March 28, 2010

リスボンの穴3゜

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 日本でもポルトガルでも、どこで暮らしていても、あの時、あの人にあったからこそ、ここまでご縁が広がったというようなキーパーソンがいる。リスボン滞在の場合、間違いなくそれはビリーだった。
 ビリーはスペイン北部出身の女の子。年齢はおそらく私より5つ6つ下で、私と同い年くらいの姉、セシリアとふたりで、昔の猥雑さが残る港町、カイス・ド・ソドレ近くのアパルトメントで暮らしていた。テージョ川を見下ろす最上階の部屋で、キジ猫と黒猫、2匹の猫を飼っていた。2匹は親子と言っていたけど、傍目にはおそろしく仲が悪く、およそ親子には見えなかった。
 ビリーと仲良くなったのは、その猫のおかげだった。彼女たちがクリスマス休暇にスペインの実家に帰るとき、家に来て猫の世話をしている人を探していた。その頃、下宿先のおばあちゃんとうまくいっていなかった私は喜んで引き受けた。ビリーとセリシアは私に家の鍵を託した。カーヤもちろん、泊まっていってもいいからね。出会ってって2週間目くらい。私はほとんど彼女たちの話すポルトガル語を理解できてなかった。今から思うと、あれはほとんどスペイン語だったんじゃないかとにらんでいるんだけど。
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monkey_monkey1999 at 12:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

リスボンの穴 2°

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 2009年6月、リスボンのホテルにチェックインして荷物をあけると、スーツケースのなかに放り込んでおいたGR-Xデジタルが壊れていた。電源は入るけど、レンズが開かない。シャッターは押せるけど、ちゃんとした風景をとることはできない。
 今回は取材のためにやってきたので、プロフェッショナルなフォトグラファーがいる。だから仕事の写真は問題ない。しかし、1年ぶりでリスボンに来ている。フェルナンド・ペソアが生きた時代とほとんどが変わらない、つまり1年前なんかとほとんど変わらない街とはいえ、日々目に飛び込んでくる景色を心眼撮影するのが好きだった。そこに映し出されるものは、冷静になって見るととんでもないものがほとんどだけど、100枚に1枚くらい名作があったから。
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monkey_monkey1999 at 03:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 18, 2010

リスボンの穴 1゜

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 もう4年もたってしまったんだ。こないだ開催された冬季五輪の中継を見て思い出した。そうか、私は前回の冬のオリンピックのとき、ちょうどリスボンにいたんだ、と。思い出したといっても、リスボンで競技の中継を見た記憶はなく、日本のネットニュースで見聞きしただけ。ポルトガルの生活にもようやく慣れてきて、なにか楽しいことが始まるんじゃないかという予感めいたものを感じていた時期だった。日本やアメリカなど、世界の片隅で起こっているスポーツ競技に強い思い入れはなかった。
 今はどこが世界の中心でどこが片隅なのだかよくわからない。確実なのは、あれから4年の年月が過ぎたこと。そして、ようやくいくつかの好きな場所とのバランスを保ちながら、記憶の扉を開けることができるようになったということ。

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monkey_monkey1999 at 19:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

March 21, 2009

冬が見る夢

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「冬になると自然は眠りに入り、夢を見る時に霧が出る。
霧の中を歩くのは、自然の見る夢の中に入り込んでいくようなもの」(ブルーノ・ムナーリ『霧の中のサーカス』前書きより)


ムナーリのこの言葉に触れると、いつだってはっとさせられる。
自然現象でしかなかった霧が、彼のフィルターを通すことで、
冬の見ている夢という壮大な舞台装置のなかへと、否応なく引きずり込まれるから。しかし、それはとても心地のいいこと。

晩夏から秋にかけてだったか、秋から冬にかけてだったか、
長雨が続く季節に、リスボンにも霧がよく現れた。
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monkey_monkey1999 at 13:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

