午前3時からデスクトップ機に向かい、一息吐く午前7時頃に、インターネットのテレビ番組表でその夜の番組をチェックする。もしも録画したい番組を見つけたら、もうその時点でしてしまう。実際に21時からの番組が録画されているころは白河夜船である。早ければ翌日、時には数日後に、それを見ながら晩酌をする。面白かったら永久保存。期待外れだったら即座に削除。ここのところそんな習慣になっている。

 定番で録画して後で見るのは「ロンハー」とか「アメトーク」ぐらい。あとは「北野演芸館」「エンタの神様」「レッドカーペット」等の特番があると録画する。お笑いじゃないのだと「和風総本家」「世界の果ての日本人」とか。あとは競馬と将棋。いま私の見るテレビはその程度。

 1月21日月曜日は、番組表をチェックして録画するものがないと確認していた。よってテレビを見ることはない。
 晩酌のときは録画番組を流して見る。まだ見ていないのもいっぱいある。不自由はしない。



 晩酌をやっていた午後7時過ぎ、テレビを点けた。ビデオを見るためだ。賑やかしに古い「ロンハー」の格付けでも流すかと思った。晩酌をしながらの主は新聞や雑誌を読むことだが、BGVとしてそれらを流したりする。この辺は「いつでもテレビ」というテレビ時代に育ったことをまだ引きずっている。
 すると「タカトシ帰れま10」をやっていた。5問連続的中のあたりだった。

 いつもだとすぐにビデオに切り替えるのだが、新聞を読みつつ、なんとなくそのまま流していた。的中が続き、「138回目で初のパーフェクト達成か」と盛りあがっている。
 この番組は、「きちんと見た」のが3回ぐらい、10分ぐらい見て消したという半端見が5,6回ある。



 私はタカトシの大ファンだ。本業の実力はもちろんだけど、「お笑いと言えば関西弁」という風潮の中で、北海道出身のタカトシと宮城出身のサンドウィッチマンの存在は貴重だ。北野演芸館でたけしは、明らかに「関東弁」を重視している。いや「贔屓」と言っていい。それは関東のお笑いを大事にしているのだから当然だ。関東人が関西弁を使うことを嫌う発言もしている。

 タカトシは好きだがこの番組は好きではなかった。
 大嫌いで絶対見ないものに「大食い」がある。「世界では日々の食事に餓えている人がいるのだ!」などとエラそーに言うつもりもないが、苦しみつつ無理して大食いをすることに何の意味があろう。番組意図もわからないが、ああいう番組が好きなひとの気持ちも理解不可能だ。テレ東のあれがシリーズになったのは、それだけ数字が稼げたからだろう。世の中には「大食い番組大好き!」というひとも数多くいるようだ。わからん。

 この番組にもそのテーストはある。食べものを遊びの道具にしている。最初はうまいうまいと喰うのだが、なかなか当たらず、しまいには「もう喰えねーよ」となるのを見るのは不快だった。食い物は無理して喰うものではない。作ってくれたひとに感謝して適量をいただくものだ。むかしはみなご飯を食べる前に、「お百姓さん、ありがとうございます」と手を合わせて感謝を捧げたものだった。飽食の時代だかなんだか知らんが、無理して喰うことを売りにするなんて邪道である。よってタカトシのこの番組も好きではなかった。



 むかし、見当違いのお宅を訪問してしまい悔いたことがある。若い頃の話。藝術家の先生のお宅。多くの若者から慕われている人格者だった。藝術家である。弟子もみな活躍している。
 先生はお酒が飲めない。先生がそうだから慕ってくる若者も飲めないのばかりだった。奥さまが御馳走を作りふるまう。こどものいない御夫妻は、若者が次々と平らげる様子を見るのが好きだった。

 そんなお宅に、当時から「食事は酒の肴」であり、「飯は酒で流しこむ」という酒飲みの食の細い私が場違いに行ってしまった。私は刺身を酒なしで食ったことがない。ひととのつきあいで食事になり、「刺身定食」なんてのを酒なしで喰うことは苦痛になる。まして米の飯を大食いするなんてやったことがない。

 お茶とジュースで、大量のものを喰わねばならなくなった。御夫妻はいつもの自分達を慕ってくる若者のよう、私がおいしそうにそれを平らげるのを楽しみにしている。見詰めている。しかしもともと食の細い私が、酒もなくそれらを喰うのはキツかった。大皿に山のように盛られた巻き寿司をひとつ喰った。それで充分だった。しかし御夫妻と先輩の手前、おいしそうを平らげねばならない。つらかった。思い出したくない思い出になる。
 先生は人格者だったから、それをきっかけに通いつづけ、私も先生の弟子になりたかった。しかし「食の恐怖」で以後訪ねなかった。

 私にとって「大食い番組」で、「もうとても喰えない。苦しい」となりつつ、それでもがんばって食べるというようなシーンを見るのは、それに繋がる極めて不快なものだった。



takatoshi 今までに7問正解、8問正解は見ている。しかしそのあとハズれて、そこからはいつまで経っても当たらない「苦しみ喰い」の世界になって行く。それは見たくないので、ハズれた瞬間あたりで消していた。

