整体師、まーきみ。の奮戦記

整体師まーきみ。の「マジブロ」版 宇和島及び南予の歴史や名勝を訪ねます。

板島橋物語 6 九島橋


2008年から始まったこのシリーズ

私が、このマニアックなブログを始めるきっかけになったお話です。

その「きっかけ」は、話せが長くなりますが、

そもそも、昭和天皇が宇和島に行啓になったのは宇和島市誌には「昭和40年」となっていましたが

私の記憶では41年だぞ、と言っても、それを証明するのに資料その他中々揃わなかったのが、郷土史に興味を持つそもそもの「きっかけ」でした。

現在の板島橋の架設は「昭和41年3月」昭和天皇はこの橋を渡って水産試験場へ向かいました。

決して万全と言えない古い木橋でなく、あたらしいコンクリート橋を渡ったのではなかろうか?という疑問を抱いたりと、色々調べる癖が現在も続いていて、それを知った方々より、色々な資料を提供していただくことになったのですが

00-IMG_20170625_0009
そんな風に手に入った写真



IMG_20170625_0009
九島橋


IMG_20170625_0009a
昭和10年1月架設



九島橋と言えば・・・


f18b1ac5
これでは?



いやいやいや


それわ。。。。


00-5e4408a4

九島

そもそも、九島の島には、こんな大きな橋を架ける大河は無いはず。

そして、地形からある推理が働いた


BlogPaint
この山って戎山ではないか?


19399368_1365185166892154_3483254249053761660_n
水産高前からの現在の写真

木が生えて少し形はいびつだが、よく似てる


IMG_20170625_0009e
この崩落したように見えるのは、今は木が生い茂って隠れてるが、

私が子供の頃は大きな岩が露出してた。石切り場だと聞いた事がある



戎山は石切り場が数カ所あって、お城山の石垣にも使われたことがあると、教育委員会の菊池さんに聞いた事があった。
明治時代の石工の名前が宇和津彦神社の摂末社の手水鉢に刻されていた



余談だが、戎山は石山で、岩盤が海まで続いていると聞いた。

集会所を作る時も、難工事だったらしい







00-DSCN3427

そして、何度も何度も何度も読んだ(はずの)

木下博民先生の「板島橋」宇和島の予科練と平和への軌跡

この中にちゃんと書いてあった


小型バスが通れるほどの、しかも木橋だが「見るからにガッチリした」「延長140m、宇和島一の長橋」と1935(昭和10)年5月の地元紙「南予時事新聞」で「新宇和島百景(39)」なる連載絵入り記事(画・野中重吉、文・編集局同人)の一つに、この橋が加えられている。
九島村と宇和島市との合併問題は、近江帆布の誘致にはじまり、その実質的な成立は架橋であった、と「新宇和島百景」では述べて、橋名を「九島橋」と書いている。
文・同上

今ではその南予時事新聞(昭和10年5月)は宇和島市立図書館にデジタル化され保存、申請すれば閲覧が可能である。

その記事には版画のような、橋の画像と下記の文章が添えられていた。

宇和島市と九島村の合併も、内容的にはいろいろな条件を取り交わして成立したが、それを形の上において、来村川にさえぎられた、両者を結びつけた橋、それがこの九島橋である。
木橋ではあるが、見るからにガッチリした橋だ。延長140m、宇和島一の長橋でもある。
向ふに見えるのは建設を急ぎつつある近江帆布の工場、宇和島と九島との縁結びに仲人役をつとめた近江帆布。その下に架かる九島橋

近江帆布=合併問題
九島橋=合併成立
の、方程式が出来そうな風景でもある。が、何よりも我々が九島橋に立って感じるのは、みなと宇和島の急テンポの躍進振りだ(ひとし)


九島村との合併は、昭和初年頃、戎山保手部落が、九島村との分村、宇和島市との合併を陳情したころから始まる。この時の合併委員長、梶原計国は、若干22歳だったという。
九島議会は当初、難色を示し、議会は紛糾したが近江帆布の企業誘致を計画している宇和島市の強い要望もあり、急転直下全村合併が可決された。





