西予市宇和町明間の旧道入口に神社がある
長い石段
なんとか家族一同?
祈 出征軍
願 武運長久
出生するには「武運長久」が合言葉だった
ここにも「武運長久」
いわゆる、千人針である。
新田青年団
これが現在あるということは
戦地より無事に帰ってきたことになる。
その後の子孫も繋がっていった、慶賀の念に堪えない。
石段を登る
途中に狛犬が
見上げるようになってしまった
鳥井有り
火袋がない
當村氏子中
上から見ると転げそうだ
明治十二年卯六月中旬
拝殿
主祭神 天之御中主之命(あめのみなかぬしのみこと)
由緒
当神社は、寛文4年の御造営といい、中宮天神社と称し古くより氏子崇敬の的であった。文化3年に、兵頭忠左衛門が社地を献上し、現在の山上に遷し、山上天神社と号した。
その後、末社1社を合祀して三柱神社と改めた。明治30年現今の社殿を改築し、明治42年5月17日末社 天神社、神明神社、龍神社、徳太子神社、三柱神社の五社を合祀するとともに、明間神社と改称した。
明間神社
手水鉢
境内
戦没者慰霊碑
奥に石段有り
狛犬が
反対側にも
佐藤芳太郎
佐藤岩次郎
石工の名前もある
読めない
佐藤という姓が多い
さて、帰ろう
旧道は通学路になっている
明間小学校がある
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