February 16, 2009

いわし祭りから

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写真だけ見ると、ここどこですか〜〜? という感じだけど、これでもリスボン。
いろとりどりの旗のはためきといい、うらぶれた建物といい、まるでチベットやネパールあたりのようだけど、よくよく見るとポルトガルの旗がさがってる。
この写真は、毎年6月にリスボンで開催される「いわし祭り」が終わった直後の町の様子を撮影した。画家のnakabanさん夫妻と一緒にいたっけ。

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monkey_monkey1999 at 01:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

February 06, 2009

1001日目に少しずつ進み始める

 そもそも長期間のポルトガル滞在を決めた理由のひとつには、どちらかというと、重い腰をあげるのに多大なる決心が必要なような気がしてたので、行けるときにまとめて行ってしまおうという気持ちがあったから。その点でいうと、当時の私は自分の性質をきちんと見抜いていたんだろう。2006年12月、年が変わる直前すべり込みセーフでポルトガルから日本に戻ってきたあとの私は、フットワーク軽く渡航を繰り返す友人たちをうらやましく思いながらも、こことあそこを行ったり来たりというバランスを取るための支点をどこに持ってきていいのか見つけられないままでいた。

 昨日、池袋にあるCDショップでセザリア・エヴォラが20代のとき録音した未発表音源のアルバムを試聴したとき、正直あまり期待はしていなかった。彼女が歌うのは島に伝わる同じ曲ばかりだったから、少々聞き飽きたように思っていたのかもしれない。
 ところが、音が耳に伝わってきた瞬間、泣きそうになった。ざらりとした町の空気も一緒にやってきたせいもあったし、セザリアの変わらぬ存在感がすごかったせいもあったろう。さらに、島に暮らす多くの人たちによってひたすら歌い継がれてきた楽曲の、村を、町を、島を国を代表するそれぞれの共有財産のような音楽が持っている力のせいもあったのだろう。土地と人の暮らしに結びついた曲でこそなしえる偉業。その場所では、アーティストはアーティストでありながら、無名の人へと返るしかない。そして、お決まりのサウダーデ。

 遠い時間と距離を経て、よくぞ日本までたどり着いてくれたね。

 私も、長いこと憧れていたカーボ・ヴェルデへと辿り着いていた。2007年の春。遠かった。西アフリカのセネガル沖にある9つの大きな島。音楽と砂漠の島。公式的にはポルトガルの植民地だったけど、オランダ、スペイン、イギリスなど、いろいろな国が奴隷の中継地としてこの国を統治していた。そして、大西洋の向こうにはラテンアメリカ、ブラジルへと続く。文化と人の混血。アフリカであり、ヨーロッパであり、ブラジルでもある。
 その地で、セザリア・エヴォラは国を世界に知らしめたスーパースターでありながら、大酒を飲むただのおばちゃんという扱いだった。酒を飲んでは道の真ん中で寝ていたよ。そんなことを教えてくれたおじちゃんも、かなりの大酒飲みだったけど。

 ここの場所(ここ)での更新がとだえてしまったのは、ポルトガル生活が本当に楽しくなる直前だった。記録をすることも渡ポルをするにあたっての目標のひとつだったのに、あまりにも楽しくて日々の生活で手一杯になってしまった。毎日がお祭りのようだった。音楽を一緒にする友達ができて、いろんなところで演奏をして、多くのことを消化できずいたのかもしれない。さらに、日本に帰ってきてその経験をそのまま埋もれっぱなしにしてしまっていたのも、ジレンマだった。

 帰ってからすぐは生活の変化についていけず混乱していたので、ほんの少しの期間だけ寝かせて冷静になろうと思っていた。それが熟成されすぎて早2年。「カーヤは早書きの良さを分かってないよ」。当時からさかんに書いておくことを進めてくれた杉田氏の言葉を最近ようやく理解した。熟成されていないからこそ、瑞々しくいたく伝わるものがある。
 あのときやっておけばよかった、と、いつでも思っていたのだけど、思っていればやればいいのだと、セザリアのおかげでようやく思うにいたる。
 ぽっかりと開いてしまった2年近く前の記憶を辿りながら、ぽっかりとあいてしまった空白を、ちょっとずつ埋めていこうと思う。そして、いつの日か、カーボ・ヴェルデまでたどり着けるといいなという希望を持ちながら再開。ひっそりと。偶然にも、今日は前回の更新から1001日目でした。

