1月5日付・読売社説 [『戦後』を超えて]「『ゆとり教育』の“呪縛”断ち切れ…基本法に新たな針路」

2005/1/5/02:22 読売新聞

【「学力低下」が明確になった】

 「ゆとり教育」をめぐる学力低下論争には、決着がついたのではないか。

 経済協力開発機構(OECD)など二つの国際学力調査の結果からも、明らかだ。日本は小中学生の学力で世界のトップ集団から脱落してしまった。

 授業時間数を増やす、授業改善の指導資料を作る――。こうした対応策を直ちに検討し始めたところをみると、文部科学省も原因は勉強時間の少なさ、教え方のまずさにあったと認識しているのだろう。

ニュースソース


ゆとり教育についての議論が基本的なところを終えたという主張から始まる社説。

改めて私が右派でも左派でもないことと、特定のメディアに対して好意も悪意も持たないことを申し添えつつ、当該社説を批判したいと考えます。

先ず、学力低下のデータが出て文部科学省が対策を始めたという点。これは民主主義の基本である政府が再編されて大臣が変わったという圧倒的に重要な一点を見逃している。(データはともかく、反ゆとりに転じたのは大臣によるもの)
そして次に、ゆとりが批判されても基本になっているとの点は"ゆとり"=多様性ではなく、"ゆとり"=内容削減という考え方に固執している。(歴史的な経緯を考えれば起こりがちな誤認で、この誤認を主要紙の見解にまで広げた文部科学省の責任は重い)
よって三つ目に、「学びのすすめ」がゆとりと相反するものだと指摘され、教師の理解が得られていないことが指摘されている。面白いのは、結論として「工夫した授業」という、まさに教育の多様性の必要性に行きついているところだ。とても興味深いことだと思う。
また、四つ目には「競争」「公的な教育目標」「愛国心」という項目お挙げ、左派への批判も行っている。この部分はもはやメディアが読み手を気持ち良くさせるためのものになってしまっている。文章に流れが無く、主張を入れただけだ。
無理に理論を抽出すると、
1:昔はあった。昔は学力も高かった。
2:今は無い。今は学力も下がっている。
3:必要。
という、とても弱い理由付けになっている。
私は愛国心を養うことにやぶさかではないが、このようなチープな理論ではとても幻滅してしまう。

このことから得られた見識は
1:文部科学省はやはり広報が下手だった(新規性無し)
2:メディアは行政の意図を伝える役割を担いきれていない
3:メディアは主張が弱くても読み手を気持ち良くさせることを重視する場合がある。
4:教師がゆとり〜についていけなかった遠因はメディアによる広報と文部科学省との連絡パイプが不充分だったことにあるのでは?
5:文章の読解力の低下は大人にこそ蔓延しているのではないか?
Posted by もんか on January 05, 2005 07:29│Comments(3)TrackBack(4)

