整体師、まーきみ。の奮戦記

整体師まーきみ。の「マジブロ」版 宇和島及び南予の歴史や名勝を訪ねます。

鯨大師

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九島に橋が付いて、初めて鯨大師に行ってみた



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ここより、200m山へ



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遍照山願成寺

鯨大師入口


四国八十八ヵ所 御荘観自在寺奥之院


(現在奥之院は、龍光寺に移されているとのこと・慌てん坊将軍様のブログより)

願成寺1





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元宇和島市議会議長 片山豊吉

前鯨谷願成寺住職 五葉之春



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平成十一年二月吉日



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キウイ畑があった



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あ。あそこだ



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松の木地蔵の由来



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石垣と石灯籠


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石碑多数

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お墓があった


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大師像も



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鯨大師再建寄付の記念碑


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本堂へ


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紀元2600年


石段を寄付した「蛤養蚕組合」の石碑

うちのじーさんも、蛤で養蚕をしていたらしい。

その名残の温度計が今もある












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黒松があった

昭和天皇御手蒔きされた松のなえだたっとか


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原木をくりぬいた椅子

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本堂全景



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明治16年7月吉日


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蛤浦中


九島村はまだ成立していない時代



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赤松方面が見える



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賛辞


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さて帰ろう


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おわり








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菊屋

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マルオー癒しdayの日、晴ちゃんに誘われて菊屋に行った。



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前に行ったけど、回転時から行列が出来て、はしから順番に詰められたので、あれ以来行ってない。


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この日はみんな居るので心強い

画像のメニューは味くらべ


21
カレーうどん

25
ラーメン


30
もりそば


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晴ちゃんは?


菊屋は戦時中、外食券食堂として紹介されていた。店の名前は無かったのに客が「菊屋そば」と言い習わしてそれがそのまま屋号になったと聞いた。


津村寿夫氏の「宇和島の明治大正史」には下記のように記されている。

明治時代の城下町のありさま


本町筋は宇和島の目ぬきの町であった。有力な商店が揃っている上に何れも気品が備わっていた。

中略

この外に横丁には「彦さん蒲鉾」「菊屋そば」が既に有名となっていた。前者は土居彦太郎の経営で正直一図の爺さんでそれが信用を博した。最初は蒲鉾一本三銭、味竹輪、味テンプラは共に一銭五厘、皮テンプラは五厘であった。
後者の主人は前田菊太郎、名人気質の勤勉家で生粋のそばを全部自分で手打ちにする。かけ物は「そぼろ」と「なんば」の二種類だけである。一杯が二銭、今日から考えると双方共に夢のようである。都会などから客が来ると各家では大抵ここに案内する。「彦さん蒲鉾」も「菊屋そば」も自分で付けた名称ではなく、誰いうとなく需要者が斯う呼ぶようになったものである。









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野井川の河内神社



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城川町

野井川


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河内神社

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寄附と言う文字以外読めない


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銀杏が散ってる境内



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立派な社殿



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彫刻も立派である


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ゾウ?


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と、獏?



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昭和8年の注連柱



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和歌?


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狛犬


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あの木は?



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半分に割れてる?


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その根元に手水鉢



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明治29年






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こちらにも鳥居






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新しい寄附の記念碑


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石碑いろいろ




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町並


うわじま人形と中平常太郎(木屋旅館)

宇和島市の中央町と丸穂橋の間に流れる辰野川の上に並んで同じ名前の橋がある





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中央公園の石碑





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中平常太郎

昭和26年宇和島市長就任

本町二丁目で醤油醸造業を営んだ中平弘蔵の子息


中平は記録によれば方面委員会長をしてた人、方面委員とは現在の「民生委員」に当たる職務と思われる
最近話題の「うわじま人形」の立案者の一人と言う。

大正期以来の方面委員活動を通して金銭による救助の弊害を感じていた中平会長らは、授産場を創設して失業者救済と窮貧者の生活安定を図る必要性を痛感していた。(中略)
昭和四年五月二二日、市内御殿町の民家の二階を借りて「宇和島市民共済会授産場」の看板を掲げ、方面カード登録者中より一五名を選んで宇和島人形(おもい で人形ともいう)を製作販売し、従業員に一日(七時間半の就労)五〇銭の標準賃金を渡していたが、同年秋頃からは団扇製造も事業種目に追加することが計画 された。

