を晴らす。さらには父の惨敗した天皇賞も勝った。親孝行息子である。国民的アイドルであったハイセイコーには名だたる牝馬もつけられたが、そこからではなく、無名のステイヤー牝馬につけられた貧相(失礼)な体つきのカツラノハイセイコが父の無念を晴らすストーリィもおもしろかった。


ミーハーな私はハイセイコーファンであり、タケホープは私の中で敵役のままだったわけだが、三十代になって競馬のことを書くようになり、実際に牧場で対面したら、とげとげしい雰囲気のハイセイコーが嫌いになり、人懐っこく顔を寄せてくるタケホープの大ファンになってしまった。感覚は変るものである。芸能人のファンなんてのもこんなものだろう。テレビや映画を見てファンになるが、決定的なのは現実に目にしたときの態度だ。
そしてまた、両馬の陰に隠れてずっと脇役だったイチフジイサミのなんとかわいかったことか。すでに持病の喘息で苦しんでいたが……。

観光バスが名所として立ちより、ハイセイコーを見るための展望台まであった種牡馬としても成功したハイセイコーが恵まれた餘生を送ったのは当然である。種牡馬としては成功しなかったが、タケホープもそれなりにしあわせな餘生だったろう。
ステイヤー血統で勝ち味に遅いイチフジイサミはそもそも種牡馬として期待されていなかったし、一応種牡馬にはなったもののろくな相手もいず、すぐに廃業になった。その後、紆余曲折はあったものの、23歳で安楽死処分されるまで生きられたのは、いま案じられているタップダンスシチー等よりははるかに恵まれた餘生だったろう。


と、タップダンスシチーから脱線してしまったが、こういう「イチフジイサミと千代田牧場」のような関係もある。「牝馬の千代田牧場」として有名であり、多くの名牝で名高い千代田牧場(最新のG1牝馬はホエールキャプチャ)だが、「生産牡馬の八大競走制覇」はイチフジイサミが最初だった。それで最後まで面倒を見た。

私は、競馬が経済産業であり、実態がいかに残酷かはよく見知っているので、わかったようなことは言わないようにしている。馬の死に触れたら、競馬できれいごとは言えなくなる。書けなくなる。

ただタップダンスシチーのことでは、JRA、生産者(外国だけど)、馬主といろいろあるわけだが、「あれだけ組織の名を高めてくれたのだから、友駿シチーが面倒を見るべきなんじゃないの」という思いが強い。

タップダンスシチーは、本来6歳ぐらいで引退し、「乗馬」から「行方不明」になる馬だった。行方不明が屠殺であることは言うまでもない。
それが有馬記念2着から花開き、ジャパンカップ、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞に挑戦するまでになった。自身の力で文句なしの「老後の安定」を勝ちとった馬である。
それが今回の騒ぎだ。やはりどうしても「それはないんじゃないの、友駿さん」と思ってしまう。

タップダンスシチーは健やかな老後を送れるのだろうか。まだ安心できない。