 今回もそうなのだろうと思っていたら9問正解まで行く。あとひとつ、である。今までに何度かあるそうだが、私は9問正解は初めてだった。どうせハズれるだろうが、あとひとつだから見てみるか、と思った。このとき私は「99%ハズれる」と予想した。いつものパターンである。

 10問目を羽鳥アナが撰ぶ。ベスト10の10番目だ。いちばんむずかしい。私はそのメニューを見てハズレだろうと思った。舞台はラーメン屋である。本筋としてラーメンだろう。羽鳥アナの撰んだのはサイドメニューだった。
 が、それで初のパーフェクト達成。なぜか一緒に感激していた(笑)。メンバーの「やったあ!」というよりも、「まさか……」という戸惑った表情がリアル感を出していた。心から「よかったなあ」と祝福する自分がいた。



 鼻カルボ話始まり。
 通称「#鼻カルボ」と呼ばれる団塊世代のおじさんがいる。「ネカマ」の「珍サヨク」だ。女のふりをして、ひとを誹謗中傷するデマを流すことを生きがいにしている悪質な害虫である。東日本大震災以降、東京の放射能を怖れ西日本に疎開している設定だ。実際は東京にいてネットとテレビ三昧なので、あれこれ矛盾が噴出し笑い物になっている。

 このおじさんは地デジ化以降、テレビと縁を絶ったという「設定」だ。しかしおどろくほどテレビに詳しい。テレビの話ばかりしている。本人はネットで見ていると主張しているが……。

 タカトシのパーフェクト達成に感激(笑)し、いいタイミングで見たものだと自分を誉めてやり(笑)、ほどよく酔いも回り、いつものよう早寝をする前、そのおじさんのツイッターを覗いたら、テレビがないはずなのに早くも反応していた。

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 この画像はいま取ってきたので9時間前となっているが、私がこのツイートを見たのは番組が終ってすぐだった。「帰れま10」のあと、「Qさま」になった。私はそこでテレビを消した。あのくだらない漢検からの当て字を読んで「インテリ軍団」なんて感覚はこの世で最も忌み嫌うものになる。

 そのときだから、「帰れま10」が終わってすぐだった。テレビのない設定なのに、いくらなんでも反応が早すぎる。そもそもテレビのない生活をしているものは、この種のテレビ的な話題には食いつかない。まあこういう矛盾で笑わせてくれるのがこのひとの楽しみなのだけど。

 地デジ化以降、私も三ヵ月間テレビのない生活をした。当時の体験から「テレビのない生活感覚」はとてもよくわかる。
 なにかあったらしい翌日、Google注目ワードなどにひさしぶりの芸能人の名前を見かける。どうしたのだろうとチェックして、そのひとが昨日の「笑っていいとも」だとか「しゃべくり007」のような人気番組で問題発言をしたと知ったりする。テレビのない生活に慣れると、テレビ的話題と接するのは、早くてもこんなものである。それは体験からも断言できる。

 テレビのない生活に関して鼻カルボはもっと上級者だ。地デジ化以降、テレビと完全に縁を切り、一年半テレビのない生活をしている。しかも友人のいない西日本で(笑)。病弱の母さんとふたり(笑)。やたらと雨どいの修理をしつつ(笑)。ほんとにバカの一つ覚えのあれを読んでいると、西日本には雨どいのしっかりした住宅はないのかとつっこみたくなる。
 
 江戸っ子(笑)であり、見知らぬ西日本で、かあさんとふたり(笑)で一年半以上テレビのない生活をしているひとが、どうでもいい娯楽番組のこういう結果に、瞬間反応をするはずがない。というか、このひとのツィートを見るたびに「ぜったいにテレビをもっている」「見まくってるな」と感じる。鼻カルボ話終了。



 じつにもうどうでもいいテレビの話ではあるが、このことをニュースで知り、それからYouTubeで見るのと、リアルタイムでその瞬間を見たのではちがいがある。結果を知ってから見てもつまらない。

 いま芸能ニューとしてあちこちで見かける。いかにもスポーツ紙的な芸能ネタだ。すなおに「見られてよかった」と思う。なにしろ定期的に見ている番組ではない。もしも今日、芸能ネタとして知ったなら、私はYouTubeでその瞬間を見に行くことはしなかったろう。そこまで好きじゃない。達成とわかっているのだからつまらない。

 この番組が大好きで、毎週缺かさず見てきたひとは、初のパーフェクト達成に感動したろうな。おめでとうございます。私はぜんぜんファンじゃないですけど、偶然その場にいさせてもらいました。そんな私ですら感動したのですから(酒が入ってましたけど)、みなさんの慶びはわかるつもりです。あ、逆に、毎週見ているのに今週だけ見逃したひとは悔しいだろうな(笑)。