データーベース「えひめの記憶」方面委員制度の進展と変容


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その「うわじま人形」の展示があると新聞で知った



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木屋旅館に行った



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バル氏に会うのも久々


って、一宮様のお祭りで会ったけど( ;∀;)




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玄関に早速お目見え



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中にも


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展示品がずらり


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その後、中平らは団扇製造も手掛ける



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 昭和五年六月丸亀市から団扇職人森太郎吉を招へいし、彼を講師にして、七月には市内の失業者より一三七人を集めて団扇製造講習会を開催した。二か月に及 ぶ講習期間で、骨作り、柄塗り、張立て、仕上げなど団扇製造の各工程に欠かせない技術を習得した従業員が養成された。また、同年七月二九日には理事会が授 産場の新築を決議し本格的な授産事業を進めるようになった。この間、販売用の製品も作られるようになり、宇和島の和霊神社にちなんで、「和霊団扇」と命名 された団扇が昭和五年七月二三日の和霊大祭当日、同境内で受講生によって売り出された。昭和六年四月、台湾で開かれた愛媛県物産見本市(本県主催)には中 平会長も出席し、会長自らが台北、高雄、嘉義など台湾の主要都市を巡って和霊団扇の販路開拓に努めた。この時、中平は宇和島人形六〇〇個、和霊団扇一五万 本の注文を取ってきている。前年から計画していた授産場の建設も、愛媛県水産試験場本館の払い下げを受け、昭和六年中にこれを市内妙典寺前に移築して設備 を整えた。
 大量注文と設備拡充により、生活困窮者や失業者の中から新規に従業員を受け入れ、授産品の生産拡大が進められた。昭和六年六月からは 方面委員で市民共済会副会長に就任していた松本良之助か場長となって日勤するようになり、県や市の補助金に加えて昭和七年度以降は恩賜財団慶福会、岩崎男 爵家・住友男爵家・伊達侯爵家などからも補助金を受けた。この間、授産品製造に適さない人のために、行商部を新設して団扇、粉末石鹸、脱脂綿などを販売し た。昭和八年度の販売成績は好調で、団扇だけでも七〇万本、二万一、四七五円の売り上げであった。また昭和一〇年度、授産場に約一三〇名が常勤するように なった。
 宇和島市民共済会は授産事業のほかにも、昭和三年八月以来、「貯金奨励内規」を定めて貧困家庭における飲酒、子供の買い喰いなどの是正 を行い、節約した金銭を貯蓄にまわす運動や、方面委員であり宇和島市・北宇和郡医師会長でもあった樋口虎若の努力で方面医制度を設け、市民共済会が紹介し た傷病者には安い医療費で診療してきた。また、米麦、味噌、醤油を原価で販売する篤志商店制度を設けて、貧困かつ疾病などの理由で共済会から生計療養費 (一日五〇銭、一か月限り)を受けている者を援助することなど様々な事業を行っていた。昭和九年一二月一日、宇和島市民共済会は財団法人化し、昭和一三年 四月からは市内妙典寺前に更生家屋昭和園を開設、一か月一円の低家賃で住宅を提供した。この年、市内和霊町にも授産場を新設、ここでは下駄の製造を開始し た。また昭和一六年四月にも市内大石町に、母子寮とその付属保育所愛児園を発足させた。




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こんなうちわも展示(当時もの物ではありません)


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おわり

遊子川の天満神社

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遊子川の天満神社


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七鹿踊りとか



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小さな狛犬

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火袋を失った石灯籠



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こちらは、笠がない




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手水鉢


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読めない



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神意これ白梅香だちけり?


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境内は濡れていた



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小さい狛犬がここにも


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あの倉庫は新しい



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これは新しい


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玉に乗った狛犬



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昭和5年


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さて、帰ろう








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