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ここlivedoorのブログで「『学力』という名の『お化け』−どこにも「責任」をぶつけられないもどかしさ−」を書き、それに対してコメントをいただき、非常に有り難かったと共に、改めて教育、学習、能力の問題って身近で、その上非常に難しい、さまざまなとらえ方があるのだ
「能力に応じて」と「等しく」【じぃの繰り言。】at January 05, 2005 22:17
 きのう街に出て疲れたので(人混みは大嫌いなんです)、きょうは家でのんびりぼんや
のんびり【今年もかいちょー?】at January 05, 2005 23:00
昨今『ゆとり教育』の是非や、意見がいろんなブログで述べられている。私の好きなかいちょーさんのブログにもなんども登場してきている。そんな中、新年にあたって読売新聞の社説がこんなことを書いている。1月5日付・読売社説[『戦後』を超えて]「『ゆとり教育』の“...
先生の役割って一体なーに?〜読売新聞社説からおもふこと〜【oribe77のPTA会長日誌】at January 06, 2005 08:18
昔から疑問に思っていた「ゆとり教育」。とうとう失敗を認めよとの提言が。 「ゆとり教育は失敗」 授業復活求め理数系学会が提言 (朝日新聞) - goo ニュース とうとう理数系学会から中央教育審議会に、理数系授業の増強を求める提言が出されました。 もっともだと思います
とうとう出た!「ゆとり教育は失敗」という提言【The Man】at January 09, 2005 10:45
この記事へのコメント
 本当なら記事の1本でも書いて、トラックバックを打ちたいところなのですが、なかなか時間が割けず、ここでのコメント記入に留めさせて戴きます(いつも このブログは読ませて戴いてるんですけどね‥‥)。
 最後の「文章の読解力の低下は大人にこそ蔓延」とある部分、この視点こそ今の教育論議に必要なのではないかと思います。子供に対する教育だけが重要な訳ではないという。子供たちを導くのが教育なら、その役割を果たすのは学校だけでなく家庭・社会をも含めた環境すべてではないかと。
 子供を導くとされる「大人」たちの学びの姿勢をどう見せていくのか(学ぶことの重要性に関し説得力があるのか)、そして学力が「低下」したと言われる今の「子供」(すなわち将来の「大人」)たちの今後をどうフォローしていくのか、そこまで考えなければ いつまで経っても小手先だけの「対策」で終わってしまうように思えてなりません(だって、今度 試験を受ける「子供」たちの学力だけ上がったって仕方がないですからね)。社会全体の「学力」が上がらないと、子供たちを多様性ある未来へと導く(「成長を後押しする」という方が正確かも)ことなど出来ないだろうし、下手をすれば画一的な将来へと“パッケージング”していくことになりかねません(今の日本社会はそれを望んでいるのではと思ってしまったりしますが‥‥)。
 かつてテレビの普及を指して言われた「一億総白痴化」が、今この時も なお進行しているように思います。マスコミ(ここでは大新聞)自身がそれに気づいていないというのも皮肉なものです。人間だれしも、自分のことはよく見えません(なお私の場合は右派・左派的な偏りがあるかも知れませんし、特定のメディアに対して悪意を持っているかも知れませんね)。

 それはそうと、文部科学省の失策(「ゆとり教育」アピールの失敗)を取り戻すことはできないのでしょうか。今からでも真実を伝えていくことはできないものでしょうか。
 (マスコミなどが)「ゆとり教育」を罵るのは楽なことかも知れませんが、結局、学校に頼りきりでなければ「教育」とやらが実行できない社会であることを証明しただけのような気がします。本当に恥じ入るべきは日本社会、そして親たちではないのか、と。それに気づけないマスコミの姿勢は もはや末期的と言わざるを得ません。文部科学省だけを叩くのが能ではないでしょうに(注:ただし私は文部科学省の実態を知ってる訳ではありませんから、これの出来・不出来に関しては批評することができません。もう少し調べる機会が作れたら、ですね)。
 もう一度「ゆとり教育」の目指したところを再確認する。そして今までの方法は本当にこの目指したところを向いていたのか。そこまで論じないと、本当に「ゆとり教育」が間違っていたのかと云うことにはならないのではと感じています。

 もんかさんの例の一文に触発されて興奮ぎみに書いてしまいました。長文失礼いたしました。
Posted by 暇人#9 at January 05, 2005 16:54
文部科学省の広報下手はその通りでしょう。ただ、そのことは分かっていないわけではなく、現に、2003年10月の中教審答申にもそのことが書いてあります。ただ、劇的な改善がその後見られたかというと。。。もちろん関係者は努力し続けていると思いますが。
Posted by ガーター亭亭主 at January 06, 2005 20:49
暇人#9様、ガーター亭亭主様、ご来訪ありがとうございます。

>> 暇人#9様
熱いご意見ありがとうございます。
マスメディアは公共団体を監視する役割があるのでしょうけれども、的を射ていない批判ではむしろその役割の逆になってしまいます。
私はおそらくメディアには携わらないので、インターネット普及の危機感による自浄努力に期待したいところです。
その本質上、省庁ではメディアの働きを助けることができませんから、本当にメディアに携わる方には思い責任があるのだと感じます。

>>ガーター亭亭主様
努力を続けているとのこと、本当にそのとおりだと思います。
それでも十分に効果を発揮できていないのは、省庁が(上で述べたような)マスメディアに対する制限を持っているために広報を上手にすることがとても難しいことだからなのだろうと思っています。

某所(採用イベント)で文部科学省の方に「文部科学省は世間で人気が無いですが、その理由は?」と質問された方がいて、「人気が無いのですか?」と返しているのを見ました。
最低でも省員の共通認識とするところから始める必要があるのかな?と思っております。
Posted by もんか at January 07, 2005 01:21