 それにしても、セザリア・エヴォラは、どすの聞いた酒やけした声で歌う永遠のおばさんだと思っていたけど、そんな彼女にも感受性に富んだ20代があったのだと教えてくれた『RADIO MINDELO』は素晴らしいアルバムだと思う。
若々しさや感じやすさ、恥じらい、チューニングの狂ったピアノの共鳴。そんなものを含めて、成熟していないって素敵なことだなと信じさせてくれる。



Radio MindeloRadio Mindelo
アーティスト:Cesaria Evora
販売元:Lusafrica
発売日:2008-12-23
クチコミを見る



monkey_monkey1999 at 23:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 12, 2006

uma pensao

aguias
quando meu amigo chega aqui, eu sempre recomendo este alojamento. e dificil que sube o ladeira, mas, aqui tem bem visto!!

ごぶさたしております。
みなさまお元気でお過ごしでしょうか? ここしばらくの間、ポルトガル滞在期間のなかで、多分、今後も含め、いちばんの勉学に励んでいた時期でした。なぜか。通っている大学の授業でそれぞれがフリーテーマで発表をしなくてはならなかったからなのです。とはいえ、最初は「10分でいい」とのことだったのだけど、やる人、やる人、1時間以上かけてじっくり発表していたので、それではあたくしもと勇み、がんばって「日本の文化」について発表してみたのです。…と、まぁ、テーマはなんだとか、どんな反応だったか、とか、その話はまた次回。かなり違うとは思っていたけど、自分が予想していた以上に文化の違いが浮き彫りになり、おもしろいものだなぁと改めて思いました。
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monkey_monkey1999 at 01:13|PermalinkComments(9)TrackBack(0)

April 24, 2006

fado

cafe de miradouro no bairro alto

自主休講も含め、長かったpascoa(=パシュコア=復活祭)の休みもそろそろ終わり、なので、休みすぎた頭に喝を入れるため勉強するか、今日は天気のいい日曜日だし、別にずっと休んでいるんだから曜日なんて関係ないはずなんだけど、日本で仕事していたときからそう、日曜日で天気がいいとやっぱり解放された気分になる。前からお気に入りの展望台カフェが引っ越したことによってより近くなったので、electricoと呼ばれる市電も通ってるけど散歩がてら、にしては急な坂を、汗かきながら登っていった。
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monkey_monkey1999 at 03:39|PermalinkComments(8)TrackBack(0)

April 23, 2006

presepio

sutudio01

ロンドン三部作最終回は、アートが宗教なしにはなりたたなかった時代について考えたこと、そして未だにある“人種”に関する差別について。でも、結局それらって、数あるいろいろな見方の一側面しか捉えることができていないから、アップするかどうかずいぶんと迷ったんだけど、まぁ、ひとつの記録としてここに。
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monkey_monkey1999 at 01:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

April 18, 2006

lodon tube

tube sign

しつこいようだけど、狭い場所が嫌い。なので、ロンドンのチューブは今回いちばんの杞憂でした。
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monkey_monkey1999 at 04:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Profile
岡田真由美 a.k.a. kaya
もの書き
で、音楽家。
サックス&フルーティスト。
kaya〜カーヤとして、
エスペラントな音楽集団Double Famousやってます。
(が、ただいま休止中)
書いたり考えたり編集なんかをしている仕事としては、産経新聞社発行「metropolitana」、ニーハイメディア発行「paper sky」ほか、旅行、町、おもちゃ、ペット、インタビューなどいろいろ。
05年10月からポルトガル リスボンで暮らしています。
写真はタイのチャーン島で by Sakamoto kouzaburou
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