ここに橋を架けることになったのは、度々名前が出て来る、宇和島市が誘致した企業「近江帆布」と宇和事案市との契約による。

山村豊次郎傳に拠れば、昭和9年8月10日に議会承認された「近江帆布酒井綿布との契約」第3条で

「市は同新田(日振新田)に亘る幅員2間半の橋梁を向こう4か月以内に建設すべきものとす。但し工事費中6500円は会社より寄附す。

とある。

九島村が宇和島市に編入されたのは9月1日、契約発効がこの頃だとすると、約4か月後の10年1月の架橋年月は辻褄が合う。
九島橋という名前も、自然発生的に付けられた名前と言ってよいと思う。

e663d7b7
橋の架設場所は、現在の橋より若干下流、水産高の前辺り。



928f81e0



昭和10年1月の架設の「九島橋」が4年後の14年3月には「板島橋」と変わっていた。

78311197

板島橋の橋名の親柱は、長らく海中に没していたが、現在は引き揚げられて宇和島市歴史資料館の庭に置かれている。





IMG_20170625_0009b

前方に立つ8人の男

工事関係者、役人、近江帆布、酒井綿布の関係者もいるかもしれない。



IMG_20170625_0009c

男女約15にんづつの30名

教師と思われる男女各1名

画像から年齢を察するに、尋常小学校高等科位のように思われる。
尚、宇和島市の尋常小学校高等科は昭和3年に、第三小学校に集約され、宇和島尋常高等小学校となった。(現在の法務局辺り)
現在の城南城北、両中学校の前身と言ってよい。


c104214c


余談だが、この広範囲な学校統合は、市民の不評を買い盤石と思われた村山人気に陰りが出た。

00-IMG_20170629_0001
市制10周年記念 昭和5年8月

市制40周年が満の46年に開催されたのに、10周年は万9年

村山市長は、この年の10月に行われた市議会選挙で、支持されていた政友会が民政党に敗れ、市会では高橋作一郎氏を市長に選んだ。






余談
山村豊次郎傳に拠れば、昭和2年4月より、児童は第二小学校(現在の鶴島小学校、当時は城山下の、たばこ産業跡辺りにあった)に委託教授、とある。
さらに第一小学校(明倫小学校)も昭和7年には明倫町(現在地、文京町)に新築移転しているので或はそちらに通っていたのかもしれない。
下記資料参照

昭和2年以前は、前述の梶原計国氏も通っていたという坂下津小学校に通っていたのであろうか?









00-IMG_20170627_0001


00-IMG_20170627_0002




DSCN1864

昭和36年の記事

2200万円かけて現在の板島橋が作られた。




ma1ランキング参加中 ポチッと押してね。<(_ _)>




にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 整体へ
にほんブログ村









薬師谷の三十三観音 2017  5

00-DSCN9178


さらに行く



00-DSCN9180
ここから先は未知の世界



00-DSCN9181
水は上るほどきれい



00-DSCN9182




00-DSCN9183
枯葉が包む桁



00-DSCN9184
急な石段



00-DSCN9186
テーブルがある


00-DSCN9187
此処にも看板が



00-DSCN9188
休憩所?



00-DSCN9189
その向こうに橋



00-DSCN9190
なんやこれ?



00-DSCN9191
東屋がある



00-DSCN9192
道標の跡?



00-DSCN9193


瀧だ


00-DSCN9194
この橋を渡る前に行ってみよう



00-DSCN9196
かなり大きな滝



00-DSCN9197
岩戸の瀧のように滝つぼに直接落ちるのではなく



00-DSCN9198
岩肌を滑るように



00-DSCN9199
雪輪の瀧




00-DSCN9203
同名の瀧が、滑床にあるのはよく知られている




00-DSCN9204


00-DSCN9206

美しい


そうめん流しから、ゆっくり寄り道しても50分と掛からない



00-DSCN9208
休憩所



00-DSCN9211
さて帰ろうか



00-DSCN9210
車の道まで登る


00-DSCN9214


00-DSCN9226
この石は??



00-DSCN9228

ここらより、権現山に登る道があるのかな?

00-DSCN9234
少し降りたところに



00-DSCN9229
石仏が


台座がない


もしかしたら17番の??


00-DSCN9235
消えかけた看板



00-DSCN9236
石が石仏のように



00-DSCN9237
不思議な場所



00-DSCN9238
ここを工事のための車両が行き来してダムを造った



00-DSCN9240
この橋もそうかな?

00-DSCN9251
上からも橋が見える



00-DSCN9253


今回の探索はこれまで



一応、おわり










ma1ブログランキング参加中 ポチッと押してね♪



人気ブログランキング




薬師谷の三十三観音 2017  4

00-DSCN9135


また橋が


00-DSCN9137
木なので腐食とかもあるだろうな



00-DSCN9138


00-DSCN9140
この金属は?


