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恵美須町1丁目商店街


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恵美須町2丁目商店街


宇和島市内の寺社に七福神が祭ってあって、お正月などに「宇和島七福神めぐり」というイベントが毎年開催されるのだが、


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昭和26年、ここに西江寺に祭ってある七福神に出開帳してもらい、商売繁盛を祈願しようというイベントが企画された。

当時の新聞によれば、「築地から繰り出した芸妓達があでやかに大黒様の鎮座まします車を引っ張り町中を練り歩くというもので、袋町市役所角、内港、恵美須町、築地、西江寺等数カ所で餅まきを行う」というもの

発端は11月20日、竣工式を迎えた、袋町浜通から恵美須町の間を流れる辰野川に架かっていた「筋違橋」を架け替え「新橋」と命名された橋の開通式に合わせて計画されたものである。

以後、「浜通商店街」は「新橋通商店街」と呼ばれるようになった。

現在の「新橋銀天街」の事である。






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新橋銀天街から恵美須町方面を見ると、右に曲がっている


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その昔は筋替(かい)橋だった。


ここを昭和26年、

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大正時代に架橋



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新橋の上は現在、塞がれて商店が建っている。



開通式は昭和26年11月20日

当時の新聞記事より

市に代行して、恵美須町繁栄会が主体となって挙行された。

この日は久方ぶりに見る天高い絶好の晴天に恵まれ、繁栄会役員井上糸店店主、松本吾妻屋店主ら約20名に、市側から、中平常太郎市長、藤田、上田正副議長、菊池庶務課長、梶原都市計画課長ら約20名に、工事施工者今岡松太郎、新田総一郎両者が出席、和霊神社三輪田社司の修祓により挙行された

玉串奉奠(たまぐしほうてん)の後、大浦の梅崎一家を先頭とする渡初めが行われた
【梅崎一家は三世代夫婦、勘太郎(77)コマさん夫婦、勇太郎(53)トキエさん(47)夫婦、文夫(28)コトエ(26)さん夫婦】



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新橋

当時の新聞記事より

通り染めの後、西江寺秘蔵の大黒天の出開帳を試み、商工会議所もこれを後援した。

築地花街組合でも東雲、吉住、小白浜等の美妓100名、北陽花街40名が大黒天の前後にお供して三味太鼓に各々得意の舞で練り歩き、市役所前(現在の南予文化会館辺り)に仮設された舞台を振出しに行列は始まり、12時:30には築地花街一行の美妓を先頭に大黒天、北陽と各々新橋を渡り、大黒天は恵美須神社に初の御対面と銘打って入り込み30分の休憩ののち、第二の舞台(恵美須町)に向かって行列を続け(つづく)



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ここにたくさんの人は入れないので、昔はもっと広かったのかな?





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恵美須町商店街から、道は複雑に曲がっている。




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続いて船大工町の舞台を終え北陽花街を一周し朝日町本通りを練り歩き、辯天様に落ち着き此処で大黒天と辯天さまの縁結び式を行い次いで築地花街を一周し再び繁華街に媚を表す等、当日の賑わいは全く頂点に達した、とある。



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築地花街(命名者、矢島龜壽?)

河身北陽を貫く(築地建設記念碑)




さて、期待した経済効果のほどは如何だったか?

各店主の談話では、思ったほどの売り上げは上がらず、普段と全く同じで期待外れだたっとようだ。


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当時の大規模小売店、山下百貨店、いとや百貨店、丸和百貨店



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29年の地図、山下百貨店はこの年パチンコ店となった。



23日の某新聞記事には
「大黒さまの財布重し おみくぢと寶笹で2万円の儲け 商店街ダシとなる?」という見出しで

「大黒様までが利己主義になるとはなんと世知辨い世の中じゃないか」という商店主の談話が掲載されていたが、勝手に経済効果を期待された大黒天様にとってはご迷惑な話ではないかと思った。




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また、21日の記事には「船大工町では大黒様の出開帳を記念して「大黒町」と改名することになった」とあるが、現在に至っても改名されてないことから、立ち消えになったと思われる。





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