00-DSCN9141

小さな滝


00-DSCN9142
ここを渡る


00-DSCN9144
ずっと右岸

石仏あり


00-DSCN9147



00-DSCN9146


大正6年

15番

亀井タケ

阿武トク


00-DSCN9148

渡る



00-DSCN9149




00-DSCN9150

00-DSCN9151
飽く迄も水はきれい



00-DSCN9152
隙間がある

00-DSCN9153

また橋だ


00-DSCN9154


00-DSCN9155


00-DSCN9156


00-DSCN9157
おや?

台座が


00-DSCN9159
大正6年

17番

山口

中川


00-DSCN9161
石仏本体は下か?


00-DSCN9164
見つからなかった



00-DSCN9165
先へ行こう


00-DSCN9167
この橋の橋台が工事中?



00-DSCN9168


00-DSCN9170

ロープで降りる


00-DSCN9171

ほほう



00-DSCN9172


何れ出来るであろう


00-DSCN9174
橋の写真を撮っておく


00-DSCN9175
先へ行きます


00-DSCN9177


つづく








ma1ブログランキング参加中 ポチッと押してね♪



人気ブログランキング

薬師谷の三十三観音 2017  3

00-DSCN9098

キャンプ場へ




00-DSCN9099


中学校の時、遠足で来た


00-DSCN9100
注意書き


00-DSCN9101
竈がある


00-DSCN9104
火の用心



00-DSCN9106
テントを張る台



00-DSCN9107
橋があった


00-DSCN9108
その傍に石仏



00-DSCN9112


00-DSCN9113
岩間寺

12番

三好

歯朶尾

薬師神

など




00-DSCN9109

下流方面


00-DSCN9114
上流に橋


00-DSCN9116

水の美しさ

00-DSCN9117
下流側



00-DSCN9118
誰かが乗せた?


00-DSCN9119




00-DSCN9120

萬代(よろずよ)の滝



00-DSCN9121



00-DSCN9123



00-DSCN9126
さらに上流へ



00-DSCN9127
ん?


なんだ?


00-DSCN9128
あ。

高い所に石仏


00-DSCN9129


00-DSCN9131


苔がすごい


00-DSCN9130
三井寺

14番

薬師神の名が


00-DSCN9132
赤いコーンあり


00-DSCN9133
橋の一部崩落と


00-DSCN9117
行けるところまで行っ見よう



つづく








ma1ブログランキング参加中 ポチッと押してね♪



人気ブログランキング

薬師谷の三十三観音 2017  2

00-DSCN9032

萬代(よろず)の滝

途中で川に降りる



00-DSCN9036

中学校時代、遠足に来たはずだがあまり覚えていない




00-DSCN9039
こんな道、何時の時代に作ったのか



00-DSCN9041
博打岩

ばくち?



00-DSCN9045
あ。

見えたぞ


0000DSCN9047

7番

岡寺


宮下
沢田嘉野
薬師神キク


祝森
佐藤ハナ
中井シカ

今更だが、
女性の名前ばかりの様だ


00-DSCN9048

頭を打ちそう



00-DSCN9052
発見


00-DSCN9054
8番

西田タキ
西田和平治

男性より、女性の名が先に出てるってこの時代は珍しい

やはり、この石仏群は女性中心に進められたのか?


00-DSCN9055

さらに、この道を進む


00-DSCN9057
メタボチェッカーの様な



00-DSCN9060


木の橋が


2011年8月に来たことがあったのを思い出した




薬師谷上流の三十三観音 1

薬師谷上流の三十三観音 2


00-DSCN9062
キャンプ場の道しるべ



00-DSCN9063

色々な漂流物


00-DSCN9064

水音が気持ち良い



00-DSCN9066
木の板は所々補修している



00-DSCN9067



00-DSCN9069


00-DSCN9070
あ。また発見



00-DSCN9074
9番


00-DSCN9075


九番 南圓堂(興福寺) 「宇和島町」の文字が見える。
宇和島市が市制を敷いたのは大正9年

山村豊次郎 1 頌功碑



00-DSCN9076
さらに行きます











ma1ブログランキング参加中 ポチッと押してね♪



人気ブログランキング




















訪問ありがとう
プロフィール
月別アーカイブ
アクセスカウンター

    地図
    記事検索
    最新コメント
    カテゴリ別アーカイブ
    QRコード
    QRコード